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石清水八幡宮の本殿の裏手に回ってみました。本殿裏本殿裏にもいくつか境内摂社があります。それぞれ立派な造りをしています。住吉社と一童社手前の小さな社が「一童社」、その向こう側が「住吉社」です。一童社は学問の神、遊芸の神として信仰されているそうです。住吉社は海上安全、交通安全の神ですね。一番奥の黒っぽい建物は校倉(あぜくら)です。いわゆる倉庫ですが、大切なものが収められているのでしょうか。若宮社と若宮殿社手前が「若宮社」で、御祭神は仁徳天皇(応神天皇のお子)だそうです。学業成就の神です。若宮社に並んで奥の方に見えているのが「若宮殿社」で、御祭神は「応神天皇の皇女(名前は不明)」と書かれていました。心身健康の神だそうです。応神天皇のお子が祀られている「若宮社」と「若宮殿社」はそれぞれ、男性の守護神、女性の守護神です。石清水八幡宮の祭神、「八幡大神」は、3つの神の総称で、誉田別命(ほんだわけのみこと、応神天皇) 、比◆大神(ひめおおかみ、宗像三女神)、息長帯姫命(おきながたらしひめのみこと、神功皇后)です。つまり、応神天皇のお子が摂社に祀られているんですね。(◆は「口羊」(くち編にひつじ))右奥に見えている社は「気比社」で、「氣比大神(けひのおおかみ)」が祀られています。必勝の神です。このうち、住吉社、若宮社、若宮殿社は、本殿とともに国の重要文化財に指定されています。
2010年09月29日
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いよいよ、石清水八幡宮の本宮へとやってきました。南総門上の写真の正面に見えているのが「南総門」です。ここから本殿へと進みます。左手に半分ほど見えている赤い建物が「手水舎」です。ここで手を清めます。同上南総門横の立て札貞観元年(859年)、弘法大師の弟子で南都大安寺の僧・行教律師が豊前(大分県)の宇佐神宮(宇佐八幡宮)に参詣したおり、「われ都近く男山の峰に移座し国家を鎮護せん」との神託を受け、御神霊を奉安したのが起源と伝えられています。翌、貞観2年(860年)4月、清和天皇の命により社殿が建立されました。今年で1150年となります。男山は京都の南西、すなわち都の裏鬼門を守護する社として、朝廷や武将をはじめ、広く信仰を集めていました。ちなみに鬼門(東北)には比叡山延暦寺があります。とくに清和天皇の嫡流となる源氏一族は八幡大神を氏神としており、源氏の流れをくむ武士が全国各地に八幡宮を勧請(=分霊)しました。源義家は石清水八幡宮で元服し、自らを「八幡太郎義家」と名乗ったことは有名です。以来、八幡宮は勝負必勝の神・厄除開運の神として崇拝されてきました。鎌倉の地にある鶴岡八幡宮は、石清水八幡宮から勧請したものだそうです。ところで、石清水八幡宮のホームページには「遷座」という言葉が使われています。つまり勧請ではなく、八幡大神は宇佐神宮から石清水八幡宮に「移った」ということです。しかし自らを「総本宮」とは言っていません。一方、宇佐神宮のホームページでは、宇佐神宮が全国の八幡宮の「総本宮」だと明記されています。そして歴史年表には「859年(貞観元年)、僧行教、八幡神を男山に勧請する」とあります。しかし翌年の社殿建立には触れていません。なんだか微妙です。南総門(内側)本殿同上石清水八幡宮の現在の社殿は、徳川三代将軍家光によって寛永11年(1634)に造営されました。本殿をはじめとする16棟が国の重要文化財に指定されています。本殿正面本殿正面の屋根の下を撮ったのが上の写真です。龍や虎でしょう、見事な細工が施されています。
2010年09月27日
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石清水八幡宮への参拝路としては、「表参道」と「裏参道」があり、いずれも東側の斜面を登って、本殿の南側に至ります。ケーブルカーを使って参拝する場合は、本殿の北側に駅があり、そこから本殿の西側を通って南側に回ることになります。東側を通って裏参道に入る道もありますが、遠回りになります。現地(山上)では、参道の名称についてとくだんの案内はないようですが、山麓にある高良神社の境内の案内板に「ケーブル参道」という名称を見つけました。西側、東側とも「ケーブル参道」と書かれています。高良神社の案内図 ネットで検索する限りでは「ケーブル参道」という名前はほとんどヒットしませんので、一般的に使われているのかどうかは分かりません。本殿の西側を巡ることから、中には「西参道」と呼ぶ方もいらっしゃるようです。男山山上駅を出ると、正面に展望台の案内があります。展望台の案内板しかし、かなり急な階段です。裏参道側(東側)からだと、ほとんど段差無しで展望台に行けますので、ここはあとで寄ることにしました。鳥居男山の天然林について男山の森林には、樹齢600年から700年のクスノキをはじめ、800種以上の植物が生育しているということです。参道参道は続きます。竹林京都らしい竹林です。この自然は、後世に残していきたい宝物ですね。
