全31件 (31件中 1-31件目)
1
今日のウォーキングは少し雨の気配もあったので、近場で、桜井から島本高校経由し、若山神社迄上がって、帰宅した。夕刻太郎君一家が来訪した。孫は2人とも、野球のリトルリーグに入り、今日は京セラドームに連れて行って貰ったようだ。そう言えば、私は、プロ野球の試合というのを現場で見たことがない。2人とも進んでいる。やはり親が野球好きなだけのことはある。そんなことで、まだ子供だというのに終末も日々多忙のようである。***南シナ海(英語名はスプラトリー)が中国によって不法に埋め立てられ初めて久しい。フィリピンや、ベトナムといった直接の利害が絡む国は様々に非難しているが、届かない。従来のアメリカなら何事や有るはずなのに、最近のアメリカは牙を剥かれてしまったようで、甚だ温和しい。尤も遠くから「おーい、やめろよ!」とは言っているが、その程度のことに動じる中国でないことは十分に理解しているはずである。朝鮮や、ベトナム、イラクには向かっていっても、やはり中国となると怖じ気づいているのだろうか。中国が良く口にする帝国主義という言葉だが、自ら共産主義帝国を築くために突き進んでいる。日本の議員を経験したおばさんの中に、日本は外交ベタで話し合いをしないから・・・といった意味のことを言っているのが居るが、そう言うおばさんに御願いしたも解決するわけでもない。そんな次元を遙かに越えているわけで、今日になって初めて、中国はこの南沙諸島を、軍事目的で埋め立てていることを明言したのだ。(分かっているが、こうハッキリ言われたら、アメリカも形無しだ)最早手が付けられない。ここに橋頭堡を築けば、周辺諸国へいちゃもんを付けて進出するという脅威も真剣みを帯びてくる。先にロシアが、オセチアや、東ウクライナを我がものと攻め込んだことに対して、世界(アメリカも)実質的に何も出来ず、ただ遠吠えを繰り返すばかりで、治まってしまった事が悪い国際慣例になってしまったようだ。洋の東西、古今を問わず、結局の所、臆面もなく、武力を背景に進出するものに対して、身を挺して之を止めようとすることは出来ないものらしい。最早、キューバ危機のようなことは起こらないのかも知れない。アメリカもこじんまり纏まりだして、自ら我身に攻撃されない限りは、なかなか積極的にはならないようだ。(世界の市場の中国を経済封鎖することさえ頭の中にはない)中国は、かつての陸軍重視から海軍重視へと方向を転換している、この南沙諸島は、周辺諸国ににらみを利かす上で、絶好の位置にあり、正に、あれよあれよという間に、完全に我がものとしてしまった。今は島を造りその拡大に邁進しているが、手を拱いていると、航空識別圏を勝手に設定して、ここを通るためには、中国の許可を要するとか言い出すに決まっている。中国は明確に共産主義的帝国主義で突き進むことに躊躇を感じさせず、大昔の清国のような眠れる獅子のような状態でもなさそうだ。軍事費も着々と増加させている。それに対するアメリカは以前に比べ軍事費を低減している中、世界の警察といった役回りに国民は疲れ果てているようだ。ベトナムでの敗退を引きずり、イラクでは大義名分がないままに有耶無耶で終わってしまい、イスラム国を平定するにつけても及び腰で、なかなか矛先を定められない。元々シリアのアサド政権の人権無視のやり方にさえ口を挟むことが出来なくなっているわけだ。勿論中東和平にも主導権が握れていない。そんな弱腰である、アメリカに対して習近平は完全に舐めきっているようだ。アメリカの対イスラエルなどへの2枚舌(ダブルスタンダード)を逆手にとって、遠慮会釈のない海洋進出を図る中国に、早期に打撃を加えないならば、その内日本も何某かの島(尖閣列島を始め)を人身御供としてかっさらわれても、最早何事も黙認させられるというようなことが起こらないとも限らない。中国は、今経済大国になっていて、AIIBでも予期せぬヨーロッパ勢の加盟に、調子づいて、アメリカ何するものぞとの勢いだ。既成の事実を積み上げて、突き進み、その先は・・・、と考えると、何やら空恐ろしい限りである。
2015.05.31
コメント(0)
今日のウォーキングは昨日少し飲み過ぎたので中止した。***昨日は口永楽部島新岳の爆発的噴火、今日は小笠原を源とした日本全般に亘る地震と立て続けに地球(日本)が大きく動いた。全くかけ離れた場所での火山噴火と地震故に独立して起こったものと考え勝ちだが、地球にとっては眼と鼻の先のことであり、現象が違うだけで同じ様なもののようだ。例によってプレートテクトニクス論で言えば、太平洋プレートがフィリピンアプレートに潜り込む辺りの異変である。口永良部島の噴火は爆発的な状態で、爆発のレベルは5と最も厳しい全島民避難であった。レベルが5に引き上げられたのは、2007年にレベル表示が導入されて以来初めてのことで、この爆発的な噴火によって、噴煙は高さ9000m以上にあがり、火砕流も2km以上離れた海岸に達したという。こういった状況から、今回の噴火は高温で且つエネルギーが大きいことが分かる。従って「マグマ噴火」を起こした可能性が指摘されている。マグマそのものが噴出するのは、極めて大きな爆発の場合だとされ、昨年9月の御嶽山のように、マグマの熱が地下水に伝わって起きる「水蒸気爆発」に比べてより大規模な爆発と言えるようだ。しかし、避難態勢は、良かったようで、火傷の人、不調の人2人を除いて、取り敢えずは、人的被害は少なく、全島民130人は隣の屋久島にフェリーで避難をしたようだ。最近では、江戸時代から噴火の記録が残る有珠山が2000年の大噴火で、多くの住民が避難し、また全島民の避難を余儀なくされた、三宅島の噴火がある。更に、去年の御嶽山の噴火で登山者から多くの犠牲を出したことは記憶に新しい。また去年は、桜島や阿蘇山でも噴火は起こっており、おちおちしていられない感じだ。火山噴火予知連絡会長の藤井敏嗣・東京大名誉教授は「20世紀は火山噴火が少なかったが、今の状況が普通の状態かも知れない」とより注意を喚起している。日本は、地球の陸地面積のわずか0・25%しか占めないが、活火山の7%が集まる火山列島だそうで、之からはもっと頻繁に噴火を起こす可能性は高く、注意を要するとのことだ。気象庁によると、全国には110の火山があり、現在の47火山に3火山を加え、50の火山を監視対象にするということだ。示された火山分布図に依れば、私の住む近畿地方や、中国四国地方には、火山の存在がないようで、幸運だと言わねばならない。一方、今日の小笠原の地震は、過去に例がない地震だそうで、之もまた心配の種である。震度5強 マグニチュード8.5と推定され結構規模が大きい。関東ではゆっさゆっさと約30秒間も横揺れが続いたようだ。これほどの規模の地震が通常のように起こっていたとしたら、ほぼ東日本大震災に匹敵する程度の被害があってもおかしくはないところ(エネルギー値では歴代2位)だが、この地震の震源の深さは約590kmと極めて深い箇所で起こっている。こういった大きい地震は断層がずれ動く範囲が大きくなるようだ。之からは地球表面で起きる地震と違って、深層で起きる地震は、破壊の期間が長いために揺れが長く続くようだ。通常なら太平洋プレート(岩板)が沈み込んで、フィリピンプレートとの接触(境界)面の摩擦面が跳ねて起こるのだが、今回は沈み込んだ先のプレート内部が破壊することで起きたとみられている。それが、地表から遠かったため、最大震度は5強にとどまったというわけだ。従って、エネルギー値の割には、被害が少なかったようで、津波の心配もない。しかし、震源が深い分だけ応答を観測したのは、日本全般に亘るほど広範囲だったようだ。過去に例がないというのは震源の深さで、福和伸夫・名古屋大減災連携研究センター長によれば「大きな地震は長周期の揺れが多く、東京や大阪のような大きな堆積平野では増幅しやすい。長周期地震動は高層ビルを大きく揺らす性質がある」と話したそうだ。去年も「過去に経験したことがない」という言葉を良く聞いたが、所謂想定外のことが起こるのが世の常でありそう言った現象が、例年になく多いような気がしている。ただ神に祈るのみである。
2015.05.30
コメント(0)
今日はゴルフコンペがあるのでウォーキングは之に替えた。出場者は33人で、ほぼ何時も通りの人数だ。友人の奥さんと奈良からの人との3人のラウンドだ。ラウンド後の表彰式の準備などで、何時も第1組で回らなければならない。アウトからのスタートである。(因みに私はゴールドティーからで、奈良の人は半年先にゴールドティーの資格が出来るまで、ホワイトからのティーショットだ。開始前の練習で、パターが吸い込まれるようにカップに入るのを度々経験した。パターの良い感じを持ってスタートだ。アウトのNo.1は、2打目までは快調で、2打を打ち、バッグからアプローチとパターを取ろうとして、パターの無いのに気付いた。練習グリーンの脇に置き忘れたのだ。坂を下って、急いで取りに戻った。後続のカートに乗せて貰って、1打の落下地点まで来て後はまた走った。アプローチで3オン、しかも息せき切って取りに帰ったパターは1パットでカップインしてくれた。幸先の良いスタートだった。奈良の人はボギーで、夫人は、3オンしながらダボとしていた。No.2は、良い当たりのティーショットから2打も良かったが僅かにGR手前だ。3オンまでは快調だったが、下りパットが強すぎて3パットのダボだ。勿体ない。奈良の人はパーで夫人はボギーだ。No.3のティーショットは白ティーより100YD前で、風景が違う。良い当たりでFWCRの今日一ショットだ。しかし、ボギーとした。このホールは全員がボギーだった。 No.4のショートは全員1オンで、私と奈良の人はパーで、夫人は、3パットのボギーだった。 No.5は最後、池越えロングホールで、ここでもティーショットは良い感じだ。2打も極めて快調で、3打のアプローチはピン傍3mくらいにナイスオンだ。奇跡のカップインで、バーディーとした。にっこりだ。2人は4オンで、方やボギーと方や3パットのダボだった。No.6は、右に出て崖に当たって右ラフ。2打もまずまずだったが、アプローチを左に引っぱりすぎてオンはしたものの遠い。ボギーだった。夫人のみFWキープのティーショットで、ドラコンとドラタン両方の旗を立てた。結局ドラタンを獲得した。男はボギーで、夫人は、何故かトリプルを叩いていた。 No.7では、つまらぬミスをした。ティーショットは結構良かったが、2打目をヘッドアップし、チョロ。それが左のバンカーに入ったのは痛かった。3打目は砂に咬まれて出すだけ。4打でも乗らず、とトリプルはとても痛かった。2人は共にボギーだった。(ここは最後まで痛恨のホールだ) No.8のショートでは届かず、男はボギーで、夫人はダボとしていた。前半最終ホールNo.9のティーショットでは、良い当たりで、前方の傾斜部に落ちてしまった。それ故の左足下がりで、2度もトップのチョロをしたのがこれまた痛恨だ。確実に1打は無駄にした。上がってダボだった。奈良の人は3パットでダボ、不振だけがボギーで上がっていた。9:50分に前半を上がるという出来で、昼食とも云えない早めの食事だ。No.10は2打、3打とチョロしてしまった。またしても1打無駄だ。夫人と同じで、奈良の人は1パットでボギーだった。 No.11ショートは1オンしたものの、馬鹿馬鹿しい3パットでボギーだ。奈良の人はパーで夫人はダボだ。No.12のクリーク越えの短いミドルホールは2打でクリークは越えたがGR脇だ。3つで載せたが、3パットでまたまたふさいだ。2人はパーで上がっていた。2打失った。 No.13ミドル(今日のドラコンホール)では、右OBが怖く左ラフだ。2打では載せきれず、3打でGR向こうのカラー。結局ボギーだ。夫人は、ここでも旗を2つ立てたが、結局はダボで、奈良の人は右へ痛恨のOBとし、最後、バンカーにも入れて8つ叩いていた。No.14の打ち降ろしショートでは誰も乗らず、男はボギーで夫人は池に入れトリプルとなった。 No.15は、ティーショットは超良い当たりだったが、2打で載せられず、結局奈良の人と同じくボギー、夫人は8打叩いていた。No.16のロングホール、右のバンカー横で、危なくOBとバンカーを共に免れた。2打で深いラフからFWへ。3打はアイアンで何とか、良い当たりだった。しかしアプローチをバンカーに入れたのはまずかった。結局ダボだ。奈良の人は、3打を池に入れダボ、夫人はまた8打だ。No.17では、ティーショットが右に出たが、まずまずで、2打も良く、3打でGR向こうのカラーだ。何とか1パットでボギーとしたが、奈良の人は、向こうのカラーからチップインでパーを拾っていた。夫人は3連続8つ。No.18は、最後のティーショットも右に出て土手で止まった。昔と比べラフが延びているので下まで転がり落ちる期待は出来ない。3打で池の手前まで行き、結果はダボ。奈良の人は池に入れて、同じくダボ、夫人は力尽きたか9打で終了だ。久しぶりに100を切れ、94は良い方だが、あわや優勝かと待つうちに、2打良い後輩が現れて、そうこうする内、同期の友人が同スコアでハンディーが低い分2位に入り込んだ。私は3位に止まったが、少しのミスが後々まで響いた。
2015.05.29
コメント(0)
今日のウォーキングは水無瀬の堤から大山崎ICが見える橋迄の往復である。久しぶりに友人宅を訪問した。奥さんを亡くしてから既に2年経っている。その間、連れ合いの母親が亡くなったり、連れ合い自身が事故に遭ったりしたために、ついつい訪問の機会を失っていたが、久しぶりに友人の都合も付いたので、訪問することになった。今回は、奥さんのお墓に参るという大きな目的があった。連れ合いもずっと気に掛けていたことだ。私自身は、時折高校時代のクラブOBの会で顔を合わせているが、あまりゆっくりと話したことはなかった。訪問しても取り立てて話すこともないのだが、中学時代からの付き合いなので、何時会っても、特に話さなくても、すぐに打ち解けた気分になる。会って話すと、大昔のこと共で、私の忘れているようなことを覚えていたりで、とても懐かしい気持になる。多くを語らなくても、若い頃を共有している友人というのはすぐ昔にワープでき、懐かしく良いものだ。彼はまた、大きな意味で、私を大阪に呼び戻してくれた張本人でもある。能勢の奥に住んでいるので、途中、北摂彩都の道の駅「みまさか」に立ち寄って、弁当持参で出かけた。電車だと、いったん十三まで出て、宝塚線に乗り、川西能勢口で乗り換えてと言うくらいに奥まっているが、車でなら差ほど気にならない。何度も行っているのだが、今日はなぜか道を一本間違えて、迷ってしまった。やはり歳なのかと一瞬弱気になるが、視覚で覚えたところと言うのは、得てして同じ様な雰囲気で、違った場所に迷い込むと案外分からなくなるもののようだ。心配して出迎えてくれたが、元気そうであった。関学でグリークラブに入って活躍していただけに、そのOB会や、地域の合唱団、そして新たに大阪の合唱団のマネージャーを引き受けるなど、極めて多忙な日々を送っているようだ。独居老人というカテゴリーには入らないようだ。話し込んでいる間にも、奥さんと親しかった、ご近所の女性がイチゴ狩りをしたとかで、奥さんに供えて下さいとイチゴを持参してくる様な地域の環境にいるようだ。ついこの間も、娘さんが住むニューヨークに、娘さんの親友だという女性と一緒に出向いて、折しも錦織が優勝した試合を観るなど、羽ばたいている。週に2,3日のエレクトーンの教室にも通っていて、今日は通常ならその練習日なのだが、運良く(?) 稽古のない日だと言っていた。エレクトーンは奥さんが得意としていたようで、自身も奥さんを亡くしてから、呆け防止のためとか称して習い始めたようだ。一寸成果を聴かせて貰ったが、2年経つと言うが、お世辞にもスムーズなものではなかった。しかしそれもその筈で、両手両足とも違った動きを要求され、私などにはとても触る気にもならない代物である。ギターのように左右の手だけの違いをだけでも覚束ないのに、それに両足が加わるというのだから推して知るべし、である。彼はまた、60過ぎ(実際は70に近い)の手習いで、車の運転免許証も取得し、コーラスの練習がある川西能勢口まで運転する日々であるとのことだ。まだ乗せて貰ったことはないが、十分に気をつけて運転しているとのことだった。彼の団地の周りの道路は、たっぷり広く取ってあるので、車の運転にストレスはないようだし、さらに、交通の便が良くないので、車無しには日々の生活は覚束ないかも知れない。暫し歓談し、奥さんの眠る霊園に案内して貰った。国道477号線沿いの丁度、能勢カントリーに隣接する霊園は、見晴らしや環境も良く、明るく、清潔な雰囲気の所であった一般(仏教徒)のお墓の中に、キリスト教徒の教会が有する墓地があり、若い頃に洗礼を受けた奥さんは、その教会が有する墓地の墓標の一番で且つ1人という形で納骨されているとのことだった。短い時間だったが、お墓参りを済ませ、2年ほど気になっていたことをやっと果たした。再開とお互いの健康を約して辞去した。
