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87.92,97. オランダ系の連れ合いの上からのサイズとかの話ではない。実はこれ、こちらの男性のズボンのウエストのサイズ。5センチ刻みなのだ。インチでいうと2インチ毎に変わる。実はこれは、見逃せないオーストラリアの大問題だ。ウエストの1センチの差。年を取ってくると毎日の食事よりも大切になってくるもの。切実だ。考えてみて欲しい。ウエスト97センチの人が痩せて下のサイズを買うときに、ガタっと下がって92センチになる。5センチの差だ。世の中、こんなに大雑把でいいのだろうか。一事が万事、大きく括られてしまうのがこの国。もっとも、高いデパートとか高級洋服店などに行けば、話は違ってくるのだろうが、私には選択肢はない。連れ合いに「どんな物を着ても似合うわ。」とか言われて、いつも日本で言うならヨーカドーのような所で買わされている。ということで、ズボンはだいたい日本で買うことになる。勿論、伊勢丹とかじゃなくユニクロになる。ユニクロに何の恨みもないし、品質が良くて易いのだから何の文句もないが。日本のきめの細かさ、行き届いた消費者志向はすごいものがある。裾直しなんかも無料でやってくれる。しかも早い。こちらでは、そんなことはない。もうすでに裾が出来上がっている。長身なのに短足の私は、いつもズボンが武士のお城への登城スタイルのようになる。躓いて歩けない。大雑把で細かいことにあまり拘らない国と、痒い所手も足も届いてくれる、人の心の裏の裏まで知ろうとする国。この二国のいいとこ取りをしていきていけたら嬉しいが、往々にして、悪いとこ取りになったりするから困る。因みにタコ社長、念願の90を切った。ゴルフの話ではなく、勿論ウエストのことだ。ユニクロが目に浮かんでくる。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年05月31日
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オランダ系の連れ合いが、最近スローフードに凝っている。8時間くらいゆっくりとクッキングする鍋を買って以来気に入っているようだ。確かに、朝、何でも放りこんでおくと夕方には煮込まれた料理が出来上がっている。という訳で今夜は、ローストビーフ、口の中でとろける。そして、あの「菊芋」をチンして添えた。それから、今、どんな食事でも「大根おろし」を食べている。これで病気になったら、あたしゃどうする?っといった感じ。明日は、病院だ。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年05月30日
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日本に帰っていたのが嘘のような遠い想い出。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年05月29日
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日本からの方々と会食。定番、いつ食べても食欲がそそられるギリシャ料理。「私は、座高とウエストが97センチで同じ時期があったんです。」「えっ、それじゃドラえもんですね!!!」参加者全員が一斉に発した!皆さん、お若かった。私は、ドラえもんだったんだ、と悟る。但し、今は座高は変わらないが、ウエストは無理して87センチも履けるようになった。あくまで、無理して。86センチ以上をメタボ領域というらしい。もう少しの努力が。これが、なかなか厳しい。今年の目標になっているが。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年05月29日
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「バートの事、妬いてたの?それは誤解よ。彼はまだ子供よ。」21歳になったばかりの私に、4つ年上のアメリカ人のジュディーが言った。私たちは、群馬県の赤城山にあるクリスチャンキャンプで裏方としてボランティアをしていた。1973年の夏のことだった。バートは、私と身長は変わらないのに足が長い。みなで、近くの山に遊びに行ったとき、その歩幅の広さに感心させられた。付いて行こうとして難儀した。憧れのジュディーとバートが仲良く笑いながら歩いている姿に、場違いに妬けてしまった。バートはスティーブ・マックイーン張りの色男。私は、東村山から村を代表して参加しているような田舎者。いじけていた。同じなのは身長だけだった。「タコと、ここでこんなに親しくなれて、本当に嬉しかったわ。」黄色い半袖のニットのトップに、ジーンズのショーツ姿のジュディー。弾けそうなその姿態に自分の気持ちが浮いてつきまとう。場所がクリスチャンキャンプとかじゃなく、村の青年団の独身泊りがけの会、とかだったらとんでもないことを言い出していたかもしれない。