全16件 (16件中 1-16件目)
1
毎日が暑い。 こう暑いと、銀輪散歩の花逍遥も、新潟のふぁみり~キャンパーさんに倣って夜の「花火逍遥」に切り替えるべきなのかも知れませぬが、懲りぬヤカモチは汗に濡れつつ「花」逍遥なのであります。(オミナエシ) 猛暑続きにて「秋」の到来が待ち遠しいことでありますが、そんな中でも野辺を行くと、早くもオミナエシの花が咲き出しているのであります。 オミナエシも亦、万葉人が愛した花にて、14首のこの花の万葉歌があります。ひぐらしの 鳴きぬる時は 女郎花(をみなへし) 咲きたる野辺を 行きつつ見べし (秦八千島(はたのやちしま) 万葉集巻17-3951) 八千島さんが仰る通り、立秋となってヒグラシやツクツクボウシが鳴き出した頃がオミナエシの花も見頃なんでしょうが、早朝からシャンシャンと暑苦しいクマゼミの声がうるさい時期には、秋の花であるオミナエシは似合わないようであります(笑)。それでも汗づくの銀輪散歩にあって、この花が道の辺に咲いているのに出会ったりすると、「わが待つ秋の近づくらしも」という気にもなって、吹き来る風にも何やら涼しさが感じられもするのであります。クマゼミの 鳴ける朝なれ 女郎花(をみなへし) 咲けば野辺はも 秋づくならし (偐家持)秋の田の 穂向き見がてり 吾背子が ふさ手折りける 女郎花(をみなへし)かも (大伴家持 万葉集巻17-3943)をみなへし 咲きたる野べを 行きめぐり 君を思ひ出(で) たもとほり来ぬ (大伴池主 万葉集巻17-3944) 熱中症対策。木陰に入って水分と塩分補給。ついでに煙分も補給しつつ、傍らの木を見上げると、ツルが巻き付いていて、そのツルのものと思われる実とも花ともつかぬものが顔を見せている。(何の木?) この植物は木蔦(キヅタ)でありました。8月5日の若草読書会の席で小万知さんから教えて戴きましたので、追記して置きます。(2012.8.6.追記) <参考>木蔦 何と言う植物であるのかは分らぬが、一応写真に撮って置くことにしました。 次は小生も名を知っているカラムシです。 風が吹くと白い葉裏を見せて一斉に翻るので、如何にも涼しげな眺めとなる。このカラムシも万葉に登場する植物である。(カラムシ) カラムシは茎を蒸して皮をとり細かく裂いて繊維をとる。平安朝の女性が被った市女笠に垂らす薄い布も、このカラムシの繊維で作られたとのこと。むしぶすま 柔(なご)やが下に 臥せれども 妹とし寝ねば 肌し寒しも (藤原麻呂 万葉集巻4-524) 「むしぶすま」とは、カラムシの繊維で作った夜具のことである。この歌の作者、藤原麻呂は藤原不比等の4人の息子の内の一番下の息子である。家持の叔母であり義母でもある大伴坂上郎女の2番目の夫ともなった人物。この歌は麻呂が坂上郎女に贈った歌である。 このクソ暑い季節には時期外れ、時じくの歌でありますな。(カラムシの群生) さやさやと木陰に風が吹けば、カラムシは白き葉裏を見せて波が立つよう。こういう光景を目に出来るとあれば、真夏の銀輪花逍遥も悪くはないのであります。からむしの 白き葉裏の 波立ちて 夏野の空に 風吹き抜ける (偐家持) そして、お馴染の「忘れ草」こと、ノカンゾウとヤブカンゾウです。 忘れ草など眺めつつ、暫し暑さを忘れて戴きましょう。暑さを忘れるのはいいが、水分と塩分の補給を忘れないことが、熱中症にならないためには不可欠であります。 今回、ノースリーブのシャツで炎天下を走り回りましたので、上腕から肩までしっかり日焼け、ヒリヒリになってしまいました。 (ノカンゾウ。右は八重咲きなので、ヤブカンゾウですかな。)
2012.07.30
コメント(8)
暑中お見舞い申し上げます。 毎日暑い日が続いて居ります。 どうぞ、皆さまご自愛下さり、ご健勝にお過ごし下さいませ。 銀輪散歩から帰宅すると朝顔の「暑中見舞い」が届いていました。 差出人は能勢泰麻呂こと山◎氏であります。 小生が現役であった頃、何かとお世話になったお方である。「これと言った趣味も無く・・時間潰しに朝顔を画いてみました。」と文面にはあったが、これだけ画ければ立派なもの、いいご趣味ではないかと思う。(能勢泰麻呂画・朝顔) 万葉集の「朝顔(朝貌、安佐我保)」は桔梗のことというのが定説のようですが、ムクゲ、アサガオ、ヒルガオ説もあって、何とも分らないというのが実の処だろうと思います。朝に咲く顔花を「朝顔」と呼んだのであってみれば、特定の花に限定しているのではないのかも知れません。万葉人には品種なんぞという植物分類学上の概念はないのであるから、現代の我々が「花の名」としているものとは違った範疇で「花の名」はあったのかも知れず、無理に今我々が呼んでいるやり方で「この花」と特定することは意味のないことであるのかも知れない。朝顔は 朝露負ひて 咲くといへど 夕影にこそ 咲きまさりけれ (万葉集巻10-2104)言に出でて 言はばゆゆしみ 朝顔の 穂には咲き出ぬ 恋もするかも (万葉集巻10-2275)
2012.07.29
コメント(0)
なでしこジャパン、勝ちましたね。先ずは幸先のよいスタートにてご同慶の至りに存じ上げます。 (ナデシコ) (智麻呂画・撫子) 撫子は秋の七草の一つであるが、秋の七草は山上憶良の歌(下記1538番歌参照)に由来するものであるのですな。 さて、その撫子であるが、万葉集にも26首登場するという、昔から日本人に愛されて来た花である。この花を最初に歌にしたのが誰であるかは存じませぬが、撫子を女性に喩えたり、盛んにこの花を歌に詠んだのは大伴家持でありますから、「大和撫子」も「なでしこジャパン」も、その産みの親は大伴家持と言ってもいいのではないでしょうか。 小生は、ハマユウの人麻呂、スミレの赤人、ナデシコの家持などと呼んでもいますが、撫子の万葉歌は大伴家持に際立って多いのでありますから、順当な呼称ではないかと・・(笑)。 ということで、本日はナデシコの万葉歌、全員集合です。なでしこの その花にもが 朝な朝(さ)な 手に取り持ちて 恋ひぬ日無けむ (大伴家持 巻3-408)秋さらば 見つつ思(しの)へと 妹が植ゑし 屋前(やど)の石竹(なでしこ) 咲きにけるかも (大伴家持 巻3-464)わが屋外(やど)に 蒔きしなでしこ いつしかも 花に咲きなむ 比(なぞ)へつつ見む (大伴家持 巻8-1448)わが屋前の なでしこの花 盛なり 手折りて一目 見せむ兒もがも (大伴家持 巻8-1496)なでしこは 咲きて散りぬと 人は言へど わが標(し)めし野の 花にあらめやも (大伴家持 巻8-1510)萩の花 尾花葛花(くずばな) 瞿麦(なでしこ)の花 女郎花(をみなへし) また藤袴 朝顔の花 (山上憶良 巻8-1538)<注> この歌によって、ハギ、ススキ(尾花)、クズ(葛)、ナデシコ、オミナ エシ、フジバカマ、キキョウ(朝顔)が秋の七草となりました。