2015.05.28
コメント(0)
今日のウォーキングは高浜の堤から堤終点を折り返した。帰りに医者の前を通り予約票に名前を書いて、帰宅後、9時前に再度出かけた。今日は、血液検査だと思っていて、空腹の侭行ったのだが、前の検査が3月だったことや、次回に特定検診とやらがあり、同時に検査しましょうとのことで、結果的には薬を貰うだけに終わった。昼過ぎ、小学校のボランティア・ネットワーク会議というのがあったが、ボランティア関係では既に2回も会合を持っていて、特に話すこともないので、その前の授業参観に行かないのなら会議も止めようかと思っていたが、ネットワークと言うことで趣旨も違うかと、出かけることにした。そう言えば前にもこんな名前の会があったことを思い出したが、学校、学校協議会、安全ボランティア、福祉協議会、PTAとゆめ本部の顔合わせの会であった。しかし何と、学習ボランティアの実務部隊は、私以外誰も来ていなかったのは拍子抜けだった。***「ブリュージュ(フランドルの輝ける宝石)」という本を読み終えた。この手の新書は余り難しくもなく、ページ数も知れているので、読むのに時間は掛からない。来月には、連れ合いの事故で挫折したオランダ・ベルギー旅行の再挑戦を控えているので、予備知識を得ると言うこともあり、見つけた本であった。以前に「物語ベルギーの歴史」を読んで、ベルギーという国の梗概を知ったが、今回は、そのベルギーの中でも輝ける都市ブルュージュに的を絞った物語である。ベルギーはベネルックス(ベルギー、オランダ、ルクセンブルグ)と一括括られて語られるように日本では馴染みの薄い国だが、EUの首都ともされるブリュッセルとか、ビール、チョコレートと言ったことで知られている。改めて地図を広げてみると、ドイツ、フランス、そしてイギリスといった国が互いに交わる交点の位置に存在していることが分かり、昔から物流や交易の中心であったことが頷けるのである。副題にフランドルとあるが、フランドルとはオランダ南部、ベルギー西部、フランス北部にかけての地域のことで、中世に毛織物業を中心に商業、経済が発達し、ヨーロッパの先進的地域として繁栄したと説明にある。この様に、元々は、オランダもベルギーも区別がなかった時代(ベルギーはオランダから1830年に独立)に栄えた町のようだ。ベルギーの名前の由来はこの町の名前に由来しているようだ。この町を流れるレイエ河の原語であるルギアと、北方ゲルマン語の波止場を意味するブリッギアの融合で生まれたものだという。如何にも国際的交易地にふさわしい名前だ。ゴチック建築や、ノートルダム教会(ノートルダムはパリだけのものではないらしい)から俯瞰したレンガ色の屋根で統一された街並みの写真は、流石に世界遺産に指定されただけのことがあるといったおとぎの国のような風情の町である。この都市が、中世に於いて商業が盛んであったという記述は随所にあり、北海から世界に広がる交易の町であったようだ。北のヴェネツィアと呼ばれるほど、イタリアからスペイン、ノルウェー等々現在のヨーロッパの隅々の国々から商人が集まっていたという。物流に利便があるように市内には、縦横に川と運河が張り巡らされている。面積は1.8km×2.2kmといった卵形の小さな都市が、宝石と呼ばれる程に充実した美しい街並みのようだ。交易地に必須の両替商、高利貸、質屋などもあった。また、芸術の面でも、フランドルの代表的画家ヤン・ファン・エイクが有名だが、私は特異な絵を描く、ベルギー象徴派のクノップフが好きである。小さいが、国際的にも重要な地ベルギーのそのかつての中心地ブリュージュは、今は世界中から観光客を呼び込んでいるという。コンパクトに纏められたこの「ブリュージュ」という本で、彼の地に入る楽しみが増してきた。
2015.05.27
コメント(0)
今日のウォーキングは水無瀬の堤から土手を北に歩き、途中で河川敷に降りて大山崎ICの見える橋を折り返して、帰宅した。先輩から淡竹取りに誘われていた。友人にも声を掛けたが、都合が付かないとのことで、2人だけで、午後から出かけた。場所はタケノコ狩りと同じで、精華町祝園駅の近くだ。高速を使うつもりで、先輩にカーナビをセットして貰いながら走った。しかし、なかなか京奈和道路に入るような案内にはならない。おかしいおかしいと言いながら、結局一般道路で祝園駅まで着いてしまった。どうやら目的地は正確に押したものの、ルート選択で、有料優先を押さなかったに違いない。途中で、こっちの方にICがあるようだなどと言いながら2人とも疑うものの、カーナビの案内の侭に走ってきたのだから、頼りない話だ。結局は、それほど時間無駄に使うことなく到着できて、高速料金を浮かしたことになった。山に入ると、この間と違って竹林の中は薄暗かった。午前中の光と、午後からの光ではこんなに違うものかと思うほどだ。一寸不気味な感じがする。しばらく入ると、タケノコが未だ残っていると思い、足で触ってみると、ぐにゃりと倒れ、皆腐っていた。えらいものだ、大きくなり損ねた奴は、竹でも惨めなものである。一般にタケノコというは、孟宗竹と呼ばれる竹の初期段階であり、淡竹は種類が違うのだそうだ。そして、淡竹は、孟宗竹とは出来る場所も違うがのだと聞いたが、何やら混在しているようにも思える。孟宗竹の方が強いので、淡竹のエリア中に入り込んでくる場合があるのだと言うが、素人には分からない。淡竹取りには近江に住む友人に一度連れて行って貰ったことはあるが、この辺りでは初めてのことだ。近江の時には、確かに収穫した場所は淡竹だけしかなかったように記憶するので、案外そうなのだと思った。そんなあやふやな理解だし、また淡竹を破竹と書くのだと思っていたくらいで、殆ど何の知恵もない。先輩に孟宗竹は、昔田んぼで稲の穂を掛けて干すときに使った太い物(成長して)を指し、淡竹は成長して細い物干し竿になる奴だと、ごく素人分かりする言い方で教えてくれた。なるほどと納得である。そんな風に淡竹は、少し細めのものだ。鎌で狩ると、切れるものの一寸硬めの音がする。一寸硬いようだけれど、之で食えるのかなあと思いつつ狩っていく。先輩は、直径5cmを越えるような物まで採っているが、とても食えるようには思えなかった。近江の感覚が蘇り、もう少し細く、柔らかい物しか駄目だと釘を刺されたことを思い出したからだ。チラホラ見える対象の淡竹を探しながら、山深く進んでいくと、途中からヤブ蚊の大群が騒ぎ出し、襲ってきて腕を咬むので、イライラするくらいに痒い。前回のタケノコ狩りの時には居なかったし、また今日は、気温も高くなっていたので、半袖で来たのが失敗だった。そんな痒みに耐えかねていると、戦意を喪失してしまった。そんな目で見るからか、辺りには、もう淡竹の姿は一切見えなかった。きっと孟宗竹のエリアに入ってしまっていたのだろう。先輩の姿が見えないくらい離れてしまった。結局はずた袋に1袋と半分しか取れなかったが、流石に先輩は沢山採っているようだった。合わせて、5袋くらいは採っていた。戦意は喪失していたし、早々に切り上げた。帰りに痒み止めでも買おうかとの話だったが、そんなことより一時でも早く帰った方が良いと、今度は慎重に、有料道路に入った。しかし、京奈和道路は、城陽辺りで途絶え、一般道路に降ろされた。ここらには、新しくできる第二名神に結合されるのであろう、そんなJCTの工事中であった。地図が頭には浮かんでこなかったが、そのまま一般道を北上して、京滋バイパスに入るしかないようだ。話をしながら案内の侭に進んだが、今度は久御山JCT辺りで間違って右折し、京都方面に入って無駄走りをしてしまった。何時も久御山JCTを通る時は京都方面からの帰りなので、勝手に右折と勘違いしてしまったのだが、今日は奈良方面からの帰りだから直進で良かったわけだ。Uターンする形で、再び京滋バイパスに戻り、最後の1区間だけ高速を使って帰宅した。先輩と別れ、早速解体したが、どうも食べられそうにないくらい固いのもある感じだ。それでもタケノコとはこういうものだと、捨てる部分は多かったが、選別した柔らかめのタケノコを、連れ合いが上手に湯がいてくれたので、晩には美味しく頂く事が出来た。
2015.05.26
コメント(0)
今日のウォーキングは高浜の堤から淀川看板迄の往復だ。今日は映画デーだ。オランダとイタリアを駆け足で回った。「みんなのアムステルダム国立美術館」は2011年に観た映画「ようこそアムステルダム国立美術館へ」の続編という映画だ。2004年に始まったアムステルダム国立美術館の全面改修の話をドキュメンタリータッチで描いたもので、2013年にやっと改修が終わって開館にこぎ着けたまでをつぶさに描いている。おそらく日本では考えられない期間と途中経過の話だろう。今問題になっている国立競技場の設計変更など、元々誰が計画し、誰がどんな手順で計画を変更したかなど闇なのに比べて、こちらは余りにも赤裸々である。良くもまぁ、そんな細かいことで揉めるものだという思いがした。美術館を貫く公道の設計に、「自転車が通りにくい!」と自転車王国アムステルダムの市民が猛反発するなどといった美術(芸術)と市民の生活とがこうまで真剣に議論されているのを、この議論を是とするか非とするかだが、原発の再稼働辺りにもこれほど熱心な議論があったのだろうかと、気長(?)なオランダ人気質に驚くばかりだ。日本のように結果が先ずありきと言うことから終わりを決めるような突貫工事では考えられないことだが、辛抱強い計画変更にも柔軟に対応している(うんざりはしているようだが)のは驚異的だ。計画しているオランダ旅行では是非その苦労の一端を肌で感じてみたいものだと思った。北のルーブルと言うくらいの意気込みでも、財政問題で、オークションで意中の絵画を落札できないなど、美術館の運営の背景には様々な問題があることが知れる。ただ、日本館が創設されるのか、一対の仁王像(金剛力士像)が、展示のため買い付けられ、日本から僧侶が出向いて般若心経で開眼供養を行っているというのには驚いた。この寺、調べてみると、島根県の岩屋寺という廃寺になった寺らしく、それにしてもこの売買の契約はどんな形で行われたのか興味のあるところだ。日本では顧みられなかった仁王像がオランダで丁寧に展示されているというのは、何やら恥ずかしい気もする。オランダの画家、レンブラントの「夜警」やフェルメールの「牛乳を注ぐ女」「手紙を読む青衣の女」など目玉作品がどんな環境で展示されているのか、改修後集客は引きも切らないという新美術館は、無駄に過ごしたように見える10年間をどんな形で取り戻しているのだろうか。今フェルメールの「牛乳を注ぐ女」は日本に来ているようだ。今月の終わりには返却されるのだろうか。アムステルダムが済むと、次のイタリアの映画が待っていた。映画のはしごは珍しいことで、昔は2本立て3本立てを見たものだったのにと、若い頃を思い出した。「イタリア・・・」という名でチケットは買ったものの、どんな映画なのかは分からなかった。物まねで食ってる2人の友人が、イタリアを旅行して・・・、と言った映画で、主に南イタリアの風景が垣間見られた。断崖の上の道をモーリス・ミニで突っ走りながら、テンポの早い会話で、次々にレストランで出される美味しそうな料理を食べて回るというものだった。2人が話すのは、どれも過去に流行った映画の主人公を、物まねで登場させ、速いテンポで進んでいくといったものだった。あまりにテンポが早く、物まねをする映画俳優の名前(ジーナ・ロロブリジーダやショーンコネリー等々)も少々は知っているものの、そんな声色だったかなと思う間に、そのテンポの速さについて行けないのは歳を取ったせいなのだろうかと自問する始末だったそんな、呑気そうな2人にも生活の背景があって、1人は別れた妻の下にいる息子との関係、もう1人は、冷えてしまった夫婦関係に旅で知り合った女性が入り込むといった、何処にでも転がっていそうな問題を抱えて、やがてそれぞれの道を歩んでいくというものだった。ポンペイのヴェスビオス火山の犠牲者や、ナポリの美しい風景、丁度通ったことのある港の風景など、少々懐かしい気分に浸れた。日本の決まり切った立ち話の刑事物よりは随分と眼を楽しませてくれた。
2015.05.25
コメント(0)
今日のウォーキングは山崎駅から西山天王山駅を折り返した。***NPTは合意に至らなかった。5年に1度、1ヶ月掛けての会議は実を結ばなかったようだ。最終文書の取り纏めが出来なかったとのことで、元々余り合理性の根拠に欠ける既得国による一方的な核軍縮提案であるから、こうなることは当然なのかも知れない。NPT締結時に既に核を保有していた米ロ英仏中だけには、核保有と新たな核開発を認めながら、非核保有国に核兵器の生産と保有を禁止しようというものだから、非核国は既得国家の善意に待つしかないわけだ。そもそもアメリカ自体、広島長崎に原爆を落としておきながら、之を正当化している節もあり、率先して全廃するとは言わない。勿論そんなことをしたら、ロシアや中国に核を使われて、いや狂人集団の北朝鮮からすぐにでも核爆弾をぶち込まれると考えているからでもある。そんな中全員で北朝鮮には、核を捨てなさいと言うことは言えても、面と向かってロシアには云えないのだ。そんなアメリカのかつての強敵(今もそうだが)ロシアなどは、東ウクライナを掠め取る際に、現実に核兵器の使用も念頭にあったとの話だから、そんな思惑を聞いてはアメリカも一方的に丸腰になるとは言えないのだ。こんな風に観念的には核兵器の恐ろしさを知っているものの、現実には痛みを知らないわけで、そんな痛みを味わいたくないとは言いながら、核非保有国から一気に核兵器を禁止しようとのことにならないのだ。一気に削減しようとはとてもならないと言うすくみの状態である。非核化の流れを大きく阻害しているのが中国で、中国に至っては、ごり押しで、南西諸島に進出し、やがては太平洋をアメリカと2分して支配するという基本的なスタンスであるから、そのための核保有は必至で、現在米ロに数量で見劣っていることを潔しとせず、核に関して前広に公開することを嫌っているわけだ。また、中東に非核地帯を作ろうと言いながら、一方ではアメリカやイギリスは同盟国で、既に実質的な核保有国であるイスラエルに遠慮して(中東地域にあってイスラエルだけが核を保有している事への非難が巻き起こるであろう事から)いるのだから、そのイスラエルと現に、核兵器以外の通常兵器で、戦っているアラブ諸国が納得の出来る余地はないわけだ。常識的に考えても、中東地域の非核化は、どの視点からも納得の得られるものではないと思う。オバマ大統領(アメリカ)にとって、核兵器削減よりも重いのがユダヤ国家イスラエルとの関係と言うことだ。「核兵器なき世界」の実現を訴えてきたオバマ米大統領自身が、ユダヤ国家への思慮のために、背反する論理に潰されて、訳の分からないままに、中東を非核地帯とする事を阻む結果となっている。これは、核兵器の削減にブレーキを掛ける以外の方向に他ならない。現核保有国には核軍縮の「定期的な報告」を求めると言いながら報告内容に核弾頭の数、種類、配備状況などのデータを加えることについては「考慮するよう」促すだけという文面だというから、何をか況やである。こういった経緯を聞くに付け、本気で核兵器を減らそうと思っている国はないのではないかという感じだ。中国などは、日本憎しとの思い故に、各国首脳が唯一の被爆国の日本が提案する広島、長崎の訪問することを敢えてさせまいとしているのだ。こんな風に核兵器使用の悲惨さを直視することさえ反対するという。要するに、核保有国は、一気に核の廃絶に進むことを嫌い、徐々に削減していくという方向なら受け入れようとしていたが、中国の動きやロシアの動きでそれもならず、核の非人道性は観念的であって、自らに降りかからなければそれは他人事であると言うことだ。唯一の被爆体験国日本も、アメリカの傘の下で如何に吠えたてようと、大向こうを唸らせるような役回りには成れないということだ。