十字架を見ながら、閉じない段ボールの蓋を無理に抑えるように自分の気持ちを隠そうとしていた。ところが、雲の上の天使が、手を触れることのできる所まで降りてきてくれている。神様の御心ならば、また必ず会うことができるし、その先のこともきっとあるわ、と言い残してジュディーは8月の末に羽田からシカゴに向かって帰って行った。夢のような数週間が、甘ったるい匂いを残して消えていった。「元気だった?赤城山、どうだったの?」夏休み中に故郷に帰っていた好江が、南部鉄で作った小さな風鈴をお土産にして東京に戻ってきた。「ちょっと、風鈴、遅かったね。」一重まぶたで目を無くして笑う好江の笑顔が眩しかった。基本的に、「二股は掛けない」公務員の家庭に育って、そのように幼稚園の頃から忠実にやってきていた。しかし、そのときばかりは掛かってしまった。すね毛の付いた二股膏薬が股の間を行き来しているような日々が始まった。9歳の時からの金髪好きが、このときは仇になった。もう40年近く前の話だから、濡れたわら半紙が乾いて染みを作ったような想い出ではある。昔から、強く惹かれていて、実は今車の運転をしながら毎日聴いている歌がある。この歌の事は前にも書いたことがある。世界で最も身勝手な人の歌、と言ったりしている。http://www.youtube.com/watch?v=n62cbBS1nKM&fea..「二人の男に引き裂かれ」もしくは、「二人の男に股裂きに遭い」とか訳すといいのだろうか。どうしても、あの人しか埋められないものがあり、好きになってしまったの、みたいな歌。でも、あなたも私から去っていかないで。良いとこ取り人生。それぞれの、人しか埋められないものが50か所あったら、50人と付き合うことが許される、と拡大解釈できそうだ。40年近く前の自分を棚上げにしてちょっと言い過ぎたか。私は、二人の男に惚れている訳ではないが、日本とオーストラリアを愛し、それぞれの国しか満たしてくれない部分を持って悶絶股裂きに遭っている。40年後のザマヲミロだろうか。因みに、あの時のジュディーさんにはその後相手にされず、好江には翌年これ以上ないくらいずたずたにされて去られた自業自得。将来、日本からもオーストラリアからも相手にされなくなるようなことがないよう、広い気持ちをもって寛容にやっていきたい。やはり私の人生は一生勘違い人生なのかもしれない。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年05月29日
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昨年からの大プロジェクト、間もなく来る世界大恐慌、その後の大飢饉に備えた我が家のサバイバル計画、「菊芋」プロジェクト、大変な収穫量。菊芋は、腸に働く超優良食品、タウリンが嫌というほど入っている。糖尿病にも最高にいいという。そこで、食されたことがある方、その調理法など教えていただきたい。子供がいないタコ社長、可愛い芋の子たちの食べ方を思案中。因みに、この写真、総収穫量のほんの少し。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年05月28日
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この世界的不況の折、飲み会はできるだけ経済的に、を合言葉に隣の会社の方々との合同飲み会が開催された。メルボルンは冬、鍋が似合う季節。二台あるうちの一台の簡易コンロが爆発したので残りの一台で盛大に鍋。ワインも限りなく消化。これからは、企業生き残りをかけてこの方法にすることにしよう。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年05月27日
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もし、私の記憶が正しかったとすると、学生時代にこの曲をラジオで聴いている。恐らく1976年頃だろう。しかし、私の記憶が正しかったことは稀なので、全くの思い違いの可能性もある。いずれにしても、そのあまりに爽やかで心に入り込んでくるメロディーに心底ほれ込んでしまった。しかし、題名も歌手名も分からない。ずっと何年も、私にとっては幻の歌だった。ポイントは、歌の途中で語りがあることだった。http://www.youtube.com/watch?v=QhQWND9jKDA&feature=relatedこの歌がブレイクするまでに6年もかかったという。そして、この歌を歌ったCharleneにとっては一発の大ヒットで終わったらしい。そして、このメロディーからは想像もできないほど歌詞が過激であることを知った。とんでもない人生を歩んだ人の歌だった。ところで今回、この歌をYou Tubeで聴いていたら、何と私がカラオケでいつもお世話になっている方も歌っていたことを知った。http://www.youtube.com/watch?v=etDSMin00sA&feature=relatedなんだか、昔ほれていた女性に偶然再会したような、そんなとんでもない心地よさに酔える。ほれ込んだ歌を、その彼女が歌っている。ネットの世界は魑魅魍魎の跋扈するとんでもない世界でもあるが、こんな素敵な世界でもある。第一、こんなに安上がりに酔えるのが嬉しい。嫌がれるほどしつこい私は、しばらくはこの歌で遊んでいられそうだ。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年05月25日
