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(承前) 寺川沿いを走る。途中、橿原自動車学校の前で東から流れて来る寺川と南から流れて来る米川が合流する。 合流点から2km余で竹田大橋。そこを右に入ると竹田神社である。 この辺りに大伴家の領地があって「竹田の庄」と呼ばれていた。大伴坂上郎女もこの地を度々訪れていたのだろう。万葉に歌を残している。(竹田神社)(同拝殿)(同本殿)(坂上郎女歌碑) 神社の鳥居の脇に歌碑があった。うち渡す 竹田の原に 鳴く鶴の 間無く時無し わが恋ふらくは (坂上郎女 万葉集巻4-760) 天平11年秋9月にこの地で次の2首も作っている。然(しか)とあらぬ 五百代(いほしろ)小田(をだ)を 刈り乱り 田廬(たぶせ)に居れば 都し思ほゆ (万葉集巻8-1592)隠口(こもりく)の 泊瀬(はつせ)の山は 色づきぬ 時雨の雨は ふりにけらしも (同巻8-1593)(大福橋から寺川を望む) 朝倉駅の手前の近鉄線のガードを潜った処で道を間違えたりするも、166号線に入り、漸く舒明天皇陵に到着。(舒明天皇陵) 舒明天皇陵の先の小径を上って行くと鏡王女の歌碑。犬養孝先生揮毫の歌碑である。(鏡王女歌碑)秋山の 樹(こ)の下隠(かく)り 逝(ゆ)く水の われこそ益さめ 御思(みおもひ)よりは (鏡王女 万葉集巻2-92)(鏡王女墓) 歌碑から畦道のような小径を上って行く、山襞に囲まれた田畑のある斜面に鏡王女墓と大伴皇女墓がある。随分昔に来たことがあるが木々が成長し、田畑も耕作放棄されて荒れていて、印象が随分違う。(同上) 鏡王女は額田王の姉とも母とも言われているが、天智天皇の寵愛を受けた後、藤原鎌足の妻となっている。天智の子を妊娠したまま鎌足に嫁して生まれた子供、それが藤原不比等であるとの説もあったりするが、真実の程は?(同上)(大伴皇女墓) 大伴皇女は日本書紀に欽明天皇と堅塩姫との間に生まれた子供の一人として名が上っているのみで、その他の記録はなく、如何なる女性かは不明。名前からして大伴氏が養育したのかも。(同上)(石位寺) 日本最古の石仏があるという寺。石仏の見学は桜井市観光課に電話予約する必要があるとのこと。(石位寺から忍坂の里を望む。奥に見えるのは三輪山) -完-
2012.04.30
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昨日(28日)は友人の偐山頭火さんとの銀輪散歩でありました。 コースは、唐古・鍵遺跡→鏡作神社→多神社→寺川沿い道→竹田の庄(竹田神社)→舒明天皇陵・鏡王女墓・大伴皇女墓→石位寺(引き返し)→唐古・鍵遺跡。走行距離は40km程度。(唐古・鍵遺跡)(同上) <参考>唐古・鍵遺跡 国史跡「唐古・鍵遺跡」の駐車場に車を停め、積載のMTBを下ろし、をのこ二人の気儘銀輪散歩の出発です。 この銀輪散歩は前回の古事記撰上1300年銀輪散歩の続編として太安萬侶所縁の多神社を訪ねるのが目的でありましたが道すがら、先ず鏡作神社に立ち寄ることとしました。 <参考>古事記撰上1300年銀輪散歩(1) (2) (3)(鏡作神社) <参考>鏡作神社(拝殿)(本殿) 鏡作神社から南へ近鉄笠縫駅前を通り多神社へと向かう。(笠縫駅)(多神社)(拝殿) 多氏と言えば、壬申の乱で功のあった多品治(おほのほむじ)や古事記編纂の太安萬侶などが思い浮かぶが、多神社はその多氏の氏神神社である。摂社の小杜神社には太安萬侶が祀られているのだが、そうと知ったのは帰宅して説明板などをよく読んでからのことで、小杜神社の写真を撮り忘れたのが口惜しい。 この地域は「多」という地名にも残されているように多氏の勢力地域であったのですな。古事記撰上1300年ということでか、最近、この神社の裏地の塚に太安萬侶の遺骨が分骨されたとTVで放映されていたが、それが何処なのかは分らなかった。(本殿) 境内には奈良八重桜(ナラノヤエザクラ)が咲き匂っていました。「いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重ににほひぬるかな(伊勢 小倉百人一首61)」のあの桜である。 小振りな花なのがいかにも「雅」な風情なのであるが、まあ、花の好みは人それぞれです。(奈良八重桜) <参考>多遺跡 田原本マップ(多神社一の鳥居)(寺川の道) 多神社の後の行く先は何処とも決めていなかったが、寺川沿いを走って途中竹田神社に立ち寄り、桜井市の忍坂に向かうこととする。いづれも万葉歌の故地である。 寺川沿いの道を走るのは初めてであるが、飛鳥川沿いの自転車道には及ばないものの、まあいい道である。未だ整備中にて悪路もあり、竹田の庄の先から大福橋の手前までの間の道は今まさに道作りの工事中でありました。2~3年後に来い、ということのようだ。 ではこの辺でページを改めることとします。 (つづく)
2012.04.29
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(承前) 本日は偐山頭火氏と奈良県田原本から桜井・忍坂を銀輪散歩して参りましたが、それは明日以降にアップすることとし、25日の阿賀川銀輪散歩の続編を先に完結させてしまうことと致します。(新津川の水仙) 新津川の桜並木も見事であり、散りかかる花びらの中を走っているともうそれだけで訳も無く幸せな偐家持なのでありました。 そんな中で突如、水仙の群れが立ち現われました。薄紅に染まっていた網膜が鮮やかな黄色に襲われて不意を突かれた感じで、思わず「やあ」と声を上げたりもするのでありました。(同上) 水仙はさて置き、新潟はこの時期チューリップだなあ、と思い至るも、今回の銀輪の道ではチューリップ畑を全く見掛けなかったことに気が付く。 明日(26日)帰る前に何処かでチューリップ畑を写真に撮ろうと決める。 新津駅前到着は午後5時ちょっと前。新潟駅前まで走ると日が暮れてしまうので、ここで銀輪散歩は切り上げとし、トレンクル(自転車)をたたんで列車にて新潟駅へと向かうことにする。 そして、翌日に空港へと向かう途中で撮ったチューリップ畑の写真が以下のものであります。余録としてチューリップも掲載して置きます。(チューリップ畑)(同上)(同上)(同上)(同上)(同上)(新潟空港旅客ターミナル) これにて、津川・新津銀輪散歩完結であります。今回もお付き合い下さり、有難うございました。 ではまた、明日(29日)は奈良盆地での銀輪散歩の記事を掲載いたしますので、懲りずにお付き合い下さいませ。 <完><付録>(能代川の桜)(新津川分水記念公園の桜)(同上) 偐家持が旅にして詠める歌5首恋ひ恋ひて またも逢ひにし 桜花 阿賀野の春を ともにし行かむ消(け)のこれる 雪に桜の 咲き始めば 阿賀野の川は たぎちぞ流る五十島(いがしま)の 荒れたる道は 行くを得じ 長きトンネル なづみつ行かむ取上(とりあげ)の お堂の道に 吾(あ)を待ちて 今しぞ咲くや みやまかたばみ山峡(やまかひ)の 津川ゆ新津 わが来れば 今ぞ盛りと 花散りまがふ
2012.04.28
