全49件 (49件中 1-49件目)
1
「もやしもん」はもやし屋の息子が菌が見えると言う特殊能力を持っていて、大学の農学部に進学し、あれこれと事件に巻き込まれながら活躍する漫画である。同じ職場の若い人に見せたら、「これ、面白い!」少々あり得ない!ような話もあるのだが、もう少しトリビア的に見られたらな、と思う。農学部の卒業生として甘く辛く書いてみたい。そもそも、農学部と言う学部は、国公立にはほとんどある(若干の例外がある。大阪大学など)が、私立大学には数えるほどしかない。やはり、土地が必要だと言うことだろう。演習林ともなると大変だ。山一つと言う単位で必要なのである。だから大学の中に演習林があるとしたらよほど大きな敷地か山の中の大学と言うことになる。現在は、学科の呼称がすっかり変わってしまったが、農学科、林学科、農業工学科、農芸化学科、農業経済学科、畜産学科などはだいたいどこにでもあった。この呼び方の方がイメージがつかみやすいと思う。 しかし、おしなべていうなら、農学部と言うのが一番近いのは家庭科ではないかと思う。料理、栄養、耕耘、播種、或いは繊維、木材、などと言ったら実に普遍的なテーマである。戦後、食糧増産の時期に多くの新制大学が造られたから、当たり前と言えば当たり前だが、今はほとんどを輸入に頼っている。山は荒れ、中国産ギョウザの事件も記憶に新しいところだ。何よりも食糧自給率は40%を割り込み、輸入が出来なくなったら食えなくなるのだ。さらに、運搬にも石油を使うと言うムダぶりだ。さて、エスキモーの食品の話が出てくる。アザラシの腹に鳥を詰めて発酵させると言う食品だ。これを土に埋めて発酵するのを待つと言うのだが、およそ発酵も腐敗も根本は同じ。人間に有益なものを作るのが発酵で、有害なものが出来れば腐敗と言う。およそ手前勝手な表現なのである。しかし、エスキモーの住むところと日本を微生物的に同一視することは出来ないので、漫画の限界なのだが、こんなものを国外から持ち込もうとしたら厳しい検疫が待っている。微生物と言うのは、早い者勝ちで増える。仲間を増やしてしまえば、他の微生物は成育できなくなることもある。納豆が腐敗しない道理だ。ところが、例えば酒になると活躍する微生物が入れ代わっていく。麹菌がまず生え、デンプンから糖が出来たところで酵母が活躍してアルコールを造り、そのアルコールで酵母が死んだ後は乳酸菌がはえる。その調整をするのが杜氏の仕事だ。
2008年06月30日
コメント(4)
またぞろ消費税アップで福祉の充実を、と自民党が言い出している。何が骨太か、まずムダを徹底的に無くすこと、年金は納付分を全額給付すること、横領に対しては政府がこれを補填すること、これらをほっといて消費税のアップは断じて認められない。よくまあこれだけ筋の通らないことばかりするもんだ。骨が太かろうと細かろうと、言ったことを実行するのには関係ないだろう。そもそも、骨太宣言をしないと事が進まないおかしさに気付くべきだ。宣言しても進まないこともある。そんな時は黙っている。もういい加減に総選挙して欲しい。自民党には飽き飽きどころか、怒っている。政権に居座ることが日本にとっていかにマイナスか、国のためにやめて欲しい。
2008年06月29日
コメント(0)
自閉君のお供で図書館。窓が開いていて、急に雨音が大きくなった。「うわー、降ってくるのかな」梅雨末期の豪雨とはならなかったが、各地で大雨になっており、今晩も油断は出来ないらしい。もともと瀬戸内は雨が少なく、「振るのかな、降らないのかな」と半分バクチ気分で傘を持たずに出かける。そして実際に降られて困るのはどちらかと言えば少ない。さて、雨が上がった途端、太陽の強い日差し。ほとんど蒸し器状態だ。雨上がりはだいたい爽やかなはずなのだが、これからの時期、むんむんとした何とも言えない不快な気分になる。 梅雨入りは九州よりも早かったが、まだ南の空は白っぽく、夏の青い空はまだ一歩遠いようだ。梅雨が明けたら柿の木に防除をしないと。7月の夏休みはもうやる事だらけだ。
2008年06月29日
コメント(0)
今日は1日雨。梅雨前線が活発になり、北上してきているそうだ。秋葉原以来、もう3週間か。派遣労働の非人間性と言うものが声高に報道されるが、やっぱり企業の体質かなあとも思う。グッドウィルは既に廃業を決めたと言うが、解雇される方はたまらない。私の場合は突然の役員解任にあってしばらくは全く無収入の状態になったが、約3ヶ月ほどで派遣の仕事にありついた。当時を今振り返って考えてみると、私の場合はいくつか幸運な場面があったように思う。職安で仕事をさがすが、50過ぎのおっさんにはなかなか 条件が厳しいようで、来る日も来る日も応募と不採用の連続だった。何しろ、求人の半分以上は派遣会社の仕事だ。直接雇用となると年齢が大きくものを言う。拾ってくれたのは神戸の会社で、化学分析の仕事だと言う。別に私に決めたのは交通費が一番楽だろうから、ということと、地方国立大学卒、農芸化学専攻で食品化学関係の経歴、それに兵庫県西部に拠点を作りたいと言う会社の方針だった。今考えてみればまあ良心的で、交通費の補助もくれたし、3ヶ月の猶予はあったが社会保険加入もしてくれた。(まあ当然と言えば当然だが)仕事は下水処理のリンや窒素の分析で、ルーチン分析だから昔口の悪い助教授が言った「ケミカルクッキング」である。そう特別な能力が必要な訳ではないが、世間相場からすると「特殊な仕事」らしい。前任者は知らないが、器具が相当汚れていたのでアルカリ洗浄したいからバケツを買って欲しいとか、データを持ち帰ってメールで報告するとかの提案はよく聞いてくれた。 そのせいか一応派遣先にも気に入られたらしく、予定よりも契約延長をという話になっていたらしいが、何様時給いくらの事で、年末年始など無収入の続くのはたまらなかった。この時に職安は7時過ぎまで開いていたので、時々帰り道によって、何か有利なもの、安定した物件がないかを探せたのは、今思えば幸運だった。そこで現在の職場を見つけたのだが、間接雇用でなけりゃ何でもいいと思い、現業の仕事を希望したが、これは落とされてしまった。力仕事は無理と判断されたようだ。その後、定期的に職安に通っていたら今の職を見つけて、再応募し、採用となった訳だが、やっぱり「特殊技能」として扱われ、応募者も少なかったようだ。結局「だれにでも出来ない仕事」という扱いだった訳で、経歴を付けてくれた親や元の職場の人に感謝しなければいけない。翻って、「誰でも出来る仕事」となると「頭数の問題」になって、質的なものが問われない代わり、レベルに達しなければいつでもはじき出す。そこには「人材育成」など微塵もない訳だ。「企業は人なり」は今や死語。それを自己責任とすれば、確かにそのようにも見えるが、それで企業は成立するだろうか。また、そのように運んできた政治に加担したのも結局は国民。そのつけを払うために、「レベルに達しない議員」をはじき出すのも国民である。今、政治と実生活の乖離は大きい。人の痛みを痛みと感じない政治屋ばかりが目に付く。国会議員のリコールは出来ないものか。
2008年06月28日
コメント(0)
諌早湾の干拓事業で水門が閉め切られ、潮流が変わって(なくなって)漁業関係の被害が甚大である。水門を開放せよという原告の思いが司法を動かした。有明海は遠浅で干満の差が大きい、特異な地形である。この地形を生むのに何万年もの息吹があったはず。そしてそこに生息する生物も特異に進化・淘汰された結果である。それをほんの10年ほどで変えようと言うのはあまりにも奢ってはいないか。門扉閉鎖でどう潮流が変化し、何にどのような影響があるかは十分な調査が為されたとは思えない。だいたい、国のいう「大丈夫」が本当に大丈夫だった試しはないと思う。コンピュータのシミュレーションでもあくまで予測であり、都合の良い結果の出るプログラムを作ればいいだけの話だ。有明海がどのようにして現在のようになったのか、地形は分かっても海中の構造までは分かるまい。ましてやあの干潟の泥が再現など出来る訳がない。人間は地球の垢である土壌に巣くうダニなのだ。ダニはダニらしく。ただ、諌早は過去に台風の大被害を受けた。それが干拓への動機になっているのも確かだが、潮受け堤防だけがその対策ではなかったはず。大規模工事で潤うのはゼネコンだけだ。試験的な開放でどうなるかは、やってみなけりゃ分からない。閉鎖には積極的だが開放は消極ないし否定、これでは水門は政府そのものだ。
