《 幸せのひろいかた 》  フェルトアート・カントリー木工 by WOODYPAPA

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2013年03月28日
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カテゴリ: 昭和歌謡40年代

この際カアちゃんと別れよう

作詞:青島幸男・上野玲児 作曲:萩原哲晶

「貴方はこの女性を一生の伴侶として

とこしえに愛しますか」

「愛します」

子供もなんとか 大きくなった

車も買ったし 家もある

実家の財産ハイハイ すっかりなくなったハイハイ

"この際カアちゃんと別れよう"

たばこも吸わず お酒も飲まず

浮気もしないが モテもせず

世の中これでハイハイ 本当にいいのかなハイハイ

"この際カアちゃんと別れよう"

日曜大工で こき使われて

済めば留守番 そのあと子守

もらう小遣いハイハイ たったの50 円ハイハイ

"この際カアちゃんと別れよう"

俺も男と 生まれたからにゃ

何で言えない その一言が

叫んでみたいなハイハイ どなってみたいハイハイ

"この際カアちゃんと別れよう"

今度この世に 生まれた時も

一緒に暮らすと 約束するさ

だから言うだけ 言わせてほしい

"この際カアちゃんと"

"この際カアちゃんと"

"この際カアちゃんにあやまろう"

昭和46年、クレージーキャッツ23枚目のシングル。

クレージーの曲はほとんど植木等が歌っていましたが、この曲は他のメンバーも歌っています。

"大塚ボンシチュー"のCMソングでありました。

こんなにおいしいシチューが手軽にできれば、嫌な女房と別れられるというコンセプトだったか。

でも買うのは主婦でしょうから、この作戦はいかがなものだったでしょうか。

終戦から四半世紀が過ぎ、戦後世代の若者が青春を謳歌する頃、その親世代は悲しいサラリーマン文化を残しました。

40年前のライフスタイルが、日本のお父さんの基本形としてずーと現在まで続いています。

今の僕のテーマソングにしても良いぐらいです。

クレージーキャッツは昭和31年(僕の生まれ年)に結成、日本の芸能界を牽引してきました。

もともとは米軍キャンプをまわっていたジャズバンドでしたが、合間に見せるギャグが受けて話題になり、コミックバンドとしてTVのバラエティ番組に引っ張り出されると、たちまち人気を集めました。

所属の渡辺プロは、ザ・ピーナツとの二枚看板で当時の歌謡・バラエティ番組(『ザ・ヒットパレード』『シャボン玉ホリデー』『おとなの漫画』)を牛耳る巨大プロダクションに成長します。

36年に『スーダラ節』でレコードデビュー、発売即大ヒットとなりました。

ボーカルの植木等は浄土真宗の寺の出で、当初この歌詞に抵抗があったのですが、父親の植木徹誠住職から「人類が生きている限り、この"わかっちゃいるけどやめられない"という生活はなくならない。そういうものを真理というのだ。この青島と言う男は、親鸞聖人の教えがわかっている」と認められ、逆に後押しをされました。

この時僕は5歳でしたが、もしかしたら人生最初に覚えた歌が『スーダラ節』だったかもしれません。

♪スイスイスーダラダッタスラスラスイスイスイ~ と手をぶらぶらさせて歌っていた記憶は確かにあります。

僕と同い年のサザンオールスターズの桑田佳祐は、「自分の憧れは植木等です」と語っていますが、たぶん同じように家族の前でスーダラ節を披露して喝采を浴びた原体験があったのだと想像できます。

『この際カアちゃんと別れよう』はそれから10年後、昭和46年の作品です。

クレージーキャッツの環境は、この間に変化していました。

この数年前に"コント55号"が彗星のごとく現われ爆発的な人気を得、それを追って同じ渡辺プロのコミックバンド"ドリフターズ"があっという間に茶の間の人気を奪っていきました。

二つの若いお笑いの渦が日本を飲み込み、クレージーキャッツのレギュラー番組はつぎつぎと打ち切られていくのでした。

この曲を出した時期には、『8時だョ!出発進行』という番組を持っていましたが、これも『8時だョ!全員集合』のドリフターズが、半年間スケジュールが都合つかなかったことで生まれた代役登板でした。

