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いわゆる「障害」というものについて、周りの子どもたちの理解を得るための教材について。第2回からずいぶんあいてしまいましたが、今回が第3回です。第1回と第2回にリンクをはっておきます。 第2回の最後に、「次回は、僕が通常学級の3年生に紹介した、『いろんな物差しがあっていい』というメッセージの込められた歌を紹介します」と書いていました。そういうわけで、今回は歌の紹介です。7月にあった伊勢での勉強会でも取り組みを紹介したところ、「私の学校でも歌ってみたい」と言われる方がありました。そうやって、いろんな学校で歌われるようになればいいな、と思います。 学校で歌われる歌の中には、子どもたちのために学校の先生が作詞・作曲をした歌があります。「目の前の子どもたちに歌ってほしい」という、思いの込められた歌。「障害理解教育」のために作られた歌ではありませんが、「どんな子どもも、みんなすてき、みんなすばらしい」という先生の思いは、「理解教育」でわかってほしいことと、通底します。 「いろんな物差しがあっていい」というメッセージの込められた歌というのは、小学校教諭の中山真理さんが作詞・作曲をされた「Great Power(グレート・パワー)」という歌です。2014年の1学期、僕は勤務校の3年生に向けて、この曲と「友だちはいいもんだ」(作詞:岩谷時子、作曲:三木たかし)を使い、支援学級担任としてのメッセージを投げかけました。これらの歌を使用した理由は、みんなが一人に対して「共感的に、応援をする」といった集団のイメージを、子どもたちに印象づけたかったからです。心情に訴える、強く印象付ける、ということを第一に「理解教育」の授業を考えると、「歌」を取り入れた授業が効果的かな、と思いました。歌詞を言葉で紹介するだけでなく、僕が歌って聞かせる場面も取り入れたので、印象としてはかなり強く残ったと思います。「Great Power」の歌詞の中には、「この世界には数えきれないたくさんのものさしがある」というフレーズがあります。この歌詞と関連付けて「心のものさし」の話をし、目に見えることだけで友だちに対する決めつけた見方をすることについて考えさせました。「たくさんのものさしがある」ということについては、この授業から2週間後の終業式の日、通知表を配った後、通知表に書いてある評価は、いろんなものさしの一部分であることを担任が話をした学級もありました。もう一つの歌「友だちはいいもんだ」は、1番を歌い聞かせました。「こまったときは力をかそう」「みんなはひとりのために」という歌詞には、1人がたまに複数人から一斉に責められることがあることをふまえ、その逆のイメージ、1人に対して複数人が手を差し伸べるイメージを子どもたちに届けたかった、その思いを乗せました。3年生の子どもたちは歌が大好き!この授業の後の音楽の時間にも、さっそく音楽の先生に「あの歌を歌いたい」とリクエストしていました。「道徳」の教材って、どんなにいい教材でも、ふつうはそのとき限りで終わりです。同じ教材でもう一度授業するということはめったにありません。でも、歌なら、何度も同じ歌を歌うことが珍しくありません。授業で歌わなくても、子どもたちが歌を気に入ったなら、歩きながらとか、家に帰ってからとか、好きな時に、好きなフレーズを歌うことができます。そうやって、歌を紹介した後にも、歌が子どもたちの「もちもの」になることができる。そういうのは、歌の大きなメリットだなあと思います。子どもたちが気に入って、「いい歌だなあ」と思って、歌ってくれることが、とてもうれしかったのをおぼえています。(^0^) (参考)IREN0702 さんが2008年にYouTubeにアップされた動画
2015.08.20
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障害児が描いた絵本『にわとりさんはネ…』/福井達雨/止揚学園園生 かなりあいてしまいましたが、前回の続き。いわゆる「障害」というものについての、周りの理解を得るための教材について書きます。今年の4月に新しい学校に異動しましたが、こちらの図書室でかなりの掘り出し物をみつけました。冒頭に示した絵本『にわとりさんはネ・・・』。おおっ、なんと、福井達雨さんじゃないですか。しかも、絵本の内容は、止揚学園の子どもたちが考えたもの。止揚学園で飼っているニワトリさんについてのお話です。これを見つけたときは、感動しました。 さっそく、今週の支援学級の合同朝の会で読み聞かせに使いました。6年生の子が「いいお話だった」と言ってくれたのがうれしかったです。通常学級の子にも、読み聞かせしたいなあ。実際、「理解教育」の題材として、使えると思うんです。古い本ですがまだ新刊として買えるようですので、みなさん、読んでみてください。(^^) 内容のクライマックスは、見開きに書かれたこんな言葉。「たまごをよくうむにわとりは、 たまごをうめなくなったにわとりのぶんまで、 いっしょにたまごをうんでいるんだ。 だから、ノンコを どこにもやらないで。」学校や社会は、ともすれば「できる/できない」の能力主義的なものさしだけで人を見てしまいます。「できる」から、えらい。「できない」から、だめだ。「できない」なら、いなくて、いい。そんな人、いらない。そこに、ひょっこり、違う価値観が顔を出した。「みんな、どう思う?」と 子どもたちにきいてみたくなる本です。 「卵を産めないニワトリ」をどう捉えるか。 「ニワトリなんだから、卵を産めないと、ダメでしょう」と、大半の人が考えるところに、この発想。こういう絵本は、ほんとに、貴重。ニワトリから、人間の社会について考えられる、本当にいい教材だと思います。もちろん、絵本として読み聞かせするだけでも、大人が読む分にも、いいと思いますよ。 止揚学園や福井達雨さんについては語りだすと長くなるので、それはまた別の機会に。次回は、僕が通常学級の3年生に紹介した、「いろんな物差しがあっていい」というメッセージの込められた歌を紹介します。それでは、また。
2015.07.05
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学校にはいろいろな子どもたちがいます。その中には、障害を持っていたり、様々な事情を抱えていたりする子どもたちがいます。また、全体の中では少数ながら、特別支援学級に在籍している子どもたちもいます。授業時間のうち、少しの時間だけ通級教室に通って授業を受ける子どもたちもいます。「通常の学校」ではなく、「特別支援学校」に通っている子どもたちもいます。そういった、いろいろな子どもたちのことを、全体の中で理解しようという取組が、おそらくほとんどの学校・学年・学級の中で、おこなわれていると思います。とりわけ、「障害」についての差別意識をなくすことや、「障害」があること、「特別支援学級」に通っていること等を理由に、仲間外れにされたり、いじめられたりしないことを目的におこなわれるものを、「障害理解教育」という言い方をすることがあります。「障害理解教育」という呼び名がふさわしいものなのか、というのは、けっこう微妙なところです。僕としては、「理解教育」という言い方を好んで使っています。ただ、最初から「理解教育」というと、何に対する理解かがわからないので、見出しには「障害理解教育」と書きました。今後、本文中では、「理解教育」という呼び名を使わせてもらいます。僕は、「理解教育」というのはすんごく大事なものだと思っています。また、個々それぞれにやればいいものではなく、やはり学校全体、地域全体でやらなければいけないことだと思います。これから何回かに分けて、「理解教育」の取り組みの具体例や、教室で子どもたちに示す教材・資料などの話をしていきたいと思います。 第1回目は、童謡『ぞうさん』です。あまりにも有名なこの詩を使って、先日、「交流」学級の先生が学級の子どもたちに授業をしました。僕もその中に入らせてもらい、最後に少し話をさせてもらいました。金子みすずさんの「みんなちがってみんないい」というメッセージはあまりにも有名で、僕も大好きなのですが、まどみちおさんもエッセイの中で、同じようなことを書かれています。 ※次の本に収録されています。 『いわずにおれない』 集英社be文庫 / まどみちお 【文庫】 『読解力がグングンのびる!齋藤孝のゼッタイこれだけ!名作教室(小学3年 上巻)』 (齋藤孝) 内、「ぼくがボクでいられる喜び」(まど・みちお) 学校全体として6月に「理解教育」に取り組むことが決まり、「交流」学級の先生から、「道徳の時間で取り上げるにあたり、何か良い資料はありませんか」と相談を受けました。そのあとで僕がまどみちおさんのエッセイを読んで、「ご参考までに」とその先生にコピーをお渡ししたところ、1週間ほどして「これを使いたい」というお話を受けました。結果的に、なじみのある詩の提示からはじまって、この詩に込められた意外な意味を知ることから、「ちがい」について考えるという授業の流れは、大変よかったと思いました。授業の骨子としては、「ぞうさん ぞうさん おはながながいのね」というのは、実はぞうの鼻が長いというみんなとのちがいを、みんながからかっているんだ、という意外な意味づけを知り、でも子ぞうは、みんなとのちがいである「鼻が長い」ということをむしろ誇りに思っている、ということをどうとらえるか、子どもたちの中の意見や感想を交流したあと、まどみちおさんがエッセイで書かれていることや、支援学級の先生の話を聞き、「ちがい」を肯定的にとらえようとする心情をはぐくむ、というもの。詳しくは、先に紹介した本の中の、斎藤孝さんのものが、まどさんのエッセイ本のなかから授業で使える部分を抜粋して解説を加えた形になっているので、ご参照いただければと思います。まどさんのエッセイ本でいうと、P11-14の部分が、斎藤孝さんが抜粋されたところです。 蛇足ながら、『齋藤孝のゼッタイこれだけ!名作教室』は、名作のハイライトが解説付きで総ルビ打ちで紹介されており、非常にすばらしい本です。僕は「3年上巻」を初めて読んで感動し、今は2年の下巻を読んでいるところです。「3年上巻」では特に冒頭の「星の王子さま」の、いちばん有名な部分の抜粋が非常によかったです。「大切なものは目に見えない」という、これも、あまりにも有名な言葉ですが、このことがわかる部分が、非常にわかりやすい、伝わりやすい範囲で、抜粋され、紹介されていました。 いつも見に来てくださっていることに感謝します。 ブログ王ランキング ▼にかとまの読書メモリスト ▼にかとま日記全件リスト
2015.06.13
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古本屋で100円で買った本を、我が家の朝の読書で読み終えました。本のカバーにバーコードがない時代の本です。amazonで検索しても出てきません。『共に育つ Part1 教育のあるべき姿を求めて』(中小企業家同友会全国協議会編, 1988, 当時1000円)「共に育つ」という言葉が好きなので、買いました。そういえば、「共に育つ」と書いて、「共育(きょういく)」と読みますね。本書の中に印象的な言葉がいくつかありましたので、紹介します。===============================『共に育つ Part1 教育のあるべき姿を求めて』(原文が長いものは、参照元の記載内容について短くして紹介しています)p117より・「子供は偉大な模倣者である。 模倣するに値する大人に出会わなければ 子どもは大人になれない」本書では非行に走った子どもたちを早朝からの漁業体験にさそうといった、勤労体験により子どもが大人から学ぶというエピソードがいくつか紹介されています。 おりしも兵庫県の僕の近隣の地域では「トライやるウイーク」という中学生による職業体験実習が今週終わったところです。本書は「働く」ということと「教育」を結びつけたテーマで書かれているのですが、学校の先生も含めて、大人の背中を見せるということについて、「本当にそうだな」と感化されるところがありました。p159~160より・日本の戦前の政府とか、官庁街、財閥筋など 比較的地位の高い人々の上流の文化・社会の中には、 笑いが全くない。 なぜ笑いがないかというと、 会話の中に絶えず人間関係の格差が入り込んでくるから、 身分的秩序がそのまま持ち込まれた人間関係の中では、 ユーモアとか笑いなどというものは育ちようがない。・芸者をあげてどんちゃんやる場合には、笑いがある。 芸者がはいることで人間が平等化する。 そこではじめて文化が育つ。 「笑い」というものがいかに重要か、というのはよく言われることです。 身分の差を感じさせる社会・集団は笑いを生まない、というのは、確かにそうだな、と思いました。 どういった組織・集団を作っていくか、という示唆をいただいた気がします。p178~179より・「愛」という字を分解して見ると、 真ん中に「心」 その「心」を囲むようにして「受ける」という字を書く。 ところが「心を受ける」と書くと下が「又」になっているから、 「又」の左肩に「ノ」というカタカナをちょんとつけてやる。 「心」を「受」けて、「ノ」をつける。 たとえば、子どもが学校から帰ってきて 「今日は友だちとケンカした」と言ったとしたら、 親の愛というのは その子供の「心」を「受」けて、「ノ」をつける。 その子供の心は「今日は友だちとケンカした」ということだから、 その心を受けてノをつければ 「今日は友だちとケンカしたノ」と 返してやればいいということ。 笑っちゃいました。 でも、確かにそうですよね。 そういえば、僕もよく言っています。 「○○ちゃんがたたいた」と子どもが言えば、 「○○ちゃんがたたいたの」または 「○○ちゃんがたたいたのか~」。 まず、受け止める。 余裕がない時は、これができていないときが、多いです。 反省です。p212より・経営者は社員の音色を聞きわけられる指揮者 このたとえ、気に入ったので、最後に紹介します。 僕は音楽が好きなので、音楽に例えていろいろ理解したりイメージしたりするやり方がとっても好きなのです。==============================また今日も本から学びや気づきをいただきました。読む本がたまっているので、ぼちぼち読んでいきます。本を読むと、元気になります。(^0^) いつも見に来てくださっていることに感謝します。 ブログ王ランキング ▼にかとまの読書メモリスト ▼にかとま日記全件リスト
2015.06.06
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『連携と協働の学童保育論ソーシャル・インクルージョンに向けた「放課後」の可能性』 (三好正彦、2012、解放出版社、2000円)年の瀬ですが、この本の読書メモを書いている途中なので、そのまま続きを書きたいと思います。今回で6回目。本の最後まで、ダーッと行きます。(^^) 第1回読書メモはこちら。===============================『連携と協働の学童保育論』6(p115~最後まで。 ・以降の太字は本の内容。 顔マークのあとの緑文字は僕の個人的コメントです。)<第2部 第5章 「地域の教育力と子どもたちの放課後」より>・ある時は相談者、またある時は活動を共に行う者というような 柔軟な対応を可能とするためには、 子どもと近すぎず、遠すぎずという適度な距離を保つことが求められる。・苦労や努力は仲間がいることで達成感や満足感に変わる。 こうして子どもの自尊心を生み育てる。(デューイ)・及川は「学童保育」というネーミング自体に問題があると述べていたことがある。 (「保育」よりむしろ「教育」の側面が強調されるべきではないのかという考え) ・放課後は子どもたちにとって社会との接点。 家庭における親や学校における教師とは異なる大人との接点、 また大人が介入しない子ども社会がある。 ↑ ↓ ・子どもたちの放課後や長期休みまでもが、 学校の続きと化し、「安全確保」の名目の下、 大人の管理下に置かれていくような流れとなってきているのではないか。○及川は学童保育指導員である以前に、 社会人として、子ども集団とかかわった。 「子どもたちは社会の子どもである」という 社会的親の視点に立ってのこと。 <第2部 第6章 「『ソーシャル・インクルージョン』と『学童保育』」より>・障害のある子どもたちの生活にとって 「学童保育」は 地域の子どもたちとの人間関係の構築に 大きな役割を果たすことが期待される場である。 ↑ ↓・しかし、「学童保育」は、条件整備などの面でさまざまな課題を抱えており、 障害のある子どもを受け入れた積極的な実践を取り組むまでに 至っていない所が多いというのが現状。・「ソーシャル・インクルージョン」の実現は、 障害のあるなしの区別の解消に留まらず、 あらゆる人間同士の差異を互いに認め合った社会の実現につながる。 = 人類の共生の世紀をめざす21世紀の1つの道標・日本における「障害のある人たち」についての 「社会的排除」の問題について考える際に、 「貧困」「雇用」「格差」の問題は避けて通れない。 ・「障害のある人たち」の一般就職率は健常の人たちに比べ明らかに低い。 (2006年の盲・聾・養護学校(当時)の福祉的就職も含めた就職率は22.7%)・「社会的排除」つまり、社会の中心部からの排除は、 社会的ネットワークを含めた社会的資源を奪われている状況であるとも言える。 (社会的資源における貧困) ▼学童保育におけるインクルーシブ実践(事例)「子どもの家」でのエピソード 「子どもの家」に入ったばかりの子どもに対して、 ここがどういう場所であるのかを端的に説明している場面 指導員:いろんな子がおるやんか。(略) 必ずしもYだけのペースでできるわけじゃない。 面白くないのはごめんな。 Y(小2):わかった。 ・子どもには個々のペースがある。・指導員はこのペースの調節を柔軟にコントロールする。 時にはペースの遅い子に合わせ、また速い子に合わせるというような調節こそが 「子どもの家」での共生の集団活動を可能にしている1つの要因。・また別の視点として「子どもたちへの指導員の敬意」が挙げられる。 「私は子どもの対応に感心してしまった」 「こんな場面に私の胸が熱くなった」 「私は仲間のために力を出してくれたことを子どもたちに感謝した」 「なんて素敵な子どもたちなんだろう」・・・等。 (「保育日誌」の中の記述より) ○かかわりが困難で指導員としても対応に困っている状況の中で、 子どもたちが障害のある子どもたちを仲間として受け入れる姿勢に対して 率直に敬意を表している。・「インクルーシブ教育」の先進国であるイタリアでは、 支援教員の役割として、障害のある子どもにつくのではなく、 クラス全体を支援することが期待されている。 これは、研究でも明らかにされており、 支援する人が障害のある子ども1人に主につく、 あるいは教員が常に障害のある子を授業の中心においた場合、 クラスの子どもたちがその子を「特別な子」としてとらえ、 差別を助長する結果となる。 ○ポイントは、 大人全員が、学級担任という意識を持つこと (一木、2007)上の「・」の内容は、経験的には分かっていましたが、 研究によって明らかになっていたとは、ビックリです。 そういう研究成果は、教育現場で共有されていかないといけませんね。 ・子どもの時点で「障害のある子ども」という範疇に入れられてしまった子は、 将来的に「社会的排除」されるリスクを同時に負うことになる。 ○インクルーシブな実践を想定する集団は 多種多様な個性を内包した集団 ・大きく分けて次の2つの場面が想定される。 1) 「子ども同士の関係性を重視」することにより、 寛容性を発揮した集団を形成する場合 2) 障害のある子どもを理解する過程において生じる さまざまな葛藤状況・「子どもの家」における実践は、 障害のある子どもの居場所であると同時に、 障害のある子どもたちとかかわった健常の子どもたちに 社会を変えていってもらいたいという思いも込められている。 ・「自己決定」をいかに大切にするか ・援助者が当事者の自己決定や選択権を大切にする動き★社会全体が当事者とのかかわりをもつ存在として、 彼らの「自己決定」をいかに重要なものと位置づけることができるかが 「インクルーシブ社会」に向けて大きな課題となる。・「社会的寛容さ」という概念は、 障害のある人々を援助の対象とみる見方をやめ、 同じく社会に貢献することのできる対等の存在として認識するという視点も 含まねばならない。・学校、家庭と連動しなければ、 障害のある子どもがその場に放置されるだけになり、 学童保育所はその子どもにとっての豊かな放課後生活の場とはならない。 逆に「インクルーシブ実践」としてモデルとなるような取り組みができれば、 家庭、学校にその影響をおよぼすことになる。 (学校に、地域に影響をおよぼすというフィードバック効果) ★「地域のつながりを構築する連携の場」として センター的な機能を果たす役割を担う可能性 <第7章、謝辞より>・「学童保育」における実践の最も大きな焦点は「人間関係」・学校現場において「共に」の実践を行おうとする際に参考になる点は多々ある=================================最後に引用した文、本当にそうだと思います。今回は「学童」から「学校」そして「社会」へシフトした内容を含んでおり、その理由が、よく理解できました。学童保育での「共に」の実践から、学校での実践や社会での実践も刺激を受け、よりインクルーシブな方向に変わっていけたらいいと思います。 本書の読書メモはこれで終わりです。(そして2013年ももう終わりです。(^^;))長々とつきあってくださって、ありがとうございました。最後に、本書に興味を持ってくださった実践家の方々には、ぜひ本書を買っていただいて、手元に置いていただけたらと思います。わりと新しい本なので、今なら手に入りやすいと思います。「共に」、がんばりましょう。 いつも見に来てくださってありがとうございます。励みになります。 ブログ王ランキング ▼にかとまの読書メモリスト ▼にかとま日記全件リスト
