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大晦日 今日(けふ)にして 年(とし)は極(は)つなり 新(あらた)しき 年も真幸(まさき)く ひとみなあれや (偐家持)(淀川河口夕照)この1年 偐万葉田舎家持歌集に遊びにお越し下さいました皆さまどうも有難うございましたこの1年のご愛顧を心より感謝 お礼申し上げます来たるべき新年が皆さまにとって更にも良き年となりますようお祈り申し上げますけん家持(偐家持)^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ さて、今年新たに当ブログをお気に入りにご登録下さったお方は下記の通りであります。厚くお礼申し上げますと共に、引き続きよろしくお願い申し上げる次第であります。バード6787氏 IT‐PLUS氏 ウーテイス氏 らふたまん氏 幸達氏miraku300氏 LAVIEN10氏 frano‐craft氏 あすかのそら氏ふろう人氏 また、この1年、当ブログにコメント戴きましたお方は下記の通りであります。それぞれのコメント、楽しく拝読させて戴きました。あらためましてて茲にお礼申し上げます。 来年も変らぬご厚誼を賜りますよう、宜しくお願い申し上げます。英坊3氏 ふぁみり~キャンパー氏 ビッグジョン7777氏 ウーテイス氏小万知氏 偐山頭火氏 ひろろdec氏 童子森の母氏 オガクニマン氏 真澄氏 るるら氏 くまんパパ氏 腰痛ギャンブラー氏 防人よか男氏20楽10天氏 furano‐craft氏 マダムゴージャス氏 ふろう人氏あすかのそら氏 今年1年を振り返ってみて、何か特筆すべきことが当ブログにあっただろうか・・などと考えてみましたが・・、 何もありませぬ(笑)。 で、掲載記事の件数などを記載して総括致しますと、 この1年の掲載記事総件数は、251件 まあ、我ながらよく書いたものです。 1日にアップするのは1記事のみとする。これが当ブログの基本方針であり、例外的なものを除き、ほぼそれに沿っていますから、今年の記入率は、 365分の251(68.8%)。 つまり、3日に2日以上はブログ記事を書いたことになる。 もう一度、「我ながらよく書いたものである(笑)。」 記事のカテゴリー別内訳は次の通り。 銀輪万葉 74件 偐万葉シリーズ 31件 智麻呂絵画展関係 22件 近隣散歩関係 22件 囲碁関係 21件 友人ほか関係 18件 言葉遊び関係 14件 若草読書会関係 14件 花シリーズ 11件 万葉関係 9件 カテゴリー未分類 7件 和郎女作品展関係 2件 虫関係 2件 ブログの歩み関係 2件 和歌・俳句・詩関係 1件 絵画関係 1件 また、このブログ、「偐」は付けども、一応は「歌集」と銘打っていますので、今年作った歌についても総括すると、本日掲載の冒頭の1首を加えまして今年1年間に作った歌の数は本日只今現在で、 645首になります。 多いのか少ないのかは別にして、「下手な鉄砲も」式の粗製乱造でありますので、その質は問わず、であります。 来年も懲りずに、このスタイルで参りますので、どうぞ皆さまも「懲りずに」宜しくお願い申し上げます。
2013.12.31
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本日は恒例の年末の墓参。 いつものコースと違う道を行くと、かつて田畑であった処が住宅地になっていて様変り。野中にポツンとあった水走家の墓も住宅に取り囲まれていました。三日見ぬ間の、とまでは言わないけれど、見慣れた景色がいつの間にか失われているというのが現実という奴ですな。(水走氏墓所)ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。 たましきの都のうちに、棟を並べ、甍を争へる、高き、卑しき、人のすまひは、世々経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。あるいは去年焼けて今年作れり。あるいは大家滅びて小家となる。住む人もこれに同じ。(方丈記) 水走氏は中世にこの地域を支配していた氏族。枚岡神社の祭神・天児屋根命を祖とし、中臣氏やその後裔である藤原氏とも同族の平岡連(平岡氏)の末裔の氏族である。 現在の東大阪市五条町の山麓、この墓所のある付近一帯に広大な屋敷を構えていたようである。詳しくは下記<参考>と説明板をご参照下さい。 <参考>水走氏・Wikipedia 墓参・梅の花今か咲くらむ 2012.3.3.(水走氏墓所説明板) 墓参の後、山麓を暫し散策。 煤逃げの 墓参のあとや 回り道 (筆蕪蕉) 墓から東大阪市立郷土博物館へ行く途中に行場がある。昔は滝があっただけだったが、ここでも「いつの間にか」周囲に小さな祠や石碑群が置かれて行場らしい「怪しげ」な雰囲気を醸しているのでありました(笑)。(行場)(同上)(同上) かたわらでは、ヤツデが「あっしには関わりのねえこってござんす。」と白い花を咲かせているのでありました。 しらじらと 花なき冬の やつで哉 (筆蕪蕉)(ヤツデ)
2013.12.30
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第93回全国高等学校ラグビーフットボール大会が昨日から始まった。年末から正月にかけて、花園ラグビー場が一番輝くのがこの時期である。 天気もよし。ヤカモチも銀輪散歩の途中で暫し試合観戦を楽しんで来ました。(花園ラグビー場)(同上) いつもは、散歩の人などが行き交うだけのラグビー場の前庭であるが、大会開催中は賑やかになる。今日もご覧のように人の群れ。 花園ラグビー場には、スタンドを備えたメインのグラウンドの外に2面の予備グラウンドがある。大会はメイン・グラウンドを第1会場、予備グラウンドのうち北側のものを第2会場(東側の予備グラウンドは練習グラウンドとして使われているようで、試合前のウォーミングアップなどに選手たちが使っていました。)、外にある多目的競技場を第3会場として、大会の試合が行われている。 先ず、第1会場を覗いてみた。勿論、入場券(一般1000円)を買わないと入れない(笑)。 第1会場では滋賀県代表の光泉高校と埼玉県代表の浦和高校が対戦中でありました。試合は終始押し気味の光泉が22対12で浦和を破りました。 では、試合の雰囲気などを以下の写真で皆さまもどうぞ。(第1会場・光泉高校<滋賀>-浦和高校<埼玉>戦)(同上)(同上)(同上) 第2会場では、山口県代表の大津緑洋高校-北北海道代表の遠軽高校が対戦、こちらは接戦となり18対13で大津緑洋が勝ちました。 大津緑洋高校の応援にはゆるキャラの着ぐるみも参加していましたが、高校にも「ゆるキャラ」があるのですな。会場の外では東大阪市のゆるキャラ「トライ君」やその消防隊スタイルのゆるキャラなどがやって来ていて、愛嬌を振りまいていましたが・・。