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さわやかな風が吹く今日この頃ですが、この「風」に注意が必要です。 何故ならこの「風」、意外と身体を冷やす力を持っているのです。ですので気持ちが良いからとずっと風にあたり続けていると身体を芯から冷やしてしまいます。 するとわき腹が神経痛のように痛くなって動けなくなってしまう場合があります。「風障」とでも言えば良いでしょうか。免疫力も落ちたりします。 どんなに気持ちよくてもこの時期の風はずっと受け続けたりせずに、ある程度で風を遮る衣服を羽織って防衛しましょう。 この春から夏の季節は「肝」の経絡が「風」の影響を受ける時期だと東洋医学では考えます。そして肝、胆の経絡は身体の横の部分に影響を与えるものになります。 ご注意ください。
2020年05月31日
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ブラタモリを見ていたら、タモリさんが「土地の記憶って大事だよね。」と宣っておられた。 そう言えば金沢は土地の記憶が鮮明に残っている町でもあります。有名な(とは言っても地方レベル)石川門という金沢城前の大きな橋があるのですが、昔私の伯父の写真館でその大きな橋の下に満々と水が湛えられていてお堀だったときの写真を見たことがありました。 今ではそこは幹線道路が走っていて兼六園の前でもあるので相当な交通量です。昔の水の底を今は車や人が数多く行きかっているわけで、それでも道も橋も変わらない形で残っているわけで・・・土地の記憶と言うのは面白いなぁと思います。 金沢の中心部、旧市街とでも呼ぶ地域は細い路地が多くて一方通行ばかりで車で動くには大変不便な場所です。でもそれは藩政時代の土地の記憶が色濃く残っているわけでもあって車社会でなければ人には住みよい街なのかもしれません。 土地の歴史と記憶の中で生きていきたいなぁと改めて思います。
2020年05月29日
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時々、水難・火難の相というものが氣視で視えることがあります。台所に小さな火が視えるとか、水漏れとかの場合もありますが、火事や船が沈む様が視えたりする場合もたまにあります。 後で考えてみるとこういう氣視がされる方は用心深い、慎重な性格の方で頭脳明晰な人が多いように思います。もしかしたらこういう方達の前世を視ると大火や洪水で亡くなったことがあるのかもしれません。こういう災害は防ぎようが無くて、どんなに知恵を巡らして防ごうとしていてもあちらから突然襲ってくるものです。 そういう時にきっとどれだけ悔しい思いをしたのかと思います。元々慎重で用心深く生きていたのに突然の災いで亡くなったら、それは現世でもわずかな兆候に気づいていくだろうと思います。 大体こういうメッセージは伝わった時点で起きないことになります。もちろんご本人が十分注意するのもありますが、そういう因縁は知った時点で無くなるものなのだと私は思っています。 昔からのエピソードで易者さんが歩行者の誰それを呼び止めて、「お主に火難の相が出ておるぞ。」何て言うのは寓意的なものがある作話だと思います。
2020年05月27日
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7,8歳のころ自宅で母親が貸本屋を始めました。我が家の玄関部分が八畳ほどの店舗になってほとんどを漫画が占めている場所になりました。子供にとっては天国ですね。そのころの漫画(今もそうでしょうが)には漢字にはルビでフリガナが付いていました。だから子供でも全ての漫画が読めました。どんどん読んで、だから漢字をどんどん覚えました。 だから読書を始めても漢字がほとんど読めました。だから小学校の図書室の書籍をほとんど読みつくす勢いで読んでいました。 それから五十年余り今も週に五、六冊は読んでいます。少なくとも一万冊以上は読んでいる計算になりますね。何でこんなに本を読むのかなと思います。一つの答えとして「審神者」としての資質があるかもしれないなぁと考えています。たぶん膨大な知識が一度は私の中にインプットされているわけで、それが氣視をしたりして神様や霊体を見分けるときに助けになっているのかなと思います。私に霊的な能力は元々全くありません。「氣」のコントロールをさせていただくようになって、氣を通じてそういう世界の切れ端を視せていただくようになって、そこで書籍から得た知識のお陰で覚えているはずもない知識が自分の中から出てくるのに気づいたような感じです。 どこまで行っても何かに導かれている感じが強い私の人生ですが、元は7,8歳のころから始まっていたのかもしれません。
2020年05月25日
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潜在意識の力というのは恐ろしいものです。自分では意識していないわけですからコントロールできません。しかも現実世界での実現力は侮れないものが在ります。 何か実現したい願望がある場合は、それを潜在意識に刷り込む方法があります。それは日時と実現したい願望をできるだけ具体的に紙に書いて自分の机の引き出しの奥深くにしまい込んでしまうというものです。こうすることで潜在意識に刷り込まれて実現しやすくなります。全て実現するかと言うと難しいところですが、それは書いたときのその人の潜在意識がそれをどれほど実現可能か判断しているかという内容に寄ります。 自分ではコントロールできない力を何とかうまく活用できないかと考えた方法ですが、先人は色々と工夫するものだなと思います。 全ての人の潜在意識に「平和」への願いや「平等」への希望が刷り込まれて行けばいいのになぁと思います。大切なのは思い込んでから一旦忘れることなのですが、これがなかなか難しいのです。
