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進化は自分で気付かず身に付いたものは体幹に入って自然に備わっているその違いは周りが感じるもので日頃の課行や戒めの心掛けと実践が当たり前のようにできるように成れば考え方や受け止め方が変わる自分を変えるときはその行いから正してゆくもので努力の積み重ね、継続でしか得られない領域が有って現象観で至る領域から霊性観で至る領域へ多くの段階を超えて更にその上を目指すのが無限の精進だろうなかなか変わらないのが人の性格で、一皮剥けた自分に成ろうとすれば、固くしている殻を破るしかない。殻を固くしている要因は、信念の間違い、既成概念・固定観念、過去のとらわれからと責任転嫁して逃げてしまうことから自分を変えられなくしている。学んだことの実践、体験から身に付けてゆけば体幹に入って自然にできるようになってゆくもので、それが転識得智で智慧になって先を拓くことになる。自分としては何も変わっていないと思っていても周りの人から見れば、日々の課行と戒めが自然にできるようになったことに以前との違いを感じてくれている。領域は段階的に上がってゆくもので、初めは現象観から至れる領域と霊性観で至れる領域へ、その先は空や宇宙の奥のような領域へ、多くの次元を越えれば、神仏のように果てしない領域があるのだろう。仮我・偽我から善我を育み、実践はその行いから変えてゆくしない。直ぐに怒らず10秒間待ってみることや一晩寝てからにすれば怒りは消えている。そこに心のゆとりが生まれれば考え方、受け止め方、感じ方が変わって来るのだろう。果てしなく 険しく続く 天の道 受容してなほ 見えぬ道のり 2018年12月31日 琢
2018年12月31日
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信頼を得るには長い積み重ねと時間を要するが失うときは一瞬で世間を狭くすれば行けるところが少なくなってゆく自分に嘘はつけず騙した人の前には出られない信を失うことは可能性が無くなるということで必要とされるところに可能性は広がっている他の害にならず無私、利他の誠心の継続が良き縁と共に開花に向かう道だろうどの道を歩もうが、先ず自分を信じることから、出会いと共に人を信じることで、自分の可能性を広げてゆくことだろう。常識の違いを受け入れて認め、理解して和することから人の信頼が寄せられる。信頼関係の構築ができれば自分一人では到底無理なことでさえ、みんなでやればできることが増え、大きくなってゆく。信頼を得るには長い努力の積み重ねと時間を要するが、失うときは一瞬で、騙したり嘘を言ったりすれば見切りを付けられて孤立してゆくことになる。世間を狭くすることで自分を相手にしてくれるところが少なくなってしまう。自分に嘘はつけず、騙した人の前には出られなくなってゆく。信を失うということは可能性が無くなるということで、必要とされる人間になること。期待に副う自分に成れば可能性は広がってゆく。他の迷惑や害にならず、無私、利他の誠心が良き縁と共に本当の自分の開花に向かう道をゆくことになるのだろう。人間の可能性は、信じなければ開かない扉を幾重にも通り抜けた先に有る・・・高橋佳子 2018年12月30日 琢
2018年12月30日
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男女の見方は違うもので同じ場面でも感じ方が違う残る記憶には違いが有って年齢によっても観点が変わり自分も他人も同じ本で感じるところが変わる第一印象でレッテルを貼るが人は常に変化してゆくもので経験と共に感じ方が変わってゆく苦い体験と共に行為が変わり、考え方も変わり受け止め方から感じ方も変わってゆく善行を積むほど人相も変わり周りの見方も変わってゆく振り返ってみれば赤面すること、嫌で思い出したくないことばかりで、自分は何と浅はかだったんだろうかと思うことは多い。痛い目に遭うほど二度とそうならないようにその原因を改めながら自分を変えてゆくことになる。その思いも男女によっては違うもので、同じ場面でも残る記憶には違いがある。年齢によっても見方の違いが有るもので、自分も他人も同じ本で感じるところが変わってゆく。第一印象でタイプ分けしたレッテルを貼り、心の趣く縁の選択をしながら交友を重ねてゆき、因の転換をしてゆくことになる。人は常に変化してゆくもので久しぶりに会った人の変化に気が付くことも多く、自分の勉強不足を恥じることが多い。人は経験と共に感じ方が変わってゆくもので、苦い体験と共に行為が変わり、考え方も変えて、受け止め方から感じ方も変わってくる。よく生活の智慧と言うが、途上の出会い、出来事、事態によって自分の対応の仕方が大人になってゆくもので、先を拓く智慧を身に付けてゆくのが人間だろう。相は姿,用ははたらきのことだが、善行を積むほど人相が変わってゆき、奥ゆきや幅の広さが姿に現れてゆき、周りの見方も変わってゆく。人はいつもその途上に在る。 2018年12月29日 琢
2018年12月30日
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男女の見方は違うもので同じ場面でも感じ方が違う残る記憶には違いが有って年齢によっても観点が変わり自分も他人も同じ本で感じるところが変わる第一印象でレッテルを貼るが人は常に変化してゆくもので経験と共に感じ方が変わってゆく苦い体験と共に行為が変わり、考え方も変わり受け止め方から感じ方も変わってゆく善行を積むほど人相も変わり周りの見方も変わってゆく振り返ってみれば赤面すること、嫌で思い出したくないことばかりで、自分は何と浅はかだったんだろうかと思うことは多い。痛い目に遭うほど二度とそうならないようにその原因を改めながら自分を変えてゆくことになる。その思いも男女によっては違うもので、同じ場面でも残る記憶には違いがある。年齢によっても見方の違いが有るもので、自分も他人も同じ本で感じるところが変わってゆく。第一印象でタイプ分けしたレッテルを貼り、心の趣く縁の選択をしながら交友を重ねてゆき、因の転換をしてゆくことになる。人は常に変化してゆくもので久しぶりに会った人の変化に気が付くことも多く、自分の勉強不足を恥じることが多い。人は経験と共に感じ方が変わってゆくもので、苦い体験と共に行為が変わり、考え方も変えて、受け止め方から感じ方も変わってくる。よく生活の智慧と言うが、途上の出会い、出来事、事態によって自分の対応の仕方が大人になってゆくもので、先を拓く智慧を身に付けてゆくのが人間だろう。相は姿,用ははたらきのことだが、善行を積むほど人相が変わってゆき、奥ゆきや幅の広さが姿に現れてゆき、周りの見方も変わってゆく。人はいつもその途上に在る。 2018年12月29日 琢
