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自分の狙い通りでなくても必ず果報は与えられる縁は必要に応じて与えられ途上のどこかで恩恵になる日々の積み重ねに相応の救いが有るもので至らない部分を補い合える恩恵は自分だけのものでなく天の祐けに矛盾はない努力に相応しい徳が生じて先を拓く布石になっている悲しいことも苦しいことも超えることで与えられる果報が有る領域に至る必然の試練が有り悔いの無い道が有るどんな歩みにも相応の縁と恩恵が与えられているもので、どちらも自分ではつくりだせないものだろう。むしろ稀有なことと感謝して敬意の念をもっておく方がいい。犬も歩けば棒に当たると言うが、歩みの積み重ねには不思議と相応の縁が与えられ、その縁と共に深化できるのが人間だろう。自分の狙い通りでなくても、願ったことには相応の果報が与えられる。途上には必要な縁が与えられ、どこかに恩恵が与えられている。日々の積み重ねには相応の救いが有るもので、縁は至らない部分の補い合いができる。恩恵はそれぞれに与えられているもので、天の祐・たすけに矛盾はない。努力に相応しい徳が生じて、その徳が先を拓く布石になっている。悲しいことも、苦しいことも超えることで与えられる果報が有る。領域に至るには必然の試練や障害が有り、悔いの無い一本の白い道が有る。 2018年7月31日 琢
2018年07月31日
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恐れる心には過去のとらわれが有り苦の体験から危機感となって心を暗くするすべての恐怖は未生のもので現実のように妄想、錯覚する想念の悪さは表情を暗くして病人のようにしてしまう警戒心や危機感は必要だが過剰な恐怖より恩恵に感謝して明るい笑顔が他の助けも加わって未然に防ぐことになる自分を信じること突然に恐ろしいことに出遭うと恐怖感に覆われて普段の自分でいられなくなってしまう。いつまた来るか今ここに有るかもと、些細なことにも怯えてしまう。すべての現象には必然の原因が有るが、病気は悪いものが出てゆく姿と言われ、出てゆくことはいいことだと思う方がいいとも言われている。人は痛い目、怖いこと、驚かされることで恐怖感に覆われてしまう。そこには過去のとられがあり、苦の体験から、危機感となって心を暗くしてしまう。すべての恐怖感は未生のもので、それを現実のように妄想、錯覚してしまう。想念の悪さは表情を暗くしてしまい、病人のようにしてしまう。警戒心や危機意識は必要だが、過剰な恐怖より、過去の恩恵を思い出し、感謝してものごとを良い方に考える方が表情は明るく、報恩に向かう方が他の助けも借りやすく、未然に恐れていることを防ぐことにもなるだろう。結局は自分を信じることしか無いだろう。その上で托身できれば取り越し苦労は少なくなってゆくだろう。 2018年7月23日 琢
2018年07月23日
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重経緯、悪循環、悪縁起の次は低活力になり急暗転の現実が来る未然防止には視野を広くして大局的に観ることで悪因の切断をすること割り切り、見切りの要因を見つけその改善に努めることで大きな問題を防ぐ工夫ができる大きな会社の悪癖も初心に戻ることで回避できることも多いすべて自業自得で崩壊の元には傲慢が有りすぐにも正すべき放蕩が有る自分も父も会社を倒産させてしまったことが有るが、霊的に観ればそういう因縁に有る遺伝子が原因のようだが、運だけで済まされない部分の反省が残っている。一連の流れは、重経緯、悪循環、悪縁起の次に低活力になって諦めが生じたところで急暗転がやってきた。すべて必然の原因が有る。自信過剰、聞く耳をもたず、押し付けをやっていたが、自分はと言えば未熟、勉強不足、妄想や錯覚、優位支配欲など、改めるべきを改めていなかったために与えられた現実だった。未然防止には視野を広くして、大局的に観ることで、悪因の切断をすること。良くないことが起きるときは必ず暗転の因と果報が必然的に有って、自分の中の部分、外への自分だけの都合などの見切りと割り切りが必要になる。その要因の改善と共に大きな問題にならないように、事前に日頃からの自分を整えておくことが重要なことだろう。大きな会社の悪癖は人の業・カルマの積み上げたもので、悪因となる部分の修正浄化が必要になる。初心に戻ることも大切で、崩壊の元には傲慢が有り、すぐにも正すべき放蕩が有る。 2018年7月22日 琢
