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今日のウォーキングは水無瀬の堤からNHの看板迄の往復だ。姉の備品の受け取りや、必要な日用品の買い出しなどで半日は潰えた。連れ合いは、夕刻友人の講演を聴きに長岡へ出かけた。***芥川賞を受けたピースの又吉直樹著の「火花」をウォーキング中に読み終えた。2、3日前から読み始め、旅行中に読んでいた本だ。元々小説の類は余り読まないのだが、お笑い芸人が直木賞作家になったということと、その内容を評価する連れ合いの言葉から、一寸読んでみようと思った。150頁足らずで、比較的ゆったりと書かれた本なので、読み終えるのに時間は掛からない。芥川賞は純文学に与えられると聞いていたので、しかつめらしく、解読に特殊な技能を要するかとの思いもあったが、内容は私にも分かるものだった。漫才芸人が、尊敬する(?)先輩との会話を通して自分の境遇、気持などを織り込んで書かれた作品で、正直この程度なら自分にも書けるのでは、との思いを抱かせるものだったが、実際には、とても及ばないのだと言うことを随所に感じさせる作品だ。元より、ストーリーそのものに興味があるわけではなかったのだが、TVや雑誌などで取り上げられていて、あるところでは物議を醸していると言うことを聞いて、一体どう言った内容なのだろうかという興味が先に立っていた。その1つ、ニュースステーションの古舘伊知郎が発した、発言の次の内容だ。「すごいなぁこの方々と思うんですけど、それとは別に芥川賞と本屋大賞の区分けが段々なくなってきた感じがする」だ。この発言で、賛否両論(専ら否定的な方が多い)が巻き起こったとのことだ。芸人を差別的に見ているとか、本屋大賞に失礼だとか様々な意見だ。元々物議の多い男だが、素直に褒められないものかとさもしさを感じた。朝ドラに出ている、大泉洋なんかも、又吉と一緒に出演しているとき、妙にさげすんだ発言をしていたと聞く、それが今回の快挙だから、その後の大泉がどう対応したのかに興味がある。また、TVのコメンテーターが、したり顔で、小説を解説する如く、小説上の先輩「神谷」はきっと小峠のことを想定しているのだと思うというような発言をして、これまた総スカンを食ったというような話も聞く。その度毎に又吉の考えや如何にとこれまた食いつくマスコミに、話題性の多い、扱いやすく、又宣伝効果満点の今回の決定だなぁと思わざるを得ない。翻って、今回の芥川賞受賞者はもう1人いるのだが、「スクラップ・アンド・ビルド」を書いて授賞した羽田圭介のことは殆ど報じられていない。非常に分かりやすいといえば、そんな報道である。毎年、芥川賞と直木賞が発表されるが、そうかと言って私は、今年の文学の香りや如何にと読んだことはなく、今回の「火花」が初めての経験だ。従って「火花」が文学的にどう云った良さを持つのかなど判断のしようがないわけだ。こう云うときには、専ら連れ合いの評価を聞くことで腑に落とすのがよいと思っている。敢えて言うなら、読んでいて、違和感なく、テンポ的にも引きつける書き方だという感じは受ける。又吉自身を先輩神谷にラップさせて、漫才の本質を表現しているようにも思える。漫才の世界も、端で思うようにお気楽ではないとは思うものの、現実に作品を読むと、それがリアルに伝わってきて、凄さを感じる。書けそうだと思っても実際には書けないだろうと確信に近く思うようになる。熱海の花火に始まって、最後も花火の情景で終わる。その内容は、火花の散るような赤裸々な戦いだという文章構成も、一寸真似が出来ない技だと思った。
2015.07.31
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昨晩は少し飲み過ぎた感じだが、今朝は思いの外、気分良く目覚めた。連れ合いもぐっすり寝られたようで、一緒に早朝ウォーキングをしようかとなった。5時前にホテルを出て、思案橋方面に歩いた。前川清の歌う「思案橋ブルース」とはどんな所かとの思いであったが、今は市電の停留所があるだけで何の変哲もなかった。連れ合いが、道行く人に聞くと、道路脇に何とか名残があったようだ。近くに崇福寺との看板があったが、そこまでは行かなかった。薄暗がりの電車道はそれほどめぼしい物もないようで、きびすを返し、福砂屋の店の前を通って、ホテル方面に戻った。そこから今度は出島方面に向かって歩いた。出島の通りから1本南の通りに出ると、目の前は公園になっていた「長崎水辺の森公園」という名前で、園内には美術館もあるようだ。運河が引き込んであるが、残念ながら、水は少々濁った感じだ。公園の先は岸壁になっていて、そこには、海上保安庁の護衛艦「でじま」が停泊中であった。湾の対岸には、三菱重工長崎造船所の艤装岸壁になっていて、そこには建造中のLNG船が2隻停泊中であった。造船所に勤務中は、何度かここを訪れたことがある。船体構造委員会西部地区部会や、同じく関西地区部会が行われたところである。同期生も就職していたが、造船科を出ても、必ずしも船体(船殻)設計に配属されるものは多くなく、流体力学を専攻していると、そのまま研究所勤務になるといったケースも少なくなかった。そう言った意味では、私は、ラッキーだったのかも知れない。湾の出口(左)の方を見ると、造船所の巨大ドックが見え、それを跨ぐようにゴライアス・クレーン(大型の門型クレーン)の勇姿が見えた。世界に冠たる造船業華やかなりし頃に少々ワープした感じだ。その左には、「ながさき女神大橋」の美しいハープのような斜張橋が見えた。全長1289 mで最大径間480 mという橋だ。私の場合は、造船、リグ、ビル鉄骨、橋梁(鋼製とPC製)などと、殆どの鋼構造物やPC橋梁を手掛けてきただけに、こういった構造物を見る見方が違ってくる。色々経験できたことを今は有難く且つ懐かしく思い出し、我が人生もまんざらでもなかったとの感慨だ。方やの岸壁では、青年が魚籠を弄っている。覗き込むと中型の太刀魚が入っていた。「大きいね」というと、「まぐれです」とはにかむように言いながら、見せたかったような仕草だ。少し離れた岸壁では、今し方釣り上がったヒラメの血抜きをしているところだった。早朝のウォーカーと同じように我々も公園を一回りして、帰路に就いた。途中、連れ合いに真っ赤な花を付けたアメリカンデイゴの名前を教えて貰ったり、マロニエの木の傍を通ったりと1時間半ほどの散策で、ホテルに帰ってシャワーを浴び、しばし休憩した。9:10にチェックアウトし、昨日の続きのレンタカーで、長崎市を後にし、空港への道を走った。出発前にカーナビをセットしたが、確かに有料道路を選択したつもりが、そうではなかったらしく、市内を抜けて34号線を走り、日見バイパス西口で、長崎芒塚ICへの道を曲がり損ね、一般道を走ることになった。1区間だけ一般道を走って、多良見ICから長崎自動車道に入った。すぐに諫早ICで、空港はその次の大村ICである。道路は空いている。大村ICからレンタカーの事務所まではほんの少しだ、一寸大村寿司に寄って寿司を買って、車を返却した。走った距離は100kmと少しで、あと、530kmは走れる(ガソリン代は含んでの契約だった)とのことで、少々残念な気はするが、無意味に走るのも疲れるので返却した。送迎バスで空港まで送って貰い、有り余る時間を空港で過ごした。余裕があることが爽快であることを身を以て感じた。食事を済ませ、14:20搭乗を開始した。往路とは違って窓側でない。14:49テイクオフだ。持参した芥川賞作家、ピースの又吉直樹「火花」の続きを読んでいるうち、30分足らずで伊丹への着陸態勢に入ったとのことだ。そして、15:46無事ランディングした。1時間掛かっていない。伊丹からは、リムジンバスで、新大阪に出て、JRで帰宅した。18時前には帰宅して、姉の所を訪問する時間はたっぷりとあった。
2015.07.30
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今日から1泊2日で長崎へ旅行だ。連れ合いの先祖の墓参りに同行することになった。従ってウォーキングは中止した。目的が何であろうが、私の場合、飛行機に乗るのは何故か楽しい気分になる。最近では、事故やテロの話などあって、多少不安は否めないものの、国内だと先ずテロは除外と言うことになるので安心だ。しかし、折しも、東京・調布で小型機が住宅地に墜落して、住民含む3人が死亡したとのニュースに接したばかりだ。相手は小型飛行機だから状態が違うとはいうものの、多少気になる。しかしだからといって、今回の旅行がどうこう言うことにならないのは当然だ。朝7時10分には家を出た。阪急とモノレールを乗り継いで、伊丹空港へ向かうのだが、阪急もだが、特にモノレールの混雑振りには一寸驚かされた。8:00に伊丹に着いた。天候も良く、旅行気分は高揚してくる。今回乗るのは、小型だがジェット機で、B737-500で小型飛行機というジャンルではない。9:35発となっているが、その時間にはきっかり飛行機は動き出していた。それから滑走路で少し満を持し、「G」を感じさせながら動き出して10分後、滑走路を走り出して7~8秒後にはテイク・オフを果たしていた。(何やら事故の小型機は重量オーバーで、テイク・オフのための時間が20秒近く掛かっていたらしい)窓側席から下を覗くと、直ぐさま神戸空港が見えた。続いて明石大橋が見える。暫く飛ぶと、懐かしい、瀬戸の海に浮かぶ大槌島と小槌島が見えたものの、私の勤めていた造船所は雲の陰で見て取れなかった。次いで、瀬戸大橋の下津井瀬戸大橋部が見える。近くには常石造船や、その後日立の因島造船所も見て取れた。高度は1万mだろうか、速度は500km/hというところだろう。太陽が燦々と降り注ぐ白い雲はまるで天国か、桃源郷かという感じを受けた。おそらく神はこんなのどかなきらめく位置から、地上の民草を眺めているのだろうと言った感じなのだ。しまなみ海道を越えた頃、はるか下に紙トンボのような小型機がひらひらと飛んでいるのが見えた。やがて一寸どんよりした灰色がかった雲の合間に、各所にゴルフ場が散在するのが見える。既に九州に入っているようだ。眼下に「SAGA」の文字が見えそれが佐賀空港であることは容易に分かる。やがて、大村湾に差し掛かり、程なく長崎空港に着陸した。10:40ランディング(車輪がドスンと着地)した。正味、空にいた時間は1時間足らずと言うところだ。スカイ・レンタカーの出迎えを受け、マツダデミオ1000CCに乗り込んで、花を買い、墓参へと諫早へ向かった。墓地は、諫早城趾にほど近い、小学校の近くだった。広大な墓地には歴史を感じさせる、古びているが大きな墓石が沢山並んでいた。墓参を済ませ、地元で有名な「北御門」という鰻屋で昼食を採った。近くには眼鏡橋があり、連れ合いの説明に依れば、本明川氾濫時に頑とした堅固さを誇ったために返って流木を集めてしまい、それが川をせき止めた形となりさらに氾濫の度合いが増し、大被害をもたらしたとのことで、今は、川を離れた位置に移設されているのだとのことだ。そんな諫早の町を離れ、一路宿泊地の長崎に向かった。諫早ICから長崎自動車道に乗り、長崎の町に着いたときはまだまだ陽は高かった。路面電車が走る長崎の町は、昔来たことはあるはずだが、全くと言っていいくらいに覚えていない。レンタカーの気安さで、町を当てもなく走り、連れ合いは思いだしたかのようにカステラの「松翁軒」へ行こうとのことになり、カーナビに連れて行って貰った。ホテルに着いたのは夕方の5時を若干過ぎた頃だった。チェックインし、少し散歩して、近くの中華街(というか、ホテルそのものが中華街の隣なのだ)で中華料理を食べたが、その折に700mlの紹興酒を熱燗にして貰って、1人で飲み干したので強か酔った。「カラオケだ」と店を出た。しかし、スマートフォンを辿って歩く途中のパチンコ屋に引っかかってそこで暫く遊ぶことになったが、私は寝込んでしまい、結果はロスしたようだ。ホテルに帰り着いた後は殆ど記憶にない。
2015.07.29
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今日は姉の引越当日で、朝早くから、豊中に行くこともあり、ウォーキングは中止した。豊中のマンションは、当面は残しておくので、必要最小限の物を運ぶだけだから、差し迫った緊迫感はない。引越業者は、アート引越センターで、ベテランらしい2人がやってきた。運ぶ物が少ないからか、それとも元々親切な人だからか、穏やかに対応して貰ったので、姉は満足げであった。島本町に着いたら、この期にと買い換えた洗濯機も同時に届いて、据え付けて貰ったり、TVセットをセッティングして貰ったりと同時進行で、物事が進むので、何が何だか混乱して、対応は大童であった。TVのセットは一応見られるようになったものの、配線の処置もいい加減だし、ビデオのセットも、ともかく配線を繋いだと言うだけのことで、テーブルタップは剥き出しのままであり、全く景観には配慮しないというお粗末なもので、感じは非常に悪かった。こう云ったことにも人となりは現れるようで、商売をどうやるかは、正に人間性に基づくものかとの感想を持った。予め、持っていく物の配置を決めていたのだが、電話のジャック位置が決まっていたり、TVのアンテナ口が決まっていたりで、かなり配置に制約を受ける。こういった事も考慮して、ベッドなどの配置を考えておくべしということだが、日本の家では、最近は少し良くなったものの、TVのアンテナや、電話のジャックなどは無頓着に決められていることが多い。大きな家具を決めて、その他の家具を決めていくような段取りになるだろうが、それでも大体同じ様な位置に家具など配置されると思うのだが、こういったコンセント類は、それらが配置されることの気持などを考えずに決めているのだろう。私の場合は、親が決めた転居が3回ほどで、加えて、私自身が就職以来点々とした転居の数が、9回を数え、関西から関東への転居も2回経験しているので転居には慣れているが、姉の転居は、40年ぶりというから、慣れていないわけで、何かともたつくことになる。それでもベッドの配置を終え、数少ない家具を配置するのはそれほど大変なことでもなかった。広い場所から、狭い場所への移転だから、何かと不便になるようだが、従来の広いところでも使っていない物などが多いだけで、日常の生活には、そう言った物がないのが返ってすっきりするようでもある。朝1番から始めた引越作業も、午後3時にもなるとほぼ終了して、室内は未だ雑然としているものの、何とか住める様相になってきた。我々は明日から長崎への旅行が待っているので、転居届は、2週間以内にするように決まっているものの、今日の日の内に姉の転居届を出しておくべし町役場に出かけた。豊中での転出届を出した以上は、間を置けば住所が定まらず、住所不定と言うことになるわけで、それを避けようと言うことだ。ぱらつく雨の中を町役場に届けを出しに行くのだが、こう云ったときに連れ合いの動きは速い。少し耳が遠くなった姉も、私に何かと言う替わりに、トーンの高い連れ合いとの話の方が聞きやすそうで、べったりと頼り切っている感じだ。勿論女同士という気安さもあるだろうが、長年人と付き合ってきた連れ合いの方が何かと話しやすそうである。役場の人も特に親切にしてくれて、転居届以外の手続きも思いの外スムースに運び、姉が晴れて島本の人になったのは夕食の1時間ほどの前であった。今日は、ロングライフみなせで、我々2人も同じように夕食を頼んでおいたので、先住の人達と一緒の食堂で食べることになった。三々五々集まる居住者の方と一通りの挨拶を交わして、姉の島本での生活の第1歩は踏み出された。
