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今日はほぼ1週間ぶりに軽くウォーキングをした。水無瀬堤から堤の終点迄の往復だ。ズボン下を脱ぎ、セーターを脱ぎして歩き始めたが、少しひんやりしていた。近くのマンションの桜はほぼ満開に近く綺麗だった。また堤に出ると、菜の花が綺麗に咲き誇っていて、程なく夜明けとなった。夜明けが早くなってきたのを身近に感じる。***最近は驚愕したり、唖然としたりするようなことが多い。因みに「驚愕」は驚駭(きょうがい)とも言うそうで意味は、「非常に驚くこと」とある。しかし考えてみれば、最近起こることはもはや驚愕の意味から「非常に」という意味合いが薄れ、ほぼ常態的になって、今や唖然という意味に近づきつつある。「唖然」とは「思いがけない出来事に驚きあきれて声も出ないさま」とか「あっけにとられるさま」という意味だ。こう云ったことは、かつてはそれほど無かったような気がするが、単に忘れてしまっただけなのかも知れない。そんな唖然の1つはドイツ航空の事故だ。どうやら事故の原因は、Coパイロットの自殺実行の巻き添えのようだ。そんな自殺志向の兆候があったということを航空会社は認識していたと言うことも言われ、それでも、そのような危険を内包した人物に命を託していたのかと唖然とする。一方のCoパイロットも149人を道連れにすることを敢えて選んだという事実だ。さらに、自らがもたらす結果が、どれほど多くの影響をもたらすかを察せられなかったとしたらあまりに愚かで、知っていたとしたらそれは悪魔の所行だ。普通の人間ならそんな風な思考回路にならないだろうが、どうやら人の気持ちは違ってきたのかも知れない。唖然とする。イスラム教徒の過激派ばかりが注目されているが、キリスト教徒(多分そうと思う)だって、こんな行動に出るのだと言うことで、どっちもどっちだ。振り返って、日本では、群馬大と千葉がんセンターの腹腔境手術だ。何人もの人を死に追いやっていて尚顧みるところが無い組織側の群馬大や千葉がんセンターは歴とした国の1機関である。国が殺人を幇助したような形だ。群馬大は8人、千葉がんセンターは11人の術後死亡を以てしても、何らの自発的アクションがなかったというのには、唖然とする。一方の執刀医の方だが、手術の失敗を何回も重ねて尚続行するという気が知れない。正にドイツのCoパイロットと同じ感覚としか言えない。稚拙な腕で、功を焦って人体実験をしたといわれても仕方がない。唖然とする。忖度と斟酌と言う言葉がある。忖度は「他人の心をおしはかること」とあり、斟酌は「相手の事情や心情をくみとること」だとある。単純に相手の心情を推し量るのが忖度であり、推し量った上で、それを汲み取って何か処置をするのが斟酌ということになりそうだ。NHKの籾井会長のことで、唖然とする内容が縷々ある。その1つに従軍慰安婦問題がある。記者が「戦後70年にあたり、従軍慰安婦問題を番組で取り上げるのか?」と質問したのに対し、「政府の正式なスタンスがまだ見えないので、放送するのが妥当かどうかは慎重に考えないといけない」と答えたというのだ。籾井会長は、政府(安倍首相)の気持を忖度したと言うことだ。マスコミの重大な使命をものともせず、政府に媚び、政府の意のままに(都合の良いように)しようとしたということだ。またその籾井会長の気持を忖度して、NHKの山本記者は、宝田明氏の生出演番組で、氏が幼少時代の旧満州における悲惨な過去を振り返りながら戦争反対の立場から「無辜の民が無残に殺されることがあってはいけない。間違った選択をしないよう、国民は選挙を通じて、そうでない方向の人を選ぶ(べき)……」と訴えたことに対し、慌てて遮ったとのことだ。山本記者は、籾井会長の気持ちを忖度したのであろう。これは、籾井会長に逆らえば、番組降板もあり得ると自己保身に走ったと言うことだろう。宝田明氏の反戦に対する気持ちを斟酌出来ず(せず)ひたすら上司が(安倍首相の気持ちを)忖度する気持を忖度しての行動であった。これらのことからNHKは国民(視聴者)のものではなく、政府の御用報道機関に成り下がったことを意味している。こんな例は民放辺りでも最近特に目立つ。気骨のあるジャーナリストは居なくなり小心翼々のサラリーマンが増えたと言うことだろうか。
2015.03.31
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今日は定例のゴルフコンペ故、ウォーキングはしなかった。 今年初めてのコンペだが、今日のゴルフは事前の練習にも身が入らず。余り良い感じではなかった。先輩と同じ組は3回目の人(F氏と呼ぶ)、それに友人の奥さんの4人組だ。会の趣旨に添って、ゴールドティーから打たせて貰った。友人の奥さんの成長は著しく、ゴールドティーとレディースティーはほぼ同じ所なので、今日は真面目にスクラッチ勝負と言うことになる。インからのスタートである。 No.10は2打95YDをカラーだ。50cmに寄せたが、大馬鹿者が1パットを外した。ここで調子を掴めなかったのが今日1日を予言したかも。男性3人はボギーで、奥さんは緊張されたのか7つ。No.11ショートはピン奥にオン、しかし7mある。僅かに近いF氏がニアピンの旗を立てた(結果はニアピンを取った)。しかしミラクルが起き、7mを沈めバーディー。今日はこのパターが褒められるだけだ。奥さんは惜しい1stパットを外しボギーだった。先輩とF氏はパーである。 No.12のクリーク越えの短いミドルホールは理想的に2オン。ここで弱気の1stパットは不甲斐なくも3パットを誘う。男性2人のパーに届かず。奥さんは、何と左に引っかけて、OBと3パットの7つ。まだまだ緊張が解けない様子。No.13ミドルでは、ティーショットはよいものの、やはり2打では載せきれない。先輩と同じくボギーだ。F氏は出だしをOBし、7つだ。 No.14の打ち降ろしショートでは右にショートし、ボギー。F氏(ダボ)以外はボギーだった。No.15はティーショットをスライスでバンカー。グッドアウトだが、3オンをカラーに止めてしまい。もたついてダボだ。先輩のパー以外はダボで同じ。No.16のロングホール、ここが今日のドラコンホール。特にドラコンを意識したわけではないが、先の先輩を越そうとしたのか、一寸打ち方を変えてしまい、何とチョロ。少し愕然としたもののまだそれほど気落ちはしていない。2打が超良かったから救われた。しかし、3打でまたチョロ、4打を少しシャンク気味で池の手前。まぁ、いつもの自分に戻った感じで嫌気が来る。更にここからが、直前の池に2回入れて、メロメロで、2桁叩く。男性は共にボギーで、奥さんは7つ。今日のゴルフはここに極まった。 No.17では、ティーショットのスライスはまだ良しだが、2打目をチョロし、結果ボギー。挽回できない。全員がボギーだったものの、奥さんのティーショット飛距離はどう見ても私を越えていた。何かの予兆を感じる。No.18は、最後のティーショットも右に出て土手で止まり不調。2打でFW出して、3打で池手前までと力んでチョロと全く前回と同じなのは皮肉だ。4打で池を越えようと良い当たりはまた山へ。またFWに出してやっと6オンだった。良いところ無しのトリプルで終了。先輩も池でダボ、F氏はボギーで、奥さんは池に入れたりの乱調で11叩いていた。昼食で焼き肉を食べ、後半こそはと少しやる気になろうとした。アウトのNo.1は、まずまずのスタートながら、3打でGR左にこぼし3パットも手伝ってトリプルスタートはその後のやる気をまた少し削いだ。先輩(ボギー)を除いて皆トリプルだ。No.2は、良い当たりのティーショットから2打を右にあわやOBかと暫定を打ったが、何と何かに当たってカーと道を転がり戻ってきた。アプローチをカラーで、その後3つ叩く有様。ここでも先輩のパー以外は皆ダボだ。No.3のティーショットは白ティーより100YD前で、風景が違う。今日一のショットが出たものの、2打で載せきれず、短いアプローチをGR向こうへ。1パットでのボギー。このホールも先輩のパー以外は皆同じで、ここまで3人は同スコアだ。No.4のショートで差が付いた。皆が1オンし、パーなのに、バンカーに入れて3パットは私だけだ。ここから奈落の底へだ。No.5は最後、池越えロングホールで、ここでもティーショットは良い感じだ。2打、3打一寸ダフリ気味アプローチで、池を逃げて、4つでオン。最後の一転がりでパーを拾った。先輩もパーで、F氏と奥さんはボギーで付いてくる。No.6は、右に出て崖に当たって右ラフ。奥さんのティーショットは素晴らしく、F氏とドラコンを競う距離だが、惜しくも一寸ラフに反れた。しかし飛距離は私を凌ぐ。2打は良い当たりが戻ったが、アプローチをシャンクし、焦ってチョロ、オンまでの5つは最悪だ。F氏と奥さんは1パットのボギーで、先輩はダボだ。No.7では、気を取り直して、ティーショットは結構良かった。しかし、2打をゴロ、3打をカラーと締まらない。F氏(ボギー)を除いてここは皆ダボだ。最後のショートではダフリ、奥さんと同じ位置からのアプローチで、完敗だ。しかし1パットで何とかボギーだったが、奥さんは惜しい3パットで、ダボだった。F氏はパーで先輩はボギー。最終ホールNo.9のティーショットでは、完全に奥さんに負けてしまった。OBギリギリセーフからFWに戻したが、3打、4打と考えられないチョロは焦りがもろ出ていた。ダボの上がりだ。先輩はパーで最後を飾り、F氏と奥さんはボギーで終了だ。前半よりも悪く、後半のみでは、奥さんにも3ストロークビハインドだった。足を引っぱったのは私だった。ガックリ。奥さんは後半改善11打で、大波賞だ。素晴らしい。別の組では、1人転倒で左手首骨折の人が出た。残念なことだ。
2015.03.30
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今日もウォーキングを中止した。雨の予報を良いことに休養とした。***中国 習近平体制の行方という日経新聞連載があった。3人の識者の話を3日に分けて掲載されていた。隣国中国のことは様々な点で気になるし、その行方の如何は日本にも大いに影響があるので、常に気を配り、知っておくことは必要だと思う。全人代が終わると必ずその結果を踏まえた論が張られる。その全人代だが、あの大講堂に大勢の人が集まっているが、殆ど儀式的なものだろう。中国は共産党一党支配で、何もかもが共産党のトップによって決せられた後のお祭りのような位置づけだ。3つの論評に出てきたキーワードで思いつくまま書く。必ずしも論点に沿ってはいない。先ず宮本雄二元駐中国大使の論だ。トップ(習政権)への権力集中として腐敗問題の処理と党の方針確定へのエネルギーの集中という話。腐敗問題は、トラ(高級幹部)だけでなくハエ(下級幹部)まで随分と摘発が進み、海外逃亡高級官僚も自首すれば減刑と言うことで、随分と摘発されている。汚職を徹底的に取り締まるとほぼ全員が対象になるといわれるのを聞くが、都合の悪い(政敵)トラとハエ(その子分)が対象だろう。あののっぺりとした顔の裏には相当強かな顔が潜んでいるようだ。発展するためには経済成長が重要で、そのため協調的で平和な国際関係が不可欠だと言う。また伝統的価値観(孟子の思想「力を以て仁を仮る者は覇なり」など引用)を言い出したとか、何だか言っていることとやっていることは真反対だ。ウィンウィンの関係といいながら、1人勝ちして飲み込もうという気が充ち満ちている。大国関係の推進と構築ではアメリカと衝突を避けながら領土の拡張を目論むという姿勢だ。ポンコツの空母を持つだけでなく、着々と軍事費を増大させている。日本などは既に眼中にはなく、あわよくば飲み込もうと考えていることは明白のようだ。2人目は神戸大の梶谷懐教授の論だ。「新常態」(ニューノーマル)表現で、安定的成長段階(成長率を7%に引き下げ)に入ったことが述べられている。「元」の対ドル下落の意味するところなどの問題はよく分からないが、上海と香港、また、深せんと香港の株式市場の相互乗り入れなどが目論まれているという。名(社会主義)と実(資本主義)の混合がますます濃くなっていく。アメリカの量的金融緩和(QE)の終了で、ドルのアメリカへの環流も進んでいるという。海外への積極的な、資本投資と輸出拡大(海外進出=「走出去」)が述べられている。「海のシルクロード」と「陸のシルクロード」の整備が同時に進められている(「一帯一路」戦略)。最近では、AIIB(アジアインフラ投資銀行)を主唱し、それにヨーロッパ諸国はおろか、敵対国の東南アジア諸国までが参加している。汚職大国(ブラックマネー)とAIIB、何だか巨悪が醸成されるような気がしてならない。中国進出の日本企業は遠からず駆逐されるだろう。密かに引き上げを模索している企業も多いようだ。中国から目を放してはならない。3人目は立命館の周○生教授の論だ。小康社会(ややゆとりある社会)を目指すという経済安定成長のネックは、環境問題だ。之は日本に住む一般市民にも、日々、直接害を及ぼす項目(黄砂・有毒物質)の1つである。オリンピック時には澄んだ空が返ってきたと言うくらい、統制すれば環境保持は成る国だが、成長を止めるわけにはいかない。その辺の兼ね合いがどこで落ち着くかだ。経済発展途上の環境破壊はかつて日本も経験してきたところだ。中国が、どの程度真剣に考え取り組むかで、環境問題は大きく左右される。日中韓のCO2排出量の経年変化の図が引用されていた。1971年以来漸減しているものの、中国の値は、日本よりは、3割強(本当にこの程度だろうか)多い。ここには述べられていないが、原発問題がある。共産党指導部は、大気汚染をもたらす石炭火力発電からCO2を排出しない原発に替えたいと切望している。世界の原発増強の最大国(中国では沿岸部を中心に273基もの原発建設が計画され、各地で建設ラッシュが起こっている)が中国で、しかも国産志向という。更に言えば、中国の原発の安全性確保の仕方には「不確実性」があると警告を受けている。新幹線が落っこちてもすぐに埋めてしまうような国だ。空恐ろしさは群を抜いていると言えよう。それが隣国中国だ。
2015.03.29