下の 歌(「射目立てて」の歌と「高円の」の歌)もそうですが、これらの歌 のように、577577の構造の歌を旋頭歌と言います。万葉集には、 この他に、575777という構造の仏足石歌体の歌もあります。射目(いめ)立てて 跡見(とみ)の岳辺(をかへ)の 瞿麦(なでしこ)が花 総(ふさ)手折(たを)り われは行きなむ 寧楽(なら)人(びと)の為 (紀鹿人 巻8-1549)高円の 秋の野の上の 瞿麦の花 うらわかみ 人のかざしし 瞿麦の花 (丹生女王(にふのおほきみ) 巻8-1610)朝ごとに わが見る屋戸の なでしこの 花にも君は ありこせぬかも (笠女郎 巻8-1616)見渡せば 向ひの野辺の 撫子の 散らまく惜しも 雨な降りそね (巻10-1970)野辺見れば 撫子の花 咲きにけり わが待つ秋は 近づくらしも (巻10-1972)隠(こも)りのみ 恋ふれば苦し なでしこの 花に咲き出(で)よ 朝なさな見む (巻10-1992)うら恋し 吾背の君は なでしこが 花にもがもな 朝なさな見む (大伴池主 巻17-4010)一本(ひともと)の なでしこ植ゑし その心 誰に見せむと 思ひそめけむ (大伴家持 巻18-4070)石竹花(なでしこ)が 花見るごとに 少女(をとめ)らが 笑(ゑ)まひのにほひ 思ほゆるかも (大伴家持 巻18-4114)石竹花(なでしこ)は 秋咲くものを 君が家の 雪の巌(いはほ)に 咲けりけるかも (久米広縄 巻19-4231)雪の山斎(しま) 巌(いは)に植ゑたる 石竹花(なでしこ)は 千世(ちよ)に咲かぬか 君が插頭(かざし)に (蒲生娘子(かまふのをとめ) 巻19-4232)吾背子が 宿のなでしこ 日竝(なら)べて 雨はふれども 色も変らず (大原今城 巻20-4442)ひさかたの 雨はふりしく なでしこが いや初花に 恋しき吾背 (大伴家持 巻20-4443)わが宿に 咲けるなでしこ 幣(まひ)はせむ ゆめ花ちるな いやをちに咲け (丹比国人真人 巻20-4446)幣(まひ)しつつ 君がおほせる なでしこが 花のみ訪(と)はむ 君ならなくに (橘諸兄 巻20-4447)なでしこが 花取り持ちて うつらうつら 見まくのほしき 君にもあるかも (船王 巻20-4449)わが背子が 屋戸(やど)のなでしこ 散らめやも いや初花に 咲きは益すとも (大伴家持 巻20-4450)うるはしみ 吾(あ)が思(も)ふ君は なでしこが 花に比(なぞ)へて 見れど飽かぬかも (大伴家持 巻20-4451) (注)長歌2首(巻17-4008、巻18-4113)は省略しました。
2012.07.26
コメント(9)
本日は銀輪花逍遥であります。 で、いきなり「何の花?」では、締まりのないこと甚だしい、と言わなくてはなりませんが、名前を知らないのだから致し方ありません。よく見掛ける花、「花」と言うよりも「草」でありますが、アップで見るとそこそこに可愛い花ではあるのですな。 上の写真ではアップが過ぎて、何やら分らないでしょうな。もう少しカメラを引いてみましょう。 これでもまだわかりませんですかな。全体の姿は下のような植物です。野菜のような大きな葉が特長ですが、おそらく「花」とも思われぬままに咲いて散って、枯れて行くのでありますが、結構嵩張る大きな草なので、枯れた様は、はなはだ醜く、情けない姿となるのであります。 大きいものでは、人の背丈近くまでなるこの植物、名は何と言うのでしょう。ご存じのお方がいらっしゃいましたら、ご教示下さいませ。<追記 2012.7.25.> ネットで調べてみたら、この植物はギシギシだとわかりました。 万葉集に出て来る歌 路の辺の壱師の花のいちしろく人みな知りぬわが恋妻を (巻11-2840) の壱師<いちし>はヒガンバナだというのが有力説ですが、イタドリ、 エゴノキ、ダイオウ、クサイチゴなどと並んでこのギシギシのことだ という説があります。ギシギシという名はこの歌との関連で記憶に はありましたが、ギシギシがこの見慣れた花のことだとは知らず、 迂闊なことでありました。 まあ、この花が「壱師」だとすれば、万葉人は渋好みであると言う ほかありませぬ。 <参考>ギシギシ 次はカヤツリグサです。茎の断面が三角形という独特な形が特長でありますが、水辺などではお馴染の草であります。 英語のpaperはpapyrus<パピルス>に由来することはどなたもご存じでしょうが、パピルス紙の原料となったパピルスがカミガヤツリというカヤツリグサの仲間であることはご存じでない方も多いのではないでしょうか。 カヤツリグサとパピルスは同じ仲間であったのだと思うと、カヤツリグサの、この三角形という独特の茎も、何やら自身が由緒ある出自であることを主張しているようにも見えて参ります。日本でも和紙の原料はミツマタですから、両者共に「3」に関係があるというのも面白い(笑)。 <参考>カヤツリグサ カヤツリグサ科(カヤツリグサ)パピルスも 流れ流れて 敷島の 大和にあれば 蚊帳吊るばかり (蚊帳野吊麻呂) 次の花はノラニンジンでしょうか。背丈が低く、このように群生しているのを目にしたのは初めてであります。普通ノラニンジンは1mから2m近くまでなる背丈の高いものというイメージであったので、10~30cmという背丈の低いのが群生しているのを見て、何の花だろうと近寄ってみたのですが、これはやはりノラニンジンでしょうね。(ノラニンジンならぬセリでありました。) <参考>ノラニンジン夕影は 恋益さるらし 野良人参 水際(みぎは)に群れて しるくぞ咲けば (偐家持)いにしへゆ ありし花なり われは芹 などて君はも 野良とや呼べる (芹郎女) <追記 2012.7.25.> 上の花、ノラニンジンと書きましたが、背が低いので、セリかという疑念が生まれ、今日、もう一度、葉っぱを見て来ましたが、どうもセリのようです。 謹んで訂正致します。花音痴のヤカモチゆゑ、お赦し下さいませ(笑)。 <参考>セリ(芹)<参考>偐万葉田舎家持歌集の「花」シリーズ記事はコチラからどうぞ。
2012.07.24
コメント(6)