2020年05月23日
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二つの生き物は霊的になかなか重要な生き物のようです。 「蜂」は氣視の中では神霊からお諫めの象徴で、お礼参りなどをきちんとしていないとその人の周りに霊的にまとわりつくように思われます。「罰(ばち)が当たる」と言いますが、「ばち」は「はち(蜂)」から来ているのではないかと思っています。生き物として蜂ってとても特殊なように思います。蜜蜂の作るはちみつにしても何か特別なもののように思えます。 「蛇」も古語で「かか」と呼ばれる古くから人とは因縁深い生き物です。脱皮することから「死と再生」の象徴として捉えられてきたのだろうとも考えられます。人のとても身近にいて「死」をもたらすものでもあり、大切な食糧源にも成っていたようにも思います。 以前から何度も書いてきましたが、「加賀」は古語で「かか」=「蛇」ということになり、ここは蛇神とご縁がとても深い土地になります。何故この土地がそうなったのか?古代の深遠なる謎のように感じています。いつか調べられたらいいなぁと考えています。
2020年05月21日
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過ごしやすい日が続いております。暑くもなく寒くも無いこんな季節は一年の中でも少ないのですが、相変わらずの外出自粛の雰囲気は緩めてはならない感じもあって大変です。 乾燥した日と湿度の高い日、気温が上がる日とあまり上がらない日、風が強い日と無風の日、極端な変化が続いてい行くのもこの季節の特徴かもしれません。やはり体調を崩しやすいのはあるので服装に注意して体温をうまく管理していく必要があります。 飲み物などはあまり冷たい飲み物ばかり飲み続けていると若干の「冷え」が身体の中に溜まりますので、できれば温かい飲み物を優先して飲むことをお勧めします。 「腹も身の内」という言葉がありますが、「身」というのは身体全体を表します。食べるもの、飲むものは身体全体に強く影響を与えるものだと考えていただいてよく考慮して口に入れることをしていただきたいものです。 善く生きる それは頂いた命を大切に使わせていただいていくということにつながります。食べるもの、飲むもの、着るもの、聞くもの、見るもの、全てに心を使って大切に自らをして生きていきたいものです。
2020年05月19日
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死と再生というのは古代日本から今へと続く永遠のテーマと言っても良いかと思います。 何故生き物は全て「死」というものによって永遠の別れを告げなくてはならないのか?そして「再生」という形で新たな生命との出会いが来るのか?それを支配しているのはどのようなルール、システム、存在なのか?人はずっと考え続けているわけです。 私にも縁の深い菊理姫命様はまさにこの「死と再生」を司る神様なのだろうと私は考えています。漫画家の星野之宣氏が宗像教授伝奇考という作品の中でこの事を描かれています。古代から日本では「お山」は異界、霊界と考えられてきました。そこにおられる神はやはり「死と再生」を司る神と考えられると思います。 山に沈み、山から昇るお日様を見て古代の人々はそこに「死と再生」のイメージを強く思ったのだろうと思います。 お葬式で火葬になり肉体は滅んでも魂は生き続けています。必ず生まれ変わり貴方のそばにまた戻ってきます。おじいちゃんの生まれ変わり、おばあちゃんにそっくりだ、それは遺伝という仕組みだと判明していますが、何故そんな繰り返しが生命の中に組み込まれているのか?それは「神秘」神様の秘密なのだということだろうと私は信じています。
2020年05月17日
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滝というのがどれも清浄なものだと基本的には思っていました。けれど時々もこの滝はちょっと清浄とは思えないなぁと思うるものもあったように思います。 特に有名なものでは日光のK滝などはいかにも禍々しくて近寄りたくないと思っていました。それ以外にも水源が町の近くだったりする滝にはちょっと不純な汚濁を感じる滝もあったように思います。 先日の氣視でそういう滝の中でも「滝行」のときに滝を清めるお役目を持っている修行者の前世を持たれた方にお会いしました。結界を張って修行の場を清められるお役目をしておられたようです。 テレビ番組などで簡単に滝行をされている姿などを見ていましたが、これらも全てきちんと清められた滝で行っていたのでしょうか?ちょっと疑問に思いました。 そう言えば熊野の那智の滝は本当にきれいで清浄なものでした。ああいう滝はきっととても珍しくて貴重なものなのだろうなぁと感じます。また行きたいなぁと思ってしまいました。
2020年05月15日
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風が渡ります 五月の新緑の梢を 雲が走ります 五月の青空の中を 川水が流れます 初夏の川原の中を 燕が飛びます 巣作りのために 虫たちが歩き回っています 温かくなった大地の上を 何故 人だけが 立ち止まっているのだろう
2020年05月13日
