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長門峡に、水は流れてありにけり。 ・・と来れば、中原中也の「冬の長門峡」という詩であるが、わが町には長門橋という橋のあることを先日はじめて知った。 長門峡は、「ちょうもんきょう」であり、長門橋は「ながとばし」なのであるが、長門橋は「ちょうもんきょう」と読むこともできる。長門峡(ちやうもんきやう) 長門橋(ちやうもんきやう)と 我妹子(わぎもこ)の 違(たが)へたること 揶揄(やゆ)してみたり いつであったか、耳から入って来たチョウモンキョウという音から、それを「橋」のことだと勘違いした妻との間で、話がかみ合わなかったことがあったことなどが思い出されたが、その長門橋が身近にあったとは愉快なことであります。 この長門橋が架かっている川が長門川という名称であるというのも今回初めて知ったのでありました。 さて、何故、長門川という名前を知ったかというと、従来、花園中央公園でやっていた若草読書会のお花見(3年ぶりのお花見)を、今年はこの長門川畔の桜並木の下でやろうか、ということになったからであります。 この川べりは何度も往来していて、馴染みの川であったが、何という名前の川であるかということには無頓着でありました。 しかし、お花見をするとなると、メンバーに案内するに当たって、川の名前を明示して知らせる必要があるということで、調べてみたら、長門川であるということが判明したという次第。そして、長門橋という橋のあることも知ったという次第。(新若草橋と長門川 南方向<上流側>を望む) 長門川は、新若草橋の下で、恩智川と合流する。 恩智川沿いを大和川方面へと銀輪散歩する場合は、この新若草橋を渡って、恩智川沿いの自転車道を走るのであるから、何度となくこの川を渡っているし、また、この川沿いの道を南へと何度も走っているのでもある。(長門川と桜並木) 長門川の左岸(西岸)に沿って桜並木がある。(桜並木) 桜並木です。まだ、季節ではないので、ご覧のような状態ですが、花が咲くとなかなかの景色となる。 ベンチなども設置されているから、ゆっくりとお花見も楽しめる。 木の下に陣を張ってのお花見とするか、通り抜けスタイルでのお花見とするかは、今のところ未定である。 さて、川沿いに上流へと走ってみよう。(新若橋) 新若草橋の一つ上流側の橋が新若橋。 更に一つ上流側にあるのが長門橋である。(長門橋) 橋の銘板です。(橋の銘板<平仮名表記>)(同上<漢字表記>) 長門峡にかこつけての文脈でとりあげるなら、銘板は漢字表記でなくては、話が始まらない。 長門橋の下に、鴨は群れてありにけり。 うらら暖かき春の日なりき。 われは銀輪にてありぬ。 そぞろ走りてありぬ。<参考>長門峡に、水は流れてありにけり。 寒い寒い日なりき。 われは料亭にありぬ。 酒酌みてありぬ。(以下、省略) <中原中也「冬の長門峡」より>(長門川の鴨)(長門橋・上流側から) 長門川は長門橋の上流側で、大きく東側に曲がる。(長門川・奥は外環状道路<R170>) 東に曲がった上流側はこんな感じ。 写真奥の橋は名前不明であるが、外環状道路(国道170号)が通っている橋である。 川は、奥に見える生駒山系の山の、多分、客坊谷が源流で、そこから流れて来ているのだろうと思われる。(恩智川と長門川) 上の地図で分かる通り、長門川は生駒山地の谷に発し、西に流れて来て、六万寺地区と池島地区の境目付近で流れを北方向に転じる。長門川の西側を北方向に流れているのが恩智川。長門川は、東花園駅手前で東方向へと直角に流れの向きを変えた恩智川と、新若草橋の下で合流する。 地図には表示されていないが、新若草橋付近では、東から御神田川という川が恩智川に流れ込んでいる。ここで、西からの恩智川、南からの長門川、東からの御神田川の三川がぶつかるので、かつてはこの付近はよく氾濫した場所でもある。 恩智川は、長門川と御神田川の水も集めて、流れを東方向から90度北向きに変えて大東市へと向かい、大東市で西向きに流れを変えて、JR住道駅の北側で寝屋川に流れ込む。 従来のお花見の場所であった花園中央公園は、北流する恩智川の西側に広がる公園で、恩智川の遊水池公園でもある。(花園中央公園の遊水池) 今日の花園中央公園の遊水池の風景。 いつも、釣りをする人の姿が絶えない。 このアト、ヤカモチはペリカンの家で珈琲ブレイクでありました。<参考>近隣散歩関連過去記事は下記です。 近隣散歩(その1) 2009~2013 近隣散歩(その2) 2014~
2023.02.28
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偐万葉・若草篇(その29) 今日は、ロシアによるウクライナ侵攻から1年になる日。プーチンの始めた非道な戦争はプーチン自身の責任でこれを終わらせるべきであるが、その道筋は見えない。何万人の、何十万人の血が流されればいいと言うのか。幾千万、幾十億の心ある人の思いに合わせて祈ります、一日も早く、正しき形で、停戦・終戦の到来するようにと。 さて、今日は今年初めての偐万葉であります。 最近はブロ友諸氏のブログを訪問して記事コメントで歌を詠むということもめっきり減りましたので、偐万葉にまとめる歌数になかなか到達しなくて、記事アップが間遠になっています。 そんな中で、若草読書会関係の若草篇については、かなり以前のもので未掲載となっている歌のあることに気付きましたので、若草篇の記事アップとなった次第。<参考>偐万葉・若草篇の過去記事はコチラ。1.小万知に贈りて詠める歌5首梅田なる 里山案山子(かかし) 今日も立ち 埋田うめだの昔 かくにしあると (偐家持)(20221109梅田の里山と案山子)もみぢ葉を うつせる淵の 水清み 魚(さかな)も空に 泳ぐと見ゆる (幻家持)(20221114長門峡・竜宮淵)コロナやみ 春し来たらば 花園に つどひてまたも うたげなどせむ (春原待真)(本歌)東風吹かば にほひをこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな (菅原道真 拾遺集巻16)(20221128花園中央公園)秋の葉の 散り落つ音の かそけきは 秘めし心の つぶやきなるか (偐家持)降り敷ける 葉を踏む音は 遠き日の 思ひ出たちの 帰り来る音 (偐家持)2.