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今日も休養ウォーキングは中止。***チュニジアのテロ、ドイツ航空の墜落などと紙上が騒々しい中、イエメンでも自爆テロが発生し、その後も国は大荒れになっている。イエメンは、ウサマ・ビン・ラディンの生地だという説もある。イエメンの港湾都市アデンでは、1992年12月にビン・ラディンが関与した最初のテロ事件であるホテル爆破が起きている。アラビア半島南端のこの国も、長い闘争の歴史を持っている。この辺りは、殆ど神話の世界だが、ソロモンとシバの女王などで有名なシバ王国が紀元前7世紀頃栄えていたという。世界文明の発祥地はややもするとテロや騒動の拠点となっている場合が多いのも、人の出入りが多いと言うことの別な面の表れかも知れない。アラビア半島の地図を見ると分かるように東側、ペルシャ湾入口のホルムズ海峡と同様、西側、紅海入り口、バベル・マンデス海峡は交通の要所である。この辺りのアフリカ側と、アラビア側の地域は当時からベドウィンの首長達による群雄割拠と首長国が乱立する場所だったようだ。シバの女王以来の王国に、エチオピアの勢力が侵攻、更にはサーサーン朝ペルシャの侵攻と支配を受け、その後イスラム教が入り込んできたという場所だ。ここら辺りから、サラディンのスンニ派系の王朝やザイド派(シーア派系)の王朝の支配を交互に受けるようになる。やがて、オスマン・トルコが台頭するが、ザイド派が復調、更にはエジプトの支配下になるなど環境は目まぐるしく変化した。特に19世紀になってスエズ運河の建設が始まると、紅海入り口のイエメン南部は西洋と東洋(欧州とインド)を結ぶ戦略拠点として重要さが増し、イギリスがアデンを占領することになって、イエメンは北(トルコ領)と南(イギリス領)に分断統治された。やがて第一次世界大戦でオスマン・トルコが敗北・衰退して、イエメン王国が誕生する。アラビア半島から1つの大きなくびきが外れることになる。ここで、イランなどに先駆けて、1962年に王制が打倒されるが、王制派はサウジアラビアに亡命政府を樹立する。一方、イギリスは要衝の南部イエメンに親欧米国家樹立を目論んだが、反英反封建の南イエメン民族解放戦線((NLF)が各首長国を次々と攻略して、1967年に南イエメン人民共和国として独立した。この後、王制派と共和派との間で8年間に亘り北イエメンで内戦が続くことになる。王制派側の後ろ盾はサウジアラビアで、共和派側はエジプトとソ連が後ろ盾となっていた。やがてソ連の崩壊や南の経済破綻などで、北による南の吸収という形でイエメンの統一が成り、北のサーレハ大統領が統一イエメンの大統領となった。サーレハの政策は北中心で、石油資源が多く外貨を稼ぎ出している南の方は不満が高まるといった事になり、政情は混沌とする。しかしながら南の再独立を抑えて権力を固め独裁体制を敷いたサーレハ大統領だったが、2011年の「アラブの春」で引退を余儀なくされ、ハディ暫定大統領の時代となる。そこからが、今回の内戦で、シーア派の武装組織「フーシ」が登場する。フーシ派は、イランの支援を受ける一方で、スンニ派のハディ暫定大統領はサウジアラビアを後ろ盾に持つという、宗教の覇権争いと共に、王制派の息が掛かった政治体制による抗争とがない交ぜになり、そこにアラビア半島のアルカイダ(AQAP)と「イスラム国」というテロが織り込まれた、複雑怪奇な争いが展開されている。少しの紙面で、イエメンの歴史を通観するなどは無理だが、こういった歴史的背景を見れば、今回の騒乱にサウジアラビアが関与しようとしている経緯などの一端が垣間見られる。政治体制と宗教とテロが渾然一体となったイエメンの騒乱は、現代の社会の縮図のような様相である。ここでどちらが勝っても、この紛争がすっきりと治まる気配が感じられない。
2015.03.28
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今日は、予て孫達と約束した福井恐竜館へ行くことになっていた。従ってウォーキングは中止だ。もう何度恐竜館に行ったことだろう。高速を使えば、迷うことなく行ける1本道だ。スマートフォンのカーナビによれば、通常で4時間程度は掛かるとの案内なので、早めに出かけることにした。朝7時45分テンションの高い2人組が車に乗ってきた。未だ完治していない連れ合いに運転を任せるわけにはいかないので、私が往復の運転を担うことになる。お父さんの車なら、DVDが見られるので道中退屈はしないだろうが、そんな装置のない車ではどうだろうかと懸念していたが、ちび共は、ハンディーなゲーム機を持ち込んで、車で移動中も必死にゲームに興じている。ドライブの車窓がどうであれ全く意に介さないといった風情は、もう少し何とかならぬかという感じだ。春の兆しの中冠雪の伊吹山を見て感動しているのは私と連れ合いで、孫達にゲームから放れて風景を見るように勧めると独自の感想を述べる。今回は、北陸新幹線に合わせて福井駅前を整備し、恐竜の像を建てたとのことで、一寸寄り道をしたが、駅前は、まだ整備中で、恐竜の像の周辺を回るだけで、通過した。春の雪解け水が流れる九頭竜川の先に恐竜館はある。今回は、65歳以上と小学生までは入館無料とのことで小学校のお兄ちゃんの方だけの入館料ですんだ。もう何度も来ているので飽きが来ているだろうと、2人にガイドのイアホンを持たせて回った。連れ合いは、1人で休んでいるという。30数カ所までは、一緒に聞いていたようだが、その後は手放してしまった。巨大な恐竜の骨の復元は、凄いと言えばそうなのだが、もはや数度来て見知っているので、子どもは飽きが来ているのかとも感じた。お目当ては、土産物ショップでの買い物なのだろうか。しかし、今回は、お母さんの引き締めもあって、自制心が働いているようだ。少なからず成長している跡が見える。ここに連れてきて欲しいと言うのは、後何年位あるだろうか。それでも恐竜館には2時間半ほどいて、今度は、何処かへ行きたいと言われるまま、永平寺か、東尋坊かとのことになったが、子どもにお寺は、ということになり、東尋坊へ向けて車を走らせた。東尋坊までは、見渡す限り田んぼの続く平野だ。東尋坊を見下ろすタワーが建っているが、そこに上って、周りを見渡した。なるほど観光客らしき人影はあるものの、之では、採算が取れないだろうという感じだ。名所や観光地は、現場に着くまでが花で、着いてしまえば、こんなものかという感想を持つものだ。孫達2人にとって、日常から放れた環境にあることが楽しいといった風情である。帰りには、あわら温泉の立ち寄り湯に寄ったが、設備は今ひとつで垢抜けない。65歳以上400円ならむべなるかなだ。男同士3人で、一寸熱めの湯船に浸かった。こんな時に風呂に入っているのは、老人ばかりだ。湧き出たままの源泉だと言うことだが、帰りの運転もあるのでそんなにゆっくりとはしていられない。孫達も、近くの設備が整ったスパを経験しているので、少々期待はずれといったところだ。東尋坊から光岡ICまでの道すがら、路傍の回転寿司と掻かれたレストランがあったので立ち寄ったが、回転する装置は有ったものの回っていなく、少ない人数の客の注文を、電子パッドを介して注文するというスタイルで、何だか落ち着かないままに、夕食を済ませた。小学校4年になるお兄ちゃんの方は、寿司の注文も堂に入っていて、「トロ」「カニ」「イクラ」「さび抜き」と大人そこのけであった。帰りの車の中では、弟の方がふと「お母さんや、お父さんの顔を思い出せない」と言ったのには一寸びっくりした。我々への労いの気持かどうか知れなかったが、表現が面白く笑ってしまった。眠気が来ないようにとドリンク剤を飲んでいたためか、一寸高揚して、北陸路を3時間足らずで、すっ飛ばして帰宅したが助手席では気を揉んでいたようだった。
2015.03.27
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今日もウォーキングは中止だ。休養という名目だ。今日は連れ合いと共に友人のお宅へお邪魔した。近くにテレビで放映されたパン屋があるというので、そこでお昼を採ろうという事になったようだ。今日の171号線から高槻京都線は、普段より混んでいた。行き方を覚えたら、その通りに行くことが多いので、道中混んでいようと脇道にされることはあまりない。しかし、今日は、茨木から万博公園外周道路を経由する方を選んだ。道路は空いていれば、距離も短く感じるものだ。昼前に着いたが、外は暖かく、汗ばむほどに良い陽気になってきた。冬の名残の服装では、汗ばむほどだ。パン屋は、店頭販売が主で、中には、4~5名が座れるテーブルがあるだけで、本格的な喫茶設備はない。コーヒー程度はサービスして貰え、座って昼食を採ることになった。大きな通りに面したその店は、テレビで放映された故か、評判が良いようで、パンを買いに来る客が引きも切らなかった。車を置いてゆっくり買うというわけにもいかないので、予め注文して、路上に駐車し、そそくさと受け取って帰る客もいた。最近はパンといっても様々な種類があって、私にはどれがどれだか分からない。連れ合いに勧められるまま、評判といわれるパンを注文して貰った。最近美味しいと言われるパンは、生地が少し硬いようだ。フランスパンのように乾いた堅さではなく、それなりにしっとり感がある。特に之という用事もなく、取り留めのない話題の中で食事をするのもまた楽しいものだ。歳を取り、社会に接するチャンネルが少なく、狭くなってくると、こういった経験は自らの生活を振り返るのにも好都合だ。パン屋での一時を終え、友人宅でまたお喋りをする。話すことは、健康に関することや、時の経過が早いといった、世間の老人と同じ話題だ。知らず知らずのうちに、お互いに、年齢を重ねていることを感じる。血液検査の結果を見せ合って、互いに互いの健康度をチェックする位の世間的な常識は既に備わっている。若い頃に机を並べて学習していたのだが、その後半世紀余の年月が経った今、互いの過ごしてきた環境を思いやると、今こういった風に語り合っていることが、不思議とさえ思える。歳を取れば、時が緩やかに過ぎていくなどと言うことも聞くが、私にとっては、そんな悠長なことを感じる暇はない。スマートフォンにスケジュールを一杯書き込んで、即座に対応できるようにしているが、友人は、アナログで十分と、スケジュールなど家に帰ってカレンダーに書き込んであるのを見ないと分からないという。勿論自分の重要な予定は頭に入っているとのことだ。私の場合は、兎に角聞いた時にスマートフォンにインプットするので、それに頼ることになり、何か云われても、書き込んだ予定を見ないと分からないということにもなる。どちらが良いのか、今頃になると、予定に縛られずにのんびりとして過ごすことが出来なくなっていることを感じる。友人は、面白いといって、川柳を書いたコピーを見せてくれた。「高齢者おもしろ川柳」と銘打った65首の川柳は、頷いたり、笑ったりの内容ばかりで、殆どの内容が、当てはまるというものばかりだった。人は皆高齢者になれば、どんなに違った環境下にあっても、同じ事を経験しているものなのだとおかしくなった。詠み人は書いていなかったが、面白そうな川柳を3首抜粋した。・女子会と 言って出掛ける デイケア・手を繋ぐ 昔はデート 今介護・無農薬 こだわりながら 薬漬け
2015.03.26
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今日もウォーキングはサボって寝ていた。寝過ぎたため、身体に変調を来すほどだ。連れ合いは、大学の同級生と定期的に会うため出かけ、私は、先輩とゴルフの練習に出かけた。動かない身体は、ゴルフの練習にも表れて、1時間余の練習でも身につくものはなかった。夕刻には、学習会で接触のあった中学生達3人が、それぞれの志望高校に入学できた旨を報告にやってきた。思えば、新しく1年生に入ってきた時には、ころころとふざけ回っていた子どもも、もはや高校生になるのかと、一寸した感慨と、時の経過の早さをここでも感じた。***150人が乗った独旅客機が墜落し、全員犠牲となったとの報道があった。そして、段々とその真相が明らかにされていくにつれ、驚くべき事が起こっていたと分かってきた。(之を書いているのは28日だ)独ルフトハンザ系の格安航空会社(LCC)のエアバスA320型機がフランス南東部の山岳地帯に墜落した。ここまでなら、悲惨な事故だが「又やってしまったのか!?」ということになるのだが、今回の事故は違っていたようだ。航空機事故は死亡率がほぼ100%と高く悲惨ではあるが、起こる確率は、低いとされているし、通常航空機事故が多発するとされる巡航高度に達した段階での事故はますます想像が付かないと訝しく思ったが、どうやら人為的な事故のようだとのことだ。事実関係が明らかにされていく中、その次第に戦慄を覚えると共に、激しい憤りを感じた。事故後のボイスレコーダーの音声データなどの分析で、副操縦士(27)の意図的操作による墜落だったと発表された。副操縦士は高度約1万1500mまで上昇した後、機長がトイレに出た時にコックピットを内から開けられないようにして、意図的に急降下して機体を山中に激突させたというものらしい。その時間は8分ほど(8分で約9700m急降下)だったという。8分は短いようだが、その間に乗客等が感じた恐怖は計り知れないことだったろう。急降下と聞いて、きりもみ状態で落下することを想像したが、シミュレーターで再現するのを見たら周りに何もない大空の中では、差ほど急激には感じなかっただろうとのことだが、最終段階で、機体が雲を抜けて山並みが迫った時に機内がパニックになった状態は想像に難くない。この副操縦士が経験2年足らずの新米操縦士であったことは取り立てて言うことでもないが、訓練期間中に精神的疾患(想像だが)によるは、数カ月の中断があったとのことだし、墜落機に乗る前には、精神疾患により、医師によって搭乗を控えるように指摘されていたことなどが明らかにされている。そんな不安定な人間を乗せて意図的に墜落させたのは、管理する側に問題がなかったかということになる。このLCC航空会社の精神面の検査は選抜時だけだとのことで、操縦士の定期検査はしていないとのことだ。結果的には精神疾患者が操縦桿を握っていたことが明らかになったようだが、ここに至るまでの間、何の兆候もなかったのかという点で、疑問を差し挟まざるを得ない。最近は、随所で発生するテロ事件が発生する世の中なので、「すわ、テロか!?」とも感じたが、そうでもないらしい。外部過激者のテロではないが、内部の異常者による異常行動が、こんな悲惨な事を招きました、ということでけりを付けられるには、余りにも理不尽な気がする。犯罪では心神喪失なら罪に問われないと言うことだそうだが、果たしてこのストレスの多い現代社会で、そんな甘いことで事件を処理され、そのために、まともな神経を持って真面目にやっている人間が被害を被るのでは浮かばれない。時あたかも、JR西日本の歴代社長が二審でも無罪と審判された。公判の争点は、3社長が「事故現場の急カーブでの脱線を予見できる可能性があったか」とか「自動列車停止装置(ATS)の整備などの安全措置を指示すべきだったか」といったことだが、今回の事故で、航空会社の管理責任者はどのような責任に問われるのだろうか。
2015.03.25