(第3会場<多目的競技場>・国学院栃木高校-鹿児島工業高校戦) 第3会場は陸上競技などにも使える多目的競技場であるが、ラグビーやサッカーも行うことが出来る仕様になっている。 こちらでは、栃木県代表の国学院栃木高校と鹿児島県代表の鹿児島工業高校の試合が行われる処でした。(同上) 先日、小生の楽天プロフィールの或る記事をナイスして下さった方のブログを覗いてみたら、この方は鹿児島の方で、鹿児島工業高校のラグビー部のOBでいらっしゃるようで、鹿児島工業の花園出場を祝う記事を書いて居られました。そんなこともあって、鹿児島工業の試合も気になって覗いてみたのですが、これは国学院栃木が力の差を見せつけるかのように終始圧倒、55対7の大差で圧勝でした。 試合は大敗しましたが、鹿児島工業の応援席からの整然とした元気な応援ぶりはとても好感の持てるものでありました。(同上)(同上)(同上)<参考>過去の関連記事花園中央公園 2008.5.1.全国高等学校ラグビーフットボール大会 2008.12.28. 煤逃げ銀輪散歩-犬養万葉歌碑 2010.12.30. ゆるキャラと囲碁銀輪と 2011.1.5. ラグビー神社など銀輪散歩 2012.12.17. 花園中央公園案内図(花園中央公園総合案内板)
2013.12.28
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クリスマスはイエス・キリストの誕生日ということですが・・。 聖書にはキリストが何月何日に生れたという記述は一切ない。 <参考>クリスマス・Wikipedia キリストの降誕・Wikipedia 西暦元年に生まれたというのも、ローマの神学者ディオニュシウス・エクシグウスが「ルカによる福音書」第3章の記述から、ローマ皇帝ティベリウス在位15年(ローマ建設紀元754年)にイエスは30歳であったものとして推定したものだそうな。 <参考>ディオニュシウス・エクシグウス・Wikipedia しかし、マタイによる福音書では、イエスはヘロデ王の代に生れたとされており、ヘロデはローマ建設紀元750年に没しているから矛盾する。 マタイによる福音書によるならばイエスが生まれたのは西暦元年ではなく、紀元前4年以前でなければならないことになります。 また、生れた日についても、12月25日の他に、1月6日、2月2日、3月25日、4月2日、4月19日、5月20日、9月11日、11月8日、11月17日など諸説があり、邪馬台国論争と似た状況です。 <参考>ルカによる福音書第3章 「皇帝テベリオ在位の第15年・・・イエスが宣教を始められ たのは、年およそ30歳の時であって・・」 マタイによる福音書第2章 「イエスがヘロデ王の代に、ユダヤのベツレヘムでお生れに なったとき・・」 さて、古代メソポタミアでは冬至の前後12日間を新年の祭として祝っていた。冬至のこの期間はカオスに住む怪物が出て来るので、暗く寒くなる。そしてバビロニアの最高神マルドゥクがこの怪物と戦い打ち負かすことによって、明るさと温かさが回復すると考えたのです。 <参考>マルドゥク・Wikipedia また、古代ローマでは冬至の祭として農耕神サトゥルヌスを祀る祭が行われていた。これは飲めや歌えやのお祭りでしたが、夜中ロウソクの灯を灯したのも太陽神を呼び戻すためのもの。このロウソクと小さな人形をプレゼントし合うということから始まって、色々なプレゼント交換の習慣が広がったとされる。クリスマスプレゼントの起源ですかな。 太陽神を呼び戻すためのドンチャン騒ぎもアマテラスの岩戸隠れのそれと共通していて面白い。 <参考>サートゥルヌス・Wikipedia(ゴヤ「我が子を食らうサトゥルヌス」) ということで、クリスマスが12月25日となったのは、このような古代農耕民の多神教の祭と習合した結果でありました。 宗教というものは民間に広く浸透すれば自然に習合して行くもの。こういう習合という現象は組織的宗教にとっては自身の組織のアイデンティティの危機という側面も有することとなる。これに対して危機感を感じて純化しようとする動きが生じるのも自然の成り行き。これと組織的権力を持った側が反対の勢力を排除するための論理とが結び付いたのが「異端」という排除の論理ということになりますかな。 それはさて置き、そもそもクリスマスというものがキリスト教と異宗教の習俗と習合して生まれているものでありますから、宗教的な厳密性を求めないわが国に於いて、クリスマスが習俗として広まり定着したのは、極々当然のことと言うべきでしょうか。
2013.12.25
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I wish you a Merry Christmas明日はクリスマス・イヴ。 どうぞ皆さま、いいクリスマスをお迎え下さいませ。 若草読書会の中心的なメンバーの凡鬼・景郎女ご夫妻から「野の花文庫だより」と共にクリスマスカードが届きました。ご夫妻には心からお礼申し上げます。 ヒマの馬子なれど、ものぐさの守屋、筆不精の筆蕪蕉にてもある、大雑把のヤカモチの偐家持でありますれば、これを借用させて戴くことと致しまして、皆さまへのメリー・クリスマスのメッセージとさせて戴きまする(笑)。(クリスマス・カード)(同裏面) 裏面には、手作りの折紙のサンタさんが貼り付けられていました。景郎女さんが長年に亘って続けて居られる文庫活動の「野の花文庫」でお作りになられたものであるのでしょう。 凡鬼さんの「聖夜劇星役の子はうとうとと」という俳句も添えられています。この21日(土)に行われたらしい、野の花文庫のクリスマスパーティーでは子供たちによる劇も催されたのでしょうか。その折の微笑ましい光景が目に浮かんで来る、ほのぼのとした句です。蛇足ですが、偐家持の悪い癖の脇句を付けてみました。聖夜劇 星役の子は うとうとと (凡鬼)揺れて光れと 言はれてなくに (偐家持) <参考>高槻市立図書館ホームページ(赤ちゃんと絵本とわらべ歌)同・ブックスタートブックスタート研修・東大阪市立図書館NPOブックスタートのホームページ
2013.12.23