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(承前)(シデコブシ) 花というのはその名を知ると出会えるものであるらしい。このピンクのコブシもブログ友のビッグジョンさんの記事でそれと知ったものであるが、早速に出会うことを得ました(笑)。(阿賀野川頭首工の水門の上から阿賀野川のたぎち流れるを見る。) 少し下流の馬下橋を渡り国道290号線から県道315号線に入るつもりが、間違って水門橋を渡ってしまう。すぐにそうと気付いたが、これも成り行き、そのまま反対側の岸辺を馬下橋へと走る。(同上)(磐越西線・佐取地区付近) 馬下橋の手前で桜が見事に咲いている公園のような場所が目に入り、線路を渡って行くと、犬が吠える。庭に居られた男性が近寄って来られ「何か用か」と仰る。個人の家の庭先に侵入してしまったよう。花に誘われやって来たと告げると、入って見て行け、と仰る。以下の写真はそのお宅の庭の花である。実に素敵なお庭だ。(花の庭)(桜と梅)(ミツマタ)(シャクナゲ) しばし花を楽しませて戴く。ご主人は「どちらから?」と仰る。大阪から、と申し上げると驚いたご様子、「道理で新潟の人の言葉ではないと思った。」と笑って居られました。花めづる 心に違ひ なけれども 言の葉に出て 難波と知らる (偐家持)(早出川) 県道315号線から同41号線に出て早出川に向かい、善願橋を渡って川辺の道を行く。五泉の街を抜け、県道7号線を行くと能代川に出た。(能代川) 岸辺には見事な桜並木。丁度満開。能代川の岸辺は自転車道が整備されているが、この川から分流している新津川の岸辺にも自転車道がある。以前走ったことがあるので、そろそろ切り上げるべく、この川伝いに新津駅へと向かう。(能代川の桜並木)(同上)(同上)(新津川分水記念公園の桜)(同上)(新津川)(新津川の桜)(同上) (つづく)
2012.04.27
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(承前) 前回は平等寺薬師堂で終りましたので、そのつづきです。何やら堂内には落書きが多くあるのですが、内容はよくは分りません。 (薬師堂の堂内の落書き。「天保」の年号が読み取れる。)(カタクリの花) 薬師堂から将軍杉へと行く道の辺には一輪のカタクリの花が、今年初めてのこの花とのご対面でありました。(将軍杉)(将軍杉説明板)(同上) 将軍杉から坂を下って、再び国道49号線に戻って来ると、駐車場脇でツバメがお出迎えしてくれました。(ツバメも出迎え?) ツバメ君に見送られて先へ進む。岩谷バス停を過ぎると直ぐにトンネルである。全長1000メートル余の五十島トンネル。地図上はトンネルを迂回する道があるのだが、地震か洪水かで崩れたのだろうか、どうも道が通じている気配がない。トンネルを行くが車道は疾駆する車、車でとても走る気にはなれない。狭い歩道も自転車で走るのは危険。押して歩くことに。(五十島トンネル内) トンネル内は走行する車の音が共鳴反響して、轟音である。音が襲いかかって来る、そんな感じですな。それに排気ガスの臭いが充満していて、辟易しながらの十数分間の歩行でありましたが、肉体感覚としては倍の30分位は歩いたような気分でした。(やっとトンネル脱出) やっとトンネルを脱出。地図上はこの辺りで迂回の道と合流することになっているが、それらしき痕跡の荒れ果てた道の名残りがあるのみ。暫しその廃道で休憩、川面から吹き来る新鮮な空気を吸いつつ、煙草休憩。これはとても矛盾した行為であることに今気付きましたが、車の排ガスに比べれば煙草の煙なんぞは如何ほどのこともない。嫌煙権を言うなら、そっちの方だろうなんぞと思いつつプカリ一服でありました。(取上観音堂) 由来などは存じ上げませぬが、道から見上げると目に入りましたので、立ち寄り、その名の通り、ブログに取り上げることと致しました。(同上) 椿の花が咲き群れるお堂への石段の小道に名は知らね、白い花が咲いていました。(何の花?)(取上橋から) 何度か橋を渡っているうちにどちらが川の上流・下流なのかが混乱して来る。取上橋の上から左右の景色をカメラに。雪の山も見えるが多分これが飯豊の山々なんだろう。(同上) 磐越自動車道の高架を潜ると道の駅「阿賀の里」である。ここで昼食とする。此処は道の駅のみならず「川の駅」でもあるらしく、川下りの船着き場にもなっているよう。舟の形をした文化資料館もありました。(道の駅「阿賀の里」)(阿賀野川文化資料館) (つづく)
2012.04.26
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本日は阿賀野川(新潟県)沿いを津川から新津まで銀輪散歩して参りました。昨年、磐越西線で会津若松を訪ね、ブログ友の「ひろろさん」が出展されている絵画展を見に行きましたが、その際に阿賀野川沿いを銀輪で走ったら面白いかな、と考えたのが契機。地理感のあるのは、かつて旅をした津川周辺までなので、今回は津川まで列車で行き、津川から阿賀野川沿いを下り、五泉経由新津までというコースにしました。 途中の1km余ある五十島トンネルは自転車での走行は危険過ぎて無理、狭い歩道を押して歩いたりしたほか、何回か道に迷ったりのハプニングもあって、思ったよりも時間がかかりました。明るいうちに新潟市街まで帰るというのはとても無理で、新津着が午後5時ちょっと前。ここでギブアップした次第。 では、磐越西線「津川駅」前から出発です。国道49号線(若松街道)を暫く走ります。(津川駅)(阿賀野川)(キクザキイチゲ) この花の名はブロ友のビッグジョンさん、童子森の母さんらが最近のブログ記事にアップされていたので知ったのですが・・これで間違っていたらお笑い草、いや「お笑い花」であります。道の辺のこの花に「いってらっしゃい」と微笑みかけられての、幸先の良い銀輪スタートであります。(大牧鐘馗大明神) 階段の上は磐越西線の線路。それを越えて更に上って行くとお堂に藁人形の鐘馗さんが設置されているようなのだが、線路を渡っては駄目で、何やら別のルートで行かなくてはならないようなので、行くのは諦める。(説明板)(多賀神社) 水神を祀る神社なのだろう。竜の眼が金色に光って印象的。(同上)(桜と楊と杉と山) 揚川隧道を出て坂道を下った辺り、舟下りの乗船場所の少し手前付近であったかと思うが桜と楊と対岸の杉林が美しい景色をなしていました。(磐越西線) 最初の橋、白崎橋で阿賀野川を渡り左岸へ。橋からは磐越西線の鉄橋が見える。カメラを仕舞い込んだら列車がやって来た。慌ててカメラを取り出したが、間に合わず、それでも辛うじて列車の後部車両だけは画面に写っていました。(蕗の薹) トウのたった蕗の薹。間違ってもこれを女性に贈ってはならない、なんぞと思いつつ(笑)。(岩津橋の上から) 岩津橋を渡って直ぐに道の駅「みかわ」があるが閑散としている。向かいに平等寺・薬師堂、日本一の巨木・将軍杉という看板があったので、立ち寄ってみることに。自転車にはきつい坂道を上って行く。 Tシャツ1枚の姿の小生に、寺の前の「落書庵」という土産物売り場の女性が「元気ですね、寒くないのですか?」と仰るが既に汗だくの小生は「暑い~。」(平等寺)(同上)(同上・薬師堂) 薬師堂の内部には昔の人々の落書きが一杯残っているので有名とのことだが、その写真と将軍杉は次回につづく、ということで、本日はここまでとします。(つづく)
2012.04.25
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本日は雨。銀輪散歩もお休みです。 で、昨日の銀輪散歩で見つけた花をアップして置きます。(アケビの花) この花は、恩智川沿いの道で、道路脇のネットフェンスに絡み付くようにして咲いているのですが、それに気付いたのは18日のこと。 アケビの花というのは実物を目にするのは多分初めてであったこと、アケビは山野に在るものという先入観も手伝ったことから、その時は「アケビ」という名とは結び付かず、何の花だろうと気にしつつも、写真にも撮らずにやり過ごしてしまったのですが、翌19日にビッグジョンさんのブログで、アケビの花が掲載されていて、「何だアケビの花か」と知った次第。それで、昨日、再び同じ場所に出向き写真を撮ったという訳であります。(同上) 風が結構あって、花をアップで撮ろうとすると、揺れ動いて画像がどうしてもぼやけてしまう。それで、ひと房だけ失敬して摘ませて戴き、コンクリートの上に置いて撮影したのが下の写真です。(同上)五十鈴(いすず)にし 咲ける木通(あけび)の 花摘めば 音懐かしき 初夏(はつなつ)の風 (偐家持)(ハナミズキ) ハナミズキも咲き始めていました。梅が春告げの花なら、ハナミズキは夏告げの花というのが小生の感覚。 