言葉の花束・愛といのちの770 章 その5
人間の第一印象というものは、まことに当てにならないものだ。人の心というものは、なかなか底の見えにくいものだ。印象の悪い人のほうが好意を持ってくれていたり、口のなめらかな人のほうが不真実であったりする。
昔から「 巧言 令色 少なし 仁 」という。むろん、印象の悪い人がすべて真実で、感じのいい人が全部不真実とは限らない。受けて感じどおりの人もいる。とにかく、ひと口に断定できないのが人間である。 〈それでも明日は来る〉
〔自分の第一印象はどうであろうか。なるべく誠実な印象を与えようと振舞っているつもりだが、相手がそれほど興味を抱かなかったなら、徒労になることも多い。人の前では自分を演じている。相手にとって、好ましい人物の振りをする。しかし、振りも続けていれば、いつか本物になる。自分はこう見られたいという姿を貫けば、印象もそうなり、実態も一致してくるものだ〕
真に人間の限界を知るなら、この世界には人間の知恵では説明し得ない現象がいくらでもあることに気づくはずである。いや、われわれ人間の存在自体奇跡といえるのではないか。 〈わたしたちのイエスさま〉
〔科学は進歩していると言いながら、解明されていることはごくわずかだ。科学で生命を作ることはできないし、宇宙の果てを見ることも出来ない。知識のほとんどが、仮説の上に成り立っている。科学というもの自体が、幻想であるのかも知れない〕
鏡に字を映すと、字は裏から透かして見たように、逆に映る。人はみな、逆に映った鏡の顔を、真実な顔だと信じて生きている。それは、この自分も同じことなのだ。自分の顔すら知らないということが、優子には、人間の愚かさの象徴のように思われた。 〈裁きの家〉
〔自分の顔を、直接自分で見ることは出来ない。鏡に映すか、写真に写して見るしかない。目玉を外してみる以外(幽体離脱?)、すべて間接的な方法になる。本当の自分の姿は見ていないのだ。思い込みや想像で、自分は脚色されている。だから、信頼のおける他人の目がほしい。冷静な目で、良くも悪くも、自分を見届けてもらいたいと思う〕
わたしたちが、他人に誤解されている立場に立った時、「いや、あの人はそんなことはしない」と、人はなかなか言ってくれないものなのだ。「まさか!」とはいったん思っても、動かぬ証拠があれば、証拠のほうを人は信用する。人の心は信じがたいものなのだ。 〈旧約聖書入門〉
〔昨年、村木厚子さんが誤認逮捕された時、彼女を知っている人すべてが「まさか」と思った。結果は、検察の捏造証拠による冤罪であったが、マスメディアは当初よく調べもせず「落ちた希望の星」などと糾弾していた。関係者全員が、不正を行った本人でさえ、村木さんはやっていないと訴えていたにもかかわらず、検察は強引に彼女を犯人に仕立てようとし、メディアはその筋書き通りに報道した。村木さんは無実の罪で3ヶ月も拘留され、恥辱を味わった。あってはならないことが行なわれていた。検察と報道機関には猛省を促したい〕
「明子さん、そんなに人間を美化して考えちゃいけませんよ。人間はしょせん人間ですからね。狂ったとたんに悪魔が入ってくるのじゃなくて、心におしかくしていたものが、その安全弁がはずれたとたんに、ぞろぞろと心の底から出てくるだけなんですよ」 〈病めるときも〉
〔誰の心にも、悪魔は潜んでいる。理性で拘束していても、欲に振り回されると、鎖を引きちぎって暴れだす。我に返ったとき、情けなくて、悔しくて、自己嫌悪の渦の中に青ざめる。しかし、悪魔も自分の一部であることは免れない。過ちをしでかしたにしろ、これからもこの悪魔と、付き合っていかざるをえない。自分は清廉潔白な人間だなどと、思い上がってはいけないのだ〕
男という者は、勲章が好きなものだ。いや、それは男ばかりではない。人間はみな「ほめられたい」「認められたい」という強い願いを持っている。 〈新約聖書入門〉
〔職場はもとより、自分の生活環境は、自分を認めてくれる空気の中にありたい。尊敬までいかなくとも、それなりに存在価値を認めてくれる人のなかで暮らしたい。その環境は気持ちよく、自分の能力も発揮できる。何をするかよりも、どうやって過ごすかに幸せな生き方のヒントがある〕
自己中心的な人間の常として、一番おちいりやすい恐ろしいことは、この世の憲法は自分であるということである。自分のしていることが正しい。誰もが大体そう思っている。程度の差こそあれ、これがわたしたち人間の基本的な体質である。 〈孤独の隣〉
憚 ることはない。ただし、みんなと仲良くやるには技術がいる。あまり自分の意見をごり押ししないほうが、うまく行く場合が多い。そもそも正しいとか正しくないとかは、見る角度によって変わっていくものだ。なにごともこだわり過ぎるのは、 軋轢 を生む原因となる〕
