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京阪・交野線の河内森駅は、JR学研都市線(片町線)河内磐船駅との乗り換え駅です。改札口(ラチ内)階段を下りると、地下に改札口。改札はこの1ヶ所だけです。改札口(ラチ外)乗り換え駅にしては狭いと思います。とくに朝は通勤通学客で集中してごった返します。工事の告知バリアフリー化工事のお知らせが掲示されていました。3月末までに、3ヶ所にエレベータを設置するようです。乗り換えの案内出口(東側)上の写真は、JR河内磐船駅に近い側の出口です。右側の踏切の向こう側にも出口があります。(下の写真)出口(西側)乗り換え経路上の写真は、駅の案内に書かれていた「歩道を右側」に曲がったところです。ただし、写真を撮ったのは車道上です。歩道は右側の柵で区切られています。この先、横断歩道のあるところが「一筋目を左に」入るところです。曲がると下の写真のような風景が見えます。JR河内磐船駅へ少し下りぎみの狭い道です。朝の通勤時間帯には、大勢の人が河内森駅から河内磐船駅に向かって歩いています。JR河内磐船駅乗り換え所要時間は速い人で5分、通常は7分くらいです。不慣れな場合は10分くらい見ておいた方がよさそうです。
2010年02月28日
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京阪の交野線の河内森(かわちもり)駅にやってきました。あと一駅で終点の私市(きさいち)駅です。駅名標開業は昭和5年(1930年)10月。交野線が開業したのが昭和4年(1929年)7月ですので、開業当初はまだ営業していなかったんですね。ホーム駅は対面式の2面2線の構造になっています。枚方市駅寄りの踏切ホームは地表にありますが、軌道は周囲の家屋より若干高いところを走っています。私市駅寄りにはホーム下を通っている一般の道があります。ホーム(私市駅寄り)私市駅方面駅周辺(南東方向)初めは、「河内森」は「かわちのもり」だと思ってしましました。近くには「府民の森」がありますし。でも、実際には「かわちもり」。河内国の「森」という地名です。旧国名を冠する駅名は全国にたくさんありますが、京阪電気鉄道ではここ「河内森駅」だけです。もっとも、石山坂本線の「近江神宮前駅」にも「近江」という旧国名が付いています。しかしこれは「近江神宮」という固有名詞が元になっておりますので対象外です。「丹波橋駅」も違います。ホームの案内河内森駅は、JR学研都市線(片町線)河内磐船駅との乗換駅です。あとで行ってみようと思います。
2010年02月27日
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京阪交野線・交野市駅から東へ徒歩8分。交野市私部1丁目に「北田家住宅」があります。地元では「代官屋敷」と呼ばれているそうです。北田家住宅(北面)交野市のホームページを見ると、「宝永から享保年間(1708~1734)にかけて主屋が建てられた」と書かれています。約300年前の貴重な建物として国指定重要文化財になっています。長屋門は全長55.9mもあり、「民家では日本一の長さ」とのことです。長屋門(右)長屋門同上同上同上北田家の系譜は、北畠顕家(きたばたけあきいえ)につながるといいます。南北朝時代の南朝方に仕えていた武将です。南朝が没落し足利氏の世になったため、姓を「北田」に改めたといわれています。「北田」は「北畠」の「白」を取ったものだとか。北田好忠の時、交野城(私部城)の城主・安見氏の重臣となります。元亀元年(1570年)、織田信長の本願寺攻めに参戦した安見氏は大敗、大和の筒井順慶に攻められて交野城は落城。この時北田好忠は最後まで奮戦し、壮烈な戦死を遂げたと伝えられています。約20年後、京都にいた嫡子の北田好孝が交野に戻り、農業で生活を始めました。それが現在の北田家の始まりです。徳川家康が天下を統一し、元和5年(1619年)、旗本・畠山修理太夫が私部を所領にしたときから、北田家はこの地の庄屋を務めることになります。18世紀前半には代官職を担うようになりました。元治元年(1864年)に職を他の者に譲ったといいますから、約1世紀以上続いたことになります。なお、今でも現地には北田家の末裔の方が住んでおられます。春と秋に見学会があるとのことですが、参加できる人数は限られているようです。
2010年02月26日
