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今日は連れ合いと2人だけで、ゴルフラウンドした。ウォーキングはゴルフで代用だ。場所はれいせんGCだ。れいせんでは、10日に友人等夫妻との8人会があるので、そのための試運転と言うこともある。連れ合いとは、この間、事故後初めて、瀬田西でラウンドしてみたが、瀬田西の場合は、カートでフェアウェイに乗り込むことが出来たので、楽だったが、実際に歩いたら(カート道とボールまでの行き来)どうなるのかは、未知数であった。結果はほぼ大丈夫との確信が持てたようだ。それでも、坂道の下りや、特に下りの階段では、一寸脚に響くようで、慎重に下っていた。考えてみれば、昨年5月にラウンドしてから1年半余のブランクの後だ。手術を担当して貰った医者にも、ゴルフが出来るまでに回復したいとは言っていたのが、やっと実現するわけで、感無量である。8:52インスタートとのことで、着いてから身体をならす必要もありと、少し早めの7時前に出発した。久しぶりに2人で走る山道だ。れいせんに着くと、何やら駐車場に車が少ない。受付で聞くと昨日と打って変わってガラガラのようだ。我々にとっては好都合だ。最近はネットで予約を取るのだが、そう言えば、私が申し込んだ時には、昼食付き、7650円(税込み)であり、2サムは1人1080円の追加料金が要るとのことになっていた。ところが、今日のような不入りが予想されたのだろう、プレー日の1週間前から2度に亘って、総額6570円(税込み)でしかも2サム割増無しというのが出ていた。差額は1080円と割増の1080円の2160円も安い設定だ。それは無いだろうと受付で言ってみると、2サム割増だけは免除してくれた。言ってみるものだ。さて、練習場に出ると、流石に空いていて、掛りの男性も暇そうだ。今日は、アウトからの途中には雲海が見えるとかで、決まっていたインからをアウトからのスタートに変えてもらった。前の組も、後ろの組も2人でのんびりやっていた。褒められたことではないが、我々も(連れ合いは特に)ホール毎に練習球を打っては、進んでいった。No.1ではアプローチをチョロした。No.2ではアプローチをバンカーに入れ、一寸叩いた。No.3ではティーショットが好調で、2打でGRカラーまで行き、寄せ1のパーだった。このホールは連れ合いも、なかなか良いティーショットだった。No.4ではアプローチでチョロし、また3パットをしてしまった。ここも連れ合いは良いティーショットだった。No.5長目のショートは、カラーに落ち、寄せてパーを拾った。試しのティーショット2回目はオンした。連れ合いは、乗らなかったが、なかなか良い。No.6は3オン成らずだったが、もう少しだ。連れ合いは3パットだった。ここからNo.7に向かうところで、雲海が綺麗に見えた。この時間まで雲海が残るのは今まで経験がなかった。此所の売りらしく、予約の案内にも書いてあった。しかし、問題のNo.7だ、右ドッグレッグの何時もOBする危険ホールだ。案の定、ティーショットは右谷底へ。プレ4には行かず、打ち直し(3打)て、良いコースだったが私の力ではドッグレッグをかわせない。木の間を狙った4打目をまた谷へ。打ち直し(6打)て、今度は巧く木の間を抜け向こうのFWへ。しかし、アプローチでGRを越し、8つでオンし、10打としてしまった。プレ4ならせめて8打だったかな?連れ合いは3パットながらトリプルで納めた。No.8の超ショートは、共に、3パットのボギーだった。ここは短いが侮れない。最後のNo.9は1回目のティーショット(土手)は無かったことにして、良いティーショットを取り、2打目はその分チョロした。3打で池を越え、4つで乗らずのダボだった。連れ合いは、途中の池に捕まっていた。40分ほどの休憩で、インに回る。ティーショットは相変わらず、左だが、やっとFWに残っていた。2打、3打は良く、4打は品がないゴロながらピン傍に乗り、パーを拾った。連れ合いも良い球を繋いで、ボギーだ。次の狭いNo.11はバンカーに入れ、また2人とも共に3パットで、ダボとトリプルだ。No.12ショートは、1オンのパー。連れ合いは、1オンながら3パットのボギーだ。No.13はボギーで、No.14は右FWバンカーに入れたが、脱出が超美技で、バギーで納まる。No.15もパーフェクトではないが、3オンのボギー。No.16は左のラフだったが、その後良い当たりで、4つでオンし、ボギーとした。一方、No.14辺りから連れ合いに疲れが見え始め、体を揺すってのショットは、巧く当たらない。パターもノーコンになり、GR上で、何度もパターのレッスンをした。NO.17は池越えで、ドライバーでもやや届かない。連れ合いは池に入れたが、そこからだと、距離的にバフィーでも行けそうだ。ボギーだったが、連れ合いは、特設からでいいとこ取りのダボ。最終No.18はティーショットも、2打も良かった。アプローチもまずまずながら2パットを要した。連れ合いは、完全に疲れたようだ。帰りに誕生月のチケットを利用して高槻サンマルクで夕食を食べて帰った。まぁ、10日には、何とか回れるだろうとの認識を持った。
