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sakaimo0629

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2004.04.12
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カテゴリ: カテゴリ未分類

陰の立役者達



とはっきり言い切れるほどの人に巡り合うことは、そうそうあること
ではない。あったとしても、自力で乗り切ったことにして、あるいは
そんな気がしてきて、受けた恩義を忘れてしまうことも多いかもしれない。

創業経営者となると、相当な波風を乗り切らなくてはならないから、
そんな場面を語る人も少なくない。しかし、伊藤ほど多くの人を挙げ、
恩義を深く受け止めている人間は、たくさんはいないと思う。それは、
伊藤の言う「運が良かった」ことの表れとも言えようが、恩義を恩義と
して受け止める伊藤の心の働きによるように見える。


人のために何かをした時、それを言い募るほどいやなこともない。
「そんな人間は最低だ」と顔をしかめて話したことがある。母ゆきが
身をもって示した生き様だ。

伊藤がまず名前を挙げる「大恩人」が、関口寛快(ひろよし、1981年没)
である。関口は神奈川県平塚市の百貨店、梅屋の社長を務め、終戦後の
一時期、梅屋を「東海道一の繁盛店」と評判の店に仕立て上げた。
経営者として優れていたばかりでなく、苦労人であり、伊藤に生き方を
指南した。伊藤の人生に影響を及ぼした点では、母、兄と並ぶ人だ。
伊藤自身、「父親代わりのような人」と語っている。

それほどの影響を与えた関口だが、劇的な出会いがあったわけではない。
同業者の先輩、後輩として付き合っている内に心が共鳴したようだ。

助言してくれたのか、伊藤からも明確な答えは返ってこない。伊藤自身
にも順序立てて説明できない心の交流が生まれたのではないか。
それが今日のイトーヨーカ堂につながっていることを考えれば、
人生の機微、不思議と言うほかない。

兄、譲の急逝後、成長軌道に乗り始めた羊華堂(当時)の後を誰が継ぐか

伊藤が取り仕切っていたものの、譲には弟と妹がおり、子供も4人いた。
異父弟の伊藤がすんなり継ぐわけにはいかなかった。同族の争いが起きた
のである。

「重荷を背負え」
先輩の言葉に……

このもめごとは伊藤を苦しめた。何もかも嫌になって、何度も
投げ出そうと思った。いさめたのは関口である。「あなたが腹を立てて
投げ出せば、あなたはよくても、お兄さんの家族や社員は路頭に
迷うことになる。重荷を降ろそう降ろそうとするけれど、降ろしたら
みんなだめになってしまうではないか。そのまま背負っていく考え方が
大事なのだ」

この言葉で伊藤は悩みを吹っ切れた。伊藤は今も、関口のこの忠告を
大切に心の中にしまっている。

関口はある日、親族会議に出席してくれて、どうすれば一番いいか、
私心を全く挟まない態度で話し、もつれた糸を解きほぐしてくれた。
その日は関口の奥さんが大腸がんの手術をした日だったことを、
伊藤は数年後に知った。関口ヘの感謝を語る時、伊藤は必ずこの話を
する。感激屋の伊藤がどれだけ感動したか、目に浮かぶようだ。
涙を流したかもしれない。

関口自身、似た苦労をしていた。関口は梅屋の娘と結婚し、婿養子の
ような立場だった。梅屋を繁盛店にすると、立場が微妙になってきた。
開口は身を退くが、そうすると経営がおかしくなる。また参加する。
そんな同族間の苦労をしてきた人だけに、伊藤の苦しみが他人事とは
思えなかったのだろう。

伊藤は恩人関口の地盤である神奈川県への出店は控えていた。
「構わないから店を出しなさい」と関口は言うばかりでなく、厚木や
茅ヶ崎の土地の人に伊藤を紹介し、仲介の労を取った。

昭和30~40年代、気位が高くてスーパーには商品を卸そうと
しなかった百貨店間屋を紹介してくれもした。おかげでイトーヨーカ堂は
比較的早く、百貨店間屋と取引できた。まさに「関口さんがいなければ、
今のイトーヨーカ堂はなかった」と言える人だった。

関口が入院したことがある。伊藤は夫人の伸子に退院までの1カ月間、
一日も欠かさず手づくりの弁当を届けさせた。伊藤の気持ちだった。
関口の日記には、そのことへの感謝が記してある。こういう関係が
出来上がる縁とは、どのようなものなのだろうか。

昭和40「(1965)年、繊維関係の取引先の集まり「千羊会」で挨拶する
開口寛快氏(当時、社外取締役)。その頃、スーパーはまだ力が弱く、
開口氏に取引先を紹介してもらった

伊藤と伸子の縁を結んだのは、渋井賢太郎である。ネクタイを商う渋井は
伊藤の取引先であり、伸子の実家である東京・高円寺の洋品店とも取引が
あった。渋井が縁談を持ち込み、千住と高円寺を1カ月にわたって往復し、
めでたくまとめた。その意味でも恩人だが、店にとっても「おかげで今日が
ある」恩人だ。