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交野市内に、住吉神社と呼ばれる神社が、少なくとも2つあります。一つは交野市私部、もう一つは交野市字寺。歩いても20分ほどの距離です。住吉神社という名前の神社は日本各地にあるようですが、大阪周辺で有名なのは大阪市住吉区の住吉大社ですね。下関市の住吉神社、福岡市博多区の住吉神社とともに、三大住吉とも呼ばれているそうです。そのほかにも、神戸市東灘区の本住吉神社なども有名です。このブログでも、寝屋川の住吉神社をご紹介しました。いずれも「住吉の神」を祀っています。住吉の神とは、底筒男命・中筒男命・表筒男命(そこつつのおのみこと・なかつつのおのみこと・うわつつのおのみこと)のことで、住吉三神とも呼ばれています。息長帯姫命(おきながたらしひめのみこと=神功皇后)を含めて「住吉大神」とか「住吉四神」と呼ばれることもあります。大和から瀬戸内を通って大陸へと向かうルート沿いに多く祀られているそうです。航海の安全を祈ってのことでしょう。しかし交野市は淀川からも少し離れ、航海とはあまり関係なさそうな気がします。なぜこの地に2つも住吉神社があるのか。交野市内には住吉大神を祀る神社としてほかにも磐船神社、郡津神社、星田神社、天田神社などがあります。なんとも不思議です。交野市の南端にある磐船神社には、「天の磐船」と呼ばれるご神体があり、これに乗って饒速日命(ニギハヤヒノミコト)が天から降りてきたとする神話もあります。饒速日命はかつてこの地を支配していた物部氏の祖神とされております。物部氏が曽我氏に滅ぼされて以降、饒速日命を祀るのがはばかられるようになり、表向きは住吉の神を祀るようになったという説もあります。真偽はよくわかりませんが、磐船神社のご神体に、何かのヒントがあるのかもしれません。「住吉神社前」バス停さて、私部1丁目にある住吉神社に話を戻しましょう。住吉神社同上石の大鳥居萬延元年(1860年)閏三月に建てられたようです。その前の鳥居が大風で倒れたため、再建したとのことです。境内拝殿本殿本殿は、奈良の春日神社の旧社殿を譲り受けたのだそうで、「春日造り」の様式です。奉納された絵馬受験のシーズンもそろそろ終盤でしょうか。この日は風が強く、掛けられた絵馬がカラカラと音を立てていました。神輿蔵ここに神輿が収められているんですね。
2010年02月24日
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明日23日の交野市の予想気温は最低8度、最高17度。数日前、最低気温が0度近かったのに、あっという間に春めいてくるようです。今日は、歩きまわっていて見つけた「春」をご覧ください。あるお宅の庭に咲いていたスイセンです。 白いネコヤナギです。猫の尻尾を連想させるのでしょう。 さて、これは梅かな、それとも桃かな? 桜の季節はまだ先ですけど、花の芽の準備は怠りなく。待ち遠しいですね。
2010年02月22日
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京阪の交野線・交野市駅から東へ徒歩10分ほどのところに、「山野酒造」があります。現在、交野市内にある酒造会社は2軒だけだそうです。山野酒造の土塀同上山野酒造の主たる銘柄は「片野桜」で、交野の地酒として名前が通っているようです。現在でも造り酒屋としての姿を留め、国の登録文化財に指定されました。長屋門入口杉玉新銘柄「織姫の里」生粋の地酒、織姫の里のビンが置かれていました。お米は交野産のヒノヒカリ、水も酒蔵も交野という、まさに生粋のお酒です。名前は公募で選ばれたそうです。選ばれたのは小学生とか。昨年暮れに新発売ということで、ほんとに出来たてのお酒ですね。交野市近隣の酒屋などで手に入るようです。酒蔵上の写真は北側から撮ったものです。この正面の建物が酒蔵のようです。「片野桜」と書かれた看板の左側に、小さな祠のようなものがあります。ここにも小さな杉玉が掲げられていました。北側の道路上の写真は、敷地北側の道路です。左側の施設も酒蔵の一部のようです。申し込めば見学もさせてもらえるようです。冬が酒造りの時期、見学もこの時期が「旬」だと思います。
2010年02月19日