偐山頭火に贈りて詠める歌5首ほか 偐山頭火が贈り来れる歌1首並びに偐家持が追和せる歌1首関節が 今やチタンと なる人間 バイクのチタン 何に置き換え (チタン山頭火)さいはひに 部品がありて 置き換へる こともなくあり チタンの継ぎ目 (ズサン家持)(20220911トレンクル破損byヤカモチ)松の木を 中也ゆかりの 西村屋 温泉舎(ゆのや)にのこし 名のみしあれる (北村屋家持)(20221118西村屋の松byヤカモチ)このたびは 中也の旅と 湯田温泉 種田山頭火 君がまにまに (湯原湯也)(本歌)このたびは ぬさもとりあへず 手向山 もみぢの錦 神のまにまに (菅原道真 古今集420 小倉百人一首24)(20221116種田山頭火句碑byヤカモチ) 偐山頭火からのメールに返して偐家持が詠める歌1首メール開き ふりさけみれば 末広に 柿干したるか 君が軒端に (偐柿持)(本歌)春過ぎて 夏来たるらし 白たへの 衣干したり 天の香具山 (持統天皇 万葉集巻1-28)(20221208干し柿)夕かげの 矢田の丘べの コスモスの つなぐえにしの めでたくもあれ (偐家持)(20230109斑鳩の夕景) 偐山頭火が贈り来れる句に偐家持が付けたる脇句踏まれても 踏まれても マンホール (偐山頭火) たかが二枚の いのちか我も (偐家持)(注)自由律俳句なので、7・7の脇句を付けるのも変であるが、敢えて試みました。 偐山頭火氏が贈り来れる句に偐家持が付けたる脇句何となく 神経の写真に 似て非なる (偐山頭火) ミントよお前も 頚椎症か (偐湿布)(注1)本項に掲載の写真はbyヤカモチとあるものを除き、偐山頭火氏のブログからの転載です。(注2)偐山頭火氏のブログはコチラ。3.智麻呂に贈りて詠める歌 智麻呂氏からの絵手紙に寄せて詠める歌1首若草に 咲きしあぢさゐ 絵てがみに なりて舞ひ来(こ)し 梅雨の入りかな(注)この歌は2007年6月14日に詠んだ歌であるが、偐万葉未掲載につき掲載する。 なお、智麻呂氏は2022年2月15日にご逝去されている。4.和麻呂に贈りて詠める歌 和麻呂の逝去を悲傷みて詠める歌4首わが背子は いづち行かめや 生駒嶺に 問ふもむなしき 横雲の空さ夜更けて すだく虫の音 ころころと ひとりし泣かゆ 背子は逝きにし君逝けば いたもすべ無み 秋の夜の 虫にもあれや 哭のみし泣かゆ箏の音は 途絶えたりける 面影の ここだも立ちて 心ぞ痛き(注)偐万葉に未掲載であったので、遅ればせながら掲載する。5.和郎女に贈りて詠める歌 和郎女作品展に寄せて詠める歌1首梅の花 今盛りなり 我妹子(わぎもこ)と添ひてたぐひて 二人し居らむ (兎家持)(20230205紅梅と兎)6.寿郎女に贈りて詠める歌 寿郎女の逝去を悲傷みて詠める歌4首さ夜更けて 出で来ぬ月の いづちやも 雲隠れにし 妹ぞ悲しきもみつ葉の 匂へる秋を 待たずかも などて急ぎて 妹やゆくらむ今はもや 散りぬる秋萩 恋しけど 時をや返す すべの知らなく二上の 山も悲しき 秋の色 映ゆれど妹は 見ることもなき(注)偐万葉未掲載であったので、遅ればせながら掲載する。7.平成19年の熊野旅行 2007年の熊野旅行の折に詠める歌(注)以下5首は古き歌であるが、偐万葉に未掲載であることに気付いたので掲載する。 リチ女に贈りて詠める歌本宮(ほんぐう)の 社(やしろ)の木々の しづもりて 心和むと りち女の笑みし 寿郎女に贈りて詠める歌萩咲くを 寿(ひさ)の郎女 見て告げし 散らず在り待て 秋づくまでは(注)寿郎女氏は2008年10月29日にご逝去されている。 和郎女に贈りて詠める歌思はぬに ながらひにける 大楠(おほぐす)の 身をや気遣ふ 和(かづ)の郎女 槇麻呂に贈りて詠める歌槙麻呂の 後(あと)つきゆくは 苦しきか 和(かづ)麻呂あせる ことの多かり 和麻呂に贈りて詠める歌和麻呂の 高き鼾に 波の音(と)も 消(け)ゆれば家持 歌作りかね(注)和麻呂氏は2018年8月21日にご逝去されている。 今回は、掲載洩れの歌なども集めてのシリーズ第333弾となる偐万葉記事でありました。We stand with Ukrainians.(追記:2023.2.25.)一部文字の加除を行いました。
2023.02.24
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今日は、先日(15日)のMRI検査の結果説明を受ける日。 診察室に入るなり、「頚椎は綺麗ですよ。」という先生の話。 目の前の、自身の首を横から写した透し画像を見ると、確かに素人目にも、頚椎に狭くなっている部分はなく、中央に走っている黒い線が神経だというそれは、十分な空間の中心を上下にスッキリと通っていて、どの部分でも何かに触るという感じではない。 頚椎狭窄症の心配は全くないと見ました。先ずはひと安心。 しかし、首を前後左右に大きく傾けた場合の軽い痛みはあるので、首周辺の筋肉が凝り固まって悪さをしているということかも。それで手足が痺れるということは考えにくいから、時々生じる痺れの原因は不明である。 痺れの発生を防止するという薬を、もうしばらく呑んで様子をみることにする。今のところ薬で痺れの発生頻度が低下したという感じはしないのであるが、もう少し継続してみないと何とも言えない。 別のクリニックで貰っている「筋肉を柔らかくする」薬だというアロフト錠も併せ服用しているが、それも今しばらくは服用して様子をみることにする。 殆ど効果が見られないなら医者に相談して、薬は止めようと思う。 足の裏が痛いとして通い出した整体院。もう1年になるものの、依然として足の裏の痛みは消えてはいないのだが、最近は首回りの痛みや手足の痺れに気を取られている所為か、余り気にならない。 そんなことで、最近は整体院でも首や肩回り、肩甲骨付近のマッサージなどを専らに施術して貰っている。また、整形外科クリニックでは、首の牽引、電気治療、マッサージなどのリハビリ治療を受けている。 しかし、今のところ、症状の軽減はみられない。 まあ、なんであれ「よう見んとアカンで(よく見ないといけません)」ということでしょうから、今少し経過をよく観察であります。 ということで、今日の写真は、ミント(見んと)の花であります。 昨年の9月8日撮影の写真ですが、掲載してミント始まらないとミントが言うので掲載です。(ミント)よう見んと分からん。(同上・種子か?) 隣のサボテンも「掲載サボッテンと掲載してや」と言うので、ついでに掲載です。これも同じ日の撮影写真です。(サボテン) こちらはサボってないサボテンですが、エキノプシス・オキシゴナという品種だそうです。Echinopsis Oxygonaです。 英名は、Easter lily cactus。まあ、覚える気はありませんが。
2023.02.22
