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恒例のバッカスフェスタである。年に一度の、酒を飲みながらのコンサート。今年は7団体、100人が参加した。昨年の200人からすると半減だが、1週間後に大きな行事があるので、取りやめた団体が少なくとも2団体。しかし、この行事だけは参加したいというのが正直なところだ。なんてったって、一番リラックスして、友達の輪を拡げ、近隣の町の合唱団との交流が出来るのだ。合唱祭ほどしゃちほこ張らないし、普段練習でしか関係を持たない人との雑談も楽しい。相生市は港町の所為か、未知の人たちとの交流が非常に上手い気がする。そして、「はい、歌う人!!」で飛び入り歓迎。ただし、定番曲でないと難しいが。今日は自分のステージの他に2つ飛び入りさせてもらった。筑波山麓合唱団とか、いざ立て戦人、斎太郎節など。「おーい、maetos、こんかいや」と指名がかかるほど有名なようである。男声合唱の良さというか、レパートリーの少なさというか。また来年も、と再会を誓い、散会したときにはは3時間も経っていた。
2008年08月31日
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夕べからのフジテレビ主催、24時間テレビの協賛で例年のバザーである。息子の通う通所施設で、出し物があるんだそうだ。しかし例年、この行事には若干の疑問を持つ。こんなキャンペーンなんかしてくれなくていいから福祉に予算を回して欲しいと。このキャンペーンでどれほどの効果があるのか知らないけれど、経費対効果を考えたらただの売名行為じゃないのかと勘ぐってしまう。タレントは無償?電気代も?そんなに甘いとは思えない。本気で考えるのなら、「空前の利益」を寄付すればすむ事、或いは法人税を戻し、物品税を復活させ、と金持ちに風当たりの強い事をやるのが筋では?と思ってしまう。共同募金も、どこも貧しい時代にはせめてもの助け合いを、と思っていたが、ベンツに代表される高級車の売り上げが鈍化していない、などと聞くと、「あるところから持ってこい」と思う。共同募金は福祉制度の不備の象徴ではないかと。しなくてもすむ世の中の方があるべき姿だろう。戦後ずっと続くのは行政の怠慢といえないか。保守的産業業界の旗手のようなフジテレビがこういう事をやるとどうも素直に受け入れられない。私の性格がねじ曲がっている事はもちろん否定しないが。
2008年08月31日
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大阪府知事が「このざまは何だ」と教育委員会をぼろくそに言ったらしい。学力テストの都道府県別で下位を大阪が2年続けてとったからだ。教育委員会が悪いか、行政が悪いかは知らないが、ともかく勉強好きの子供が減っているのでは?と危惧する。現場の先生たち、忙しすぎるという声もある。子供たちとかかわる時間がない、報告書ばかり書かされて教材研究が出来ない。教師をやった事がないので本当のところは分からないが、私の弟も教師をしている。「教師も風当たりが強うなったな」「夏休みに休んだら、自宅での研修報告かかなあかんのや。それより学校に行って本読んでる方が簡単」「ええかげんなもんやな」実際、私たちが子供のころは「先生がおっしゃるんだから」ですんでいた。グランドピアノを買おうと、廃品回収を何度もしたり、鶴の一声みたいなところもあった。私が大学に進学する頃には「教師の製造現場」も見るわけで教育学部の学生に話を聞くと「それってどうよ」的な感想もある。教育学部の偏差値も高くはなかった。教育学部の大学院も少なかった。 農学部には既に大学院があった。だから、教師よりも高い学歴を持つ親だっていくらでもいたのだ。また、ちょっと教職の科目をとれば教員免許は比較的簡単に取れたものだ。教師に対する尊敬の思いはだんだん崩壊してモンスターペアレントなどという言葉が現れる始末。このあたりからして間違えているんじゃないかと思う。古い話だが、「私作る人、あなた食べる人」などというCMが議論を醸した事がある。分業が当たり前、と言う考えが悪い方に行き、「勉強は家でさせますから学校ではしつけをして」などというバカ親が出てきたのもこの頃ではないか。二分法は分類するには勝手がいいが、子供の教育は大人すべてが責任を負うべきものだ。教師と親が手を取って、と言う姿が取り戻せないものだろうか。知事1人が腹を立てたってどうなるものでもない。改めるべきは文科省の丸投げ体質ではなかろうか。文科省、この結果を見て大阪の教師の尻を叩くのが仕事か?その経費、いくら?
2008年08月30日
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なんじゃいな、と言いたくなるような民主党の姫井さんの行動だ。なんで自民に利するような事をするかなあ?離党した4人はもともと自民党としても恥ずかしくない?行状だったからまあ分かるのだが、政党交付金の対象になるように尻の軽そうなのに?声を掛けたのだろうか。「新党は自民党の受け皿だった」ということで撤回したらしいが、ド素人の私でも分かる。自民党は民主党の切り崩しに必死なはず。今、自民党にとって良い材料は一つもない。秘書宅を後援会の事務所に使い、ほとんど実体がないとされる事件に「何の問題もない」と考えている事自体が大問題だという事に誰も気がつかないようである。KYなる言葉、生産現場では古くから「危険予知活動」として親しまれている。そして、生産現場と切っても切れない(本当は切りたいのだが)労働災害。1件の重大事故の陰には30件の軽微な災害があり、300件のヒヤリがある、と言われる。政治資金もほぼ同じだと思う。1件バレたら、30件はかなり外れた事をしており、その10倍は怪しい事をしているといっても否定は出来ないんじゃないか。今回も勘定科目の間違いだ、などとやっているが、そんな頼りないヤツに国民の食糧管理が出来るのだろうか、と疑う。姫井さん、不倫事件も報道されたが、かなり浮いた存在になっているのでは?と思う。 マスコミも地下では自民党とつながっているだろうから、格好の餌食だ。次回の選挙で虎に食われないよう、自重されん事を。そして、議員はみな同じだが、バックにファンがいるから歳費がもらえるのだよ。ファンを裏切ったら破滅です。
2008年08月29日
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電動歯ブラシを使っていて、少し電池が弱ってくると、てきめんに力がなくなってくる。音からして弱々しい。ところが、乾電池というもの、見ただけでは弱っているのかどうか、判断できない。入れてみて動くかどうか?が一番手っ取り早いが、面倒でもある。乾電池は、電圧を測っても使えるかどうかの判断はしづらい。電圧はだらだらと少しずつ下がっていく。1.5Vと言う事になっているが、1.2Vくらいまではものによっては使える。これに対して、充電池(二次電池)は、絶壁型の電圧降下が起きる。携帯電話なんか、あれよあれよというまに使えなくなる。で、電池のおいてある引き出しには判定のつかないものがゴロゴロと邪魔になっている。その判定法。テスターがあれば、針の振れる勢いで判定していたが、近ごろはなかなか使わなくなって、勢いも忘れてしまった。で、まずは適当に2個を選び、歯ブラシに使ってみるのだが、これがどうやら動くのだけれども、1週間もすると歯に押し付けたら止まってしまう。余計に腹が立つ。で、電圧を測って電流計も見てみるという面倒くさい方法でダメなものを捨てていたら結局新品しか残らなかった。知らない内にゴミ箱になっていたわけだ。新品2本を使ったら、もう音からしてご立派!きっちり動くようになった。使用済みはきっちり捨てないと。一次電池の便利なのは、使わなければいつまでも使える事だ。資源や環境の問題はあるが、 とにかくお手軽。二次電池は繰り返し使えるが使わなくても自然放電する。適当に使い分ければ便利だ。
2008年08月29日