2018年12月29日
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似たような人は多いもので外見での識別はタイプで分けて顔、髪形、体型、衣服、品によって流行やファッションと共に感じるものは一見同じように見えてしまう第一印象によってタイプ分けするが並べてみれば違いが分かるが外見上の識別と会話で感じる内面で更に分別しやすく成る常識の違いを受け入れて理解し、認め合うことで和が生まれて心が開かれる違う常識に学ぶことが多く外見だけで判断できなくなる同じように見えるものの分別は外見の第一印象によってタイプ分けする場合が多く、すれ違った人と同一人物のように見えてしまう残像が有る。似たタイプの人は多いもので、さっき会ったような人と出会うことも多い。人の識別は難しいもので、顔、髪形、体型、衣服、品などによって残像が残ってゆくが、流行やファッションと共に一見同じように見えてしまうことも多く、同時に会えば本人同士でさえよく似ていると笑うことも多い。人は第一印象でレッテルを貼るもので、外見上での識別と会話して見える内面とで更に分別しやすく成る。よく似ていてもその常識は全く違うことも多く、会話してその常識を受け入れること、理解し、認め合うことから安心感が出てくれば心が開かれてゆく。人の歩んできた道を聴くことは自分の見識を広めることにも成り、和と信頼関係が生まれてくれば、同席する場の雰囲気が良くなって、互いの必要としているものが観えて来る。違う常識を知るために交友が有るもので、心の広さ、ゆたかさ、奥深さ、懐の広さなど、違う常識に学ぶことが多い。人は外見だけで判断できなくなってゆく。 2018年12月28日 琢
2018年12月28日
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車のハンドルに遊びが有るように人の心には遊びが必要で張り詰めた心は切れてしまう金剛は硬くて強いが脆く柔軟性が求められる凝り固まったときは転依して全く違うとらわれをつくる弛んだ弦は音が出ないが張り詰めた弦は切れてしまう程良く張れば良い音が出る本当の強さは剛柔両面を備えたときで変化への対応も適切にできる強ければいいというものではないのが人の歩みだろう子供の頃は強いものにあこがれて自分もそうなりたいと思っていたが、勝負に勝ちたい、競争に勝ちたい、格好いい自分に成りたいと願っていたからだろう。自分のようにやること為すことのすべてが失敗で、成し遂げたものは一つも無いものにとっては別の光を求めるしかなかった人も多いだろう。自分にどんな使命があるのか、どんな適性が有るのか、天職は何なんだろうか。二見【【勝った負けた、損得、プラスマイナスのとらわれ】に固執しなくなってみれば、張り詰めていつも自分を責めてしまいにはうつ病になってみれば、何も強いだけが絶対でなく、金剛を求めていた自分を解放してあげることから抜け出したことを思い出す。人の心には剛柔両面が必要で、四苦八苦、諸行無常を体験するほど世の流れと変化への対応が適切であることの重要さを知り、分相応、足るを知ってみれば、愚かだった自分に気が付くようになった。下を見れば気が楽に成るが上を観れば上が有って切りがなく、空や宇宙の果てのように限りが無いことを思えば、このちっぽけな自分はそんな次元、領域にまで行ける魂の段階でないことを知る。有るがままに、有のままに、背伸びせずに素直に生きてゆくのがいいのだろう。 2018年12月27日 琢
2018年12月28日
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車のハンドルに遊びが有るように人の心には遊びが必要で張り詰めた心は切れてしまう金剛は硬くて強いが脆く柔軟性が求められる凝り固まったときは転依して全く違うとらわれをつくる弛んだ弦は音が出ないが張り詰めた弦は切れてしまう程良く張れば良い音が出る本当の強さは剛柔両面を備えたときで変化への対応も適切にできる強ければいいというものではないのが人の歩みだろう子供の頃は強いものにあこがれて自分もそうなりたいと思っていたが、勝負に勝ちたい、競争に勝ちたい、格好いい自分に成りたいと願っていたからだろう。自分のようにやること為すことのすべてが失敗で、成し遂げたものは一つも無いものにとっては別の光を求めるしかなかった人も多いだろう。自分にどんな使命があるのか、どんな適性が有るのか、天職は何なんだろうか。二見【【勝った負けた、損得、プラスマイナスのとらわれ】に固執しなくなってみれば、張り詰めていつも自分を責めてしまいにはうつ病になってみれば、何も強いだけが絶対でなく、金剛を求めていた自分を解放してあげることから抜け出したことを思い出す。人の心には剛柔両面が必要で、四苦八苦、諸行無常を体験するほど世の流れと変化への対応が適切であることの重要さを知り、分相応、足るを知ってみれば、愚かだった自分に気が付くようになった。下を見れば気が楽に成るが上を観れば上が有って切りがなく、空や宇宙の果てのように限りが無いことを思えば、このちっぽけな自分はそんな次元、領域にまで行ける魂の段階でないことを知る。有るがままに、有のままに、背伸びせずに素直に生きてゆくのがいいのだろう。 2018年12月27日 琢
2018年12月27日
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出会い、出来事、事態で人それぞれの行為は異なる感じ方の違い、受け止め方の違い考え方の相違が有ってそれに従ってする行為の積み重ねが違う道を歩ませる受けた現実の違いはその人の人生を左右するもので現実を変えたいと思えば行為を変えることから流れが変わって来る成り行き任せにせず一貫した信念のもとで自分らしい生き方が観えて来る人の歩みは一分一秒ごとに変化していくもので、出会い、出来事、事態では人それぞれの行為が異なっている。生い立ちや育ちとその条件制約の影響を受けた基盤は、感じ方の違い、受け止め方の違い、考え方の違いと共に行為が違うもので、その行為の積み重ねで歩む道が異なってくる。行為と共に受けた現実は人生を左右するもので、望んだ現実と違う現実であれば、行為を変えながら自分を変えてゆくしかないだろう。行為と共に心を変えてゆくことで因果応報が変わってゆき、良き因縁と共に努力を重ねることから良き果報が返って来るようになる。行為を変えることからすべての流れが変わってくるもので、直情的にならず、無私、利他の誠心に成ってちょっとマテをかけることから運命さえも変えることが出来る。場に流されず一貫した信念のもとで、今この一瞬の行為を思い留まることで、自分のコントロールが出来るようになってゆき、思いやり、気くばりのできるゆとりさえ出てくることが多い。オンリーワンの自分には相応の歩むべき道が観えて来るだろう。 2018年12月26日 琢
