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ちょっとしたきっかけでよく「しゃっくり」をする。そう頻繁にというわけではないが、私の家族も含め、私の周りでしゃっくりをしている人をあまり見ることが無いので、ひょっとしたら病的なものではないか、という不安を抱いたりもする。一応止め方も心得ているので、それほど問題は無いのだが、とにかく鬱陶しくて仕方がない。世の中から「しゃっくり」など追放できればいいのに、といつも思う。そもそも人体に「しゃっくり」が存在する必要性って、あるんだろうか?
2017年05月23日
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よく小売の商店や飲食店などが業績悪化で閉店すると、「ああ、残念だなあ。いい店だったのになあ」とか、「もうあそこのあれが食べられなくなるのか。もっと行っておけばよかった」などと言ったり、SNSに投稿したりする人は多い。いや、私も実はそのひとりであったかもしれない。しかしもしも、もしもだ、仮にウチの店が業績悪化で閉めるとなったとして、閉店間際に周りでそんなことを言われていたとしたら、気分悪いだろうなあ。「いまごろになって何言ってんだ!」と、怒り狂ってしまうかもしれない。だから私もこれからは、そういった無責任なことは言わないようにしたいと思う。
2017年05月12日
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ガラケーの「ガラ」って、「ガラパゴス」のことだったのね~。先日テレビのバラエティ番組で、ある大御所女優がそんなことを言っていた。もちろん周りは爆笑だったが、実をいうと私自身、ガラケーの真の意味を知ったのは、ガラケーという言葉が一般化してからずいぶん後だったので、あまり笑える立場にない。ところでこの場合の「ガラパゴス」は、どういうニュアンスで捉えられているのだろう?そもそもこの言葉が出た背景には、日本製の携帯キャリアが、ノキアやサムスンなどの他国のメーカーに大きく水をあけられているという状況があったと思う。つまり国内需要に配慮し過ぎて、細かいところにこだわっているうちに、グローバルスタンダードから大きく逸脱してしまった、ということを、半ば“自嘲気味に”言っているフシがある。だからこの場合の「ガラパゴス」は、ある意味ネガティブワードだということになるだろう。ただ、確かに国際市場では出遅れてはいても、国内では少なくないユーザーがいて、それなりの恩恵に授かっているわけだから、「ガラパゴス」が必ずしも悪いわけじゃない。それに、“島国ゆえに独自の発展を遂げた”ものは、何もケータイだけじゃない。古くは「平仮名」に代表される国風文化なんかがそうだろう。そして今にも伝わる「おもてなし」の精神。これなども一種の「ガラパゴス」だと思っている。そう考えると、「ガラパゴス」って決して悪いことばかりじゃないんだ。右派論客がよく使う「日本礼賛」じゃないが、日本はもっとガラパゴスを誇っていいと思う。海外に行くとよく分かる。日本のサービスレベルは確実に高い。あるいは輸入ワインの箱など見ると、日本製のそれよりもずいぶん粗悪な印象を受けるが、これなどもその一端といえるかもしれない。ただしそれらはあくまでグローバルスタンダードではない。例えば電車のダイヤ、これなど日本は世界のどの国よりも正確無比だが、それが世界共通だとは、ゆめゆめ思ってはならない。海外では列車は遅れるのが「標準」だ。サービス全般に関しても、他国では受け取る報酬に見合ったサービスをするのが基本であって、日本のように“行間を読むような”サービスなど普通はしない。それが世界共通だとは、ゆめゆめ思ってはならない。余分なサービスを期待すれば、相応のチップを出さなければいけない。日本の「ガラパゴス的」な優れた点は大切に残しつつも、それが日本だけの特有のものであることは、きっちり認識しておくだろう。そしてそれを梃子に、外国人との間での民度の優劣を論じるなどというのは、愚の骨頂だ。
2017年05月03日
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