2015.05.24
コメント(0)
今日は高校時代のバスケット関連で、先輩(S34卒)と、後輩2人(S45卒とS55卒)の4人で、ゴルフをした。因みに私はS38年卒である。年の差は、Max21歳と開いている。クラブ活動がもたらしたもので、運動クラブの良さと言うところだろうか。場所は茨木国際GCで、スタートは10:34と今までの中でも遅い部類の方だ。ゴルフ場について驚いたのは、駐車場に車が入り入れないくらいで、詰めて駐車し、キーを預けてのことになった。如何に27ホール有るとは言え、超過密状態だ。案の定スタートから3台ものカートを待つような羽目になった。先輩はまだまだ元気でゴルフも巧いが、私の場合は、元々飛ばないし、巧くもなく、衰え行くばかりなのと、開始して間もないホールでアクシデントがあったので、気分も削がれ、内容は悲惨な結果となった。記録だけしておく。今日は東から西を回るコースだった。1Hのティーショットは、真っ直ぐで残り100YD。2打をシャンク気味に外し、トップ気味のアプローチに3パットだ。先輩はパー。他はボギーだ。 2Hは、ティーショットはまずまずながら、2打を引っかけ左スロープへ。3打で戻してダボ、此所の2打目は鬼門だ。先輩はボギーで、S45卒はダボ、S55卒はトリプル。3Hは2打から池越えのコース。ここでアクシデント、詳細は割愛。OBでプレ4からの打球はGRからこぼれて、5オンのトリプル。アクシデントは皆にも伝染トリプルと8打、9打という結果に。4Hショートはショートしてボギー。先輩はダボで、S45卒のみパー、S55卒は、右の谷からのリカバリー良く1パットで、ボギーとした。5Hロングは、アクシデントの後遺症が諸に出て、結果も覚えていないくらい、ダボだと記録しているが正確なのだろうか、記憶は完全に欠落している。(多分間違いかも知れない)。先輩とS55卒はボギー、S45卒はダボだ。6Hは188Ydsのパー3。出だし大きく天ぷらで隣のコースに打ってしまう。戻してやっと4つで載せ、6つ叩く。皆さんへの影響も大きく、先輩OBで6打、S45卒のみダボで、S55卒は7つ叩いていた。7Hは左がせり出した左ドッグ。FWCRなのだが、飛距離は貧弱だ。2打は土手をかすめて向こうに出たが3打で、バンカー横までしか飛ばず、アプローチを向こうに出して、辛うじて1パットのダボとした。このパットぐらいしか良い所は無しか。先輩は絶妙のティーショットで楽々のパー。S55卒は、強烈な土手越えで飛距離はすごかったが、ボギーとしていた。S45卒は、左土手上にOB、トリプルだ。8Hは、之も思い出せないくらいの体たらく、アクシデントの後遺症は、波を打つように襲ってくる。ティーショットの天ぷらに始まって、先輩も山に打ち込むなど崩れて、3パットのダボ、後輩達は、ボギーとしていた。後輩2人の飛距離が目立ち始める。9Hは3打目のチョロと4打目のアプローチがしっくりせず、ダボ上がりだ。先輩も同様、S55卒は1パットでパーとしたのは素晴らしかった。S45卒はボギーである。途中、何をどうやっていたのか分からないくらいで、前半がやっと終わったという感じだった。待って待っての3時間のハーフだった。アクシデントの影響は、前半を終わるまで引きずってしまった。昼は、何とたっぷりの1時間15分休憩だ。そう言えばここは待ち時間が多い。改装中で来年には広くなると言うハウスだが、これだけ入場させて良いものだろうか。西の開始時間でも、前に3台はカートが待っている。昼休みにアクシデントの処理の目処が付きやや平静さを取り戻した。1Hは、打ち降ろしのロングホールだ。最初のドライバーはまずまずで、2打、3打も良く、アプローチは特に良かったが、惜しいパットを外して、パーを逃した。先輩は何と4パットで、バーディーどころかダボだ。S55卒は、今日一のティーショット(飛距離も240YD)ながら、ボギーで上がり、S45卒はダボだった。2Hは左天ぷら、チョロでラフから出ず、3打も悪く4打も悪くと、流石に疲れるトリプルは、皆の足を完全に引っぱった。そのせいか、先輩は3パットのダボ、今日一のドライバーのS45卒もダボ、S55卒はトリプルだった。3Hはやや右ドッグ。またしても天ぷら、チョロと続いて、ダボとする。先輩とS45卒はボギーで、S55卒は途中OBのトリプルだった。4Hは表示のヤーデージより遠い感じだ。ドライバー挑戦するも全く届かず。アプローチは良かったがボギーだった。ボギーは1オン、3パットのS45卒と2人。先輩とS55卒はダボだった。 5Hは谷越えだ。スライスして距離は出ない。2打は良く3打で届かずは毎度のパターンだ。先輩同様ダボだ。S45卒はトリプルで、S55卒は、ドライバーは凄いがOB2回で9つ叩いていた。6H、ここでは魔のホールか、飛ばないがFWCRをキープしての3打目を山裾に引っかけそこから狂ってトリプルだった。ここでもみんなに迷惑を掛ける。先輩と、今日一2回目のS55卒はボギーで、S45卒は私と同じ。7Hのショートは、池越えだが、乗らない。ボギーだ。先輩のみパーで、S45卒はダボ、S55卒はボギーだ。8Hは緩やかなダウンスロープ。私は、右に出たがセーフのようだ。2打目はやはり乗らない。やっとナイスアプローチで、ボギーだ。先輩もボギー。S55卒は目も覚めるような飛距離で、250YD近く飛ぶ。アプローチに躓いたが、1パットでパーだ。S45卒は何故かトリプルだった。 9Hは平均的な出来で、やっと4オンだ。しかも3パットのダボだ。見てはいなかったが先輩はトリプル、S45卒は何とバンカーでやけくその10打。S55卒のみ、パーフィニッシュとしていた。アクシデントで後味は悪く、折角の年齢差ゴルフも余り良い感じで追われなかった。帰り着いたら6時を遙かに過ぎていた。先輩には特に迷惑を駆け足を引っぱった。
2015.05.23
コメント(0)
今日のウォーキングは出発が遅れたので、名神の裏側に回り込み桜井から若山神社迄上って、帰宅した。***朝のウォーキング時だけ読み続けたホメロスの「イリアス」(上下)と「オデュッセイア」(上下)をやっと読み終えた。総ページ1685頁、2月26日に読み始め、延べ87日間を要した。1日のウォーキングで約20頁を読んだことになる。ギリシャ最高の叙事詩と言われる古典だ。ストーリー自体は単純だが、織り込まれたエピソードが面白いのと、韻を踏んだ文章の軽快さが読んでいて気持がよいと言うものだ。尤も松平千秋訳のものは、散文化されているのだという。トロイア戦争(小アジアのトロイアに対して、ミュケナイを中心とするアカイア人の遠征軍(G)が行ったギリシァ神話上の戦争)後10年を経過しての話だが、ギリシャ神話の梗概を知らなければ、多くの名前が出てきて、何が何だか分からないということになる。(Gはギリシャ側、Tはトロイア=トルコ側)トロイア戦争とは大神ゼウスが増え過ぎた人口を調節するためにテミス(秩序の女神)と相談して大戦を起こして人類の大半を殺すために起こしたとある。とんでもない話だ。この戦争で、パリス(T)はスパルタ王メネラオス(G)の妃ヘレネを奪い去る。そこでメネラオスは、兄でミュケナイの王であるアガメムノン(G)にその事件を告げるとともに、オデュッセウスと一緒にトロイアに赴いてヘレネの引き渡しを求めると言うのが発端だ。イリアスは、その略奪された妻を取り返しに行った戦争というわけだ。アカイアの知将オデュッセウス(G)が、巨大な木馬を造り、その内部に兵を潜ませるという作戦を考案して、トロイア勢はこの策略にまんまとかかり、一夜で陥落したとの話(トロイアの木馬」)はつとに有名だ。トロイア戦争はアカイア遠征軍がトロイア側の大将ヘクトル(T)を撃ち勝利に終わったが、アカイア軍の名だたる指揮官たちも悲劇的な末路をたどった。小アイアス(G)は船の沈没で死亡。メネラオス(G)は帰国途中、暴風に悩まされエジプトに漂流し、8年掛かりで帰還する。総司令官アガメムノンは、帰郷後、妻とその愛人によって暗殺されると言う結果が待っていた。続きのオデュッセイアは、戦勝後オデュッセウスが故郷イタケにたどりつくまでの苦難に満ちた10年もの間、諸国を漂流した時代を描いたもので、数々の試練と苦境に見舞われる様を描いている。帰還に手を貸す女神アテナと邪魔をする海神ポセイダオン、そして故郷イタケでは、オデュッセウスの死を見込んだ多数の求婚者が、オデュッセウスの妻ペネロペイアに求婚を迫り、若い息子テレマコスは大いに悩むと言うものだ。(ここに出てくる「求婚者たち」はあのギュスターヴ・モローの作品にある)様々なことの起こる中、オデュッセウスと部下達はキコネス族の国を襲撃したが、反撃され遁走の海上で嵐に遭い、ロトパゴイ人の国を経て、隻眼のキュクロプスの国へとやって来る。このキュクロプスでは、多くの部下を殺されたが、1つだけの眼を潰して逃げる。しかし、キュクロプスはポセイドンの息子だったので、更なる怒りを買ってしまうとなる。(オディロン・ルドンの作品の「キュクロプス」を思い浮かべる)漂流の最終段階で、オデュッセウスは冥府へ行って死んだ部下達の霊に会うとか、セイレーンの誘惑にも負けず、海の難関をなんとか通過した一行だが、オデュッセウスが寝ている間に、空腹に負けた部下達が、決して手を出すなと念を押された太陽神ヘリオスの牛に手をつけてしまう。そのため、部下達は全て殺され船も全て失うことになる。オデュッセウスの漂浪はここまでで、後はイタケに帰還して求婚者達を誅殺し丸く治まるというものだ。話に神々が絡み、神秘性を増すのと同時に何やらこんがらがる感じだ。芸術(絵画)の世界でも、様々な画家がギリシャ神話に基づいた多くの作品を残しているように、西洋人のルーツ的な物語のようだ。
2015.05.22
コメント(0)
今日のウォーキングは高浜の堤から一寸脚を延ばして淀川の看板の往復とした。夕方高校の同期生で、春の叙勲を受けた友人を祝う会に出席した。夫妻を入れて20名ばかりの会になった。集まったのは元々ゴルフをする仲間なのだが、半数はゴルフをしなくなったようである。齢70歳の集まりだから、よそから見たら随分年寄りが集まっていると感じるだろうと思った。何時も来る元気の良い友人の1人は、動脈瘤で入院しているとのことだ。もう何があってもおかしくないとはいうものの、逝去者やチラホラと病気に罹る者も居て、歳を感じる。中に母親を介護しているという者も聞くだけで3人も居て、内2人の母親は年齢が92歳とかの女学校の同級生だったとのことだ。彼ら2人は、母親が若い頃に出来た子供だったようで、母親が長命で本人達が長男のような場合には、今頃老々介護をする時期が回ってくるのだということだ。私などは、30年以上も前に見送っているので、介護についての感覚はすっかり忘れてしまったのだが、当時を思い出して、なかなか大変な状態なのだろうと改めて思い出した。彼らは、冗談で自分の方がもうすぐ介護が必要なのにと笑っていた。病気の話にも事欠かない。誰でも何処かが悪いわけで、仲間意識は嫌が上にも盛り上がるというものだ。私はそんな時には、努めて元気なことをアッピールすることにしている。生活習慣病の真っ只中で、4種類ほどの薬を飲んでいるのだが、それはそれだ。また、全く太らない体質のものや、体重が3桁になってしまったという者など様々だ。隔日の感というのはこういう事を言うのだろう。さて勲章受章の件だが、「旭日小綬章」を授賞と言うことだ。大阪で弁護士会の会長をしていたとかで、そのほかにも様々な活動をしているのを評価され、推薦を受けての授賞だったとのことだ。皇居で授賞したとかで、プレゼンターは最高裁判所長官だったとのことだ。およそサラリーマンをしていると勲章を受章することなど無いもので、1企業の社長くらいではなかなか候補者にもならないようだ。桂文枝(旧三枝)が貰ったのと同じだから俺も落語をしなければ等と冗談を言っていた。同級生で叙勲されたのはおそらく始めてのことだろう。勲章にどんな種類があるのかと調べてみると、大きく分けて、菊花章、桐花賞、旭日章、女性だけが対象の宝冠章、瑞宝章とがあり、各々1等から8等までに分けられている。何処に差があるのかは知らないが、各褒賞毎に人間を8つの等級に分けているわけだ。菊花章の中でも大勲位菊花章が日本での最高勲章(菊花章頸飾)だという。皇族や功績大とされる首相経験者が対象のようだ。頭に浮かぶのは、東郷平八郎の軍服姿だ。桐花賞は旭日大綬章または瑞宝大綬章より一寸上と言う感じで、旭日章は国家または公共に対し勲績ある者が対象で、瑞宝章は国家または公共に対し積年の功労ある者に授与すると書かれている。勲績ある者と積年の功労ある者との差は如何になどと詮索することはない。現勢はどうか知らないが、昔は之で人を格付けしていたのだから面白い。他にも下記の褒賞があり、それぞれ( )の中が、対象者と言うことになる。但し審査があるわけで、之を選ぶには、他者の推薦が要ると言うことになるようだ。褒章の種類紅綬褒章(自己の危険を顧みないで人命を救助した者) 緑綬褒章(孝子、節婦など道徳の優れている者)黄綬褒章(篤農家、一般勤労者を対象とし、業務に精励し民衆の模範たるべき者)紫綬褒章(学術、芸術上の発明、改良、創作について事績著名な者)藍綬褒章(各部門で公衆の利益を興した者または公同の事務に勤勉した者) 紺綬褒章(公益のため私財を寄附した者)と言うことだそうだ。サラリーマンなら対象となるのは黄綬褒章くらいなのかと思われるが、この道一筋と言っても、役職定年がある一般人には、無事に定年退職したからと言って、機会が回ってくるはずもないわけだ。今回の授賞は夫婦共々出席したとのことで、独身者は対象外になるなどと言った話もしていたし、過去の罰則を受けた者(スピード違反など)があっても駄目なのだとか、やっぱり勲章を受けるのは並大抵のことではない。
2015.05.21
コメント(0)
