全15件 (15件中 1-15件目)
1
最初に視えたのは松林の中の岩頭ともいえる場所で空に向かって一心に何かを願っている着物を着た女性の姿でした。何かを強く願っている姿に、この女性の強い心と信心の思いが伝わってきました。 少しの間そのまま視ていると、この方が親鸞聖人の奥さんだとわかりました。浄土真宗の偉人の奥さんだった方ですから、きっとこの方も立派な方だったのだろうと思います。 この方の思いというのは何だったんだろうと思いました。それは夫とともに衆生を救いたいということと子供たちの幸せだったようです。親鸞と言う巨大な光の影にあってしっかりと長い間支え続けたこの方の存在はとても大きいものだったと思います。 最近の偉い人、首相やら大統領やらを見ていると私はどちらかと言うとその伴侶の人間性を視てしまいます。そこにパートナーの本質が表れているように思うからです。最近だとオバマさんの奥様は素敵な人でした。女傑ではないですが、賢妻と呼ぶにふさわしい方だったように思います。この恵信尼と呼ばれておられる親鸞聖人の奥様も賢妻と呼ぶにふさわしい方だったように思います。
2020年10月30日
コメント(0)
お客様の氣視のヴイジョンの中でよくその方のストレスの原因や状態を視ることがあります。本当に皆さん様々なストレスを抱えておられます。いつも可哀想になぁと思ってしまいます。 以前にも書いたことがありますが、ストレスが身体に現れる、溜まる場所は七八割の割合で決まった場所になります。例えば40代女性の場合、ご主人からや職場の男性上司からのストレスは右肩のあたりに溜まります。姑さんや職場の年上の同僚などからのストレスは右腰のあたりになります。逆に息子さんや弟さん、年下の男性からのストレスは左肩に溜まります。娘さんや職場の同姓の部下のストレスは左腰になります。 様々なストレスを身体は現実の肉体の上に表して本人へ気づかせようとします。でもほとんどの方はこのシステムには気づきません。私がお話しすると大体納得されるのですが。 ストレスは原因と理由が分かればほとんど対処することが出来ます。解らないままのストレスが一番質が悪いものになります。うまく付き合う方法を見つけたいものです。
2020年10月28日
コメント(0)
私たちの世代だと岸洋子さんが歌う「夜明けの歌」がその歌になります。 早朝の散歩をしていると真っ暗だった空が東の方から少しずつ明けてきます。金星なのでしょうか、明けの明星と呼ばれる星がまだ輝いていますが、少しずつ日が昇ってくると心の中にこの歌が流れてきます。そして穏やかな「希望」の光が自分の心に差し込んでくることに気づきます。良い歌だと思います。 夜明けのうたよあたしの心の きのうの悲しみ 流しておくれ 夜明けのうたよあたしの心に 若い力を 満たしておくれ 夜明けのうたよあたしの心の あふれる想いを 判っておくれ 夜明けのうたよあたしの心に おおきな望みを 抱かせておくれ 夜明けのうたよあたしの心の 小さな倖せ 守っておくれ 夜明けのうたよあたしの心に 思い出させる ふるさとの空
2020年10月26日
コメント(0)
心労=精神疲労。かな、これが東洋医学で言うと心臓の経絡にきちんと反応が出ることが施療経験からわかっています。 こころが疲れると心臓に負担が来るわけです。不整脈や心臓の周辺痛と言って肩や二の腕あたりに痛みや違和感が表れます。病気と言うほどではなくて、気になるほどの症状でもないかとは思いますが、やはりこういう不調はなるべく治しておきたいものです。 特効薬は「小さな喜び」です。ささやかな満足感でも良いです。そういうものが在ると心労は緩和されます。誰かに、どこかで小さなさり気無い親切でも行うのも良いかもしれません。それが自分自身の身体の中心部の臓器を助けることになります。 人の心と体と言うのは本当にうまくできているものだと思います。他を利する行いは自分自身の大切なものを救うことにつながっているわけです。人は誰かのために頑張って生きているのだろうと思います。自分もどこかの誰かに助けられて生きているのだろうと思います。感謝の心が溢れる毎日になりますね。