2015.11.30
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今日のウォーキングは檜尾川橋から愛仁会を越え摂津富田迄歩いて帰りはJRに乗った。***1ヶ月前、シナイ半島でロシア機が墜落した事故がテロによる仕業だとプーチン大統領がやっと認めるまでに、半月以上掛かった。一方で、事故の前日には、ダマスカスで、アサド政府軍が自国市民をミサイル攻撃して40人を殺戮している。その後も、レバノンでヒズボラが自爆事件を起こし、そしてイスラム国(IS)はパリで同時多発テロを起こした。何が政府で、何がテロ集団で、そのテロ集団も互いにどう云った関係なのか、そして、それらと、ロシア、エジプトはどう関わっているのか、一筋縄では理解も解決の糸口も見つからないような複雑な状況だ。こういった事件の中、プーチン大統領は、テロが我が身にも降りかかることをやっと認めた形で、「我々は、テロリストがどこに隠れようと、どこでも追いかける。地球上のどんな場所でも見つけ出し、処罰する」と宣言した。やがて、今回のテロ被害の当事国フランス、そしてアメリカ、それにロシアが相次いでシリアへの空爆に踏み切った。ISもついに虎の尾を踏んだのかと思い、将来のシリアの姿への思惑は一旦置くとして、取り敢えずテロ撲滅と言う方向で世界が一致したと思われ、やがてはISも滅びるかとの期待が持たれた。そんな矢先、トルコがロシア機を領空侵犯で、撃ち落とすという事態になった。またしても、対テロの戦いで、足並みの乱れを感じさせる事件だ。ロシアは、領空侵犯など無いうえ、トルコが、ISと石油の裏取引(IS支配地域の石油の裏買い取り)をしていると非難する。一方のトルコは、事実無根であり、撃墜は、ロシア機に再三警告を発した挙げ句だと、水掛け論を展開している。ISに取っては思うつぼかも知れない。一体ISがテロ集団で、アサド政権は正統なのかと見ていると、冒頭の事件のが示すように、とてもそんな風には見えず、たまたま狂気の男が政権を担っていると言う感じだ。その結果、自国での混沌とした毎日、命の危険に曝されたシリアを脱出する難民が後を絶たない。勿論難民の中にテロリストが潜入してなりすますことは充分に考えられる。しかし殆どの難民は、アサド政権の狂気とそれを上回るIS、さらにはIS討伐を掲げた西欧諸国やロシアなどの空爆から逃れようと必死である。ドイツは、ナチの迫害の反省から、難民に対して寛大且つ好意的である。当然の帰結として、難民は安全と、将来の安定を求めてドイツに向かう。しかし、難民全員をドイツが引き受けるわけにはいかない。またドイツへ行くには、イスラム教徒の定住を望まない国(ハンガリー、チェコ、スロバキア、ルーマニア)を通らなければならない。これらの国は、EUという括りに入っているために、ドイツが主導するEU各国に難民を割り当てるという一方的な決定に従わされる事にもなる。地政学的には、ドイツはこれら、イスラム難民を余り快く思っていない(ドイツのような、贖罪意識がない)国によって守られている形だ。シェンゲン協定があって、一旦EU域内に入った難民は、パスポートや身分の誰何無しに自由に域内を動くことが出来る建前だが、一方では、難民受け入れの条件として、難民の保護は最初に到着した国が責任を負うというダブリン協定で縛られるわけで、ドイツへの入り口のこれらの国は、相応の負担が重くのし掛かると言うことになる。EU域内の支援金の発動も時宜を得ない傾向にある。EUでも経済的にはドイツひとりが勝ち組のような状態では、EU域外の国と接している国々への負担は、実際問題として、国の存亡にも関わることだ。下手をするとEU自体の存亡にも関わることにも成りかねない。難民対策は、喫緊の課題であるし、日本にとって、何時までも遠い世界の話とは言えない事にもなるだろう。異民族との混在になれていない日本が、難民に対して、どのように対応するかについて、実際のケース(現に申請があるものに対して)等を元に、具体的な対応策を備えておくことが必要になるだろう。しかし、何はさておき、難民を発生させている根本を絶つ事、即ち、シリアをどうするのか、ISを壊滅させるにはどのようにするべきかを、世界が1つになって考え、行動することが肝要だろう。
2015.11.29