2008年06月27日
コメント(2)
まさかと思うような事件が落書きに続く。よりによって天神さんのなぜ牛を壊すとは・・・壊されたのは大きなものではないが、どうせ見つかったら「軽い気持ちでやった」「むしゃくしゃしていたので」くらいのところを言うのだろう。私はそんなご利益は信じないけれど、少なくとも大事に思い、また信仰し、子や孫の心を思って参詣する人もあるはずなのに、なぜそんな思いを踏みにじるような、幼稚な行為をするのだろう。自己本位、考えの浅さ、思いやりや想像力のなさ。 すべてを行政の所為にするつもりはないが、ものを考えない人づくりの結果ではないか。バレなければ何でもあり、というのは食品偽装、使い回し、派遣のピンハネと全く同レベルだ。規制緩和と言うが、自己規制さえ無くなってしまった感がある。人を人として尊重するという基本的な道義が無くなり、全く嘆かわしいことだ。「この罰当たりめが!」という言葉も久しく聞かない。
2008年06月26日
コメント(0)
また食品の偽装表示が伝えられている。等級の低い肉を上級品に混ぜていた。私は八卦見ではないがテレビでこのニュースを見て、社長の対応をみた時、「これはやっている」と変な確信を持った。横柄なものの言いように、経営者の品位を感じてしまった。「白を黒と言いくるめてでも金を稼ごうとするタイプだ」と。社長は否定したが、従業員は黙っていなかった。そう、この不景気な時に羽振りが良いのは何かやっている、と見て良い。先に中国産のウナギを国産と偽った業者もいたが、モラルの低さは学生ばかりではないようだ。但馬牛、神戸ビーフとわが兵庫県にもブランドがある。しかしうちで使うのは名もない国産牛。ヤマギシ会の牛ももで、この間はローストビーフを作った。自分で作れば何でもうまい。ローストビーフは少しさめるまでオーブンを開けないのがコツだ。安い肉をおいしく食べる。これこそ料理の本質では?(負け惜しみモード)
2008年06月25日
コメント(0)
全くあきれた話だ。世界遺産を見学に、修学旅行に行って世界遺産に落書き。ご丁寧に参加者と学校名まで書いて、日本人旅行者が見つけて学校にメールで通報したと言う。「謝ってくれれば修復はこちらの費用で行う」と言うことで学生と先生が英文で謝罪したそうだ。日本の学生のレベルの低さを物語る話だ。何年か前に広島で関学の学生が折鶴に火をつけた事件もあったが、恥ずかしい話である。公立の短大らしい。こんな学生を育てるために費用を使わせられる県はたまらない。公金を使って学ぶ以上、使った以上のものを社会に還元しなきゃいけないなんて意識はないのだろう。親はたまったものじゃない。似たような、また類推できる女子学生の行為を何度か見たことがある。教育力も地に落ちたものだ。
2008年06月25日
コメント(0)
山が崩れて、道路が流れて、これで激甚災害指定にならないんだそうだ。山ばっかりで被害に遭った施設がないからとか。なんのために税金払ってるのか阿呆らしくなる。本当に内閣の連中は他人事だと思ってるんだねえ。税金払うよりか保険かけてる方がまだマシ、ということか?本当に、国民を大切には思ってない国だ。農村は安い労働力の供給元くらいにしか思ってないんだな。山林にかけるぜいきん、崩れたりずれたりしたらどうやって納税額計算するつもりだろ?火との土地に自分の土地が流れていって山が荒れ地に変わるんだけど。これもとる方はしっかりとるんだろうね。
2008年06月24日
コメント(0)
核施設の廃棄計画が出ただけで直ちにテロ指定解除とは何とまあお人の良いこと。なぜそんなに急ぐのか。計画を出して実施しないくらいはなんとも思わない国家だが。ブッシュにとって何か良いことがあるのだろうか。ライス国務長官は「重要なパートナーである日本のことはよく承知している」を繰り返すが、彼女とてもう先の見えた役人だ。日本なんてもう関係ない。徹底した資本主義だから、うま味のないところは切り捨て、自分の得になることには金を注ぎ込む。したたかな外交の北朝鮮だ。袖にされたのは日本。まあ、いい加減にアメリカ追従をやめるべきなのだ。思いやり予算、海上ガソリンスタンドが国際貢献なんてとても考えられない。国際=アメリカで、事実上の植民地みたいなものだ。拉致については再調査する、と成果を引きだしたと言っているのもお人よし。 完全になめられている。本気で調査などしないことは火を見るより明らか。しかし今のような北朝鮮の体制もそう長いとは思えないのだが・・・民主化勢力は育っているはずだ。
2008年06月24日
コメント(0)
このところ太陽を見ていなかったが、今日は梅雨の晴れ間で青空が広がった。これが本当の五月晴れと言うんだそうだ。2,3日前の蒸し暑さは、夜布団をけっ飛ばしていたことでも想像がつくが、夕べからかなり気温も下がったようで、エアコンの前にいるようなさわやかさ。太陽はまぶしく、もはや夏の輝きだ。今日は沖縄が陥落した日。慰霊祭が報道される。いわゆる「戦争を知らない子供たち」がもう還暦を迎えるようになってきたが、 いつまでもこのような平和が続き、また戦争の淵に近づかないようにしなければ。戦争は資本主義、全体主義、帝国主義の産物。日本も持たざる国だ。今までは豊富に金を払って食糧もエネルギーも買い続けてきたが、もはや立ち行かなくなってきている。戦略商品になり、投機対象になっている。いかに優秀な自動車を作っても、運用の料金が高くなりすぎている。ブッシュはイランの石油を手に入れるために戦争を始めた。そして泥沼。大義も何もあったものではない。太陽が昇ると自転車に乗れる。ガソリンを使わずに移動が出来る。ところで、バッテリで動くバイクなんかあったら、私の用途には十分なんだがなあ・・・
2008年06月23日
コメント(0)
鳩山法務大臣が「粛々と」死刑を執行したためか、朝日新聞の夕刊で素粒子コラムに「死に神」と書かれて、おおいに怒っていると言う。死に神は骸骨が黒いマントを羽織り、大きな鎌を持った絵で知られるが、どうもタロットカードがその起源らしい。冥界を司る神は各国の神話で異なるが、どうもそれらしい絵や像と言う者は存在しないようだ。死に神は一方で再生(生まれ変わり)も司るので、殺人が仕事ではなく、悪霊として現世に残らないよう冥界に正しく導くのがその仕事なのだそうだ。これは立派な「仕事」だ。熟慮すれば怒るほどのこともなかったかも知れないが、まあ死に神と言われて喜ぶのは往年の名戦闘機乗りくらいなものだろうか。言葉にするといろんな解釈が生まれることがある。心して文章を書かねばな、と思う。
2008年06月22日
コメント(0)
先週のお返し、ではないが、お手伝いの皆さんが出るので聞きに行った。いや、うちも例外ではないが高齢化の波が押し寄せている。その中で、第九を一昨年だったかやって、その名残のグループは飛び抜けて若い。声の艶が違うなあ・・うらやましい限りである。ソプラノもよく抜けた声で、「こんなソプラノ欲しい!」(うちの連中が聞いたら怒られる)8月には交流会があるのでまた引っ張ってみるか。とは言え、若者は子育て、中年も反抗期の学生に手を取られ、複数の団体に所属するのは厳しかろう。もっとも、知り合いのS君なんかは、私が知る限りでも4つこなしている。まさに超人!リタイアしたら時間は増えるが、体が言うことを利かないだろう。「心豊かな」年金生活が送れればいいが。最後は「大地讚頌」の全員合唱。いかに内輪の集まりかを象徴しているが、歌わない人もいて、こういう人が増えて、それから歌えるようになるのが理想なんだろう。
2008年06月22日
コメント(0)
