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私が子供のころというのは昭和40~50年代のころになります。そのころは近所中を走り回って遊んでいました。他人の家のブロック塀の上を忍者になって飛び回り、町内の廃工場に潜り込んで砂鉄を集めまくり、川へ行っては釣りをしたり川の中の泥鰌の姿を観察したり、虫取りに草の生い茂った空き地を走り回ったり、何しろ子供の遊ぶ場所は山ほどありました。 そういう遊びが身体の発育を十分に促していただろうということは間違いないと思います。ほとんど大きなけがもせず、病気にもならず遊びまくっていました。それは中学生になるくらいまで続いていたかもしれません。 今思い返すとしっかりと何かに守っていただいていたと感じます。木や塀から落ちそうになったのを何かに支えられたような記憶が何度かあります。何故落ちなかったのだろうとその時は不思議に思っただけでした。子供たちというのはやっぱり何かに守られているのだと思います。 先日も三日間も山の中をさまよった幼児が無事に見つかった事件がありました。守られている力が強かったのだろうと思います。見つけた方もあれは間違いなく守られている力の強い方です。霊的に強い方というのは本物に近ければ近いほど「清貧」という位置を守られています。 変な話ですが、お賽銭というのは穢れた金銭というものを神様仏様に捧げて自らの魂を浄化していただく行為だと聞きます。お金を得ることを悪いことだとは言いませんが、必要な分だけを頂くということに徹していると守られる力が強くなるように思います。子供たちが守られているのと同じように思います。
2018年08月30日
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この年齢になると一年があっという間に過ぎていきます。以前はそれまでに生きてきた時間と比較化されるので、一年が段々短く感じられるのではないかと思っていると書きましたが、別の説もあるらしいです。 それは「ときめき」が減ったからというもの。確かに年齢を重ねていくと「ときめき」というか心が動いてその余韻を長く感じると言うことが少なくなります。心の動揺は変わらず起きるのですが、すぐに収まってしまうようになります。 ときめくというのは小さな感動なのかもしれません。そういうものが若いうちは一日のうちに幾つもあったように思います。この歳になるとそういうものは減って淡々と一日が過ぎていくような気もします。注意力や観察力、好奇心というものが減ってしまったのかもしれません。 肉体の老衰よりも精神の老衰を危機として感じなければならないのかもしれません。努めて自分の好奇心を刺激することを考えて生きて行かないといけないと反省しました。
2018年08月28日
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不動明王様が持っておられる剣が慈悲の剣です。剣というものは本来生き物を攻撃するためのものですが、不動明王様の剣はそういうものではありません。 広義で言えば人の弱い心を切り捨てるためだったり、邪念を切り払うものだったりします。しかし私はこの剣は御仏の慈悲の心が表されたものだと思っています。 頑張れ、強い心を持ちなさい、自分の弱い部分をしっかりと認識していつでもそれを強い気持ちに切り替えられる決意を「剣」の形で持ちなさい、そういう意思が表されるものだと思っています。 剣は切り捨てるだけのものではなく、強い心の象徴としての意味が強いのだと考えます。 日本人が名刀と呼ばれるものに心惹かれるのは明鏡止水、そういう静の心を刃紋に映して心の象徴として見るからだと思います。 不動明王の剣には黒龍が巻き付いています。炎の化身でもあるお不動さんに水の化身である龍神が就いているというのは強い心というのが燃え上がる熱意だけではなくて、そこに冷静で静寂を中に秘めた心でなくてはならないとする理想の心の状態を表しているのかもしれません。 頑張れ、応援しているぞという慈悲と励ましの剣が不動明王の帯剣なのだと思われます。
2018年08月26日
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金沢は最近台風にさえ避けられている感があり、今回の20号も直撃ではなくて近々を通り過ぎていく感じです。それでも今朝は雨が降り風が吹いています。やはり白山が南から吹き込む風をブロックしてくれているようで、強風という感じではないようです。これからどう変化していくかわかりませんが、山のダムの貯水量が少しでも増えてくれるとありがたいと思っています。 ただ気温が下がりません。32度あたりをずっとキープしていて「朝晩涼しい」という状況はここ最近全くありません。本当に普通に生活していてもお風呂に浸かっているような感じで、うっとおしくてしょうがない感じです。 さきほどから書いていると「感じ」とか「感」とかいう言葉が多くて、たぶん夏が苦手で暑さが大嫌いだと人は感覚の支配率が上がるのだろうなぁと思いました。こういう風に感覚が働きどおしでいるとやっぱり人の身体というものは疲れてくるようです。エアコンで快適な温度の中にいてもやはり人の感覚というものは鋭敏で外気の暑さをどこかで感じているような気がします。 まだ一ヶ月くらいは続くだろうこの暑さ・・・何とか乗り切れることを願っています(冬小僧)。
2018年08月24日
