《 幸せのひろいかた 》  フェルトアート・カントリー木工 by WOODYPAPA

《 幸せのひろいかた 》  フェルトアート・カントリー木工 by WOODYPAPA

2023年01月31日
XML
カテゴリ: 昭和日本映画



久々に小津安二郎監督『晩春』を見た。

どれくらい久々か思いだせないので、相当前だったはず。

『東京物語』は何回か見ているので、いろんなシーンが結構蘇るのだが、『晩春』はぱっと浮かぶシーンがない。

というか、小津安二郎の一連の作品をまとめて観たので、どのシーンがどの作品かこんがらがっているせいもある。

小津安二郎作品は、シリーズだと思っていい。

ただ、小津安二郎作品が世界レベルで評価が高い、ということに少し疑問を持っていた、というのも正直な意見だった。


ところが、今回改めて鑑賞してみて、自分の浅学菲才を思い知ることとなる。

年齢を重ね、人生をいろいろ経験して、たどり着いた立ち位置で観てみると、今までの印象と全く違う感銘を受けた。



『晩春』の公開は昭和24年、物語はほぼ同時期の設定で描かれている。




父娘の住まいは「北鎌倉」だが、生活圏として東京も舞台となる。

空襲で焼け野原であった東京が、5年で見事に復活を遂げていた。

驚いたのは、北鎌倉を原節子と宇佐美淳が自転車で走るシーンで、「コカ・コーラ」の標識が大きく映し出されていたカットだ。


IMG_3417.JPG



以前見たときはそんなところは気が付かなかったなあ。

僕は昭和31年生まれなので、この物語の7年後の誕生である。

この差は大きいと、団塊世代の先輩からよく聞いたが、この映像からはあまり違わないと思う。

「コカ・コーラ」というのは、ひとつのアメリカの象徴で、このシーンは作品の方向を示している。


『晩春』には、戦後の悲惨さはみじんも描かれていない。

翌々年(1951年)に公開される小津作品の『麦秋』では、同じようなシチュエーションで、娘の2番目の兄が出征したままもどらないという、戦争の影が少しあらわれる。

この帰らない兄の存在が、妹の選択に影響を与えるわけだが、それにしても戦争の火薬臭さはない。


昭和24年(1949年)というのは、”ベビーブーム”最後の年である。



「サンフランシスコ平和条約」は1951年だから、このころはまだ日本の将来が確定したわけではない。

日本の統治方針に影響を与える「朝鮮戦争」も1950年だから、それすらない。

今思えば、ベビーブームの1946~49年の3年間は、日本の将来は全然安定してなかっと思われるが、この映像を見る限り、日本は現在に続く道をすでに歩み始めていたことがわかる




さて物語に戻ると、世の中はベビーブームなのに、原節子演じる娘は27歳になっても結婚するつもりがない。

友人のアヤも、結婚はしたがすぐ離婚をして子供はいない。



ラストの嫁入りの自動車に、近所の子どもが数人群がっているシーンだけだ。

ちなみに『麦秋』では、兄夫婦に二人子どもがいるが、大人にとっては面倒で迷惑な存在として描かれている。

『東京物語』にも、長男夫婦に子供がいるが、まったく同じ、聞き分けのない勝手な兄弟だった。

小津安二郎が個人的に子供が嫌いだったのかもしれないが、当時の感覚としては、子どもはそれほど可愛いくもなく、半分お荷物という感覚が普通だった。

子どもは大人の目には、”ガキ”なのだ。

思えばいつから今風に子供が、大切に扱われるようになったのだろう。

たぶん高度成長期を経て、生活に余裕が生まれたことにより、徐々に生まれた変化だったのだと思う。

少子化によって、一人一人が大切になり、大切にしなくてはならないために、少子化に進んだ。


そんな考察をむまえて、『晩春』から少子化問題を紐解いてみたいと思う。


まず、笠智衆扮するこの物語の父親は大学教授である。

(ちなみに1904年生まれの笠智衆は、この時はまだ45歳だった。役の父親は56歳。27歳の娘の父親を全く違和感なしに演じていたが、実年より12歳年齢を重ねた役を演じていたことになる)