子供だってそうだが、「わーい、出来た出来た、満点だ~い」と自己評価している人に水をぶっ掛けるのはなかなか難しいものだ。「ソプラノらしい声になってない」と合唱団の掲示板に書き込んだら、「私、ショックやわ~」「あれで認めてもらえへんの?」という反響。ああ、文字にすると言うことは恐ろしいことだなあと思った。その後、録音をよく聞いてごらん、と言うことで、最後には「ウン。確かに高いとこは音がぶら下がってる」と納得してくれたのだが、「豚もおだてりゃ木に登る」を基調にした指導があらためて浮かんできた。50がらみのメンバーとなるとみなそれなりに恥もかいてもいるが、プライドも持っている。よほどのカリスマ指導者ならともかく、普段は合唱と何の関係もない仕事をしている者が分担して技術をやっているのだ。タダだから質もそれなりかも知れないが、指導側としての耳は持っているつもりだ。まあ、そもそも問題だらけのシンガーを寄せ集めて作っている合唱団にあって、完璧など求めるべくもない。ましてや、複数の人数がいるのにそれが同時に完璧なんてありえない。どこまでよくしてもさらに上はあるのだ、ということは理解して欲しい。が、やる気にさせるのは北風よりは太陽の「おだて作戦」の方がいいと思っている。もっとも、我々は録音を聞くしかないのだが、集音マイクの位置によっても客席で聞いているのとは微妙に異なる。最終的には評価できるのは指揮者だけだ。生の音を聞ける特権階級である。これも真に客観的な評価かどうか?客席でどうか、が最終だろうが、これは演奏する会場の影響も大きいだろう。やっぱり指揮者頼みだなあ。
2008年06月22日
コメント(0)
どうも小泉時代以来、この「粛々と・・・」と言う副詞(だろうな?)が乱用されている気がする。「鞭声粛々夜河を渡る」のは川中島だったと思うが、ひっそりととか静かにとかいう意味であろう。ところが、政治家や役人が使うと、「機械的に」とか、「人がなんと言おうと」とかいう、かたくななイメージを感じてしまうのだが、うがち過ぎだろうか。鳩山法務大臣の死刑執行は異例の多さだそうだが、死刑にしてしまえば事は済むのか、という廃止論と、犯罪抑制に必要だと言う論議もかしましい。しかし、死刑と言う制度とその判決が有る限り、訳もなく長く執行をのばすのもやや根拠に欠けると思う。殺された遺族の気持ちを考えたら、それこそ「八つ裂きにしても」だと思うし、終身刑も金のかかる問題だ。娑婆での生活苦から逃れて刑務所にはいるのを繰り返す人の存在も考えれば、今の刑務制度で良いのかと言う疑問もある。刑務所がいらなくなるのが一番いいのだろうが、「世に泥棒の種は尽きまじ」資本主義から脱却すれば泥棒が無くなる可能性はあるなあ。 そこらにあるもの、みな共用だったら盗みのうま味がなくなる。働けないものと働かないものは違うはずだから。例えば不倫の怨恨、これは残るかも知れない。でも生活の心配が無くなったら簡単に結婚・離婚が出来るような気もする。それが幸福なのか不幸なのかは何とも言えないが。
2008年06月21日
コメント(0)
秋葉原での惨劇以後、渋谷だの長野駅だので「殺人予告」が行われ、いずれも容疑者が逮捕されている。「どんな騒ぎになるか知りたかった」とか、「有名になりたかった」とか、まことにレベルの低い動機である。これが規制につながることの恐ろしさが分からないのだろう。また、ネットがここまでポピュラーなものになってしまっている以上、良識に頼るには良識ある子供を育てるしかないのかなと思う。そのためには大人が良識を持たねばならないが、これはお寒いことである。ポピュラーになると質の下がることは、今に始まったことではない。アマチュア無線は紳士の趣味として有名だった。ゴルフもそうだっただろう。ところが人口が増えると法律で禁じられている「わいせつな通信」は横行するし、不法局も増える。装置の取り扱いは簡易化する。それがまた普及を加速する。パーソナル無線の世界は覗いたことがないが、似たようなものではないかと思う。ところが、これらは秘匿性がなかった。誰が聞いているか分からないので一定の自己規制もあった。 インターネットの時代になると「見かけの匿名性」というものが先走って、誰が書いたか分からないものが増える。ところが、実はプロバイダのログインを見れば誰がいつ書いたかは特定できる。だから、殺人予告をしたら、その事実さえ発覚すればたちどころに書き込み者はバレてしまうのだ。非常にうがった見方をすれば、インターネットのような非常に安いコストで情報発信を行うことに対してそれがこまる団体があるとしよう。ある若者をスケープゴートにして、「規制が必要だ」「警察に頼ろう」という世論を作りだすことも可能なのである。報道規制や情報規制、それに通信と放送のオーバーラップを考えると、個人情報の発信は非常に問題だ。通信の秘密は守られねばならないが、放送なら倫理の網の目がかけられる。昔、共産党が非常に議席を伸ばしたことがあった。衆議院で40議席以上を占めたのである。 この時から、選挙の法定ビラも枚数規制とか、選挙カーの制限といった動きが出、果ては小選挙区制である。少数政党排除の波をもろにかぶったのが社共だった。労組の問題もあったが、今のように二大政党が生まれてきた。それぞれに問題も抱えながらだが、今に至っている。この時もなりふり構わぬ自民の動きだった。ネットを法的に抑えられたら、またユーザには息苦しくなる。 だから、つまらぬ書き込みはやめて欲しいのだ。「名もなく、貧しく、美しく」でいいじゃないか。
2008年06月21日
コメント(0)
ケネーはフランスの古典的経済学者だそうだ。もともと医者で、社会を人体に見立てて分析し、科学としての経済学の発端をつかんだ。(そうだ)確かに、どんな体制であれ、人体になぞらえるならば、保護やら干渉やら特権などと言ったものは邪魔でしかない。貨幣は経済の血液と言われるが、今の社会はうっ血と失血が同時に起こっている。およそ、体の中でその部品に優劣なぞつくはずがない。消化器と循環器のどっちがより大切か、などと言う議論は無意味である。地球全体を考えてみても、資源はとことん掘りだし、化石燃料の消費により 動物が生まれる前の大気の方向へとシフトしている。我々は自分の首を絞めているが、その結果は首つり状態だ。頭部にうっ血、酸素が供給できなくなり、脳がこわれる。今、そんな状態ではないだろうか。脳を守るために血流をよくしようと思ったら、肺からの新鮮血が入るようにしなければならない。今、我々は政治を動かすことが出来る状態にある。頭を取り換えることは我々の手で出来るのだ。腹に溜まった脂肪を燃やせば(資本の再分配)全体がよみがえる。
2008年06月20日
コメント(0)
「社会科学入門」というのは別にマルクスの経済論を云々する本ではない。しかし、読んでいるとやはり資本主義の行き詰まりがあるように見えてくる。今日、肥料の大幅な値上げのニュースも流れた。人間が生きるとはどういうことか。「衣食住が一定のレベル以上にあること」だと思う。飽食は問題外として、生きるに必要な食糧は必要だし、まさか裸で過ごす訳にも行かない。そして、自分の居所がある。これが基本的人権と言い換えても良いのではないか。返して言えば、ホームレスの有る限り、基本的人権が保障されているとは言えない。餓死者がいるのもダメ、清潔な衣服が保証されないのもダメと言うことだろう。政府が責任を果たしていないと言うことだ。で、今原油が高騰している。石油を買わなくなる。自動車を動かさずにすむように切り替える。実際、自動車の保有台数が減ったそうだ。温暖化が進み、大きな台風が来る。自動車が水につかる。持つのをあきらめる。売れない。自動車を作らず、走らなかったら二酸化炭素の排出が減る・・・風が吹いたら桶屋が儲かるではないが、こんな連鎖が進むのではないか。それでも自動車を売るために、太陽電池、燃料電池、高性能な蓄電池を搭載しようとしているが、新しく造る以上二酸化炭素は出る。本当に抑制しようと思ったら、減産または生産中止しかあるまい。 生産工程からの二酸化炭素排出を考えないと、燃費云々を言っても不合理である。平たく言えば、「要るだけしか作らない」ことだ。食糧は栽培しても、天災に見舞われたら終わり。それを見越して作らねばならぬ。いくら金を積んでも食糧が買えない日がやがては来る。それも見越して増産が必要だ。温かくなったら米はまずくなる。それでも生きるためには必要だ。重油が高くてイカ釣り漁船は全面休漁。これはストライキだ。外国航路の輸送船だって同じことになりかねない。 我々が如何に危なっかしい生活基盤の上に生きているか、思い知ることだ。東京五輪なんて浮かれている場合じゃない。資源と言う制約が、資本主義の矛盾を暴き出している。酸素がないのと、ものに囲まれた生活のどちらをとりますか?