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京阪の交野線・交野市駅から東へ歩いて5,6分のところに、交野郵便局があります。「交野郵便局前」交差点交野郵便局この建物の東側に、かつては交野城があったという話を聞いて、現地を訪ねてみました。交野城址南北朝時代の文和元年(1352年)ごろ、安見清儀によって築城されたと言われています。別名、私部(きさべ)城とも呼ばれます。安見直政(宗房)の時代、一時は三好勢に攻められて逃げていたようですが、永禄12年(1569年)、織田信長が河内を平定し、織田方についていた直政は交野城に戻りました。直政の死後、筒井順慶に攻められて落城、天正3年(1575年)、信長の命により廃城となったそうです。同上同上交野城址の北側を流れる川は、免除川と呼ばれています。免除川現在より北側を流れていた川はときどき洪水を起こしていたそうです。室町時代のころ、川の付け替えを行い、その代わりに年貢が免除されたのでこの名がついたということです。
2010年02月17日
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交野(かたの)市域の北東に位置する交野山は、交野市のシンボル的存在です。標高は344メートルです(昭文社の1万分の1の都市地図「交野市」2009年3版による)。ちなみにWikipediaには341メートルと書かれています。読みは「こうのさん」が正しいようですが、「こうのざん」「こうのやま」と書かれているものも見受けました。いずれにしても、市の名前である「かたの」ではないようです。なんとなく不思議ですね。交野市私部(きさべ)にて交野市の市街からでもよく見えています。交野市向井田にて頂上付近上の写真でもわかると思いますが、頂上付近に大きな岩があります。観音岩と呼ばれている岩です。山頂からの眺めはすばらしいそうです(私はまだ登ったことがないのですが)。毎朝のように登っている人もいるそうです。晴れていれば大阪市内や京都市内、さらに遠くは淡路島や明石大橋も見えるそうです。冬至のころ、観音岩から登ってくる日の出を機物神社の境内から見ることができるとか。これもまた不思議な話です。
2010年02月15日
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機物神社で見た梅の花です。まだまだ寒いですが、春はすぐそこまで来ていますね。
2010年02月14日
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交野市の倉治交差点から鳥居をくぐって境内に入りました。機物神社の参道同上拝殿拝殿は参道とは直角の向きにあり、その前に、大きな鳥居が置かれています。正面から狛犬狛犬が3組、並んでいました。なかなか豪勢です。真ん中の狛犬に書かれている「栄町」が気になるのですが、どこの地名か分かりませんでした。機物神社の祭神である「天棚機比売大神」は、あまのたなばたひめ、つまり織姫です。創建の年代はよく分かっていませんが、室町時代にはすでに存在したようです。境内にある「機物神社由来」によると、織田信長によって神境は東西260間、南北67間余、神職16人の席次も定められたそうです。明智光秀や豊臣秀吉も白銀や米を奉納していたようです。裏参道参道とは反対側、つまり境内の東側にある建物を抜けると、そこには裏参道が続いていました。上の写真は裏参道から境内を振り返ったところです。裏参道の入口東側にも立派な鳥居が建っていました。ところで、「機物(はたもの)」とは「秦者」からきているのではないかという説があります。「秦(はた)」とは、以前ご紹介した秦河勝など、渡来人の秦一族のことです。寝屋川市内にある秦と言う地名は、ここから西に7キロほどの場所です。秦氏は機織りの技術を持っていたといいますし、天文を司っていたわけですから、七夕伝説と結びついても不思議ではないですね。
2010年02月13日
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京阪・交野線の交野市駅から東へ2キロメートルほどのところにある「機物(はたもの)神社」まで行ってきました。JR学研都市線(片町線)の津田駅から徒歩10分ほどのところにあり、「交野市駅周辺」というには少し遠いのですが、枚方市にある牽牛石や交野市の逢合橋を見て、ここだけ外すというわけにはいきません。府道736号線「倉治(くらじ)」交差点に面して、「機物神社」の鳥居が建っています。「倉治」交差点入口鳥居歌碑鳥居の足元に、歌碑がありました。(そういえば枚方の観音山公園の牽牛像にも歌碑がありました。) 棚機之 五百機立而 織布之 秋去衣 孰取見 (萬葉集 巻第十 二〇三四)棚機(たなばた)、つまり織姫が五百機(いほはた)ものたくさんの織機を立てて織った布で作る秋の着物は、いったいだれが手にとって見てくれるのでしょうか。七夕は秋の季語です。七夕が過ぎて、いま織っている着物はだれが手にとってくれるのか? それは次の年にまた会えるであろう、牽牛のためにほかなりません。さて、境内に入ってみましょう。