偐万葉・ひろろ篇(その12) 本日は偐万葉シリーズ第149弾、偐万葉・ひろろ篇(その12)であります。 ひろろさんの素晴らしい絵と偐家持の歌とのコラボをお楽しみ戴ければ幸甚に存じます。 <参考>過去の偐万葉・ひろろ篇はコチラからどうぞ。 ひろろさんのブログはコチラからどうぞ。 偐家持がひろろの郎女に贈りて詠める歌19首都べに 五百絵(いほゑ)の花の 咲き乱る 春告げやれと 紅薔薇(べにばら)送る (会津の五百絵郎女(いほゑのいらつめ)) (注)五百絵郎女=五百重娘(いほへのいらつめ)(藤原鎌足の娘、不比等の妹、天武天 皇の夫人)を文字っている。 阿と梅の 花差し上ぐも 曇り空 吽とは仁王の 恋成り難し (柄にも無い王)町の名は あひづと言へど 倫敦の 道はた遠み 恋ひつつぞ居り (エマ郎女) (注)あひづ=会津であるが、「逢ひつ(逢った)」にも通じるので、 掛けている。 た遠み=「た」は接頭語。「遠み」は「遠いので」。わが里に 桜は咲きぬ みちのくの 会津の里に 咲かまくはのち (偐変武天皇) (本歌) わが里に 大雪降れり 大原の 古りにし里に 降らまくはのち (天武天皇 万葉集巻2-103) 子ら帰る チャイムの音は ふるさとの 鐘の音なり 恋ひつつあれば (エマの郎女)風神も 泣けと怒るや 我が里を 禁野(しめの)となすは たれにしあれる (福島家持) 蕗の薹 薹立ちてこそ 美しき 菜の花もまた しかやあるらむ今日(けふ)一日(ひとひ) お前は何を してきたか 問へるや夕日の やさし眼差し初夏(はつなつ)の 風か少女(をとめ)は 亜麻色の 髪なびかせて 笑み咲かすらし きらきらし 上海の夜を 妹行くや まだたそがれの 横浜と見しに 美しき 花見たる日は 美しき 日を過ぐせとや 花は咲くらむセピア色の 写真のごと行く 上海の 古き町かど ステッキの媼(おうな) (偐杖持) 呉橋(くれはし)を 水面(みなも)に映し 船行けば 風もゆかしき 朱家角(ジュージャージャオ)は (偐橋持) 窓の辺(へ)の 猫も見しもの わが恋ふる 上海夕照 金色(こんじき)の景 (上海帰りのネコ) 金色(こんじき)の 夕景(ゆふけい)の中 われもまた そぞろに歩いて みたくもなりぬ (幻家持)ゆらゆれぬ 青き水面(みなも)の 初夏(はつなつ)の 光映して 小舟(をぶね)のふたつ かき氷 苺色なる 冷たさを 食(は)めばふたりし をさなの笑顔かき氷 二人しはめば うれしかり いづくや蝉の 鳴きてもあれるかき氷の 夏の午後なる 思ひ出は 永遠(とは)に咲くらむ アマラントの花 (注)アマラント=鶏頭をアマラントと呼ぶが、ここでは、萎れること のない花、不凋花とも言われる伝説上の花、アマラ ントを指しています。 <注>掲載の絵画・写真は全てひろろさんのブログからの転載です。
2012.07.21
コメント(14)
今日は雨が降ったり止んだりでしたが、雨の間を縫って、少しばかり銀輪散歩で汗を流すこととしました。 今日見掛けた花、なんぞと言うと、何やらブロ友のビッグジョンさんみたいになるのですが、小生の場合は「花」と言っても、それ程珍しい花は登場しません。(花園中央公園の葦の池) この池にはカイツブリや鷺がやって来るが、今日は姿が見えません。上の写真の左手の土手に白い花が群れ咲いている。ヒメジョオンです。(ヒメジョオン) ヒメジョオンに立ち混じってワルナスビ(オニナスビとも言う。)と思しき花の群生も見られました。これは秋にはミニトマトみたいな実を付ける筈だから、公園管理の方に刈り取られてしまっていなければ、また写真を撮りにやって来ましょう。もっとも実は有毒らしいから、齧るのは止めて置きます。(ワルナスビ<悪茄子>)(同上) 名前は「ワル」だけれど、花は可憐で美しい。こういう雑草はできるだけ除草しないで欲しいものです。と言うのは小生の無知ゆゑの感想のようであります。調べると、これは要注意外来植物で、有毒である上、とても生命力が強く、駆除の難しい厄介な植物らしいです。 <参考> ワルナスビ・Wikipedia(同上) 花はひと休みして、クマゼミを見掛けましたので撮影しました。1匹目は逃げられてしまいましたが、2匹目は全然逃げようとしないので、左右、正面と色んな角度から撮影することが出来ました。 (クマゼミ) クマゼミは、朝のうちに鳴くだけなので、午後はお休みしているのですな。そんなことで、見付け難いのですが、見付けると朝よりは撮影し易い。午後に鳴いているのはアブラゼミであるが、これは声のみにて姿は目撃できませなんだ。ニイニイゼミは朝でも午後でも鳴き続けていますが、これも声のみで、姿は見えずでありました。最近視力がとみに落ちているので、蝉を見つけるのも容易ではない(笑)。 そして、夏の花と言えば、何と言っても百日紅でありますな。丁度見頃にて、美しい紅色に見惚れてしまいました。(サルスベリ<百日紅>) 写真を撮っていると、ご覧のような灰黒色の空からポツリポツリと雨が落ちて来ました。慌てて屋根のある処に掛け込み、暫し雨宿り。雷鳴を伴ってかなりの雨に。まあ、のんびり待つことに。そうこうしているうちに止んだので、今日はこれまでと帰宅の途につく。 ということで、何やら中途半端な記事となりましたが、銀輪散歩も中途半端なものであったので、致し方ないことであります。 本日は「花と蝶」ならぬ「花と蝉」そして「時々雨」でありました。<参考>偐万葉田舎家持歌集の中の「花」の記事はコチラからどうぞ。
2012.07.20
コメント(4)
本日朝10時頃に恒郎女様から電話があり、「凡鬼さんが午後からやって来られますが、よかったら来ませんか。」とのこと。凡鬼さんとは前回4月1日の読書会以来お会いしていないので、喜んでお伺いさせて戴くことと致しました。勿論、前頁の末尾でご紹介申し上げましたポロシャツを着て、MTBで智麻呂邸に、いそいそと出掛けて参りました(笑)。 小生の智麻呂邸到着は午後2時過ぎ。凡鬼さんは未到着で、智麻呂・恒郎女ご夫妻と智麻呂絵画展のことなど色々と雑談しているうちに午後3時過ぎに凡鬼さんが到着。凡鬼さんが作って居られる野菜をどっさりお土産にお持ちになっての登場でありました。 これには、智麻呂氏も大喜び。勿論、恒郎女様もお喜びでありましたが、それは食べ物としての野菜ということでの喜びようであり、至極普通の反応なのでありますが、智麻呂さんのそれは、絵の題材を得た喜びなのでありました。恒郎女様がトレイに並べて下さった玉葱、ジャガイモ、白茄子、胡瓜などを、ああでもない、こうでもないと並べては絵の構図を探って居られるようでもありました(笑)。 小生も、智麻呂邸を辞する段階でそのお裾分けを頂戴いたしました。下の写真はその野菜たちであります。