2018年07月22日
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気が重いときは相応の原因が有る思い当たることと当たらないことが有るが気になることは放置せず修復を必要とする不和が有るときは和解する努力を怠らないこと無神経は器の大きさでなく警鐘に気付かなければ思わぬ障害や試練が現れる小さなことが大きくなることも多く自分の立場だけでなく相手の苦境を察しなければ良き友を失うことも有る鈍感な方が楽なことも多いが、鈍感は美徳でなく欠点として,何故こんな試練が与えられるのかをよく考えてみる必要が有る。人には自己回帰が必要で、痛い目に遭うには相応の原因が有るからで、その修正浄化をしなければ、願いの成就が叶わなくなって、諦めの人生を送ることになってしまう。気が重いときは、相応の原因が有るもので、思い当たることは放置せず、適切に修復しておくことが重要なことだろう。意地を張ることなく、ただ素直に成って、不和が有るときは、和解する努力を怠らないことだろう。無神経は迷いが少なくていいように見えるが、器が大きいのではなく、ただ想像力が無いこと、思いやり気配りができないことが多く、警鐘に気が付かない場合が多い。業・カルマの悪作用が多く、そのための障碍、試練を与えられる場合が多い。試練は自己修正のための呼びかけと思っておく方がいいだろう。小さなことが大きくなることも多く、自分の立場だけでなく、相手の苦境を察しなければ、大切な友との縁を失う場合も多い。 2018年7月21日 琢
2018年07月21日
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一滴の色素で水の色が変わるように一人が変われば集団の雰囲気が変わる自意識過剰や錯覚を戒めてただ素直に有るがままに、有りのままに生きればこの世に無駄なものは無く自分の果たす役が観えてくるうれしいこと、歓びの中に生き甲斐や使命の発見がある助け合い、補い合いで共生の意味に気が付く自然の一員であることに自分にできることが誰かの役に立って歓ばれればうれしくなるのは誰でも同じだろう。恩恵は誰にも与えられるものだが、自分が与えることによって感謝されれば、もっとしてあげたくなるのが人情だろう。人はただ生きているだけでも、どこかで誰かの役に立っている。孤独は人に不安を与えるもので、ただそばにいるだけでも安心を与えることも多い。共生の中で、この世に無駄なものは一つも無いというが、一滴の色素が水の色を変えるように、一人が変われば集団の雰囲気も変わる。まずは迷惑な存在、混乱させる存在にならないように心掛け、恩着せ、押し付けをしないように、自意識過剰や錯覚を戒めておくこと。ただ素直に,有るがままに、有りのままに生きることだけでも存在の意味が出てくる。そこに自分にしかできない味が加わっているもので、そこに自分の役が有って、うれしいことや歓びの中に、生き甲斐や使命を自覚できるようになる。助け合いや補い合い、感謝と報恩の心と共に、本当の共生の意味に気が付くときが来る。自分がこの大自然の中の一員であることに。 2018年7月20日 琢
2018年07月20日
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穏やかな久遠の光背に受けて笑ておくらん友の旅立ちまた仲間が逝った魂にはそれぞれの道が有る悔いを残さずすべての荷を下ろして軽くなってあの世に行ってほしい祈るしかできず自分も我が道を納得しながら綺麗な顔で逝きたいと思うその前にはかわいいお爺ちゃんに成りたいと思う昔は葬式は身近でない人のものばかりだったが、次第に近い人のものが多くなったように思う。それだけ歳を取ったのだろうが、若いころの通夜、告別式に参列すると死因の部分がおかしくなることが多かったので、香典だけ頼んで自分は避けていたように思う。