《 幸せのひろいかた 》  フェルトアート・カントリー木工 by WOODYPAPA

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2017年07月19日
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カテゴリ: 幸せ読書日記
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昨今の暑さのせいか、イライラすることが多く、職場で嫌いな奴と一緒になると、その態度・行動にふつふつと”怒り”が湧き上がり、その挙句、身体に不調が生じたりします。

いかんいかんと思いながらも、「こいつ、いなくなんねえかな」と願っている自分がいます。

まあ人間だから、感情がコントロールできなくなることがあっても仕方がない。

ただ、我慢のダムが決壊し、怒り爆発、奴をぶっ飛ばすのではないかと、自分なりに恐れていたりします。

惨事を未然に防ぐためにも、心の修業の必要性を感じました。

僕のメンターのひとりであるアルボムッレ・スマナサーラ師の著書で、怒りについての学びをしようと思います。

師のことは何回かこのブログに載せさせていただいています。

『一生、仕事で悩まないためのブッダの教え』 その1 アルボムッレ・スマナサーラ

『一生、仕事で悩まないためのブッダの教え』 その2 アルボムッレ・スマナサーラ

人はなぜ怒るのか・・・再考

アルボムッレ・スマナサーラ

そのつど貴重な教えを戴きつつも、あいかわらず同じ苦悩に落ち込んでいる自分は恥ずかしい限りですが、人間は一生修行です、今日も教えを戴きましょう。

『怒らないこと』は何度も読み返しています。

付箋がぎっしり貼られています。

読むたびに新しい気付きがあり、その都度増えていってしまいました。

読んですぐ身になれば苦労はありませんが、読書百遍、何度でも勉強しましょう。

全部を写すことはできないので、途中までになってしまうと思いますが、”心の毒”が消えてくれるのを信じて、文字制限いっぱいまで写したいと思います。

注・〔 〕内は僕の覚書です。

『怒らないこと』

アルボムッレ・スマナサーラ

「怒るのは当たり前だ」「怒って何が悪い?」「怒らないなんて腰抜けだ」。こうした言葉を、我々は日頃よく耳にします。

実際、怒っている人の数を数えたら、枚挙に暇がありません。皆さんのまわりにもいるでしょう?すごく悪い言葉をしゃべったり、悪態をついたりする人が。最近は「怒るのは堂々とした態度だ」という風潮もあります。

けれど「怒り」などという言葉は、本来、気軽に口にできる代物ではありません。「私は怒りました」などというのは、「私はバカです」と触れ回るようなものですからね。「怒り」の本当の意味を知っていたら、おいそれとは口にできません。

〔最近、連日のように夫の秘密や悪口を”YouTube”に上げて、ワイドショーを振り回している芸能人がいますが、確かに「地獄の業火」に焼かれているように見える。〕

わたしはよく「怒りたくないのに怒ってしまうのです」といった相談をうけるのです。答えは明白です。簡単で、完全な方法をお教えします。

それは「怒らないこと」です。

本当は、ただそれだけのことなのです。怒らなければいいのです。

皆さんは実のところ、「私は怒りたい放題、思う存分、勝手に怒ります。でも怒ってはいけないから、何かいい方法を教えてください」と思っているのです。誰も彼もが、怒りたくて怒りたくて仕方がない。けれど心のどこかで「怒らない方がいいのでは」と思ったりもしている。自分の気持ちにこうした矛盾があるのですが、そのことに気づいていない。それで「私は怒りたくない」などとうそをつく羽目になるのです。

〔人は感情に左右される動物。感情をコントロールするには、訓練が必要。〕

ヒンドゥー教では「ブラフマンは創造する。それからシヴァという神は破壊する」と。きちんとふたつに分けて考えています。人間の感情や行動などすべてには神が宿っている、とヒンドゥー教では信じられていますから、そういうふうに神の世界もふたつに分けて考えるのです。

キリスト教などでは、愛情を人格化して「神」というし、憎しみや嫉妬や怒りを人格化して「悪魔」といいます。そうすると、人間は「やっぱり神様を拝まなくては」「悪魔と戦わなくては」というふうに、何かを頭の中で想像して、イメージをつくって行動します。それで「神はいるか、いないか」「悪魔はいるか、いないか」といろいろなことを考えたり哲学したりして、時間を浪費しているのです。

〔中東で戦争をしているイスラムも、二元論で考える。二元論で、お互いにお互いの正義を振りかざしすと、出口のない争いに陥る。〕

怒らないほうがよいとわかっているのに、我々はなぜ怒るのでしょう。
いつでも、我々には「こういうことで怒ったのです」という理由があります。その理由をひとつひとつ分析してみると、「自分の好き勝手にいろいろなことを判断して怒っている」というしくみがあります。
人間というのはいつでも「私は正しい。相手は間違っている」と思っています。それで怒るのです。「相手が正しい」と思ってら、怒ることはありません。それを考えておいてください。「私は完全に正しい。完全だ。完璧だ。相手の方が悪いんだ」と思うから怒るのです。

Nobody is Right      正しいものなどいない〕 

けれど私たちの心にある「私は正しい」という思考は間違いです。それを「私が正しいはずはないのだ」と訂正することです。「私は完全だ」「私は正しい」というとんでもない考え方は、一刻も早く捨てた方が良いのです。

ちょっと考えてみてください。人間が完全であるはずがないでしょう。

ですから、「自分が正しいという考え方は、非合理的で、非真実で、嘘で、あり得ないことだ。このあり得ないことを頭で徹底的に信じている自分ほどの大バカ者は、世の中にいない」とはっきり理解したら、もう怒らなくなってしまうのです。「私は正しいとは言えない。私は不完全だ。間違いだらけだ」ということが心に入ってしまうと、もうその人は二度と怒りません。