今日のウォーキングは山崎駅から円明教寺口迄の往復だ。一昨年8月5日に歩き始めて、今日で8000kmを踏破したことになる。その間、655日目(実働で398日、稼働率61%)になる。大阪から大圏コースを辿ってバーレーン辺りまで到達した勘定になる。午後は、小学校の学習会についての先生との打合せとのことで、出向いたが、結局、先生方は他の行事とかで、校長先生も教頭先生も外出とのことだった。さらに、私は3年生担当となっていたが、急遽4年生の担当に変わるように依頼され、変更を了承した。今年度の予定表に書き込んでいたのを修正するのに、結構な時間が掛かった。続いて、4年生の学習会の開始は今日からだと言うことで、そのまま教室に向かったが、去年まで使っていた通常空き部屋は、今年から人数が増えたとかで、クラスのホームルームとして使われることになり、一段と狭い部屋が学習会に使用されることになった。学習会に来る児童も、当初目論んでいたよりは少なくなっているようだ。子の少子化の時世に、一寸特異な感じだ。***1ヶ月ほど前の4月25日に「半導体の集積密度は18~24ヶ月で倍増する(2年で倍増)」というムーアの法則(Moore’s Law)の終焉について取り上げたが、現在は半導体の集積度即ち回路の線幅を加工技術で如何に微細化するかという競争から別次元に突入したという話である。微細化技術が限界に来ているわけで、競争の対応が、ソフトの適用開発に移ってきたとのことだ。その1つが人工知能であり、また、画像処理技術だという。人口知能にしろ、画像処理にしろ、大量のデータを1つずつ逐次処理するのではなく、多数の計算を並行に処理する能力の適用に視点が移行したというわけだ。言わば、今までは、製造技術の改良を続けることによって支えられてきた半導体業界が、一転して、ソフトウエアやシステム設計などと言った新しい分野に注目し始めたとのことだ。集積度を競うのとは別次元で、自らの使い方を発想する独創的な力を発揮する方向に変化してきたというのだ。受光技術に焦点を当てたソニーは、センシングという分野で世界一の座をつかんだとのことだ。特殊な波長の光を野菜に当てて、画像センサーで鮮度を測るとか、内視鏡で、血管の動きをよく見えるようにするなど、医療や農業の分野での展開も志向している。顔の表情や仕草をセンシングして人の感情を捉える研究も成されている。微細化による小型化といった開発経路が、ビッグデータの解析によって昔は考えられなかったサービスが可能になったというわけだ。とはいえ、一方では、平面的な微細化の限界を超えて、記憶素子を垂直に積層する技術で、3次元半導体を既に実用に供するなど、集積度向上を3次元で解決しようとの動きもある。東芝は、量産化で韓国のサムスンに遅れは取ったものの、サムスンが32層の積み上げで止まっている間に、48層まで積み重ねたメモリー開発を水面下で行ってきたという。こういった3次元かは高いコストが掛かるが、それに対して、キャノンは「ナノインプリント」と呼ぶ、凹凸の付いた原板(テンプレート)をウエハーに押し当てて微細な回路を形成する方法を生み出している。現行の露光方式に比べてコストは半額になると言う画期的なものだ。また、微細化の究極の手段と言われる、「EUV(極紫外線)」を用いる方法も現実に動き出し始めたとのことだ。微細化の追求でコスト削減を行っていた従来の限界は今年辺りで終わり、このままの技術で微細化を推し進めてもコストは逆に上昇する限界点に達したというわけで、之からは、3次元半導体や、ナノインプリント、EUVなどで新たな境地を開く技術選択が行われようとしている。
2015.05.20
コメント(0)
今日のウォーキングは雨の予報もあり中止した。***京都で開かれた医学会総会(4月11日~13日)の内容のダイジェストが新聞に掲載されていた。病気には罹りたくないもの、しかし罹患するとお医者さんの御世話にならなければならない。そんなお医者さんの集まりで、今、どのようなことが話題になっているかと言うことを知るのも有意義である。これからは、一般の人は罹った病気や故障を医者に治して貰うだけで、全てを医者に任せるのでは、済まなくなるような気がする。どんな医療が何処まで進んでいるのかと言ったことをある程度共有しておくことは必要なのだろう。様々な分野で書かれている。1日目は再生医療で、取り敢えず頭に浮かぶのがiPS細胞だ。発表の数も多かったようだ。2017年には脊髄損傷の臨床試験に入るとのことだ。(慶大 岡野教授)iPS細胞を、本人の細胞を使うと、目的の細胞に分化するために時間が掛かるので、予め分化させた細胞を冷凍保存して使うとのことだ。パーキンソン病への臨床実験は(京大 高橋教授) 、3日前のこのブログでも書いたように来年にも始めるとのことだ。大脳内で如何に神経伝達物質(ドーパミン)を作るかがポイントだった。重症心不全の臨床試験も2017~18年に始めるという。(阪大 澤教授) 既に、治療用に安全性と品質を高めたヒトiPS細胞から、8割の高い効率で心臓の筋肉の細胞を作ることに成功したとの発表があった。患者自身の筋肉の細胞から「心筋シート」を作り心臓に張る方法の研究も進んでいる。既に始まっている眼の難病「加齢黄斑変性」での臨床試験の順調な経過も報告されたようだ。輸血に使う血小板の作成についても研究が進んでいる。京大iPS細胞研究所の山中所長からは再生医療の費用低減や2030年までの4つの計画目標の紹介があった。1つ目は再生医療の普及で、2つ目は難病の創薬と個別化医療の実現、3つ目は新たな生命科学と医療の開拓、そして4つ目は日本最高レベルの研究支援体制や研究環境整備とのことだ。3つ目については詳細を聞いていないので、どの辺りのことを考えられているのかよく分からない。2日目はロボット手術についてで、最新型手術ロボット「ダヴィンチ」の紹介があったようで、胃ガンの手術や直腸ガンの手術に於いて、患者の体に掛かる負担の少ないことが述べられ、(佐賀大 能城教授)将来は体内に入って手術する小型ロボットも夢ではないとのことだ。呼吸器外科への適用もロボットは一般的な手術よりも簡単に習熟できるとのことだ。(鳥取大 中村教授)心臓血管外科への適用も、胸骨の切開無しで済み、社会復帰も早まるとロボット手術には利点が多いようだ。(ニューハート・ワタナベ病院総長)何れにせよロボットの現状は高いコストが課題で、それを克服できたら外科医不足への福音となるとの予測だ。ITへの言及もあり、ビッグデータの活用や、医療に於けるマイナンバーについても話があったようだが、個人情報や、安全面に於いてまだ課題は多そうだ。その他、ガンや生活習慣病、先制医療さらには、認知症についての話もあり、盛り沢山のようだ。ガンでは、「免疫療法」が話題で、小野薬品が実用化した「抗PD-1」は従来の免疫療法がブレーキを掛けたままのアクセル操作のようなものだったのを、ブレーキを外すと言う発想の転換である旨の紹介だ。(京大 本庶名誉教授)生活習慣病では、特に喫煙について、先制医療では、アルツハイマー病による脳内蓄積の「アミロイドβ」の話や2型糖尿病対応への動きなども話された。認知症では、病菌の原因であるアミロイドβやタウたんぱく質の画像化の紹介や、医者の側から、認知症」と「うつ病」、「てんかん性健忘」、「発達障害」など見分けるポイントなどについても話があったようだ。老いとどう向き合うと言う講演では、ロコモティブシンドローム(関節疾患)が骨粗鬆症に加えて、注目すべしとの話があり、つまり最後には、健康な高齢化社会に向けて生き甲斐のある生活が求められるとのことだった。
2015.05.19
コメント(0)
今日のウォーキングは高浜の堤から堤防終点迄の往復だ。今週末にゴルフがあるので、久々に練習をと思い出かけたが、昨日よく飲んで、しかも寝不足、そんな状態で打席に立ってもしっくりと来ないし、全く力が湧いてこなかった。休み休み2時間ほどで切り上げた。***太陽系外の惑星に火山噴火の跡を初めて発見したとの記事があった。2年ほど前の記事には、火星のクレーターは、隕石によるものではなく数十億年前の巨大火山噴火の跡だとの事が掲載されていたが、太陽系外の惑星にも同様な火山があるようだ。今回発表されたのは、地球から40光年も離れた「かに座55番星e」という太陽系外惑星で、地球の倍の大きさを持ち、8倍の質量を持った岩石からなる惑星のようだ。既存の観測装置であるスピッツァー宇宙望遠鏡で観察したものだ。素人はおろか、専門家でさえも現段階では正しく評価できないような宇宙の問題であるから、「へぇー、そうか」と頷くしかないし、また、如何に驚愕したところで、忽ち事態が変わるといったものでもない。ただ宇宙のことを思うと、気分が壮大になり、一時でも地球上の幻滅を忘れることが出来ると言うことで、ある種爽快に気分になる。更に詳しいことを観測するには、新しく打ち上げられる、ジェームズ・ウェッブ望遠鏡を待たなければならないのだということだ。因みに、スピッツァー宇宙望遠鏡とはNASAが2003年に打ち上げた口径85cmの赤外線宇宙望遠鏡で、近赤外線から遠赤外線の波長帯(3〜180µm)をカバーするのに対し、ジェームズ・ウェッブ宇宙望遠鏡は2018年以降に打上が予定されている、口径は桁違いに大きい6.5 mで、観測波長は0.6~28 µmの赤外線を計測できるという。スピッツァー宇宙望遠鏡で計測した「かに座55番星e」の詳細な観測データに依れば、この惑星は1年の間で1000℃~2800℃と温度変化がただならないくらいに大きいという。元より、最低の1000℃でも生物が生息することは叶わない。表面は岩石でできていると考えられているとしても、岩石は完全に溶融しているか、少なくとも部分的に溶融していると予想されるとのことだ。しかも全球的にこういった火山活動が行われているように観測され、惑星の温度変化の原因の1つとして、こういった火山によって吹き上げられた大量のガスと塵が、時に、惑星の高温の表面を覆い隠して低温になっている可能性もあるとしている。太陽系内だけでなく、広大な宇宙での営みは途方もないことが様々に起こっているのである。同じように2008年には. ハッブル望遠鏡によって地球から約63光年彼方の太陽系外の惑星(こちらはこぎつね座にあるガス惑星「HD189733b」)では有機物のメタンが検出されたとしている。当時でも、270個以上見つかっている太陽系外惑星で有機物の存在が確認されたのは「HD189733b」が初めてだとのことだった。この惑星の表面温度も約900度と高温で、生物は生きられないとされていた。研究者の究極の目標の1つは、生命をはぐくむ惑星を見つけることとのことだが、太陽系外の惑星の観察や研究で火山活動を発見したり、メタンガスを観察したりと、少しずつだろうが神秘の解明は進んでいると言うことだ。最近は、有機物と水、熱量(エネルギー)を併せ持ったハビタブル(生命が住むのに適した)な星の探求が進んでいるとのことだ。太陽系外の惑星はある意味、宇宙誕生の創生期の状態であるものとすれば、火山活動後に有機物が発見され、そして水が存在すると言う経過を辿れば、地球が消滅する頃には、そう言った惑星が丁度住むのに適した状態になることも考えられるかも知れない。
2015.05.18
コメント(0)
今日のウォーキングは水無瀬の堤から北へNHの看板を越えて、大山崎IC目前の河川敷の橋までを往復した。今日は、大阪都構想の賛否を問う住民投票が行われる。しかし、大阪府下の島本町では、やがて自分の居住地の宛名が変わる可能性がある今回の選挙の選挙権はない。夕刻からカラオケ大会があった。陽が高いので、まだ暑く、部屋に籠もってカラオケといった風情ではないが、友人と待ち合わせて、店に向かった。先日練習に来た時は、選曲を保留していたが、店に向かうときには既に決めていた。今日は、店の33周年記念大会で、来月に予定されている本大会への予選会的な含みだ。集まったのは、日頃の常連さん以外の見知らぬ人5人を含めて20名だった。どうやら予選会は他に2回有るようだ。2曲歌うが、1曲目はテレビ(TV)のみの採点、2曲目は店特有の壁掛け採点パネルによる採点で、その合計200点満点で競うと言うことになっている。男女で紅白に分かれて、交互に歌い、紅白戦で勝ったチーム全員に賞品が出るという趣向だ。合計40曲を、食事を挟んで歌うのだから、結構長く掛かる。友人は10番目(男では5番目)と中間で歌うことになった。私は14番目で、連れ合いは続く15番目となった。選曲は、私の1曲目は「北の旅人」で2曲目に「無法松の一生」とし、連れ合いは、家を出るまで迷っていたようだが、1曲目に「出雲雨情」、2曲目に「雨に咲く花」と決め、友人の1曲目は「冬子のブルース」、2曲目には練習時とは違い「いたわりあい」を選んでいた。4時半には開始、一見若そうだが80歳に近いというご婦人がトップで歌った。TVでの得点は、83点で、図らずもこの点が、本日のTVでの最低点となった。7番目に歌う人までに、88点が出たものの、そこそこの点で推移した。ところが8番目の男性と、9番目の女性が立て続けに94点の高得点をマークした。コーラスをしていたという80近い男性は張りのある、マイクの要らない声で「丘は花さかり」を歌い、カラオケ教室を主宰している人という女性は「惚れたのさ」を歌っていた。友人は89点(練習時91点)をマークした。最近歌い慣れてきたようで、得点もハイスコアになる。私の前に歌った女性は「紅の舟唄」で93点だ。私は何とか91点を出せた。続く連れ合いも練習時より1点低いが91点と続いた。この後にも、18番目に「つづれ川」を歌った男性が94点を出していた。最高点94点は3人がマークした。食事の後の2曲目だが、半数が歌い終わるまでに91点(パネルでの最高点)を2人が出していて、2人とも今回初めて見かける人達だ。友人は、83点となった。この選曲は少しおかしかった。練習時でも84点であり、「夜明けのブルース」では89点、「博多アラモード」で87点を出していたにも拘わらずの選曲だったからだ。私は、練習時よりも1点増の91点が出た。熱唱のかいがあった。連れ合いに言わせると最後のフレーズがおかしかったとのコメントが付いていたのだが。連れ合いは、出だしに少し躓いて、練習時には軽く91点を出していたにも拘わらず、84点しかマークできなかった。大きな誤算である。そんなことで歌い終わり、今回は、TV、パネル共に90点以上をマークし、合計182点で私がトップの得点を獲得した。同点首位の男性は、8番目の男性で、TV94点だったが、パネルは88点だった。紅白戦は、1743点対1684点と大量59点の差を付けて、男性の勝利となった。折角トップの得点を取りながら、個人表彰がなかったのは残念だった。
2015.05.17
コメント(0)
今日は朝、本格的な雨が降っていたので、ウォーキングは中止した。午後からは晴れたので、孫達には野球の練習があったようだ。兄の方は今日が少年野球デビューと言うことで、太郎君夫婦に託されて、連れ合いが様子を伺いに、練習グラウンドに出かけていった。その後、夫婦が帰るまで、私も連れ合い共々孫達に付き合った。***iPS細胞を脳の神経に移植する臨床研究が来年京大で始められるとのことだ。去年iPS細胞の初の臨床研究が目の難病・加齢黄斑変性患者に移植する事が決まっている中、一足飛びという感じで、脳の神経細胞への臨床研究が始められると言うことだ。日本の再生医療も本格的に始動し始めた感があり、喜ばしいことで、また期待も大きい。去年はSTAP細胞で揺れた1年だけに、今回の脳神経への適用研究は、待ち望まれたものだ。緒に就くだけで、まだまだ一般への適用がスムーズに行われるわけではないが、今までパーキンソン病で悩んでいた人達には朗報であろう。パーキンソン病は、ふるえや手足の硬直などが特徴であり、大脳内で作られる神経伝達物質(ドーパミン)の欠乏によって起きる神経疾患で、高齢者に多く(若年者にも起こるケースがある)、国内には約12~15万人の患者がいるといわれている。薬での治療には限界があるとのことだ。素人には、脳への細胞の移植などと聞けば、大変なことを想像してしまうが、脳も人間の体の細胞の1つと考えれば、何処も同じと言うことなのかも知れない。勿論臨床実験に至るまでにメダカやマウス、サル、コモンマーモセットなどの動物実験で様々なケースで研究が成されている。今回の試験では、患者自身の細胞からiPS細胞を作り、この細胞を、ドーパミンを作る神経細胞に変えてから、針を使って患者の脳の中央部に高い精度で注入するというものだ。まずは、この研究で、移植によって有害なことが起きないかを確かめるのが主な目的だが、移植した細胞がうまく働けば、病気の進行を抑えられる可能性があるという。iPS細胞は、目的の細胞に変化しないまま体内に入ると、無秩序に増えて、がん化するなどの危険があるということや、脳という細胞の様子を直接観察できない部位への適用になるので、MRIなどの画像診断装置で安全性を確認しながら行おうとするものだ。パーキンソン病に関しては之までも様々な研究が成されていて、その例を挙げると、次のような知見が得られている。パーキンソン病の患者の脳では、特定のたんぱく質が化学変化を起こし、凝集する現象が起こって神経細胞が死んでしまうが、山形大などの研究では、これには細胞膜で刺激の伝達を調節する酵素(GRK5)の遺伝子が一連の現象を促進することを突き止めている。患者の脳の病変部位にこの酵素の沈着が凝集する現象を確認している。東京大や神戸大などでは、古くなった細胞の処理にかかわる酵素「グルコセレブロシダーゼ(GBA)」の遺伝子に注目し、解析した結果、「GBA」2本のうち1本に遺伝子変異があった人は無かった人に比べ、パーキンソン病の発症しやすさは28倍高かったとしている。また若年性パーキンソンを研究している東京都臨床医学総合研究所では、若年性パーキンソン病の特徴を持つマウスから採取した細胞と、正常マウスで遺伝子などの働きを比較して、正常マウスでは、ミトコンドリアに異常が起きると2種類の遺伝子(「Parkin」「PINK1」)が関連して働いて、異常ミトコンドリアが分解されるが、病気マウスの細胞では遺伝子が有効に働かず、異常ミトコンドリアが細胞内に蓄積するためだと突き止めている。臨床研究が巧く行けば数年後に治験が行われるとのことだ。今回は目に続き2例目で、このまま、日本が再生医療で世界をリードしていって貰いたいものだ。