2013.12.30
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『連携と協働の学童保育論ソーシャル・インクルージョンに向けた「放課後」の可能性』 (三好正彦、2012、解放出版社、2000円)この本の読書メモを書いている途中です。第1回読書メモはこちら。===============================『連携と協働の学童保育論』3(p39~69 第1部 第2章より。 ・以降の太字は本の内容。 顔マークのあとの緑文字は僕の個人的コメントです。)<第1部 第2章 「障害のある子どもたちの放課後生活の場としての『学童保育』の意義」より>(学童保育所「じゃがいも子どもの家」について) ・「学童保育」としての一般的な役割 =親が共働きの家庭における、放課後の子どもの居場所としての役割+ ・周りの健常児との関係を築くうえでの媒介的な役割 =障害のある子どもの居場所づくり放課後の居場所保障という考え方、大事だと思います。 単に親の働く権利というだけでなく、子どもの権利にかかわるところです。・地域で生きていく方向性を大事に ・「私じゃなくて直接その子に言ってもらえますか」 :「障害があることを理由にして、 その子の存在を無視・否定していることになるんですよ」と気づかせていく 私の特別支援学級担任としての経験のなかでも、 同じことがありました。 その子を飛び越えて、その子のことを介助者の大人と話すというのは おかしいんじゃないの、と、まず最初にその場面を見たときに思いました。 自分でできることが非常に少ないと思われている子ほど、 みんなの輪の中でその子が主体になってほしいと思っています。 たとえ言葉が出ない子であっても、表情が、全然違ってくるというのが 私の実感としてあります。 特支担任や特支学級の子は、自分が輪の中にいるのか輪の外にいるのかに 非常に敏感になっているかもしれない、と思います。 学童保育だと、特支だなんだという枠は何にもなくて、 みんな同じ子どもとしてのラインなので、 その中に支援を要する子も同じように当たり前に入っているというのは 当然のようにそうなっていてほしい、という私の願いが強くあります。 ・学校での学級経営と比較すると、 「子どもの家」は、複数の大人(指導員)が、複数の子どもとかかわり、 1人の子どもに対して複数の指導員との関係性を構築している。 大人同士でのかかわり、実践を行う実践者同士の意思疎通が見られた。・複数の指導員が1人の子どもを多面的に見る。 それゆえ、集団に入りきれていない子どもに対するサポートも手が届きやすい。 保育中にも指導員同士の意見交換、臨機応変かつ柔軟な対応=>★障害のある子どもと健常児のかかわりの場として十分に機能する可能性 (エピソード)・嫌がらせに発展した時点で止めに入ることは当然の行為として考えられるが、 指導員Dは戸惑っていた。 「いじめる―いじめられる」の関係だけで判断すれば、 すぐに止めに入るべきだと考えられるが、 ここではさらに先にあるものを指導員は考えていた。 指導員が間に入ってつなげるだけでなく、 Y自身が子どもたちとぶつかり合い、 自分のことを知ってもらうような行動を起こさないと 関係が広がっていかない という考え・地域の子どもたちに自分が注意することで、 子どもたちが大人の目を気にしてYにかかわりに行かなくなるばかりでなく、 Yが自分から子どもたちに行動を起こす機会を逃してしまうことを憂慮した。「子どもを安全に保護者に返す」というのが 一番の優先事項である学童保育で、 ここまで先を見据えた悩みを持ち、葛藤されていることに 非常に驚きました。 「先を見て子どもを育てる」ということを もっと第一義的にやっているはずの「学校」や「保護者」であってさえ、 そこまでのことを考えてやっているか・・・。 自分を振り返って、思うことが多くありました。 ・公教育で不可能な実践を可能とする構造・柔軟性を生かすスキルこそが 学童保育指導員の専門性として最も必要とされるもの ・学童保育は「学校でもなく家庭でもない子どもたちの第3の居場所」 ・両者の中間としての機能 ・「近所のお兄さん」的な立場での媒介行為 ・学童保育指導員は状況によって子どもとのかかわり方を 柔軟に変化させ、対応させることができる。 ・「共に生きる」「インクルーシブな実践」の課題 ・だんだんとその関係は自然になくなっていく。 ・中学校や高校になるとその関係は切れてしまって、 普通に遊ぶ友だちは現実にはいない。 ★関係性をどうやって継続させるかが大きな課題 ・本当のつながりになっていかない ・場を楽しくするのが1番。 楽しければ、いつの間にか「共に」という場が結果的にできていたりする。 子どもは楽しければ「共に、大事」とか言わなくても一緒にいれるということが 実感としてある。 ・「みんな無理に仲良くしなくてもいい、 それでもその場に一緒にいれる場」 ・必要以上に障害児に手を出さない、介助の対象として見ていない。 子どもの自主性を大切にして、「待つ」という視点が貫かれている。 (p69(第3章の終わり)まで)=================================ほかにも書きたいことがあるので抜き出す部分を絞ろうと考えていたのですが、「これは外せない」ということが多くて、今回も大量になってしまいました。最後の「共に生きる」「インクルーシブな実践」の課題 については、共に生きる実践を重ねている学校でもぶちあたっている課題です。本章だけではないですが、読めば読むほど、「同じことを考えているな」と思うことが多いです。学校教職員と、学童保育指導員。これまで、立場・役割はかなり異なると思っていました。それが、「おなじじゃないか」と思えるように変わりました。いや、立場・役割は異なるんでしょうけど、「思い」は同じじゃないかと。やはり、子どもを取り巻く大人たちは、子どもの成長後の心配も含めて、願いをもって接しているのですね。 このつづきは、 第3章「第3の教育の場としての学童保育論」です。及川房子・元学童保育指導員の実践が語られます。それでは、また次回! ↓いつも見に来てくださってありがとうございます。励みになります。 ブログ王ランキング ▼にかとまの読書メモリスト ▼にかとま日記全件リスト
2013.12.25
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メリークリスマス!イブはまだ明けていませんが、我が家には一足先にサンタが来てさっきまで我が家の子どもたちは夢中で遊んでいました。さて、学童保育の本について読書メモを残していた途中でしたので、今日はその続きを書きます。障害のある子もない子も共に育つインクルーシブ教育の実践が鮮明に描かれていたことに驚きを受けた本です。一応、ジャンルとしては研究書(?)になるのかな。ベースは2009年に筆者が作成した博士論文だそうです。 第1回読書メモはこちら。 『連携と協働の学童保育論ソーシャル・インクルージョンに向けた「放課後」の可能性』 (三好正彦、2012、解放出版社、2000円)===============================『連携と協働の学童保育論』2<第1部 第1章「『学童保育実践』の事例と可能性」より>・筆者が参与観察を行った学童保育実践について ・指導員のロールプレイング (Y指導員とS指導員で演技を始める。 その後、子どもたちに「これはやっていいことかな?」と呼びかける) ・大縄跳び 記録よりもみんなが跳ぶことができることの大事さを 指導員が子どもたちに日々伝えている ・ドッジボール大会に向けて 障害のある子どもたちの意見を尊重しつつ、 指導員の思いも織り交ぜながら、 周りの子どもたちとの関係を自然な形で作っている様子 ・F指導員「障害のある子だからといって特別扱いしない」 ・指導員のローテーション: 障害のある子どもであっても、 タイプの異なる指導員とかかわっていくことができるようにという意図 ・一方ではその存在により、(指導員は)周りの子どもたちと、 その子どもの間に立つ壁になってしまう場合もある。 ・あえて自分が引っ張っていくことをせずに、 子どもたちを巻き込み、関係をつくらせようという指導員の思い ・「先生が代わりにやってるやん」という(子どもの)言葉 =「Fに自分にやらせてみたら」という意味が込められていたように感じる★指導員のストラテジー(狙い)・学童保育には、学校教育ほどかっちりと決まったカリキュラムや指導方針はない。 => その決まっていない柔軟性を利用する(p38まで)=================================かなり部分的に本文中より抜き出しましたので、詳しくは本書を読んでいただけたら、と思います。著者は指導員自身ではなく研究者として観察記録を取っていますので、客観的なエピソード記述を見ることができます。日々子どもたちと身近に接している者なら、その情景がありありと浮かんでくると思います。特に、障害のある子と周りの子とのかかわり合いに注目してエピソードを読み解こうと実践されてきた方なら、「わかるわかる、私の身近にも、こういうこと、あるよなあ」と思えるエピソードがかなり書かれているのではないでしょうか。 次回は 第2章「障害のある子どもたちの放課後生活の場としての『学童保育』の意義」以降を、パパッと、かいつまんで参照していく予定です。また見に来てくださいね。(^^) ↓よろしければ応援のクリックをお願いします。励みになります。 ブログ王ランキング ▼にかとまの読書メモリスト ▼にかとま日記全件リストちょっと前に楽天ブログにFacebookの「いいね!」ボタンがつくようになり、それを押してくださる方が毎回いらっしゃるので、それも励みになっています。ありがとうございます!(^0^)
2013.12.24
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学童保育についての本を読みました。障害のある子もない子も共に育つインクルーシブ教育の実践をこんなところから学びました。今日から何回かに分けて読書メモを残していきます。 『連携と協働の学童保育論 ソーシャル・インクルージョンに向けた「放課後」の可能性』(三好正彦、2012、解放出版社、2000円)僕は面白そうな本を読むとき、まず必ず目次からチェックしています。そして面白そうなところ、興味を惹かれたところに線を引きます。 この本では次の3点にまず線を引きました。「障害のある子どもと異年齢集団」(1章より)「指導員の子どもに対する媒介行為」(2章より)「指導員の障がいのある子どもと健常児の媒介行為」(2章より)これらは面白そうだと感じたところでもあり、詳しく知りたいと思ったところでもあります。いわばこの本を読むうえでの目的意識となったところです。 「序章」以降も、個人的に大事だと思うところには線を引いていきました。自分自身の経験や取組、これまでの問題意識と重なるところがたくさんありました。 ===============================『連携と協働の学童保育論』1<序章 はじめに より>・障害のある子どもたちを受け入れた「学童保育」における実践・さまざまな背景を持った子どもたちが 学齢期、またそれ以後に関しても、 地域社会で生活を営んでいくことに 「学童保育」が寄与する可能性とその役割について明らかにしたい。 ・指導員たちの「待ちの姿勢」 「できるかもしれないから待ってみよう」 「できるところまでさせてみよう」という姿勢・「人間は実際にかかわってみないとわからない」という考え・障害の中身以上に、人間同士のかかわりから生まれるものを重視・人間同士の対等なかかわりを実現する・障害のある子どもたちが、 学齢期以後も地域社会で生きていけるようにしたいという願い・「心のバリアフリー」・例えば、本人とのやりとりをせずにそばにいる指導員に話しかけてくるケース =障害のある子どもの存在が「聞いてもわからない子ども」であると 認識されている =”障害者”としての画一的な見方の現れ ・インクルージョンをめざす意義 ・「万人のための教育」 :障害のあることなどによって排除されることのない教育・「個人の自己決定」という概念・(「ノーマライゼーション」概念の)根底にあるのは、 人種や障がいの有無にかかわらず すべての人間は平等であるという人間尊重の考え方・「インクルーシブ教育」は 教育という面におけるノーマライゼーションの実践形態である。 ・(学童保育は)97年に「放課後児童健全育成事業」として法制化・1980年前後 児童館との併設問題・1990年代 学童保育指導員の専門性についての研究 ・障害のある子どもたちの生活の場という新たな視点からの研究が出され始める。 例えば、「障害児の放課後保障と学童保育の課題」 「『障害児の学童保育的活動』全国実態調査の結果から」等。・元学童保育指導員・及川房子の実践 及川実践は、今から約30年前の実践であるが、 子どもたちの主体性を引きだした実践として、 一部で高い評価を得ていた。 =================================学童保育指導員が心がけていることは、自分がこれまで心がけてきたことと同じじゃないのか、と感じました。「序章」を一通り読むと、本書の大事なところも一通りおさえられた気がします。詳しくはまた1章以降の中身を見ていく中で、ふれていきましょう。 ↓よろしければ応援のクリックをお願いします。励みになります。 ブログ王ランキング ▼にかとまの読書メモリスト ▼にかとま日記全件リスト
2013.12.20
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昨日、兵庫県福祉センターに行き、そこでのチラシで知りました。本日10/26(土)午後13時から、尼崎で講演があります。今からならまだ間に合う?事前申し込みが推奨されていますが、当日いきなり行っても入れてくれるかもしれません。貴重な講演だと思います。興味のある方は、どうぞ。 ▼公式詳細==========================「障がい者という言葉のない社会をつくる」株式会社ウイングル 代表 長谷川 敦弥 講演13:00~14:30関西国際大学 尼崎キャンパスにて参加無料==========================障がい者の就労を考えるうえで、株式会社ウイングルの取組は非常に興味深いです。参考リンクとして、ウイングルの求人情報にリンクを貼っておきます。http://employment.en-japan.com/desc_492250/僕は聞きにいけませんが、行かれた方がいらしたら、内容をお知らせしてもらいたいです。(^^)↓よろしければ応援のクリックをお願いします。励みになります。 ブログ王ランキング ▼にかとまの読書メモリスト ▼にかとま日記全件リスト
2013.10.26
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『だからこそできること』(乙武洋匡・武田双雲、主婦の友社、2012/6、1300円)この本の読書メモを書いています。本日が第2回。第4章「目立つと批判される法則」から。(第1回の読書メモはこちら。)===============================『だからこそできること』2(p83~102より。 ・以降の太字は本の内容。 顔マークのあとの緑文字は僕の個人的コメントです。)■双雲:・批判の言葉を受けると、 その後ってめちゃくちゃ成長してる。 ドラゴンボールで言うと、 なんか一気にスカウターの数値が上がってる。 批判されて悔しいと思った後の成長ぶりは、たぶん何十倍。「スカウター」のたとえがおもしろい。 著者プロフィールを見ると、双雲さんって 僕と同い年なんですよね。 だから、話題の波長がぴったり。 「ドラゴンボール」の話題は僕ら以降の世代には けっこうウケがいいのでは、と思います。 ちなみに乙武さんは僕の翌年生まれ。 もろ、僕ら世代の人たちなんですね。 ・大人になってわかったことは、 何をやっても批判する人はいるってこと。 目立つだけでムカつく人もいるし、 幸せそうだってムカつく人もいる。 だから、批判されてもブレない強さが やっぱり目立つ立場にいる人には必要。・結構、場数ですよ、批判は。 ここに進むんだっていう決意がないと無理。 何か、夢や、目標や、志がないと、 批判には耐えられない。 絶対進むんだという覚悟、 何があってもここだけは譲れないっていう 信念とかビジョンがないと。 ■乙武: ・右向いたって左向いたって批判する人はいるんだから、 自分が納得した道を進んでいくしかない。 気を配ることは大事だけど、 気にしすぎて他人に道を決められちゃうと、 批判を受けたときによろめいちゃう。 「オレはこう行くんだ」と自分で決めた道なら、 批判されても揺らがずにいられる。 (p102(第4章「目立つと批判される法則」の終わり)まで)============================= ホントに、そうだよなあ、と思います。自分はかなりどっちつかずで、夏休みもお盆付近は何をやってんだかわからない過ごし方をダラダラとしてしまいました。「やりたいこと」がはっきり定まってないなあ、と思います。批判はこわいですしね。 今読んでいる別の本でも、「失敗と共にあれ。クレームはありがたい」ということが書いてあり、共通するなあ、と思っています。こういう本を読みながら、僕も信念を育てていきたいです。 次回は第5章「苦手なことが見つからない」を参照します。 それではまた、次回! ↓よろしければ応援のクリックをお願いします。励みになります。 ブログ王ランキング ▼にかとまの読書メモリスト ▼にかとま日記全件リスト
2012.08.22
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『お母さんは勉強を教えないで 子どもの学習にいちばん大切なこと』(見尾三保子、草思社、2002、1300円)この本の読書メモのつづきです。第4章「『引き出し』教育の成果」第5章「『よかれと思って』という落とし穴」を参照します。(前回の記事はこちら。)===============================『お母さんは勉強を教えないで』2(p107~156まで。 ・以降の太字部分は、本の内容。 顔マークのあとの緑文字は僕の個人的コメントです。) ・ある母「先生、不思議ですね。 数学だけしかお習いしてないのに、 どうしてほかの科目もそろって上がったんでしょう?」 著 者「それはね、以前は数学もどの科目も、 自分にはとうてい理解できない、むずかしいものだと 思い込んでいたんでしょう。 ところが数学がわかってきて、 ほかの理科でも社会でも、もしかしたら数学と同じように やさしいのかもしれない、と思って教科書を読む、 授業を聞く、なるほど以前よりわかる、そして勉強する。 それで、どれも上がったということなんですよ」 通級をしていても同じようなことがあります。 通級の時間はおおむね週に1~3時間程度。 少しの時間で目指しているのは、 まさにこの「一点突破」で自信をつけることにこそあります。 子どもは、何か1つで「できる」という実感を持つと、 それを他に波及させていける力を持っています。 そこまで持っていけるかどうかは、 教師や親、周りの子どもたちの働きかけにかかっています。・まわりや親が気のつかない、 子どもの才能を見つけて示してやることがどんなに大切かを、 私は知った。 そして、それこそが教育であることを。・世の中の子ども(の多く)は、 大人から「その子のことを本当に思う心」を与えられていない。・子どもたち一人ひとりを「わがことのように思う」気持ち・甲子園の高校野球のテレビ中継で、 勝ったチームの監督が、 「みんな、生徒たちがやってくれるんですよ」 と言うのをよく聞く。 いつも私は、 「スポーツと学習の違いこそあれ、同じことをしているんだなあ」 と思う。 私はだから、自分のことを、「学習のコーチ」と言っている。・「学習のコーチ」のプロとは、 子どものことを真に思い、 子どもに学問する面白さを教え、 やる気を起こさせる人のことである。・中学のとき、家庭科のワンピースの提出の前日、 半分しかできていないのを 母親が仕上げて提出させた。 H子がそれを提出するのがどんなにいやだったか、 そのとき、母親は知るよしもなかった。 H子のデリケートな心、純粋さを 母親は理解していなかった。 ・「形よければすべてよし」という 母親の陥りやすい誤りだ。(p156まで)=============================== 自分の身につまされる記述も多いです。反省を、また明日の子どもへのかかわりに変えていけたら、と思います。 続きは、また次回。↓よろしければ応援のクリックをお願いします。 ブログ王ランキング ▼にかとまの読書メモリスト ▼にかとま日記全件リスト