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お客様によく聞かれる質問です。答えることは出来ますが、未来の姿というのは無限にあると言えます。 選択肢というか分かれ道が幾つもあって、そのどこで曲がるかまっすぐ行くかはその人のその時の心が勝手に決めることです。それは誰にも特定できるものではありません。 確率的に高確率の道を指し示すことは出来ますが、指し示した途端にそのルートは低い確率に下がる場合もあります。要するに未来を指し示すなどというのは強制力の全く働かない不確かなものだと言うことです。 自分がこうなりたい、こうしたいということは自分自身がしっかりと心に決めて形に残して記録して毎日見直して生きて行かなくては実現できないものなのだろうと思っています。 自分の将来を決めるのは他人でもなく親兄弟でもなく、自分自身しかいないのです。 彼氏はできるかできないかではなくて、自分のその手でつかみ取るものなのだと思います。
2018年08月22日
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霊的な「気づかせ」というのは本当に僅かなサインとしてやってきます。そういうことに本当に心を置いていないと決して気づくことはできません。単なる思い過ごしと思ってしまうのが普通のようです。 それでもそういう「サイン」は本当に普通に現れることがあります。虫の知らせということがありますが、後になってあぁあれがそうだったのかと思うことが多いようです。 母の病気の原因をお客様の病状で気づかされたことがありました。同じ症状で原因不明というところが同じだったのです。そして先にお客様の病の原因がなんとなく判明していたので、母の病気の原因も何となく判明。原因を取り除くことが出来ました。 例えば家の中で手の薬指にとげが刺さる・・・それはもしかしたら娘さんの心の傷が少しできたという気づかせかもしれません。本当にさりげなくそのサインはやってくるようです。
2018年08月20日
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ちょっと涼しくなって一息ついている感じです。猛暑の中休みというところでしょうか。 23度くらいの気温だと人間に戻ったような気持ちになります。 先日散歩していて山の方を見ると「雲の峰」が見えました。雲の峰に朝日が射して天上の楽園があそこにあるのかなと思ってしまいました。 最近の雲は入道雲と絹雲とひつじ雲が渦巻くように変化していって、なんだか尋常じゃない空の体を為していたから、雲の峰は何だか本当にほっとした感じで見てしまいました。 雲の峰 好きな言葉です。
2018年08月18日
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今年のお墓参りはちょっと変な感じがしました。ご先祖様があまり来られていないような気がしました。私の家のお墓だけのことなのでしょうか? そう言えば今年は例年に比べてお客様に就いておられるご先祖様が多いような気がしていました。もしかしたら今年はお墓にではなくて生きている現世の子孫の人たちにご先祖様たちは寄られているのかもしれません。 何しろ今年は異常気象も極まれりという感じで、大水害でお墓を流されてしまうような被害も多数出ていたり、地震も頻発したりで現世の生活基盤が崩れてしまっているところが多数あります。ご先祖様が生きている人たちのところに数多く帰っていかれて寄り添っておられるのは当然のことなのかもしれません。 きっと霊界の総合会議で今年はお墓に行かないで子孫のもとに直接帰るようにしましょうということにでもなったのかもしれません。お墓参りで訪れたお墓が空虚だったのはそう言うことなのかもしれないなと思ってしまいました。
2018年08月16日
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先日散歩道の河原の横の大木が連日の日照りのためか横枝の一本が折れ落ちたことがあり、今も毎朝横を通ると折れた枝痕が生々しいのですが、それを見ていてふと何かの本で読んだ天狗わたり?だったか何かの不可思議現象のことを思い出しました。 深山で深夜に巨木が何本も倒れるような大きな音が連続して鳴り響き、翌朝探しに行ってみてもそんな巨木の折れた痕跡が無くて天狗様が起こした悪戯だと思われるということが昔はあったようで、確かに私もあまり人が通らない深山の登山道を一人で歩いていると、本当に天狗が通って行ったのではないかと思うような気配に襲われたことがありました。 昔の人は奇妙不可思議な現象をこういう風に妖怪や神仏の眷属の仕業と捉えて納得させていたところがあります。晴れているのに雨が降れば「狐の嫁入り」と呼び、何もない海面に地上の風景や船が映れば「蜃気楼」大きなハマグリが出した何かがそんなものを映し出すなどと考えていたわけです。 今では科学技術が発達してそんなものは子供でも説明できる現象になってしまいましたが、私はそれでもそれらの現象には科学だけでは説明しきれない何かの因縁がくっついているように思います。その方がなんとなく面白いなぁとも思います。
2018年08月14日
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夏病とでも言う症状の方が増えています。 何という原因も無いのに肩や腕が痛くなったりする症状です。原因を探ってみると首筋のリンパ節あたりから来ていることが多いようです。つまり夏風邪の前症状が重症化したような感じです。 あまりにも気温の高い状態が続いてエアコンの多用と相まって身体の体温調節の機能が悲鳴を上げていることが原因のようです。 肩や腕に湿布をしても効果はありません。リンパのマッサージをするか、首のリンパのツボに温灸でもしたほうが効果があると思われます。 人の身体というのは異常な環境に対応するために様々な状態を勝手に作り出してその人に何かを訴えてくるもののようです。為られている方達には申し訳ないのですが、治療家としてはとても興味深い症状と原因だと考えています。