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近くの学校では時々Farmer's Marketというのが開かれる。日本語でいえば「百姓の市」と色気がない。英語も色気があるとは言えないが。こういう所には、化粧もしないで普段のままで行ける快さがある。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年05月24日
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日本に行っている間に、いよいよ収穫を待つのみとなっていた。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年05月22日
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「明男!なんだこのきゅうりの切り方は!!!」ヘッドシェフの新田さんが若い明男をどなった。他のレストランにいたという明男の包丁さばきは口だけでたいしたことなかった。新田さんはそれでも苦笑いしながら言う度量があった。1986年の初め頃、当時サウスヤラにあった日本食レストランで働いているときのことだった。私も、包丁など持った経験も少なくそのレストランのキッチンハンドとして働いていて、見よう見まねで結構使えるようになっていた。その時のお陰で、今でも家できゅうりなんかの早切りでオージーたちを煙に巻いている。「日本に行ったらこの包丁を買ってきてもらえないか。砥石も一緒にできたら。」NZ人の友人キースから頼まれた。大きなデパートにでも行けば買えるだろうとずっと放っておいた。ところが、そう簡単ではなかった。最初、ネットを開いたら京都の店の案内。ちょっと遠い。もう一つの店が東京築地にあることが分かった。ネットでも買えたようだが時間がなかったので築地に出向いた。その日に限って雨だった。店は本当に小さかったが、包丁が売るほどあって売っていた。主に板前さんなどプロ用の包丁らしいが個人にも売るという。頼まれた包丁をゲットした。さらしに巻いて帰ろうかと思った。(若い方はこの意味が分からないだろうな。)ということで、今回一番大事な頼まれ物も無事購入することができた。高級品だったので、キースに渡すまえにきゅうりなどで試し切りがしたくなるほどだ。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年05月20日
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昔、父が元気だった頃はTVの番組を撮ったビデオをよく送ってくれていた。相撲、マラソン、たけし平成教育委員会、ドラマ、大食い、朝までテレビなどだった。結果の分かっているスポーツなども含めて、オーストラリアで見るのが本当に楽しみだった。だから、日本に帰ったときにもTVをよく見ていた。ところが最近は、日本のTV,何を見ても面白くない。バラエティー番組なんかはどうしてこんな番組があるのか考えることさえバカらしいくなる。ちょっと政治がかったTVも前は面白かったが今はどうでもよくなっている。ということで、日本では天気予報とか以外は今回は殆どTVを見なかった。新聞も民主党批判で右へ倣えで恐ろしい。もっとも、新聞の場合、戦前は「大本営」の代弁者だったのが戦後は「アメリカ」の息がかかった政治新聞化されているだけで、まったく庶民の立場を理解するような姿勢がないのだから面白くなくて当然ということが分かっただけだ。エンタメはもっぱらネット、週刊誌、本などが中心となった。父も体を弱くしてビデオを撮ったり送ったりすることができなくなっているが、こんなわけでまったく問題ない。銀座で出会った、超特大ジャンボオムレツハンバーグ毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年05月18日