2015.05.16
コメント(0)
今日は、昨夜飲んだこともあり、寝坊と休養でウォーキングを中止した。***連れ合いが手配してくれていた、四季劇場での「ライオンキング」を観に出かけた。ミュージカルなどと言うものは殆ど観たことがないので楽しみでもあったが、もう既に孫達は観たという。子どもでも分かるような内容なのかとの多少安心した気分でもあった。四季劇場は地下道を通って西梅田方面に行くのだが、途中かつて各県の物産を取り扱っている店が並んでいた、通路は、店が閉鎖されたままの薄暗い区間として残されていた。大阪から県外に出かけて、土産を買い忘れたらここで買うということで、当時は随分と流行ったものだった。都構想もいいが、此所を早く何とかせんかいといった気分だ。四季劇場に入る前にアンティークなセルフサービスのコーヒーショップでサンドイッチなどスナックで少しお腹を満たした。この辺りは余り来ることがないので辺りの変わりように驚かされる。四季劇場はハービスENTの7階にある。1:00開場に子ども達も含めて、大勢の人が詰めかけていた。当日券もあるようだが、殆どは予約の客のようだ。ストーリーは単純で、アフリカの広大なサバンナでの話。ライオンの父王ムファサに息子のシンバが生まれ、その事を、王位を狙う叔父スカーが喜ばず、王と息子を陥れ、王を殺して、自分が王になって、国を支配するが、いっかな人気が出ず、やがて息子が帰還してめでたしと言うものだ。開演一番に、通路後ろから、大きな象(ぬいぐるみで、4人くらいは入っていたか)がのそりのそりと歩いてくるのには驚かされた。丁度連れ合いは通路脇の席だったので、顔を撫でるように通りすぎる象に、一層驚いたようだ。こんな風にミュージカルは始まる。先ずはアフリカの女性ラフィキ(顔をペインティングしている)が巡りめぐる生命の賛歌を歌い上げる。之がまた素っ頓狂に高い良く通る声で、内容は、スワヒリ語なのか全く分からないものの、兎に角、王子シンバの誕生を祝う内容のようだ。集まる動物たちのぬいぐるみというか、セミコスチュームはアイデアに溢れどれも楽しませてくれる。叔父が、王を陥れるためにシンバを象の墓場だとか、ヌーの大群が通り峡谷だとかに誘い出し、一計を案じてヌーの大群に踏み殺させようとするものだが、迫り来るヌーの大群を表現するアイデアの凄さには驚かされたし、楽しめた。背景に小さく投影されたヌーの影絵があるのだが、それが手前に暴走してくる様は何段にも別れた棚の中でにヌーを形作った型絵の細工を泳がせるように動かし、前方には、ヌーの頭を描いた盾を持った人達が迫るように踊るというものだ。まるで、遠方から順を追ってヌーが迫ってきて、王がもみくちゃにされるという感じが良く表れていた。王の死が、言いつけを守らず、禁断の地に足を踏み入れた自分を助けるためだったと、自分を責め、深く傷ついたシンバは、国を離れ放浪するが、そこにミーアキャットとイボイノシシの2匹に出会う。2匹は王子シンバに「ハクナ・マタタ(気にするな)」という言葉でシンバを励まし、奇妙な3匹の共同生活が始まるというわけだ。このミーアキャットのファンキーさと、イボイノシシのぬいぐるみのおかしさは並み居るかぶり物の中でも群を抜いて良くできていると思った。そんな登場人物(いや動物たち)を観ているだけで飽きさせない。中でもキリンに扮した2人は大変だろうと思った。4本足共々高い竹馬のような物を履いて、のそりのそりの登場で、下手をするとこけて落ちて大けがをするのではないかと心配するほどだ。ライオンの王国を狙う、ハイエナ3匹もそれぞれの個性で、如何にもハイエナのようにずる賢く振る舞う様(かぶり物を上手に使い)は観ていて面白い。王や、叔父のライオンのお面も時に頭の上に、また時に顔の前にと位置を変えるのだが、この機構も実に良くできていて、演出を面白いものにしていた。最終に、ダンサーが舞台一杯を使って踊る様は、流石に有名なミュージカル劇団だと感心させられる圧巻であった。
2015.05.15
コメント(0)
今日は寝坊と休養でウォーキングは中止した。連れ合いは、リハビリ後、ボルトを抜いてから4回目の担当医師の診断があった。リハビリでは今月一杯で終了のようなことを言われていたそうだが、担当医師からは、もう1ヶ月の延長を言い渡されたようだ。やんぬる哉、後のことを考えるとその方が良いとのことだ。人間の体は精巧で、連れ合いの快復力も凄いが、正確に復元しようとするとかなり難しいものである。昨日の中学校体育祭の応援に出かけて立ち見をしていたことが少し負担になったのか、今日は夕方まで休養を取るつもりが、友人からの誘いで、早めにお宅を訪問することになった。近くにくま揉んでお馴染みの熊本の物産(実際には九州各地のもの)を販売する、道の駅の小型版がオープンしたとのことので、そこを訪れることにしていたが、夕方だと店じまいの可能性もあり、早めに来た方が良いとのことだった。JRの岸辺駅の近くだが、夕食で飲むことを考えて、今日は電車で訪問することにした。JRは当方からも利便の良い線で、駅でも5つほどしか離れていない。岸辺駅は駅前に国立循環器センターと、吹田の市民病院が来るのだといい、広大な土地が更地になって準備されている。今再開発の途上にあるという。吹田操車場の一端を占めていて、現在もコンテナのヤードを兼ねている東海道本線の駅だから、本線が発着する南の出口から北に抜けるまでには幅広い線路を跨ぐ立派な高架歩道橋を通ることになる。丁度北側が件の病院の建設予定地になっている。その昔は辺り一面が田んぼであったとかで、駅から府道14号線(国道171号円から分岐した、大阪高槻京都線)まで出るには、一部狭い区間があり、往時を偲ばせているが、やがてはその道路も拡幅されるであろう。この間、降り立ったときには北の停留所にもタクシーが散見されたが、今回は何故か1台も待機する車はなく、寒々としていた。仕方なく友人に連絡し、迎えに来て貰うことになった。病院が出来たらさぞかし混み合うことだろうが、まだ田舎の風情を保っている。友人のお宅は吉志部神社を擁する紫金山公園の近くの住宅地で、近くには名神高速道路の吹田SAがあるという。この辺りには、ベーカリーショップとかレストランなどが多くあって、生活利便は快適そうだ。そんな一角に熊本の物産店が開設されたのだから、言うことはない。連れ合いは、物産店で、野菜を中心に、しこたま買い込んでいた。夕食までの間、友人宅で暫し話し込んだが、建築後30年を経過しているとは思えないくらいにメインテナンスが行き届いていて、並みのコーヒーショップ顔負けの雰囲気である。夫人が手掛けるステンドグラスの作品が随所に置かれていて、部屋を飾っている。何やら、へーベルハウスの築後30年のモデルルームとして紹介するために時折見学の依頼があるのだという。さもありなんだが、並みの家では、ここまできちんと整理が行き届かないだろう。夫人共々ニューヨーク在住が長かったこともそんな一因だとも言う。廊下には、友人が撮ったという、夕暮れ時の影絵のようなニューヨークの写真が飾ってあった。エンパイヤーステートビルとクライスラービルの横にぽっかりと凹んだ空間が見える、今は無き貿易センタービルがあった位置を撮った写真だ。夕焼け雲と写真下に、丁度同時多発テロ後1ヶ月を経た日付が印刷されていて、芸術性も高い感じがした。夕食は歩いていける近くのイタリア料理のレストランで採った。早めに入ったので人影はまばらだったが、スパークリングワインや、たっぷり盛られた新鮮なサラダやピザ、パスタなどを頂きながら歓談する内に店内は満席となっていた。その後も友人宅で、とっておきのヘネシーをご馳走になり、上機嫌でタクシーを呼んで、岸辺駅に向かったが、途中で、買物をした袋を友人宅に置き忘れているとの電話を受け引き返す一幕もあった。この歳になって、行き来できる友人が居るというのは有難いことである。
2015.05.14
コメント(0)
今日のウォーキングは簡単に檜尾川橋を往復した。近くの中学校では、体育祭があるとのことで、連れ合いは、激励のために出かけていった。夕方には、友人夫妻とその知り合いのご夫妻と6人で、カラオケの練習に出かけた。友人とその知り合いのご夫妻はゴルフを通じて知り合いになったというが、共にアメリカに滞在したことがあるとのことを後で知ったのだという。何でも自宅にはカラオケセットがあるとのことで、カラオケ好きには違いない。ニューヨークにも持っていたとのことだ。ジンバブウェにいるときも商社の人が自宅にカラオケセットを持っていて、在ハラレの日本人会の人達を時折招いては歌っていたことを思い出した。カラオケ好きの人にとっては良い交流のツールな訳だ。この日曜日にはまたカラオケ大会があるが今回は33周年記念だとかで、予選を3回に分けて店で行うとのことだ。毎回やっている自己申告制による大会と違い、パネルにしろ、テレビにしろ高得点が出る程良いという、本来の上手下手(尤も機械の判断だけれど)を決めるのだそうだ。上位15人で決勝だとか、なかなか大変そうだ。それではと、各評価基準(パネルとTV)毎に、過去に歌った高得点の歌を選ぶ事から始める。(2曲歌うが、1曲目はTVのみの評価で、2曲目はパネルだけの評価)こんな時、私が記録しているデータが役に立つというわけだ。無聊(?)にまかせて、パソコンに記録していたデーターをスマートフォンに転送したのが役に立つ。連れ合いなどは、常日頃「何でそんな暇な事するの?」と言いながら、こんな時には、私のはどうだったのかと便利に利用してくれる。で、何曲かセレクトするが、私の場合「無法松の一生」が他に比べてパネルでの得点は高そうだ(90点が2回出ている)。2曲目はパネルだけの採点故、該当曲として選ぶ。しかしTVでの得点の高いものはと探すが、店では、なかなか見つからなかった。帰ってよくよく調べると「北の旅人」を歌って、1回だけ95点が出ている。1曲目の対象曲とする。連れ合いは、何曲か歌ったが、2曲目にパネルで91点を出した「雨に咲く花」を選び、TVで評価する2曲目には、練習時に92点を出した「出雲雨情」、「もう一度逢いたい」、「長良川艶歌」の内の1つとすることに決めたようだ。友人はと言うと、1曲目はTVで91点を出した「冬子のブルース」が歌いやすいという。2曲目には、パネル92点の「夜明けのブルース」か、87点だったが、歌いやすい「博多アラモード」というのが候補のようだ。大会には出ないが、今回は友人の奥さんも来ていて、「バスストップ」と「雪国」を透き通った涼やかな声で歌っていた。友人の知り合いにも、次の日曜日の大会に誘ったが、今回は遠慮するとのことだった。しかしご主人の方は歌い慣れた様子で「あばれ太鼓」や「雪椿」を90点以上の得点を出して歌っていた。奥さんの方は、「涙の桟橋」を最後ジェスチャーを交えて歌っていた。時にはデュエット曲を2人で歌い、仲睦まじいところを披露していた。練習時には何時もほぼ貸し切り状態なのだが、今回は記念の大会があるからか、途中からどやどやと別の日に予選をする数名が入ってきて、順番に歌うものだから、ややもすると練習する機会が少なくなって、候補曲を絞り組むまでには歌いきらなかった。店を出るときにはまだ決めきらなかった私に、戻ってきて続きを練習するように促されたが、何度やっても水ものだし、時の歌い方や、体のコンディションで微妙に変わるものだから、やっつけ勝負でも余り変わらないと云うことで、今日の練習は終わりにした。
2015.05.13
コメント(0)
今日のウォーキングは高浜の堤から北へNH看板を往復した。***日経の経済教室の記事にアラブの春から4年を経過し、その後のアラブについて述べられていた。一橋大学の福富満久教授、日本エネルギー研究所の保坂修司研究理事の解説だ。チュニジアでの暴動(ジャスミン革命)で始まった民主化運動だが、アラブ世界を巻き込んで、2年間に亘って繰り広げられたが、未だにその余震は残っている。一連の政変が一段落したものの、民主化や、民衆の当初の意識が通った結果が得られたとは言いがたいし、中東の流動化は更なる激しさを増している。当面の長期独裁政権は倒されたものの、その結果が民主化に繋がったというわけではなく、過激派組織イスラム国(IS)の台頭や宗教間の対立の増加を招いている。長期独裁政権は倒されたが、新しい政権は国民が真に求めていた民主的なものではなく、単に旧独裁政権に反対する派による首のすげ替え程度でしかなかったわけだ。福富氏は、その原因に、1.中東の歩んできた歴史、健全なナショナリズムの欠如、2.米欧の民主主義に対する懐疑、3.米欧から見た中東諸国の重要性の低下を挙げている。中東に於ける国家形成時の人工的国境策定は、民族やイスラム教徒間の自然な関係を恣意的に隔絶したものであったということや、そもそもアラブ社会に見られる米欧の民主主義を良しとしない根底の意識があり、その上、シェールガス革命による、原油やガス資源としての中東の重要性の相対的な低下との見方だ。アメリカ的民主主義への懐疑心の根底は、アラブ国家の象徴的なパレスチナとイスラエルの融和しがたい関係の背後で画策するアメリカの存在が常に念頭にあることは否めない。アラブ国家が、米欧的な民主主義を是としない根底がここにある。独裁政権が倒された、チュニジア、エジプト、イエメン、リビアだが、替わって台頭した新政権は、真に民衆が求めるものではなく、独裁者が変わったという単なるすげ替え的な軍事政権であったり、宗教的な反対派閥の政権でしかなかったということだ。それまで反体制、反政権組織が取って代わっただけという結果だ。革命によって国民が自由を得たわけでもなく、暮らしが楽になったと言うことでもない。国民の期待が大きすぎた分、そんな、相も変わらぬ新政権への失望も大きかったということだ。未だにシリアでは、独裁・強権政治が行われ、米欧が手を拱いている間に、イスラム国という怪物を生みだしてしまった。現在の政権にとっても好ましくないイスラム国だが、なかなか根絶することは難しい。そこには満たされない底辺の民衆や、職も希望もない若者の不満があり、それらがイスラム国を支えているということだ。最も理想的な変革を遂げたと見られていたチュニジアの変革だが、イスラム国はそんな流れに水を差すように博物館テロという、強硬手段を採っている。現在の国境などものかわの汎イスラム世界を設立しようとするイスラム国家と新政権、また米欧国家とは基本的に相容れない。イスラムは、スンニ派とシーア派という大きな宗教的対立があり、互いに牽制している中、米欧主導で、設立された旧政権など、当時の米欧のご都合での宗教派閥への肩入れなどがこの地域の安定を阻害する1つの要因にもなっている。このように、アラブの春の本質面を宗教的な派閥の抗争がより一層複雑化させ、中東での抜本的改革の進展を阻害している。未だに強権による独裁支配を行っているシリアのアサド政権のアラウィ派は、イスラム主流のスンニ派とは相容れない。イエメンでのフーシ派の台頭も宗教派閥が形を変えたものだ。イスラム内部の統一への動きが、不幸なことに、暴力と恐怖で支配しようとするイスラム国であるというのが問題なのかも知れない。世界は、先ずテロと強権で成り立つイスラム国を押さえ込んで、アラブ国家間に健全な民主主義が芽生えることを意図しなければならない。それは国家や政府間のご都合によるものではなく、そこに住む民衆の平和と安寧をベースにしたものでなくてはならない。石油やガスの資源しかない乾燥した砂漠地帯に、本当の意味の春を迎えるためには、まだまだ道が遠いと言うことかも知れない。