2018年12月26日
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やらなければ何も始まらないがやったことの責は自分に返って来る失敗の原因はすべて自分に有り自業自得、因果応報で因を変えなければ同じことを繰り返す心は体を通して行為し行為を変えれば結果が変わる感情のままに行為する前にちょっと待てをかければ後悔が少なくなる本心からしたいことの準備のために自分を変えることで他の為に出来ることが多くなる他に期待され役に立つことの歓びを知るそこには自分の使命を果たす居場所ができる始めはできるようになりたいとやってみることから、何で失敗だったかの原因を見つけ、至らなかった部分を修正しながら、できることを増やしてゆく。今はまだ気が付いていない使命を自覚するための準備と言って良く、誉められる方に伸びてゆくのが人の可能性だろう。この現象界での仕組みを知ることから、そこに溶け込んでいける自分に成ってゆき、自分が何を求められているか、どう生きれば良いかが観えて来る。どの道をゆこうがその責のすべては自分に返って来るもので、悔いの無い納得できる歩みから、自分にしかできないこと、他によろこばれること、役に立って必要とされること、その中に自分の使命の自覚が出来てくるのだろう。歩みのすべてに意味が有り、試練はそのための呼びかけで、そこに仕組まれる良き因縁側での縁と共に、自分の咲かせるべき花を咲かすことが出来るようになってゆく。 2018年12月25日 琢
2018年12月25日
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履物を揃えること自分が変われば相手が変わる相手が変われば心が変わる心が変われば言葉が変わる言葉が変われば態度が変わる態度が変われば習慣が変わる習慣が変われば運が変わる運が変われば人生が変わる課行と戒めで日々を積み重ね継続することで後に継続されてゆく周りが変われば國が変わるまず、自分から変えてゆく思い通りにしようとするから思い通りにならず、自分はそのままで相手を変えようとするから人は去ってゆく。意地を捨てて素直に成れば、できてもいない正論だけで論破できず、押し付けや義務付けをやめて自分を変える方が先決だろう。願いをもつほど自分が変わってゆかなければ成就は有り得ず、自分を変えるには何か一つの小さなことの努力を持続させることだろう。例えば履物を誰も見ていない時にそろえること。自分が変われば相手が変わる。心は因ですべての原因は心からで、因の転換から好転作用が出てくる。自己顕示せずにそっと、さりげなく一日一善の心掛けの遂行をすることで、それが習慣になれば運を変えることもできる。課行・これをします、と戒め・これはしませんという日々の心掛けを積み重ね、慣れてゆくことで自然に身に付いて出来るようになってゆく。そういう善行が継承されてゆけば、全体が変わってゆき、明るい日差しが差し込んでくるだろう。まずは自分から変わってゆくことしか無いだろう。 2018年12月24日 琢
2018年12月24日
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有と無の違いは有るものは無にならず無はもともと無いもので有ったものは再び出てくるもので何か別のものに置き換えるか何かと何かを化学反応させて別のものに変えるしかない業・カルマは有るもので変えることはできても無にはならない感情の抑制には禅定して空になることかたよらず こだわらず とらわれずひろく ひろく もっとひろく川のごとくさらりさらりとおおらかな心になること浩然の気は宇宙大自然と一体化する心境で、のびのびと安らかな心境になること。自然に托身すれば小さなことに振り回されることが無く、迷いや葛藤も消えてゆく。怖いものはすべて自分の中に有って、有るものは無くならず、顕示することなく平静を保つことで他の迷惑になることが少なくなり、摩擦が減って来る。業・カルマは誰にも有るもの、煩悩は有るから生きていられるもので、同じ過ちを繰り返してしまう邪魔なものに成ることが多い。何か別のものに置き換えるか、化学反応のように別のものに変えてしまうしかない。他の迷惑になるもの、不快にするものもユーモアに変えることで人間の習性の面白さが出てくるだろう。最も良くないのは動物と違って同族同士の殺し合いをすることで、その原因となる自己顕示欲、自我我欲、自己保存を戒めて、それぞれの願いに向かって課行と持戒の心掛けを日々重ねてゆくことだろう。心を整えて調和させれば、川のごとくさらりさらりとしたおおらかな心になることが出来るだろう。かたよらず こだわらず とらわれず ひろく ひろく もっとひろく 2018年12月23日 琢
2018年12月23日
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自分を変えるとき止観から感じ方を変えるが感情の動きは止められず感じ、受け止め、考え、行為の順に色受想行識をするが変えるときはその逆を辿ること行為で課行、戒めを心掛けて次に考え方を変えれば受け止め方が変わり最後に感じ方も変わって来るすべて実践することから次のステップに上がれる因果応報で因を変えれば報が変わる自分では悪業と思っていなくても、与えられた現実を観ればどこかに人の心を逆なですることをしている場合うが多い。人それぞれには違う常識が有って、良く体験して受け止め、認め、理解しておかなければ、自分だけの常識を押し付けて他に苦痛を与えていることが多く、自分ではそれに気付いていない場合が多い。嫌な現実を変えたいときは、先ず、自己回帰から止観をしてみること。自分がやったことを見ってみれば、感じ、受け止め、考え、行為のどこかで間違いを起こしていること、自分のダメな傾向が観えて来る。変えようと思えば、行為のところでちょっと待てよをかけて改めてゆくこと。誓願は願いを立てて、あれをします、これはしませんという課行と戒めの心掛けをすること。行為から待ったをかけて改めてゆけば、考え方が変わり始めて、受け止め方も変わってくる。最後には感じ方も変わって来る。心・因を変えること、そのために実践し、体験しながら経験を積んでゆけば身に付き始めて自然にできるようになったときは自分の智慧を得たことになり、その智慧が先を拓くことになってゆく。因果応報で、因を変えれば報が変わってくる。大きな戒めは、自己顕示をせず、自我我欲を出さないこと、次には責任転嫁をせずに自己保存・保身をせず、素直に自分の責を負うことだろう。 2018年12月22日 琢
