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今朝、ウォーキング中に虹を見た。二重に出ていた。毎朝、教会の前を通るときは、日本にいる両親、特に父のその日の無事を願う。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年07月30日
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久しぶりに、クイーンビクトリアマーケットに行ってきた。朝早くから多くの人でごった返している。東京で言うと築地とかアメ横辺りへ出向く感じだろうか。是非、日本の皆さまをお連れしたい所の一つだ。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年07月30日
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今回の帰国で、とうとう一人で行ってしまった。池袋東口文芸坐の近くのストリップ劇場とかの話ではない。ストリップと言えば、サラリーマン時代インドのセールスキャンペーンに行った時、現地のエージェントに連れて行って頂いたインド版ストリップをそれとなく思い出す。一昔前のあの大きなビキニ(2センチくらいしかお腹が出ていないもの)で終わったことが懐かしい。先輩技術者が腹を立てていたので、踊り子二人目の途中で出た。更に、インドの関係していた政府系企業のNO2ムルティーさんを京都のデラックス東寺にお連れした時のことが蘇ってくる。こういうのを芋づる式に思い出す、というのだろうか。ここは、デラックスという名に相応しい大劇場。大きな目を更に大きくして魅入るムルティーさん、途中から客に紛れて姿が見えなくなってしまい、直属の上司の川口課長も慌て、私も探した。お陰で、舞台に注目できない、というとんだ観劇となってしまった。しばらくすると、探していた反対側の最前列に黒光りするツルっ禿げのムルティーさんの頭発見。大変な混雑で探し出すのに苦労したが、ちゃっかりと最前列におられた。しかし、今度はムルティーさん、踊り子に誘われて舞台に上がったりしやしないかと気が気じゃなくなった。話を戻そう。日本で一人で行ったのは、所沢のカラオケ店だった。一人で行く人を、「ヒトカラ」というのも初めて知った。そういう人をヒトカラーと呼ぶことも。ストレス発散には十分過ぎるほど貢献しいてくれた。全く想像の域を出ないが、ラブホテルに一人で入る時のような感覚なのだろうか。もっとも、ホテルの中にはカラオケもあると聞き及んでいるので、ヒトカラinラブホテル、ということで「ヒトカララブ」とかの造語も考案して発表したくなった。ということで、誰に遠慮もあるものか、と絶唱してしまった。http://www.youtube.com/watch?v=eu7cSUCp38g一緒に行く人たちの迷惑も考慮して、これはヒトカラーになったときだけに歌うことにした方がいいと言われそうな気がする。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年07月29日
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「それにしても暑いね、ブリスベン。」「どっから来たの?」「メルボルンだよ。タコっていうんだ。」「俺、ジョージ、前にメルボルンに住んでいた。いつかまた住みたいと思ってるよ。」右も左も分からないブリスベンの街の最初の夜、一人で街のカフェに入った。正確には、外のテーブルについた。2004年1月4日のことだった。東京の夏の夜のような蒸し暑さだった。クイーンズランドにあるカフェのフランチャイズ「コーヒークラブ」で、チキンカルボナーラと、赤のグラスワイン2杯。ジョージが勧めただけあって、口いっぱいに広がった深い味が、ワインと絡まっていつまでも残った。その後、ブリスベン入りした夜は必ずここでこの同じメニューを楽しんだ。何回目かの訪問の夜、ジョージの姿がなかった。オーナーが代わり、スタッフも入れ替わっていた。会社のブリスベン支店は2004年4月にオープンした。メルボルンの上り調子を背景に、他州に打って出たのだが急速な事業展開が裏目に出て、会社の舵取りも大きく見誤り、3年半でこの店を閉じることになってしまった。非常に多くの人々に迷惑をかけた。特に自分の会社のスタッフに。2007年7月末で事務所閉鎖となった。閉鎖の少し前の最後の出張の時、やはりこのチキンカルボナーラを一人で食べに行った。味はそのまま引き継がれていた。季節はブリスベンも震え上らせる真冬。3年半前の真夏の浮いた気持ちとは全く逆に、気持ちが地べたを這いつくばって流れてしまいそうになる。この夜は、赤のシラーズグラスワイン、3杯となった。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年07月28日