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今朝の朝日新聞。今年かえったコウノトリが、兵庫県から長崎県まで飛んでいったという。野生に返す、と言う事業だが、順調に行っているようだ。はじめはなかなか住み慣れたケージから離れなかったというが、世代が進めばこういう風になるんだなあと感心した。昔はどこにでもいたというから、エサだけ確保できればどうにかなるのだろう。兵庫県の県鳥、特別天然記念物。一番厳しい時はほんの数羽で、確か純潔のニホンコウノトリは絶えたはずだ。中国からの血を入れて、今のように元気になったと記憶している。こういう話題ばかりなら楽しいが、国境を越えてくる渡り鳥がインフルエンザを持ち込んでくるのも事実だ。もう少し寒くなると、変異したワクチンの効かないウィルスがはびこらないとも限らない。対策は基礎体力をつけておく事だ。鳥インフルエンザがヒトにも感染する。目に見えないのが何より怖い。
2008年08月28日
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自転車通勤のとき、迷うのが雨対策。家をでるときの雨の強さで自転車か車かの選択。これはまあ簡単だ。駅を降りてからの自転車か、徒歩か?これは結構迷う。もともと瀬戸内と言うのは雨が少なく、岡山などは「晴れの国」などと豪語している。しょぼしょぼと降る雨が多いのだ。こんなとき、蒸し暑い雨具は敬遠したいが、ずぶぬれで会社に着くのも具合が悪い。傘さし自転車は危険。徒歩通勤者が多いから、顰蹙を買うことは必至だ。そこで目安にしているのが水溜りの雨紋?とでもいうのだろうか、雨でできる波だ。なければ強行突破、あれば再考。そしてこんなとき、変速つきのママチャリは実にありがたい。ペダルは重くなるが、ママチャリの姿勢では、腿の筋肉が疲れてくる。回転数を増やすとばててしまうのだ。実際、クロスバイクだとハンドルはフロントのシャフトよりも5cmばかり前に飛び出しているが、これが重心を前に持ってきて、脚の筋肉の大部分を使い、非常に楽にこげる。ところがママチャリでは前傾姿勢が取れないのでどうしても腿の筋肉だけで動かすしかない。今日も強行突破で間に合った。雨具とはまあ、うっとうしい物である。内も外もぬれてしまうのだから。
2008年08月28日
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電子顕微鏡が故障したので仕事が出来ない。仕事はたまっていく。明日修理にきてくれるらしいが、半日で終わるだろうか?まあ、給料が出ないわけではないのでひたすら待つしかないのだが、こんな時に他の試験が少ないので、少々身を持て余している。東日本からの影響か、雨が降ったりやんだりの鬱陶しい天気。夜になってまた雨が降ってきた。明日も似たようなものらしい。
2008年08月27日
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講談社新書。どんなものかと図書館から借りてみたが、どっこい通勤電車で読むような内容のものではなかった。平成教育委員会あたりで取り上げそうな問題が目白押し。概念的には分かるが、基本的にこの本は机の前で、鉛筆と紙を持ちながら読んだ方が良い。20分ほどの電車では、取り組んでウォームアップがすんだ頃に到着という感じである。そこで読むのをやめるから、どこまで読んだかを忘れてしまう。何度か読んだら覚えそうなものだが、これがまた覚えられないという不思議。本にも向き不向きがあるようだ。答えが分からないので余計面白くなく、ただ自分の頭の硬さを自覚するのみ。こういう本は体に悪い。
2008年08月27日
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夏になると必ずおきるドライアイス事故である。ドライアイスは昇華する時に多くの熱を奪うが、熱容量自体はそんなに大きなものではない。例えば、水に放り込んだら、もくもくと煙は出すが、水は凍らない。「低温が作れる」ことと、「アイスクリームを作る」事は、何の関係もないのだ。こんな事件である理科が嫌いだった人、物理や化学を高校で勉強しなかった人はアイスクリームは買って食べましょう。元記事はこれかと思います。ドライアイスに衝撃を与える事は昇華(気化)促進になります。付け焼き刃の知識や噂でこういう事をするのはやめましょう。まさに生兵法はケガのもと です。
2008年08月26日
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今日の朝日新聞。北海道やら鳥取、島根県などでJRの支援というか、自治体が車両を購入してリースしたり、JRに購入資金を貸し付けて新型車両を買わせたりして、山陰線で1時間近くも時間が短縮できたらお客が戻ってきたという記事があった。スーパーおきとか、快速列車になっているそうだ。振り子車にして、線路も改修すれば高速化できるそうだ。ローカル線というと、採算が悪いから古い車両が回される、故障も多い、スピードも出ない、回数も少ない、不便だから自動車に頼る、みんなが乗るから渋滞がおきる・・・地方の構図はだいたいこれだ。私の町にもJRの駅は2つある。片方は山陽本線、もう一つは姫新線。姫新線は姫路から岡山の新見に達する単線だ。高校の頃、まだC11の引く列車で通った。山陽線は115系湘南色。片や所要30分、片や17分である。自転車で駅まで近かったので姫新線を利用したが、1時間に1本ではなんとも不便だった。山陽線はほぼ20分に1本走っていたから、少し遠くてもそっちの方が便利だったはずである。非力なC11は、坂にかかるとものすごく速度が落ち、それこそ走ってでも追いつけそうな具合だった。ディーゼルに変わる過渡期で、ディーゼルだと煙がマシなので出来るだけディーゼルの便を選んだものだ。が、それは1時間の待ち合わせも意味する。当時は津山行きとか新見行きのロングランもあったが、今はない。小刻みに、不便につないでいる。多分、終点の新見まで行くには4~5回の乗り換えが必要だろう。 そんな姫新線が、高速化するという。鉄道に詳しい息子に聞いてみると、この山陰線の「快速型」を入れるらしい。いつの事になるのか分からないが、高速化して仮に10分早くなれば、今利用している山陽本線から乗り換えても良い。何よりすいている。利用者が少ないからだ。 まあ、そう考える人が多くて、ひょっとしたら満員になるかも知れないが。新聞にも書いていたが、儲からないから、不便でいいというのは考え直すべきだ。これからはなお軽油も思うように使えなくなるかも知れない。沿線の佐用町はひまわりの名所。サンフラワーからとったディーゼル燃料で走るというような事も考えれば僻地も楽しくなる。ガソリンを使う自動車の利用と渡り合えたら、春はナタネ、夏はひまわり、と言う風に油の原料がそこら中に作られているのも夢がある。岐阜大学だったか、芝1gから0.15gのエタノールを生産する技術を持ったそうだ。こんなに高効率で出来るなら、そこら中の雑草がみんな資源に変わる。
2008年08月26日
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帰宅すると「今日はサンマやで」活きの良いのが入ったらしい。先日はサンマ漁のストライキも行われ、漁業関係者の経営は厳しいが、やっぱり美味いものは美味い。魚屋でのおすすめだったそうだ。その勢いか何か、ご飯もサンマのどんぶり。こちらは蒲焼きの缶詰めを使ったそうだが、味の薄い牛めし風。ピーマンの佃煮も懐かしく出てきた。知り合いのおばさんがたくさんのピーマンをくれたんだそうな。 急速に秋が近づいてくる。朝は目が覚めるほど寒い!夕べは毛布を引っ張り出したが、もう布団でもよさそうだ。 セミもツクツクボウシからヒグラシへと変わっている。夏も、夏休みも終わりだ。腹がくちくなってくると、眠気に襲われる。うとうととつい・・・至福の時というべきか。
2008年08月25日
