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オランダ系の連れ合いへのお土産は100円ショップで。これは彼女の言いつけでそうしているので、どこからも文句も出ない。日本とオーストラリア、季節が逆だから日本帰国の度に着るものを買うことが多い。そして、場所は俄然UNI QLO、ユニクロになる。いいものを安く。そして、徹底してやや、やり過ぎじゃないかと思われるくらいのサービス。というわけで、この店によく足を運ぶことになる。今、やたらにある。日本中に元気に陰りが出てきている中、ここだけは病気知らずの中高年のように遠慮がない。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年06月30日
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昼は、土佐料理の店。ジョン万次郎が、やや意味不明。夜は、昭和30年代に戻ったようなお店。この蕎麦、あまりに美味しくて、思わず涙が出てしまった。どうあがいても、海外では味わえない雰囲気と味。あ~、これがニッポン。やや、キンチョー。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年06月30日
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「冷房が効き過ぎているね、僕のカーディガン着ますか?」白いブラウスの薄着で寒そうにしている金城さんに、紺のカーディガンを貸してあげた。池袋東口にあった場末の喫茶店に通っていた。一浪して巣鴨にあった大学に入ったばかりの5月のことだった。そこでバイトをしていた一つ年上の早苗と言う女性に惚れ込んでいた。大学を休学してバイトをしているということだった。「タコさん、今日は本当に嬉しいよ。沖縄が、日本に返ってくるんだよ。」太い声で話す金城さんは沖縄出身。黒い瞳で目いっぱい微笑んだ。つけている私のカーディガンも、金城さんの素肌に触れて喜んでいるようにさえ見えた。沖縄は、戦後アメリカン領土となり行くのにパスポートが要た。それが、1972年5月15日から要らなくなった。金城さんたちが、どれだけ待ちわびた日だったのだろうか。生まれて初めて真剣に恋をして、圧倒的に自分からのめり込んでしまった早苗との恋は、2カ月弱であっさりと終わってしまった。彼女が家出して行方不明になってしまったからだ。婚約者がいて、大学教授と不倫していて、私と付き合っていて破滅的にそういう結末になったらしい。初めての恋がこんな形で終わった後遺症は、その後尾を引いた。半年ほど。彼女がいなくなった喫茶店にはもう二度と行かなかったから、金城さんとも会うこともなくなった。今、沖縄の基地問題、また返還時の密約のことなど、まだ沖縄が呪縛から解放されていないこと、むしろ逆に問題が更に深まっていることを知ると、あの饐えた匂いのする地下の薄暗い喫茶店で見せてくれた金城さんの裏のない笑顔が、更に遠い遠い想い出になっていこうとしている。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年06月28日
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日本滞在中の早朝ウォーキングは続いている。毎朝見る、所沢の飲み屋街。懐かしい看板だ。「どうしてタコ社長と呼ばれているんですか。」「毛があるんですね。」などなど、5万回くらい聞かれたり、言われたりしている。トランク一つでオーストラリアへ、といった寅さんのイメージ。そして、会社を興して、隣の「タコ社長」。名前は、この映画からきている。日本語で、「タコ社長」とGoogleで検索すると出るわ出るわ、こんなに「タコ社長」たいたもんだとわんさか出てくる。看板をじっと見ていて、「タコ社長」がいないことに気づく。生来の脇役、主役になれない「タコ社長」。いない訳だよ、あんたがタコ社長。残り少なくなってきた日本滞在、元気に「タコ社長」していきたい。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年06月28日
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死ぬほどオーストラリアチーズを食べる会(?)に行ってきた。勿論、赤ワインも遠慮がなかった。俳優の柴俊夫さんがチーズを切ってくれたのでツーショット。彼は、なかなかオーストラリアに造詣が深い。オーストラリアに惚れ込んでおられるようだ。しかし、ちとコレスレロールが心配で、赤ワインのポリフェノールの力に頼らざるを得なかった。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年06月27日
