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今日は健人会の集まりで、石山寺近くにある料亭・新月へ。 JR石山駅前での料亭の送迎バスが11時55分発なので、それに間に合うように駅前に集合という案内であったが、路線検索によって予定していた電車よりも早い電車に乗ったものだから、11時6分に到着。 改札を出ようとしたところで、同じく早い到着の杉〇氏と会い、改札を出たところで、既に到着の草麻呂氏が待って居られて、合流。 京阪電車の石山駅との連絡橋の広場にある芭蕉さんの像に久しぶりのご挨拶をして行く。(松尾芭蕉像) この像は当ブログ過去記事で紹介済みであるが、久々なので再掲載して置きます。<参考>健人会2015年夏 2015.9.2.(同上副碑) 副碑に記載の、義仲寺、幻住庵、石山寺境内芭蕉庵などは、当ブログ過去記事でも紹介していますので、下記<参考>をご参照ください。<参考>行く夏も近江の人と惜しむべき(続) 2012.8.30. 義仲寺余聞-木曽殿と背中合せの暑さかな 2012.8.31. 幻住庵へ(上) 2013.9.6. 幻住庵へ(下) 2013.9.7. 石山寺散策(続) 2015.9.4. 雑談をしているうちに、徳〇氏、〇庭氏、平〇氏、平〇J氏、竹〇氏、生〇氏、北〇氏、只麻呂氏が来られ、最後に森〇氏が到着して、バス組12名が全員集合。(JR石山駅北口・・料亭のバス車内から撮影) 駅北口に待機の料亭のマイクロバスに乗り込み、出発。 料亭・新月に着くと、別ルートで到着済みの岡〇氏と鯨麻呂氏が、既に部屋に入って居られました。 ということで、この日の参加者はヤカモチを含み全14名。 欠席は、正〇氏と今〇氏の2名。 5人組ウオークのメンバーでもある鯨麻呂氏とは、同ウオークも長らく休止していたこともあり、同氏が健人会も直近連続して欠席されたこともあって、久々の再会。お元気そうなお顔を拝見できて、嬉しいことでした。 平〇氏の乾杯のご発声で、いつもながらの楽しいお喋りとご馳走の会が始まりました。 杉〇氏、只麻呂氏、鯨麻呂氏からの近況報告のあと、各自が順番に近況報告。それぞれに愉快な野次も飛んで、楽しいひと時でありました。 朝の間は雲の多い空模様でありましたが、会が終わる頃には青空が広がるお天気となっていました。瀬田川の 青葉の風や 思ふどち い群れて居れば うれしくもあるか (偐家持)(料亭・新月から望む瀬田川)(同上) 次回の集まりは10月18日(水)とするということを決めて、散会となりました。(料亭・新月) JR石山駅前までマイクロバスで送って頂き、草津、近江八幡方面帰宅組の皆さんとは石山駅で別れ、京都、大阪、神戸方面帰宅組の皆さんと一緒に電車に。徳〇氏と竹〇氏とヤカモチの3人は同乗の皆さんと別れて、京都駅で下車。何処へやら立ち寄るという竹〇氏とは京都駅改札を出たところで別れ、徳〇氏とヤカモチは近鉄特急であれやこれやを語らいつつ大和西大寺駅へ。 西大寺駅で奈良線に乗り換え、学園前駅で同駅下車の徳〇氏と別れ、自宅に帰着したのは午後5時半頃になっていただろうか。 かつては、愛車のトレンクル持参で参加し、京都駅から自宅まで自転車で帰るというようなこともしていたヤカモチであるが、このところは、そういうことをしなくなっているのは、年齢の所為で気力・体力が衰えているということでもあるか。<参考>健人会関係過去記事はコチラ。
2023.05.31
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昨日(26日)は、智麻呂氏の追悼記念集会でありました。 2023年5月26日(金)午後1時半~3時半 日本基督教団小阪教会 午後1時半開会ということで、若草読書会メンバー有志は午前11時に小阪教会集合ということになっていた。 前日(25日)に続き、この日も自転車で教会へ。 午前10時30分小阪教会到着。ヤカモチが一番乗り。 この日午前中に配達予定の東京のリチ女さんからのお花は既に届いていて会堂内に置かれていました。遺影の隣にこれを置く。(リチ女さんからのお花と故智麻呂氏遺影) 小万知さんがお嬢さんの車で、お花、献花用のお花などご持参で到着。凡鬼・景郎女ご夫妻も到着。恒郎女さんもお嬢さんたちと到着。第2部の茶話会でジャズを演奏いただくバンド、スモールプラネッツの皆さんも到着。(準備中のスモールプラネッツの皆さんと遺影) 和郎女さんも到着。 槇麻呂氏が従妹の利衣郎女さんと到着。(教会入口前) 小万知さんが昼食用にとコンビニで買い求めてお持ち下さったおむすびを皆でいただき腹ごしらえ。 午後1時近くになって参加者が集まり出す。展示の智麻呂絵画や智麻呂美術全集などをご覧いただきながら、開会を待つ。(智麻呂美術全集をご覧になっている参加者) 定刻の午後1時半となり、第1部の追悼記念式がN牧師の司式で始まる。 奏楽は智麻呂氏のお嬢さんの今日郎女さんである。(式次第表紙)(式次第)(式次第裏表紙)(讃美歌楽譜)(同上) 追悼記念式の最後に献花。(献花式)(同上) 献花終了後、サンドイッチやお菓子、飲み物を配り、第2部の茶話会に。 茶話会の司会進行は景郎女さんとヤカモチの二人が担当。 始めに凡鬼さんが若草読書会を代表してご挨拶。(凡鬼氏の開会ご挨拶) 続いて、智麻呂氏の青春時代のご友人の中〇氏によるスピーチ。 学生時代のエピソードなどを色々とご紹介くださいました。 同じく、ご友人の大〇さんから一言あって、スモールプラネッツによる演奏となる。配られたお菓子や珈琲、紅茶などをいただきながら演奏を楽しませていただきました。(スモールプラネッツの演奏)(同上) スモールプラネッツというのは、神戸を中心に活動しているジャズバンドであり、智麻呂氏のお嬢さんの今日郎女さんもそのメンバー。 そんなご縁で友情出演であります。(同上)(同上) スモールプラネッツの演奏が終わり、参会者からのスピーチをいただく。(衛〇氏のスピーチ)(芦〇さんのスピーチ) 衛〇氏も芦〇さんもヤカモチはン十年ぶりの再会。 もう一人、事前にスピーチをお願いしていた渡〇氏は急な事情で欠席せざるを得なくなったとのことで、その旨のお手紙の一部をヤカモチにて代読させていただく。 この渡〇氏も長らくお会いしていないので、久々の再会を期待していましたが、残念でありました。他の参会者では、山〇氏や博麻呂氏、寺郎女さん、利衣郎女さんなどン十年ぶりのお方も居られ、懐かしい再会に恵まれたことは嬉しいことでありました。 続いて、家〇氏のスピーチ。 恒郎女さん曰く「パンチのあるスピーチ」にて、ヤカモチも写真を撮り忘れたか、画像がありません(笑)。 最後に讃美歌405番を合唱して。 恒郎女さんからのお礼のご挨拶。(恒郎女さんのご挨拶) 第二部茶話会終了後、参加者全員で記念撮影。 ヤカモチのカメラで、ヤカモチが2枚撮影。牧師夫人の手で2枚撮影いただきました。下の写真は、牧師夫人に撮影いただいた写真の1枚でありますので、ヤカモチも入っていますが、皆さん同じ表情なので判別は不可能であります(笑)。 こういう写真は「面白い」と言うのであるか。 しかし、顔を白く塗りつぶす作業は結構手間である。(記念の集合写真) 解散後、教会近くの喫茶店「あずさ珈琲」で、二次会。 二次会参加者は、衛〇氏、寺郎女さん、芦〇さん、凡鬼・景郎女ご夫妻、小万知さん、祥麻呂氏、槇麻呂氏、和郎女さんとヤカモチの10名。 しばし、旧交を温める歓談の後に解散。ヤカモチは店の前で、西へと向かう皆さんと別れて一人、CB(クロスバイク)で東へ。思ひつつ 家路たどれば 君が見し 生駒の山も 来よとや招く (偐家持) 午後6時過ぎの帰宅でありました。<参考>過去の若草読書会関連記事はコチラ。
