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実りの一日は朝起きから 安眠(早寝・早起)、快便快食(朝食)こそが健康の第一歩です。 交感神経はストレスや外敵に対して集中し打ち勝つように働くが、二四時間経過の調査結果によると、午前八時がピークでだんだんと低下してきます。 ストレスに抵抗する力を与える副腎皮質ホルモン量も、同じような曲線をえがきます。 また、正常児と登校拒否児のホルモン調査によれば、早寝早起きをはじめ規則正しい生活のリズムを確立し、毎日元気に登校している子供のベーター・エンドルフィン(気分を良くする、免疫力を高める、鎮静作用がある快楽ホルモン)の血中濃度は朝六時頃が最高だが、登校拒否児は早朝に極端に低く(正常児の数分の一)なっているといいます。 このような調査を総合すると、早寝早起きは神経系とホルモンなどの生体リズムを整え、免疫系を強化し、健康を促進させると解釈できそうです。 だが、この頃は夜型社会になってきて、朝の目覚めが悪い人が増えています。若い人たちの多くが、「眠い、寝不足だ、起きたくない」と思いながら、布団の中でぐずぐずしています。 これが、一番ダメな目覚め方です。 「嫌だ」と思うと、それが脳からの指令となって体中を駆け巡り、細胞をいつまでも目覚めさせません。 どうせ起きなければならないのだから、嘘でも良いから「よく寝た、気持ちいいな、頑張るぞ」と思って、目覚めたらすぐに起き上がり、間をおいて二回大きく伸びをする。 すると本当に気持ち良く感じ、自然と「気持ちいいなあ」という声が出るはずです。それが脳の指令として伝わり、本当に身体を目覚めさせます。 脳からの指令が細胞の隅々まで行き渡るには一五秒ぐらいかかるが、大きな伸びを二回すると丁度そのくらいの時間になります。 もう一つは、前夜の心掛けです。 今日一日の楽しかったことや良かったことを思い出して、「今日は良い日だった」と思いながら早めにベッドに入ることです。嫌なことを引きずって寝ると、疲れを翌日まで持ち越すことになります。 「安らかにお休みになりましたか」と挨拶されて、お釈迦様は次のように答えました。 「貪りを離れ、清らかな心に汚れがないから、悟りに至った者はいずこにあっても安らかに眠る。全ての執着を断ちきり、悩みを超克しているから、心は静寂に入り、静けくも安らかに眠る」 つまり、夜眠れないのは、心に貪りや汚れ、執着、悩みがある証拠だということです。
2018.02.28
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心の障害者にならない 病気は、私たちにとって一つの試練です。 世の中には病気がちのために自暴自棄になったり、病気との付き合い方を知らなくて病苦に呻吟する人もいます。 そういう人にとっては、精神的な作用もあいまって、病気の苦しみは余計に大きなものに感じられ、治療への転換もつかみにくくなります。 病気は何回しようが、死に至る病気というものは一回きりであり、それ以外の病気の時は、これを一つの試練ということもできる。 そう思って病気に立ち向かえば、心も開け、苦痛も緩和されるし、薬の効果も一層生かされ、回復への道を早めることにもなるはずである。 病を味わうゆとりさえ生じてくる。 それが病を大事に養うことに通じる。 これは、若いときから病弱だった松下幸之助さんの病気哲学です。 私たちは、健康が幸せで、病気は不幸だと考えがちです。 そんなことはありません。 不幸な健康人もいれば、幸せな病人もいます。 病気になれば、幸せな病人になるように努力すればよいのです。 そうすれば、病も一つの試練として行かすことができます。 また、身体に障害があっても、心の障害者になってはいけません。 身体の不自由な方々の面倒を見られていた京都山科仏光院庵主だった大石順教尼も、ご自身も両手がなかったが、よく次のように言われたそうです。 「障害というのは、身体の自由、不自由とは別である。 身体は不自由であっても、心は皆同じである。 身体の不自由はしかたがないが、心の障害者になってはいけない。 例え健全な肢体に恵まれていたとしても、それを人のために生かす心も持たず、五欲の欲しいままにお互いが傷つけ合うことしか知らないとしたら、大変な心の障害者ではなかろうか」 例え病気になったり障害を背負ったりしたとしても、心の障害者にならず、なくした物を勘定するのではなく、残っている機能を数えることから幸せな人生は始まります。 24歳で筋ジストロフィーを発症し、首から下の機能を全く失いながらも、障害者や高齢者のヘルスケア事業を手助けする春山満氏も言う。 「指を亡くした人は、指がないだけで夜も眠れない日々を送る。 腕を亡くした人は、腕一本がないだけで生き残るつらさを味わう。 すべて、自分の受けた障害が一番つらい。 だが、もう一つの真実は、自分が受けた傷害が一番軽いということである。左手をなくしてもまだ右手があり、右手を使って左手の役割を果たすことができる。手足の機能もなくし寝返りすらできなくなった私も、まだ話すことができ聞くことができる・・・」
2018.02.27
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あなたはいま死んでも悔いがないか? アメリカの医学解説書に甲状腺の項を執筆したこともある菅谷昭さんは、25年勤めた信州大学医学部助教授を辞めて、ベルラーシで放射線被曝患者の治療を自費で続ける。 23歳のとき、母の通夜の席で、「昔、母さんが易者に昭は43歳で死ぬといわれてずっと気にしていた」と聞かされたが、その時は笑い飛ばした。 だが、米国の学会から帰る飛行機の中で今年43歳であることに気づき、「今、飛行機が落ちたら自分は死ぬが、『面白かった、十分に生きた』と満足して死ねるだろうか」と思った。 仕事は多忙を極め、自分が何をしようとしているのかさえ分からなかった。 そんな時(91年1月)、テレビでチェルノブイリ5年目の報道があり、多くの小児甲状腺ガンが発生し、現場の医療機関が対応しきれないことが報じられていた。自分の専門は甲状腺外科だから、何かやれることがあるかもしれないと思った。 その春、民間の調査団に加わってゴメリ市を訪れた。国立ガンセンターの施設を視察すると、旧式の手術で幼い子供の首に大きな傷痕が残っている。「こんなむごいことをしてはいけない。自分なら違う方法でやれる」と大学を辞めてベルラーシに渡った。 大抵の人は、「いつ死ぬかもわからない」という事実を、「明日も生きている」という惰性に置き換えて、昨日のままに生きています。 だが、私たちの命は、今日よりも明日、明日よりも明後日と確実に減っていきます。問題は、そのことをいかに自覚しているかです。 今の仕事に打ち込めないというのも、そんな自らの命の尊さに気づいていないからです。 ガンで余命数カ月と告げられた50歳のベンチャー経営者は、延命治療を拒否し、明晰な意思で死ぬ準備を始めました。 後継者には経験と知識から会社経営のノウハウを詳細に書き遺し、家族にも今後の生活のことをメモにして遺した。友人たちにも、自分の心に去来する思いを偽ることなく書き遺し、膨大なメモのそこかしこに「○○さんに感謝する」というメッセージを記した。 ガンは死の準備をできる時間があるから良いと言った人がいるが、誰にも生に限りあることを忘れて、私たちは命が永遠にあるかのように生きています。 だが、生き甲斐のある充実した人生は、成り行き任せ、人任せでは決して開けません。 就職、結婚、出産、異動、法事など人生の節目節目で、「いかに生き、いかに死すべきか」を真剣に問いつめて生きていくことが大切だと思います。 極端に言えば、絶えず余命3年とか5年の命と思って真剣に生きれば、今とはまた違った生き方が見えてくるはずです。
2018.02.26
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微笑む努力をしていますか 朝日新聞論説委員だった扇谷正造さんは、 「微笑みとは、心の中に化粧が済んだときに出る表情である。 笑い声は心の化粧がなくてもでるが、微笑みは心の化粧が先立つものである。内面を磨かないと、自然で美しい微笑みはわいてこない。 心の化粧とは、内面に、安らかさ、素直さ、誠実さ、思いやりなどが湛えられるように、心を丹精していくことである。その結果、心に自然と染み出てきて、美しい表情を創るようになる」と言われました。 あなたも、もの柔らかな表情と親愛の籠もった言葉で人々に語りかけることができるように、毎朝心の化粧(微笑みの修行)を心掛けてみませんか? 笑えない理由を見つけようと思えば、幾らでも見つけることができます。そんなときでも、たとえ一日五分でもいいから、綺麗な花や星を探すとか、詩の一節を暗唱するとか、音楽を聴くとか、仕事に疲れた人たちの心を盛りあげるとか、何か特別な歓びのために時間を割いてみることです。 そうやって美や歓びを感じて微笑む努力をしていると、やがて形が心を創り、きっと心から笑顔を続けられるようになるはずです。 そして、それが逆境をもプラスに変える原動力になるはずです。 人間は心の動物です。 辛いとき、悲しいとき、何時までも愚痴を言ったり、泣いたり、嘆いたりしていると、ますます辛さや悲しみが倍加してきます。 そんなときほど、微笑みを絶やさないことです。 喜劇役者で禅僧のポール牧さんのお母さんは、住職だったお父さんが亡くなって、一家離散を防ぐために尼僧となって子供たちを育てられました。 子供たちが、厳しい寒さや貧しさに体を寄せ合ってシクシクと泣いていると、片方の足が不自由だったお母さんが本堂の方から歩いてきて、子供たちの前でわざと転ぶ。 幼い子供たちが、「お母さんが転んだ」と笑いだし、はやし立てる。 すると、「お前たちは、笑えるじゃないか。人間、悲しいときには笑いなさい。怖いときも笑いなさい。そうすれば、悲しいことも怖いことも、どこかえ飛んでいく」と教えられたといいます。 人間は、悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しくなります。 同様に、楽しいから笑うというのではなく、笑うことによって楽しくすることもできます。 誰かに期待した微笑みがえられなかったら、不愉快になる代わりに、あなたの方から微笑みかけてごらんなさい。微笑みを忘れた人ほど、あなたの微笑みを必要としているのですから。 戦後まもなく、今でいう社会福祉ボランティアの草分け的存在であり、日本版マザー・テレサみたいな一面を持ち、東京山谷のバタヤ部落で「アリの町のマリア」と慕われた北原玲子さんは、微笑みの大切さを子供たちに口癖のように話して聞かせていました。 そんな彼女が時々覗いていた手帳(彼女の死後、手帳を見ると)には、「あなたは、いま、微笑みを忘れていませんか」と書かれ、次のような詩が書いてあったそうです。 醜いものの中にも美しさを 卑しいことの中にも尊さを 乏しい暮らしの中にも豊かさを まずいものの中にも美味しさを 苦しいことの中にも楽しさを ニッコリ笑って発見しよう
2018.02.25
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笑顔が美人を作る 笑いは健康に良いだけでなく、その人をイキイキと見せ、人を惹きつけます。 本当に人を惹きつける人は、姿形にかかわらず、明るくて表情がイキイキとしています。 菩薩さまは心の修行の最後に微笑みの修行をされると書いたが、手元に何一つ布施する財貨がなくても、ただニッコリと微笑むだけで、周りの人を明るく楽しくすることができます。 絶えず微笑む努力をしていると、心も自然と温かくなってきます。 この世には、不安や怒りの種は尽きることなく、微笑みも凍りつきがちです。ようは、モノの考えようです。 どうせこの世はままならないものと腹をくくって、年中物事の悪い面ばかり見て愚痴を言ったり腹を立てたりして過ごすのではなく、すべてを良い方に解釈し、ニコニコ過ごそうと努めることです。 病は気からと言うが、笑いも同じで、笑うから楽しくなるのです。 無理してでも笑っていると、この世が自然と楽しくなってきます。 そして、顔が内側から綺麗になってきます。 劇作家、真山美保さんの作品に『泥かぶら』があります。 醜いがゆえに村の人々から嘲られ、子供たちからは石を投げかけられたり、唾をかけられたりする女の子がいました。 「泥かぶら」と呼ばれたその少女は、悔しがって怒るほどに心が益々荒れ、顔は醜くなっていきます。 そんな時、たまたま通り掛かった旅の老人が、竹の棒を振り回して怒り狂う泥かぶらに向かって、次の三つとのことを守れば村一番の美人になれると諭します。 ・いつもニッコリ笑うこと・自分の醜さを恥じないこと・人の身になって思うこと 少女は美しくなりたい一心で、その日から血のにじむような努力を始めました。 何度も挫けそうになりながらも、また気を取り直して始めます。 いつしか泥かぶらの顔からは憎しみが去り、その心は穏やかになってきました。 ある日、村に人買いがやって来ました。 彼女と同じ年頃の娘が買われていくことになっていました。 その時、泥かぶらは、自らその娘の身代わりになることを申し出て、買われていくことなりました。 しかし道々楽しげに村や子供たちのことを語る泥かぶらに、いつしか人買いの心は動かされました。 そして、「ありがとう、仏のように美しい子よ」と、置き手紙を残して去っていきます。 笑顔には、自分だけでなく、他人をも救う力があります。