2008年06月19日
コメント(0)
昨日の練習のこと。合唱祭の録音をみんなに聞かせようとMDを持っていったのだが、もともとヘッドホンを鳴らす程度の出力だから、何らかの増幅が必要だ。練習場は小学校なのである程度の音響機器はあるのだが、外部からつなぎ込めるようになってはいない。まず着目したのはテレビ。ビデオの入力があるので音声だけ使おうとしたが、なぜか鳴らなかった。RCAピンジャックのコードだけは持っていったのだが。部屋全体を鳴らせる装置は、CDやカセットは対応しているが、MDはだめだ。と、そこにいわゆる拡声装置がある。マイクを差し込んで使う、もっともシンプルなものだ。これにピンジャックがついていた。 モノラルが2つはいるようになっている。スピーカが1個だからステレオにはなりようがないのだが、これにMDの出力をつなぐと、見事に鳴り始めた。一応左右のチャンネルの出力も合わさっているので、にぎやかに聞くには問題はない。このごろの機器は複雑で、色々出来るがとっつけないとどうしようもないのだが、その点このシンプルなやつはつなぎさえすれば鳴る。シンプルが良い。ただ、録音と実際を指揮者に聞いてもらうと、どうも録音の方が劣るそうだ。生の声を拾っているらしく、響いてきた声の方が良かったし、客席で聞いていた人もそう言っていたと言う。まずは安心だが、自分の声が聞こえて、うまくいっていないのを繰り返し聞くのはなんとも苦痛である。「山」の「や 」で出るのが、ぼやっとした立ち上がり。前に「い」を入れろ、とうるさく言っているやつ自身がこれじゃあねえ・・・ 穴があったら入りたい。
2008年06月19日
コメント(0)
これも1960年代の本なので社会主義国と資本主義国の対立が基本線にある。ただ、自然科学が地球が生まれてからあまり変わっていないこと(水は水、地球の大きさといった類い)を扱うのに、社会科学と言うのは日々変化していることを大局的にとらえようと言う訳だから証明のしようがない。いまのところ社会主義国家はほとんど消滅し、しかも情報操作やら報道規制など、うさん臭い話題を抱えている。中国も朝鮮も何だかどこまで意思疎通が可能なのか、かなり怪しい。今日ガス田についての合意が出たけれど、本当に守る気あるんだろうかと疑わしく思う。北朝鮮など「何をするか分からない」気味悪さがどうも消えない。社会科と社会科学の違いは?という質問にも明快に答えている。まだ取りついたばかりだが、これからが楽しみ。
2008年06月18日
コメント(0)
こんなタイトルで書くようになったら年を食った証拠だが、ともかく手足が長いようだ。こちらのJRはほとんどがクロスシートなので4人がけ、あるいは2人がけになる。ところが、なぜか浅くかけて、ずり込むような姿勢で座っているものだから窓側が空いていても足が邪魔になる。寝ていたら事実上座れない。こういう状態でも座りたいときもあり、足を引っ掛けて起こしながらその席に座る。一瞬目を覚ますがまたすぐに寝込んでしまう。私が小さいころはお尻を背もたれにつくまで深くかけ、背筋を伸ばして、と厳しくしつけられたものだがすでに過去のものであるようだ。しかしあんな座り方を続けていると腰を痛めそうに思うのだが、まさに老婆心か。そういえば荷物を棚に上げる人よりは通路に置く人のほうが多い。「おんなじ金払うんならつかわな損や」という人が増えたのか。もっと慎ましやかにすることがエネルギー抑制にも効くと思うが。
2008年06月18日
コメント(0)
合唱祭の録音を繰り返し聞いていると、やはり15人でよくやったなとは思うものの、入りが不明瞭であったり、声質がやや低いなど色々反省点がある。まずソプラノ。助っ人さんはさすがなのだが、ソプラノの歌い方になっていない。胸を持ち上げるようにして響かせないとダメ。何より、発声練習ではそれなりにいい音になっているのだが、歌詞がつくと途端に響きのレベルが落ちるのだ。もともとアルト上がりで気の毒な気もするのだが、助っ人さんの歌い方をまねて欲しい。アルトは音程が悪い。きっちりと上下が出来ていない。だから、半音が1/3的だったりして正確さに書ける。「だいたい」音感。男性は総じて声が束になっていない。人数の割にボリュームがない。ひょっとしたら自信のないところがあるのかも?そして、発音が合唱用になっていない。あれは演歌だ。クラシックの歌い方を徹底すること。 うわー問題山積や。間にあうんかいな。後4ヶ月やで。
2008年06月17日
コメント(0)
今日はよく晴れて気温も上がった帰り道。夕方になってだいぶ涼しくはなったものの、露店にとめてある車のシートはまだ熱い。エアコンを使わないで窓を開けて走れば、結構気持ち良い。国道二号線を外れて、しばらく走って気がつくと、タコメータは2000回転、スピードメータは50km。あれ?普通なら50km巡航は1500回転なのに。窓は前だけ開けている。ひょっとしたら風を含んで走行抵抗になっているんだろうか、と考えて窓を閉めてみた。少し暑いが、いつもの回転数になった。 私の車はユーノス800,2500ccだ。平成7年の登録なので来年からは自動車税アップだが、無事に走っているので買い替える気もお金もない。有る程度排気量が大きくなると、低回転でも力はあるので回さずに走れる。女房が乗っている軽自動車と燃費はさして変わらないので、まだ乗るが、工夫することはいくらでもあるようだ。空気抵抗がこんなに効くなんて知らなかった。アイドル時エンジンを切ったりすることで今は9km/Lくらい走る。ひょっとしたら車体の表面がざらついていたらそれも抵抗になるかな?きれいに洗って、長く乗らなきゃ。
2008年06月16日
コメント(0)
結局15人での演奏となった。「会場の周囲で発声練習をしないこと」となっているので50mばかり離れた防波堤で練習。ところが要領の良いと言うか、つてがあるのだろうが会場の隣の小学校の体育館で心ゆくまで練習している声が流れてくる。いいな~ 上にヘリコプターが飛んできた。とても楽器の音なんか聞こえない。幸いすぐに消えてくれたが、あれじゃあ阪神大震災の時も救助の邪魔になったことだろう。本番の録音をもらったので聞いて見たら、ちょっと発音の不明瞭なところはあるが、まずまずの出来だ。ところが、六分の制限時間を10秒ばかりオーバーして、ペナルティを食ってしまった。今まで何回か出ているが、はじめてだ。リハでは一分近い残り時間があったのだが、少々ゆっくりやりすぎたようだ。3000円の予算オーバーだ。やれやれ。さて、仕事の後は腹が減ったのを思い出す。昼は食べたが、その後動きっぱなしで何も食べていない。いつもなら仕事の上がる時間。正直なものだ。ラーメンで小腹をごまかし、帰途につく。
2008年06月15日
コメント(0)
自閉君を散髪に連れて行き、そこの戸棚に並んでいた。細川貂々。近ごろ話題の本らしい。30分もあれば読めてしまうが、この速度で読もうと思ったら少々基礎知識と経験がいるだろう。実はもう五年も前になるかと思うが、女房がこの状態に近かったのだ。更年期と重なったせいもあるのだろうが、何やら不安感に襲われる。(そうだ)自動車で走っているうちに交通事故を起こしたのではないか、と見に行って、なにもなくて帰ってきたら見落としたんじゃないかとまた不安になる・・・この繰り返しだ。自分のすることに自信がなくなる。起きる気がしない。実は私は変わった子供で、小学生の時に「家の光」(農協の雑誌)についてきた付録の「病気の本」を一生懸命に読み、とりわけ精神病の欄を暗誦するほどになっていたのだ。「躁鬱病」はしゃいでいるかと思ったら急に落ち込む、鬱ばかりの時もある、周りの理解が何より大事、などとツボは覚えていた。「頑張れと言わないこと」は、自閉君で身に付いている。不安な時は一緒に不安がってやり、時々は楽天的に。部屋が汚れるのは気にならないので子供たち任せ。「汚いなあ」「ほな、片づけといて」で仕事に行ってしまう。おかげでかどうか、二年ばかりで健康を取り戻したが、田舎は家のそばに畑もあるし、 セラピーにはいいかも知れない。作物が育っていくのを見ると言うのも良いようだ。と言うようなことを前提に読むと面白いが、本人はきまじめさの故の苦しみであることは十分に理解しておくこと。
2008年06月15日
コメント(0)