2023.05.27
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今日(25日)は、昨年2月にご逝去された智麻呂氏を偲ぶ会の準備・設営のため、日本基督教団小阪教会へ。 明日(26日)午後1時半から小阪教会の会堂をお借りして、智麻呂氏の追悼記念集会(偲ぶ会)を開催することとなって居り、その準備・会場設営のため、午後1時集合で若草読書会有志と待ち合わせ。 小阪教会へは、例によって相棒のCB(クロスバイク)で、一っ走り。 自宅からの所要時間は25分程度。 小阪駅近くの喫茶店で早めの昼食を済ませてから小阪教会へ。 11時5分の自宅出発であったが、昼食も相当に早食いであったのでしょう、小阪教会到着は早過ぎる11時45分でありました。 お仲間の皆さんが到着するまで、会堂内や前庭などをウロウロ。(日本基督教団小阪教会) 写真に写っている自転車がヤカモチの愛車のCBであります。(同上) CBの背後、左端にあるのがザクロの木。 このザクロの花は白っぽい薄紅色。紅一点の「紅」とはザクロの花のことであるが、普通に見るザクロの花は朱色である。このような薄紅色のザクロの花を見るのは初めてである。(薄紅色のザクロの花) 小阪教会の婦人会の人たちが牧師夫人と一緒に、前庭のプランターの花に水をやって居られましたが、その中のお一人の方のお話では、小振りであるが、とても甘いザクロの実がなるのだという。 ザクロの木の右隣には柿の木。 小さな青い実、柿の赤ちゃんが沢山なっていました。(柿の赤ちゃん)2023年5月27日追加掲載。※柿の赤ちゃんの写真を撮っていなかったので、追悼記念集会当日(26日)に撮影しました。 ザクロと柿との間にナンテンの木があり、ナンテンも花を咲かせていて、クマバチが二匹、ブンブンと飛び回っていたので、これを撮影しようと、しばらく遊ぶ。(ナンテンの花とクマバチ)(同上) しかし、飛び回り、動き回る蜂を撮影するのは至難のワザ。 諦めて、ナンテンの花の撮影に切り替える。(ナンテン) ナンテンの花に注目することなど余りないのであるが、接近して写してみると、なかなか美しい。(同上)(同上) そうこうしているうちに、智麻呂夫人の恒郎女さんが、そのお嬢さんの今日郎女さんの運転する車で到着。ほぼ、同時に槇麻呂氏も到着。 遺影などや展示する絵画、智麻呂美術全集などの荷物を会堂内へと運ぶ。 凡鬼・景郎女ご夫妻が到着。景郎女さんの弟の博麻呂君も応援で駆けつけて下さった。彼とヤカモチは同学年で、高校時代にこの小阪教会の高校生会でご一緒した仲。高校卒業以来かもしれない久しぶりの再会。とても嬉しい再会でありました。 遺影を飾るテーブル、献花台のテーブルなどを設営し、飾りつけ開始。(智麻呂絵画の展示)(思い出写真や智麻呂美術全集も展示) 思ったよりもスムーズに設営が完了。 明日(26日)、追悼記念集会は午後1時半開会で、若草読書会メンバーは午前11時に集合としているが、当日に到着のお花などの飾り付けを残すのみなので、大してすることがないかもしれない。 設営終了後、凡鬼・景郎女ご夫妻、槇麻呂氏とヤカモチの4人は喫茶店に立ち寄り、しばし歓談(閑談かも)。 皆と別れて、ヤカモチはCBで帰路に。 花園中央公園に立ち寄って帰宅。(今日の空)(花園中央公園の菖蒲) アヤメやハナショウブは智麻呂氏がお好きだった花である。<参考>過去の若草読書会関連記事はコチラ。
2023.05.25
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友人・岬麻呂氏からの旅便りです。 旅便りは、5月17日に配達されましたが、記事は三日遅れの今日・20日の掲載となってしまいました。 今回も北海道にて、桜旅の続きとなりますが、前二回が一人旅であったのとは異なり、「納めの桜旅」ということで、「温泉とビール一杯の会の例会に愚妻を特別参加させてもらい4人旅となった。」という賑やかな旅であったようです。(旅・岬巡り報告310・富良野桜旅&同写真説明) では、私達も「納めの桜旅」に写真で同行させていただきましょう。5月7日ホテル日航関西空港に夕刻集合・前夜祭の夕食。 「各自ビール一杯で盛り上がる」とのことですが、文字通りのビール一杯であったようですから、これなら下戸ヤカモチもお付き合い可能ということになりますかな(笑)。5月8日関西空港→新千歳空港→(レンタカー)→占冠で手打ち十割そば(昼食)→アイリス伊藤ガーデン→金山峠→富良野・山部山桜街道→麓郷街道→麓郷展望台→布礼別・男山八幡神社→鳥沼公園→新富良野プリンスホテル(3連泊) 早朝便で新千歳空港に降り立つと、気温9度という寒さ。 空港からレンタカーで出発。 占冠村に向かい、手打ち十割そばで昼食。 アイリス伊藤ガーデンに立ち寄り、花を宅配依頼。 金山峠を越えて富良野へ。(富良野市山部・山桜街道と芦別岳) 山部の山桜街道は夕張山系の芦別岳(1726m)と山桜が織りなす風景が絶品であるのだが、今年はこれには間に合わず、葉桜の状態。(富良野・麓郷街道) 麓郷街道は標高が高いので、既に散り始めているものの、咲き残り、散り残りのヤマザクラが十分に楽しめる眺め。 麓郷の北隣にある布礼別八幡宮は満開の桜。(富良野・布礼別男山八幡宮)散りたらば 桜の旅の 顔立たず 八幡大神 散らさずにあれ (岬花朝)(本歌)時により 過ぐれば民の 嘆きなり 八大竜王 雨やめたまへ (源実朝 金槐和歌集) 南無八幡大菩薩。納めの桜旅の面目は立ったことになる(笑)。 この神社はヒメギフチョウの保護区として有名らしいから、蝶に詳しいもう一人の友人・蝶麻呂君なら夙にご承知のことであるかもしれません。 この後の鳥沼公園は葉桜でありました。