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080824-00000021-mai-soci秋田県での事件だが、こんな記事を読むと二重に悲しくなってしまう。一つは玉石混交のインターネットの情報を真実と捉えている事、もう一つは科学に基づかない教育という教師の体質かと思わせられるような非科学へのかかわりだ。インターネットには、思い込み、勘違い、うそ、と言うような影の情報も存在する事を常に意識しなければならない。 ユーザーはそれを取捨選択する能力を持たねばならない。それの基礎になるのは科学だ。理屈の通らない事は捨てなければならない。占いなどという科学の対極にあるものになぜ走るのか、全く理解に苦しむし、自分の仕事をどう考えているのかと疑ってしまう。自閉症に限らず、障害児の親は大変だ。非常識の中で生きているようなもの。それでも、少しずつでも勉強し、情報を交換し、成長していく。それに対して、専門的な教育を受けているはずの教師がこのような事をしたら、もはや信頼できない。就学指導でえらそうに言った教育委員会が、なんというざまか、と「勉強しろ!」と怒鳴りたくなる。親に個人情報の漏えいを謝ったらしいが、そんなことではすまない問題をこのニュースは持っている。 「分かっちゃいない専門家」は実に始末が悪い。ま、教師の世界に限らないが。政治家、役人、同じ穴のムジナと言われないように。 それから、ブログの中にはこの教師の行動を「よかれと思ってやった事だからいいじゃない」と支持するものが見受けられる事が気にかかる。これはやっちゃいけない事なんだ、と言う事を啓蒙しなきゃいけないのかなあと、ため息も混じる。理屈の通らない事をやっちゃいけないんだ、と。
2008年08月24日
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今日はもう夏休みの最後の1週間になる日だ。また通勤ラッシュが戻ってくるかと思うと鬱陶しくもある。まあ、ラッシュといっても田舎の事、首都圏のそれとは似ても似つかぬものだ。このところの新聞記事ももっぱらオリンピック。情け容赦の無い罵声にも似た文言が羅列。勝者を讃えるのは抵抗はないが、敗者にこんな書き方しなくても・・・と思うのは私だけだろうか。星野Jとか、反町Jとか、まるで「日本がメダルを取って当たり前」みたいな暗黙のうぬぼれみたいなものを感じてしまうのだ。代表を務めるものはたまったものではない。もちろんそれなりの報酬は取っているのだろうが、まさかのバドミントンやフェンシングみたいな事もあるのだ。日本が負ける側に回ったって何の不思議もない。「参加する事に意義がある」はもう死語となり、「国の威信をかけて」と言うナショナリズムに重心が偏っているように思う。勝ち負けが如実にでるスポーツの世界、危険な匂いも同時に感じてしまう。そしてオリンピックの間、休戦状態のような国民生活の問題。電気代のサーチャージも現実になっている。今日は自治会の打ち合わせがあり、公用の電気代に驚いた。2カ月毎の徴収で、驚くような数字が出ている。オリンピック後、政局はどう動くか。動きの鈍い行政だ。
2008年08月24日
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中公新書、松谷明彦・藤正巖共著。少子化問題はそんなに困った事か?今までの経済観念では規模の拡大が成長の証だったが、永遠に売り上げが拡大する事はない。どこかでマイナス因子が働き、ブレーキがかかる。それは環境であったり、食糧であったりする。そりゃあそうだ。産油国は今、ものすごい資産が流入している。しかし、枯渇したらそれまでだ。同じように、食糧もなければ人口は増えない。教育コストも高くなれば子供を産まなくなる。筆者は、景気持ち直しには個人の消費が進まないとダメ、と力説している。しかし、将来の不安感で貯蓄にまわってしまっている、と指摘。そりゃ誰だって、収入が増えなければ使えないし、増える見込みがなければ余計に節約してためようとする。企業も同じ。今は企業も投資が出来ないで、貯蓄にまわっているそうだ。これではお金が動かない。こんなにぱらぱらと書いていたら意味が通じないが、人口の減少は、今までの論理の企業活動からは望ましくない事だけれども、これは拡大一途の矛盾の結果だそうだ。そんなに悲観する事ではない。しかし、富の偏在は大きくなる。だから再分配が必要だ。今までの考え方から変えること、これが一番重要みたいだ。確実に増えるのは余暇だそうである。
2008年08月23日
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会社が引けると同時に電車に飛び乗って大阪へ。いずみホールでの東京混声合唱団定期演奏会である。日本の叙情歌という事で、昔から何度もレコードで聴いた曲が並んでいる。800人クラスのホールかと思うが、満席だった。ただ、椅子が若干しょぼい。さすがというか、プロの演奏だ。バスのパートソロで、他はハミングという場面があったが、ハミングが歌詞に聞こえてくる。すごい合唱団だ。これが声を混ぜる事なんだな、と改めて思い知らされる。プロ集団といってしまえばそれまでなのだが、爪の垢でも欲しいものだ。響きも音程も安定していて、もう食べちゃいたい!ような感動。うちのメンバーにも聞いて欲しいけれど、大阪までは厳しい。家に帰ったら11時をまわっていた。明日の仕事に差し支えないようにしないと・・・ようけたまってるやろな。風呂はいって寝よ!
2008年08月22日
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老化はまず視力と歯に出てくるというが、このとこと食事をおいしくするのにも老眼鏡がいるようになってきた。まず自分の箸を探す事。家族のが箸立てにみんな放り込んであって、しかも息子たちのとそっくりだ。よくよく見なければ間違えてしまうし、おかずとご飯の差は分かるが、やはりきれいに見えた方が美味い。老眼になってから遠視があった事が分かり、近くも遠くも見にくい。娘が眼科勤務で、見事なまでに冷酷な?説明もしてくれる。ちなみに、老眼とは言わず老視というんだそうだ。右上の小臼歯が何か変なので、歯医者に見てもらったら少し欠けているという。盆明けにきちんと見ましょう、と言う事で昨日行ったら、クラウンをかぶせるべく突っつき回している内にとれてしまったという。 幸い、口を開けてもそうは目立たないのでこのままかぶせるようにしましょうという事になった。根っこはまだしっかりしているが、虫歯でボロボロになっていたそうだ。情けないものだ。まあ、既に子も生まれて、一人前に育っているから、 生物としての私や女房はいつ片づいても不思議はないわけだ。ところが人間は予測というものをするから、死後どうなるかなどと余計な事も考える。なるようにしかならないし、おそらく寝るようなもんじゃないかと思うのだが、「死んだらそれまでやん」と父に言って、えらく叱られた事がある。本人はぽっくりといってしまったが、やっぱりそれまでだった。余生とはこのような状態を言うのかも知れない。でも、仕事はしなきゃいけないし、障害児の生きる道筋もつけてやりたい。 コーラスも続けたいし、もっと美味くもなりたい。たいたい尽くしの余生は最高?しかし生きるためには目も歯も健康である事が何より大事だ。何より、母親よりも先に逝くわけにはいかない。
2008年08月21日
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講談社文庫。理科系の文書というのは、パターンが決まっているそうだ。役所に出す申請書のように、5W1Hを徹底し、理屈が通っていれば簡潔で非常に読みやすい。が、読むにはそこそこの予備知識を必要とする。まことにその通り。レポートだろうが論文だろうが、自分の主張「ここがキモ」を 入れないと、文書ではないように取り扱われてしまう。「お前は何が言いたいんだ?」何度言われた事か。ところが、文系の連中にはこういうところは何か、読みづらくて、理屈っぽい、果ては「暗い性格」などと揶揄される事さえある。企画書なんかはこういう書き方をしないと通らないだろう。また、誤解を絶対にさせない文章である事。自分の主張なのだから誤解されたら文章の意味がない。「文章は一次元」この言葉はちょっと気に入った。が、今日の日記は理科系の文章とは言えないな。