2015.07.28
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今日のウォーキングは高浜の堤から淀川看板までで、帰りは上牧駅を経由して帰宅した。今日は1ヶ月前に受信した特定検診の結果などを聞くために通院することになっていた。結果を聞くのは何時も嫌なもの(たいていは加齢により数値は悪くなっている)だが今日の結果はまずまずではないかと聞いて納得した。3種類のガン(肺ガン、前立腺ガン、大腸ガン)については、兆候は無しとのことで、予想通りだ。ただ、胃ガンについては検査していないので、別途機関で受診して下さいとのことだった。今回は、血圧がいつもより高く(157)出た。しかし、「いつも他所では低いと言うことだから、様子を見ましょう、薬は変えないでおきましょう」とのことだ。事実手持ちの計測器や、別の病院での計測値は、低い値(その日の帰宅後の計測では134だった)なので、それで良いと思ったが、何となく腑に落ちない診察である。此所だけが高いと言うことなら、計器の調査をすべきだし、他所で低いと言うことを信じていないなら、もう少し真剣に降圧を考えるべきだと思うからだ。どっちにせよ、目の前で計った計測値が高い(ずっと経過は同じ)のなら、もう少し下がるように処置すべきではないかと思うし、薬をそのままにしておくのも腑に落ちない。しかし、いつもの宣告通りで、温和しく引き下がることとした。腹囲は90cmとメタボだとのことだ。随分減ってきてはいると思うが、アバウトな判定に、少々むっと来る。洋梨のように膨らんだ腹部の皮下脂肪は一旦付くと少々のことでは減らないわけで、始末に悪い。問題は血糖値だが、空腹時の121は範囲を逸脱しているとはいうものの、前回よりも低くなっており、合併症が懸念される値よりは低いと言うことで一応満足できるものだった。さらに、HbA1cは6.5とこれも改善されている。私にとって、ウォーキングが合っていると言うことに他ならないと、1人溜飲を下げた。次回か次々回くらいには、是非とも許容範囲に入ればいいと思っている。血糖値については、特に思い入れがある。元々DNA的には血糖値が高い家系であったようで、1997年(現存するデータがある最も古い時期)には、187(HbA1cは6.1)であった事から考えると、それよりは改善されていると云える。その値が、サウジアラビアから帰ったときには、何と283(HbA1cは8.6)にも上昇していたのである。完全に糖尿病だ。今思えば危機的状態だったわけで、その原因はデーツ(ナツメヤシのシロップ漬けなど)の食べ過ぎであった。野放図な食生活が、知らず知らずのうちに体を蝕んでいたわけで、海外故に、誰もチェックしてくれる人もなく、不覚なことであった。新たな疑問が1点だけある。今回の結果で、蛋白に優位の変調が観られたとのことで、思い当たる節もなく、少し疑問に思った。ただクレアチニンが正常値なので、腎機能的には、余り心配は要らないとのことだ。勿論肝機能は、以前から正常値になっているので、安心だが、やはりメリハリのある飲酒(普段の晩酌などはしない)が良いのだと、これも密かに納得している。中性脂肪に関しても、総コレステロール(T-CHO)や中性脂肪(TG)、HDLコレステロール(善玉)、LDLコレステロール(悪玉)等も十分許容値内に治まっているので、高脂血症という範疇には入らないと判断した。病名を敢えて言うなら、高血圧症(これも安定していると思っている)と糖尿病というところだが、共に正会員から脱し、予備会員くらいに格下げしたくらいに自負している。人間の体は、正直だし、悪くなるときは崖を転げ落ちるくらいに悪くなるのだが、これを改善しようとすると、並大抵の努力では成らないことを身を以て体験した。この状態を維持(いやもう少し改善)するために、少しは禁欲的なことに挑戦しなければならないと感じている。本格的に始めたウォーキングはあと少しで、丸2年になる。距離なら、軽くイスタンブールまでは歩いた勘定(約9000km)だ。何処まで歩けば、血糖値も正常になるのだろうか。道は未だ遠いようだが、弛まぬ努力こそが、最終的に寝たきりにならずに済むのだと言い聞かせて明日も又歩くことにする。何故か、今日は連れ合いの映画鑑賞(「海街ダイアリー」)に付き合って、(とは言いながら私は別の映画「ターミネーター」)劇場まで足を運んだ。
2015.07.27
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今日のウォーキングはソフトバンクの販売店を経由し江川の堤からNH看板を折り返した。ソフトバンクを通ったのは、スマートフォンのEXCELやWordのアップデートが、WiFiコンディション下でないと更新できないからである。販売店の近くでは、不安定ながら辛うじてWiFiに繋ぐことは出来る。島本町では、極く限られたところしか(多分ふれセンでも不可だろう) WiFiに繋ぐことは出来ないのが残念である。まぁ、島本町では一般住民にとって、通信がそれほど大きなニーズになっていないと言うことだろう。今日も、姉の引越の手伝いだった。明後日の引越で、取り敢えずは島本町に落ち着くことになる。***久しぶりに面白い本を読んだ。「人類5万年 文明の興亡」の上、下巻である。イギリス生まれの歴史学者イアン・モリスの著作で、結構値も張ったが、内容もなかなか濃いものだった。副題に「なぜ西洋が世界を支配しているのか」と付いており、東洋と西洋の対比という形で述べられているのが興味深い。とはいうものの、私にとって面白いと言うだけで、他の人がどう思うかは別である。上下巻で780頁にも及ぶ大作なので、上巻に取り掛かったのは、6月10日のことだ。1ヶ月以上掛かっているのは、主に、朝のウォーキング時しか読まないからで、理解の度合いも机上で読むよりは少なからず及んでいないかも知れない。本の評価は、ページ数が多いとか、値段が高いとかではないが、私の場合は、頁当たりの値段を出しているが、この2冊の本の場合、頁当たりでは10円という事になる。因みに、これは今まで読んだ中で最高の本である。内容だが、元々、西洋の方が進んでいる(優位)のだとする「長期固定」理論と、いやいや、それは「短期偶発」的に起こったものだとする理論の対立を解きほぐす形で話が進む。(私などは、日本の教育がそうさせるのかも知れないが、どちらかというと、長期固定論派なのかも知れない)著者の見解は「人間は、大きな集団として考えれば、みな同じ」とする立場を取っている。6世紀半ばから18世紀後半にかけて東洋が西洋をしのぎ、その後、西洋が東洋を圧倒したのは、いずれも当時の政治上、経済上の地理的条件の違いが決め手だというのである。この著書の面白いところは、東洋と西洋の区別のない時代から説き起こしている点だ。現生人類がアフリカを起源に拡散したときから説き起こし、ネアンデルタール人やホモサピエンスといった人類5万年前から文明(道具)をどのように使ってきたかなどと言う点に遡って言及している。特徴的なことは、東洋と西洋、又その差を計るために独自の「社会発展指数」なる物差しを導入している点だ。その算出方法等までは理解できていないが、この指数を社会に適用したときに、文明の発展のスピードの変化などが容易に可視化できると言うところだ。5万年前から折々の人類が辿った道沿い(地域)に話が進む。中でもクリスチャンらしく、「エデンの園」について語り、この辺りでは西洋がややリードしているといった展開だ。エデンの園は、丁度現在のイランとイラクの国境辺り(メソポタミアと呼ばれるチグリス、ユーフラテス河の影響を受けた辺り)から、イラクとトルコ国境線に沿ってやがてレバノンからイスラエルに至るブーメラン状の地帯である。しかし、その頃には、東洋でも黄河や、長江(揚子江)、渭水に添った地域で多くの遺跡が発見されていて、東洋での進化度合いを推し量る元が出来る。こういった壮大な地球儀的文明を俯瞰しながら、本書は議論を展開している。雄大な人類の歴史を、的確に又分かりやすく捉えて流れを解説しているのだ。西に言及すれば、東への注目も怠らず、両者について常に同じ時点での比較を試みている。この希有壮大な歴史を大局的に眺めていると、如何にして人類が歩んできたかを大局的に知ることが出来る。1回や2回の本ブログ上で、全ての内容の骨子を語るのはとても無理である。何回かに亘って、時折語って行ければいいと考えている。最後に、この上巻の最初で紹介されている中に、西洋が一時崩壊の道を歩んだ原因として著者は黙示録の騎士を5人挙げている。それは、気候変動、飢饉、国家の失策、移住そして、疫病である。今日はここまでとしておこう。
2015.07.26
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今日のウォーキングは高浜の堤から淀川看板迄の往復だ。大学時代の友人が、タンゴの演奏会をするというので出かけた。場所は上本町の国際交流センターである。地下鉄の相互乗り入れで、水無瀬からも簡単に行くことが出来る。直通はなく、淡路で、乗り換えて、更に南森町で乗り換えるという煩わしさはあるが、地下鉄の乗り換えは、それほど苦にならない。谷町9丁目が最寄りの駅であるが、案内には千日前線の駅から500mとあった。しかし私の場合は、谷町線だから、更に250m歩かねばならず、炎天下のプラス250mは結構きつかった。会場で、もう1人の友人と一緒になり、真ん中辺りで聴くことになった。タンゴの友人は、大学教授の傍ら、「Tango大阪」のバンドマスターを努めるほどのタンゴに入れ込んでいるが、それは大学時代から続く趣味である。「アルゼンチン・タンゴ」でないとタンゴではないとまで言っていて、当時私に「コンチネンタル・タンゴ」との違いを力説してくれていたことを思い出す。以来演奏会を聴くのは初めてであるが、正式に演奏会を持ったのは3回目だそうだ。毎回のことのように、千葉のグルループ(千葉ギターアンサンブル:CGE)との合同演奏会なのだそうで、奏でるメンバーはTango大阪がシンガーを入れて11名、CGEの方は、10人ほどであった。女性を除く大方は停年退職者のようで例外なくギターの演奏だ。ギターに1st、2nd、3rdがあることを初めて知った。しかしその違いが何処にあるのか分からない。事前に、友人から「タンゴとは」という解説を貰っていた。歌と言えばカラオケしか知らない身には少々勉強になった。その説明によるとタンゴはアルゼンチンの首都ブエノス・アイレス近辺で、陽の当らぬ酒場の踊り場辺りで、ヤクザ者の音楽として19 世紀末に生まれたとのことだ。それが「アルゼンチン・タンゴ」の発祥だ。所謂、オルケスタ・ティピカ(標準的なオーケストラ)には元々ギターは無かったのだそうだ。(器楽編成は、バンドネオン、バイオリン、ピアノ、コントラバス)従って今日聴いたのは、異例の編成という事だが、ちょい悪おやじ連中が、奏でるには格好の器具のようだ。最初忌み嫌われていたタンゴもやがて受け入れられ、ヨーロッパ大陸でも演奏されていくわけで、それが「コンチネンタル・タンゴ」ということらしい。そう言えば、大学時代の友人は、「アルゼンチン・タンゴ」は2拍子だが、「コンチネンタル・タンゴ」は4拍子だということを強調していたことを僅かに思い出した。講釈はこれくらいにして、演奏された、曲名の中には、聞き慣れたメロディーも随所にあって、元々、若い頃には良く耳にしていたものだと改めて感じた。「我が懐かしのブエノス・アイレス」だとか、「エル・チョクロ」(トウモロコシのことらしい)などは懐かしい気分にさせてくれる。この曲は英語の歌詞で「Kiss of Fire」と言った方が馴染みがあるようだ。一緒に聴いていた友人は、現在スペイン語を学習中だそうで、ついこの間も、巡礼の道をサンチャゴ・デ・コンポステラ迄行ってきたとの話だ。時折、「ヴェラーノ・ポルテーノ」のポルテーノはブエノスアイレスの愛称であるとか、吟遊詩人の「Payadora」の最後の「a」は女性名詞だとか説明をしてくれる。「7月9日」という曲は独立記念日のための歌であるとか、結構飽きずに聴くことが出来た。「亜麻の花」という曲はワルツなのだそうで、何故タンゴにワルツかなど疑問だったが、双方のグループが10曲ずつ奏でる内にあっという間に2時間が過ぎた。今日は太郎君夫妻の誕生祝いだったが、好天だったので、孫達と運動に参加したようで、帰ってきた孫の弟の方は付かれて、そのまま寝込んでしまった。(多分外泊は初めてのことだ)
2015.07.25
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今日は摂津会のゴルフコンペだ。第114回を数える。前回は旅行のために欠席をしたので、2ヶ月ぶりの参加となる。ウォーキングは之に替えた。参加者は昨日キャンセルの1人を除き、30人の参加となった。あと2ヶ月で70歳となる人(69歳の人)と同い歳の人との3人で、2人は後ろ(白)ティーから打つと言うが、私は、飛ばないこともあって、最近の思惑通りゴールドティーから打つことにした。アウトからのスタートである。 アウトのNo.1は、2打目までは快調で、100YDを3オンした。10mだったが、何と初回から3パットしてしまった。同組の同い年の人がスタートでOBしたので(打ち直しは辛うじてセーフ)一寸こちらもリズムが狂った。69歳はボギーで、OBの人は10打だった。一寸先が思いやられるか・・・。No.2は、まずまずのティーショットから2打も軽く打ったが届かず。3打でダフってから焦りが出て4打でGR向こうへ。やっと5オンで2パットの最悪のトリプルだった。69歳はパーを沈めた。 No.3のティーショットは白ティーより100YD前で、風景が違う。友人のアドバイス(ゆっくりテイクバック)通りで、残り85YDと会心の当たりだ。アプローチはカラーだったが、3オンを寄せ、OKパーである。同い年はボギーで、69歳はトリプルだ。No.4のショートはバンカーへ。2打でやっとだし3オンの5mを惜しくも外してダボ。69歳はボギーで、同い年はトリプル。No.5は最後、池越えロングホールで、ここでもティーショットは完璧だ。しかしFW途中のラフからで、2打を100YDに付けた。左の池を嫌い、距離はピタリだが、右ラフへ。4オン2パットでボギーだった。69歳もボギーで、同い年は12叩いていた。 No.6は、ドラコンホール。一寸右に出てラフ。2打は超良い当たりで、50YDに付けた。3オンは、良いところで、難しいアンジュレーションを読み1パットのパーは嬉しかった。他の2人は共にダボであった。No.7では、何故か高く上がり、全く距離は出ない。2打は超良い当たりで、95YDまで詰めた。しかし、ここも友人のアドバイス(大きめのクラブを短くシャープに振る)を実践したが、意に反してグラスバンカーへ。4オン2パットとなってしまい、ダボだった。ここは全員がダボだ。No.8のショートも届かず、バンカーだ。2つで辛うじてオンし2パットのボギーだった。