葬式の作法も変化してきて、直葬、家族葬で済ませることが多くなっている。香典の儀遠慮致します、が多くなったので故人を思う詩・歌を送るようになった。この前には同じ病院に入院してきた勉強仲間の友人が亡くなった。歌には個人の名前を一文字入れるようにしている。掛詞も有効な場合も多くよく使うようになった。最近よく思うことは、どんな凄い人でも人の死は4日目には骨壺に入ってしまうことだった。自分だって明日生きている保証はなく、4日後には骨壺の中だと思えば、人の命のはかなさを思ってしまう。どんな道を歩もうと、どれだけすごい功績を残そうと、死に顔だけは綺麗でありたいと願うのは究極の願いだろう。その前にはかわいいおじいちゃん、おばあちゃんでありたいと願うのも人情だろう。よく使われた言葉は成仏という言葉で、四弘誓願・しぐせいがんは、救済、煩悩の抑制、求道、成仏で、それが人の生きる途上のテーマになっている。唯物的、刹那的、利己的な自分に成らないように戒め、魂願を果たせるように、悔いの無い歩みをしないと思う。 2018年7月19日 琢
2018年07月19日
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必要とされていると思えば生き生きとして役を果たそうと努力する必要とされていないと感じれば無理をする必要を感じず自分の存在性を感じない視点を移せば求められているところが有る手ごたえを感じればそこが自分の居場所になり生き甲斐になる円環的思考に結論は無いが途上の努力の積み重ねで為すべきことが絞られてゆく人は遍行・いろんなことをやりながらどんなものかを知り、次第に難しいことに挑戦しながらその仕組みを知ってゆくことになるが、その途上には多くの失敗が有って、その原因を改善しながら同じ失敗をしなくなってゆく。そこには恩恵も仕組まれていて、補い合いや助け合い、救いが有って、そのおかげで今の自分が成り立っていることへの感謝の念が生まれてくる。自分の歩みには多くの良き縁と共に成立して来たことと共に、手ごたえを感じるところと感じないところに気が付くことになる。自分が必要とされているところでは思わぬ力を発揮できて、期待に副うこと、役に立とうとするが、必要とされていないところでは、無理をする必要を感じず、視点を移して、求められているところに力を注ぐことになる。理解され、認められることで何かの役に立てる自分に成れるように日々の努力を重ねてゆき、そこが自分の居場所だと感じるようになってゆく。人の生き甲斐は必要とされ、役に立っている手ごたえを感じられるときに自覚するもので、勇気と気力を奮い立たす元になっている。苦を積むほど人は考えるもので、その度に円環的思考を重ねながら、その真理を求め、結論の無いまま自分が何を為すべきかが次第に絞られてゆくことになり、そこに自分の使命の自覚が出来るようになってゆく。 2018年7月18日 琢
2018年07月19日
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必要とされていると思えば生き生きとして役を果たそうと努力する必要とされていないと感じれば無理をする必要を感じず自分の存在性を感じない視点を移せば求められているところが有る手ごたえを感じればそこが自分の居場所になり生き甲斐になる円環的思考に結論は無いが途上の努力の積み重ねで為すべきことが絞られてゆく人は遍行・いろんなことをやりながらどんなものかを知り、次第に難しいことに挑戦しながらその仕組みを知ってゆくことになるが、その途上には多くの失敗が有って、その原因を改善しながら同じ失敗をしなくなってゆく。そこには恩恵も仕組まれていて、補い合いや助け合い、救いが有って、そのおかげで今の自分が成り立っていることへの感謝の念が生まれてくる。自分の歩みには多くの良き縁と共に成立して来たことと共に、手ごたえを感じるところと感じないところに気が付くことになる。自分が必要とされているところでは思わぬ力を発揮できて、期待に副うこと、役に立とうとするが、必要とされていないところでは、無理をする必要を感じず、視点を移して、求められているところに力を注ぐことになる。理解され、認められることで何かの役に立てる自分に成れるように日々の努力を重ねてゆき、そこが自分の居場所だと感じるようになってゆく。人の生き甲斐は必要とされ、役に立っている手ごたえを感じられるときに自覚するもので、勇気と気力を奮い立たす元になっている。苦を積むほど人は考えるもので、その度に円環的思考を重ねながら、その真理を求め、結論の無いまま自分が何を為すべきかが次第に絞られてゆくことになり、そこに自分の使命の自覚が出来るようになってゆく。 2018年7月18日 琢