〔ちっぽけな自分とちっぽけな相手の、どちらが正しくてどちらが間違っているかなんて、蟻の突っつき合い程度のもの。〕

普通、母親というのは、「あなたは、なんかいいったらわかるのですか」と怒りますね。何かについて「あれをやりなさい」「これをやってはいけない」などと繰り返して言います。

それでも子供は聞いてくれません。何回言ってもわからないこともあるでしょうが、もしかするとそれは自分が言っている言葉が正しくないかもしれません。

じつは「言葉は正しくないかもしれません」ではなくて、「言葉は正しくない」のです。言葉は不完全ですから、完全に正しいということはあり得ません。その言葉を、不完全な我々が精一杯話したところで、これ待て不完全な相手にうまく伝わる保証などどこにもないのです。

〔他人というものは、びっくりするほど、自分と違うことを考えている。こちらが伝えようとしていることと、向こうが受け取ろうとしていることは、必ずしも同一ではない。〕

怒りの原因となる妄想概念を作り出すものは何でしょうか?

それは「我=エゴ」です。エゴがなければ、怒りはそもそも成り立ちません。

エゴは「私」「俺」という固定観念のことです。人間は自分のことを「これ」と指差せる確固たる存在だと思っていて、疑いません。この我々がしがみついている固定観念がすなわちエゴです。エゴから生じる「私はこれをやるべきだ」「私は偉いのだ」「私を認めてくれなくちゃいけない」などというくだらない思考は、幸福の大きな妨害になります。

〔正義という名の”我執”に振り回され、人生の大切な時間は浪費される。〕

もちろん怒った瞬間に手が強烈に痛くなったり、足が痛くて動かなくなったり、お腹が強烈に痛くて死にそうになったり、ということがあれば、誰も怒らないでしょう、怒りには、そういうシグナルがないからこそ、恐ろしいものなのです。

たとえば脳細胞ですが、とくにいろいろなホルモンを出している場所には、見えないほど小さな器官がたくさんあります。小さすぎてすぐには感じませんが、怒りは自分の内臓とホルモン関係のすべての器官を燃やしてしまうのです。

〔怒りはドーパミンによって引き起こされる。しかし、ドーパミンは瞬間的な危機回避のために発生するもの。すぐにセロトニンで感情を収める必要がある。怒りを長引かせると脳は疲労し、脱力感に襲われ、ついには”うつ”を引き起こす。〕

まず、「怒るのはバカのすることだ」と自分によく言い聞かせてください。「怒るのは徹底的に無知な人だ」と頭に叩き込んでください。怒っている自分を感じたら、「私は合理的ではない完全なバカで、何も理解できない無知な人間だから怒っているんだ」と真剣に自分に言わなくてはいけません。

子供が何か悪いことをしても、なぜそうなったのかきちんと把握していて、どう言えば改まるかという道筋が頭の中にできている時は、あまり怒らないものです。がっかりもしないし、怒りもしないし、おちついていられます。ということは「智慧が働いている時は怒らない」ということです。

〔”怒り”は感情。”理性”が勝れば”感情は抑えられる。〕

怒りとは自分の中から生まれるものですから、解決方法は、「毒そのもの」を抜くことしかありません。ヴィパッサナー瞑想法(お釈迦さまが教えた、悟りに至る瞑想法)でいう、「今の瞬間の自分に気づくこと」です。それが世の中で一番科学的な、怒りの毒を抜く方法なのです。

ですから、怒りが生まれたら、「あっ、怒りだ。これは怒りの感情だ」とすぐ自分を観てください。怒りそのものを観察し、勉強してみてください。「今この瞬間、私は気持ちが悪い。これは怒りの感情だ。ということは今、私は怒っているんだと、外に向いている自分の目を、すぐうちに向けてください。

〔客観的に自分を観る目=神の目。感情に振り回されない、冷静な結論を導き出せす目。〕

怒りが消えると、すごく気持ちがいいですよ。たとえば頭が痛いときに鎮痛剤を飲めば、痛みは消えて、霧が晴れたように気持ちよくなるでしょう?それと同じで、怒りが消えたら、すごく気持ちがよくなるし、元気になれるのです。すぐに幸福を感じられるでしょう。

そこまで行くと自分にも自信がついてきて、「あっ、怒りが消えちゃった。我ながら自己コントロールがうまいものだ」と自分をほめてあげることができます。そうなればいつでも怒りの感情に悩まされることなく、穏やかに人の話を聞いていられるのです。

〔”怒る”ことは、幸せを捨てること。〕

人生というのは、何かをやって少しでも成功すると楽しいものです。ですから我々は日々、「どうしたら成功するのだろう?」と計画して生きればよいのです。

計画の長さは、10分ぐらいで充分です。「10年あとで成功するぞ」と思って何か計画を立てると、それは苦しいのです。そうではなく、「この10分で、自分がやらなくてはいけないことをやり遂げるんだ」「この10分でやることは、精いっぱいやって成功するんだ」というくらいがちょうどいいのです。そうすれば、成功するたびに喜びや幸福感を覚えられるのです。そうして小さな計画のユニットをつなげて、自分の人生にするのです。

〔手の届く目標を達成するのが、幸せを得る賢い方法。〕

”怒り”は、相手に問題があるのではなく、怒っている自分に問題があるのです。

問題は冷静に解決すればいいので、怒りは手段になりません。

「幸せのひろいかた」としては、怒りは無用です。

この言葉を、心に刻んでおこう。

”怒り”は幸せの天敵。

受け入れて、感謝の心、怒らない






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最終更新日  2017年07月22日 21時12分03秒
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