他の2人は、ダボである。前半最終ホールNo.9のティーショットは、低いが良い当たりで、前方の傾斜部に落ちてしまった。(良い当たりも善し悪しだ)持っていったクラブが1クラブ短いのを無理して打って、残りを150YDとしてしまった。3つで届かず、4オンして、これも最終3パットは如何にも痛かった。ダボで、69歳のパーにしてやられた。10:20に終わり、35分の休憩で10:55に後半のスタートだ。早めの昼食だ。何とか小波賞をと意気込んだ。 No.10は出だしでいきなり左バンカーに入れた。顎の低いバンカーなのにその顎に当て、出ず。3打で出るだけの4オン2パットのダボは意気消沈だ。他の2人はボギーである。No.11ショートは1オンしたものの、グリーン下段から3パットしてボギーだ。他の2人はダボである。 No.12のクリーク越えの短いミドルホールは当たりが悪かったが、兎に角左のラフだ。握った大きめのクラブもラフに食われ、クリークの前で止まる。3つで載せたが、2パットのボギーだった。他は、ボギーとダボである。No.13ミドル(今日のドラコンホール)では、右OBが怖いが、何とか留まってFW。一応名前を書いたがすぐ書き替えられたようだ。2打も目の覚めるような良い当たりだったが、それでも届かなかった。3オンはコントロールでき1パットでパーだ。他は2人ともダボである。 No.14の打ち降ろしショートでは、大きめのクラブでギリギリのオン。しかし馬鹿馬鹿しい3パットで、ボギーとした。69歳はパーで、同い年はボギーだった。No.15は、何故か魔のホールとなる。ティーショットをチョロしたのだ。しかも、2打も続けて天ぷら気味で、3打でやっと60YDに付けた。アプローチをGR向こうへ、5つでやっと乗り1パットで、辛うじてダボだ。69歳もダボ、同い年は8つ叩いていた。 No.16のロングホール、飛ばないが、何とかFWセンター。2打、3打といい感じで残り50YDと内心しめしめだった。しかし4打でバンカーに入れ、1回で出ず、6オンだ。2パットのトリプルは如何にもいたい。ここで確実2打余分だ。同い年はボギーで、69歳は何故か10打と信じられない出来だ。 No.17では、ティーショットの当たりが悪く右ラフだ。2打で右ラフは続く。80YDをナイスオンしたが、ここでも肝心なところで3パットのダボだ。今日はこれで、3パットが5回と目も当てられない。69歳はボギーで、同い年は、トリプルだった。No.18では、最後のティーショットは右に出たがラフで止まった。2打でFWCRへ。安全側に刻もうとしたが、チョロが続き、5つでGRを外し6つで乗せて1パットのダボだ。これで後半48で小波賞かと思ったが、何と足し算を間違っていて、2つスコアを過小計算していた。他の2人は、8打と9打だった。 今回こそはとの思いはあったが、3パットが多かったり、ケアレスミスが多かったりと、なかなか思うに任せない。絶対90は切れるはずなのに・・・。帰宅後連れ合いと映画「HERO」を観に出かけた。
2015.07.24
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今日は雨のためウォーキングは中止した。姉が水無瀬に引っ越してくる下準備は着々と進んでいて、カーテンの購入や、洗濯機のリニューアルなどで連れ合いと共に奔走した。***中国が日中中間線の中国側海域で、新たに12基のガス田開発海洋プラットホームを増設したとのことだ。この問題は何も新しいことではなく、今月の3日に既に明らかにされてきたところだ。その時も、日本政府は、「一方的な開発を進めているなら受け入れられないと中国に申し入れている」と述べ、中国側に懸念を伝えているとも指摘されていた。人の良い日本政府は、この時は未だ、純粋に中国が、ガス田(資源)を一人勝手に開発していることへの抗議であったようだ。問題にしている海域は、日本と中国双方の海岸線から等距離にある「日中中間線」の西側約26kmの地点ということで、日本の領域を侵しているとまでは言わないが、2008年6月の日中合意で、共同で開発しようと話し合ったばかりではないかということだった。どうやら、話せば分かる的な発想が、中国側には受け入れられていないと言うことだ。この様な話し合いにもとから応じる気はない中国(違った思惑なのだ)なのであろう、日本が、会談を煮詰めて合意に持っていこうと目論む間に、中国は、そんなことは何処吹く風で、新たに12基もの開発プラットフォームを作っていたわけで、正に、日本など眼中にないといった、唯我独尊の振る舞いである。そして、この様な状態になって初めて、このプラットフォームは、ひょっとして軍事基地としての役割を持っているのではないかと気になりだしたとのことだ。今にいたって、2008年の首脳会談で「東シナ海を平和・協力・友好の海とする」と勝手に思いこんでいた日本の思惑は完全に甘い見通しだったというわけだ。中国は、元々、尖閣列島問題しかりで、全く日本の主張など眼中にはないということだ。当時の中国の回答は、「日本の抗議は受け入れられない。自国の管轄海域で進めている。非難されるいわれはない」と木で鼻を括るものだった。一方では、もっと雰囲気作りをしたら会談に応じるよ的なニュアンスで欺いているという、正に2枚舌の外交である。ここに来て、これらのプラットフォームはレーダー設置する事も出来る中国の新たな軍事拠点ではないかとの話になってきた。日本は、初めてこの件について「(中国による)一方的な現状変更に対する内外の関心の高まりなどを総合的に勘案した」と説明したようだが、遅い。軍事拠点化の懸念は、既に東シナ海だけではなく、岩礁を埋め立て、軍事拠点化を進める南シナ海の問題で歴然としているわけだ。何とも不甲斐ない、情勢判断と手を打つ遅さであろうか。こんな点が、日本の外交下手といわれる所だろう。狡猾な中国は、今単独で建っているこれらのプラットフォームを連結して、巨大な銀地施設に帰ることも考えているのだという。掘削は名目上で、その心は、軍事施設建設の柱を建設中だとのことになる。南シナ海もそうだったが、アメリカも鷹揚な対応で、ある程度施設が出来てから、中国側を牽制しているが、如何にもこの対応は遅いと言わざるを得ない。問題にする前(共同開発を申し入れた段階)はたった4基のプラットフォームだが、気付けば、16基にもなっていたという事らしい。ぐずぐずしていると、これらプラットフォーム周りに柱が出現し、大軍事施設が忽然と(という感覚で)現れると言うことに成りかねない。
2015.07.23
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今日はどんよりとした空模様で、雨の恐れがあるため何時でも帰れるようにウォーキングは近場の桜井、御所の内辺りとした。案の定途中で、ポツリポツリときた。***東芝の不正会計は余りにも衝撃的だ。これでは「Leading Innovation」ではなく「Leading Iniquity」だ。日本の一流企業と目されていた東芝が、不正の権化だったとは、如何にも情けない。前(7月5日)に東芝の不正会計に言及したが、その時はここまで腐っているとは思わなかった。東芝といえば、経団連でも常に指導的立場(会長など)を占めてきた経緯がある。石坂泰三や土光敏夫といった重鎮も確か東芝の出身であった。その後も経団連の場で活躍した人も多い。今回の悪の根源(初代悪人)とされる西田厚聡も経団連の副会長を経験している。これでは、日本の企業というのは、全て不正まみれと思われても致し方ないと臍をかむ思いである。かつて土光敏夫は「知恵を出せ、それが出来ぬ者は汗をかけ、それが出来ぬ者は去れ!」といったそうだが、今回の2代目悪人と称される佐々木則夫が社長(当時)の時には「なぜ、そんなことができないんだ。できないなら辞めてしまえ!」との怒声に変わっているのだ。佐々木が言う「そんなこと」とは不正会計を調べた第三者委員会の報告書で明らかになった次のようなやりとりだ。「『押し込み』で『チャレンジ』してほしい」「『真水』が無理なら『C/O』で」という意味合いのことなのだ。何のことか分からないが、これは東芝内で通じる隠語だそうで、次のような意味を持っている。『押し込み』:パソコン事業で取引先に部品を高く引き取らせて利益を水増しすること。「借金」とも呼ばれる『真水』:正常な営業努力による販売増やコスト削減『C/O』:キャリーオーバーの略。経費計上を先送りしたり、海外子会社に在庫を高く売ったりして利益を水増しすること『チャレンジ』:社長主導で決めた極めて高い利益目標を達成すること(勿論どんな手立てを使ってもという意味が内包されているようだ)この他にも、報告書は次の言葉も紹介している。『TOV改訂』:半導体などの原価を実際より安く見せかけ、利益を水増しすることこんな言葉が乱れ飛ぶのは、決して暴力団の組長会議の場ではなく、東芝本社で開かれていた「社長月例」と呼ばれる会議に於いてなのだから、凄まじい。「私は、『チャレンジ』と言う言葉を使ったことはありません」というのは、3代目の悪人(発覚時の社長)田中久雄だ。そして、言葉を継いで「私は、不正を指示したつもりはありません」と口をへの字に結んで言うわけだ。この会見を聞いていて、全く反省の色はないというのを感じた。表面的には、「全てのステークホルダーの皆さんに迷惑を掛けて申し訳ない」と言っているが、腹の内では心底反省していないというのが見え見えで、歴代3人の社長がやってきたこと(みんなでやれば怖くない)という感じなのだ。恐ろしや、「上司の意向に逆らえない企業風土を醸成してきた東芝」が2009年から5年に亘って不正を続け浮かせた1562億円の操作利益だ。何が「コーポレートガバナンス」だ。横文字を使えば事足りるわけではない、形骸を重視し、内面を腐らせた東芝トップの3悪人は、厳重にその罪を糾弾されなければならないと思う。職を辞しただけで有耶無耶にしてはならない。まして株価26%のダウンだけに対する損害以上のものがあることを忘れてはならない。
2015.07.22
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今日は友人と2人で、ゴルフのラウンドだった。場所はれいせんGCで、友人の夫人も同行の予定が、孫が押し寄せてきたので、断念したとのことだ。前回は、1ヶ月ほど前にプレーしている。8:22のインスタートで、ホールバイホールの記録は下記の通りだ。No.10は打ち降ろし右ドッグのロング。右のOBを嫌って、左に引っぱりすぎたのは前回と同じ。2打でやっと友人の1打目に届くところまでだ。3打、4打はまずまずだったが、アプローチで届かなかったり、チョロしたりで、3パットも手伝って9打を叩いたのにはどうなることかと思った。友人はバーディートライが成らず、パーとした。No.11の短いが狭いミドルで、FWのアンジュレーションが特に大きい。2打をバンカーに入れたが、3打でオンし、ボギーにとどめた。友人は左ラフに入れて、手こずり、ダブルボギーとしていた。どっこいどっこいの出足だが、友人が一歩前を行く。No.12は超打ち降ろしのショートで、1オンしたが、ファーストパットを打てず、3パットのボギーは痛い。友人は向こうのバンカーに入れたが、2つで寄せて同じくボギーだった。No.13は、前回よりも更に悪い。ティーの下をかいくぐったのか、ど天ぷらの左OBだ。(鬼門か)友人が後からティーが高すぎると感じたという。プレ4をGR向こうへこぼし、5つで寄せて1パットのダボだった。友人はティーショットをプレ4位置より前まで運んで軽くパーだった。No.14は、手前に一寸谷があるが、気にはならない。ティーショットは、距離はないがまずまずだ。2打は巧く飛び、70YDアプローチをオンした。2パットのボギーである。友人は、アプローチを右にそらしたが、1パットでボギーと並んだ。No.15は、距離の長いミドルで、ここでは1打、2打共に良く、3オンは7mだ。もう少しでパーというパットを外し、惜しくもパーは取れなかったのも前回とほぼ同じだ。ロングヒッターの友人は楽々パーだった。No.16のロングは、1打は良かったが、2打でダフリ、3打は左に引っかけた。斜め傾斜部は危ないと救済されたが、4つで乗せきれず、5オンし、2パットのダボである。友人はボギーだった。No.17は、大きな池越えショートで、今回のティーは一寸前だ。4Wで届かず、ボギーだった。友人も乗せられずに同じくボギーだ。最終No.18は2打から左ドッグで打上。1打、2打はまずまずで、3オンし、ここでもパットが惜しくも入らずボギーだった。友人のティーショットは一直線で、一寸右寄りだ。ボールがあるのは分かっているが見つからない、後ろもいるので、無罰で2オン成らず、同じくボギーだった。ホールアウトは10:37、まだ、昼飯でもあるまいとスルーした。(女性スタッフは、簡単にOKしてくれた)No.1は、ロングで、1打、2打は良く、160YDの3打アプローチは届かなかったが、3mに4オンした。しかしここでも1パットで入らず、ボギーだ。友人は、1打、2打とも本来ではなく、ダボとしていた。No.2では、1打は良くFW左。2打も良かったが、3打で載せきれない。ピン近に4オンしたが1STパットを外し、ダボだ。友人も同じくダボだった。No.3はやや下り、比較的短いミドルだ。ティーショット以上に、2打が抜群に良く、一旦バンカーかと思われたが駆け抜けて5mに2オンだ。バーディーを意識したがパーしか取れなかった。友人もパーでついてくる。No.4は、打上。ティーショットを左に引っかけて、ラフだ。2打は殆どゲインがなかった。それで3打で届かず、4オン2パットのダボだった。友人は見事に2オンだったが、3パットのボギーとしていた。No.5は距離のある、やや打ち降ろしのショートで、ティーショットはダフリ気味に届かなかった。迂闊にも2打もショートで、3オンし1パットのボギーだ。友人はカラーに落として、やはりボギーだった。No.6はやや下りのミドル。右前方の谷は若干気になる。1打、2打は良く、3打をGRオーバーだ。4打をピン近に寄せOKを貰ってボギーだった。友人は3打で載せたが、3パットのダボとしていた。No.7は1打目の落下地点が狭く、右にドッグレッグの前方が谷越えになる。ここでも不可思議の1打ど天ぷら。OBかと思いきや、辛うじてセーフ。2打、3打も生気が無く4オンだ。2パットのダボである。友人はティーショットが強烈だったが、コースが少し左でOBだった。上がって同じくダボであった。No.8は、90YDほどの超ショートで、一寸緩めて打ち直しを正としてくれ1オンだ。友人も1オンで、パット合戦になった。先に友人がバーディーを取り、続く私もバーディーだった。さて後半1打アヘッドの最終ホール(No.9)のロングではティーショットはまずまずだが、2打で前の池を越えられなかった。3打で約50YDを残したが、そこまでで、4打をGRオーバーし、5オンの1パットのボギーだった。友人は流石の3オンを1パットで沈め、連続2ホールバーディーで締めた。後半1ストローク逆転された。天気コース上だけ雲で傘をさしたようで、それほどの暑さではなかった。友人は、90を切り、私は100を切る結果だった。
2015.07.21
