全5件 (5件中 1-5件目)
1
NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』が面白い。実際ネットやメディアの声を見聞きしても概して好評のようだ。ただ1点を除けば....。「鎌倉時代にあんな今みたいな喋り方してなかっただろ!」という声を聞くことが多い。確かにいかにも現代風の言葉遣いがそこここに見られるが、そこに違和感を感じるのも無理はない。これまで数多作られてきた同時代のドラマとは全く違ったセリフ回しだからだ。しかしこの時代にどういう喋り方をしていたかって、所詮誰にも分かりっこない。分かりっこないから批判のしようもない。これまで各時代時代のドラマには、それぞれに基準になる話し言葉が存在するように思う。でもそれはどうやって成立したんだろう。文字としての史料というのはいくらでもあるが、音声の史料というのは少なくとも江戸時代以前には存在しないから検証のしようがない。伝聞といっても江戸時代末期の人は今生きている人の少なくとも3代は前だから、正確に伝わっているかどうか疑わしい。おそらくは各時代を代表する芸能作品―いや作品と言ってしまうとかなり大まかだが、例えば平安末期なら『義経千本桜』、江戸時代なら『忠臣蔵』といった作品におけるせりふ回しがスタンダードとなっていたのかもしれない。それが後々の作品群に影響を及ぼした、ということなら納得がいくし、当時のリアルな話し言葉とイコールかどうかというのも疑問をはさむ余地が出てくる。あとは我々観る側の人間に巣食う「先入観」さえ退治できれば、ごく自然に受け容れられると思うが、いかがだろう?
2022年03月29日
コメント(0)
Facebookには過去の同じ日の出来事を教えてくれる機能があるが、それによると2年前の今日は何とかマスクを手に入れるべく、朝から開店前の薬局に並んでいたことがわかった。今どこでもマスクが普通に買えることを考えると、何だか隔世の感がある。それにしてもあの頃は、2年後の今日まで日常的にマスクが手放せない状態が続いているなど、考えもしていなかった。もっともこれはあくまでも強制ではなく、世間的にそういう空気がぬぐい切れていないという意味なのだが。私個人的にはもうずいぶん前からケースバイケースで外すようにしている。例えば外を歩くとき、混み合ってる状態とか誰かと喋っている状況でない限り無用だと考えて外している。しかし街行く人は誰もが皆マスクをしたままだ。何人かで写真に納まる時も然り。そういう類の写真が掲載されている新聞やSNSを見ると、そのほとんどがマスクをしたままなのだが、「写真撮る時だけ外しましょうよ」とは誰も言わないのか?これはもう「マスクを外している」ことで誰かから攻撃されるリスクを回避しているとしか思えない。つまり「予防線を張っている」ということかもしれない。しかしマスクの目的は「感染予防」であって、「予防線」ではない。あとはお決まりの日本人気質・・・他の者と足並み揃わないとできないとか、何かの権威のお墨付きが無いとできないとか、そういったつまらぬ感覚がいつまでも足かせになっているんだろう。しかしおそらく政府や専門家は、「マスクを外しても良い」などとは、誰も正面切っては言わないだろう。言うとしてもかなり先のことになるだろう。従順な日本人はそれまでおとなしく待っているつもりか?いみじくも先日の首相の記者会見でもどこかの記者が、「マスクはいつになったら外せますか?」などと質問していた。日本を代表する大メディアがこんな間抜けな質問をするくらいだから、日本という国は本当に主体性のない国に成り下がった、と言ってもいいかもしれない。マスクの着脱くらい、個人で判断しようではないか。
2022年03月26日
コメント(0)