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今日のウォーキングは中止して、休養した。***映画「風に立つライオン」を観た。新しい映画館で見ようとイオンシネマ桂川まで出かけた。ここで映画を観るのはどうやら2回目のようだ。連れ合いがそう言うので調べると確かに過去にここで観ている。流石だ。ブースは違っていたのかも知れないが、最近の映画館は、すり鉢状にスクリーンを見下げるように造ってあるので、前の客の頭が気になるということも無く快適に観られるように工夫されている。予備知識無しにというか、テレビで宣伝する中にアフリカの風景が映っていたので、その風景を見ようと言うくらいの単純な気持で観に行った。最後まで観終わって、感動的な内容であり、それも実話が背景にあるということを知った。歌手のさだまさしが歌う曲や、台詞の内容も、聴かせる。巧くは言い現せないが、様々な気持が去来した。場所はケニアで、主人公のモデルになっているのはJICA専門家で外科医、柴田紘一郎氏(74歳)だ。病院があるのはナクルで、ナイロビから北へ140kmの位置にある。前線の病院の名前は忘れたが、更に過酷な場所のようだ。こんなところで医療が出来るのかと思うような施設しかない。私もケニアには1度行ったことがあるが、場所は、海岸沿いのマリンディで、モンバサから約100km北の方だった。私が訪れたのは、1996年のことだが、映画の冒頭では、更に10年前の1987年の事だとあったが、柴田氏が派遣されたのは44年前となっているので、映画の時代設定はよく分からない。柴田氏が高校を卒業するのが昭和50年となっていることでも時代背景を曖昧にしているようだ。現在のナクル病院は近代化されて立派になっているようで、トラックで走る砂埃舞い上がる道路も既に舗装されていることだろう。子ども達が、麻薬を打たれて兵士にされたり、手を繋いで、横一列になって、地雷原を歩き地雷検知に使われたりするなど壮絶であるが現在のイスラム国の状況などとラップして映る。スーダン内戦のことにも触れられていたようだが、ナクルからスーダンまでを車で行くことは不可能だろうから、もしかしたら、西の隣国ウガンダのことかも知れない。ここでも過去に血で血を洗う内戦が発生している。サバンナ気候の平原は、アフリカ独特のものだろう。映画にも朝日の昇るシーンがあったが、アフリカで観る朝日や夕陽は、殊の外大きく感じる。現地で生活をしていると、こういった経験をする時に、望郷の念に駆られたり、「ここはアフリカだ」と言うことを実感したりする。アフリカといえば感じることも多いが、JICAの専門家の他に、海外青年協力隊(JOV)も随所で活躍している。彼らはJICAからの派遣になるが、おそらく世界中の隅々で活躍していることだろう。ケニア辺りでも多くの隊員が居る。わたしも、ジンバブウェ在住の時にはJOV出身の人に随分と御世話になった。彼らは、商社マンと同様に、世界の僻地の奥深く入り込んでいるようだ。冗談に、彼らが言った後追うようにして、政府の公的な機関が進出すると言われるくらいだ。映画では、危険地帯で柴田氏が死ぬと言うことになっているが、それほど過酷な場所(現代風にテロやゲリラに遭うことを織り込んでいるようだ)だということのようだが、まさかそのような定常的に危険な場所でJICAの専門家が働くことはないだろう。国境(イミグレーション)が鉄道の踏切の遮断機ような単純な設定だったが、アフリカの田舎道ではこんな風に驚くほど簡素な国境もある。実際の主要道では、ちゃんとした小屋くらいは建っているが雑草が生い茂るところでは、棒きれに空き缶を載せているところもあるくらいだ。僻地といえば、五島列島も日本の僻地だ。日本の僻地出身の医師が、世界の僻地で医療活動に関わるというのはあながち偶然とは思えない。遠くで見る黒人の人達も、一旦その中に入り込めば、人としての情も十分に理解できるといったことは、映画に示されているとおりだ。「風に立つライオン」という映画を観ながら様々なことが去来したが、アフリカという所への望郷の念にも似たものを感じさせた映画だった。
2015.03.24
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今日のウォーキングは、山崎駅から円明教寺口で折り返した。途中にもくれんの花がたわわに咲いた綺麗な木があった。ウォーキング自体は少し気乗りはしなかったのは、若干疲れているのと、ここに来て、急に冷え込んだせいで、体調が変になっているからだ。寒いなら寒い、暑いなら暑いで、一定していると、何とか身体は備えているようだが、暑い(暖かい)状態が、急に冷えるという揺さぶりには、老体は反応できないようだ。前回の検査結果を医者に聞きに行った。少し早めなのだが、どんな計算間違いをしたのか、服用する薬の数が、一部足りなくなっていたので、しょうがなく早めの通院となった。それと、最近の疲れの原因が何かあるかとのことで特別にレントゲンを撮って貰ったが、異常はないという。自分が感じるちょっとした違和感を、正確に伝えることは難しいものだし、とても我慢が出来ないというものでもない。風邪薬などを貰って、医者が得意の「これでちょっと様子を見ましょう」でけりを付けられた。***一寸遅れて発見した記事があった。子供が蹴ったボールよけてバイクの男性が転倒、足を骨折した男性はその後、寝たきりとなり誤嚥性肺炎で死亡したという過去の事故だ。(事故がもとで死亡したとしているから、ボールと事故の因果関係は認められたと言うことのようだ)因みに子どもは当時小学6年(11歳)、男性は80歳代男性とある。民法上、子どもに責任は問えないので、男性遺族は子どもの両親に損害賠償を求め、一審・大阪地裁と二審・大阪高裁はいずれもボールを蹴った男児の過失を認め、監督義務のある両親に賠償を命じたというものだ。因みに1審の賠償額は約1500万円、2審では減額したものの約1100万円だ。(遺族の請求額はどういう根拠か、約5000万円)事故があったのは、2004年2月、愛媛県今治市の市立小の校庭での話だ。之を見て複雑な感じを受けた。こんな場合でも、親に子どもの監督責任が問われるのかと言うことも然りだが、校庭でゴールに向けて蹴ったボールが道路に飛び出したことで責任を問われるという点についても、何となく腑に落ちない。転がってきた(直接当たったとは書いていない)ボールを避けきれないというのは、前方不注意か、技量不足の運転だったではなかったのかということだ。何しろ、一般的には、高速道路を逆走しかねない年齢だからだ。両親側は「(今回のケースが監督義務違反になるなら)親は常に子供を監視下に置くか、屋外の球技を禁止するしかない」とし、憲法が定める教育の自由などを侵害すると主張しているようだ。それに対し、遺族側は「ボールが公道に飛び出す危険性は十分認識できたはずで、教育不十分と言わざるを得ない」と反論しているという。更に、事故で転倒し、骨折した事で寝たきりになり、直後に痴呆の症状が出て(本当かいな?)それが故に、誤嚥し肺炎で、事故後約1年半後死亡したという。一連のことが、勿論因果関係の可能性は否定できないものの、そこまで言うかという点もその1つだ。記事に依れば、児童は無茶苦茶なことをして(無理矢理または故意に)ボールを蹴り出したのではなく、ゴールに向いて蹴っているわけで、校庭のフェンスが低かったのでボールが飛び出たとある。(門扉を越えてとも書いてある)ならば、校庭でのボール遊びを禁止する処置を執らなかった学校は、または教育委員会の責任はどうなのだと言うことだ。(その環境を是認していた側の責任についてだ)また、同様の(類似の)事故やそれによる提訴などは沢山あることにもまた、そう言った事故の遭遇する蓋然性の高いことにも気になったわけだ。何れにしても、この事故は上告され最高裁の判断に委ねることになり、その上告審は、最高裁第1小法廷(山浦善樹裁判長)で下されるようだ。判決日は4月9日に指定されているという。ゆうに10年を超える期間この事故で係争していることになるわけで、提訴側も然りだが、被提訴側の両親も、更には加害の男児(今や24歳になっている)も多大な労力を費やし、疲弊しているのではないだろうか。この争点は、親の監督責任だとのことだが、この点だけの争点では何となく違和感があると共に、同年代に近い子供を持つ親のその親(祖父母)としては、加害側になったり、被害側になったりする蓋然性もあって、全くの他人事ではない。この裁判は、裁判員制度前だから、どのような判決になるのかという興味もある。
2015.03.23
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今日は休養で、ウォーキングは中止した。午後、茨木高校バスケット部の総会があった。あたかも入試発表の時期と重なっていて、バスケット部の顧問の先生から聞いた話によると、茨高から関西の国立大学の合格者は京大33名、阪大65名、神大53名とのことだった。この中にはバスケット部の女子2~3名が入っているとのことだった。現役の練習風景や現役と若手の卒業生(OB)との練習試合などを見たが、昔この様なこと(激しい動き)をやっていたのかという感慨をふと感じた。歳を重ねると言うことは、寂しいものである。そんな歴史を記録に残そうとの95年誌発行の為の話が別室であった。今や、クラブ経験者(OB・OG)の卒業生は名簿上でも優に1000人を超えている。名簿に掲載されていない人もいるようなので大変な数だ。現在は新制高校の卒業生だけでも66期を数えるので、その各々の学年の代表者を捜すのも一苦労だし、探し出した代表者が記念誌作成に必ずしも賛成していないと言うこともある。従って、記念誌の作成は前途が多難で、どのような内容になるのか、現時点では手探りだ。こんな作業をしていて、つくづく様々な考えを持っている人が居るのだと言うことを知った。若い時の同好の士も、歳を取ると変わるのか、元々形骸的な同好であったのか等々、思うところは多い。***中座して、連れ合いの従兄の誕生会を兼ねたカラオケ大会に参加した。79歳になるという連れ合いの従兄は映画俳優をしていただけに流石にそのような高齢には見えない。あと1年で80歳なのだが、70台という僅かに「7」という響きで、納得しようとするが他の同年齢の人と比べて歴然とした差がある。あと9年経った私を想像してもとてもそんな感じではならないだろう。聞けば内実は結構ボロボロだとのことだが、やはり普段の健康管理と体力調整努力は大したもののようだ。今回のカラオケ大会には、通常の常連客に加えて、後援会の会長や、歌手やカメラマンも参加していた。総勢で25名で店のシートは満席状態であった。参集した人達は86歳を筆頭に連れ合いの従兄と同級生という人達数名を含め、私と連れ合いそして友人は若い部類に入るといった年齢構成だ。バスケットボール(スポーツ)ならせいぜい30歳、野球ならもう少しは寿命は長いだろうが、カラオケは一生ものかも知れない。しかし歌う曲となると、やはり努力をしないと、新しい(といっても現代風な歌は含まない)曲に挑戦するのは大変なことだ。テレビやCD等から仕入れる事も出来るが、それはそれなりに結構努力が要るようだ。若いと言ってもそれほど若いわけではないが、集まった老若男女が2曲ずつ歌って総得点で順位を競う。そんな中でも、今まで聴いたことがないような曲が沢山混じっている。それぞれ別々の世代や環境で育っているわけで、そんな別個の環境で歌われた歌は自ずと違うというわけだ。しかし、基調は演歌なので、何処か似ている節回し(之が違えば演歌ではなくなるので当然だが)である。「へぇ、そんな歌もあったのか」と思う曲も時々ある。25人を5人ずつの5つのチームに分けて、パネルとテレビの評価点の合計点が高いチーム(5人の合計)の中から優勝から3位までの順位を割り振るというもので、個人がいくら高い得点を出しても、チームの合計が低ければ、個別の特別賞だけにとどまってしまうという、団体戦を加味した個人戦である。結果は、我々3人の属するチームは4位と空しいものとなってしまった。因みに、個人で最高点だったのは初めて見かけた女性で「横浜円舞曲」と「あの鐘を鳴らすのはあなた」を歌って363点を出した。パネルでの高得点は92点を出した2人の男性で、歌は「抱擁」と「男の涙」。テレビでの最高点は「喜びも悲しみも幾年月」で95点を出した男性だった。友人は、「まわり道」を歌って、テレビで94点を出したのは流石であった。
2015.03.22
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昨日新しい万歩計を買った。それ故でもないが、今日は意地でも歩こうとウォーキングを始め檜尾川橋から名神の側道が終わる地点まで歩いた。ランプウェイが出来つつあるが、橋脚上に仮支えを載せ、正規位置(?)より上で、桁を支える格好で造られている。一体納まりはどうなるのだろうかとか、どうして、橋脚上に直に桁を組まないのだろうかと不思議に思った。***地球温暖化は、何時も呪文のように唱えられ、危機感が煽られる。気象庁は毎年発表するようになって今回が8回目なのだそうだ。それによると、日本の年平均気温は、19世紀末から21世紀初めにかけては100年当たり約1.14度のペースで上昇しているのだという。その間、対策は打たれているとはいうものの、どうも切実感はない。平均気温だとか、言われても、暑い日もあるし寒い日もあり、今日のような、春にしては冷え込む日などには、地球の温度は上がっているのだよ、と云われてもぴんと来ない。平均気温といわないで、せめて、今住んでいる所の実際の気温がどうなるんだと置き換えて言わないと身につまされることはないし、想像は付かないわけで、例え、そう言われたとしても、個人のレベルで出来ることはほとんど無い。ということは、COP(国連気候変動枠組み条約締約国会議)でさえ、一丸となった合意が得られないのだから地球は、緩やかに住みにくくなり、やがては灼熱の球体になるということだろう。そんな遠い将来のことなど・・・、というのが正直のところだろうか。原発の廃棄物処理のことをいっかな考慮しないで、原発を造りまくるのは之に似ている。後のことはまた後の人(子孫が)考えてくれるだろうということだ。要するに今が快適であれば、少々のことは何とかなるというのが、原発にしろ、温暖化にしろ平均的な人間が考えていることなのだろう。毎回引き合いに出すのが「ゆでガエル」だ。温度が一気に3.5度上がったら、一寸驚くだろうが、徐々に暖かく、且つ暑くなれば、人間は、それに順応するようになっていくのかも知れないし、知らず知らずのうちに死んでしまうと言うことになるのかも知れない。しかし、平均気温3.5度の上昇は、まだまだ致命的でないし、そうなるのは、生まれ変わって後、もう1回死ぬまでの期間経ってからだとなれば、殆ど歯牙にも掛けないのが一般人だろう。よしんば、そうでも、真夏の瞬間最高気温(最高だった四万十市の41.0度を記録した)が、自分の住む町でそれが、44.5度になったら、と考えると、一寸きつい感じがするが、それもしょっちゅうというわけではない。以前にイラクのバスラでは、1921年58.8度を記録したとのことがあったが、そんなところに住むわけはないし、と考えると更に切実感はなくなるのだろう。アンケートで、温暖化問題を「身近に感じている」と答えた人は調査方法など違うようだが、2002年では69%だったのが、2004年には79%に確実に上がっている。そこで、温暖化をもたらす二酸化炭素などの温室効果ガスを減らすためにエネルギーの使用を節約する生活を「してもよい」と答えた人は86%いるものの、省エネのための環境税の導入については、「反対」が約50%いるということだ。温暖化は困るけれど、差ほど切実感(自分が率先して何かをしなければという)には未だしとのことだ。これから、更に温暖化が進むとして、その対応はと考えられるのは、渡り鳥のような移住ではないだろうか。幸い、地球は、約23.5度傾いているから北半球と南半球では、季節が反対で、温度も真逆になるから、住めなくなった季節には、渡り鳥のように一時的に移住するというのが当たり前になってくるのではないかと想像される。勿論、移住には各種の制約があり、お金持ちで、しかも抽選にでも当たらなければ出来ないと言ったことも考えられるだろう。温暖化で影響を受けるのは遠い将来確実だが、切実感(対策を含めた)はまだ無いのかも知れない。
2015.03.21