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今日のウォーキングは山崎駅から円明教寺口迄の往復だ。***1週間ほど前の7月14日、大型恐竜ティラノサウルスの歯(2つ)が国内で初めて長崎で発見されたと報道された。8100万年前の白亜紀後期の地層から出土したとのことだ。孫を連れて良く福井県の恐竜博物館(勝山市)に行くが、今回の発掘は恐竜博物館と長崎市とが共同して発見したものだ。この歯から、推定されるティラノサウルスの全長は推定10mで、ティラノサウルス科の大型種の化石が発見されたのは国内では初めてだとのことだ。この2つの歯が発見されたのは、2014年5月のことで先端から歯根部の高さが8・2cm、厚さは2・7cmで水平の断面がふくらみのある楕円形となっていて、形状や大きさからティラノサウルス科の特徴と一致していて、左下の顎の歯とみられる。ティラノサウルス科の恐竜は白亜紀後期の後半(約8300万年~約6600万年前)の北米とアジアで生息していたもので、小さなものでも全長5mあり、今回の発見のように10mを超える種もある。残念ながら 今回発見された化石の実物は長崎市科学館で展示されるようで、福井の恐竜博物館には複製が展示されるとのことだ。ティラノサウルスなどの大型恐竜の化石の多くは北米で発見されることが多いが、中国やモンゴルでも発見されている。かって日本は中国やモンゴルと陸続きだったので、日本で大型の肉食恐竜が発見されたとしても驚くべき事ではないが、大型種はこれまで国内で発見例がなかった。ティラノサウルスについて過去の記録を調べてみると、ティラノサウルスは子どものころに1日2kgという驚異的なスピードで成長していくというのがあった。(2004年8月)アメリカで発見された、その解説では、体長約12m、体重約6tonということで、14歳からの4年間に一日に2・07kgの猛スピードで大きくなって、その後、成長が止まるということだった。このことは、恐竜化石に残る年輪(成長線)を詳しく調べた成果とのことで、他の恐竜を圧倒する巨大な体になるために一時期に集中的に食べて急成長したと考えられるとのことだ。また、2005年3月には、米モンタナ州の約6800万年前の地層で見つかった肉食恐竜ティラノサウルス・レックスの化石から伸び縮みするほど軟らかく、管状を保持している血管や、DNAの格納庫ともいえる「細胞核」を持つ骨細胞など、化石化していない軟組織が見つかったと報道された。2000~2003年に発掘したこのティラノサウルスの推定全長は約10mで、ノースカロライナ州立大のシュワイツァー博士らが大腿骨を切り取り、弱酸性の溶液でカルシウムなどミネラル分を除いたところ、血管や骨細胞が出てきたとのことだ。 過去にも化石から血管などを見つけたという報告はあったが、2005年に報道されたような柔軟な状態で取り出せたのは初めてだとのことだった。ティラノサウルスの大腿骨は骨密度が高いので中の軟組織が劣化しにくい故に軟組織の抽出が出来たとのことだった。DNAの存在(抽出)の有無は不明だそうで、現在も鋭意分析中ということだ。ティラノサウルスの仲間には、頭にトサカがあったとか、羽毛に覆われていたとかといった様々な知見が発表されている。取りだした軟組織から、iPS細胞を生成して、やがて大型恐竜の複製(クローン)が出来て、動く本物が恐竜館に(動物園のように)展示されるときっと面白いだろうなとは、勝手な想像である。
2015.07.20
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今日は早朝湘南へ帰る姫を見送るため、ウォーキングは中止し、送りがてら近場を連れ合いと歩いた。神戸の方では、関西の造船科出身者の有志が集まる会があるようだが、参加を見送った。夕方からカラオケ大会があって、そちらの方に出かけた。一緒に行くのは、連れ合いと友人との3人だが、今日の参加者は16名と少な目であった。何時も選曲には苦労するのだが、今回は事前練習で決めていたので、登録と予想点は比較的スムースに出来た。1曲目の採点方法は「ランキングバトル」で、歌っていると、今全国でこの歌を歌っているのは何人で、その内の何位ですという表示が、テレビの右上に出てくるものだ。どんなに頑張っても、上位に行くことはない。2曲目は一寸お色気画面の「ときめき」採点だ。これは10点満点で、(時に11点出ることはあるそうだが)得点に10倍して、加算する約束だ。私の選曲は1曲目「池袋の夜」で、2曲目は「傷だらけの人生」である。他にも鶴田浩二の歌を選んだ人がいたが、どうやら3日ほど前が彼の命日だったようだ。連れ合いは、1曲目「千曲川」で、2曲目は「長崎の女」だ。友人はというと、1曲目「夜明けのブルース」で2曲目には「思い出話」を選んでいた。予定通りである。会が始まった。1曲目のパネルは伏せてある。最初の人はTV87点だった。良い出足だ。私は5番目で、得点は85点であり、練習時より2点下回った。「異国の丘」を歌った、張りのある男性は98点の高得点をマークしていた。11番目の連れ合いは、TV92点で、練習時とほぼ同じで快調の滑り出しだ。最後から2番目にクジを引いた友人は、TV得点87点で、これは練習時よりも2点高かった。16人全てが歌い終わり、夕食となったが、専ら今回の台風11号での話が多かった。特にJR車内に閉じ込められた人達(ぎゅうぎゅう詰めだったとか)はもう少し走って駅に付ければいいものをとの話だ。さて2曲目が開始だ。今度はパネルも公開である。最初の人は、「ときめき採点」で9点(即ち90点)と出て、ちょっと意外そうであった。結果は16人中90点はたった4人だったわけだ。私の番で、結果は、パネル88点、TV10点(100点)と、練習時に比べパネルで4点のショートとなり、1曲目と併せて、6点のショートは、一寸霞んだ気分である。連れ合いの番になって、気分の良い熱唱となったものの、途中聴いている側の合いの手で調子を崩して、パネルは74点と珍しく不本意な成績であった。(しかし練習時より2点アップ)TVは勿論100点である。さて会も迫り、友人の番になった。歌い終わった得点は、パネル85点、TV100点となり、これは練習時とぴたり同じであった。3人の微妙な得点は、1曲目の隠しパネルの得点如何に掛かってきた。最終者が歌い終わり、忽ち集計で、結果は即発表され、表彰との段取りだ。壇上でまず、BB賞が発表された。何と、前回の記念大会優勝者の女性が呼ばれた。総得点360点で、予想点347点(意識的に低く申告したのだろうか)で13点オーバーである。次ぎに銅賞だが、同得点差(申告点との)マイナス4点で連れ合いと、もう1人の女性が呼ばれた。即座に連れ合いが辞退して、(何度も金を貰っていたこともあり)「惚れたのさ」を歌った女性のものとなった。因みに、連れ合いの1曲目の隠しパネル点は85点で練習時よりも高く、2曲目のパネル点をカバーしていたわけだ。そして、銀賞だが、「恋の歌」を歌った女性の名が呼ばれた。得点差はマイナス3点である。ああ、これで望みはほとんど無くなったと言うことだ。そして、もったいぶった金賞の発表で、何と友人の名前が呼ばれたではないか。結果は申告点とぴったりの堂々たるぶっちぎりの金賞だ。1曲目隠しパネルは練習時と全く同じで作戦の勝利だ。私の場合は、1曲目の隠しパネルが85点と、何と練習時の10点も高く、他の低い評価点を凌駕して、結局は合計差プラス4点と論外になったわけだ。それにしても、友人の優勝は、誘い込んだこちらとしては、よくぞ取ってくれたという感じであった。
2015.07.19
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今日は、台風が通過したものの雨は未だ酷く降っている。従ってウォーキングは中止した。このブログを開始してから、昨日で、延べ24万回のヒットがあった。これ以前のものを加えると、ブログを始めてからは25万回を超えるヒット数になり、隔世の感がある。最初のブログは、2004年4月19日(月)となっていて、そのタイトルは「侘びしい人生」とあった。実質的に定年退職して、先に希望を無くしていたときだったようだ。その時、早世した諸先輩のことに触れ、自らも、「この歳(諸先輩が逝った52歳を指す)を乗り越えたら大体70歳までは大丈夫のようだ」と書いている。そして今、70歳を通過中であるがもう一寸は行けそうだ。今日は高校バスケットボール部のOB・OG会(籠友会と称する)の95周年記念誌を作成する集まりに参加した。あまり固有名詞を出すことはしない方針だが、まぁ、これくらいは出しても差し支えはないだろう。この籠友会は私が卒業(高校を)した頃は、「親籠会」と称していて、我々レベル以前に卒業した方々にはこの名の方が通りが良い。記念誌発行は大阪府下の有名校では既に作っているとのことがきっかけで、ならば、我が校もという後追い姿勢のものだった。そもそも創部は何時だったかは、これだと特定するものはないようで、色々と辿っていく内にどうやら95周年になるだろうとのことであった。この仕事を通じて、旧制中学校時代の大先輩ともお会いすることが出来て、貴重な話を聞くことが出来たのも収穫であった。私の現役当時は、体育館と称して良いものかどうかと言うほどの床はぼこぼこ、薄暗い照明設備の中、バレーボール部や剣道部などといった運動部との共生を余儀なくされたが、体育館など無い中学時代に比べれば、それでも一寸は良かったのかも知れない。練習の終わりには、川の水を引き込んだ50mプール(このプールには高飛び込みの台もあり、オリンピックに選手を送り出したこともある)でクールダウンするなどといったこともあった。現在のよう2階建てで、悠々2面取れる床もぴかぴかの体育館などは、夢を見ているような気分である。名簿上は優に1100人を超す会員数であるが、高校時代のクラブ活動を有意義に過ごしてきた人達ばかりではないようで、後輩達を支援しようと再結成した「籠友会」への参加者は、2割に満たないというのが現実である。我々の時代は友に恵まれ、大阪府下の成績は、ベスト4が2回と、優勝こそ出来なかったけれど、結構クラブ活動を楽しむことが出来た。しかし、記念誌作成で、各卒業年次の主だった人に執筆を御願いすると、思い出すのも嫌だといわんばかりの反応をする人もあり、「へぇー」と驚くような経験もした。世の中、自分の価値判断で見るだけではないものが多く存在するのだと変な感心をしたものだった。私の場合は、幸か不幸か、中学時代の後半にバスケットボール部に誘われて以来、途中で故障のため少し離れていた時期はあったものの、それも治って、30歳近くまで現役として関わってきたという結果的には変わり者の部類に属している。高校時代の経験者も大学でプレーをするには、当時はレベルが高く無理で(私の場合は、丁度良い加減のレベルであったようだ) 高校で終わる人も多く、社会人になってまで続ける人は希少のようだ。幸い、田舎(岡山県)に奉職したために、県大会はもとより、中国大会にも出場することが出来(1度は全国大会青年祭で優勝した)、概ね、バスケットボールを楽しむことが出来たのは幸いだった。つらい練習を通じ、体を鍛えていた(精神も然りだが)事が今日の役に立っていると感じることが出来る。記念誌作成の準備会に参加して、先輩や同期、後輩と話をするとき、バスケットを通じての繋がりを有難く思う。良い記念誌が出来るように頑張りたい。会合後に飲み会をしての帰り、姫から電話で、名古屋で仕事(論文査読)をしていて茅ヶ崎には帰れなくなったので実家にくるとの連絡を受けた。連れ合いは、束の間の娘との面会を喜んでいた。
2015.07.18
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今日はどうやら台風11号の真っ只中、雨も降っていて、当然ウォーキングは中止だ。プリウスαがリコールの対象になっていると小耳に挟んでいたので、念のためトヨタに電話で確認した。幸い購入した車は対象外だそうだ。一安心である。昔、三菱自動車がリコール隠しをしたり、最近では、タカタのエアバッグによる事故の件もあったり、更には東洋ゴムの試験結果の改ざんなどの例もあるので、一寸注意しておかなければとの確認だが、やはり世界に互する企業だけに、応対もなかなか感じが良かった。***自衛隊の活動範囲を広げる。友国がやられたら助ける。などなど、講釈は様々だが、先ず以て本法案が憲法に違反しているという解釈が圧倒的多数である中、強行して裁決するというのが分からない。日本は本当に立憲国家なのだろうか。憲法を国の根本秩序に関する法規範の意味としてとらえると、憲法に反する末端の法令を俎上に挙げることすら言語道断である。集団的自衛権を進めたいなら、堂々と現行憲法を改正する手順を踏んで、行うべきと思うがどうだろうか。外交評論家の中には、「海外在住の日本人の安全確保のため必要」などとの論理展開だが、それならそこにしぼって派遣をすれば済むことで、仰々しく今回の法案を待つ必要はない。イラン・イラク戦争時に駐在する国民を助けるためにナショナルフラッグ(日本航空)が飛ばず、トルコに助けられたが、トルコは集団的自衛権の下に救出機を飛ばしたわけではない。要は、日本人に友邦を守るという意識がなかったためであり、そんな根性の国民ならば、不法な法で、心を持って、戦地に赴かせることは出来ないと思う。政府が言う、一般国民に説明が足りないから、理解されず反対されているとの見解は当たらない。理解しているからこそ反対しているのだという現実を見ずに、独断偏見、我が意の闘争欲のみで、一般国民(当面は自衛隊員)を危険な場所に送り込もうとしているわけだから何をか況やである。「すめらみことは戦ひに、おほみずから出でまさね」である。自らは関係ないという意識が働いているのではないかと勘ぐる。いざとなれば、よど号ハイジャック事件で人質となった乗客の身代わりになった気概ある山村運輸政務次官のような人もいる。国を挙げて、アメリカの言いなりで、追従的に危険を拾うような行為は、慎むべきであろう。いざとなったら、どうするか、個別的な自衛権を行使することで、日本は十分に存立していける。テロ撲滅で、金だけ出して、人的支援をしなかったことで苦い思いをしたかも知れないが、大局的には、現在の憲法を護持することで日本の海外での評価は高い。そんな日本が、外国がこうだからと右に倣えをしてしまえば、特筆すべき日本の立場は崩れ、これでもか、これでもかと蟻地獄のような危険の真っ只中に導かれることは、少し歴史を勉強していたら、自明の事だと思うが如何だろうか。敗戦後の日本は、朝鮮戦争の勃発で、日本の警備と防衛力の増強が急務となり、警察予備隊を発足させ、海上保安庁員を増員したのだが、その警察予備隊が保安隊と名を変え、そして増強、自衛隊となっていった。自衛隊は、防衛庁下に置かれたがその防衛庁は防衛省へと格上げされ、といった具合に、どんどんと再び戦争も可能との階段を上ってきたのである。しかし、百歩譲って、これまでは、全て憲法内、大方の国民の合意の下に進んできたように思う。しかし、今回は、度外れた横暴としか言いようがない。政府が説明する、グレーゾーン事態や重要影響事態、そして存立危機事態等と言ったカテゴリーは、やがて曖昧模糊となり、その内以前と同様に拡大解釈され、戦争の臭いのするところには、既に自衛隊(?)が進んで派遣されているような事態になるだろう。いやはや、恐ろしい限りである。