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今日のウォーキングは水無瀬の堤から河川敷を通り大山崎IC橋に出て、更に進み、ダイハツ工場の横から長岡京に抜けた。帰りはJRに乗った。夕方から籠友会(高校バスケットボール部OB・OG会)の会計引継のために高校に出かけた。長い歴史を誇る高校だが、現役支援のための会費の徴収がなかなか思うに任せない。ユニオンショップ制ではないが、バスケットボール部に在籍した人は基本的に籠友会員になると言うことになっている。そんなわけで、該当会員数は優に1000人を超えているので、OB・OG会員相互の親睦などと言ったことは、なかなか思うに任せない。取り敢えず、再興(元々は親籠会というOB会があった)を期に、現役支援を謳い、殆ど寄付的感覚の会費運用である。しかし、そんな名目の会費故に、なかなか集まらない。今までに支援のために会費を納入してくれた人は、僅かに170名程度だ。2割に充たないのを、良しとするかどうかだが、諸事を考えると、少し少ないような気もしている。もう少しきめの細かい活動をすれば、会費納入も弾むのだがと思いつつ、今日至っている。会長の先輩を初め、私も老齢化しているので、後継にバトンタッチをと言うことなのだが、なかなかなり手は居なく、居ても定年を過ぎた後輩でしかない。高校自体の卒業生の会は、かなり組織だって行われているようだが、余り強くもない1運動部のOB会ともなると、盛り上がりに欠けるわけだ。OB・OG会の案内や、報告など、結構時間を要するが、基本は、高校の体育担当(バスケット顧問)の先生に負うところが大きい。幸い現在の顧問の先生は、真面目に取り組んでいただいているので、現役の活動報告や、経過報告など、まめに作成してくれている。もし、現在の顧問の先生が、退職(実質的に)されたら、おそらく、この会の運営は、難しくなるだろう。個人のパーソナリティーに依るところが大なのである。会の構成員であるクラブ経験者は、進学校を標榜しているだけに、年代とに依って、入部生の偶然の資質のみに頼るわけで、強かったり弱かったりと濃淡が大きい。強豪の伝統を持つ私学なら嫌でも多くの人材が集まるのだろうが、何となくクラブに入った者とか、一生懸命練習に励んでもなかなか上達しない者とかが殆どで、卒業してまで、クラブ(しかもバスケットボールのような若い時にしかできない)スポーツに対して、それほどの郷愁があるわけではないようだ。私の場合は、良き仲間に恵まれたことと、良き指導者に恵まれたことなどから、現在世話をすることになっているが、もしそうでなかったら、おそらく無関心であっただろう。最初の内は、知り合いに声を掛けたりしていたが、概ね否定的な返事しか帰ってこなかったので、私自身も力こぶが入るような気分ではない。学校から遠く離れたところ(東京など)に住んでいたら、今更、バスケットボールでもあるまいと言うのが正直なところかも知れない。様々な思いはあるものの今日は引継が出来て、安堵しているところだが、これが代々引き継がれる、システムを構築することが必須であろう。帰りの車の中で、先輩と話しながら帰宅したが、OB・OG会といって、何とかやきもきしているのは70歳を越えた老人達で、コートで元気良く走り回っているのは、孫と言っても良いくらいの2世代後の生徒達だ。世代を万遍なく繋げる手立てはないものだろうか。歎異抄39 子弟教育の要訣弟子を教うるには、閏女を養うが如くす。最も出入を厳しくし、交遊を謹しむを要す。若し一たび匪人(ひじん)に接近せば、是れ清浄の田中(でんちゅう)に一の不浄の種子を下すなり。便(すなわ)ち終身、嘉禾(かが)を植え難し。〔訳文〕 若者を教育する時は、ちょうど箱入り娘を養育するのと同じようにすべきである。その出入りを厳重に監督して、交際する友人にも注意することが最も大切である。もし、いったんよからぬ者に近づいたなら、それは清らかな田地に一個の不浄な種をまくように、若者も悪風に染まってしまう。そのようなことをしたら、その後ずっとよい苗を植えられなくなるように、若者も善に導くことはできなくなる。40 欲望に流されず、道理を守って欲路上(よくろじょう)の事は、其の便を楽しみて、姑(しばら)くも染指(せんし)を為すこと毋(なか)れ。一たび染指せば、便(すなわ)ち深く万仭(ばんじん)に入らん。理路上(りろじよう)の事は、其の難を憚りて、梢(わず)かも退歩を為すこと母れ。一たび退歩せば、便ち遠く千山を隔てん。〔訳文〕欲望上のことは、そのことが手軽に楽しいからといって、かりそめにそれに食指を動かしてはいけない。一度食指を動かしたなら、その昧を覚えてしまってそれに溺れ、ついには深く底しれない欲望の谷に落ちこんでしまうだろう。これに対して、道理上のことは、そのことがむずかしいからといってためらい、ほんの少しでも後(しり)ごみなどしてはいけない。一度後ごみしてしまうと、ついに道理はたくさんの山々をもへだてるような遠くに行き、手が届かなくなってしまうであろう。
2015.11.28