2012.06.26
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『ディズニーの絆力』(鎌田洋、アスコム、2012/3、1300円)この本の読書メモ、今回が最終回です。(第1回はこちら。)===============================『ディズニーの絆力』3(p135~最後まで。 ・以降の太字部分は、本の内容。 顔マークのあとの緑文字は僕の個人的コメントです。)▽第3章「離れていても、お互いを想う」より・「どんなにお金をかけて人工的なものを作っても、 それがものである以上、いくら好きな場所でも3回行けば飽きてしまう。 重要なのはそこで働く人なんだ。 人の魅力で売らなければダメなんだ」 (ウォルト・ディズニー)・会社では偉そうな顔をしていても、 家族の前ではやさしいお父さん。 そんなプライベートの顔を知ることで、 部下との距離が縮まっていく。・家族を紹介し合うということは、 お互いに安心を与えることになる。・守っていただかなくてはならないルールを ゲストへ伝えるときに大切なのは、話法。 「何々してはいけません」とは言わず、 「何々していただけますか」と話しかけること。 そして、その理由も必ず付け加える。 お願い口調で、やんわりと注意を促す。学校の子どもたちへの指導も、 この方が結果的にうまく行くことが多いです。 子どもには厳しく叱ることもあるので、ケースバイケースですが。 T「〇〇してはいけません!」 C「なんじゃえらそうに。オレの勝手じゃ文句あるか!」 といった、売り言葉に買い言葉的な押し問答に陥ると 相手を屈服させるまでお互いに引けないという 戦争状態になってしまいます。(>。<) ちなみに、やんわりとした注意では全然聞いてくれない場合が あると思います。 僕の場合、「同じことを何度も言う。引き下がらない」 という手を取ることが多いですが、 ディズニーも同じなのかな? 思いっきりの笑顔で元気よく迫ると効果的です。(^^)・運を運んでくれるのは、いつも、応援してくれる誰か。 人が誰かを応援したいと思うのは、 相手が夢を信じ、人を信じ、信じた想いを確信に変えるまで努力しているとき。 ▽第4章「再会し、さらに絆を深める」より・ディズニーランドが特徴的なのは、 身障者割引サービスがないこと。 すべてのゲストにハピネスを提供するという理念のもと、 身障者も健常者も同じく楽しめるという自負がある。 割引するということは線引きをすることと同じ。 一般の施設では「特別に割引します」と考えるが、 ディズニーは異なる。 ↑ ・このために、身障者を招いて施設のバリアフリー化をチェック、 アドバイスをいただくような機会をたびたび設けている。「身障者割引」という制度は、これを読むまで 「いいこと」だというふうにとらえていましたが、 これを読んで、「なるほど」と思いました。 学校でもしばし「特別扱い」の負の側面が あらわれてくることがあります。 「特別支援教育」も、気をつけなくてはいけないのは 「特別」の部分だと思っています。 「特別に配慮してるんだからいいでしょ!」という 単純な問題ではなく、 「どれだけ一緒に同じようにできるか、工夫しているか」という点が まず考えるべき点なのかなと思っています。 昨日参加した「授業のユニバーサルデザイン研究会」でも、 「まず工夫。次に配慮」という、大変わかりやすい合い言葉を 教えていただきました。 ▽終章より・もしかすると、私たちは、 ディズニーランドのような自分に なりたいのかもしれない。 好奇心、確信、勇気、一貫性があれば、 人生はいつからでも、どのような形にも変えていくことができる。===============================ディズニーランドは、努力しています。常に、キャストやゲスト、関係するすべての人たちのハピネス(幸福)のことを考えて、改善しています。たしかに、そういう自分に、僕もなりたい、と思います。 今回の記事が皆さんにとってもお役にたつものであったならうれしいです。おススメの本ですので、興味を持たれた方はぜひ買って全文を読んでみてくださいね。 『ディズニーの絆力』(鎌田洋、アスコム、2012/3、1300円)最後までお読みいただきまして感謝します。 ↓よろしければ応援のクリックをお願いします。 ブログ王ランキング ▼にかとまの読書メモリスト ▼にかとま日記全件リスト
2012.05.27
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『ファシリテーション入門』(堀公俊、日経文庫、日本経済新聞社、2004、830円)この本の読書メモを書いています。本日が第3回。(第1回はこちら。) =============================『ファシリテーション入門』3(p30~36より。 ・以降の太字部分は、本の内容。 顔マークのあとの緑文字は僕の個人的コメントです。)・ファシリテーションの3つの効果 (1)成果に達するまでの時間を短縮 (2)メンバーの相乗効果(シナジー)が発揮できる ↑ 自由に安心して意見を交換できる場をつくるから (3)メンバーの自律性を育み、個人を活性化する ・メンバーが当事者意識(オーナーシップ)を持って 真剣に課題に打ち込むか否かが 実行の良し悪しを決める。・組織で働く多くの人は、 もっと自分の能力を発揮したいと願っている。・自らが主人公となり リーダーとなってこそ、 人は本当の力を発揮できる。★自分自身で人生を切り開いているという「自己有能感」★仲間から認められたという「承認の喜び」(p30~p36より)=============================最後の2つの★印のところ、学校でも大変大事なところだと思います。すべての行動の動機になることかもしれません。この2つがどちらも見られるクラスは、相乗効果で、みんなが伸び合っています。そのようなクラスをつくれる学校だからこそ、そのような職員室もつくれる、と確信しています。僕は学級担任ではないので、その分職員室の活性化のための裏方を行いたい、と思っています。(もちろん来年度学級担任になるかもわかりませんが・・・。) 今日は今年度の修了式でした。学校は来年度、また新たなスタートを切ります。でも、また1から、ではなくて、今年度の積み上げの上に、スタートを切りたいものです。 それでは、また次回! ↓記事がお役にたてましたら、クリックいただけるとうれしいです。 ブログ王ランキング ▼にかとまの読書メモリスト ▼にかとま日記全件リスト
2012.03.23
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『ファシリテーション入門』(堀公俊、日経文庫、日本経済新聞社、2004、830円)この本の読書メモ。今日から本格的に中身に入っていきます。文庫で手軽なサイズですが、中身は大変濃いです!本日が第2回。(第1回はこちら。) =============================『ファシリテーション入門』2(・以降の太字部分は、本の内容。 顔マークのあとの緑文字は僕の個人的コメントです。)・リーダーのもっとも大切な役割は、 組織の方向性を決めること ○意味(ミッション)を明らかにし、 ○目標(ビジョン)と そこに至る道筋(戦略)を指し示す。 その上で、自ら模範を示しながら、 人をつくり 組織を育てていく。・マネージャーは、 「どうやって(How)」を決める。 ○具体的な計画をつくり、 ○さまざまな資源の配分や構造を決める。このへんは、システム・マネジメントの根本ですね。 リーダーの役割なんて、学級経営における 担任の役割そのものです。 リーダーやマネージャーの役割が はっきりしない組織も多いので、 まずはこれをおさえることかと。 そういえば以前、 『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』 という本も読んだなあ。△現場の情報がリーダーやマネージャーに届かなくなり、 組織が本来持っていたフィードバック機能が麻痺してくる。 →もはや、少数の人間が組織を率いていくのは難しく、 たくさんの人々が それぞれの持ち場で イニシアティブを発揮していかなければ、組織は動かない。これ、悪い例として出ていますが、 「学校」という職場はわりとこれに陥りやすいと思います。 各先生方の裁量に任されていることが多いので・・・。 でも、「組織としてどう動くか」がないと、 みんなでやっている意味がなくなりますね。・人々の活動が容易にできるよう支援し、 うまくことが運ぶようにするのがファシリテーション。 ↑ 絶え間ない変化が必要なときに有効。・ファシリテーター = 「協働促進者」 「共創支援者」 ★個人ではなく、人々が協働する「場」(関係性)を重要視 ○活動の内容(コンテンツ)そのものはチームに任せて、 そこに至る過程(プロセス)のみを舵とりする。 ●黒子(演出家)的なリーダー = 成果に対する主体性をチームに与える ○中立的な立場で活動を支援する。 (例) ・会議という場のデザイン ・議論が対立に陥った場合は、 連結ピンの役割をする。○メンバーの「多様性」を尊重し、 異なる意見のなかから 創造的な問題解決を図ろうとする。(p29まで)=============================「これができるといいなあ!」と思えることがたくさん書いてあります。少しずつ、意識して取り組みたいですね。 それでは、また次回! ↓記事がお役にたてましたら、クリックいただけるとうれしいです。 ブログ王ランキング ▼にかとまの読書メモリスト ▼にかとま日記全件リスト
2012.03.20
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明日は勤務校のオーケストラ部が西脇市民会館を借り切って演奏会をします。輝かしい未来へ向けての、第1回定期演奏会です。お近くの方はおいでください。14:30~です。(^-^) では、読書メモの続きを書きます。自分のために、そして皆さんのために贈りたい言葉がたくさん書いてある本です。 『未来が輝く魔法の言葉100 一歩前に踏み出したいあなたへ贈る』(福島正伸、玄光社、2011/12、1000円)==============================『未来が輝く魔法の言葉100』 2(p49~最後まで)第3章 絆 より・すべてに完璧な人などいない。 なぜ、いないんだろう? それはね、人は一人で 生きていくのではなく 助け合って生きていくため・人は他人と会うことで 自分らしさに気づいていく・心に暖炉があれば どんなところでも暖かい・自分の夢を実現したいときは まず、他人の夢を支援すること・「私は勝手に、あなたのことが大好きなの!」・昨日と今日が違うように 今日と同じ明日は来ない 毎日、違うのはなぜ? それは、毎日いろいろなことに気づくため・本当に大切なものは、当たり前の中にある・教育とは 生き方を 見せること・素敵な人間関係は 相手に感謝することから始まる・誰よりも幸せになる人は 誰よりも他人を幸せにしようとした人 第4章 勇気 より・すべては たった一人の 本気からはじまる・何度言っても、やらない人がいる 何度誘っても、来ない人がいる あの人たちは、そもそもやる気がない 自分が笑顔でやっていたら、みんながやり出した 自分が楽しそうにしていたら、みんなが集まってきた やる気がないのは、自分だった 他人は、自分の姿を見て行動する 原因が自分にあることに気づくと 道が見えてくる==============================「すべてはたった一人の本気からはじまる」ということが、よくわかる動画があります。 周りを変えるには、まず自分から。楽しく、思いっきりやってみる。そこから、一大ムーブメントが起こる。大勢の人間が同志として立ち上がっていく。 本気で行動するって、いいですね♪ ブログを読んでいただいて、ありがとうございます。 ↓記事がお役にたてましたら、クリックいただけるとうれしいです。 ブログ王ランキング ▼にかとまの読書メモリスト ▼にかとま日記全件リスト
2012.02.03
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うちの娘はすべり台が好きです。20mぐらいある長いすべり台を飽きることなくずっと登ってはすべってました。今2歳ちょうどです。他の子は4歳~小学生低学年ぐらいの子ばかり。でもうちの子がいちばんすべってました。「赤ちゃん」呼ばわりされてましたが。(^^;)さて、毎度おなじみの読書メモの続きです。 『子どもを伸ばす共育コーチング 子どもの本音と行動を引き出すコミュニケーション術』(石川尚子 /岸英光、柘植書房新社、2007、1700円)今日で第6回。(第1回はこちら。)ちょっと長くなりますが、第7章に続いて第8章も読み返し、コーチングの大切な点を「言葉がけ」の例も交えて紹介します。=============================『子どもを伸ばす共育コーチング』6(p171~ 第7章・第8章より。 ・太字が本の内容、間の緑文字は僕の個人的コメントです。)第7章 『これからの世の中を変えていく子どもたち』 からもらった感動・「ダメな子どもだから指導しなきゃ何もできない」 と思わないでください。・すばらしい資源を自分が持っていることに気づいていない子どもたち・「変わる」のではなく、本来の自分に「戻る」と言った方が 適切かもしれません。・その人の強みにスポットライトを当てていきたい。・叱る時は叱ります。 すべてがコーチングで解決するとは私も思っていません。 いけないことはいけない、なぜいけないかを伝えて要望します。・相手を認めた上で、「なぜいけないのか」を伝えれば、 相手はちゃんとわかってくれる。・「叱る」ということをあえてコーチングのスキルに置き換えて言うとすれば、 「相手の成長を期待して強く要望する」ということ・叱る側の叱る基準のようなものが明確である必要がある・「他人に迷惑をかけた時」はガッツリ要望します。 第8章 『だからコーチングが大事!』 ・ティーチングだけの環境にいると、 人はある”枠”にはまってしまう。 「正しい答えは1つしかない」、そして 「正しい答えは誰かから与えられるもの」という枠です。・カウンセリングは”感情”に焦点をあてるが、 コーチングは”行動”に焦点をあてる。・コーチングでは、感情を受けとめた上で、 この後、どう行動を起こしていくのかを一緒に考え、 促します。 △感情の整理ができていないうちに、 「次は何をしますか?」、 「その後、どうしますか?」 と行動に焦点をあてられると、 追い詰められたような気持になる場合がある。 ○相手の心の状況、段階によって使い分けが必要。・カウンセリングは”過去”に焦点をあてるが、 コーチングは”未来”に焦点をあてる。・コーチングは 原因究明というよりは、解決志向のアプローチ (例)未来質問をして、視点を未来に向けさせます。僕は「未来志向」「解決志向」の考え方が大好きです。 ブリーフセラピーの考え方にだいぶ影響されていますが。 コーチングとブリーフセラピーってけっこう似ているんだな、 と改めて思います。 (ブリーフセラピーについては こちら↓(^。^) 『先生のためのやさしいブリーフセラピー』 )・過去のわだかまりをきちんと完了してから、 次の行動に移りたい人にとっては、カウンセリング的アプローチが適切・すでに精神病、心身症などを患っている人に対しては、 コーチングは機能しません。★必要なのは自己肯定感・世の中がどうだって、現実がどうだって、 とにかく自分はやる! そこに立てるかどうか。・これを引き出すためには、まず、 「やったらやれる人」として相手と向き合うこと・いいところをどんどん見つけて、どんどん承認する。・これを日々繰り返す。・「だっせ~、やりたくね~」と言っていた子が、 ある場面設定がなされて、 その中で、自分に求められている役割がはっきりすると、 不思議なぐらい一生懸命取り組む。これって、「演劇」と一緒なんですよね。 状況や台本が用意されて、演出家の指示があって、 「どこをどうすればいいか」がはっきりすると、 人間、けっこうがんばれるもんです。 そこまで全部決めなくても、 「役割」がはっきりするだけで、 人が勝手に動くようになる、というのはよくあること。 「役割決め」っていうのは大事なんですよね、 前段階として。 そこを忘れて、「意欲がない」「動かない」と言っていることが 案外多い、と思います。(^^;)・(植物は)適切な場所において、 水を与え続けることで、ちゃんと芽を出す。 人も同じ。 その人がその人として成長し成功するための資源は、 その人の中に全部詰まっている。・私のコーチは、たとえうまくいかないことがあっても、 チャレンジしたことを承認してくれます。 「今回はうまくいかなかったけど、次は必ず結果を出す人」 として扱ってくれます。 ・コーチングのたびに、 あたたかくも厳しい承認をしてくださいます。 「あなたはね、すぐそうやって、 自分を小さい存在として見るところがあるよね。 あなたはね、チマチマ小さい仕事をしている人じゃないの! 全国を駆け回って、今以上に多くの人の前で講演をして 勇気を与える存在なの!」 こんなことを毎回のコーチングでガンガン言われる。 「あなたは大きいことを成し遂げる人」というところから絶対に降りません。 ↓ ・毎回毎回言われるので、だんだんそんな気になってきました。・(他のコーチも) 「この人は必ずやる人!」、 「それはもう決まっていること」として、 私に接してくださっていました。 ★今、子どもたちはあまりにも 小さく扱われ過ぎている!・こちらがどういう「あり方」で接するかが、 お互いの可能性に大きな影響を与えていく。★人は 扱われるようにしか ならない・「できる人」として扱う。 「大きなことを成し遂げる人」として扱う。(p143~最後まで)=============================気持ちのよい読後感です。こういう本を、ぜひ広く多くの方に読んでいただきたいと思います。自信を持ってお勧めします。ぜひ手に取ってみてくださいね。 『子どもを伸ばす共育コーチング 子どもの本音と行動を引き出すコミュニケーション術』(石川尚子 /岸英光、柘植書房新社、2007、1700円)ここまでの長い読書メモにおつきあいくださいまして、ありがとうございました! ブログを読んでいただいて、ありがとうございます。 ↓記事がお役にたてましたら、クリックいただけるとうれしいです。 ブログ王ランキング ▼にかとまの読書メモリスト ▼にかとま日記全件リスト
2011.11.13