5月9日風のガーデン→R38→南富良野町・松村ガーデン→新得町・然別湖畔温泉ホテル風水(入浴)→オショロコマ定食→トムラウシ温泉・東大雪荘(入浴)→富良野市(雨上がりの見事な虹)→寿司屋トロピカル(夕食) この日の写真は富良野岳(1912m)の日の出から始まります。(富良野岳の日の出)東の 野にかぎろひの 立つ見えて 富良野の朝は 明け行くならし (岬人麻呂)(本歌)東ひむがしの 野にかぎろひの 立つ見えて かへり見すれば 月かたぶきぬ (柿本人麻呂 万葉集巻1-48) 「この日は雲海が見られず。」と書いて居られますから、それがお目当てでの早起きであったのかもしれません。因みに、同じアングルでの雲海の写真は下記<参考>の記事に掲載されています。<参考>岬麻呂旅便り298・富良野、旭岳の紅葉 2022.10.3. そして、新富良野プリンスホテルに隣接の風のガーデン。(風のガーデン) 風のガーデンはこれまでに何度も登場していますが、今回は、この庭の設計者である上野砂由紀さんとの記念撮影というエピソードもあったようなので、この写真は外せなかったということであったのでしょう。(富良野・北の峰学園の遅咲きヤマザクラ) R38を南下し、新得町の然別湖畔温泉、ホテル風水で入浴。 そうでした。桜旅であると共に「温泉とビール一杯の会」の例会の旅でもあれば、温泉には入浴しなくてはなりません。 ビールは一杯でも温泉は一浴とは限らない。トムラウシ温泉でも入浴。(トムラウシ温泉・東大雪荘) 富良野に戻ると雨上がり、と書いて居られるから、途中で雨に降られたが富良野に着いた時には雨が上がっていたということであるのか、それとも道中の雨はなく、富良野に帰り着いた時にもそれまで降っていたと思われる雨が上がっていたということなのかは不詳であるが、見事な虹を見ることが出来たとのこと。5月10日芦別温泉(入浴)→旭川・大雪森のガーデン→旭川・上野ファーム→十勝岳温泉・凌雲閣 芦別温泉に入浴し、旭川に出て、上川町の大雪高原へ。(大雪高原<上川町>・愛別岳) 上の写真は、大雪森のガーデン側から撮影されたものですが、草原の右奥にエゾシカ5頭がいるらしいので、大きいサイズの写真でお確かめください。 大雪森のガーデンでは、花が少なくて入園無料になっていたとのこと。 そして、旭川市の上野ファームへ。(上野ファーム<旭川市>・ノームの庭) この庭の設計者である、ガーデナーの上野砂由紀さんが庭に出て作業をされていたところに行き合う。お願いしたところ、同行の友人二人との記念撮影に彼女が快く応じて下さったとのこと。 大雪森のガーデンや前掲の風のガーデンは彼女の設計によるものだとのことであるが、言われてみれば、写真で見る限りではあるが、風のガーデンとノームの庭は似ていなくもない。 十勝岳温泉・凌雲閣では、同行の友人二人が入浴中に、南アルプス市在住の一人旅だという若い男性と出会い、話が弾んだとのこと。岬麻呂氏は現役時代、山梨にあった子会社の社長をやって居られた時期があり、山梨のことはよくご存じであったので、話が広がり、弾んだのでしょう。旅先でのこういう出会いも楽しいものである。5月11日朝から季節外れの吹雪→ファーム富田→美瑛の丘→四季彩の丘→富良野チーズ工房(昼食)→金山ダム→占冠湯の沢温泉(入浴)→新千歳空港→関西空港 この日は朝から吹雪という季節外れの天候。(ファーム富田のラベンダー) ファーム富田では、ラベンダーが咲き始めていたとのこと。 もうラベンダーが咲いているのか、と思いましたが、5月10日の囲碁例会の折に、梅田スカイビルの里山の一角でラベンダーが咲き始めていたことを思い出したので、早咲きのラベンダーなら北海道でも咲き始めていてもおかしくはないと思った次第。 この後、美瑛の丘巡りをされたようですが、花の時期には少し早かったのか、送られて来た写真はありません。 富良野チーズ工房でピザの昼食。 金山ダムでは桜は満開であったとのこと。 そして、温泉入浴の仕上げは、占冠村の湯の沢温泉。 此処の桜もご覧のように満開で、桜旅の仕上げともなりました。(占冠村・湯の沢温泉) 桜の木の下にとまっているのは除雪車。もう次の冬まで出番はあるまいと、新しい任務についていました。 除雪車の排土盤に桜の花枝が活けられています。この花の一枝ひとよのうちに百種ももくさの言ことそ隠こもれるおほろかにすな (藤原広嗣 万葉集巻8-1456) 藤原広嗣なら除雪車にこう言って新任務を与えたことでしょう。春されば ゆきもならじと 除雪車に 言持ち余す 花活けよとか (除雪娘子) しかし、除雪車は「吾事ニ非ズ」と少し不服そうでもあるような気が致しますが・・(笑)。 夜便で新千歳空港から関西空港に帰還。走り慣れた道ということで、岬麻呂氏が全行程1027kmを運転されたようですが、お疲れ様でした。 以上です。今日もご覧いただき、ありがとうございました。<参考>過去の岬麻呂旅便り記事はコチラ。フォト蔵アルバム・岬麻呂写真集はコチラ。
2023.05.20
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昨日(5月18日)は、友人のオガクニマン氏と大阪南港、咲洲のインテックス大阪へ。 最寄り駅の近鉄枚岡駅から生駒駅に行き、そこで地下鉄中央線・コスモスクエア行きに乗り換え、コスモスクエア駅でニュートラム住之江公園行きに乗り換えて、中ふ頭駅で下車というのがこの日のルート。 11時48分ニュートラムの中ふ頭駅着の電車で行くことにすると前日に電話連絡し、駅近くで待ち合わせということにしたが、オ氏の姿がない。 待ち合わせ時刻は12時であったので、未だ到着していないということも考えられるが、早くに着いていて何処かで待っているということも考えられるので、早速に電話をしてみた。 すると、既に到着していて、インテックス大阪3号館の前の喫煙所に居るとのこと。そちらへ向かう。(インテックス大阪) と言っても、インテックス大阪は1号館から6号館まである広い場所なので、入り口を入ってスグのところにある案内所で喫煙所の場所を教えて貰ってから其処に向かう。 上の写真の正面建物を通り抜けた先の中庭の向かい側が3号館で、その右手に喫煙所があるという。 喫煙所に入ろうとしたところで、オ氏からの着信。後ろを振り返れとの指示、振り返るとオ氏が手を挙げていた。 何やら列を作っている人が並ぶ中にオ氏が居た。お弁当を買い求める人の列であった。で、ヤカモチも並ぶこととし、特製焼肉弁当なるものとお茶をゲット。中庭のベンチで先ず腹ごしらえ。 ここにやって来た理由は、第3回サステナブルマテリアル展を見学するため。というか、この展示会のVIP招待券なるものを姪の夫であるH君から貰っていたからである。どんな様子なのか見学に来たという次第。 オ氏とご一緒することとなった経緯は、5月5日の記事で少し触れているので省略しますが、オ氏から電話がありこの展示会を見に行くというので、ヤカモチも同行することにしたもの。