2018年07月18日
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取捨選択で思う方向に進むことになるが割り切り、見切りが必要で決めたことに迷う必要はない縁有るものは再び出会えると信じること自分を信じること与えられた現実はその結果のことで原因と結果の必然が有る望まない現実には自分の心・因に原因を観て修正浄化しておくことで新たな歩を進めれば次第に整った自分に成ってゆく甘えは厳に自戒しておくことどの道を選ぼうといつも選択肢はたくさん有るもので、初めから整ったものは無く、失敗は常にあるものと、その原因を正す素直さが必要になる。途上での取捨選択には迷いはつきものだが、自分の思う方向に進む強い意志が必要だろう。その結果は自分に責任が有るもので、関わった人のせいにして逃げることなく、願いが有れば試練が与えられるものと、それを自分を正す呼びかけととらえておく方がいいだろう。迷うときは、見切り、割り切りが必要で、捨てたものに未練を残さず、もし縁有るものなら再び出会えることになると信じ切ること、自分を信じることが大切だろう。その結果は与えられる現実だが、そこに自己修正の原因が必ず有るもので、その原因を修正浄化することで自分を整えてゆくことになる。望まない現実でも受け止めること、他のせいにして逃げないこと。世渡りは,経験豊富なこと、常識の違いを認めて理解することで摩擦を少なくしてゆく智慧と言ってもいいだろう。人生はいかに自分を整えながら自覚した道をどう歩むかで、どれだけ生きたかではなく、どう生きたかが問題なのだろう。 2018年7月17日 琢
2018年07月17日
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自覚と評価の違い自分の傾向を知る過去の失敗とその現実評価は自分でできず努力とその結果は至らない部分の発見になる評論家は結果論が多く他の評価はいえてもできない正論ばかりだが愛ある厳しい評価は奮起を促し更なる自己改善に向かわせる他の常識に学び調和した自分に成ろうとするその戒めと心掛けの積み重ねは自然に身に付いてゆく人は常に上を目指すもので、一つできればその上を目指し、失敗から自分の欠陥を埋めてゆく。好奇心が心を促し、勇気と気力で多くの分野に挑戦してゆくが、巧く行ったものより失敗したことから学ぶことが多い。改良の連続だが、自分の評価はできず、自分で思ったことと人の評価は違う場合が多い。自画自賛に甘んじることなく、その違いの中に自分の傾向を知り、さらなる改善に努めることになる。過去の失敗とその現実を観て、自分の至らない部分を発見する。評論家は結果論が多く、自分ではできなかった正論を言うが、愛有る厳しい評価は、奮起を促し、更なる自己改善に向かわせる。自分に人の批判はできないが、与えられた批判は善意に解釈して、至らなかった部分に気付くときは感謝して敬意で接することが望ましい。集団の中では、周りのすべてには全く違う願いが有って、常識の違いによってその評価も違ってくる。自分だけの都合は通用せず、多様性と協調性が求められ、その理解と認識の下で何かが出来るようになっている。協力無しにできるもの無く、調和なしに和が生まれることはない。学んだことは実践すること。願いに向かう戒めと心掛けは、積み重ねと共に慣れること、身に付けば違和感が無くなって、無意識にできるようになってゆく。その智慧が先を拓き、運命を変えてゆくことになる。 2018年7月16日 琢
2018年07月16日