2008年08月20日
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下着の、汗のたまり場は黄色く変色している。まことに汚い。別に人に見せるものではないが、洗濯でもきれいにはとれず、だんだん蓄積してくる。自分で汚いなあと思う。老化の印のようだ。一昔前、「亭主のパンツを洗う時は箸で扱う」 と言うのが流行ったが、さもありなん、自分のだから洗うが、「え~っ こんなに汚い?」くらいなものだろう。うちの場合は女房が年上なので自分の経験で「おう、うちのダンツクもこの年になったか」てなもんだが、仮に10才も亭主の方が上だったら、「なにこの汚いの、アルツハイマーにでもなった?」と思われてもしかたあるまい。かみさんは若いからわからないのだ。さて、洗濯場で漂白剤を見つけたが、いくらも残っていない。それでも汚れているところに振りかけておいた。次の日に女房が洗濯してくれるはずだ。果たして翌日、風呂上がりに探したら、見事にきれいになっている。そこで気を良くし、やや大きいのを買ってきた。酸素系は、他に影響しにくいらしいがやや漂白力は弱く、塩素系の方が強力だそうだ。ただ、塩素と聞くと、どうしてもあの黄色い塩素ガスを連想してしまい、私は気味が悪い。 まだ酸素系の過酸化水素の方がましである。しかし考えてみれば、生地が白だから目立つので、例えば黒だったら分からないかも知れない。女房は色が付いているから自分のは気にならなかったそうだ。着実に年を取っている。 今日はうっかり会社のロッカーに携帯を忘れた。今日の試験結果について話をしていたら、見事にポケットに入れるのを忘れていた。気がついた時には駅。あきらめた。
2008年08月19日
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漁業のストがあるたびに思うのだが、どうして原価に利益を付けて売価が決まるんじゃなくて先に売価が決まるのだろう?ダイエーが絶好調の時、中内氏は「バイイングパワー」なる言葉を提唱し、買うものが値段を決める、と言う強引な手法をとった。おかげでメーカーは軒並み迷惑した。その時に傘下に収めたメーカーに安く作らせてプライベートブランドやストアブランドなどとし、プライスリーダーになろうとしたが、結局は消えてしまった。多分、だけれども、メーカーにはメーカーのノウハウがあり、小売りのノウハウではカバーできなかったのだろう。品質規格も難しかったのでは、と思う。しかし、またこの物価高でプライベートブランドが売れているという声も聞く。しかし、私はメーカーの分からない気味悪さを感じる。牛乳も買い取り価格をエサの値上がりが上回り、廃業が相次いでいるとか。これでは日本は食糧植民地ではないか。牛が川原にいた頃は雑草なんか片っ端から食べていたから、エサの輸入なんて考えなかっただろう。今、刈り取りにガソリンを使い、それでも経費がなくてほったらかし。牛の1頭で雑草はなくなるんじゃないかと思うのだが。でも、売価が生産価格と無関係に決まるシステムについては一度聞いてみたい。
2008年08月18日
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サンデー毎日が図書館にある。総選挙が行われたらどうなるか、の予想で、「自民惨敗、民主躍進、としている。私も今ならそうだろうな、と思う。ぺらぺらとめくっていると、「中高一貫校の偏差値」何の事かと思ったら、小学校の成績らしい。で、なにかにとコメントをつけているのが能開とやらいう塾の先生らしい。要は、能開と言う塾の全国チェーンがあって、そこの試験の受験者が統計のサンプルらしい。で、自分の偏差値ならどこに行けるか、くらいの資料である。偏差値という言葉を初めて聞いたのは旺文社模試だったから、まあそれが小学校までおりているという事だ。さすがに灘中学なんかはかなり高い。私の母校は・・・と見ると、偏差値50だった。要するに中の中なら入れて、そこそこの大学に進学しているという「お買い得」らしい。 ただ、受験対策だけが学校かというと、そうではなかろう。仲間といたずらもし、先生に叱られ、揉まれながら大きくなっていくわけだ。偏差値による切り分けみたいなものがどれだけ意味があるか、はなはだ疑問だ。近隣の最高進学校の生徒の通学態度の悪さは私も知っているし、ひいき目もあるかも知れないが遥か下の後輩たちの方が好ましく思う事もある。 まあ、商売の看板として、有名大学への進学数は大事だろうが、現代の大学生が幼児性を抱えているのもまた事実である。あれもこれもと望むのは無理なご時世かも知れないが、私の母校ではその昔、父の日に参観日を設け、生徒を帰したあと、何と屋上でビヤガーデンをやったそうだ。父親たちがみんなで一杯やったわけだ。今だったらぼろくそに書かれるだろうが、このくらいの事を企画する校長がいても良いように思う。そういえば私もクリスマスの慰問の打ち合わせでワインを頂いた事がある。高校生によくもまあ、とも思うが、おおらかな時代でもあったのだろう。
2008年08月17日
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今日でお盆の連休は終わり。女房、娘はサービス業のためほとんど休みなく、自閉君のお相手はもっぱら私だった。図書館に行くと、どっかと新聞の前にあぐらをかき、5紙すべてを見る。もちろん内容なんか分かるわけがなく、ひたすらめくるのだ。ここで困るのは、女性向けファッション雑誌と独り言。「提供は××でした」をはじめ、ぶつぶつ言っている。女性誌もまあ成人向けはおいていないから有る意味安心できるのだが、これとて異様である。親としてはまだ鉄道か何かに執着してもらう方がマシかなと思う事もあるが、北海道のなに半島の・・・に連れて行けなどと言われてもたまらない。 ところで、最近気になるのはあまり手のかからない通所者を退所させる動きがある事だ。まだ噂に過ぎないが、切り捨て得意の政府の事、油断は出来ない。自立法案などと聞こえは良いが、よく見れば切り捨てだったというのは枚挙にいとまがない。しかし、それにも備え、作業所の事業なども考えていかねばならないところだ。
2008年08月17日
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こういうもんだそうだhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%B3%E3%82%AA%E3%83%95%E3%82%A7発酵食品というのはとんでもないものがあるもので、私もこれは見たことがないが、くさやの数倍臭いといえよう。くさやは魚を漬け込んで乾燥するが、硬骨魚だからもともと体液の中にはアンモニアは少ない。ところがエイは軟骨魚で、まあ原始的といえる。代謝で出来たアンモニアを体液に溶かして浸透圧を調整し、海中で生きているのだ。だから、これを発酵させたら蛋白の分解によるアンモニア、或いはアミンと の相乗効果でとんでもなくアンモニア臭いものになるだろう、と想像する。くさやだって肥だめの匂いといい勝負だと思うが、とにかく発酵食品というのはとんでもないものがある。悪臭はだいたいアンモニアだが、蛋白は必ず窒素を含有しているから、どうしても出るのだ。じゃあ酒はなぜ臭くない?一つは徹底的に蛋白を除く事。糠をどんどんとっていって、歩留まりが50%(要するに元の米から収量半分の搗き上がった米という事だ)も珍しくない。はじめは黄色っぽいが、(赤糠)デンプンが増えてくると白くなる(白糠)。また、動物材料よりは植物の方が少しアンモニアの生成は少なめなように思う。もちろん、発酵する微生物が何かによって変わってくる。同じ大豆に微生物をはやしても、バシラス類(納豆など)とアスペルギルス(醤油・みそなど)では匂いは異なる。このあたりが発酵の醍醐味といえるかも知れない。多くは水分や温度の管理で、はやしたい微生物が好む環境を作る。 とんでもないような食べ物でも、結構死なないものだが、これはもう蓼食う虫も・・・の領域だろう。一度見てみたい気はする。食べるかどうかはその時次第だろうなあ。おかげさまでアクセス90000を超えました。 またもIPしか特定できない方でした。ご愛読ありがとうございます。