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今日は気がつけば20時でした。どうも最近学校で仕事をしていると、知らぬ間にめっちゃ時間が過ぎています。時を忘れて仕事ができるというのも、ひとつの幸せでしょうか。いろいろ変化があり、それに振り回されている気もしますが、楽しんでいきたいと思います。ずっと紹介してきた本の読書メモ、今日が最終回です。いい本に出会わせてくれたことに感謝します。『障害があるからこそ普通学級がいい 「障害」児を普通学級で受け入れてきた一教師の記録』(片桐健司、千書房、2009、1600円) 今日は、最終話「いろいろな子たちとの出会いから」を参照していきます。(第1回はこちら。)================================『障害があるからこそ普通学級がいい』6(p207~。緑文字は僕のコメントです。)「教室に入れなくなった子」について・教室に戻ってこられるかどうかはともかく、 子どもたちが必要としているのは、 その子の気持ちになって いっしょにそばにいてくれる人なのではないだろうか。・それがいけないことではなく、 それがその子が自分を表現した絶好の機会であるととらえて、 その子とのかかわりをそこから問い直していくこと。僕も教室に入れなくなった子に関わることがずいぶん多くなったのですが、 1つ目の「その子の気持ちになる」が重要だと感じています。 担任の先生やクラスの友達が、そういうふうになってくれたら ずいぶんクラスにも戻りやすいのでは、とも感じています。 実際、その子の気持ちを考えようよ、という時間を学級でとっていただいたりして 子どもたちがそれからことあるごとに誘いに来たりと、 うれしい変化も感じています。 たとえ本人がクラスに戻れなかったとしても、気にしてもらえる、 誘ってもらえるということは、うれしいことなのではないでしょうか。 2つ目のことは僕にはちょっと難しいです。 まだまだ「いけないこと」と考えてしまう自分がいます。 「自分勝手にみえたFくん」について ・こちらが真剣に伝えようと思って言ったことは、 そのときはけんかになっても、 彼は心のどこかでその言葉を受け止めている。 そのときは結局けんかになってやらなかったことを、 何日かして「先生、ほら」などとやって持って来ることがよくある。僕は個人的に「音楽」が大好きなこともあり、 「音楽」の時間にリコーダーを吹かずウロウロしている子について まず自分が音楽の主指導に回って活動に誘ってみたものの撃沈して(^^;) 授業の終わりに隣の部屋で1対1でかなり真剣に思いを伝えたことがあります。 わりと最近。(^^;) 普段はほとんど厳しいことを言わないのですが、 「ここは」というポイントだけ絞って、ビシッと言うべきことを言うのは 必要だと思っています。でも、子どもとの関係が崩れないかとか、 いろいろ心配の方が大きくなって、後になると「やりすぎたかな」と反省します。 実際やりすぎたり、言い過ぎて失敗したこともたくさんありました。 でも、音楽のリコーダーについてかなり激しくやりあったときは その後4~5時間後に会ったときに笑顔で「通級に行っていいか」と聞いてきたので 「あ、関係が崩れてなかった」と思い、うれしかったです。 あのときのこちらの気持ちは、通じていたと思うのですが・・・。・彼にとって、新しく出てきたものを受け入れることは、 大変なことであるようだ。・彼の心の準備ができるまでに、ある程度時間がかかることは確かである。 だからそこはゆっくり待つ。・(エピソードを綴った学級だよりより) もう少しで、今度は私とFくんでものすごいけんかが始まりそうだった。 私も、だんだん かっかしてきたからね。 でも、そのとき、Fくんの目の奥に 「ぼくもちょっと悪かった」ってマークが見えたのね。 だから、今日はこれ以上言わないでおこうと思ったの。このへんは非常に感覚的なものなのですが、 だんだんつきあいが長くなってくると、わかってくること、 感じられることって、ありますよね。 僕はそのへんかなり鈍感なほうですが、 「あ、これは・・・」と思う兆候が見られると、 そのカンを信じて、指導や支援をがらっと変える、ということがあります。 これは本当に子どものことを見ようとして見ないとわからない、 自分のさせたいことに固執したり 子どもと自分の関係で子どもをイヤだなあと思ったりしていると わからないことだと思います。 だからこそ、「あ、今 あやまろうという気持ちになったんじゃないか」とか、 そういう気持ちの表れが感じられたときは、 嵐の中に一筋の光を発見したような気がして、うれしくなります。 「あとがき」より・もし「障害」をかかえたお子さんをお持ちの方がいたら、 そういう子でも普通学級でやれるんだ、ということを 知ってほしい。・「障害児が普通学級にいていいんだ」ということが 当たり前になったらいいなあと思う。こういう思いがあるからこそ、こんなに素敵な本ができたんだと思います。 本当に、それが当たり前になるといいなあ。 「障害児を普通学校へ・全国連絡会」について・すべての子どもに差別のない生活と教育を保障する・就学先の決定に際しては、 すくなくとも本人と親・保護者の希望を最優先させる上の2つは特に心に残ったところです。 この会には、少し前に入会させていただいたところです。 会費を振り込む前に、会報の見本をいただいたのですが、 非常に勉強になることが多く書いてありました。 特に今は「インクルーシブ教育」に向けての過渡期ですので 国際法や国内法などの情勢もふまえて最新情報を入手できる こういった会の会報は、勉強になることばかりです。================================みなさんもよかったら読んでみてくださいね。 それでは、また! ブログを読んでいただいて、ありがとうございます。 ↓よろしければ応援のクリックをいただけるとうれしいです。 ブログ王ランキング ▼にかとまの読書メモリスト ▼にかとま日記全件リスト
2011.10.28
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今日は土曜参観の振り替え休日です。といっても、図工研究会準備のため15時から出張ですが。(^^;)先ほど、インフルエンザの予防接種を受けてきました。今から、久しぶりに読書メモの続きを書きます。『障害があるからこそ普通学級がいい 「障害」児を普通学級で受け入れてきた一教師の記録』(片桐健司、千書房、2009、1600円) 今回が第5回。第4話「理紗さんと仲間たち」を参照していきます。================================『障害があるからこそ普通学級がいい』5(p129~206(第4話の終わり)まで。緑文字は僕のコメントです。)この章は、比較的最近に片桐先生が担任された子で、 1998年入学の理紗さんのことが書いてあります。・(3学期に)就学時健康診断も、就学相談も受けない「重度の障害児」が、 突然「この学校に入りたい」と来たのだから、確かに学校はびっくりした。・知らないということは、それだけ人を不安にさせる。・介助員の存在について、 その子と他の子たちとの壁になってしまう心配があったり、 担任が介助員任せになってしまったり、 あるいは教員ではない人が教員と同じ場所で仕事をするときの立場の難しさ (などの心配がある。) しかし、理紗さんは女の子。 着替えやトイレの介助も必要になってくる。 1年生とはいえ、女性の誰かが介助するのが自然である。私の勤務校にも多くの介助員さんがいてくださいます。 肢体不自由児学級の担任を持っていた時は 特にお世話になりました。・(介助員の先生に最初に言ったことは、) 「クラスの子たちが 理紗さんだけの先生というふうに思わないように」 「理紗さんべったりにならないで。 みんなで助け合えれば それが一番いいし、 そういう意味では、何もしないのが 一番良い介助だと思ってください」私も似たようなことを介助員さんにお願いしたことがあります。 介助員さんは介助員さんで、「責任をもってしっかり仕事しないと!」と 思われる方が多くおられるので、 「何もしなくてもいい」というのは、 なかなかすんなり受け入れられないことも多いです。 でも、子ども同士の関係づくりを大事にしたい、ということは 分かってもらえます。 具体的には、言葉がなかなか出ない子の介助員についていただいた時に、 友だちと介助員が、その子本人を飛び越えて会話していることを多く見かけ、 それはよくないのじゃないか、という話をさせてもらったことがあります。 「声かけ」については後でも話が出てきますが、 言葉を話せないから、分からないからと話しかけないのは、 大変これは重大な問題だという気がします。 本当は話せなくてもずいぶん分かっているものですしね。・(私からクラスの子に対しては、) 特別理紗さんのことをみんなに説明することもなく、 何をしてほしいとか、何をしてはいけないとか言うこともなく、 自然な流れにまかせて 子どもたちの様子を見ていた。・4月17日 3時間目の生活の時間に、 「友だちができましたか? だれと 友だちになりましたか?」 と聞くと 2,3人の子が理紗ちゃんの名前をあげていました。・(5/13の学級だよりの中で) 「”こういう子にはやさしくしてあげなければ” などとよく言われますが、 ”には”ではなく、誰に対しても本当はやさしくありたいし、 ”あげなければ”ではなく、普通につきあえば良いのかなと思う」・(授業について) 特別なことをしなくても良いから 普通に授業をしていればよい。・こんなことはわからないだろうとか、 言っても通じないだろうとか、 やっても無駄だろうとか、 決して思わないこと (理紗さんの可能性をいつも信じて教える)。・決して「障害」児がいるからすることではない。 クラスの子どもの誰に対してもそうあるべきことなのだ。・「障害」児をクラスの1人として受け入れる(大切にする)ということは、 実はその子だけでなく クラスの一人ひとりを大切にする ことなのだ。この塩梅が、僕は最初の頃は分からなくて、 1人の子の味方になってクラスのほかの子と 敵対するような関係になったこともありますし、 今でも、難しいな、と思っています。 特に「障担」としてその子についた時には、 その子中心でどうしても考えてしまうことがあって、 いわゆる普通学級での「交流」を考えたときに、 「この子ばっかりで、おれらのことを考えてくれてるのか」と アンケートに書かれたこともありました。 口先では「一人ひとりが大事。みんなを大切に思っている」と言えても、 みんな一人ひとりを大切にする、というのは、本当に難しい。 いや、実は簡単なのかもしれないけれど、自分としては難しいなと 感じています。・授業中、理紗さんのことばかり考えていたわけではなく、 それぞれの子のことを考えている中に理紗さんがいたわけで、 理沙さんの関心をひこうとしたこともあるが、 同様に他の子に対しても、いろいろその子に応じての声かけや、 興味をひくやり方をしていた。・声をかけることで 子どもと自分の関係がつながっていく。・(周りの子たちも)わからないから、伝わらないからといらいらすることもなく、 実に楽しげに理紗さんに話しかける。・誰かから話しかけられているということが、 そしてそういう友だちがいるということが、 理紗さんにとって(というか理紗さんだけでなく誰にとっても)、 とても大事だし、必要なことだと思う。 「個別に丁寧に」教えてもらっても 関係は育たない。自分の経験で言っても、友達に囲まれて笑顔でニコニコしている姿ほど ほほえましいものはない、と感じます。 「学校」が最も学校らしい時間は、 そういった友達と笑顔で過ごす時間にある と思います。・(障害児学級の子の交流について) 少し工夫すれば何とかなるのに、 頭から無理と決め込んでしまうことはけっこう多い。・どんな行事でも、その学校(学級)にいる子は誰でも参加するのが 原則であると思うし、危険や難しさがあるから「だめ」ではなく、 参加できない子が一人も出ないように まず教員たちは考えなければいけないだろう。 車いすの子がいたら、車いすでも参加できるような演技種目を 考えるというのも必要なことだ。・とにかく、みんなといっしょに参加できるということを まずは大事にしたい。友だちとの関係が良好だと、友だちが自然と、 一緒にするにはどうしたらいいか、を考えるようにもなりますね。 運動会のかけっこの練習で、 速く走ることには全く興味のないBくんに対して、 両側から手をつないで走っていた女の子たちの姿を思い出します。・理紗さんは、いつの間にか クラスの1人として、 欠かせない存在になっていた。・1学期の終わり頃、母親からの連絡帳で、 クラスの子どもたちが(校区外の)理紗さんの家に遊びに行ったことを知った。僕が最も気にしているのが、実は学校での友達同士の様子ではなくて、 家に帰ってから遊びに行く関係かどうか、ということです。 小学校を卒業してちがう中学校に行ったにもかかわらず、 今でもBくんの家に遊びに行くと言っていた友だちのことを思い出します。 また、阪神淡路大震災のときに、「障害」のある友達のことを心配して まっ先にかけつけた子の話も、聞いてからずっと忘れられない話です。 「障害」のある子が、地域の中で共に育つ、ということは、 簡単ではありません。 もし周りとの壁や距離があれば、 家に遊びに来る子もいない、何かあったときに気にしてくれる友達もいない、 そういうことが普通に起こりやすい状況にあります。 だからこそ、「昨日、Bくんの家に遊びに行ったよ」と子どもたちから聞いたり、 親御さんから家庭訪問で「よく友達が遊びに来てくれます」と聞くことは、 本当にうれしい、喜ばしいことだと感じています。 そういうことは普通のことかもしれませんが、 それが一番うれしいことなのです。・(介助員がいなかった日について) Tさんがいないなら自分たちがやらなければと、 子どもたちは、理紗さんに必要な手伝いを自然にやっていく。 介助員がいないことで、新たなかかわりが生まれてくることも確かだ。 (第4話「理紗さんと仲間たち」より)================================文章量としてはこの章が一番多いです。ここで紹介できなかった部分もたくさんあります。「ともに学ぶ」際に気を付けるべきことや具体的な実践事例について、大変詳しく書いてあり、勉強になりました。 次回が最終章第5話「いろいろな子たちとの出会いから」です。では、また 次回!
2011.10.24
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『障害があるからこそ普通学級がいい 「障害」児を普通学級で受け入れてきた一教師の記録』(片桐健司、千書房、2009、1600円) 読書メモの続きです。今回が第4回。第3話「和彦くんがしゃべった」を参照していきます。(第1回はこちら。)================================『障害があるからこそ普通学級がいい』4(p95~128(第3話の終わり)まで。緑文字は僕のコメントです。)筆者は前回の「直ちゃん」の後、 また1年生担任となり、「和彦くん」を交流先の担任として 受け持つことになります。・(和彦くんはそばにいる人に頭突きをするが、) 周りの子たちが慣れて、よけ方がうまくなったりして、 そのことが生活上での大きな問題ではなくなった。・子どもの数が少なければそれが一番子どもにとって良いかというと、 そうとも言えない。 みんなでいっしょに考え合うような授業をするときには、 人数の多い分、いろいろな意見が出されたりして、 かえっておもしろい授業になったりする。これは僕も同じことを感じていました。 去年、僕は新学習システムという立場で、中学年の算数を担当していました。 担任の先生と、子どもたちを半分ずつの人数にして違う教室で教える 「少人数授業」をするのか、それとも担任と一緒にクラスに入って教える 「同室複数指導」をするのか、その判断基準はなんなのかということを ずいぶん考えました。 出た結論が、ここで書いてあることと同じことです。 意見交流など、多様な意見を出してほしい内容の時は「同室複数」、 問題をどんどん解くなど、交流よりも各自が練習問題を進めるようなときは 「少人数授業」というふうに、一応思っていました。 本当は全く分けなくてもいいとも思っているのですが、 一応、ハーフ(半分ずつの人数)での「少人数授業」も することになっているので・・・。・給食当番だけでなく、掃除当番も、係り活動も、 和彦くんはみんなと同じように必ずどこかに入った。 決して特別な存在ではないということを、 和彦くんにも周りのみんなにも意識してほしかったし、 できないからやらないではなく、 やっているうちにできることが必ず出てくるという思いもあった。・それでなくても1年生の給食指導は大変で、 そういう中に和彦くんがいたら、もっと大変になるだろうということは 想像できる。 でも必ずしもそうではなかった。 これは不思議なことだが、 子どもたちの中になんか「しっかりしなくては」という気持ちが 生まれていたのかなという気もする。・(この話の目玉となる「和彦くんがしゃべった」エピソードは、 省略します。臨場感のある記録が載っているので 本書を参照ください。(^^;))・分けられた空間で「訓練」して いくつかの言葉が言えるようになったとしても、 それを聞き合う関係がなかったら、意味はない。 でも、いっしょに生活していれば、聞こえない言葉を聞くことができる。・我々の予期しないところに 彼の可能性はあった。この章の中で、「勉強ができないというだけで その子の人間性まで否定されてしまいそうな世の中で」 という記述があります。 この章を読んで、「できる」「できない」ということを、 非常に考えさせられました。 ちょうど今日、3年生に向けた「理解教育」がありました。 3年生全員を一堂に集めて、特別支援学級や通級教室について 説明したり、そこに通っている子のがんばっていることを伝えたりする会です。 そのまとめの時間に、特別支援学級担任でコーディネータの先生が こんなことを言われました。 「できることはいいことだけど、できないことは悪いことではない」 「できない」ことを悪いこととみなさない価値観。 「できない」ことを笑顔で受け入れられるクラスや学年。 世知辛いこの世の中で、こう言い切られた先生のすがすがしさ、 軽いショックと感動を覚えました。 自分自身、「できないことは悪いこと」とずっと思ってきた気がします。 「できない」ことを受け入れられたとき、 自分にも、他人にも、寛容になれる。 それこそ、共生社会への第一歩なのかもしれません。(第3話「和彦くんがしゃべった」より)================================第4話は「理沙さんと仲間たち」です。では、また 次回! ブログを読んでいただいて、ありがとうございます。 ↓よろしければ応援のクリックをいただけるとうれしいです。 ブログ王ランキング ▼にかとまの読書メモリスト ▼にかとま日記全件リスト
2011.10.19
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『障害があるからこそ普通学級がいい』の読書メモを書いていた途中でしたが、乙武さんの『希望』の読書メモをはさみます。3年間の小学校勤務の経験を活かし、被災地でおこなった特別授業、そして始球式・・・心に残ったところがたくさんありました。 『希望 僕が被災地で考えたこと』(乙武洋匡、講談社、2011/7、1300円)================================『希望 僕が被災地で考えたこと』・(震災に遭って)僕は、おそらく人生ではじめて、 自分自身の障害を眼前につきつけられ、 その境遇に胸がつまるような数日間を過ごしていた。・ずっと気になって仕方がなかった。 被災地に暮らす障害者の存在が。 東京に住む僕とは、比べものにならないほどの恐怖を感じていることだろう。 不安を抱いていることだろう。 いま彼らはどんな生活をし、何を感じているのか。・使いやすいように工夫された居住空間。 日常的に服用している薬。 あたたかく見守ってくれる理解者の存在 ――障害者の生活は、これらの環境が整うことで、 ようやく成り立っているケースがほとんどだ。 障害のある人にとって、 慣れない避難所での生活は、 精神的にも、肉体的にも 負担が大きすぎた。・一方的に浴びつづける善意は、 やがてボディブローのように効いてくる。 相手に「してもらう」ことは本当にありがたいことだが、 その関係性があまりに一方的だと、 いつしか自分を卑下するようになる。 それは、物理的に「してもらう」ことの多かった僕が、 小さな頃から闘ってきた葛藤でもある。・(被災地の小学生たちへの特別授業。終わりの場面を引用↓) 「今日、僕がこの教室に入ってきて、この体を見たときに、 ボールが蹴れたり、バスケのドリブルができたりなんて 想像できた人いる?」 子どもたちは、だまって首を横に振った。 「いないよね。 ところが、実際にやってみたら、どうだった?」 「できた!」 「すごかった!」 サッカーやバスケの場面を思い出しているのか、 子どもたちは目を輝かせながら答えてくれた。 「だからね、みんなにもあきらめないでほしいんだ。 これから先、つらいことや苦しいことがたくさんあるかもしれない。 そんなとき、『もうムリだ』とか『できっこないよ』なんて言わずに、 この日の授業のことを思い出してみてほしいんだ。」・(GWの東北楽天ゴールデンイーグルスの始球式のところから引用↓) 「手足がないのに、そんなことができるなんて」 僕の”あたりまえ”に目をうるませ、 「私も頑張らなきゃ」と自身を奮い立たせる人々がいた。 そんな視線を、僕は幼い頃からずっとわずらわしく思ってきた。 「障害者だから、どうせたいしたことはできないだろう」 そんな前提があるからこそ、まわりと同じことをしただけで 「すごいね」とほめられるのではないか。 僕は、ほめられていながらも、どこかバカにされているようで悔しかった。 (略) みんなと同じことをしただけで「すごい」と評価されることを 複雑に思う気持ちは、いまも変わっていない。 だからこそ、自分の気持ちの変化におどろいていた。 今回の始球式で、僕がボールを投げる姿を目にした被災地の人々は、 いったいどんなことを感じてくれるのだろう。 やはり、これまで僕の周囲がそうだったように、 おどろき、涙を浮かべ、「私も頑張ろう」と みずからを奮い立たせてくれるのだろうか。 それならば、それでいい。 いや、「それでいい」などというあっさりとした感情ではない。 「ぜひ、そう感じてもらいたい」 そう強く願っている自分がいることに、 僕自身がおどろかされた。・炊き出しや瓦礫の撤去、ヘドロの掻きだしなど、 物理的なボランティアをすることができず、無力感にさいなまれていた。 「みんなと同じ」支援をすることばかりを考えていたのだと思う。 支援の仕方だって「みんなちがって、みんないい」はずなのに。================================乙武さんだからこそ感じられたこと、たくさんあると思います。この本を読んでよかった、と心から思います。こういった本を読むことで、いろいろな感じ方、いろいろな人のこと、そして今回の震災にあった人たちのいろいろな生活や思いがかなりずっしりと感じられると思います。おすすめです。ブログを読んでいただいて、ありがとうございます。 ↓よろしければ応援のクリックをいただけるとうれしいです。 ブログ王ランキング ▼にかとまの読書メモリスト ▼にかとま日記全件リスト
2011.10.16