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久しぶりに会社スタッフと会食。最初に入った店が、いっさい酒の持ち込みも飲むのもダメだったので、協議の結果出ることにした。赤ワインが飲めないで何の会食か、といった感じだった。二軒目では、持ち込み赤ワイン、会社に置いてあった飲みかけのをまず試飲。気が抜けていて不味い。死飲になり兼ねないので止めた。ピッチも早く、何だか悪酔いしてしまった。なかなか、メルボルンボディーに戻らない。ガンガン飲まないと。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年07月28日
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セントキルダに久しぶりに出向く。半年ぶりだろうか。冬なのに、日が照ると暑く感じる。でも泳ぐ人はやはり寒中水泳というしかない。半日をここで過ごした。時が、退屈そうにゆっくりと流れた。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年07月26日
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街の路地にあるカフェで朝食。街中に住んでいる人も結構いるが、このような感じなのだろうか。時々、だからいいのかも知れないが。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年07月25日
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近くの中国系のスーパーで日本のDVDを1本5ドルで売っていたので、まとめ買いをしてしまった。日本から帰ったばかりで日本好いてしまったのだろうか。街の中国系DVDショップでは1本15ドル、シリーズは35ドルだ。今日の所は全てが5ドル。ところが、本場中国では1本100円だという。だから5ドルでも高いと言われた。この業界、行きつくところまで行ってしまっているようだ。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年07月24日
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「金曜日の夜、シティーのホテルを予約したからね。」しばらくぶりに帰ってきたら、オランダ系の連れ合いが週末はゆっくりしようということでホテルを取っていた。トム・クルーズの出演している新しい映画を観た。題名は覚えていないが。それから、ハードウエアー・レーンにあるカフェで夕ご飯、それからカジノで他人がボロ勝ちしているのを見てホテルに戻った。映画は勿論クーポンを使って一人は只になった。連れ合いは、クーポンクイーンと言われても当らずとも遠からずの人。映画が始まるとアクシデントがあった。声だけ聞こえて画像が出ないのだ。最初の3分くらいだろうか。連れ合いを含めて数人が外に出て係員に話をした。映画がはねてから、連れ合いは事務所に言って笑顔で帰ってきた。文句を言ったら、只券が二枚もらえたそうだ。「言わなきゃ何も始まらないでしょう。」ごもっとも。夕食に選らんだ、ハードウエアー・レーンにはず多くのレストラン、カフェがある、その内の一軒に入った。私が選んだ店だった。「ここも、クーポンなの?」「勿論よ、この一帯にはクーポンが使える店が4軒あるの。」私が選んだと思った店は、実はクーポンが選んでくれた店だった。一事が万事、安心できる週末となった。因みに、ホテルもTVで宣伝していたスペシャルプライスだった。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年07月24日
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「タコちゃん、実家から母が来てるの、アパートじゃまずいから例のトンカツ屋さんで待ってて。」明美は電話でそう言った。社内恋愛が始まって2カ月、会社の誰にも知られないように、外線の赤電話で話した。明美は山梨から東京に出て来て、荻窪のアパートで下宿をしていた。勤めていたダイマツ製作所の海外事業部で一緒に働く同期だった。暇な部署にいたので、殆ど毎日のようにデートしていた。食費で安月給が飛んでしまった。中央線荻窪駅南口を左に出て少し歩くと、「たつみ」というトンカツ屋さんがあり、二人で本当に良く行っていた。当時は、入口の所に小さな座敷があって、ここで、明美の母親と初めて会うことになった。「背が高いのね。うちのお父さんは、何しろ首回りとかしっかり座っている人がすきなのよ。40センチはないとダメね。タコさんは何センチ?」「40センチです。」座高とかも訊かれたら即答えることもできたが、首回りで終わった。合格だったようだ。「タコちゃんと私ね、ここによく来るのよ。ここのトンカツもいいけどね、トン汁が最高なの。」明美は、いつもよりトーンを上げて声高にそう言いながら、トン汁をすすった。私も、ここのトン汁が好きで通っていた。1976年の11月だったと思う。こうして、彼女の家族に紹介され、翌年は山梨まででかけ、首回りをお父さんに披露して喜ばれた。交際は深まった。「タコちゃん、オーストラリアに行くんだってね。私と一緒になっていたら、タコちゃんの夢、叶わなかったでしょうね。」1984年9月にダイマツを円満退社し、多くの方に挨拶状を差し上げた。明美は友達から聞いたと言って10月に電話をくれた。明美は、その4年前に退職し結婚して一児の母となっていた。ほぼ4年近く、毎日のように会っていた人だったが、もうまったく手の届かない所に行ってしまっていた。夫婦は他人、恋人も他人。「じゃ、オーストラリアで頑張ってね。お父さん、お母さんによろしく伝えてね。」型どおりの挨拶しかできない二人になってしまっていた。当時から変わらないのは、あのトンカツ屋のトン汁の味だけだ。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年07月22日