2015.05.12
コメント(0)
今日のウォーキングは高浜の堤から淀川の看板迄の往復だ。余り変わり映えしないが、歩くことこそ本意なれと歩いている。早朝と言っても冬と違って明るいので、沢山の人が歩き出している。今日はホメロスの「オデュセイア」の上巻をやっと読み終えた。「イリアス」の上巻を読み始めて既に3ヶ月を経ようとしているが、ウォーキング時だけに読むのだからなかなか進まない。明日からは「オデュセイア」の下巻を読み始めよう。***今日はのんびりとして過ごした。何やかやと、新聞の切り抜きを眺めていたら、1年前の連載で「絵を買う人々」というのがあった。独文学者で絵画に精通している中野京子さんの入門講座だ。迂闊にも、5回の連載の1回目を紛失してしまったようだ。何とか、ウェブ上で見つけたがやはり絵画は載ってなかった。で、取り上げられていたのがジョヴァンニ・バッティスタ・ガウッリ、通称バチッチャの作である「イエスの御名の勝利」だ。こんな人の名前など聞いたこともない。また作品を探し当てたがそれはローマのジェズ教会の天井画であった。解説を読むともはや「どこまでが建築でどこからがフレスコ画か、境界すらわからない。ドームに穴でもあき、そこから聖なる光が降り注ぐかのよう。天使や聖人はどこまでも上昇してゆき、悪魔や罪人はこちらへ落下してくる」とある。まるで天井が破れているような感じすら受ける。天井画に与えられたスペースから大幅にはみ出して、孔を通過するようにカトリックの教えが全世界に広がって行くというテーマだという。もともと絵画は文字の読めない信者たちに聖書の教えを伝えるために作成されたのだから、之は宣伝効果満点と言ったところだ。2回目はヴァン・ダイクの「狩猟場の王(狩猟場のチャールズ1世の肖像)」だ。自然の中に立って、なお品位を感じさせる高度な色彩表現との解説だ。国王としての偉大なる威厳に満ち、品位を感じさせる高度な色彩表現と、性格をも描ききる人間味溢れる人物描写と称される肖像画の秀作だ。もう1つはダヴィッドの「サン=ベルナール山からアルプスを越えるボナパルト」で、之は、肖像画をプロパガンダに使うために描かせたものだという。似ていようがいまいが、兎に角偉大に見せよとの指示で描かれている、同じ作品が5点もあるという。(テレビで紹介されていた)3回目は、オランダの画家達だ。ハブリエル・メツーの「手紙を読む女」で、余りよく知らないが、フェルメールに似た作品だ。「手紙を書く男」との対の作品だ。オランダには画家が沢山いることや、日常の生活を作品に残したと言ったことが解説されていた。もう1作はレンブラントの「テュルプ博士の解剖学講義」でこの作品はよく見る。レンブラントがまだ駆け出しだった頃、メンバー7人がテュルプ博士と共に描かれることを光栄として若い画家に描かせたものだという。4回目は、ルーベンスの「メドォーサの首」だ。恐ろしい絵画だが、見た者を石に変えるというメドォーサは、兵士の護符の役割を果たしていたと言うから、さもありなんか。ルーベンスが有名になったからこの絵を見る機会があるが、余り観たくない作品だ。貴族の館を飾る作品としては、それなりの意義があったようだ。数ある部屋の何処に、絵をどのように飾るかは、一つの作法があったようだ。もう1点は、フラゴナールの「ぶらんこ」だ。女性をブランコに乗せ、それをしたから覗き込むといった色好みの男爵が道楽で書かせたものだという。洋の東西、今昔を問わずこういった類の人はいるものだ。第5回目は、いよいよ印象派、モネの「日傘の女」だ。今まで見た宗教画や、威勢の良い肖像画などと違って、今までにない革命的な作品の登場だ。やはりこの辺りが見ていて楽しい。当時は一顧だにされなかったこんな印象派の作品を買い求めた画商のデュラン=リエルがこれらの作品をアメリカに持ち込んで大もうけをしたとのことだ。(アメリカが印象派を評価した)この作品がワシントンにあるのはそのせいだという。もう1作は、ピカソの「ダニエル・H・カーンワイラー」だが、こうなると私の理解を超える。しかし、ピカソにとって、自分の作品を理解したこのカーンワイラーは恩人だとのことだ。
2015.05.11
コメント(1)
今日のウォーキングは山崎駅から円明教寺口を折り返すコースで帰宅した。母の日と言うことで、太郎君一家が来訪し、お嫁さんが連れ合いにフラワーアレンジメントの寄せ植えを贈っていた。駅前公園では楠公680年祭が催されていたが、横目で見ながら通り過ぎた。***日経の科学コラムに恐竜の話が載っていた。このコラムで恐竜のことを掲載しているのは珍しいことで、専ら、地球物理や宇宙、脳科学と言ったことを取り上げられることが多い。恐竜を研究する人が少ないという事も知れない。今まで、恐竜には肉食か草食かといったどちらかに区別で語られることが多かったが、雑食の恐竜もいたと言うことが述べられている。さらに、恐竜=馬鹿でかい、とかそれ故鈍重と言ったイメージだったが、意外に軽快な恐竜もいたと言ったことが同時に述べられている。恐竜好きなら先刻知っていることだが、案外と新鮮なのかも知れない。一部ミイラ状化石で発見される恐竜もいるようだが、殆どは化石として発掘される。その化石から、恐竜の食べ物や歩き方まで分かるというのだから面白い。こんな視点から見ると、3つの角を有する、人気恐竜トリケラトプスだが、肩の位置や関節の付き方などから、爬虫類(ワニをイメージすると分かりやすい)のように前足の関節(肘)を横に張り出して歩くのではなく、哺乳類のように足を真っ直ぐ下に伸ばして走行していたことが分かったというのだ。今までは化石の発見と復元などに重点を置かれた研究が多かったが、最近はその構造や機能にまで研究が及んでいるとのことだ。そんな視点で、福井の恐竜展の骨格復元は成されているのだろうか。今まで気にも留めていなかった。2012年に発表された、恐竜の直近の祖先に近い動物(恐竜形類)とされているマラスクス(2億5千万年前~2億年前)は2足歩行をしていたとの研究発表があった。最古とされる恐竜の化石は、アルゼンチンの三畳紀後期(約2億3千万年前)の地層から発見されたエオラプトル(体長約1m:夜明けの泥棒という意味を持ち、恐竜に含めない学者もいる)など7種類とされているが、その一つ下の地層から肉食のマラスクス(体長50cm)など数種類の小型動物の化石が発掘されていて、これらが恐竜の祖先に近い動物とされている。歯や手、足の化石の特徴などから恐竜の祖先は、肉食で2足歩行の可能性が高いと考えられていた。この他の恐竜形類も複数いた(ニャササウルス辺りも之か)ようで、足跡化石から歩幅測定をしたら、平均1.5mと大きかった。之から速い動きだったと推定されている。そう言えば、恐竜の映画で、ピョンピョン跳ねているのはこの類だったのだ。この一方で、同時代にワニの祖先の仲間(主竜形類)の代表選手のロトサウルスが発掘されているが、このロトサウルスの歩幅は0.77mしかなく、こちらはノソノソと歩いていたというわけだ。これらから、ノソノソ歩いていたロトサウルス(主竜形類)は三畳紀末に絶滅し、ピョンピョン跳ねていたマラスクス(恐竜形類)は敏捷さと適応力で生き残り次代のジュラ紀に恐竜の全盛期を迎えると言うことになった。従来は化石による骨格復元や分析が主流だったが、足跡やフンなどのように生物そのものでなく、残した痕跡が化石になったものを「生痕化石」と呼び、之もまた恐竜の実態を推定するのに有効だとのことだ。2006年と09年にモンゴルで発見されたデイノケイルスは胃の辺り魚の骨や1000個以上の胃石を持って発見された。このことから、肉食と草食の両方を行っていたと見られ、雑食恐竜というのもいたとのことになっている。恐竜の話をすると止めどないが、想像するだに面白い。
2015.05.10
コメント(0)
今日のウォーキングは高浜の堤から堤終点での折り返しだ。堤防上の歩路脇には1km毎に河口からのキロ数の河標が造られている。堤終点と書いているのは、歩車が分離して歩ける範囲の終点という意味で、そこから河口へは車も併走して走っているというポイントだ。河口から30km~31kmの間にある。高浜の堤から一寸歩くと新しく33km標識が建てられたので、往復の歩行間に歩行速度を測ってみるとウォーキングの平均速度は時速約6.5kmという辺りになった。メッツ(METs)法という消費カロリー計算があることを知った。METsとはMetabolic Equivalentsということで運動がどの程度のカロリーを消費しているかを簡単に計算できる方法だ。以下の計算式で計算できるようだ。消費カロリー(Kcal) = 1.05 × METs × 運動時間(30分は0.5で計算) × 体重(kg)ところで、私のウォーキングの場合は、時速約6.5kmということから別途表で与えられたメッツ値は5程度だとのことだ。計算すると結果(2時間歩行)は745Kcalの消費だとのことだ。尤も家で安静にしていても(メッツ1)カロリー消費は2時間で150Kcalとのことだから、実質ウォーキングによる消費カロリー(Net)は約600Kcalと言うことになるようだ。之は通常の食事1回分という事になる。***歩行中に似鳥昭雄氏の「私の履歴書」を読んだ。家具店の「ニトリ」社長だ。28期連続増収増益の社業は凄い業績で、さぞかし立派な経歴の人かと思って読み始めたが、失礼だが、予想を覆された。自慢話たらたらの過去の「私の履歴書」の登場者に比べると一寸驚くほどの若い頃の破天荒な行状だ。氏も最後に述懐しておられるが、連載中に大きな反響があったことや、品行の悪い若い頃の行為に批判があったとのことだが、それでもここまでのし上がる(失礼な言い方だが)というのは並大抵の運の持ち主ではないような気がする。(氏も運8割だと述懐されている)勿論氏の努力や、氏故にしかできないことだったのだろうと思う。所謂優等生でなかったことは、包み隠さず述べられているし、両親からの手ひどい(最低限の愛情裏付けがあったとは言え)教育、しつけは言うに及ばず、学校時代の多くのいじめなども経験されている。もし私が氏の環境だったら、学生を終わる頃には既に全く無気力な状態になっていたことだろう。ニトリ1号店開業後いち早く30年計画を立て、1年の遅れで、2003年に売上1000億円を達成している。そして現在は、全国(世界を対象にしてか)3000店舗売り上げ3兆円を目標という次の30年計画に向かっているとのことだ。如何なる時も笑顔を忘れないという氏の心がけ通りの表紙の破顔はとても人なつっこさを感じる。勿論この笑顔だけで商売が好転したのでは無いだろう事は述べられているが、やはり笑顔の効果は大きかったのだろうと思う。ヤミ米商売の手伝い、工事現場での労働経験、父親の会社の倒産、等々どれをとっても運が向いてるとは思えない環境下で、ただ1つ8回のお見合いの結果、マッチングした夫人に恵まれた所はラッキーという感じを受けるほどだ。北海道から全国展開、更には海外進出も視野に進んでいく様は、止まるところを知らない感じで、安定感はない(ハラハラする感じ)が、何故か結果はオーライという風だ。融資を受けるために奔走する銀行との対応は、中小企業の経営者なら避けては通れないところだろうが、何故か時宜を得て好転している。経営が順調に進んでいるやに見えても、社員の不正や横領など枚挙に暇がないほどだ。しかし一方では、やる気のある優秀な社員や良きコンサルタントにも恵まれ、発展してきたことが述べられている。会社は人だと言うことを感じさせる内容だ。途中に書かれていたが、父親から氏に「頭が悪いのだから、国立大学や有名私立大学を卒業した優秀な人材を使えばいいんだ」との言葉を噛みしめ実践してきたとのこと。並みの経営者ではなさそうだ。
2015.05.09
コメント(0)
今日のウォーキングは久しぶりに水無瀬の堤に出てNHの看板を折り返して帰宅した。小学校学習ボランティアのキックオフと、顔合わせの会があった。私は、4校の内の第4小学校の担当と暗黙の内(実績ベースで)にアサインされている。去年3年生だったので、その持ち上がりとして4年生になるかと思えば、また新しい3年生が担当のようだ。過去1年間でやっと子どもの気性など分かり始めていたのがまた1からの仕切り直しとなった。九九の反復練習を取り入れて欲しいと学校側の要請があったようだ。学力に課題のある児童を対象と謳いながら、万遍なく平等らしく見せるようにやってくれとの要請があり、支離滅裂だ。どうも建前と運営は異なるようで、本当に子どものためなのだろうか疑問に思った。***最近女性登用についての議論を目にすることが多くなった。安倍政権の掲げる成長戦略の中に「女性が輝く日本」と表現があるからかも知れない。しかし女性の登用については様々な課題があるようだ。こういった場合必ず外国はどうかとの比較になり、日本はそう言った意味では遅れているというわけだ。企業にあっては、女性管理職の登用の率が少ないとのことで、政府は2020年までのその比率を30%へ引き上げるとしている。(欧米40%前後に比して日本の現状は11%)しかし、こういった作為的な掛け声だけの枠決めでは女性の登庸が高まるかと言えば難しいところだろう。日本が男性優位であった歴史は長く、掛け声だけではそう簡単に女性比率が増すとは考えられない。経済活動や政治への参画度、教育水準、出生率や健康寿命等から算出するGGI(ジェンダーギャップ指数)と言う物差しがあって、日本は142ヵ国中104位と世界との格差は大きい。2014年の指標では、アイスランドを筆頭に北欧諸国名GGIは80~90%と極めて高い一方、日本は60%程度だという。今はどうか知らないが、私の勤めていた会社は、地方の女性の意識そのものが低いため結婚によるコトブキ退社が慣例になっていた。調べたことはないが、不文律だが運用は絶対的という具合だった。想像するに社会の風潮が追い風となっても、おいそれと変わることはないだろう。世間が2020年目標を30%にしている中20%に止まるだろうとされるならそれ以下になるだろう。鉄を扱う業種ならではの特徴かも知れない。業種による点も大きいような気がする。こういった具合であるから男女の賃金の格差もまた大きい。OECD諸国の女性平均が男性の85%とである中、日本は10ポイントもの差がある。昔は、結婚しても男性が稼いで、女性は家庭を守るという事が事実上の常識だったが、流石に今は働く女性が増加しているようだ。しかし、経済が活性化しないと、男性の賃金は、延びず、家庭が成り立たなくなるので、女性が働きに出ると言った消極的な女性参画では、男性も家庭への役割分担を担わなければならず、そのため、今まで、盛んに行われてきた長時間労働なるものが成り立たなくなっていき、おそらく共倒れになるような気がする。企業自身の意識の変革がない限りは、このことは成り立たないであろうし、最も可能そうな何処か1社が率先できたとして、追随する企業が無いなら続かない。生産性の向上と一口で言うと簡単だが、労働集約産業では、なかなか革新的に効率よく業務を行うことは難しいし、国際競争力を保つには、現段階では無理がある。正規非正規の雇用形態が問題視されるが、皆、叶うことなら正規採用で、安定した基盤を得たいと思うが、そうなると、家庭の維持はおろか、結婚することも能わなくなり、引いては少子化が進んで、日本全体の生産力が落ち、世界に互してやっていく企業力が損なわれることにもなるという悪循環も考えられるだろう。男女は平等と言いながら、出産は女性にしか出来ないわけで、根本的な違いがあることを横に置いておくわけにはいかない。企業で活躍している女性も多いようだが、どの会社もそのようなことが出来るかと言えば、現段階では相当の無理があるようだ。女性政治家を例にとっても、テレビなどに出て、如何にも活躍している風にも見えるが、何となくお飾りのような存在にしかないのを見るに付け、返って女性全体に対する真の評価を下げているとしか見えないケースが多いのを見かける。この様なことは女性進出にとっては逆効果なのではないかとさえ思う。