2015.07.17
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今日は台風11号が接近していて、雨が降っている。ウォーキングは中止だ。連れ合いと同行して、長崎に行くための旅費の支払いで梅田へ出かけ、その足で、京都で食事をすることになった。今日は祇園祭の宵山である。高校のバスケットボールクラブの雑用を仰せつかっているので、会員諸氏からの会費振込が五月雨的にある。尤も、何か案内を出した反応で振り込まれてくることが多いので、(常日頃は忘れている)そんな時に集中して記帳をすればいいが、時折思い出したような振込もあるので、定期的に通帳への記帳をしなければならない。今回も、8月1日に総会を開くので案内を出したところだが、そのため梅田に出る機会に記帳をした。三井住友銀行は大都市にしかないので、(高槻にはあるが、島本町にはない)仕方ない。記帳の結果今回振り込まれていたのはたった1名だけだった。じり貧である。高校時代に必ずしも情熱を持って取り組んだクラブでなければ、歳を取ってから何で今更バスケット?という向きも多い。仕方ないことだ。梅田から久しぶりに京都行きの特急に乗った。ロマンスシートタイプで、車両はリニューアルされていて気持ちが良い。連れ合いと阪急のロマンスシートに乗るのも又久しぶりである。窓外の景色は、変わらないが、日頃は上牧、水無瀬を通過することが無いのでこれも新鮮だ。京都について、今は丸井になっているビルの7階の美濃吉で昼食を採った。このところ少し間遠になっているが外の景色は変わらない。残念ながら比叡山は雨雲に覆われている。連れ合いは、いつもより上等の花会席を注文していた。食前酒から始まり、前菜、椀物、造りと続き、主菜の牛ヒレ肉は格別の味だ。そして、賀茂茄子の冷鉢、最後にご飯だ。締めの水物は六色パレットで6つに区切られた硝子皿に載ったアイスクリームなどだ。旅行以来の昼ビールは、日本では何故か酔いが早い。なんと言っても今日は祇園祭の宵山だ。しかし、生憎の台風11号接近で、明日の山鉾巡業が危ぶまれている。レストランは四条河原町の角にあるので窓からは山鉾の姿は見えない。レストランを出て、四条通を西に歩く。四条通は、車道が狭められて(というか歩道が拡張されて)いる途上だ。観光客用なのだろうが、いっそう一方通行か、歩行者天国にしたらなどと思う。暫く行くと、巡業の長刀鉾は先頭(最も八坂神社寄り)に配置されている。今年は少し西にシフトされている感じだ。長刀鉾の長刀の切っ先は、御所ではなく八坂神社に向けないようにしているのだとかの連れ合い蘊蓄を聞きながら、長刀鉾に着くと、向こうに函谷鉾があるのが見えた。例年なら四条通周りの山鉾を見て回るところだが、空も怪しいことだし、長刀鉾だけにし、その代わり、鉾に上ってみることにした。どうやら近くで何か物を買ったら乗ることが出来るらしかったが、2階で何か買ったら乗れると勘違いし、入口でちゃっかり団扇を貰い、すたすたと2階に上がった、2階には、長刀鉾ゆかりの品々や、鉾の解説、歴代稚児(長刀鉾にしか乗らない)の写真が飾ってあった。そこから鉾に回廊が渡されているが、何と入口には女子と子供は乗ることが出来ないと書かれている。何とまぁ、古めかしい事よ、とは思いながらも、男の特権とばかり、鉾に乗り移った。何の変哲もない河内で言えばだんじりと同じだが、何やら狭いところに40名ばかりが乗り込むのだそうだ。流石に外国観光客が選ぶ世界一の京都の伝統行事だけあって、説明は、英語、、フランス語、イタリア語、スペイン語、ロシア語、中国語(2種)、韓国語と多彩である。因みに英語で山鉾は「Float」と説明され、32基有るとのことだ。明日の巡航が台風で中止にならなければいいがと思いつつ京都を後にした。
2015.07.16
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今日のウォーキングは高浜の堤から淀川看板迄の往復だ。安保法案が衆院特別委で可決、16日にも衆院通過するとのテロップが流れた。多数の人が反対する中(勿論知識人も含む)強引さを押し通す独裁者のやり方と、それに阿る取り巻きの何とも浅ましいことか。しかしやがてこの法案で国民(当面は自衛隊員)を戦争へと追い立てるのだ。小学校の放課後学習会の前期ボランティアの最終日だ。これで前半の日程が終了した。復習に漢字の読みと、小数点2桁の数の和と差の計算、九九を復習するための割り算形式のプリント等をやったが、算数では、1日の温度をグラフから読み取る問題も出されていた。学習会が終わって、学習会に於ける反省点など、先生方とボランティア間の交流会が持たれた。校長、教頭先生始め4年生、3年生の担任の先生方、学力アップ担当の先生、新任の先生ら7人が見え、ゆめ本部事務局から2名と、実働のボランティア7人という構成であった。ボランティアの中から、熱心な意見と、学校側の感謝の言葉などで、終始したが、中には、否定的な発言(子供がうるさいなど)から始まるボランティアさんもいて人様々であると感じた。夕方は、友人と連れ合いで、カラオケの練習に出かけた。友人は、このところの多忙で、久しぶりのカラオケ合流となる。3日後の19日には、恒例大会がある。選曲のための練習だが、連れ合いは曲の候補さえ決まっていないという。流石に友人は絞ってきていて1曲目には「夜明けのブルース」を歌い、2曲目には「思い出話」を歌うことにしているようだ。1曲目は全国何位という評価方式で、2曲目は10点満点評価となるという話だ。友人は1曲目を3回歌い、パネル採点は全て83点と安定している。テレビの点数も84点と85点でこれも安定している。2曲目にと「芙美子」を歌ったが、しっくりしないとかで、「思い出話」に決めたようだ。これは、パネル78点、77点と安定感があったが、3回目のトライアルで、85点と一寸変化した。私の場合は、1曲目用にと選んだ心積もりの「心凍らせて」も「千曲川」も音がずれたり、違う歌と混乱していたりと散々で、ついに「池袋の夜」で落ち着いた。パネル74点と75点、テレビは87点が2回という結果だ。2曲目用には「傷だらけの人生」で、パネル92点と90点、テレビでは共に10点という練習結果だった。連れ合いは曲が決まらないまま、1曲目「花」を試したが気に入らず、私の歌い損ねた「千曲川」を歌ってみると言い、パネル83点と76点と大きくぶれたが、テレビは92点、91点と安定していたため、それに決め、2曲目には用意していた「乱れ髪」はもう少し歌い込んでからと、結局「長崎の女」を選んでいた。途中から、3箇所でカラオケ教室を開いている女性が入ってきたので、それ以上あまり歌い込むことは出来なかった。この女性は、前回の記念大会で優勝した本格派だ。友人とは久しぶりに会ったこともあって、歌よりも話に身が入り、練習する時間は多く取れなかった。がむしゃらに歌うばかりが脳ではないわけで、話をすることもまた良きかなである。我々のオランダ・ベルギー旅行の話や、店の社長の昔の映画スター時代の話も少し紹介してくれた。カラオケ教室の女性も、東北地方から出てきたと言って、未だに復旧が成っていない故郷石巻の話などの話が出た。若い頃や、仕事をしていた頃に比べて、カラオケを歌っていられるささやかな楽しみの、今が一番幸せだといっていた。一寸早めに店を退却した。
2015.07.15
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今日は高校同期のゴルフコンペだった。場所はよみうりゴルフウエストコースで、私は初めてのコースだ。その間、連れ合いは大学同期の女子会ということだ。従って今日のウォーキングはゴルフで代用だ。友人をピックアップして名神に入ったが、宝塚手前で事故のため少し渋滞した。宝塚ICで降りるようにカーナビも言うが、下道は旧態然として狭く混んでいた。よみうりカントリーに入ってからの道は急な曲がりと結構な勾配で、その昔友人達が来た頃の車では登るのに苦労したという話だ。コースはメンバー用とビジター用があり、ウエストコースはビジター用だ。初めてのコースでもあり、散々なスコアだったが、コース自体は広く、綺麗で、楽しめた。インからの9:00スタートで、コースを振り返りながら記載する。No.10(4)は、打ち降ろしで、広く、遠くにピンが見える。1打は、とても良い感じだ。2打も良い感じで飛んだが、グリーンの脇で右にキックした。3オンは、1mと絶好だったが、1パット目を痛恨のミスでボギーだった。他の3人はダボ以上だ。出足からついていなかったかも。No.11(4)は、谷越えで、やや左ドッグ。ここもナイスショットと声が掛かる。2打もまずまずだったが3打目をシャンク気味にバンカーへ。焦る気持ちがヘッドアップを誘った。4打でGRオーバー。ダボとしたのは痛恨だった。慎重さに欠ける。ここは、友人2人もOBしていた。No.12(3)は、広い谷越えのショートだ。谷へ入れてしまった。プレ4からトリプル上がり。もう1人も谷へ落としたが、ダボで他はパーとボギーだった。No.13(5)は、2ホール連続のミスで、気落ちは否めない。打ち降ろしで左ドッグだ。1打、2打と右に出てコースを遠回りする形。4つで乗せきれず。5オンの2パットでダボだ。ボギーが1人だが、トリプルが2人いたのでそれほど落ち込まなかった。No.14(4)は、左向こうに鉄塔が見える谷越えで2打からやや打上だ。1打は良かったが、2打は当たらず、3打はまずまず、4打でまたミスるといったちぐはぐ愚な展開で、やっと5オン。1パットで沈めてダボに抑える。他は6-7-8であった。No.15(4)は、なだらかな打ち降ろしでFWは広い。一寸フックグリップを試したら左に出てバンカーに入ったが勢いで出た。そこで前方のGR手前にクリークがあると分かった。一寸意識して加減しすぎボールはFWだが左足下がりの位置で止まってしまった。やむなくクリーク前に刻む形になり、4打はGR届かず、又ここでチョロして6オン1パットとし、トリプルとなった。ここは1人ダボが最高で、他は8打と9打であった。途中にクリーク有りと知っていたら、攻め方は変わっただろう。No.16(5)のロングは、気を取り直した。ここも広くやや打ち降ろしだ。最後は打上だが、ティーショットが打ち降ろしの場合ホットする。1打は調子よかったし、2打はトップ気味だが一旦入ったバンカーから出た。120YDのアプローチを7mながら載せたのは嬉しかった。パーを拾った。初めてのパーだ。もう1人もパーだったが、気分は最高だ。 No.17(3)は、谷越えショートで、またしても谷底に落とした。OB且つ3パットで7打とはガックリだ。谷越えは何故か必要以上に緊張する。ここはみんなボギーだったので疎外感は大きい。前半最終No.18(4)は、ドラコンホールだ。良い当たりで、バンカー手前だったが、先の組のドラコン旗には僅かに届かない。2打も良く、3打で一寸トップ気味で、カラーに止まり、ダボとなってしまった。ダボが3人で、1人9打叩いていた。熱中症を心配したが、案外からっとしていて台風が来ているとは分からない天候だ。昼食は冷麺だった。アウトに入った。No.1(4)は、少し、打ち降ろし気味から打上に変わる広いホールだ。1打、2打は快調でFWキープ、3打はトップ気味でGR向こうだ。4オン、2パットとダボで発進だ。1人を除いてダボだったがここはせめてボギーとしておきたかった。No.2(3)は、なだらかなすり鉢型、1打で乗せきれず、2パットのボギーだ。1人乗せたが3パットでボギーだった。No.3(4)は、手前の谷を越える、ミドル。1打は一寸悪く、右ラフだ。2打でFWに戻し、105YDのアプローチを5mに載せ、1パット目はカップに蹴られて惜しくもボギーだ。1人1パットで、パーとしていた。 No.4(4)は、打上げて、打ち下ろす鞍型のコースで、左ドッグである。ティーショットは良かったが、2打で右に出て、前方に木がありカーと道にスタンスする感じだ。一寸救済を受け、木を裂けてやっと100YDのアプローチだったが載せきれず4オンの2パットでダボとした。ダボに付き合ったのは1人だけだ。 No.5(3)は、163YDショート。当たり悪く、2打で5mにオン。しかし痛恨の3パットで又ダボである。ここは1人のボギーを除き3人とも3パットのダボだった。No.6(5)は、打ち上げて、そこから打ち下ろすといった鞍型コースだ。1打目が巧くいったので、良い感じだった。2打目は左に出たが、自分ではセーフに見えた。1人が打ち直したらと言うので暫定球を打とうとしたら、もう1人は「セーフや」という。前方でラフを捜すが見つからない。セーフといった男はカートから降りてこない。「ないか?」というだけだ。むかっと来た。思い直して3打は良い感じだが、もう少しを乗せきれず、4オン2パットのボギーだ。ロストを足そうとすると、「1打で良いよ」とは暫定球を促した方の友人。1人のボギーを除いて3人ともダボ上がりだ。No.7(4)は、右方向に凹みが見え、先に打った友人が辛うじてそこを越えていたが、私は非力で、いきなりそこに落としてOBした。前のホールを引きずっているのが分かった。プレ4に進み、チョロも含んでやっと6オンだ。2パットのダブルスコアは全く消沈するに十分だ。他はボギーとダボだった。No.8(5)は、広々としたロングで、FWの先は極端に凹んでいるようだ。ティーショットは今日一くらいに良かった。しかし、2打をチョロして、進まず、3打でやっとコースの最下点だ。そこからもバンカーに入れたりして、上がれば8つ叩いていた。他はダボが2人で、9打もいた。No.9(4)は、最終のロングホール。オナーの友人は、今日一番のしかも目を見張るような当たりで、ドラコンの旗を立てた。私は、まずまずだったが、2打目地点で、前のホールにアプローチクラブを置き忘れたことに気付いた。なかなか来ない次の組に確かめたときには、プレーはそこそこに忘れたクラブが気になっていた。後続が見えたので確かめたら、持ってきているとのことだった。上がったら7打となっていた。悪かった前半よりも1打更に悪く、順位は11人中9位であった。OBが3つ、ロストが1つと、自らの非力を悔しく感じたが、コースは良かったと思う。リベンジしたいコースである。
2015.07.14