2018年12月22日
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自分の命をどう使うかどれだけ生きたかよりどう生きるかいつどこでどう使うか魂の満足が有る望むものが違うとき違和感と不安がついて回り与えられる現実も違うものだが光に向かうとき安堵が有り悦びを感じられるそれが魂からの願いであり自分の使命と自覚ができる前から決まっているかのように生き甲斐を感じるそんな心の落ち着く居場所が有る人が暗中模索していること、いつも迷ってしまうこと、それは忘却、喪失、無知で生まれ出て、自分の魂の中のものが観えていないからで、多くのことに取り組み、多くの失敗を重ねながら自分を整えてゆく途上で感じてくるものだろう。不動を願うも四苦八苦に戸惑いながら多くの障碍や試練を超えてゆくことで自分の適性が観えて来るからだろう。自分の命の使いかたは、どれだけ生きたかよりもどう生きたかが問題で、いつどこで誰にどう使うか。心の奥に有る魂が満足感を与えてくれる時、燃えてくるときがある。望むものが違うときは違和感と不安感が付きまとい、与えられた現実も違うものを感じている。光に向かうとき心には安堵が有って歓びを感じることが有る。それが魂からの願いで、自分だけの為でなく、他の為になっている歓びを感じるときに、それが自分の使命だと自覚出来るようになる。生まれる前から決められているかのように感じ、そこに生き甲斐さえ感じる自分がいる。自分の居場所はそういうところに有るのだろう。 2018年12月21日 琢
2018年12月21日
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人との出会いは縁の関わりの始まりだが交友の継続と共に共通の人脈に当たることが多いその関わりの経緯を知ればいい加減なことはできない人脈を広げるチャンスになるが人とのつながりで世間を狭くすることにもなる摩擦を起こさないように自分を整えて和と信頼と共に冷静、的確に対応することで良き縁の広がりが得られる刹那的、利己的を慎むことだろう自分の都合だけを優先して身勝手なことを積み重ねてゆけば、まわりまわってその付けが自分に返って来ることになる。自業自得だが、一番大事な時にその付けが回ってくることが多く、挫折や絶望の原因になることも多い。人との出会いは縁の関わりの始まりだが、交友と共に共通の関わりが出てくることが多い。羅網と言って天が一本の糸で編んだ網をこの世にかぶせたもので、一つの網の目が自分ですべてに繋がっていることを言う。その糸を手繰ればその関わりの経緯を知り、いい加減なことが出来なくなってゆく。人脈を広げるチャンスでもあり、世間を狭くすることにもなってしまう。過去の行いに学び、改めるべきを改めて、摩擦、対立を起こさないように自分を整えておく必要が有る。末路も視野に冷静、的確に対応することが求められている。すべて自分の心の表れから暗転の現実を与えられることをよく考えた上で行動することだろう。調和した歩みと共に良き縁の広がりが得られるが、戒めとしては刹那的、利己的な行動を慎むことだろう。 2018年12月20日 琢
2018年12月20日
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恩恵を愛と思い大自然の恵みに感謝する愛は次元を超えるもので怨み、憎しみを癒やすもの怒りも愛有ればこそのもの批判や反抗も愛からのもの菩提心で愛を行使する大地、宇宙のすべてのもの太陽は遍く大地を照らし月は闇を照らす人の信仰の原点に愛が有り愛は人の心に安心を与え人は他の安心を歓ぶ生きる途上では考え方一つでその歩みに大きな違いが生まれてしまう。すべてのものに恩恵を感じて感謝と敬意を示す生き方をすればさらに大きな恩恵に恵まれる。感謝の念が湧けば報恩に向かうもので、報恩に他の感謝の念が加わってさらに大きな恩恵に恵まれ,広い愛は幸運をもたらしてくれる。恩恵を思ってみれば宇宙大自然の中には多くの恩恵が有る。信仰心はその恩恵を神からのものとして、心の安定のために祈る。愛は次元を超えるもので、恨みや憎しみを癒やし、怒りも愛有ればこそのものと思える。批判や反抗にも愛からのものが有り、菩提心はその愛を行使することになる。この宇宙大自然のすべてのものに愛を感じれば、太陽は遍くこの大地のすべてを照らし、月は闇を照らしている。浩然の気と共に宇宙大自然と一体化する心境を求めるようになれば、のびのびと安らかな心境に至ることが出来る。愛は人の心に安心を与え、他の安心は自分の歓びになっている。愛は人の心を支え、その中心に持っているものだろう。人は愛、感謝、敬意、報恩と共に調和して整ってゆくものだろう。 2018年12月19日 琢
2018年12月19日
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縁は異なもの味なもの心の趣くところに縁が有り好奇心と興味と共に自分の好みを探し出会いと共に深めてゆく偶然のようで偶然でなく結果はすべて必然で変えようのない過去に未来を変える要因が有る過去に学ぶものは求める方に歩む途上で自分を整えながら魂が納得する歩み方を自覚してそこに本心からの悦びを知る酔心悦に入るとき、自己満足の世界が広がってゆき、自覚できたことが正しかったと本心からの歓びを得る。上を観れば切りがなくある程度のところで妥協するしかないのが極みの部分だろう。そこには足るを知った自分がいて、分相応の果報にそれ以上の欲を止めるとき、自分に言い聞かせることはここまでよく来れたものだということだろう。人それぞれの魂はみんな違う領域まで来ているもので、潜在意識の中にはそれが入っている。縁は異なもの味なものと言うが、心の趣きはそれぞれで、自分の好みを探しながらその答えを模索して、自分が何ものか、果たすべき使命の自覚のために日々努力を重ねている。因縁果報は自然の摂理で、そのままの自分では通用しない部分を良き縁と共に因を整えて調和する自分に成ってゆく。偶然のようで偶然でなく、自分の因相応の現実が返って来る。既にそれは過去のもので、その変えようのない過去に未来を変える要因がある。過去に学ぶものは三つの自覚と共に足るを知り、分相応を知って、自分の歩むべき道を自覚しながら、そこに満足感を得てゆくのだろう。人の世は 必然の道 天の道 歩むべき道 辿るべくして 2018年12月18日 琢
2018年12月18日