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今日は、マンホール写真の記事です。 銀輪散歩の折に見かけたマンホールの写真を並べてみるのも一興と始めたマンホール・シリーズ記事ですが、友人の岬麻呂氏が提供下さる写真が途中から加わり、「銀輪散歩」とは無関係のマンホールも多数登場することになっています。今回も半数以上が岬麻呂氏のご提供によるものであります。(注)★は、岬麻呂氏提供のマンホールカードから撮影したもの。 ●は、岬麻呂氏が現地で撮影されたもの。<参考>フォト蔵のマイアルバム「マンホール」の写真はコチラ。 過去のマンホール関連記事はコチラ。 今回の掲載写真点数は23枚。これまでの掲載分743枚と併せ、全766枚が掲載されたことになります。但し、同じデザインのものが一部重複掲載されているので766種類という訳ではありません。 以下、掲載は、マンホール所在市町村の郵便番号の若い順に並べていますので、青森県、秋田県が北海道の一部地域よりも前に来るほか、その他の東北地方の県や新潟県などが九州諸県よりも後ろに来るという、地理上の位置からは不自然な並びになっています。1.秋田県鹿角郡小坂町(●十和田湖の図柄 秋田県の県章) 十和田湖は青森県と秋田県の県境に位置しているため、湖畔にあるマンホールは、同じ十和田湖の図柄になっているが、秋田県側の小坂町にあるものは、中央に秋田県の県章が配置されているのに対し、青森県側の十和田市にあるものは、十和田市の市章が配されているものと合併前の(旧)十和田湖町の町章が配されているものとがある(下掲参照)。2.十和田市(●十和田湖の図柄 十和田湖町の町章) 2005年1月1日付で(旧)十和田市と(旧)十和田湖町は新設合併し、十和田市となった。(●十和田湖の図柄 十和田市の市章)<注>十和田市のマンホール掲載過去記事 (その18)3.弘前市(●リンゴの図柄) この写真は、元画像を右に90度回転させていますので、少し不自然な感じになっていますが、図柄がリンゴであることを見て取るには、この角度の方がいいかと。<注>弘前市のマンホール掲載過去記事 (その18)4.釧路市(●水抜栓)(●タンチョウの図柄)<注>釧路市のマンホール掲載過去記事 (その13)(その14)(その15)(その24)5.大阪市(ミャクミャクの図柄) これは大阪城公園森ノ宮側入り口の広場にあるマンホールで大阪・関西万博2025のキャラクター、ミャクミャク(MYAKU-MYAKU)の図柄。(防火水槽) この防火水槽の蓋は(その10)に掲載のものと同じデザインです。<注>大阪市のマンホール掲載過去記事 (その1)(その3)(その4)(その10)(その13)6.山口市(七夕提灯の図柄)(同上)(SLと白狐の図柄)(湯田温泉白狐まつりの図柄)(湯田温泉白狐伝説の図柄) 権現山の麓の寺にあった小さな池に毎夜狐が通って来て・・という湯田温泉発祥の白狐伝説に因む図柄のマンホール。(同上・温泉に向かう白狐の図柄)(一の坂川と蛍火の図柄) 一の坂川は、椹野川水系の河川で、山口市の中心部を南に流れて椹野川に合流する。桜と蛍の名所。<注>山口市のマンホール掲載過去記事 (その1)7.人吉市(●人吉城の石垣と球磨川下りの図柄)8.宮崎市(●市の花、ハナショウブの図柄)(●市の花木・ツバキと市の花・ハナショウブの図柄)<注>宮崎市のマンホール掲載過去記事 (その13)(その19)9.宮崎県児湯郡西米良村(●カリコボーズ、ホイホイ君の図柄) ホイホイ君は、西米良村の公式キャラクター。(●同上・汚水版)10.名護市(★市制50周年、桜とガジュマルと名護湾の図柄)<注>名護市のマンホール掲載過去記事 (その18)11.沖縄県八重山郡竹富町(●波照間島星観測センターと南十字星の図柄)<注>竹富町のマンホール掲載過去記事 (その22)(その23)12.福島県耶麻郡北塩原村(●シジュウカラ、ミズバショウ、桜の図柄)<注>北塩原村のマンホール掲載過去記事 (その22) 北塩原村の、村の鳥がシジュウカラ、村の木がオオヤマザクラ、村の花がミズバショウ。 以上、久しぶりのマンホール記事でありました。
2023.02.20
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昨日15日は健人会の新年会で、大津市石山まで出かけて参りました。 本来は1月25日開催であったのだが、この日はうっかりして他の予定を入れてしまってダブルブッキングとなってしまい、欠席する旨の返信を返していました。ところが、この日は大雪で運休など交通も乱れたようで、開催を延期することとなり、3週間遅れの2月15日開催となった旨のメールが世話役の草麻呂氏からあり、ヤカモチも出席できることとなった次第。 昼食会の宴会なので、12時開会ということで、JR石山駅前11時30分集合、いつもの会場、料亭・新月の送迎マイクロバスに同乗して、新月に向かうという段取り。 刻限までに石山駅に到着するにはとネットで調べると、最寄り駅の近鉄・枚岡駅発9時56分の電車に乗ればいいということが分かり、そのつもりでいたところ、9時47分発の一つ早い電車に間に合う時刻に枚岡駅に到着してしまった。(近鉄・枚岡駅) 上掲の写真は、昨日撮影のものではなく昨年5月に撮影のものです。 昨日は、やって来た電車に慌てて飛び乗り、駅を撮るヒマがなかったので、古い写真で代用です。駅の眺めは左程に違いもないから、問題なかろうという次第。 で、車内に乗り込んで目に飛び込んで来たのは、これ。(鹿仕様の電車) これは、若草山山頂付近での鹿と少女のイラストが描かれたドア内側であります。どういう趣旨のラッピングカーなのか存じ上げないが、奈良公園の鹿だらけの車内風景でありました。(同上・つり革にも鹿がいる。) つり革にも、鹿が取り付けられていて、面白い眺め。 何日か前に、娘が通勤の電車内で撮影したスマホ写真で、このつり革のことは知っていたので、「ああ、これが娘の言っていた電車か」と思った次第。(同上・座席の背もたれは鹿の子マダラ) 車内全体の雰囲気はこんな感じ。(同上・車内全体の眺め) 大和西大寺駅で、京都行き特急に乗り換え。 京都でJR線に乗り換え、石山駅には11時20分頃の到着。 徳島から参加の只麻呂氏の到着を待ち、同氏到着で、料亭・新月から徒歩圏内にご在住の岡〇氏を除く14名全員が揃い、送迎のマイクロバスにて、新月へ。 この日も寒く、時々雪が舞うお天気。 料亭・新月に到着。 2階の部屋に上がり、上着を脱いでハンガーに掛けようとしている時に、右手上腕から手先にかけて、ズ~ンという感じの重たい痺れが発生。 昨年の年末近くあたりから、右手や右足に時々「痺れ」が生じて不快なのであるが、痺れが2~3分程度の短い時間で収まることや手指を折り曲げたりする運動機能に変調は生じていないので、脳梗塞によるものではなく、頚椎から来ているものだろうと思われる。一応、整形外科には受診しているのであるが、今のところ軽快はみられない。 さて、この日の出席者は、世話役の草麻呂氏、杉〇氏、只麻呂氏、平〇氏、岡〇氏、今〇氏、竹〇氏、森〇氏、徳〇氏、正〇氏、〇庭氏、生〇氏、北〇氏、平〇J氏とヤカモチの15名。 草麻呂氏の挨拶に続き、平〇氏の発声で乾杯、いつもながらの無礼講宴会と相成りました。 草麻呂氏からの指名で、平〇氏、只麻呂氏、竹〇氏とヤカモチによる近況報告のスピーチなどもありましたが、気の置けない仲間うちの集まり、てんでにワイワイガヤガヤであります。