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今日は友人の利◎君と二人だけの忘年会。 もう一人の友人、東京の貝◎君も参加予定であったが、急に手の放せないことが生じてしまい、キャンセル。 3人での会食は新年会に持ち越しとなりました。 店は、利◎君が馴染みにしている下記の「法善寺・鯛めし・銀○」という店。法善寺の斜め向かいにある。料理も美味い、酒も美味い(まあ、酒を呑まないヤカモチなので、これは「多分」という推量<笑>です。)、雰囲気もよい。 <参考>大阪市中央区難波1丁目5番2号 「法善寺 鯛めし 銀○」 電話06-6211-9515(銀○・ぎんまる) 少し早く来たので、法善寺界隈を散策してから、銀○へ。 ひとめぐりして再び、店の前にやって来ると、上の写真の状態から、下の写真の状態に。やはり、灯がともらないとこういう店は雰囲気が出ませんね。(同上) 法善寺横丁や水掛け不動の写真を撮ろうと早めに家を出たので、界隈を散策です。決して徘徊ではありません(笑)。(法善寺) 水掛け不動さんは、さすがに参拝する人が絶えません。暫く眺めていましたが、人の姿のない状態で撮影することの出来るのはほんの一瞬で、それを逃すと、また暫くは待たなくてはならない、ということとなる。(法善寺・水掛け不動) (水掛け不動さん) しょっちゅう水を掛けられ続けるので、全身が苔だらけのお不動さんである。お堂の玉垣には見覚えのある名も。(夫婦善哉) お不動さんの傍らにはご存じの夫婦善哉の店です。昔、一度だけ入ったことがあるが、あれはいつのことであったやら・・。上の写真の右端に写っている木札には次のように書かれています。 「夫婦善哉の由来は、明治16年、浄瑠璃語りの竹本琴太夫こと「木文字重兵衛」が副業ではじめたぜんざい屋の「お福」がはじまりです。おたやん(お多福)の「お福」のまねき人形を据え、一人前を夫婦にたとえ、お盆に仲良くお椀二杯に分けて提供することで商売繁盛し「めをとぜんざい」で通るようになりました。昭和15年「東の太宰、西の織田」と謳われた文豪、織田作之助の小説「夫婦善哉」に登場し、森繁久弥主演で映画化され、全国的に一躍有名になりました。夫婦善哉は、夫婦円満善哉。商売繁盛善哉。縁結び善哉。良縁来たる善哉として昔より縁起物として評判であります。最高級小豆の代名詞、丹波大納言小豆を使い、じっくり丁寧に仕込みました。お口直しに道南産塩昆布もお付けしております。昔懐かしい法善寺横丁の風情そのままの大阪の味をご賞味くださいませ。」(「大阪ぐらし」の碑) 夫婦善哉の向かいには上のような碑もありました。「大阪ぐらし」という歌はぼんやりと記憶にあり、確かフランク永井・・と思うが定かではない。で、帰宅後調べたら、やはりフランク永井さんでありました。 「がたろ」というのは大阪弁で河童のこと。「河太郎」→「かわたろう」→「かたろう」→「がたろう」→「がたろ」と変化したのでしょう。 小生の祖父位の年代の人達が使っていた言葉で小さい頃に耳にした記憶があるが、最近は耳にすることもない。 織田作之助が幼少期を過ごしたのが通称「がたろ横丁」という処であったらしいが、現在の天王寺区、生国魂神社付近にでもあったのだろうか。 そして、法善寺横丁。 (法善寺横丁)
2013.12.20
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以前に銀輪散歩で見掛けたマンホールの蓋の写真を並べて記事にしたことがありましたが、その後に出て来た写真やその後に撮った写真がかなりの数になりましたので、(その2)として纏めてみることとしました。 <参考>銀輪散歩・マンホール 2013.10.21.1.京都市 京都市のマンホールは前回にも掲載しましたが、下のものは古いタイプのデザインのもののようです。 以下は、吉備路自転車道サイクリングで目にしたもので、一部はその折の記事に掲載済みであるが、再掲載して置くこととします。2.総社市 「そ」は総社市の「そ」ということで、「そ」が中央に。これは総社市の市章ですかな。3.倉敷市 倉敷の花は藤の花なんでしょうか。藤がデザインされている。右側の色付きのものは、上下逆様に撮影されていますので、それを踏まえてご覧下さい。 こちらは消火栓の蓋ですね。正体不明のキャラがホースを握っています。4.岡山市 岡山に入るとホースを握るキャラは桃太郎に変ります。 マンホールも桃太郎のデザインです。右側のは古いデザインのもののようです。 以下は、広島・宮島銀輪散歩の折のものです。5.広島市 広島は鯉ともみじ饅頭。ということで、右側の色付きは鯉と紅葉があしらわれています。 下のようなデザインのものもありましたが、これは何を表現しているのでしょう。6.廿日市市 次は広島市の西隣の廿日市市のものです。 廿日市市と言えば安芸の宮島。宮島の島内は観光地らしく、もみじをあしらった彩色のものがありました。勿論、厳島神社や紅葉谷公園などの観光地を離れると、右のような普通のデザインのものになっています。 新潟市のものも見つかりましたので、併せ掲載して置きます。7.新潟市 右のものは、信濃川に架かる万代橋をデザインしたものかと思いますが、ちょっと橋を書き過ぎですな(笑)。 下のようなタイプのものもありますが、両サイドはチューリップであることは分かりますが、中央のお日様のようなものは何であるのでしょう。 他愛もないものであるが、その地、その地で色々なデザインのものがあり、このようにいくつかを並べてみると、まあそれなりに何やら面白くもある。
2013.12.18
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第133回智麻呂絵画展 今年最後の智麻呂絵画展であります。 年初、1月6日に第112回展を開催し、今回が133回展。今年は22回、智麻呂絵画展を開催することが出来ました。出展作品点数は207点の多数に及びました。この1年間の智麻呂さんの頑張りに拍手であります。また、それを支えて下さった恒郎女さんにも拍手です。 そして、アンデスのトマトや福寿苑の皆さま、ご近所の皆さま、若草読書会の仲間、更に当ブログで智麻呂絵画展にご来場下さり、温かいコメントを多数お寄せ下さいましたブロ友の皆さまなど、智麻呂絵画を応援下さった全ての皆さまに心より感謝申し上げます。 先ずは、智麻呂ご夫妻からの皆さまへの感謝のメッセージであります。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー御礼この1年、智麻呂絵画展をご支援下さいました皆さま本当にお世話になりましたお陰様で沢山の絵を描くことができました有難く 心より御礼申し上げます皆さまの上に 神様の祝福と豊かなみ恵みがありますようにどうぞ 皆さま よいクリスマス よいお正月をお迎え下さいませ2013年 師走 17日智麻呂 恒郎女ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー <参考>他の智麻呂絵画展は下記から。 第1回展~第100回展 第101回展~第200回展 第201回展~(リンドウ) このリンドウは、ブロ友のビッグジョンさんが同氏のブログに掲載されていた下記の写真がモデルです。(ビッグジョン氏ブログ記事掲載写真) 過日、この写真を印刷に打ち出してお持ちしたのですが、このような絵になっていたという次第。白彼岸花(129回展)以来のことであります。(下仁田葱) この時期になると登場するのがこの下仁田葱です。智麻呂さんの学生時代からの親友で今は亡き木◎牧師の奥様から送られて来る葱です。木◎先生がお亡くなりになった後も、「主人の遺言ですから」と奥様が送って来て下さるのだという。 