2010年09月26日
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ケーブルカーは、男山橋梁を渡って最後のトンネルに入ります。トンネルの向こうに男山山上駅のホームが見えています。男山山上駅の手前203‰の標識運転室車内の明かりが写りこんでしまいましたが、到着寸前の男山山上駅です。正面の窓のところに人がいます。ここが運転室ですね。無人の改札口無人駅です。(運転要員が必要ですから人はいますが)男山山上駅ホームケーブルケーブルの出入口です。この左側がモーターのある部屋ですね。改札口(ラチ外)概要展示窓口を使って、男山ケーブルの概要説明が展示されていました。右下は車両の入れ替え作業の写真、手前下にはケーブルの実物サンプルが置かれています。駅舎の屋根男山山上駅から「ケーブル参道」を歩いて石清水八幡宮の本殿へと向かいました。
2010年09月25日
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トンネル内で行き違いのあと、男山ケーブルはさらに山上を目指します。男山橋梁トンネルを出ると、そこは鉄橋の上でした。「男山橋梁」と呼ばれています。鉄橋上で行き違い用の線路が合流します。そしてその先にはまたトンネルが見えています。同上この付近、北東の方角(上の写真では、左後方)に谷が開いており、最も景色のよいポイントです。車窓からの風景上の写真、左手に見える赤いものが木津川を渡る京阪本線の鉄橋で、その先でクロスしている高架道路が京滋バイパスです。遠くの町並みは長岡京市の方向でしょうか。かつては京阪電車の車窓からは自然味あふれる風景が見えていたのですが、2003年、京滋バイパスの久御山ジャンクションから大山崎ジャンクション(写真、左手方向)までが完成し、近代的な建造物が現れ、この付近の景色は一変しました。手前の建物群は八幡市駅の南東付近です。中央手前には鳥居が見えています。石清水八幡宮の一の鳥居です。あとで寄ってみたいと思います。 ちょっと時間を飛ばして、ここからは橋梁の下で別の日に撮った写真をご紹介します。男山橋梁同上同上同上分岐点の真下です。橋梁の銘標「京阪電氣鉄道株式会社 男山橋梁 昭和30年 松尾橋梁大阪工場施工」と書かれています。松尾橋梁という会社は、現在ではIHI(旧社名、石川島播磨重工業)の子会社になり、社名も「IHIインフラシステム」に変わったようです。
2010年09月24日
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京阪鋼索線(男山ケーブル)は、全長400メートル(水平長)、411メートル(勾配長)、高低差82メートルです。勾配は平均20.5%、最大20.6%、最小20.3%です。鉄道では「‰(パーミル)」の単位を使いますので、それぞれ10倍の値になります。軌間は1067ミリの狭軌です。べつに乗り入れるわけでもなく、軌間は自由に設定できるはずですが、枕木などの汎用品を使うことを考えると、狭軌や標準軌に合わせておくほうが有利なのでしょう。ちなみにケーブルの直径は34ミリです。鋼索線の軌道線路とケーブル線路の中央にあるのがケーブルです。現在のケーブルは2号車用です。1号車だと左側の滑車にケーブルが入ります。さて、かぶりつきにすわって、男山山上駅を目指しましょう。発車してすぐ左に緩やかにカーブしながら登っていきます。中間点はトンネル内男山ケーブルは、よく見かける「単線交走式」です。中間点は行き違いのために複線になっています。ちょうどトンネル内にあるので、トンネルは大きめに掘られています。分岐点「(こちらの車両は)左右、どっちの線路に入ると思う?」どこのケーブルカーに乗っていたときか忘れましたが、小さい頃、そう親父に質問されたことがあります。通常の鉄道ならポイントが切り替わっているのが見えるのですが、ケーブルカーの分岐点には可動部分がありません。よく見ると、ケーブルは右側の線路へと続いています。つまり、こちらの車両(2号車)は右側の線路へと進むことが分かります。右側の車輪はレールを両側から挟む形になっており、レールに沿って自動的に右側に入っていきます。ちなみに左の車輪は幅広で、レールに乗っかっているだけです。この原理を知った時、子どもながらに感激したことを思い出しました。行き違い1号車との行き違いです。トンネル内なので、窓に車内の光が反射し、うまく撮影できませんでした。難しいものです。