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今日のウォーキングは高浜堤から、久しぶりに前島CC(クリーンセンター)迄歩いて折り返した。だいぶ寒くなってきたが、まだまだ寒さは之からだろう。今日は満月(月齢は15.4)で辺り全体が、ほんのりと明るく、寒さもあり、身が引き締まるようだ。前島CCに着く頃やっと空は白み始めた。帰り道で、完全に日の出を迎えても、満月は西の空で暫し頑張っていた。予定通りなら、姉は今日、ゴルフの予定だったが、カートを乗り入れることが出来ないとかで、やむなく中止になったようだ。代替にしてはおこがましいが、連れ合いと姉は、天王山の練習場で、クラブを振った。***鹿島建設が多重下請けを見直しするようだ。引き金になったのは、勿論傾斜マンション問題だ。鹿島やその他の大手ゼネコン(他に大成、清水、大林、竹中)は、今まで、多重下請け構造が常態化して、設計部門や、研究開発部門を持つが、施工に関しては、実働部隊は、ほぼ下請けで成り立っているようなものだ。設計や研究部門がなければ、悪く言えば、芸者の置屋の女将みたいなものだ。建設業界では、受注が決まり、全体の計画やスケジュールを決めると後の実施工は、下請けに丸投げするのが常識的な(それが当然)やり方である。外注先は、親会社の系列によって、ほぼ固定化されてはいるが、表向きは流動的で、且つ親と子の資本関係はないのが普通だ。ゼネコンの意味は、正式には総合請負業者(General contractor)なのか総合建設業者(General constructor)なのか意見の分かれるところだが、前者の色合いが濃く、建設の施工そのものについては多様な業者をスーパーバイズしたり、調整したりといった元締め的な役割を果たしているわけだ。細分化された業種を1つの方向にまとめ上げていくのが大きな仕事になるわけで、勿論製造工場(鉄骨などの製作を含め)を持たない。そこが製造業でない所以だが、物を作るということは、多くの部材(部品)を1つに集約して、それが全体として機能を発揮することなのだが、建設業界では少しニュアンスが違うようだ。殆どの業種はこれらの部材を自社で製作するか、工場内で作業する、専属の下請け業者で製作するわけだが、一部、スペックを示して、それに適合する製品を納入できる業者に外注して製品に組み込む。建設会社は、その全てを外注していると考えれば理解が早い。しかし、製品(建造物)としてのパフォーマンス(品質)は元請けが負うというわけだ。出来上がったマンションや、建造物は元で受注した大手(とは限らない)ゼネコンが建てたものだとなるわけだ。今回のような杭打ち工事は、親会社のゼネコンから中小の建設会社にそれこそ丸投げした後、その1次下請けが、様々な業種に請け負わせるわけだ。今回の場合は、三井不動産がマンションを販売する目的で、三井住友建設に施工を発注し、三井建設はその実施工を旭建材に丸投げ、旭建材が、杭打ち工事を、ジャパンパイルに任せというわけだ。そしてジャパンパイルは、短い杭を打って岩盤に到達していなかったものや、計測が出来なかった箇所のくい打ち成績を他の健全に施工された部分の物を流用するなど、正にやりたい放題だったわけだ。一体何処に責任があるのか、追求していく内に杭打ちに関しては、ほぼ全国的に、且つどの杭打ち会社もデーター偽装はあるのだという事が明らかになりつつある。まぁ、これが建設業界の実態というわけだ。そこで、之では、如何にも寂しいことだと思って行動したのが鹿島と言うことなのだ。でも、この程度の変更では実態が変わるわけでもないだろう。データーの流用が即ちマンションの傾斜に結びつくかどうかは分からない。少なくとも、同様のデーター改ざんが他でもあるのに、傾斜や不具合などについての報告はないようだ。安全率の中で納まる範囲だったのだろう。実際に是非が問われるのは、巨大地震などが襲ってきた場合であり、通常の生活では、殆ど影響はないと思われる。それ故の手抜き、改ざんなのであろうが、似たような誤魔化しは、随所にあるようで、何時顕在化するかは誰にも分からないということになる。しかし横浜のマンションは、住民には可愛そうだが、よくぞ傾いたと言うことかも知れない。天網恢々疎にして漏らさずとはこういう事を言うのかも知れない。誤魔化しや虚偽は、いつかは露見するというのが教訓になればいいのだが・・・。
2015.11.27