あらたしき 年の初めに 思ふどち い群れて居れば 嬉しくもあるか (道祖王 万葉集巻19-4284) 午後3時散会。(瀬田川) 上掲の写真は、新月の2階の部屋から、散会直前に撮影した瀬田川。 右手前の車は、新月の送迎バス。 料亭・新月からのお土産。(小豆粥) 新月監修による「小豆粥」のようですが、委細は承知せずであります。(同上) 送迎バスで石山駅前へ。 ヤカモチは、一つ早い電車に乗り遅れた正〇氏、森〇氏、生〇氏と京都駅まで同乗し、京都駅で皆さんと別れる。 ところが、京都駅のホームに降り立ったところで、右足に重たい痺れ。何とか歩けるが、とても不快な症状。 で、直接の帰宅を取り止め、生駒駅で乗り換えて、新石切駅へ。石切生喜病院へ直行です。病院に着く頃には痺れがかなり収まっていたが、念のためMRI検査を所望し、検査の予約を取ってもらう。医者は頚椎のレントゲン写真から、痺れは頚椎に起因する可能性が高いという意見であり、痺れを抑える薬リリカOD錠とビタミン12を補う薬メチコバール錠の処方を受ける。 ということで、今日、午後7時半にMRI検査を受けに行くことになっています。<参考>健人会関連の過去記事はコチラ。
2023.02.16
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またまた、岬麻呂氏からの旅便りが届きました。 今年3回目となる旅は、「何度も訪ねている波照間島が目的」のご夫婦旅でありました。 人が住む日本最南端の島・波照間島は、ここ数年挑戦するも、外海を航行する高速船は冬場には欠航することが多く、ために訪問を諦めるということが続いていたらしい。(旅・岬巡り報告305・西表島、波照間島&同写真説明) さて、その首尾や如何に。我々もお付き合いさせて戴きましょう。2月4日関西空港→新石垣空港→ホテルミヤヒラ(3連泊) 今回は、「離島が目的の旅」ということで、ホテル往復はレンタカーではなくタクシーを利用とのこと。 3連泊のホテルは、離島ターミナルの前のホテルミヤヒラ。連夜泡盛を楽しまれたとのことですが、下戸ヤカモチには「吾事ニ非ズ」であります。2月5日石垣島→西表島(大原港)→星砂の浜→月の浜→白浜公民館のサガリバナ→船浮集落→イダの浜→大原港→石垣島 この日は曇り小雨の予報、波照間便運航なるも翌日が曇りの予報なので、波照間島には翌日に渡ることとし、西表島(大原港)に渡る。 昨年12月の訪問時に大原港でレンタカーを予約して居られたので、時間外であったが、係のお方が出迎えて下さって、レンタカーに。(西表島・星砂の浜) 浦内川観光船は定期点検で休業。 前回咲いていた白浜公民館のサガリバナは、花の気配なし。 白浜港から連絡船で船浮集落に渡る。 船浮集落は、白浜港とは陸続きであるが、道路は白浜港までで、そこから島の西海岸を南へと下る道が無いので、船で渡るほかないという立地。 この日の乗船客は6名のみとのことですから、岬麻呂氏ご夫妻の他には乗船客は4名のみであったということになります。(同上・イダの浜<南方向>)(同上・イダの浜<北方向>) ご覧のようにどちらを見ても人影はなし。貸し切り状態。 しかし、この日は日曜日ということで、いつもはお休みの食堂が営業していたということで、用意してきたお弁当が無駄になったとのこと。(同上・イダの浜<西方向>) 「東シナ海前に見て~♪」というのは「沖縄を返せ」という、アメリカ占領下にあった頃の沖縄返還運動で歌われた歌であるが、今は浜木綿であるか、人影もないイダの浜にて、花咲く初夏の到来を待ちつつ、東シナ海の寄せ来る波を見ているのでありました。イダの浜 もとほり来れば 寄す波と 風の音ばかり 人影もなし (西田家持)2月6日石垣港→波照間島(波照間港)・レンタカー→島中央の共同売店(弁当購入)→ニシ浜→泡波酒店→波照間灯台→波照間空港駐車場(お弁当タイム)→石垣島→(タクシーで)→バンナ公園 この日の石垣港の日の出は7時50分頃。快晴で波照間の期待が膨らむ。(石垣港の日の出) 石垣港から外海に出ると、ローリングとピッチングの荒れようで、曇り空。しかし、無事に波照間港に到着。 波照間港で一番先に下船。と言うのも、前夜及び当日早朝の電話では、レンタカーの予約が取れなかったことから、ともかくもレンタカーを確保せむとの行動。レンタカーの看板を持つ人たちの中で、当日予約可能な店の情報を持つ人を探し出さなければならない。幸い、「残り1台」という情報を得て、レンタカーは確保できました。 この日は旧暦の1月16日で、地元では、お墓参りの日ということになっているらしく、お墓参りで島に里帰りの人が多く、下手をするとレンタカーが確保できない可能性もあったという次第。 レンタカーが確保できてひと安心されたところで、撮影されたのが、このマンホールの写真でしょうか。 以前に送ったものと同じデザインであるが、と送って下さったマンホール写真であります。(波照間島のマンホール) そんな特別の日であったことから、食堂は休業、島に3ヶ所ある共同売店も午前中のみの営業とのことで、「お弁当はすぐにも買え。」というのが島のレンタカーのお店の人の話。島の小中学校も午後はお休みとのこと。 前日の西表島では、食堂が営業していて、用意していたお弁当が無駄になってしまったが、この日はお弁当確保がレンタカー確保と共に必須であったという次第。お弁当も無事に確保。 高速船の乗客で花を持っている人が多かったことや港ではレンタカーの店の看板を持つ人がいつもより少ない理由が、判明したのでありました。(ニシ浜) 先島諸島での方角の昔の呼び方では、東が「あがり」、西は「いり」、南は「はえ」、北が「ニシ」。従って、ニシ浜とは、西浜ではなく北浜という意味なのである。(ニシ浜ビーチ) さてどこまで行こうか ニシ浜ビーチ (偐山浜火)(泡波酒店) 希少泡盛の「泡波」をゲット。波照間の 海の色にも いやまして 我に良きもの 泡波ぞこれ (御酒麻呂)皆人の えがてにすとふ 泡波も 泡は食はぬと 家持われは (泡家持)(波照間灯台)わが来れば 南の果ての 波照間の 何やら悲し 真白き灯台 (岬家持)(日本最南端之碑)(波照間島の南側の風景) 写真左奥の建物は星空観測センター。右奥は高那崎。 前掲のマンホールは、この星空観測センターの図柄である。(島最南端の崖)波照間に とどろ寄す波 間なくしも 散って砕けて 砕けて散って (最果家持) 波照間空港の駐車場で「お弁当タイム」。 ここで、土砂降りの雨になったそうですが、観光を全て済ませた後なので、問題なしであります。まあ、青空の下でのピクニック弁当ならもっと良かったのでしょうが。 午後の便の高速船で石垣島に戻ります。(波照間港に入港する高速船) 波照間と石垣を結ぶ高速船はこんな船でありますか。 石垣島に戻り、バンナ公園展望台へ。(石垣島・バンナ公園のカエンボク) バンナ公園へは、カエンボクの花を見るのが目的。 タクシー乗り場で運転手さんに聞くと、彼のお散歩コースであったらしく「今朝咲いているのを見た」とのこと。そのタクシーに乗り込み、広い公園の中を探す必要もなく、観光客などはまず立ち入ることのない、穴場巡りをしてもらい、ピンポイントでカエンボクの花も見ることができたという次第。(バンナ公園展望台から望む石垣港遠景)2月7日新石垣空港→関西空港 最終日は昼便で関西空港に帰還。「最高気温25℃から戻ると寒い」というのが帰還の弁。 以上です。本日もご覧いただき、ありがとうございました。<参考>過去の岬麻呂旅便り記事はコチラ。フォト蔵アルバム・岬麻呂写真集はコチラ。