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酷暑の東京から、肌寒いメルボルンに戻った。この、物理的な温度差と、心情的な温度差にやられそうだ。なんだか、「浦島太郎」の予行演習のような気分。あの時、浦島さんが爺さんになってしまった訳だけど、今の年齢にしたらそんなに年ではなかった筈。もしかしたら、今の私の年より若かったりしたりして。さて、旅行ボケ、天然ボケ、まだらボケ、ボケに勢いがついてきているタコ社長、重い荷物を持って明日出勤。日本の皆さま、いろいろありがとうございました。メルボルンの皆さま、お待ち同様でした、近々、赤ワインでご挨拶させていただきます。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年07月20日
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84歳になる母は、以前のように料理をすることはできなくなったが、それでも今回の滞在中、自慢の料理の腕を披露してくれた。私が、ママチャリで買い物に行くことが多かったが、それでも近くの店まではこんな格好でよく出ている。運動にもなるといって。茹でる、お湯をさっとかける、醤油で漬ける、いろいろと細かい技が冴える。年季が入っている。毎回、私も教えてもらって、メルボルンに帰るとやっている。いつまでも教え続けて欲しい。嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年07月18日
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「でっかい顔!」週に2回くらいオランダ系の連れ合いに言われている。「タコさん、顔が長いですね。家系ですか。」今回の帰国でこう言われた。飛び上がるほど嬉しくなった。日本では、年齢と身体的特徴を論わないと住み難い。ほぼ毎日朝5時頃から1時間半歩いた。「人は足の裏で考える。」先人はいい言葉を残したが、タコ社長、足の裏でも考えない。とはいえ、この猛暑の日々これだけ歩けば痩せもしよう。ということで、顔が痩せて長く見えるようになった。「でかい」から「長い」に格上げされた。「寒くて雨も降っていて、とてもじゃないけど外なんか出たくないわ。」メルボルンに電話したら連れ合いがそう言った。む~、この温度差。長い顔をキープするためにも早朝ウォーキングはメルボルンでも続けたい。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年07月18日
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リンリンハウスの豪華看板拡大を確認。この不況下で大いに鼻息が荒い。100円ショップで老眼鏡も買い揃え、オーストラリアへの帰国もほぼ完了。本日、父も退院、安心して帰国できそうだ。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年07月16日
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30歳までの若い方々が、異国の地で働いて旅行する国の相互交流制度がある。ワーキングホリデーという制度だ。関心のない方はご存じないかもしれないが、オーストラリアへは毎年日本から約1万人の青年が訪れている。1年から2年、滞在し、半年間は英語の勉強もできる。日本からオーストラリアに来る人数に比べ、オーストラリアから日本へは10分の1程度だろうか。人口比でみればいいのかもしれないが、やや気になる。昨年11月に両親と河口湖の温泉に投宿したときに、湖畔で働いているオージーのワーホリさんに出会った。今月、再度ここを両親と訪れることができた。そして、このワーホリさんと再会した。ワーホリの方は、1か所では半年までしかは働けないことになっている。仕事をして、その金を使いその国を見て回る。そういった、金の循環も考えに入れられており、仕事ばかりして帰ってしまうことに歯止めをかけているのだろう。河口湖のワーホリさん、規定を超えて働いているようで、今回はやや後ろめたそうに私を見つめていた。2か月ほどまえ、「日本ワーキングホリデー協会」が閉鎖された。例の、「仕分け人」たちの両断を受けたようである。役人の天下り先になっていたのだろうか。私は、渡豪したときにはすでに33歳になっていたのでこの制度の恩恵にあずかることはできなかったが、これからもこの制度を使って多くの方がたにきていただきたいもんだ。欲を言わせてもらえるなら、このワーキングホリデー制度、中高年、60歳くらいまで年齢制限を引き上げていただけたら素晴らしいと思うのだが。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年07月15日