2018.02.24
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吉本のお笑いの力 精神状態が、身体に与える影響には計り知れないものがあります。 昔から、「一怒一老、一笑一若」と言うように、笑いは健康のバロメーターです。 生物はストレッサー(ストレスを引き起こす肉体的、精神的要因)にさらされると、身を守るために自律神経の一つである交感神経が活発に働き、アドレナリンや副腎皮質ホルモンを分泌させて防御態勢をつくります。 ストレッサーの数が多くなればなるほど病気に罹りやすくなり、イライラが続くと、血液の中の血小板を凝固させて血栓症を起こしたり、時にはストレッサーに対抗しきれなくて死に至ることもあります。 逆に、「よく笑う人は健康で長生きができる」と筑波大学の小田晋先生は仰います。 笑うと血液の循環が良くなり、ジョギングと同じ効果があります。 一日に100回から200回笑うと、ボートを10分漕ぐのと同じ効果を心臓に与えるそうです。 アメリカのウィリアム・ジェームズという哲学者は、「人は悲しいから泣くのではない。泣くから悲しくなるのだ」と言ったが、これを応用してストレスを発散させましょう。 つまり、何事も笑い飛ばしてしまうのです。 楽しいから笑うのではなく、笑っているうちに本当に楽しい気分になってきて、ストレスも吹き飛んでしまいます。 作家の遠藤周作さんも、「長い病床にある人は、気持ちが暗くなってどうしようもない。まず笑ってみる、何もなくても笑う真似をしてみるのである。僕は入院中、療友たちと模型飛行機を作ったり、悪戯道具を使って随分と笑いあったものだ。こうした児戯的な行為でさえも、とかくウジウジしがちな病人にとっては、日常の明るさを引き起こすために決して無駄ではなかった」と、闘病生活中は努めて笑うようにしていたとのことです。 「生きがい療法実践会」で有名な医師、伊丹仁朗さんは、吉本の漫才を見せた後のナチュラル・キラー細胞の活性度(この細胞の活性度が低すぎる人はガンに対する抵抗力が弱く、高過ぎる人は膠原病になりやすい)を調べました。 すると、漫才を見て笑った後では、活性度が高過ぎた人は低くなり、低過ぎた人は高くなり、もともと正常な人は横ばいだったそうです。つまり、すべての人が正常値に向かっていたのです。 気分が楽しくなれば、食事が美味しくなります。 食事が美味しければ、グッスリと眠れます。 グッスリ眠って目覚めが快適ならば、意欲もわいてきます。 笑いは、心にも体にも良いリズムをもたらせてくれます。 まさに、「笑う門には福来る」です。
2018.02.23
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笑う人のそばには人が集まり福も来る 微笑みは、お金を払う必要のないものだが、相手にとっては非常に価値を持つものだ。微笑まれた者を豊かにしながら、微笑んだ人も何も失わない。(中略) 二人の間では友情の合い言葉となる。 疲れた者には休息に、失望した者には光となり、悲しむ者には太陽。 いろいろな心配に対しては解毒剤の役割を果たす。 しかも買うことのできないもの。(後略) 〔詠み人知らず〕 人は笑顔で話しかけられると、自然と警戒心を解き相手に好意を持ちます。だから、笑顔のいい人のそばには自然と人が集まってきます。 人が集まれば、知恵が集まり、縁の輪ができて運も集まってきます。 幸せになる一番簡単な方法は、笑顔を大切にすることです。 ある若者は、「私は小学校四年生まで本当に無口で、学校では言葉どころか声さえ発することなく帰るような子供でした。 ある日、教育実習で若くて優しい女の先生やってきました。 私は、その先生が大好きだったのですが、話しかけることもできず、一カ月後、先生は去られました。 翌日の朝、クラスの生徒それぞれの机の中に小さなメモが入っていました。いてもいなくても同じ存在だと思っていた私の机の中にも、『笑顔の可愛いYさん、音楽の時間、一生懸命に聞いてくれましたね。でんでん虫の踊り、また教えてあげますからね』という手紙がありました。 もう嬉しくて嬉しく、跳ねるように帰宅したことを覚えています。 それ以来、どんな時でも笑顔でいることができるようになりました。すると、面白いように友達や親友ができ、将来に夢を持てるようになりました」と語ります。 同一人物の普通の顔、笑顔、怒った顔、驚いた顔などの写真を何組も用意しておいて、一枚ずつ見せる実験をしました。 すると、怒った顔や驚いた顔はあまり印象に残らないが、最初に笑顔の写真を見た人の顔は、次に違う表情の写真を見ても、「これはさっき見た人」と判断する成績が一番良かった。 また、遠くからでも分かる表情は笑顔だとも言います。 人に良い印象を与え、初対面の人とも良い関係を作ろうと思ったら、積極的に微笑みかけることの大切さがよく分かります。 大学生のときに学習塾でアルバイトをしていた長谷さんは、小規模クラスを担当していたときは地のまま楽しくやっていた。それが、生徒たちにも受けて評判が高かった。 ところが、大規模クラスを任されて、緊張から怖い顔で授業をするようになった。すると生徒たちも面白くないので、白けた顔であくびをしたりする。これはいけないと、声を大きくすればするほど逆効果でますます浮いてしまい、生徒たちは益々白けてくる。 悩んでいたときに、テレビで「人を引き付けるには笑顔が大切だ」と、笑顔を作る具体的な方法をやっていた。 割り箸を横に歯でしっかりとくわえると、口の両端が上がって頬の筋肉も押し上げられる。そのまま割り箸を外せば、ニッコリと笑い顔になるという。 バカバカしいと思ったが、案外大事なことかもしれないと一カ月ほど練習し、その顔で塾へ行ってみると、不思議なことにそっぽを向いていた生徒たちに受け入れられた。 人に良い印象を与えることが、いかに大切かということをそれで学んだと言います。 次のような、ウソのような話もあります。 店長から、「お客さまの顔を見て、大きく元気な声で『いらっしゃいませ』『ありがとうございます』と挨拶をすること。そして、笑顔を忘れずに」と、いつも厳しく指導されていたローソン鹿児島宇宿店でアルバイトをしていた橘さんは、ある日の午前二時前に入ってきた若い男性客に、笑顔で「いらっしゃいませ」と大声で挨拶した。 ところが、その客の顔を見た瞬間、凍りつきでもしたかのように動けなくなった。目がつり上がって鬼のようで、とにかく買い物に来た顔ではない。殺気のようなものも感じられる。おまけに、空のビール瓶を逆手に握っている。相棒を呼ぼうにも声も出ず、じっと相手の顔を見て棒のように突っ立っていた。 相手も、こちらの顔を見て入り口に突っ立っていたが、後ずさりしてそのまま出ていった。その僅かな時間が凄く長い時間に思えた。 男は、その足で別のコンビニに行き、割ったビール瓶を突き付けて「金を出せ」と脅かして10万円を奪って逃げた。 その後、捕まった男は、「最初の店では、大きな声で挨拶されたので、これはまずいと思った」と取り調べの警官に供述したという。 このように、笑顔にはさまざまな効用があります。 あなたも、まず良い笑顔が自然と出るように、次のことを心掛けてみてください。 自然で柔らかい笑顔を作るには、少しオーバーに歯が見えるくらいに口を横に開き、顔全体(目が笑うことを意識する)で笑うようにすることです。それには、口を母音の「イ」の形にするように意識すると良いと、あるアナウンサーの方が言って見えました。
2018.02.22
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笑顔・ユーモアの効用 小学校一年生の頃、なぜかクラスの一人の女の子に嫌われ、幼いながら随分と悩んだ。できるだけその子を避けるだけでなんとか逃れようとしているのだが、ある日、あまりにも衝撃的な一言を言われ、家に帰るとベッドで一人で泣いていた。 すると母がやってきて、涙を流す私に「明日、その子に笑って『お早う』って言っておいで。それだけでいいから」と、優しい口調だがハッキリと言われた。 疑問を抱きながらも、次の日決意を持って学校に着いたが、やはり昨日の今日のことで挨拶はしにくかった。 どうしようか迷ったが、私は彼女の前に立った。「おはよう」。はっきりと、すっきりした笑顔で、私は言い切った。 少しの沈黙。ダメだと思った。 しかし、向こうは「おはよう」。笑顔で返してくれた。 その時、私は笑顔の大きな力を知った。 それからずっと、笑顔の力を借り続けている。 15才の中学生の投書だが、笑顔には凄い力があります。 人間関係をよくするコツは、相手を批判しても良くなることはあり得ず、自分がして欲しいことを、まず相手に自分からすることです。 人を笑顔にさせるために、ユーモアセンスを磨くのも良いでしょう。 ユーモアの第一の効用は、余計な心配事を抱え込まないので、リラックスして仕事に臨め、仕事が楽しくなって効率も上がる。 その結果、毎晩グッスリと安眠できることです。 ケリー博士によると、ユーモアセンスのある人の62.5%は不眠症とは縁遠いという。 第二の効用は、同じ指示をするにしても、ユーモアを交えた方が「うん」と納得してくれる度合いが高まります。 商談で値下げ要求をされた場合でも、ユーモアたっぷりにとぼけた方が、相手もそれ以上は無理を言わないようです。 アンガー教授が同一商品に対してユーモアに溢れた楽しいモノと、商品の機能をキッチリと説明するモノとの二つの広告を作り、その効果を比較調査したところ、前者の方が遙かに心を動かされた結果が出た。 第三の効用は、ともすれば常識に縛られがちな思考を打ち破り、新しい発想を生み出す原動力となります。 アリス・アイセン博士の調査では、 ①コメディ映画を見せて大笑いさせる ②軽い運動をさせる ③甘いキャンディを食べさせる ④数学の映画を見せる ⑤何もしない という条件下で創造性テストをしたところ、 ⑤の場合が16点なのに対して、①58点、②26点、③25点、④11点となり、大笑いすると三倍以上も得点が高くなった。
2018.02.21
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他人の顔は自分の顔 現代人は仕事や生活に疲れているのかもしれないが、笑顔が少なくなったのではないかと思います。 いつも不機嫌な表情で、仏頂面をしている人をよく見かけます。 子供たちも、受験勉強や塾通いで疲れているのか、本来の子供らしい笑顔を失っているような気がします。 幸せになる近道は、人から好かれる人になることです。 その一番簡単な方法は、笑顔を大切にすることです。 自分の顔は鏡を通さなければ見えないが、毎日、何十人という他人に見られています。 そういう意味では、顔というのは人のためにあるのかもしれません。 ですから、周りの人に笑顔で接すると、その人たちの心を明るくさせ、それが自分にも跳ね返ってきます。 他人が自分に向ける顔は、自分の顔を映しだす鏡とも言えます。 法蔵菩薩は、悩める人々をどうすれば救えるか、いかにすれば人は幸せになれるかと深い思索と長い修行を積み、「和顔愛語」に到達されました。 「和顔」とは和やかな顔、優しい微笑み、 「愛語」とは慈しみの籠もった優しい言葉です。 和やかな顔や優しい微笑みは、お金や物がなければできないものではありません。その気になれば、誰でも、何時でも、何処でも、できることです。 そしてそれが、どれだけ人の心を和らげ、周囲を明るくし、自分をも幸せにすることか。 あの独特の映画解説で人気のあった淀川長治さんは、誰からも愛される人でした。その淀川さんの生涯を通じてのキーワードは「嬉しい」で、生前、折に触れこういうことを仰っていました。 「『ウレシイ』ということほど人間にとって嬉しいことはない」 「嬉しいことは元気のもとになる」 「エレベーターで見知らぬ人に『おはよう』と声をかけたら、その人が嬉しそうに『おはよう』と言ってくれた。それが、とても嬉しかった」 「植木鉢の花がまた咲く。これだって嬉しい」 「悲しい事だって一杯あった。けれでも、悲しいことを忘れるほど嬉しいことが一杯で今日まで生きてきた」 あなたも、今日から微笑みの修行をしてみませんか?