ヤカモチは面識はないのであるが、智麻呂さんのお話から「やあやあの君」と名付けさせて戴いている(笑)。磊落豪快で親しみやすいお人柄の御仁であったようです。(パンジー) すみれは智麻呂ご夫妻にとっては特別の花。若き日の智麻呂さんが若き日の恒郎女さんに初めてプレゼントされたのがすみれのブローチ。 その「すみれ」が大和古来からのスミレなのか三色すみれと呼ばれるこのパンジーであるのかは、承知しないヤカモチであるが、すみれの花を見るとこのお話を思い出すのである。 ヤカモチにとってのこれに類するような花は何であるか・・というと「五月のバラ」なのであるが、これはここで申し上げるようなことではありませんですな(笑)。(サネカズラ) これは、小万知さんがお持ち下さったサネカズラです。玉くしげ みむまど山の さなかづら さ寝ずはつひに ありかつましじ (藤原鎌足 万葉集巻2-94) 鎌足のこの歌は、訪ねて来て帰ろうとしない鎌足に鏡王女が次の歌でやんわりと(まあ、余りやんわりでもないが<笑>)拒絶したのに対して、返した歌である。玉くしげ 覆ふを安み あけて行かば 君が名はあれど わが名し惜しも (鏡王女 同巻2-93) 鏡王女が「夜が明けてからお帰りになって人の噂になっては困ります。あなたの名はともかくわたしの名に傷がつくのが惜しいのです。」と言うのに対して、鎌足が「さなかずらのサナではないがあなたと共寝しないでは居られませんよ。」と迫っている。 万葉のストーカーですな(笑)。しかし、鏡王女も「あんたなんか嫌い」とは言って居らず、噂になっては困ると言っているだけ。つまり、噂にならぬよう暗いうちに帰るのならOKよ、と言っていなくもないから、これはストーカーにはならない(笑)。 万葉では「さなかづら」であるが、「さ・な」の音は「さ・ね(寝)」の音につながり、そのツルの絡み合う姿などからも「共寝」を連想させたようです。 万葉人にとって恋のやりとりをする歌には恰好の植物の一つであったようでもあります(笑)。あしひきの 山さなかづら もみつまで 妹に逢はずや わが恋ひ居らむ (万葉集巻10-2296)(鮭) この鮭は中◎◎氏からのお届け物。見事な出来栄え。辛口評の恒郎女さんも、この絵に関しては褒めて居られました(笑)。 既に第86回展での鮭の絵の処で述べたことであるが、万葉集には鮭は登場しない。平城京出土木簡によって鮭が献上されていたことが確認されているので、万葉人の食卓にも鮭が載っていたことは間違いないようだ。鮎あれど 鮭の新巻(あらまき) 万葉の 巻(まき)になきとは なさけなきかな (駄洒落鮭麻呂)(南紀蜜柑) 上は槇麻呂さんからの蜜柑で下は偐家持からの蜜柑の絵です。 これも年末恒例の絵でありますな。(香川蜜柑) では、皆さま、今回もご覧下さり有難うございました。 これにて今年の智麻呂絵画展は終了。偐家持美術館の営業も年末年始のお休みに入ります。(但し、偐万葉田舎家持歌集の方は年末年始も休まず、いや、少しは休むこともあるかも知れませんが、そこそこに営業致す予定であります。<笑>) 来年もまた智麻呂展、宜しくご愛顧の程お願い申し上げます。 偐家持美術館 館長 偐家持
2013.12.17
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偐万葉・英坊篇(その26) 今年も余すところ今日を入れて17日。11月30日に「短歌ほどの日を残すのみ・・」と詠いましたが、早くも「俳句ほどの日を残すのみ」と相成りました。今年最後の偐万葉は英坊篇(その26)とします。 <参考>過去の偐万葉・英坊篇はコチラからどうぞ。 英坊3氏のブログはコチラからどうぞ。 偐家持が英麻呂に贈りて詠める歌11首併せ俳句7句 並びに英麻呂が作れる歌7首併せ俳句7句秋の苑 あさる英麻呂 もみぢ葉を ならべ信号の 色と示しつ (青) (黄) (赤) (本歌) 春の野に あさる雉(きぎし)の 妻恋に おのがあたりを 人に知れつつ (大伴家持 万葉集巻8-1446) 英麻呂が贈り来れる歌1首に偐家持が返せる歌1首つめれんげ いわれて見るが 爪あらず 触の生えぶり 鹿の鞘角 (英麻呂)爪にあらず 角にしあるか しかと見む 歩麻呂が庭に 咲きしその花 英麻呂が贈り来れる歌2首に偐家持が返せる歌2首晩秋の 山に群れ生う もみじ散り 秋雨冷たい 越の二上 (英麻呂)秋深み 道遠そけど 見が欲しき もみぢしぐれの 越の二上えび坂の 急勾配を 押し上がる 辛し息をで 射水川俯瞰 (英麻呂)踏み平(な)らし かよへる道に ありしかど 継ぎてぞ行かな 越の二上 英麻呂が贈り来れる歌1首並びに偐家持が返せる歌1首南都峰 繁る紅葉の 色映えも 盛り過ぎるを 知らぬはあはれ (英麻呂)あはれとも ひとはな言ひそ もみぢ葉を 生きとし生ける ものみな然り 英麻呂が贈り来れる歌1首並びに偐家持が返せる歌1首もみじ葉を ゆらす時雨の 雨の露 いろの葉冴えて 古城の庭に (英麻呂)万葉の 里の高岡 もみち葉も ここだにほへる 色ぞゆかしき 英麻呂が贈り来れる句に偐家持が付けたる脇句 山寺の 堂の軒脇 木守柿(こもりがき) (英麻呂) 熟すを待ちて 鳥も食べ来(こ)よ (偐家持) 南天の 葉は太りて 雪を待つ (英麻呂) 雪にぞ映ゆる 実とや知るらむ (偐家持) 英麻呂が贈り来れる歌1首並びに偐家持が返せる歌1首皮も実も 食し煎じる 木通(もくつう)を 鳥の喰(は)む前 摘みして役に (英麻呂)もくつうは くすりなれども 智麻呂の アケビは秋の 画材なりけり 英麻呂が贈り来れる句に偐家持が付けたる脇句3句 集ひして 常連の顔に 安堵せり (英麻呂) かくて今年も 暮れ行くならむ (偐家持) 記載する ◎(まる)入れの名は 新鮮よ (英麻呂) ◎(まる)にて同じ 名となるもあれど (偐家持) 半年は 短くもあり 長くにも (英麻呂) 織姫彦星 ほどにはなけど (偐家持) 英麻呂が贈り来れる歌1首並びに偐家持が返せる歌1首親しみは 街の灯りと 酒肴 川のネオンに 往年偲び (英麻呂)思ひ出も 街のあかりの ごと揺れて 濃きもあるなり 淡きもあれる朝呑めば 鼻水も干(ひ)る わが背子の 風邪治れるは 薬によるとふ朝(あさ)露(つゆ)の 干(ひ)る間(ま)も惜しみ 相見れば 松帆の浦に 夜(よる)待ちがたき (浅原深情(あさはらのふかなさけ)) (本歌)満つ潮の 流れ干る間を あひがたみ みるめの浦に よるをこそ待て (清原深養父 古今集665) (注)上の2首は朝、昼、夜を折り込んで詠っている。 (朝、昼、夜に分別梱包された風邪薬)梅一輪 あらばよしわれ 銀輪の 二輪にかけて またも走らな (銀輪家持) 英麻呂が作りたる句に偐家持が付けたる脇句2句 ネタ不足 愛車みかねて 助っ人に (英麻呂) 九年( くとせ)を君と 共にしあれば (偐家持) (ブログのネタ不足に登場した愛車) パソコンの 文字押しの指 意に反し (英麻呂) 森は見たれど 枝葉は見ぬか (偐家持)<脚注>掲載の写真は英坊3氏のブログからの転載です。 偐万葉シリーズのリスト (1) 、 (2)