2010年09月23日
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京阪の男山ケーブルでは昭和30年(1955年)の開業(再開業)以来、日立製作所製の車両が使われていました。2001年に車両の入れ替えがあり、2代目の車両は川崎重工業製となりました。川崎重工業製このときには、車両だけでなく、巻揚装置も新しいものになりました。主電動機はインバータ方式で制御されており、省エネにも配慮されています。山上方向山上側の運転台(左側)の右にある座席(上の写真、右側)以外はすべて、山裾の方を向いています。景色を楽しめるようにという配慮だそうです。とはいえ、所要時間3分(正月は2分)では、景色を堪能するほどの時間はないかもしれませんね。おっと、「運転台」と申しましたが、ケーブルカーの場合、先頭に立つのは「車掌」です。「運転士」は山の上でモーターを動かすボタンを押している人です。このときは、私が唯一の乗客でした。その私はもちろん、最前列のかぶりつき。山裾の景色を見る乗客はゼロでした。車内通路の握り棒(スタンションポール)は曲線で作られています。形状は白熱電球、色は青竹をイメージしたものだそうです。なぜ白熱電球か? また後日、ご紹介する機会があると思いますが、かの天才エジソンが発明した白熱電球のフィラメントには、八幡の竹が使われたということだそうです。「ひえゾウくん」男山ケーブルの車両には冷房装置がありません。とはいえ、夏は車内を冷やさないと、熱中症になってしまいます。そこで活躍しているのが「ひえゾウくん」(上の写真)。像の鼻が冷風の吹き出し口になっていて、開かれた窓から涼しい風を送り込んでいます。装置は2つの駅に1台ずつ、固定位置に置かれています。ちょうど吹き出し口のところの座席は特等席です。発車までの数分間、しっかり涼ませてもらいました。ホームの「ひえゾウくん」このひえゾウくん、車両がホームから出ていっても、ひたすら涼しい風を出しているんでしょうね。
2010年09月22日
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男山ケーブルの車両です。1号車が登っていきました。男山ケーブル(1号車)平成13年(2001年)、新車両が運転を開始しました。新車両では、当時の特急8000系のイメージになりました。現在、京阪の車両は新塗装へと変わりつつありますが、こちらの塗装はこのまま、なんでしょうね、たぶん。2号車見えなくなって2分ほどすると、2号車が下りてくるのが見えました。営業距離0.4キロメートル、高低差82メートル。時速8キロで、所要時間3分です。多客期(正月)には時速12.6キロ・所要時間2分の「高速運転」になります。車両(2号車)「OTOKOYAMA CABLE LINE」「SINCE 1955」と書かれています。1955年は戦後、直営の鋼索線として営業を開始した年です。今年で55年になるわけですね。通常の昼間は15分間隔ですが、そのうち2本(毎時0分、30分)は「不定期列車」で、客がいない場合には運転しません。同上同上正面に京阪本線のホームが見えています。車止めさりげない車止めですね。
2010年09月20日
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さて、これからしばらくは鋼索線、通称「男山ケーブル」を追いかけてみたいと思います。男山ケーブルの歴史は、大正15年(1926年)、「男山索道」(のち、「男山鉄道」と改名)が八幡口駅~男山駅間で開業したときから始まります。昭和4年(1929年)に京阪電気鉄道の子会社となりましたが、終戦直前の昭和19年(1944年)に鉄などの資材供出のため廃止されました。昭和30年(1955年)になって、京阪電気鉄道鋼索線として、八幡口駅~八幡宮駅間で営業を始めます。その後、駅名を八幡口駅→八幡町駅、八幡宮駅→男山山上駅と改称しました。京阪の八幡市駅を出て右手に進むと、ほどなくケーブルの乗り場が見えてきます。駅舎の手前は少し空間があります。現在はバスは駅の東側にあるロータリーを発着していますが、かつてはこのケーブル前に乗り入れていたという話です。ケーブル乗り場年間の乗客数の半分が1月に集中するそうです。