(凡鬼農園の野菜たち) 凡鬼さんが俳句をされる方であることは、当ブログの読者さんは先刻ご承知かと存じますが、その所属される句の会「鳰の子俳句会」がこの程結社となり、同人誌も発行されるようになったとかで、本日はその創刊号も持参されていました。 本日は、凡鬼さんのご了承も得ては居りませんが、その句誌に掲載の凡鬼さんの句をご紹介させて戴くことと致します。(句誌「鳰の子」創刊号) 「鳰の子」創刊号(平成23年6月20日発行)に掲載の凡鬼の句 羅漢さんのっぺらぼうの日永かな 春風は大仏様の息ならん エプロンの紐締め直す春一番 平等が唯一の掟蝌蚪の国 昴りの反芻もあり花疲れ 修司の忌マッチ摺ること稀となり 今回は、当ブログ宛てに贈って下さった俳句ではありませんので、偐家持の脇句はご遠慮するのが礼儀でしょうな。悪い癖で77を付けたくなるのでありますが、ここはじっと我慢の筆蕪蕉であります。 また、この句誌の巻末には凡鬼さんは「句集に学ぶ」と題して、句集「山椒魚」茨木和生著(角川書店)と句集「白魚」西上禎子著(ふらんす堂)を取り上げて、俳句評論の一文を寄せて居られますが、これもなかなかに興味深い内容であります。小生は現代短歌も現代俳句にも殆ど知識がありませんので、このお二人の俳人の名も存じ上げないのではありましたが、面白く読ませて戴きました。 季語のことなど俳句あれこれのお話も興味深く聞かせて戴き勉強になりましたが、そのような話も含め、あれこれと雑談しているうちに、いつの間にか午後6時前になっていることに気付き、凡鬼さんと小生は、智麻呂邸をおいとますることと致しました。<追記。2012.7.20.> 今回の智麻呂邸改築に当って、門柱脇の木を1本切除されましたが、その所為か今年は門柱に登って羽化する蝉が多いようで、空蝉が門柱に。智麻呂氏はそれも絵にと描き始めて居られるようですが、もひとつ上手く行かないようだとか。 梅雨も明け、クマゼミの声も聞かれるようになりましたが、今年は7月12日にニイニイゼミ(銀輪散歩の途中の民家の庭先で)、16日にアブラゼミ(花園中央公園で)、19日にクマゼミ(自宅の庭で)の声を初めて耳にしました。もっとも、小生の耳の中では年中ニイニイゼミは鳴いているのでありますが。しずけさや 耳の奥なる 蝉しぐれ 間無く降りける 老いの坂道 (偐家持)
2012.07.19
コメント(6)
第103回智麻呂絵画展 暑中お見舞い申し上げます。 梅雨が明け、猛暑が続いて居ります。どうぞ皆さまお身体ご自愛下さり、ご健勝にお過ごし下さいませ。 さて、本日、久々に智麻呂氏邸訪問。新作絵画を沢山仕入れて参りましたので、早速に智麻呂絵画展の開催と致します。智麻呂絵画ファンの皆さま、どうぞごゆるりとご覧下さいませ。 <参考>他の智麻呂絵画展は下記から。 第1回展~第100回展 第101回展~第200回展 第201回展~(睡蓮)<参考>スイレンが登場するのは第7回展と第42回展です。 上の睡蓮と下のハマナスは、先日のけん家持の高岡銀輪散歩での写真をもとに絵にされたものでありますが、睡蓮は涼しげに、ハマナスは力強く描かれていて、写真を遥かに凌駕した見事な絵となりました。なお、ハマナスは智麻呂絵画展初登場であります。 <参考>高岡銀輪散歩(その2)(その6)(ハマナス) 下のクチナシの花の絵も小生の好みの絵であります。あの甘い香が匂って来るようでもあります。(クチナシ)<参考>クチナシが登場するのは第61回展、第82回展です。(アガパンサス)<参考>アガパンサスが登場するのは第39回展、第61回展です。 アガパンサスは智麻呂氏がお好きな花の一つ。 アガペ(神の愛)+アンサス(花)で「神の愛の花」であるから、智麻呂氏がお好きな花というのも、なるほど、いかにもと納得している小生なのであります。(ネジバナ)<参考>ネジバナが登場するのは第82回展です。 上のネジバナは、智麻呂氏のご友人・寺◎氏が今年も絵の題材にとお持ち下さったものであります。(サクランボ)<参考>サクランボが登場するのは第58回展、第79回展です。 このサクランボにも何やらエピソードがあったような気がするのですが、忘れてしまったのか思い出せません。<追記>本日(19日)智麻呂邸にお伺いして、このサクランボはSちゃん K君姉弟のK君(小学生)が「おじいちゃん」と智麻呂さんに持っ て来てくれたものであることが分りました。智麻呂氏とK君のほ のぼのとした交流は微笑ましくもあります。(7.9.追記)(ホオズキ)<参考>ホオズキが登場するのは、第2回展、第17回展、第40回展、 第42回展、第45回展、第60回展、第61回展、第83回展、 第85回展です。 これは、毎年、東京のリチ女さんから届けられる酸漿です。今年も届きました。上の方に白い小さな花が咲いているのも、どうぞ皆さまお見逃しなさいませぬように(笑)。(ハム)<参考>ハムが登場するのは、第23回展、第60回展、第83回展、 第91回展です。 これは五◎さんからの贈り物のハムです。この絵画展ではケーキとハムの五◎さんとして、既に皆さまお馴染みのことと存じます。(メロン)<参考>メロンが登場するのは第70回展です。 これはご近所の東◎さんの奥様が美味しいメロンだったのでとお持ち下さったものですが、その日が偶然にも智麻呂氏の誕生日であったので、はからずもバースデイ・プレゼントになったというものであります。 以上で智麻呂絵画はおしまい。次は、お孫さんのナナちゃんの絵です。 紫陽花が見事に表現されていますな。素晴らしい絵だと思いましたので、番外で展示させて戴きました。(ナナちゃんの絵・紫陽花)<参考>ナナちゃんの絵が登場するのは、第3回展、第91回展、 第99回展です。また、ナナちゃん関係の話題が登場する のは、第73回展、第95回展、第96回展です。 次は、この絵画展でも話題にし紹介させて戴きましたが、マラソン、走り幅跳び(だったかと思いますが)でナナちゃんが獲得した金・銅のメダルの写真です。噂のメダルの現物を拝見する栄に浴しましたので、撮影し、皆さまにもご覧戴いた次第。(ナナちゃんのメダル) 下のポロシャツは、本日、智麻呂邸に於いて、恒郎女様から「娘達3人からのプレゼントです。」と小生が頂戴したものです。智麻呂さんと色違いのペアルックで選んで下さったものとかで、3人のお嬢様連名でのお手紙も添えられていました。智麻呂氏の絵をブログで紹介し続けているなど智麻呂さんと「仲良く」させて戴いていることへの感謝のようですが、思いもかけぬプレゼントに感激です。智麻呂さんとペアルックというのが、とても光栄で嬉しいことであります。万葉風、古代風には「え姫、なか姫、おと姫」とお呼びするのでしょうが、お三方のお心遣い痛み入ります。茲に掲載してお礼に代えさせて戴きます。どうも有難うございました。次の智麻呂邸ご訪問の際にはこれを着て・・でありますな(笑)。(ポロシャツ)