15周年のコンサートをやるべく準備しているが、組曲をやるには人数が少ないので近隣の「心の四季」経験者を集めて協力していただくことになっている。指揮者の学生時代の先輩と言う人がアルトに来てくれているが、ぼそりと「この時間が一番落ち着いて癒されるんです」と言ってくれた。「良かったらずっと来てもらえませんか」と持ちかけると「いいですか?」との返事で 入団が決まった。学生時代に歌っていて家庭にはいり、そろそろ子供も独立していく年代の女性はやや身を持て余すのかも?更年期かも知れないが、まあ合唱がそんな形でお役に立っているのなら嬉しいことだ。この人の他に、テナーで 来てくれている人がいる。あまり前歴など聞いていないが、非常に柔らかい発声で、なかなか良い。そのことを褒めると、「いやいや、あなたにはかないませんよ」と持ち上げてくれたが、この人も常時歌って欲しい人だ。そして他にも指揮者のつてで合計七人の助っ人を加え、明日はその初披露。兵庫県合唱祭は今日がお母さんコーラス、明日が一般と学生となっている。76団体が10時間かけて演奏するロングランぶり。さすが兵庫県だ。今年度の歌い初めでもある。去年は隣の市役所で発声練習をしたが、今年は「会場周辺でしないこと」となっている。さて、どうしたものか。会場を離れてやろうか?ともかく雨になりませんように。
2008年06月14日
コメント(0)
三重県の病院で点滴の袋を作り置きして院内感染を引き起こしたと言うニュースが流れているが、その作りおいた期間について言及しているソースがない。もしこれが事実であるなら、1-2日前に作っていたはずだと思う。長年、微生物を取り扱ってきたものとしては、まず菌が混入すると、自分が育ちやすいように周りの栄養素に合わせて自分の代謝系を調整する「誘導期」と呼ばれる時間がある、この時間はあまり菌も増えず、毒素の生産も少ない。で、準備が整えば一気に増殖を始める。これが「対数期」と呼ばれる期間で、周りの栄養素を食い尽くし、死滅するまでまさに対数的に増え続け、毒素も生産する。新聞を読む限り、点滴をしてすぐに気分が悪いとか嘔吐したとか報道されているので、これが事実ならば、点滴時に既に腐敗していた可能性が高い。ということは、1-2日前に作り、常温でほったらかされていたことになる。そうなると、ここからは想像だが、薬品の出庫と販売にワンクッションをおかないと在庫が合わなくなる。ここまで考えたら、1看護師の業務の範囲を超える。みんなが作り置きを承知していないと、在庫管理が出来なくなるのは明らかだから。この病院も吉兆の二の舞になるのではないか。やらざるを得ないほど人数がひっ迫するなら、せめて冷蔵保存しておくべきである。が、これとて翌日の患者数予想をするようなもので、やっぱり杜撰な経営責任は免れまい。
2008年06月14日
コメント(0)
iphoneが7/11に新発売とのこと。しかも売価は2万円そこそこらしい。24ヶ月払いなら、金利を別にすれば月額1000円足らずだ。http://www.apple.com/jp/マック以来、アップルのユーザインターフェースと言うのはWindowsが及ばないものがある。アイコンのダブルクリックでも、マックの操作はかなりラフなものだった。Win95のダブルクリックはマウスを押さえつけて固定していなければならなかったから、「使いにくいなあ」と言うのが第一印象。このごろは少しマシになったかも知れないが、はじめの印象が悪いと、どうもよくない。iphone、日本語だと商標の関係でアイフォーンとするそうだ。 キャリアはソフトバンク。思い切った値付けをする会社だから、ちょっと楽しみ。だが、この間買い替えたばかりの私には、ちょっと縁遠い。感じとしては、ipodに電話とPDAがついたようなものかと思うが、多分あっと驚くような使い方が出来るのだろう。それがアップルの魅力だ。ただ、ワンセグ受信とか、おサイフケータイみたいなことは出来ないらしい。私も、あそこまでしなきゃいけないかと思う一人なので、電話機能付ipodとしてなら買うかも知れないな、と思う。システムのインストールもどうやら必要なようだから、やっぱり好事家のアイテムだろうか。でも、多分1度使ったらハマるだろうな。怖いからやめとこう・・・けど欲しい!
2008年06月13日
コメント(0)
参院で問責決議が可決された翌日、衆院で内閣支持決議とはまあ、大人げないと言うか、ごり押しと言うのか、やらない方がマシだったのではないかと思う。法的拘束力はない、と居直っていながら同じ土俵におりてくるようなものだ。山口2区の補選、沖縄県会の敗北の裏に後期高齢者医療の問題があるのを認めておきながらなお支持する、と言うのだからそれこそ不退転の決意なんだろう。で、自民党は今逆風まっただ中、だから解散もしないと言う訳だが、これが党利党略でなくてなんだろう。参院の民主党をことあるごとに数の暴力と非難し、衆院の数の暴力は棚に上げている。内閣の支持率は2割を下回り、とても国民の支持が有るとは言えない。それを支持すると言うのは、国民の声を聞かないと言う宣言であるともとれる。それとも国民が誤解をしているとかバカだとか言うつもりだろうか?今の自民党の勢力は「郵政」の結果だ。(これとて郵政が集めた金をアメリカに渡せるようにしただけでリスクの大きなところなんだが)税制のような国民生活に大きく影響する問題をよもや郵政の結果は適用できまいが。解散・総選挙をするのが日本のためだと思う。今の自民は己の保身に走っているだけだ。
2008年06月12日
コメント(0)
相変わらずの岩波新書 青版だ。東畑精一著。農業経済の専門とある。明治以降、地租改正の意味、工業振興の背景、農民が工場労働者に変えられていく様が実に分かりやすく書いてある。そして、官僚や自民党がなぜ農民に強いか。しかし、その構図もこのところは崩れてきている。農民が農民でなくなったからにほかならない。1964年の版なので古典の部類かも知れないが、軽工業と重工業の労働者のあり方が見えて面白い。また、派遣社員と言う制度がなぜ生まれてきたか、そんな背景のない時代の書であるのに、現状を見てみるとなるほどと納得してしまう。如何に搾取が厳しいものになっているか、そしてまた今後の暗さが余計に見えてしまう。通勤途上で読むだけなので、このくらいのボリュームの本がちょうどよい。もっと早くから読んでおけば良かったと悔やまれる一冊だ。
2008年06月12日
コメント(0)
今日は合唱祭前の最後の練習。お手伝いの人にも入ってもらい、曲はどうにか間に合いそうだ。練習前の時間に、自分でハミングの「アニーローリー」をやってみる。少しずつ音程を上げていき、最高音Aでも出る。ところが、実声になるとどうも半音くらい下しかでない。いったいこれはなぜだろう?やっぱり咽を使っているのかしら、と思いながら、時間だ。今日に限ってソプラノの集まりが遅い。みんなにハミングで出してもらうと、まあ響きは良いけれど、やっぱり女性の方が咽を絞っているようだ。「もっと力を抜きましょう、おなかを手で押さえて息を送るくらいやってみて。咽はそのまま」いくらかマシになった。「口の中は開けて、軽く唇を合わせる感じですよ」これを言ったら、本当に音が変わった。そうだ、ここから始めなきゃいけないんだと、改めて感じた。歌をそろえる指揮者も大変だが、私もそこそこ大変。ただ、ボイトレがそのまま歌に生きるか?となるとこれが最難関である。
2008年06月11日
コメント(0)
韓国の政治ニュースを見るたび、日本人はおとなしいと言うか、従順な子羊のようだと思う。或いは、政府の狙いどおり、物事を考えない国民が着々と育っていると言うべきか。イミョンバク大統領が米国産牛肉の輸入再開を認めたら、この通り。これが普通だと思うのだ。思えば、60年代は安保反対で国会議事堂の周りはデモだらけ、それなりの理論武装もあり、直接かかわっていくことで国民の連帯もあった時代だ。今は骨抜きにされてしまい、それかあらぬか政府自身まで「骨太の方針」さえ骨抜きにされかねない状況だ。「明日は今日よりきっと良い」何かの小説か映画にでも出てきそうなセリフだが、貧しくてもそんな期待感があった時代。年功序列は問題もあったが、「あすが見えない」よりはマシだったんじゃないだろうか。怒る時には怒らなければいけない。「それよりも明日のメシや」がプレカリアートか。がんじがらめで、孤独で、希望もない時、暴走に走るのではないか。自閉症のパニックと似たようなものかも。誰だって可能性は持っている。