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『障害があるからこそ普通学級がいい 「障害」児を普通学級で受け入れてきた一教師の記録』(片桐健司、千書房、2009、1600円) 読書メモの続きです。前回はこちら。 ================================『障害があるからこそ普通学級がいい』2(p11~46(第1話の終わり)まで。緑文字は僕のコメントです。 文中の「特殊学級」は、1970年代当時の言い方で、 現在は「特別支援学級」です。)前回の最後に出てきた「交流」の提案以後、 学校内で少しずつ「交流」がはじまりました。・交流が始まって1か月くらいたった頃 男の子「のぶって、変なやつかと思ったけど そうでもないね。 俺たちと同じだね」 筆者「そう、自分もそう思った。 のぶちゃんもみんなも同じ子どもだよね」・いっしょに生活してみて初めてその子(人)の本当のことがわかる・けんかもあるが それだけ対等な関係ができてきて、 のぶちゃんは、着実に4年3組の1人になっていった。・いくら学校で繰り返し教えてもおぼえられなかった文字を、 彼は友だちと遊びに行った体験を通してあっさりおぼえてきた。★個別に丁寧に教えればできるようになるとよく言われるが、 たった一度の友達との体験のほうがずっと彼の中では意味があった。・マニュアル化されたノウハウよりは、 子どもとつき合いながら得ていくもののほうがずっと大きい。 まずは いっしょにやってみることから始まる。・(のぶちゃんを一番前の席にしていたら、 特殊学級担任が、そんな様子を見て ぽつんと言った。) 「なんで一番前にするのかなあ。 これじゃあ 他の子の様子が見えないじゃない」この言葉、なかなか言えないですよ。 今の教育現場でも、配慮の必要な子は一番前にして 教師の目が一番届きやすいように、声掛けがしやすいようにするのが セオリーです。 ところが、この先生は「周りの子を見て学ぶ」という 大人が見過ごしがちな学び方について、ちゃんと見取っている。 ここは、自分としてはかなりの驚きをもって読んだところです。 「なるほど、そういうことも言えるのか」と思いました。・授業がわからないと子どもがかわいそうとかよく言われるが、 本当にそうだろうか。 わからなくても 楽しければ それで良いではないか。 喜びは自分で感じるもので、 人から押しつけられるものではない。 習ったことをすべて理解しなければならないというものでもない。ここもまた驚きをもって読んだところです。 僕も「たのしい授業」という雑誌を読んだりして 楽しい授業を追求したりしてきましたが、 「わからなくても楽しければよい」とはなかなか思い切れませんでした。 いや、もちろん、「わかる授業」かつ「楽しい授業」が ベストなのですが。 じゃあ「わかる」のと「楽しい」のとではどっちをとるの? と言われたら・・・これは非常に悩みます。 ただ、「わからない授業」の中にいても、とても楽しそうにしている 「のぶちゃん」の様子を見て、筆者の片桐先生が 「のぶちゃん」が授業中にクラスの中にいる意味を感じられたのは、 僕は、けっこうよくわかります。 ここは、でも、竹を割ったようにそうとは言い切れない、 いろんな意見がある部分だと思います。・授業時間のことだけではなく、 みんなといっしょに生活していると、 生活そのものがさまざまな学習に結びついているということを 思わされる。・算数の時間ではわからなかったりできなかったりする数や計算が、 生活の中ではできていたりする。・何かができなくても それを補う別の力を発揮できることがある。・いろいろな子がいていい。 いろいろな生き方があっていい。 みんなが一律にそれ(文字や計算)をできなければいけないというものでもない。 でも、教師はそれをめざしてしまうんですよね。 「できる」ことにこだわるのが、教師という職種だと言えそうです。 僕の場合は、できることが非常に少ないお子さんを担任させていただいて 「できる」こと以外の目標を少しずつ感じ始めたところですが、 それでもやはり「できる」ということにはこだわっている自分がいます。 「できなければいけない」と思うか、 「できなくてもかまわない」と思うか、 微妙なところですが、僕の場合7:3で前者ですね。 このあたりも、ちょっと突き詰めていきたいところです。 「できなければいけない」は、できない子を排除する論理にもなりがちです。 でも、「できない」ことを「できる」ようにするのが学校だという気もします。 大切なのは、その子によって違う、ということを受け入れること。 しかし、それでも、クラスや学校の中で折り合いをつけていく そのたびごとのしんどさというのは、生じてきます。 個別で、別室で、分けてやった方が、よっぽどラクなんですよね。 そういう、いろいろな側面があるということを感じながら、 それでもクラスの中で「いろいろな子がいていい」とはっきり思える強さというのは、 子どもたちにとって格別の安心感と連帯を与えるでしょうね。 非常に、難しいテーマだと思います。・体育館でマット運動をしたとき、 特殊学級の担任は、驚きの表情で 「のぶちゃんは、五組ではマット運動をやろうとはしなかったよ」・「個別に丁寧に教える」より、 仲間の力が、彼を変える。 彼の存在がまた、周りを変える。・(6年生になってリレーをやることになって) のぶちゃんも含めて、みんながどうリレーに参加できるかを、 真剣に考えた。 お互いの違い、能力の差を乗り越えた関係の大切さを知り、 みんなが協力して何かを作り上げるということのすばらしさを 知ることができた。乙武洋匡さんの『五体不満足』に出てきた 「オトちゃんルール」を思い出します。・1人として、いてはいけない子はいない。 どの子も、かけがえのない、貴重な存在なのだ。 何かが少しできるようになることより、 そういうお互いを大切にしていく心の方が ずっと育ってほしいことのように思う。(第1話「普通学級にいついてしまったのぶちゃんから教えられたこと」より)================================エピソードについては非常に断片的にしかふれていませんが、そのエピソードが感動的なのです。本を実際に読んで感じていただきたいです。 第2話は「みんながいっしょがいいとあらためて思わされた直ちゃんとの6年間」です。今回と同じように、次回、読書メモ(部分的な抜粋・引用・感想)にてまとめたいと思います。では、また 次回! ブログを読んでいただいて、ありがとうございます。 ↓よろしければ応援のクリックをいただけるとうれしいです。 ブログ王ランキング ▼にかとまの読書メモリスト ▼にかとま日記全件リスト
2011.10.09
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『発酵道』 著者:寺田啓佐(けいすけ:寺田本家 当主)今日はあやうく「腐る」ところでした。思考が、自分のことだけで停止してしまうと、腐ってしまいますね。気をつけねば・・・。というわけで、読書メモの第2回です。 第1回はこちら。===============================『発酵道』2(本の後半部分。第11話~ まで)・(東京医科歯科大学医学部の藤田紘一郎教授によれば、) 腐敗菌がまったくいなくなればいいかというと、 そうでもない。 腐敗菌には腐敗菌の働きがある。 なんでもかんでも排除すればいいってものじゃないのだ。この論理が、広くいろいろな人に知られるようになってほしいと思います。 僕も、本当のところは腑に落ちていないのですが・・・。 僕の場合、こう考えます。 もし自分が腐敗菌として生まれてきた場合。 生まれてきたからには、僕が生まれてきたわけがあります。 必要だから、生まれてきたんです。 それが、「こいつはいらない」と排除され、 消されてしまう・・・。 こういうことは世の中にごまんとあります。 でも、それはひょっとして、非常に利己主義な「腐敗した」考え方でもって、 狭い範囲のことしか考えずに排除しているだけかもしれません。 神様は、それをのぞんでいるでしょうか。 広く全体を観れる視野をもった人がいて、 その人が公平に判断するとしたら・・・? 私たちは、そろそろこの考え方に行き着く時が来ていると思います。 排除しない考え方、 「共生」の考え方です。・昔の日本人は、ばい菌と一緒に暮らしていたおかげで、 たくましく生きてこられた。 今の長寿世代を支えてきたのは、 このあたりにヒントがあるのではないか。・「よくなるために、悪くなる」 という法則があることも、しっかり見ていてほしい。 一見腐敗した状態も、 発酵のために必要だったのだと思えるときが来るからだ。 今の腐敗を「よかったね」と受け入れ、 「すべてはいいことなのだ」と思い切れれば、 すぐにでも発酵の道はたどることができる。 それからあとは、どんどん発酵が進んでいく。 なにもかもがよくなっていく。 自然も、社会も、家庭環境も・・・・・・。・手放すところから、循環が始まる。 「ギブ・アンド・ギブ」でいい。 空っぽになれば、おのずと入ってくるのだから、 それで安心していればいい。・共生とは、競争しない、争わない、仲よしの世界のことだ。 「負けちゃう、損しちゃう、謝っちゃう」、 むしろ積極的にこういう姿勢にしていく。 肩の力をフッと抜き、 がんばるのをやめてみたとき、 みんなとつながれることに気づくはずだ。(p223(第17話の終わり)まで)===============================最後の方は、小林正観さんの考え方にかなり似ています。正観さんは、「き・く・あ」の法則ということを言われていました。「きそわない、くらべない、あらそわない」という意味です。 小林正観著書「き・く・あ」の実践自分を振り返ってみると、学生時代、「受験」とかしていたときは、かなり競争意識が強かったと思います。でも、30代も半ばを過ぎて、今「何が幸せか、どういう生き方が幸せか」と考えたときに「競う」こと、そして「勝つ」ことは、必ずしも、大きな目で見て幸せとは限らない、と思うようになりました。「負けちゃう、損しちゃう、謝っちゃう」、この3つは大嫌いだったのです。負けず嫌いで、損するのが嫌いで、謝るのが嫌いでした。そして、そのことで、ずいぶん「失敗」してきました。今では、この3つは、必要なことだと思います。(今でもキライですが・・・。(^^;))何も、聖人君子みたいになるということではなく、(1)勝ち負けにこだわっているとき(2)自分だけのことにこだわっているときふっと肩の力を抜いて、上で出て来るような考え方が「ある」ということに、思いが至ればいいなあ、と思います。必ずそうしないといけないというのではなく。自分を広く大きく成長させるために。 さて、読書メモはあと第18話と第19話を残しています。第18話は「発酵していくと幸せになる」というタイトル。本書全体のまとめとなる章で、名言・金言が山ほど出て来ます。僕は付箋を山ほど貼りました。そういうわけで、最後の2章は、次回。「発酵道」の中で著者が至った結論、発酵道の神髄とは何か?待て、次回(笑)ブログを読んでいただいて、ありがとうございます。 もし共感してくださる部分がありましたら、 以下のバナーをクリックして応援していただけるとうれしいです。 ブログ王ランキング ▼にかとまの読書メモリスト ▼にかとま日記全件リスト
2011.09.05
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『発酵道』 著者:寺田啓佐(けいすけ:寺田本家 当主)斎藤一人さんがすすめていた本。今頃になってようやく読みました。酒造りで「微生物」を大事にして自然に帰る、昔ながらの酒造りに戻した著者。そこから得た気づきが書いてあります。「微生物」の共生社会が、人間の目指すところとも一致する、という主張が興味深いです。===============================『発酵道』1(本の前半部分。第10話まで)・「発酵すると腐らない」 なすだってきゅうりだって、 そのまま放置していればいずれ腐敗してしまうのに、 ぬかみその中に入れればいつまでも腐らない。この「発酵すると腐らない」という観点が珍しい。 言われてみれば、確かにそうですね。 科学の力で凍らしたり真空にしたりしなくても、 昔ながらのやり方で「腐らないようにできる」というのは、 実に不思議です。 そして、ここから、「人間も腐らないためには・・・」という ヒントを得るのが、この本の面白いところです。・発酵というのは変化の連続。 変わるから腐らない。 逆にいえば、変わらなければ腐る。・私が酒を造る場合、 私以上の酒はできない。 自分が偽物であれば、 偽物の酒しかできない。・普通はいやなことに対して、 感謝などとてもできない。 けれど、病気でも事故でも失敗でも、 どんな不幸もかつて自分がやらかしたことの償いだと考えると、 悪い事が起こったことは 自分がしてしまったことがチャラになったと考えられる。 チャラにしてくれていることへ感動し、 マイナスの出来事も感謝で受け止められる。 「流す」ということができるようになって、 すべてが「よかった、よかった」と思えるようになっていく。・(京都「一燈園」で出会った神父押田茂人さんの言葉) 「祈りの姿に 無の風が吹く」 祈りがなされたとき、 そこには大きな力が働き、 人に、生きとし生けるものに影響を与える。 そういう、何かわからない風が吹いてくる。.・(静岡県伊豆松崎町・安楽庵の村上光照和尚の言葉) 「大切なことは、自分を見ることに尽きる。 人を責めたりする暇なんてない。 自分をよく見たら、むさぼる、腹を立てる、とらわれる、という煩悩ばかり。 自分みたいなつまらないものに、何ができるかってことに気づく」・(鎌倉にいる太母(たも)さんというおばあさんの言葉) 「今までに悪い人に会ったことがないの」・もっている知恵、力、親切、思いやりといったものを、 からっぽになるまで出し切れば、 必要なものはひとりでに入ってくる。 (p143(第10話の終わり)まで)===============================いかがでしょうか。昔ながらの酒造りに回帰することによって得た哲学。なかなか、興味深いと思いませんか?後半はまた次回に。ブログを読んでいただいて、ありがとうございます。 もし共感してくださる部分がありましたら、 以下のバナーをクリックしていただけるとうれしいです。 ↑ブログ王ランキング ▼にかとまの読書メモリスト ▼にかとま日記全件リスト
2011.09.04
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図書館で偶然娘が引っ張りだしてきた本。これがすばらしくよかったです。 『生きてこそ光り輝く』 (石橋幸緒、2000年出版:現在絶版)この本があったのは「将棋コーナー」。僕は将棋が好きなので、よくこのコーナーのところに行っています。将棋の棋士が書いた本なのですが、サブタイトルに惹かれました。「19歳、養護学校から女流王将へ」最初の数ページを読んでみると、おもしろい!漢字にはすべて振り仮名が振ってあり、短文言い切りの文体がほとんどなので、非常に読みやすい。ユーモアのセンスも抜群で、書かれてある事実はかなり重く厳しい現実だったりするのですがある時は笑いながら、どんどん読み進めていくことができます。「試し読み」がAMAZONのページからできるのでぜひ最初のページを読んでみてください。 ▼amazon石橋幸緒『生きてこそ光り輝く』 (商品画像クリックで試し読みが可能)ラストまで読み、今の感想ですが、母親の子を思う愛情に非常に心打たれました。また、著者の石橋幸緒さんには、将棋への愛や周りの人への感謝、自分の道を自分で切り開く信念を感じました。病院で暮らす子どもたちや養護学校で学ぶ子どもたちについてなかなか世間で知られていないところを詳しく描写しているところも他の本にはなかなかない、貴重な点だと思います。10年前の本で、書店ではすでに手に入らないようですが、図書館で借りるなどして、ぜひ子どもたちに読んでもらいたい本です。この本が図書館の「将棋」コーナーだけに置かれているなんてもったいない!障がいについて学ぶコーナーや、児童書のコーナーにもおいてもらい、広く多くの子どもたち・大人たちに読んでほしいと思いました。この本の魅力をお伝えするため、最後にこの本の一部を引用します。150ページ目。小学5年生の11月、初めて誕生日にケーキを食べることができたシーンから。============================11本のローソクを立てて、母はしみじみと言った。「サッちゃん、初めてだね。こうやってケーキにロウソクを立てるのって・・・・・・」言われてみれば、私には誕生日にロウソクを立てて祝ってもらった記憶がない。今までの誕生日は、ほとんど病院で過ごしていた。病院で誕生日を迎えても、入院中は何も食べることはできなかったからだ。母は、私の誕生日を数えることなどできなかった。毎日毎日、私がこの1日を生きていられることだけを願い、日々を送ってきたのだ。============================お母さんとのやりとりについて、この本ではかなり詳しく書かれています。特に第6章「再びの緊急入院」のときのお母さんの鬼気迫る懇願のシーンは、涙なくして読めませんでした。母親の愛に勝るものはない、と強く思いました。最後にもう1回引用。============================私は、小学部1年生から高等部3年生までの12年間、養護学校に通っていた。初めて聞いた人は、ほとんど「エッ」と驚く。「養護学校に行った子が、将棋のような難しいゲームをできるのだろうか?」と思うらしい。そう思う人は、少なくとも2つ誤解している。(第7章「人には必ず光り輝くものがある」よりp215)============================ここで言われている2つの誤解。(「将棋」への誤解と「養護学校」への誤解)ここの部分は、ぜひ皆さんに読んでいただきたいと思います。p215から220までの「万物生きて光り輝く」のところは、道徳の授業で子どもたちに読み聞かせたいぐらいの名文だと思います。ブログを読んでいただいて、ありがとうございます。 もし共感してくださる部分がありましたら、 以下のバナーをクリックしていただけるとうれしいです。 ブログ王ランキング にかとまの読書メモリスト
2011.08.13
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昨日一昨日の研修は電車で行ったので行き帰りにいっぱい本が読めました。行きに読んだのはこの本。『35歳の教科書』(藤原和博、幻冬舎、1000円)内容的には、「この年齢だから」というより「これからはこういう時代だから」という論調で書かれています。==============================『35歳の教科書』・「みんな一緒」から「それぞれ一人一人」の社会になっていく 変化の時代。・孤立することを怖がってはいけない。・「どこで降りるか」「ここまでやったら、あとは任せる」 という引き際を、いつも意識する。・「仕事の話をする前に、まずはライフストーリーを交換し合うのが 新しい常識」というくらいに考えてほしい。お互いの思いや考えを十分に理解し合った上なら、 どんなことでもうまくいきますね。 斎藤孝さんも「偏愛マップを見せ合う」ということを提唱されています。 なかなか普段そういうことをしていないのですが、 大事なことだと思います。 まずは自分の好きなこととか、どういう思いでやっているのかということを 積極的に出していくことですね。 藤原和博さんのいう「ライフストーリーの交換」は たとえばどういうセリフで進行していくのか、知りたくなりました。・個人のプレゼンテーションも、 自分のことを、自分の言葉で喋ること。・ユダヤ系の人物と会ったときに、 「つい最近、旧約聖書を読みました」と言うと、 相手の態度が急激に変化。 まるで兄弟のように打ち解けることができた。・人間は、不利なほうへいっているほうが助けてもらいやすい。 協力を得ることで、不利が有利に変わる。これは2冊目に読んだ本とかなり重なる記述でした。 (ちなみに2冊目は『本調子2 プロは逆境でこそ笑う』という本です。) 逆境とか失敗とか不利とかいうものは、 「正直」にそれを語ればかえって「協力」を得られる。 長い目で見れば、それはすばらしい財産となる。 なかなか、正直に助けを求める、というのができないのですが。 それでも、本当に追い詰められた時は、 下手なプライドを守っている場合ではなくなります。 それがかえって、いいんでしょうね。・「場数を踏むことが何より重要」・会社ほど自分の武器が磨ける場所はない。 企業は個人にとって最高の修行先(ビジネススクール)・「会社と自分のベクトルの和を最大にしよう」・自分の理想的な生き方を追求しながら、 相手の生き方も尊重して、 両者が納得のいくツボを探し続ける。 そんなベクトル合わせをすることなしに、 (仕事以外でも)結婚生活を円満に過ごそうなんて無理な話です。・ベクトル合わせでは、ロールプレイングの能力が大切。 相手の身になって 相手がどんなシナリオで動くかを考えてみる。 初対面の人にライフストーリーを尋ねるのも、 相手にとって何が一番大切なのか、 相手が描いているシナリオを読み取るためです。==============================35歳に限らず、これからの世の中に生きるために大事なことが書いてあると思います。「ベクトル合わせ」っていうのが、僕にはかなりイメージしやすい言葉でした。自分のベクトルも伸ばしていかないといけないし、相手のベクトルも汲みとっていかないといけませんね。ブログを読んでいただいて、ありがとうございます。 もし共感してくださる部分がありましたら、 以下のバナーをクリックしていただけるとうれしいです。 ブログ王ランキング にかとまの読書メモリスト