2012.07.17
コメント(14)
本日は大学の同窓会の総会。 総会は一部が同窓会(青雲会)の会務報告・決算承認などの会員総会、二部が講演会、三部が懇親パーティという構成になっているのであるが、今年は、小生と同期の藪中三十二氏(前外務事務次官)が講師となって講演をするということであり、また、懇親パーティ終了後は同期で彼を囲む会を持つということでもあったので、いつになく楽しみな同窓会総会となりました。 同窓会総会は100名余の出席を得て、梅田の大阪弥生会館にて午前10時半開会で始まり、11時から12時までが講演会。「国際社会と日本」と題して、藪中氏より、G7体制の終焉、G20の機能不全、日米関係、尖閣問題などの日中関係、対ASEAN外交の重要性などなど、長年に亘って日本外交の前線で努力して来られた氏の興味深いお話を拝聴することができました。(講演中の藪中氏)(開会直後の懇親パーティ) 二次会の「藪中氏を囲む同期の会」は、場所を変えて、サントリー経営のラウンジ燦・大丸店で午後4時から。 参加者は藪中氏、守◎氏、谷◎氏、広◎氏、西◎氏、堀◎氏、黒◎氏、水◎氏、小◎氏、仲◎氏、佐◎氏と小生の12名。 佐◎氏の司会進行、守◎氏の乾杯の発声で始まり、和やかで楽しい歓談。藪中氏の挨拶の後、各人の近況報告となり、色々とユニークなスピーチが続きました。意外だったのは、藪中氏が百人一首のカルタ取りが得意であったらしいことが一つ(学生時代に堀◎氏の自宅に遊びに行き、百人一首のカルタ取りをした処、百人一首の歌全部を覚えていてそれなりに自信を持っていた堀◎氏だったが藪中氏には全然歯が立たなかったらしい。)と、彼の口から、「万葉集はいいねえ。」という言葉が発せられたことです。最近にも明日香を自転車で走り、犬養孝記念館に立ち寄ったことや大津皇子と石川女郎との相聞歌のことなどの話が出たこと(これは小生が誘導した訳ではなく、小生が彼の対面の席に掛けるや否や彼の口から発せられたものでありました。彼も亦、犬養先生の講義を受けて万葉集に惹かれたものであるようです。)は、小生としては嬉しいことでありました。 まあ、そんなこともあって、小生のスピーチは、万葉調の戯れ歌で締め括ることとしました。 先般に富山の高岡を銀輪散歩した際に立ち寄った荊波神社にあった万葉歌碑の歌ともう1首別の万葉歌を掛け合わせての即席の歌を手許の紙に書き留めて、それを犬養節で朗唱することとしたのでありましたが、彼には喜んで貰えたようでありました。 で、その歌と元歌の2首を下に記して置くこととします。藪中の 君と席借り 思ふどち つどひてあれば うれしくもあるか (偐家持) (注)第5句の「うれしくもあるか」は敢えて8文字の字余りの ままといたしました。 その理由は藪中氏の名が「三十二」であることから、 和歌三十一文字を字余りの三十二文字とした、という 洒落っ気であります。 元歌2首新(あらた)しき 年の始めに 思ふどち い群れてをれば 嬉しくもあるか (道祖王 万葉集巻19-4284)荊波(やぶなみ)の 里に宿借り 春雨に 隠(こも)り障(つつ)むと 妹に告げつや (大伴家持 万葉集巻18-4138)<参考>高岡銀輪散歩(その5) 2012.6.27. 久々に母校へ 2011.6.16. 二次会は6時半過ぎ、小生の中締めでお開きとし、谷◎氏のデジカメで全員揃っての記念写真撮影後解散。黒◎氏、仲◎氏と小生はホテルグランヴィア大阪の喫茶店で珈琲しながら、更に1時間余雑談し、8時半頃に帰宅の途につきました。
2012.07.14
コメント(8)
偐万葉・英坊篇(その11) 昨日は銀輪散歩で小生としては今年初めてのニイニイゼミの鳴き声を聞きました。蝉が鳴くと梅雨明けという小生の診断も外れ、今日は夕刻から雨。雨具の用意をしていなかったので、本日の銀輪散歩はかなり濡れての帰宅となりました。 そんなことで銀輪散歩の記事ネタはなし。本日は偐万葉シリーズ第148弾、英坊篇(その11)と致します。 <参考>過去の偐万葉・英坊篇はコチラからどうぞ。 英坊3氏のブログはコチラからどうぞ。 偐家持が英麻呂に贈りて詠める歌17首併せ俳句1句 並びに英麻呂が詠める歌6首併せ俳句1句神通(じんづう)と なれば軍艦(いくさ)の 名になると 知らね家持 婦負(めひ)の川行く (鵜坂家持) (注)神通=自衛隊護衛艦の名。神通川が名の由来。神通川の万葉 時代の古名が売比川、婦負川、鵜坂川である。 (護衛艦「神通」) (参考)鵜坂川(うさかがは) 渡る瀬多み この吾(あ)が馬(ま)の 足掻(あが)きの水に 衣(きぬ)ぬれにけり (大伴家持 万葉集巻17-4022) 婦負(めひ)川の 早き瀬ごとに かがりさし 八十伴(やそとも)の男(を)は 鵜川(うかは)立ちけり (大伴家持 万葉集巻17-4023)松田江の 波(は)麻(ま)行く背子に 疾(いた)みかも 東風(あゆ)は吹くらし 白波寄せ来(く) 英麻呂が返せる歌1首松田江に 咲くはまなすの 実の熟す たわわの様の 秋がまたれる (松田江の浜) 英麻呂が贈り来れる俳句並びに偐家持が付けたる脇句 歌をよむ こころは宙(そら)に ドンととび (英麻呂) パッと言の葉 花火と咲くや (偐家持) (注)偐万葉掲載に当り「花火と咲かなむ」を「花火と咲くや」に修正し ました。紫の 雲たなびきて 立山ゆ 迎へいつとは われ知らなくも (発心門院偐石麻呂)世にさほど 未練なくあれど さに紫雲 な急(せ)きそ吾(あ)は 紫煙一服 (偐紫の上) 半透明と 見えしは面(おもて) 磨き過ぎ 映せる景色の それと見ゆなれ (石磨呂) 英麻呂が贈り来れる歌2首纏まりし 英坊篇に 顔ほてり 前途肩荷に 身こころふるえ美しき ものの風情を 歌に詠み ひと時の間を 悦にいる我れ 偐家持が追和せる歌1首まず真似よ 本歌取りなど 嘯(うそぶ)きて あれるうちにも 歌とやならむ (偐真似麻呂) 英麻呂が贈り来れる歌1首ゆずり葉は 子の若葉へと 身をおとし 親葉(おやば)子を立て 永遠(とは)に栄へん 偐家持が追和せる歌1首ゆづる葉の ごとや散らまく いにしへゆ とき知りてこそ よしといふなれ (言葉麻呂)うつし世の ことは夢よと ほたる火の ふたつ飛びゆく 深き闇かな (幻氏蛍) 和田川の 道を串田へ 雨隠(あまごも)り しつつ見ゆるは 駆けるわれかも (銀輪家持) 