2020年10月24日
コメント(0)
般若心経の冒頭の一節です。何某かの時に時々口から出ています。何かを浄化しているのかなと思いつつ無意識に唱えています。 昔のおじいさんおばあさんが「ナンマンダブー」とよく唱えていたのを思い出します。浄土真宗の門徒さんはよくこのお経さんを唱えているものです。 ところが私は真言密教の経文の一節をよく唱えているわけですが、これは何故なんだろうと自問自答してしまいます。 穢れを祓うことが常態化しているのか?氣を他人よりも敏感に感じ取れるからこうなってしまうのか?よくわかりません。 たぶん自分自身の心を整えるために唱えているのだと思うことにしています。「他」に原因を求めることはせず「自ら」に為すべきことを為すという感じです。誰にも迷惑はかけていないので良しとしましょう。変わった口癖を持つ変人が一人います。
2020年10月22日
コメント(0)
再度お仏壇について書きたいと思います。最近のご家庭はお仏壇を置かないお家が増えているようで、まぁS学会などはお仏壇を排除する形を取っていますが、これは如何なものかと私は思います。 仏具店の片棒を担いでいるわけではないのですが、お仏壇と言うのは例え小さくても古ぼけていても立派に「霊的アンテナ」の役割を果たします。見えない世界からの「慈愛」の波動を受け止める「装置」のようなものです。テレビを買って設置してもアンテナが無くては画像も声も情報も入っては来ません。 お仏壇の無いお家と言うのはご先祖様や愛したもの、愛してくれたものからのメッセージを遮断しているのと同じだと思われます。霊的引きこもりと言っても良いかもしれません。 氣視させていただくとお家の中にぽっかりと空白が存在しているように視えます。悲しいし寂しいなぁと感じてしまいます。 立派なお仏壇でなくても構いません。小さなお仏壇に仏様の像なり、お位牌なりを祀って毎日何某かのお供えをしてほしいものです。そうしてこそ本来の霊的守護が届くようになるような気がします。
2020年10月20日
コメント(0)
出羽三山神社へ行くと必ず「鬼門守護」のお札を買ってきます。これを院の鬼門の方角の壁面にお祀りします。 氣の流れが何となくわかるようになるとあまり良くない「氣」、「邪気」のようなものが流れてくる方角が分かるようになります。それはやはり鬼門の方角になるようで、以前から気になっていたのですがこの鬼門守りのお札で何とか防ぐことができるようになりました。 ただ完全に防いでしまうのは良くないのです。少し隙間を作っておくことが「自然」なのでそういう風にしてあります。邪気もまた自然の一部なのでそれを100%カットしてしまうのは生き方として間違っていることになるのです。 緩みというか隙間というかそういうものは何にでも必要です。それが無いと自然ではなくて「作られたもの」になってしまいます。それは「紛い物」です。人は不完全な生き物です。そして万物は完全無欠なものではなくて不完全になっていてこそ真っ当なものになると私は思っています。 鬼門守護のお札は自然界の在り方を私に教えてくださるものでもあります。
2020年10月18日
コメント(0)
お客様に感謝していただくことはとてもありがたいことなのですが、それも過ぎると恐縮してしまって申し訳ない気持ちになってしまいます。このお客様は足の裏のしびれが主訴でした。不都合はそれほどないのだけれど何とも気持ち悪いというのが日々の不満です。特に寝ているときに強く感じるとのこと。 AKAという手技で仙腸関節の引っ掛かりを取って、全身の気の流れを調整しました。そして腰椎の五番に磁石を張り付けてみました。すると随分としびれが軽減されたようで、そして二回目の施療時に原因として「閉塞性動脈硬化症」という脚部の血管が少し詰まったことによって足の神経がどこかで不具合を起こしているのかもしれないとお伝えしました。お客様が以前に脚の静脈瘤を手術したと聞いていたこともありました。その可能性を聞いてお客様は何かほっとすると同時に日々の食生活から改善するようにしたとのこと。 元々とても健康でほとんどお医者様に罹らないで来られた方だったのですが、とても身体が楽になってしびれもほとんど気にならないくらいになったと言ってとてもとても感謝されて恐縮しきりです。たまたま私の施療が身体に「合った」と言う事だろうと思います。驕らず慢心せずにお客様に感謝して精進していきたいと思います。