2008年08月16日
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自閉君は買い物が好きである。今日はドラッグストア。彼の興味あるものは、テレビのCM放映時間に比例している。だから、薬局はもう興味のかたまりだ。以前は胃腸薬だの、スタミナドリンクだのを買わされ、その高額ぶりに参っていたが、今は無くなり、買うものはお菓子とかに移った。買うものをカゴに入れる事も覚えたので、手ぶらでいる時はまあ放っておいてもいいが、カゴを手にしたらレジで待ちかまえなければならない。ちょっと出遅れると、店長との話になってしまう。「万引き」だ。レジは通すのだが、金を払わずに出てしまう。このごろやっと分かってもらってきたのだが、今でも要注意!さて、先日のコンビニでは成人向け雑誌で気をもんだが、今日は女性用の化粧品である。毛むくじゃらの若いのが、ファンデーションだの口紅だのマスカラだの色々並んでいるところを徘徊しているのだから これも結構変質者である。(まあ、変質には違いないが)そして液体洗剤。必ずパッケージをひっくり返してみる。何がいいのか分からないが、これも結構変。自閉君のお供には気をつかう。
2008年08月16日
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終戦記念日に靖国に参拝する人は多かろう。私の親族には戦死した人がいないので、あまり自分の問題として捉えられないのだが、天皇のための国内外の 戦争でなくなった人を祀る、と言う大前提があるようだ。戦犯の合祀についても、これは当時の宮司の判断もあったのだろうが、天皇のために死んだ、と言うの も事実だろうが、この人たちの行動がなければ多くの若者が死ななくてすんだ、と言うのもまた真実だろう。「英霊」と言う名の戦死者の美化の 元に、若者を戦場に送ったわけだ。「お国のために死んでこい」「命を捧げます」と言う教育で育ち、「死んだら靖国に帰る」「ここに来れば息子に会える」と も教育されたわけだ。いかに占領軍といえど、その元凶たる靖国を潰したら暴動が起きる、と判断したのだろう。まさに国策神社は、宗教法人として再出発した のだ。しかし、ここには宗教なのか?と言う疑問が素朴に残る。戦死者だけを特別に入信させるような宗教があるだろうか? 自分の内なるもののよりどころを求めて入信する、と言うのが本来的な姿と思うが、ここからして疑問。私はお寺のつきあいとして、一応浄土真宗の末席を汚し ているが、親鸞の教えに共感するところも、反発するところもある。が、まあ時代背景も違う事だし、と考えている。「英霊」というのも私は人 は死んだらそこで無に帰する、と考えているから戦死者の遺族に対する美辞麗句と考えている。靖国の遊就館の資料を見ると、若者たちの遺書が展示されてい る。しかし、これが本人たちの生の言葉だろうか、と言う疑問を禁じえない。検閲を受けた事は想像に難くなく、 「演出された」ものである可能性もあるという事だ。お国のために死んだ、と言う考え方、国に殺された、と言う考え方のどちらに立つかで靖国の評価は真っ二つに割れる。「死んでなお家に帰さない」「ここに生きている」これも考え方だが、当時の国家の性格から考えて、遺族を納得させやすいのは後者だろう。どちらにしても、「もう戦争はしない」 とすべきだと思うが、靖国には、その香りがうすい。これからも戦争を知らない世代が増え続ける。日本遺族会はどう動くのだろう。国家の争うレベルは少しも変わっていないように思う。
2008年08月16日
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自閉君の夏はとにかく汗臭い。若者の汗の匂いとは少し違う気がする。我々中年の汗の匂い。過酸化脂質みたいな、不快臭がする。風呂は好きなんだけれども、上手に洗えない。だからたまりたまってくるのだろう。週に1度しか念入りに洗ってやれないのだが、あまりの臭さに洗ってやる事にした。ところが、「洗ってもらうのは日曜日」とプログラムされているから、それを崩すのに喧嘩まがいになる。自閉君の固定観念はケタ違いに強いので、骨が折れる。本気で突っかかってきたら、多分本当に折れるだろう。なんとか説得し、洗ったら汚い事!褐色の石けんかすが流れていく。臭いはずだ。暑い時期なので、頻繁に流すしかないが、これも風呂は何時から、とプログラムしているのでなかなかの難物。「なぜそれをしなければいけないのか」を分からせるのが難しい。
2008年08月15日
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田舎なもので熱帯夜も都会に比べりゃあ可愛いものなんだろうが、今年は扇風機がよく売れているらしい。エアコンと組み合わせて、冷風を効率良く使うためらしいが、確かに低電力でよく働く。寝苦しい夜の扇風機の使い方。と言っても、例えば鉄筋コンクリート構造で建物自体に蓄熱性がある時の場合は別だろうが、部屋は開け放しても締め切っても、直接風が体に当たらないような方向を向けて、回すのである。風は壁や建具に沿って回り、涼しく寝られる。空気が動いているだけで、汗は蒸発しやすくなり、涼しいというわけだ。直接充てたら風邪を引くし、私のような年では神経痛もありうる。夏の神経痛は悲劇だ。猛暑の今年もまだ寝室のエアコンは動かしていない。自慢気に言う事でもないが・・・
2008年08月15日
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7時過ぎに小学生が両手に提灯を持ち、墓場へとやってくる。今日は万霊祭。昔はよほどの資産家でなければ個人の墓など持てず、一般人は村の総墓に祀られた。実際には遺体は河川敷きに埋められ、土を盛っただけの簡単な墓であったようだ。水が出るたびに流され、土葬と水葬でリセットされるようなものだ。また、死んだ家畜などもその範疇にあったらしい。 墓場につくと、三界万霊地蔵の周りをぐるぐる回りながら、「まんれい、まんれい」と唱える。30分ばかりで終了するが、このごろの子供は体力がないので長くできないのだそうだ。列の更に中では、中学生が線香に火をつけ、墓参者の求めに応じて渡す。石板の上でやるので、火災事故にはまずならないが、火の勢いが良すぎてあちち、と慌てる子もいる。今日は風がなかったので普通にロウソクが使えたが、風が強い時は、元の火が消えないように、ロウソクを半紙で巻く事も教わる。こうやって火をつけると、炎が大きくなり、風が多少吹いても消えない。もちろん、早く燃え尽きてしまう。これが終わると、盆踊り大会。 村から嫁いでいった娘や出ていった若い者も戻ってきて、飲み放題、食べ放題のひとときを楽しむ。主役は村の青壮年部。屋台を作ったり、アイスクリームを振る舞ったり。一番にぎわう夏の行事だ。
2008年08月14日
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相変わらずの猛暑だが、杏の木で蝉が鳴いている。私の部屋は右手に窓がある。そっちにマウスもあるので、右手にマウス、左にうちわという形になる。(決して左うちわな生活ではない)そしてあおぐと、何やら音がするのだ。うちわを煽ったって音が出るわけがない。なんでジッ、ジッと言う風に聞こえるのかと考えてみたら、うちわに蝉の声が反射して それが聞こえているのだ。たいしたもんだと変な感心をしている。9月に健康診断があるが、聴力に異常はない見込み。今日の盆踊りには浴衣を着てこいというが、あの暑さ!半パンにTシャツが理想なんだが・・・自治会役員は難儀だ。
2008年08月14日