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今日のウォーキングはゴルフにて代替する。コースは茨木国際GCだ。ここは、近いので時々訪れるのだが、今まで一度も満足のいく成績を残せていない。之は今回も同じだった。今年1番の陽気(温度も高く良い天気)はこの上ないのだが、如何せん成績は良くない。相変わらず苦手コールの確認になってしまった。それでも朝早いのだけは苦痛でないので、早々とゴルフ場に着いた。朝の連続ドラマを見終わったら丁度ゴルフ場だった。今日は東から西を回るコースだった。(掻い摘んで) 1Hのティーショットは、最高の出来で2オン。しかし、パットが悪く3つ叩く。ところが2Hはティーショットはまずまずながら、前回同様2打をチョロ、3打をバンカーで、何と脱出に4回掛かる体たらく。全く前回と同じパターンで、ここで、今日のゴルフは終わった。 3Hは2打から池越えのコース。ティーショットは右スロープから以外に転げて、池手前のフラットだ。前の爺さん連中が、ゆっくりゆっくりで、(これが言い訳)チョロして、その後も届かず3パットは、もういけない。その間友人は連続パーだ。ここで、夫人にも後れを取る。4Hショートはチョロで、谷の凹みに。やっとこさ載せてボギー。結果と経過は全く相容れぬ。 5Hロングはなんとか4つで載せたが3パットは頂けない。このホール3人とも同じスコアでパットも同じ。6Hは188Ydsのパー3と前回の1オンを偲んだが、アプローチが悪くGR越えでダボだった。友人は、OBかというのが助かって、同じスコア。夫人のみ1オンのパーだった。素晴らしい。7Hは、力んでOB。ここは見かねて、再度やり直させて貰って、それは良い調子だったが、アプローチが巧くなく、結果はやはり良くない。8Hはアゲンストに泣きながら、何とか4つで載せた。友人は2打目OB、そんなこともあるのかなと言う感じ。9Hは最後のアプローチでもたついて結局ダボ。流石、友人はパーで、きっちり借りを返していた。昼は、たっぷりの1時間10分休憩、ダイエットの気分でソバだけにしたが、之がエネルギー切れの結果を招いた。1Hは、打ち降ろしのロングホールだ。最初のドライバーはまぁ、巧く飛んだ。2打も良かったが、アプローチでもたつき、結果は出ない。 2Hは右に出て、多少の救済を受け、何とか3オンのボギー。夫人も同じだったが、何と友人は1,2オールを9打連続叩いていた。こちらの成績に合わせてくれているようだ。3Hは当たりが今一とチョロなどで、ダボ。4Hは気負って載らず結果はボギー。友人不調のお陰でここまでは先に打てた。5Hは2打を山裾に落として、3打でシャンクしたが結果はオンした。しかし3パットだった。段々疲れてきた。足が地に着いていなく、スウィングに自信が無くなってきた。6H、ここでは、考えられない事が連続して起こった、ティーショット、2打、3打、4打と、みんなチョロだ。今までにない感覚だ。7Hのショートは、池越えがしんどくて、やっとこさ越してボギーだった。友人は余裕のパーだ。8Hは緩やかなダウンスロープ。私は、まずまずで持ち直したかに見えたが、友人のティーショットは目も覚めるような勢いで、ゼブラポールを遙かに越え、250~260YDは軽く越えていた。惚れ惚れするような当たりだった。私は、3パットだったが、友人もアプローチをしくじって、5つ叩いたのは惜しかった。夫人は、ボギーで、上がっていた。9Hは2打までは良かったが、やはりアプローチが悪く、更に侮って、パターを4つも叩いてしまった。最悪の終了だった。終わってみて、良かったのは天候だけで、疲れの残る1日だった。
2015.03.20
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今日は雨のためウォーキングは中止した。***チュニジアで観光客が襲われ、日本人の犠牲者も出た。昨日(18日)のことだ。日本人3人を含む少なくとの19人が死亡、日本人3人を含む38人が負傷したとある。犠牲にあった観光客は、地中海クルーズ途中で、チュニジアに立ち寄り、その内の数人が、バルドー博物館見学ツアーにバスで参加していたときのことだ。バルドー博物館には、古代ローマのモザイクや古代ギリシア, チュニジア, イスラム時代の遺物が収蔵されているという。もし地中海クルーズに参加していたら、おそらく、折角来たのだから、書物で見たローマ時代の実際の遺物を見に行っていただろうと、テロが遠い存在ではなくなってきているように感じた。事件が起きたらその約5分の1はテロだと云っても過言がない位に、このところテロ事件が頻発していることを感じる。ついこの間、シリアで、イスラム国が邦人2人を殺害したニュースが流れたばかりだが、この場合は、敢えて、危険なイスラム国へ侵入したと言うことで、結果は無惨でも、起こりうるという点では、ある意味納得できる事だったかも知れなかったが、今回の観光客への無差別攻撃は、まさか、という感じだ。之までも、観光客が犠牲になる例も枚挙に暇がない位で、こうなったら、命がけで、海外旅行しなければならないことになる。日本人観光客の犠牲では、真っ先に思い浮かぶのは、1997年のエジプト、ルクソールでの外国人観光客襲撃事件で、この時も日本人10人が死亡している。古代史に興味を持つ者にとって、シリア、イラク(メソポタミア文明)やエジプト文明の遺産と云えば、少なからず興味をそそられるところだし、その後の大きな版図を記したローマ帝国もまた、大いに興味が湧くところだ。エジプトでは、この他にも、日本人は含まれていなかったが、観光客が犠牲になる事件が発生している。カイロ辺りは、特に危ない感じだ。チュニジアは、アラブの春でベン・アリ政権(独裁者)が倒され、民主化に向かって順調な滑り出しをしたように書かれているものもあるが、皮肉なことに、独裁者の不在は、治安の悪化にも繋がっているようだ。独裁者が倒れ、民主化がすぐに巧く回っていくかと言えば、それほど単純でもない。アラブの春以降、チュニジアでは、政権を担うための選挙が行われ、穏健派イスラム政党が第一党となって一定の秩序が戻ったようだったが、厳格なイスラム法を採るべしとする厳格派はこのままおめおめと引き下がるという風にはなっていない。事ある毎に政権に反旗を翻すといった中、何人もの首相が交代してきている。一昨年には、野党指導者が暗殺され、国中が混乱した。未だに、イスラムの穏健派と厳格派、さらに世俗・リベラル派が三つどもえで争う状況は続いているようだ。日本のように、野党といっても、元を辿れば、旧与党崩れ的な存在と違い、目的のためには手段を選ばずといった風潮は、およそ近代的な民主国家とはかけ離れていると言うことだろう。日本など諸外国は一斉にテロ撲滅を訴えているが、雨後の竹の子如く湧き出るような世界規模のテロを壊滅するという期待は、段々と絶望的になってくるようだ。時あたかも、明日は日本での最悪のテロ事件である地下鉄サリン事件が起こった日である。足下の事件も未だに完全に解決していない中、世界規模で、テロを撲滅することの至難さを痛感する。もはや、海外に観光に行かないで、じっとしているだけでも安全ではなくなってきたと言うことなのだろうか。
2015.03.19
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今日は寝坊でウォーキングを中止した。午後は先輩とゴルフ打ち放しに出かけ、2時間ほど頑張ったので、疲れてしまった。年々歳を取るとは聞くが、最近は、時々刻々歳を取っているような気がする。今日は、一寸疲れて頭も回転が遅いようだ。元々周りの良くない頭は、こう云うときは特に酷くなるようだ。***日銀総裁が、「物価が着実に改善している」と表明したようだ。庶民感覚で言えば、物が安いに越したことはないから、日銀総裁が言う物価改善=物価上昇という公式には、少なからず違和感を覚える。記事では更に、安い原油が、物価上昇の足を引っぱっているというのだ。何でやねんだ。今更乍らに、経済音痴を顧みず「デフレはどうして悪いのか」と考えていると、適当な解説が見つかった。(阪大教授の大竹文雄氏の解説)それによると、デフレとは、「持続的な物価下落」なのだから人々の暮らしはよくなるのではないか、物価がどんどん上昇するインフレよりよっぽどいいのではないと考えるのが所謂私のような経済音痴なのだというわけだ。しかし、こういう意味で「良い物価下落」という事も言われているという。そう聞いて、少し納得する。「良い物価下落」とは、技術革新や安い外国製品の流入、流通業の効率化ということで物価が下がっている場合のことだが、それなら人々の実質的な生活水準は上がっていくのだから、デフレでも良いじゃないかということだ。しかし、解説では、所得分配が不公平になり、悪影響が有るとのことだ。一寸分かりにくい。難しいことは別にして、デフレの問題点は、住宅ローンの負担を増し、リストラによる失業の可能性を増すとのことらしい。(この点だけだと、ローンは完済し、停年故リストラもない者には関係ないようだが)デフレでは、物価全てが一律に下がるのではなく、例えば、預金残高、現金、住宅ローンといった金融資産・負債といったものの実質的価値は上がるのだそうで、それにより、ローンを抱えた人たちはデフレで損をし、預金を持っている人たちはデフレで得をすることになるのだという。こうなると、デフレによれば消費意欲や投資意欲が高い人(ローンを持っている人など)から消費得意欲の少ない人(貯金している人・金融資産をもっている人)に所得が移転され、更に一層物が売れなくなるからだという。この様にデフレによる所得移転が不況を深刻にしていくのだというのである。何となくそんな気配は分かるような気がする。賃金についても同じことが言えるという。デフレになっても正社員の賃金は(上がらないが)ほとんど下がらない。そうなると、雇い主は物価(製品価格)に比べ高すぎる賃金を正社員に支払う事になり、経営を圧迫する(売上は落ちるのに給料は払い続けなければいけない)ため正社員をリストラし、デフレによって世間一般的に低下した賃金で、パート社員を雇う事になる。これで、正社員は減り、低賃金パートが増えることで、更に消費は手控えられる。正社員も、次ぎに来る、リストラの恐怖に備えて、消費を手控える。そんなスパイラルに陥るというのだ。そう言うことなら、何となく社会全体が沈滞ムードになるのも頷ける。では、インフレなら良いかと言えば、そうではないということは、少し前に経験している。インフレ率が高くなりすぎると、例えば、同じ品物が、毎日価格が上昇し、明日の価格がいくらになるか分からないような状況になると、貨幣(お金)が貨幣として機能しなくなってしまう。インフレが進むと、国は国債を乱発して日銀がそれを買うことで財政収入を得るということになって、国債増加、子孫に付けを回すことになり、こんな状態が続くと、ギリシャのように国際的信用が落ちて国が立ち行かなくなると言うわけだ。そんな解釈で良いのかな。だからバランスが必要だと言うことだ。株価は上がり、物価も適当に上がってきたが、大企業の威勢の良さ(ベア、賃上げ)が中小企業にまで波及するのは何時のことだろう。
2015.03.18
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今日のウォーキングはスタートが約1時間遅かったこともあって、1万歩を目処に、引き返すこととし、山崎駅から聖天の下迄の往復となった。夕刻、孫達とキャッチボールをしようと手渡されたグラブ、孫からの第1投を取ろうとして転倒、顔面をアスファルト面で擦ってしまった。足の縺れはやはり年齢か。しかし、一寸だけ良いところをと思ったことが裏目に出て、評価を下げてしまったことの方が、顔面の痛手よりも勝っていたかも知れない。******サウジのヌアイミ石油相の20年というのがあった。今の原油を低価格に据え置いている張本人という人だ。何はともあれ、個人的には、原油安、即ちガソリン安が一義的に跳ね返ってくるので、歓迎すべき人だ。そのヌアイミ石油相も今年で、80歳になるとのことだ。先のヤマニ元石油相とはいくらも年が違わない。サウジアラビアという国は新しく国王になったサルマン国王も、皇太子も皆老齢化していて、そんな高齢化した王族によって支配されている。日本は、石油の80%を中東から輸入していて、その中でもサウジの占める割合は大きい(全体でも30%を越える)正に生殺与奪の権を握られていると云っても過言ではない国だが、そんな切っても切れない国にも拘わらず、民間レベルの交流は少なく、日本人の認識の中では印象が薄い国である。渡航が難しいと言うこともあるが、彼の国から観光に来るという話も聞かない。成田空港で、あのオバQのような服装(トーブ)と頭の紅白の布(ゴトラ)を見かけたこともない。旅行の対象になる、観光地などもなく、ただ灼熱の砂漠が有るだけだ。たまたま訪れても、出会う人はサウジアラビア人である確率は低い。というのも、国で働く人の30%は外国人だからだ。彼らにはサウジアラビア人という感覚はないというが、初代に国を纏めた、アブドラアジーズに付き従った戦士(ムジャヒディーン)が優遇されているようだ。サウジの人口は2010年で2700万人だとのことだが、その内サウジ国籍は70%程度の1800万人だという。人口構成は、日本と違ってピラミッド型に近い理想的な国に見えるが、何しろ石油以外に資金源はなく、しかも若者に働き場所(産業)がないという国だ。石油から得られる富の殆どは、王族に吸い取られているわけで、その王族は、高齢者が多く、富が末端の国民にまで平等に分配されているかどうか甚だ疑問である。国内の働き手も出稼ぎ外国人が多く、サウジ人に職を付けるべく、外国人の締め出し政策が採られているようだが、その結果は、サウジの若者に十分な職が行き渡ったわけでなく汚れ仕事やスーパー、ガソリンスタンド等、単純労働を嫌う風潮が強く、こういった職へは付きたがらないようだ。こういった職種を埋めてきたのが、インドやパキスタン、バングラデシュといった国からの出稼ぎ人と言うことになる。政府方針で、サウジの若者に職をとのことで、これら出稼ぎ労働者を締め出しに掛かったが、若者はそれに応じないというのが現状で、追い出した分、空洞化した職種が生まれることになった。職種で人気なのは、意外とガードマンなどで、どうやら一定の威厳を保てるという意味合いがあるらしい。最も人気が高いのは、高給で余暇も多い政府系の職(公務員)で、公務員に至っては、あの働かないで有名な、そしてそれが為にEUのお荷物的に言われているギリシャの倍程度の割合を占め、2009年時点で、約60%が公務員だという。国のトップの政策と一般国民の生活とがこれほどかけ離れた国も少ないのではないか。若者が楽な公務員を選び、それを何となく資金源である石油でカバーして、何とかやりくりしているという状態である。ヌアイミ石油相が採る減産しないで、エネルギー源として、石油の存在をキープ(シェアの確保)することは、何にも増してサウジの国自体が存続する絶対条件なのかも知れない。
2015.03.17