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朝の4時前に目が覚めた。隣の家の大きな拍手の音がそうさせた。サッカーのワールドカップ、ニッポン対デンマーク戦、大変な騒ぎだった。毎日、5時に起きてウォーキングしているが1時間早く起きてしまった感じだ。これで、負けたら腹も立つが大奮闘で勝利だったので良しとしよう。昨日は兄の運転で父を病院の検査に連れて行った。帰国すると、いつもそうしている。先生の丁寧な診察と、ホルモン注射も終わり病院の食堂で昼食となった。父はカツ丼が好きなのでそれにした。兄はカツ定食、そしてあくまで健康志向の私は山菜蕎麦。「美味しそうだな、蕎麦がいいな。」山菜蕎麦が、一番早くきて私の前に置くと、透かさず父がそう言った。自分で、カツ丼といっておきながら。ということで、私が昼からカツ丼を食べるハメになった。そう言えば、5,6年前に「今日のカツ丼」と称して、昼ごはんに毎日いろいろな所のカツ丼を食べていた時期があった。私の「大食い」がまだ健全であった頃の話だ。人の恋愛感情が無慈悲に変わってしまうように、人の食べ物の嗜好も変わる。そして、人自身も変わる。父は、目の前に出された食べ物には有無を言わさず即、手をつける。こんな人だったのだろうか、と思ってしまう。昨年、兄夫婦と箱根に行ったとき、晩御飯に出される品々を、あっという間に食べてしまう姿にやや呆れた。元警察官の厳格だった父も変わった。「まるで赤ん坊だな。」兄がそう言った。ずっと先になって思い浮かべる父の姿は、今の父になるのだろうか。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年06月26日
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家の隣に美代ちゃんという娘がいる。生まれたときから知っている女の子、といっても私より一回りくらいしたの女性だが。素敵な女性で、外資系の会社に勤めているが、縁がなく独身。毎回、帰国の度に飲みたいね、といいながらなかなか実現しなかった。忙しい人でもある。でも、前回は妹の直美ちゃんと3人で飲む機会があった。「この前、オバサンに会ったら絶対に二人では飲みに行っちゃだめよ、って言われたのよ。どうしてかな。」美代ちゃんからメールがきた。母が、美代ちゃんにそういったそうだ。そこで、母に質してみた。「言ったわよ。男はね、隙があるとそういうことを考えるからね。お母さんは、そういうのが好きじゃないの。」もうすぐ還暦になる息子を信用していない。男はみんなそうだと思っているらしい。私は、おしめをしていた頃から知っている美代ちゃんにそんな気は絶対に起きないし、美代ちゃんじゃなくても心配ないよ、と言ったが暖簾に腕押し、豆腐にかすがい、糠に五寸釘。自分の自慢できない人生を振り返ってみて、いまだに親に心配かけることは納得、とは思ってはみたが、この年になってもまだ心配をかけている自分がやや不甲斐ない。そういうわけで、今回も美代ちゃん、直美ちゃんと3人で会うことになった。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年06月24日
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前回の帰国の際に、ニュージーランド人のキースから特別に頼まれて包丁を買った。雨の中、築地にしかないという店を探して購入。キースは今年の11月に50才になる。オランダ系の連れ合いと相談して、この購入包丁を誕生祝いにした。半年前の誕生祝いとなった。彼は、若い時からナイフに凝っていて、いろいろと集めている。砥石で研ぐのも彼の仕事だ。ロシア人の奥さんヤーナには、特別の包丁は触らせないという。ところでニュージーランド、サッカーのワールドカップに出ている。ラグビーのオオールブラックスは大変な人気だが、サッカーもすごい。あんな小さな国で大したもんだ。スポーツでも包丁でも、凝るととことんやるのかもしれない。来年のラグビーワールドカップにはキースと一緒にニュージーに行こうかという話が出ている。連れ合い次第だが。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年06月23日