英麻呂氏が贈り来れる歌1首野に立ちて 古しえ民の いきざまと 眼を閉じて視る 祀りのさまと(いにしへの 民のなりはひ 祀るさま かけて偲はめ 串田の原に) 偐家持が追和せる歌1首雄神川 流れはるけく 風尋(と)へる 串田が丘の 奥津城ぞこれ我背子の 跡たどりつつ 銀輪の 道はた遠み 今日も暮れ行く 英麻呂が贈り来れる歌1首越の旅 銀の輪駆けて 風を受け 万葉の里に 今の家持 偐家持が追和せる歌1首しなざかる 越に銀輪 パンク旅 切り上げ別(わか)る 惜しき午後かも (本歌)しなざかる 越に五年(いつとせ) 住み住みて 立ち別れまく 惜しき夕(よひ)かも (大伴家持 万葉集巻19-4250)いざ行かな 椰子の島廻(み)に 寄す波の 沖辺(へ)の伊佐魚(いさな) 潮吹くも見む (偐鯨麻呂) 葦附は 生(お)ふるや小矢部 臼谷の 田中の池に 行きて見が欲し七夕の 恋は雨にし なるならむ 今夕(こよひ)出ださね 妻迎へ船 (戸出の七夕祭)梅雨明けを 待つや高岡 駅前の 家持いづく 宿りてあらむ星降りし 能登の神山(かむやま) いするぎの 神ましませば ゆかしその山 (伊須流岐比古神社)<注>掲載の写真は全て英坊3氏のブログからの転載です。
2012.07.13
コメント(8)
本日は囲碁例会の日。 例会の後、午後5時待ち合わせで、年来の友人、西◎氏と元の仕事仲間の寺◎女史との会食の約束があったので、MTBは取り止め、電車で梅田に向かいました。例の如くアポロカフェで昼食後、梅田スカイビルにやって来ると、中庭にお化け屋敷が出現していました。昔懐かしい「お化け屋敷」であるが、この7月13日から9月9日までの間、営業をするらしい。 何で梅田スカイビルでお化け屋敷なのかよくは存じませぬが、ともかくもと写真に撮って置くことといたしました。(梅田お化け屋敷2012・ゆびきりの家) お化けのことはさて置き、囲碁例会の出席者は平◎氏、青◎氏、荒◎氏、福◎氏、村◎氏と小生の6名。初めに平◎氏と対戦して勝ち、次に最近不調と言う福◎氏と対戦、これも勝ち、いいスタートを切りましたが、つづく村◎氏、青◎氏には負けて、2勝2敗、可も無く不可も無しの成績に終わりました。最後に対局した青◎氏とは皆が帰った後も対局を続けていましたが、途中で青◎氏の携帯電話が鳴り、歯科医院からの電話でありました。同氏は碁に熱中しているうちに、歯科医院の予約時間が過ぎてしまっていることに気が付かなかったよう。キャンセルしてそのまま打ち続けられました。碁打ちは親の死に目に会えない、などと言われますが、歯医者の予約時間も守れないのが碁打ちのようですな。 大阪東急インのロビーで待ち合わせ、同ホテルの近くのお店で久し振りに西◎氏、寺◎氏と会食。あれやこれやの昔の思い出や近況などを語らって楽しい時間を過ごしました。両氏共に小生がまだ23~4歳であった頃からの付き合いになる古い友人であるから気心の知れた仲。仕事上の付き合いで始まったのではあるけれど仕事を離れた立場で再会すると更にもいい友人であることに今更のように気が付くというものである。5時に始まって気が付けば9時半。4時間半という時間が瞬く間に過ぎているのでありました。
2012.07.11
コメント(6)
この処、色々と用向きがあって銀輪散歩もままならず、近隣を形ばかり走るのみというのが続いています。 それにしても暑くなりました。少し走っただけでもう汗、汗、汗であります。「遊びをせんとや生まれけん」ならぬ「汗をかかんとや走りけん」であります。 ここ数日のお天気はよく晴れて、まるで梅雨が明けたような感じでありましたが、梅雨前線が南に下がっていただけの一時的な現象にて、明日からは前線がまた北上して来て近畿は大雨になるとか。 まあ、そんなことで何と言って記事ネタもありませんので、花園中央公園と生駒山の写真などで、お茶を濁して置くことと致します。(花園中央公園から望む生駒山) 花園中央公園は小生の銀輪散歩の起点ともなる公園であり、全国高校ラグビーで有名な花園ラグビー場があるのだが、立派な野球場も出来ている。これらの写真は8日(日曜日)撮影の写真で、リトル・リーグか何か存じませぬが子供たちが野球の試合をしていました。公式の試合と見えて、打席に入る選手の名を呼び上げるアナウンス嬢の声もしていました。もうどう見ても梅雨明け、夏の景色であります。(花園中央公園の野球場) 次は9日(月曜日)の写真。外環状道路(国道170号線)の水走交差点の少し南側の空き地の木陰です。木陰が恋しくなる銀輪散歩であります。(外環状道路・水走交差点付近の空き地にて) 空き地には、夏の花、ムクゲが咲いていました。 木陰に立ち寄れど、蝉の声は未だせず。 蝉が鳴き出すと梅雨明け、というのが小生の診断方法でありますので、小生の診断にても、未だ梅雨は明けて居りませぬ。(ムクゲ) そして、次は、今日、10日午後5時43分撮影の写真です。恩智川沿いの道を北へ、大東市に入る手前にある、加納緑地から眺めた生駒山です。(緩衝緑地公園・加納緑地から望む生駒山) 写真の右端、林立するテレビ塔の右側、少し下がっている稜線の辺りが暗峠、直越えの道(国道308号線)である。 直越えの この道にして 押し照るや 難波の海と 名付けけらしも (万葉集巻6-977)と、神社忌寸老麻呂(かむこそのいみきおゆまろ)が詠った道である。 神武天皇東征の折に、此の辺り(草香津、盾津)から上陸し、この生駒山を越えて大和へ入ろうとするのであるが、長髄彦の抵抗に遭って果たせず、遠回りして熊野から大和へ入ることとなる。無念の思いで神武天皇が眺めたであろう山の姿がこれであるのですな。この山中の何処かで両陣営の闘いが繰り広げられたということである。 神武さんはこの山を越えては大和には入れなんだが、万葉時代には、遣新羅使の秦間満(はたのはしまろ)君は大和の妻か恋人の許に、この山越えの道を通って逢いに行って居りますな。 そして、芭蕉さんは菊の節句の日に暗峠を越えて大和から難波に入りますが、そのまま、難波で病床につき「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」ということになってしまうのでありますな。NHK大河ドラマ「平清盛」では木曽義仲が登場する処までやるのかどうか存じませんが、芭蕉さんは木曽義仲のファンであったらしく、墓は義仲の菩提寺である大津市の義仲寺に葬ってくれと遺言して亡くなり、その遺言通り、弟子たちによって、義仲の墓の隣に芭蕉の墓も造られたようです。 <参考>義仲寺を訪ねる 2008.2.27. まあ、そんなことに思いを致しながら、眺めてみると、見なれた山の姿も亦なかなかに趣深いものに見えて参ります。 <追記:2022年1月13日>上掲写真「ムクゲ」が横倒し・タテヨコ比率逆転になっていたのでこれを復元修正。