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今日は、いつもより早く目覚めたので早めにウォーキングをスタートした。水無瀬堤から前島CCの往復だ。夕方から深夜に掛けてカラオケの練習に出かけた。連れ合いと、友人の3人だったが、何時のも客も1人加わってのことになった。次回のカラオケ大会は、5人のグループ制で戦うらしく、しかも通常のオネストジョン(申告点との差が小さい方が勝ち)方式ではないという。えらいことだ。歌い方の巧拙で得点が決まるわけで、有り体に言えば、歌が上手い方が勝つというものだ。しかし、純粋に歌の上手い下手が反映されるとは限らない点が1つだけあるという。テレビ画面の評点は一応まともに出るのだが、店独特のパネルに出る点数は、結構癖があって、俗に巧く歌えたからと言って、高得点に結びつくとは限らないのだ。私は、テレビでも、日頃からあまり良い得点が出ないので、次回はさぞかし大変だろうと思われた。準備していた曲は、実際に歌ってみると、音が取れなくて右往左往するばかりだったので、尚更焦る気分だった。申告点は必要ないことから、どんな曲が良い点が出るかと言うことになり、歌えそうな歌を沢山歌うことになった。また、友人とは、毎回なるべく新しい曲に挑戦しようと話していたので、尚更選曲が難しい。取り敢えず、候補曲を歌ってみた。森進一の「新宿港町」だが、テレビもさることながら、パネルは74点と話にならない。続く裕次郎の「あえるじゃないかまた明日」も同様で、パネルは75点しかでない。一方友人はと言うと、増位山の「夕子のお店」や川中美幸の「やらずの雨」などパネルも80点台でテレビは80点代後半が出る。安定感が抜群で、どの曲もほぼ同じ点数が出るのだ。連れ合いは、バーブ佐竹の「女心の唄」や藤あや子の「紫雨情」に挑戦していたが、テレビでは相変わらず90点を超える高得点が出るのだが、パネルは時に70点台も出たりするので、なかなか曲が決まらない。私の場合、都合8曲に挑戦したが、殆どどれも納得いく点数は出なかった。最後の最後になって、パネルでは高得点が出る曲名があるというのを教えて貰った。必ずしもそうならないこともあるが、概して高得点が期待できるというリストを見せて貰ったわけだ。まぁ、俗にインサイダー取引的な要素もあるが、その中の曲から、加藤登紀子バージョンの「知床旅情」を歌いパネル、テレビとも91点という私には破格のスコアが出たので、1つはそれに決め、もう1曲は坂本九の「上を向いて歩こう」とした。因みに、「上を向いて歩こう」は2回目の挑戦で、パネル84点、テレビは何と92点をマークした。友人は、最終判断は保留したが、「夕子のお店」と琴風の「まわり道」を歌うようである。連れ合いも、悩みに悩んでいたが、多岐川舞子の「出雲雨情」と井上ひろしの「雨に咲く花」に決めたようだ。友人が挑戦した曲も8曲で、連れ合いは、6曲にトライした。今回はチーム戦(どうやら我々3人は同チームになる)と言うこともあり、迷惑を掛けてはいけないと無言のプレッシャーが掛かった。同席した常連客は既に選曲は済んでいるようだったが、それでも5曲は歌っていた。中でも、今では禁忌曲になっているという「三つで五百円」を歌っていた。この人は時々目新しい曲を歌うので面白い。因みにカラオケ大会での選曲は桂銀淑 の「釜山港へ帰れ」と新田信市の「夫婦仁義」のようだが、この新田信市さんは次のカラオケ大会に来ることになっているという。いつものように終電間近の電車で帰ることになった。
2015.03.16
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今日のウォーキングは山崎駅の改札口から円明教寺口へ回って帰宅した。連れ合いの母親の一周忌だった。一家打ち揃って比叡山の墓に詣でた。空気も柔らかになって、良い天気になったので、墓参りには都合が良かった。昼食は、上牧の「コンテ」で共にしたが、なかなか料理が運ばれてこないのには閉口した。***ミャンマーの軍機から投下されて爆弾が中国とミャンマーとの国境のコーカン地区のサトウキビ畑に落下して、住民4人が死亡、9人が怪我をしたとのことだ。日経新聞の地図では、ミャンマー国内のように描かれているが、爆弾が落下したのは中国の雲南省側らしい。この辺りは少数民族コーカン族(中国華人系)とミャンマー政府軍の間で、古くから紛争が続いている地域である。2009年の戦闘(1989年以来続いている)では双方で死者34人、負傷者47人が出たと報じられたのが初めてだと言うが、それまでも同様の紛争が絶えなかったであろう事は容易に推測される。時の紛争で、37000人にのぼるミャンマー側の難民が中国側に避難民として流れ込んだようだ。世界中のあちこちで、国境と住民が、しっくりと来ないところがたくさんあるようで、ここもまたそう言った類の箇所である。そこで、にわか勉強だが、コーカン族というのはミャンマーの民族集団ではある(シャン族に分類される)が、中国から移住した漢民族であり、土着のビルマ(ミャンマー)人ではない。そして、コーカン族の祖先は、17世紀に雲南省から移住した明朝の遺民であると考えられている。たまたま(大国の思惑で)この地区が旧ビルマに組み込まれた。(1997年の推計で、コーカン族は近年雲南省から移住した人々と合わせてミャンマーの中国系住民の30~40%を占める。)丁度、今問題になっているウクライナ東部のような関係なのだろう。この地区独自の武装勢力はミャンマー民族民主同盟軍(MNDAA)を組織して、政府軍と対峙してきた。その数は2000~3000人規模だという。さらにミャンマーには130以上もの少数民族があると言われている。それらの部族は各々独立意欲が高いようで、1948年のミャンマー独立に際して完全自治を求めて国軍と戦ってきた歴史があり、軍事政権は1989年以降少数民族への一定の自治を認めることなどを条件に和平協議を進めてきた経緯がある。今も武装闘争を続ける「カレン民族同盟(KNU)」を除いて停戦の合意はなされていて、今回のコーカン族やワ族とは1989年以来、戦闘は起きていなかった。 前に一度深せんから中国に入ったことがあったが、そこには、多くの少数民族が見本市のように実際に暮らしている地区があった。中国との国境周辺のベトナムやミャンマーなどとの国境付近では、こういった少数民族が多く居住しているようだ。両者の紛争中に起こったこの事故は、中国側の人間を殺害してしまったという点で、初めての不祥事であるようだが、ミャンマー政府側にしてみれば、中国人が多く住んでいるからといって、コーカン地区を独立させるわけにはいかないと言ったところだろう。その裏には、ミャンマー民族民主同盟軍(MNDAA)を後押しする中国の存在が見え隠れしているからだ。今回の事件も、少数民族指導者に対して武器の違法製造(麻薬密造容疑との説明もある)を摘発しようとした際、反発した指導者らが蜂起し、地元の警察官39人を拘束したことが引き金になったと説明されている。ミャンマー側は、この少数民族指導者へ、中国が何らかの援助を行っていると見ている。ミャンマーのテイン・セイン大統領は一連の紛争が発生したのを受けて、「領土を1インチたりとも失ってはならない」と国軍を督励しているようだ。今回は中国軍が、正面から向き合っていることで、今後の展開がどのようになっていくのか興味深いところである。ミャンマーは、王朝時代から、イギリス領となり、ビルマ連邦時代を経て、軍政期に入り、今民政化への如何の途上という目まぐるしい変革の途上である。70%を占めるビルマ民族の他に、大小合わせて、135民族がいる中、国境周辺に居住する「山の民」と称せられるこれら部族との折り合いが、大きな課題の1つである。
2015.03.15
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今日は、曇天で、しかも路面が濡れていたので、通常コースは止め近くの名神高速道路沿いを、何時でも帰宅できるように歩いた。途中、案の定霧雨が降り出したので、急遽ウォーキングを止め帰宅した。先輩が車を点検に出すというので付き合った。夕刻遅く、姫が帰阪した。祖母の一周忌の為にわざわざの帰阪だ。時の経つのは早いものだ。***北陸新幹線の東京-金沢間が今日開業した。関西に住んでいると大阪から金沢間は従前通りなので、直接のメリットはないが、東京から金沢までを最速で2時間28分で結ぶというのだから便利になったものだ。之に先立って昨日は寝台列車「トワイライトエクスプレス」のラストランの話題で持ちきりだった。放送などで伝えられるJR側の話は、まあ分かるとして、これに寄りついた利用者側のフィーバー振りには、正直驚きの念を隠しきれない。最後に勇姿を見てみたいという気持ちは分からないでもないが、放送などを見ていると、十数回も乗ったという人が居るのを聞いて余程旅行好きのお金持ちが居るものだと先ず驚いた。鉄道ファンには、様々な人が居て、乗り鉄(列車に乗ることを趣味とする人)と呼ばれる人が、最も理解しやすいがこうまで入れあげるのは何が原因なのか正直分からない。一方撮り鉄と呼ばれる人種が居る(列車の写真を撮るのを趣味にする人達)。山崎駅近くに住んでいるので、サントリー工場の前辺りを通る列車を撮るのが良いらしく(大曲りするので良い角度なのだそうだ)、時折早朝にも拘わらず、大勢の人達がカメラを構えているところに出会うことが良くある。そんな人達をご苦労なことだと思って眺めていたが、更に上手が居る。「トワイライトエクスプレス」のラストランを前に、目を潤ませる人達が居ることだ。たかが列車のダイヤ改正(儲かるなら形を変えて再出場するはず)ではないかとは言っていられない。まるで、親戚の人が亡くなったのかと思う位の涙を流す人が居るのだ。「あんたは一体トワイライトの何なのさ」と言いたくなるような気持ちの入れようである。大勢の人が、相乗効果的(群集心理的)に、今見ないと、とか、今写真を撮らないと、とか思うのだろう。冷めた人もいるのだろうが、テレビに出てくる人達はおしなべて、雰囲気に飲み込まれている。全くけったいな人種だと思ってみていたが、之が一歩違えば、変なエネルギーの発生に繋がるのではと思ってしまう。そして、今日、新しい新幹線が開業したわけだ。こちらの方にも大勢の人が集まり、富山、金沢などの都市がクローズアップされて紹介されている。地方都市が、之で一躍檜舞台に上がるという感じだ。確かに喧伝されるが、このフィーバーがいつまで続くのだろうかと、一寸考えてしまった。便利になることは良いことだし、北陸に光が当たることも良いことだと思うが、建設費がどうだったのか、公共事業は予算通りには行かないのが常だけれど、回収に何年を要するのかなどと考えたら、現在のフィーバーがこのまま続かなければならないだろうにと思う。まだ大阪からの直通列車は先のことだけれど、そして、通じたとしても、我々が乗って北陸を訪れることが出来るかどうか(行きたいと思うかどうか)甚だ疑問だ。今まで、長野新幹線と在来線を乗り継いで、東京-金沢間を約3時間50分かかっていたのが、2時間28分になるので、1時間22分の短縮になる。時間をお金で買うことになるだが、之が安いのか、高いのか、俄には判断が付かないところだ。出来るだけ早期に回収して、やはり造って良かったなぁと言えるようにして貰いたいものだ。
2015.03.14
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今日は起床時間が遅かったので、ウォーキングは近場をと、若山神社の往復とした。連れ合いは、今日抜糸した。思えば、昨年6月12日事故に遭って以来9ヶ月で、何とかここまでこぎ着けた。正に青天の霹靂の事故だったが、以来2ヶ月余の入院、更に70回を数えようとするリハビリで、全く旧に復すとまではいかないが、何とか、自分の足で歩けるまでになった。よく頑張ってきたものだ。この間、ご近所の人や友人達の励まし、更には同傷で入院した人達との交流などの支えがあって、今日が迎えられたことは感謝である。また、娘のような歳の人と同じ様な回復力を示したことは一寸したものだと、敬意を表したい。***「ビッグ・ヒストリー」という授業が行われていることを知った。何となく、私が想定していたような、究極の歴史で、そこに科学的な要素を織り込んだ内容であることを見て、我が意を得たりと感じた。勿論というのは残念だが、日本ではなく、オーストラリア発(クリスチャン教授)なのだそうだ。ビデオでも配給されているようで、ざっと見てみたが、兎に角、希有壮大だ。通常の歴史なら、「人類の・・」といったことから始まると考え勝ちだが、このビッグ・ヒストリーは137億年前の宇宙誕生のその時から始められ、星が生まれ、元素が発生し、と万物の究極の起こりから解きほぐしている。更に、46億年前に地球(太陽系)が現れ、36億年前に生命が、誕生したと続く。20万年前にヒトとして互いのコミュニケーションを取り合い、1万1千年前に農業を始め、文明の基礎が出来上がったとなる。それから現代へと飛ぶのだが、極めて大括りながら、世の森羅万象の底流を、全て飲み干して行く感じすらする。最近日本でも歴史を日本史と世界史を統合したものとして教えると言うことが考えられているようだが、とてもそんな比ではない。考えれば、137億年もの時間を、ほんの瞬きもしない時間で教えることは不可能なのだが、そこが、想像力を持つ人間というものの凄さだろう。対象は高校生という紹介だったが、それもまた素晴らしいことだ。悪戯に固まった頭でこの様な内容を聞くと、「それがどうした」という反応になるかも知れない。若い頭に考えさせることがこのビッグ・ヒストリーの意義なのだろう。そこには、高校受験のための年号の暗記や、歴史上の細かな事象の抜粋だけに留まらない、しかも現代社会が勝手に引いた国境線別の世界の歴史などは取るに足らないことと理解されるはずである。個々の事象を少しか、あるいは深くか、を学ぶとき、その事はビッグ・ヒストリーという底流のなかのどの部分なのかを理解しつつ進めることになるのだ。Threshold(スレッショルド)と言う言葉が出てくる。「しきい値の状態」と訳されているようだが、1つの事象から次なる複雑性へ移る段階の入口の事を言っているようだ。物事の初めと理解すればいいのだろうか。ある意味では、知的な遊び、従来学んできた、個々の事象を繋ぎ合わせて、大きな流れの中で俯瞰することのようにも思える。紹介されたビッグ・ヒストリーは上述したように7つのthresholdに分けられていた。そのしきい値は次のようなものだった。最初(1番目)のthresholdはビッグ・バン (big bang)、即ち宇宙の誕生だ。2番目のthresholdは星が誕生でビッグ・バンから2億年後の事だ。3番目のthresholdは周期律表に載っているような色々な元素の発生である。4番目のthresholdは46億年前の太陽系の形成である。5番目のthresholdはいよいよ地球上の生命の生成(誕生)である。6番目のthresholdは約20万年前の現在の人類の出現である。7番目のthresholdは1万1千年前の文明の発祥である。そして、現代のより複雑となった人類の関係の発生があるとのことだ。ここからが、クリスチャン教授のエッセンスで、歴史全体を俯瞰する事で理解が出来たビッグ・ヒストリーだが、この後の道を誤ると8番目のthresholdで地球上からの抹殺という事態が起こることもまた考えなければならないというメッセージである。
2015.03.13