恩人達との
不思議な線

創業期、わずか2坪の店舗からスタートした羊華堂は、何度か店を替え、
拡張して大きくなっていった。決定的な転機になったのは、150坪の
店を買ったことだった。昭和24(1949)年のことである。
売り値は50万円。今のお金で数千万円、あるいは1億円近い。
将来の発展のためには、ぜひとも手に入れたかった。だが、親戚からも
断られ、どう工面しても25万円しか集まらない。銀行は無論貸して
くれない。

意を決した母と兄は、当時羽振りが良かった渋井に借金を申し込んだ。
渋弁は黙って二人の話を聞いていた。後日、訪ねてきて、
「これを使ってくれ」と言って、ボンと25万円の小切手を差し出した。
インフレが激しく、お金を貸せば損をするのが目に見えている時代だった。
母と二人の息子は、人の親切のありがたさが身にしみて泣いた。

この店が成長の第一歩となる。渋井はなぜ、損を覚悟で大金を都合したのか。
取引先の立場で店の潜在成長力を見込んでいたのだろうが、何よりも母子を
「信用した」からに違いない。伊藤は後に、信用を最も重んじる商人に
なるが、この時の経験も背景になっているのだろう。

羊華堂は終戦後、浅草から千住に店を移した。伊藤には「千住の商店街や
洋品組合に受け入れてもらった」との意識がある。新参者に対して、色々と
世話を焼いてくれた。

千住は伊藤にとって格別の地である。当時、足立区議会議員だった
鯨岡兵輔は、統制下で商品を仕入れるのに必要な切符を羊華堂に回して
くれた。それがなければ、そもそも商売ができなかった。鯨岡は後、
都議を経て国会議員へと上り、衆議院副議長まで務めるが、その清廉で
飾らない人柄は変わることがなかった。伊藤が好み、尊敬するタイプで、
長く付き合いが続いた。

イトーヨーカ堂のメインバンクは三井住友銀行である。始まりは三井銀行
千住支店からだ。支店長だった西脇秀夫は「ヨーカ堂がこけたら、
私はクビだよ」と言いながら、ヨーカ堂のことを我が事のように心配し、
親身になって支えた。昭和36年、初めて欧米を視察し、チェーンストアの
時代が来ることを確信した伊藤にとって、店舗展開の資金手当てが当面の
課題で、その頃から銀行との付き合いが始まった。

三井銀行の社長、会長を歴任した小山五郎も、イトーヨーカ堂を応援した。
日本企業で初めて無担保・無保証の外債(普通社債)を発行した時、周囲の
抵抗を排除してくれた。小山に「ソニーとイトーヨーカ堂を育てたのは、
三井銀行の誇りだ」と言われたのが、伊藤にとっても誇りになっている。

頭の上がらぬ
最大の恩人

伊藤に言わせれば、これらの人々はすべて、助力がなければ
「今日のイトーヨーカ堂はない」恩人だ。「イトーヨーカ堂は
自分だけの力で大きくなったのではない。多くの方々の助力があって、
運が良かったからだ」というのが伊藤の考えだから、「恩人」の名前は
このほかいくらでも出てくる。

伊藤が挙げない名前が一つある。夫人の伸子である。伊藤には、
父親とは既に別れ、異父兄と共に商売する複雑な家庭事情がある。
縁談が持ち上がった時、兄の譲は伸子に包み隠さず話し、
「それでもよければ」と申し入れた。伸子は承諾した。実は、
知り合いの霊感を持つという神主に相談し、「うまくいく」とのご託宣
を得ていた。それで承諾できる気性の人なのだろう。

創業時のことだ。伸子は仕入れにも行き、レジ番もした。住み込んで
いる店員達の面倒を見るのも、伸子の仕事だった。兄、譲が亡くなって、
親族の問で事業継承を巡るごたごたが続いた後、親族達にヨーカ堂の株
で建築資金を作らせ、それぞれ家を持たせていったのも伸子だった。
10軒以上の家の建築にかかわった。古い社員は皆、伸子の内助の功を
語る。

「この人がいなければ、今日のイトーヨーカ堂はなかった」一番手と
して挙げねばならぬのは、伊藤も「頭が上がらない」と語る伸子かも
しれない。

伊藤は経営から身を退きつつあるが、自ら創業した企業から完全に
離れるのはなかなか難しいらしい。心配でたまらない。寂しくもある。
創業者が味わう思いを、伊藤も今、かみしめている。

伸子と長女の尚子は、いつまでも会社にしがみついているのはよくない
という意見を持つ。二人の意見は、伊藤に対して効き目がある。
その意味では伸子は過去のイトーヨーカ堂だけではなく、将来にも大事
な人と言っていいのかもしれない。 (文中敬称略)

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日経ベンチャー2004年2月号より





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最終更新日  2004.04.16 03:33:25
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