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今日のウォーキングは途中ソフトバンクの販売店を経由して江川の堤に出、NHの看板からいつもの河川敷を帰宅した。姉の引越のための片付けで3度目のマンションを訪問した。徐々にだが、整理していて、生じた不燃ゴミなどを纏めて指定場所に捨てに行った。豊中市はゴミの分別がうるさいようで、燃えるゴミでも市の指定したごみ袋を使わないと引き取って貰えないとのことだ。その点島本町は緩やかである。帰り際にサングラスが壊れてしまった(ビスが折れていた)のとサンダルシューズが根っこから切れてしまったのでサングラスの修理にジャスコに行ったが、連れ合いが新しいシューズ(しかも2足も)を買ってくれた。ラッキー!***今日は朝刊新聞が休刊だ。ネットを見ていると、「地図止まらぬ進化」というのを見かけた。グーグル社が提供しているグーグルマップが10周年を迎えるのだそうだ。(2005年にサービス開始)もうそんなになるのかと思うが、私も時に応じて使わせて貰っている。毎月10億人が利用し、200万サイトで採用されているデファクトスタンダード(事実上の標準)だという。今までは、ネット環境下でのみ使うことが出来たのだが、今後のスマートフォンではオフラインでも使えるようにするとのことだ。勿論GPSを利用するのだが、その進化は著しい。位置情報は、時によって誤差はあるが、殆ど実用に不満はないほどだ。知らないところに出かけるのも、スマートフォンさえあれば、迷うこともない。公共の場所や店なら、当該場所の詳細など連動して引き出せるようにもなっている。その場所への行き方も教えてくれるし、又電話も掛けられ、予約や質問なども出来るという案配だ。最近では、場所によるが、ストリートビューを3次元で見ることが出来る。グーグルアースという地球儀を俯瞰できるサービスもあり、詳細な実用化はまだ完全とは云えないまでも、楽しむことが出来る。更に使ったことはないが、ストリートビューに過去の画像を遡ってみられるタイムマシン機能が追加されたとのことだ。これによると、東日本大震災の被災地の街並みが再現(記録として残されている)できるのだという。グーグルアースも機能強化で、合計20個の小型衛星を打ち上げる計画だそうだ。ますます、楽しみが増すようになるとか、便利になるとかするだろう。勿論こういったビューが可能なのは誰かが取材して、写真などを撮っていることが前提だ。既に66ヵ国にまでストリートビューは拡大しているとの事だ。最近では、投稿者(利用者)からの投稿も多く寄せられているとのことで、誰でもが投稿できるアプリが提供されるのも間近だという。問題点は、余り克明すぎて便利だが、プライバシーの侵害になるのではないかとの問題が指摘されていたが、その後悪用して云々との重大事件は聞かない。更には、克明な航空写真は、軍事秘密をも明かすとの話もあった。綿密で詳細且つ、ライブ的な情報が得られれば、軍事的には脅威にもなるだろう。将来的には、ウエアラブルコンピュータを(例えば眼鏡式)使って、この間旅行した例えばアムステルダム中央駅前のストリートをあたかも今歩いているかのごとく感じられるようになるかも知れないわけだ。悪戯にグーグルアースで、アムステルダム国立美術館と検索したら、スマートフォン上で、島本町から一気にオランダまで地図上で飛んで、美術館に到着した。空から3次元的に撮影された美術館はついこの間訪れた美術館の外観であった。
2015.07.13
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今日のウォーキングは高浜の堤から淀川の看板迄の往復である。旅行中に掏られたカードの新カードへの引落の変更手続きをした。夕方は、連れ合いは元同僚さんのライブがあるというので、参加し、私は孫達の来訪に備えて、待機していた。孫達は、少年野球に参加していて、帰ってきた姿は、ユニフォームと道具類から、既に一丁前のプレーヤーである。夕食に讃岐うどん、その後はジャスコ(イオン)で、ゲームと活き活き兄弟と一緒だった。***日経の日曜に考えるのコラムで、アメリカのカーネギー国際平和財団理事長のウィリアム・バーンズ氏と中国の人民大教授の時殷弘氏とのインタビューが紙上に掲載されていた。アメリカの地盤低下、中国の横暴とも云える隆盛を背景にした2人の現状分析と、将来予測だ。バーンズ氏は、「安定的混在(StableMix)」という言葉を、時氏は「複線戦略」という言葉を多用したとのことだが、共に同じ意味内容だとのことだ。(中国は流石に言葉の国だ、一寸前までは「戦略的互恵関係」などといっていた)アメリカ側は中国を国際社会に取りこむ関与政策と軍事的な膨脹を牽制する抑止政策の使い分けという意味で使い、中国側は、南沙諸島を巡る動きと、日本の集団的自衛権の兼ね合いでのアメリカの介入を踏まえての発言だ。アメリカは末期に入ったオバマ大統領故に中国としては次期大統領に誰が選ばれるかに視点を移しているようだ。しかし、何れにせよ民主、共和何れが勝利しても中国は自国に融和的に展開するとは考えていないようだ。アメリカは、リバランス政策でアジアに重点を移している。これが必ずしも巧く機能していないかも知れないことは、中東地域で、イスラム国掃討に全力をつぎ込めない理由の1つになっている。それが、世界レベルでのアメリカの地位低下と評価されているようだ。従って、アメリカの極東(アジア)政策には、同盟国(特に日本)との関係を重視している。そのとばっちりが、日本の安倍首相が集団的自衛権確率を急ぐプレッシャーになっているのだ。また、AIIB(アジアインフラ銀行)については、運営次第で参加の可能性有りとしているが、底流には、中国の対アジア経済席巻戦略を見抜いている。一方の時氏は、現在粛清が着々と進む習近平に阿りはしないのだろうが、逆鱗に触れない範囲での発言になっている。(というか、意を呈しての発言だ)南シナ海岩礁埋め立てとサイバー攻撃に関しては、ギリギリの対応である。サイバー攻撃にについては、関与していないという真っ赤な嘘で覆い隠し、岩礁埋め立てでは、中国の第2列島線までの覇権を僅かに矮小化した、第1列島線までは、世界秩序(アジア安定)確率に不可欠との勝手論理で、正当化している。習近平の動きは政敵の大物たちを「重大な党規違反」の名の下に逮捕し、処刑している中、最近では「社会秩序をかき乱す重大な犯罪一味」として、尽くに政治事件を煽り立ててきた弁護士達を、顔の周りに飛ぶ小蠅を払うように120人に及ぶ人達を逮捕するに至っている。習近平は世界の主導者になる前段階の中国内部での絶対的権力の確立を意図している。南シナ海に岩礁を造る理由は3つあるとし、1つは、アメリカの介入をさせないため(ポンコツ空母では賄えないと言うことか)であり、2つ目は、この地域からフィリピン、ベトナムを追い出すこと、3つ目がエネルギー調達のシーレーン確保だという。傍若無人を絵に描いた構想だ。最後に、日本が、南シナ海への介入と将来統一を目論む台湾の有事に介入すれば、戦争になるだろうと言い切った。
2015.07.12
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今日は昨日飲み過ぎたためにウォーキングは中止した。家でゴロゴロしていると、夕食は散歩がてらに外食したが、今日の歩数は3180歩だった。***インドのモディ首相が来年パキスタンを訪問することになった。インドとパキスタンに雪解けが訪れるだろうか。パキスタンのシャリフ首相と、インドのモディ首相が握手をしている写真が掲載されていた。インドの現職首相がパキスタンを訪問するのは12年ぶりだそうだ。アメリカとキューバの雪解けもあり、従来の東西対決は少しずつ改善されつつあるように見える。インドとパキスタンはもともと一つの国であったが、1947年イギリスからの独立時に宗教の違いに従って2つの国として別々に誕生した。分離独立前にはインド、パキスタンと中国の間の国境は曖昧であった。そこにアメリカと、ソ連(今のロシア)という対決が入り込んだ。1960年代に入ると中国とインドの国境紛争をめぐってソ連はインドを支持し、アメリカもまた中国を抑制するためにパキスタンの安全に配慮することなく、全面的にインドを支持した。この拗れが、パキスタンの危機感を刺激、それまでの対中国政策を一変し、パキスタンは中国側を指示する方向に動いた。1965年、国境を巡る第2次インド、パキスタン戦争が起こったが、その後は、パキスタンはインドに対抗するために一層中国に接近することになり、この地域の混沌さが、増幅されることになった。「敵の敵は味方」「敵の味方は敵」という戦国の世的戦略が支配的になった。1979年のソ連によるアフガニスタン侵攻を機に、アメリカは対ソ連の防波堤としてパキスタンを支援したが、中国とパキスタンの緊密な関係は更に強化され、中国はパキスタンに対して広範囲にわたる軍事援助を行ってきた。ここに見るように、この地域(両国)は西欧列強の国際情勢の変化によって翻弄され続けたわけだ。最近のインドとパキスタンは互いにアメリカと中国との協力・同盟関係を維持しながら、カシミール問題で激しく争うというのがトップの外交政策となっている。今回インド首相のパキスタン訪問が決まった場所はロシア中部のウファで、両国首相が上海協力機構(SCO)首脳会談に参加するために出席したときである。ここには、ロシアのプーチン大統領の遠大な思惑が見え隠れする。ロシアはSCOを通じて、この地域の盟主であることの存在感をアピールする狙いもありというわけだ。何れにせよ、インド、パキスタン両国だけの問題だけに留まらず、中国、ロシア、アメリカといった国々の思惑が錯綜していることは間違いがない。インド、パキスタン両首脳が合意したのは、次の5項目である。(1)両国の安全保障担当顧問の会合開催(2)国境警備隊の会合の早期開催(3)相互に拘束する漁民の15日以内の釈放(4)地域観光の活性化策の検討(5)ムンバイ同時テロ関連の裁判の加速両国の国際問題(紛争)が解決すれば、インド12億人、パキスタン1億8000万人の巨大経済市場が活性化することが期待され、その事に対する期待は大きい。元々同一だった国同士であるから共通するところも多いわけで、関係改善に期待したい。ヒンズーとイスラムという宗教的な差異がどのように関わってくるか、今後に注目したい。
2015.07.11
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今日のウォーキングは山崎駅経由円明教寺口までの往復である。旅行の後始末の続きである掏られたUCカードの再発行分が届き、従って自動引き落とし関連の手続きを済ませた。同時に連れ合いの入院関係の処理も行った。夕刻近く、私は大学の同期会に出席した。連れ合いは友人との会食である。大学の同期会は年4回の会合で、8年目を迎えたと言うから2007年頃から始めたようだ。私の参加は、2009年からで一寸新参者と言うところだ。本日は、東京、九州そして広島から遙々参加した3人を含めて11名の参加であった。同期の総勢は約30名であるから3分の1の出席は立派なものだと思う。場所はJR(旧国鉄)関係の梅田弥生会館で、アポ無しだ。参加したいときにふらっと集まる形式なので、肩が凝らない。アポ無し、だから当然弥生会館に席を予約していることもない。時間と場所は決まっていて、年に4回は1月、3月、6月、12月で各月とも2番目におとずれる金曜日の夕方となっている。毎月第2金曜日としなかったのは第2週というのは曖昧だということらしい。予約しないわけだから、当日のドタキャンもあり得ないわけだ。1度などは、2人しか集まらなかったが、少し談笑して引き上げると言うこともあった。最近は、大阪近傍在住者9名の内4~5名は大概誰か来ているし、予めメールなどで、打診するようになってきている。何れにせよ小人数なので、メール上で団体の掲示板といったものを利用して、誰が書き込もうが登録した人であれば、一斉に同じ内容を見ることが出来るというシステムを導入している。写真など大容量のものをアップしようとすると自動的に跳ねられると言うことだがから、テキストデーター程度のものしか受け付けられないと言うことだ。また、3年毎に(概ね晩秋)に旅行を企画することになっていて、今年は私ともう1人が幹事と言うことだが、要領を良く心得た相棒さんの方が、全てを仕切ってくれている。場所は嵐山である。海外はどうかといった案もあったが、何となく賛同者の声が小さかったのか、国内になった。私にとっては近場に決定したことになる。私が最初に参加したのは2009年からだったから、それでも6年は経過している。それでも何だかみんなの顔は最初と変わっていないように思える。最初に再開したのは大学を卒業後、半世紀近く経過していたので、随分と変化率が大きかったようだが、最近では、相変わらずと言った感じを受ける。幸い、参集する人は全て、一見健康そうなので、何よりのことである。大学教授の経験者などは、未だに何らかの働きを続けているようだが、一般には完全リタイヤ組で、悠々自適(?)という世界で、中には、写真を撮るのを趣味としたり、三線や、詩吟に興ずる者もいるようだ。親の看護に縛られている友人もいるようだが、私などは、とっくの昔に済んでしまったので、未だに親が存命であることに、ある種の新鮮さを感じる。孫の話などは余り遡上に登らないが、病気の話、薬の話などになると、誰もが一席ぶち挙げることが出来そうだ。放送大学でアラビア語などを受験したが、友人の中には、同じ様な講座を受けた者もいるし、後に放送大学の副学長になった友人も来ているという案配である。今日は、弥生会館が9月で閉館すると言うことで、この会館での最後の会食ということになった。この後は、場所を変えて、同じ様な会を持つことになっている。取り敢えずは、11月に計画されている嵐山の旅行(1泊掛けての親睦会)で再開することを約して、散会した。今日はしこたま飲んだので、足下がふらついたが、高槻で連れ合いと合流して、風に吹かれ乍ら帰宅した。
2015.07.10