2018.02.20
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モモは聞き上手の天才 ミヒャエル・エンデ著『モモ』を読まれたことがありますか? 小さなモモにできたこと、それは他でもありません。相手の話を聞くことでした。 「なんだ、そんなことか」と言う人が多いと思います。 「話を聞くなんて、誰にでもできるじゃないか」と。 でも、それは違います。 本当に人の話を聞くことのできる人は、滅多にいないものです。 そしてこの点でモモは、それこそ他に例のない素晴らしい才能を持っていたのです。 モモに話を聞いてもらっていると、バカな人にも急にまともな考えが浮かんできます。別にモモが、そういう考えを引き出すようなことを言ったり質問したりするわけではありません。 彼女はただじっと座って、注意深く聞いているだけです。その大きな黒い目は、相手をじっと見つめています。 すると相手には、自分のどこにそんなものが潜んでいたのかと驚くような考えが、すうっと浮かび上がってくるのです。 どうすればよいかわからずに思い迷っていた人は、急に自分の意思がはっきりしてきます。 引っ込み思案の人には、急に目の前が開け、勇気が出てきます。 不幸な人、悩みのある人には、希望と明るさが湧いてきます。 例えば、こう考えていた人がいたとします。 「俺の人生は失敗で、何の意味もない。俺は何千万人もの人間の中のケチな一人で、死んでしまおうとどうって違いはありゃしない」 この人がモモのところに出かけて行って、その考えを打ち明けたとします。しゃべっているうちに、不思議なことに自分が間違っていたことがよくわかってくるのです。 「いや、俺は俺なんだ。世界中の人間の中で、俺という人間は一人しかいない。だから俺は俺なりに、この世の中で大切な存在なんだ」 こういうふうに、モモは人の話が聞けたのです。 これが、人の話を聞く神髄です。 皆さんは、こんな話の聞き方ができますか? 「知っているよ」「前にも聞いたよ」「忙しいから」「要するに何が言いたいの」などと、相手の話を封じ込めたり、相手の話を横取りして自分が話したりしていませんか?(私の家に来る学生たちもそうでした。いろんな話を聴いてあげたが、「そんな話、家でもしたことがある?」と聞くと、親は「何あほうなことを言ってる」などと言うので話したことがないと言っていました。 彼らは、そんな話を聴いてほしくって我が家に来ていたようです。) 「それからどうしたの」「ほう凄いね」「ふんふん」「まあ!」などと相づちを打てば、相手は気持ちよく話を続けることができ、あなたに好意を抱くはずです。 すると今度は、あなたの話を聞いてあげなければと思うようになるものです。(返報性)
2018.02.19
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楽しく会話を広げるコツ 以前明石家さんまさんが大勢の小学生を相手に司会するトーク番組『やっぱりさんま大先生』のビデを基に、先生たちが笑いが起きる秘訣を分析したところ、さんまさんが面白いことを言うというよりも、子供たちから起きる話題をうまく拾い上げて、それを広げているだけだったという話を書きました。 つまり、話しやすい環境を作って、話すきっかけを作り、相槌を打って積極的に傾聴し、相手を肯定的に受け入れる。すると、相手は気持ちよくなって、心を開いてくれる。 これが、コミュニケーションの基本です。 誰だって、こちらが一生懸命に話しかけているのに、うなずきも相槌もなく受け止めてくれなければ面白くなく、話しも弾みません。 口下手だとか、相手の話の内容が理解できるか否かは関係ありません。会話を弾ませる簡単な方法は、相手の話す単語や語尾を拾い出して繰り返すことです。 あるクラブのママは、「どんなにお客様の話がチンプンカンプンでも、お客様の話していることの中から、これが言いたいらしいという言葉を抜き取ってオウム返しすること」を店の女性に教育している。 「この間、でホールインワンをやっちゃって大変な目にあったよ」「エッ、ホールインワンをですか」「うん、五番アイアンで打ったら入っちゃってね」「へえ、五番アイアンでですか」 この繰り返しだけで、お客は気分よく話を続けることができ、どんなに駆け出しの女性でも感じのいい子だと思われて、また来てくれて彼女を指名するようになるとのことです。 なにげない会話でも、オウム返しにチョッと自分の意見も付け加えると話が弾みます。A:「今日は雨でうっとうしいな」B:「そうだね、雨でうっとうしくて、何となくいやな気分になるな」A:「そうだよな。雨だと、なんだか気持ちが暗くなって前に進まなくってさ」B:「そう、気持ちが前に進まないんだよね」A:「それに、嫌なことを思い出してしまうんだよね」B:「嫌なことかぁ・・・」 逆に、相手にお構いなしに、自分のことやうんちくばかり延々と話し続ける人は敬遠したくなります。趣味やある世代だけに通じる話題を、一方的に聞かされるのも同じです。
2018.02.18
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気が合わない人ほどほめてみる 誰にでも、どうしても気が合わない人がいると思います。 そんなとき、「この人は、なぜこんなに物わかりが悪いのだろう」 「あいつは、何と扱いにくい奴なんだ」などと、相手のことを非難したところで、相手を変えることはできません。 どんなことでも、自分だけが正しくて、相手が全部間違っているということはまずありません。 逆に、相手の考え方が一方的に正しいということもありません。 ですから、自分が正しいと思って、相手を一方的にやっつけても問題は解決しません。 相手が自分の思う通りに変わってくれれば、これほど楽なことはありません。相手に変わることを強要するのではなく、まず自分を少しでも変える努力をしてみることです 最初から「話が合いそうにもない」と思ってしまうと、そういう気持ちは、相手にもなんとなく伝わります。ですから、相手もそう思って対応します。 そこで、気が合わない人ほど、まずは心の中でほめてみることをお勧めします。 すると、相手の良いところが自然と見えてきて、だんだんと相手とも気が合うようになってきます。 要は、気が合わないと思われる人を、自分の中でどう消化するかです。うまく消化できれば、人生は楽しいものになってきます。 人間関係において一番大切なことは、つまらない批判精神を捨てることです。 とかく知的人間を自称する人ほど、物事を批判の対象として見がちで、お世辞がなかなか言えません。 人間関係の場でのお世辞は、言ってみれば『言葉の握手』です。 握手のために手を差し出すときに、誰も心にもない行為だとは思わないはずです。お世辞も同じことで、心にもないことを言うと思わなければ誰にでも抵抗無くできるはずです。 お世辞は人間関係をよくする潤滑油だと思って、深く考えることなく、握手ほどの軽い気持ちで言えば良いのです。 ところが真面目な人ほど、つい「こんな心にもないことを言っていいのだろうか」などと思うためにぎこちなくなります。 お世辞が苦手な人は、自分なりの常套句を幾つか用意しておくと良いでしょう。 言葉に出すのが一番だが、面と向かってほめるのが苦手なら陰でほめてみることです。 「向かって愛語を聞くは、面を喜ばしめ、心を楽しくす。向かわずして愛語を聞くは、肝に銘じ、魂に銘ず」と道元禅師は言ったが、「あの人が」と思うような人が、自分のことをほめていたと人づてに聞かされると、面と向かって言われるよりも嬉しいものです。
2018.02.17
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共通理解を深めるために 共通理解ほど難しいことはなく、「聞いたことの10%、見たことの20%」しか伝わらず、最大でも情報の25%程度しか伝わらない」といいます。 ですから、まず自分の頭の中のイメージを具体的にクリアーにし、イメージ間のつながりや関係が整合性がとれるように、それらを論理的に組み立てることが大切です。 いくら会話を重ねても、次のような状態では、内容が正確に伝わるはずがありません。 ・相手の話を理解できない(関連づけが大切) 文章や話において、部分間に関連がつかない状態が「わからない」 部分間に関連がついた状態が「わかった」 その関連性が以前より緊密なものになった状態が「よりわかった」 ・曲解する 例えば、「情けは人のためならず」を、「人に掛けた情けは、自分にはね返ってくるから、人には情けを掛けなさい」と言ったつもりが、「情けは相手のためにならないから、人にはなさけをかけるものではない」(今の若い人には多い)というように受け取る。 ・聞き落とす 興味のないことは耳に入らない(馬耳東風) コミュニケーションの真髄は、相手志向に徹して、「難しいことを易しく(小学五年生でも分かるように)、易しいことを面白く」に行き着くように思います。 情報は一方的に自分の思いや考えを「伝える」という自分思考ではなく、「相手の受信を助ける」といった相手志向が大切です。 昔から「話し上手は聞き上手」というが、それは聞くことによって相手を理解し、相手に合わせて話が出来るようになるからです。 だから、訊く力(質問力)がとても大切です。 コミュニケーションの第一歩は、相手の話を良く聴くことから始まります。それも、気持ちよく相手に話させることです。 ユダヤ人の諺に「愚者は自分の話をし、賢者は質問をする」という言葉があります。 あなたに相談をするのは、アドバイスをして欲しいのではなく、話を聞いて欲しいからです。にこやかに相槌を打ちながら耳を傾け、ときには相手の言った言葉をオウム返しするだけでいいのです。 聴けば、相手から情報や知恵を引き出すことも多く、聞き上手の方は得るものも大きいものです。相手を良く知ることができれば、相手に合わせて説得するのも簡単です。 また、誰でも、「自分のこと」に一番関心があります。 だから、自分の関心ごとに付き合ってくれる聞き上手な人には好意を持ちます。好意を持てば、自ずと説得力も高まります。 そして、「私の話を聴いてくれたから、今度は聴いてあげなければ」という返報性も高まり、身を入れて聴いてくれるので、自ずと説得率も高まります。 相手の話を正確に聞く(目的・意図・気持ちなどを含め)には、想像力を養うことです。 (聴く力を高めるには、本を読み要約する訓練が効果的です。五百~千字程度に要約する癖を付けるとか、複雑な話しなら体系図を書いたり頭に描くと聴く力が高まります。 何事も成果は「対策×実行度×やる気」で決まるが、人は一方的に指示されたことにはやる気も出ず、従って実行度も上がりません。いかに相手にやる気を出させる話し方ができるかが決め手です。 それには、相手の自主性を促す話し方をしながら、うまく自分のペースに持ちこみ、自分の思った結論に落ち着かせることです。 それはスキルと言うよりは、人に対する気遣いや明るさという人間性が問われます。 そんな親や上司なら、自然と話しやすい空気も漂っているだろうし、嫌なことでも素直に聞いてしまいそうな感じがするかもしれません。 まず、相手をいらつかせないことが大切です。 あなたは、どんなときにいらつきますか? ・聞き取れない(声が小さい、早口) ・話が長い(情報過多)または極端に短い(情報不足) ・自分の言いたいことだけを話す(政治家に多い) ・こちらの質問の意図に応じた返答がない(政府答弁に多い)・・・ コミュニケーションにおいて、貴方は次の三つのどのタイプですか? ①自分を抑え込むタイプ 自分の意見を上手に伝えられず、「NO」とはっきり断ることもできずに、飲み込んで我慢してしまうタイプで、ストレスを溜め込みやすい。 ②相手を攻撃するタイプ 面と向かって自分の感情をストレートに出し、相手を攻撃するタイプです。人間関係のトラブルも多く、相手側にストレスを溜めている人も多いはずです。 ③相手を尊重し、自分の意見もしっかり言えるタイプ 相手の立場を尊重して相手の言い分も受け入れつつ、自分の考えもしっかり主張するという「Win-Win」のコミュニケーションをとれるタイプです。 お互いに我慢しなくてよいので人間関係のストレスも少なく、理想的なタイプです。 次のような点に留意するといいでしょう。 ・話の腰を折らず、最後まで聞いてから自分の意見を伝える。 相手にあわせて話をし、独りよがりな説明をしないことが大切です。 ・事実を具体的かつ正確に、迅速に伝える。 自分の意見を分かってもらいたいときには、誰の目にも明らかな事実=具体的な数字やデータを使った資料が強い味方になってくれ、人間関係を悪化させずにすみます。 ・事実に基づいて広く深く理由を体系的に組み上げ、提案をまとめる。 相手の言うことに納得ができない場合でも、「ここをこうするともっと良くなると思うのですが、いかがですか?」などと相手に提案する形をとると上手く行きます。相手の欠点を指摘するだけでは、感情的になってきて、仕事も前へ進みません。 ・摩擦を起こさないためには、クッション言葉を巧く使う。 「言いにくいのですが」、「恐縮ですが」、「申し訳ございませんが」といったクッション言葉を頭につける。 言いにくいことをオブラートに包むのも良いが、包み過ぎると「結局、なにが言いたいの?」となります。とくに仕事上のコミュニケーションでは、具体手に事実をストレートに伝えたほうが、永い目で見れば人間関係もうまくいきます。
2018.02.16
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コミュニケーション力は幸せに生きる力そのもの 一つのコトバで喧嘩して 一つのコトバで仲直り 一つのコトバにお辞儀して 一つのコトバに泣かされた 一つのコトバはそれぞれに 一つの心を持っている (作者不詳) この詩ではないが、言葉には人生を左右する大きな力があります。 良い言葉が、良い人生を創ります。 逆に、悪い言葉は悪い人生を創ります。 それは、言葉が行動を創り(行動する前には頭の中で「何々をしよう」という無言の言葉が浮かぶ)、行動が習慣を創り、習慣が体質を作り、体質が運命を創るからです。 中村天風は、「人間の精神生命の中には、暗示の感受性というものがある。だから、たった一言を言うのも、この暗示の感受性というものが、必ず自分が気がつかなくても、ものの声に応じたように感じる。感じると同時に潜在意識化し、それに対してその通りの状態が働きだす。万一、消極的な、怒り、悲しみ、悶え、迷い、悩みなどが口から出されると、恐ろしい結果を神経系統の生活機能に与えてしまう。何気なく出てくる言葉というものはない。どんな人の言葉ですら、その言葉になる前に、観念が言葉を創るのだから」と言ったが、何気ない一言が、相手の心の中で生き続けて大きな力を発揮することがあります。 樋口廣光太郎アサヒビール元社長は、「小学校二年生のときに、先生から『あなたは何かを持っているから、自分の気持ちを全部出すようにして、嘘だけは言わないで伸び伸びやりなさい』と言われた。その一言によって、その後の人生で苦しいことや逆境に出会っても、自分には何かあるという自信が私を楽天的にさせ、その自信がその後の私の人生を切り開く原動力になった」と語る。 このように、まず褒めて心を開かせ、次に注意すると受け入れられやすくなります。 東日本大震災で意気消沈した気持ちを奮い起こし、希望を生み出したのも言葉でした。 たった一つの言葉が、相手の心を開かせたり、人を救ったりする一方で、いじめ問題にもみられるように、相手の心を閉ざさせたり、時には自殺に追い込むほど傷つける凶器になることもあり、その二面性に十分に留意してください。 ビジネスにおいても、失敗の80%以上はコミュニケーションの不備に起因するとも言われて、就職や転職、仕事をする上で最も求められています。 ヨハネ福音書に「始めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった」とあるように、大昔には人の知らない情報=言葉を知っていること自体が力であり、古代文明では日食や月食を予言する人は神とあがめられ、言葉が人を動かしてきました。 三重苦のヘレンケラーは「言葉は、知識の、思考の、幸福のシンボルである」と言ったが、人間の知の根源は言葉であり、見えないものを見えるようにするために言葉があります。 私たち人間は、言葉によって時空を越えて知識を交換し、その蓄積が文化を築き発展させてきました。 人は死ねば終わりだが、言葉は永遠に生き続けます。 この世は総て(国家間から貴方と私まで)人と人とが彩なす世界で、言葉を通した意思疎通がうまくいくか否かで、お互いの関係がうまくいくか、気まずくなるかが決まってきます。 従って、言葉は生きる力そのものと言えます。 「私の言葉の限界が私の世界の限界である」(哲学者ヴィットゲシュタイン)と言ったように、人間は言葉で考え、言葉で伝え、言葉に反応する故に、言葉の限界がその人の限界となります。 大いに語彙を増やしたいものです。 コミュニケーションとは、「聞く・読む」→「対応を考える」→「話す・書く」をお互いに繰り返すことで、お互いを理解し合い、利害の異なる他者とも共生して、楽しく生きてゆくための手段だと思います。 従って、コミュニケーション力とは、「聞く・読む」を通して相手の意図を理解し、それに対する的確な返答を考え、「話す・書く」ことを通して的確に伝える能力といえます。 聴いてもらうには、「人は何を言ったかよりも、誰が言ったか」で信用したりしなかったりするので、お互いの人格を分かり合い、共感しあう人間関係が大切になります。 そして、的確な対応をするためには、相手の話を正しく聴き、それに対する答(問題解決策)を考え、それを正しく受け入れてくれるように説得することです。 まずは、自己中心的な見方を排し、相手に対する偏見をもたずに、相手の言葉の裏にある真意を読み取って、相手の言いたいことを正しく受け取る必要があります。 だが、人間は自己中心的な動物で、これがなかなか難しいことです。 次に、自己本位に偏らず真理に照らし物事を考える必要があります。 だが、私たちには自分だけの為に貪る心や自分の意に添わないと怒る心、不平・不満などの邪心で小我を通すよこしまな心があり、これを捨て去るのは大変です。 そして、それを相手に合わせて分かり易く話し、相手に受け入れてもらい、自分の思うとおりに快く行動してもらう必要があります。 これらを総合したものが、コミュニケーション力ではないでしょうか? 良好なコミュニケーションのコツは、言葉のキャッチボールにあります。コミュニケーションは、ドッチボールではなくキャッチボールだと伊藤守さんは言うが、ディベートのように相手をやっつけるのが本来のコミュニケーションではありません。 ドッジボールでは、相手を倒すために受けにくいボールや強いボールを投げつけます。 だが、キャッチボールを楽しく続けるためには、相手が受けやすいボールを投げることが大切です。相手が受け取れないようなボール(言葉)を投げかけるとか、相手の投げたボールを上手く受け取らなくては、コミュニケーションは成り立ちません。 つまり、談話力とか会話力と言われるものです。 コミュニケーションは、相手との言葉のやりとりを通して、お互いに理解し合い、納得し合い、ときには意識や状態を変えさせて何らかの行動を起こさせること(説得)が目的だから、相手の受け取りやすい言葉を読んで投げかける必要があります。 相手の理解度や状況も考えずに、一方的に自分の言葉や都合だけで話しておいて、自分の話を聞いてくれないと嘆いていませんか? 良いコミュニケーションを続けるためには、まず相手にボール(言葉)を受け取ってもらえるように、相手の受け取りやすいボールを投げることが大切です。 そして、自分も相手のボールを受け取る気持ちを大切にして、キャッチボールの回数を増やすことです。 それにつれて、相互理解も深まってきます。 小学校の先生方が、明石家さんまさんが小学生相手に司会する『やっぱりさんま大先生』を見て、子供達から笑いが絶えない技の秘訣を分析しました。 ①子供の話を一言一言、「うん」「うん」と肯定しながら聞いている。 ②集中して細かいところまで聞き逃さず、速くて大きなリアクションをする。 ③質問から外れたり要領を得なくても最後まで話を聞き、決して否定しない。 「傾聴して相手を受け入れると気分が良くなって心を開いてくれる」というコミュニケーションの基本に忠実で、彼が面白いことを言うというよりも、子供たちから起きる笑いを上手く拾って広げていることが分かったそうです。 とかく自分本位になりがちなのが人間の性だが、自己主張や弁解をしたい気持ちをグッと抑えて、まず「そうなの」と相手を受け入れてみることです。 ところで、コミュニケーションは、共通理解するための道具だと言われるが、共通理解とはどういうことでしょうか? 共通理解とは、ジグソーパズルを想像してみると分かり易いと思います。お互いの頭の中にあるイメージを幾つかのピースに分けて、それを言葉に変えて相手に伝え、相手の頭の中に同じイメージを描く作業です。そうやって、双方の頭の中に、同じ絵が完成したときに共通理解ができたといいます。
2018.02.15