(第3回サステナブルマテリアル展会場風景)(同上) ところで、H君は姪の夫であるから甥ということになるのか。 血縁の関係ではないから、義理の甥(nephew in law)ということになるが、妻の甥も義理の甥ということになるから、「義理の甥」と表現するよりも、姪の夫(husband of my niece)と表現するのが適切であるか。(同上)(同上) 多数の企業が出展していて、来場者も多数。それぞれの出展ブースでの真剣な熱いやりとり。 ご隠居ヤカモチが当の昔に忘れてしまっている「熱気」が行き交っていました。(同上) H君が経営する会社も出展企業の一つで、彼も自身のブースで、ひっきりなしの訪問者の応対や説明に奮闘。 初日の17日は昼ごはんも食べられないほどに多忙であったとか。 それがどれほどのビズネスチャンスに結び付くのかは知らないが、結構なことである。 そんな様子なので、彼とは短い立ち話で切り上げることに。 商談の貴重な時間を潰しては申し訳ないことになるというものである。(同上) これは、他のブースの人達に対しても言えることで、これは何であるかなどの質問も、招かれざる客であるヤカモチが口をさしはさんで彼の時間を奪うことは一種の営業妨害、慎むべきこと、差し控えるべきことと思った次第である。(同上) それに、こういう人が沢山写り込む写真というのは、その顔を消し込むなどの修正を加える必要があるので、作業が大変、花や野の景色や歌碑を相手にしている方が、ブログ的には楽である。(同上)(同上) ということで、見学もそこそこに会場を後にすることとしました。 どこかで珈琲休憩でも、と思ったが、レストランの入口も人の列。 こんなに多くの来場者では、先ほどの昼食のお弁当を買い求める人の列といい、ゆっくり珈琲を、という店もあるまいと、始めの喫煙所に立ち寄ってタバコを一服するだけで済ませました。 ヤカモチの友人もタバコをやめた人が増えているが、オ氏は数少なくなった喫煙派の友人の一人なので、気楽に付き合える面があると言えるのかもしれない(笑)。 オ氏とはあれこれ雑談を交わしながら地下鉄本町駅までご一緒し、そこで地下鉄御堂筋線に乗り換える彼と別れる。ヤカモチは往路と同じ経路を逆に辿っての帰宅でありました。
2023.05.19
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長らくブログをサボってしまいましたが、久しぶりの更新です。 と言っても、これというネタもないので、銀輪散歩の基地公園としている花園中央公園で見かけた花などを紹介します。 先ず、アカバナユウゲショウ。(アカバナユウゲショウ)<参考>ユウゲショウ・Wikipedia(同上)(同上) 白花のアカバナユウゲショウもあるらしいが、未だ白い花のそれは見たことがない。白花であってもシロバナユウゲショウとは呼ばず、白花のアカバナユウゲショウと呼ぶのだから面白い。 この辺のことは以前の記事でも触れているので、下記<参考>の記事をご参照ください。友人の小万知さんが送ってくださった「白花のアカバナユウゲショウ」の写真も掲載しています。<参考>花の時期は過ぎにけらしや 2017.6.24. 続・恩智川畔の花たち 2017.6.19. アカバナとは言うが、正確には赤ではなくピンク、桃色である。 花ではないが、赤い実をつけたヘビイチゴが近くにありました。(ヘビイチゴ)<参考>ヘビイチゴ・Wikipedia(同上) ヘビイチゴの実は有毒という訳ではないので、食べても問題ないのだろうが、その名の所為で食べようなどとは誰も思わない。 ヘビイチゴの花は赤でも白でもなく黄色である。 花の写真は、下記<参考>記事に写真を掲載しています。<参考>囲碁例会・脱線花散歩 2016.4.13. ヤカモチ的花散歩・だんだんと地味に 2020.5.5. 黄色の花ならコメツブツメクサ。 尤も、コメツブツメクサは往々にしてコメツブウマゴヤシと間違えられるというから、下掲の写真は、コメツブツメクサではなくコメツブウマゴヤシかもしれない。(コメツブツメクサ)<参考>コメツブツメクサ・Wikipedia コメツブウマゴヤシ・Wikipedia(同上) コメツブツメクサだということにして、白いツメクサ、シロツメクサへと話が移ります。(シロツメクサ)<参考>シロツメクサ・Wikipedia オオバコ、オランダミミナグサ、コメツブツメクサ(或いは、コメツブウマゴヤシ)などがはびこる中にシロツメクサが勢力を広げている。 シロツメクサはよく知っている花で、今更採り上げるまでもない花であるが、接近して撮影してみると、ちょっと違った印象に見えたりもする。(同上)(同上)(同上) タンポポなどもそうであるが、集合花は、当然のことながら、その全体の姿と一個一個の個々の花の姿とは、受ける印象が随分と違う。(同上)(同上) シロツメクサに立ち混じっていたオオバコがこれ。(セイヨウオオバコ)セイヨウオオバコ・Wikipedia 最近は、外来種のセイヨウオオバコなどの方をよく目にする。 在来固有種のオオバコより穂が大型なので繁殖力が強いのだろう。 このオオバコの背後に繁茂していたのはヨモギ。 木の切り株の周囲に繁茂して、切り株を覆い隠すまでになっている。(ヨモギ)ヨモギ・Wikipedia ヤブガラシ・Wikipedia ヨモギの隙間からヤブガラシの蔓が伸び始めているから、公園管理者が草刈りをせずにいたら、やがてこのヤブガラシがこの一帯を覆ってしまうことになるのだろう。 これはキキョウソウだろうか。 可憐な小さな花が咲いていた。(ヒナキキョウソウ)<参考>ヒナキキョウソウ・松江の花図鑑(同上) そして、ウラジロチチコグサ。(ウラジロチチコグサ)<参考>ウラジロチチコグサ・松江の花図鑑 ウラジロチチコグサも、下のように見上げる角度で撮ると、なかなか立派な姿である。蟻の目のアングルであります。(同上) 最後は、イネ科のナギナタガヤ。(ナギナタガヤ)<参考>ナギナタガヤ・Wikipedia(同上)(同上) 地中海地方から西アジアにかけてが原産地らしいが、明治初期に日本に侵入、「もっともふつうな雑草」と言われるほどに、広く帰化している植物である。別名はネズミノシッポ。さやさやと なぎなたがやに 穂波立ち 五月の風は 吹き渡りゆく (風家持)(同上) 今日は、花園中央公園の花たち、でありました。<参考>花関連の過去記事 花(5)・2022~ 花(4)・2020.4~2021 花(3)・2017~2020.3. 花(2)・2012~2016 花(1)・2007~2011
2023.05.17