2011.08.06
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この土日は自然学校の引率でした。今日が最終日。みんないい顔で帰っていきました。さて、今日は久々に一人さんの本を紹介します。『愛される人生』(斎藤一人、KKロングセラーズ、2011、1600円、※CD2枚付き)例によって、まったく個人的な読書メモです。==============================『斎藤一人 愛される人生』1・全力で、今をしあわせに生きよう・恐怖からしあわせは生まれない・冷静に相手を評価すると50点 → 喜ばそうと思ったら、 90点ぐらいに見てあげなきゃいけない ★4割乗せたときから、いくらか相手が喜んでくれる。・相手が喜んだとき、自分もうれしくなっちゃう・人を喜ばせる以上の楽しみは「ない」・自分を先にするより、相手が楽しむことを先に考えると、 もっと、もっと自分が楽しくなってくる。 自分の楽しみを優先したときの何倍、何十倍も楽しいんだよ・「仕事はゲームだ」 たとえば、今月の売り上げが先月より1万円多かったら、勝ち。 1点獲得。 2万円多かったら、2点獲得。 このゲームに名前をつける。 「じゃんじゃんバリバリゲーム」・今日1日、部長が怒鳴る回数の予想を立てる(笑)★怒鳴られることをおそれてるか、ゲームにするかで、全然、違う・「誰もわかってくれなくていい。 オレ一人でもやる」 といってがんばってる人は、ふり返ると、おおぜい人がついてくる。(p75(第2章の終わり)まで)==============================人に怒鳴られる、というのは、すごくイヤな体験。でも、そんなイヤな体験も、ゲームにしてしまう。一人さんの考え方は、まるで「負け」のないゲームをしているかのよう。これなら絶対人生大丈夫、楽しくてしょうがない、という考え方です。しんどいときこそ、こういった一人さんの言葉は大変助けになります。 僕は昔から、人生はゲームだと思っています。でも、その割には深刻に考えすぎることが多かったりして・・・。もっと軽く考えて、お気楽に、肯定的にとらえていけばいいのかもしれません。 さあ、あなたも今から、「じゃんじゃんバリバリゲーム」 で人を喜ばせていきましょう♪ つづきはまた今度。ここまで読んでいただいて感謝します。 ブログを応援していただける方は、ぜひ1×3クリックをお願いします。↓ ブログ王ランキング にかとまの読書メモリスト
2011.05.24
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昨晩は、職場に新しくこられた方の歓迎会でした。「この人はだれでしょう?」ゲームの司会をしました。モノを用意したり、モノマネをしたり・・・事前に「どうやっておもしろくしようか」と考えたことのうち、おおかたは実行できたので、よかったです。成功したかどうかは、微妙ですが。(^。^;)それはさておき、本の紹介の続きです。平野秀典さんの本、『共感力』。 いい本です。 『共感力』 (平野秀典、大和書房、2006、1400円)本日は第3回。============================= 『共感力』3 (p172~188)・自分だけが輝くと 影ができる。 まわりを輝かせて、 その明かりで輝けば、 影ができない。けだし、名言です。 自分ばかりが輝くことを考えていては、いけませんね。 人が先、自分が後。 僕は自分のやりたいことばかりを優先してしまうことがよくあります。 でも、自分のやりたいことを優先したときの しっぺがえしは、けっこう後が怖かったりします。(>。<;) ・「同情」は相手が「可哀想」と思える感情ですから、 どうしても縦の関係性を創り出します。・「共感」は相手の感情を相手の立場で共に感じる・時を重ねた夫婦のように、 ただ横に寄り添うことで、 喜びを2倍に、悲しみを半分にするという好ましい関係性この比喩が、けっこうわかりやすかったです。 僕ら夫婦はまだそんなに時を重ねていないですけど。 50年ぐらい経つと、だいぶ関係がこなれていそうですね。 通じ合う、というか。 ・垂直ではなく水平の関係性で人を動かす時代・「目前心後」:「目は前に向けて、心は後ろに持ちなさい」・目を前に向け、理想や志を掲げ、 ひたすらに歩く姿に 人は共感します。・「この指止まれ」の遊びのように、 指を高く掲げて理想や夢を発信する人のところに 共鳴する人は集まります。・夢を語りながらも、心を後ろに置いて常に自分を見つめること。 ・「言行一致」、言葉と行動が一致しているかいないかは、 その人の後ろ姿に表れる僕はかなりの「言行不一致」人間でした。 今は少しでもそのパーセンテージを落とそうとしているところです。 今までの休日、「今日の晩御飯は僕が作る」と言っていたときも 結局作っていませんでした(>。<) でも、今日は作りました。 約束を守るのは当たり前ですが・・・。 ちなみに、カレーです。。。 (p188までの気に入った言葉より) ===========================一度読み終わった本ですが、非常にいいことが書いてあります。ブログに書くために本を読み返すのが楽しみです。まだあと30ページほど残しています。 それはまた次回に。 ここまで読んでいただいてありがとうございます。 応援していただける方は、ぜひクリックをお願いします。↓ ブログ王ランキング にかとまの読書メモリスト
2011.05.14
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先ほどまで3・4年生に見せる震災のパワーポイント資料を作っていました。昨年作成したパワーポイントに「メモ」も残していたのでだいぶ時間の節約ができました。「メモ」機能を活用すると、備忘録にいいですね。さて、今日も読書メモの続きを書きます。『斎藤一人の道は開ける』(永松茂久、PHP文庫、2010/11、600円) 今日で第8回。 ==============================『斎藤一人の道は開ける』 8(p185~p218まで。 「 」は一人さんの言葉からの抜粋です。)第7章 自分の道の歩き方・覚悟・「(伸びている最中は)上を目指してピーンっと張るんだよ」 ・僕らはまだ伸び盛り・背筋をピーンと伸ばして生きていっていいんだ。・「一段階上に登ったら、 すぐ次を目指そうとするんじゃなくて、 1回下に降りるの。 そして、下の層をつくるんだよ」下に降りるって、どういうこと?・「教えることだな。 いま、自分にできることを一生懸命やって、 それで学んだことを今度は教えるんだよ。 下の人たちを引っ張り上げる」・まわりの人たちと一緒に登っていく。 ピラミッド型の成長・「自分って すごく 小さいんだよ。 お世話になりっぱなしの人生だよ」・「苦労よりも、 自分が助けてもらったことの方が ずっと多いの」・「なんせ俺たちは、 ものすごく小さな自分だから。 そのことを分からなくちゃダメなんだ」・「やっと自分が食えるようになったら、 自分がみんなのためにできることってなんだろうって 考えなきゃダメ」・「親が産んでくれなかったら 生きてないんだから」 ★楽しく機嫌よくしていると なぜか必ずいい方向へ向かっていく・「自分がワクワクするほうを選ぶんだよ」(第7章より(p218まで))============================== 一人さんの考え方は、自分だけでなく、みんなが幸せになる考え方ですね。 次回で終わり、終章です。 それでは、また。 ここまで読んでいただいてありがとうございます。 応援していただける方は、ぜひクリックをお願いします。↓ ブログ王ランキング
2011.01.12
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めずらしく?仕事していた休日。市内統一学力テスト、成績集計 完了!音楽会職員バンド演奏曲楽譜すべて用意 完了!同 練習日程表 作成 完了!「お知らせメール」全保護者のクラスデータ追加登録 準備完了!これで明日を迎えられます。(^^)さて、今日は前回予告していた中村文昭さんの著書紹介。同じタイトルで3冊出ています。『お金でなく、人のご縁ででっかく生きろ!』『お金でなく、人のご縁ででっかく生きろ!(2(出会い編))』『お金でなく、人のご縁ででっかく生きろ!(コミック版)』今日はその中から、今日読み終えたばかりの『お金でなく、人のご縁ででっかく生きろ!(2(出会い編))』をご紹介。==============================『お金でなく、人のご縁ででっかく生きろ!(2(出会い編))』読書メモ(・は本の内容、#の緑文字は僕のコメントです。)<親の代から「人好き・人たらし」> ・家族でどこかへピクニックに行こうというとき、 母は、 そんなにたくさん、いったい誰が食べるんだ? というくらい 団子をつくる。 パッと上着を脱ぐと、風呂敷代わりにして団子を載せて、 全然知らない人のところに配って歩くのです。 そうして配りに行ったまま、 母は、しばらく戻ってきません。 いっときのおしゃべりが延々と長引き、 笑い声が上がり、さんざん盛り上がっているのです。 隣村の家族も都会から来たカップルも、 そこにピクニックに来ていた人はみな、 すでに母の「友だち」になっていました。#仲間づくりは一瞬でできるものなのですね。 文昭さんのお母さんも、文昭さん同様、 出会いの「ご縁」づくりの達人でした! <腕でなく口でなく、背中で教えろ!>・息子たちに 「履き物をきちんとそろえること」 ということが「普通」になるようにしたい。 ↓ 僕らのポイントは、子どもにそれを強要しないこと。 子どもの周辺の大人たち、僕らの両親、僕と妻は、 つねにそろっている靴を子どもに見せていこうと決めた。 子どもにはそろっている靴だけを履かせるようにした。 子どもがそろえなかったときは、 「そろえなさい」と言わずに、 黙って大人がそろえておいた。 ↓ そろった靴しか履かないことを毎日毎日刷り込んだ結果、 そろっていないことに違和感をもつようになった。・自分の子どものころを思い出すと、 好きな科目イコール好きな先生でした。 好きな先生だから、 ほめてもらいたくて勉強するし、 好きな先生の話だから聞くのです。 <悩みや弱点はウリにしたとき 強みになる>・弱みや悩みは、じつは自分だけのネタになりやすい。・「この苦しさは、やがて子どもに語れるネタになる、 だから乗り越えようぜ」 と、まじないのように自分に言い聞かせてみては?#自分だけの弱点を、平気でさらせる、ネタに変えられる、 そんな生き方に憧れます。 逆に言えば、それができれば、人間、180度変われるのですね。 <とことん打ち込む姿には味方が集まってくる>・人を動かそうとするのではなく、 まず自分自身が一生懸命になることで まわりを変える底力がつく。 <親公認の家出少年・証明書>・中学卒業後、親公認の「乞食」として 放浪の旅をした宮田少年・感謝の気持ちを地の底で学んだ・子どものためを思うと、どうしても与えることばかりに 目が向いてしまう。 親心ではありますが、「もっともっと病」がここにもある。 いわば「足し算教育」。・しかし、宮田さんは必要最小限、いや、もしかしたら 足りない 足りない という、 極限を味わう育てられ方をしました。 これを僕は「引き算教育」と名づけました。・与えられないことで、 欲しいものが見えてくるし、強くなれる。 飢えたときほど、渇いたときほど、 やっと手にした食べ物や水がうまいのと同じです。 <「悩み」と「志」で心が裸になったときにチャンスあり>・悩んでいるとき、どん底のとき、 本音が出て 人は裸になります。 余裕がなくて、ならざるをえないのです。 また、人生の志を考えるようなときも、 その人の素が出るものです。 だから、心が裸になったとき、 大人になっても 親友ができるのです。・「近ごろあいつ、ちょっと問題だな。 今のうちに一言言ってやらにゃあな」というとき・・・ 「ちょっと飲みに行こか」 「メシでも食って個人ミーティングしよか」 と誘います。 まずはバカをやって笑わせ、 相手の舌も滑らかになってきたところで、 「おまえ、このごろどうしたんや? 地に足ついてないな」 と、切り出します。 打ち解けて話しやすい雰囲気にしてから、 本音を引き出すのです。==============================非常に印象深い、びっくりするような人たちとの出会いが本書では次から次へと語られます。上で引用したのは、ほんの一部分にすぎません。「こんな人もいるのか!」と刺激を受けたい人は、ぜひ読んでほしい本だと思います。『お金でなく、人のご縁ででっかく生きろ!(2(出会い編))』(中村文昭、サンマーク出版、2005、1300円)中村文昭さんについてはブログ過去記事でも、何度かふれています。文昭さんに刺激を受けて書いた文章は、それを読むだけでも、元気になります。▼楽しむには全力でやることだ ▼中村文昭さん講演~みるみる元気がわいてくる!(^0^) 中村文昭さんの講演は、ネットからのダウンロードで購入できます。▼中村文昭の「人を活かす人になれ!」▼中村文昭特別セット!龍になれ! プレゼント付!(リンク先で試聴できます。)↓(^0^)いつも読んでくださって、感謝します! ブログを応援してくださる方はクリックしてください!(^^;) ブログ王ランキング
2010.10.31
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表現者「たけ」さんのポストカードです。 さきほど正観さんの本の紹介をブログに書きました。そのときに偶然行き当たった「たけ」さん。=========================2001年10月に突然、脳梗塞で倒れ、48時間後に救出されたものの、言語障害、聴覚障害、右手麻痺、失語症という重い後遺症を残す。(公式ホームページのプロフィールより)=========================という障害をお持ちなのですが、「しゃべれないのに講演会をおこなう」という活動をされています。=========================たけはしゃべれないし、パワーポイントを使用して、講演します。代読の方が必要な時もあります。「ありがとうプロジェクト」いろんな方から興味を持ってくださって、ほんまにありがたいです。「人から何かもらったら何と言う?」「人から何かやってもらったら何と言う?」「そうですね、ありがとうですね」「じゃ苦しい時は何と言う?」こんな始まりで、たけの日本一無口の講演がスタートします。「難」が「有る」から「有難う」ありがとうのパワーをもっと広がってほしい...そんな気持ちで、たけは「ありがとうプロジェクト」500箇所講演活動中です。(公式ホームページの「日本一無口な講演会」より)=========================小・中学校を、無報酬で回っておられます。うちの学校にも来てもらいたいな。 明日、三宮まで「たけ」さんに会いに行くかもしれません。ホームページで見られるポストカードが、どれも本当にいい感じ♪なのです。この記事の最初の画像も、その一つです。正観さんの本つながりで、前回行き当たったのはこちら。作品詳細ページの説明も、合わせてお読みくださいね。 ↓(^0^)いつも読んでくださって、感謝します! ブログを応援してくださる方はクリックいただければ、うれしいです。(^^;) ブログ王ランキング
2010.09.11
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このブログでは恒例の「読書メモ」ですが、『音楽療法士のしごと』という本との対話を続けます。なかなか終わらないので、とばしていきたいのですが、ちょっと立ち止まって読んでおきたい話ばかりで、なかなか進みません。(^^;)♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~◆『音楽療法士のしごと』との対話 その8==================: 本からの抜粋 : にかとまのコメント (絵文字以降)==================: 療法士自身のキャラクターも生かしていなければ、 プロとしても魅力がない。(p128): それは、「教育」を仕事とする僕も思います。 やはり、人それぞれ、自分のキャラというものがある。 それを無視して、人の「いい実践」をまねしようとしても、 限界がある。 まねするのは大事ですけどね。 自分の核となる部分から、どう自分を育てていけるか。: 自分の持っている性格を音楽療法にどう生かしていくかということ。 自分も育っていくという観念がないと。(p130): 自分に自信を持ってやっていく一方で、 成長するという意識がなく、「もう十分やれている」と思ってしまうのは こわいですね。: これで良いと思ってしまった瞬間に、 魅力は魅力でなくなるということもある。(p131) ある意味で一生かかって成長していくしかない。(p133): ふむふむ。 「相手」だけ見ていればいいものではないんですね。: 自分のことは放っておいて、相手を治そうとか、 分析をしようと思っても、無理。 相手を弱者とみて、正義心とか憐れみで対するのではなくて、 共存しているのだ、 お互いに生かしあっているんだという感覚 を持つことが必要。(p136)(p137まで)♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~♪~今回はここまで。またまた、つづく! 引用文献: 『音楽療法士のしごと』(生野里花 、春秋社、1998、2000円) ↓応援のクリックを ブログ王ランキング
2010.08.12
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ちょっと空きましたが、続きものの「読書メモ」の続き。 『1日1分元気になる法則』(福島正伸、中経出版、2010、1300円)今回が、第4回です。==========================『1日1分元気になる法則』読書メモ4 (p84~p)(・は本の記述の抜粋、#の緑文字は僕のコメントです。)・信頼されたとき、 人は信頼に応えたいと努力する。・「その社員を信頼する勇気を持つこと」・リーダーや上司になる人は、 人を信頼して、受け入れる勇気が必要・たとえば 「今日も会社へ来てくれてありがとう」 と思いながら、 朝のあいさつをするかしないか#ドキッとしました。 そんなこと思いながら、あいさつしてません。 というか、人によって、自分が避けられていそうな人には あいさつをするのを自分から避けています。 それに対して、 「今日も来てくれてありがとう」とか 「今日も出会えて、よかった。/ありがたい。」といった 感情・・・ これは、対極にありますね。 これを読んで、そう思いたい、そうありたい、 と思いました。 "To be, or not to be." そうあるか、それともそうあらないか、 そういう、あり方が大切である。 「あいさつをする」という行為の裏側にある、 感情のあり方が、試されている、と思います。 (誰に?(^_^;))・自分が成長することの楽しさがわかってくると、 他人の長所からひとつでも多くのことを学びたくなってきます。 そして、「ありがとう、教えてくれて」というふうに、 自分が学ぶべきことに気づかせてくれる他人に、 感謝したくなってくる。・相手の欠点からも、学ぶことができるようになる・ 部下を育てる =やる気にさせる ↑ 上司が部下から学ぶ・新入社員が話す内容を聞いて、 上司は、自分が新入社員だったころのことを思い出して 「おれも、そういう気持ちで、この会社に入ったんだったなあ」 と、志を新たにする。・若い社員の持っている情熱や純粋さ、吸収力などを見て、 上司が自分に足りないところを反省し、成長につなげます。 そういう上司がたくさんいる会社ほど、 若い社員も学ぶ姿勢を持つ#学校も同じ。 教師が学ぶ姿勢を持つなら、 子どもは学ぶ姿勢を持つだろう、と思います。 子どもから学んでいたか。 今日も、反省です。(>。<)△上司が教えることばかりを意識していると、 部下の欠点ばかりが気になってしまいます。◎相手の長所を見ても、短所を見ても 学ぶことができると考えると、 それぞれに個性を認め、尊重し合うことができるようになる。(p95まで)==========================この本、学ぶことが多いので、引用が多くなっています。これでもかなり厳選しているのですが・・・。まあ、それはそれとして、このままこの本の読書メモは続けていきます。次回の更新も、お楽しみに。(^0^) ブログ王ランキング ▲よければ応援のクリックをお願いします。感謝します!