この花が咲くと春から初夏の爽やかな5月となる・・。青葉の美しい季節の到来をこの花が告げるのでありますな。花水木 高々咲きぬ 銀輪の 青葉の季(とき)は 今来たるらし (偐家持) もっとも、今日は「銀輪も休めよとかも」の雨でありますから、この歌はまさに「机上の空論」でありますが・・(笑)。 初夏とは気が早い、という向きも居られましょうから、以下は「行く春を告げる花」又は「まだ春よ」と主張して止まない花たちであります。 はいはい、まだ確かに春でありますよ(笑)。(サトザクラ) 花園公園の桜広場は散ってしまったソメイヨシノに代って、八重の里桜が今を盛りと咲いています。 この花を目当てのお花見の人達が其処此処に花筵を広げて楽しんで居られました。 吉田兼好は徒然草139段で「花は一重なる、よし。八重桜は奈良の都にのみありけるを、このごろぞ世に多くなり侍るなる。吉野の桜、左近の桜、みな一重にてこそあれ、八重桜はことやうのものなり。いとこちたくねぢけたり。」と仰って居りますが、八重桜がねぢけているのか兼好さんがねぢけているのかは、判断の難しい処でありますな。しかし、小生も桜に限らず花は一重の「かろき」様が好みでありますな。(同上) 先日は西行さんの「さびしさ」の歌を列挙しましたが、やはり「桜」の歌をこそ列挙しなければ、あちらに行った時に万一何処ぞで行き合ったりした日には、文覚さんがポカリとやられたように、小生も頭を叩かれそうでありますので、以下に挙げて置くことと致します。おぼつかな 春は心の 花にのみ いづれの年か うかれそめけむ 花にそむ 心のいかで 残りけむ 捨てはててきと おもふわが身にあくがるる 心はさても 山桜 ちりなむ後(のち)や 身にかへるべき吉野山 花の散りにし 木(こ)の下(もと)に 留(と)めし心は われを待つらん風さそふ 花の行方は 知らねども 惜しむ心は 身にとまりけり春ごとの 花に心を なぐさめて 六十路(むそぢ)あまりの 年を経にけるわきてみん 老木(おいき)は花も あはれなり 今いくたびか 春にあふべき仏には 桜の花を たてまつれ わが後(のち)の世を 人とぶらはば さすがに西行さん。桜の花はあるはあるは、でキリもない。まあ、此処はポカリとやられないためのものであれば、この程度記して置けば大丈夫でしょう。(シバザクラ)(同上) シバザクラ。兼好さんならずとも、「これは桜とはことやうのものにて」というのは分りますな。サトザクラにシバザクラ。単に語呂合わせで掲載したまでで、深い意味はありませぬ。 そして菜の花。桜は散ってもこの花はしぶとく咲いていますが、群れ咲いて一等美しい花はこの花かも知れませんな。(菜の花)(同上) 愚にもつかぬ花逍遥、これにてお終いであります。では、どちら様もご免下さいませ(笑)。
2012.04.22
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偐万葉・るるら篇(その7) 本日は雨が降ったり止んだりのお天気にて、銀輪散歩も様子見であります。 ということで、偐万葉シリーズ第139弾、るるら篇(その7)と致します。 るるらさんは長らくブログをお休みで心配して居りましたが、最近また再開され、お元気にされているご様子で安心致しました。 この間に楽天ブログもBBSが廃止となり、コメント欄を閉鎖中のるるらさんには、コメント和歌をお贈りすることも出来なくなってしまいましたが、追和の2首を加えて、これまでの分を偐万葉としてまとめて置くこととしました。 <参考>過去の偐万葉・るるら篇はコチラからどうぞ。 るるらさんのブログはコチラからどうぞ。 偐家持がるるらの郎女に贈りて詠める歌12首併せ るるらの郎女が詠める歌6首みちのくの 野にこそ咲けや つぼすみれ 寒き朝風 雪さへ降れど るるらの郎女が追和せる歌1首幸あれと 願う心も 束となり 運ぶ春風 北の大地へダイコンの 花さやさやと 咲く松の 林の道は 走れど飽かずむらさきの 匂へる薔薇も 憎くあらね 青薔薇ゆゑに われ買ひめやも (ぶるるら)君がため 青くならむと 思ほえど まだあかぬけず むらさきなれり(紫先部) (本歌) あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る (額田王 万葉集巻1-20) むらさきの にほへる妹を 憎くあらば 人妻ゆゑに 吾恋ひめやも (大海人皇子 万葉集巻1-21) るるらの郎女が返せる歌2首花びらに 満ちる雨粒 これこそは 微かに青い ブルーフォーユー色こそは 水と光の 贈り物 愛でて色づく 花もあるかも 店の奥に 売れるもぢずり 苗ゆゑに ねじれそめにし 花もつかなくに (山原右大臣・平通(たひらのとほる)) (本歌) 陸奥(みちのく)の しのぶもぢずり 誰(たれ)ゆゑに 乱れそめにし われならなくに (河原左大臣・源融(みなもとのとほる))梅雨明けぬ 檜扇水仙 赤々と 咲きて夏はも 今盛りなり るるらの郎女が返せる歌夏空の 天照る神の 眼差しを 避ける扇も 紅く染まりて (くるくる小町) るるらの郎女が贈り来たれる歌1首祖母の言う ねじれた花は 真っ直ぐな 瞳で月を 追っていたから (朝恵ばあば) 偐家持が返せる歌1首身をば焼く 恋もあるなれ ねぢ花は 月に恋ひてぞ 身のねぢれける身をねぢり シュート一閃 なでしこの 花は咲きたり 文月(ふづき)の朝に膝まろび 膝は痛むも ヤカモチは 色には出さず 銀輪の旅(膝痛持) (本歌) 展転(こいまろ)び 恋ひは死ぬとも いちしろく 色には出でじ 朝貌(あさがほ)の花 (万葉集巻10-2274)コスモスの 花もクジャクに 負けぬるか 持ってけ孔雀に 見て行け秋桜(コスモス) (持ってイケメン孔雀) るるらの郎女が追和せる歌1首秋晴れの 風が言の葉 運んでる 「一枚なら」と 同時通訳 午後4時半 まだたそがれぬ わが肩に 舞ひ散り来(きた)る ひとひらの春 (偐家持) 里桜 散りぬるあとの 大空へ 蝶高々に 舞ひ昇り行く(偐るるら) (注) 掲載の写真は全てるるらさんのブログからの転載です。 その他の偐万葉は下記のリストからどうぞ。 リスト(1) リスト(2)
2012.04.20
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(承前) 弘川寺には西行記念館がある。こちらは以前見学したことがあり、今回は立ち寄らずに帰ってしまいましたが、庭の海棠の古木にも挨拶せず仕舞いであったことに寺を後にしてから気付きました。後の祭ですな。 西行の歌は色々あり、その生き方も併せて、後世の和歌や歌人に与えた影響の大なることは誰しも異論のないところであるが、ここでは、「さびしさに堪えたる人」として「さびし」を詠んだ歌をいくつか挙げて置きましょう。さびしさに 堪へたる人の またもあれな 庵ならべむ 冬の山里 山里は しぐれし頃の さびしさに 嵐の音は ややまさりけりかきこめし 裾野のすすき 霜がれて さびしさまさる 柴の庵(いほ)かな霜にあひて 色あらたむる 蘆(あし)の穂の さびしく見ゆる 難波(なには)江(え)の浦いづくとて あはれならずは なけれども 荒れたる宿ぞ 月はさびしき玉まきし 垣根のまくず 霜がれて さびしく見ゆる 冬の山里松風は いつもときはに 身にしめど わきてさびしき 夕暮の空氷しく 沼の葦原 風さえて 月も光ぞ さびしかりける木の間洩る 有明の月を 眺むれば さびしさ添ふる 峰の松風 ちょっと季節がそぐわなくなったようなので、偐家持にて1首。山深み たれとてもなき 行く人の あはれさびしき 花は散るらん (偐家持)() 帰途に石川河川敷にある「西行絵巻」をもう一度見ようとしたが、どうやら思ったよりも上流の方であったようで、見つかりませんでした。 それは何だ?と思われた方は下記のブログ記事をご参照下さい。 <参考>西行絵巻 2009.11.1. (千早川) 往路がずっと登り坂であった分、復路は軽快な下りである。殆どノーブレーキで一気に駆け下る。 