2023.02.14
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今日は月例の墓参。 月例とは言っても、12月は初旬と年末近くに2回墓参をするので、毎年1月は墓参をしない月となる。ということで、2月が毎年その年の最初の墓参ということになる。墓参とは関係ないが、墓参に出かけようとして庭の片隅に埴輪があることに気が付いた。多分随分以前からあるもので、亡き父が健在であった頃に置いたものかと思われる。(ニワのハニワ<庭の埴輪>) 今回初めて気が付いたということではないと思うが、余り気にもとめていなかったので、忘れたも同然になっていて、初めて気が付いたような気がしたという次第。 もっとも、写真を掲載したものの、「ニワにハニワ」という駄洒落が思い浮かんだので、カメラを向けたに過ぎないのであって、これについて特段の逸話や思い出があるということではありません。 埴輪の隣にあったのがこんな石。(石と埴輪) 父が石や枯れ木を拾ってきては、これを磨いて置物風に仕上げるというようなことを一時期、趣味としていたことがあったが、この石はそのような時期の父の作品の一つなんだろうと思う。 父としては、出来栄えがイマイチと思ったので、床の間など座敷に飾り置くには不適として、雨ざらしの庭の片隅に置いたということであるのかもしれない。 この石の不思議な模様は、何かの化石のようにも見えるのだが、何であるかは勿論、ヤカモチには不明である。(同上・石の模様)庭の隅に 置きたる石は 亡き父の 形見かと見つ 墓参の道へ (偐家持) 前置きが長くなりましたが、庭先を立ち出でて、墓参の道へ。 今日は、気温も暖かく3月下旬の陽気。坂道を上って行くと少し汗ばむような感じもあって、上衣の前を開いて風を取り込みつつ行く。(ロウバイ) 梅の花も咲きこぼれ、ロウバイは盛りを少し過ぎた風情。 いつもの寺の門前にさしかかると、今日の門前の言葉はこれでした。(今日の門前の言葉) こけたら 立ちなはれ 立ったら 歩きなはれ ―松下幸之助― 先日の囲碁例会の折の門前の言葉で、「ころばぬ先の道あかり」というのを話題にしたばかりであるから、今日の言葉は何やらその続編みたいな感じで面白い。「ころばぬ先の道あかり」のもとでも、人は「ころぶときはころぶ」ものであれば、ころんだときの心構え、手助けとなる言葉が必要。 それが、この言葉であるのかも。はい、歩いて行きましょう。 ヤカモチとしては、「歩く」よりも銀輪で「走る」方がいいのですが。(墓地よりあべのハルカス遠望) 今日は、あべのハルカスもよく見える。 墓地のランドマークともなっていたクスノキの大木。 いよいよ枯死するのも時間の問題か。(墓地のクスノキ1) 葉がすっかり落ちてしまっている。 この木よりも少し小振りになるが、2~30m東側にあるクスノキは健在でこんな姿。(墓地のクスノキ2) 本来はクスノキ1も、クスノキ2のように、葉を繁らせている筈であったのだが・・。わが墓地の ランドマークの クスノキを こんな姿に したのは誰か (偐正成) 我が家の墓の近くに「森ヶ谷墓」という嘉永2年に建立の墓がある。 何日か前に横綱・梅ケ谷のことが話題に取り上げられているTV番組を見るともなしに見ていて、この「森ヶ谷」と「梅ヶ谷」とを取り違えて、一瞬のことであるが、その墓が我が家の墓の近くにあったのでは、などと勘違いしたのでありました。梅ケ谷ならぬ森ヶ谷はそんな有名な力士ではなかったようです。<参考>梅ケ谷・Wikipedia<参考> 墓参関連の過去記事はコチラ。<追記:2023年2月12日>カテゴリが間違って「囲碁」となっていたので、「カテゴリ未分類」に訂正しました。
2023.02.11
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今日は、梅田スカイビル付属棟の一室を会場として月2回開催している囲碁サークルの例会の日。お天気は雨の心配がないので、いつもの通り、マイCB(クロスバイク)で銀輪散歩を兼ねて自宅を出発。 大阪城公園は、休憩せずに通り抜け通過。天満橋を渡って二つ目の辻を西に入ったところにある滝川公園で小休止。 この公園の西側には道路を挟んで浄土真宗本願寺派のお寺があり、時々その門前の言葉などを見たりするのが、近ごろの習慣。今日の言葉はこれでした。(今日の門前の言葉) み教えは ころばぬ先の 道あかり ころばぬ先の杖は色々とあるようですが、先人の教えもその一つと言えるでしょう。 囲碁で言えば、定石がそれにあたるでしょうか。定石通りに打てば概ね間違いではなく、部分的には正しいのであるが、盤面全体の状況やその近くにある石の位置によっては、それが最善手とは限らないので、定石通りに打つのが常に正しいとは限らないのである。それはあくまで「道あかり」に過ぎないのであって、どのような手を打つかは本人の状況判断次第、選択次第ということになる。 その判断、選択が正しければ楽な碁となり、間違っていれば苦しい碁となる。人生また然りであります。 梅田スカイビル到着は11時37分。 いつものカフェ・レストランでランチ&珈琲。(ランチを待ちつつ・・at Lago di Cielo Parco) 上の写真の窓の外に見えている、左手前のビルの5階にある部屋が囲碁の会場にしている部屋である。 食事を済ませて、喫煙コーナーで食後の一服。里山をひとめぐりしてから、会場の部屋に行くと、平〇氏が既に来て居られました。 早速、同氏とお手合わせ。 下辺の白石の模様が大きくまとまり、上辺から左辺にかけての黒石の模様を上手く消すことができて、ヤカモチの完勝、中押し勝ちとなりました。 対戦中に福麻呂氏、村〇氏が来場されたので、メンバーチェンジして、2局目は福麻呂氏と打つ。中盤まではヤカモチの楽勝ペースでしたが、終盤に右辺の模様を随分と消されて、雲行きが怪しくなりかけました。しかし、前半のリードがものを言って、思ったよりも大差でヤカモチの勝ちとなりました。 3局目は村〇氏と。序盤で村〇氏が悪手を打たれたこともあって、終始ヤカモチにとって楽な展開となり、これもヤカモチの中押し勝ちの完勝。 4局目は少し遅れて来場された青◎氏と対局。これは、逆に大差でヤカモチの完敗。 ということで、今日の成績は3勝1敗。 これで、今年に入ってからの通算成績は6勝5敗となりました。 今年最初の例会は4戦全敗で最悪のスタートとなりましたが、ようやく一つ勝ち越しというところまで挽回することができましたので、何とかサマになってきました(笑)。<参考>囲碁関連の過去記事は下記参照。 囲碁関係(その1) 2008年~2019年6月 囲碁関係(その2) 2019年7月~