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今日は囲碁例会。 CB(クロスバイク)で自宅を出発。 いつもより、サドルに伝わる振動、衝撃が強く、ガタガタする感じで、後輪の空気が少し抜けているのかも、と思いつつもチェックはせず、走行を続けました。(これが、帰途のトラブルの伏線であったのですが、そのことは後述します。)(大阪城公園・森ノ宮入口付近) 大阪城公園経由で梅田スカイビル到着が11時43分。 梅田スカイビルの付属棟のガーデンファイブ棟1階のいつもの店で昼食&珈琲とし、食後、里山をぶらり散策。 梅田の里山にエゴノキがあるので、その花を見に行きました。(梅田の里山)(梅田スカイビルとエゴノキの花) 予想通り、エゴノキは花の盛り。 梅田スカイビルとエゴノキとのツーショットです。(同上)(梅田の里山のエゴノキ)(同上)(同上) エゴノキは万葉では「チサ<知佐>」と呼ぶことや、その花を詠んだ大伴家持の歌があることなどは、先日(5月2日)の記事で述べましたので、此処では割愛します。<参考>エゴノキの花が咲き始めています 2023.5.2. エゴノキの隣にナツハゼの木もありましたが、写真がピントの甘いものになってしまいました。(梅田の里山のナツハゼ) タブノキもある。(梅田の里山のタブノキ) この木の写真は、4月12日の記事にも掲載していますので、一ヶ月後の姿の再掲載ということになります。 タブノキは万葉では「つまま<都万麻>」と呼び、これを詠んだ大伴家持の歌のあることも、当ブログ記事で何度か紹介しているので、これも割愛します。<参考>都万麻(つまま) 2007.8.9. 高岡・氷見銀輪散歩(その4) 2015.8.29. 囲碁例会・MTB&トレイン 2023.4.12.(梅田の里山のカルミア) この花も何度か紹介していますが、梅田の里山でこれを見るのは今回が初めてのような気がする。<参考>銀輪花暦 2009.5.26. 奥浜名湖銀輪散歩(その7) 2014.5.20. 花の名もそれとし知れば 2017.6.4. 囲碁会場となっているガーデンファイブ棟の5階の部屋に行くと、既に福麻呂氏が来て居られました。早速、同氏とお手合わせ。 対局中に村〇氏、平〇氏がご来場。 ヤカモチは、福麻呂氏の後、村〇氏と、続いて平〇氏とお手合わせしましたが、何れも中押し負けの完敗で、3戦全敗でありました。 今日は、序盤で不注意なミスで苦しい展開となり、その後の一か八かの強引な打ち方となり、自滅のような碁となりました。 まあ、こういう日もあるか。 帰路。桜橋交差点を渡ったところで、余りにもサドルへの衝撃が強いので、これはパンクに違いないと、降りて後輪を押さえてみると、ペコペコ。タイヤがひん曲がって車輪から一部が外れそうになっているではないか。勿論、内部のチューブも完全に萎んだ状態で、ねじ曲がったタイヤの隙間から見えている。 このまま、乗り続けると、タイヤが完全に脱落するなどして、車輪に巻き込んだりすると動きがとれなくなる危険がある。 ということで、手で押して歩くこととし、国道1号線沿いの1kmほど先の自転車屋へと行く。この店では以前、チェーンロックを買ったことがあるので、その場所を記憶していたという次第。 しかし、その店では、修理ができないという。修理の出来ない自転車屋とは困ったものである。洒落た飾りつけをした今風な店であるが、無能な店員では仕方がない。 修理の出来る店を紹介しますと言うが、それには及ばないと、少し遠いが、中央大通りの緑橋交差点の先で、以前パンクを修理して貰った店があったので、そこに向かうこととする。 悪いことは続くもので、その店のあったビルの前を通ると、違う建物に建て替わっていて、店は影も形もない。 さて、どうする家康、ではなく、どうするヤカモチ。 JR高井田中央駅の西側、中央大通り沿いに古びた感じの自転車屋さんがあったことを思い出したので、気を取り直して更に歩き続けることとする。 午後5時半頃、その自転車屋さんに到着。5時を過ぎて店が閉まってしまっていたら、万事休すであったが、幸い未だ店は開いていた。 てきぱきと修繕(後輪のタイヤとチューブの交換)をしていただけた。 お代は5280円ということだったが、お礼の気持ちで6000円払うこととした。何しろ桜橋交差点から高井田中央駅まで、10~11kmをパンクした自転車を押しながら歩いて来て、辿り着いた自転車屋さんであったのだから、修理できますよと言う店主の姿は、神様、仏様でありました(笑)。 自転車が元に戻れば、水を得た魚、自転車を得たヤカモチである。生き返った心地して、猛スピードで走る。と言っても自転車のことですから、左程のスピードではありませんが、前を行く自転車を次々と追い抜いて行く程度の速度で走るのではありました(笑)。 花園中央公園到着、午後6時15分。ここで、少し休憩(トイレと煙草と水分補給)。(花園中央公園のエゴノキの落花) 花園中央公園のエゴノキの根元には、エゴノキの花が次々と落花していて白っぽくなっていました。 この花は、ツバキと同じように、花びらが散るという風ではなく、花姿のままポトリと落花する。<参考>囲碁関連の過去記事は下記参照。 囲碁関係(その1) 2008年~2019年6月 囲碁関係(その2) 2019年7月~<参考>花関連の過去記事 花(5)・2022~ 花(4)・2020.4.~2021 花(3)・2017~2020.3. 花(2)・2012~2016 花(1)・2007~2011
2023.05.10
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友人・岬麻呂氏からの旅便りが届きました。前回の南東北の桜旅に続く、北東北の桜旅であります。「5ヶ月以前に予約を完了させているので、桜の状況に合わせてコース変更する一人旅」ということで、今回も前回同様のお一人旅でありました。(旅・岬巡り報告309 北東北桜旅&同写真説明)(同上写真説明付録) では、旅程に従い、別途メール送信いただいた写真を添え、ヤカモチ流勝手編集にて、旅のご様子を紹介させていただきます。4月24日関西空港→青森空港→(レンタカー)→弘前城→黒石・紅葉山公園→(八甲田山の山越え)→城ヶ倉大橋→酸ヶ湯温泉→笠松峠→奥入瀬渓流→十和田市官庁街→十和田市内(泊) ネット情報では、弘前城は落花盛んとあったので、この日の宿泊予定地とは逆方向になるが、「少しでも見たくて」と、最終日の訪問予定にしていた弘前城へと、先ず向かわれました。しかし、既にして葉桜、全くの無駄足であったとのこと。(弘前城北堀の葉桜) 黒石市の紅葉山公園を経て、八甲田山の山越え。 城ヶ倉大橋、酸ヶ湯温泉は冬景色。 笠松峠(標高1000m)は雪の回廊。(八甲田 雪の回廊) 奥入瀬渓流は早春の風景。(奥入瀬渓流) この日の宿泊は十和田市内。十和田市街へ。