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太田裕美の歌に「海に降る雪」というのがある。この歌の歌詞の中にこんな一説がある。 「帰りの電車代さえ、レコードに化けたから、2時間も波打ち際」きっとこの歌の登場人物は、どうしても欲しいと思えるレコードに出会ったがために、帰り道電車に乗ることを諦めて、2時間歩いてでも買いたいと思ったのだろう。私達の若い頃は、1枚2,500円ほどのレコードがなかなか買えなくて、何かと生活を切り詰めたりして、お金を工面したものだ。その「2,500円」がいつの間にか、物事の価値を計る判断基準になったりもした。何か大きな買い物をしようかどうか迷った時、「これがレコード○枚分か~」とよく考えた。この歌詞はそんな私の感覚に妙に通じるものがある。その後CDが登場し、新譜の一般的な単価は3,000円ほどになったが、その一方で「BOOK OFF」や「Amazon」を利用すれば、もっと安価で購入できる。それでもどういうわけか、私の頭の中でいまだに「2,500円」が幅を利かしているのは、もしかしたら“ノスタルジー”ということだけなのかもしれない。
2017年12月23日
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「獺祭」で有名な旭酒造㈱が読売新聞に出した全面広告が話題になっている。そのタイトルは、「お願いです。高く買わないで下さい。」今世間ではプレミア付きで売られていることの多い獺祭の現状を憂い、それを食い止める方法として、消費者に「買うな」と言っているわけである。率直に言って「社長、よくやった!」と思う。私も常々、有名銘柄のプレミア価格販売については苦々しく思っていたからだ。ただ、いわゆる転売裏ルートで流通されるものは、それを元から断つのは難しい。(簡単ならとっくに出来てるはずだからだ。)それなら需要を無くしてしまう方にシフトしてはどうか、というアイディアだろう。私は同じ業者に生きるとして、全面的に蔵元を支持する。しかしあえてその上で言わせてもらえば、あえてプレミア価格にでも手を出さざるを得ないユーザーの気持ちも分からないではないから、複雑な心境だ。プレミア価格が横行するのは、それが手に入りにくいからだ。需給バランスを考えれば、それは簡単に説明がつく。実際に今までにプレミア価格で売られていた銘柄を思い浮かべると、「森伊蔵」、「十四代」など、少量生産のものが多いかと思う。ただ、「獺祭」は少量販売ではない。近年ドデカい本社蔵を新築し、温度調節も万全、従業員も多く雇い、生産量もナショナルブランド清酒の中堅どころに匹敵しようかという勢いだ。それなのになぜ手に入りにくいかというと、それは「限定流通」だからだ。ちょうど今回の新聞広告にも、全国約630店の正規販売店がリストアップされていたが、そこでしか買えない、という特性がある。それが大手ブランドとは大きく異なる点だ。例えば私が住む三重県には、販売店はゼロだ。三重県民が「獺祭」を買おうと思えば、通販を使うか、県外に出なければいけない。かくして地酒としてはかなり大手の部類に入るものが、“幻の酒”になってしまう。流通の仕組みが分かっている者ならば納得はいくだろうが、そうでない人には、あまりにも理不尽な話かもしれない。つまり「限定流通」という政策は、消費者が住むところが都会か田舎かによって、かなり差別的になるというデメリットをはらんでいるといえる。もちろん蔵元が「限定流通」にこだわる理由はよく分かる。販売ルートを管理できていないと、商品がどんな変なところに紛れ込むか分かったものではないし、そうなった場合、商品に対して責任が取れない。そしてもちろん特約販売店は、蔵元が絶対的な信頼を寄せるに値するところばかりだ。しかし今や「獺祭」を飲みたいと思う人は、全国津々浦々にいる。通販という手段もあるが、要領が分からない人や生理的に受け付けない人も多い。年間数百石の小さな蔵ならともかく、年間数万石の生産高を誇る「獺祭」なら、「限定流通」というコンセプトを崩すことなく、より多くの人の手に渡るような仕組みづくりを考えていってほしいと思うが、いかがだろうか?P.S.以前にもこれに関連するようなことを書いていた →→→ コチラ
2017年12月15日
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先日訳あって、行きつけとは別の歯医者に行ったときのこと。 医「歯ぎしりが結構ひどいでしょう。」 私「いや、歯ぎしりなんて全くしませんけど。」 医「でも寝てる間で気付かないんでしょう。ご家族の方から言われませんか?」 私「いや、まったく聞いたことが無いんですよ」 医「でもこの歯のすり減り具合は....」ここまできて「あっ!」っと思った。歯ぎしりしてるわ....。ただこれは、世間一般で言う「歯ぎしり」と同一のものではない。前に何度か書いたことがあるが、私はドラマーだ(やくざなドラマーではないが)。ドラマーというのはその習性として、音が鳴っていればどこでもリズムを取りたがる。いや音が鳴っていなくても、脳内で音を鳴らせながらリズムを取る。もっともそれは他人から見たら「貧乏ゆすり」でしかないかもしれないが。リズムを取る時は、手が空いてれば手を動かす。手が空いてなければ、足を動かす(これが貧乏ゆすりと間違えられる)。そして両手両足がふさがっている時、あるいは歩いてる時はどうするか。そう、歯をこすり合わせながら、無意識のうちにリズムを刻んでいるのだ。これが「歯ぎしり」の真相だったのだ。しかしこれによって歯がすり減っているとは、全く思いもよらなかった。これを機に止めるようにしよう。
2017年12月04日
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