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どんな条件制約でもそれはそれなりに自分の生き方ができるそれが普通で自然体になる家柄、土地柄、国柄、時代の風潮独自の常識が人の基盤になっている世界70億人の一人として自分はただ一つの存在で共生には和が必要で助け合いの恩恵で生きている自分だけの常識は通らず互いに認め合い、理解し合うこと感謝と敬意から良き縁として人は成長してゆくこの世に生まれれば自分一人で生きているわけでなく、相互に関わり合って生きることになる。感謝、反省、敬意が必要で、共に違う常識を受け入れて認め合い、理解し合うところから和が生まれ、信頼と共に自分の歩みが出来るようになってゆく。どんなものにも、どんな失敗や経験にもそのすべてに意味が有って、どの道を歩んでも自分が何ものであるかを模索してゆくことになる。前世からの魂の中の記憶は忘却、喪失、無知の状態で生まれ一から始めながらの自分探しがこの世で与えられた人生になっている。人はどんな条件制約の中でもそれなりに慣れてゆくことでそれが普通に成りそこで自然体の自分に成ってゆく。家柄、土地柄、国柄、時代の風潮の中ではそれが当たり前という常識がその人の基盤になっている。それぞれには独自の個性が有って、願うことは同じものは無く、どれだけ生きたかよりどう生きたかが悔いを残さない歩みになってゆく。何一つ無駄なものは無く、関わることのすべてに意味が有って、共生には和が必要になる。相互に助け合い、補い合い、その恩恵と共にこの現象界に生きてゆくことになる。感謝、敬意と良き縁と共に成長しながら、本当の自分を自覚できることで、その願いを果たすことが出来るようになる。 2018年12月17日 琢
2018年12月17日
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人の身体は使わない部分が劣化する筋力の劣化は訓練で回復する心は歳と共に輝きを増すが体は歳と共に衰えてゆく体は心を表現する道具で表現が現実を反映してゆく与えられた現実は心の有り方次第で相応の反応が返って来るカオスは混沌としたもので心次第で良い反応が返されるカオスには粗末な扱いはできない今日の自分は昨日の自分とは違うもので、同じように他の人の心も変化している。今日会った時にその違いを感じるときも有って、表情の違いや反応の違いを見逃さないことが大事なことだろう。そこに昨日までの自分への反応が表れているからで、人を変えようとするより自分の行いを変える必要が有る。人も自分もその心を伝えようとするには体を使って表現する。そういう意味では体は心を表現する道具とも言え、表現が現実として反映される。望まない現実を与えられれば自業自得と言い、因果応報として相応の報いが返って来ることになる。どう反応するか分からないカオスへはいい加減な対応をしないことだろう。売り言葉に買い言葉と言うが、それが心の行き違いを大きくしてしまうもので、瞬時に動く感情は平静になるまでに時間が必要になる。心の動きをすぐに行為に表わさないようにするには、その場で怒らず一晩寝てみることも大切な心掛けだろう。日々迫るカオスへは慎重な心が必要で、心の乱れが粗末な扱いをすれば、運命を変えてしまうような反応が返って来ることも有るだろう。身も心も整えて調和していることが望ましい。 2018年12月16日 琢
2018年12月16日
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人には癖が有り体型からくる癖心に有る癖真似る癖業・カルマは癖のようなもので注意していてもやってしまうわかっていても繰り返す逃げてもついて回る禅定して空を求めても心・感情の動きは止められず止観【感じ、受け止め、考え、行為】から行為を改めながら順に変えてゆくしかないという自分を変える手法の一つになる振り返ってみれば自分にも悪いところが有ったと思うことが多いが、もう過去は戻せずにそのまま行くしかないことが多い。素直に謝意をもって接することが出来れば、先で揉めることは少なくなってゆくが、無意識に同じようなことを何度も繰り返すのが人間で、人は癖と言い、癖には体型からくる癖、心の中から出る癖、真似て出るようになった癖のほとんどが業・カルマが多い。他に迷惑をかけ、自分の苦を増やしているのが業・カルマだろう。注意していても何度も繰り返してしまい、分かっていても止められず、逃げてもついて回るもので、そんな自分を変えてゆくしかなく、相手を変えることはできない。悪い部分を鎮静させるには、禅定して空になることで、かたより、こだわり、とらわれを解放し、心を無にすることはその方法の一つだろう。日常生活では感情の動きを止めることが出来ず、そこで出る自分の嫌な部分は止観して自己回帰し、行為から改めてゆくことが望ましく、それができれば考えも変わり、受け止め方が変わり、感じ方が変わってゆくことになるという。 2018年12月15日 琢
2018年12月15日
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かけた迷惑にハッと気が付くことが有る行き届かなかった自分を恥て経験は時を要するもので謝罪や言い訳もできなくなっている時を逃したことの償いは以後の戒めとして心深くに刻んでおけばまわりまわって届くことも有る未熟さや至らなさは気が付いたときからでも正す素直さが肝心なことだろう人は無意識に誰かの邪魔になっていることも多くいつも謝意をもっておくことが大切だろう人は多くの経験と共に成長してゆく一歩踏み出すことで多くのことを学び始める。何かに取り組んでみること、失敗の中にも学ぶことが多く、そこにものの仕組みに気が付いたり、失敗の原因から自分を正すことからできるようになってゆくことが多くなってゆく。途上ではかけてきた迷惑に気が付くことが出来ず、自分がされたことから、自分がしてきたことにハッと気が付くときがある。行き届かなかった自分を恥じることが多く、愚かさの自覚には時と経験を要するものだが、謝罪や言い訳のときを逸してその償いは以後の戒めにすることが多い。苦い経験ほど心深くに刻んでおくこと、願いに向かうための課行と戒めを日々実践してゆくことで、まわりまわって届くことも有る。未熟さや至らなさは気が付いたときからでも正す素直さが肝心なことだろう。病は気からと言うが、心の曇りが挫折や病の遠因になって、日々の暗い心の積み重ねから運が悪くなってゆくことが多い。誰しも気が付かずにかけている迷惑は有るもので、思いやりや気配りと共にいつも謝意をもっておくことが必要だろう。人は多くの経験と共に得た智慧が先を拓くことになる。 2018年12月14日 琢
2018年12月14日