2018年08月12日
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素直ということは「自分の魂の言うようにする」ということなのかもしれません。 その時に自分自身の魂の声を聴いてその通りにできることが「素直」ということなのだと思います。そしてそういう人は霊的に愛されて全てがうまく行くように思います。しかしなかなかそんな風に素直にいつもなれるかというとなれないものです。 まず魂ときちんと向き合うということがとても難しい。なんのかのと理屈をつけて自分の心を偽って生きている人がどれだけ多いことか。それが悪いわけではないのですが、その生き方はどこかで破綻してしまうように思います。お得ではないと思います。 馬鹿になれというのではありません。賢く自分の向き合うべきものをその時その時できちんと選択するべきなのではないかなということです。 魂というのは本当に大切なことに対してはいつもきちんと答えを持って在るものだと私は思っています。
2018年08月10日
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先日山形県で農業関係者の方達が神社で雨乞い神事をされているのをニュースで見ました。 あの時分は日照りが続いて雨が全く降らず日本海側は雨不足で困っていました。山形県の方達もきっと困り切って神事を行われたのだろうと思います。 そうしたら先日の大雨被害です。神様というものは加減というものをしてくださらないのだろうかと思いました。 そうきっと神様は加減などというものはなさらないのだと思います。たまに人が願うことを叶えてくださる場合がありますが、そこには人の都合などというものが考慮されるわけもなく雨を願えば大雨になって被害が出ることも当たり前なのかもしれません。 人の想定外という事態が普通に頻繁に起こる今の時代です。雨乞いをして大雨被害・・・こういうとても皮肉な事態も想定内と考えなくてはならないのかもしれません。 神様は理不尽です。しかし人という生き物もたいがい理不尽な存在です。お互いさまと言えるのかもしれません。
2018年08月08日
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あるお客様のお話。楽器の生演奏のライブに行かれて、気に入ったのでそのCDを購入して家に帰りそれを聞いた途端体調不良になってしまったということ。 あくまでも私の憶測でしかないのですが、そのCDに録音されている音の波動というか波長がたまたまその時のその人の身体の持っている波長とぴったりと合ってしまって、その人の身体を防衛していた氣の殻のようなものを一気に除去してしまったのではないかと思われます。 素の状態になった身体は環境の負荷に耐えられず氣を完全に乱されて、体調不良の状態になったように思われます。たまたまその時のその人の氣の波長とそのCDの音の波長が同期してしまったせいなのでしょう。 生の音とCDの音ではやはり含まれている者が氣的にも違うように思います。それでより暴力的に人の氣を壊してしまったのかもしれません。 とりあえずその方には音叉を使って余分な氣の除去と癒しの波動を与えて調整をしました。身体の経絡の不調も温熱で調整しておいたのでたぶん復調されると思います。
2018年08月06日
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今朝散歩の途中で川原へと続く道で、片手に鷹を止まらせて歩いてくる女性と出会いました。 へぇ鷹をペットにしていて、川原で少しじゆうにさせてでもいたんでしょうか。鷹をペットにすると言うことにちょっと引っ掛かりはありますが、他人に迷惑をかけているわけではないので個人の自由ということですね。 本当は犬や猫やインコの類以外の動物をペットにするのはいかがなものかとはちょっと思っています。野生で生きている生き物はやはりそういう環境で自由に生きて行くべきなのではないかと少し思っているからです。 動物たちの心の声が聞こえるわけではありませんから何とも言えないのですが、野生のものはやはり野生のままにしておいてあげたいように思います。
2018年08月04日
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もうすぐお盆という時期がやってきました。例年通りお客様を氣視させていただくとご先祖様の霊体が数多く訪ねて来られています。 この時期にはいつものことなので私は全く違和感が無いのですが、お客様の中にはご先祖様に何を言われるのだろうとドキドキされておられる方もいるようです。いつもお話ししていることですが、霊的な存在というのはほとんどすべて慈愛の念に満ち溢れているものです。愛情たっぷりの思いしか伝わってこないですから安心してください。 お墓参りは大変意味のあることです。ご縁でつながった特別な場所がお墓の前になりますから、そこに特別な時期にお参りをすると言うことは大切なことです。 心の整理整頓なのだと思って暑いですが、お墓参りには行かれてください。
2018年08月02日
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