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日本帰国の度に本を買い込むのでオランダ系の連れ合いがいつもぼやく。「あなたは、本を買うだけで読まないじゃないの?」突っ込みが最近、ますます鋭くなってきている。今回は、結構面白そうな本に出会った。所沢になかなかいい蕎麦屋発見!いろいろなデパートがあるもんだ。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年06月22日
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メルボルンで「タコ社長」を知らない人は五万といるが、内田真弓さんを知らない人はモグリだ、と言えるほどの有名人。先日も、勝間和代さんとかいう日本で有名な人がメルボルンの内田さん宅を訪問されたとか。アボリジニーアートの伝道師、アボリジニーアートコーディネーター、いろいろ言われるが、その人となりそれだけで存在感のある友人だ。茨城出身の型にはまらないぶっ飛んだ性格で、抑え込もうとしても飛んで行ってしまう割れない風船のよう方。その内田さんが今、渋谷のギャラリー上原で展示会をされている。山形から来られている方もおられるくらいで賑やかだった。私は、アートというより、内田さんに会いにこのクソ暑い東京の梅雨空の中出かけた。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年06月20日
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絵が可愛かったからもあるが、思わず電車の中のポスターの写真を撮ってしまった。今回、日本の女性をそれとなく観察していて気が付いた点が二、三ある。一つには、特に若い女性の身長が伸びている点だ。背が高い女性がどんどん増えている。もっとも私の関わりの深いオランダなんかでは、190センチを超える女性がウジャウジャいるというので、これは世界的な傾向だろう。そして、もう一つは体の凹凸がしっかりしてきていることだ。但し、実際に調べる訳にはいかないが、上の方は人工的な措置の結果による点もあるだろう。しかし、下の方はそれも難しい。着物、正座の習慣から解放されて徐々に体型が変わってきていると言えるのだろうか。私の観察は、外面だけで内面観察は不十分なことが弱点ではある。電車の座席の幅はお尻の幅。オーストラリア標準ではなく、日本標準。しかし、日本もあと10年もすると座席改造が求められるかもしれない。こちらに来たばかりの頃、あるイタリア系のオージー男性からこんな表現を教えてもらった。英語にすると差しさわりがあるので日本語で書く。「彼女の脚は、マーガリン脚だ。」というもので、そのこころは? 簡単にスプレッドする、というものだった。このポスターの英語表現を見ながら、危うく駅を乗り越してしまいそうになった。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年06月20日
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梅雨のニッポン、ウォーキングをしていると草花の匂いが優しい。いつもは、鯵の干物とかを焼く匂がきついのだが、梅雨の匂いに負けている。先日は、そんなウォーキングの中、ずぶ濡れになってしまった。出かけるときは降ってなかったが途中から大雨になり、防水のジャケットではなかったので、そのジャケットが腹筋に張り付くほど濡れてしまった。早速、ヨーカドーに行って父の替えズボンを買うついでに防水ジャケット購入。新しい長靴を買ったばかりの子供のように、今度は雨が待ち遠しい。「お母さんとよっちゃんのお母さんはバスで行くから、よっちゃんとお前は自転車でおいで。」東京は練馬の警察官住宅に住んでいたとき、前にそこに住んでいて引っ越して行った神山さんの家に遊びに行くことになった。よっちゃんと二人で自転車で行く途中、急に雨が降ってきた。自転車で30分はかかる距離だった。もうずぶ濡れになってしまった。母とバスで行けばよかったと後悔した。私が小学校4年生、よっちゃんが3年生だった。やっと神山さんの家が近くなった。大通りを左に曲がるともうすぐだ。すると、斜め前方に白いシャツに薄茶色のスカートを履いた女の人が、泣きながら大声をあげて男の人を追いかけて行くのが見えた。裸足だった。追いすがり、追いすがり、そして足につかまり水たまりに倒れ込んだ。男の人はそれを振り切ってそのまま無言で走るように逃げていく。全てが、スローモーションの映画を観るように進んでいる。女の人の、叫び声、泣き声、そしてその顔が耳と目に焼き付いた。「あ~、よく来たね。雨で大変だってね。」神山さんのおばさんが大きなタオルを出してくれた。