2008年06月10日
コメント(0)
この間から足の指がかゆく、蚊にでも刺されたのかと患部も見ずにかゆみ止めを塗っていたのだが、いっこうによくならない。見てみると、皮が堅く盛り上がり、しかも紫色になっている。水虫か?なにをかくそう、(隠すことなんかないが)今まで水虫にかかったことがないのだ。水虫初体験と言う訳だ。とにかく風呂で一生懸命洗うこと。毎日石けんで洗っているはずなんだが、洗えてなかったのだろう。同時に、上の歯茎も少し腫れている。薬屋によれば、疲れた時にやられることもあるそうなので、更年期でもあり菌の抵抗力が少し落ちているのかも知れない。で、女房が買ってきてくれたのがこれ。左にあるのはハーフソックスと言うんだそうだ。軍手みたいに見えるが。薬を塗って、これをはいて寝なさいと言うことらしい。寝ている途中で脱いでしまうんじゃないかと思ったが、朝まではいていた。1日1回塗ればいいと書いてあったが、出勤前に塗って、ハーフソックスはやめた。で、1日経った今はかゆくも何ともない。ごく初期なのでよく効いたらしい。まあ、年を考えて、丁寧に洗うことかな・・・ 水虫がしつこくて悩む人が多いそうだ。数日で卒業なら万万歳。
2008年06月10日
コメント(0)
昨日の昼に秋葉原で起きた殺傷事件。7人が亡くなった。関西に住みながら、秋葉原は何度か行った事がある。記憶の有る建物が見え、とても他人事ではない感覚である。トラックで人をはね飛ばし、ナイフでとどめを刺すかのような殺人行為。虐殺ともいえるだろう。しかも被害者はたまたまそこにいただけの人たちだ。犯人とは何のかかわりもない。その後の報道によれば、「生きて行くのがいやになった」とか、「相手は誰でも良かった」などと犯人は言っているそうだ。青森から出てきて、派遣で自動車工場で働いていたと言う。前の日に自分の作業服がない、と騒ぎ、そのまま帰ってしまったとのことで、本人は解雇されたと思っていたのではないかとネットで流れていた。人を殺した犯人を弁護するものではないが、これを聞くと、本当に明日の見えない時代だな、と思う。 派遣社員でも時間給が1300円と言うから、決して悪い方ではない。(私なんか1000円に届かなかった)しかし雇用は不安定。自暴自棄になる心理も分からないではないが、巻き添えを食った方こそいい迷惑だ。命を奪われた人で学生が2人。高齢者もおられた。ご冥福を祈らずにはいられない。合掌。
2008年06月09日
コメント(2)
この本はもともと核兵器廃絶を目指してかかれた本だ。核兵器はいまだ廃絶されず、イランでは開発さえ進んでいる状況にあって、相手以上の兵力を持てば均衡による戦争防止になると言う幻がまだ通用するようなレベルの低い世界である。人間と言う種が、核兵器と言うものを手にして、地球を破滅させるような手段を持ってしまった。同時に、これを使えばどういう結末になるかと言う想像も、広島・長崎でつくようになった。使ったら世界はおしまいなのだ。それでも廃棄を拒むような下劣な種なのだ。今、この本の「核兵器」と言う文言を「地球温暖化」と言う言葉に置き換えても、十分に現代に通用する。我々が取り組まねば、産業が、GDPがと言う前にこの星に住めなくなるのだ。我々は今、ゆでガエル状態なのだ。残念ながら、資本主義の論理で動く限り、絶対に温暖化は止まらない。マラリアが日本に上陸するかも知れない。或いは南方に住む未知の害虫が北上して農作物に被害を与えるかも知れない。ある種を滅亡させることは、人間の滅亡を呼ぶ。古典でありながら強い説得力を持って現代に生きる本と言える。アインシュタインはたいしたものだ。
2008年06月09日
コメント(0)
この本の発行が1963年なので、科学者が軍縮にどうかかわるかの会議であるパグウォッシュ会議は1962年までの開催記録しかないが、1995年にノーベル平和賞を受賞している。発起人はアインシュタイン、湯川秀樹ら11人となっている。まだ原爆の記憶も新しい頃に、科学者によるこのような会議が持たれたことは素晴らしいが、物理学者ばかりではダメだと言う判断も素晴らしいと思う。およそ自然科学の好きな人は、それを人にどう知らせるか、人がそれについてどう考えるかについてはあまり興味がない。 だから、核兵器の開発を進言したのも、実際に作ったのも科学者が深くかかわっているのだが、それをいきなり実戦で使われると言うようなことは考えておらず、むしろ反対していたとある。今、核兵器よりも恐ろしいものは自然の抵抗ではないか。エネルギー、食糧危機と言うが、供給が十分でなくて需要があるものは投機の対象になる。資本主義は株主の総取りが基本的な考え方。だから、買い占めは儲けの大きな方法だし、売り惜しみもそうだ。しかしそれでは恐慌になってしまうから、「生かさず、殺さず」を続けている訳だ。しかし、この方法は「全体的な破滅」の可能性を含んでいる。格差もつく。貧困も生む。軍事費がなかったら、それを食糧に振り向けられる。人が生きて行くのに、自動車は不可欠のものではない。農業は不可欠だ。そして清潔な水と。農業の弱点は天候と病気だ。水害で何もとれない可能性もある。しかしやらねば待つのは餓死だ。軍事よりも農を大事にすべき。しかし、アメリカも日本も軍事費に手を染めた。常に不安と二人歩きだ。「相手よりも多く、強く」ではとどまるところをしらない。指数的に伸びる。誰だったか、国の予算のほとんどが福祉関係だ、防衛費などわずかなもの、と書いていたが、もともと国民の税金だ。還元すべきものなのだ。それを、「仮想敵国」のような妄想で「外国が責めてくる」と言う強迫観念が起こる。ちなみに、軍事費をのばすキーワードは国防だそうだ。50年近く前の話だが、基本的に日本は何も変わっていないし、アメリカも反省のない国だとつくづく感じた。
2008年06月08日
コメント(0)
全くこの度量のなさ!喧嘩するのは勝手だが、政治家の度量の低さを露呈した、まことに情けない事件だ。「笑ってる場合か!」と言われるようなことは何度もしてきた自民党。「責任政党」と言うのは、金持ちの生活保障に責任を持つ政党であって対象が庶民でないのは明らか。さらにアメリカ隷従の責任も感じているが、近ごろはヨーロッパの異見も無視できず・・・という、外圧頼みの政治をいつまで続けるつもりか。現代の流れに対応できなくなっている、庶民の声が聞けないのが自民党だ。道路も高規格で造り続けると言うが、田舎の道には田舎道の走り方がある。 すれ違えるところがいくつかあれば、対面交通くらい我慢できるのだ。高知県の田舎なぞ、トンネルの前にたまり場をつくってあって、それでお互い譲り合いながら走っているのだ。トンネルはもちろん1車線、どうかすると切り羽そのままだ。「地方に道路は必要」もちろん必要だが、どんなものがいるのかを履き違えていないか?予算を執行しているのだから、風当たりの強いのは当然。底をうまく説明(これもよくしていないのが実情)する責任を感じられなきゃ、やめて欲しい。自民党で良かった、と思っている支持者は2割に満たないのだよ。
2008年06月08日
コメント(0)
男子バレーボール、対アルゼンチンはなかなか白熱していた。日本が第一セットを落とした時にはやばいかな、と思っていたが第2.3セットを連取し、4セットを競り合っているところでひょいとパソコンを見たら「日本、オリンピックへ」とある。??と思ったが、今日のフジテレビの放送は生じゃなかったのだ。インターネットのストリーミングみたいなことをしていたのだ、と分かった途端、すうっと応援する意欲は冷めてしまった。何か、推理小説が最高潮に達したところで「この犯人は・・・」と明らかにされるような気分だった。誰が悪い訳でもないが、どうも納得がいかない。フジテレビのやり方はもともと好きではない(客寄せがうまく、やらせが多い、あるある的な番組の作り方) が、スポーツも時間差があるとは思わなかった。これなら見せたくないところはカットできる。意識を誘導するような番組の作り方。中国国営テレビと同じ匂いがする。
2008年06月07日
コメント(0)