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バイオリンは人の心を癒やす古沢巌氏は音楽に国境はないと世界中を巡っているお金でなく名声でなく自分の信条として世界平和のためにならと奉仕の行をしている布袋さんのように重い袋を担いで一人で何処へでも行く演奏中は菩薩のようで魂を伝えようとしている聴くものに感動を与え多くの感想が寄せられてくる涙が止まらなかったと誰しもが願うことは世界が平和になることだが、人間には心の安定・祈り・信仰があり、その心に導く宗教が有る。信仰の対象は、神仏、天、太陽だが信じて自分のこころの中に持っているものだが、各宗教によって作法が違い、一神教、多神教の違い、仏教でいう三蔵【経、律、論】の論のところで解釈の違い、受け止め方の違い、導き方の違いが有って、並列に比べようのないもの、比較競争をやってはいけないものが有る。原点は人間としてどうかだが、歴史的紛争は何千年も続いている。俄かに世界平和が来るとは思えないが、一石を投じることはできる。文化文明を通して、科学、芸術、音楽、スポーツのどの分野からでもその訴えかけはできる。どの分野も各国共通で、人の心に感動を与えることが出来る。その感動が世界中の遠近で、人間としての心の海へ一石を投じ始めることを願ってやまない。人は音楽を通して三つの「ち」肌の色、土地の風土、時代の流れに関わらず、どこにいても心を癒やされている。良いものは何処の国でも人々は喜べる。国境のない音楽を通して一石を投じてゆくこと、小鳥の歌のように、効果でなく、確率でなく、ただそういう止まない心で生きていたいと願う。 2018年12月13日 琢
2018年12月13日
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勇気は思考を前向きにさせ人の集まりでイベントに参加することで出会いに恵まれ運営側に入れば学ぶことが多く響働することで自分の役を果たすことから和と信頼が生まれ絆を結ぶことになる良き因縁側での交流から自分の可能性が広がる挑戦することで気付きが多くなる何でもやってみなければどんなものかが分からず、失敗してもその原因を正すことで失敗しなくなってゆく。どんなものかが分かって来れば勇気が湧き出し、前向きに成るほど多くのことに挑戦しながら、やればできることが解かって来る。人の集まりでイベントに参加することで自分にどんな働きができるかが分かってきて、多くの交流から出会いに恵まれ、良き友や仲間と共に響働することから和と信頼が生まれてゆく。絆が結ばれれば無私、利他の誠心に成れて、他の為には強く成れる自分を発見できる。良き因縁側での交友から自己の改善と共に、自分の向き、不向きの傾向が分かってきて、どの分野で開花させれば良いかも観えて来る。自分の可能性は、信じなければ開かない扉を幾重にも通り抜けた先に有るというが、響働と共に実践することから勝解することになる。どんなことにも挑戦することから多くの気付きを戴くことが出来て、何を為すべきかが観えて来る。すべては勇気と気力から始まってゆく。 2018年12月12日 琢
2018年12月12日
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せっかちは自分の都合だけで短慮と同じ、行き届かず相手の迷惑になる待つことの大切さ相手の心情を読めば対応の仕方が変わって来る急いては事を仕損じる気を長くもてば思考が広くもてて見えなかったものが観えて来る末路を想って止まれば悔いが少なくなるじっと観察することで見落としが少なくなり失敗が減ってゆく分相応を思ってみれば、そう簡単にうまくゆくはずがなく、特に大きな分岐点での選択には、過去の流れ、傾向と今の場の状況、冷静な読みが必要な時で、焦って前のめりにならないことを心掛ける必要が有る。せっかちは自分だけのことで、短慮と同じで行き届かず、周りの迷惑になることが多い。待つことの大切さ、相手の心情をよく読めば対応の仕方は変わって来る。有頂天のときほど気を付けるときで、調子に乗ったときほど失敗が多い。三つの自覚が必要で、忍土の自覚、愚かさの自覚、恩恵の自覚が感情の動きだけで浅はかな決断をしなくて済むようになる。急いては事を仕損じると言う通り、気を長くもち、思考を広げて良く観ることで見えなかったものが観えて来るようになる。末路を瞬時に観ることで、発作的な行動を抑制すれば、悔いは少なくなり、じっと観察することで見落としを少なくできて失敗が少なくなってゆくだろう。止観の大切さを思う。 2018年12月11日 琢
2018年12月11日
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心は行為に現れる目のやり場、表情、態度、言葉沈黙や為さないことも心の表れで人はその行為を見て対応している見ている自分と見られている自分苦をもたらす原因はすべて自分のこころの中に有り他が寄せる心は恩恵になる快は恩恵と共に楽を与え楽のために苦を超える恩恵は感謝が無ければ消えてゆき報恩は先の恩恵に繋がってゆく徳積みが恩恵を引き寄せる一日一善の心掛けが必要になる布施は善意の施しで、その人の徳積みになる。徳が切れてくれば、恩恵が少なくなってゆき、会社の倒産の経緯のように、重経緯、悪循環、悪縁起、低活力、急暗転で絶望のどん底に落ちてしまう。良心は人の歓びを好み、布施心は愛、菩提心と共に有る。人の行為は心が発信基地で、目のやり場、表情、態度、言葉などや沈黙や為さないことも心の趣くところになっている。人はその行為を見て対応しているもので自分もそうしながら歩んでゆく。観ている自分と観られている自分。苦をもたらす原因はすべて自分のこころの仕業で、他が寄せる心は心強い恩恵になる。快は恩恵と共に楽を与え、楽のために苦を超えてゆく。恩恵は感謝できなければ消えてゆくもので、報恩は先の恩恵に繋がってゆく。運のいい人悪い人は、恩恵に感謝できる人当たり前と粗末にする人、どちらも自分のこころ如何で正反対の答えが出てくるもので、感謝と共に善我を育み、一日一善の心掛けが必要になってゆく。 2018年12月10日 琢
2018年12月10日
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躾は常識の違いを超えて行為に現われ他に安心を与える体幹にしみこませた智慧は他の模範になり良心に従う人間の原点で他を思いやり、気くばりをする理に叶ったもので国境を超えて通じるもの頭で行うものでなく自然に備わっているものでその親のこころが観えるものこの教育と共に人としてのあるべき姿を行為する倫理、道徳、マナーはこの世に生まれれば秩序を守るための行動の指針で、日本人の躾は親から子に受け継がれてきたもので、世界中の人々の指針にも成るもの、人としてのあるべき姿を示したものだろう。常識の違いを超えて、行為に現われ、他の人に安心を与えるもので、ルールを守るための模範になるものだろう。その行為は考え方の基本にもなってゆき、どんな状態でも自然に受け止めて感情で行わないようにしつけられている。良心に従う人間の原点でもあり、体幹にしみこませた智慧が、他を思いやり、気を配る理に叶ったものだろう。それは国境を超えて通じ合えるもので、頭で行うものでなく、自然に備わっているもので、その親のこころが観えてくるものだろう。子の教育と共に人としてのあるべき姿を示すもので、その人の品格の高さにもなってゆくものだろう。 2018年12月9日 琢