母とよっちゃんのおばさんは、羊羹を食べながら素敵な居間で楽しそうにお茶を飲んでいた。私は、今さっき見た光景が頭から離れない。あれから、何度もあの女の人はどうなったのかなと思った。雨の精だ。雨が降っていなかったら忘れてしまっていたかもしれない。雨には無情な力が潜んでいるのだろうか。雨にずぶ濡れになると、今でもあのシーンが蘇る。あのシーンにハッピーエンドはない。よっちゃんも私も、このことはあの日話もしなかった。何もなかったように羊羹を食べた。でもよっちゃんも私も、心が濡れて震えるほど沈んでいることは分かっていた。今、私はタコ社長になり、そしてよっちゃんは東京の大きな区の警察署長になっているが、この話は一切したことがない。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年06月19日
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毎日の買い物は自転車だ。自分でも、運べるかなと思うほどの大量の買い物。「いなげや」という関東に100店舗あるスーパーで買う。「大変だね、持って来られるのかい。」と心配する割にはいつも紙一杯に書かれリストを渡す母。因みに、母が撮る私の写真はいつも頭が切れている。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年06月19日
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実は、前の日記のピザの食事会の話で、一番言いたかったことを書き忘れていた。私も、指摘されるまでもなく、呆けが大いに始まっているようだ。前の日記で「あーちゃん。さん」から頂いたコメントにあったのだが、日本のピザの値段の豪華さには目を見張るものがある。因みに、「みはる」といって思い出すのは、今は無き六本木のクラブマキシムのタコ担当のミハルさん。非常に気立てのいい女性でよく接待客の面倒をみてもらった。週末に六本木アマンドの前で待ち合わせ。スッピンのミハルさんが認識できずに、そのまま通り過ぎてしまったことを思い出す。それ以来、化粧というものの力の凄まじさには左右されない眼力がついていて嬉しい。ところで、ピザの値段に話を戻すが、あの写真にあったラージサイズのピザ2枚で、これってどうよの¥6,800。支払いは私だったので、怖くてオランダ系の連れ合いには報告できない。ちょっと前までは、メルボルンで連れ合いとよく行っていたピザ屋のラージは10ドル以下。日本円にしたら¥1,000以下だ。デフレの国、ニッポンでこの価格差は一体どうしたことだろう。こういう思いもあり、無理して食べてしまった面も否めない。日本は、まだまだ探せば世界標準ではないバカ高商品が沢山あるのかもしれない。いずれにしても、今回の滞在中ピザはもう食べないことになっている。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年06月17日
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前回来日したとき、宅配で頼んだピザの量が少なかった、と父が食べた翌日に母に言いながら機嫌が悪かったと聞いたので、今回はラージサイズを2枚注文。お陰で、地獄のピザ喰いバトルとなってしまった。前立腺を病んでいる87歳の父、胃癌完治の84歳の母、そしてCTスキャン初体験だった58歳になりたてのタコ社長、合わせて229歳の食卓にバカでかいピザが鎮座して占領。当然、誰が一番食べるのか、食べないといけないのか食前に決まり切っているこの鮮やかさがいい。恐らく、私は都合1枚分は喰った。食べたというより喰ったといいたい。途中から苦しくなって、ピザの耳を残し始めると母が、「もったいないでしょう。」と注文を出す。耳を残さないと手が進まなくなるからといった苦肉の策なのに理解のない攻撃。戦前の方々は容赦がない。「あれ、お父さんには耳がないな。」最近よく不可解なこと口ずさむ父が、私の残している耳を見ながら言った。「何言ってんのよ、お父さんは自分で食べたんでしょう!」「あっ、そうか。」3人で大爆笑した。笑いながら無性に切なくなってきた。結局、どうしても食べられなかった三切れが残ったので、これは翌日両親にチンして食べるように言った。昔、大食いだった頃なら訳なく私も完食したのだろうが、体重78キロを目指している今は、もう胃の方から白旗が出る。因みに現在82キロ。いずれにしても、この夜は都合229歳の食卓とは思えないほど勢いのよい想い出に残る食事会となった。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年06月17日