寺田交差点で27号線を渡り、直進、石川を目指す。石川の支流、千早川を渡り、石川に出るが、よく考えるとこれでは右岸沿いに石川を下ることはできない。河川敷の道は千早川との合流点で行き止まりである。(千早川と石川の合流点。右から千早川が流れ込んでいる。) 仕方がないので、引き返すべく堤防の上に戻ると、そこに真新しい休憩所があった。ママチャリの男性が一人ベンチに休んで居られた。小生も隣にMTBを停めて、しばし雑談など、と声をお掛けした。 男性は83才とのことであったが、まだ60才台と言ってもいい位にお若く見える。近鉄電車にお勤めであったことや、ご出身が太子町であることや柏原市法善寺町にお住まいであることとか色々とお話なさいました。小生が銀輪散歩などで、太子町のあちこちをよく知っていたこともあって、お話が合ったようである。 そんなことをしているうちに雨が降り出し、雷鳴もするといった具合で本格的な雨宿りとなり、男性とは随分の長話になってしまいました。 やがて雨も上ったので、「また、何処かでお会い致しましょう。どうぞお元気で。」と互いに別れを告げて出発。男性は右に、小生は左に。(恩智川の鯉幟) 石川自転車道に入ってからは、ロードバイクの青年と抜かれたり、抜き返したりしながらの競争をして、玉手橋の前で青年を見送り競争は終了。小生は玉手橋から再度右岸に戻り、国分の方を回って、国豊橋で大和川を渡る。そう言えば、囲碁例会の時の昼食場所のアポロカフェの女性のうちの一人は国分にお住まいであると言って居られたなあ、などと思い出しつつ、大和川と別れ、太平寺町でいつもの恩智川沿いの道に入る。 恩智川には早くも鯉幟が泳いでいました。(恩智川の河川敷を埋め尽す西洋芥子菜の花)(同上) 花園ラグビー場前到着が午後5時半。途中、長めの昼食時間に山登りや長い雨宿りもありましたが、それらも含めて、7時間半の銀輪散歩、これにて終了であります。今回もお付き合い下さり有難うございました。 今回の弘川寺は「西行」の寺でありましたが、小生の銀輪散歩は自宅から言うと「南行」でありました。しかし、難行苦行という訳では勿論ない。 <参考>その他の銀輪万葉・大阪府篇はコチラからどうぞ。
2012.04.19
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(承前) 西行歌碑のある広場から花山を周遊できる道が左右にあるが、右の方から登る。その登り口近くに安田章生氏の歌碑もあった。写真には撮らなかったが、帰宅して、書斎の書棚にあった「西行」という本の著者名を見てそれと気が付いた次第。 さすがに来るのが遅過ぎたと見えて、多くの桜はあらかた散ってしまっていて、踏む足元は花びらの敷き積もる道である。はらはらと花の舞い散る道を登って行く。降りかかる 花な払ひそ 西行も 踏みにし道と 尋(と)ひ行くからは (偐家持)(シロヤマザクラ) 白い桜や枝垂れ桜は未だ盛りと咲いてもあれば、散る桜、咲く桜楽しみつつの花山廻りである。 吉野のシロヤマザクラにクロヤマの人と掛けて小万知さん宛てに詠んだ戯れ歌があったように記憶するが思い出せない。 で、自由律俳句風に一句。 シロヤマザクラ 見るクロヤマの人 (筆蕪蕉) 桜を見上げつつ行く人の目線は上に。足元に散り敷く桜の花びらに交じってひっそりと咲いているすみれに気付く人は少ないようだ。山桜 散れるもよしと 尋(と)ひ行ける 人は知らずも すみれ花咲く (偐家持) そして、桜とツツジの競演。桜はサカエヲトメ、躑躅はニホヘヲトメでありますな。いづれアヤメかカキツバタよりもずっと古い(笑)。物思(も)はず 路(みち)行くゆくも 青山を ふりさけ見れば つつじ花 香少女(にほえをとめ) 桜花 盛少女(さかえをとめ) 汝(な)をぞも 吾に寄すとふ 吾をぞも 汝(な)に寄すとふ 汝(な)はいかに思(おも)ふ 思へこそ 歳の八年(やとせ)を 切る髪の よちこを過ぐり たちばなの 末枝(ほつえ)を過ぐり この川の 下にも長く 汝(な)は心待て (柿本人麻呂歌集 万葉集巻13-3309)(桜とツツジ)(同上) 花山の中程に似雲が庵を結んだ場所がある。須磨明石まで見えるかどうかは知らぬが、見晴らしはよい。青畝の句碑も建てられている。(花の庵趾)(阿波野青畝句碑)いくたびの 春の思出 西行忌 (青畝)(花山の高みからの眺め) 花山の一番の高みまでやって来ました。この上は杉林、檜林となり、南北朝時代の弘川城の跡地の高みまで、延々の山道が続く。 途中まで登りましたが、道標に記された地図で見ると更に1時間以上かかりそうなので、また今度と断念し、引き返すことに。(弘川城跡への道) 杉林の道を行くと鶯の澄んだ声がしきりに。杉の道 われのみ行くか 鴬の 木間(こま)ゆ流れて 声のさびしき (偐家持) 再び本堂前に戻る。枝垂れ桜の老木が咲き匂っていました。写真を撮って居られた男性に、「風情のある桜ですね。」と話しかけると、「昔はもっと色鮮やかに咲いた。最近は弱って来たのか色に元気がない。」と仰っていました。(隅屋桜) 大河ドラマ「清盛」でも登場した百人一首の歌を文字って1首。散りのこる 花も散る花 弘川に 枝垂れてけさは ものをこそおもへ (怠倦門院弘川) (本歌) ながからむ 心もしらず 黒髪の みだれてけさは ものをこそおもへ (待賢門院堀河 小倉百人一首80、千載集恋3-801) <弘川寺銀輪散歩余録につづく>
2012.04.18
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本日は朝10時にMTBで自宅を出発。河南町の弘川寺まで銀輪散歩して参りました。弘川寺は何回目かの訪問となるが、直近は偐山頭火氏と銀輪で行った2006年9月16日であるから、もう6年も前のことになる。 今回は外環状道路を走り、近鉄大阪線恩智駅の北で恩智川と外環状道路が交差するので、そこから恩智川沿いの道を行き柏原市役所前に着いたのが10時45分。そこで暫しお茶と煙草休憩。(柏原市役所) 柏原市役所の前は道を挟んで大和川が東から西に流れ、南から石川が合流している。 大和川の河原では釣りをする人の姿も。(大和川) 大和川を渡り、石川へと入る。大和川を渡って直ぐの石川の堤防から眺める二上山の姿が小生のお気に入り。何度か此処から山の姿を撮影しているが、今日も1枚。(二上山)(石川自転車道) 河川敷の自転車道に入る。この先の玉手橋で左岸から右岸に移り、府道27号線を行く。途中、ラーメン屋さん(「帝麺」という名の店)で昼食。11時45分に店に入り、店を出たのが12時27分。早食いのヤカモチが42分も掛ってしまったのは注文した品が出て来るのが遅かったということである。 寺田交差点で左(東)に入る。急坂を下った後は弘川寺までずっと登りが続く。途中、白木小学校の先で右折せず直進してしまい、かなり坂道を登った処で様子のおかしいことに気が付き、引き返すというハプニングもあったが、無事、弘川寺に13時10分到着。 門前に至る最後の細い坂道はかなり急であり、ずっと登り坂を走って来た足はかなり疲労していたが、意地になって登り切る。弘川寺に参拝に来られていたご婦人たちであろうか10人前後の方が前から下りて来られた。「こんにちは。」と挨拶しながら、最後の坂を登り切ると後でそのご婦人たちがパチパチと拍手して下さいました。もう息が殆ど上っていましたが(笑)。(弘川寺・本堂) 桜はもう殆ど散っていましたが、中には遅咲きの桜が今を盛りと咲いているものもあり、十分に花見気分が味わえました。それに、ハラハラと散りかかる花びらの風情もよく、自転車を本堂前に駐輪して、花山に分け入ってみることとしました。(枝垂れ桜越しの本堂)(弘川寺説明板)(西行堂への道から本堂を望む。)(同・西行堂)(同上) 本堂裏の小道を登って行くと西行堂。西行堂の屋根には主に一円玉であるが硬貨が無数に投げ上げられていて、それが日に反射してキラキラ輝くのでありました。