《 幸せのひろいかた 》  フェルトアート・カントリー木工 by WOODYPAPA

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2021年05月14日
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​小林エリコさんの自叙伝小説『生きながら十代に葬られる』を読んでいて、ある記述からふらっと思考が横道にずれていった。

小林エリコさんの著書はこれが3冊目(コミックを含めると5、6冊になる)。

1冊目の『この地獄を生きるのだ』に衝撃を受け、友人にも紹介した愛玩書である。
ざっと内容を紹介すると、小林エリコさんはブラック会社で極貧生活に陥り、精神を病み自殺未遂を起こし、精神病院に入院することになる。

精神病院というワードから、この書を知ることとなったと思う。

精神病院を退院し、生活保護生活から脱出し、平常の生活を取り戻すまでの話である。

精神病患者側からの告発に近い内容で、改めて”精神病”とは何なのかを問う。

本文についてもっと紹介したいのだが、今日のテーマは違うところにある。


『生きながら十代に葬られる』は、『この地獄を生きるのだ』に描かれるOL時代より前の時代、十代のころのエピソードが描かれている。



その中に、「ジャニスの歌」という章があり、父親の影響からジャニス・ジョップリンが好きだったという記述があった。


ジャニスの衝撃をなんといえばうまく伝えられるのだろう。とにかく、私の知っている世界には存在しない歌手だった。私が知っている女性歌手というのは、きれいな声で恋の歌を歌うような人しかいなかったのである。それなのに、ジャニスは顔を歪め、苦悶の表情を浮かべながら、「人生は辛い、苦しい」ということを必死に歌っているのだ。酒とタバコのやりすぎで喉は嗄れて、ガラガラのハスキーボイスだった。女は常に美しさを求められる。綺麗な長い髪、スラリとした体型。加えておおきな目やピンク色の頬。しかし、ジャニスはそのどれも持っていなかった。髪の毛はパーマなのか、くせ毛なのかワサワサとして、手入れしていない長毛犬のようだし、太ってこそいないが、顔はどちらかといえば美しくない。それは、化粧をしていないせいもあるかもしれない。女の顔など、ほとんどが化粧でごまかされている。ジャニスはあるインタビューでこう答えている。
「私は化粧もしないし、ブラジャーもしない。嘘をつきたくないから」
 成人しているジャニスがはっきりこう答えるのを聞いて、私もジャニスのように嘘のない人間になるのだと心に誓った。私にとって正直であるということはこの世で一番美しいことだったからだ。


ジャニス・ジョップリンは1943~70年、27歳の若さで亡くなっている。

名前や曲は知っているけど、僕の年代(1956年生まれ)では過去の人で、一回り上の世代にファンが多いと思う。

小林エリコさんは1977年生まれなので、お父さんはその年代だと推測される。

そして、今回のテーマである『ジャニスを聴きながら(1975年)』は、僕もよく聞いた曲で、作者である荒木一郎は1944年生まれ、まさにジャニス世代と言える。


ようやく本題に入るが、小林エリコさんの小説から、僕は『ジャニスを聴きながら』に発想が飛び、無性にこの曲が聞きたくなった、というところから始まる(何が?)。







​荒木一郎は、今は当たり前のように存在する、”シンガーソングライター”の走りのミュージシャン(俳優)で、デビュー曲の『空に星があるように』は1966年。

僕の中では、同時期に登場した『君といつまでも』の加山雄三とシンガーソングライターの草分け的存在として双璧をなしていた。

加山は1937年生まれなので、もう少し大人だったが、小学生の僕には区別もつかず、二人ともヒーロー的な存在だった。

二人とも好きだったのは確かだが、健全な加山雄三より、ややアウトローな荒木一郎の方が心情的に憧れるところがあった。




という話はまた今度にして、今回の本当のテーマはこの歌の冒頭の詞の部分の話だ。

♪街はコカ・コーラ 故郷は売られていた~

と歌われているが、僕は、この歌を口ずさむときは、

♪街はロードレース 故郷は売られていた~

と歌っていた。

それで混乱した。

コカ・コーラ のバージョンも知っていたけど、なぜ



いろいろサイトを見てみると、歌詞にツーバージョンあるということまではわかった。

コカ・コーラの商標が使えなかったのか、紅白に出たとき変えさせられたのか(山口百恵の『プレイバックパートⅡ』の「真っ赤なポルシェ」が「真っ赤な車」に変えさせられたように)。

経緯はわからないが、とにかく僕は何故かロードレース派だった。

それでさらにYouTubeを検索して、謎が解けた。

『ジャニスを聴きながら』は後に、あおい輝彦によってカバーされていたのだ。

あおい輝彦は、現在芸能シーンを牛耳る「ジャニーズ事務所」の原点となるその名も「ジャニーズ」のスター。

ジャニーズは4人組ユニットで、歌って踊って芝居をする、すでに現在のジャニーズグループの姿を形成していた。

あおい輝彦はメンバーの一人であり、トップの人気を持ったスターで、後に俳優としても数々の実績を持つ(例えば『犬神家の一族』の犬神佐清)。

そして、あおい輝彦バージョンこそが、 ロードレース だったのだ。







なんと、僕の歌っていた『ジャニスを聴きながら』はあおい輝彦バージョンだった。

調べてみるとあおい輝彦バージョンは1977年発売、僕はもう21歳。

不思議だが、そんな年齢でアップデートした歌詞が定着していたなんて。

この時期に、僕はあおい輝彦バージョンの『ジャニスを聴きながら』を歌っていたということになる。

ここで僕の推理は飛躍した。

僕も好きだったが、その時付き合っていた彼女があおい輝彦を好きで、そこで『ジャニスを聴きながら』があおい輝彦バージョンに上書きされてしまったのだろう。

とすると、その彼女はあの娘だ。

そうだったかもしれない。

あの時期の記憶が、失恋という負の経験で、まるっと消失していたようだ。

失恋の痛みが、楽しかったはずの二人の思い出も封じ込めた。

そういうことならあり得る。

それなのに何故か歌だけは脳裏に残っていた。

改めて考えると、この歌に込められた不条理が、実体験によって深く刻まれているような気がする。


最期にジャニス・ジョップリンの代表曲を







余談ながら、『ジャニスを聴きながら』のジャニスを、ジャニス・イアンだと思っている人もいるかと思う。

ジャニス・イアンは僕も大好きで、青春時代におけるインパクトも大きかった。

しかし、ジャニス・イアンのデビューは1975年『17歳のころ』なので、ジョップリンの方が時期的にあっている。

ということで、僕の大好きなジャニス・イアンも載せておきます。






どうせなら、大好きなドラマ『岸辺のアルバム』に乗せたものを載せました。





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最終更新日  2021年05月19日 08時41分33秒
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