2018年12月09日
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判断基準は自分に何をしてくれるかでなく自分に何ができるかで相手から何をしてもらうかより相手の求めていること、必要としていることに応えられる自分であることうれしさはそこに有るもので相手の歓びに満足感がある求めるものは愛で物より見えない愛を戴くことその傾けられた愛に感謝が有り報恩が有るそれぞれ求める領域が有ってそれに応えられる自分に成っていたい親に育ててもらい、何でもできるようになりたいと取り組んでみることから、できるようになれば人にしてあげたくなるのが人情だろう。して差し上げることのうれしさは誰にも有ることで、してあげられる自分に成るように努力を重ね、誰かの役に立つ自分に成れば、そこに自分の生き甲斐を感じるようになる。判断基準は、自分に何をしてくれるかより、自分に何ができるかで、してもらうことからして差し上げること、必要とされる人間になることに人の満足感が有るのだろう。うれしいと思うときは、行為を誉められたり、それが人の役に立ったり、人の歓びになったときで、そのために生きているように感じることだろう。人はそこに愛を感じ、愛のぬくもりを感じたいと願っているのは自分もそうで、物より見えない愛で包まれること、その傾ける愛に感謝するもので、そこに報恩の心が芽生えてくる。常識の違いや心の領域の違いが有っても、それにいつでも、どのようにでも応えられる自分に成りたいとその満足感を求めて生きているのだろう。 2018年12月8日 琢
2018年12月08日
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目先のとらわれは先に不安を抱え未来の今がどう在るか未来の現実を良くするためには今をその準備のときとすること成し遂げるためには準備が必須で何ごとも準備無しの整うものは無く未熟を埋めなければ障碍や試練を超えられず挫折、絶望が必至のことになる刹那的な生き方の虚しさはお金やもので補えず手順をしっかり踏むことでしか埋められない夢や希望は大きいほど道は遠く、無知、未熟を埋めることから準備してゆくことになる。簡単でないものほどその手順を踏なければ失敗ばかりでいつまでもめどが立たない。目先のとらわれは不安が多く、未来の今がどう在るかには何の保証もなく、未来の現実を良くするためには、現在の準備を周到に積み上げてゆくしかない。成就の為には、その準備が必須で、どんなことも準備無しに整うものは無い。未熟や欠陥を埋め、改善が無ければ障碍や試練を超えることが出来ず、挫折や絶望は必至のものに成る。刹那的な生き方の虚しさは、自分の本当の力で得たものでなく、お金やもので補えない。未熟な目で見えているものだけの判断では協力者の心をつかみきれず、信頼関係の構築もできない。見えるものだけでなく、目に見えないものも同時進行で手順をしっかり踏むことだろう。何の努力も無しに一足飛びに得られる満足は無いだろう。 2018年12月7日 琢
2018年12月07日
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人の至れる領域は人それぞれで魂によって領域の違いがある現象観、霊性観そのバランスのとれた領域にもそれぞれに使命の違いがある如来や菩薩の領域は常人の至れない領域で自分の魂でさえ見えていない常人のそのすべてが観えている眼に見えず、証明できなくても有るもの線香やローソクの光で見える世界一転生一条件の領域を超えてすべてを悟ることは不可能だろう神通、神足は霊的に高いところに至れば具わって来るというが、高僧でもその領域には至れず,間脳が開いて予知能力、先見能力、洞察力が与えられてもまだその先にある領域が有る。精進、修行を積んだだけでは得られず与えられない領域が有る。人の至れる領域はそれぞれ違うもので、魂によって至れる領域が違う。現象観、科学、自然の摂理に学んで至れる領域、目には見えない霊的なもの、宇宙歓、その奥に有る領域が有るが、そのバランスのとれた調和した領域にもそれぞれに違いが有って、如来や菩薩にも使命の違いがある。常人の至れない領域で、自分の魂でさえ見えていない常人のそのすべてを観ることが出来る。眼に見えないもので、線香やローソクで観る世界とその先にある領域。一転生一条件では至れない領域が有るのだろう。自分のようなものは何度転生してもすべてを見通す悟りなど不可能だろう。それより、今を明るく機嫌良く生きるしかない。 2018年12月6日 琢
2018年12月06日
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所有は生きている間だけの自己満足この世に有るものはこの世に有るすべてのもののためのもの独り占めしたりどうしようと自分の勝手そう思う間違った心が六道を輪廻するかたよらず こだわらず とらわれず ひろく ひろく もっとひろくその空のこころで生きれば摩擦が少なく道を歪めることなく本当の歩みができる所有は、自分だけのものと思うことは、生きている間だけの自己満足で、死んで持ってゆけないもの、この世に置いて帰らなければならないものとよく言うが、独占欲は間違いの元になってゆく。家族や友人を自分のものと思う心が束縛や繋縛と共に人の自由を奪ってしまう。時には嫉妬と共に破壊行為をしてしまう。この世に有るすべてのものは、この世に有るすべてのもののために有るもので、独り占めしたり、どうしようと自分の勝手、文句あるかと思うさもしい心が問題を引き起こしてしまう。愛は与えっぱなしのもので、代償を求めない。恩着せや押し付けもしない心になることが調和する心になってゆく。心を空の状態に保つことが出来れば、間違った心は消えてゆく。あの世・実在界に持ってゆけるのは心・魂の中の意識に記憶されたものだけで、自然界に有るもの、法的な所有物でもすべて共生するために意味の有るもので、その全部がもってゆくことはできないものだろう。所有は錯覚の元で、物欲はすべて苦と共に有るものだろう。愛は放つもの、壺の手が抜けないのはつかんだものを離さないからで、放すことですべてが自由になるだろう。かけた情けは水に流せ 受けた恩は石に刻め 長野県善光寺石碑 2018年12月5日 琢