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「タコさん、私は結婚すれば他の女性に目移りするようなことがなくなると思っていたんですよ。でも、実際はダメでした。」学生時代通っていたプロテスタント系の教会の宣教師さんからの言葉だった。この宣教師さんが言われたかったことは、人間は誰でも不完全なもの、だから神に祈って神を信じてやっていこう、ということだったのだろう。しかし、中学校の時はいつも国語だけは5だったタコ社長、そうは解釈しなかった。私は、宣教師さんでさえそうなんだから、自分は少々目移りするくらいは大丈夫なんだと安心してしまった。一度ついた癖はなかなか抜けぬもの。その後の人生、火遊び、火傷などが何度か経て、その後座りのいい人生が歩めるようになってきて久しい。還暦まで、あと728日。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年06月15日
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帰国時の早朝ウォーキングで毎日挨拶をしていたテレクラ「リンリンハウス」の従業員がリストラにあったようだ。看板だけでしか知らなかったが、みよちゃん、みきちゃん、みどりちゃん、などはどうなったのだろうか。本当に痛ましいことだ。代わりに入社した人たちは一回り若いような方々。人件費節減のため、年若いパートの人でやっていく体制を取ったのだろう。日本は、あらゆる産業で同じことが起きているようだ。つい一カ月前には、まだ前の従業員が笑顔で頑張っていた。こうなったら、次のリストラがいつ起きるのか、ちょくちょくチェックに帰国しなとならなくなるようだ。困ったものだ。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年06月15日
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「ザッツノットフェアー」オランダ系の連れ合いが、そういいながらも涙を流して送り出してくれた。5月に日本に帰国したばかりで、また今回日本ということでの発言だったが、父の病のことで帰ることは連れ合いも十分分かってくれている。ありがたいことだ。いつものように早すぎるくらいの時間に飛行場へ。ラウンジに赤ワインで独りで乾杯してネットなど始めていい調子だった。「セキュリティーの問題が発生しました。重要な問題ではないようですが、全員飛行場外へ緊急避難してください。」とのアナウンスが。やれやれ、せっかくいい気持ちになったのにとんでもないことになった。一旦外へ出たのでまた、あの荷物検査を受けないとならない。大変な人の数。早く、戻れると思った。ところが、待てど暮らせど何の説明もなくただただ立って待っているだけ。二階に上がるエスカレーターは係員がストップしているので、一階のフロアーはまるで日本のラッシュ時の電車の中のようだ。皆、エスカレーターの前に集中。こんな騒ぎが2時間近く続いてぐったり。飛行機も遅れて、シドニーの通関。見ると200人くらいの日本人女子高生が行列。何だこれは。さい先の悪すぎる旅行のスタート。飛行機も遅れ、出国手続きも遅れぎりぎりで日本行き国際線へ。修学旅行客がいたため、いつもはそんなに混んでいないで寝られるのに超満席。いつも真ん中の4席の端を取る。隣の2席が空いていることが殆どだった。ところが、どういう訳かその2席が乗ったカンタスの乗務員と家族で、乗務員が気をまわして別な席に移動してくれた。あ~、良かった。「ミスタータコ、誠に申し訳ないのですが、子供二人の家族連れがいて一緒に座らせたいので移動してもらえませんか。」何だこの連続プレッシャーは。ということで、別な4席満席の所へ移動させられた。しかしこのお陰で、ビジネスクラスのヘッドホーン、化粧セット、そして高級赤ワインが降ってきたので良しとした。赤ワインがあればタコ社長、それほど文句もない。という経緯で東村山に到着。そして、いきなり地震。天気予報をみたら毎日雨、雨、雨。その筈だよ、もうすぐ梅雨入り。あ~。家に入って両親に挨拶。患っている父が、私の手をしっかり握って握手をしながら大粒の涙をながしてよく来てくれたな、と2回続けて言った。メルボルンも涙、東村山も涙のスタートとなった。着いたら、昼ごはんができていた。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年06月13日