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犬に痔はいない。全犬調査をしたわけではないので、もしそういう犬を見たり、飼っている方がおられたらご報告願いたいものだ。但し、あまり熱心に追跡調査などしてえらいメに遭わないようにしては欲しいが。犬にはいなくて人にはそれがあるのはどうしてかというと、それは人が二足歩行を始めたことに原因があるらしい。すなわち、基本的には四足歩行をしている方たちの心臓の位置と、二足歩行をしている方たちのその位置が問題らしい。水戸様の位置が心臓より上にあるかどうかなのだそうだ。かといって、じゃ明日からタコ社長も四足歩行をしよう、とかいう話にはならないのが辛いところだ。日本の通勤電車などでは想像もできないくらい邪魔者扱いされそうだし。今回の帰国で、犬についていくつか散ケンしたことを書いてみたい。まず日本では、どちらかというと犬を引いて歩くというより、抱きながら歩いておられる方々が多いように見受けられる。したがって、犬の種類はセントバーナードとかじゃなく、割と小型犬が多い。というより、圧倒的に小型犬だ。まるで、猫か赤ん坊でも抱くようにして歩いておられる。小型犬は本当に可愛い。タコ社長、オランダ系の連れ合いなどから、「ない」と言われている目の中に入れたいくらいだ。と思って持ち主の顔を見ると、これが閻魔大王のように怖い顔の方が圧倒的。これには仰天させられる。ちょっとは、可愛い犬に学んで欲しいものだ、などと僭越ながら意見したくもなる。小型犬では外国種の犬が多くみられるが、日本を代表する小型犬「柴犬」もうじゃうじゃいる。メルボルンの会社のスタッフの一人は、実はこの「柴犬」を飼っている。連れ合いに、飼うのはどうかと打診はしているが、今日現在返事がない。概して、太って身動きに不自由を感じているような飼い主の方がたは、同型の犬を連れる傾向にあるようだ。丸々と太った犬が、飼い主と一緒に「はあはあ」言いながら逆戻りしているように歩く様は微笑ましくさえ見える。これから、日本は益々不況になり、世界大恐慌も秒読みに入っているといわれているのに、我が祖国ニッポンは、なんと穏やかで平和に見えることか。ニッポンの幸せな犬たちもいつまでもそうあって欲しいと願わずにはいられないが。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年07月13日
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私は、こういうのはどうもいただけない。外連味のある、気を衒った方、苦手だ。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年07月12日
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生まれて初めて乗ったモノ、なかなか忘れられない。1974年7月、アメリカのワシントン州で乗った馬。山林を駆け廻り(?)苦労をかけて、乗せた馬の方も私のことを覚えているかも知れない。オートバイ、遊園地のコーヒーカップ、指圧の練習台になってくれた金髪の娘さん、など然り。本日、救急車に生まれて初めて乗った。いつもはいろいろと乗っている人を想像しながら見ている方なのだが。案外、中は揺れる。そして、カーテンがしてあって景色が殆ど見えない。サイレンの音などが聞こえて特異な状況下にあることは体感できた。味をしめて、何度も乗りたくなるものはあるが、救急車は一度でいいと思っている。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年07月10日
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帰国延期で大きな誤算が生じている。日当の割り当てオーバーとかいうことではない。「タコ、髪染めてんのか?真黒じゃないか!」級友に訊かれた。「俺を何だと思ってるんだ。化け物か?当り前だろう。」最近、私の日本語の使い方に幅が出てきている。「眉毛に白いものが混じってきたら止めることにしているんだ。」何度か使い回している人気の表現。ということで、帰国早々、効果期間を算定して実施した毛染めだったが、期せずして二回の表を迎えるハメになった。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年07月09日
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本日、メルボルンに戻る予定だったが、急きょ延期となった。まだ、数日、東村山の空気を吸いながら、蚊に喰われる日々が続く。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年07月08日