2018年12月05日
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お金は「お足」と言って入っても出てゆくものそこに人の心が有ってその使い方で有効になる無駄遣いは避けていても自然に無くなってゆくものこの世は金次第というが心を無視すれば大変な迷惑になるもの目的は別のところに在るべきで人生はお金に支配されるものでなく他と分かち合うものまで取り込んでしまえば刹那的、利己的になっていて折角頂いた人生を台無しにしてしまう時々聞いてきたことだが、お金さえあれば何でも買えると、人の心まで自由にできると本気で信じている人がいるんだと思ったことが有る。確かに、生きてゆくためには衣食住が必須だが、働いてその対価としてお金を戴き生計を営むのはこの世の仕組みになっているが、人には夢や希望が有ってその方向に歩む途上で仕事の選択をしている。お金は「お足」と言われ、生きるための糧として入っても使うようになって、困ったときのために貯めようとしても出て行ってしまうものだろう。その使いかたに人の心が表れているもので、無駄遣いはしなくても自然に無くなってゆくからいつもはたらく必要が出てくる。この世は金次第と思うようになって心を無視するようになってゆけば大きな迷惑をかけるようになってしまう。人の使命は別のところに有るもので、人生はお金に支配されるものでなく、他と分かち合うものまで自分だけで取り込んでしまえば、それは共生でなく、唯物的、刹那的、利己的な生き方になって、何のために生まれてきたのかの本質を見失ってしまう。そういう心になれば、せっかくの人生を台無しにしてしまうだろう。 2018年12月4日 琢
2018年12月04日
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虹や玉虫は色美しいもの玉虫色と言えば実態を明確に表さないこと本音と本心にも違いが有って本音はある状況下での心本心はどんな状況下に於いてでもの心カオスはその結果の予測が出来ないもの色即是空 空即是色は心の中の状態で有るものは無にならず心に有るものは出てしまう隠しても出てしまう心の因は現実の原因になっている無にならなくても変えることはできる業・カルマは誰にも有るもので、癖や腫物のようなもの。気にするほど大きくなってしまうもので、何度も同じ過ちを繰り返させ、分かっていてもやめられないもの、逃げてもついてくるもの。他に迷惑をかけ、自分を苦しめるものでも無にできないもの。禅定して心を空にすることは、置物のように自己主張せず、ただそこに有るもののような状態に成ること。虹や玉虫は色美しいものだが、玉虫色と言えば、心の中を明確にしない状態のこと。本音と本心は違うもので、本音はある状況下での心だが、本心はどんな状況下に於いてでもの心だろう。カオスはその結果を予測できないものだからこそ、心を空にすることを心掛けてカルマが顕れないようにする。色即是空、空即是色は心の状態で、有るものは無に出来ず出ているもので、隠しても見えてしまうもの。心の因は現実の原因になっている。心が体を使って外に出すものが行為で、行為から改めるには、カッとしたときに直ぐに怒らずに一定時間グッとこらえてみる工夫もそうだろう。心を鎮めること、赦すこと、そういう心に変わってゆくまで我慢することだろう。かたよらず こだわらず とらわれず ひろく ひろく もっとひろく 空のこころになる 2018年12月3日 琢
2018年12月03日
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よく気が付く人は日頃の思いやり、気配りのできる人相手のことを考えて適切な対応をする課行や戒めは慣れること、励行することで身に付き始めれば自然にできるようになるそれが他の印象に残りいい人だということになる感謝、反省、敬意のお手本になる自分を変えようとするときは止観と共に行為から改めること心掛けや戒めを日々励行することだろう集団にはいろんな人がいて常識が全く違う人も多い。経験を積むほどその常識の違いを認め、受け入れながら自分を調和させてゆくようになる。よく気が付く人は日ごろの思いやりや気配りのできる人で、常に相手のことを考えて適切な行動をできる人だろう。何かの願いに誓いを立てるとき、その成就の為にあれをしますという課行とこれはしませんという戒めを決意して、自己回帰と共に止観【感じ、受け止め、考え、行為】を励行すれば、どこがいけなかったかが見えてくる。その修正浄化には課行と戒めが必要で、慣れることと励行することで身に付き始めれば、自然にそれが出来るようになってゆく。その状態を観ている人は、自分もそう在りたいと思うようになる。感謝、反省、敬意のお手本になっていることも有る。自分を変えようと思えば、自分の傾向を知ること、過去の失敗に学び、その原因を修正浄化すること、課行と戒めは行為から改めてゆくことで、考えが変わり、受け止め方が変わり、感じ方が変わってゆくことになる。その行を毎日続け、継続して努力を重ねてゆくことしか無いだろう。 2018年12月2日 琢
2018年12月02日
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業は行いのことするもしないもすべて自分のこころその結果が与えられた現実自業自得その法則は因縁果報で結果には必ず原因が有る表層や外見だけでなく深層にはその経緯が入っているそれを洞察しなければ見たものを観たことにはならず失敗はその対応が未熟だったということで心の状態は結果に現れる過去の因を知らんと欲せば現在の果を観よ未来の報を知らんと欲せば現在の業を見よ何でも自分に都合の悪いことは人のせいにして逃げてしまう人が多いが、そこで自己の修正、改善をしないまま逃げだすような歩みでは進化が止まった状態のまま歳を重ね、いつか後悔する時がやってくる。業は行いのことで、カオスに対応する業如何でその反応が違うものに成って自分に返って来る。返った現実が自分に与えられた世界の評価ということになり、自業自得という。その法則は因縁果報で、結果には必ず原因が有る。その原因は表層や外見だけでなく、深層にはその経緯が入っている。それを洞察しなければ、見えたものを観たことにはならず、失敗はその対応が未熟だったということになる。いつでも心の状態は現実・結果に現れてくる。過去の因を知らんと欲せば、現在の果を観よ。未来の報を知らんと欲せば、現在の業を観よ。 2018年12月1日 琢
2018年12月01日
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