2023.02.08
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若草読書会の友人・和郎女さんの作品展であります。 2021年12月10日の第26回展以来ですから、久々の作品展になります。<参考>和郎女作品展の記事一覧はコチラ。 今回は、3年ぶりに開催した若草読書会の折にお持ち下さった作品をご紹介するものであります。 写真が不鮮明で没にしたものや撮影しなかったものもいくつかありますので、その全てではありませんが、しばし、和郎女作品の世界でおくつろぎくださいませ。 今年は卯年ということで、ウサギに因んだ作品であります。(●南天と雪兎) 若草読書会の新年会では、メンバーへのプレゼントとして、その年の干支に因んだ作品を沢山お持ち下さるのですが、3年ぶりの若草読書会新年会復活で、和郎女さんのプレゼントも復活しました。 この「南天と雪兎」はヤカモチが頂戴したものであります。 なお、当記事に於いて、作品に付したタイトルはヤカモチが勝手に付けたもので、作者の和郎女さんのご同意を得たものではありませんのでご了承願います。(紅梅と兎) 梅の花が咲き、ウサギさんのカップルが仲良く並んでいます。梅の花 今盛りなり 我妹子と 添ひてたぐひて 二人し居らむ (兎家持)(同上・色紙版) これは、同じデザインの色紙版であります。梅の花が紅梅だけでなく白梅も混じっっていますので、「紅梅と兎」というタイトルは色紙版には適切ではありませんね。 このように一つの枝木に赤白の花を付けるのは、源平梅とか源平桃とか呼ぶのだろう。(梅と金兎) こちらは、金色の毛並みの兎なので金兎としました。「金烏」というと太陽のことを意味するが、それは中国の伝説で、太陽には金の烏が住んでいるという話に由来する。同様に、月には玉璧の兎がいるというので、月のことは「玉兎」と言ったりもする。金烏西舎に臨み・・という大津皇子の臨終の詩は有名である。 しかし、金兎梅花に臨み・・となると、これはなんのこっちゃ、でありますかな。春風駘蕩として・・などと続けて大津皇子の詩とは違った目出度い春の詩になりそうではありますが、金兎とはなんのこっちゃ、という疑問は残したままとはなります(笑)。 次は「兎のお月見」。(兎のお月見) 月は玉兎とも言うということは別にしても、我々は子どもの頃、月では兎が餅つきをしていると教えられて幼児期を過ごしたので、月と兎は違和感のない組み合わせであります。(三日月と兎) 大伴家持の歌で三日月と言えばこの歌。振り放(さ)けて 三日月見れば 一目(ひとめ)見し ひとの眉引(まよび)き 思ほゆるかも (大伴家持 万葉集巻6-994) 大伴家持16~7歳の頃の歌であるが、もう10年以上も幼ければ、満月を見て「餅つく兎 思ほゆるかも」などと詠んで、お師匠さんの坂上郎女をがっかりさせていたことだろう。(兎と毬) 山寺の和尚さんなら、猫と毬なんだろうが、ポンと蹴られるのはもうご免と、猫は毬との撮影を辞退したようで、兎が代役に。しかし、和尚さんがポンと蹴ってもニャンとも鳴かなかったので、つまらんということになったと兎は言って居ります。(兎と人参) うさぎ美味しこの山♪などと歌う子が増えたとかで、「ふるさと」の兎たちは、うさぎは美味しくありません、美味しいのはニンジンです、とニンジン嫌いの子どもたちへのキャンペーンを今年から始めることになったらしい。しかし、ニンジンだけに画像の鮮明度がイマイチ、ニジンでしまっています。(兎の暦) 今年一年、皆さまによき年でありますように、と兎が言っております。(梅と兎のミニ屏風) これは二つ折りのミニ屛風。左側に大きな空白を設けているのは、ここにメッセージを書いてグリーティングカードとしてもお使い下さいということであるか。(●兎と松竹梅の三つ折り屏風) 上の三つ折り屏風は、若草読書会の新年会にお持ちいただいたものではなく、昨年12月に和郎女さんがヤカモチ宛てに送ってくださったものです。 和郎女作品展に掲載しようと、撮影保存しておりましたので、出番ですよと登場いたしました。 (月と兎) (松竹梅と兎1) (同左2) 短冊タイプの作品です。 そして、ストラップ・タイプの作品。(兎のストラップ) 以下は、兎関連以外の作品です。(紅梅白梅二人しあれば) これはお雛様かもと思いましたが、梅の花なら違うだろうと、イマイチよくわからんタイトルを付けました。しかし、花を桃とみなして、お雛様にした方がよかったかもしれませんね。(花籠) これは、春と言うよりも秋ですね。季節先取りの花籠であります。 次のコスモスはもう完全に秋そのもの。 (コスモス) 次は、もう季節そのものに関係のない、梟と美人画であります。 (梟1) (梟2) (●見返り美人) (同左2) そして、実用的ながま口ポーチ。(がま口ポーチ) 以下は、2021年6月27日智麻呂絵画展特別編の記事に掲載した写真でありますが、和郎女作品展には登場していませんので、この機会に併せ掲載することといたしました。(桔梗<2021年6月27日智麻呂絵画展特別編に掲載済み>)(桔梗の団扇<2021年6月27日智麻呂絵画展特別編に掲載済み>) 以上、25作品をご紹介させていただきました。 ご覧いただき、ありがとうございました。<追記:2023年2月7日>上記文中「玉璧」が「玉壁」と間違った字になっていましたので、訂正しました。わがPCは勉強不足なようで、「ぎょくへき」と打つと「玉壁」という字に変換してしまうということを見落とした結果の誤字表記でありました。
2023.02.05