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フィリップ島の、日本趣味のB&B。ご招待ということで、オランダ系の連れ合いも終始笑顔、素敵な島めぐりとなった。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年06月12日
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この一週間、胃も腸も休まらない日々。赤ワインもたまには抜かないといけないと言われて久しい。チャイナタウンの中華料理屋さんで。ボックスヒルのマレーシアレストランで。パインウッドのタイレストランで。街のタイレストランで。自宅のキッチンで。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年06月10日
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胸部レントゲンを撮ったら影があるというので、CTスキャンを受けに行った。生まれて初めてのスキャンだった。後ろで紐を締めるだけの無防備な格好で臨む。「動きだしたら息を止めてくださいね。これは大事なことですからね。」技師の女性の方が念を押した。スキャンがクルクル回り始めたので、言われた通り息を止めた。ずっとずっと止めていた。苦しくなってきた。気持ちが悪くなったので止めた。まだ始まっていなかったのだ。何年いても、英語で苦労する。実際に始まったら、今度は男性の声の録音で指示がきた。これが、また聴きとり難い。冷や汗ものの検査も、何とか無事終わった。昔から病院は苦手だ。得意な人はあまりいないかもしれないが。CTスキャンの結果は問題ないということだった。あれだけ息を止めていた甲斐があった。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年06月09日
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オーストラリア、冬に勢いがついてきている。ちゃんと薪もある田舎風のBBQ。焚火感覚で。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年06月08日
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昨年一緒にパースワイナリツアーに参加した人たちの懇親会があった。酒豪揃いだ。1人1本以上は持ち込んでいて、ほぼなくなった。安心して飲める方々の会だった。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年06月06日
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1985年の1月から開講された「立川 朝日カルチャーセンター」で「浪越徳次郎指圧教室」に通った。10年ほど前に94歳で亡くなられた浪越徳次郎さんも当時はまだまだ元気で現役だった。高校時代、 桂小金治アフタヌーンショーでこの人を初めて見たときは、全身脂ぎったスケベオヤジのように思えてしかたなかった。何しろ、私の憧れのマリリン・モンローに指圧をしたことを自慢している御仁だった。一糸まとわぬ彼女の肌がなんと素晴らしかったか、などと言っている。隅に置けない。しかし、実際にお会いしいてみると先生は温和な孝行ジイサンといった感じで好感がもてた。「どうですか、今夜は私のひいきにしている佳山君のパーティーがあるんですが、行きませんか。」クラスの何人かが誘われて出かけることにした。後で聞いた話では、浪越さんは佳山明生さんの後援会長だったとか。私は、指圧師を目指し毎日指を立てることになった。ちょっと前まではブルドーザーとかを売っていた訳で、その変化に目まいも感じたが、オーストラリアで永住権を申請する時に日本人の技術として、指圧が何かの役に立ってくれるだろうと期待していた。だが実際には、永住権取得ということではまったく役に立たなかった。日本で、2年間の指圧学校を出て、それなりの資格がないといけないと知った。そんな時間とお金はなかった。あれから25年、私は、カラオケで「氷雨」を歌うたびに、あの晩のパーティーのことやモンローのことを思いだす。体格の見事なオーストラリア人数人に指圧をして喜ばれた「親指の思い出」も蘇ってくる。因みに、今は誰からも要望が出ないので全くやってはいない。この不況の中、副業としてやっていこうかと考えない訳でもないが、エロオヤジとか言われそうなので躊躇している。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年06月05日