2013.12.15
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本日は青雲会(大学の同窓会)の囲碁サークルの今年最後の例会。こちらの例会の方は、梅田の囲碁例会ほどには出席して居らず、今年はこれが4回目。8月の囲碁大会を含めても5回参加しただけとなりました。 本日の参加者は小生を含めて9名。最初の田◎氏との対局は勝ったものの、次の銭◎氏、金◎氏に敗れ、1勝2敗。これで、今年の青雲会囲碁の戦績は11勝9敗。こちらの囲碁は梅田のそれとは違って、何とか勝ち越しで1年を終えたことになります。 こちらの囲碁の会場は中之島の近く、裁判所の西側にあるビルの2階にある。例によって小生は、自宅からMTB(マウンテンバイク)で銀輪散歩を兼ねての往復でありました。 中之島界隈はイルミネーションが飾り付けられ、何やら色々な催しが開かれていました。車の通行も規制され、一帯は歩行者天国、自転車も乗り入れ禁止。押して歩かなければならない、ということで、これを避けて走りました。まあ、そんなこともあって、今回は、何処にも立ち寄らず、の往復でありましたので、掲載すべき写真がありません。 ということで、11日(水)の梅田での囲碁例会の帰りに立ち寄った高津宮の写真でも掲載して置くこととします。 <参考>高津宮・Wikipedia(高津宮) 高津の宮と言えば、仁徳天皇であるが、その所在地については諸説があって、何処とも定まらない。難波宮跡のある法円坂周辺とする説が最近は有力視されているそうだが、そういう論議は専門家にお任せすることと致しましょう。此処、高津宮の主祭神は勿論、仁徳天皇である。 <参考>高津宮、高津宮址碑が登場する当ブログの過去の記事 銀輪散歩・高津宮、長栄寺など 2011.9.24. 囲碁例会・比賣許曾神社 2012。2.8. (郡戸王子推定地碑) 高津宮は元々は現在の大阪城の地にあったが、大阪城築城に際して現在地に移転したもの。ここは、元々は熊野九十九王子の一つ「郡戸王子」(3番目の王子)があった場所と推定されていて、その碑が境内に建てられている。 <参考>郡戸王子・Wikipedia その碑の直ぐ近くには5代目桂文枝の碑もある。桂三枝が6代目桂文枝を襲名したが、先代の文枝師匠の碑ですな。この方の墓所は阿倍野王子神社の北隣にある印山寺というお寺にある。 2011年11月15日に万葉ウォークで皆さんをご案内した折に、同寺の門前に5代目桂文枝墓所の碑があったのを見た記憶がある。 <参考>万葉ウォーク・大阪市内南部篇 2011.11.15.(5代目・桂文枝之碑)(同上説明板) <参考>落語・宿屋の富(高津の富)・Wikipedia 高津宮は上町台地へと上る坂道の途中にあるので、西側から接近すると高い石垣の上に境内が見える。宮に向かって右側の上り口から行くと「相合坂(縁むすびの坂)」で、左側の上り口からは「縁切り坂」になっている。 両方を写真に撮ったのだが、「縁むすびの坂」の方はピンボケ。どうやらヤカモチには縁切り坂の方が似合いと見える(笑)。(縁切り坂) 「縁切り坂」と呼ばれる由縁は、下の説明板では「坂の形状が三下り半になっているから」とありますが、「三下り半の形状」というのがもひとつよく分らない。当日は何気なくこの説明文を読み下していましたが、よく考えると三行半の形の坂というのが?である。何処から眺めるとそんな風に見えるのだろう。石垣の下から眺めるとそんな風に見えるのか。その内に確認してみることにしましょう(笑)。(同上説明板)
2013.12.14
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今年の漢字は「輪」と決まったようですな。 東京五輪の「輪」、応援の「輪」とか人の「輪」とかの意味なんでしょうが、こちらも銀輪散歩、銀輪家持にてあれば、やはり「輪」でありますので、喜ばしいことにて御座候(笑)。 さて、万葉集に「輪」があるかと言うと、思い付くのは「面輪」という言葉でしょうか。こちらは、五輪とも銀輪とも関係なく「顔面」のことである。今でも「顔の輪郭」などと言いますな。桃の花 紅(くれなゐ)色に にほひたる 面輪(おもわ)のうちに 青柳(あをやぎ)の 細き眉根(まよね)を 笑(ゑ)みまがり 朝影見つつ 娘子(をとめ)らが 手に取り持てる まそ鏡 二上山(ふたがみやま)に 木(こ)の暗(くれ)の 茂き谷辺(たにへ)を 呼びとよめ 朝飛びわたり 夕月夜(ゆふづくよ) かそけき野辺(のへ)に はろはろに 鳴くほととぎす 立ち潜(く)くと 羽触(はぶ)れに散らす 藤波(ふぢなみ)の 花なつかしみ 引き攀(よ)ぢて 袖(そで)に扱入(こき)れつ 染(し)まば染むとも (大伴家持 万葉集巻19-4192)<桃の花が紅色に輝いている、そのような顔に、青柳のような細い眉根を下げて微笑し、朝の姿を写し見つつ、少女たちが手にしている鏡の、箱のふたではないが、その二上山に、木陰が暗くなるほどに茂った谷のあたりを鳴き声を響かせて朝に飛び渡り、夕月の光がかすかに照らす野辺に遠くはるかに鳴くほととぎすが、その下を飛びくぐっては、羽が触れて散らす藤の花がいとおしくて、それを引き寄せ袖にたくし入れた。袖が花の色に染まるなら染まってもよいと。> 万葉集巻9-1807の、高橋虫麻呂が「葛飾の真間の手児奈」を詠んだ長歌にも「・・望月の 満(た)れる面輪(おもわ)に 花のごと・・」と「面輪」が出て来るが、全文引用は「面倒」なので、止めて置きます。 「輪」にかこつけての記事でした。 こういうのを「我輪引説」と言いますな(笑)。<追記>(2013.12.15.) 若草メールを確認したら、小万知さんが「輪」の写真を送って下さっていました。下のコメントにもありますように、当日は墓参の続きで清水寺にお立ち寄りになられ、撮影されたようであります。 当記事に恰好の写真でありますので、下記に追加で掲載させて戴きました。これは、「我田引輪」ですな。(今年の漢字「輪」 写真提供:小万知氏)
2013.12.12