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友人・岬麻呂氏からの旅便りです。 今年になって早や2回目となる旅は、「日本で一番初めにできるお花見が目的」の沖縄へのご夫婦旅であります。(旅・岬巡り報告304 沖縄・寒緋桜&同写真説明)※本日(2月3日)フォト蔵が正常に復したようなので、大きいサイズの写真とのリンクを貼っています。画像をクリックして大きいサイズの写真でご覧いただくと読みやすいかと思います。 では、我々もひと足早いお花見にお相伴させていただきましょう。1月24日関西空港→那覇空港→喜屋武岬灯台→具志川城址→八重瀬公園(桜五分咲き)→知念岬→ニライカナイ橋→那覇市・漫湖公園(桜五分咲き)→ロイヤルホテル沖縄残波岬(3連泊) 初日はあいにくの小雨であったようですが、銀輪ヤカモチと違って何ほどのこともなかったことでしょう。 夜は連夜の泡盛とか。下戸ヤカモチの真似あたわざることであります。(喜屋武岬) 沖縄本島最南端の喜屋武岬最南端 見むと那覇ゆし わが来れば 喜屋武の岬は 小雨そぼ降り (偐家持) 小雨そぼ降る岬というのも詩情があっていいものかと。 もっとも、ホテルの駐車場では海側からの強風で、運転席側のドアーが開けられず、助手席側から車を降りたと書いて居られるから、喜屋武岬でもそんな強風であったのなら、詩情があってなどとは言ってられないのでしょうが、写真で見る限りはそんな感じでもありません。心なしか波が立ち騒いでいる気がしないでもありませんが・・。(ニライカナイ橋) こんな橋を見ると、銀輪で走ってみたくなりますが、これは自動車専用道ですかね。1月25日本部半島・八重岳(桜八分咲き)→今帰仁城址(桜五分咲き)→古宇利大橋→古宇利島一周→名護市営市場→名護城址(桜五分咲き) この日は曇り空なるも雨の心配はなかったようです。 (八重岳の寒緋桜) 八重岳の桜は「八分咲き」と書いて居られますが、桜の開花情報では「八分咲き」を以って「満開」というのだというのが、ヤカモチの理解なので、これはもう「満開」であります。(今帰仁城址・城門の内側から撮影) 今帰仁城址もいい感じに咲いています。 本州が悪天候で那覇空港着便が多数欠航となっていることもあって、観光客も少なく、ゆっくり静かに、落ち着いたお花見を満喫されたようです。(今帰仁城址・城郭の最高地点から撮影) 寒緋桜は南西諸島では山頂部から裾野へ、北から南へと開花が進むようで、ソメイヨシノのそれとは逆の咲き方をするとのこと。 古宇利大橋を渡って、古宇利島一周。(運天港) 運天港という珍しい名前は、昔、源為朝が伊豆大島から逃れた際に暴風雨に遭遇、「運を天に任せて」辿り着いたのがこの地だという伝説があり、それに由来する地名だとのこと。 奥に見える橋は古宇利大橋。左奥が古宇利島。 古宇利大橋を渡って、古宇利島一周。 名護市へ向かい、名護城址へ。(名護城址・名護市一望)名護城に わが立ち来れば 緋桜の 花越しに見ゆ 名護の街はも (偐家持)(名護城址・階段部分) 今回、名護市のマンホールカード1枚が旅便りに同封されていました。 この日に取得されたものかと思いますが、これはブロ友のひろみの郎女さんにお渡し下さいという趣旨での同封。 6日に馴染みの喫茶店・ペリカンの家で彼女にお渡しする予定になっています。(名護市のマンホールカード)<追記:2023年2月4日>このマンホールカードについての記事がひろみの郎女さんのブログにもアップされていますので併せご覧ください。→コチラ1月26日R58→オクマビーチ→辺戸岬・辺戸埼灯台→道の駅・ゆいゆい国頭(昼食)→今帰仁城址→八重岳 この日は朝から快晴。沖縄はこうでなくては、であります。 本島北部のオクマビーチ、最北端の辺戸岬へと向かわれます。 岬麻呂氏は、そのお名前の通り、最南端、最北端など端っこ、つまり先っぽがお好きなようです(笑)。(オクマビーチ) はい、鹿児島県「最南端」の与論島も遠望です。(与論島遠望)沖縄の 北の果てより 鹿児島の 南の果て見む 辺戸の岬ゆ (偐家持)(辺戸岬)(古宇利島) 八重岳の桜めぐりであります。(八重岳・中腹)(八重岳・中腹と山頂との中間地点)(八重岳・山頂付近)1月27日那覇空港→関西空港 この日、最終日は昼便で那覇空港から関西空港へ帰阪ということで、写真はありません。 沖縄本島561kmのドライブお花見旅完結であります。 今日もご覧いただき、ありがとうございました。<参考>過去の岬麻呂旅便り記事はコチラ。フォト蔵アルバム・岬麻呂写真集はコチラ。
2023.02.03
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記事が前後しますが、1月28日の近隣散歩の写真を記事アップします。 この日は整体院でマッサージを受ける日であったので、先ずそれを済ませてから、銀輪散歩としました。 花園中央公園に立ち寄ってから、久々に恩智川沿いに南へ走ることとしました。 花園中央公園から眺める生駒山の写真は1月29日の記事に掲載済みですが、話の順序として、重ねてこれを掲載して置きます。(花園中央公園から眺める雪の生駒山)(同上) 相棒はクロスバイク(マイCB)。このところはCBを相棒とすることが多く、MTB(マウンテンバイク)の出番が殆どない。 花園ラグビー場前から、東花園駅前を通り、恩智川右岸の道を南へと走る。三池橋の先で将棋をさす人たちの姿を見かける場所があるのだが、さすがにこの寒い季節、休止になっているのか、場所を変えたのか、この日はその場所に人影はなしでありました。 更に少し南に行くと、遊水池公園があり、そこに架かっている橋が弥生橋である。(弥生橋) 橋の向こう側が遊水池公園。 橋のこちら側が恩智川。 橋の部分の川の堤防が低くなっていて、川の水位がこれよりも高くなると橋の向こう側の遊水池公園に水が流れ込む仕掛けになっている。 川の反対側にも広い公園(福万寺公園)があって、これも遊水池公園としての機能を併せ持っている。こちらは、弥生橋の北側(上の写真では奥方向になる)で、恩智川から分流する第二寝屋川の方から流れ込む構造になっている。 その福万寺公園側にセンダンの木が実をたわわにつけてひと際目立っているのでありました。(センダンの木 左奥は福万寺グラウンド) センダンは楝(おうち、旧仮名遣いでは「あふち」)である。妹が見し 楝(あふち)の花は 散りぬべし わが泣く涙 いまだ干(ひ)なくに (山上憶良 万葉集巻5-798)(妻が見た栴檀の花は散ってしまうようだ。私が泣く涙がまだ乾かないのに。)珠に貫(ぬ)く 楝(あふち)を家に 植ゑたらば 山霍公鳥(やまほととぎす) 離(か)れず来(こ)むかも (大伴書持 同巻17-3910)(ほととぎすが珠として貫く栴檀の花を家に植えたなら、山ほととぎすはいつもやって来るかなあ。)ほととぎす 楝(あふち)の枝に 行きて居(ゐ)ば 花は散らむな 珠と見るまで (大伴家持 同巻17-3913)(ほととぎすが栴檀の花の枝に来てとまったならば、花は散るだろうなあ、珠かと思えるほどに。) 初夏に咲くこの木の花は万葉集にも登場するが、実を詠んだ歌は無いようなので、ヤカモチが1首。楝の実 冬の花かと 咲く見れば 駆けてもみむか 銀輪の道 (偐家持) 木々が葉を落とす季節になると、センダンの実は日に照り輝き、遠目には花が咲いているかのように見えて元気がもらえる。 八尾市域に入り、近鉄信貴線の下を潜るアンダーパスを過ぎ、恩智川と国道170号(外環状線道路)が交差する垣内南交差点を越えると、かつて馴染みにしていたが閉店してしまった喫茶ナナの前に至る。 今もシャッターを下ろしたままであるから、新しい借り手がないままにずっと空室状態が続いているのだろう。 