正月三が日にはこの広場を使って乗客の列をさばくのでしょうね。同上ケーブルの車両の一部が見えています。駅舎改札口(ラチ外)自動改札機はスルッとKANSAIのカードに対応しています。PiTaPaには対応していません。片道200円、往復400円です(割引きはありません)。この自動改札機は、かつて京阪線で使用していたものでしょう。2枚重ねには対応していないタイプですね。とりあえず片道切符を購入し、改札機に投入すると、なんとそのまま回収されてしまいました。往復切符の場合にはちゃんと吐き出されるようです。ちなみに、男山山上駅には券売機も改札機もありません。片道乗車の場合はなんと、切符無しでそのまま乗車します。八幡市駅に到着したとき、往復切符を持っている乗客はそのまま出場用の改札機に投入します。片道乗車の場合は、出口手前にある精算機(?)で運賃を支払う仕組みです。出場証が出てきますので、それを改札機に入れて出ます。おおらかなシステムです。
2010年09月19日
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橋本駅と八幡市駅の間は、木津川、宇治川、桂川の3つの河川が合流する地点で、右岸は天王山、左岸は男山が川にせまっています。京阪本線は、男山に沿って、まるで寄り添うように走っており、制限60km/hや55km/hの曲線が連続する場所です。橋本方向上の写真は上りホームの1番線(待避線)側から大阪方面を写したものです。橋本駅方向から迫ってくる特急は、通過のために本線(2番線)へと進入しようとしています。右寄りの奥に写っているのが、淀川対岸の天王山です。左側の緑が男山のふもとの木々です。ちなみに左側の壁は、島式ホームの端に設けられたトイレです。私は入ったことがありませんが、くみ取り式なんだそうです。ホーム上の写真は大阪方面に向けて撮った上り線(右側が1番線、左側が2番線)です。左側の列車は下り線(3番線)に停車しています。左側に迫る男山の木々がよくわかります。同上今度は京都方向に向いて撮ってみました。全体に左へとカーブしている軌道上に駅があります。京都方面ホームの京都寄りには踏切があります。線路は左に大きくカーブしており、その先には木津川を渡る鉄橋があります。地下通路の案内地上駅である八幡市駅は、ホームと改札は地下通路で結ばれています。地下通路上の写真は、改札側から見た地下通路の様子です。手前の左右の階段は下りホーム(3番線)へとつながります。奥の左右の階段は、上りホーム(1・2番線)につながっています。改札口(ラチ内)左側に行くとバスやタクシーが待つロータリーです。コンビニ(アンスリー)や観光案内所の窓口もあります。出口を右に折れると、鋼索線(男山ケーブル)の駅です。改札口(ラチ外)左奥がケーブル線の駅です。駅舎
2010年09月18日
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京阪の八幡市(やわたし)駅です。鋼索線(男山ケーブル)との乗換駅ですが、鋼索線については後ほどご紹介します。駅名標駅名標(柱)八幡市駅は、100年前の明治43年(1910年)、京阪が開業すると同時に営業を始めた駅の一つです。開業当時の名前は「八幡」駅でした。その後、昭和14年(1939年)に「石清水八幡宮前(いわしみずはちまんぐうまえ)」に、昭和23年(1948年)に「八幡町(やわたちょう)」に、そして昭和52年(1977年)、市制施行により八幡市が発足すると同時に「八幡市」に駅名が変わりました。急行停車駅ですが、平成20年(2008年)10月のダイヤ改正で急行が早朝・深夜のみになったため、事実上、優等列車が停車しなくなりました(特急や快速急行は停まりませんし、準急は萱島~出町柳はすべて各駅停車です)。ホームは2面あります。かつては島式の2面4線で、上下線とも優等列車の退避ができました。しかし、平成21年(2009年)9月、隣の淀駅周辺の下り線が高架化されたときに淀駅下りに待避線ができたため、八幡市駅の下り待避線は使われなくなりました。下り線ホーム(3・4番線)現在、4番線には柵が設けられています。下り線・大阪寄りよく見れば、すでに線路は撤去されていますね。4番線上の写真は鋼索線(ケーブル線)側の駅舎から撮ったものです。いずれはここが通路になるようです。エレベータやスロープなど、バリアフリー化された駅になる計画です。工事予想図(続きます)
2010年09月16日