2010.06.24
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またまたすごい本を読んでしまいました。前から気になっていたこの本、図書館で借りられたので、読破しました。この本に書いてあることが、今の教育には必要だと思います。『子どもが輝く「魔法の掃除」~自問清掃のヒミツ』(平田治、三五館、2005、1400円)============================【内容情報】(「BOOK」データベースより)心を磨く魔法の掃除「自問清掃」を知っていますか。子どもから「自発性」を引き出す、二十一世紀の人間教育のことです。この本では、感動的な子ども達の姿を示しながら、「自問清掃」での魔法のかけ方、自発性の引き出し方をたどっていきます。 【目次】(「BOOK」データベースより)1 私の奮闘記/2 「自問清掃」参観/3 「自問清掃」で育つ/4 魔法の「種を蒔く」/5 魔法の「水をやる」/6 「出た芽」を育てる/7 「道徳」で深める/8 「自問」を活かして/9 「自問清掃」を深めるQ&A============================図書館の本ですので線は引けませんでしたが線を引きたいところが山ほどありました。代わりに付箋を貼ったら、付箋が山ほどついてしまいました。その、付箋をつけたところを、今から読み返していき、読書メモとして記録しておきます。===========================『子どもが輝く「魔法の掃除」~自問清掃のヒミツ』 読書メモ1(第2章まで。 #の緑文字は僕のコメントです。))・「自問清掃」・私たち大人が、子どもに何かやらせようとする姿勢から、 自ら何かをやろうとする姿勢に、自分の生き方を転換できますか、 というメッセージが含まれている。・子どもを変えよう変えようなどと考えずに、 「自問」の場に共に立つことです。 掃除の時間では、自分もまっさらな一人の人間になって、 自分の心磨きに専心すればよい。#ここにおいて、自分の課題と、昨今の「教育」の課題は一致します。 こういった読書メモを書いて、自分が成長しようとすることと、 子どもたちの教育に生かそうということも、 同じ発想によるものです。 つまり、「させようとする前に、自分からする」 子どもと共に、大人も同じ成長の舞台に立つということです。 ただ、惜しむらくは、自分の場合、 「実践」が足りないのです。(>。<) 「掃除」は、「実践」の最も端的で、日常的に、身近なものです。・床を磨けば、心も磨かれるなどとは考えない。 むしろ逆に、心を磨こう磨こうとしていると、 結果として校舎もきれいになってしまうと、発想を逆転するわけです。 逆転発想の掃除です。#こういう、「逆転発想」という考え方、大好きです。 発想の面白さ、意外な解決は、「逆転発想」から生まれます。・「自問清掃」の核心は、「信じて待つ」・「自問清掃」では、掃除を堂々と休んでよいことになっている。 全員の子どもが一人残らず働いていることの方が 異常だと考えるからです。・座って休んでいることを、サボっているとは見ない。 一心に掃除している子どももいる、 黙って座って休んでいる子どももいる。 それが、なんの違和感もなく共存しているのは、 たいへん素敵なことです。 ・掃除は嫌なものか?・「指導者は始導者」・その発想の根本には禅(行)の思想もある。(p61まで)===========================長くなるので、次回に続きます。 この本には続編もあります。こちらもぜひ読んでみたいです。↓『「魔法の掃除」13カ月~「Iメッセージ」を語れる教師』(平田治、三五館、2007、1400円)============================【内容情報】(「BOOK」データベースより)ほめない、叱らない、比べないから子どもが伸びる。そんな先生いていいの?【目次】(「BOOK」データベースより)授業開き 「自問清掃」とは何か?/四月 自発性を信じて/五月 自発性を引き出す/六月 輝き出す子どもたち/七月 波を広げる/八月 「信じて待つ」/九月 生活への広がり/十月 熟成される心/十一月 確実な歩みのために/十二月 成長を確かめる/新たな段階への挑戦/休むことと自律の意味/理念と実践と/反「自問」の清掃方式============================ ブログ王ランキング ▲よければ1クリックお願いします。ブログ継続の力となります。
2010.05.26
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『つなげる力』(藤原和博、文藝春秋、1500円)============================【目次】(「BOOK」データベースより)第1章 つなげることで世界は変わる第2章 学校と塾をつなげる第3章 正解のない問題に取り組む第4章 情報編集力のテクニック第5章 子どもたちと世界をつなげる第6章 人を動かす第7章 偶然をつなげる============================ちょっと前に読んだ本ですが、よかったです。著者の藤原和博先生は、民間校長として有名な方で、かなり多数の著書を書かれています。具体的で胸のすく実践事例が多くあり、全校的な取組や、地域を巻き込む取組をしようとしたときには非常に参考になります。以前線を引いたところを読み返しながら、具体的に本書の中の言葉を抜粋して紹介します。============================『つなげる力』読書メモ1 (p83まで)・教育現場の正解主義を払しょくせよ・正解のない問題にどのように取り組んでいくか・現代社会のさまざまな問題は、 「つなげる」ことでドラマチックに解決していく。・三方一両得(トライアングル・ハッピー)・「学校支援地域本部」↑藤原校長の取組をモデルとして文科省が全国普及に乗り出したものです。・コミュニケーションの渦の中で 「ナナメの関係」をはぐくみながら成長する。・宿題を中心に自学自習する土曜寺子屋「ドテラ」・非常に厚い落ちこぼれ対策 + できる子、もっと先に進みたい子のためのプロジェクト ・英語アドベンチャーコース 大学の先生や塾の講師の力も借りて、文字どおり総力戦を試みた。・英語リーダーたちが授業でもほかの子を教えるという好循環を生んだ・生徒同士で学び合う ・「塾」 と 「学校」 同じ一人の生徒を両側から支え合って、対峙するのではなく、 同じ方向を向いて歩けないのか ↓ 「夜スペ」 (サピックスという、塾の中の塾が、学校の校舎で、 公立中学の生徒の指導をする。)・それがどこに帰属する人であれ、 同志としてパートナーシップを組めるはずだ。・そもそも、多様化する子どもたちに公立学校がどう対応できるのか・英数国ともじっさいの世の中での現象と知識との 「つながり」を重視して教えてほしい・私は「不健全な理想主義」よりも、 目の前の子どもたちに対応する「健全な現実主義」をとりたい(p83まで)============================僕は本書の題名の「つなげる力」というのは、これからの学校や授業を改善するキーワードだと思っています。個人的にすごく注目している言葉です。 また次回も、後半を紹介します。 ブログ王ランキング ▲よければ1クリックお願いします。ブログ継続の力となります。
2010.05.06
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同じ学校の先生からお借りした本を、夏休みから今までにかけてずっと読んでいました。11月に僕たち夫婦に子どもが生まれるということで、貸していただきました。「子育て」についてのあたたかく確かなアドバイスが詰まっています。子育てを経験された、他の方からも「これがいいので読みなさい」と勧められている本です。読んでみて、私も同感です。すでに多くの方がご存じだと思いますが、例によって「読書メモ」としてブログ上に内容記録を残しておきたいと思います。子育てにかかわっておられる方は、ぜひぜひ、読まれることをお勧めします。おススメする度合いがとびきり高いので、普通の楽天画像リンクでは思いが伝わりません。特大画像で、貼り付けておきます。(笑)『子どもへのまなざし』 ~乳幼児期は、人間の基礎をつくるもっとも重要な時期です(佐々木正美、福音館書店、1998、1700円)===========================【目次】(「BOOK」データベースより)乳幼児期は人格の基礎をつくるとき/子どもをとりまく社会の変化/人と育ち合う育児/こんな気持ちで子育てを/生命との出会い/乳児期に人を信頼できると子どもは順調に育つ/子どもの望んだことを満たしてあげる/幼児期は自立へのステップの時期/しつけはくり返し教えること、そして待つこと/思いやりは身近な人とともに育つ/子ども同士の遊びのなかで生まれるもの/友達と学び合う時期/思春期は自分さがしの時期/豊かな社会がもたらしたもの/保母さん、幼稚園の先生へ/お母さんへ、お父さんへ ===========================以下、個人的に非常に感銘を受けた部分だけ抜粋してメモった読書メモです。(^。^)===========================『子どもへのまなざし』読書メモ1 (p86まで)(#は僕の個人的なコメントです。)・マニュアル通りに、育児をやろうとしても、うまくいかない。・なぜ育児が下手になったかというと、 それは人間関係が下手になったからだ。・親子関係だけを一生懸命やっても、親子の関係はうまくいかない。・多様な人間関係ができる人の方が、 それだけ子どもとの関係も柔軟にできる。・育児不安というのは、お母さんの自分の存在自体にたいする不安だ。・人間がみんな、自分の周囲の人と、おたがいに守り守られて生きている という気持ちになれば、存在への不安は小さくなる。・自分ひとりという気持ちになってしまうのがいけない。・教育とか育てるということは、待つことだ。・「ゆっくり待っていてあげるから、心配しなくていいよ」というメッセージを どう伝えてあげるか。・人間の体というのは、かならず治るほうにいく、 よくなるほうへいこうとするのです。 あるいは成長しようとする、発達しようとするのです。・ひそかに最善をつくして、じっと待っていればいいのです。・実際の育児は、育児書に書いてあるのよりは、ゆっくりめでいいのです。・昔の育児では、だれもあせらなかった。・「もう2度とこんなことするんじゃないぞ」なんていう必要はないのです。 それをいわないがまんというのも必要なのです。 「2度とするなよ」とか、「どうしてそんなばかなことをしたんだ」とか、 「どうして」なんて聞かれたって、子どもに答えられるものではないですよ。 #これ、僕はどうしても言ってしまっています。 #子どもが何か悪いことをした時、どんな言葉かけをするか。 #どうしても、「なんでそんなことするんや」「もうしないように」という #”指導”をしてしまいます。 #しかし、それでこどもは「よくなる」のか? #この場合、一番大切なことは何なのか? #結局、自分の「指導者」としての体裁を取り繕っているだけのような気がします。 #子どもを「包み込む」ような接し方ができるようになりたいです。 #「どうして」と聞かれて答えられるようなものではない、というのは、 #ある意味とてもよく分かります。 #「なぜ」と聞いてはいけない、というのは他の人間関係の本でも読んだような?・「おまえもあやまらなくちゃだめだ。頭をさげて」、なんてことは いわないでいてあげるのです。 親は自分のやすっぽいプライドなどはすっかり捨てて、 ただただあやまるのです。 #僕の好きな歌に「やきとりじいさん」という歌があります。 #その歌詞に「安いプライド 捨ててしまいましょう。何の役にも 立ちません。」 #というのが出てきます。 #僕の成長は、プライドをどれだけ捨てられるかにかかっていると #思うことがたびたびあります。 #子育てするうえで、大人のメンツとかプライドというのは、 #しばしば邪魔になるのでしょうね。 #「自分を客観視する」ということにも、つながると思います。 #大人が、我を通すと、子どもも、我を通します。 #大人が、調和を大事に考えると、子どもも、調和を大事に考えます。 #人間の芯には「大事なプライド」というものがありますが、 #「余計なプライド」というものもあります。 #「余計なプライド」は捨てる。 #僕はそのために、「考える前に動く」というのを心がけるようになりました。 #考えだすと、余計なプライドを守ろうとしてしまうような気がします。 #中村文昭さんが言う「返事は0.2秒」も、自分のプライドより #相手との信頼関係を優先するということだと思います。・子どもに伝えてやればいいのです。 お父さんもおまえのような年ごろのときには、 同じようなことをやって記憶があるということをね。・京都大学の霊長類研究所にいらっしゃった河合雅雄先生が、 現代はしばしば、人間である子どもをペットのように育ててしまって、 さあ適当な年齢になったから、野生のサルの群れのなかで、 生き生きと行動してらっしゃいと、解き放っているようなものだと おっしゃっています。・子どもたちから思いきり依存される保育者になってください、 そして思いきり反抗を受け止められる先生になってほしい。 ちょうど、ピッチャーのすばらしいスピードボールを、 しっかりとミットに受け取ったキャッチャーの喜びのようなものです。・子どもは親を信じているから反抗しているのだと、認識すればいい。・依存と反抗をくり返しながら、らせん階段をのぼるようにして 進展していく。(p86まで)===========================この本もまた、いい本なので、読書メモとして書き残したいことがいっぱいあります。そんなわけで、例によって次回に続きます。(^。^) ☆以下のブログランキングに参加しています。日記に共感していただけた方はどうかクリックください。ここまで読んでくださって、ありがとうございます。 (^0^) ブログ王ランキング
2009.10.18
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昨日のブログに、「人のことより自分のこと」と書きました。これ、一言ですが、すっごく重要だと思います。教育の現場では、「子どもをよくしよう」と思っている人が多いです。というか、そういう人ばっかりです。で、それは何によってもたらされるのか、といったときに、いろいろな言われ方で言われていますが、結局は、まず「自分をよくする」ということに尽きると思います。子どもの成長は、自分の成長の鏡でもあるのですね。だから、自分ができていないことを、口先だけ、言葉だけで子どもに指示する、ということは、あってはならないと思います。また、もしそうしたとしても、それで子どもが従わないからと言って怒るのは筋違いです。勉強を好きになる子に育てたいなら、まず自分が勉強を好きになること。やさしい子に育てたいなら、まず自分がやさしくなること。真剣に生きる子どもに育てたいなら、まず自分が真剣に生きること。学校現場ではいろんな子どもに出会います。僕の場合、「自分に甘い、いいかげんな子」を見ると、自分もいい加減だからなーと反省しています。学校では、日々自分と向き合っている気がしています。これを読まれている、学校の先生方や、保護者の方々、一緒に、「自分育て」をがんばりましょう。これは、とっても大事なことだと思ったので、その瞬間から、このブログのサブタイトルが変わりました。子どもの成長を目指すことは、自分の成長を目指すことと、イコールだな、としみじみと思ったからです。これがこのブログのコンセプトです。同意して下さる方が、今後もこのブログを見に来て下さることを、とても励みにしています。 ☆以下のブログランキングに参加しています。応援していただける方のクリックをお願いしています。ここまで読んでくださって、ありがとうございます。 (^0^) ブログ王ランキング
2009.10.12
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本日、勤務校に新しく入った階段昇降機の説明を業者から受けました。車いすの乗り換えが不要。今使っている物をそのまま載せて、階段を移動するタイプです。今までも「ステアエイド」というタイプを使っていたのですが、これは「大人用の車いす」に児童を乗せ換えて使用しなければなりませんでした。今回のものにはまだ慣れていませんが、金曜日以降、実際に使っていく予定です。ちなみに値段は134万円するそうです。(>。<)さすがに「楽天」では取り扱ってないだろうと検索をかけたら、同じものはヒットしませんでしたが、レール付きのものはヒットしました。●暮らしの空間が広がります。いす式階段昇降機 直線型(50万4000円)ちなみに「薬局」に売っているようです。すごい薬局があるものです・・・。 ☆以下のブログランキングに参加しています。応援していただける方のクリックをお願いします!(^0^)
2009.09.02
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いよいよ選挙が近づいてきました。今日、ハガキが送られてきました。どこに投票するか、非常に大事だと思います。特別支援教育や障害のある方にかかわっておられる方なら(本当はそうでない人も)ぜひ「障害者施策」や福祉について、どの党がどんな公約をしているか、知っておき、投票する際の参考にしたいものです。参考になりそうなWeb上の新聞記事を見つけました。よろしければご覧ください。▼社説:視点=衆院選 障害者施策 民主は本気なのか(毎日新聞)============================(部分抜粋:()は私の意見)・衆院解散で障害者自立支援法改正案など障害関係の重要法案が軒並み廃案となった。 (知りませんでした。残念です。現行の「自立支援法」は当事者の負担を増やしてしまい、福祉サービスを受けられなくなっているので、改正すべきだと思っています。)・民主党は障害者自立支援法が「国民的合意が得られていない」として廃止し、代わりに「障がい者総合福祉法(仮称)」の制定を公約にした。・改正案が廃案とならずに成立していれば、グループホームや相談支援事業の拡充がさらに見込めたはずだった。・民主党の障がい者総合福祉法は、(中略)障害者自身のニーズを優先したサービス支給の仕組みを作るなど、画期的な内容だ。・もしも政権交代すれば障害者施策は大前進するかもしれない。============================「かもしれない」というあたりが気になりますが、せっかくここまで選挙に向けて民意が盛り上がってきて、各政党も公約を具体的に出してきたんです。選挙の結果がどうあれ、みんなが望んでいる政策・当事者が望んでいる政策は実施してほしいです。 ↑ブログの内容を応援していただける方はクリックください!(^0^) 私が、どれだけ「民意を得ているか」(笑)の参考数値にさせていただいています。
2009.08.20
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昨日(8月14日)、水害被害にあった佐用町にボランティアに行ってきました。同じようにボランティアに関心のある人がたくさんいると思います。ただ、まったく経験がないと、二の足を踏んでしまうことってけっこうないですか?そこで、「ボランティアと言っても、特別なことはなくて、たとえばこういうことをするんですよ」と安心してもらうために、体験記を簡単に書いておこうと思います。よかったら、ぜひ読んでくださいね。(^0^)佐用町ではまだボランティアを募集しています。神戸からはボランティアバスが出たりもしているようです。団体でまとめていく方が向こうも助かりますし、別々の車で行くより渋滞回避になります。個人が交通費を出さなくてもいいというメリットも。もし近くでこういった取組があるようでしたらぜひ利用されてはと思います。 参考▼【台風9号】ボランティア140人、バスで現地入り(産経ニュース)僕の場合は自分の車で、中国自動車道を使って行きました。佐用ICで下りました。佐用町内は、ボランティアの方の車や、災害支援車が乗り込んでいることなどから、一部の道路はわりと混み合っていました。(一般車は佐用町内に行くのを自粛してくださいという表示が出ています。)ボランティアセンターは、佐用町の社会福祉協議会のある場所にあり、広めの駐車場があります。(電話でお聞きしたところでは、佐用高校もボランティアセンターとして 機能されているようです。)ボランティアセンターでは、まず自分の名前等を登録します。個人の場合は、待合室である程度人数が集まるまで待ちます。僕の場合は他に2人の人と一緒になり、計3人で行動しました。係の方から説明を受け、「泥の除去」の仕事を請け負いました。スコップやデッキブラシを貸してもらい、僕の車に3人が乗り合わせて移動。「昨日もボランティアとして活動しました」という方と一緒だったので心強かったです。道中、川沿いの道を通りました。道路が泥だらけになっていたり、橋が流されていたり、線路が途中からなくなっていたり、家のものが積み重ねられて家の前にまとめて出されていたりしました。やはりニュースなどで知っているだけよりも現地で肌で感じられることの方が大きかったです。▲道路はところにより、まだかなり泥が残っていたりしました。 こういう泥が、民家や店の中や、ありとあらゆるところにまだまだ残っているのが そのときの状況でした。▲橋にはかなりいろいろなものがひっかかっていました。▲流されている橋も多く、鉄橋なども破壊されたり、流されたりしていました。 目的地では、1階が水浸しになり、大量の泥がまだ残っている状態。1階の床をひっぺがし、その下にたまっている泥をすくいだす作業。泥の中から、本が出てきたり、鏡が出てきたり、眼鏡が出てきたり・・・。そこの方のお話では「履き物が全部流された」そうです。1階に置いてあったものは「冷蔵庫までなくなった」とのこと。非常に驚きました。家の中の作業のほか、家の外の溝掃除もしました。なかなかの力仕事でしたが、大変親切にしていただき、大変気持ちよく作業させていただきました。ボランティアに行った僕たちの方がお世話をされているような感じで、恐縮しました。作業は途中、休憩をはさみながら、16時前には終わりましたが、ボランティアはどこも16時に終わることになっているので、帰りがかなり渋滞しました。かなりの数のボランティアの方が活動されていたのだと分かります。 以上で体験記を終わります。こういう肌で感じたことは、災害についての貴重な生の情報として2学期にぜひ学校の子どもたちに伝えておきたいと思います。(写真を撮るのも、本当はあまりしない方がいいと思うのですが、 子どもに伝えるときにあったほうがいいという思いから、 個人のところではない公共の道路や川の写真だけ撮らせてもらいました。)なお、このブログの情報はあくまで個人的な経験による断片情報なので、もしボランティアに行かれる場合は、佐用町のボランティアセンターなどが出されている公式で正確な情報を参照されますよう、お願いします。 ☆以下のブログランキングに参加しています。応援していただける方の1日1クリックをお願いします!(^0^)
2009.08.15