(十和田市官庁街) 十和田市街のこの一角は、十和田市役所を始めとして県の出先機関などが集まる官庁街となっているが、街路樹としてソメイヨシノが沢山植えられていて、花の盛りにはなかなかの景観なのであるが、今年は足早の桜前線に立ち遅れての葉桜でありました。桜花 散りぬる風の なごりとて 十和田の街に 葉桜を見つ (偐貫之)(本歌)さくら花 ちりぬるかぜの なごりには 水なき空に 浪ぞたちける (紀貫之 古今集89) 十和田市のマンホールです。(十和田市のマンホール)4月25日十和田市街から南下→小岩井農場→R46→田沢湖高原→乳頭温泉→田沢湖→角館武家屋敷通り→桧内川堤防→町家ホテル(泊) 当初予定の十和田湖経由のルートは取り止めにして高速道路を使って南下し、小岩井農場へ。 小岩井農場の上部付近では桜は満開であったが、小岩井農場は「花なし」であったとのこと。 岩手山を背景にして盛んに花散る一本桜を見つつ・・。(小岩井農場の一本桜) R46で田沢湖高原へ。 田沢湖高原への上り坂に植栽されたソメイヨシノは満開。 桜旅の面目が立ったという次第。 兼好さんは「花は盛りをのみ見るものかは」などと言うけれど、満開の桜はやはり気分が盛り上がるというものである。(田沢湖高原への上り坂の桜) 乳頭温泉に立ち寄り、鶴の湯別館入口の湿地に自生するミズバショウの群生も見て行く。(乳頭温泉・鶴の湯別館入口のミズバショウ) 田沢湖畔の桜も満開。(田沢湖高原のヤマザクラ)田沢湖を 望む高原たかはら 恋ひ来れば 今ぞ盛りと 山桜花やまざくらばな (田沢家持) 奥に見えるのは田沢湖。 ここでも桜旅の面目を施すことができたので、この日の宿泊場所である角館へ。(角館武家屋敷通り) 角館の武家屋敷通りは予想通りの葉桜。(仙北市<旧角館町>のマンホール) この日の宿は町家ホテル。 昨年の「ビール一杯の会」の例会でこちら方面を旅した折に、夕食場所とした、ホテル近所の「なるほど」という店に行くと、女将さんが覚えていてくださったとかで、取って置きの辛口地酒で夕食を楽しまれたとか。4月26日朝から本降りの雨→井川町・日本国花苑→八郎潟直線道路→能代市・きみまち阪公園→岩木山山桜ネックレスロード→津軽富士見湖→弘前城→弘前市内(泊) この日は、朝から本降りの雨。 先ず、井川町の日本国花苑へ。 ここは、日本全国から集めたという多品種の桜が植えられていて、満開の花が岬麻呂氏を迎えてくれたようです。(日本国花苑) 井川町のお隣の五城目町のマンホールです。 五城目城とヤマユリの図柄。(五城目町のマンホール) 五城目町経由八郎潟干拓地へ。 八郎潟直線道路は、桜の盛りは過ぎてしまっていたが、両サイドの菜の花がずっと先まで黄色い帯を形成していて、ちょっと心浮き立つ気分にさせてくれる。こういうどこまでも続く直線道路は銀輪で駆けてもさぞ爽快なことだろうと思ったりもするヤカモチでありました。 車のスピード出し過ぎにはご注意を。(八郎潟干拓地の直線道路) 能代市・きみまち阪公園を経て、弘前市へ。(岩木山山桜ネックレスロード) 岩木山山桜ネックレスロードは満開のヤマザクラ。 そして、岩木山神社の神苑・桜ヶ丘はソメイヨシノが多数植栽されている、地元の人のみが知る桜の名所らしいが、標高が高いこともあって、丁度満開にドンピシャでありました。(岩木山神社の神苑・桜ヶ丘)(岩木山神社) 弘前市のマンホールです。 リンゴの図柄。(弘前市のマンホール)(津軽富士見湖・鶴の舞橋) この日は弘前市内の宿泊。 「川崎」というお店で夕食とされたようですが、青森県西海岸で獲れるというトゲクリガニを辛口地酒で楽しまれたとのこと。店主と奥さんが一見の客にも親切と書いて居られるので、気持ちのいいおもてなしを受けて、心地よいお時間を過ごされたのでしょう。4月27日芦野公園駅→十三湖沿い北上→竜泊ライン→竜飛崎(強風)→高野崎→平舘灯台→三内丸山遺跡→青森空港→伊丹空港 旅の最終日。予定訪問先は芦野公園を残すのみということで、先ず芦野公園へ。(芦野公園駅) はい、芦野公園は葉桜でした。想定内であります。 これにて、桜旅としては終了。 さて、余った時間は何処へ行く。 ということで、竜飛崎へのドライブ。(竜飛埼灯台) 十三湖沿いを北上し、開通したばかりの竜泊ラインの日本海沿いを走って、竜飛崎に到着。 しかし、竜飛崎は強風が吹き荒れ、撮影もままならないという状況であったらしい。 以前に一度宿泊されたことがあるとのことですが、岬にあるホテル竜飛で昼食。義経丼という海鮮丼がこの日の昼食。(津軽海峡) はい、津軽海峡春景色であります。 奥に見えるのが駒ヶ岳、岬の先っぽに見えるのが竜飛埼灯台。 高野灯台、平舘灯台を経由して、青森市内にある三内丸山遺跡を20年余ぶりに訪ねるなどして、夜便で帰阪でありました。(三内丸山遺跡) 全947kmのロングドライブ桜旅。 今日もご覧いただき、ありがとうございます。<参考>過去の岬麻呂旅便り記事はコチラ。フォト蔵アルバム・岬麻呂写真集はコチラ。
2023.05.07
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今日(5月5日)午後、石川県珠洲市付近を震源とするかなり強い地震があったようですが、大きな被害が出ていないことを祈ります。 能登半島の先端にある珠洲市はヤカモチは未だ訪ねたことがない土地であるが、その名は大伴家持の歌によって夙に承知している町である。珠洲すずの海に 朝開あさびらきして 漕こぎ来くれば 長浜の浦に 月照りにけり (大伴家持 万葉集巻17-4029)(珠洲の海に、朝船出して漕いで来ると、長浜湾に月が照っている。) 昨日(5月4日)は、大阪市内、大江橋北詰近くの喫茶店・なかおかで友人のオガクニマン氏と会って来た。 姪の夫のH君を紹介するのが、一応の用向き。オ氏とは電話で時々話をしているので、長らく会っていないという気はしなかったのであるが、コロナ禍になってからは直には会っていないので、何年かぶりの再会であった。 H君を交えて三人でしばし雑談でありました。少し早くに着いたので、中之島公園をぶらりしてから待ち合わせの喫茶店に向かいました。(中之島まつり) 中之島中央公会堂の方に向かうと、屋台が沢山並んでいた。 中之島まつり、というイベントであるらしい。(同上) 映画祭も開催されていたり、子どもむけの「手作り迷路」や「紙芝居コーナー」もあったりと、賑やかなことです。(同上) 何やら場違いなところに紛れ込んだ気分もあって、難波橋北詰近くの堂島川沿いの遊歩道の日陰になっている場所へと人混みから退避。 イベント会場からはかなり離れているので、そこで暫く休憩。 そこから、対岸の中之島公園の方向を見やると、バラ園の先の建物の屋上に大きな青りんごのオブジェ。(屋上の青りんご) 少し早いが、と待ち合わせ場所の喫茶店へと向かう。 