近頃は、本気で、(人間は誰しも奇跡的な存在なのだ)と考えるようになった。今までに地球上にどれだけの数の人間が誕生したのか、誰も数えることができない。が、一人として同じ人間が誕生していない。生まれた者すべてが、地球始まって以来、まったく新しい存在なのだ。自分と同じ人間が一人もいないということ、そのことだけでも真面目に受けとめて考える時、私たちは身の引き締まる思いになるのではないか。 〈死の彼方までも〉
〔神様の目には、人の価値に優劣はない。どんな偉人も、いかな役立たずも、神様は平等に見ている。優劣をつけているのは、人間自身のエゴイズム、利己心だ。体型がどうであれ、頭の良し悪しがどうであれ、金があろうとなかろうと、身分だの地位だのまったく関係ない。神様の前では、みんな一人ひとりが重要で、みんなが愛されている〕
気の紛れることさえあれば、その日その日を暮らしていける。しかし、それでは精神的日雇いになってしまうのではないか。その気の紛れることが、たんなる遊びであっても、あそびによって自分を忘れた生き方をしてしまうのではないか。 〈さまざまな愛のかたち〉
〔ゲームやギャンブルは、面白すぎて時を忘れてしまう。脳内ホルモンであるβエンドルフィンが快楽を創生し、のめりこむほど没頭してしまう。それが過ぎると、依存症になり、麻薬になる。楽しいんだからそれでもいいのではという考えもあるが、僕には無駄に思える。たとえ辛いことでも、自分を磨くことが出来る経験のほうが、人生において重要だと考えている〕
「ふーん、しかしだな。金は、あっても邪魔にはならんぞ」
「そうかな。金って意外に邪魔なものかも知れんと思うよ」
きっぱりと文治は言った。キワはちょっと目を 瞠 った。長吉が似たことを言ったことがある。
「西郷隆盛という男は、子孫のために美田を買わず、と言ったが、あれは卓見だな。金や財産は人間を育てない。いや、育てる邪魔をするかも知れない」 〈嵐吹く時も〉
〔我が家には金がない。よって子供たちは、親の金に頼って、人生を近回りするようなことは出来ない。一つ一つ自分の体験を積んで学ばねばならない。それが血となり肉となる。リトルマネーは必要かもしれないけど、あくまで金は道具であり、目的ではない。人生で大切なのは考える力だ。幸せになる考え方だ。金に振り回されると、人生で学ぶべき大切な真理を見失う羽目になる〕
男は女を想像して造られ、女は男を想像して造られている。いったい誰がこれを考え出したというのだろう。そして男女が交わることによって、子供が女性の胎内に宿る。これはもう神秘の極みである。誰がいったいこれを意思し、創造し得たのか。 楫子 は改めて、天地創造の偉大さの前に、身のすくむ思いになった。頭には髪の毛があること、手は手の働きをし、足は足の働きをすることすらが不思議であった。骨があり、肉があり、血管があり、それを包む皮膚がある。いったい誰がこのことを命じてなしたのか。かつて父と兄に、医学の道をいささかなりとも学んだ楫子には、言いがたい感動であった。 〈われ弱ければ〉
〔たった一個の卵子と、たった一個の精子が結合し、60兆個の細胞に分裂増殖する。母系と父系の遺伝子をみごとに受け継ぎ、新たな生命として誕生する。そんな奇跡のような存在が、僕であり君である。この世に二人といない、唯一無二の僕と君だ。何億年も前の単細胞から、連綿とDNAが受け継がれて、奇跡の連鎖によって今、ここにいる。誰かの意思がなければ、とうていなしえないことだと思う〕
私たちは、毎日生きています。誰かの人生を生きているのではないのです。自分の人生を生きているのです。きょう一日は、あってもなくてもいいという一日ではないのです。もしも、私たちの命が明日終わるものだったら、きょうという一日がどんなに貴重かわからない。 〈愛すること生きること〉
〔一日はおろか、一分一秒たりとも無駄には出来ない。地震や津波で、一瞬にして命を失った人がいた。それを思えば、与えられた時間のなんと貴重なことか。どうでもいい時間を過ごしていいはずがない。何をしたいかという我欲などではない。偉大な力の導きで、命を授かった者として、自分の信じる道を歩み、悔いのない生き方をしなければならないと思う。大自然の暴力を目の当たりにして、つくづく思い知る摂理である〕
近藤誠著『「健康不安」に殺されるな』 2023年04月15日
ダニエル社長著『コロナと金』 2022年09月27日
ジェフリー・ケイン著『AI監獄ウイグル』 2022年02月05日
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