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自分を知ること人それぞれ個性と傾向が有り違うとらわれが有る自分を変えるにも何処をどう変えるか自覚と他の評価の違う部分摩擦の原因になる部分常識の違いを受け入れて無意識にかけた迷惑から通用する自分に変えてゆくひろい世界のたった一点での自分として分相応に足るを知ることいつも素直な自分に成り自己の過大評価も過小評価もせず有りのままに有るがままに生きるかたよらず、こだわらず、とらわれず、ひろく、ひろく、もっとひろくを念頭に自意識過剰を戒めて、柔軟な金剛を目指したいと思う。金剛は硬くて破れないもので不動の状態を意味するが柔軟性も必要で脆さを露呈させないために、多くの四苦八苦の経験が与えられる。常識の違いの中で生きるには、受け入れて認め、理解することで、人それぞれの生き方に絶対正しいというものは無い。どれだけ長く生きたかでなく、どう自覚して生きたかなのだろう。まず自分を知っておくこと。まず人それぞれ個性と傾向が有り、違うとらわれが有る。空の中に有るものは無にはならず、転じて変化させることはできる。自分と他の評価の違う部分に業・カルマが有り、摩擦になっている部分が有る。無意識にかけた迷惑に気が付くようになるのは交友から学ぶしかなく、どこでも通用する自分に変えてゆく、転じてゆくしかない。この広い世界のたった一点での人生として、分相応に足るを知ること、いつも素直な自分であること、自分を過大評価も過小評価もしないことだろう。同じ時間を過ごすなら、今を明るく機嫌良く生きることしか無いだろう。 2018年7月15日 琢
2018年07月16日
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自分を知ること人それぞれ個性と傾向が有り違うとらわれが有る自分を変えるにも何処をどう変えるか自覚と他の評価の違う部分摩擦の原因になる部分常識の違いを受け入れて無意識にかけた迷惑から通用する自分に変えてゆくひろい世界のたった一点での自分として分相応に足るを知ることいつも素直な自分に成り自己の過大評価も過小評価もせず有りのままに有るがままに生きるかたよらず、こだわらず、とらわれず、ひろく、ひろく、もっとひろくを念頭に自意識過剰を戒めて、柔軟な金剛を目指したいと思う。金剛は硬くて破れないもので不動の状態を意味するが柔軟性も必要で脆さを露呈させないために、多くの四苦八苦の経験が与えられる。常識の違いの中で生きるには、受け入れて認め、理解することで、人それぞれの生き方に絶対正しいというものは無い。どれだけ長く生きたかでなく、どう自覚して生きたかなのだろう。まず自分を知っておくこと。まず人それぞれ個性と傾向が有り、違うとらわれが有る。空の中に有るものは無にはならず、転じて変化させることはできる。自分と他の評価の違う部分に業・カルマが有り、摩擦になっている部分が有る。無意識にかけた迷惑に気が付くようになるのは交友から学ぶしかなく、どこでも通用する自分に変えてゆく、転じてゆくしかない。この広い世界のたった一点での人生として、分相応に足るを知ること、いつも素直な自分であること、自分を過大評価も過小評価もしないことだろう。同じ時間を過ごすなら、今を明るく機嫌良く生きることしか無いだろう。 2018年7月15日 琢
2018年07月15日
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真実か公平かみんなのために成るか友情を育むかこの問いかけが持戒と信念を強くする観自在は八正道に心を照らし中道をゆくこと人の居場所は必要とされているところにありどう応えるかは自分の良心の中に有る本心は他の歓びに向かわせその自覚が強い意志を押し上げるロータリークラブには「四つのテスト」というのが有って、世界中で縁の交友をしている。真実か、公平か、みんなのために成るか、友情を育むか、この四つが判断基準になっている。人は生まれたときから親に教わる前にこの世界に共生するための良心が備わっている。この世に無駄なものは一つも無く、すべてにその意味がある。