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知的障害の子供を持った時から困っている事。「分かっているんだかいないんだか分からない」今日から親子ともに盆休。普段は通所施設なので、親の送り迎えはもっぱら女房が引き受けてくれているのだが、休みの間はこっちにお鉢が回ってくる。とにかくテレビのおかげで物に対する意欲が強く、あちこち見て回るのが大好き、と来ている。本屋、電気屋、薬屋はもっとも得意とするところだが今日はコンビニ。買うものは決まっている。フライもの、カロリーメイト、ポテトチップス、清涼飲料。ところが買わないものを見るのも趣味。今日はよりによって成人雑誌コーナーでプレイボーイに見入っている。26才ともなればそれなりに女の子に興味も出てくるのだろうが、何を考えているのか分からないので下手に引っ張ってパニックを起こされても困るし、だいたい「立ち読みして悪いか?」という疑問に「その本はダメ」「なぜダメか」この質問に私は答える事が出来ない。 自分だって見ていた記憶があるから。幸い、と言うか水着モデルだったので終わるまで放っておいたが、ヌードモデルだったらどうしよう。もっとも、彼はどうやら着ているものの色に興味があるらしいのでヌードを見る動機付けにはならないかも知れない。 いらいらと待つ事30分、やっと買い物を済ませてくれた。やれやれ・・・
2008年08月14日
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開会式の美少女途中で寝てしまったので全く覚えがないが。恐ろしくきれいな歌声だったそうだ。まあ、みんなで渡れば怖くない式の解釈かも知れないが、どうも理解に苦しむ。結果オーライならば何でもあり、と言うのがこの国なんだろうか?サッカーは序盤で敗退が決まったし、柔道も思うようにメダルにならない。野口みずきは故障で不出場、と、JOCとしては面白くない材料が並ぶが、一方で注目されてもいなかったバドミントンが世界ランク1位を破ったり、と結構面白いものもあるではないか。スポーツは必ず勝敗がある。だから私はあまり好きではないのだが、こういうのをよしとする人も多いだろう。勝者があれば必ず敗者がいる。オリンピックでメダル、メダルと期待する。その陰にいる敗者の事は考えず、何の関係もないものがメダルを取れ、と騒ぐ。かつて東京オリンピックの頃なんて陸上、水泳なんてボロボロだった。それが今は世界記録が日本から出ている。それだけ環境が変わってきた代わり、プロもでるようになった。いい事か、悪い事かは分からない。ルールに則ってやるだけだから。かつて、「勝った負けたと騒ぐじゃないぜ 後の始末が大事だよ」と水前寺清子が歌った。敗者になる事を許さない、新自由主義より、大衆はこの方が気楽でいい。
2008年08月13日
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朝の通勤電車に空席が目立つ。おかげでゆっくり行けるが、もう盆休みにはいった企業もあるようだ。近くの大手電機も休みになったらしく、人の流れがない。えらいもんだ。中学や高校生も部活がお盆で休みの所為か、あまり乗ってこないから快適だ。そのかわり、昼頃会社の近くを通る電車はものすごく乗っている。多分どこかにお出かけなのだろうが・・・うちの会社は明日まで勤務。3日だけの1週間で、4日休みで戦闘再開!となる。分析記録を見返していると、明日までに回答すべきものがあった。慌てて残業申請。危ないところだった。それでも、一応盆までに片づけるべきものは片づいた。盆が過ぎると学生の休みもわずか。9月になればまた満員電車になる。早く涼しくなって欲しいものだ。まあ、夕方になると随分気温は下がるようになったが、これも田舎のおかげ?田舎といえば、ホームセンターのくじに当たって高野山へのバス旅行プレゼントとか。よほど応募がなかったのかな?
2008年08月12日
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昨日の事になるが、万霊祭の拵えには老人会と自治会役員が総出でかかる。80歳を迎えようという人から、60代あたり、そして30代も出てくる。荒縄で竹やら木をくくりつけ、また竹の切れ端で作った提灯かけを竿に結わえていくのだが、これはやってみないと出来ない。当地では「男結び」と言う縄の使い方がある。昔、荷造りの時にこれをやっていると、「お前、なかなかやり方をよく知ってるな」と言われた事があるが、30代の若い人にこれをやって見せたら、はじめは何が何だか分からない状態だったが、古老が教えていくうち、出来るようになった。幕張メッセの展示で、「持っておいた方がいいものは紙とマジックと紐」と言われた事があるが、まさにその通り。紐を結ぶのはやってみなくちゃ分からないし、回数をこなさないと使えるようにはならない。でも、いわゆる蝶結びでは緩んでしまう場面は沢山ある。そんな時に違う結び方が出来ると、至極便利だ。私はこの結び方は父に教わったが、今の若い人にはこんな時でもないと伝承する機会がないだろう。結びも有る意味伝統かも知れないが、学校では教えられないだろう。サバイバルではないが、生活の知恵のようなものはやっぱり共同参画で伝わるのだろう。小さな事でも、感心させられることがある。なお、この行事に使ったものは竹と荒縄だけ。釘1本使っていない、きわめてシンプルなものだ。そういえば、とんど焼きも同じものしか使わない。元大工さんなんかは嬉々として準備している。
2008年08月11日
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やっぱり政治家というか、大臣のレベルが低過ぎ!「消費者がうるさいから」規制をしたり、品質を守ったりするという発想自体が官僚的だ。おまけに「隠したい事は隠せる社会主義」などという無知ぶり。消費者は、金を払っている以上、満足できる商品を買いたいだけなのだ。情報操作は日本だってやっているだろう。経済システムの違いと、情報操作は別問題だ。中国が共産主義であろうが、社会主義であろうが、情報操作をやっているのはアメリカだって同じだ。こういう視点でしかものを見られないヤツが税金を食い物にしているのだから、腹が立つ。 品質を守る事にだって金は食われる。安かろう、不安定では商品とは言えない。そんな商品を売るのは商売ではなく詐欺だ。うるさいうるさくないの問題ではない。
2008年08月10日
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普段から声を上げて練習するのには家族は慣れている。「ああ、また大声でやってら」なのだが、ふと、パソコンにセカンドテナーの音を録音し、それを聞きながらトップテナーの練習が出来るだろうと考えた。マックのエディタには録音機能もついているので、まず録音。少々の音程は目をつぶって、それを再生しながらのアカペラ曲になる。結構悦に入っていた。「お父さん、なにやってんの、気持ち悪い」女房がやってきた。他のパートを聞きながら自分のパートの音をとる事はそう珍しい話でもないが、同じ声のハーモニーだと変らしい。ザ・ピーナッツなんかどうだったんだろ?我ながら良いアイデアだと思ったんだが・・・
2008年08月10日
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さて、早起きのあとの練習だ。10時から16時まで、多少ずれはあるもののしっかりと搾り、搾られた。本番は1時間20分、歌いっぱなしになる。「今日は長丁場になります。咽喉を休ませながら行きましょう」咽は使わないように、とは言うもののまるで使わないわけには行かない。童謡のステージだけで昼まで使ってしまった。「ちょっと時間たりんなあ」近くのコンビニに昼飯を買いに走り、よもやま話。午後からは応援組を交えて「心の四季」だ。今日は「雪の日に」以外を全部やった。みずすましにGがでてくる。はじめは正常にでていたけれど、ラスト1時間ほどは声がれになってきた。「流れ」終わりのハミングでF#が枯れてくると、ちょっとやる気が萎えてくる。晩飯が終わったら声がれは戻った。超早起きで練習はびっしり、では持たなくなってきたようだ。年かな~
2008年08月10日