更に恩智川沿いを上流へと進むと、八尾翠翔高校である。この学校は、八尾市と柏原市の境界ぎりぎりの位置にあるので、これを過ぎるとスグに柏原市である。 此処で、恩智川右岸の道は工事中で長らく通行止めになっているので、左岸側の道に移らなくてはならない。 どうやら、此処でも遊水池公園を新しく造成しているようだが、その完成がかなり近くなっている感じである。(工事中の恩智川 柏原市法善寺4丁目付近 但し、帰路での撮影) 写真右手側が遊水池公園になるのだろう。 先に掲載の弥生橋と同じような構造のものが出来上がるのだろう。 完成したら、また紹介させていただきます。 恩智川は、大和川の手前、柏原市大県3丁目付近で東方向に向きを変え、その先は暗渠となって、地上からは流路が見えないので、源流をたどることはできないが、生駒山地の方から流れて来る水の道があるのだろう。 恩智川に別れを告げて、太平寺交差点、近鉄・安堂駅前を過ぎて、大和川右岸に出る。 柏原市民文化会館リビエールホールと柏原市庁舎のある場所である。(大和川と柏原市庁舎 右奥の建物がリビエールホール 帰途の撮影) 整体院の帰りの思いつきの銀輪散歩で、大和川まで来てしまったが、時刻はとみると、11時45分近くになっていた。 で、こちら方面への銀輪散歩で何回かランチに立ち寄ったことのある喫茶店で昼食を済ませてから帰ろうと、その喫茶店に向かうが、土曜日ということで定休日になっているのか、それとも閉店してしまったのか、シャッターが下りたままである。 仕方がないので、国豊橋で恩智川を渡り、近鉄・河内国分駅前へ。 しかし、なかなか適当な店が見つからない。で、思いついたのが、以前、凡鬼さんご夫妻と立ち寄ったことのある喫茶店に行ってみたが、ここもシャッターが下りたまま。 是非に及ばず。駅の西口に回り、故智麻呂氏の納骨式の折に、恒郎女さん、リチ女さん、ひろみの郎女さんたちと入ったことのあるうどん屋さんへ向かうことにするが、その手前で近道になるかと入った路地で別のうどん屋さんがあったので、そこでランチとしました。 ということで、何やら昼食が目的みたいな銀輪散歩となり、満腹となったところで、帰宅することとしました。 帰途は、来た道をとって返すだけ。(大和川 下流方向<西方向>) 写真に写っている橋は人道橋。 石川自転車道をサイクリングするときは、この橋を渡って左(南)に進むのであるが、今回は大和川までとし、帰宅であります。<参考>近隣散歩関連過去記事は下記です。 近隣散歩(その1) 2009~2013 近隣散歩(その2) 2014~※掲載写真は、フォト蔵のメンテナンス中で、大きいサイズの写真とのリンクが貼れていません。フォト蔵が正常に復しましたらリンクを貼りますので、それまでお待ちください。<追記>システムの不具合で2023年1月21日からログインできなくなっていたフォト蔵が本日(2023年2月3日)正常に復したようで、上掲の掲載写真を大きいサイズのフォト蔵写真とのリンクを貼ることが可能となりましたので、リンクを貼る修正を行いました。(2月3日午後6時22分)
2023.02.02
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今日は囲碁例会の日。 例によってマイCB(クロスバイク)で自宅を出発。 走り始めてしばらくは、手袋をしていない手が冷たくなってジンジンしていたが、そのうちに手もポカポカして来て気にならなくなりました。 大阪城公園を通り抜けるいつものコース。(大阪城公園・森ノ宮入口) 大阪城ホールの南側、太陽の広場の南西隅に、大阪砲兵工廠跡の碑があることに、今日初めて気がつきました。(砲兵工廠跡の碑・後ろは太陽の広場) この付近や第二寝屋川を挟んで対岸のOBP(大阪ビジネスパーク)の区域など広大な地域が大阪砲兵工廠跡地であったが、今は整備開発され公園や商業ビル街となっていて、それをしのばせるものはごく一部を除き何も残っていない。かつては、空襲で焼け落ちて鉄骨だけになった建物の残骸が残っていて、大阪環状線の電車の車窓からもそれらがよく見えたものであったが・・今はもう遠い昔のことである。 天満橋を渡って、少し西に入った処にあるのが滝川公園。 此処は休憩でよく立ち寄る公園。今日も此処で短い休憩。 道路を挟んで公園の西側にあるのが「浄蓮の滝」ならぬ「浄蓮寺」。この寺の門前の言葉は、今日はこれ。(門前の言葉) 喜びも悲しみも人生料理の材料です 自分の味を楽しもう 喜びも悲しみも人生の調味料と言い換えてもいいのかも。 はい、11時50分、梅田スカイビルに到着です。 付属棟のガーデンファイブ棟1階のカフェ・レストランで昼食&珈琲。 昼食後、里山を散策。(里山から梅田スカイビルを見上げる) 里山には野鳥の小鳥たちのためのものだろう、このような餌場が設けられていました。かつては気が付かなかったので、最近に設置されたものかもしれない。(梅田の里山・小鳥の餌場?) 置かれているのは蜜柑だろうか。(同上) ガーデンファイブ棟5階の部屋に上がると、ヤカモチが一番乗り。 数分後に福麻呂氏がご来場。 同氏と対局。手厚く打って、完勝。 対局中に村〇氏、青〇氏ご来場。 第2局目は、村〇氏と対戦。これも10目余のヤカモチの勝ち。 第3局目は、青〇氏が相手。これも中押しで完勝。 今日は3戦3勝となりました。前回が4戦全敗でしたから、少し盛り返したことになります。 帰途は雨が少しぱらつくお天気となりましたが、濡れるほどの雨ではなかったのは幸いでした。 新出入橋東交差点までやって来たところで、桜橋交差点の方からデモ隊がやって来ました。日本在住のミャンマーの人たちによる、ミャンマーの軍事政権に対する抗議デモのようでした。 プーチン・ロシアのウクライナ侵略で、ミャンマーの市民弾圧のことが余り注目されなくなっているが、軍がクーデターによって不法に政権を奪って今日で早や2年になるのですな。私たちはミャンマーのことにも無関心でいてはならないだろう。<参考>囲碁関連の過去記事は下記参照。 囲碁関係(その1) 2008年~2019年6月 囲碁関係(その2) 2019年7月~※フォト蔵のシステムトラブルは現在も未だ回復していません。従って、当記事掲載写真は大きいサイズのフォト蔵収納写真とのリンクが貼れていません。いつになるかは分かりませんが、フォト蔵が回復次第、リンクを貼りますので、大きいサイズで写真をご覧になるのは、もう少しお待ちください。<追記>システムの不具合で2023年1月21日からログインできなくなっていたフォト蔵が本日(2023年2月3日)正常に復したようで、上掲の掲載写真を大きいサイズのフォト蔵写真とのリンクを貼ることが可能となりましたので、リンクを貼る修正を行いました。(2月3日午後6時14分)
2023.02.01
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