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たった一つの言葉から たった一つの言葉、たった一つの微笑みで、相手を一日中明るくしてあげることができる、とフランスの聖女テレーズと言われたシスターが一九世紀に言っています。 やけにウキウキとして、何を言われても腹の立たない日があります。 そんな日のことを考えてみると、バスでお年寄りに席を譲ったら何ともいえない笑顔で「ありがとうございます」と言われたとか、上司がニコニコ笑って「ご苦労さん」と労ってくれた、などと思い出されることがあるはずです。 逆に、上司に「おはようございます」と挨拶したのに返事がなかったとか、同僚と目があったのにツンとされてしまったなどと、誰かのほんの一言、ほんのちょっとした態度が気になって意気消沈してしまう日もあります。 昔から、「ものは言いよう」と言うが、言葉一つで相手と仲良くなったり喧嘩したり、相手を発憤させたり、やる気を削いでしまったり、時には相手を自殺に追いやる凶器にさえなります。ほんの少しのことが、人を不幸な気分にしたり、幸せな気分にしたりします。 私たちは、誰かに会ったとき、相手が心地よい微笑や優しい言葉をかけてくれないと、不満が生じて、あの人は冷たい、私を無視していると思いがちです。 でも、微笑や優しい言葉を期待しているのは自分だけではなく、相手も同様に、あなたから微笑や優しい言葉をかけてくれることを期待しています。人が自分に対して冷たいとか悪感情を持っていると感じるときは、大抵の場合は自分の方に原因があります。 人の心を開く次の言葉を自ら気軽に口にすれば、誰とでもすぐに友達になれるはずです。 ①自分から「おはようございます」「お元気ですか」と心を開いて声をかけてみましょう。 出会った時に一声掛ける挨拶は、相手を無視していないことの証です。 知り合いの短歌の先生は、「わあ、お会いできて嬉しいわ」といつも明るい声で仰います。その声を聞いた途端に、こちらも心の中が明るくなり、ほのぼのとしてきます。 京都の街を歩いていると、「こんにちは、どちらまで」「へえ、そこまで」などと、意味のない会話をよく耳にするが、これは狭い地域で楽しく生きるための智慧だと思います。 「○○さん、お元気ですか」などと名前を呼べば一層効果的です。自分を覚えていてくれた、関心を持ってくれたと思って、自然と笑顔が浮かび仲良くなれるから不思議です。 ②何か言われたら、「はい」と元気に返事を返して心を開きます。 「はい」は、「あなたの言うことを聞いています」というサインです。 お会いした人にハガキを出すのも、出会いへの深い感謝の気持ちが伝わります。 永六輔さんのあだ名は「電報ハガキ」だそうです。短い文章だが、人に会ったら、直ぐにハガキを書いて出すのがそうです。 誰でも、手紙やハガキを受け取るのを嬉しく心ときめくものだが、自分から書く人は少ないものです。永さんのように、ハガキを書く癖を身につければ、きっとあなたは印象的な人になるはずです。 ③「ありがとう」の言葉ほど、人の心を温かくする言葉もありません。 たった一言の「ありがとう」が、人の心を晴れやかにします。 奥さんや子供、会社の人に、「新聞取って」「お茶入れて」「コピーして」などと簡単なことを頼んでは、「ありがとう」を繰り返せば、会話不足も解消されます。 言われた本人も楽しくなって、周りに善意を施し、安らぎの輪が広がっていきます。 喫茶店や食堂、飲み屋でも、水やお茶を注いでくれた時、料理を出してくれた時、会計の時などに、一言「ありがとう」と言ってみてください。きっと相手の顔が輝いて、応対が良くなるはずです。 それが、ギスギスしがちな今の世を楽しく暮らすコツです。 どこに勤めても、すぐに辞めさせられてしまう少し知恵遅れの子を見かねたお坊さんが、「なあお前、何の役にも立たんでいいから、仕事場に戻って『ありがとうございます』と言って頭を下げてみい。皆が喜んでくれるはずや。そうしたら、必ず自分も光るようになるはずや」と諭しました。 翌日から、大きな声で「ありがとうございます」と言ってはみたが、そう簡単に通じるはずがなく、「何を突然言い出すんや、こいつは」と周りの人たちは冷たい反応でした。 しかし、そんな周囲の反応も気にかけず、阿呆の一徹で朝と退社時には玄関に立って「ありがとうございます」を続けていると、やがて社長も一緒になって「ありがとうございます」と、社員を送り迎えし始めました。そうするうちに、社員にも一人二人と浸透していき、社内が明るくなっていきました。 喜んだ社長は、「お前は会社の宝や。その『ありがとう』だけでいいから、心配せずに働けよ。お前を一生食べさせてやるからな」と約束したと言うことです。 人と人とが付き合っていくというのは、言ってみれば「心と心のおすそ分け」です。 心のおすそ分けとは、突き詰めれば、心から溢れる感謝の言葉だと思います。 このおすそ分けの数が多ければ多いほど、私たちはお互いに幸せになれます。 「心のおすそ分けは感謝の言葉なのだ」と考えて、言葉の衣替えをしてみませんか? 「エクスキューズ・ミー」「アイム・ソーリー」「プリーズ」「パードン」「サンキュー」 欧米では、この五つの言葉を「言葉の王様」と言って、子供の頃から厳しく躾ます。 どこの国であろうと、「言葉の王様」がこの世を楽しく生きていく原点だと思います。
2018.02.14
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言葉の威力 言葉は、口の端から出た途端に飛び散ってしまう儚いものだと思われがちです。だが、何気なくはいた一言でも、一度人の心のすき間に入り込むと、そこに根をはり、人の一生を左右するほどの恐ろしいマインドコントロール力を発揮します。 消極的な言葉や怒り、悲しみ、迷い、悩み、苦しみ、憂いなどを含んだ言葉が自らの口をついた途端に、自分自身の行動に大きな影響を与える危険性もあります。 人間の精神には、暗示への感受性があるからです。 たった一言であろうとも必ず自分が気づかないうちに、ものの声に応じたように暗示への感受性が働いて潜在意識となり、言葉通りの状態が無意識のうちに働きだします。 例えば、頭が痛かったり、ちょっと熱があると思われる時に、「熱があるようで、頭は重いし、体がだるくって」と愚痴を言っていると、ますます自分自身で暗い気持ちになってきて、本当に病人になってしまうことさえあります。 逆に、「今日は嬉しいです」とか「今日は楽しいです」という言葉を発した時は、何とも言えない爽快さを感じるはずです。 その感じる主体は、あなたの実在意識です。 実在意識が感じた感覚は、直ちに潜在意識となって、生体機能にも知らず知らずのうちに影響していきます。 言葉の力の凄さ、恐ろしさを示す例はたくさんあります。 ☠ある妊娠したばかりの奥さんは、幸せいっぱいの兄嫁を嫉妬した小姑から、夫の独身時代の素行や愛人のいることを知らされ、大きなショックを受けました。そのせいか、生まれた赤ちゃんは、精神薄弱児だったそうです。悪意のある言葉が、お腹の中の赤ちゃんにまで影響を与えた悲しい例です。 異常児の何割かは、妊娠時のショックが原因と言われています。 ☠ある頑健な老人は、医者に会うたびに憎まれ口を叩いていたので、お医者さん三人が、一つ悪戯をしてやろうと計画を立てました。 一人目の医者が老人と顔を合わせた時、「おじいちゃん、顔色が悪いね。大事にしなさいよ」と言い捨てて行きました。 でも、老人は、「へぼ医者が何を言う」と気にも掛けませんでした。 ところが、しばらくして会った二人目の医者も、また何日かして会った三人目の医者も同じようなことを言って通りすぎました。 三人が三人同じようなことを言うので、老人は「どうもこのごろよく眠れないし、食欲も心なしか振るわない。どこか悪いに違いない」と思い始め、別の病院に行ってみたが、どこも悪いところはないとの診断です。本当にどこも悪くはないのに、老人は「病名も言えないほどの病気なのか」と勘ぐりだして寝込んでしまったそうです。 ☺Aさんは重度の痴呆患者で、他人の病室に入ってコップをつかんで離さなかったり、消火器を持ち歩いたり、オムツ交換の時には殴る蹴るの大暴れをするので嫌われていました。 そんなAさんに、松本さんという付添婦がつくことになりました。 松本さんは、とにかくAさんについて回って話しかけました。触ろうとする物の説明をしたり、「今日は気持ちいいねえ」と天気の話もし、できるだけ笑顔で接するようにしました。老人はむさ苦しくなりやすいので、人に好かれるようにと、いつも清潔を心掛けたので、他の付き添いさんも次第に声をかけるようになりました。 すると、厳しかったAさんの顔が二カ月ほどすると優しくなり、唸るだけだったAさんに、意味は分からないまでも言葉が戻りはじめました。そして、ある日突然、「世話になるな」と松本さんがお礼の言葉を言ったのだそうです。重度のアルツハイマー型痴呆患者が中程度に回復する例は珍しく、医者も感動したということです。 ☺ある二世経営者が、責任の重圧から拒食症にかかって入院し、お粥も受け付けないほどの重症になったときの話です。 オロオロするご両親に、見舞いに来たある方が、「お粥をスプーンで口に持っていった時に、嘘でもいいから『あっ、少し入ったね』と言ってあげなさい」と忠告しました。 ご両親がワラにもすがる思いで、早速それを実践しました。 それを何度か続けるうちに、少しずつお粥を受けつけるようになり、何日もしなうちに回復したそうです。 仕事の上でもそうです。 ☠百貨店外商の大得意である年配の奥さんは、何時も「奥様」と呼ばれていたが、ある時、若い店員から「おばあちゃん」と呼びかけられ、それから行かなくなりました。 ☺彼氏とプディックに行った時、「似合うよ」と言われて値札も見ずにレジへ行ったH子さんは、お金が足りないことに気づいてハッとしました。その時、店員が「ボタンが一つ取れていますので、明日までにお直ししておきます。代金はその時に」とカバーしてくれました。それ以来、彼女は、その店の常連です。 私たちが普段、何気なく使っている言葉は鋭い両刃の刃で、うまく使えば素晴らしい効果を発揮する一方で、使い方を誤ると相手を傷つける凶器に変身してしまいます。 結局、自分の使う言葉の善し悪しによって、自他の生きる力が良くも悪くなります。つまり、言葉があなた自身やあなたの周りの人の運命を創ると言えます。
2018.02.13
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運は自らつかむもの 池宮彰一郎著『四七人の刺客』の中で、大石内蔵助は城代家老大野九郎兵衛の逐電を機に雪崩を打って逐電し始めた藩士たちを見て、「惜しい有能の士を失った」と惜しむ者たちに次のように語ります。「止まって志しを貫くのが人生の幸せか、去って一生悔いを残すか、それは運だ。人の運は、口舌では変えられぬ。去るも運、止まるも運、人の運は岐路に立って道を選ぶ。その先、どのような運の展開があるか、人智の及ぶところではない」私たちの長い人生の途上には、このように自らの選択によって運が大きく分かれるときがあります。 そんなとき、我々は何かに頼りたくなるものです。武田信玄が信濃に兵を進めようとしたとき、一羽のハトが飛んできて陣屋の樹の枝にとまるのを見て、家臣たちが「このたびの戦が大勝利を収める前兆だ」と喜ぶのを見て、信玄は鉄砲を持ってこさせて撃ち落としてしまった。 いぶかる家臣たちに、「大事な戦の前に、つまらぬ迷信に左右されるな。もっと腹を据えて掛かれ」と叱責したと言います。確かに、それ一回だけのことなら、その吉兆を使って家臣たちを勇気づけることができるかもしれません。 だが、その吉兆を一度使うと、次の戦の時にも人々は吉兆を求め、吉兆が見られないと不安になる。 その挙げ句、不安の心が凶兆をつくり出さないとも限りません。 いや、人間というものは弱いものなので、必ず惑わされるようになるものです。現代の私たちも、何か不安を抱えていたり心に悩むことがあると、ワラをもつかむ気持ちで巷を賑わしているインチキ宗教に頼ったり、占いなどに頼ることがあります。 京都の街角でも、人気の占い師には多くの若い女性たちが行列をなしています。悩みなんて、心の持ち方の問題だから、人生の応援歌として案外これも有効なこともあろう。だが、一度そうやって心を甘やかすと、その後が大変です。 いつも占いなどに頼るようになって、自分というものをなくしてしまいがちになります。そんな何かに頼りたい弱い心を振り払い、自ら良運を呼び込む努力が大切です。中国の古い話があります。ある青年が易の奥義を極めたという人に占ってもらうと、「お前は法律が性に合っている。最初の試験には何番で受かって、これこれの給料になる。二回目の試験は何番で、給料はこれこれ、三回目はこれこれ。そして郡長になって、53歳の8月30日にこの世を去る」といわれた。そして、一回目も二回目もその通りになった。そこですっかり諦めてしまい、ジタバタすることもない、もう呑気にやろうという気になった。あるとき、赴任のついでに有名な寺に寄ったところ、和尚に「お前は、一体どこで修行した。若いに似ず、名利の心が少ない」とほめられた。そこで、今までの経緯を話して、「だから、もう諦めています」と言った。和尚はカラカラと笑って、「将来有為な青年を見いだしたと喜んだら、お前は何という阿呆な凡夫か。人が善いことをすれば、天は諸々の幸いを下し、悪をなせば諸々の禍を下す」と因縁の法則によって自分の運命を変化させることを説き、善悪の番付を作って、毎日善いことを蓄積して三千点の善を積み、自分の運命が開けるように仏に願えと諭した。それを実行したところ、易者の予言を覆して大臣の位まで進み69歳まで生きたという。ようは、自分の運は自分でつかむことです。 それには、積善とともに、事に当たっては大石内蔵助のように十分に準備することです。 誰にも一生のうちには三回のチャンスが巡り来ると言われるが、それを確実にものにするには、事前の十二分な備えが必要です。備えがなければ、チャンスをチャンスとして生かすこともできません。 結局、積善でチャンスを呼び込み、普段からの備えでそのチャンスを確実にものにすることです。