肉眼では眩しい位に光っているのにカメラのレンズを通すとご覧のようにキラキラ感が全くしないのは残念であります。 若い男女の二人連れの女性の方が、硬貨を屋根に投げていましたが、何度やってもコロコロと落ちて来て、なかなか上手く行かないよう。どうやら、屋根に乗せるのはそう簡単なことではないようだ(笑)。(西行墓) 西行堂から更に登った処に広場があって、そこに西行さんの墓と歌碑、そして西行さんを慕って弘川寺に庵を結んだ江戸時代の人物、似雲さんの墓がある。(西行歌碑)ねがはくは 花のもとにて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ(似雲の墓) 似雲は西行の終焉の地を探し求め、ここで西行の墳墓を発見。西行堂を建立し、自ら、この地に庵を結び、お墓のお守をして、その生涯を西行に捧げた。似雲の墓は西行墓と向き合うようにしてあり、死して尚、西行の墓を守っているようでもある。(似雲歌碑) 西行さんの墓などがある広場から裏の花山への登り口がある。 散りまがふ花こそよかり・・と花山へと登って行くことといたしましょう。されど、夜も更け、字数制限にもかかりそうなので、今回はここまでとし、続きは明日と致します。(つづく)
2012.04.17
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偐万葉・アメキヨ篇(その2) 本日は夕方から雨になりました。花逍遥銀輪散歩も何と言って成果もありませんでしたので、偐万葉第138弾、アメキヨ篇(その2)といたします。 <参考>過去の偐万葉・アメキヨ篇はコチラからどうぞ。 アメキヨさんのブログはコチラからどうぞ。 偐家持がアメキヨの郎女に贈りて詠める歌19首往きて生く こととはいへど うつそみの 手火(たび)の送りの ここだかなしも (注)ここだ=ひどく、大変、とても。疲れたる 人われに来(こ)よと 言へる人 ありてわれ今 生きてもあるやうたた寝の 夢はたぐれど 夕霞 立つ来(こ)し方や 野辺に咲く花来るつ年は また山ガール ならめやと 野菜にシフト 暮れのアメキヨ ふる雪も あはにし降りて 言祝ぐや うれしき知らせ 合格とあり (蛍野雪麻呂) (注)あはにし=「あはに」は「さはに」と同義。沢山に、いっぱい にの意。「し」は意味を強める助詞。あらたしき 年も衣(ころも)も ややおほに たつにまかせて ゆるり行かれよ (注)ややおほに=やや大きめに たつ=「辰」と「断つ(裁断する)」とを掛けている。明(ア)けぬれば め(メ)でたき年の 気(キ)は澄みて よ(ヨ)しと初春 言祝(ことほ)ぐならし ゴヤの絵を 見たる帰りの 牡丹花 上野の苑の 冬にし咲ける (注)偐万葉に掲載するに当り「空」を「苑」に修正しました。 末吉(すゑきち)は 努力の末の 吉言ふや 千本鳥居の 末のおみくじ (花園稲荷)なることは なるよになりて ならぬこと ならずもあれば ままにしあらむ (なるならのなりひら)武蔵野の 浅き春野し つらつらの 椿は咲きぬ 薬師の泉 志村坂 わが恋ひ行けば 水仙の 花も咲きたり 薬師の泉細道を 行けば竹林(ちくりん) 日は照りて しばし忘れむ 仕事のことも 板橋は ビルの谷間と なりぬれど 薬師真清水(ましみづ) 尽きずもあらめ宝蔵門 チタンの瓦 きらきらし われもチタンの チャリぞ嬉しき (家持タン) 白椿 ほのかに差せる くれなゐは 愛(かな)しき妹の 頬紅ならむ梅椿 遅れて桜 咲き始(そ)めぬ 待ちにし春は 今盛りなり百鳥(ももどり)の 声も繁みか 朝の道 梅も桜も 妹にし笑みぬ 岐阜蝶は 見らくしよしも かたかごの 花の蜜汲み 舞ふや春山 (偐蝶持) (注)見らくしよしも=見るのはいいことだなあ。 かたかご=カタクリ<脚注>掲載の写真は全てアメキヨさんのブログからの転載です。
2012.04.16
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本日は所用あり、JR鶴橋駅まで銀輪散歩を兼ねてMTBで往復しました。 遠目には道の辺の桜はまだそこそこに咲いている風にも見えるが、近くに寄って見ると、多くは散っていて、既に青い葉が目につくといった状況で、どうやら桜の花も終焉のようです。 帰途に花園中央公園に数本ある海棠の花が気にかかり、どんな具合かと立ち寄ってみると、今が花の盛りにて、丁度見頃でありました。桜もいいが、海棠もいい。海棠と言うと西行の終焉の地、弘川寺にある海棠の老木が思い浮かぶが、花園公園にある海棠の木は未だ若木で、何やら少女乃至は童女のイメージであり、西行さんには似合わないですな(笑)。 弘川寺の海棠は流石に貫禄があって、西行・桜の間に割って入っても違和感がありませんが、こちらの海棠ではちょっと浮いてしまう。良寛さんならこちらの海棠でもしっくりするかも・・。ということで、花園公園の海棠の写真を以下にアップして置きます。(海棠1)桜花 散りぬともよし 海棠の 咲きて匂へる わが里よしも (偐家持)(海棠2)(海棠3)もののふの 八十(やそ)の少女(をとめ)ら 花園に 咲きや競(きほ)へる 海棠桜 (偐家持)(海棠4)(海棠5)海棠の 花にもあるや 我妹子(わぎもこ)の 笑みにし頬に 浮かむうすべに (偐家持)(海棠6)(海棠7)<参考>カイドウ(ハナカイドウ)
2012.04.13
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偐万葉・ビッグジョン篇(その11) シリーズ第137弾。 本日は偐万葉・ビッグジョン篇(その11)であります。 <参考>過去の偐万葉・ビッグジョン篇はコチラからどうぞ。 ビッグジョンさんのブログはコチラからどうぞ。 偐家持が歩麻呂に贈りて詠める歌19首併せ 歩麻呂が詠める歌1首国見山 土踏み平(な)らし 行き来(く)われに 今日(けふ)し新(あらた)し 道のすがらの (偐歩麻呂) (注)偐万葉掲載に当り、「来(こ)しわれに」を「行き来われに」に修 正しました。氷室なる 歩人(ほひと)ともしも 国見山 行き来(く)と見らむ 歩人ともしも (輪首河内(りんのおびとかうち)) (本歌) あさ裳よし 紀人(きひと)ともしも 亦打山(まつちやま) 行き来(く)と見らむ 紀人ともしも (調首淡海(つきのおびとあふみ) 万葉集巻1-55) (注) ともし=「羨し」、うらやましい、の意。 目に負けず 手も口ほどに もの言へど 足りぬ考(かんがへ) 足も弱れり (駄目家持)我背子が いまかと待てど 福寿草 時にあらじと 覚めずやあれる (眠り草)福寿草 咲きて君をし 待つなるに 気付かず今日まで 何をし見つや (不服云ふ草) 交野山 春となるらし 白旗の 池行く鴨の 水尾(みを)ひかりたる笹の葉に うらうら春の 日は照りて さやにさやさや 風もさやげり 去年(こぞ)ありし 家またひとつ 消え行ける 道に変らず 梅は咲きたり浴びばやと 火の粉が下の どよめきは 修二会(しゅうにえ)ぞ春の よろこびならむ (偐浴持)修二会(しゅにえ)の火 昇り走り来(く) 堂楼を 朧に照らす 春の月かも 見たくなき ものは頭で 消すを得ど カメラは嘘を つけずありける (偐撮持)道標に すくにとあるは ますぐとは すくなくも我 知らずありけり (偐少彦名) (注)すく=古い道標に「右・京、左・大坂、すく・枚方」などとある、「す く」または「すぐ」というのは、「真っ直ぐ」という意味であっ て、すくなくとも「すぐそこ」のような「近い」という意味では ないそうな(笑)。 しろがねも くがねもたまも みなつまの てにしぞあれば なにやわれせむ (禁治産家持) (本歌) 銀(しろがね)も 金(くがね)も玉も 何せむに まされる宝 子に如(し)かめやも (山上憶良 万葉集巻5-803)山積す 怒りを前に 幾たびか われご海容と 詫びしことあり (谷田山海火) 歩麻呂が返せる歌1首山積す 怒りを前に ひと度も われご海容と 詫びるひとなし (原子力保安院)梅の花 咲ける盛りに 今はとて かなし妹はも 桜待たなくひと知れず 散るこそよけれ 花もみぢ さにもひとりし われも散らまく崖の上(へ)の さらさら水仙 さらさらに 見上げしのはな 氷室春野は (巨勢仙人(こせのせんにん)) (本歌) 巨勢(こせ)山の つらつら椿 つらつらに 見つつ思(しの)はな 巨勢(こせ)の春野を (坂戸人足(さかとのひとたり) 万葉集巻1-54) 川上( かはかみ)の つらつら椿 つらつらに 見れども飽かず 巨勢(こせ)の春野は (春日老(かすがのおゆ) 同巻1-56) 気もそぞろ ならしなりひら 桜花 交野のみ野に 咲きてぞ散れば (在原ひらひら)桜狩 また宿貸せか なりひらは たなばたつめの 春は居なくに (貸せ原の宿平) (本歌) 狩り暮らし 棚機津女(だなはたつめ)に 宿借らむ 天の河原に 我は来にけり (在原業平 古今集418)(注)掲載の写真は全てビッグジョンさんのブログからの転載です。