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今日は霧雨が注ぐように舞っていて、路面も濡れていたので桜井の名神側道までのミニウォーキングとした。今日は姉の引越で、アート引越センターが見積査定に姉のマンションに来る事になっている。引越の準備の手伝とアートとの打合せの立会でマンションを訪問した。やってきたのは、入社2年目という女性が1人で、タブレットを持っていた。私が引っ越したときのサカイは男性が2人出来ていたのだが、今日の方が遙かにスマートであった。物量(運ぶ)を確認、タブレットを使って、簡単に査定、そして電話で上司に承認を得るというパターンである。その場で、即刻見積が機械的に進み、ハンディーな印刷機から契約書がプリントされ、押印して成約である。成約後は、その上司から契約者(この場合私だったが)に電話で御礼が述べられ、その後、持参の段ボールなどを持ち込んでくると言う段取りの良さだ。途中、トヨタからスペアキーが出来上がっていると連絡が入り、帰りに受け取って帰った。***朝日新聞の記事に、明後日11日は、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争末期に同国東部スレブレニツァで起きた虐殺事件から、20年になるとの記事が出ていた。スレブレニツァ虐殺事件は7000人以上のボシュニャク系住民がセルビア人勢力に殺された事件である。いまだ遺体が発見されない犠牲者もいるとかである。虐殺の歴史は世界各国であるが、正直バルカン半島辺りのことは日頃余り気にすることはなかったので一寸驚いた。そもそも、バルカン半島先端のギリシャと内陸のオーストリア、ハンガリーそしてルーマニア間に挟まれた国々については、位置関係も、国名すらも良く把握していない。因みにその間の国名はスロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、コソボ、アルバニア、マケドニアそしてブルガリアである。20年前の地図だと、セルビアとモンテネグロそしてコソボはユーゴスラビアと呼ばれていたし、それ以前は、ボスニア・ヘルツェゴビナもユーゴスラビア連邦の一つであった。スレブレニツァは、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボから東へ約90km離れた、セルビアとの国境近くの町である。ボスニア・ヘルツェゴビナは多民族国家であり、住民構成はボシュニャク人(イスラム教)が48%、セルビア人(正教会)が37%、クロアチア人(カトリック)が14%と少数のロマ人である。それぞれの民族の差異は主に宗教と歴史的経緯によるもので、それ以外の言語・文化の面では3つの民族には大きな違いはないとされている。同じ町に正教会、カトリック聖堂、モスクが併存する町もある。このスレブレニツァで起きた虐殺事件は国連が、特定民族の抹殺を図ったジェノサイド(民族浄化:集団殺害)だと認めている。事件前のスレブレニツァの人口は3万7000人であったが、7割を占めたボシュニャク系住民が町を去って、現在は7000~9000人と推定される。帰還も進められているが、なかなか思うようにはならない。民族浄化とは如何なるものか、ほぼ単一国家である日本などでは考えられない事件であるだけのそれについて述べられた説明を読むと、おぞましいものを感じる。 【民族浄化から】自民族の勢力圏を拡大することを目的とし、支配地域から不安要因を取り除く目的で、自勢力の支配下に住む異民族を排除し、勢力圏を民族的に単一にすること。そのための手段として、異民族に対する各種の嫌がらせや差別的な待遇、武器の没収、資産の強制接収、家屋への侵入と略奪、見せしめ的な殺人や強○によって、その地域の異民族が退去せざるを得ない状況に追いやる方法や、強制追放、強制収容、あるいは大量虐殺によって物理的に異民族を地域から取り除く方法がとられた。 さらに、従軍可能年齢にある男性は各地で集団殺害や強制収容の対象とされた。また、女性らは強制収容後、組織的に強○を繰り返し、妊娠後暫くしてから解放することによって出産せざるを得ない状況に追い込む方法がとられ、これは効果的に異民族を排除する方法として用いられたとある。(○はこのブログでは、公序良俗に反するとのこと表現を受け付られないため書き換えた)
2015.07.09
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今日はアラームをかけ忘れ、起床が5時過ぎと遅れたため、ウォーキングは、早めに切り上げようと高浜の堤から堤の終点迄とし、そこで折り返して帰宅した。***ギリシャの債務不履行(デフォルト)問題がクライマックスに達している。5日に、ギリシャ国内でEUが求めている財政緊縮策を受け入れるかどうかの国民投票が行われた結果、985万人の有権者の意志は、反対票が上回った(61:39)とのことだ。この国民投票の意味するところを国民が熟知していたのかどうかは甚だ疑わしいと言うことだ。平たく言えば、投票用紙には、あなた方の年金が減額されますとか、国防費が削減され、国が守れなくなります言ったことが書かれ(実際見たことはないのでわからないが)、そんな要求をあなた、飲めますかと問われ、上段に「反対」下段に「賛成」と書かれていたという。訳の分からない連中や、目先のことしかない人達は、上段の「反対」に丸をするだろう。では、今まで借りてきたお金の返却はどうするのだということになるが、そんなことは俺の(私の)知ったことかと言うことなのだ。こうなることを期待していたチプラス首相はしてやったりと言うところだろう。どうもこの男、やくざのチンピラのように見えてならない。借金を返して欲しかったら、もう一寸金を都合してくれないとどうにもならないと開き直ったわけだ。盗人(とまでは言え無いが近い)が追い銭を要求したようなものだ。そもそもの発端は、2009年、パパンドレウ新政権への交代時に、それまで対GDP比3.7%とされた財政赤字が実際には12.5%であると発表されたことが原因である。それまでの政権が赤字額の改ざん・隠蔽していたわけで、国を挙げての所業である。ギリシャだけでの回復は望めず、IMFやECBが支援に乗り出したというわけだ。しかし、ギリシャ国民の40%とも言われる働かない公務員が自らを振り返えることなく、借金を返そうとしないわけだから、始末に悪い。チプラス首相は、そんな国民の甘い期待をくすぐって、我慢することは止めようと、期待を持たせて、選挙に打って出てまんまと首相になったわけで、この時点での国民の選択が既に間違っていたわけだ。普通、借金したら返すのが当たり前だろう。このことをギリシャ国民は忘れているわけだ。貸し主(債権者)はフランス、ドイツなどEU諸国だが、ギリシャを助けるために俺たちは一生懸命働いているわけではないと、特にドイツではそんな声が大きい。最大の債権国フランスは、意外に対応は緩やかだとのことだ。何故だろう。チプラスは国民投票で我が意を得たり、とより一層ふてぶてしい態度でEUに対している。彼の頭の構造はどんなだろうか。EUなんかに留まっていなくてもロシアも、中国も手をさしのべてくれるという思惑があるのだろうか。 しかし、そんなギリシャの危機をほくそ笑んでいる国が中国だ。この混乱に乗じて中国は、ギリシャの空港や港湾を買い漁りつつある(現にいくつかの港湾権益を取得しているようだ)というわけだ。まるで火事場泥棒のような感じで、最近では、世界遺産(ギリシャが立ちゆく唯一の観光資源)なども買収の対象としているのだ。ロシアはこのギリシャ危機を自分たち(ロシア)に対する制裁を揺さぶるための道具として利用している。ギリシャ国民に忠告できるとしたら、ロシアや中国の側に付いたらそれこそろくな事はないよと言いたい。ギリシャとEUとの会議上では、ギリシャの債務を減免したり返済を繰り延べたりする措置は議論にならなかったとのことだ。あくまで長期的な支援のための具体的な改革案の提示が必要だとしているが、ギリシャの小出しの譲歩案の何処で結着するのか未だ見通せない。ギリシャ側からはともかくも返すためには数カ月間のつなぎ融資が必要だと、瀬戸際の交渉をしている。何だが、北朝鮮の金正恩のようにも見える。
2015.07.08
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今日のウォーキングは高浜の堤迄出て、堤防上でポツリと雨を感じたので無理をせず、東上牧地区の団地を通って帰宅コースに入ったが、雨は降りそうになかったので、用心深く町役場を経由して、1万歩を確保、帰宅した。***今朝は歩きながら、京大総長から理化学研究所の理事長になった、松本紘氏の私の履歴書を読んだ。早朝ウォーキングで総長の履歴書とはこれ如何に、である。奈良県出身であり、京都大学卒で宇宙プラズマ工学の研究者だったという氏だが、「学問とは真実を巡る人間関係だ」と言うのが信条だという。弟も京大名誉教授と、幼いときから兄弟とも良くできたという点は、納得だが、父親が勤めていた会社の社長から、中学時代に奨学金を得ていたというのだから、父親の真面目さと、氏の子供の頃の利発さが伺える。しかし家庭環境は、恵まれていなかったようで、倉庫を改造した家での暮らしだったようだ。母親は、試験で満点を取らなければ叱るという今様の教育ママの一面もあったようで、風邪でも学校を欠席することを許さなかったという厳格さを教え込んでいる。しかし、きれいな字と挿絵で絵本を手作りし、読み聞かせたとのことだ。両親の愛情を受けていたことが知れるエピソードだ。小中高でほぼ1番だったといいながら、勉強はそれほどしなかったと言うから、根っからの天才肌であったのだろう。世の中にはそう言ったタイプの人が居るようで、羨ましい限りである。姫も幼い頃から家で勉強をするところを余り見なかったと聞くから案外そんなタイプなのかも知れない。短期集中で効率よくこなしたのだろう。難関の進学高校に入ったのは氏のエポックだが、もともと素養があっての入学で、出世する人の最初の道程である。大学受験のコース選択で、消去的に電子工学を選択したと言うから、この辺りは殆ど並みの学生が歩むコースと変わらない。大学院への進学でも、その後研究者になるという確固たるものはなかったようだし、入った研究室も当初の思惑とは違っていたようだが、そう言うことは誰にでもあることのようだ。しかし、出会った教授達が素晴らしい人ばかりだったようで、勿論、氏の努力もあるとは思うが、恵まれた環境であったようだ。大学院を出たら漠然と就職と決めていたようだが、そういった恩師に勧められ、大学に残る道を選んだとのことだ。氏には重い障害を持った子供がいるとのことだ。しかし、そんな障害を持つ子供も、認識する力や喜怒哀楽は健常者と同じだと知り、まして、健常者同士なら「人間は差ほど変わらなく、皆それぞれ良さがある」との思いを持ったと言うことだ。凡人は、なかなかそこまで言いきることは出来ない。ここらまでで氏の人生3分の1ということだろうか、人生の方向は決まったと言うことのようだ。その後は、研究者として、様々な経験が書かれているが、トントンと順調に歩みを進め、43歳で京大の教授になったとあるから、順風満帆であったのだろう。その後も再び、研究者として様々なことが書かれているが、門外漢としては、どれほど凄い研究だったかなどは評価のしようがない。そして、研究所の所長で定年かと思っていたところ、総長から副学長に推され、更には、規模の大きな研究科、学部の出身者を尻目に、総長選挙で1位の得票だったという。普通なら(?)、研究所の所長辺りで退官、名誉教授と言うところだろうが、総長となって又、今回の理化学研究所の理事長になるという、人生の後半で、更にどんどんと前途が広がっているのを知って、凄いことだなぁと感心した。造語好きの氏の言葉に、人間の力は四つのガクリョクからなるということで、顎力(コミュニケーションの能力)、学力、額力(前頭葉の力で、人の気持ちを感じ取り思いやる能力)、楽力(何事も楽しむ能力)を挙げている。社会で成功する人は、この四学の力が優れている人だと言わしめている。なかなかこうはいかないというのが凡夫の思いである。
2015.07.07
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今日も雨が降りそうな感じだったのでウォーキングは近場周りとし、昨日と同じ島本高校から若山神社、そして→第2小学校を経由して帰宅した。庭の剪定が終わった。刈ってくれる人は小学校のPTA会長をしているとかで、忙しい中を時間を割いてやって貰った。午後は、連れ合いと姉の引越のための手伝いに出かけた。40年近く住んでいた緑地公園近くのマンションは、何かと物が溜まっている。私と同じDNAのためか、物を何でも残しておこうとする傾向があるので尚更だ。1人暮らしでも、もらい物や、記念品などはどんどんと溜まる一方で、1度も使わないで、箱詰めのまま残っている物もある。1回で手伝いを終わることにはなりそうもないので、ぼちぼちと始めることになった。押入の上部や、洋服ダンスの上などは、年寄りには危ないのでそこから先に箱類を降ろし、処分しやすいように段取りをするのが主な仕事になった。残してあるが、あまり着ない衣類などで、使えそうなものは連れ合いが貰ったり、誰かに譲ったりすると言うことで、仕分けしていった。和服類は、もう、御茶事などしなくなったので、殆どを処分することになった。事前に姉の友人の方が来られて、おおよその見当は付けていたようだ。あらかたの目処を付け、初日はこれまでと、引き上げることにした。夕方には友人夫妻と夕食をすることになっていたので、頃合いを見て友人宅に向かった。姉の家からなら直線距離で4km足らずなのだが、車で行くとなると一寸回り道だ。しかし、カーナビの指示通り走ると、南千里を通過して、苦もなく行き着くことが出来た。友人宅の庭には、サボテンの鉢が沢山ある。大多数は団扇サボテンである。その1つを貰って育てている。私の場合は、出来るだけ高く延ばそうとしているのだが、友人は出てくる芽を摘んで、基部を出来るだけ太くすることに重きを置いている。そうすると小さいが数はうんと増えることになる。元来上に延ばすなら西部劇に出てくるようなのが良いと言うことで、団扇サボテンの場合は低く、太い方が良いのだとのことだ。しかし、途切れながら、ヒョロヒョロして上に延びるサボテンを見るのも面白いと思っている。なんでも、毎週火曜NHKの英語教室で、サボテン栽培の話をしたところ欲しいという人が何人か居て、その人達用に鉢に入れて持っていったら、それを見て他の人も欲しがったと言うことだ。どんないい加減な物かと思っていたらしいが、コンパクトに纏まった姿を見て気が変わったようだと笑っていた。連れ合いも1つ小さいのを所望していた。夕食時間になり、近くのICHIRINというイタリアンレストランに同行した。この間もここで食べたが、なかなか美味しかったので、友人の家から歩いていけるのを幸いにブラブラ出かけた。まだ時間が早かったので、殆ど客は居なかった。多分宣伝に使うのだろう、プロらしいカメラマンが、ケーキの写真を、角度を変えながら撮っていた。2人用のセットコースは、パスタとピザが何種類かの中から選ぶことが出来て、量も多く満足できるものだ。オランダ・ベルギー旅行の話で盛り上がったが、友人達は余り海外旅行の話はしないようだ。というのも、友人は20年位を海外で暮らし、アメリカから、東南アジア、アラブ諸国を営業で回っていたと言うから、もう飽きてしまったのだろう。1週間毎に荷造り荷ほどきをするのはしんどいと言っていた。それもそうだが、何も考えなくても良いツアーで連れられて行く旅行も案外良いものだと宣伝しておいた。レストランから引き上げ、又しばらく友人宅で話し込んだが、時間が経つのを忘れるほど話は弾んだが、就寝時間も近くなったので頃も良しと、お暇した。
2015.07.06