2018.02.12
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出会いが才能を花開かせる 人生は、しばしば偶然に左右されます。 それを、人は運と言います。 女子大を卒業ずるまで、家族と学校関係者以外の男性と口をきいたこともなかった深窓のお嬢さん渡辺和子さんは、縁あってウイーンで演劇を学んでいた夫と結婚して渡欧した。 「女も外に出なければ」と夫が言うので、お稽古感覚で帽子の学校に通い始めたところ、感覚がいいと先生にほめられた。 次にウイーン工芸大学舞台衣装科の学生になったが、そこでも認められてザルツブルク音楽祭で実習の機会が与えられた。 そのとき、ドイツの著名な女性舞台衣装家の目にとまり、「ベルリンに来て、食事付きで私の家に住み、本格的に修業しなさい」と熱心に誘われてベルリンに出た。 舞台衣装で独り立ちした後、ある劇場から「衣装だけでは高額なギャラが払えないから、舞台美術もお願いしたい」と言われ、偶然から舞台美術も手掛けることになった。 彼女の舞台空間は、花嫁修業で習ったお茶やお花の影響からか簡素で評判になった。 だが、ドイツの役者たちは、装置がシンプル過ぎて戸惑った。 そこで、演出家の横に座って説明するうちに、自分でやった方が早いと演出家も兼ねるようになった。 渡辺さんは、言葉も分からずに渡欧してから三十数年、今では自分でも気づかなかった才能が花開いて著名な演出家になった。 人の出会いは、本当に不思議です。 お釈迦様も、「人間に本当の生き甲斐を教えてくれる良き友を持つことが、この道のすべてである」と言われたが、偶然の縁=運をしっかりと生かしていきたいものです。 何事も上手くいくには【能力×努力×運】が必要で、運の比率が九割だと松下幸之助は言ったが、運を生かすには目の前のことに一生懸命に取り組み実力を蓄えておくことが必要です。 それだけでなく、自分自身が他人にとって良い縁になる心がけも大切です。 定家文弘大阪府立大学教授は、講師になって間もない34歳の時に事故で車椅子の身になった。そのとき、大阪府や大学関係者は、「車イスの教員は前例がない」とか「施設での安定した暮らしの方が、あなたも幸せでしょう」と退職を迫った。 そんな人たちに、上司の右田紀久恵教授が、「彼に退職を迫るのなら、私のこの辞表を受け取ってください」と詰め寄ってくれたおかげで大学にとどまることができた。 それ以来、定藤さんはさまざまな障害者運動にも率先して参加し、障害を持つ学生の入学枠を大阪府立大に受け入れるためにも奮戦した。 右田教授がいて、定藤教授がいて、学生がいる。このような縁の鎖で、世の中が少しずつ良い方に変わっていきます。
2018.02.11
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目に見えない大きな力を感じるとき オリンピックなどで活躍した世界一流の選手たちが食事を共にしたとき、「いや~、あの時の演技は、自分がやったのではなく、神か仏か、自分を超えた力が後押ししてくれたとしか感じられなかった。本当にいい演技ができたとき、高得点がでたときというのは、そういうものじゃないのかな」と一人が言うと、全員がその通りだと肯いたそうです。 この話ではないが、何事も、人間独りの力でなし得ることなど程々のことでしかなく、本当に素晴らしい成果というものは、何か目には見えない力が背後から後押しをしていてくれるという感覚がなくてはできないものかもしれません。 自分で一生懸命に努力することは欠かせないが、自分以外の他者が自分という存在を支えてくれていると謙虚に受け止めることも大切だと思います。 何事も上手くいくか否かは【能力×努力×運】で決まり、運が九割という人もいます。では能力や努力はいらないかというとそうではなく、目の前に巡ってきた運を確実に生かすためには、目の前のことに一生懸命に取り組み実力を蓄えておくことが必要です。 「人の行くつくところは、やはり他力という感覚かもしれませんね」と瀬戸内寂聴さんも言われるが、運とは多くは人の縁から生まれます。運には、人の縁から生まれる他力を、どれだけ生かすことができるかという側面もあると思います。 仕事に一途なあまり正論を吐いて誰とでも衝突し、『ケンカ鳥』とあだ名を付けられていた佐藤さんが心筋梗塞で倒れた。幸いにも手術はうまくいったが、医者から「あなたの心臓は40%程度しか機能していない」と言われた。 それでも仕事が最優先だった佐藤さんは直ぐに仕事に復帰したが、病を抱えているので以前のようにはなかなかいきません。 そんなある日、「そうか、心臓が40%機能しているということは、考え方が40%合えばOKということと同じだ。100%合う必要はないのだ」と気づきました。 すると、ケンカ鳥の頃は、自分の持っている力の3、40%くらいしか使っておらず、残りは他人とのぶつかり合いに使っていたように思えてきました。 相手に心から合わせられるようになってからは、相手の力を分けてもらっているおかげで、自分の力を200%にも300%にも発揮できるのだと実感するようになった。 同時に、人の話もじっくりと聞くことができるようにもなった。 すると不思議なことに、たいていの問題は話を聞くだけで解決してしまうことも体験したとのことです。
2018.02.10
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相手の美点だけ見ればいい 人と良い関係を維持するコツは、相手の非を見ずに、美点発見だけを心掛けることです。 ところが私たちは、とかく美点よりも相手の欠点に目が行きがちです。 他人を褒めるよりも、他人の過失や失敗、欠点などをあげつらい、悪口を言ったり、非難したり、噂して回ったりすることの方が多く、それで留飲をさげているものです。 テレビや週刊誌を見ればわかるように、私たち凡人はどうも他人の欠点や過ちに興味を持ちすぎるきらいがあります。人の過ちや欠点を知ったところで、何の足しにもならないのに興味津々です。 そんなときの自分の心の奥底をのぞいてみると、相手を見下そうとする奢った気持ちや自己を誇ろうとする傲慢な気持ち、有名人や成功者が失敗することで普段の溜飲を下げようとする嫌らしい気持ちなど、己のドロドロした心が見え隠れするはずです。 鎌倉時代の明恵上人は、「人の過ちを言うほどの者は、我が身に徳のなきおりのことなり」と、自分自身が空ろだから他人の過失が面白いのだと喝破しています。 どんな人でも、よく見れば必ず自分の及ばないすばらしいところがあるはずです。他人に対する温かい気持ちを持って、他人の美点発見に取り組むことです。 ある倦怠期の旦那さんが、「奥さんの良いところを100書き出して、誕生日にプレゼントしてご覧なさい」と先輩から言われて実行することになった。 妻や夫、親や子供、彼女や彼氏、ある人の美点を100個見つけようと思うと、なまじっかのことでは不可能です。 「笑顔がいい」「返事がいい」「辛抱強い」・・・、なんとか20、30見つけるだけでも大変です。いつも相手に関心を持って、見つめ続けていなければなりません。この人も、3年かかったといいます。 そうやっていると、相手の心も読めてくるようになります。 100個書き出すことよりも、相手に関心を抱いて見つめ続けるという行為に意義があるのです。 関心は愛の根源です。そんな気持ちが伝わらないはずがありません。 愛されたかったら、まずこちらから相手を愛することです。それには、美点凝視が最も効果的です。 相手を自分好みに変えさせようとするのは、愛ではなくエゴでしかありません。真の愛とは、相手に変わることを要求せず、相手のありのままを受け入れることです。 もし苦手な人や嫌いな人がいたら、会う前に相手の良いところを思い出し、「あなた好きよ」と心の中でそっと呟いてみませんか? きっと、良い関係が芽生えるはずです。
2018.02.09
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愛憎は背中合わせ 「愛は愛より生ず。愛より憎しみは生ず。憎しみより愛は生ず。憎しみより憎しみは生ず」と原始仏教の経典にあり、愛と憎しみが背中合わせであることを教えています。 人を好きになると、その人から目が離せなくなって、何時もその人を見守っています。今日は顔色が良いとか悪いとか、今日は楽しそうだ機嫌が悪そうだ、今日は洋服や持ち物を変えたな・・・などと絶えず相手の言動に関心を払っています。 嫌いな人に対しても同様で、「顔を見るのも嫌だ」と言いながら、「いい歳をしてあんな派手なものを着て」などと着ているものから些細な行為までよく観察しています。 このように、愛も憎しみも相手への強い関心を引き起こします。 愛情も憎悪もなければ、相手の存在自体に無関心だから、どんな変化にも気がつかないはずです。 人間の行為や性格など、長所は短所、短所は長所で、どちらから見るかだけのことです。 たとえば、「行動が遅い人」も、好意を持って見れば「慎重な人」になり、嫌悪感を持っていれば「のろまな人」になります。 だから、何かのはずみで愛が憎しみに、憎しみが愛にひっくり返ることがよくあります。 元々は好き合って結婚したのに、いつの間にか憎しみ合うことがあります。欠点が目について別れたのに、別れて初めて相手の良さを自覚することもあります。いつまでも愛し合ったり、憎しみあったりすることの方が少なく、愛と憎しみは常に流動的です。 だから、嫌いな人にも決定的な一言だけは言わない心がけが大切です。 京都の人は、嫌いな人でも、「嫌い」とは言わず、「嫌いやあらしません。好きになれへんだけどす」と言う。だから他県の人には「京都の人は分からん」と言われるのだが、狭い地域の中で、つまらない喧嘩や摩擦を起こさない生活の知恵ともいえます。 「嫌い」で片づけてしまえば、関係は修復できません。 「好きになれへんだけどす」なら、いつかは好きになれる可能性も残っています。 道元禅師ですら、時の権力者から貢ぎ物をもらって帰った弟子を怒って破門にしたばかりか、その弟子が座禅を組んでいたところの土を何尺も掘って捨てさせたといいます。 「嫌い」という感情は、あの道元禅師にすらそこまでさせてしまうように、相手を傷つけるだけでなく、自分の心をも傷つけてしまい、良いことは何一つありません。 嫌いな人を無理に好きになれとは言わないが、「嫌い」と切り捨ててしまうのではなく、京都人のように「いまは好きになれないだけ」と思ってみませんか?