2012.04.12
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本日は囲碁例会の日であったが、生憎の雨にて、MTBは諦め、電車で梅田へ。いつものアポロカフェで昼食&珈琲を済ませてから、昔の職場を訪ねる。N法務部長にお願いした案件その他があっての訪問であったが、同人が出張中とのことで、その件を聞かされて承知しているとして宮◎課長が応対してくれました。小生が退職して丸6年余が経過しているので、知らない人達も増えているが、宮◎課長、河◎課長、以前は技術部にいたT君など懐かしい面々の元気そうな姿に接して愉快なことでありました。受付前では元総務部に居たS君とも顔を合せたりもしました。工場から転勤して来たという総務部長とは今回が初対面でありました。 さて、所用の方は済んだような済んでいないような状況でしたが、ひとまずは現在の状況が把握できたので、まあ、よしという処でありますかな。 囲碁の方は、会場に行くと青◎氏が既に来て居られて、続いて福◎氏、平◎氏が来られて、小生を加えて4名の出席。雨の所為で出席状況は芳しくありませんでした。 小生の戦績は、青◎氏と1勝1敗、福◎氏とも1勝1敗、平◎氏には1敗で、2勝3敗でありました。今日はいつになく見落とし、勘違いが多く辛抱の足らない、打ち過ぎの碁でありました。自戒。これで、今年に入ってからの成績は15勝12敗、当初からの全通算で101勝73敗となりました。 いつもは3局か4局なのだが、今日は5局も打ったので、さすがに少し疲れました。楽に打てる碁は疲れないが、無理筋を打って「しのぎ」の連続というような不本意な碁を打つと倍疲れるというものだが、今日の碁はいづれもそのような碁になってしまいました。 満開の桜が雨に打たれて多くが散って、路面に花模様を作っていましたが、どうやらこの雨で桜もそろそろお終いかも知れません。この先、花を見たければ、北陸など、北の方へ足を伸ばすしかなさそうです。 本日は写真を撮っていないので、適当なのをアップして置きます。春雨は いたくな降りそ 桜花 いまだ見なくに 散らまく惜しも (万葉集巻10-1870)春さらば 插頭(かざし)にせむと わが思(も)ひし 桜の花は 散りにけるかも (万葉集巻16-3786)
2012.04.11
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第98回智麻呂絵画展 本日は智麻呂絵画展であります。今回も作品点数は7点と少なめですが、先のお花見会に寄せた絵などもありますので、早目の開催と致しました。どうぞごゆるりとご覧下さいませ。 <参考>他の智麻呂絵画展は下記から。 第1回展~第100回展 第101回展~第200回展 第201回展~(楊) 上のネコヤナギと下から2番目のミモザは小万知さんがお持ち下さったものです。 猫柳は「楊」、枝垂れ柳が「柳」と中国では区別されるが、万葉でもネコヤナギは「川楊・河楊・川夜奈支」として柳とは一応区別されている。もっとも、万葉では植物についての品種名というような厳密さはないのであるから、水辺、川辺に生えている柳類の総称という風にも考えられるから、川辺に生えている柳も含まれると言うべきであるのかも知れませんが・・。 しかし、川辺に生えているからと言ってその柳を、「川柳」と書いてしまうと「せんりゅう」となって、「ヤナギ」ですらなくなりますから、要注意ですな(笑)。この575の方の川柳は江戸時代の俳人・柄井(からい)川柳から来ているもので、ヤナギともネコヤナギとも無関係なのである。勿論、ウナギネコとも無関係である(笑)。(桜)さくらさくら さくさくら ちるさくら (種田山頭火)さくらさくら みるさくら かくさくら くふさくら のむさくら (偐桜餅)(蛙)水のうまさを 蛙鳴く (種田山頭火)水のぬくさを 蛙鳴く (水田山湯火)酒のうまさを 泣く泣く帰る (北新道草持) 上二つの絵は、祥麻呂さんが持って居られた本から、先回のお花見読書会に寄せて描いて下さったものです。 <訂正注記:本日(4月12日)智麻呂邸を訪問したら、偐山頭火氏も来て居られ て、上の本について、祥麻呂さんが持って居られたというのは、彼がその本を 手に持っていたのを小生が目にしたというだけであって、その本の所有者は偐 山頭火氏であったことが判明いたしましたので、此処に訂正追記致して置きま す。偐山頭火氏は「祥麻呂さんも同じ本を持っていたのか」と、このブログの 記事を見て思われたそうでありますが、まあ、若草読書会の面々はまことにお おらかなものであります。> お花見の後のプログラムが、偐山頭火氏による種田山頭火論であったから、まことにピッタリの絵にて、この絵画展に先立ち、既に「若草歌壇2012年春花園篇」の挿絵に使わせて戴いて居ります。(水仙A) 水仙はアヤメやアジサイなどと並んで智麻呂氏のお好きな花のひとつにて、この絵画展にも度々に登場して居りますが、今回もなかなかの出来栄えにて、眺めているだけで何やら癒される気がいたします。(水仙B)俯いて そっと咲くから 水仙花 (筆蕪蕉)水仙花 中には見上げてる 奴も居る (筆蕪蕉) 筆不精の筆蕪蕉さん、名を忘れられてしまってもいけませぬゆゑ、久々の登場であります。(ミモザ) このミモザの絵。恒郎女さんは「一生懸命、力を入れて描いたのだけれど、もひとつです。」と相変わらず手厳しいご感想(笑)。智麻呂氏の絵がみるみる上達して行ったのは、この愛妻の手厳しい意見があってのことかも知れませんですね。勿論、お気に召した出来栄えの絵に対しては、絶賛・賞賛、褒めることをお忘れでないのであるから、智麻呂氏も頑張らざるを得ないのでありますな(笑)。 極力、写実を旨とする智麻呂氏の絵にとって、ミモザとかレンギョウとかユキヤナギとかの花はモチーフとしては、強敵であり、長時間の格闘を必要とするのでありますが、常に恒郎女さんのお目に叶うとは限らず、絵画の道も亦なかなかに厳しいものであることを、これらの花は教えてくれるのでもあります(笑)。(オオキバナカタバミ)長過ぎる 名は歌に不利 オオキバナ カタバミ咲きぬ それだけのこと (偐家持) 本日、智麻呂邸を訪問し、雑用を済ませる傍ら、新作4点をゲットし、今回の絵画展となりましたが、智麻呂邸には色取り取りの花があって、春爛漫です。これからも色々な花の絵を描いていただけるものと思います。皆さまもどうぞお楽しみに(笑)。
2012.04.10