この喫茶店は、何年か前まで大学の同窓会・青雲会の交流センターがあったビルの近くにあるので、そこで月1回開催される囲碁の例会に参加する時には、よく昼食場所とした店である。 現在は青雲会交流センターは無くなって、同窓会の囲碁サークル例会の会場は泉の広場近くにある梅田囲碁センターに変更されているので、ここからは遠い。 また、昨年2月から7月まで大阪第一検察審査会の審査員に選任されていたので、月に2回開催される審査会の日には、裁判所から近いこともあって、決まってここで昼食をとったのである。 喫茶店に入ろうとしていると、店の前でオ氏と出くわす。 しばらくオ氏と旧交を温めていると、時間調整をしてやって来たのであろう、H君が定刻直前に店に入って来た。 オ氏は色々と顔も広いので、H君のビジネスにとっても有用な紹介をいただけるのではないかと、顔つなぎと言うかお引き合わせしたという次第。 そして、今日(5月5日)は、生駒市在住の叔母宅を訪問。 これは、知り合いからメロンが送られて来たので、そのお裾分けをするから取りに来い、という叔母からの一昨日の電話に応じての訪問である。 生駒へ向かうべく、最寄り駅の枚岡駅前までやって来ると、踏切の先に太鼓台。一昨日の墓参の記事で触れた小太鼓まつりの太鼓台のようです。(小太鼓まつり) この踏切をこちら側に渡り、更に坂道を上った先で左折、枚岡神社へと向かうのであるが、小太鼓まつりなるものをヤカモチは未だ見たことがないので、どんな様子なのかは存ぜずであります。 今回も、往路も、復路も枚岡神社の方へは回らなかったので委細は知らずのままであります。 生駒駅前で昼食を済ませ、叔母への手土産を近鉄百貨店で買って、ブラブラと叔母宅への坂道を上って行く。 叔母は今年90歳であるが、元気に一人暮らしをしている。 一時は碁に興味を持って習い始めたりして、時々相手をさせられたりしたものだが、最近は見切りをつけたのか興味を失ったのか、碁をしようとは言い出さなくなっている。 このところ叔母宅はご無沙汰していたので、しばし、叔母のご機嫌伺いでありました。 先日、ブロ友の龍の森氏が庭に咲いたタツナミソウの写真を記事にアップされていましたが、叔母宅の庭の片隅にもタツナミソウが咲いていました。(タツナミソウ)(同上)
2023.05.05
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今日は月例の墓参。 いつもの坂道を上って、山裾の高みにある墓地へと向かう。 墓参の道の楽しみの一つは、途中にある寺の門前の言葉なのであるが、今日のそれは、先月のものがそのままとなっていて、期待外れでありました。 その寺の前で右折して、一つ南側の坂道に移り、その坂を上って行くと、道端に一本の立ち木がある。立ち木のある側の先は水田である。水田と坂道の間には小さな川が流れている。 この立ち木の枝から川のこちら岸にかけて、川を覆う形で大きな蜘蛛の巣を張っている大型のジョロウグモをよく見かけたが、今はその姿はなく、代って木に絡まって蔓を繁茂させているテイカカズラが花を咲かせていました。(テイカカズラ) テイカカズラの花は、船のスクリューに似た形、或いは風車が回っているような動きのある独特の形をしているので、一度目にすると忘れることのない花である。 万葉集に、「つた(都多、津田)」、「いはつな(石綱)」などとして登場するのが、このテイカカズラである。石綱(いはつな)の また変若(を)ち返り あをによし 奈良の都を またも見むかも (万葉集巻6-1046)(<石綱の>また若返って、<あをによし>奈良の都をまた見ることができるだろうか。) ツタはどんどんツルを伸ばしてゆくが、その旺盛な生命力を万葉人は愛したのであろう。 上の歌は、聖武天皇の時代、奈良から恭仁京へと都が移り、奈良の都が荒廃してゆくのを嘆き悲しんだ歌3首のうちの1首である。 作者不詳の歌であるが、ツタが若返ってツルを伸ばすように昔の繫栄を取り戻した奈良の都を見たいと願う歌である。 更に坂道を上ったところで、石垣に横ざまに茎を伸ばしたオニタビラコが目に止まりました。 オニタビラコも綿毛(絮)によって広範囲に種子を飛ばすことができ、繁殖力旺盛な植物である。(オニタビラコ) ひと回り小さいコオニタビラコは、春の七草の一つホトケノザのことで、食用になるが、こちらのオニタビラコは食用にはならないのかも。 現在、ホトケノザと呼ばれているピンク色の花を咲かせる草は、春の七草のホトケノザとは別の植物である。多分、ホトケノザがタビラコと呼ばれるようになって、ホトケの座が空席となった結果、その空席に居座って「ホトケノザ」と名乗ったのが今われわれがホトケノザと呼んでいる草である。 タビラコは、春の七草部門では、依然としてホトケノザと呼ばれているということを理由に、違法な名称使用だとして、ホトケ様にその使用禁止を申し立てたそうだが、ホトケ様は「ホットケ」と言って申し立てを取り上げなかったらしい(笑)。 従って、ホトケノザと称している草を、春の七草だと間違って摘んで食しても、それはその人の自己責任ということになっています。 墓に到着。(墓地からの眺め) 我が家の墓の近くに咲いていたのは、ノイバラ。 相接して咲いていたので、どちらもノイバラかと思ったが、よく見ると花の姿が少し違う。 片一方はノイバラではなくてナニワイバラかもしれない。(ナニワイバラかも)<参考>ナニワイバラ・みんなの花図鑑(ノイバラ)<参考>ノイバラ・Wikipedia ノイバラは万葉では「うばら、うまら(茨、宇万良)」である。道の辺(へ)の 茨(うまら)の末(うれ)に 延(は)ほ豆の からまる君を はがれか行かむ (丈部鳥 万葉集巻20-4352)(道のほとりの茨の枝先にからみつく豆の蔓のようにまとわりつく君と引き離されて行くのだろうか。) うまらは、うばらの東国方言。上の歌は防人の歌である。 墓参を終えて、来た道をとって返す。(小太鼓を担ぐ練習) 坂道をかなり下ったところで、太鼓台を担ぐ練習をしている人たちの姿がありました。太鼓台は大型のものと小型のものがある。大型のものを大太鼓、小型のものを小太鼓と呼んでいる。これはその小太鼓である。 これは、ヤカモチの住む地区の隣の地区の小太鼓である。 各地区には、それぞれ大太鼓と小太鼓があり、毎年10月に開催される枚岡神社秋郷祭には、各地区から大太鼓(一部地区については小太鼓も)が神社境内に集結する。 最近は、5月5日の子どもの日に、小太鼓祭というのが催され、小太鼓が枚岡神社境内に集まるらしい。 しかし、担ぎ手不足や太鼓台に乗って太鼓を叩く、叩き手不足などに直面している地区もあるようで、担ぎ手募集、叩き手募集といったポスターが貼り出されている地区も多いようです。 これは、そのような募集で集まった人に担ぎ方や太鼓の叩き手に合わせての息の合わせ方などの練習をして貰っているのだろう。 自宅近くまで帰って来たところで、前方からやって来た夫婦連れを見やると、それはヤカモチの中学時代のクラスメイトの松〇君でありました。 やあやあ、と奇遇のご挨拶。しばし、立ち話をして、次にクラスの仲間と集まることがあったら声を掛けるのでよろしく、とお願いして別れました。<参考> 墓参関連の過去記事はコチラ。<参考>花関連の過去記事 花(5)・2022~ 花(4)・2020.4.~2021 花(3)・2017~2020.3. 花(2)・2012~2016 花(1)・2007~2011