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今日のウォーキングは万歩計としての携帯電話も音楽を聴くためのiPODも持たずに歩いた。水無瀬堤から淀川の看板迄の往復だ。小学校学習会の反省会があった。その前には、3年生最後の学習会があり、私の担当ではなかったが、顔を出した。3年生は4年生に進級し、来年も学習会はある(3年4年だけが学習会の対象になっている)ので、2~3人の子に「4年になっても来てね」といったが、何やら他の習い事があるとかで、良い返事が返ってこなかったのは残念だ。最近の子どもは何かと忙しいようだ。「道であったら、挨拶してね」というと、之には良い返事が返ってきた。何だか、こちらの方が感傷的な気分になった。***土星衛星に生物が居るかも知れない、と思わせるような、記事が載せられていた。衛星の名前は「エンケラドス」で、そこには生命育つ環境である海底の熱水でできたと思われる物質が確認されたとのことだ。2005年時点で、土星には、46個の衛星の存在が確認されていた。(太陽系で最多衛星を持つのは木星の61個)最近までは、その最大の衛星タイタン(直径5150km)には生命存在の可能性が多く報じられてきている。太陽から「水、金、地、火、小、木、土・・・」と土星は地球からうんと離れている。地球から約128,000万kmで地球と太陽の平均距離の9.54倍も離れている。「へぇーそんなに遠くに生物が?」などと一寸した驚きである。これまでも、地球外での生命探しは、水の存在などを手がかりに続けられてきて、火星では2004年ころから水の存在が議論され始めていたし、木星の衛星の一つ「エウロパ」にも氷の層の下に海があるらしいと考えられている。これで、「地、火、木、土」までの各衛星に水の存在が確認されたことになる。さらに、太陽系外の惑星でも、地球から500光年離れた恒星をまわる惑星や、1200光年離れた惑星なども水が存在する可能性のあるとの発見がある。地球外生命に関する期待はいやが上にも盛り上がる。地球の海底には熱水が噴出している場所が有るといい、そこには多様な微生物が生息している事が確認されている。そんな、生命誕生の場の一つと言われる箇所が土星の惑星エンケラドスにもあるのだとのことだ。日米欧の研究チームの発表によると、NASAが1997年に打ち上げた土星探査機「カッシーニ」が得たエンケラドスからの噴出物のデータを分析した結果による推測だ。土星のエンケラドスは、タイタンの10分の1位の直径約500kmで全表面はマイナス180~200℃の厚い氷(厚さ30~40km)に覆われていて、中心には岩石の核がある。エンケラドス衛星の厚い氷の下には琵琶湖の1万倍もの水量の海があり、南半球の表面から地球の海底熱水噴出孔に似た形態で、間欠泉の如く水蒸気が宇宙に噴き出している。これまでの研究で地下海の海水には塩や二酸化炭素(CO2)、さらにアンモニア、有機物などが含まれていることがわかっているといい、今回の成分分析から二酸化ケイ素の微粒子(ナノシリカ)を確認した。このナノシリカは、岩石が高温の水に溶けてから急冷するときに出来るようで、地球なら温泉や海底に湧き出す熱水に含まれる。(ナノシリカができるには90℃以上の熱水が必要とのことで、日本のチームは、この地下海の環境の再現実験を担当し、ナノシリカの生成条件を特定した)これで、生命の存在に必要な三大要素である水、炭素、窒素等の元素、加えて光や熱などのエネルギーという条件が揃ったということで、現在も生命を育める状態があると結論づけた。今回の研究で地球以外にも生命が存在しうる環境があることを初めて実証した(火星や木星で水の存在らしきものは確認されているが)ことになり、メンバーの関根康人・東京大准教授は「生命がいる可能性は高く、いなくても生命に近い複雑な有機分子が合成されているのでは」と話している。これで、現実的「地球外生命」の発見に対する期待が大いに高まった。
2015.03.12
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恒例の高校同級生のゴルフコンペが大宝塚GCのコースであった。このコースは2回目の経験だ。 今回は私にとって19回目の参加で、9回目にここに来たことがある。従って、所々見覚えのあるホールはあったが、殆ど目新しい感じだった。今回は、9:02スタートとゆっくりしていたので、一般道を迂回しながら向かった。36ホールある内、前回同様、宝塚コースと西宮コースをアウト、インとして回った。前半は宝塚コースで、スタート時は極端に冷えて、つららのトンネルをくぐっての出発だった。途中のボールを洗う器具の中の水が凍っていた。奇しくも前回と同スコアで、全く進歩が見られない情けない結果だった。皆も成績は良くなく、寒さのせいも少しはあっただろう。No.1ではゆるゆると、4オンになったものの、1パットのボギーは、前回と同様だ。No.2は少し、ダフリ気味、FWだが距離は出ない。2打でバンカー手前、3打でバンカーと4オンで、2パットのダボだ。前回はバンカーに泣き5オンしたので少しましか。No.3も、打ち降ろし左ドッグ。途中ぼちぼちで、3打でバンカーだ。ここは花道というのは殆ど期待できず、どのホールも大型手袋のようなバンカーが待ち受ける。バンカーからの脱出はオンせず5オンだった。2パットのトリプルだ。No.4は打ち降ろし谷越えロングで、第1打から3打目までちぐはぐで、アプローチもカラーに止まるだけの前回と同様であった。5オンながら1パットで沈めボギーだ。 No.5のショートでは何と2度チョロして、3オン2パットのダボで前より悪い。前回は、ここでバンカーの多さに気づいたと書いている。 No.6はロングで、右に縦長の池がある。前の組のドラコンには及ばないが、まずまずで、2打目のチョロが残念だが4オン。ボギーで納めた。前回はダブルスコアだったのでまずまずだ。 No.7は打ち降ろしの左ドッグレッグである。2打目のチョロと、3打目GRオーバーで、4オンのダボ。前回はここで9つ叩いていた。 No.8は2打目で池越えがある妙ちきりんなホール。ティーショットをバンカーに入れ、2打で池。池手前で打って(4打目)池を越えず、5打で、下から何とかGR奥へ、6つでオンして、1パットで何とかトリプルだ。前半のここで、落胆の兆しは始まった。 No.9の前半ラストは、打ち降ろしショートホールだが、バンカーにつかまり2オン2パットだった。 前半を終わって、52と前回の57よりは改善の善戦で、よっしゃ、後半頑張るぞとの気持ちだった。後半は西宮コース。スタート前はまだ雪が舞っている。 No.1は広いフェアウェイに打ち降ろす左ドッグレッグのロングホールだ。ティーショットはまずまず、2打もOK。3打ダメで、4打でバンカーとちぐはぐ。5打をカラーに出し、何と1パットで沈めボギーを拾う。So far so goodだ。まだまだいけると思っていた。 No.2はこれも、大きく左へ曲がった打ち降ろしのミドルホール。左斜面中腹狙いで、少し右だが今日一の当たりで上々だ。7W の2打目はクリーンだったが、まだ距離を少し残す。思惑通りで、内心まずまずと思ったが、あろう事か、ぬかるんだライにクラブを取られて、2つ連続のザックリで、ガックリだった。(馬鹿か!)更なる1回のミスと、3パットも手伝って、9つは、闘争心を完全に失わせた。 No.3の景色の良いショートホールも気落ちのチョロで、2オンながらの3パットだ。沈む一方だった。前回パーなどとは、もう比較の意味もない。 No.4は真っ直ぐで広く、正面にグリーンが見える雄大なロングで1打目、2打目までは何とか飛んだ。しかし、ここでもライが悪く、気負いも手伝って、3打4打をチョロし、仲間からも呆れられる。バンカーを恐れ5つで乗らず、そこからまた2つでやっとGR上。2パットの9つは、完膚無きまでに落ち込んだ。 No.5は、力なく打った第1打、2打は、まずまず。3打でGRの少し手前、パターを持ち、へんてこりんにうねったGRの下段から強すぎのGR外へオーバー。返して6オン1パットのダボだ。 No.6は、ショート、第1打は快音なれどGR手前。2オンで2パットの平凡ボギー。 No.7は、左がOBの迫る打ち下ろしで、下には池が待っている。第1打はそれを避け右へ良い具合に当たった。2打は見えなかったが、何とか前に出ていた。3打で届かず、4オンしたが、3パットで、トリプルにしてしまった。それでもオナーだ。No.8は、少し打ち上げのホールだが、極めて良い当たりだった。だが・・・、続く2打、3打を連続OB今日の極めつけだ。後はふてくされて、罰打を入れて9つでオンしたとは友人が教えてくれた。人の不幸はちゃんと勘定してくれる。ギブアップ寸前の12を記録した。 最終No.9ホールは、もう殆ど覚えていない。正面にクラブハウスと大きな滝が見えただけ。最後1パットだったが6打だったそうだ。之も教えて貰った。メーカーか、ブービーかなどと、冷え切った身体を湯船に浸けても芯から温まるのに時間が掛かった。ところが、この日は、皆成績が悪くバンカーの多さを嘆くのは前回と同じだった。何と、ベスグロは前回と同じくやっと100で優勝者が決まっていた。私の成績でも、13人中7位だったのだから、寒かったせいか、腕のせいか、複雑な気分の表彰式だった。帰り道に迷うなど、ろくな1日ではなかった。
2015.03.11
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今日は寝坊したのでウォーキングは中止した。***世界の国会議員数の比較があった。100万人当たりの議員数の比較で、日本は、5.65人と、意外にも、平均的だということだ。比較された国の中での最高は、イギリスの22.5人、次いでフランスの14.32人少ない方では、インドの0.62人、アメリカの1.66人だ。では、今問題にしている議員定数削減は必要ないのかと言うことになるが、果たしてそうだろうか。何かにつけ、統計の数だけを頼りに議論することが良くあるが、ベースの条件や環境が異なる国同士を単純に比較することは、危険でもある。歴史的背景や、議員の役割分担など、数字に表れないものを考慮に入れるのは大変難しい。ここに述べられていないが、概して、北欧諸国の議員数は多いようだ。同じレベルの比較で言うなら33人~39人ということで、イギリスの数字よりも遙かに多い。この点、例えば、ちなみにスウェーデンなどは、議員が日本の役人の仕事の重要な部分に携わっているといった事を耳にする。それなら、単純に多いというわけにはいかない。ところが、日本では、往々にして、外国の諸例を引き合いに出し、数字の多寡だけで、多い少ないとか、議論することが多いのは、本来の姿を正しく捉えられなくなるようだ。日本は、議院内閣制であり、大正時代から政党政治が興って、同じ志を持つ集まりが、多数を占めて、その長が、国を代表するという形式を取ってきた。おそらく政党政治が発足した当初は、こういった理想が、巧く噛み合っていたのだろうが、最近では、主だった者以外は、さしたる定見もなく、議員になることだけを目的とした議員が、当選するために仮の席として政党を選ぶようになり、政策決定に関与するなどといった本来の筋とはかけ離れている感じが強い。また、さしたる力もないのに、芸能やスポーツ界で知名度が上がった人や、向き不向きに関係なく、親が議員だったことで、ほぼ自動的に担ぎ上げられる人、兎に角お金の力でのし上がる人といった具合に国会議員そのものがこれらの要素を持たなければ立候補することすら出来ないくらいに、閉鎖された職業としての矮小性を作り出している。なるほど、投票所に行って初めて立候補者の名前を知るような投票では、何処かで名前を聞いたことがあるという、ほんの少しのことが投票を左右するケースもあるだろう。選ぶ側の資質も問われることになる。要は議員個人の資質の問題だし、金の問題は何時もネックになる。国税とは直接関係ない地方議員なら、選ぶ地方の住民の利害だけで留まるので、好きにすればいいが、国会議員ともなれば、地方選出であろうが、地方の利益だけを考えて済む問題ではない。不明瞭な金銭問題を明らかにしないまま、地方だけの禊ぎで済むようなことがあっては問題だ。他国との比較云々を、数だけで事足りることにしないで、日本は日本なりに、適正な議員数を決めるべきであろう。少しでも不正や、不正の臭いがし、それを明確に釈明できなければ、少なくとも一定期間の公民権停止は厳格に適用すべきだ。政党は、数だけを増やすための人気取り議員を求めるのではなく、志ある人を糾合するなら、現在の議員数を必ずしも減ずる必要はないかも知れない。何もしないが、採決の時のみ1票を行使するためだけの議員なら、それこそ不要で、議員数は、半減でも良いと思う。また、女性議員数の比率の比較も掲載されていた。南アメリカの4割越えは別としても、先進諸国の2割まで届いていない現実は、何とかしたいところだが、女性故の問題を起こす人がいる(そう言う人を選んだという)事は意識や基盤が整っていないと言うことかも知れない。残念というか、日本はまだまだ政治的には発展途上国なのかも知れない。
2015.03.10
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今日のウォーキングは山崎駅から長岡京を過ぎ、更に歩こうとしたが、雨が降り出した。急いで引き返し、長岡京からJRで帰宅した。久しぶりにゴルフの打ち放し練習に出かけた。雨模様だったが最近はあまり行かなくなっていたが、明後日の同期のゴルフ会に備える意味もあって八幡ゴルフを訪れた。何しろここは、自動的に球がセットされるので楽だ。60歳以上割引があるようで、フロントで、確かめられたが、「70歳だよ」というと、「えぇ~~!?」と反応があったのは、営業用なのかどうか分からないがまんざらでもない。中央部は、2階の打席しか空いていなかったので、2階から打ったが、ドライバーは、向こうのネット(180の看板が置いてある)の下に落ちるのが精一杯だ。隣では、そのネットの中段位に突き刺さるような球を打っているのが居て、何だかやりにくく、距離の短いアプローチ練習ばかりやっていた。***有機ELについての紙上に簡単な解説があった。一口で言うと、「電圧を掛けると、自ら光る有機化合物で出来た電子材料」ということになる。もう少し詳しい説明となると、物質がエネルギー(電磁波、熱)を電界で供給されて光る場合をいうのだ。電気(Electric)で発光する現象(ルミネッセンス:luminescence)という造語だ。さらに、材料が、無機でなく有機材料を利用したものだとのことだ。無機と有機の差は、無機が化合物(硫化亜鉛等)の薄膜をガラス基板上に蒸着したものに対して、有機は、本来電気が非常に流れにくい絶縁体であるような有機物(プラスチック、ゴム等)に電流を通して発光させる技術だ。(海外ではOrganic ELではなく、Organic Light Emitting Diodeと表現する)携帯電話、テレビの画面、照明、電子ペーパーなどに使用されつつあるとのことだ。更に、現在は、巻き取れるディスプレーとして、従来投影機でスクリーンに映し出していた物が、投影機無しに可能になったり、新聞のように折り曲げられ対象にも使えたりする。薄い掛け軸のような壁掛けテレビなども期待できるし、ウエアラブルの端末として、腕時計のように腕に巻き付けることも出来るわけだ。之に対比されるのは液晶で、違いは、液晶の場合、バックライトが必要になる点だ。液晶の場合は、色は、フィルターの色ということなる。解説の断面図を見るだけでその簡素さが分かる。利点は、自分自身が発光するため、視野角による画像の劣化がない上、高いコントラストが得られ、そのため色が鮮やかで、動画もクッキリとズレが無く、軽くて、曲げることが可能だという。では、短所はといえば、そのコストだろう。65型テレビで言えば、有機ELテレビは100万円するのが、液晶では約半値で出来るとのことだ。この差は、単純に発明されて間が無く、一般に出回っていないからと言うだけではなさそうだ。有機材料を一般基板に均一に付着させることが難しい技術を要するとのことで、要求精度は表現をそのまま書くと「山手線の内側くらいの広さの土地に2mmほどの雪(有機EL材)を均一に積もらせる位の精度」だという。何となく巧い表現だと思い、確かに之は難しい技術が必要なようだが、現在は、「印刷方式」と呼ぶ、有機材料の塗布技術を開発中だとのことだ。こういった点の改良、開発は、日本の最も得意とするところだと思うし、日本の各社(ソニーやコニカミノルタなど)が韓国のサムスン電子やら、LG電子を追従する形で、参入しているようだ。2010年頃に有機ELパネル市場予測がされていたが、その時、5年後(2015年)には2兆円規模となっていて、現在ほぼその予想通りの道を歩んでいる。このまま推移すれば、2030年の有機エレクトロニクスの世界市場は7兆円を超える規模になることが予想されている。
2015.03.09