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京阪・橋本駅の南、線路と並行している農道を歩いて行きました。久修園院を過ぎてさらに先へ行くと、民家のある場所にたどり着きます。ここに砲台跡の碑があります。橋本砲台とも楠葉砲台とも呼ばれているようです。砲台の碑同上枚方市教育委員会の名が入った説明板には、「楠葉台場(砲台)跡」と書かれていました。その右にある石碑には「戊辰役橋本砲臺場跡」と書かれています。楠葉は枚方の地名、橋本は八幡市の地名ですから、枚方市としては「楠葉」と言いたいんでしょうね。同上淀川対岸には、対となる高浜砲台(大阪府三島郡島本町)が置かれました。いずれも慶応元年(1965年)ごろに幕府の手で築かれました。設計の総責任者は勝海舟だそうです。いずれも3万平方メートルほどの台場に、それぞれカノン砲3~4門が設置されたと考えられています。両岸の砲台は、大坂湾から京都へ侵入する外国船を想定して築かれた、というのは表向きの理由で、長州藩士など尊王攘夷派の入京を阻止するという目的もあったようです。慶応4年(1868年)の戊辰役(鳥羽伏見の戦い)で、小浜藩酒井家が橋本砲台を守備していました。ところが対岸の高浜砲台を守備する津藩藤堂家が寝返り、橋本砲台に向けて砲撃してきます。橋本砲台は混乱に陥ったもののこれに応戦、両砲台間でしばらく砲撃が続いたということです。しかしついに旧幕府軍は支えきれずに、砲台を破壊して大坂方面に敗走していきます。明治43年、京阪が軌道を敷設したとき、台場の土塁はすべて運び去られたといいます。いまなら埋蔵文化財の調査が入りますが、当時はそんな調査はなかったのでしょうから、しかたがないですね。
2010年09月15日
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京阪・橋本駅から500メートルほど南に、久修園院というお寺があります。正式には「天王山木津寺久修園院」だそうです。「てんのうざん・こつじ・くしゅうおんいん」と読みます。本尊は釈迦如来立像です。久修園院同上同上久修園院は真言律宗のお寺で、総本山は奈良の西大寺です。ここはその別格本山です。縁起によると、霊亀(れいき)2年(716年)に行基によって開かれたといいます。かつては広大な寺院だったようですが、大坂夏の陣(元和元年、1615年)の兵火で多くを失ってしまったということです。江戸時代の延宝年間(1673~1681年)に、久修園院中興の祖といわれている宗覚律師によって再建されました。宗覚は才能豊かな人だったそうです。儒教も修め、仏像、大涅槃図、両界曼荼羅図、天球儀、地球儀、さらには琴や笙などの楽器も制作自演したといいます。天球儀と地球儀は、枚方市の文化財に指定されています。「鳥羽伏見の戦い」(慶応4年、1868年)の際、旧幕府軍がここに本陣を構えたということです。「大界外相」入口手前に「大界外相」と書かれた石碑がありました。これは「結界石」です。俗世と仏の世界を隔てる境界を示すものです。ここから先は神聖な場所なのです。
2010年09月14日
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京阪・橋本駅から南西に300メートルほどのところに、樋門(ひもん)があります。手元の市街地図を見ると「橋本樋門」と書かれていました。樋門樋門は、府道13号(京都守口線、旧国道1号)沿い、淀川堤防の外側に設置されています。府道13号(京都方向)上の写真、堤防上に敷設されているのが府道13号(京都守口線、旧国道1号)で、左手が淀川です。正面左手の山は、対岸の天王山の山系です。右手に一部だけ写っているのが樋門です。八幡市を流れる大谷川は、この樋門を通って淀川本流と合流します。手前の橋の部分が大谷川です。つまり堤防はここで切れているわけです。淀川の水位が上がった時、万が一にでもこの樋門が故障すると本流の水が溢れだすことになります。重要な施設です。同上(交差点名標)大谷川樋門の銘板この施設の銘板には「小金川樋門」と書かれています。「橋本樋門」は通称なのかな、と思いながら、この日は家に帰りました。ところが、ネットで調べてみると、八幡市の防災関係の資料に「樋門施設設置場所一覧」という記述があり、「橋本樋門:昭和41年5月設置」「小金川樋門:大正元年4月設置」となっていました。所在地はいずれも八幡市小金川、設置者は国土交通省、管理者は八幡市です。上の銘板では平成14年7月設置となっていますので、最近になって二つの樋門が一つになったのでしょうか? 疑問が残りました。橋本駅周辺堤防からは、周囲の景色がよく見えます。上の写真は橋本駅の方向を写したものです。正面奥に見えているのが石清水八幡宮のある「男山」です。淀川視線を川の方に転じると、淀川が見えます。上の写真、手前の流れは木津川と宇治川が合流したもの、中央の堤の向こう側は桂川です。このすぐ下流(左手)で両方が合流し、淀川本流となっています。サントリー社屋対岸を臨むと、サントリーの山崎工場が見えています。手前にマンションができて全容は見えなくなりましたが、「SUNTORY YAMAZAKI DISTILLERY」や「山崎」の文字が見えていますね。
2010年09月13日
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車のオドメーターに続いて、本日、ブログのカウンターが10万を超えました。記念に残しておきます。 ----> たくさんのアクセス、ありがとうございます。これからもよろしく。
2010年09月12日
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京阪・橋本駅の2番ホーム(大阪方面行き)の改札口を出た正面に、何やら石碑があります。 橋本駅改札口駅前の石碑左側には「橋本渡舟場三丁」「山崎停車所十丁」「柳谷観音一里廿丁」と書かれています。1町(1丁)=109メートル、1里=36町=3.9キロメートルです。昭和2年の建立で、三宅安兵衛氏の遺志による一連の石碑の一つです。昭和初期、橋本に渡船場があったことを示しています。淀川を渡って1キロほど先には山崎駅、6キロほどで柳谷観音(長岡京市にある楊谷寺)です。右側に書かれているのは「湯沢山茶久蓮寺」。「ゆたくさん ちゃくれんじ」と読みます。これには豊臣秀吉にちなんだ逸話があります。ある日、豊臣秀吉が寺を訪れて茶を所望したということです。豊臣秀吉といえば茶人ですから、いいかげんなお茶は出せません。それならばということで白湯を進上したということです。秀吉から「湯沢山茶久蓮寺(湯たくさん茶くれん寺)」と言われ、それが寺号になったとか。「湯たくさん」と言われたほどですから、おそらく何度か所望され、そのたびに白湯を出したのでしょう。ちなみにこの逸話、「妙見宮旧常徳寺」の話と伝えられています。常徳寺は曹洞宗の禅寺で、もとは石清水八幡宮の麓にありました。その後、橋本に移されましたが、文化10年(1813年)の正月に焼失してしまったということです。同じような逸話が浄土院(京都市上京区、千本今出川)や、法輪寺(姫路市)にもあるようです。いずれも豊臣秀吉が訪ねてきて茶を所望した話です。秀吉はあちらこちらでギャグを言っていたのでしょうか(笑)。
2010年09月11日
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京阪・橋本駅の周囲には狭い道路しかなく、軽自動車が入るのがやっとで、すれ違うのも難しそうです。「京阪橋本」バス停は、橋本駅から南に約200メートルのところにあります。バスロータリーバスのりば同上平日昼間および休日の便は30分ごとで、男山団地を経由して樟葉駅まで行きます。ロータリー上の写真はロータリーを反対側から撮ったものです。左手奥の方向に橋本駅があります。右手の建物は橋本公民館です。タクシー乗り場があるわけでもなく、バスがいない間はがらんとした空間になっています。京阪バス同上どちらも京阪バスです。まるで違うバス会社みたいですね。
2010年09月10日
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京阪本線の橋本駅は、相対式2面2線のホームを持つ地上駅です。改札口はそれぞれのホームに別々にあり、改札内ではつながっていません。改札口(1番ホーム)こちらは1番ホーム(京都方面)の改札口です。同上(ラチ外)同上(外観)改札口も狭いですが、駅舎も狭い場所にあります。民家に隣接している感じです。改札口(2番ホーム)こちらは2番ホーム(大阪方面)の改札口です。同上(ラチ外)同上(外観)こちらのほうが少し大きな造りですね。駅前にも少し余裕があります。しかしアクセス道路は狭く、車で乗り入れるのはやめたほうがいいです。2つのホームとも車椅子対応の改札機やスロープが設けられています。ただし1つ難点を上げるとしたら、トイレが2番ホーム(大阪方面)にしかない! 大阪方面から来てホームに降りたらトイレがなかったということになるので、お気をつけください。
2010年09月09日