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一体、中国人の人たちはどんな物を食べているのだろうか。昨夜はチャイナタウンで会食した。頼んだスープ、可なり辛いと分かっていたので、マイルドにするよう特別に頼んだ。ところが、注文した激辛好きの方も途中でギブアップするくらいの辛さ。私を初め他の方たちはもうどうしようもない顔で舐める程度。大いに残ってしまった。最近、全て食べないで残す勇気を持とう、とダイエットに勢いをつけようとしているのだが、大量残は意に反している。しかし、しかたがない。こんなに辛いスープを飲んだことはこれまでの60年近くの人生で無かったことだ。問題は実はここからで、この辛さのせいかどうかわからないが、いつもより酔いが可なり早く、新宿二丁目辺りをふらついている酔っ払いオヤジと変わらなくなってしまい、30代の女性達は早々に退散、野郎だけでカフェでお茶した。そして、家にどうやら帰ったようなのだが一晩中腹の調子が悪くのたうってしまった。そういう訳で、今日の生まれて初めてのCTスキャン通過記念日、大変な思いで迎えてしまった。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年06月04日
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新関真美、栗本紀一郎、星出真理子、石原敏郎。豪華なTVドラマの出演者のような名前だ。勿論、最後は私の本名。タコ社長を私の本名と思っておられる方が多々あるようだが、実はこんな名前。東京練馬区の豊島園の近くにあった向南幼稚園の生徒だったときに、劇の発表会があった。所属していた雪組からは2つの劇を出すことになっていた。担任の小島先生は、「シンデレラ」と「コブ取り爺さん」に決められた。当然、私が王子様と思っていた。新関真美がシンデレラ。しかし、現実は厳しかった。爺さん役になってしまった。婆さんは、同じ警察官住宅に住む星出真理子。真理子ちゃんに文句があった訳ではなく、こ汚いモンペ姿とかじゃなく、王子様の白いタイツ姿に憧れていた。人生は、なかなか思うようにはいかないんだ、と幼稚園の時に学ばせていただいた。それにしても、良い名前が並んだもんだ。私の場合は、ちと名前負けではあったが。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年06月03日
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オランダ料理屋、というのは一般にはないが、それらしきものがあった。正直のところ、言いたいことは山ほどあるが、大きな声では言えない環境がある。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年06月01日
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「線は二本だったんだ。」厚手の紺のカーディガンの左腕には白の二本の太線があった。遠くから見ても二本だと分かるのにわざわざ言うこともないだろう。「あっ、一重だったんだ。」私は、秋田と栃木の混血だが目は一重。そんな事を言うために日曜の夕方に二人して来ている。東京は練馬にあった向山小学校6年の時、5年生で口もきいたこともない二人の女の子が夕食の時に家を訪ねて来た。島田と黒川という子だった。黒川は目がクリクリとして愛らしかった。誰だこんな時間に、と怒る父を気にしながら外で3人になった。覚えている会話はこの二つ。全く、芸がない。私は、返事もしないで下を向いていた。こういう設定に全く慣れていなかった。話したこともない上級生の家に来るということがどんな意味なのか分からなかった。それで終わった。黒川という子に気持ちが動いたが、その受け皿がざるだった。中学は練馬中学。二年の時に陸上部の部長になった。砲丸投げのタコで名を上げたのではなく音を上げていた。「黒川です。今日陸上部に入りました。」ある日、あの私の目を見て「一重だったんだ」と言った黒川が陸上部に入部してきた。「さっ、走る前に壁に中腰になって背中をつけて10分!」「はい、腹筋20回」通常の部員以上にしごいてしまった。黒川は、この一日で退部した。それで終わった。奥手の大男に3度目のチャンスはなかった。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年06月01日
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