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今日は前日雨だったこともあり、路面が濡れて浮いたのでウォーキングは中止した。***ロシアの野党指導者ネムツォフ氏が暗殺されて、10日ほどが経った。様々な憶測がされている中、ロシアの国際政治学者エフゲニー・サタノフスキー氏(55)とリベラル派の経済学者で前ロシア高等経済学院学長セルゲイ・グリエフ氏(43)の両経済学博士へのインタビューが載せられていたので読んだ。ロシア人がどのように考えているかについて、両極端とも言うべき立場で意見を述べているのが面白い。鉄のカーテンで覆われていたソ連が崩壊して、ロシアになっても未だに政権の内部はどうなっているかを計り知れない。サタノフスキー氏は政権擁護派で、実に明確にプーチン支持を唱っているが、どうも素直に聞こえてこないのは、既に私に、予断が吹き込まれているせいだろうか。プーチン大統領がネムツォフ氏の暗殺指示を出して(裏で)も何もメリットがないと話している。あーぁ、この人はロシアで成功し、きっと裕福で安定して暮らしていけるだろうと感じた。ネムツォフ氏暗殺を反プーチン派が、プーチン氏を陥れるための行為だというのだ。素直には頷けない。この人は、ロシアに於ける汚職体質を、ある程度是認している。野党の政治家だって、同じ事をしてるじゃないかというわけだ。汚職撲滅と、反プーチンを掲げるブロガーのアレクセイ・ナワルニー氏についても、極右のポピュリストだと素っ気ないうえ、同氏が権力を握れば、北方領土は返ってこないぞと言っている。(日本を脅している)プーチン大統領は、きっとこういった取り巻きに囲まれているのだろう。一方のグリエフ氏は、ネムツォフ氏の暗殺について、クレムリンの傍で、政府の関与無くして暗殺が成り立つとは思えないとの意見で、どうもこちらの方が、しっくりと聞ける感じだ。ネムツォフ氏の暗殺によって、野党勢力に大打撃だったことは明らかで、過去の事実を踏まえ、野党内に、政府(プーチン)に楯突くと、殺されかねないと言う恐怖が広がっているとの事だ。このことは、2006年にプーチン政権に批判的な「ノーヴァヤ・ガゼータ」紙の女性記者アンナ・ポリトコフスカヤ記者が暗殺されていること、元スパイ(連邦保安局元中佐)のアレクサンドル・リトヴィネンコ氏の放射性物質ポロニウムを使っての暗殺されていること、同月にプーチンと対立していたガイダル元第1副首相も毒物を盛られて一時重態に陥った事件など枚挙に暇がない。ほかにも、まだまだ暗殺の事実はあるようで、2009年にはロシアの著名な人権派弁護士、スタニスラフ・マルケロフ氏が白昼にも拘わらずモスクワ中心部で暗殺され、さらに、暗殺されたポリトコフスカヤ記者と同一紙「ノーヴァヤ・ガゼータ」の女性記者アナスタシヤ・バブローヴァ氏も、頭部を銃弾でぶち抜かれて殺害された事実がある。また、同年7月、人権団体「メモリアル」の女性幹部ナタリヤ・エステミロワ氏の暗殺、2013年の企業家ボリス・ベレゾフスキー氏(イギリス亡命中だったプーチンの政敵)の変死等が相次いでいる。正に暗殺大国、恐るべき事だ。こうした一連の暗殺劇や更にその納め方(政府側の関与はなかったとする結末)を見ても暗殺は推して知るべしとの感じだ。原油暴落でエネルギー輸出国ロシアの危機が叫ばれているし、クリミヤ、東ウクライナなどでの、強権発動に対しての欧米の制裁など、プーチン政権は、強固そうに見えても、案外脆弱な基盤の上に立っているとの見方もある。粛清などと言う言葉は、この国のためにあったかの印象だが、権力者は、強権的な手段を使うと下野した(力が無くなった)時に大きなしっぺ返しを受けることはこの国の歴史を紐解くまでもないことで、それがため、プーチンは、死ぬまで、奇策を弄して(暗殺など朝飯前)、ロシアの大統領に留まるような雰囲気である。国民の支持率84%とか、クリミヤを取り返してくれた、プーチンに、ロシア国民は至って満足している。今回の東ウクライナを掠め取ることでも、更に人気が高まるだろう。そんなロシアの国民は、天動説を信じていて、その割合は、2007年のアンケートでは、28%であったのが、2011年には、32%に上昇しているという。正に時代と逆行している集団のようなのである。
2015.03.08
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今日のウォーキングは水無瀬堤から淀川看板迄の往復だ。降り出しそうな危うい天候だったが、帰宅後に雨が降り出したのはラッキーだった。夕方遅くまで雨が降っていたが、太郎君一家が食事にやってきた。小学生の孫は歴史に興味を持ち始めているようだ。そう言えば、学習会の子どもも、「前田利家」の漫画本を持っていた子がいた。連れ合いは、それを見越してというわけでもないが、書店で、漫画歴史のシリーズ第1弾(5冊)を購入していて、早速孫はその本に見入っていた。幼稚園の弟の方は、4月からワクワクの小学生になる。孫は皆、グングンと成長していくようだ。***日経のゼミナールに激動する原油市場について日本エネルギー経済研究所のレポートが掲載されていた。この中から要点を抜粋してみる。2011年から3年半に亘って、1バレル100ドルを越えていた価格が15年初めには40ドル台まで下落した。之は中国や欧州の経済の減速や低迷に加えてアメリカがシェールオイル・ガスを増産し、需給が緩んだことが挙げられる。之に対して、供給側のサウジなどが減産をしないで、価格下落に対する防衛をしなかったことが原因の1つに挙げられる。何故か。原油が高止まりすれば、シェールガスの開発進み、原油(天然ガス)一辺倒だったエネルギー市場に、シェールガスの進出が加速してくるのを防ぐためだ。原油対シェールガスの戦いと言うことになり、市場のシェア確保に重きを置いたことに起因している。目先の利益よりも市場から追い出される事への懸念が働いたものだ。原油生産国(中東特にサウジ)はアメリカとのエネルギー市場の支配を巡って是非にも勝ちに出たわけだ。それがサウジにとって死活問題だからだ。この煽りを食っているのが、ロシアであり、ベネズエラ、イランなどの石油の輸出国だという。アメリカがシェールガス開発を諦めるコスト面での閾値がどれ位なのか、そこまでサウジは頑張るつもりだ。原油生産事業では、開発・生産を行う上流事業が8割を占め、精製・販売の下流事業とか、その他石化事業などが残り2割なのだという。そこで、原油価格の下落は、これら上流事業を直撃することになり、M&Aが行われる可能性もあるとのことだ。資源開発や輸出のインフラ整備は、多額の初期投資が必要であり、原油価格の下落はこれら開発の低減を迫られ、アメリカのシェールガス開発投資は既に3割強も減少しているようだ。(日量100万バレルから60万バレル程度)之は、時間差で、現在の原油安が、やがて高騰する要因になるともいえる。サウジなどは、こう云ったことを目論んでいると言うことだろう。何しろ、中東は、世界の石油・天然ガスの産出中心で、石油・天然ガスともその埋蔵量と輸出量に於いて、世界シェアの41%~48%を占めている。中東の安定が、世界のエネルギー供給上も重要であることは論を待たない。一方需要の面から見ると、発展途上国の消費量に飛躍的伸びが見られ、中でも、中国、インドの伸びは著しい。発展途上国の消費シェアは1970年代初頭で25%未満であったものが、2040年では、37%を占めるまでになると予想されている。今年初めに1バレル40ドル台にまで低下したブレント原油価格は最近60ドル台にまで上昇している。どの辺りに落ち着くかは様々な要因があるので一概には見通せないようだが、日本エネルギー研究所は2020年にかけて、1バレル70~80ドル前後になると見通している。40ドルに低下した頃、アメリカでは倒産したシェール企業が出たが、エネルギー分析の第一人者ダニエル・ヤーギン氏は「1バレル70ドルなら8割のシェール企業が成長できる。同60ドルだと利益が出るのは半分だ。足元は同40ドル台で、多くのシェール企業にとって厳しい局面にある」と述べていた。アメリカのシェールガス企業と、石油元締めを任ずるサウジアラビアの思惑がどのように展開するか、その事が、石油輸出で成り立っているロシア経済にどう影響するか、また中国が成長路線の修正を発表した「新常態」がどう影響をしてくるのか、予断を許さないといったところだ。
2015.03.07
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今日は姫が湘南へ帰るのを見送るためにウォーキングは中止した。過密なスケジュールの中の東西往復は、大変だろうが、若さ故の行動力だ。連れ合いは、退院後初の検診を受けた。同時に再手術した病院で知り合った友人と仲良く揃って検診を受けていた。***世界最大級の新種のイカ・タコの化石を発見したとのことだ。発見されたのは下顎部分の化石2点だそうだ。 北九州市立いのちのたび博物館が東大、京大との共同研究発表したもので、約8500万~8千万年前(白亜紀後期)の地層から出土したとされている。博物館によると「白亜紀後期の北太平洋は、首長竜などの大型生物のほかに巨大なイカ、タコ類も栄えていた」とのことだ。発見されたのは下顎部分で、イカの方は長さ6.3cm(2012年7月発見)、タコの方の化石は長さ9.0cm(1978年に収集)という。そんな化石を見ても素人には想像が付かないが、之を元に作成され、新聞に(日経や産経)に掲載された復元図を見るとその大きさは驚異的だ。(スルメイカの下顎は通常1cmでこれと化石の実物比較図が載せられていたが、やはりでかい)この化石から推定される大きさは、イカはツツイカ類で全長10~12m、タコはコウモリダコ類の新種で全長2.4m、胴の長さは1.6mだとのことだ。イカの場合は、先頃生きたまま捕獲された、ダイオウイカと同等かそれ以上の大きさだとされている。アメリカで保存されていたダイオウイカ(全長7.7m)の標本と比べ、今回の下顎は1.3倍もあるとのことだ。一方タコの方は、現生のミズダコでは腕を含む全長がこれを上回るものもあるそうだが、その場合も胴は通常30cm程度というから胴の大きさから見れば馬鹿でかい。大きいと言えば、体長34メートルのものまで確認されているシロナガスクジラで、現存する最大の動物種だが、今では、それを奇異と感じる人はあまりいないだろう。どんな生物でも人が一旦認知してしまえば、それは、もはや特異なものでなくなってしまうわけだ。地球上にはまだまだ知られていない、驚くべき生物は沢山いるようだ。「深海と深海生物」では、有人潜水調査船「しんかい6500」を使って、地球の様子や様々な生物探査を行っているようだ。これらの本を読んでみると、どんな生物が居ても不思議ではない位にバラエティーに富んでいる。地球の海陸の比は7:3といわれているが、30%の陸でもまだまだ知られていない所がある位だから、海に於いては、何があってもおかしくないと言うことだろう。今後、どんな生物が、発見されるか分からない。未知が既知になったとき、次なる未知は更に驚くべきものになるだろう。そこで、昔買った「The future is wild」を見てみると(勿論書かれている内容は、架空のものなのだが)様々な想像がされている。そこには、こういった記述がある。(未来の生物について書かれている)「人類が姿を消してから1億年後に起こった大量絶滅で、陸生の脊椎動物は全て死に絶える。空席となったニッチにはタコ、コウイカ、イカなどの進化した頭足類が新しく入り込んだのである」といって紹介されているのは、地上に進出した体重8トンものイカ(メガスクイド:声帯を持ち、発生させた音を額の嚢で共鳴させて大きな声にする。雑食性で、森の中をのし歩きながら触腕を伸ばして手当たり次第に餌を掻き集める)などだ。まるで、タコ・イカと象を足したような化け物だ。今回発見された、タコやイカは、こういった将来、進化発生する生物の前触れなのかも知れない。
2015.03.06
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今日のウォーキングは山崎駅から西山天王山駅で折り返した。西国街道で、隘路になっていた道路の拡張工事(家の撤去など)が本格化してきた。また、西山天王山近くのセブンイレブンが、いつの間にか店をたたんでいた。小学校の放課後学習会があった。肌寒い日ではあったが、陽光が何となく春らしくなってきた。また、姫が出張で来阪していたようで、夜遅くになって、ひょっこりと来訪した。***エチオピア北東部のアファール州で、280万年前の原人(ホモ属)の化石を発見したとの発表があった。発見された化石は大人の左側の下顎部分で、歯も5本残っていた。アメリカ、アリゾナ州立大などのチームが2013年に発見したものを、放射性同位体を用いた地層の年代測定などによって、280万~275万年前の化石と特定されたとのことだ。これは、これまでエチオピアで発見された化石よりも古く、現生人類を含むホモ属の最古のものとみられ、ホモ属の起源が従来の説から約40万年さかのぼる可能性があるとのことだ。原人と猿人の違い、といわれても判然としないが、これらの区分呼称は、サルからヒトに似た類人猿になり、その後の進化でヒトとなり、それを原人と呼んで、やがて、旧人、新人へと段階を追って進化したという前提での区分けであるから、必ずしも的確にこの分類を適用するわけにはいかないこともあろうが、少なくとも、今回の化石は、類人猿ではなくホモ(ヒト)の範疇に入るとのことらしい。1つの種が絶えて、次が出てくるといった整然とした進化ではないので、難しいところだが、現在では、類人猿に近い猿人として発見されたアウストラロピテクス・アファレンシス(アファール猿人で俗にルーシーと呼ばれている)が最も近いヒトへの分岐点辺りと考えられている。その後アウストラピテクス・アフリカヌスやアウストラピテクス・ガルヒなどといった猿人か原人かといった種が発見されている。(学会での統一見解はあるのだろうが、私にはよく分からない)その後ホモ属では、ホモ・ルドルフェンシスやホモ・ハビルスが原人の最古のものとされていた。之と同類なのが、ピテカントロプスといわれていて現在は、ホモ・エレクトスと呼ばれる種である。この間を埋める原人が今回発見されたというものだ。この間の進化の具合が、今回の発見で、少しは分かってくるのだろうか。発見されたのは左側の下顎部分だけだとのことで、之を元に、様々な推測がされるのだろうが、何とも大変な作業だろう。こういった化石が発見される度にそれまで支持されていた仮定が少しずつ修正されていく大変な作業となる。そして、猿人から初期のホモ属への進化の具合が少しずつ分かっていくという。今回、一口に40万年縮まったと言うが、これ自体、気の遠くなるような話である。考えるに現代の人間は全体(マス)として、人間と名前が付けば、皆同じという風に考えているが、おそらくは進化の度合いが違うことになるだろう。かつて、ヒトラーが、アーリア系人種の優越性を唱え、ユダヤ人を壊滅の追い込もうとしたのはこう云ったことが根底にあるのだろう。今までは、仮に、アウストラロピテクス・アファレンシス(ルーシー)の発掘後、進化過程で分岐して、ホモ・ハビルスに向かうものと、ホモ・ルドルフェンシスに向かうものがあっても、互いの間は完全に孤立した関係だったとは断言できないわけだ。勿論互いの間の交雑をも考える必要があるし、また実際にそうであったか分からないわけだ。一方で、年代を識別特定する地層の年代測定方法も、現在の放射性同位体を用いた地層の年代測定方法が、絶対無比とも言い難く、更に的確な方法が出現しないとは言えない。(現に今回の年代推定の幅は、280万~275万年前と5万年の差がある。)年代の特定が、もっと精度の上がる物が出たりすると、更に興味深い事柄が説明できるかも知れない。人類が発祥したのが700万年前とされ、現在までの間が、更に詳しく分かることで、チンパンジーがより身近に感じられるかも知れない。