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今日は今年最終の囲碁例会。夕刻に雨という予報でしたが、MTBで出掛けることとしました。念のためザックには雨具(雨衣?)を入れて・・(笑)。 大阪城公園では散りまがう銀杏の美しさなどを愛でつつ・・の銀輪散歩でもありました。(大阪城公園の銀杏) この時期になると、木々の枝の黄葉よりも木の下に降り積む黄葉の方が美しいかも、ですね。何れにせよ黄(紅)葉もそろそろ見納めでしょうか。(同上) 梅田スカイビルの里山も黄(紅)葉の最終章を迎えていました。こちらは、クヌギやカエデやナナカマドなどのもみじであります。 (梅田の里山の紅葉) (ナナカマドとスカイビル) ナナカマドの赤い実やムラサキシキブの青い実と高層ビルとのミスマッチもなかなかに楽しいものである(笑)。 秋の花もあらかた散ってしまいましたが、イソギクは今が盛りのようで、元気に咲き誇っていました。(磯菊)いそいそと 咲きぬ磯菊 群れ居れば 師走の風も 寒くはあらじ (偐家持) (同上)(ムラサキシキブ)葉は散りぬ むらさきしきぶ 寒からし あをきそのみの 寄せ合ふ見れば (偐家持)(同上)(同上) さて、囲碁例会ですが、本日の参加者は平◎氏、青◎氏、福◎氏、村◎氏と小生の5名。 最初に平◎氏と対局。中盤で読み違いで苦しい展開となり、負け。続いて青◎氏と2局連続して対局。これも連敗で3戦全敗。今年の不調を象徴するような本日の成績でした。これで、今年1年の成績は20勝34敗で勝率は3割7分。持ち点も年初の214から200まで下がってしまいました。 スカイビルの中庭(スクエア・ガーデン)では恒例のドイツXmasマーケットが開催中でありましたので、その風景などをご紹介して置きましょう。(ドイツXmasマーケット2013)(同上)(同上)(ペットン) これは、ペットボトルで作られた雪だるま風の人形。名は「ペットン」だそうな。大阪芸術大学の学生さん達が作ったものだと説明書きにありました。 帰途は高津宮や生国魂神社などに立ち寄ったりしましたが、これらについては今回の記事では割愛です。道草で時間を費やしているうちに、すっかり暗くなってしまいました。師走は暮れるのが早い。そのうちに雨もパラつき始めるというよろしくない状況となりましたが、雨具を取り出して着るということまでは必要としない濡れ具合にて、無事わが家に到着でありました。
2013.12.11
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第132回智麻呂絵画展 本日は日米開戦の日ですが、それも今は昔のこと。それとは何の関係も無き智麻呂絵画展を開催致しまする。 本日午後から智麻呂邸を訪問致しましたが、生憎とカメラを持参するのを忘れていました。仕方なく携帯電話のカメラ機能で撮影しました。 最初の2点は先の読書会の日(11月30日)にいつものカメラで撮影したもの。「銀杏の葉」から下の5点が携帯電話による撮影です。ということで、少し写りが良くないかも知れませんがご勘弁願いたく存じます。 <参考>他の智麻呂絵画展は下記から。 第1回展~第100回展 第101回展~第200回展 第201回展~(蜜柑) この蜜柑は定期に検診に行かれる病院の向かいのお庭に生っていたものです。勿論、無断で失敬されたのではありません。庭に出て居られたその家の奥さんが、智麻呂さんに「どうぞ」と枝から切り取って下さったものだそうです。恒郎女さんのお話では、その奥さんとは顔見知りというのでもないという。 智麻呂さんの人懐っこい笑顔がそうさせるものか、このように行く先々で果物だの花だのを下さる方がよくあるそうです。ブロ友のるるらさんは智麻呂さんを仙人とお呼びですが、ひょっとすると智麻呂さんはお地蔵さんかも知れませんですね。お地蔵さんの前には花や果物などのお供えがいつもありますからね(笑)。(山茶花) これは一重咲きの白い山茶花。 小万知さんがお持ち下さったものです。 下の銀杏の葉も小万知さんが絵の題材にとお持ち下さったもの。 この銀杏以下5点は携帯での写真でピントが甘くなっています。(銀杏の葉)(大根) 上の大根と下の蕪は凡鬼さんが栽培されたもの。先の読書会の折にどっさりお持ち下さいました。凡鬼さんは中国古代史だけでなく「野菜栽培」にもお詳しいのであります。 大根は万葉には詠われていませんが、蕪は1首あります。食薦(すごも)敷き 蔓菁(あをな)煮(に)持ち来(こ) 梁(うつはり)に 行縢(むかばき)掛けて 休むこの君 (長意吉麻呂 万葉集巻16-3825)<す薦を敷いて、青菜を煮て持って来なさい。家の梁に行縢を掛けて休んでいらっしゃるこのお方に。> (注) 食薦=食事の時に敷く薦。 蔓菁=かぶら菜のこと。蕪に限らず葉の青い菜の総称とも言 われる。 行縢=熊や鹿などの毛皮で作った、腰に巻いて前に垂らして 脚や袴を覆うもので、旅行や狩猟の際に用いられた。(蕪) 下の林檎と梨は、先の読書会に皆で食べようとヤカモチが持参した果物ですが、その残りもののようです。(林檎と梨) 万葉に梨はあるが林檎は無し。無しなのに有りとはこれ如何に、ですが、元々は「なし」は「無し」ではなく「成し」から来ている言葉なのであるから、矛盾は「なし」なのである(笑)黄葉(もみぢば)の にほひは繁し 然れども 妻梨の木を 手折り挿頭(かざ)さむ (万葉集巻10-2188)<もみじは多くの木々を彩っているが、わたしは妻となす梨の木を手折って髪に挿そう。> 下の苺は恒郎女さんのご友人(お名前は忘れました)からの戴きものだそうです。(苺) 栗はイガを剥くと実が三つ入っているのが普通。それで「三つ栗の」というのが「中、なか」の枕詞になっています。果物も三つ並べると絵になる、ということでしょうか。もっとも、冒頭の蜜柑は二つですが、まあ、これは「お供え」ですからね(笑)。三栗(みつくり)の 那賀(なか)に向へる 曝井(さらしゐ)の 絶えず通はむ そこに妻もが (高橋虫麻呂歌集 万葉集巻9-1745)<三つ栗の中ではないが、那賀に向かって流れ出る曝井のように、絶えず通って来ましょう。そこに愛しい妻も居て欲しい。>松反(まつがへ)り しひてあれやは 三栗の 中上(なかのぼ)り来(こ)ぬ 麻呂といふ奴(やっこ) (柿本人麻呂歌集 同巻9-1783)<松の緑が変るように体が役立たずにでもなったか、そんなことはあるまいに、三つ栗の中上りして来ない麻呂という奴めは。> (注)中上り=国司の在任中に中間報告のため上京(帰京)することが 許されていた。これを中上りという。
2013.12.08
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本日は友人の和麻呂さんこと大嶽和久氏が副会長を務める関西邦楽作曲家協会の第35 回作品発表会に行って参りました。 会場は淀屋橋の朝日生命ホール。いつもの癖で、天気も好しでMTBで出掛けました。住友銀行の前付近の駐輪場にMTBを駐輪して会場へ。会場には早く着き過ぎたが、お陰で関係者の方々とくつろいで居られた和麻呂さんと顔を合せることができ言葉を少し交わせたのは幸いなことでありました。 今回、和麻呂さんが発表される曲は「布留の里」という曲。この曲は天理大学の邦楽部の依頼で作曲されたもので、曲のタイトルを決めるについては確か小生が相談を受けたように記憶します(笑)。 天理市にある石上神宮付近の地名が布留(ふる)。この布留の地を含み、神宮付近から西方一帯の地が石上(いそのかみ)である。石上も布留も万葉に登場する地名にて、和麻呂さんも万葉の古代に思いを馳せて作曲されたのでもあるでしょう。 