岩波新書 青版 このところこればっかりを借りて読んでいる。そう言えば、先日のテレビで草思社の倒産が報じられていた中で、「売れ筋ランキング」に入らない本は売れる見込みがないのだそうだ。要するに「みんなが読んでるから」「読んでないと話題についていけない」これって、テレビのアニメや子供向け番組の是非が話題になる時と同じだ。日本人、かくもアイデンティティーを失ってしまったのだろうか。岩波書店も同じ運命にならないように、たまには有料で本を買わなきゃいけないかな?こういう、歯ごたえのある本を読まなきゃ、特に若い学生時代には必須だと思うのだが。このほんの著者は湯川秀樹、朝永振一郎、坂田昌一。冒頭にこう書いてある。全体的破滅を避けるという目標は他のあらゆる目標に優位せねばならぬ 1963年に第1刷が作られているが、今でも十分に通用すると言うか、平和と言うものの考え方が当時からほとんど進歩していない(戦争がおさまらない)事をひしひしと感じる。人間はバカだ。目次のあと、科学者京都会議声明の全文が載せられている。時は1962年5月9日。そして、ここに記名している人を見て驚いた。江上不二夫、大内兵衛、大仏次郎、茅誠司、川端康成、菊池正士、桑原武夫、坂田昌一、田島英三、田中慎二郎、谷川徹三、都留重人、朝永振一郎、南原繁、平塚らいてう、福島要一、三村剛昴、三宅泰雄、宮沢俊義、湯川秀樹、我妻栄もうほとんどが鬼籍にはいられた方々と思うが、(実に46年前だから無理もない)ノーベル賞受賞者が3人もいる。また、科学というと自然科学を思うものだが、人文科学者、社会科学者も含めた科学者の会議である。日本の頭脳が集まったような会議。ここに一人でも政界に進む人がいたら、その後の日本も変わっていただろうにと残念である。本論はこれからだ。まず読むこと。自然科学に偏らないことを期待している。
2008年06月07日
コメント(0)
朝日新聞の声欄に13年目の自動車税増税に対する異論が載っていた。この人は年間走行が6000kmくらいだと書いている。大事に乗るから長持ちするのだ、どうしてそんな節約家に罰金のような仕打ちをするのか。過去に公害企業もはじめは濃度規制であったから、とにかくうすめて出せば良かったのである。いわば、工場のボイラー燃焼と個人のたき火を同レベルで論じるような話だ。古い車は有害ガスの濃度は高いかも知れないが、量は知れたものだと。総量規制の考え方を取り入れるべきだ。私も、自動車を汚染源と見るならば総量規制にした方が理屈に合うと思う。すなわち、大排気量の車は高く、沢山走る車も。だが、これは燃料に税金をかければまあ目的は達せられよう。乗用車で2000ccを超える車はもっと重税にすべきだ。でももっと大きな汚染源はやはり軍用機だろう。いろんなブログを見て、政治や外交のところを読むと何か「外国は攻めてくるものだ」と言う「人を見たら泥棒と思え」的な強迫観念を持つ人が少なからずいる。ここが防衛論の入り口なのだが、世界のあり方としてそれは望ましい考え方ではないと思う。夕べ、久しぶりに「風の谷のナウシカ」を見た。何か、今の世界が行き着く先のような気もする。覇権主義、帝国主義が結局環境を壊して住めないところになってしまう。資源を掘り尽くし、使い尽くし、富の偏在を招き・・・それはあるべき姿ではとてもないように思う。今の中国が重なって見える。共産主義と本人はいうけれど、外から見れば帝国主義。チベットはその象徴ではないか。
2008年06月07日
コメント(0)
今年の入梅は2週間も早かったそうだ。昨日は朝晴れていて、昼間は大雨、夕方はまた晴れると言う目まぐるしい天気だった。この間鍬を持って麦わら帽子をかぶった人が行き来していると思ったら、もう水路に水がきている。農家の庭先では苗箱に水をまいているなと思っていたら、もう青い芽がのびて、明日、明後日は田植えのようだ。うちの周りは田圃ばかりなので、水がはいったら一斉にげこげこと蛙が鳴き始める。昨日までどこにいたのだろうかと思うほど。そして、もう一つは朝早くからの代かきや田植え機のエンジンの音。今は早起きなのでそう苦痛ではないが、若い時には朝寝坊が出来なかった。この時期、来週だが兵庫県合唱祭。田植えシーズンのためか、西部から参加する団体は非常に少ない。もう少し遅かったらみんなを誘っていけるんだが・・・今年は凶作だったら大変なことになりそうだ。
2008年06月06日
コメント(0)
どこから探してきたのか、とんでもない裏技があったものだ。タクシーの中で飲み物の接待、現金の贈与、タクシー代を払わない。「事実だとすれば・・・」と言う大臣の決まり文句。もう阿呆らしくなってくる。当然収賄罪が適用されるだろう。こんな連中が作った予算をよくもほいほいと通したものだ。しかも再議決と言う荒技。問責決議にはふさわしい材料だ。幹事長の言い分が奮っていた。「質問を出す期限は分かっているのに、遅くになってから質問状を出すからこんなことになるんだ」私は、こんな神経の持ち主が幹事長をやっているかと思うと、本当に政党政治がいいのかどうか、政党政治にふさわしいのか、疑問に思う。しかもしたり顔でこんな恥ずかしいセリフを吐くのだから。増税が云々と言うことになっても、ちょっとできるまい。こんなひどいのが財布の番人なのだから。役人を入れ替えるだけで相当のコストダウンが出来るんじゃないか。
2008年06月06日
コメント(0)
小麦の不作で小麦価格があがったら、米を求める人が増えて米も流通で不足しているとか。それを見越して、投機筋も動いているらしいし、飢饉の援助で輸入米を売ろうとしたら輸入元の承認がいるとか、なんとまあややこしいこと。どうせアメリカのことだろうが、売り渡したものにまでちょっかいを出すと言うのはどんなものか。それはさておき、食糧危機、エネルギー危機と言われるのなら、食料を移動しなくてもいい環境作りしかないだろう、と思う。毎年、世界のどこかで不作があれば、また豊作のところもあるはずだ。基本的に、自国で食べるものは自国で生産すること。この大原則を作らねばならないと思う。休耕田を解消し、作物を作ることに補助金を出すべきだ。植物を作っていたら、それはただで二酸化炭素を処理し、酸素を出してくれているのだから。「作るのをやめたら助成金」と言うのは絶対おかしい。 そうすればはるばる海を渡ってものを動かすエネルギーがいらなくなる。どうしてもとれなかったところに回す、共産的発想にして飢餓を回避しよう。それならば船の重油代も有効に使われると言うものだ。それから沿岸・沖合漁業の復活。ヨーロッパでも水産物の買い付けが出来なくなっている。ならば、サバ、イワシを食べようではないか。近場でとれる水産物で省エネ食事。冷凍に使うエネルギーも最小にしよう。冷凍ギョウザを中国にいつまでも依存するか?人類の食糧危機は地球の生産能力をみんなで分けあうしかない。自分だけが食べられれば、自分だけが儲かればいいではすまないのだ。飢餓はやがて労働力不足を呼び、資本主義の根幹が揺らぐ。人がいなければ何も生産できないのだから。人の能力、地球の能力に応じて働き、また必要に応じて分け合わなければ食糧問題は基本的に解決できない。
2008年06月05日
コメント(1)
6月から近畿地方でもタスポシステムが動き出した。購入資格として作る身分証明書みたいなものだが、これがないとタバコが自動販売機で買えない。対面販売を基本としているコンビニではカードの必要がないのでタバコの売り上げが伸び、もっぱら自販機に頼っていた個人商店は激減、と言う弱肉強食状態だ。これに関連していくつか事件も起きている。一つは親が作ったカードを子供に貸したもの。もう一つは販売機にカードをぶら下げているもの。いったいどこの誰がなんのために・・・と言うと、青少年の喫煙を促進している、と言うものだが、自販機だけに責任があるのかと言うと私は疑問に思う。私自身はタバコを吸わないので、どうでもいい訳だが、本気で国民の健康を考えるなら「これを吸うと体を壊す」くらいの表現で表示すべきだし、もっと価格を引き上げてもいいと思う。或いは、製造をやめることだってアリだろう。はやりの自己責任を取るなら、規制などやめてしまえばいい。未成年はダメ、とか言っても大学生は喫煙している。アルコールもだが、事実上野放しにしておきながら、急にこういうことをやってくれるので販売店としては迷惑している。タスポと言うものも、実効性はないと思っている。貸し借りしたらそれまでだ。それでもやったのは、やはり相当の利権が動いているからだろうと思う。どこのポケットにおさまったかは分からないが、いずれまたバレてくるだろう。・・・そっちの方が面白かったりして。