2015.03.05
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今日のウォーキングは路面が濡れている事を理由に中止した。***戦艦武蔵がフィリピン沖で発見されたようだ。発見したのは、米マイクロソフトの共同創業者ポール・アレン氏とのことだ。場所は、フィリピン中部シブヤン海の海底とのことで、詳細な位置は明らかにされていない。戦艦大和の同型2番艦で、1942年 8月5日に就役し、僅か2年余の1944年 10月24日に沈没したという。ついでながら起工は1938年 3月29日で造り始めて沈没するまで、僅か6年余という極めて短い一生だったわけだ。(戦艦大和は起工が1937年11月4日、就役は1941年12月16日ながら、沈没は1945年4月7日沈没で武蔵よりはやや長命だ)私のように、造船の設計に携わったものからみれば、起工時には、設計の職務の殆どは修了していて、細部の調整事項が残っているだけなので、設計開始、から言えば、更に1年余の前から武蔵は息づき始めたとのことになる。それにしても短い命で、武蔵が沈んで1ヶ月の後に私がこの世に生を受けたことになる。私の父は、海軍に奉職していたが、武官ではなく文官で、戦艦大和の設計に携わったと聞いたことがある。大和は、大日本帝国海軍が建造した史上最大の戦艦で大和型戦艦の1番艦だと紹介されているように、戦艦武蔵は大和の弟分に当たる。造船(艦船)設計は、同型船の場合1番艦を設計すれば、2番艦は、殆ど手を加えることなく建造されるのが常だが、強いて言えば、艦上装備の副砲の15.5センチ砲の数が「大和」の6門に対し「武蔵」は12門、高角砲である12.7センチ砲が「大和」の24門に対し「武蔵」は12門と増強されているのだそうだ。大きな違いは、建造場所が「大和」の「呉工廠」に対し、「武蔵」は「三菱長崎造船所」だと言う点だ。父は呉の海軍工廠に勤務していて、この副砲か、高角砲の設計に携わったといった内容のことを生前に言っていた。主に、一定時間内に発射する砲弾を如何に多くするかについて力を注いだと言うことだった。何れにしても、「大和」は海戦をしたこと事が無く、撃沈されたのも日本からそう遠くない東シナ海だった。今回発見された武蔵は、シブヤン海だとのことだから、フィリピンの内部にまで到達していたわけだ。フィリピンは大小合わせて7000余島からなる島国で、私はかつて、シブヤン海の更に南のビサヤ諸島(セブ、ボホール、パナイ、ネグロス)を回ったことがあるが、それよりも北で、フィリピン最大の島、ルソン島との間と言うことになる。何やら因縁めいたものを感じる。武蔵は、日本が断末魔に近く、神風特攻をも仕掛けた史上最大の海戦とよばれるレイテ沖海戦の初段階のシブヤン海海戦での撃沈となるようだ。武蔵の乗員は3300人(吉村昭の戦艦武蔵には2300人となっている)とされているが、沈没時には、1000人余が艦と共に沈んだとある。壮絶な戦いであったことは様々な書物で、明らかにされているが、71年経った今、発見されたことは意義深い。1000人の霊を弔うにしても、之がアメリカ人に依ってではなく、日本の手によって発見されたらと思うが、所詮そこまでの気概も財力もないということかも知れない。靖国がどうのこうのと、表面的なことばかりを言うのではなく、改めて冷たい海に沈んだ1000人余の英霊を丁重に弔う機会だと思った。大艦巨砲主義、不沈艦などともて囃され、技術の粋を集結して建造された戦艦であったが、あまりにも敢え無い最後、あまりにも無駄な努力であった。造船に携わったものとしては、技術的な見地から、大和、武蔵の設計や建造から得られたことは多かったと思う。この技術が、平和目的で使われていたら、日本はもう少し別な道を歩んでいたかも知れない。
2015.03.04
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今日のウォーキングは檜尾川橋から名神側の道を歩いてその終点で折り返して帰宅した。***切らずにガンを治療する。こんな夢の治療が出来たらどんなにか福音となることだろう。そんな1つの方法にガン粒子線治療装置というのがある。この装置については、各社が開発に努めているところだが、このほど三菱電機がこの装置の小型化に目処を付けたという。現行装置は直径が約20mあるのだそうだが、それを3分の1に小型化するという。粒子線治療装置はがん細胞に原子レベルのイオンを照射するのだが、このイオンに、炭素イオンを使う方法と水素イオンを使う方法とがあり、三菱電機の方法は炭素イオンを使うタイプだという。この方が、患部をピンポイントで狙いやすいのだそうだ。何れにせよ、従来のような大型では、粒子線の漏れ対策などで、専用建屋が必要で、コンクリート壁厚も厚くなり、大がかりなものとなっていた。小型化で、コストを下げると同時に、一般の病院にも採用されやすくなるようだ。しかし、実用化はまだ5年先のことだ。粒子線治療の経験を持つ患者は世界で累計12万人とみられ、約2万5千人が日本の施設を利用しているとのことで、そのうち8割が三菱電機の装置で治療を受けている。粒子線治療装置は日本では、三菱電機、日立製作所、東芝など、さらにベルギーのIBAなどが製造している。東芝の「重粒子線がん治療装置」の小型・低コスト化は2020年の実用化を目指している。重粒子線装置の小型化に成功というので気がついたのだが、千葉の放射線医学総合研究所(放医研)が2006年にがん治療で、装置を従来の3分の1に小型化する技術を開発したという記事があった。同じ3分の1と言うのが気になったのだが、その時記事では、「現状で装置は線形と円形の加速器を組み合わせ、建屋面積は7200平方m」とあった。放医研の改良で、建屋面積3000平方m(小型化故)としたというもので、その技術を群馬大に提供し、群馬大は、この技術で新装置を前橋市につくるとのことだった。そこで厚生労働省の認可を経て、早ければ2010年度に患者の受け入れ態勢が整う手筈とのことだった。 とすれば、群馬大では、小型化による治療例が出ているはずなのにと訝った。群馬大と言えば、肝臓切除手術で腹腔鏡手術後に8人の死者を出したことで、問題視されていて、この事件の取っ掛かりは2010年以降だとある。群馬大でのその後の動向は分からない。(因みに放医研は2013年5月20日に治療の臨床試験を始めたとのことだった。)重粒子線装置と腹腔鏡肝臓切除手術とは直接関連はないといえ、おそらく外科という事からは、何らかの共通するものがあるのではないかという点だ。腹腔鏡肝臓切除手術は未熟な医師個人に帰せられるだけでなく、群馬大の管理システムそのものに起因していることも明らかなようで、重粒子線装置が巧く機能させられていないと言うことなのかも知れない。何れにしても、万人が待ち望む装置を活かすも殺すも、現場病院が担うわけで、巨額の投資(群馬大での建設費は125億円程度だという)が税金によって賄われている。 医者の資質は様々だろうが、国立大で、そろいも揃っての無茶振りは、前途の希望を無くすものだ。
2015.03.03
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今日は寝坊をしたが、外に出ると霧のような雨が降っていることもあって、ウォーキングは中止した。***商船三井が世界最大のコンテナ船を2017年に就航させるとのことだ。一気に6隻を投入するというから画期的だ。建造する造船所は韓国のサムスン重工業で4隻、残りの2隻は日本の今治造船だという。一昔前なら、全量を日本の造船所が分けあって建造したであろうところだが、現在は、韓国のおこぼれを頂戴した格好だ。世界最大のコンテナ船というのは、どれ位かといえば、20フィートコンテナを何と2万個を積めるという。コンテナの大きさは20フィートコンテナ換算(TEU)で、いくつ詰めるかで表すことが通常で、5000個も詰めれば大型と称して差し支えなかったが、何とその4倍もの個数を搭載できると言うから、驚きだ。現在就航中のコンテナ船の最大は、中国やスイスの海運会社が運行する19000TEUだという。これは、新聞によるが、船名などは分からない。ウィキペディアではデンマーク社マークスライン(私たちはメルスクと呼んでいた)エマ・マークスが最大で14500TEUと出ている。何れにしても、その巨大さが類推できる。巨大船が叫ばれた頃は、専らタンカー(オイルキャリアー)のことが多く、30万トン以上をULCC(Ultra Large Crude Oil Carrier)と呼んでいた、それより少し小さめの20~30万トンのタンカーをVLCC(Very Large Crude Oil Carrier)などと呼んで共に巨大船としていた。因みに、現在世界最大のタンカーはノック・ネヴィスで56万トンのようだ。こんな馬鹿でかい船舶を建造できる造船所は限られていて、私が設計したのは13万トンが精一杯だった。タンカーとコンテナ船を比較するのは難しいが、単純に船長で比較すると、最大タンカーのノック・ネヴィスは458mで、この度建造しようとするコンテナ船は400mというから、驚異的な大きさということになる。因みに現在最大のコンテナ船エマ・マークスは398m(14500TEU)でほぼ同等の長さだが、之を抜くことになる。去年横浜港に同型船がデモンストレーションで立ち寄ったとのことだが、残念ながら見る機会はなかった。船を巨大化すれば、運送効率が増大して、引いては、運ぶ貨物の運賃単価が低下することが期待できる。しかしこれほど大きなコンテナ船となると、どこでも手軽に立ち寄ることは出来ず、世界の限られた港にしか立ち寄れないことになる。空港のハブ化のように、港湾でもハブ化が求められる。船舶の巨大化ではコンテナ船とタンカーでは構造上の大きな違いがあり、之がコンテナ船の大型化を阻むネックの1つになっていた。タンカーの場合は、船体を長さの中央で(ミドシップという)切断した構造は1つの筒のようなもので、之に船体タンクの仕切りのために隔壁が配置されている。丁度船体を竹筒と仮定すれば、竹の節が隔壁と言うことになる。こういった構造なら、捩り強度(竹の捩りに対する強度)は十分に強いが、コンテナ船の場合は、コンテナを船倉に挿入するために甲板に巨大な開口を要することになる。勿論航海中は、船倉に水が入らぬように大型のハッチカバーで塞ぐのだが、ハッチカバーは、ボルトなどで船体に締め付けられているだけで、船を捩ろうとする力に抵抗してはくれないのだ。従って、開口付近では、結構大きな力(応力)が掛かり、応力の流れも一応ではなく集中して、(応力集中で、通常3倍程度になる)之に耐える構造にしなければならない。船の外観は船種によって違うのは勿論だが、全体的に見ると差ほど変わらないようにも見える。タンカーは巨大化する(現在は56万トン)ことが出来るのだからコンテナ船も同じではないかと思われるかも知れないが、上述のように、実は設計上大きな違いがあるのだ。今まで経験したことがない巨大コンテナが出来上がるということは素晴らしい技術の進歩だと感心する。
2015.03.02
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今日は雨のためウォーキングは中止した。はや、3月になった。人間の生涯は、高々100年未満。毎年こんなに早く時が過ぎれば一生なんて言うのはあっという間に済んでしまうことだと思うが、それはそれで、結構長い時間が掛かっている。それでも、最近はその時の流れがますます速くなっているように感じる。***地球は、46億年前に誕生した。そんな中でも、人(ヒト)は700万年前に地球に出現したばかりだ。そして、今があるのだが、こんな風に考えると、世の中の事どもはちっぽけに見えてくる。時々は、そんな希有壮大なことを思ってみるのも必要なことだ。昨日の新聞に、「巨大カルデラ噴火」の事が書かれていた。世の中の出来事全てを足しても、地球の脅威に比べれば、些末なことである。そんな記事を追ってみた。鬼界カルデラと呼ばれるカルデラがあるようだ。このカルデラは、薩摩半島から約50km南の大隅海峡にあるという。活火山に指定されていて、大きさは、地軸に斜めの約25km×約15kmの楕円形だという。そして、カルデラ底部の水深は400~500mなのだという。この火山が噴火すれば、膨大な量のマグマが噴出して、火砕流など周囲に甚大な被害を及ぼす結果となる。そんな大規模噴火が、日本列島周辺で7000~1万年に1回ほどの頻度で起きているというのだ。鬼界カルデラ噴火の研究によると、直近の噴火は、7300年前に起きたのだという。その研究を通じて、様々なことが分かってきたようだ。記事を見ながら、最近(2010年以降)何だか、日本近傍で火山噴火が多いような気がして調べてみると、桜島の活動が活発化して噴火(何度も噴火している)、霧島・新燃岳の噴火、阿蘇山の噴火、西之島周辺噴火、永良部島・新岳噴火と結構メジロ押しで、ここ5年ほどの間に頻発している。昨年9月の御嶽山噴火は一寸離れた場所だが、地球規模では、ほんの近傍だ。そして、昨年11月の阿蘇山噴火が記憶に新しい。火砕流の被害では、1991年に死者43人を出した雲仙普賢岳噴火が、まだ頭に残っている。(雲仙普賢岳噴火といえば、1972年に大噴火を起こして、一説に依れば、死者・行方不明を併せて15000人もが犠牲になったとある)地球観測衛星ランドサット8号が阿蘇の火口(カルデラ)の様子をカメラに採っている。白い噴煙が吹き出している様子が捉えられていて、地下で何が起こっているのか不気味である。阿蘇のカルデラに繋がっているのだろうか、海底にある鬼界カルデラは、地下3~7kmに巨大な広がりを持つマグマだまりが存在しているのだという。火山噴火は、そんなマグマだまりが崩壊して、マグマだまりと地表との間に亀裂が走り、1本の通り道(火道)ができたことから始まるという。(これを「プリニー式噴火」と呼ぶ)火山噴火の第1段階ではそんなプリニー式噴火が複数回起き、全体として少なくとも数日間は続いた可能性がある。 そして第2段階で、マグマだまりは直径10km以上、厚さ1km程度の薄い円板状で、噴火前は1000気圧以上のマグマで満杯になっていたと予想される。放出前の高圧のマグマは、広大な地下空洞(マグマだまり)天井を支えていたが、数度のプリニー式噴火でかなりの量のマグマが放出されると、マグマだまり内の圧力が低下して、マグマが支柱の役割を果たさなくなる。高圧マグマはマグマだまりの側壁上部の至るところから地表に達する亀裂を伝って噴出し、激しい火山爆発を起こしたのだという。地表に目に見える形で起こる火砕流のそれこそ何百倍(?)のマグマが内包されていることだろう。阿蘇のカルデラを見てその巨大さを想像するだけだ。そんな、約7300年前に最後の大噴火をしたという鬼界カルデラの次の噴火は・・・。想像するだけで何やら空恐ろしい気分になる。ところが地球はまだ広い。去年の記事では、日本から東に約1500km離れた太平洋の海底に、単独の火山活動でできたものでは地球最大の火山があるのが発見されたという。幸い活動は止まっているとのことだが、大きさは日本列島の面積に迫る約31万平方km(深さ約6500mの海底から4000m程度盛り上がった状態)だとのことだ。地球はまだまだ未知の惑星である。
2015.03.01
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