演奏を聴きながら、「石上 布留の神杉 神さびし 恋をもわれは 更にするかも」(万葉集巻11-2417)などの万葉歌を思い起こしたりと、心地良い気分に浸ることが出来ました。(朝日生命ビル)(開演前の朝日生命ホール) 演奏中の写真があれば臨場感があってブログ的にはいいのですが、撮影禁止でありますから、これ亦、是非に及ばず、で開演前の愛想もない写真でお茶を濁すしかありません。(パンフレット表紙)(大嶽和久作曲「布留の里」の説明文<パンフレットより>)<参考>和麻呂氏のブログはコチラからどうぞ。 同・ホームページはコチラからどうぞ。 石上神宮から北へ、奈良に至る山裾の道が「北・山の辺の道」、南へ、桜井市へと至る道が「南・山の辺の道」である。小生は若い頃から何度となく歩いたり、銀輪散歩したりしている道であるが、何ということもない小川に、畑中の細道や道の隈に、田の面を吹き来る風に、野辺に咲く花に、万葉の昔が偲ばれる道なのである。 邦楽については、小生、法学部卒業なれど、殆ど知識がありません。こういうのを「方角違い」と言うのですかな。 と言うことで、「布留・ふる」の出て来る万葉歌を以下にご紹介することと致しましょう。石上(いそのかみ) 布留(ふる)の山なる 杉群(むら)の 思ひ過ぐべき 君にあらなくに (丹生王 万葉集巻3-422)未通女等(をとめら)が 袖布留(ふる)山の 瑞垣(みづがき)の 久しき時ゆ 思ひきわれは (柿本人麻呂 同巻4-501)いにしへも かく聞きつつや 偲(しの)ひけむ この古川の 清き瀬の音(と)を (同巻7-1111)石上 布留の早田(わさだ)を 秀(ひ)でずとも 縄(なは)だに延(は)へよ 守(も)りつつをらむ (同巻7-1353)石上 布留の早田の 穂には出ず 心のうちに 恋ふるこのころ (同巻9-1768)布留山ゆ 直(ただ)に見渡す 京(みやこ)にぞ 寐(い)も寝ず恋ふる 遠からなくに (同巻9-1788)石上 布留の神(かむ)杉 神(かむ)びにし われやさらさら 恋に逢ひにける (同巻10-1927)処女(をとめ)らを 袖布留山の 瑞垣の 久しき時ゆ 思ひけりわれは (同巻11-2415)石上 布留の神杉 神さびし 恋をもわれは 更にするかも (柿本人麻呂歌集 同巻11-2417)石上 布留の高橋 高高に 妹が待つらむ 夜ぞ更けにける (同巻12-2997)とのぐもり 雨ふる川の さざれ波 間(ま)なくも君は 思ほゆるかも (同巻12-3012)吾妹子や 吾(あ)を忘らすな 石上 袖布留川の 絶えむと思へや (同巻12-3013) 現代語訳を付けようかとも思いましたが、歌の数が多くて、全部付けるのは字数制限で無理。これ幸いと手抜きヤカモチを決め込みました(笑)。これを歌にすれば、石上 訳ふることの 手のはぶけ 字数に限り あるもよきかな (物草守屋) 石上神宮は物部氏ですから、作者名は、物部守屋に因んで「ものぐさの守屋」と致しました。~~~~~~~~~~~~~~~~<脚注・追記> メールBOXを見ると偐山頭火氏から、この日の演奏会のパンフレットの表紙と、「9.布留の里」の部分の写真が届いていました。 小生撮影の掲載写真がイマイチなので、これに差し替えたらどうか、ということでしょうか。何の通信文も付されていないので、その意図を忖度するしかないのでありますが、上のように理解し、同氏提供の写真に差し替えることと致しました(笑)。写真ご提供有難うございます。
2013.12.07
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本日は夕方6時から大学の法学部同窓会(青雲会)の幹事会の忘年会でありました。会場は大阪駅前の大阪弥生会館。来年の総会のことや決算見込みやその他同窓会の運営に関する付議事項の審議の後、懇親会(忘年会)でありました。大学側からは法学部長と法学研究科長のお二人がご出席、幹事は同窓会会長以下18名が出席。和やかなひと時を共にしました。 山◎氏による大阪締めで中締めとなったのは8時45分位。大阪駅構内の「時空の広場」とかいうフロアに美しいイルミネーションが設営されていたので、ちょっと立ち寄りカメラに収めるなどして、家路につきました。 ここまでは順調であったのですが、大阪環状線・鶴橋駅で近鉄線に乗り換えた処でトラブル。8時20分頃に枚岡・瓢箪山間の踏切で人身事故が発生し、近鉄奈良線が運行を停止しているとのこと。振り替え輸送しているとのアナウンス。時計を見ると9時20分。既に事故から1時間が経過しているが、運転再開の見込みについての案内はない。 「是非に及ばず」で、環状線で森ノ宮駅まで引き返し、地下鉄中央線(近鉄東大阪線)に乗り換え新石切駅で下車するという方法で帰るしかないことに。新石切駅からだと自宅までは徒歩約30分になる。随分の遠回りとなり、帰宅したのは10時半。これならMTBで出掛けていた方が早く帰れたことでしょう。(大阪駅構内・時空の広場のイルミネーション)(同上)(同上)(同上) 梅田スカイビルの夜景など大阪駅周辺の夜景も何枚か写真に撮りましたがピントが甘かったのか手ぶれなのか、此処に掲載できる代物ではありませんでした。コンパクトカメラで夜景を撮るのはなかなかに難しいものですな。上の写真も少し鮮明さに欠けますが、まあ、何とかブログサイズならOKですかな。
2013.12.05
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本日は囲碁例会の日。前回は欠席したので11月6日以来ということで久し振りに碁石を握った感じ。出席者は福◎氏と村◎氏と小生の3人だけ。ちょっと寂しい状況。先ず福◎氏と手合わせ、これは数目上回って小生の勝ち。次の村◎氏との対局は目まぐるしく振り替わる激しい碁となりましたが、少し優勢に進んでいると思っていたのに、終盤の寄せで、取り込んでいた右上隅の白石5子が手違いで生還されてしまい、逆転負け。1勝1敗でありました。これで今年の戦績は20勝31敗と大きく負け越していることになります。 さて、天気の方も問題なしでいつものようにMTBで梅田スカイビルへと向かいました。途中、大阪城公園を走りましたが、銀杏の黄葉が見事でありました。昨日はクヌギの黄葉も美しいとブログに書き、その写真もアップいたしましたが、銀杏の黄葉の美しさにはやはり叶わないようです。(大阪城公園の銀杏)金色(こんじき)に 輝く見れば やはりわれ 秋のもみぢは いてふと言はむ (偐家持) 昨日、クヌギ(つるばみ)の黄葉ぞ良し、と言ったばかりでありますが、やはり銀杏のそれには叶わない。 クヌギを見ればクヌギ、イチョウを見ればイチョウ、カエデを見ればカエデ、偐家持は目の前にあるものが常に最高であるようです。決して日和見主義者ではないのであります(笑)。(同上)(同上) もみぢは城の石垣にもよく似合う。石垣は 人のいとなみ もみぢ葉は 神のしつらへ コラボする秋 (偐家持)(大阪城の石垣と堀ともみぢ葉) こちらは、昨日の花園中央公園で撮影したモミジバフウ(別名アメリカフウ)の紅葉です。これも素晴らしい。しかし、「モミジバフウこそよし」とは言わないこととします。名前が長過ぎて57577に収める上では「不向き」であります(笑)。 (花園中央公園のモミジバフウ) 梅田スカイビルの中庭では毎年恒例のドイツ・Xmas・マーケットが開催されていましたが、その様子を撮影しようとしたらカメラが電池切れでありました。そんなことで、いつもの里山レポートもありません(笑)。