2018.02.08
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気兼ねと思いやり 日本人は和を重んじるが、和の裏には他人に対する思いやりがなければなりません。 思いやりと気兼ねは違います。 会社で同僚が残業しているので、自分も大した用もないのに付き合い残業をする。そのような付き合いは、後ろめたさなどから起きる気兼ねでしかありません。 そんな人は、今度、自分が残業しているときに同僚がさっさと帰ってしまうと、「前には俺が付き合ってやったのに水臭い奴だ」と腹を立てがちです。 気兼ねの裏には、他人も同じようであれといった潜在的な欲求が潜んでいます。 他人が違う行動をとると、他人を批判しはじめる心が起きます。 思いやりの心とは、相手の心理状態に対する想像力の問題です。 終戦直後の話だが、その人は小食で、ご飯を一膳しか(この時代には副食は少なくご飯を何膳も食べるのが普通だった)食べない。 それでも、お客さんと一緒に食事をするときには、そうとは悟らせずにお代わりを上手に勧める。 そして、お客さんが何膳食べようと、お客さんが箸を置いたときに自分も常に同時に箸を置くように食べたそうです。 この話には、人と接するときの思いやりの心の要諦が含まれています。 ①相手をよく観察している どのくらい空腹か、どのくらい食べそうか、どのくらいの早さで食べる人かなどの観察がなければ、同時に食事を終わることは不可能です。 ②相手が置かれている立場を思いやる心が感じられる 主人が食べなければ、客は遠慮して腹一杯食べにくいものです。余計な心配をさせないように、ともに食べ、ともに語る喜びを味わいたいという心が感じられます。 ③相手の立場を理解した上で、ゆとりを持って合わせる態度がある。 思いやりは、共生きの心であり、自他の心を明るくします。 例えば、病気で寝ている人は苦しんだり落ち込んだりしているのに、健康な自分が笑顔でいると「私が辛い目をしているのに」と思われないかと、看病している人も見舞いに来る人もつい笑顔を遠慮しがちです。だから、病院には暗い雰囲気が漂っています。 だが、病人が思いやりの心を発揮して笑顔で振る舞うようにすれば、周りの人も明るく対応してくれるはずです。 そうやって周りの人が笑顔を浮かべていられるようにしていると、その笑顔が病人の心をも引き立ててくれ、自分の病気の回復も早まるはずです。
2018.02.07
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許すとは忘れること 人付き合いを重ねていると、良い時ばかりではない。ときには腹が立ったり、ムカッとすることもあります。 そんなときに、相手を許す心の余裕を持つことが大切です。 「許すというのは忘れることだと思っています。 何かイヤなことをされたり、自分にマイナスになるようなことをされたとき、それをできるだけ早く忘れてしまうことが許すことなのです」と元侍従長の浜尾実さんは仰います。 でも、心にグサッと刺さったものは、そんなに簡単に忘れられないものです。 結局は、自分自身との闘いです。 自分の中にある憤り、怒り、憎しみ、復讐心、そんなものと闘うことです。人を許せないというのは、結局、その自分との闘いに負けたことであると思います。 自分に勝てる人が一番強い。それが、自己統制とかセルフコントロールです。古い言葉で言えば、修行ということになります。 この世の中には憤りたくなることも多いが、いつまでも憤りや怒り、憎しみ、復讐心などを心中に抱えていては、精神衛生上よくありません。済んでしまったことは、最早どうしようもありません。スパッと忘れるが勝ちです。 そして、また何もなかったように付き合っていけばいいのです。 その場の怒りにまかせて、ガツンとお返しをしようものならろくなことはありません。 お釈迦様は、「悟りを開いた聖者も、悟りを開いていない凡夫も、ともに第一の矢を受ける。 しかし、凡夫はその第一矢に続いて第二の矢を受けるが、聖者は第二の矢を受けない」と言っています。 例えば、満員電車の中で足を踏まれたとき、だれでも「痛いな」と思う。その点では、聖者も凡夫も変わりはありません。 しかし、凡夫は「なぜ、俺の足を踏んだ。この野郎・・・」と腹を立てて怒鳴り、時には手が出たりします。 すると相手も、「なに、この野郎、足を踏まれて文句があるなら、踏まれるようなところに足を置いておくな」などと喧嘩になり、下手をすれば時には命まで落とすことにさえなりかねません。 これが第二の矢です。 ところが聖者は、「誰もすき好んでひとの足を踏んだわけではない。満員電車なのだからしょうがない」と心の中で折り合いをつける。 逆に、自分が相手の足を踏んでしまったときは、素早く「すみません」と謝る。そうすれば、二の矢を受けることもありません。
2018.02.06
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人付き合いのコツ この世で、人付き合いほど難しいことはありません。 宮尾登美子著『松風の家』に、京都のお茶の家元に嫁ぐ娘に母親が諭す場面があります。 茶を広めるには、まず人をつかまねばならない。何も努力しなかったら、人は茶道には関心を寄せず、また人の関わりがなくて単に茶を一服とすすめても、それはそれで終わってしまう。 無縁の人がそばへ寄ってきて、この人が茶を教えてくれるのなら自分も習わなくては、そういう思いにかられるようなものを、これから会得していかなくてはならない。 それには、一に言葉、二にお金だ。 言葉は、何か相手の記憶に残るような思いやりのあるものを、いつも必ず一言付け加えること。 「おはようございます」のあと、「いつもお元気そうでございますね」とか、「お寒くなりました。どうぞお風邪を召さぬように」とか、それを口先だけでなく、心から相手を案じる心を込めて言うこと。企んですることではない。ちょこっとの縁でも断ち切らんで、上下の隔てなく人を大切に扱えば人はお前に寄ってくる。 やたら金品を送って蔑まれてはいけない。といって贈答品は決してしみったれた気を起こさず、たとえ手元に金がなくてもどんな工面をしてでも差し上げなさい・・・。 どんな時代になろうとも、心のこもった一言と贈り物は人間関係の潤滑油です。そして、相手からされた真心にお返しをすることが暮らしの潤滑油でもあります。 ①親切を受けたら、すぐにその場でお礼を言う。 贈り物などには、すぐに礼状を出す。 特別な美辞麗句は必要ない。「ありがとうございました」「おかげさまで」「お世話になりました」などという言葉だけでも、心を込めれば感謝の意は十分に伝わります。 贈り物などを戴いたら、必ずその日のうちに礼状を出す。手紙をもらったときも同じで、内容よりも早さが命です。普段からハガキや切手を用意しておくことです。 私も自著などを差し上げることがあるが、忙しい経営者ほど返事が早く、人の上に立つ人はさすがだと思わされることが多いものです。 ②後日お会いしたときに重ねてお礼を言う まずは①をしたうえで、「先日はお世話になりました。本当に助かりました」とか、「先日は美味しいものをありがとうございました」などと再度お礼を言えば完璧です。 縁の糸は、こちらが意識して紡いでいかないと直ぐに切れてしまう儚いものです。
2018.02.05
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心を開くことから始めよう この世の悩みも争いも、また楽しみや悲しみも、そのほとんどは、人間関係から発していると言っても過言ではありません。 ですから、楽しく生きていくためには、人間関係が良いことが絶対条件です。しかし、人間関係ほど難しいものはありません。 人間関係が良くなるかどうかは、ひとえにコミュニケーションの巧拙にかかっています。 コミュニケーションの原則は、お互いに心を開きあって、声を掛け合う、つまり言葉のキャッチボールを続けることです。 誰かと好ましい関係を持ちたいと思ったら、まず自分から心を開き、笑顔で話しかけ、相手に好意を示します。 そして、会話が長続きするように、相手が受け取りやすい話題や言葉を発するように心がけることです。 人間関係がうまくいかないのは、多くの場合、自分の触れられたくない部分や、人に気づかれたくない部分を隠そうとして、他人に対して身構えるからです。 相手にしても同じだから、相手の出方を待っていたり、相手がまず心を開くのを待っているだけでは、いつまでたっても良いコミュニケーションは始まりません。 次に大切なことは、お互いに他との違いを認め合うことです。 人間は、一人ひとり違います。だからこそ、一人ひとりに存在価値があり、お互いに助け合う必要があるのです。 二人の人間が、お互いの違いを認識し理解しあって、お互いが共感し尊重しあう。良い人間関係はそこから始まります。 人間関係がうまく行かないという人は、自分には自分の思いや考えがあるように、相手には相手の思いや考えがあることを理解しないで、自分の思いや考えだけで物事を判断したり、自分の思いや考え方を一方的に押し通そうとしているからではないでしょうか。 例えば、会社の社長と社員との関係を考えてみるとよくわかります。 社長は自分が雇って喰わせてやっていると思っているが、社員は自分たちが働いてやっているから会社が儲かるのだと思っています。 親子、夫婦、友達、上司と部下、売り手と買い手・・・。これらの間で起こる諍いは、すべて両者の思いや考えが違うところから起きます。 同じ人間同士なのです。お互いの同じ所と違うところを認め合うことから、良い人間関係はスタートします。あなたが相手を理解した分だけで、相手もあなたを理解してくれます。 まず、勇気を持って相手に話しかけ、相手を理解するところから始めてみませんか?