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今朝は6時集合で村の墓地掃除。共有部分は草ぼうぼう(それでも6月ごろに一度刈り取りしてくれているのでまだましだ)なので盆の前に村総出で草刈りをやるのだ。村の共有地というか、霊園の分譲などというものは全く無関係だが、もうそろそろ敷地は一杯。管理費などというものはないので維持費は要らないが、このような労働提供がある。このごろは、個人の墓も簡易舗装で、草が生えなくしてあるし、玉砂利もきれいなものが使ってある。 昔は「草葉の陰から・・」などという言葉もあったけれど、今、草葉が無くなっていて、あるのはうちの墓くらいなものだ。玉砂利も川原から拾ってきたものがそのままなのでこれも昔のまま。今に有形文化財になったりして・・・「昔の埋葬を今に伝えている」とか。ちなみに、もっと前は土を盛っただけのものが川原にあり、増水の度にそれが流され、水が最終の始末をしてくれていたらしい。「水に流す」と言うのは案外そういう意味だったのかも。
2008年08月10日
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オリンピックの話題の中で消えそうな話だが、農薬入りのギョウザがでた事を公開しないで欲しいとか、アメリカ牛肉の杜撰な管理状態が明らかになる。食品の量というのは半端ではない。何万トンの単位で、それを動かすだけでエネルギーが必要なのだ。自分の食いぶちくらい自分で用意しろ、が常識にならないとエネルギーがなくなったら飢餓が待っている事になる。食糧を握られたらその国の言いなりになるしかない。私の家の周りにも休耕田が随分ある。バイオエタノールが最善の選択とは思わないが、例えばここで油脂を取れる作物を作れば、或いはまずくても収量の多い、アルコール発酵専用の米をつくったらどうだろう。人に頼る限り、自分の安全は守れない。日米安保に食糧の事まで記述はなかったっけ?こんな問題はオリンピックどころのテーマじゃないんだよ。
2008年08月09日
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雨さえ降らなきゃ、自転車2台というのは実にエコといえる。自宅から乗車駅までと、降車駅から目的地。自転車預かりはもちろん払わなきゃいけないけれど、電車は会社支給の定期だから事実上無料。今日は月に1回医者の顔を見に行く日で、この冬くらいまでは自動車で直接行っても交通費とガソリン代の差額はまあ許容範囲だった。交通機関の場合、待ち時間もあるし、時間を買っていると思えば納得も出来たが、ガソリン代が1.5倍になるとちょっと話は変わる。駅から病院まではバスを利用しないと、徒歩ではちょっと厳しい距離だ。往復400円。ところが自転車で走ってみたら15分そこそこだ。月に1回とは言え、時間と体力さえかければ無料なのである。しかも、待つのが嫌いな私にはぴったり。パークアンドライドというが、これの自転車版だからライドアンドライドかな?何の事か分からないからバイクアンドライドか?どうもこれが一番財布にも環境にもやさしそうだ。ちなみに、貸し自転車なら1日300円。盆前とあってか、電車は家族連れでにぎわっている。
2008年08月09日
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昨日はオール8の日で(08/08/08)これに縁起を担いだかどうか知らないが、北京オリンピックが開かれた。やっぱり比較してしまうのが東京大会だ。鐘の音のような電子楽器から始まって、入場行進、聖火点火、鳩が舞い、上空に自衛隊機の描く五輪マーク、素朴な思い出が残っているが、どんどんド派手になっていく演出と、開始時間を放映権を持つスポンサーの国に合わせるという傾向にはちょっと閉口している。だいたい30度を超える暑さの時期に開催する、深夜に開会式が及ぶ、どれをとっても選手には負担だ。もっと涼しい時期を選んでやればいいし、花火なぞ使うなら夜しか仕方がないけれど、かくも深夜まで、はどうかと思ってしまう。 オリンピックの商業主義はサラマンチ前会長の遺物だと思うが、これからも環境にも人にも負荷をかけながらやるのだろうか。オリンピックを国家高揚の手段としてはじめて位置づけたのはヒットラーと聞いている。 心理的にはその頃の再現な様な気がしてしまうのだ。「国家は金なり」まあ、一部真実ではあると思うが、「合唱のオリンピック」と言われる世界大会が去年京都で行われたけれど、ここまで金は使わなかったはず。神戸でその出演者のコンサートを聞けたのはラッキーだった。世界的にも「運動部優先」なのかなあ。(文化部系の愚痴か?)
2008年08月09日
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ブログをはじめて3年が過ぎたが、なんでこんなこと始めたのかと考えてみると、起源はどうもアマチュア無線だったのではないかと思う。アマチュア無線は電波法に則って認められる国家資格だから試験もあり、電子工学や電波法を学ばねばならない。電気通信術(モールス符号)もある。で、その出会いというのはもっぱら偶然性だ頼みで、同じ時刻に無線機の前にいなきゃいけないし、実はアンテナを立てるのも重労働なのだ。でも、おなじみさんとラグチュー(無駄話)も楽しみである。お話の部分だけとれば電話の方が遥かに高品質。ノイズはないし、混信もない。コミュニケーションが目的になると、BBSに乗り換えるようになった。記録は残るし、偶然性も有るとは言え、討論も可能だが、相手の顔が見えない。無線だって見えないんだが、話しぶりとか、声の特徴とかけっこう覚えるものだ。でもBBSだと、文字だけなので相手が本当に思っている事を書いているかどうかは、信じるしかない。裏を返せば、ネットいじめだって可能な訳で、「そんなつもりじゃなかった」と逮捕されてから謝るケースも多い。ブログになってくると、ちょっとした個人演説のムードだ。公園のあちこちで誰かが大声で話している。そこに興味のある人が集い、集まった人同士でもやり取りがある。非常に良いシステムだが、これも文字情報の限界がある事、それから発信元がその気になればたちどころに分かる事で、実はアマチュア無線よりも管理はしやすいはずだ。これが統制になるとたまらないが。パソコンは色々な機能を持っているから、コミュニケーターとして今後も発展していくだろう。でも、裏通りの情報もある訳で、リアル世界とバーチャル世界の棲み分けをきっちりしないと悲劇が待っている。そんな世界はまだ発展途上といえるのかも知れないが。でも、個人が声を上げるのに、ブログは実に安価で出来る。
2008年08月08日
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「分析は快適でええなあ」この時期、現場から来た人は一様にこう言う。確かに外に比べりゃ涼しいが、分析室って言うところは熱源ばっかりなのだ。大型のオーブン(エアバスともいうが、別に飛ばない。air bathだ)が2台、ガスクロが1台、液クロが2台、熱分析計が1台。すべて空冷というか保温はしてあるがむき出しなのだ。液冷の装置もあるが、これも外部冷却だから熱交換で放出する。温度設定は28度。でも、これで結構涼しいと思う。28度は設定として高すぎるという人もあるけれど、いまのところは間に合ってます、と言う感じだ。もっとも、実際の室温まで見ていないが。電顕室は暗室も兼ねるのでここはエアコンは任意に設定できるが、まだこの夏は28度から動かしていない。電子顕微鏡も大量の水で冷却する。井戸水だが、流水なので鏡筒をいじくった時なんかは大変だ。一昼夜以上真空ポンプを回しっぱなしにするから、300トンばかり出す事になる。ラジエータ方式にする方が水は少なくてすむはずなんだが。結論的には、この地方なら28度は適当だと思う。まあ暮らせるし。
2008年08月08日