2015.05.08
コメント(0)
今日は久しぶりに友人夫妻と宝塚ケヤキヒルでラウンドを共にした。早朝ウォーキングは之に替える。連れ合いは、親戚の人と会ったとのことだ。宝塚ケヤキヒルは2回目になる。9:10のスタートだが、例によって早く目覚め、そのまま起きていたので、ラウンド後半には少し眠くなった。裏道を走ったが、今日は尽く信号に掛かったこともあって、1時間半と前回に比べて10分余り時間が余計に掛かった。更にスマートフォンのナビではケヤキヒルズと複数形にすると該当無しとのつれない返事だった。パソコンのように多少のファジーさは必要だろう。友人は別格だが、このところ夫人の上達はめざましく、今日の前半は完膚無きまでに負けてしまった。宝塚ケヤキヒルCCは距離は短くパー70だが実にトリッキーなコースで、アイアンの練習と特に正確さが要求される。インからのスタートで、前回と見比べながら書いていく。前回同様夫人も、白(レギュラー)ティーから打った。( )内はパー。No10(4):谷越え、最後右ドッグ(これも谷が掛かる)だ。谷越えはまずまずだ。2打は向こうの山裾の傾斜地に飛びすぎた。そこで3打を山に打ち込んでOB。1パットだが、いきなりトリプルだ。スタートホールは全員OBで、しかも友人は2回OBしていた。No11(3):カラーにニアオン。しかし友人共々ボギー。夫人はパーだ。 No12(4):左は覆い被さるようなOBゾーン。前回痛恨の左OBに懲り右ラフへ。2打は良い当たりだが、バンカーにつかまる。3打は出すだけになり、1パットながらボギー。友人は超豪打で、GR近くまで飛ばしていた。(彼我の差は倍半分も違うほどだ)結果はパーだ。夫人は私と同じ。No13(5):超打ち降ろしで最後左ドッグ。ティーショットは極めて良くFWCR。2打をチョロしてバンカーへ。あかんなぁ。しかしバンカーからの3打目はプロ並みの良い当たり。アプローチもGRを捉えたが、10mを3パットしてダボ。ほんにちぐはぐだ。夫妻は此所をボギーで通過。夫人とは既に2打ビハインド。No14(4):打上。ティーショットは右で、隣のコースへOB。プレ4からGRを外して、5オン2パット。夫妻は此所をボギー。ますます差が開く。No15(4):折り返しのここは超打ち降ろし。1打を当たり損ね、2打でやっとFWへ。3打池越えをトライしたが、案の定池へ。罰打を加え、1パットながらダボ。友人は、ここで右に3つ目のOBでトリプルだ。しかし夫人は2打をバンカーと池の間に巧く運び、ボギーなのだ。No16(3):手前に口を開くバンカーの超打ち降ろしショート(向こうは池だ)。当たりが悪く、届かずバンカー。GR向こうに出て、3オン1パットで、ボギー。夫妻は共にパーだ。この時点で、夫人と6打差も付けられた。友人も、2ホール残して、夫人に3打ビハインドで活を入れたようだ。No17(4):池越え。1打、2打は超満足の当たりだが、バンカーに入った。1回で出ず、4オンの2パットで、ダボ。友人は流石にバーディチャンスは逃したが、パー。夫人も負けじとボギーで凌ぐ。最早夫妻同士の戦いで、私は蚊帳の外だ。No18(4):手前の池は多少気になるが、むしろ2打目に掛かりそうなクリークが嫌だ。1打はまずまずだが、飛びが今一だ。2打目は無難に刻んで、クリーク前の好位置に落とした。しかしそこからが馬脚だ。当たり損ない、GRオーバーと連続チョンボで何とトリプル終了だ。友人は流石に2打でクリーク越えを見事にオンして、パーは凄い。夫人はここで私と同じトリプルで、友人が夫人を1打逆転するという結果。之もまた凄い。昼食後アウトに回った。No1(4):真っ直ぐで、1打目は夫人に及ばなかったが、2打目でクリークを越えた。しかしバンカー手前。そこで眼前のバンカーに入れる不手際で、1パットながらダボ。痛恨だ。友人はボギーだったが、何と夫人は、私が入れた高低差のあるバンカーで、5回以上叩いて、諦めのギブアップとなった。No2(3):右をクリークが走る長目のショートホール。クリークに落ちたが、ドライなのでリプレイスでよいと救済の2オン。友人と同じくボギーだった。夫人はダボ。No3(4):谷越えで、2打目から打上だが距離は短い。しかし、感覚的には遠く感じる。良いショットが出来たが、2打目をバンカーに入れた。3打で良い場所にオンしたが、あろう事か3パットのダボにした。勿体ない感じだ。友人は左にOBして、それでもダボだ。夫人はダブルを叩いていた。No4(4):No3と逆に今度は超打ち降ろしで右ドッグのアイランドグリーンだ。右ラフで、まずまずだ。しかし、2打を池に捕らわれ、ダボにした。友人はボギーで、夫人はアプローチが良く、同じくボギーだった。No5(4):ほぼ真っ直ぐなミドル。1打、2打はまずまずだが、簡単な100YDアプローチをシャンク気味にバンカーに放り込む。4打でGR向こうのバンカー、5打でこっちと惨めな往復。ダブルを叩く。(普通はボギーで良いものを・・・)友人は余裕のパーで、夫人はトリプルだった。No6(4):グリーン手前に大きな池がある。1打は完璧なFWCR。しかし2オンを狙ってチョロはないだろう。3打でGRをオーバーした。で、またGRを行き来のトリプルだが、スコアは間違ってしまった。友人は左OBかと思わせたが溝に入っていてセーフ。2オン2パットのパーだ。夫人は、1パットのダボ。No7(3):手前の大きなバンカーの向こうのGRは見えない。バンカーは越えたが手前のカラーだ。ボギーになった。友人は、パーで夫人はダボだった。 No8(5):後半のロング。超打ち降ろし、230YDでグローブのようなバンカーが見える。良い当たりだが、グローブまでは届かない。2打は、今日一番か、残り110YDに進めた。しかしそこからが、バンカーに入れ1度で出せず、更に3パットと、悪いことは重なる今日のゴルフだ。トリプルだ。2打終了までには考えられない上がり方だ。強打の友人は、1打をバンカーに入れたものの、絶妙のバンカーショットはFWと殆ど変わらない当たり。更に1パットでパーとする。夫人もティーショットは良かったが、トリプルとしていた。No9(4):FWが2列あるホールで、全体に右傾斜。ここで最終OB。プレ4からもカラーで、5つで載せ2パットのトリプル終了だ。友人は、5連続パーで終了していた。夫人はダボの終了だ。前回100を切れたのはパー70のせいだが、今回は、距離の長短に拘わらないことが明らかになった。情けない話だ。夫人とは結果ドローになったが、実質は大きく負けていた。しかも同じく白ティーからなので、何とも名状しがたい気分だ。帰りの道は迷わずに走れた。
2015.05.07
コメント(0)
今日のウォーキングは高浜の堤から淀川看板を往復した。夕方には連休を楽しんだ孫達一家が来訪した。***幸福とは何かについて中央大学の山田昌弘教授が書いていた。それを読んで感じたことなどを書いてみる。先ず経済的豊かさと幸福の関係ではについて述べられていた。一概には言えないが、一般的にいえば、経済的に豊かであることは、幸福になる必要条件だが、十分条件ではないだろうと言うことだ。この問題は、丁度我々が大学生活を送っていた1960年代後半に「物質的充足が即ち幸せだ」ということについて若者の間で疑問視されたことはあったが、その動きは広がりを見せなかったとのことだ。その頃経済的に特に恵まれていたわけではないが自分が幸せだとか不幸だとかについて余り考えたことはなかった。そんなことを考えずに生きていたと云うことは、案外幸せだったのかも知れない。こう云ったことを議論するとき必ず、国別の幸せ度や如何にとの議論になる。この問題は、自分が幸せかどうかを議論する以前にベースとなる要件を物語るからかも知れない。国民1人当たりのGDPが高いか低いかは満足度に関連があるようだが、一定の水準を超えると、こういった相関は見られなくなるとのことだ。そこで出てくるのが、未だに有効と見られるマズローの欲求段階説だが、氏は之を6段階説だと紹介していた。旧来の5段階は、下位のプリミティブな欲求から順に1.生理的欲求 2.安全の欲求 3.親和の欲求 4.自我の欲求そして5.自己実現の欲求となる。 ピラミッドで言う最下位の生理的欲求のレベルではなるほど金銭的な充足が幸せの条件であり得るが、経済的豊かさだけで完全に幸福度を律することが出来るかと言えばそうではない。ある一定のGDP(所得)以上では、比例的な相関は示さないとのことだ。それは食べられること、安全が保障されていることだけでは計れない幸せがあると言うことだ。人は誰も1人で生きているわけでなく社会を形成していて、その社会からの評価を期待していると言うことだ。貧しくても社会が評価してくれているというなら、それもあると言うことだ。逆に言えば、お金は有り余るほど有るが、社会にも認めて貰えなければ幸せを感じないと言うことに聞こえるが、そう単純なものではない。ここで思い至るのが、他人から見た幸福度合いと、自分自身が感じる幸福の度合いは違うのだろうと言うことだ。戦後「豊かな家族生活」と言うのが指標になったことがあり、3C(カラーテレビ、カー、クーラー)を手に入れることが当面の目標になっていたが、今は殆どの家庭でそれは達成されていて、3Cが幸福度を示す1つに因子ではなくなっている。之も経済的な要素を含んだもので、彼我の比較の上で、相手が持っていて、自分にないとなれば、それはうらやむ気持も出てくるだろうが、それで持てるものが幸せで、持てない者は不幸だと言いきることは出来ない。こんな風に、幸福は即ち物質的充足のように述べられているようだが、本当の幸せは、欲しい物を手にれると言うことで留まらないわけで、一見広壮な館に住んでいたり、高級そうな車に乗ったりすることだけで、幸福とは言えない場合もある。昨今のように親を殺したり、我が子を殺したりして平気な社会は、幸福と言うことから見放された人種社会だろう。こういった背景に経済的な問題が関わっているのかも知れないが、あまりに利己的、排他的な社会を醸成してきた、今までの社会のあり方が問題なのかも知れない。ここで、75年間ハーバード大学で研究されてきた「人を幸せにするものは何か?」についての結論めいた内容によると、老年における幸福は健康と暖かな人間関係に強い相関関係があるのだとのことだ。お金やブランド品、車も家も黄泉の国へは持って行けない。今まで残してきた全ての物質的な物は無になると言うことだ。死ぬ間際に「私は幸せだった」と云えるには、今何をしたらいいのだろうか。
2015.05.06
コメント(0)
今朝は再度の タケノコ狩の為ウォーキングは中止した。前回先輩や友人と先輩の持つ竹山に行ったのは1ヶ月ほど前だった。今回は柳の下の2回目のドジョウをとの思いで行ったのだが、時既に遅しで、殆どのタケノコは既に竹になりかけていた。持って帰ったタケノコを直ぐさま解体したが、残念なことに殆どがゴミと化し、巨大なごみ袋が出来上がった。しかし、少ないが勿論食べられるものもあって、連れ合いは、機動力良く、直ぐさま茹で上げ、木の芽和えなどにして、タイミング良く帰阪していた姫に振る舞っていた。取れたてのタケノコは流石に美味しいと、姫も評価してくれたので、歩留まりの多いタケノコ狩りではあったが、早朝に出かけたことも無駄ではなかった。タケノコ狩りは、せめて4月半ばまでに終えるべしとは教訓である。夕方には湘南に帰る姫を送りがてら、高槻のえい参にて夕食を共にした。姫はほぼ全快した連れ合いの祝いと古稀の祝いを連れ合いに手渡していて、私もその相伴に預かることになった。***中国主導のアジアインフラ投資銀行(AIIB)がそろそろ動き出す。様々取り上げられているが、創設メンバーとして参加するのは、57ヵ国で、その後、台湾は1つの中国を原則に拘る中国と台湾の間で、共に原則は譲らないが、それはそれとして、中国は当初渋っていた台湾の参加を歓迎したようだ。参加を見送った国は、日本を含めアメリカ、カナダ、メキシコ、アルゼンチンといったところで、参加を拒否された国に北朝鮮がある。香港も微妙な立場だ。2015年3月になってイギリスが、G7(先進7カ国)で初の参加を駆け込むように表明したことによって、フランス・ドイツ・イタリアなどが雪崩を打ったように参加を表明した。現在既に同種の機能を持つアジア開発銀行(ADB)があるが、ここは、日本とアメリカが主導し、実際は日本がトップで運営している。それに対してこのAIIBは中国が中心となっている。名目は、既存のADBや世界銀行は貧困削減等民間レベルの問題解決に寄与し、AIIBはADBでは賄いきれなくなったアジアのインフラ整備の為のニーズに応える資金供給を行なおうというものだが、明らかに中国はアメリカと日本が主導するADBに対抗する意のままになる組織を希求していたのだ。当初、アジア地域に限定して、参加国もアジア地域に限られるであろうとの見方がされていたが、最終段階で、イギリスの参加表明は情勢を一変させた。最近のイギリスを見るとかつての栄光は既に無く、節操を欠くほどの変わり見の早さで、中国への接近を目論んでいる。アメリカの力が落ちた証であろうが、アメリカを始め日本も当惑している。日本やアメリカなどが懸念するのはガバナンスだ。中国政府が主導すると言うことから容易に類推されるのは、あの汚職の中国が、この組織を利用して何をしようとしているかが明らかだからだ。日本は、中国に対して、過去ODAの円借款などで、累計は3兆3165億円をつぎ込み、今も46億円が継続されている。これらの資金で、過去に、中国国内の空港・港湾、鉄道・交通網整備、発電所などの大型インフラ整備が整備され、中国の経済発展を所謂援助したのだが、その間、自らは新興国と言いながら経済大国第2位に躍り出て、そこで蓄えた資金はアフリカに於ける紐付き資源開発や、真珠の首飾りとして知られる、インド洋を取り巻く諸国の港湾開発などに使用している。勿論之は中国のこの地域での覇権を目論んでのことである。適当に設定した金利で、アジア諸国に金を貸し出し、払えなくなったらその投資物件を支配、占拠しようなどといったことが背景にあるのかも知れない。(要するに、世界に於けるサラ金のようなものだ)世に金を借りたら、借り手は貸し手に頭が上がらないというのが常識だが、それを実行しようとしているわけだ。中国は日本やアメリカの参加を待つという。AIIBの出資比率は国の経済規模(GDP)に比して按分されるからで、中国としては、日本や、アメリカの資金をベースに東南アジアでの覇権確立を目論んでいるという案配だ。他人の褌で相撲を取るとよく言われるが、日本のODA資金で、アフリカの鉱物資源を手に入れ、今度は、AIIBを通じて、アジア(インド洋)の覇権確立を計る、と言ったところが底意ではないだろうか。今後注目に値する。
2015.05.05
コメント(0)