2020年10月16日
コメント(0)
出羽三山神社においても弥彦神社においても感じたのは少しの「混乱」のような感覚でした。神様が混乱しているというのはちょっと大げさですが、どっしりと落ち着いて鎮座されている感じがあまりしなかったのが素直な感覚です。 神霊界に僅かですが、動揺があるように感じられました。それは人の社会が変動しているのが大きいのかもしれません。人と人の繋がりが希薄になり、世界中で人間が人間でなくなっていくような動きに満ちていくことで、神もその存在を動かさざるを得ない状況になっていったのかもしれません。 神が動く時代、それは激動の時代なのかもしれません。異常気象や地殻変動の活発化、そして情報化社会の尖鋭化というような地球全体の変動期になりつつあるのかもしれません。 神様はもうすぐ落ち着かれると思います。自然の力と言うのはホメオパシスの極致と言えるかもしれません。必ずバランスを保つ方向へ力が動いていきます。すぐに安定化が始まると思います。多少の揺り戻しがあるかもしれませんが、必ず以前の落ち着いた世界が戻ってくると私は信じています。
2020年10月14日
コメント(0)

10日11日と家族で山形へ旅行に行ってきました。出羽三山と加茂水族館、それと新潟の弥彦神社へ行きました。 台風とコロナは心配でしたが、台風については被害を被った皆様には申し訳ないのですが、我が家の二人の晴れ女のパワーはすごくて全く雨には遭いませんでした。ありがたいことです。ただ風は強かったです。 加茂水族館のクラゲは何度見ても素晴らしかったです。女子二人はアザラシに癒されていましたが・・・。 出羽三山神社では母と来た時には見れなかった国宝の五重塔を拝観出来て感動しました。娘が境内のガチャのおみくじを引くと「大大吉」という見たことのない結果が出て、これは今回呼ばれたのは娘だなと感じました。修験道系の神様にどうも娘は縁があるようです。元々「八咫烏」が大好きなので熊野神社などにも興味を持っていました。天神系の守護を頂いているのですが、修験者の過去世も持っているのかもしれません。 新潟の弥彦神社は家内が以前訪ねてお札をもらってきて神棚に祀ったときに「濁り酒」を捧げなさいというメッセージが来て、何だか主張の激しい神様だなと思っていたのですが、よく調べてみるとこの神様「フッツノミタマノツルギ」という私の守護神様ととてもご縁のある神様だと分かりました。それで帰りに無理やりに寄ってお札をもらって参拝してきました。とても大きな立派な神社でした。 幻視はまた後日書きます。
2020年10月12日
コメント(0)
氣視させていただいている中で月光菩薩様が守護しておられるお姿を視ることがありました。月光菩薩様は薬師如来様のそばにおられる仏様で、日光菩薩様と対になられた仏様ですね。 この仏様のお仕事は「人が後ろに下がったり後ろ向きになったりするのを、そうしないように支えてくださる」ということだそうです。ちなみに日光菩薩様は「前へ進もうとする人に寄り添って前へ進ませてくださる」お役目なのだそうです。 仏様にはそれぞれにきちんとしたお役目があるのですね。ありがたいことだなぁと感じました。もしかしたらコロナ禍の今の時代には月光菩薩様は大活躍されておられるのかもしれません。 人はどうしても後ろを向いて下がっていってしまったり、後ろ向きになったまま固まってしまったりしやすいものです。そういうときの人に対して「月」は優しい光を与えてくださって明日の明るい世界へ導こうとしてくださるのかもしれません。 月が輝くのは日の光が宇宙全体に満ちている証です。夜の暗闇の中でも月が輝くのは明るい未来が必ず来ることの証明なのだろうと思います。
2020年10月10日
コメント(0)