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毎朝この車両に乗る人、と言うのが不思議に一定化する。その人の隣はだいたい空いているのですわるのだが、毎日Eeeを開いている。どうもCか何かでプログラムを書いているようなのだが、字が小さくてのぞき見は出来ない。この間DVDレコーダの修理をジョーシンに頼みに行った時においてあった。何と、48000円ほどである。それよりも一回り大きいのでも1万円ばかり高いだけだから、こいつはちょっと食指が動く。スペックは分からないので高いのか安いのかはちょっと微妙だが、一昔前なら15万円はしただろう。XPが乗っているから、まあ使うのに不便はないだろうし、ネットワークの端子もある。以前にibookでDVDを見ながら通勤していた人がいたが、あれは少し重かったんじゃなかろうか。ただ、このEeeでは、多分光学ドライブは内蔵していないのだろう。それにしてもこの軽快さは魅力だ。もっとも、私が電車に持ち込んでも、仕事するには時間が短すぎる。かといって手持ちのノートが使えない訳じゃないから、欲しいには欲しいが、遊びに使うのももったいない。ただなら欲しいけど、お金を出しても欲しいかとなると疑問符がついてしまうこのごろのパソコン。「XPやろ?」 で、ふみきれないのだ。leopordなら踏み切っちゃうかも。思い切ってiphoneかな?通信料が高そうだ。月に5000円も払ってたら1年でこれが買えてしまう。
2008年08月07日
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昨日の練習はえらく集まりが悪く、カルテット状態。だいたいこんな日にコンサートの打ち合わせなんかしないで欲しいんだが、と愚痴っても仕方なく、ロビーコールの予定曲の音取り。まあ、サリマライズくらいだからそこそこにとれてしまった。遅刻組がそろって、やっと発声だが、 先日真理ヨシコさんから指導していただいた事を話す。「息を吐き切って腹筋を鍛えなさい」「顔の筋肉をしっかり動かして」など。その後ハミングのロングトーンで!今までに無い響きを感じた。「絶対に響きをのどに持ってこないで!」「○○さん、もっと口を開けて、唇は軽く触れるくらい」とうるさく言っている時の出来事だった。やっぱり、一人一人に遠慮なく指導していく事、これなしには「混じる声」作りは難しいなと感じた。そして「アルト、パートの声を合わせて。私の音に乗せてきて下さい」で1人ずつ 乗る声を増やしていく。そうして合わせたカデンツも久しぶりに鳥肌が立つようだった。「誰か前に出て、聞いてごらん」でも誰も出てこなかった。もったいない!それから曲合わせに入ったが、練習のあとで指揮者が「今日は素晴らしい音だった。音は下がらないし、十分に発声をする方が効率の良い練習が出来るよ。私が「下がってる!」と注意をしなくてすむもの」先生によっては、曲作りよりも発声をやれ、と言う人がある。もう少し時間をとっていじめるか。でも、名指しで言われる人の気持ちも分かるしなあ・・・心を鬼にして?いじめるか。指揮者だって文句ばかり言ってるもんなあ。鬼は二匹いるのかも。
2008年08月07日
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いつの間にか鳴りを潜めていたと思っていたが中国でギョウザの中毒が発生した事を公表した。ちょっと中国にしては素直すぎる行為だ。かえって気味が悪い。かつての中国といえば白を黒と言いくるめ、くるめなければ怒り出すという印象で、情報操作など何のその、と言うイメージが強いのだが、自国で中毒が起こった、しかも回収したものを食べたなどと管理の杜撰さをさらけ出すような内容だ。時の流れというべきか、ついに隠し切れなくなったのか分からないが、方向としては良い事だと思う。ねじ曲がった情報では何の役にも立たないし、対策も打てない。良い方向だとは思うが、同時に気味が悪い、とも思う。ごまかしや物まねなど得意?とする国だ。まあ、かつて日本も「安かろう、悪かろう」と言われたのだが。
2008年08月06日
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夕立のあとの涼しい時。ツクツクボーシがひと鳴きした。ただし、まだ下手。明日は立秋だ。
2008年08月06日
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こんなニュース通常業務に支障の少ないところからではあるらしいが、原油高で訓練を抑制するそうな。インド洋の給油とどっちが大事なんだろう。秋からの国会でまた給油問題が議論されるだろう。国益はどっち?アメリカの戦争の片棒担ぐなら属国宣言しているのと一緒では?
2008年08月06日
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今日は東京が集中豪雨でマンホールの中で働いていた人が流されたという。つい先日、神戸で幼児が鉄砲水にやられた。1週間ほどでは教訓は生かされなかったのか。都市型災害の盲点というのか、水は排水路に流せばいい、と言うまことに合理的な考え方で、家庭排水、道路の排水、みなが一緒に流れ込んでくる訳だ。舗装道路というのは本当に考え直す必要がある。昔は水たまりも多く、子供が遊ぶほどだったが、道路から直接地下に移動する水があったはず。田舎では農地が遊水池の役目を果たす。今、田圃は水がはいっている。この上雨が降っても、あぜを越すまでは持ちこたえるし、面積にものを言わせて、少しずつしみ込ませ、少しずつ流す。ところが、今は道路も排水をするだけだ。農地も極端に少ない。バッファが非常に貧弱な状態である。神戸は海に山が迫り、神戸のシンボル、六甲山の頂上と海の間は5kmほどのものだ。ここに豪雨が降ったら大量の水が短時間に海に駆け降りる訳だから、時間的な余裕はほとんどないはず。東京の構造は知らないが、似たようなものなのではないだろうか。発達した地下街は華やかだが、ここに水がきたら、まさに水浸しだ。我々の生活は、見かけ上合理的になっているはずだが、緩衝力はものすごく低下しているという気がする。それが心理的にもそうなってるんじゃないだろうか。このごろの通り魔事件。
2008年08月05日
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太陽が出ていなければ、朝の自転車通勤はかなり快適だ。朝の空気を切って爽やかに走れる・・・のはあくまで田舎道。国道二号線にでるとなんとも不快。原因は自動車だ。以前は排気ガスの匂いが酷かった。炭化水素とひと嗅ぎ?で分かる状態だったが、今はむしろカーエアコンの吐き出す熱気がたまらなく不快である。 爽やかに走っているところに、赤信号。自動車は一斉に止まり、エンジンは止めないからむんむんと熱気を放出している。燃料高の所為か暴走する車はなくなったが、考えてみると車は確かにいろんなものを吐き出し続けている。まさに「すさまじきもの」だ。自転車通勤の足が萎える。
2008年08月05日
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朝の雑踏整理に、このごろは警備員が配置されている。姫路駅は高架化工事の最中で、結構ややこしい事になっている。昔線路だったところが通路になって、それが最短距離で移動できないので、昔を知るものには結構面白くない。だいたい、自動車のナンバーでも有名らしいが、姫路というところ、マナーのよろしいところではない。最短距離をさっさか歩きたがる。右も左も関係ない。信号も歩行者や自転車はテキトーに動いている。さて、そんなところの警備員は大変だが、スキを見て逆走するのもいる。女性の警備員で「おはようございます、いらっしゃいませ」と言う人がいた。多分販売店の業務の時の習慣だろうな、と思いながら聞いていたのだが、ある日から「行ってらっしゃいませ」に変わった。「て」1文字がはいるだけで、 随分意味は変わってしまう。午前中のラッシュアワーだけなんだろうが、この仕事も大変だ。きっとパート料金なんだろうな・・・と、いらぬ事を考える。
2008年08月04日
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