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小生よりもずっと若い、従弟が亡くなった。 昨夜がお通夜で今日が葬儀。 先程、帰宅いたしました。(上の「南無阿弥陀仏」は彼自身の筆によるもの、とか。) 若い頃から書をよくした彼であるが、そう言えば、我が家にも彼の書の掛け軸一つある。それは、 渭城朝雨?輕塵 客舍青青柳色新 勸君更盡一杯酒 西出陽關無故人という王維の有名な詩の書である。彼が如何なる思いでこの書をくれたものかは知らぬが(どうも亡き父が彼から贈られたもののようであるが・・)、今はむしろ、この詩を遠く旅立って行った彼に小生が贈りたい気がする。もっとも、もう1杯呑めと勧めても、今は詮無いことであるのだが・・。 彼の安らかなる眠りを心より祈る。合掌。光降る 桜の朝を など急ぎ 散りか往(ゆ)きにし 背子はかなしき (偐家持)桜花 咲きて光れる 春の日を いづちや君の 散りにし往(ゆ)ける (偐家持)春花は 今を盛りと 咲くなれど さぶしもわれは 君し居なくば (偐家持) 折しも桜は今が盛りと咲き匂っているのであるが、西行でもあるまいに、その花の盛りの中、病に倒れた彼は早々とアチラへと旅立ってしまった。
2012.04.09
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本日は月例の墓参。 墓参の後は山添いの道を散策して、枚岡梅林・枚岡神社・枚岡公園と桜の花を求めての桜散歩、花逍遥でありました。 帰途は久し振りの散髪。伸び過ぎた髪を切ってサッパリとした頭になりました。もっとも中味の方は以前からサッパリですが(笑)。 <写真はクリックすると拡大サイズの写真になります。>(枚岡梅林の柳と桜)(同上) 桜のピンクと柳の緑が美しいコントラストを演出してなかなかいい。 万葉集に桜と柳両方を詠んだ歌はないかと探したが見当たらない。梅との共演では次の歌がある。青柳(あをやなぎ) 梅との花を 折りかざし 飲みての後は 散りぬともよし (笠沙弥 万葉集巻5-821) 仕方がないから、桜と柳の共演は偐家持のセルフサービスです。青柳(あをやぎ)の 糸が戯(たはむ)る 桜花 散らぬ間(ま)にこそ 見せむ妹がも (偐家持 偐万葉集) セルフサービスで「偐(にせ)」の悲しさ、所収の歌集がない。そこで「偐万葉集」ということになりました(笑)。 ついでに、「柳」の万葉歌も掲載して置きます。こちらは、ご本家の家持さんの歌であります。春の日に 張れる柳を 取り持ちて 見れば都の 大路(おほぢ)思ほゆ (大伴家持 万葉集巻19-4142) ところで、ヤナギは楊と柳があるが、枝垂れている糸柳が「柳」で、「楊」はネコヤナギのことになりますな。楊は猫、柳は蛙。この意味は分る人だけが分れば宜しい。(枚岡梅林の桜) 万葉では「花」と言えば「萩」と「梅」で、桜の歌はこの二つの花の歌数には遠く及ばない。古今集の時代になってからですかな、桜は。もっとも、古今集の桜の歌数を数えたことはないので、何ともいい加減な話ではある。絶等寸(たゆらき)の 山の峯(を)の上(へ)の 桜花 咲かむ春べは 君し思(しの)はむ (播磨娘子(はりまのをとめ) 万葉集巻9-1776) (注)絶等寸の山=姫路城のある姫山説と南部の手柄山説とがある。 <関連記事>2007.8.17.「カンナ燃ゆ」見渡せば 春日の野辺に 霞立ち 咲きにほへるは 桜花かも (万葉集巻10-1872) 今や桜を代表するソメイヨシノであるが、これは江戸時代にオオシマザクラとエドヒガンの交配によって人工的に作られた「桜」であるから、万葉の頃や西行の頃の「桜」ではない。彼らが眺めた「桜」はヤマザクラであるから、まあ、吉野山の桜が、その景色に近いのでしょうな。(満開です。) 以下の山桜は、本日のものではなく、5日の銀輪散歩の折、深北緑地で撮影したものであります。5日の記事には、字数制限の関係で掲載できませんでしたので、此処に掲載して置きます。(山桜)(同上) 先程、偐山頭火氏よりメールが入り、昨日の記事で言及、ご紹介申し上げました「若草歌壇2012年春花園篇」が河内温泉大学図書館に収録され、一般公開に供されたとのことでありますので、お知らせして置きます。 河内温泉大学図書館にご入場の方はコチラからどうぞ。入場・閲覧共に無料です(笑)
2012.04.07
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若草読書会では新年会やお花見会では歌や俳句を持ち寄って「歌会もどき」「句会もどき」をやって楽しんでいます。 そして、それらの短歌や俳句をまとめて歌集仕立てにして、河内温泉大学図書館にて一般公開するということをやって居ります。 先般の花見会(4月1日)の歌会のものも、歌集への編集が完了しましたので、ここ数日中には上記図書館に収蔵、公開されるかと存じます。 今回は小生のブロ友のマダム・ゴージャスさんがお寄せ下さった「数字変換可能短歌」1首も「番外」で掲載させて戴きました。 また、新年会(1月29日)の分も公開が遅れていましたが、同図書館を管理運営されている、自称「河内温泉大学名誉教授」の偐山頭火氏から、先般公開処理完了のご連絡がありましたので、併せお知らせ申し上げます。 もし、物好きにもご興味をお持ちでしたら、下記の「河内温泉大学図書館」にアクセスし、ダウンロードしてご覧下さいませ。勿論どなたも出入りご自由・無料でありますので、お気軽にどうぞ(笑)。 河内温泉大学図書館はコチラをクリックしてお入り下さい。 歌集は図書館の「若草歌集」の棚にあります。 <参考記事> 2012年 4月 1日 「数字変換可能短歌・俳句」 2011年12月25日 「ふる雪はあはにな降りそ・・」 2012年 1月26日 「崇福寺跡へ」(若草歌壇2012初春篇・表紙)(若草歌壇2012年春花園篇・表紙)
2012.04.06
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今年の選抜高校野球は大阪桐蔭高校の優勝で幕を閉じました。久し振りの大阪勢の優勝、大阪人としては嬉しい限り。しかし、東北勢ということで、青森の光星学院にも優勝させたかったという気も少しあって微妙(笑)。まあ、何はともあれ、大阪桐蔭高校、優勝おめでとうございます。 さて、その大阪桐蔭高校。この学校は小生在住の東大阪市の北隣の市、大東市にある。野崎観音や四条畷神社、深北緑地など小生の銀輪散歩北コースの際には、この高校の門の前をよく通るので、まあ、地元の高校のような親近感を持っている。 今日もMTBでフラリ北へと向かい、深北緑地銀輪花逍遥と洒落てみましたが、その行き帰りにこの大阪桐蔭高校の前を走りました。昨日の選抜優勝への祝意として、1枚撮ることとしました。(大阪桐蔭高校) 深北緑地は大阪桐蔭高校の前から北へ、JR野崎駅前を過ぎて西に少し行った処にある。桜もかなり咲き進み、お花見の人で賑っていました。 小生も、暫し花逍遥である。 写真を多数掲載したので、文字数制限にかかり、これ以上の記述は無理です。では、どちら様もゆっくりと花などご覧になり、花逍遥遊ばされませ。 写真はクリックして拡大サイズでご覧下さい。(深北緑地)(桜のアップ)(桜と白木蓮)(同上)(辛夷と白木蓮)(辛夷のアップ)(白木蓮のアップ)(木蓮のアップ)(木蓮)(ユキヤナギ)(レンギョウ)(水仙)(同上)(水仙のアップ)(緋寒桜)(同上)(桜)(枝垂れ桜)(サンシュユと桜)
2012.04.05