2013.12.04
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クヌギの黄葉も日に照りて輝くと、なかなかに美しいが、カエデやイチョウなどのように、この「もみぢ」をわざわざ見に行く人は居ないだろう。 美しいと言っても、それは夜目遠目の類で間近くで見るとそれ程美しくもなく、いかにも地味なのであるから、致し方のないことである。 そんなクヌギであるが日に照らされて美しく輝く一瞬もあるので、今日はそのようなクヌギの黄葉をご紹介して置くことと致しましょう。もみぢなるは かへでいてふと 人は言へ われつるばみも よしとや言はむ (偐家持) (クヌギの黄葉) クヌギの実(ドングリ)のことを万葉では「つるばみ」と言う。 もっとも、「つるばみ」については、クヌギではなくトチノキやイチイガシのことであるとする説もあるようですが、此処ではクヌギ説を採用して置きます。 クヌギは炭焼きの炭の材料になったり、薪として利用されたり、椎茸栽培の原木に使われたりと人々の生活に密着した樹木である。里山にこの木が多いのも古来人々に利用されて来た有用な木であるからだろう。クヌギという名も「国木」が訛ったものだという説もある。 (同上) (クヌギの巨木) そのような生活に密着した木は万葉歌には相応しい木であるというべきであるが、古女房とかの喩えにも使われたりしているのは、まあ、この地味な木ならではと言うべきですかね。橡(つるばみ)の 衣(きぬ)は人皆 事無しと いひし時より 着欲しく思ほゆ (万葉集巻7-1311)<つるばみ染めのように目立たない衣が無難であると皆が言うので、それを聞いた時以来それを着たいと思うようになったことだ。>橡の 解濯衣(ときあらひぎぬ)の あやしくも 殊に着欲しき この夕(ゆふべ)かも (同巻7-1314)<つるばみ染めの粗末な衣の、それもほどいて洗い直したのを、不思議にも、とくに着たいと思われるこの夕暮れであることだ。>橡の 袷(あはせ)の衣(ころも) 裏にせば われ強(し)ひめやも 君が来まさぬ (同巻12-2965)<つるばみの袷の衣を裏返しにするような態度ですから、来て欲しいと無理強いなど、どうしてわたしが致しましょうか。それにしてもあなたはいらっしゃらないのですね。>橡の 一重の衣(ころも) うらもなく あるらむ兒ゆゑ 恋ひ渡るかも (同巻12-2968)<つるばみの一重の衣のよいうに裏もなく無邪気に私のことを気にもかけていないあの娘なので、私は恋続けることだ。>橡の 衣(きぬ)解き洗ひ 真土山(まつちやま) 本(もと)つ人には なほ如(し)かずけり (同巻12-3009)<つるばみの衣を解いて洗って打つ槌の真土山ではないが、元々の人がやはり一番いい。>紅(くれなゐ)は 移ろふものそ 橡の 馴れにし衣(きぬ)に なほ及(し)かめやも (大伴家持 同巻18-4109)<紅色は華やかだが直ぐに色褪せてしまうものだ。つるばみ染めの慣れ親しんだ衣に及ぶものではない。>
2013.12.03
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今日は墓参。 毎月、月の始め頃に行く恒例の墓参である。あと、お盆と年末に行くのが小生の習慣になっているから、今月は30日か31日にもう一回お墓参りすることとなる。(生駒山系の山、墓から北東方向を眺める。) 墓は山の西斜面にある。西方向を見ると大阪平野が一望である。しかし、今日は霞がかかったようなぼんやりした風景。いつも見える阿倍野ハルカスもよく見えない。 振り返ると山が迫っている。上の写真は墓から北東方向を眺めた風景であるが、写真、左に黄色に輝いている木は銀杏の木である。 帰途は山裾を辿って、この銀杏の木の下まで行ってみた。 今朝のTVで銀杏は恐竜が居た頃からあった木で、「生きた化石」と呼ばれていること、気候の変化にも耐えて中国の奥地にのこっていた木が中国から我が国に入って来た、というようなことを言ってましたが、万葉歌には銀杏は登場しませんから、平安期以降に渡来したものであろうか。 ヨーロッパの銀杏は長崎からヨーロッパに持ち込まれたものが広まっているらしいから、イチョウは中国→日本→ヨーロッパというのが広まったルートのようです。街路樹や公園、寺社などの植樹として代表的なものですから、「生きた化石」というのは失礼な気(木)もしますな(笑)。 「生きた化石」と言えばメタセコイアもそのように呼ばれますが、最近はメタセコイアも公園などでよく目にするようになりました。小生の銀輪散歩の基地でもある花園中央公園にもメタセコイアが植えられていて、いい景観を作り出しています。 <参考>イチョウ・Wikipedia (イチョウの木) さて、冒頭の写真で山裾の左隅に目立って黄色く輝いている、イチョウの木に近付いてみると、上の写真のような具合でした。 鐘つけば銀杏散るなり建長寺 (夏目漱石 明治28年9月6日海南新聞) 柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺 (正岡子規 明治28年11月8日海南新聞) 子規の「柿」の句が漱石の「銀杏」の句の「本歌取り」であることは、いつぞやの若草読書会で凡鬼さんから教えて戴いたこと。 寺の鐘と銀杏の組み合わせは寺の風景としてはありきたりで普通。「柿をくふ」ことと「寺の鐘」を結び付けた処が新鮮で新境地・・だから、子規の句の方がすぐれているというのが一般的な評価のようです。 ならば、偐家持も、意外な組み合わせで、 牡蠣くへば合歓の花散る蚶満寺(かんまんじ) (筆蕪蕉) とでも致しましょうか。牡蠣と合歓の花と象潟の寺、この組み合わせも独自ですが三つがバラバラでまとまった景色にならないから、新境地も何もあったものではない、という評になりますかな。 牡蠣焼けば潮満ち来なり厳島 (筆蕪蕉)(墓参の道にある寺の門前の今日の言葉) 今日の墓参の「言葉」は「はだかで出発する」でありました。 墓への道は急坂にて、今日は暖かくもあった所為か、上るうちに暑くなって来て、途中からは上着を脱ぎ、シャツを腕まくりして行きました。「はだかで行け」というのが寺の門前の言葉でありましたが、さすがにはだかはご勘弁でありました(笑)。 山茶花も 腕まくりして 墓参り (筆蕪蕉)
2013.12.01
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