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今日は第118回摂津会ゴルフコンペだ。ウォーキングは之で代用できる。今年はあと1回を残すのみとなった。118回も続いているのに改めて感心する。その内、私が参加し始めて既に71回(途中1回休んだだけだ)だ。これだけゴルフをしているのだから、さぞかし上達していると思いたいが、それが全く進歩がない。我流で初め、途中誰からも正式なレッスンを受けたことがないので、どうすればどうなるのかと言った基本的なことがないわけだ。因みにゴルフ歴はと問われると、おそらく40年くらいになるのではないだろうか。若い頃は、バスケットボールに打ち興じていたため、さしたる記憶はないものの、何処かのDIY店(今ならさしずめコーナンと言うところか)でパーシモンのハーフセット(アイアンは文字通り鉄製だ)を手に入れたのが始まりだ。近くのドライバーは使用不可という河川敷やミニコースで、チョロチョロ遊んでいた記憶がある。転勤その他もあって、やっては休み、やっては休みの繰り返しで、少し慣れたらまた放置というゴルフ歴だ。それでも巧くなる人は巧くなっているようなので、根が素質が無いと言うことなのだろう。先ず以て、やり始めの頃にはティーショットが当たるだろうかと、そればかりを考えていた頃を思い出す。それさえ済めば、後は成績がどうあろうと、悔しいとか、もっとスコアアップとか言ったことは考えなかったようだ。俗に「握る」と言うことを良く聞くが、仲間内で、簡単な賭をしているのを聞いたことがある。そんなレベルにはとてもついて行けず、尻込みしていたわけで、度胸などと言うものもない。岡山や、玉野でのゴルフ会も、摂津会ほど続くコンペはなく、付き合い程度での参加なので、結果は推して知るべしだった。しかし、多少上位を等と考えたこともあって、集中的に練習(之も我流)した記憶もある。千葉に転勤してからは、何やかやで、30回程度ラウンドしたようだが、何れも、ゴルフ明けの19番ホール(飲む)の楽しみの方が強かったかも知れない。当然成績が良かろう筈もない。その後ジンバブウェで、良いコース(ロイヤルハラレ)で何回かラウンドしたが、この記録は残っていない。只1回日本人会に於けるマッチプレーで優勝した記念のトロフィーがある。(勿論ハンディー込みのコンペだった)6橋のドネーションが終わった記念ゴルフで、第2の都市ムタレのコースで、山の麓を回り、最後の池越えショートは、どう頑張っても届かない記憶がある。それから10年以上のブランクの後、ドバイ(モンゴメリー)でラウンドした時に、でかいヘッドのドライバーに、「へぇーこんなのがあるのか」と驚いたものだった。仕事を終えて、コースにカートを自在に乗り入れて、18番の夕陽に向かって打つ池越えホールでは、何時も感激していたものだ。何回か池に落としたことは言うまでもない。それから2年後の2008年頃から、連れ合いや、姉とのお遊びラウンドをしながら、現在の摂津会や、同期の連中との九人会に参加させて貰ったわけだ。これらのゴルフを通暁して、スコアは平均値で100を下回っていないというわけだ。勿論始めた頃のスコアの勘定できないくらいの時も含んでのことだが、最近では100こそ切れる時もあるが、確実に切れると言うこともない。(何かも間違いかも知れないが、2回だけ90を切った記録があるが多分お遊びの時だ)負け惜しみではないが、握ったり、好スコアで上がることに汲々するよりも、ゴルフ場の雰囲気を楽しむという方が強かったかも知れない。とは言え、ジンバブウェでのゴルフ頃までは、ティーショットが巧く当たってくれればいいと願うゴルフでしかなかったわけだが。ところで、本日のゴルフ結果を何故書かないかについては、それ相当の理由があるわけだ。こういった過去の全成績の平均値よりも悪かったのだ。最近更に悪かった日があることも経験している。年齢が増せばそれなりに衰えてくることは頷けるが、諸先輩を見る限りまだまだ衰えない人が居ることも多く知っている。今回のコンペでは、何と、当初に経験したと同様、ティーショットがまともに当たらないのだ。まともに当たったのは、アウト、イン各々3回ずつだ。之では、コースに出ることも憚られると言った気分だ。通常こんな時はアイアンが良いとか、アプローチでカバーとか、はたまた、パターがよいとか、バランスが取れるものだが、その何れも良いところはなく低迷してしまった。最早、ゴルフを楽しむどころか、ゴルフ後の談笑にさえ加わりたくないといった心境になってしまった。本日のラウンドで唯一気分が良かったのは、2番ホールでの10m近い、右に傾斜のスライスラインを決めたパターであった。こんな事があるから、またこの次もゴルフを使用かとの思いになるのかも知れない。このパターの奇跡をその後に繋げなかった今日は一体何だったんだろう。
2015.11.26