2012.07.10
コメント(2)
今日は七夕。昨夜来の雨も止み、少し青空が雲の隙間にほの見えてもいるが、この分では織女星、牽牛星は勿論、天の川も見えそうにありませんな。 そもそも七夕は旧暦の7月7日の行事、今の暦で言えば8月上旬から下旬の頃の行事である。現在のように梅雨の最中ではなく、秋の入口の行事であるのだから、夜空の星もよく見えたのでしょう。(通りかかった病院の玄関先に七夕飾りがありました。) 天平8年(736年)6月船出した遣新羅使も7月には筑紫に至り、七夕の夜空を見上げて歌を詠んでいます。 遣新羅使人の歌 七夕( なぬかのよひ)に、天漢(あまのがは)を仰ぎ観て、各所思(おもひ)を陳べて作れる歌3首秋萩に にほへるわが裳 ぬれぬとも 君が御船の 綱し取りてば (大使 阿倍継麻呂 巻15-3656)年にありて 一夜妹にあふ 彦星も 吾(われ)に益(まさ)りて 思ふらめやも (巻15-3657)夕月(づく)夜 影立ち寄り合ひ 天の川 こぐ舟人を 見るがともしさ (巻15-3658) 七夕は遣唐使などによって、中国から我が国にもたらされたものであるが、古来から我が国にあった行事と習合して、今日のような七夕となったらしい。万葉の頃は七夕というのは少し異国の香りも伴うエキゾチックな題材であったのだろう。山上憶良には12首もの七夕の歌があるが、以前にもその一部は掲載していて重複する部分もあるのたが、以下にこれを掲載することと致します。 山上憶良の七夕の歌12首(万葉集巻8-1518~1529)天漢(あまのがは) 相向き立ちて わが恋ひし 君来ますなり 紐解き設(ま)けな (巻8-1518)ひさかたの 天漢瀬(あまのかはせ)に 船浮(う)けて 今夜(こよひ)か君が 我許(わがり)来(き)まさむ (巻8-1519)牽牛(ひこぼし)は 織女(たなばたつめ)と 天地(あめつち)の 別れし時ゆ いなうしろ 河に向き立ち 思ふそら 安けなくに 嘆くそら 安けなくに 青波に 望みは絶えぬ 白雲に 涙は盡きぬ かくのみや 気(いき)衝(づ)きをらむ かくのみや 恋ひつつあらむ さ丹塗(にぬり)の 小船(をぶね)もがも 玉まきの 眞かいもがも 朝なぎに い掻き渡り 夕潮に いこぎ渡り ひさかたの 天の河原に 天(あま)飛ぶや 領巾(ひれ)片敷き 眞玉手の 玉手さし交へ あまた 宿(い)も寐(ね)てしかも 秋にあらずとも (巻8-1520) 反歌風雲(かぜくも)は 二つの岸に 通へども わが遠妻(とほづま)の 言(こと)ぞ通はぬ (巻8-1521)礫(たぶて)にも 投げ越しつべき 天漢(あまのがは) 隔てればかも あまた術(すべ)無き (巻8-1522)秋風の 吹きにし日より いつしかと わが待ち恋ひし 君ぞ来ませる (巻8-1523)天漢(あまのがは) いと河波は 立たねども 伺候(さもら)ひがたし 近きこの瀬を (巻8-1524)袖振らば 見もかはしつべく 近けども 渡るすべ無し 秋にしあらねば (巻8-1525)玉かきる ほのかに見えて 別れなば もとなや恋ひむ あふ時までは (巻8-1526)牽牛(ひこぼし)の 嬬(つま)迎へ船 漕ぎ出(づ)らし 天の河原(かはら)に 霧の立てるは (巻8-1527)霞立つ 天の河原に 君待つと いゆきかへるに 裳の裾ぬれぬ (巻8-1528)天の河 浮津(うきつ)の波音(なみと) 騒くなり わが待つ君し 舟出すらしも (巻8-1529)<参考>遣新羅使 生駒市高山地区銀輪散歩 2011.7.30. 暗(くらがり)峠 2009.1.29. 七夕 2008.7.7. 七夕(続) 2008.7.7.<追記:7月9日>小万知さんから届いた若草メールに添付されていた「七夕飾り」の写真も掲載させて戴きます。(七夕飾り:写真提供by小万知氏)
2012.07.07
コメント(13)
本日は囲碁例会の日。いつもの通りMTBで自宅と梅田スカイビルを往復しましたが、特段の立ち寄り先はありませんでしたので、スカイビルの北側の「花野」散策の写真をご紹介しておきます。 囲碁例会の方は、出席者が竹◎、福◎、平◎、村◎の各氏と小生の5名。もう少し会員を増やさないといけません。 戦績は竹◎氏、福◎氏に勝って、村◎氏に負けの2勝1敗。まあまあでした。これで、今年の通算成績は23勝17敗となりました。 さて、いつもの喫茶アポロで昼食後、会場に入る前に、梅田スカイビルにある都会の里山、「花野」を暫し散策しました。(水田) JR大阪駅から徒歩10分程度の場所とは思えません。 里山ですから水田と畑がなくてはなりませんが、このように水田があります。苗の植え方が些か不揃いなのは、きっと地元の小学生達が植えたからではないかと思います。 下の写真のように畑もあります。植えられているのは、トウモロコシ、ジャガイモ、カボチャなどでしょうか。(畑)(コムラサキの花) これはコムラサキの花。ムラサキシキブに比べると木の背丈も低く、葉も小さく細長い。(同上) 下がムラサキシキブです。花は散ってしまった後でこれから実になるのでしょう。(ムラサキシキブ) 次はノカンゾウ。ワスレグサとも言いますが、万葉集では「忘れ草」として登場します。わすれ草 わが紐に付く 香具山の ふりにし里を 忘れむがため (大伴旅人 万葉集巻3-334)忘れ草 わが下紐に 着けたれど 醜(しこ)の醜草(しこぐさ) 言(こと)にしありけり (大伴家持 万葉集巻4-727) オヤジの旅人も息子の家持も共に忘れ草を詠んでいますが、親子揃って「忘れたいこと」が色々とあったようでありますな(笑)。(ノカンゾウ)
2012.07.04
コメント(13)