2010年02月12日
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先日のブログで、融通念仏宗を再興した法明(ほうみょう)上人の話をしました。(詳細はこちら)法明上人は、本尊の「十一尊天得如来画像」が男山八幡宮(京都府八幡市)にあることを夢で告げられ、深江の庵(大阪市東成区)から東高野街道を男山に向かっていたところ、途中で男山八幡宮の使いと出合ったという話です。出合った場所は現在の枚方市茄子作(なすづくり)だということです。「茄子作」「東高野街道」を手がかりに、現地に行ってみました。交野市の「逢合橋西」交差点から府道20号線で南に向かうと、ホームセンター「コーナン」茄子作南店が右手に見えてきます。その手前で鋭角に右に曲がり50メートルほど入ったところに、石碑が立っています。東高野街道道標「右 宇治」「左 京八幡」と書かれています。左が京へ向かう東高野街道、法明上人が通った道です。同上もう一つの道標は少し読み取りにくくなっていましたが、「右 山根街道 私部 津田 山城道」「左すぐ東高野道 京道」などと読めました。私部と津田の間が空いていたので、ひょっとしたら文字があるのかもしれません。東高野街道(南向き)後ろを振り返って来た道を写したのが上の写真です。右手がホームセンター、正面の高架は工事中の第二京阪道路です。東高野街道を北に進むとほどなく、左手に見えてくるのが、「本尊掛松」跡です。本尊掛松跡同上同上正面の石碑に彫られた像は法明上人でしょう。案内板枚方市教育委員会が設置した案内板があります。石の案内板右手には石でできた案内板が設置されており、やはり「本尊掛之松」についての説明が書かれていました。宗祖の良忍(聖応大師)を「我宗祖」と記していますので、こちらは融通念仏宗の門徒が書かれた文のようです。
2010年02月11日
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昨日、枚方市から国道168号線で交野市にやってくると、砂子坂(すだこざか)交差点があることをご紹介しました。砂子坂交差点の手前上の写真の標識にあるように、砂子坂(次の交差点)を右に曲がったところに橋が2つ並んでいます。最初の橋(左側)が昨日ご紹介した「砂子橋」です。天野川支流の前川に架かっています。そして次の橋(右側)が、「逢合橋(あいあいばし)」と言います。「逢合橋東」交差点「逢合橋西」交差点逢合橋(西詰から)橋の名標とくに欄干というほどのものもなく、何の特徴もない橋ですが、それでも有名なのは、その名前に理由があります。すでにこのブログでもご紹介しましたように、この逢合橋は七夕伝説の舞台となっています。交野市にある機物神社と枚方市の観音山公園にある牽牛石。織姫と彦星が1年に1回だけ、七夕の日に逢う場所がこの逢合橋というわけです。天野川二人の間を流れる天野川(天の川)。はるか昔、交野ヶ原と言われたこの地方を流れる天野川は、もっと野趣にあふれていたのでしょうね。いまは護岸があり、第二京阪道路がのしかかるように通っています(上の写真、奥)。
2010年02月06日
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国道168号線はもともと和歌山県新宮市の起点から奈良県大和高田市まででしたが、1982年4月、大和高田市から大阪府枚方市までが組み入れられ、紀伊半島を縦断する幹線道路の一つになりました。枚方市から交野市にかけては天野川に沿って走っており、磐船神社を通って生駒市までは「磐船街道」とも呼ばれています。先日、郡津駅周辺でご紹介した「新天野川橋」から168号線を南下すると、交野市駅の西側まで来ます。国道168号線同上交野市駅の西を過ぎた付近、国道168号線が右、左と折れ曲がっている場所があります。この最初の交差点が「砂子坂(すだこざか)」です。「砂子坂」交差点以前、漢字ではなくてカタカナで「スタコ坂」と書かれていたころもありました。古くは「スダコ」と呼ばれていたそうです。この辺りは川の合流点で、土砂の堆積などで小高くなっていたようです。洲につくられた田に行く坂、という意味で「洲田(すだ)こ坂」と呼ぶという説もあるようです。砂子橋南下していた国道168号線が砂子坂の交差点を右に曲がったところに「砂子橋」という橋があります。天野川の支流、前川に架かっています。その橋のたもとには、石標があります。石標ちょっと読みづらかったのですが、「右 岩舩街道 大和道」「左 私部 倉治 津田道」と書かれているようです。なんだか90度ずれているような気がします。この付近、私部 倉治方面への道は「山根街道」、168号線は「磐船街道」、新天野川橋付近で磐船街道と交わって星田へ向かう「東高野道」と、昔から交通の要衝だったようです。