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今日のウォーキングは山崎駅下を通り、西山天王山駅で引き返した。小学校の放課後学習会に参加した。今日もアドバイザーは3人だった。児童の欠席は1人で、学習会は温和しく、ほぼ理想的に進んだ。音読で、男子児童2人と、女子児童1人の指名を受けた (聞いて下さいと言われた) 。国語では、未来の「未」と末席の「末」の違いを指摘したほか、算数では、文章問題で、「正方形の周りの長さが32cmのときの正方形の面積を求めなさい」という問題は、少し入り組んでいるのか、出来る子が少ないようだと感じた。***トルコ軍がロシア軍機を撃墜した。トルコは自国領空を侵犯したと言い、ロシアは之を否定している。イスラム国殲滅に向かって、紛いなりにもベクトルが同じ方向を向く気配の中、またしてもややこしいことになったものだ。今後の展開が懸念される。空の上のことだから、実際はどうだったのか、写真判定をするわけにも行かず、真偽の程は両国の主張を客観的に判断する必要があるが、おそらくどちらどうと一方的に断定することは難しいだろう。トルコの主張は「シリア国境付近で、ロシア軍機が5分間にわたって領空を侵犯したので、10回の警告を発した後撃墜した」というわけだ。この時トルコは撃墜した戦闘機の所属国は不明だったとしている。また、ロシア機は撃墜される前、シリアのトルコ系少数民族トルクメン人の居住地域(トルコは之を保護する立場)を爆撃していたという。トルコにとってみれば、シリア国内とはいえ、自国民系の人が(反政府勢力)爆撃されるのは許せないことだ。一方のロシアは、ロシア軍機は「シリア領内を飛行していて、領空侵犯はしていない」と主張している。ロシア軍機のパイロット2人はパラシュートで脱出したようだが、その内の1人は、死亡したかも知れないという情報もある。そして、プーチンはトルコがIS国の資金源である石油や石油製品の密売に関わっているとの見方を表明したというのだ。また、ロシアがシリアの空爆に加わった9月末以降では、ロシア軍機によるトルコの領空侵犯が何度も起きているとの報道もあるので、一寸聞いた範囲では、ロシア軍機の越境は間違いなさそうだ。しかし、黒を白と言いくるめるプーチンだからそのまま引き下がるはずもない。ロシアと、トルコの間で、表面化はしたが、元々ロシアはシリアのアサド政権擁護で、IS国空爆の名のもと、反政府勢力を空爆する事を行ってきた訳で、方やのトルコはアメリカと同様に反アサド政権側に肩入れするという中での事件と言うことになる。こんな伏線の中での撃墜事件だけに、単なる領空侵犯という問題だけでは解決しないようだ。さらに、トルコはIS国の掃討よりも、むしろアサド政権を支援するイランや、エルドアン政権と対立するクルド人の勢力をそぐことに主眼を置いているという国内事情がある。このまま国際的にIS国殲滅でアメリカとロシアが同調すれば、アメリカは、ロシアに譲歩して、暫定的にアサド容認と言うことも考えられるから、この期にアサド政権の存続の是非を巡る問題を俎上に復活させる狙いがあるとも言われている。プーチンは親ロシアのアサド政権の処遇について、トルコと話し合ったばかりであり、更には、ロシアからトルコ経由で欧州に天然ガスを送るパイプライン構想についても今後発展的に協議しようとしていた矢先だ。ロシアは、政治の常套手段である、相手国を正当な行為(この場合は、世界的なガンであるIS国を倒すという点)を妨げているのは、トルコがIS国打倒を掲げながら、実はISの主要な資金源である石油密輸のルートになっているとの言い分を持ち出し、自国世論のバックアップと、世界の声を味方に付けようと画策しているようだ。予想されていたとも言える今回の撃墜事件だが、プーチンの読みと、エルドアンの読みのどちらが的を射るだろうか。IS国にとっては、「どんどんもめろ」というところではないだろうか。
2015.11.25
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今日のウォーキングは高浜堤から堤終点を折り返した。風呂場や洗面所の電灯を交換した。朽ちていた風呂場の電灯カバーもリニューアルされ、いくらか明るくなって気持ちが良い。昼から、姉を誘い、連れ合いを伴って、ゴルフの打ち放し練習に出かけた。風邪が強く、少し寒いくらいだったが、2時間程度で引き上げた。今日の練習は良い感じを残せたようだ。***アメリカの大手製薬会社ファイザーがアイルランドに籍を置くアラガンと合併するという記事が出ていた。所謂M&A(mergers and acquisitions:合併と買収)というものだ。新聞紙上ではよく見聞きすることで、最近は特に大型案件が多いようだ。その動機と目的と言えば、日本の場合「国際競争力のアップ」「国内市場競争力強化」「破綻企業再生」と言った3つの場合が殆どだという。中小企業では、「後継者問題」や「事業の将来性の不安」の2つの動機が多いと言われている。オーナー社長が立ち上げた会社は、ゆくゆくは、株式を公開(株式上場)して、広く資金を集めることが次のステップとして考えられるが、中途半端な状態では、オーナー社長の後継が育たないとか、後継者に器量がないとかで、清算・廃業を余儀なくされることも考えられる。