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今日のウォーキングは雨が心配なので、近場とし、島本高校から若山神社に登り、第2小学校を回って、帰宅した。***東芝で不適切会計があることが判明し、更に詳しく調査を進めるにつれて不正額が増大していくようで、騒がしくなっている。いつから問題になっていたのかは知らないが、兎に角電機業界はどうなっているのだろうかと訝しい。ソニーがおかしくなり、パナソニックも、そしてシャープもと続々電機業界は経営の不振や醜聞が絶えない。そんな大手電機メーカーの中では「勝ち組」とされていた東芝に不適切な会計処理が行われていたということで、「東芝よ、お前もか」と言った感じである。東芝はこれまで、インフラ関連の高速道路の自動料金収受システム(ETC)とスマートメーターなどで548億円の不適切会計(営業利益の水増し)があったことを認めていた。その時も、他のグループ会社などで計30億円程度の不適切な処理が見つかっていたという。更なる調査の結果、2010年3月期から14年3月期にかけての営業利益の水増し額が、1000億円以上に膨らむ見通しだとのことだ。インフラ事業だけに留まらず、半導体とパソコン事業でもそれぞれ数百億円の不適切な処理が発覚したというのだ。その後も増え続け過去の決算でかさ上げされていた営業利益の総額は2000億円規模に膨らむ可能性もあるとのことだ。少しずつ小出しに発覚、当初の4倍程度にもなろうとしている。インフラ事業では、「工事進捗基準」と言われる会計処理手法の落とし穴だ。工事の進み具合に応じて、売り上げや収益を各年度に割り振る処理を行うのだが、当初の工事見積が過小だったり、工事着工後、費用が増加することを考慮しなかったりするというわけだ。(新国際競技場は端から発覚している)プラント事業などに多く見られる。パソコンでは、製造委託先への販売する部品の利益を水増し、テレビでは、広告宣伝の費用計上を先送り、半導体については、価格下落などに伴う在庫の評価損を適切に計上しないといったやりかただ。しかもこの不正は、経営トップの指示であったことが、同社内部の関係者による証券取引等監視委員会への内部告発により臭い始めたのだ。ガバナンスがどうのこうのという段階ではなく、東洋ゴム同様、会社ぐるみという様相を呈してきたわけだ。当時社長だった佐々木則夫副会長が、予定通りの利益を上げられない部署に、会議の場やメールで「工夫しろ」と指示していたというのだ。そのことは田中社長も認識していたという。いざとなると、佐々木氏や田中氏は「不正をしろとまでは言っておらず、その意図もなかった」などと答えているというが、指示を受けた社員らは、発言を「会計を操作しろ」という趣旨だと受け止めたと話しているという。そりゃそうだろう、トップから無理を言われたら、そうそう楯突けない社会である。日興コーディアルやIHI、オリンパスなどに不正会計の例はあるが、久々の一流企業の不正(この時点で1流とは云えなくなるが)である。要するに株主を欺く行為であり、どう結着するのか、大企業東芝の試練である。
2015.07.05
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今日のウォーキングは水無瀬の堤から河川敷を通りNHの看板迄を往復した。孫達にせがまれ連れ合いと買物(カード)をし、びっくりドンキーで夕食を採った。小さな体ながら健康で、よく食べるのには驚かされる。***日本とタイ、ベトナム、カンボジア、ラオス、そしてミャンマーの5ヵ国首脳会議で、メコン川流域の開発に、日本がODAで7500億円を拠出することに決まった。今後3年間の日本・メコン協力の方針「新東京戦略2015」が採択され実行に移される。既に過去3年間で約6000億円のODA支援は達成している。その柱は日本とメコンの(1)連結性強化,(2)共に発展する,(3)人間の安全保障と持続可能性という理念に基づいていた。「新東京戦略2015」ではもう1本の柱を加えて、4本の柱としている。第1の柱はメコン地域における産業基盤インフラの整備と域内外のハード連結性の強化という最も具体的支援である。メコン地域は今後発展する需要地域として、そのインフラ整備は、メコン各国の望むところである。このインフラには南北経済回廊、東西経済回廊そして南部経済回廊などの基幹道路や高速鉄道および都市鉄道の整備、さらにはメコンとインドをつなぐダウェー開発等が含まれている。ダウェーに関しては、既に2008年にタイとミャンマー間で開発の合意が出来、中国も支援する体制にある中、日本の関与のしかたが問われている。日本は既に、ミャンマーのヤンゴン近郊のティラワ経済特区の開発に参加し実績を積んでいるわけで、2つ目の経済特区開発に乗り出すことで、ますます存在感が高まることを期待している。第2の柱は産業人材育成とソフト連結性の強化である。要は、協力関係を遂行する上で、如何なるヴィジョンでどのように開発を行うかの企画を始め、人材育成や制度の確立などが含まれる。医療分野の協力や,文化・スポーツ・人的交流等も入っている。第3の柱は「質の高い成長」実現のための持続可能な発展に向けたグリーン・メコンの実現であり、平たく言えば、環境を保持しつつ如何に発展していくかであり、日本が多くのノウハウを有するところだ。高効率石炭火力の推進や,水資源管理,鯨類を含む水産資源の保全と持続可能な利用などが内容としてある。第4の柱は「質の高い成長」実現に向けた,効率的・効果的支援等の実施のための,多様なプレーヤーとの連携、ということだが、多様なプレーヤーとは中国のことを指している。旧来の金融機関ADBとは別に中国のAIIBが設立されたが、経済問題としてはこういった中国と如何に巧くやっていくかという点である。この点が日本が最も力説したいところだろう。援助される側にとって、AIIBはADBの届かない点を補ってくれる機関であるとの認識は変わらないわけだ。特に「質の高い」という抽象的な言葉には、暗に中国主唱の町金融的なAIIBに比べて日本の援助はきめの細かい、行き届いてものであることを表現したものであろう。中国によるAIIBを通じての経済支援政策は魅力のある存在では有ろうが、3年前と著しく違うのは、中国の南シナ海の南沙(スプラトリー)諸島で浅瀬を埋め立てて、滑走路などを建設している問題はメコン各国にとっても、懸念材料の1つであることの共通認識を確認したわけだ。このODAは、日本の対中国を見据えた、メコン各国への根回しということが最も大きな意味合いを持っているわけだ。中国とのせめぎ合いはここでも重要な局面になっている。
2015.07.04
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今日は小雨のためウォーキングは中止した。まだまだ旅行の後遺症は残っている。通常状態で生活していると、ポンポンとリズム良く時間が過ぎていくが、一旦狂う(予期せぬ出来事などが起こる)と忽ちリズムが乱れ、時間も余計に掛かってしまうことになる。之はゴルフも同じ事で、前の組に待たされたり、後ろの組に追いかけられたりすると、往々にして、自分のゴルフを見失うことに似ている気がする。歳を取るとこういった刺激(外乱)がある方が呆けなくてすむかも知れないと、負け惜しみ的に考えている。***久しぶりに新聞を纏め見た。今朝の日経では、日立が超小型センサーを使ってデータを収集する技術を確立し、車、医療への適用や工場の稼働管理を行うなど、様々な用途に使える技術を開発したという。「モノのインターネット化(IoT)」(インターネット・オブ・シングス)というのだそうだが、何でもかんでもインターネットで繋いで様々なデータを集め、分析して、革新的なサービスや、製品を生み出すというものだ。いやはや、何がどうなっていくのか分からないが、兎に角、便利になるということで、裏では大きなブラックボックス内できめ細かい作業が行われているという事になるのだろう。データ収集の元になる半導体センサーというのが、何と縦2.5mm、横2.5mm、厚さ0.2mmというから驚きである。センサーを超小型したことで、あらゆる部品に取り付けることができ、物体にかかる圧力で生じる歪みを信号に変えて、部品にかかる圧力や振動など多様なデータを計測することができるということだ。私が経験した頃は、船の挙動を調べるのによく歪みゲージを使ったが、1枚のゲージは結構大きなもので、おいそれと細かな部品に貼り付ける事など考えられなかったが、凄い技術だなぁと感心する。こういうのをイノベーションというのだろう。従来から物理現象を計測して物に加わる圧力などを計測してきたが、小型で、高性能化が進んだことで、例えば自動車のエンジン部品に組み込んで内部の圧力を計測し、分析してリアルタイムで、最適ガソリン噴射量をフィードバックするなどすれば、効率よく車を走らせることが出来るというわけだ。あらゆる分野での活用が期待できるわけで、どういった分野で実際に使えるかを考えるときになったと言うことだ。更に夕刊では、日本人の入国審査に顔認証制度を導入して(イギリスやオーストラリアでは導入済み)審査に要する時間を短縮し、之から増えて行くであろう外国人へ、審査人員をシフトしようと考えているのだとのことだ。登録した顔とパスポートのICに組み込まれた顔を瞬時に照合、判断して、同一と判断されたら無人ゲートが開くということだ。何だか薄気味悪い気がするものの、もし登録時の顔から激やせしたり、激太りしたりしてしまったら、しっかり判断してくれるのか、どの程度なら許容できるのか、顔認識精度に対して、少し不安になってくる。10年も経てば、顔って変わるものだが、コンピューターは追随してくれるのだろうか。
2015.07.03
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今日は旅行帰りということで、ウォーキングは中止した。庭の剪定を頼んでいるが、未だ仕掛かり中である。今日はまた、連れ合いのリハビリ通院の最終日に当たっている。金属の当て木やボルトを取り除く為の2度目の手術を終えて退院し、引き続いて通院しながらのリハビリを開始したのが昨年の8月23日だった。今日のリハビリは通算95回目という事になる。事故に遭遇して386日目、奇跡の回復と思っている。完全に吹っ切れたわけではないが、大きく一段落という気持だ。昨日、オランダ・ベルギーの旅行から帰国したが、本当は、1年前にこの旅行をしたかったわけだ。連れ合いにとっては、実質的な退職後たちまちの事故で、忌まわしい1年ではあったが、よくぞ耐えて、ここまで回復したものだと、敬意を表したい。私の好きな言葉に「人間万事塞翁が馬」というのがある。この事故が、塞翁が馬になってくれればいいのだが、と思うばかりだ。手術を担当して下さった医師や、その後献身的にリハビリ施術をしてくれた療法士の方々に対し、連れ合い同様感謝である。旅行中アントワープの広場で見かけた「Carpe diem(カルペ・ディエム)」が思い出された。「今を大切に」「今を捕らえよ」である。旅行記でも簡単に触れたが、もう少し詳しく書いておこう。ローマの詩人ホラティウスの言葉で(『抒情詩集』第1巻第11歌8)に書かれているラテン語だと言うことだ。当時、昭和女子大学外山滋比古教授の解説で、「先のことは分からないのだから今の時間を大切にしてしっかり生きていけ」と解釈するとあった。同解説に依れば、この歌の主題は「バラは咲いているうち摘め」といった愛のテーマヘ展開し、「命短し恋せよ乙女/紅き唇あせぬ間に」という吉井勇の「ゴンドラの唄」まで脈々と生き続けるというものだった。今月の定例ゴルフ大会に向けての組合せ作成を督促され、夕方には送付を完了した。更には、高校のバスケットボール部の同窓会の案内の送付も同時に行った。半年や1年といった長期滞在ではなく、国内旅行に一寸毛の生えた海外ショートトリップは、束の間の絵画鑑賞と似ている。絵画は、原画こそ現地でないと観られないが、コピーで反芻することが出来る。最近では、旅行記など、テレビ等で紹介されることに触れる機会はあるが、現地に行って自ら見ることで、よりよく理解できるとか、肌で感じることが出来ることがある。我々が旅行に出た次の日(フランスからベルギーに移動した時)フランスと中東でイスラム過激派によるテロが発生し、50人超が死亡したとの話だ。観光ホテルが何者かに襲撃され、警察との間で銃撃戦が発生したとあった。フランスのケースは南東部リヨン郊外のガス工場への襲撃事件ということで、パリには関係なかったが、こういったテロ行為を恐れていては、現在では旅行することは叶わないだろう。日本ではイスラム過激派によるテロこそ耳にしないが、同様の殺伐とした事件は発生している。何処にいても暗い話が多い中、束の間の旅行体験は概ね良好で、ちょっぴり苦い物を含んでいた。
2015.07.02
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機中の話だ。昨晩寝たのはオランダ時間で22:00頃だった。その時のテレビ画面は、関空迄の距離が3669km、到着まで3時間43分、到着時刻の日本時間は8:43と予想されていて、対地速度は939km/hと順調な飛行だった。ふと、0:38(オランダ時間)に目覚めた。関空まで1346km、高度10699km、対地速度は1057km/hと昨晩より速度を増しているようだ。再びうつらうつらとまどろんでいる内、日本が近くなっている。最後の機内食が配られた。流石にワインを頼む気には成れなかった。3つか4つ前に中国人が座っている。そこの通路付近にだけティッシュペーパーが散乱していて、見苦しい。モンゴルを縦断し、中国との国境付近で、機首は急に南下して、北京の上空から天津に向かう。紅海を横断して、仁川(インチョン:韓国)の南を通り韓国を横断する。日本海に入り島根方面から関空へのアプローチを開始した。着陸態勢に入り、シートベルトを確認する。関空は雨のようだ。ここからは再び日本時間ベースになる。8:47関西国際空港に無事ランディングした。帰国時のパスポートコントロールは簡単だ。係官が少し微笑んでいるのは日本ならではで、しかも最近のことだろう。荷物の受取までには相当時間が掛かった。なかなか出てこないのだ。随分沢山の客が乗っていたのだと改めて思う。通関も簡単そのもので、添乗員と一緒に、直ぐさま交番に行った。案の定、海外での遺失・盗難については日本では日本の警察は証明書も出せないし、ノータッチだという。後は、直接保険会社などに交渉するしかない。今月末にはスイスに飛び発つという添乗員さんに、連れ合いは御礼をと、残ったユーロを差し上げていた。最後まで付き合ってくれた嫌みのない、感じの良い添乗員さんだった。別れを告げて、リムジンバスの乗り場に向かった。途中のエレベーターで低級な親爺に遭遇したが、相手にするのも馬鹿馬鹿しい。日本人のレベルも大したことはないと、ふと現実に返った。関空と本土とを繋ぐ連絡橋は激しい風雨で横風がきつかった。40km/h制限と書かれたところを倍の80km/hで突き進んでいた。この先の高速道路が混んでいるとかの情報が入ったようで、途中で一般道におり、新阪急ホテルに着いたのは11:25であった。梅田から自宅までゆっくりと帰ったが、帰宅後確認したら、運転免許証は残していったことが分かり、一寸助かった気分だ。7日間の旅と銘打ってはいるが、最終の7日は、関空に着くだけだ。しかし旅の内ではある。***今日は小学校の学習ボランティアのある日だ。しかも今日は通常と違って始まる時間が繰り上がっている。昼食もそこそこに自転車で出かけた。私にとって特別な1週間だったが、世間は、何事もなく普通の1週間が過ぎていたようだ。集まった児童は、10人で、5人が欠席していた。ボランティアサイドも私を入れて4人で、無理して来たのを良かったと思った。漢字の書き取り、算数は九九を駆使した割り算や概数の観念を教える段階だ。相変わらず、漢字の筆順はでたらめだ。少しでも良くなるようにと、筆順ソフトを使って、先ず自分の名前から覚えさせようと試みた。さぁ、これからが大変だ。カード会社には引き落としの停止連絡と再発行の手続きの電話をし、車のキーの再発行に走り、と八面六臂だったが、之も身から出たさびである。海外に出て、スリに遭うなどと言うことは、私の辞書にはなかったわけで、焼きが回ったとしか言いようがない。自らの年齢を再確認する、高―――い代償であった。
2015.07.01
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