部屋の調度を見る限り、質素な暮らしをしているが、大学教授であれば裕福な家庭といえる。

風光明媚な北鎌倉で、父親の世話と少数の知り合いに囲まれて、不自由なく暮らす生活は、それほど嫌なものじゃない。

出戻りの親友の話を聞いても、結婚はさほど羨ましいものだとも思えない。

だったらこのままでいいから、結婚もしない、子どもも作らない、という選択ををしても不思議ではない。



ひるがえって僕の娘も今年33歳になるが、一向に結婚する様子はない。

むしろ自由な独り暮らしを楽しんでいるようだ。

僕の職場にも独身の女性が何人もいるが、たぶん彼女たちもこのまま独身なのではないか。

住むところと仕事があれば、生きていける。

贅沢を望まなければ、女性が独身で生きていくことは困難ではない。


一方、結婚にまつわる苦労の方は枚挙にいとまない。

僕も娘には、結婚を強いたりしない。

無理に結婚しなくても、幸せな毎日を過ごせれば、それでいい。

結婚により、面倒が沸き起こる方が厄介だ。

孫がいなくても寂しいということはない。

まして日本の将来など、背負う気もない。


岸田総理は、記者会見において「異次元の少子化対策に臨む」と方針を明らかにした。

支持率低迷の岸田政権の、人気挽回のための秘策らしい。

少子化対策といえばみんな賛成だろう、という単純な狙いだろうが、そうだろうか。

少なくとも、僕は賛成ではない。

共稼ぎ夫婦や、貧困家庭を援助するのはいいことだろう。

ただそれが、出生率に効果があるかどうかについてはエビデンスが薄い。

北欧やEU諸国は押しなべて子持ちに対して優遇政策を施しているが、出生率は日本よりやや高い程度で、けっして功を奏している風ではない。

やや高いのは、移民の出生率が高いせいもある。

裕福な自国民の、出生率は上がってはいない。



そもそも出生率をあげなければならない、ということは正しいことなのか。

昭和の頃の認識では、日本の国土に適正な人口は5000万人ぐらいだと言われていた。

国土の割に山岳地帯が多いので、農地換算も含めて、人が住める分を換算すればそうなる。

高度成長で、1億人突破したころに警鐘が打たれた。

それが気が付けば、逆の危機が叫ばれている。

5000万人が適正ということが覆されたのなら、いったい何人が適正なのか。

人口は突然変わるものではない。

その時の人口に合わせての方策を考えればいいだけのことだ。

子どもを増やすために、効果があるかどうかわからないことに金を使うより、人口が少なくなってもやれるような策に金を使うべきだ。

将来の年金資金のことだけを心配しているように見える。



行政が何かをするときは、必ず利権が生まれる。

現在NET民を騒がせている「colabo事件」「太陽光発電詐欺事件」も、ふりだしは政府の方針からだ。

詐欺師が政府にパイプを持って焚きつけたか、政府の方針に金の匂いを嗅ぎつけた詐欺師が、ハエのように政策利権にたかったのか。

とにかく悪い奴の悪知恵は、善良な民には計り知れない。

騙されたことに恥じることではないので、詐欺と分ったからには、担当者はすべて明らかにして、詐欺師を重く罰することを望む。



『晩春』も『麦秋』も、娘は結局結婚をする。

しかし、その後がどうなったかは定かではない。

多分幸せな家庭を築くだろうが、それは結婚したためではなく、娘自身の個人の資質によるものである。



子どもが欲しいのに、生活費のために作れないと思うのも早計である。

出生率の高いのは、アフリカなどの貧困国だから。

国が国民の幸せを援助したいなら、出生率をあげることに税金を使うのは無駄かもしれない。

どんな家族スタイルにも対応できる、自由な生き方を選択できる、様々な援助政策を目指すべきだろう。


映画のラスト近く、一旦は嫁に行く決心をした娘が、やはり父と暮らしていたいと言い出す。

父は娘にこう言って諭す。

笠智衆の。3分にも及ぶ長いセリフがこちら。


「だけどそれは違う。そんなものじゃないさ。お父さんはもう56だ。お父さんの人生はもう終わりに近いんだよ。だけどお前たちはこれからだ。これからようやく新しい人生が始まるんだよ。つまり、佐竹君と二人で作り上げていくんだよ。お父さんには関係のないことなんだよ。それが人間生活の歴史の順序というものなんだよ。そりゃぁ結婚したって初めから幸せじゃないかもしれないさ。結婚していきなり幸せになろうと思う考え方がむしろ間違っているんだよ。幸せは待ってるもんじゃなくて、やっぱり自分たちで作り出すもんなんだよ。結婚することが幸せなんじゃない。新しい夫婦が新しい人生を作り上げることに幸せがあるんだよ。1年かかるか2年かかるか5年先か10年先か、つとめて初めて幸せがうまれるんだよ。それでこそ初めて本当の夫婦になれるんだよ。お前のお母さんだって初めから幸せじゃあなかったんだ。長い間にはいろんなことがあった。台所の隅っこで泣いとるのをお父さん幾度も見たことがある。でもお母さんよく辛抱してくれたんだよ。お互いに信頼するんだ。お互いに愛情を持つんだ。お前がこれまでお父さんに持ってくれてたようなあったかい心をこんどは佐竹君に持つんだよ。いいね。そこにお前の本当に新しい幸せが生まれてくるんだよ。わかってくれるね。わかってくれたね。そうかいわかってくれたかい」


人生というもの、夫婦というものの道理を聞かせる父親。

父親の言葉に、人生の真実を悟る娘、というシーン。

しかし、物語りのテーマを、セリフで言わせてしまう、野暮なことをするような監督ではない。

これは見せかけの大団円。

娘の落胆と決心にこそ主題がある。

大好きな父親のために結婚を決意する。

娘がどんな人生を過ごすかは今後の未知数だが、娘を失った父親が哀れなのは確かである。


多かれ少なかれ結婚は、社会の風習に合わせたものという側面がある。

社会のお仕着せを拒否する若者が、結婚というしがらみを避けるようになっていくのも当然だ。

社会はその時代の人間の構成で築かれる。

その時のことは、その時のその人たちが決めればよい。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2023年02月01日 15時31分00秒
コメントを書く
[昭和日本映画] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

プロフィール

WoodyPapa

WoodyPapa

サイド自由欄

設定されていません。

カレンダー

キーワードサーチ

▼キーワード検索


© Rakuten Group, Inc.
X

Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: