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翌週、数人の女子が、何種類かずつ、香水を持ってきてくれました。その香りを、一つ一つチェック! 私は、これが好きぃ~。私はこれぇ~。 みんなそれぞれ好みがあるようです。香水をつけたはいいが、その香りを、先生、その匂い、嫌ぁ~~~い!なんて言われたら、再びショックであります。なんとくなくではありますが、わかりました。 早速、翌日、デパートへGO! すいません、香水が欲しいんですが。どこにありますかねぇ? と、まず、販売している場所から聞かなければならない。そこへ行ってみると、 おぉぉぉぉぉぉぉ! こんなに種類があるのかぁ~! その数の多さに呆然です。とにかく、サンプルで香りチェック!しかし、あまりの多さに、嗅げば嗅ぐほど、香りがわからなくなってきます。 すいません、中学生の女子が好きな香り、少なくとも嫌いではない香りの香水が欲しいんですが・・・。 店員(20代後半の女性)さんの顔が何やら険しくなった。 あっ、別に僕、怪しい者ではないです。小・中学生を対象とした学習塾を経営しております、がっきーと申します。 慌てて名刺を取り出し、差し上げました。 あぁ、そうでしたかぁ~。プレゼントですか? いえいえいえいえ。 香りに気を配ることも大切かな~なんて思いましてぇ。僕がつける香水をさがしてるんです。 それでしたら、中高生には、この辺が人気のようですが。 あ、わかりました、ありがとうございます。この辺りから選んで見ますぅ~。 店に入ってから、購入して出るまで、1時間かかってしまいました。 次の週、 先生、香水買ったぁ~? おう、買ったぞぉ~。 これだ。 代わる代わる匂いを嗅いでいます。 いいんじゃなぁ~い?嫌いじゃないよぉ。 結構、好きかもぉ~。 生徒からも、合格をいただきました。 たわいもないことかもしれませんが、僕にとっては、これも、生徒、つばさ塾のため。つばさ塾開校準備の一つなのであります。「表」ではなく、「裏」ではありますが・・・。おわり
2008.01.31
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前回の記事の教室増設。これには裏話がありまして・・・。 僕が今の校舎担当になったのは約4年前。当時、講師室は、「喫煙可」でありました。そのために換気扇も設置されていました。毎週、お互い、授業で頑張れば、講師、生徒との間に「信頼」が生まれます。すると、生徒は勉強のこと以外にいろんなことを話してくれます。授業開始30分前に塾に来て話してくれる生徒、休憩時間に話してくれる生徒、授業終了後に話してくれる生徒。塾講師として、こんなにうれしいことはありません。 その場所は、 もちろん、 講師室 「喫煙可」の講師室 そう、皆さんが、今、想像されている言葉、生徒が言うんですよね。 先生、たばこ臭い!!臭い、臭い、臭い、臭い、臭い、臭ーーーい!当然の発言でございます。そして親御様からも・・・・ 先生、本当にいつもお世話になっております。お世話になりっぱなしなのに、こんなこと言っていいのかとも思うんですが・・・・塾から帰ったときの、娘の髪の毛から・・・・タバコの臭いが・・・・ そりゃそうですよね。かわいい娘の髪の毛から、タバコの臭いがしたら・・・・そりゃ嫌です。 はい、講師室「禁煙」決定!! 僕しか喫煙者はいないのですが・・・それから(2年以上前だと思いますが)僕の喫煙場所は、校舎の裏出口。 屋外でございます。しかし、人間には、環境適応能力があります。もう、今では、外で喫煙する方が落ち着きます。っていうか、僕の生活の中で、室内で喫煙することは、全くなくなってしまいました。 んがっ、しかぁーーーーしそういう自分に満足していた僕は甘かった・・・真冬のこの時期、外にある僕の喫煙場所から帰ったら、講師室には5・6人の中学生女子がいました。僕が講師室に足を踏み入れた瞬間、僕に視線が集中。 先生、臭ーーーーーーーーーい!!大ショック!!タバコの臭いではなく、体臭を指摘されたような言葉に聞こえてくる。ショック、ショック、ショック。あまりのショックに、体重が7キロ増、増、増!(もちざくら風)いや、体重が増えたというのは、もちろん嘘ですが・・・。そこで、女子に相談してみました。 やっぱ、タバコ吸ってきたら、俺、臭うよな? うん、臭う!「臭う」の前に、せめて「タバコ吸ってきたら」をつけてくれ!それがないと、俺自身が臭いを発しているように聞こえる。 先生、香水買いやぁ~!香水つければ、大丈夫じゃない? なるほどぉ~。 最近の中学生は、男子も香水つけるもんなぁ~。でも、俺、香水つけたことないもん。なんか、自分から香水のいい匂いがするなんて、想像もつかん。それに、どんな香水を買えばいいのかわからん。今まで、1度も買ったことない。 じゃぁ、先生、今度、持ってきてあげるよぉ~。それで、香水、勉強しやぁ~。 はい、勉強させていただきます。では、来週、お待ちしております。 なんと優しい生徒たちでしょう。こうして、僕は、香水について勉強することとなったのです。つづく・・・。
2008.01.31
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1年半前から取り組んできたつばさ塾開校準備。塾を成長させることは、自塾の軸に肉付けしていくことだと、僕は考えています。 まずは軸を確認し、より強くすることから始めました。それから、その軸にどのような肉付けをしていくか、時間をかけて(かけ過ぎちゃったかな?)考えてきました。そして具体的な案も決定し、それぞれが実現に向けて進行中。それらを盛り込んだチラシが、明日、仕上がってきます。軸への肉付けとして、最も大きなこと。それは・・・ 教室増設!! 我校舎は、1教室+講師室という形で、今まで運営してきました。また、「自学の育成」を軸に、運営してきました。その結果、休憩時間にも勉強する生徒、 授業終了後、自ら残って勉強していく生徒、 宿題とは「やらされるもの」ではなく、「自らやるもの」と認識するようになった生徒、 通塾の日でないのに、自習に来る生徒、 「どの高校?」と近い未来だけ見るのではなく、「どんな職業があるのか?」 そこからさかのぼり、「そのためにはどの大学?」、「そのためにはどの高校?」と遠い未来を見つめることができるようになった生徒。 こんな生徒が増えてきました。しかし、そんな生徒が勉強するスペースは、講師室しかありません。ある日、このことを生徒に聞いてみると、 本当は自習に来たいけど、中3受験生を優先しないといけないから・・・・・・。 と、生徒なりに考え、気をつかい、我慢しているようでした。 こういう生徒こそ、何とか応援したい。生徒がこんなに頑張っているのなら、僕が頑張らないわけにはいかない。 我校舎の左の店舗を、教室+自習室に改装し、つばさ塾は、2教室+自習室+講師室という環境で、生徒を応援し、スタートします!!2月末から改装工事に入る予定です!!つづく・・・。 この記事が「役に立ったな」とお感じになった方だけで結構でございます。 クリックお願いします。 この結果を参考に、より良い記事が書けたらと思っております。
2008.01.31
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僕が塾講師になって初めて中3受験生を受け持った年。僕にとって、塾講師としての初めての「受験」。確かに、テキスト作成、授業、進路相談、どれをとっても必死だった。もちろん、それは今も変わらない。ただ、あの頃は、「絶対に合格させなきゃ、やばい!」そんな心理が半分、心の中を占めていた。「不合格者を出すと、塾の評判は下がってしまう。」そんな自分の立場を心配する自分がいた。 そんな僕の姿は、生徒にはどんな風に映ったんだろう?「自分の立場」が半分、「生徒の将来」が半分。でも、半分、「自分の立場」を考えているってことは、本当に「生徒の将来」を考えていることになるのか?じゃぁ、「生徒の将来」を考えるって、自分を「犠牲にする」、「身を捧げる」ってことなのか?もしそうなら、自分の家族ができたとき、家族も犠牲にしてしまう。自分の家族を犠牲にするような人間が、他人の家族を幸せにできるのだろうか?いや、できはしない、絶対にできないはずだ。う~~~ん・・・・・う~~~~~ん・・・・・わからない・・・・・・・・・・・ 初めての受験生を送り出した翌年から、僕はそんな風に考えるようになった。自問の日々が続いた。僕は、本当に「生徒の将来」を考えられる人間になりたい、そう思うようになった。 あれから、何人もの受験生を抱えてきた。こんな親御さんと生徒も、塾に来てくれるようになった。 今、僕はこう考えています。 世の中に「絶対」はない。もちろん、「受験」という世界にも。僕が生徒にしてあげられることは、「絶対」のない世の中を、「絶対」にすることじゃない。「絶対」のない世の中だからこそ、そこで努力を積み、努力したのならば、腹を括らなければならないこと。「絶対」のない世の中だからこそ、そこで手に入れたものに価値があり、喜びがあるということ。それを伝えること。そのためには、僕自身が、努力を積み、腹を括る姿を見せるしかない。信じる姿を見せるしかない。そこで手に入れた喜びを語るしかない。 今日、この記事を書いていて、ふとこんな曲を思い出しました。僕が生徒に伝えたいこと、そのものです。曲、歌詞、ともに素晴らしく、心にグッとくる作品です。 この記事が「役に立ったな」とお感じになった方だけで結構でございます。 クリックお願いします。 この結果を参考に、より良い記事が書けたらと思っております。
2008.01.30
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今日の小5の国語。今取り組んでいるのは、イメージ・チャートの連係。書く前に「考えること」をしなければ、文章量が足りなくなる。これを解決するためのイメージ・チャート。作文を書く前に必要な「考えること」を促し、考えたことを視覚化する。「文章量の確保」という目的であれば、イメージ・チャート1枚で、ある程度(400字詰め原稿用紙2枚以上)は書けるようです。「量」が満たされたのならば、次は「質」。つまり、作文の内容です。簡単に言えば、読んで、「おもしろい」か「おもしろくない」か。その内容を充実させようと思えば、更に「深いところ」まで考える必要があります。今日は、「深いところ」までイメージ・チャートに挑戦!! 1枚目のイメージ・チャートの中で書き出したことから、自分の興味のある部分(5・6の事柄)を抜き出し、そこから2枚目のイメージ・チャートを始める。深く、細かく考えていくわけだから、やはり1枚目ほど順調に進まない。だから、こんな声をかけてみました。 頭の中が止まったら、自分が書き出した事柄に関して、「なぜ?」って考えてごらん?例えば、壁に掛けてあるこのカレンダー、なぜここに掛けてあるの? 先生が修学旅行や中学校のテストの日に印をつけるためぇ~。 そう、そう、そう。そうやって考えれば、自分の頭の中にあるもの出せるでしょ?よっしゃっ、じゃぁ、がんばっていこぉ~! また生徒の頭は動き出したようです。 途中の段階だけど、こんな生徒がいました。2枚目のイメージ・チャートの中心にもってきた言葉が、「面倒くさい」 どんな言葉が繋がっていくだろう? 興味津々で見守っていると・・・ 「集中力がない」 「やらなくちゃいけない」 「逃げちゃダメ」・・・・ す、す、す、凄い!!自分と闘っている!!自ら自分と闘おうとしている!! もう、健気で、美しい姿でした。子どもは、子ども自身で、土から芽を出そうと、今の自分から抜け出そうと、、がんばっているんですね。大人は、そんな子どもの姿を見逃してはいけない。その芽が大きく育つように、水を与え、光で照らすのが、僕ら大人の仕事。今日は、子どもの「純粋さ」、「健気さ」に感動した1日でした。イメージ・チャートって、精神的成長にも、効果がありそうです!!授業を終えて、まだみんな途中の段階。どこまで深く考えることができるか?来週が楽しみ!! この記事が「役に立ったな」とお感じになった方だけで結構でございます。 クリックお願いします。 この結果を参考に、より良い記事が書けたらと思っております。
2008.01.29
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ここ数日、僕は中3受験対策、つばさ塾開校準備に追われる中、あることで悩んでいました。 おまえが今までやってきたことは間違ってたのか?無駄だったと言うのか?もしそうなら、今、塾に通ってくれている生徒たち、その親御さんが、何でここに集まってくれたんだ? こう話しかけてくる自分と、 自分を見つめろ! 視野を広く、辺りを見回せ!必ず何かあるはずだ! おまえに必要なものがあるはずだ! 一方でこんなことを言ってくる自分がいた。当たり前だけど、人生いろんなことがある。いろんなことが起こる中、どう受け止めるべきか、悩むことだって、そりゃぁ、あるに決まってる。 う~ん・・・・・・・・・、う~ん・・・・・・・・ 眉間にしわを寄せて、むずかしい顔をしている自分。そんな自分に気づいていない僕をハッとさせてくれたのは、いつもと変わらない元気な生徒の声と顔でした。 ここにおまえを必要としてくれる生徒、親御さんがいるから、おまえは、今までの自分を誇りに思わなきゃならないんだ!ここにおまえを真っ直ぐ見てくれる生徒、親御さんがいるから、視野を広く辺りを見まわし、自分を見つめなきゃならないんだ!なぁ? わかったか? 生徒の声と顔は、僕にそう言っているようでした。なんだか、肩が軽くなりました。 子どもにものを教える立場にある塾講師。でも、子どもから教わることって、大きいなぁ~。 この記事が「役に立ったな」とお感じになった方だけで結構でございます。 クリックお願いします。 この結果を参考に、より良い記事が書けたらと思っております。
2008.01.29
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つばさ塾、新カリキュラム。中学部、小学部ともに、今まで創り上げてきた自塾の軸をもとに、新しい試みを組み込んだカリキュラム。やっと完成しました!!今日、業者の方に来ていただき、来月から撒くチラシの構成に入った。遅くとも、今週金曜日までに、第一段階として、記念すべき、つばさ塾初チラシがあがってくる。来週の初めには、完成する予定。う~ん、楽しみ!!完成品は、またこのブログ記事に掲載させてもらいま~す♪
2008.01.28
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つばさ塾開校まで、あと2ヶ月余り。自分が予想していたよりも、ずっと大変で、やりがいのある仕事盛りだくさん!僕は、こういった状況に置かれると、がっきーの気合、見せちゃりますっ!!って、闘志がメラメラと湧いてくるタイプ!ということで、申し訳ありませんが、これからブログ更新が不定期になると思います。(もう、既に、そうだったりして・・・)開校準備内容が、実現した段階で、一つ、一つ、このブログにてご報告させていただこうと思ってます。それでは、1日も早く、ご報告できるように、メラメラ頑張ります!!
2008.01.21
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どうでしたか?面白かったでしょ? 初めて無線に応答する仕事を任される新人くん。緊張して、マイクの前に座ります。すると・・・無線: May・day, may・day.[may・day]は、船舶・航空機の国際無線救助信号。おぉぉ! いきなり救助信号!決して5月1日の祭ではない。無線: Can you hear us ?(聞こえますか?)無線からの声は緊迫している。更に、無線: We're sinking ! ( 私たちは沈没してしまう!) We're sinking !!( 私たちは沈没してしまうよぉ~!)この死が迫ろうとしている緊迫した叫びに、新人くん: What are you thinking about ?(あなたは何を考えているのですか?) 死にそうなのに、それ以外のことが考えられるかぁーーーー!! と、突っ込みたくなりますよね。 sink(沈没する)を、think(考える)と聞き違えると、とんでもないことになるんですね。何回見ても、笑っちゃいます。 この記事が「役に立ったな」とお感じになった方だけで結構でございます。 クリックお願いします。 この結果を参考に、より良い記事が書けたらと思っております。
2008.01.18
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ネット上を徘徊していたら、見つけてしまった!ドイツの英会話スクールのCMだと思うのですが、大爆笑!![s]と[th]の発音に注意です。では、どうぞ!
2008.01.18
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帰宅したのが23時40分。夕飯、風呂、その他もろもろを終え、布団に入ったのが2時30分。ものの5分も経たずに、 グーーッ、グーーッ・・・・・・・・・・・ ではなかった! 眠れない。 全く眠れない。 どうしても、考え込んでしまう、来年度のチラシ。 こうすることは決定だから、じゃぁ、これはこうかな?いや、違うなぁ・・・、う~ん・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ゲッ!気づけば、3時30分。眠らなければ! グー、グー、グー・・・・・・・・・・・・・・・・・・ だったのかな??? 目が覚めた。 しかも、夢を見て。 しかも、夢の中で僕はチラシの内容を考えていた。 現実も、夢の中も、あまり変わらない自分がちょっと悲しい・・・・ 時間は、6時15分。早起き過ぎる自分が、ちょっと悲しい・・・・ せめて、もう1時間は寝かせてよ。 でも、どんどん目がさえてくる。 え~い、こうなったらぁ~、こうじゃぁーーー! シャワーを浴びて、今、ブログ書いてます。 寝ても覚めても塾講師!?今日はあまり寝てないけど・・・。
2008.01.18
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もちざくらが「見えにくい力」について記事を書いている。非常に大切なことなので、僕も反応記事を書いてみようと思う。 生徒の学力を構成する様々な力を考えると、もちざくらの言う通り、見えやすい力より、見えにくい力の方が学力に影響を与えている。文系担当講師として、最も気になるのは、「変換能力」である。中2の3学期、英語では「比較」という分野を学習する。その中でこんな問題がある。Ken is not as tall as Tom.(ケンはトムほど背が高くない。)この文を、否定文ではなく、肯定文に書き換えた英文を2文作りなさい。解答: Ken is shorter than Tom. (ケンはトムより背が低い。) Tom is taller than Ken. (トムはケンより背が高い。)この問題で試される能力は、英語の能力ではない。日本語の「変換能力」の問題。「ケンはトムほど背が高くない。」ということは、背が高いのはトムで、背が低いのはケンということである。文を表面的に捉えるのではなく、立体的に捉える。文の表面から、深く掘り下げ理解する。そういうことが必要なんです。深い理解がなければ、ある文を異なる言葉を使って変換することは難しい。実際、月曜日に中2生にこのような問題を、ノーヒントで与えてみると、直ぐに鉛筆が動いた生徒は15人中、2人でした。このクラスは半数が5教科400点以上の成績をとり、残りの生徒も、400点まであともう少しの生徒が多い。にもかかわらず、15人中、2人。これが、見えにくい力、「変換能力」の差なのです。残りの生徒のピタリと止まった思考を動かすために、僕はこう言いました。 「ケンはトムほど背が高くない。」という文を、絵に表してごらん。 絵に表せば、見えてない部分が見えてくるから。 この言葉で、殆どの生徒が気づいたようです。生徒を見ていると、気づけなかった自分が、そうとう悔しかったみたいですね。この「変換能力」は、英語においてだけではありません。国語の論説文の問題を解くとき、その文章には筆者の「考え」が綴ってあります。小説で表現されている人間の「感情」は、時と場合によって変化していくものなので、その変化を読み取らなければなりませんが、論説文の「考え」、つまり「筆者の主張」は、コロコロ変化なんてしません。変化すれば、それは「主張」でなくなります。しかし、その主張を同じ言葉で、同じ文章で、何度も繰り返してはいないのです。異なる言葉、異なる文章を巧みに使って「主張」しているのです。つまり、自分の主張を変えることなく、言葉、文章を変換することによって、表現しているのです。だから、下線部1と同じ内容を表す言葉を文章中から15字以内で抜き出しなさい。という問題が出題されるわけです。何度も何度も本文を読めば、解ける人は多くなると思いますが、テストには制限時間があります。その時間以内に解こうと思えば、「変換された言葉」を素早く見つけ出さなければなりません。できるか、できないかは、生徒自身の「変換能力」にかかってくるわけです。国語の成績は、社会と比べて、短期間では上がらない。とよく言われるのは、この見えにくい力、言葉の「変換能力」が影響を与えるからです。 僕は、大学でも、英語を専門的に勉強しましたが、英文を和訳するということは、英文を、日本文に変換するということです。変換するためには、英語が使われている地域の文化や歴史まで掘り下げて勉強しなければ、変換できないということを、まざまざと見せ付けられる4年間でした。 この見えにくい力、「変換能力」を鍛えるためには、表面的ではなく、立体的に、深く掘り下げ、理解していくことが必要不可欠だと、僕は考えています。 この記事が「役に立ったな」とお感じになった方だけで結構でございます。 クリックお願いします。 この結果を参考に、より良い記事が書けたらと思っております。
2008.01.16
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中学生に国語問題(小説)の解説をするとき、ふと考えた。小説と論説文の大きな違いは、論説文が、作者の「考え」であるのに対して、小説は「感情」を表現していること。その感情を解説するとき、登場人物の行動や、情景を解説することになるのですが、僕は、「感情の種類」とその「強弱」の2点から、解説しています。その2点をもっとわかりやすくする方法はないものか?もっとわかりやすくする必要がある。ずっと前から考えていました。そこで、ふと頭に浮かんだのが、「色」。人間の感情は、時と場合によって変化し、繊細で、複雑です。そういったものをわかりやすくするために、「色」はなかなか使えるんじゃないのか?そう、思いました。例えば、情熱や、やる気を「赤」で表すとする。そこに少し「黒」を混ぜると「どす黒い赤」になる。それは、怒り、憎悪を表す。涙が出るほどの笑いを「黄」で表すとする。「すすけた汚い黄色」からは、何かをたくらんでいる怪しい笑みをイメージできませんか?涙が流れる落ちるような悲しみを「ダークブルー」で表すとすると、涙も出てこないほどの悲しみは「白」。喜怒哀楽、あらゆる人間の感情が振り切ってしまったとき、全て「白」になっていくような気がする。まだまだ、この段階では、想像の域を超えないのですが、より明確に表現できれば、イメージ・チャートや作文に落とせるような気がする。はい、今日は、「赤系感情イメージ・チャート」で熟語を書くぞ!!という風に。赤系であるから、オレンジに近い赤もあれば、紫に近い赤もある。そんな微妙な言葉のニュアンスの違い、その差を学習できるのではないか?そう、思うんです。そうすれば、作文内の表現も豊かになるだろうし、文章の読み取り能力も、ぐっと上がるのでは?感情を表す熟語や、行動描写、情景描写をどこまで色分けできるか、今のところ僕でもわからない。出来上がれば、「がっきーのカラフル国語」なんてタイトルなかつけちゃったりして・・・。出来なくても、新しい何かはきっと生まれるはず!!ちょっと、研究してみよう。でも、これは時間がかかりそうだなぁ。 この記事が「役に立ったな」とお感じになった方だけで結構でございます。 クリックお願いします。 この結果を参考に、より良い記事が書けたらと思っております。
2008.01.15
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最近、中1生を見ていると、少し大人になったかなって感じる。授業を聞く目が鋭くなった。授業中、かもし出すものが、明らかに変わってきた。塾にやって来て、なんだか顔色が悪そうだから、どうした? 調子が悪いのか?って聞くと、少し、風邪気味です。 頑張ることと、無理は違うからな。無理はしたらあかんぞ。 はい。 でも、ギリギリまで頑張ります。自分が損をするから。 言うことも変わってきました。 この中のある中1生、Aとしましょう。Aは1学期の期末テストで、5教科合計目標をクリアしました。ただ、僕としては、Aに対して不満をもっていました。確かに、結果は素晴らしい。が、その結果ほど、内容、つまり過程が良くなかった。能力だけで得点しているという状態。それでも1学期期末テストで結果が出たのは、学習内容、テスト難易度のレベルが、まだ低かったため。例えば、英語の5文型、文法の理解はできているが、英単語を覚えることに、甘さが出ていた。夏休み明けに学校で行われた英単語100問テスト、このときは、僕が英単語を覚えるように促す必要があった。それでやっと、Aは80点強。やはりその甘さは2学期のテストの結果に表れた。2学期中間テストは、1学期期末テストと比べると、30点ダウン。そのときは、あまりショックを受けている様子ではなかった。そして2学期期末テストが終了して、初めての塾の授業。教室の扉を開けるAの顔は、真っ青。 どうした? テスト悪かったのか? ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 返事もできないくらい、Aは落ち込んでいました。 なぁ、Aよ。 これで、能力だけでこなせるほど、中学校のテストが甘くないのがわかったか? 努力なしでは無理なんだよ。自分の限界に挑戦しながら努力を積み、自分の器を大きくしていかなければならないのは、みんな一緒なんだよ。結局、自分を評価するのは、他の誰でもない、「自分自身」なんだ。A自身が自分を評価したから、今日のお前の顔がこんなになっちゃったんだろ?大切なことがわかったな。それは、勉強だけでなく、全てにおいて、とっても大切なことだ。今回、テストで初めてショックを経験したな。やっと本当の自分と向き合えたんだよ。ここからだよ。スタートはここから。ここから努力が始まるんだ。努力を積んでも、必ずうまくいくほど世の中甘くない。それを経験すれば、今度は、本物の「悔しさ」を知ることになる。その「悔しさ」は、更なる努力のエネルギーを生むんだ。そうやって、人間は成長していくんだ。そうやって考えれば、前に進んでるんじゃないのか?失敗が成功に繋がるんじゃないのか?さぁ、元気出して、頑張るぞ!! そう声をかけて授業に移りました。 あれから1ヶ月半。冬休み明け、再び学校で英単語100問テストが行われました。僕は、その前日、そのテストが行われることを知りました。だからその英単語(100)に対して、僕はノータッチ。授業の終了20分前、どれぐらいできるのか、塾でテストしてみました。Aは満点!! スピードも申し分ない。文字の筆圧から自信が感じ取れます。明らかに家庭学習として努力を積んでいました。Aは成長しました。Aと出会って、最も喜ばしい瞬間でした。実際の学校のテストでは、99点だったそうです。(ある部分で、1箇所、ピリオドを書き忘れたそうです。) 中学生に授業をしていて、最も手応えを感じるときは、生徒自身の精神的成長が、行動、結果として表れるときですね。 この記事が「役に立ったな」とお感じになった方だけで結構でございます。 クリックお願いします。 この結果を参考に、より良い記事が書けたらと思っております。
2008.01.13
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今日、校舎に到着して、いつものようにデスクにつき、ふと壁に目をやった。 壁には今まで僕の携わった生徒からもらった寄書が貼ってある。その中のあるクラスの寄書に目が留まった。1年前を思い出した。 このクラスは、一昨年の4月から去年の3月まで僕が担当した中2クラス。去年の4月からは、僕は、この校舎のみで授業を行っていますが、その前までは、現在の校舎と、他にもう1校舎担当していました。が、さくら塾、つばさ塾開校準備のため、その校舎から離れることになったのです。それは、もう2度とそこで僕が授業をすることはないということを意味しました。そのクラスの最後の授業、僕は授業前、決して涙を流すまい。 笑顔でお別れをしよう。そう、心に決めていました。授業終了15分前になったら、今までの感謝の気持ちと、これからもこのクラスを応援するということを伝えようと思っていました。しかし、その時間が来る前に、涙を流しながら授業を受ける生徒がいました。それに気づいた生徒も、目が赤くなっていく。また、一人、目が赤くなっていく。そんな最後の授業でした。そして、授業終了15分前になった。涙をこらえながら、僕の気持ちを話しました。すると、ある生徒が、僕の前にやってきます。手にしているものは、寄書と、プレゼント!! 先生、今までお世話になりました。これからも、頑張ってね。先生、開けてみて、早く、開けてみて! 必死に涙をこらえながら、包みを開けてみました。なんと、ネクタイです。 お前たち、これどうやって・・・・・・・ みんなでお金を出し合って買ったんだよ。親には1円も出してもらってないよ。先生に似合うやつ見つけたんだからね。ねぇ、先生、つけてみて、ねぇ、つけてみてよ。 涙はこぼれたのでしょうか?流したかもしれません。よく覚えていないんです。あまりに感動しちゃって。直ぐにネクタイをつけかえました。そして、寄書は、一人一人が、それまで僕が見てきた彼らの字の中で、最も丁寧な字で書いてありました。このネクタイと寄書は、僕の一生の宝物。その寄書の中の、ある生徒の言葉。 4月からお世話になりました。 初めて会った日からもう1年です。早かったなぁ。 英語の授業は特に先生に教えてもらってよかったです。先生がいなくなっても、がんばりますんで安心してください。 そう、僕がずっと生徒たちに言ってきたこと。 もし先生がいなくなっても、今と同じ努力を積めるような勉強をしろ!誰かの力をあてにするのではなく、自分の力をあてにできるような人間になれ!成績が悪かったときには、自分の責任において反省し、それを改善するため、努力を積め。成績が良かったときにも、その成績をもたらした努力を、自分を、しっかり誇りに思え!先生は、先生として、それが一番嬉しいんだ。 このクラスには、しっかり届いていました。今でも、心からこのクラスを応援しています。 この記事が「役に立ったな」とお感じになった方だけで結構でございます。 クリックお願いします。 この結果を参考に、より良い記事が書けたらと思っております。
2008.01.12
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1月10日は休暇でした。実は、中2生からずっと頼まれていることがありました。先生、さくちゃんとコタくん、塾に連れてきてぇ~。これを実現するためには、中2生が通塾の日で、僕が休暇の日でなければなりません。その2つが重なる日は、木曜日しかありません。今まで、仕事の都合上、どういても木曜日を休暇に当てることができませんでした。しかし、やっと、昨日、調整ができたので、うちの娘と息子を、塾に連れて行くことにしました。 さくちゃ~ん、今日は、お父さんの仕事場に行くよぉ~。つばさじゅくぅ~?そうそうそう。(まだそうじゃないけど、ま、いいか)えんぷちぃ~先生のとこぉ~?違う違う違う。もちザク先生がおるとこだよぉ~。そっかぁ~。まちがっちゃったぁ~。 ということで、中2生の授業が始まる前に、家族4人で、我が校舎へ、GO! 特に女子からのリクエストが強かったので、すぐに、コタだっこを。だっこを失敗しそうになったときのために、どこからでもフォローできるようにスタンバイしてました。うちの息子が心配というよりも、だっこを失敗して一番傷つくのは、失敗した生徒の心。しかし、そんな心配は無用でありました。女子、だっこ上手過ぎ!!あんなに上手だとは思いませんでした。親戚の子がいることや、職場体験としての保育園での経験からだそうです。うちの娘と息子を見る生徒の顔は、いつもより大人に見えるんですよね。 僕がうちの子どもを塾につれて行ったのは、中2生からリクエストがあったから、それだけではありません。塾講師としての僕を見せるだけでは、なかなか伝わらない親の気持ちを伝えたかった。生徒たちそれぞれの親御さんの気持ちをうちの子どもと接することによって考えて欲しかった。僕は、父親3年生であり、まだまだ未熟な子育てではありますが、それを生徒に見せることで、何か伝えることはできないかと考えています。だって、僕は、毎日、教育の現場にいますが、毎日顔を合わせる生徒を通して、三者面談で親御さんとお話させていただいて、塾講師としても、父親としても、多くのことを教えていただいていると思うから。 伝え合いたい、子育てを教育に、教育を子育てに。 この記事が「役に立ったな」とお感じになった方だけで結構でございます。 クリックお願いします。 この結果を参考に、より良い記事が書けたらと思っております。
2008.01.11
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今から紹介する作文は、ある年の小学生の作文です。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。言葉 言葉といえば話す、話すといえば、電話。 電話でも、ケータイという持ち運び便利の小型の電話がある。 持ち運び便利なのでもちろんどこでも電話がかけられる。 ケータイはメールができ、他の人と会話をすることができる。 また、ワンセグというケータイは、ふつうのテレビと同じように見れる。 またニュース(スポーツ、事件、事故、天気)をすぐ見ることができる。 買い物の時、おさいふケータイといって、現金を出さずに買い物ができる。 また、ケータイで、電卓のように計算することができる。 外出したとき、ナビといって、地図を見ることができる。音楽を聴くことができる。 ゲームもできる。 写真をとることもできる。インターネットもできる。 ただ、とても便利なケータイも、まちがった使い方をするとたいへんなことになることもある。 犯ざいや悪いネットに使われたりする。電車や病院などの場所では、マナーを守らなければいけない。使いすすぎると、料金がかかりすぎる。 だから使いすぎには注意しなければならない。 言葉も、考えや気持ちを声や文字に表したものでとても便利です。また、人と人とが会話できるが、使い方しだいで、良くも悪くもなる。ケータイだと、他の人にメールをするとき、相手の気持ちを考えて、文を作ると相手はうれしくなるが、気持ちを考えずに文を作ると相手はおこったりする。 また、電話で話すときも、相手の気持ちを考えて話すと相手はうれしくなるが、気持ちを考えずに話すと、相手はおこったりする。便利という面では、相手に自分の意見を伝えたり、相手の意見を聞くことができる。人と人とがつながり合うことができる。言葉は、うれしい言葉だと、心も温かくなったりするが、いやな言葉だと心もきずつくし、悲しくなるから、考えて使わなければいけないとぼくは思う。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。この生徒は、入塾当初は、原稿用紙1枚書くのがやっとでした。しかし、作文の訓練を始めて3ヶ月後には、6枚書くようになりました。書く能力が6枚になったのではなく、6枚の作文が書けるほど、考えられるようになったということなのです。その頃には、先生、作文書くのが好きになった!と言ってました。また、彼のお母さんの声は、以下です。学校に提出する作文や日記。 それまでは、「...楽しかったです。」とか「...と思います。」など単純な表現が多かったと思います。今は、その「楽しさ」の度合いや、楽しく感じたときの自分の行動まで表現できるようになりました。感情の表現が豊かになったと思います。算数でも変わりました。文章問題を解くときには、文章からいきなり式を書くのではなく、文章から式への考える過程を図に表すようになりました。 その年、彼は、読書感想文コンクールで入賞しました。おわり この記事が「役に立ったな」とお感じになった方だけで結構でございます。 クリックお願いします。 この結果を参考に、より良い記事が書けたらと思っております。
2008.01.11
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A:漢字が「使える」ようになること。 B:作文は、書く前に考えることが必要だということを知り、 書く前に考えることを実行し、その力を鍛えること。前回はAについて述べさせていただきましたが、今回はBについて。 Bの考えることは、書くという行為(文章・漢字)と切り離して訓練した方が良いようです。同時に進めようとすると、Aについて前回述べたように、双方が進まなくなってしまい、逆効果になってしまいます。しかし、ただ、ひたすら考えるといっても、どこから考え始めて、どこまで考えが進んだのか、深まったのか、考えている本人にも、わからなくなってしまいます。これは、どんな教科を勉強するときでも当てはまることですが、考えるということを続け、深めていくためには、どこから、どこまで、どれくらい考えたのか、それを本人が明確にするために、視覚化する必要があります。視覚化し、残しておかなければ、作文を書くために必要な思考量、つまりゴールに達することができません。例えば、ゴールが10だとします。今日、0から4まで考えられたとしますね。次の日、4から考え始められればいいのですが、0から4までの思考を残しておかなければ、また、0から考えなければならないのです。途中で停止すると、またスタート地点に戻るのであれば、誰でも考えることが嫌になりますね。ですから、作文を書くときにも、自分の考えたことを残しておかなければ、つまり、思考の足跡を視覚化しておかなければ、誰でも作文が嫌いになってしまうということです。この思考の足跡を残すということは、小学生の作文だけでなく、中学生にも、特に、国語問題の本文内や、英語の長文内でも、徹底して、指導しています。英語を5文型を使って捉えていくのも、答えにたどり着くまでの根拠、つまり思考の足跡を残しておくためのものです。作文においての思考を視覚化するために当塾では、イメージ・チャートを使っています。 1 作文のテーマを白紙のまん中に書き、 そこから関連するものを繋げていく、 イメージ・チャートを書く。2 イメージ・チャートに書いた事柄の中で、 関心のあるものを、更に深く書き進めていく。3 2を進めていくときに、疑問に思う事柄を 家族、学校の先生、本、などを通して 取材する。 1は、初めはテーマという1つの大きな事柄から、そこを中心に広い視野で考えること。2は、1の広さを、そのときの自分に合った視野に絞っていくこと。3は、絞った視野を、明確にしていくこと。この3段階で、考えを深めてもらってます。特に2の取材に関しては、作文の能力を上げるためだけでなく、家族のコミュニケーション、学校の先生とのコミュニケーション、そういった人との関わりの中から、たくさんのものを吸収して欲しいという意図があります。 一つの作品を仕上げるのに、かなりの時間を要しますが、確実に生徒の作文に対する意欲と、能力は向上しています。また、そのためにする取材の中で、 先生、今回は、お父さんとお母さんに取材してみた。次はねぇ、おじいちゃんとおばあちゃんにしてみるね。 先生、今日学校で、担任の先生にも取材してきたよ。褒められちゃった。 こんなことを生徒は話してくれます。その顔は、やらされる勉強では得られない、自分から学ぼうとすることから得られる、誇らしげな顔なんですよね。次回は、実際に、作文を紹介しようと思います。つづく・・・。 この記事が「役に立ったな」とお感じになった方だけで結構でございます。 クリックお願いします。 この結果を参考に、より良い記事が書けたらと思っております。
2008.01.11
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作文が嫌いになる理由は、A:漢字が書けないということ。 B:作文は、書く前に考えることが必要だということを知らないこと。この2つであることを前回の記事で述べました。作文が好きになるためには、当たり前でありますが、A:漢字が「使える」ようになること。 B:作文は、書く前に考えることが必要だということを知り、 書く前に考えることを実行し、その力を鍛えること。こうなればいいわけです。今回は、Aについて述べたいと思います。 Aにおいて「使える」と記したのは、漢字テストなどで、漢字が書けるというだけでなく、自分の表現としての文章の中で表現したいときに、その表現に沿う漢字を「使える」ということを強調したかったためです。例えば、「冬期講習」の「講」を、「構」と間違える生徒は、漢字を視覚としてインプットしているんですよね。視覚だけで捉えると、どうしても曖昧になってしまうので、アウトプットするとき、つまり使いたいときにも、曖昧になってしまうんです。生徒がよく使う表現を使えば、微妙~~~~~に間違う でしょうか?この「微妙~」という言葉の使い方、僕は少しゾッとするときがあります。この場合、視覚という点から見れば、確かに「微妙」かもしれません。しかし、意味から考えれば、決して「微妙」ではないのです! 「講」という漢字は、へんが「ことば」を表し、つくりが「組み合わせること」を表すので、「たがいにことばを交わすこと」を意味します。(漢字字典引用) 「構」という漢字は、へんが「木」を表し、つくりが「組み合わせること」を表すので、「木を組み合わせる、かまえること」を意味します。(漢字字典引用) 微妙な間違いでは決してなく、完全な間違いなのです!へんを見て、微妙~に間違ってるぅ~。なら、まだましですが、つくりの方だけ見て、微妙~に合ってるぅ~。と肯定的に捉えているのを聞くと強烈な危機感を感じてしまいます。意味づけなく、視覚的に漢字を捉えると、漢字を覚えても、「使えない」ということになるのです。自分の表現としての文章中、つまり、作文中で漢字を使うことは、その漢字の意味づけに繋がり、その意味の確認に繋がります。そうすることは、もうすでにできている大人からすれば容易いかもしれませんが、それを学ぶ時期である子どもにとっては、決して容易なことではなく、大変なことです。ですから、僕は、生徒が作文を書いているときには、「漢字」のことはうるさく言いません。ひらがなだらけでも、作文が完成するまで、うるさく言いません。作文が出来上がってから、漢字に目を向けてもらいます。あるとき、ある生徒が、どうしても漢字で書かなければ気がすまないようだったので、塾に置いてある国語辞典を渡して、自分で調べて書いてもらいました。すると、僕の予想を遥かに超えた意欲で調べるんです。漢字問題集を解くときの、何倍もの意欲を感じました。考えてみれば当然かもしれません。誰かの作った例文の漢字を考えるよりも、自分の考えた、自分の表現したい文中の言葉を漢字にしていく方が、意欲は湧きますよね。これを機に、つばさ塾開校までに、生徒数分の辞書をそろえようと準備しております。つづく・・・。 この記事が「役に立ったな」とお感じになった方だけで結構でございます。 クリックお願いします。 この結果を参考に、より良い記事が書けたらと思っております。
2008.01.10
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作文を書くのが嫌いなお子様をもつ親御様、結構いらっしゃるんじゃないでしょうか?入塾の面談のときでも、先生、うちの子、ホント文章書くのが嫌いなんですよぉ~。というお母さんの言葉はよく耳にしますが、先生、うちの子、文章を書くの、得意なんですよぉ~。という声は殆ど聞きません。算数は得意なんですよぉ~。は聞くことがあっても、作文書くのが得意なんですよぉ~。は聞かないですね。 お子様のこんな姿見たことないですか? 1行書いては頭を掻き毟り、そこから先に進まなければ、それまで書いた文を消しゴムで消す。書こうとすればするほど、イライラしてくる。残るのは文章ではなく、消しカスとストレスだけ。耐え切れなくなって、結局、作文を諦めてしまう。 それが何回か続けば、もう、書こうとはしない。作文という言葉を聞いただけで、拒否反応を起こしてしまう。そんな我が子を見て、もう、ここまで嫌がっているんだったら、しょうがないかぁ~。と、お子様を見守りつつも、文章が書けないことから予想されるお子様の将来に不安を感じずにはいられない親御様はおられるんじゃないでしょうか? どうして作文の嫌いな子の方が圧倒的に多く、どうして強烈な拒否反応が起こるのか?僕も、小・中学生の作文指導の研究に取り組んで初めてわかったことでした。作文が嫌いな子の理由は、大きく分けて2つ。A:漢字が書けないということ。 B:作文は、書く前に考えることが必要だということを知らないこと。ある量の文章を書こうと思えば、その量以上の思考が必要で、それには時間も必要になるということです。 例えば、Bの考える力はある程度あるのに、Aの状態にある子は書くことは書くのですが、ひらがなだらけ。 それを見た大半の大人は、もっと、漢字を使って書きなさい!何だこの平仮名だらけの文章は!?と、こう言いたくなるのでは?そう言われることを子どもは分かってるんですよね。せっかくいろいろ考えて書いたのにぃ~。やっぱ、作文書くの嫌だなぁ~。こうなってしまいます。で、そうなると、作文を書こうとしなくなるので、その分、生活の中で、考える力を鍛える場が減ってしまうんです。それでは、それまで培った思考力も伸びなくなります。 一方、学校の学期末などで行われる漢字テストなどでは、その前に勉強し、90点以上は確実に得点するという、Aの漢字を書く能力はあるのだけれど、Bの状態にある子。書く前に考えず、見切り発車で文を書いていくので、先ほど述べました、1文書いては消して、2文書いては消してを繰り返す状態に陥り、残るのは消しカスとストレスになってしまう。もちろん、作文を書くのが嫌になるから、自分の表現したい文の中で漢字を使うという、最も漢字が身に付く場を失ってしまいます。これは、覚えた漢字を次から次へと忘れていくという状態に陥ります。大人でも、しばらく文章を書いていない状態で、絵や写真をプリントした年賀状に、一言、直筆のメッセージなどを書き込みたいとき、あれ? この漢字、これで良かったっけ???って、分からなくなるときありますよね。 このように、Aの状態にある子でも、Bの状態にある子でも、放っておけば、A・B、両方の状態に陥り、悪循環になってしまうわけです。そうなると、「作文が嫌い」という範囲を越えて、「国語が嫌い」という状態になっちゃいますね。 A:漢字が書けないということ。 B:作文は、書く前に考えることが必要だということを知らないこと。この2つの要因は、密接な関係にあり、それこそが、「作文嫌い」を克服する鍵だと僕は考え、作文指導をしています。つづく・・・。 この記事が「役に立ったな」とお感じになった方だけで結構でございます。 クリックお願いします。 この結果を参考に、より良い記事が書けたらと思っております。
2008.01.09
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今まで、何度も記事中に書かせていただいておりますが、僕は小学生の頃から高校を卒業するまで、剣道に打ち込んでおりました。その剣道の教えの中に、「礼に始まり、礼に終わる。」というものがあります。読んで字のごとく、稽古、試合、剣道は1対1で行われます。稽古でも、試合でも、相手と竹刀を交える前には、必ずお互いが礼をします。終えるときも、同様に礼をします。それは、年齢や、取得している級や段の差は関係ありません。何故、剣道は、「礼に始まり、礼に終わる」のか?剣道のもとは、武士からくるもので、武士は、主君、家族のために、命をかけて戦に挑んだ。命にかかわるわけだから、戦本番に備えて、日々、訓練を積まなければならなかった。一人で修行することも、もちろん必要であったが、実践に活かすためには、どうしても敵役となる相手が必要だった。もちろん、真剣で切りつけてしまえば、最悪の場合、味方が死んでしまうので、そこまではしないまでも、相手との訓練は、より実践に近い状態で行わなければ、戦で通用するかどうか分からない。だから、味方が相手の訓練といえど、生傷が絶えない訓練、修行になった。お互いの自己を鍛えるための稽古は、お互いを傷つける可能性がある。それをお互いが了承し、そんな場を与えてくれる相手に対してお互い敬意を伝える必要がある。だから、その前と終わりには、必ず礼によってお互いに敬意を表した。道場、先生、そして相手、自分を鍛える場を提供してくれる全てのものに対して、敬意を表すのが礼である。僕は剣道を通して、そう教わった。 挨拶や礼儀が何故、大切であるのか?それは、人間一人では生きていけないから。自分以外の全ての人、動物、自然があるからこそ自分という人間は生きることができる、そういう敬意の念と感謝の気持ち、それが挨拶であり、礼儀なんだと思います。塾講師としてではなく、一人の大人として、子どもたちに伝えていかなければならないことだとつくづく思います。おわり。 この記事が「役に立ったな」とお感じになった方だけで結構でございます。 クリックお願いします。 この結果を参考に、より良い記事が書けたらと思っております。
2008.01.08
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おはようございます。こんにちは。こんばんは。頂きます。ご馳走様でした。ありがとうございます。ごめんなさい。 このような挨拶や礼儀の言葉、保育園に通っている頃、みんなで声を合わせて言わされていた言葉ではないですか?幼いので、その言葉の深い意味合いは大人ほど分からないから、まず初めは形からということで、みんなで声を合わせていたのだと思います。そして、その言葉は、人間として、「当たり前のことだから」、そういうことだったのだと。そして、「当たり前のこと」だと、僕も思います。だが、この「当たり前のこと」、つまり、礼儀がちゃんとできている人の数ははたしてどうなんでしょう? 以前、勤めていた会社で、電話が鳴ったとき、 はい、○○塾、○○校、がっきーでございます。 こう普通電話に出ますよね。すると、こんな親御さんがおられました。 今日、塾、ありますか? いきなり用件です。あからさまに、「名をなのれ!」なんて言えませんので、僕はこう対応するわけです。 お子様は何年生ですか? 中2です。 中2でしたら授業はございます。祝日は、小学生はお休みですが、中学生は、祝日でも授業を行いますので。 分かりました。ガチャン! 最後まで自分が誰なのか、おっしゃりませんでした。例えばですよ、16歳の娘がいるとします。親としては、特に異性との関係を心配する頃ですよね?その娘に、 ○○さん、いますか? と、自分が誰なのかを告げずに、娘にかわって欲しいという用件だけを述べる男性から電話がかかってきたら、娘に電話をつなぎますか?僕は絶対につなぎませんね。 どこかに自分から電話をするとき、まず初めに、自分の名をなのるということは当たり前の礼儀だと思うのです。 うちの塾の親御様の中で、礼儀のない行動をとられる方は一人もおられません。本当に、ありがたく思っております。だからこそ、うちの塾でも、礼儀の大切さを生徒に伝えております。 例えば、塾に、何も言わずに入ってくる生徒には、 おい、何もなしか?何か言うことを忘れてるんじゃないのか? あっ! 失礼しま~す! よっしゃ! はい、今日も頑張ろうね~。 こんちは~。 チィ~ッス! よろしくお願いしま~す!ど~も~!何でもいいんです。何かこういう一言があれば、人間関係は円滑に回っていくのです。 自分の家に帰ったときでも、ただいまぁ~。が言えるかどうか、非常に大切なことだと思います。たとえ、誰も家にいなくて、おかえりぃ~。が返ってこなくても、大切なことだと思います。僕は、地元広島を離れ、名古屋の大学に通いました。初めて家族から離れて、一人で暮らすという体験をしました。そのとき痛感したことは、ただいまぁ~。と言えない寂しさでした。それと同時に、それまで実家で、ただいまぁ~。と言えていたことが、どんなに幸せなことだったかを思い知りました。 今でも、年に2回ほど家族で、広島に帰ります。実家に到着した時間に、両親が仕事でいないときもあります。庭に車があるかどうかを見れば、留守かどうか玄関を開ける前に分かります。たとえ留守だと分かっていても、僕は自然と言っちゃうんです。ただいまぁ~!って。たぶん、それは、一人暮らしの経験で、その言葉のありがたさを知ったからだと思うのです。つづく・・・。 この記事が「役に立ったな」とお感じになった方だけで結構でございます。 クリックお願いします。 この結果を参考に、より良い記事が書けたらと思っております。
2008.01.08
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冬期講習も残すところ今日、明日の2日。1日6時間、13日間の中3冬期講習。今年は、このクラスに合わせて、講習メニュー以外に、文系からは、2冊の問題集を用意した。歴史1冊、地理1冊。 それぞれ150ページ程あるので、合わせて300ページ程になる。講習中は、1日6時間のうち、このテキストに触れるのは1時間。 あとは家庭学習として、こなさなければならない。このテキストを渡すとき、ノルマの提示や進度のチェックは敢えて明言しなかった。このテキストを用意した我々の思いとそのテキストを意味あるものにして欲しいと願う親御様の思いだけを中3に語った。 残された入試までの時間、誰かにやらされる勉強をしていればたとえ合格したとしても、高校生になってからも同じことが起こるだろう。誰かにやらされなければ、できないということが。歳を重ねれば重ねるほど、そこまでそんな風に助けてくれる人はいなくなる。歳相応の見方をされるのだから。このクラス、今までにどれだけ説教をしてきただろう?それでも、それを捻くれて聞くものは一人もいなかった。説教をされて、それから塾を休むものも、一人もいなかった。そういうこのクラスの姿は尊敬に値する。しかし、高校受験では、学力という角度から人間が見られる。学力が乏しいために、そういったこのクラスの人間性を見てもらえないのは、僕には耐えられない。受験勉強とは、選ばれるためにするんじゃない。たくさんの高校の中から、自分の高校を自分で選ぶためにするもんだ。社会に出て行けば、それが生きていくってことなんだ。 こんな話をしてテキストを渡した。 今日、講習が始まる30分前に来た生徒T。 先生、俺、もうテキスト2冊終わったよ。 そう言って彼は自分の席に着き、勉強の準備を始めた。その言葉は、決して自慢ではなく、自分の将来を見据えて、努力を積み、ある階段を登りきった充実感からくる言葉だった。そう、それが選ばれるための勉強ではなく、選ぶための勉強なんだ。今日、この言葉が言えたこと、必ずTの財産になる。 立派な受験生になったね、T。あともう少し、最後まで頑張ろう! この記事が「役に立ったな」とお感じになった方だけで結構でございます。 クリックお願いします。 この結果を参考に、より良い記事が書けたらと思っております。
2008.01.07
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久しぶりに我が子たちの写真をアップ。本年初登場!娘、さくちゃんは、クリスマスの事件以来、少しお姉ちゃんになりました。ご褒美と言ってはなんなんですが・・・・、近くのワンワン動物園へ、GO! 僕も奥さんも、犬を飼っている家庭で育てられたので、犬は大好きなのであります。僕がものごころついたときには、ドーベルマンを飼っていたので、僕は大型犬が大好きです。ラブラドールは、将来、最も飼いたい犬でございます。写真の中のうちの娘も、ラブラドールくんに、メロメロのご様子。 そして、来月1歳を向える息子、コタくん、彼も、なかなか成長してまいりました。 ○○(名字)~、コタく~~~~~ん! と呼ぶと・・・ ハーイ!と手を挙げるようになりました!口開いてるでしょ?これ、ハ~イ!って言ってるんですよ。 そして、こんなのも似合うようになりました。 おしりにくまさん。くまさんの雰囲気が、コタには合ってるようなので、思わず撮っちゃいました。 来年の今頃、2人がどんな風に成長しているか、非常に楽しみです。来年、その記事を書くとき、この記事をリンクしてみよう。
2008.01.06
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「進化」について考えていたら、いつも授業で生徒に僕が言っていたことにたどり着いた。 成績を上げたければ、今現在の自分を直視しろ! 今現在の自分を知りたければ、それまでの自分の過去を振り返れ! 今現在の自分を知ったならば、自分の枠を飛び越えて、多くの人の話に耳を傾け、未来の自分はどうありたいのか、その中から見つけ出せ!自分の未来を描き出せ! こうあるためには、まず自分の過去を振り返るのが初めとなる。「進化」する未来のために、過去を振り返るという行動を自分という一人の人間ではなく、人類として考えたとき、その行動とは、学問、勉強になるのではないだろうか? そんな風に、中学校での各教科を考えてみよう。人類の過去を振り返り、そこから学んだことを未来に生かすために歴史という教科はある。数学という教科だって、人類が今まで築き上げてきた思考。国語や英語だって、人間が今まで築き上げてきた言語文化。 何故この世の中に「勉強」というものが存在するのか? それは、「過去」を振り返り、その中で学んだことを、それから先の未来で生かし、人生を豊かにしたい、 そういう人間の本能があるからなのかもしれない。 この記事が「役に立ったな」とお感じになった方だけで結構でございます。 クリックお願いします。 この結果を参考に、より良い記事が書けたらと思っております。
2008.01.06
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昨年、11月のこの記事より前から、ずっと考えてきたこと。まだ、完全に発表するわけにはいかないのですが、現在のこの校舎が、今年4月、つばさ塾として独立すると同時に「進化」を遂げたいと考えておりました。 「進化」とは、何かによって、全く別の何かに変わることではない。僕という一人の人間が「進化」しても、あくまでも僕という人間であることに変わりはなく、別の誰かになることではない。 また、「進化」の方向は、「進」という字が表すように、絶対に、「前」なのだ。 決して、「後」ではない。 つばさ塾として「進化」するということは、現校舎の教育理念を「軸」として強く保ち、そこに新たな肉付けを施し、より良い塾にしていくということ。 昨年5月から始めたブログを通して、多くの方々と、ブログ上でも、また、実際にも、交流をもたせていただいたこと。このことは、「進化」の軸となるつばさ塾教育理念を強く太くしていくことへ繋がっていきました。 自分の「軸」を確認しようと思えば、ここまでやってきた過去を振り返り、今現在の自分を直視しなければならない。だから僕はこのブログの中に、「がっきーの過去」というカテゴリを設け、記事を書き続けてきた。 その「軸」に肉付けを施し、「進化」を遂げるためには、直視した自分を忘れることなく、その外へと目を向けなければならない。だから、僕は、ブログ上だけではなく、実際にも、自分の足を使って、すばらしい先生方と交流をもちたくなった。 成績を上げたければ、今現在の自分を直視しろ! 今現在の自分を知りたければ、それまでの自分の過去を振り返れ! 今現在の自分を知ったならば、自分の枠を飛び越えて、多くの人の話に耳を傾け、未来の自分はどうありたいのか、その中から見つけ出せ!自分の未来を描き出せ! 昨年からつばさ塾開校準備のため、僕が必死ににやってきたことは、僕が授業内で生徒たちに言ってることそのものだった。僕の考える教育とは、僕の人生観、生き方、そのものなのかもしれない。もちろん、それは決して押し付けではなく、自分がそうやって必死に進み、生きていく背中によって、伝えていくべきことだと思う。 あともう少し、つばさ塾として「進化」を遂げるまで、あともう少しのところまでやって来た。焦らず、驕らず、進んで行こう、大地をしっかりと踏みしめて羽ばたく思いを胸に秘めて。 この記事が「役に立ったな」とお感じになった方だけで結構でございます。 クリックお願いします。 この結果を参考に、より良い記事が書けたらと思っております。
2008.01.06
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やばい、声が嗄れてきた。新年2日目の授業で・・・・。この2日、とばしすぎたのかな?あと1時間、授業すれば、声が出なくなりそう・・・。毎年、冬期講習はこうなってしまう。必死に講習を受ける生徒を見ていると、どうしても声をセーヴすることを忘れてしまう。塾講師の宿命なのであります。今日は、のど飴買って帰ろう。
2008.01.05
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僕の中学時代、中学入学式のときには、新入生代表挨拶、中2のときの卒業式のときには、在校生代表挨拶、自分が卒業するときは、卒業生代表挨拶を務めた。中1のときは、会計として、中2・中3のときは生徒会長として、約3年間、生徒会執行部に属していた。生徒会長を務めていたときは、お世話になった先生の離任式で、生徒代表のお別れの挨拶も何度か務めた。これらの学校で行われる式での挨拶の前には、過去2~3人分の前任者の文章を、参考のために渡された。読み比べてみると、殆どの人が「参考」ではなく、前任者の文章をある部分を少し変えるだけで、残りの殆どは前任者のコピーでした。僕は、自分がそうするのはどうしても納得がいかず、完全なオリジナルの文章で挨拶に向かうことに拘りました。 何故、納得がいかなかったんだろう?どうしてオリジナルに拘ったんだろう? それはうちの両親がずっと言い続けたことが、僕に自然とそう思わせたんだと思う。 自分の行動は、自分で責任をとりんさい。 これは、決して突き放した冷たい発言ではなく、世の中というものを認識させる厳しい言葉であるけれども、温かく、僕の将来を考えた言葉でありました。それは両親の行動で感じていました。習い事やスポーツなど、僕がやりたいと思うことは何でもさせてくれました。しかし、それを許可するだけではなかった。いろんなことに取り組み、僕が楽しんでいれば、その楽しみを知ろうとしてくれた。例えば、剣道の稽古や練習を見て、応援してくれるだけでなく、親父は、剣道そのものを始めました。僕が壁にぶつかり悩んでいれば、いつでもその相談に乗ってくれた。ただ、1度取り組んだことを投げ出すこと、逃げることを決して許さなかった。 1度始めたことを止めるのであれば、それが「投げ出すこと」ではなく、「逃げ出すこと」ではないことをちゃんと親の前で説明しろ! そう言って、僕が投げ出しそうになったときは、どんなことがあっても両親は譲らなかった。僕は自然と、逃げ出すことは、かっこ悪いことと思うようになり、僕自身が、逃げ出す自分を許さなくなっていた。自分の行動に責任をもつということは、自分以外のせいにしないということ。あのときの僕は、学校の式での挨拶に、前任者のコピーを使うということは、自分の責任を前任者に押し付けることであり、うまくいかなかったときの逃げ道を用意すること、そう無意識に感じていたんだと思う。 自然と僕にこう思わせるまで、両親は大変だったんだろうなぁ。 この記事が「役に立ったな」とお感じになった方だけで結構でございます。 クリックお願いします。 この結果を参考に、より良い記事が書けたらと思っております。
2008.01.05
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6日間の年末年始の休暇を終え、仕事に行く準備をする今日の朝。顔を洗い、歯を磨き、髪をセットする。(年末にパーマをかけ、イメチェンしてみました。かなり猿っぽいがっきーであります。)着替えるまでの1連の行動の中で、段々と仕事モードに自分がなっていく。どんどんエネルギーが沸いてくる。 このエネルギーはどこから来るんだろう? ふと通勤の車の中で考えた。 瞳です。子どもの瞳!娘と息子が誕生する前も、甥や友人の子どもを見ていて、いつも感じていたことがある。朝、目覚めて、娘、息子の瞳を見て、毎日感じている。 子どもの瞳って、何でこんなにきれいなんだ?何でこんなに吸い込まれそうになるんだろう?見ていて、何でこんなに飽きないんだろう? 物理的に目を使った時間が短く新しいからじゃないと思う。この世の中のどんなものにも汚されていない、そこには「純粋さ」と「可能性」があるから。確かに、この「純粋さ」だということは、まだ世の中を知らず、経験が少ないが故の、「弱さ」と捉えることもできるだろう。ただそれは、今のように、頭の中で、子どもの瞳について考えているとき。子どもの瞳を見ているときには、「純粋さ」に包まれる。そこに教育というものの根っこがあるんじゃないだろうか。生まれたときには誰もがもっていた、瞳の奥の「純粋さ」。大人になってもそれをもち続けて欲しいと、大人は子どもに対して切に願う。そんな大人がしなければならないことは、「純粋」であり続けるための、「強さ」を育てること。生きてる時間が長くなればなるほど、喜びと同時に困難もおとずれる。その困難に逃げることなく、汚されることのない、生きていく「強さ」を育てること。それが教育なんだと思う。 この「純粋さ」をいつまでも見ていたい。そのために自分は何をするべきか?子どもの瞳は僕に絶えず問いかけてくる。それが僕のエネルギーになっているんだ。 この記事が「役に立ったな」とお感じになった方だけで結構でございます。 クリックお願いします。 この結果を参考に、より良い記事が書けたらと思っております。
2008.01.04
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皆様、明けましておめでとうございます。昨年は本当にお世話になりました。本年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。 年末年始のお休みも今日で最後となりました。いよいよ今年はつばさ塾開校の年。以前、記事にて紹介させていただいたFも、今年2月半ばより、つばさ塾開校メンバーに完全合流。(僕を含めて2人ですけど・・・)彼は、塾講師である前に、すばらし人間性をもっており、彼との付き合いは、もう十数年にもなります。今年からは、僕の右腕、同志、仲間として、精進してくれることと思います。 同志F、さぁ、いよいよ今年です。遂に、あなたの力を思う存分発揮する時がやって来る年ですね。これからあなたと力を合わせ、切磋琢磨し、働けることを楽しみしております。僕もあなたの頑張りに恥じぬよう、精進する覚悟であります。 僕が仲良くさせていただいてる方々、Fのことも、どうぞよろしくお願い申し上げます。 また、昨年12月に3歳となった娘は、つばさ塾開校と同時に、保育園に入園します。泣かずに保育園行けるかなぁ?少し心配ではあります。 2008年はがっきー家にとっては「スタート」の年。スタートダッシュのスピードに目を奪われるのではなく、自分の足でしっかりと大地を捉えながら、走り続けることのできる、そんな「スタート」にしたい。走り続けながらでも、笑顔で振り返ることのできる1年にしたい。 皆様、本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
2008.01.03
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