後輩の若きドリフターズがやっていたギャグパターンを、そっくりそのまま熟年のクレージーが演じたのですが、とても痛々しい内容になってしまいました。

しかし、僕はこの違いをクレージーが時代遅れになったというのではなく、クレージーの持っていた知性の高さが、ドリフの下劣なコントにそぐわないのだと感じました。

クレージーキャッツの面々はこの後、ソロの活動が多くなり、それぞれの道を進むことになります。

作詞の青島幸男は学生時代に放送作家になり、『シャボン玉ホリデー』で「青島だぁ~」のギャグでブラウン管に登場し、『お昼のワイドショー』の司会者でステイタスを得て、その知名度を利用し参議院議員に当選(43年)、タレント議員の走りとなります。

『お昼のワイドショー』は、他に横山ノック、中山千夏、八代英太と4人も参議院議員を輩出した異常な番組ですが、主婦層をターゲットにしたバラエティ番組で、政治番組ではありませんでした。

知名度が高いというだけで国会議員に選ばれたという、それは今も変わらない議会制民主主義の弱点であります。

青島はさらに東京都知事に転身します。

去年まで長期政権を持続していた、石原慎太郎の前の知事は青島幸男でした。

ちなみに石原慎太郎と青島幸男は同い年で、互いに仲は悪くありませんでした。

『踊る大捜査線』の織田裕二の役名が青島刑事なのは、当時の都知事の名前を拝借したからです。

1995年、「都庁小包爆弾事件」でオウム真理教に命を狙われたのも青島です。

このほかに主だった実績は『世界都市博』を中止したことだけで、政治家としての能力は秀でたものを感じられませんでした。

他に処女作の小説『人間万事塞翁が丙午』で直木賞を受賞し、『いじわるばあさん』で俳優になり、映画監督・脚本家もこなす多才の持ち主でしたが、不思議なことに掴みどころが不明の、固いのか柔らかいのかよくわからない人物でした。

僕の個人的接点は高校(都立武蔵丘高校)の先輩であったことです。

(歌謡探訪第1回で登場した、すぎやまこういちも先輩で青島と同期生です)

当時はそんな大物より、ヌードグラビアアイドルの麻田奈美が2級上の先輩で、そっちのほうが自慢でした。

作詞は主にクレージーキャッツの作品で、『スーダラ節』『無責任一代男』『ハイそれまでよ』『これで日本も安心だ』『大冒険マーチ』『だまって俺についてこい』・・・と名作が並び、作詞家としての才能が一番だったのでは。

他には坂本九の『明日があるさ』があります。

親鸞を引き合いに出さずとも、人生の陰陽を描いた深いフレーズが多く、今聞いても普遍的な人間模様が描かれていて共感できます。

『明日があるさ』にいたっては、吉本興業の芸人スターがリバイバルヒットさせたぐらいですから。

作曲の萩原徹晶は、クレージーキャッツの前身であるキューバンキャッツのメンバーで、作曲に専念するため脱退、クレージーの曲のほとんどを作曲しています。

(TVアニメ「8マン」の主題歌も作曲していて、こちらの作詞は前田武彦でした)

59年、中咽頭腫瘍で死去、58歳でした。

青島幸男は平成18年骨髄異形成症候群のため死去、74歳。

翌年後を追うように植木等が肺気腫による呼吸不全で死去、80歳。

クレージーキャッツのメンバーで、現在生存しているのは犬塚弘84歳のみであります。

人間が歳をとって亡くなるのは当たり前のことですが、子供の頃に見た溌剌とした黄金時代と、老成した晩年とをふたつ比べることができると、最期の瞬間にどのステージに自分が辿り着いているのかが人生の要だなあとしみじみ感じます。

その日を迎えて、偽りなき人生を振り返りたいものです。






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最終更新日  2013年07月21日 09時28分38秒 コメントを書く


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