人それぞれには夢や希望が有って、その青写真の具現のために集団の中で共生していて、その生い立ち育ちの基盤が常識を形成し、その共通点と共に支え合って生きている。その共通の判断基準が自分の自戒と信念を強くさせている。自分の在り方を観ること、観自在は八正道に心を照らし,正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定を自己チェックの元にして、理想と思うところに中道であること、中は当たると読み、その道を歩むことになる。自分の居場所を求め、自分を必要とされているところに赴くことになる。そのニーズにどう応えるかは、自分の良心の中に有って、良心と本心は、唯物的、刹那的、利己的な生き方を良しとしていないもので、他の歓びの中に自分の歓びが有ること、自分がうれしいと思うところに心が向かってゆくことになる。何を為すべきかのその自覚が強い意志を押し上げて、勇気と気力で悔いの無い道をゆくことになる。 2018年7月14日 琢
2018年07月14日
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交友で友情を育み良き縁として互いに補い合うこと恩恵に感謝して敬意を以って関わりその責任を負うこと良いときだけでなく良くないときに逃げないこと言葉は良い言葉、誉める言葉、感謝の言葉で互いの生き方を認め合い、理解し合い良き因縁側で関わること無私、利他の誠心で信頼関係を構築すれば絆を深く結ぶことになる他の為にはたらくことで為すべきことが観えてくる振り返ってみれば、自分が最も大切にしてきたのは友達との縁だった。利用され、裏切られたことも多く、そのために自分から消えていった友もいたが、憎んだことは一度も無かったし、今でも会いたいと思っている。会社の倒産で絶望したときは、厚い名刺入れが4冊だけが残り、すべてが終わったと思ったが、まだ子供たちは成人でなく、53歳のときで年金が下りるまでには7年あると先を憂いていた。その時に頑張れよと言ってくれたのが友達だった。友を大切にしてきたことに感謝が湧き出し、自分は間違っていなかったと思った。人は交友で友情を育み、良き縁として互いに補い合うことが出来る。友との出会いは自分ではつくることが出来ないが、不思議とその時に必要なかかわりが仕組まれていると思った。その恩恵に感謝して敬意を以って関わり、その責任を負うことが重要なことだろう。いいときだけでなく、悪いときにも逃げださないこと。交友での言葉は良い言葉、誉める言葉、感謝の言葉を適切に使うこと。互いの生き方を認め合い、理解し合うことで信頼関係が構築されてゆく。自分の都合を優先せず、良き因縁側で関わってゆくこと。無私、利他の誠心で臨めば、絆が深く結ばれてゆく。自分の満足感は、他の為にはたらくことの中に有り、本当に為すべきことが観えてくることになる。その自覚こそが今生での悟りなのかも知れない。 2018年7月13日 琢
2018年07月13日
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改心は極悪非道だけでなく心を改めること過去を悔いて過ちを正す他の迷惑になること自分の品格を落とすこと本心でいけないと思うこと理想に必要なこと修正浄化は成就の元になる気付きが迷いを少なくして途上の道を歪めないその自覚が不動の自分に成ってゆく為すべきことをして改めるべきを改めること人は転生で生まれてくると言われ、その魂には転生の記憶が入っているが、生まれたときは忘却、喪失、無知の状態で、本当の自分が分からない、すべて一から始めるようになっていて、仮の我、偽我の状態に在るものと受け止めるしかない。人には夢や希望が有るもので、その成就に向けて日々を学んでゆくことになる。不完全の状態で、本心でさえ何たるかを知らない状況にあるが、業・カルマに翻弄されながら煩悩の抑制をしながら歩んでゆくことになっている。何度も修正しながら自分を改めてゆくことで摩擦を少なくしてゆき、次第に鮮明になってゆく理想の在るべき自覚を求めて改心してゆくことになる。過去に学び、自己回帰しながら過ちを正してゆくことになる。苦の元になること、他の迷惑をかけること、自分の品格を落とすこと、本心ではいけないと思うことをできるだけしないように歩んでゆく。因縁果報の仕組みを知るほど縁の大切さに気付き、感謝、反省、敬意と共に歩めるようになってゆく。自己の修正浄化は、夢や希望の青写真の成就の元になってゆく。途上での気付きが迷いを少なくさせて、未生の願いを具現させてゆくことになる。そういう仕組みの自覚が自分を不動にしながら、為すべきことをして、改めるべきを改めて、自分を整えて本当の自分に成ろうとしてゆくのだろう。 2018年7月12日 琢