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本日は囲碁例会の日。天気も好し。いつものようにMTB(マウンテン・バイク)で銀輪散歩も兼ねての梅田までのお出掛けでありました。 途中、大阪城公園の桃と桜を写真に撮りましたので、それを掲載して置きます。 目的地が「桃谷」でも「桜宮」でもなく「梅田」なのに、写真は何故か「桃」と「桜」なのであります。これは、大阪城公園の桃園の前をMTBで偶々通りがかったら桃が今を盛りと咲いていた、というだけのことにて、特段の意味はありません(笑)。 (注)写真をクリックして戴くと、拡大写真でご覧になれます。 桃の花は、梅や桜ほどには注目されない花という気もするが、なかなか華やかで見る者を明るく楽しい気分にしてくれる。桜のようなそこはかとなき儚さ、愁い、と言った面がなく、只々単純に明るいというのが桃の花というものであるが、これは「桃の節句」のイメージの所為でしょうかね(笑)。 中国人観光客の若い女性二人が、この木の前で写真を撮っていましたが、彼女たちの邪魔にならない角度から、小生もパチリ1枚です。更に接近してアップでもう1枚。 コチラの木の写真を撮っていたら、カメラを持った男性が近づいて来られ、「この花は何という花ですか?」と仰る。 「???。桃の花です。」、 「ああ、これが桃の花ですか。」 桃の花がむくれそうな会話でありました(笑)。 少し離れてのアングルもいい。春の苑 くれなゐ匂ふ 桃の花 下照る道に 出で立つをとめ (大伴家持 万葉集巻19-4139) 桃の万葉歌はこれに尽きますな。 桃の万葉歌は数首あるのみで、梅には勿論、桜にも遠く及ばない。そう言えば、梅や桜には「枝垂れ梅、枝垂れ桜」というのがある。これは、より花を美しく鑑賞しようという人間の情念から生まれた形態でしょうな。「枝垂れ桃」というのは耳にしたことがないから、無いのでしょうな。どうやら桃は花よりも実の方に人の関心があったようです。桃の実には邪悪なものを払う霊妙な力があると信じられたことがその原因であるのかも。 「桃」と言うと「桃の花」ではなく「桃の実」を先ず思い浮かべられてしまうとあっては、桃の花を詠った歌が少ないのも頷けるというものである。上の家持の歌も「桃の花」と「花」をわざわざ付けているのはその所為か。「桜」に「桜の花」と言うと冗長な感じがするが、「桃」は「桃の花」でしっくりする。「名より実を取る」という言葉があるが、桃は「花より実を取る」のでありますな(笑)。「ハナモモ」という名があるのも同様の理由でしょう。「ハナウメ」「ハナサクラ」はない。 補注:調べたらハナモモにも「枝垂れ」の品種があり「枝垂れ桃」と言うそう な。上の言説は小生の無知による論でありました。 枝垂れ桃 あるとし知りて したり顔の ヤカモチ今は うなだれて居り (偐家持) 以上追記4月5日午後4時30分 さて、桜です。多くは、未だ三分咲き、五分咲きといった処である。これらは、往路の、朝の写真であるが、帰途にもう一度大阪城公園を通ったら、お花見の席取りでしょう、お堀端の桜の木という木の下にビニールシートが敷かれていて、多くの人たちが集まって来ていました。夜桜を楽しむという、近くのサラリーマンたちのお花見ですな。新入生歓迎のお花見もあることでしょう。この週末が満開でしょうから、この土日は何処も花の下は「花盛り」なことでしょう。あしひきの 山桜花 日(け)並(なら)べて かく咲きたらば いと恋ひめやも (山部赤人 万葉集巻8-1425) 赤人さんも、すみれを摘んだ足で、桜の花見のようであります。 いつもの通り、アポロカフェで昼食。11時半になる少し前に到着。この店を経営されている女性のお二人が小生の高校の後輩ということで、いつもより早く店に入ったこともあり、他に客の姿もなかったので、高校時代の思い出話などに興じたりもしました。 さて、囲碁例会であります。会場の部屋が、今月から梅田スカイビルの21階からアネックス棟の「ガーデン5」の5階に移転していたことを失念し、21階に上ってしまった。ワーキングメモリーの劣化ですな。新しい会場に移動。既に青◎氏が来て居られたので、お手合わせ。これは中押し勝ち。そうこうしているうちに、竹◎氏、村◎氏、平◎氏も来られ、小生を含めて5名の出席でありました。 2局目は村◎氏と。これは、前半の強引過ぎる打ち方による失敗が響き、後半、かなり戻したものの及ばず、完敗。3局目は竹◎氏と。終盤近くで相手の薄みを突いた一手が決まり手となって、こちらペースの展開となり、中押し勝ち。2勝1敗とまずまずの成績でありました。これで、今年になってからの勝敗は13勝9敗。まだ、白星が先行しています(笑)。
2012.04.04
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今日は若草読書会恒例の花見会の日。 場所は花園中央公園。 花見の場所取りは、毎度、偐家持の役回りですが、今回は日取りの設定が早過ぎたため、ソメイヨシノは開花して居らず、白い桜(オオシマザクラか?)1本だけが咲いていました。運よくその真下の場所をゲット。 出席者は、智麻呂・恒郎女夫妻、凡鬼・景郎女夫妻、謙麻呂氏、小万知氏、祥麻呂氏、槇麻呂氏、和麻呂氏、偐山頭火氏の常連に加え、久し振りの福郎女氏に偐家持の12名。 午前11時過ぎには全員が揃い、11時半頃から花筵開宴。呑み、食い、思い思いの話の花が咲きました。 食事がほぼ終わりかけた頃に雨がパラつき出したので、花見は切り上げることとし、智麻呂邸へ徒歩で移動。智麻呂氏は電動車椅子で移動。偐山頭火氏はMTBで移動。偐家持はMTBを押しながら歩いて移動。 智麻呂邸での第2部は偐山頭火氏が講師にて、同氏から山頭火の生涯やその句作併せて同氏が最近行かれた「山頭火の足跡を追って」の中国・四国・九州の旅や温泉についての興味深いお話を伺いました。 第3部は各自が持ち寄った自作の短歌・俳句の披露となる「若草歌壇」。これらの歌・句は追って河内温泉大学図書館にて公開する予定でいますが、同大学名誉教授にして同図書館管理人である偐山頭火なる御仁は気まぐれゆゑ、それがいつのことかは誰にも分りません。新春の分も未だ公開になっていませんから(笑)。 3部が終わった処で、用向きで遅れていた香代女氏も到着。第4部は「たこ焼きパーティ」であり、話し込む人あり、歌う人あり、勿論、食う人、呑む人ありで、好き好きのくつろいだ時間が流れて行きました。 さて、今回、偐家持が作った歌・俳句は名付けて「数字変換可能歌」というものでありまして、音から数字変換が可能な読みの文字のみによって作られた歌・句というものでありました。 論より証拠。下にそれを掲載して置きます。頭の体操みたいなものですから、皆さんも挑戦してみて下さい。 当ブログのコメント欄にその歌をお寄せ下さいましたら、若草歌壇・番外編として収録掲載させて戴きます(笑)。 このような形式の歌を思い付いたのは、ブロ友の童子森の母さんの3月29日の「肉の日(29の日)」の記事からです。 <参考:童子森の母氏の3月29日の記事はコチラ参照。>花(87)咲(3)く(9)と(10) 難波(728)弥生(841)に(2) 恋(5)ひ(1)来れ(90)ど(10) 花(87)見(3)よし(44)なし(74) 花(87)咲く(39)なく(79)ば(8)憎(29)し(4)と(10)は(8) 恋(51)し(4)こ(5)と(10)よ(4)と(10) 言(1)ふ(2)人(1)に(2) 咲(3)くや(98)難波(728)津(10) 花(87)咲(3)く(9)宿(810)は(8)花(87)一(1)枝( 4 ) 挿し(34)はさみつつ(83322) 恋文(5123)に(2) 恋(51)しと言ふは(410128) 恋(51)し人なむ(4176)富士に咲く(24239) 花(87)に(2)は(8)恋(5)ふな(27) 庭(28)に(2)咲く(39) 花(87)に(2)し(4)恋(5)ひよ(14) 難波(728)男(0105)は(8)愛(110)し(4)み(3)と(10) 越(54)に(2)咲(3)く(9)花(87) 恋(5)ひ(1)来れば(908) なに(72)しや(48)い(1)よよ(44) 身(3)と(10)心(556)さく(39)花(87)なく(79)は(8) さ(3)むしろ(646)広(16)し(4) 花筵(87646) (注)難波津=普通は「なにはづ」と読むが「なにはと」と読ませてみた。 一枝=普通は「ひとえだ」と読むが「ひとよ」と読ませてみた。 5首目の歌は西行の次の歌を踏まえて作りました。 吉野山 こずゑの桜 見し日より 心は身にも添はずなりにき さむしろ=「寒し」と「さ筵」とを掛けている。 花筵=花見の筵。転じて、宴、酒の席。
2012.04.01
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