そんな、上場も出来かね、更には精算・廃業も忍びないという場合に、浮かび上がるのが、何処かの会社に身売りするといった選択肢である。M&Aにそんなイメージを持っていたのだが、最近の大型物件では、必ずしもそんなカテゴリーでは片付けられないようだ。買収企業が、被買収企業を完全に支配下に置いて買収企業が存続会社として残り、被買収企業が消滅するのが合併(merger)と呼ばれる形態で、それよりは多少ニュアンスの緩いもので、買収会社が過半数の株式取得を通じ被買収企業の支配権を獲得するのが買収(acquisition)とよばれる。俗に対等合併とか呼ばれても、株式の持ち方で、どちらが優位であるとか、株式の評価額に差が付くような合併は日常的に行われる。最近の傾向はM&Aを通じて、業界再編成を目論んだり、競争力の強化等を目的に、両者の強みを引き出して、業界シェアを拡大したりするといった形態を取るものが多い。今回の、ファイザーのアラガン買収は、並みのM&Aではなく、買収総額が1600億ドル(約19兆7000億円)と言うからとてつもない巨大なものだ。過去に之を越えた合併は、AOLによるタイム・ワーナーの合併で、1647.5億ドルというものだった。今回の合併後は、売上高が556億ドルとなって、製薬会社では世界最大となる。巨大に見えても、製薬会社特有の特許期限切れが相次いで見込まれ、後発医薬品メーカーの台頭が激しくなってきたので、自社の努力での市場拡充は望めないとの見通しの合併のようだ。ファイザーは之までも大型のM&Aを経て、会社規模を拡大させてきた。こうなってくると会社というのは一体何なんだろうという感じだ。一般の従業員には、合併による人減らしの可能性があるし、日本のような会社への帰属意識は薄れていくだろう。そんなドライな一面を持つ合併なのだがこの合併には、もう1つ裏があるという。アメリカの課税基準は高く、法人税率は35%と先進国中でも高位に属しているという。そこでアラガンと合併して、アラガンが本社を置くアイルランドに本社の機構を移転しようというものだ。アイルランドの法人税率は、低く、12.5%とアメリカの半分以下だというわけだ。アメリカの本拠地をアイルランドに移すだけで、年間約20億ドルの節税効果になると言うから、むべ成るかなだ。このため、外見上は、アイルランドのアラガンが、ファイザーを合併するといった形式を取ると言うから、念が入っている。勿論逃げようとされているアメリカ政府が、之をそのまま看過することは出来ないと、対抗手段を採ると言っているようだ。さてこの先ファイザー+アラガンの新会社はどう云ったことになるのだろうか。経済界のこと(まして経営のことなど)分からない世界に生きてきた身としては、こういったM&Aが働く人達にとって、どう云った影響が起こるのかが関心のあるところだ。
2015.11.24
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今日のウォーキングはいつもより少し脚を延ばして、西国街道を、山崎駅下から長岡京駅を越え、阪急の西向日を更に越して、JRの向日町迄歩いて列車で帰宅した。今日もまた、連れ合いの親しい友人との食事に付き合った。連れ合いは、連日の同窓会で、大忙しの毎日である。***このところの原油安は、当分の間続きそうだ。アベノミクスがどうあれ、一般庶民は消費材が値下がりすることを憂う気持はない。その中でも、ガソリンが安くなることは大歓迎だ。ガソリンの値下げは、取りも直さず原油の値下がりが続いているからで、若干の遅れはあるものの、原油が下がれば、ガソリンは下がる。その原油の価格が低いままの状態が続いている。(とは言うものの20世紀末の値段の倍ではある)石油輸出機構(OPEC)が減産を見送って1年が経つ。原油が経済の根幹であり、死活問題である、中東諸国(特にサウジやUAE)はこの期にも原油の減産(高値誘導に)に切り替わることはしないようだ。エネルギー源が、原油だけというなら、もう少し話は簡単だろうが、アメリカにシェールガスが出たために、原油の高騰は、シェールガスなどへのシフト(シェアの移行)を考慮すれば、安易に減産し、高騰することを避けなければならないという思いが根底にある。元々石油しかないサウジにとっては、原油が競争力を失うと言うことの方が問題なわけだ。一昔前には、原油はやがて枯渇すると言われ、後何年で、原油の時代は終わるなどと言っていたが、今ではその事を唱える人は居ないくらいだ。今まで採掘不能とかコストが高いといった状態だったシェールガスが、技術の進歩に伴い、問題視されなくなってきたからだ。