2018年07月12日
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煩悩の有無を有情と無情、有漏と無漏に分け生きとし生けるものは有情で相互に補い合う補得伽羅・プドッカラという業・カルマはそれぞれに有るもので無と空の違いをわきまえておくこと苦の原因を知り有情の偏りを正して摩擦を少なくしてゆく道が修菩薩行といえる愛は与えっぱなしのもので代償を求めずに布施をし発菩提心は無私、利他の誠心で他の歓びを自分の歓びにする仏教用語は難しく、サンスクリット・梵語を漢訳したものが経典・お経でお釈迦さんの教義になっている。三蔵は経、律、論で、教義と戒律とその解釈・それぞれの常識の違いによろ受け止め方になっている。お坊さんたちは読経を毎日の勤行として修業している。求道には出家と在家の違いが有るが、心の道をゆくことに変わりはない。煩悩の有無が分別のものとで、有情と無情、有漏と無漏に分けて学んでいる。この世の生きとし生けるものはみな,有情・有漏で、相互に補い合うものとして補得伽羅・プドッカラと言っている。業・カルマはそれぞれに有るもので、無にはならず、無と空の違いを学び、煩悩が苦の元になって多くの四苦八苦の体験から、一皮剥けた自分に成る道行きをしているということになる。人は一人では生きてゆけず、共生するところに自分の使命の自覚が有ることを知る。修菩薩行はその求道をするもので、愛は与えっぱなしのもので慈悲慈愛、大慈、大悲の心は代償を求めることなく、他の為に布施をして徳を積んでゆく。発菩提心は無私、利他の誠心で、そこにいる自分は空の状態ということだろう。かけた情けは水に流せ 受けた恩は石に刻め 長野県善光寺石碑 2018年7月11日 琢
2018年07月11日
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人は生きる途上で多くのものを学び体験することで信じる道を歩むが常識の違いを知ることで響働できるようになる理解し、認め合うことで和が生まれ、信頼が生まれる分かち合う満足感は心の安定になり相互に補い合えるようになる絆が強く成れば前向きに成れて勇気と気力が湧き出してくる泌尿器科は知らなかったことが多く、無茶苦茶痛いところだということが解かった。医師も患者も大変な手間のかかる分野だと思った。1週間から10日間で退院と聞いていたが、その倍かかってしまった。狭窄症でステントを入れていたために飲んでいた血をサラサラにするクスリのせいでし、出血が止まらず、循環器の医師との了解事項が多かったためだった。大腸のポリープの切除と違い,膀胱がんの切除には多くの出血が伴い、内視鏡で焼くも、できたかさぶたが浮遊して尿の出を止めてしまう。そんなこんなで毎朝の勤行ができず、今日から再開いたします。人間て生きる途上で多くのものを学び、無知を埋めてゆく。体験、経験と共に信じる道を歩むことになる。この世に共生するということは、全く違う生い立ち育ちでの常識の違いと共に生きることで、知ること、理解して認め合うところから和が生まれてきて歩みやすく成ってゆくのだろう。響働・響き合って働くことが出来れば、更に和が深まって絆が生まれてくることになる。分担し、担い合うことは、心の垣根を外して分かち合うことから心の満足感につながって、そこに心の安定が生まれてくることになる。生きるということは相互に補い合うということで、信頼と共に絆が生まれれば、勇気と気力が湧き出してくるのだろう。 2018年7月10日 琢
2018年07月10日
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