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前回の日記で「特別支援教育における交流」をテーマにしたのでそれに関連して、社会や地域における「交流」のことを書きます。私の人生目的の一つは「インクルーシヴ社会の実現」です。一言で言うと「排除しない社会」ということです。(インクルーシヴ:inclusiveは、排除する意味のエクスクルーシブexclusiveの反意語です。)これは「教育」の分野で、たとえば「学校の中だけ」で達成すればそれでいいというものではない。社会全体が変わっていかなければと思っています。そのために・・・ということで、すでになされているいろいろな取り組みに学ぶことが大事だと思っています。具体的には、いろいろあるのですが、前の自分が住んでいた地域の近くにもそういった理念を具体的に実現しようとするところがありました。神戸市灘区。灘区民センターから東に歩いてすぐのところに、「のびやかスペースあーち」というところがあります。2週間ほど前、灘区民での研修のついでに見学に行きました。公式サイトによると、===============================「あーち」は、「子育て支援を契機にした共生のまちづくり」を目的にした施設です。===============================とあります。多くの方がボランティアとしてもかかわっておられるようで、いろんな方が楽しめるよう、アートセラピーなど多彩なプログラムが設定されているようです。(プログラムに参加せずに自由に過ごすこともできます。)▲「あーち」の建物に貼ってあった案内です。(^^)大変いろいろな活動をされているのですが、ここの機能の一つとして、私が大きく注目しているのは神戸大学の津田先生が中心になって進められている「居場所づくり」です。手元に、「居場所づくり」をタイトルに説明してあるパンフレットがあるので、そこから少し引用します。===========================【目的】障害のある人たちの遊びを地域で支えることを通して、以下の効果を生み出します。(1) 障害のある人たちの社会参加や自己実現を支援します。(2) 地域住民や学生が障害のある人たちへの支援について学ぶ機会をつくります。(3) インクルーシヴな社会の向かう地域の変容を生み出します。===========================この理念は、私がめざそうとしているもの、そのものです。「居場所づくり」の活動は「あーち」の多彩なプログラムの一つであり、毎週金曜日の15時から18時までおこなわれているようです。私は数年前、「あーち」ができて間もなくのことからこれに注目していて、ぜひ一度活動を見学に行きたいと思っています。(^^)なお、ここの「基本方針」は、「特別支援教育」における多様なニーズも汲み取った上で、学校や社会をどうしていくかということとかなり重なると思いますので、これもまた「あーち」のサイトより引用します。 ==============================「あーち」基本方針 より(1) 誰もが暖かく迎え入れられるような雰囲気をつくります。・人の問題(ホスピタリティ)と、施設設計の問題(暖かい雰囲気の空間)に留意します。・乳幼児から高齢者まで、障害のあるなし・性別・国籍・門地にかかわらず、 属性だけで排除することのない関係を形成します。(2) 誰もが安心して居ることのできることを求めることができるような工夫をします。・空間的、人間関係、役割に留意します。・安心は、年齢や属性などによって個別に異なることを念頭に置いて工夫します。(3) 来場者がお互いに関心をもち、関わり合うことができるような工夫をします。・空間設計の面で工夫すると同時に、事業展開上でも工夫します。・それぞれが他者の存在を安易に評価しないような状況をつくります。(4) 誰もが自己表現の機会を得て、他者がその表現にしっかりと向き合うことができるような工夫をします。・事業内容や働きかけの方法といった点での工夫をします。・自己表現を促すばかりでなく、他者の表現と向き合う人たちの力量形成も課題にします。(5) そのコミュニティが自律的に活動することができるよう、専門的に支援します。・来場者がより自由に行為できるような工夫をします。・来場者の仲間づくりを支援します。==============================こういった地域での取組が、世間的にも注目され、どんどん支援の輪や関わり合いの輪がひろがっていき、誰もが生きやすい社会の実現につながっていけばと思います。 ☆以下のブログランキングに参加しています。応援していただける方の1日1クリックをお願いします。(^0^)
2009.08.13
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今日は、兵庫県姫路市で、「交流及び共同学習の推進」をテーマに研修しました。講師は国立特別支援教育総合研究所の藤本裕人(ひろと)先生です。新学習指導要領で特別支援学校の「交流及び共同学習」は、努力から義務に変わったことにふれられました。また、小中学校での特別支援学級在籍児童の「交流」についての調査結果について、発表されました。様々なグラフで、人数の割合などを知ることができたのは勉強になりました。上のグラフは、最初の方で見せていただいたグラフの一例です。 1週間の授業時間が、まあ大体25~28時間だとして、その半分までが圧倒的に多いものの、半分以上が交流というのも実態としてはそれなりにあることが分かります。他のグラフでは、たとえば「国語」「算数」での交流も少数ながらでも実際におこなわれていることが分かりました。やはり教科別にみると「国語」「算数」「英語」の3教科は交流がしにくいようです。(一番比率的に交流がされていなかった教科は「算数・数学」でした。)詳しい報告は国立特別支援教育総合研究所でダウンロードできるこの報告書に載っています。↓▼「交流及び共同学習」の推進に関する実際的研究(PDFファイル)【小・中学校における障害のある子どもへの「教育支援体制に関する在り方」及び「交流及び共同学習」の推進に関する実際的研究】なかなかこういう調査がされていないことがあり、非常に有意義な調査だと感じました。ただ、「特別支援学級担任と交流学級担任の連携」や「交流学級や教科担当の先生が、障害のある子も含めて授業をデザインしていこうという意欲や工夫・配慮」についてまで踏み込んで調べておられなかったので、本当はそのあたりのことまでお聞きしたかったな、と思いました。そこの部分が、私は一番大事だと思います。「交流及び共同学習」や「インクルーシブ教育」というのは、私は大変重要なことだと考えています。なかなかこの部分が進んでいかないので、私は私として何をやっていくかということを常に問題意識として持っています。このブログをご覧の皆さまでもし何か情報をお持ちの方がいらっしゃいましたらぜひお寄せください。(^^) さて、全く別の件ですが個人的に「中学校での通級」というものがあるのかどうか、というのが気になっていたのですが、これもグラフで示され、それを見ると小学校の20分の1くらいでしたがあることはあることが分かりました。(^^;)「ほかがどうやっているか」とか「全体としてはどうなのか」というのを気にするというのは、大変日本人的な傾向なのかもしれませんが、私はそういうことが気になりますので、こういうことを教えてもらえたのはよかったと思います。(^0^)皆さん、共に勉強していきましょう! ☆ブログランキングに参加しています。応援していただける方の1日1クリックをお願いします。
2009.08.12
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佐用町の様子をテレビや新聞で見るにつけ、これはかけつけた方がいいか、何かできることはないか、と思います。思い出すのは豊岡の水害の後、ボランティアで行った時のことです。泥まみれのものや、流されてきた大木や大石など、どかす作業、きれいに洗う作業は災害後数週間後でもまだ山積みの状況でした。今回も、同じような支援が必要ではないかという気がします。豊岡のときは、他の先生に連れて行っていただきました。あのときの経験があるおかげで、今回は一人でもしっかりやってこれそうな気がしています。ただ、事前によく調べてから行かないと、迷惑になることがあるので、調べてみました。◆ボランティア志願者に「指示仰いで」 県(神戸新聞 記事)より==========================■災害ボランティアの心得一、被災地ではボランティアセンターで受け付けを一、被災者の気持ちやプライバシーに配慮し、マナーある行動と言葉遣いを一、マスクや長靴、ゴム手袋、水、食料などの装備は自前で用意を一、休憩と水分補給を心がけ、無理のない活動を(全国社会福祉協議会の注意事項などから)==========================◆ひょうごボランタリープラザ 災害関連情報 より==========================【ボランティア募集】佐用町災害ボランティアセンターでは、家の泥のかき出し、タタミや家財道具の搬出等のボランティアを募集しています。詳細については下記にご連絡ください。 ●佐用町災害ボランティアセンター TEL:0790-78-0830 ※ボランティアの際は、手袋・ぞうきん・カッパ・タオル・飲料水などを持参ください。 ※活動の前に、内閣府が出している「現在のボランティア関係情報」をご覧ください。==========================内閣府の「現在のボランティア関係情報」には、ボランティアの心得が分かりやすくまとめられています。現地に行かなくても、その分の交通費をお金で支援するという方法もある、といった、多面的なみかたが書かれています。確かに募金という手もありますが、できれば現地に行きたいと思います。明日12日は姫路に出張、13日は親族で集まるので行くとしたら14日です。情報を気をつけて見ておこうと思います。
2009.08.11
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兵庫県西脇市で心肺蘇生法講習会に出席しました。帰宅が22時半になりましたが、非常に有意義な会でした。講師で来ていただいた冨原先生のサイトに、関係の情報はいろいろまとめられているようです。◆冨原循環器科・内科◆冨原先生のブログ冨原先生は、「冨原循環器科・内科」院長。地元を拠点に『命の大切さ』を訴える活動をしています。 (ブログ掲載のプロフィールより)この先生の「命の教育」講演(命を大切にし、人の命を救う行為の尊さを知ってもらう講演)の中学生受講者数が、昨年20000人(2万人!)を超えたそうです。「救急救命率」の向上のために地域医療に尽力されているすばらしい方だと思いました。
2009.07.22
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今日も、つい先ほど、KAGACでの教員免許更新eラーニングを受けてみました。今回は「国際理解教育」その意義を解説する講義で、のっけから、「世界がもし100人の村だったら」の全文が紹介されました。これ、以前に読んだことはありました。しかし、それからだいぶ経っています。かなりその事実を忘れていました。あらためて読むと、非常に驚愕の事実がそこにあります。最近では、「動画」で分かりやすく解説してあるサイトもあります。一度読んだことがある方も、この機会にもう一度読んでみてはいかがでしょうか。ぜひ!◆動画で見る100人の村 (内閣府認証 特定非営利活動法人 NPOオアシス) ※このサイトでは、オフラインで見られるファイルのダウンロードもできるようです。たとえば、私が驚いたのは以下のような部分です。以下、「世界がもし100人の村だったら」Web版より引用========================6人が全世界の富の59%を所有し、その6人ともがアメリカ国籍 80人は標準以下の居住環境に住み 70人は文字が読めません ========================世界の現実の不平等性には、愕然とします。こういう事実を知るということ、それが何より大切なのだな、と思い知らされます。「世界がもし100人の村だったら」の中でも、次のような言葉で呼びかけられています。========================もしこのように、縮小された全体図から私達の世界を見るなら、相手をあるがままに受け入れること、自分と違う人を理解すること、そして、そういう事実を知るための教育がいかに必要かは火をみるよりあきらかです。 ========================国際理解教育をなぜするのか、という原点が、こういった世界の情勢にあるのですね。 ↓内容が役立った方、ブログの趣旨に賛同される方、 ぜひ応援のクリックを(^・^)
2009.06.08
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もうずいぶん前から、ところかまわずあほみたいに本を読んでいます。もちろん風呂でも読んでいます。今日は最高記録でした。本のやめ時を失って、1時間半も湯船につかっていました。読んでいたのは兵庫教育文化研究所の『学力‐子どもからはじまる教育』です。(2008、800円)一般流通されていない本です。兵庫県内の学校に勤められている先生なら、もしかすると書架に入っているかもしれません。題名から、「学力」にしぼった本かなと思い今までちゃんと読まずにいたのですが、「学力」という語感よりも、むしろ副題の「子どもからはじまる教育」に象徴されるような、「教育」についての大きな方向性とか、子どもと共に教育を作っていく姿勢に満たされていて、己の勉強不足・認識不足を痛感する本でした。(今48ページ目まで読んだところで、まだ全然読めていません。これ以上の報告はまた後でするかもしれません。)内容的には、以下に紹介する評判の本(アマゾンで5つ星)とかなり大きくリンクしていると思います。『格差をなくせば子どもの学力は伸びる ~驚きのフィンランド教育』(福田誠治 、亜紀書房 、2007、1500円)===============================【内容情報】(「BOOK」データベースより)学校間格差、所得格差、ナシ、それで学力世界一。"平等"と"個性伸張"の二つを追ったフィンランド教育。その授業のありさまは、われわれ日本人の常識を超えている。果敢で、自由闊達で、理念の高い教育から逆照射される日本の教育のあるべき姿とは。 【目次】(「BOOK」データベースより)「格差がないこと」と「個性化」は矛盾しない-はじめに/第1章 「平等」と「個性」を両立させるフィンランド教育(フィンランドの教育制度/フィンランドの子どもたちの学び ほか)/第2章 学力差のある子を教える柔軟な方法-ストロンベリ小学校(「ゆとり」を生む複式学級-フースカ先生の授業風景/豊かな支援策と学年制の微妙なバランス-ハマライネン先生の授業風景 ほか)/第3章 地域になくてはならない学校-プーリ小学校(できる子は放っておいても大丈夫-トルッケル先生の授業風景/「数学を学ぶ子ども」を支援するのが数学教師-ロホヤ市の教育方針)/第4章 忍耐強く待つ授業-ペルス中学校(「自分のために学びなさい」-サルミネン先生の授業風景/身近な問題からアプローチ-ムーリン先生の授業風景 ほか)/第5章 フィンランドという鏡に映る日本の教育(構成主義的な教育観と戦後新教育/新教育と『山びこ学校』 ほか) =============================この本の著者の福田誠治さん(都留文科大学教授)の話は、『学力』の本の、私がまだ読んでいない章の中で登場するようです。基本的にブログでは読書が終わってから紹介するようにしているのですが、今回はかなり触発されたのでフライングで紹介してしまいました。こういう、「そもそも教育とは」「いったい何を目指すのか」といった類の話題は、このブログではたまに取り扱っていきたいと思います。
2009.01.15
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前回予告したとおり、雑誌『メッセンジャー』20号を読んだので、その内容紹介です。(昨日の日記をまだ読まれてない方は、まずこちらへ)============================『メッセンジャー』20号 読書メモ ☆「発達障害を知ってもらいたい」「発達障害」についての基本知識や、知ってもらいたい動機がわかりやすく書かれています。 ☆「ぼくはぼくに生まれてよかったパニック障害と共生して ~齊藤育夫 ~」 HPでは「パニック障害を乗り越えて」となっていましたが、雑誌本文では副題として「パニック障害と共生して」と書かれています。 人生を凝縮した体験談が書かれてあり、心を打たれます。・いきなり原因不明の腎臓疾患。長期の入院生活へ。・パニック障害の発症 実際には危機でないのに、脳が幻の危機を感知して、 パニック発作が起こる病気。 「自分の身体が自分の意志とはバラバラに動くなんて。」・「無理をしたら少しずつでも外に出られるようになった自分がいる!」・「ぼくがそれまでに発作を起こした場所に敢えて出かけ、 同じ状況をリトライする」・「解放された。これで本当に解放された」 初めて心から信頼できる人ができた瞬間悩み苦しんでどん底を経験された方が、今明るく希望を持って生きておられる事実に大変共鳴し、励まされます。 ☆「悪魔は神様だった!~統合失調症と共に~ 長友ゆみ」 16歳で発病してから、北海道の「べてるの家」での12年を心の基地として、「このままの自分を好きになりました」と言えるまでになった、その経緯が率直に書かれています。「べてるの家」は私が北海道旅行で見学したところ。「北海道浦河町にある精神障害を抱えた当事者の地域活動拠点」です。「生活共同体、働く場としての共同体、ケアの共同体 という3つの性格を有している」というところに大変注目しています。こういった場を日本中に増やす!!、というのが私の夢です。(^^)(関連する過去日記)▼「精神障害」についてどれくらい知っていますか? (2006/7/30の日記)http://plaza.rakuten.co.jp/kyouikuuseful/diary/200607300000/▼北海道 5日目 「べてるの家」来訪 (2006/8/24の日記)http://plaza.rakuten.co.jp/kyouikuuseful/diary/200608240000/=============================情報量が増えすぎるので、今回はここまで。ちなみにこの後の記事も、感動目白押しでした。公式サイトから申し込めます。安いですし、読みやすいですからぜひ手にとって読んでみてください。最近の一押しです。▼ 『メッセンジャー』20号の公式サイトによる案内http://www.taka-messenger.com/messenger/20.html
2008.12.16
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すごい自主制作雑誌に出会いました。「メッセンジャー」(隔月発行。定価300円。変酋長:杉浦貴之。「がんなどの病気や様々な挫折を乗り越えた方、前向きに生きる人々の想いを伝えます。コンセプトは『あなたのいのちが輝きますように』。」 引用元:http://homepage2.nifty.com/taka-messenger/) 話は、前の火曜日に放送されたテレビ番組までさかのぼります。番組名は『誰も知らない泣ける歌』今年になってからテレビ番組をねらって見るなんてのは数えるほどでした。(目的がないとテレビ番組を見ない生活を続けています。)この番組を見た理由は、最後に出演した人を見るため。がんで「余命半年」の宣告を受けてから、人生を輝かしく生きるため行動し続ける男、杉浦貴之さん。この人は再発の不安を抱えながらも、命と向き合い、今輝いてる人々の体験を綴った情報誌「Messenger」の編集長をしています。番組内で歌った歌「大丈夫だよ」に感動し、サイトにアクセス。CDを購入。そして「Messenger」20号も購入依頼。どちらも3日ほどで届きました。どちらも感動~~!!!僕はめったなことではモノを買わないのです。吟味に吟味を重ねてモノを買います。ネット上のPRを見ながら「コレだ!」と直感したそれが見事に跳ね返ってきました。すごい、すごい感動です。曲のほうもよかったですが、雑誌は連載記事のどれもが感涙もの。こんなに感動できる雑誌はありません。 今日は書きすぎちゃったので雑誌の内容が紹介できませんでした。雑誌の内容はまた次回書きます。興味ある方は、以下のリンク先で僕が購入を決めた情報元の情報にふれてください。(そうすると僕が次回書くことがなくなるけど・・・ま、いっか。(^^;)▼杉浦貴之 オフィシャルサイト 「Life is strong」 ▼メッセンジャー20号の内容紹介(公式サイトより)
2008.12.15
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以前ブログでふれたことがありますが、「日本を良くする」「地域を活性化する」という大きな夢を持って居酒屋経営されている方がいます。居酒屋「てっぺん」の大嶋啓介さん。毎日「夢エール」という携帯用メールマガジンも無料で配信されており、毎日それを読んでは元気をもらっています。その「てっぺん」の「本気の朝礼」が、なんとツタヤ(レンタルショップ)にあり、半額キャンペーン中だったこともあり、1週間205円で借りれちゃいました。昨日見ましたが、とてもよかったです。全身全力、表情から、身振りから、動きから、「本気」がつたわってくるし、相手を尊重する意識がつたわってきました。目を合わせて相手を受け止めるとか、全力で応援するとか、チームづくりに必要な大きな要素が実際の映像から学べる貴重なDVDです。◆以前のブログ記事http://plaza.rakuten.co.jp/kyouikuuseful/diary/200708140000/『てっぺん!の朝礼スタッフの夢とやる気に火をつける!』(大嶋啓介、日本実業出版社、2007/6、1300円)
2008.08.30
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ずっとニュースで報じられている「中国とチベットの対立」問題の背景が全然わからなかったので、ネットで調べてみました。すると、こんなサイトが見つかりました。【超入門 チベット問題】http://www.tibet.to/mondai/index.htm中国側の言い分が書かれていないので偏った情報になるのかもしれませんが、超初心者向けにわかりやすく整理して書かれています。報道番組の動画もYouTubeへのリンクで見ることができます。なにしろ基本的なところから全く分かっていなかったので勉強になりました。(^^)
2008.05.09
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今日は兵庫県立教育研修所で研修でした。ここにあった自動販売機、さすが「特別支援」の研修で行った先だからか、「車いすの人に優しいある工夫」がしてありました。携帯で写真をとってきました。3段表示のデカい自動販売機です。一番上の段には、大きな数字が書いてありますね。わかりますか?さて、この数字は、何の意味があるのでしょう。よく見ると、自動販売機の下の方に、これらの数字に対応したボタンがありました。これなら、車いすの人や背の低い人など、上のボタンに届かない人も、上の商品を買うことができますね。
2007.07.25
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