2010年02月05日
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京阪・交野線の交野市駅の南、線路の東側に、交野武道館があります。交野武道館同上1981年(昭和56年)、交野市や民間の出資金によって建設されました。入口1階の入口横には交野市体育文化協会の事務局があり、中には剣道や空手などが行える武道場があります。2階には作法室や和室などがあり、茶華道の稽古も行えます。青年の家交野武道館に隣接して、交野市立青年の家があります。1976年(昭和51年)に建てられたこの施設は、青少年の憩いの場であるとともに、教育委員会生涯学習推進部が置かれて交野市民の生涯学習活動の中心となっています。図書室や多目的ホール、音楽研修室などもあります。
2010年02月04日
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京阪・交野線の交野市駅を出た私は、まず東口を出て、そのまま東へと歩いてみました。ところどころ歩道が途切れる少し狭い道を、自動車に気を付けながら進むと、ほどなく左手に地元のスーパーマーケット「ラッキー交野店」。そしてその先に、交野市役所が見えてきました。交野市役所同上道の右側に本館、左側には別館があります。交野市の周辺は、縄文時代前期にはすでに人が住み始め、古くから人の往来があり、平安時代には宮廷人が狩りなどをして楽しんだといいます。昭和30年ごろには1万人ほどの小さな町でしたが、昭和45年(1970年)の国勢調査では3万3000人を越え、翌年には市制が施行されました。いまでは人口8万人の田園都市となっております。南は四条畷市、西は寝屋川市、北部は枚方市に食い込む形で接しています。東は奈良県生駒市と接しています。古くから京都、奈良、大阪と街道で結ばれ、影響を受けてきたようです。ちょっと興味を引いたのが、「市民憲章」です。昭和56年(1981年)に制定されたその内容は、「和」。タイトルではなく、内容が1文字なんです。もう少し正しく言うと、「和」の下に(自然と・文化と・人と)というカッコ付きの文字が添えられています。フジテレビがジングルで「わ」ってやってますけど、ずっと以前から「和」ってやっていたんですよね。いま、第二京阪道路が建設されていて、今年3月20日に開通の予定だそうです。アクセス道路も整備され、交通の便は飛躍的によくなりそうですが(いや、逆に慢性的な渋滞に輪をかけることにならないか、心配でもありますが)、田園都市の良さは失わずにいてほしいと思います。市役所前に咲いていた山茶花
2010年02月03日
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2月の色紙ができました。今月はスイセンです。淡路島の「灘黒岩水仙郷」では、ちょうど今頃、太平洋に面した島の斜面に咲く白い花が見ごろになっていると思います。自生しているスイセンは500万本とか。(だれが数えたんだろう)同じ淡路には「立川水仙郷」もあります。こちらのスイセンは栽培されているものです。福井県の越前海岸のスイセンも有名ですね。
2010年02月02日
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交野市駅の改札口は1ヶ所です。ホームから階段もしくはエスカレーターで上がったところにあります。改札口(ラチ内)改札口(ラチ外)枚方市駅を除けば交野線内で最も乗降客が多いのですが、改札機は4ヶ所。朝晩はかなり込み合いそうですね。通路改札を出ると、東西2ヶ所の出口に分かれます。上の写真は東西の通路で、中央右に曲がったところが改札口です。東口東口に出ると、徒歩5分ほどの場所に交野市役所があります。西口西口には駅ビルがあり、ビルの中を通って地上に降ります。駅ビル(西口)駅ビルの前はロータリーになっており、京阪バスやタクシーの乗り場が整備されています。玄関口というイメージですね。京阪の枚方市駅や香里園駅方面、JRの星田駅や津田駅方面に向けたバス路線があります。
2010年02月01日
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