偐万葉・マダムゴージャス篇(その2) 本日は1年半ぶりの偐万葉・マダムゴージャス篇であります。 <参考>過去の偐万葉・マダムゴージャス篇はコチラから。 マダムゴージャス氏のブログはコチラから。 偐家持が宝郎女に贈りて詠める歌10首 併せ俳句1句、戯れ文1編 並びに宝郎女が詠める歌8首併せ俳句2句 宝郎女が贈り来れる歌1首ああ楽し 答えて下さる 人の住む 魔法の箱か パソコン開く 偐家持が返せる歌1首偐(にせ)と付く 気楽さゆゑの 戯れ歌も よしとや我妹(わぎも) 有難かりき (焦焼餅)我妹子(わぎもこ)の 白木綿花(しらゆふはな)に 笑(ゑ)まししは 万(よろず)言の葉 つくしてよとや (坂上郎子(さかのうへのいらつこ)) 宝郎女が贈り来れる歌2首照る月に 水仙はやや 傾きて 次の言葉を 待ちゐるごとし雪明かり 首かしげたる 水仙の 月の色にも 通ふ静けさ 偐家持が返せる歌2首明けぬれば 言ひとつとも 思へども いづくや水仙 雪の降りしく雪降れば いよよ水仙 静かにて 出で来ぬ月を 待つも悲しけ 宝郎女が追和せる歌1首併せ俳句春の雪 明日は儚く 消ゆるとも つばらつばらに 甘し和菓子は (甘党郎女)君の肩に 消ゆる花あり 春の雪 偐家持が返せる歌2首春の雪 淡き夢見の 消えぬれば 渋き抹茶の 味ぞ残れる (万利休)我が肩に 散れるは梅の 花ならで 春の夜の夢 雪にしあれば (沙翁)地獄図も よじれ引きつる 心には 絵空事にも 見えてぞあれる (偐与兵衛) 宝郎女が返せる歌1首地獄図と 思へど惹かるる まはり舞台 人の心の 闇ぞ恋しき 宝郎女が贈り来れる歌1首蝋梅は 奥床しくも 愛らしく 冬に花咲く 努力も見せず 偐家持が返せる歌1首冬の花と 名付けけらしも 蝋梅の 氷雨の道に 今しぞ咲ける 宝郎女が追和せる歌1首歩を止めて ちひさき花を 覗き込む 君優しければ うすべにの宇宙(そら) (注)上は偐家持「うすべにのちひさき花の奥にもや 暗き宇宙(うちゅう)の 神秘のあれる」に追和せるもの。 偐家持が重ね追和せる歌1首暇人(ひまじん)の イマジンなるや うすべにの 花の奥にも 星をぞ見しか (暇(ひま)の人麻呂)をとめらの 袖布留山の 瑞垣の 久しく妹を 待ちにし吾は (偐麻呂)(本歌) 娘子(をとめ)らの 袖布留(ふる)山の 瑞垣(みづがき)の 久しき時ゆ 思ひき吾(われ)は (柿本人麻呂 万葉集巻4-501) 宝郎女が追和せる歌1首ごくまれに 夜空に浮かぶ 微笑は 月とふたつの 星のバラード (注)上は偐家持の下記歌に追和せるものなれり。 夕暮れて 銀輪蝙蝠 花園を 行けば月星 夜空の笑みか 偐家持の発句に宝郎女が付したる脇句1句 桜咲き 風もさやぎぬ いざ立たな (偐家持) ゆくへも知らぬ ひとの道とて (宝郎女) (注)短歌風にするため、「今は漕ぎ出でな」を「いざ立たな」に変更。 577で作りしも、脇句77を付けて戴きたるにより575に改む。 宝郎女が贈り来れる数字変換可能短歌1首よ(4)ろ(6)し(4)く(9)と(10) 花(87)屋(8)は(8)ち(1000)い(1)さ(3)く(9) 年(104)老(0)い(1)て(10) テンテン(1010)小花(587) や(8)さ(3)し(4)く(9)い(1)と(10)し(4) 偐家持が作れる戯れ文 橋松門左衛門「拗ね崎心中」この世も終り 世も末と 補助金凍結 たとふれば あだしが原の 道の霜 一足(ひとあし)づつに 消えて行く 上方文化 あはれなれ あれ思ほえば 橋の下 無茶のごり押し 臍曲がり 金は出さぬと 言ひ張れる 憎まれ口を 聞き置けば 文楽要らぬと 響くなり 金ばかりかは あれやこれ やたらむやみに 出すは口 我になびけと 言ふなるか 人間国宝 呼びつけて 己が飾りに せんとかや 橋の下風 立つ松の 井も横並び 倣ふらむ 橋と松との 腹合せ 眉ひそめ見る 梅雨空の 今日上方に 降る涙 川の水嵩(みかさ)も 増(まさ)るべし・・・ 近松門左衛門「曽根崎心中」この世のなごり 夜もなごり 死にに行く身を たとふれば あだしが原の 道の霜 一足づつに 消えて行く 夢の夢こそ あはれなれ あれ数ふれば 暁の 七つの時が 六つ鳴りて 残る一つが 今生(こんじやう)の 鐘の響きの 聞き納め 寂滅為楽(じゃくめついらく)と 響くなり 鐘ばかりかは 草も木も 空もなごりと 見上ぐれば 雲心なき 水の音 北斗は冴えて 影映る 星の妹背の 天の川 梅田の橋を 鵲(かささぎ)の 橋と契りて いつまでも 我とそなたは 婦夫(めをと)星 かならず添ふと 縋(すが)り寄り 二人がなかに 降る涙 川の水嵩(みかさ)も 増(まさ)るべし・・・・<注>掲載の写真はマダムゴージャス氏のブログからの転載です。
2012.07.03
コメント(8)
本日は雨。その雨の小止みの間をぬって、月例の墓参。 うまい具合に、墓参の間は雨も降らず、上首尾でありました。風はヒンヤリと涼しいのであるが、湿度が高いため、坂道を歩いていると汗が吹き出て来るのでありました。 例によって、見掛けた花などを写真に撮りましたが、昨年7月の墓参の日の日記を見ると、その日にも、ムラサキツユクサやメハジキは掲載されていました。まあ当然と言えば当然でありますな。同じ季節、同じ場所なのでありますから。 <参考>「墓参と花逍遥」 2011.7.3.(墓地)紫の 露草にもが 我妹子の 終(つひ)の笑(ゑま)ひを われ忘れめや (偐家持)わが魂(たま)の 出でて虚しく なるらむか 砕け散りぬる 草の上(へ)の露 (偐家持)(ムラサキツユクサ) 墓参とは言え、あまり真面目な歌は偐万葉らしくもありませぬ故、恋の歌風に詠むことと致しましょう。いちしろく 色に出でなば 言痛(こちた)みと 紫露草 雨にし咲ける (紫家持)白玉の 露置き咲けば 紫の 露草これと ひとや言ふらむ (紫露持)(同上)(同上)(メハジキ) 上のメハジキという花の名は、上記の昨年7月3日の記事の段階では何とも知らず、小万知さんに教えて戴いたものであり、万葉歌に登場する「土針」というのは、この花のことであるというのも、この時に知ったのでありました。 もっとも、万葉植物の常のこととして、これにも異説があり、「つちはり」はツクバネソウ、エンレイソウ、レンゲソウだという説もあるのではあるが・・。わが屋前(やど)に 生(お)ふる土針(つちはり) 心ゆも 想はぬ人の 衣(きぬ)に摺(す)らゆな (巻7-1338) 歌の意味などは、上記の2011年7月3日記事に記載して居りますのでそちらをご参照下さい。(ドクダミ) 先月の墓参の時には美しく花を咲かせていたドクダミですが、今は一輪の花も見えません。花の芯に当る部分だけは未だ残っていましたが・・。花の色は移りにけりな、ではありませぬが、あの白い花弁は茶色に変色し干からびたように縮れて、花芯であった部分に、い穢くへばりついているばかり。 卯の花の咲く頃に降る長雨を「卯の花腐し」と言うが、梅雨の雨は「ドクダミくたし」と呼んでもいいのかも知れませんですな。ドクダミだけでなく月見草の花も姿を消していました。時の移ろいも感じさせてくれる墓参でありました。 <参考>「墓参・月見草・ドクダミ」 2012.6.3.(同上)(同上)
2012.07.01
コメント(4)
全16件 (16件中 1-16件目)
1