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東京の東村山に引っ越しをしたのは、私が14歳の時だった。それから数年して、武蔵野線が開通した。西武池袋線の「秋津駅」と、この武蔵野線の「新秋津駅」はちょっと離れていてゆっくりと歩いたら5分くらいかかってしまう。それで、通勤ラッシュの時などはお互いの駅めがけて乗り換え客が走る。走らなくても、速足で歩く集団がそれぞれの駅に大挙して移動する光景は一種異様に見える。「クソジジイが」先日、昼の混雑していないときに反対方向のから急いで来る40歳がらみの小柄な女性とすれ違いざまにぶつかりそうになった。そのとき、この一見田舎風の女性がそう発して走って去っていった。私は、一瞬その場の状況が把握できなかった。この女性が、私とすれ違う前に出会った人のことを言っているんだろうと咄嗟に思ってその場を通り過ぎた。しかし、どう考えてもそれは私に対して言われた言葉と分かった。私は今でも身長が185センチもある大柄な男で、概して人はこういう男に因縁はつけない。そういう人生を歩んできている。そんな私に、上背が半分くらいしかないように見える女性がそう言ったのだ。しかも、「クソ」プラス「ジジイ」だった。もう私は「ジジイ」と呼ばれてもなんの違和感もない年代なんだ、とあらためて感動した。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年05月16日
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爽やかなメルボルンに戻った。出迎えてくれらオランダ系の連れ合いと、定番のピザ屋で昼食、帰って少し休んで荷物の開陳。やっと落ち着いた。日本での生活がまるで嘘のように日常が始まる。さっ、今週は早速飲み会のレンチャンが待っている。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年05月16日
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無事、日本帰国を終えて今、成田のラウンジで赤ワインを飲みながら書いています。夕日がきれいです。本当に今回の帰国は天候に恵まれました。父も一応元気にやっており、明るく安心して家を出ました。明日、メルボルンからアクセスします。帰国すると、宴会が目白押しです。メルボルンは、読書の秋、日本で割と地味な本を購入しました。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年05月15日
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3年分くらいの買い物をしたような気になった。コスコという、アメリカのばかでかいスーパーに行ってきた。日本に帰ってくる直前だった。一日中過ごせそうなとんでもないスーパーだった。オランダ系の連れ合いは、もちろん大満足だった。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年05月13日
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何が嫌だって、早朝ウォーキングでタバコを吸っている人の後ろをずっと歩かないとならないことくらい嫌なものはないが、ここは日本だから避けようがない。喫煙しながらの犬の散歩が勢いづいている国だ。毎日のウォーキングで挨拶している所沢商店街のリンリンクラブの方々の他に今回はもう一つ増えた。医療関係生徒募集の学校ポスターだ。この写真をみて、なんだかナース喫茶とかナースキャバレーとか、学校ではなく他の場所をを想像してしまう。写真の力はすごいものだ。こんなことを想像するのは私だけだろうか? 私だけだろうなあ。残りの日々のウォーキングも挨拶を欠かさずにやっていく。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年05月12日
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永住権求めてシドニー入りして、バーで飲んでいたらいきなり金髪の女性に手を握られたことがあった。こういうちょっとした経験は、不思議といつまでも残るもの。1985年6月のことだった。1カ月間シドニーの安宿で過ごした。来る日も来る日もデーパックを背負ってシドニーの街を歩き回った。日本では脱サラしただけで10キロ痩せて、85キロくらいになっていた。サラリーマン生活が、如何に体重強化にいいことだったのかと思い知った。そして、このシドニー歩きで更に数キロ減った。(因みに、その後数年して15キロ増え、そしてこの2,3年で15キロ減った。本当にジェットコースターのような体重移動。今度は上がるしかない。)そんなある日、ハイドパークの横を歩いていたら、日本人のワーホリ風の人とすれ違った。やや長髪でサングラスをかけていた彼は、私よりはずっと若かっただろう。すれ違いざまに、大きく歯を出して素敵なスマイルを見せてくれた。それは、男色とかいうレベルのものでは全くなく、「ワーホリ君、お互いに頑張っていこう!」といった感じのスマイルだった。たったそれだけのこと。しかし、今も鮮明に覚えている。移住を求めた第一歩の頃だったからだろうか。「タコさん、将来オーストラリアで日本語学校をやるときは、必ず一人でスタートさせてください。二人でやると失敗します。まず学校を確立してから、それから人を入れたらいいです。」代々木にあった日本語教師養成講座の長島校長先生がそう言われた。先生に教えを受けたことで今の私がいる。長島先生は、いくつか忘れ得ぬ言葉をかけてくださった。「人を見て、法を説け」「教師とは産婆、上から教えるものではなく、相手の能力を引き出すもの」そして、日本語学校をやるに際して思い出した先生の言葉。「金を追わず、人を追え」私は、できるだけ先生の言葉に忠実にやってきたつもりだが、先生の境地には程遠い。金を追わなかったことで未だに生活が四苦八苦。「人を追え」を拡大解釈してオランダ系の女性を追って一緒になってしまった。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年05月10日