怪獣映画の記憶と言えば、やはり最初の「ゴジラ」だと思います。遠くから聞こえる地響きのような大きな和太鼓の音のようなゴジラの足音、特撮とはとても言えないような緩慢な動きを見せるゴジラの姿、それらは人の想像力の大いなる助けを借りて大きな恐怖心と憧れを子供の心に与えてくれたものでした。 この作品は全編をわずかな「悲哀」というものが彩っていました。ゴジラの出生についての原爆実験の悲惨、それはまだ被爆国日本について人々が強い記憶を持っていた時期でした。そして最後のゴジラを滅ぼすための兵器「オキシゲン・デストロイヤー」の凄さとそれを開発者の博士が自らを犠牲にして発動させるラストシーン・・・そこには日本怪獣映画の永遠のテーマである「悲哀」というものがきちんと形作られていました。 ハッピーエンドのハリウッド映画ももちろん良いのですが、日本怪獣映画のこの色合いも私は好きです。
2020年10月08日
コメント(0)
結界と言うのは意外といたるところにあります。神社仏閣でももちろん神仏の定めた結界と言うのが存在していて鳥居や門でその境を示しています。 土地にも結界があります。大抵は「川」が結界の役目を果たしていて「橋」がその門の役割を果たしていることが多いように思います。私が特別強く感じた結界の門となっていた橋は米子市へ向かう途中にあった朱色の橋でした。今くぐったなぁという感覚が強くありました。境港、米子、あの辺りは神結界が強くある場所のようです。 金沢にも結界があります。浅野川と犀川という二筋の川に挟まれて旧市街があるのですが、この中が結界になっています。旧市街側から橋を渡ると何となく小さな不安感が私を襲います。これが結界をくぐるときに感じる感覚になります。 当院も結界がいつの間にか出来てしまっているようで、邪霊雑霊が憑いているお客様はなかなか来院できないようです。私はそんなものを作った覚えはないので自然と出来てしまっていたようです。毎日院内は浄化しているのですが、それは当たり前の行為だと思っています。お客様には気持ちよく施術を受けてほしいですから。 たぶん結界と言うのは人が霊的に気持ちよく生活するために作られているものなのだろうと私は思っています。
2020年10月06日
コメント(0)
氣視させていただいていると神仏からの波動のようなものは「光」のように感じられます。それは暖かくて輝いていて清浄な雰囲気を持っています。 ただ時々射してくる方向がちょっと違うと思えるそういう光がある場合があります。これは偏見でも差別でもないのですが、大本教や金光教の神様の光がそれにあたります。 一般的と言うと語弊がありますが、そういう神仏とこれらの比較的新しい宗教の神様はその慈悲の光が射してくる方向が異なります。 これはどういう意味なのでしょうか?私にもわかりません。何というか人が受信している周波数が違う感じです。ある意味優しいいい意味での差別が行われているのかもしれません。これは正直私は戸惑ってしまいます。それでも高位の霊格をお持ちの方達ですから私は深い敬意を持って接していきたいとは思っています。
2020年10月04日
コメント(0)
小学生のころ夏に林間学校というイベントがありました。近くの小さな山の中にある少年の家と言う施設に団体で宿泊体験をするというものでした。その頃父が市役所の社会教育課と言うところに勤務していたのでその関係で参加したのかもしれません。 覚えているのは朝起きた時に周り中に香っていた松林の匂いです。松の濃厚な香りと土の匂いが混じってとても独特な匂いになっていました。子供だったから五感が敏感だったせいかもしれませんが、こういう匂いの記憶と言うのは鮮明に残っているものです。 あとは山の中にいるアリが大きかったことが記憶に残っています。食事や行事の記憶はほとんど残っていません。あれはどういう意義があって行っていた教育的行事だったのでしょうか?私の記憶に残っているのは「匂いの記憶」だけなのですが(笑)。 松の木というのは樹木の中でも特に「氣」の力が強いです。山の中に充満していたのは松の「氣」だったのかもしれません。
2020年10月02日
コメント(0)
全15件 (15件中 1-15件目)
1