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実は、気づいた方はまったくおられないだろうが、タイトルが変わった。「オーストラリア移住23年」が「25年」になった。ボケが始まっているようで、変更が遅くなった。気が付いたら、この6月で25年になっていた。石の上にも3年が8回転以上、いい加減、石もすり減ってきている。25年は四半世紀、長くなってきた。練馬に14年、東村山に19年、メルボルンに25年。青山、田園調布、ニューヨーク、なんていう響きよりやや田舎っぽい匂いがするが、私には合っている。さて、いったい、次はあるのかと思わないでもない。もし、よしんばあるとしたら、それはニッポンか。そうなったら、「回帰祝い」ということになるのだろうか。日本を去る直前は、どうしても感傷的になってしまう。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年07月06日
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一説に拠ると、オランダ系の連れ合いがこのサイトを翻訳して読んでいるということ。ということで、女性との密会とかじゃなく、野郎二人のケーキの会の写真。もう7年ほど前に、日本に帰国した元スタッフと甘い邂逅。しっかりと、地に足をつけて活躍している青年とお話することは、本当に刺激になる。これからの活躍に大いに期待している。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年07月06日
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数年前の帰国の時、隣のクリスさんと、オランダ系の連れ合いの父親の二人で、我が家の柵を作りなおしてくれていたとことがある。可なりの重労働だ。私は、大工仕事やこういう土木工事が苦手だ。ほかにも苦手なものは五万とあるが。実は、今回も排水関係の重労働をクリスさんがやってくれたと連れ合いからの連絡が入った。もっと頻繁に日本に来ようかな、などと思ったわけではないが、嬉しいかぎりだ。クリスさんはリタイヤした62歳の方がが、腕力がすごい。オージーの男性は、否、女性も腕力がものすごい。「キャシーがいなかったので、クリスと二人で近くの新しいインド料理屋に行って食べてきたわ。美味しかったわ。」奥さんのキャシーさんが家を空けていたので、連れ合いは力仕事の感謝を込めてクリスさんと二人で外食したとのこと。あまり、日本に長居をすると、家のいろいろな工事は進むだろうが、それ以外で支障をきたすようなことがあるかもしれない。早く帰ることにしよう。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年07月06日
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C型肝炎が完治した中学時代の級友のお祝いと、10年寝た切りの級友のお見舞いに行ってきた。東京は大根で有名だった練馬の練馬中学の級友たちだ。還暦近い中高年の座りのいい集まりになってきている。場所も、トシマエン、申し分なかった。帰りは、母校の小学校の前を通り昔の友達の家を検証しながら帰った。「お前は、昔から説教するからな。」この日記常連の中学時代私が剣道で頭の裏を叩き続けた恨みを忘れないK島氏が言った。これが私が先生達に人気のなかった理由の一つだろうか。ミニ先生のように、説教を垂れていたようだ。記憶が正しければ、女性には人気があったようではあるが。「そうじゃないのよ、年取ったらお父さんはもう少し、物分かりがよくならないとだめじゃない。」84歳の母が87歳の父に説教している。昔の仇打ち、といった要素もあるのだろうか、母は父をコントロールしようとしているようにも見える。母と私は顔も瓜二つだが、説教を垂れることも似ていたようだ、と思うと笑えてきた。私は更には日本語教師をしていたし、今はタコ社長、説教しないでどうする、っといった人生街道まっしぐら。しかし、これからは可愛い中高年のオジサンを目指して、ちょっと自己改革が必要なときになってきているのかもしれない。早くしないと、年とってからの改革はまず不可能だ。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年07月05日
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河口湖、2日目。料理は年よりに優しい「少なめ」のコース。量より質、と唱われていたが、結構な量。父は、トイレに行くのが仕事の病気。夜中に10回くらい行く。つかの間の静寂、部屋付き露天風呂から夜景が、やけに綺麗だった。極楽、極楽。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年07月03日
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一時は、危ぶまれていた両親との温泉、突然父が行きたいと言い出したので実現。場所も部屋も、昨年の10月に来た所。富士レークホテル。ホテルに備え付けの車いす、初めて使用。楽だな、と父。ゆっくりできるよう願っている。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年07月02日
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