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このママチャリで毎日毎日お使いに行く。信じられないほどの量の買い物ができる。ヘルメットがなくても乗れるのがいい。以前、オーストラリアで、頭がでか過ぎてヘルメットを見つけるのに難儀したことがある。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年05月09日
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2010年05月09日
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日本に来ると俄然人気がでる。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年05月07日
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「一日7秒で腹は凹む」という本を熟読した。体重より体型、を強調している。私も触発され、「死ぬまでに、腹筋を6つに割る」ことを目標に設定した。人に影響されやすい性格健全。もっとも、この決心の度合いは、トイレに行った後には手を洗う、程度の軽い縛りの目標。そうでないと長続きしない。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年05月06日
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「日本人は、こんなモノを喰うのか。」1979年静岡県富士宮の貿易研修センターで3カ月の研修を受けているとき、カナダ人の講師を地元の飲み屋に連れて行き「イナゴの佃煮」を食べされた時、本当に仰天していた。「イナゴは、本当に美味しいな。お父さんは大好きだ。」との父の発言を受けて、巣鴨の老人の原宿「地蔵通り」に行って買ってきた。昨年は母と一緒だったが、今回は私一人だった。十分に地域に馴染む年になっていて心地よかった。「山形産のイナゴ」ということで少々値がはったが無事購入。両親は、足を取りながら美味しい美味しいと食べている。私は、今のところ遠慮している。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年05月05日
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ゴールデンウィーク、非常に素晴らしい天気が続いている。退院してきた父と母に仮設縁側をプレゼント。早速、頂いたカステラでお茶する。父も、少し歩いたりして元気な様子。「お前がいるから安心して寝られるよ。」母が言う。私は、いるだけでほとんど何もしないが。カステラが美味しかった。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年05月03日
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知っている人とも、それほど知らない人とも、ブツュブチュする社会からきている。そんな社会に25年近く住んでいる。日本に来ると、何が物足りないかって、これほど物足りないものはない。かといって、年老いた両親になんかした日にゃ追い出され兼ねないし、知らない人になんかしたら、それこそ塀の中。習慣とは本当に恐ろしいもの。短期日本滞在、平和に推移している。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年05月02日
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母は料理上手だ。しかし、だんだんと手の込んだ物を作るのはできなくなってきている。私が食べたい物を買ってきたりしてやっている。健康志向。日本滞在中、誰にも見せられないほど部屋が混沌。これは変わらない。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2010年05月01日
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