私は結構几帳面な方なので、何に対しても体裁の細部にこだわることが多い。例えばこのブログ、お気づきの方もいるかもしれないが、改行に異常にこだわっている。まずできるだけひとつの文が1行に収まるように書き、文ごとに改行する。1段落の中で改行せずに書き続けると読みづらいかなと思ったからだ。そしてひとつの文が1行に収まらなければ、文の途中のキリの良いところでいちいち改行する。それも全体的な字数のバランスが悪くならないように考えて割る。あるいはギリギリで1行に収まらないときなどは、差し支えない範囲内で言葉を変えることもある。そうやって書き綴った文章は手前味噌だが、見栄えだけは割と均整がとれていると思う。ただ最近、たまたまずいぶん昔の記事をみたら....ずいぶんいびつな切れ方になっていた。つまりこういうプラットフォームにありがちな仕様の変更により、行数が短くなってしまうのだ。今までうまく収まっていたものが収まらなくなって、次の行に2~3文字だけはみ出すといった、何とも間抜けな姿になってしまっていた。考えてみればそもそもスマホでこれを読むとしたら、改行なんてめちゃくちゃになってしまう。私自身がスマホでこれを見ることが無いので今までまったく気が付かなかったが。何だか今まで散々めんどくさい思いをしてやってきたことが、意味の無いことに思えてきた。そういうわけで....これからは改行とかスタイルとか体裁とか、そんな見た目にかかわることは全く無視して書いていこうと思う。要は文章というのは中身だ。体裁も大事な要素かもしれないが、それがためにいちいち細かいところに気を遣って書くようなことは精神衛生上よろしくない。そう考え方を改めた次第だ。もしこれで「読みづらくなった」という人がいれば、今のうちに「ごめんなさい」と謝っておきたい(笑)
2022年03月22日
コメント(0)
一昨年の7月からレジ袋有料化が始まり、1年半以上が経つ。(この措置に関してはそもそも論として言いたいことはあるが、それはここではやめておく。)この流れに沿って、当店でもレジ袋代として1枚5円頂戴している。当初の予想では、当店のお客さんは大方レジ袋を購入するだろうと見ていた。コンビニで飲み物を買うのに比べて、当店の商品は押しなべて高単価で、なおかつ破損リスクのある瓶モノが圧倒的に多いからだ(ちなみに缶製品はさほど売れない)。例えば客単価3,000円とすると、それに対するレジ袋代5円というのは、ささやかなものだ。コンビニで安価な買い物をする際にレジ袋を断るのとは感覚が違うだろう。そう思っていたが、フタを開けてみると大半のお客さんがレジ袋を断るのだ。かといって持ち帰り用の袋を持参する人はごくわずかで、皆さん手に抱えて持ち帰っていく。クルマのお客さんの中には後部座席に転がしていくという人もいて、こちらが心配してしまう。そうまでして皆さんなんでレジ袋を使おうとしないのか?まあこれがいわゆる「抑止力」というものだと言われればそうなのかもしれない。ただこれが銭カネの問題ではないというのは、なんとなく察しが付く。つまりたかだか5円をケチっているわけではない、ということだ。かといって地球環境のことを常に考えている人がほとんどだとも思えない。これはつまり「レジ袋など求めるもんか!」という気持ちがそうさせるのではないだろうか。それは反骨心とかプライドのようなものかもしれないし、そうじゃないかもしれない。実は私も同じような気持ちになることがあるので、なんとなくわかる気がするのだ。何だろう、この説明のつかない妙な気持ち....。
2022年03月09日
コメント(0)
先日、ウクライナ軍への志願兵に、日本人が数十人が混じっているというニュースが流れ、これについて当然ながら賛否両論出ていた。私がたまたまネットで見かけたある肯定派の人は、否定派の意見を非難する形で、「そんなことではいざ日本が同じような目に遭ったときにどこの国にも助けてもらえないよ」とのたまっていた。しかしその論理を持ち出すのであれば、お前がウクライナに行って来いよ、と思う。人間だれしも自分がセーフティーゾーンにいる限りは、何とでも言えるものだ。
2022年03月05日
コメント(0)
全5件 (5件中 1-5件目)
1