2008年06月05日
コメント(0)
練習の前に発声練習をするのは当たり前のことだが、だいたいにおいて発声練習は面白くないものだ。同じことを繰り返し繰り返してやっと少しずつ身に付いていくものだが、週に1度の練習ではほとんど気の遠くなるような時間になってしまう。そこで、アニーローリーを発声練習に取り入れているのだが、「一度これを全部ハミングでやって見よう」と言う人が現れた。試しにやって見ると、のどの締めつけはしないで、リラックスした上で高いところを出そうとしたら、腹筋を使わずには出来ないのだ。もちろん、「普通のおじさん、おばさん」が対象だから、熟練者はどうにでも出来るが。これはいい、と思って、「最高音は手でおなかを押さえて!」と声を掛けると「信じられない、出るじゃないの」 いつもFでひいひいいっている人が、Gを出すのだ。「感激!」と喜んだ。ところが歌に入るとたちまち戻ってしまう。やっぱり歌になると「聞かせなきゃ」と思ってしまうのだろうか。それとも余裕がなくなるのか。ボイトレもそうだが、行きつ戻りつでなかなか目に見える成果まで曲がった道のりだ。
2008年06月04日
コメント(0)
また「超党派」とやらでこんなくだらないことを始める動きがあるらしい。私たちが習った五十音の表にはところどころ抜けているところがある。ヤ行、ワ行にある字だが、いわゆる戦後ももう60年が過ぎている。「正しい日本語を覚えさせる」「乱れを無くする」何でもかんでも悪いことは学校の教師、と言う連中だろうが、中学校の時に国語の教師が、はひふへほを実際の発音に合わせたのは非常にいいことだ、と評論していた。この人自身は明治の生まれである。いふ、あひだ、あはず、のたぐいだ。 旧仮名は、高校で習う。古典を読むためだ。その時で十分ではないか。漱石や鴎外を読むために、などと理屈をつけているが、圧倒的多数を占めている衆議院で何でもかんでも可決できるんだぞ、と言う態度がこのところの自民党には丸見えだ。そして実際に筋の通りにくい法案が強行採決されている。道路予算しかり、暫定税しかり、しかし企業には甘く、法人税はさがったまま。庶民にきつく、金持ちに甘い今の配分こそ再討議すべきだ。漱石の作品、今のままで十分に面白い。復刻版を見たが、読みにくいだけ。本当は教育勅語の復活が目的なんじゃないか、と勘ぐりたくなる、まあなんとも前時代的なのだ。ええ加減にやめてくれ!
2008年06月03日
コメント(0)
全く、アメリカと言う国を見ていると、およそ自分の損得しか考えていないのだなあと改めて思うし、日本は外圧によらないと動けないのかなあとため息が出る。地球の温暖化による生活への悪影響を考えたら、「ともかく化石燃料をやめること」と言う結論しか出てこないと思うが、なかなかすんなりとはいかないようだ。食糧自給率のことは何度も書いたけれど、要するに生きて行くために、言い値で食糧を買わなけりゃならないことにするか、自前で作って適正な負担で行くか、と言う問題だ。石油の生産は日本はほとんどない。ほとんど全部が輸入だ。だから原油は言い値で買わなきゃ仕方ない。その結果が200円に届こうかと言うガソリンの価格だ。これが食糧の世界で起こりつつあるのだ。アメリカはもっと買えと言う。買ったら運ばなきゃならない。ここで石油が消費される。温暖化が進む。日本でつくったら、運ぶのに必要な石油は少なくてすむ。二酸化炭素が米に変わる。いいことじゃないか。言い値で買わなくていいのだし。しかし長年の減反政策で、田圃は傷んでいる。一度草ばやしになったところを農地にするには少なくとも5年かかるだろう。まともな田圃になるにはさらに時間が必要だ。でも、これをしなければ将来に禍根を残す。昨日のNHKでやっていたドイツと日本の対応の違いは、「いかにあるべきか」と言うビジョンを掲げられるかどうかの違いではないだろうか。ドイツは太陽光発電で脱炭素を進めたが、日本は目先の負担を嫌って先送りにした。もちろん、アメリカの顔色も窺ったことだろう。そして結果は排出枠の買い取りをせざるを得ず、これもふっかけられている。「これより安くは売らない」と言われたらそれまでなのだ。「それでも従わない」のがアメリカ。あるべき姿はどちらだろうか。太陽光か否かは別にして、「化石燃料を使わない」事を考えねば、地球がコケるのだ、と言う認識をきちんとしなければ話にならない。「自分の食いぶちは自分で用意する」が、あるべき姿だと思うが、減反した土地、宅地にするべく埋め立てた土地、そう簡単には戻らない。日本列島改造は農家を不動産屋に変えただけのことだった。しばらくは日本にはイバラの道が続くだろう。貿易収支の悪化は確実だと思う。
2008年06月02日
コメント(0)
いっぺん読んでみようと思っていたのだが、やっと読むことが出来た。第1巻だけだが。漫画に突っ込みを入れてもしようがないが、私もその道のエンジニアだから、出来ることと出来ないことぐらいは分かる。主人公は菌の姿が見えると言う設定なのだが、まああり得ないことにまじめにクレームをつけるのもおかしいのだが、描いてある菌の数が少なすぎる。作者は農学関係の人ではなく、少し知識のある人が入れ知恵しているとのことだが、微生物を透過型の電子顕微鏡で見ることはまずあり得ない。走査型ならありかも知れないが。微生物の細胞は多くは多糖で形成される。これが電子線を吸収することは考えにくい。何らかの造影剤を用いないと無理だ。でも、この漫画、農学部と言うところが衣食住に関する基本的な事柄を自然と共生しながら勉強していることだけは理解してもらえるんじゃないかと思う。一時、抗菌ブームになったことっがあるが、実は人間そんなにきれいなもんじゃないし、大腸菌もそれなりに働いている。皮膚にはたいがいダニもいる。近ごろアトピーが多いのは寄生虫がいなくなったからなどという人もある。菌をやっつけることばかりに一生懸命になるより、適当に汚い生活をして菌に負けない体作りをする方がいいと思う。微生物も、人間に役に立つものもあれば病原菌もいる。これらと仲良く付き合うのが、地球には一番いいと思う。 第1巻では 農学部と言う大ぐくりな中で、農芸化学は出てこないが、(今は生物生産とか生物資源とかいう学科らしい)畜産は別になっていた。ちょっと残念。ただ、この内容なら2冊目は買わないだろうな。
2008年06月01日
コメント(0)
初めて、と思うが一応身元URLを明らかにした右翼さんからのトラックバックを受けた。楽天以外のブログらしいので紹介の仕方がよく分からない。私のブログからは「前の」で戻って見て下さい。「敵は攻めてくる」「同盟国以外はすべて敵」という強迫観念みたいなものを感じた。だから日本がクラスタ爆弾の全廃を決めたのは戦争を引き起こすことになる、がその論旨と読んだ。過去、我が国でも、それ以外でもあまたの殺し合いが続いてきた。それは自国の勢力を拡げ、それで誰が得をするかと言うと、為政者である。或いはその背後にいる誰か。植民地と呼び、そこから沢山の富を巻き上げてきた。それは国民一般の恩恵にあずかるところではなかった。一時的に成金も生んだが結局財閥に集約された。 巻き上げられる方はたまったものではない。植民地化は貧困を呼び、結局独立運動へと発展し、今や植民地と言う言葉も、実質は別にして死語となりつつある。チベットの騒乱も中国が報道規制をかけているからだろうが、詳細は分からない。けれども、帝国主義的な侵略であったと言う側面はどうも否定できそうにない。インターネットによる1次情報はどうもそれらしい説得力があるからだ。その中国を仮想敵国とみなす心情も理解できるけれど、それではいつまでたっても同じ歴史の繰り返しだ。軍備があれば平和が保てるかと言う命題は、歴史が何度も否定している。軍備によらない方法をそれこそ革命的に考え出さねばならないと思う。それは、現状の肯定からは始まらないと思う。戦争は自然に始まるのではなく、人間が始めるのだから。
2008年06月01日
コメント(0)
全49件 (49件中 1-49件目)
1


![]()