2018.02.04
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人との関わりが人生を拓く 考えてみると、人と人との触れ合いの連続が人生そのもので、お互いの毎日には数え切れないほど多くの人との接触があります。 その出会いを、たった一回だけの「縁無き衆生」で終わらせるか、あるいは『生涯の友』とするかで人生は大きく変わってきます。 単なる接触で終わらせることなく、人間関係を深める智慧を身につけて、自分にとって有意義な出会いにすることが大切です。 それには、利害損得なしに「もう一度お会いしたいな」と思われる人になることです。 好かれるのも嫌われるのもほんの紙一重で、チョットした心遣いを忘れないことが大切です。 人は自分のことだけで精一杯の自己中心的な生き物だから、自分に関心や好意を持ってくれ、自分を立ててくれる人を求め歓迎します。 人に好かれ、良い人間関係を創りたかったら、人間の本性を知ることです。 一つは、自分ほど可愛い者はいないという自愛の心です。 この世に、自分ほど可愛い者はいません。だから、何事も自分中心に考えがちです。 一つは、自分が先ず幸せになりたいという我欲の心です。 私たちは、金銭欲や物欲、性欲、食欲、権勢欲をはじめ我欲の塊です。誰よりも先ず、自分がそれらの我欲を満たして幸せになりたいと思い、他人よりも自分を優先します。 だが、「あなたなんか嫌いよ」と叫べば「あなたなんか嫌いよ」、「あなたが好きよ」と叫べば「あなたが好きよ」とはね返ってくる山彦のように、悪いことも善いこともとも、自分のなした結果としてはね返ってくるのです。つまり、善因善果・悪因悪果です。 そこで、良い人間関係を築くには、一見遠回りのようだがまず『他者の欲求』を何らかの形で満たしてやる、つまり他者にまず『感情的・人間的・経済的な利益』を与えることです。 すると、相手も良いことをお返ししてくれます。 絶対に、この逆ではありません。 仏教の説く『忘己利他』と『自利利他』(共存共栄・WIN・WINの関係)の教えをまず考えて対応すれば、相手はこちらに良い結果を必ず返してくれると信じることです。 『私が、私の』という気持を少し押さえて(忘己)、『あなたからどうぞ』と相手を先に立てる気持ちで対応すると(利他)、相手は気分を良くしてお返しをしたくなり、自ずと人間関係が良くなり共栄共存することができます。 禅語に「終身道を譲るとも百歩を出でず」とあるが、相手に花を持たせても一生を通せば殆ど違わないばかりか、却って得することの方が多いはずです。 絵本『きつねのおきゃくさま』(あまんきみこ:二俣英五郎)をご存じですか? 腹ぺこの狐が、痩せた雛に出会ったが、太らせてから食べよう(自利)と考えた。 雛が「狐さんどこかに良い住む処はない」と聞くと、狐は心の中でニヤリと笑い自分の家に連れて行きます(利他)。「狐さんは優しいね」と言われ、狐はボウッとなります。 またある日、散歩に行った雛が痩せたアヒルに出会い、「狐さんとっても親切なの」と言うのでアヒルもまた狐の家に行きます。狐は親切という言葉にうっとりし、雛とアヒルにそれは親切にしました。 またある日、散歩の途中で痩せた兎に出会った雛が、「狐さんは神様みたいなんだよ」と言うのを聞いて、狐はうっとりとして気絶しそうになります。 そんなある日、山から下りてきた狼と勇敢に戦い、狐は恥ずかしそうに笑って死んでいきます。 例え狐の自利が先立つ下心から生まれた誤解であっても、雛やアヒル、兎の肯定的な対応が、狐の心の中に元々あった優しくて親切な心を引き出した訳です。 相手がどういう行動をとるかは、実は自分の相手に対する心の持ち方次第なのです。 まずは、本心からでなくても良いから、相手が喜ぶことをほんの少しでもしてあげることです。すると、相手も気持ちがよくなって、大らかに対応してくれます。 それを繰り返しているうちに、本物になってきます。 そんな世の中になってほしいものです。 良い人間関係を築く究極は、お釈迦様の説かれた「四無量心(慈悲喜捨)」と「四摂法(四摂事)」を実践することに尽きると思います。 「慈悲喜捨」などと言うと難しく聞こえるが、自分が幸せな時には、人にその幸せのおすそ分けをして他と共に楽しむ。身近に不幸な人がいる時には、少しでも良いから手を差し伸べてあげる。いや、側にいて、そっと手を握ってあげるだけでいいのです。 四無量心を実際行動として実践する手段が、「四摂法(事)」=布施・愛語・利行・同事の四つの実践行動です。 布施とは、お寺への謝礼ではなく、自分が大切にしているものを差し出して精神的・物質的な恵を与えることです。 ボランティアも、現代版の布施と言えます。 財貨や人に教えたりする特別なモノが無くても、次のような無財の七施なら、その気さえあれば誰にでもできるはずです。 ・慈眼施(常に人に温かい視線を送り、優しい眼差しで接する) ・和顔悦色施(いつもニコニコと、温かく、優しい顔で接する) ・言辞施(常に温かい思いやりのある言葉で接する) ・身施(人が困っている時に、そっと手を差し伸べて手助けをする) ・心施(「情けは人のためならず」と思い情を込めて接する) ・床座施(体の弱い人や困っている人に優しく席を譲る) ・房舎施(宿に困っている人があれば泊めて心からもてなしてあげる) 愛語とは、相手の身になって親身に話しかけることです。 利業とは、相手の役に立つことをすることです。 同事とは、相手の身になって苦楽を共にすることです。 「四摂法」の本質は、「あなたからどうぞ」と相手を先にする忘己利他(相手第一)の心だが、まずは自利利他(共存共栄)の心をもって共感力を育むことではないでしょうか? 自分を大事にして欲しければ、他人を大事にしなければなりません。 自分の心を分かって欲しければ、人の心がわからなければなりません。 こんな共感力は、社会生活に欠かせない最も大切な能力の一つです。 精神的、物質的な恵みを人に与える、人に優しい言葉をかける、相手の利益になることをする、相手と同じ気持ちになって考えることを心がけて行動すれば、皆が仲良く心安らかに生きていくことができます。 何事にも偏らない優しい心をもって慈しみあい、良いことが有れば人と一緒に喜びあい、過分な欲望を捨てて持てるエネルギーを人々のために尽くそうという心を養うことが大切だという教えだと思います。
2018.02.03
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出会いだけが人生だ 私たちには、毎日数え切れないほど多くの人との出会いがあります。 人との触れ合いだけではなく、ものと出会い、さまざまな状態との出会いや巡り合わせの善し悪しによって、私たちの人生はよくも悪くも織りなされていきます。 この世のすべてのものは、相互に支え合い、関わり合い、助け合って存在し、幸せなことや楽しいことも、辛いことや嫌なことも、すべてはその時の出会いの一つの様相であると思います。考えてみると、そのような触れ合いの連続が人生そのものといえます。 歴史や人生に「イフ」はないが、この歳になると、あの時、あの人やあの事に出会っていなかったら、今ごろ自分はどうなっていただろうかとふと思うことがよくあります。 なかでも、人と人との心のバイブレーションを伴った出会いは人生を大きく左右します。 何時も詩集を町の図書館で借りて読んでいた詩好きの青年は、あるときとても気に入った詩集の裏に名前が書いてあったので、自分が虜になったこの詩集の以前の持ち主はどんな人なのだろうかと思って、書いてあった住所のところに手紙を出してみた。 すると、「とても大事にしていた詩集だったが、母が間違ってバザーに出してしまい落胆していたところです」という返事が来た。そして、二人の文通が始まった。 やがて、青年にベトナム戦争への招集がかかった。戦地でも二人の文通は続いた。青年にとって、彼女からの手紙だけが生きる支えだった。 青年は退役し、ついに二人は会う約束をした。 彼女から、「胸に紅いコサージュをつけて駅の改札口のところで待っています」という手紙がきた。 青年が期待と不安を胸に駅に降りたつと、目印をつけた女性が立っていた。だが、顔はしわくちゃで、身体はブクブク太った老婆だった。あまりにも違う印象に引き返そうと思ったが、戦争に明け暮れていた苦しいときに、どれだけ手紙に励まされたことかと思い止まり、思い切って話しかけた。 すると、「私は頼まれたのよ。あなたを待っているとてもチャーミングな女性は、あのレストランにいるわ。私の息子も、今日、戦地から帰ってくるので待っているの」と言う。 さて、あなたならどうするだろうか? まず、手紙を出すか否か? 次に、おばあさんに声も掛けずに引き返すか否か? 縁は、感じて動くことから生まれます。 どう行動するかであなたの運命も決まります。 そのうえ、人との縁の糸は切れやすいので、絶えずつなぎ止める努力も必要です。(注)異業種交流会などで名刺を配りまくっている人はいるが、即メールや電話をくれる人はほとんどいません。それでは、良い縁は生まれません。感じたら動くことが大切です。 私は、名刺は滅多に渡さないが、これはと思った人には即メールを出し、食事のセットなどをします。縁があれば、そこから何かが始まります。また、大切な人たちとは、定期的に親睦を図っています。
2018.02.02
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一人で生きられるか 「人」という字は、人間が二人で支え合っている形からできています。 人間とは、お互いに支え合っていかないと倒れてしまう存在だからです。 どんなに隠遁生活をしようとも、自分一人で生きていくことは不可能です。食べるもの、着るもの、住まい、何処かへ出掛けるとき、遊びや楽しみ、仕事・・・。いつも、誰かのお世話になって生かされています。 私たちが食べている肉一つ取ってみても、動物を飼う人、それを運ぶ人、調理をする人、売る人。さらに遡れば、その飼料を作る人、そのまた肥料を作る人、さまざまな道具を作る人・・・、そして太陽、水、空気、草木。あなたが食べている物一つの中に、この宇宙がそっくり関わっているのです。 また、私たちが今ここにあるためには、まず両親が必要です、その両親も、またその両親がなければ生まれていません。 こうしてたどっていくと、私たちは切れることない先祖の命を受け継いでいることがわかります。 その命を伝えてくれた人の数は、平安時代まで遡るだけで延べ10数億人にもなります。その一人でも欠けていたら今の私はありません。 仕事のうえでも、経営にしろ、商品開発にしろ、販売にしろ、マネージメントにしろ、総てが人間が対象で、人間関係を無視しては成り立ちません。 このように、私たちが生まれて死ぬまでも総ての喜びも悲しみも、他人との係わりの中から生まれてきます。 このような関係をはっきりと認識することが、幸せに生きていくためには大切です。 人間は、一人では生きていけないにもかかわらず、時には誰にも干渉されずに一人きりで生きられたらどんなにいいだろうと思うこともあります。 でも、他からの干渉が全くなくなったとしたら、人間はどうなるでしょうか? 昔、ヨーロッパには、厚い壁の部屋に閉じ込めてしまう幽門という刑罰がありました。 その中で暮らしている分には、何一つ不自由のないよう調度品も整い、食事もそんなに粗末ではないものが狭い窓から差し入れられたといいます。 でも、人との接触を一切絶たれることに耐えられず、ほとんどの人が発狂したそうです。 外界と完全に遮断され、全く刺激が与えられない状態に長い間置かれると、人間は異常をきたします。人間としての機能を保っていくためには、常に周囲の人や情報との交流が欠かせないことがわかります。 自分という存在は、周囲から切り離された存在ではなく、周囲の人や物との関係によって、つまりさまざまな縁をいただいて、「今、ここに」こうして存在しているわけです。
2018.02.01
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