今日は雨でウォーキングは中止した。長岡へバジル等の苗を買いに出かけた。連れ合いは、鉢やプランターで、家庭菜園の真似事をしようと張り切っている。夜、姫達が尾道から松山、倉敷の旅行を終え、一時帰阪した。***福岡伸一氏の「芸術と科学のあいだ」と言うコラムに『フェルメールの「聖女」、東京に』と言うのがあった。国立西洋美術館にフェルメールの作とされる「聖プラクセディス」が常設展示されるとのことで、押っ取り刀で美術館を訪れ鑑賞したとの話だ。こういう話は東京だからすぐ叶うわけで、大阪にいて不利を感じるときである。フェルメールはオランダの画家で、真作とされる総作品数は33~36点と作品数の少ない画家として知られ、わざわざその作品を追って鑑賞する人もいるようだし、彼を取り上げた本も多い。作品が少ないからと言うわけではないが、どの作品も考え抜かれた構図と、光の取り入れ方には秀逸さがある。もう6年も前のことだが、NHKのカルチャーセンターで、西洋画の講義を受けたが、その中でフェルメールの時間があったものの、この作品は紹介されなかった。真贋論争があったからなのか、個人所蔵で、門外不出という故だったかは分からない。この作品と他のフェルメールの作品に使われている顔料が一緒だったと言うことから今はフェルメールの手による22~23歳頃の作品と認められているようだ。(絵画のDNA鑑定というのだろうか、しかし顔料が一緒だからと言って、同時代なら同一顔料もあるのではないだろうかと勝手に訝る)この作品は、17世紀のイタリア人画家フェリーチェ・フィチェレッリの手による、古代ローマ時代の殉教者とキリスト教の聖人プラクセディスを描いた絵画の模写だと考えられていて、この両作品は何時も比較されて解説されているようだ。フェルメールの作品は、自分の身近な人物等を対象にしたものが多い中、この作品は模写だとされ、趣が異なる。彼が宗教に纏わる対象を絵画で残しているのは、「ディアンナとニンフ達」と「マルタとマリアの家のキリスト」くらいであるから、珍しい対象と言え、しかも他の画家の模写(何故に模写を試みたのだろうか)というのであれば、この1作しか無く、それ故に真贋論が醸し出されたのかも知れない。作品の内容は、聖人が殉教者(後ろに描かれている)の血を海綿で拭い取り、その海綿を絞って血を華美な器に注いでいる情景だが、フェリーチェ・フィチェレッリの作品と唯一違っているのは、フェルメールの作品の方にだけ胸元に十字架が描かれているという点だ。西洋人でも、キリスト教徒でもない私にとって、聖女が後ろに横たわっている処刑された殉教者の血を海綿にしみこませて、その血を高価そうな器に注ぎ込んでいるその内容の意味を全く理解することは出来ないが、侭こういった類の作品も目にすることから特別猟奇的ではないと言うことなのだろう。しかし、聖女がどういう意味でこの絵のような行為をしているのか正しい解説を聞きたいものだと思う。この作品が門外不出であった経緯については、去年の7月9日の新聞で、この作品がロンドンで競売に付され約11円億円 落札されたとの記事で知った。(落札者は明らかにされていないが、チャイナマネーだとも言われているようで、さもありなんと言う感じだ)競売に付したのは米医薬品大手ジョンソン・エンド・ジョンソン創業者の息子の妻であったバーバラ・ピアセッカ・ジョンソン氏の財団とのことで、この人は元々家政婦だったとか。たかだか絵画1点とは言え、様々な人と心を揺さぶるものだ。
2015.05.04
コメント(0)
今日のウォーキングは山崎駅から円明教寺口迄の往復だった。***ナショナルジオグラフィックにメコン川のダムの写真と建設を巡る問題について書かれていた。メコン川は東南アジアを流れる国際河川で、チベット高原に源流を発し、中国の雲南省を通り、ミャンマー・ラオス国境、タイ・ラオス国境、カンボジア・ベトナムを通る、およそ4200kmにわたる巨大な川で、ホーチミンで、南シナ海に注いでいる。ベトナムに旅行したときに河口でのクルーズで、その巨大さの一部に触れた。東南アジアで最長、アジア全体でも7番目に長い川で流域には数多くの支流があり、この水産資源豊富な川に関係して、6000万人が生活しているとのことだ。日本では、川は、都府県の境を成すことはあっても何れも一国内に納まっているので、治山治水に関しても管理がしやすいし、川の開発も上流から下流に掛けて一貫してみることが出来るが、メコンのような国際河川では様々な問題が生じる。その1つが、水力発電にかかわるものだ。メコン川の上流には既に中国によって建設された多くのダムがあり、さらに複数の水力発電ダムの建設計画が進んでいる。このため流域の農業や漁業はどうなっていくのか、住民の期待と不安が交錯する。カンボジアとラオスは食糧としてのメコン川の淡水魚は無くてはならないものだ。500種以上の魚が生息し、人口1人当たりの淡水魚の漁獲量が世界で最も多い。ダム建設による漁獲量の減少が懸念されている。一方では、この地域の政治情勢は比較的に安定しており、経済成長と、人口増加に伴って、今後の電力消費量は飛躍的な増大が見込まれ、国際エネルギー機関(IEA)が2013年に発表した分析結果では、今後20年間にこの地域の電力需要は8割増加すると予測され、電源開発の必要性は高まっている。そこで、地球温暖化の元凶となるCO2排出が少ない水力発電が最も有望だと言うことになる。上流部に位置する中国は、既に水力発電用のダムを7基も建設している。ここで発電された電力は、勿論中国南部沿岸の都市と工場地帯に供給されていて、下流の国々は、恩恵を受けるどころか、既に3万8000人余りが立ち退きを強いられたという。このダム建設で、川下のタイの小村では、ダム建造前のメコン川の水位の変化は自然なものだったが、ダムの建設に伴って、川下の水位は急激に変化することになった。ダム放流に当たっては、これら小村が冠水するおそれがあるため、中国政府は下流の国々に前もって警告することになっているが、約束を履行せずに随時ダムを留めたり解放したりするようになり、そのため川の水位が一気に変化して、村は冠水し、漁業もままならなくなっている。漁獲に頼っていた村の生活は一変することになる。このような村は下流域には多く存在し、今後のメコン流域開発後の激変を想起させる。中国はさらに5基のダムの建設を進めているし、最近では、下流のラオスとカンボジアでも、計画中か建設中の大規模なダムが11基あるとのことだ。流域の小村は、上流のダムの放流と下流のダム湖の堰き止めによる水位上昇の板挟みになって・・・、と水没の必然性をただ嘆くだけで、抗えないというわけだ。こんな状況下で、流域で生活する6000万人が影響を受けると推定されている。勿論、これらを調整するためにメコン川流域国間で首脳会議が開かれてはいるものの、ダム建設を巡る対立は一筋縄では納まらない。最近では、ラオスやタイが自国への電力供給で上流にダム建設を目論んでいて、ダムを巡る利害関係はさらに複雑さを増している。自然保護による食糧確保か、経済発展要請によるダム建設かメコン川流域住民の生活は川の水位のように激しく変化しているようだ。
2015.05.03
コメント(0)
今日のウォーキングは高浜堤から淀川看板迄を往復した。堤の途中が一部整備されて、河口から33kmという標柱が立てられていた。淀川の看板は丁度河口から29.8kmとなっている。何故もう200mずらして切りの良いところに建てなかったのか、何時も疑問に思うところだ。大雑把に言って往復6kmの堤散歩と言うことだ。夕刻、高校のバスケットボール部95周年記念誌発行の打合せがあった。わざわざ参集してくる人は、発行に協力的だが、如何せん広範囲の年代に亘って少人数で、対応することは不可能で、各学年の代表者を捜すことから始めなければならない状態だ。まだまだ、この会が順調に回り出したとまでは行かない。***来週から本格的に始まるという、NPT(核拡散防止条約)再検討会議を前にして、少しばかり不穏な状態になっていると言う。核兵器は世界的に削減の方向に向かっているはずだが、案外実情は異なっているようだ。世界的な条約というものは、包み隠しのない、且つ正直なものでないといけないのは、個人レベルの話と同じ事だ。ここで核兵器というのは1.大陸間弾道ミサイル(ICBM)、2.潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)それに3.爆撃機など戦略核の運搬手段を意味している。我々日本人は第二次大戦の終わりにアメリカによる広島と長崎での核爆弾の犠牲となった。終戦後は、米ソの冷たい戦争と呼ばれる時代を招聘し、ソ連も独自の核兵器開発を進め、1949年に原爆を持つに至った。その後もあわや核戦争勃発を懸念されるキューバ危機などが起こり、漸く両国間に核兵器を削減しようとの機運になった。そんな中1967年1月にアメリカとソ連の間でNPTが締結された。この時を境に以前から核を保有している国を核保有国と認める決定をしている。既得権という考えがこの時も採用されているわけでそもそもの核兵器の削減の歯止めにならない根源の現実がある。その後、核兵器保有国を増やさないこと核保有国から非保有国へ核兵器供与や製造援助を禁止する条約が拡大締結された。加盟国は米、ロ、英、仏、中の国連安全保障国や日本を含む190カ国が加盟している。(2015年3月現在)NPTは米ロ英仏中だけには核保有と新たな核開発を認めながら、非核保有国に核兵器の生産と保有を禁止しするという、基本的に差別的な条約であり、インド、パキスタン、イスラエル更には北朝鮮が未加盟である。(或意味筋が通っている)そんな状態を裏打ちするかの行為がロシアによって行われているとのことだ。NPTの成立する条件に核保有国に軍縮の誠実な追求を義務付けているが、之が履行されていないというのだ。NPTと並行するように、1991年米ロ間で、第一次戦略兵器削減条約(START 1)が結ばれ、米ソは保有する戦略核弾頭数の上限を6,000発、大陸間弾道ミサイル(ICBM)、潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)や爆撃機など戦略核の運搬手段の総計を1,600機に削減することとなった。その後、第二次(START 2)で2003年までに両国の核弾頭数を3,000~3,500発以下に削減すること、そして第三次(START 3)では核弾頭数を2,000~2,500発に削減すると漸減のシナリオだったが、START 2が実行されなかったこともあり頓挫した。その後仕切り直しで、新条約(新START)を結び戦略核弾頭数の上限を1550発、大陸間弾道ミサイル(ICBM)や爆撃機などの運搬手段は総数の上限を800として設定することとなった。こんな流れの中、アメリカは戦略核弾頭数を1688発(2014.9)→1642発(2015年1月)と漸減させるなか、同期間にロシアは1400発→1643発と逆に増加させているというものだ。ここに来て、ウクライナ問題や、中国の台頭などもあって、ロシアの変節が浮き彫りになってきたわけだ。NPT開催のこの期間中にどれほどの実効が上がるのか注目しなければならない。
2015.05.02
コメント(0)
早いもので、もう5月だ。今日もウォーキングは中止した。2泊3日のドライブ旅行も最終日になった。朝、最上階の露天風呂で、白山連峰を臨みながら湯に浸かる。ひときわ高い山は剣岳だ。同じくらいのでこぼこした山並みには、それぞれ固有の名前が付いているようだ。手前のビルが邪魔にはなるが、殆どの連峰は風呂から臨める。但し少し霞んでいる。朝1番の風呂も、5時を少し過ぎると何人かは入ってくる。贅沢この上ない感じだ。朝食には1番乗りを目指したが、既に前に2組いた。6時半からの朝食は、脱兎の如く7時には終え、シティーホテルだから長居の用はない。8時20分に出発する。大阪を出てから470km走っている勘定だ。ドライブ主体としてはまぁまぁの距離だ。昨日乗り損ねた環水公園の遊覧船(富岩水上ライン)に乗ることを決めていたので、環水公園に向かった。1番の船でも10時10分発なので、スターバックスで時間を潰すことにした。このスターバックスは、日本一どころか世界一の環境だとのことだ。富山もなかなかやるものだ。県民性は、金沢は我こそはと言うのに比べて、富山は万事に控えめだと連れ合いは話していた。船は環水公園(富山北)から運河を富山港の岩瀬迄のクルーズだ。船は3隻あるものの、大型のfuganは、土日・祝に限っての運航らしく我々が乗ったのは、岩瀬までなので、屋根にソーラーパネルを載せたsoraという電動の55名乗りの船だ。もう一隻は環水公園内を周遊するだけの11名乗りのもみじと言う小型船もある。運河を下っていくのだが、河口に出るためにライフジャケットを着用させられた。乗組員は船長とは他に2名で、全て県の職員のようだ。案内は何度もやっている割には、とちりとちりだがそれだけに余計に親しみがこもる。運河は水害に悩んだ当時の神通川の流れを変えるために造られたと言うもので、神通川に沿って掘られている。幅は50mと結構ゆったりとしていて、護岸は散策路になっている。なんと言っても売りの1つは運河のほぼ中間地点、中島にある閘門だ。パナマ運河と同様水位差を調整して船を上下させる水のエレベーターと言ったところだ。標高2.7mの運河から、高低差2.5mの閘門を使って富山湾の平均水位(0.2m)まで降ろすというわけだ。何やら日本で閘門を有する運河はここだけだという。貴重な経験だ。一寸得した気分で、水のエレベーターを体験したが、船内では、赤ちゃんが、怖がってか泣き続けていた。件のガイドさんは、下船時のお母さんに「大変だね」と優しく声を掛けていたのもまた良かった。河口付近で、富山化学の工場に差し掛かり世界に先駆けてエボラ出血熱に効く薬を開発したとの県の宣伝を兼ねて紹介があった。右側には海上輸送で活躍した住友運河や、岩瀬運河が残されている。河口に出ると、右手に新日本海重工のドライドック2基が見られた。私はここには来なかったが、建造ドックを持つ造船所(当時)として名前は知っていた。ドックは、一朝一夕に造ることは叶わないので、造船から撤退した今でも、保全しているとのことだ。造船という名が日本から段々と消えていくのは寂しいことである。ガイドさんによると、蜃気楼が見られるとのことだったが、時間帯があるのか我々は見ることが出来なかった。1時間のクルーズを終えて岩瀬に着いた。おみやげ物を少し買って、早速帰りのライトレール乗り場に向かった。少し離れた場所から富山ライトレールが富山駅まで繋がっている。お洒落な2両連結の第3セクター路線である。連れ合いは、クルーズといい、ライトレール乗車といい、予定していなかったが、良い経験が出来たとご満悦であった。このライトレールの乗車賃は、200円だそうだが、往路の水上クルーズには帰りの運賃も含まれているとのことだ。13駅ほどの一方の終点が富山駅北口で、連れ合いは終点まで乗り、私は、1つ手前のインテック本社前で降りて、歩いて環水公園に戻り、駐めてあった車で富山駅に向かうとの方法を採った。連れ合いによると富山駅の北から南へ抜けるのは結構距離があったとのことだ。南口で待ち受けたが、ロータリー辺りはまだ工事中でもあり、一般車両は中にはいることは出来なかった。仕方なく、駅前通で待っていたが、すぐにお巡りがやってきて、ここは駐停車禁止ですとのことだ。何とも不親切だが仕方ない。1ブロック先まで車を移動して、待つことになった。合流後、ます鮨の工場(源ミュージアム)があるというので、南下して、富山ICを越えて、そこで昼食を採った。13:40に源を出発、帰路に就いた。一気に北陸自動車道から名神と途中また、賤ヶ岳で15分ほど休憩して、17:40陽のある内に帰宅した。総行程818km、消費ガソリン41L、約20km/Lとハイブリッド車の威力を感じた。
2015.05.01
コメント(0)
全31件 (31件中 1-31件目)
1