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毎月一日だけの断食を続けています。断食と言っても固形物を取らないだけなのでそんなに苦しいものではありません。一日中お茶とジュースとかで過ごします。ちょっと空腹感が強くなれば野菜ミックスジュースの濃いのを飲めば十分乗り切れます。 大体一日で1~2キロ体重が減ります。何よりも消化器官を休ませてあげるのが目的です。ただおトイレが近くなるのがちょっと不便と言えば不便かもしれません。 人間が贅沢に慣れてどれだけ余分な食物を食べているか、それが身体にどれだけ負担を与えているか、断食を終えて食べ物を最初に口にするといつもは感じたことのない食べ物そのものの味や香りが感じられて驚かされます。これを普段は感じないで食事をしているということは食べ物に対して申し訳ないという気持ちになります。 普段健康でいると感じられない健康であることの幸せ。それは病気になって見るとよくわかります。普段何の不都合も無い身体で生活しているありがたさは怪我をして動けない部分や痛い部分が出てくるとよくわかります。 今もみんなで「自由に生活する」というありがたさを再確認しているのかもしれません。
2020年05月11日
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一度見ると必ず思い出せる人というのがおられます。こういう方は「氣」の力が強いと言えるかもしれません。一度お会いしたのに後で思い出そうとしてもなかなか思い出せない方というのは氣の力が普通か少し弱いのだろうと思われます。 もちろん何回も顔を会わせていれば「氣」の繋がりが出来ますから、記憶には刻み込まれるのできちんと思い出せるだろうと思います。 何だかこういうことを考えていると人の心と言うのは「氣」の力に結構コントロールされているのかもしれないなぁと思われます。 土地というのも地脈という大きな大地の「氣」と関係があるので、ご縁のある土地、聖地、パワースポットの中でも何度も行ってしまう、行けてしまうというのは「氣」による繋がりがあるのだろうと思われます。 こういうご時世に印象深い各地や友人知人に会いに行けないというのは寂しい限りですね。少なくとも今のうちに思い出せる印象深い土地なんかはリストアップしておきたいものです。
2020年05月09日
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NHKのブラタモリを毎回欠かさず見るようになって、散歩していても土地の段差や道の曲がり、暗渠などが何となく気になるようになりました。 散歩途中の川原地蔵尊などというものがあると、きっと昔に何度も大きな洪水とかがあってたくさんの犠牲者が出たんだろうなぁと思いました。そういうご供養のためのものだと思います。その対岸には犀川神社があり、そう言えば日本のあちこちの神社が1300年くらいの歴史があるというところがとても多いことにも気づきます。 ということは西暦700年ごろにバタバタと日本中に神社やら寺院が建てられたということになります。そしてそのまた700年過ぎた西暦1400年頃には日本国中で戦火によってバタバタと神社や寺院が燃やされたように思います。神霊界には700年ごとに何か現実問題としての変革も起きているのかもしれません。 だとすれば2100年というあたりにも何か・・・・。 金沢は古い時代の道が数多く残っています。以前住んでいた家の前は北國街道でした。土地の記憶と言うのは人や目に見えないものたちの記憶も残している場合があるように思います。
2020年05月07日
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何だか霊界に変化があるような感じがします。お客様の氣視をしていると何だかいつもよりも神様にすぐアクセスできるような感じがあります。 神霊界が少しだけ近くに引っ越してきているような感じです。もしかしたら人が出歩かなくなったことが原因なのかもしれません。神様と言う存在は矛盾しているかもしれませんが、人の存在を、というか「欲」というものの存在を忌み嫌います。ですから神社などでも神殿の中などには滅多に降り立たないで近くの巨木の上なんかにおられます。 皆がコロナ禍による巣ごもりで外界に出なくなったことによって神様は外界を動きやすくなったのかもしれません。昔、人が少なかったころに神様と言うのが身近な存在だったのは今のような状況があったせいなのかもしれませんね。 人が「欲」というものともうちょっと距離を取るようになることをあちらの方達は望んでおられるのかもしれないなぁと思ってしまいます。
2020年05月05日
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インターネツトの接続不具合で今の時点まで立ち上げれなかったので、申し訳ありませんが、今日のブログは中止させてもらいます。ごめんなさい。
2020年05月03日
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歳をとってくるとはるか昔の記憶が良く蘇ってくるようになります。 今日も思い出したのは高校時代の自転車旅行の時の記憶、真夏の日差しに焼かれた太ももの暑さ、黒さ、町に寄るたびに食べたかき氷の美味さ、ユースホステルになっていたお寺さんの本堂で一緒に宿泊していた女の子たちから突然もらった飴玉、輪島に抜けるために登った長い長い上り坂の苦しさ、半島の先端近くで歩いていた高校の同級生の一人旅中の女の子の笑顔、そして能登の風の匂い、海の香、人たちの笑顔・・・・。 友達三人といっしょに走りました。喧嘩もしました。でも一週間結局仲良く走り切って、そのうちの一人とは今も付き合いがあります。恥ずかしいフレーズですが、青春ど真ん中っていう感じですね。 能登はそのころから私を引き付けてやまない不思議な土地です。あそこには今も数多くの土地神様や渡来神様が棲んでおられるように思います。原付バイクか何かでいつかまたゆっくりと旅してみたいように思います。
2020年05月01日
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