2023.05.03
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わが銀輪散歩の起点公園である花園中央公園の一角にエゴノキがある。 今日、立ち寄ってみたら花が咲き始めていました。(エゴノキの花) 花の盛りはこれからで、多くは未だ蕾の状態。(同上)<参考>エゴノキ・Wikipedia エゴノキ・植物雑学辞典 エゴノキという名は、果実などを口に入れると舌や喉を刺激して「えぐい」ことに由来するという。 これはエゴサポニンという有毒成分が果実(特に果皮)などに含まれていることによる。エゴサポニンは胃や喉の粘膜に炎症を引き起こし、溶血作用もあるとのこと。 花にもエゴサポニンが含まれている。この花を「セッケン花」または「シャボン花」と称して、これを多数摘み、手で揉んで泡立てるというような子どもの遊びもあったらしい。ヤカモチはそのような遊びは知らずに来ましたが、その遊びの後、手を洗わずにお菓子やおにぎりをその手で掴んで食べたりすると、有毒なサポニンを摂取してしまう危険があるので、要注意だとのこと。 この花は万葉集にも登場する。「ちさの花(知佐の花)」として大伴家持の歌に登場している。 家持が越中の国守であった時の歌である。 越中の国(富山県)に左夫流児(さぶるこ)という遊女がいたが、家持の部下の尾張の少咋(をくひ)という若者がこの左夫流児に夢中になってしまい、妻を顧みなくなり、里人の噂にも上るようになるなど、仕事にも差し支えるようなことになったのであろう。この少咋という部下を教え諭したという歌である。大汝(おほなむち) 少彦名(すくなびこな)の 神代(かみよ)より 言ひ継ぎけらく 父母(ちちはは)を 見れば尊(たふと)く 妻子(めこ)見れば 愛(かな)しく愍(めぐ)し うつせみの 世の理(ことわり)と かく様(さま)に 言ひけるものを 世の人の 立つる言立(ことだて) ちさの花 咲ける盛りに はしきよし その妻の児と 朝夕(あさよひ)に 笑(ゑ)みみ笑まずも うち歎(なげ)き 語りけまくは 永久(とこしへ)に 斯(か)くしもあらめや 天地(あめつち)の 神(かみ)言(こと)寄(よ)せて 春(はる)花(はな)の 盛(さか)りもあらんと 待たしけむ 時の盛(さか)りそ 放(さか)りゐて 嘆(なげ)かす妹が いつしかも 使(つか)ひの来むと 待たすらむ 心不楽(さぶ)しく 南風(みなみ)吹き 雪消(ゆきげ)溢(はふ)りて 射水川(いみずかは) 流る水沫(みなは)の 寄るへなみ 左夫流(さぶる)その児に 紐(ひも)の緒の いつがり合ひて にほ鳥の 二人並びゐ 那呉(なご)の海の 沖を深めて 惑(さど)はせる 君が心の 術(すべ)もすべなさ (大伴家持 万葉集巻18-4106)(大汝と少彦名の神代よりの言い伝えたことに「父母を見れば尊く、妻子を見ればせつなくいとしい。それが<うつせみの>世の道理なのだ」と、このように言って来たのに、世の人の立てる誓いの言葉である筈だが、ちさの花の咲いている盛りの時に、いとしい妻であるその人と、朝夕に笑顔であったり、真顔であったり、嘆きつつ語り合ったことは、「いつまでもこんな風であってよいものか。天地の神のおはからいによって、春花の盛りの時もあるだろう」と、お待ちであった盛りの時なのだ。離れていて嘆いて居られる妻が、いつになったら使いが来るかと待って居られる心は寂しいことだろうよ。南風が吹き、雪解けの水が溢れ、射水川の流れに浮かぶ水の泡のように、拠り所もなくて左夫流児という名の女に、<紐の緒の>つながっていて、<にほ鳥の>二人並んで、<那呉の海の>心の奥底までも惑うたままの君の心の、何ともどうしようもないことよ。) 反歌三首あをによし 奈良にある妹が 高々に 待つらむ心 然(しか)にはあらじか (同上巻18-4107) (<あをによし>奈良にいる妻が首を長くして待っているだろうその心よ。今のままではいけないのではないか。)里人の 見る目恥づかし 左夫流児に さどはす君が 宮出後姿みやでしりぶり (同上巻18-4108)(里人の見る目が恥ずかしいではないか、左夫流児という女に惑う君の出仕する後ろ姿は。)紅くれなゐは 移ろふものそ 橡つるばみのなれにし衣きぬに なほ及しかめやも (同上巻18-4109)(紅というのは色褪せるものだ。橡染の着馴れた衣にやはり及ぶことがあろうか。) まあ、この歌を額面通りに受け止めれば、国守の家持が部下である少咋に対して、今風に言えば、コンプライアンスの指導をしたということになるが、万葉の頃は男女のことはそれほど厳格でも無かったように思われるから、これも部下の少咋と左夫流児とのことをからかった宴席での戯れ歌であったかもしれない。 以上の歌は5月15日作の歌であるが、その二日後の5月17日作の歌として万葉集に掲載されているこの次の歌では、少咋の妻が左夫流児の屋敷に馬で乗り込んで来てごたごたのあったことが面白可笑しく詠まれているから、余計にそんな気がする。左夫流児(さぶるこ)が 斎(いつ)きし殿(との)に 鈴掛けぬ 駅馬(はゆま)下れり 里もとどろに (同上巻18-4110)(左夫流という女が大事に守ってきた家に鈴を掛けない駅馬が着いた。里に響くばかりに。) まあ、エゴノキの花にとっては、こんなところで私を引っ張り出さないで、とでも言いたいことだろうが、お陰で万葉植物のお仲間に入れたのだからラッキーと言うべきであろう。 因みに、富山県の人は今でもエゴノキのことを「ちさ」と呼ぶというが、本当だろうか。 この花は、ヤカモチが好きな花の一つで、これまでにも何度かとりあげているが、直近では2014年5月15日の記事のようなので、久しぶりに記事アップしてみた。<参考>エゴノキ(ちさ) 2007.8.11. エゴノキ(ちさ)の花が咲いた 2008.5.6. チサの実のさはにぞなれる 2013.10.24. 奥浜名湖銀輪散歩(その2) 2014.5.15. 2014年5月に浜名湖畔で見かけたエゴノキの花は、よく見る白色ではなくピンク色であったが、その後、そのようなピンクの花は目にしていない。
2023.05.02
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