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京阪の橋本駅までやってきました。ようやく京都府内に入ります。橋本駅は、京阪が営業を開始したと同時にできた駅です。橋本の名前どおり、もともとこの付近には橋があったそうです。淀川対岸の山崎との間に架かっていた橋の名は「山崎橋」。洪水で何度か流されたようで、そのあとは渡し船になったそうですが、それも1962年(昭和37年)に廃止されたようです。京街道沿いですが、宿場ではありません。しかし遊郭もあったということで、賑わっていたのでしょう。駅名標同上ホームの端の方には、ホーム上に立てられた駅名標もあります。ホームは地上にあり2面2線です。8両に対応しています。大阪方向同上ホームの南側(大阪寄り)には、踏切があります。大阪寄りの踏切ほんとうにギリギリまでホームがありますね。京都方向上の写真は、ホームの樟葉寄りから京都方向を写したものです。ホームは左にカーブしています。大阪方向反対に、ホームの京都寄りから大阪方向を写したのが上の写真です。ホームの両端には屋根がありません。天王山の山並みホームの京都寄りに立つと、淀川対岸(山崎)の背後の山が見えます。天王山です。橋本変電所京都方向に、京阪の橋本変電所が見えています。
2010年09月07日
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樟葉駅と橋本駅の間にある田畑の付近を散策していました。茄子(2010.09.04)路地植えの茄子が実っていました。茄子の花もうす紫色の茄子の花が咲いています。季節的にはそろそろ「秋茄子」でしょうか。カンナ(2010.07.24)上の写真は7月末のものです。9月に入ってからもう一度見に行ってきましたが、そろそろ花は終わりかけのようでした。
2010年09月06日
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京阪の樟葉駅から橋本駅に向かうと、右側の車窓の風景が一変します。(ちなみに左側は堤防しか見えません)。樟葉駅を出てしばらくは見えていた普通の建屋が急になくなり、「大阪市水道局」の「楠葉取水場」の平坦な敷地を過ぎると、今度は急に田園地帯になります。樟葉-橋本駅間列車の後ろに見えているのが淀川の堤防です。車窓から淀川の自然が見えないのがちょっと残念ですね。同上上の写真は、橋本駅の手前です。この辺りになると、淀川対岸の山崎や天王山の山並みがはっきり見えます。くずはタワーシティを臨む2010.07.24撮影2010.09.04撮影ほぼ同じ場所で撮影したのが、上の2枚の写真です。40日ほどの間に、稲が大きく成長した様子が分かります。実りの秋もう少ししたら刈り取りですね。暑い中での農作業、おつかれさまです。
2010年09月05日
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京阪特急は、昭和25年(1950年)9月1日に天満橋~三条間で運転を開始しました。今年はそれから数えて満60年です。60周年を迎えた京阪特急を記念して、現在、8000系(30番台を含む)には記念ヘッドマークが掲げられています。樟葉~橋本駅間同上旧特急色塗装は、8000系30番台(旧3000系)のみとなったそうです。30番台は1編成しかありませんし、ヘッドマークは期間限定(9月30日まで)ですので、希少価値を狙うなら30番台ですね。私は暑さに負けて、上の写真を撮ったら早々に退散いたしました。チャンスがあればいいのですが。
2010年09月04日
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京阪本線の樟葉駅から橋本駅にかけての軌道は、淀川左岸の堤防に沿って敷かれています。樟葉-橋本駅間 ちょうど駅と駅の真ん中付近、車窓を眺めていると見えてくるのが「大阪市水道局」の敷地です。上の写真、右端に少し見えているのが水道局のフェンスです。大阪市水道局同上同上同上同上衛星写真を見るとよくわかりますが、この地点には、淀川からの取水口があります。京阪は堤防の外側を走っているので、残念ながら淀川の様子は見えません。ここで取水された水は、府道18号(枚方交野寝屋川線)沿いに寝屋川市にある豊野浄水場へと送られます。府道18号の途中には大阪府の村野浄水場があります。まさに「水道道(すいどうみち)」と呼ばれる所以です。それにしても、枚方市の北端から大阪市内まで、最短でも20キロほど離れていますね。蛇口をひねれば簡単に水が出てきますが、それを支えている人々のこともたまには思ってみたいものです。
2010年09月02日
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