20世紀後半から21世紀に掛けて1バレル20~25ドルだった原油価格が、中国の激しい資源需要や、中東の地政学的リスクなどで、100ドルを遙かに越える状態にまで至ったが、それでは一体幾らが、適正価格というのだろうか。現在は、1バレル、40~50ドルで推移しているが、この状態が、いつまで続くかさえ分かっていない。シェールガスの採掘コストは、1バレル100ドルは掛かるとしていたものが技術の進歩と相まって、65ドルでも採算が取れるとの見方になっている。技術がますます革新し、一方では中国の経済低迷と新常態かでの需要不足が下がるといった事とを見積もると、原油の供給はだぶついてきて、OPEC(特にサウジアラビア)としても安閑としていられないとなるわけだ。更にイランの核問題も一段落し制裁解除の見通しから、来年には、イラン原油が、市場に出回り出す(イランは、自国の原油を売り急ぐであろう)と、ますます、原油市場は安値に誘導されることになるだろう。資源国ロシアもこれに1枚加わっている。原油収入の減少はそのまま国力の低下に繋がりかねないロシアとしては、このままの流れでは耐えられないと言うことになる。原油産出国の思惑が、その生産量(埋蔵量)などとの関係で、一元的にコントロールできないことと、アメリカでのシェールガスの生産状況との兼ね合いは、今のところ、どう進むのかさえ混沌としている状態だ。(一体どちらが勝つかの持久戦的要素でもある)原油を生産し得ない我が国の場合は、互いの競争の下に原油が、安値で留まることが望まれるわけだが、関係各国の思惑と、見通しが、どう転ぶかは、非常に難しい判断が要るだろう。原油価格が現状のように、40ドルで推移した場合には、2020年までにシェールオイルの生産量は日量40万バレル低下すると見通され、50ドルで推移したとすれば、同じく15万バレル低下すると予測されている。一方で、原油を減産し、原油価格が70ドルという状態になれば、シェールオイルは日量で、40万バレル増加するとの見方だ。原油高値を期待すれば、シェールオイルにシェアを奪われるし、シェア拡大乃至維持を目論むなら、減産して、原油高値に誘導することは、得策ではないというか産油国にとっては、致命的結果に成りかねないとの思惑である。最低限の原油販売をしなければならない国と、何処まで我慢できるかという国との思惑差も働いて、今後はそれらの折り合いの上で、価格動向は収斂するだろうが、既に供給過剰の状態である原油は当分値上がることはないと見積もられている。日本も他人任せのエネルギー政策に依るのではなく、メタンハイドレートなどの開発にもう少し注力して、独自のエネルギー政策が取れるようにすべきではないか。地道な開発努力(コストの低減化)がやがてメタンハイドレート革命をもたらすことを願うものである。
2015.11.23
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今日のウォーキングは檜尾川橋から名神DP9橋脚までで折り返し、帰りは名神側道を通ったが、途中車両の通行止めになっていたので、車に倣って、迂回して帰った。朝が早いにも拘わらず、走行規制をしている道路の両端には、交通整理で雇われた人が立っている。話を聞くと、前日の夜8時から、今朝の8時までの12時間勤務だそうだ。寒いのに、なかなか大変な仕事だ。大阪府知事選挙の投票に赴き、その後高校の同窓生の有志によるミニ同窓会に参加した。集まったのは、9人で、高槻の中華料理レストランで、暫し歓談した。話題は御他聞に漏れず、身体の調子や、病気の経過、手術の有無など、この歳の集まりでは、極々平均的な話題だ。おかしなもので、学校時代は余り口を利かなかった友人達とも、こんな集まりになると、親しかった旧知の友のように振る舞うのは何故だろうか。勤めていた頃に比べて、学校時代の友人は、何故か懐かしさがひとしおに感じるのもまたおかしなものだ。取り留めのない話は、いつもの事だが、只、同じ場所にいることで(勿論元気がなければ出て来られない)安心感と、この先いつまで元気でいられるのだろうかなどと、確認し合うわけだ。2次会でも、欠席した友人の安否を気遣い合うなど、深く話題を共有することもなく、和やかな雰囲気の侭、次に会える機会を期待しながら、別れた。連れ合いと私、それに友人の1人は、夕刻のカラオケ大会に出るため、店に向かった。集まったのは、16名、常連の人達だが、長く病気で遠ざかっていた人も復帰して参加をしていた。今回は事前の練習と、その後のウォーキング時のiPodの繰り返しの聴き取りで、いつもより多くの時間、曲に接していた気分だ。私は12番目、友人が13番目、連れ合いは大とり前の15番目だ。病気明けの人はトップに歌っていた。1曲目はテレビの採点だけが示され、もう1つのパネルの採点は、一切が終わって開示されるシステムは何時もと変わらない。前半の8人が歌い終わって、皆80点後半の良い得点が出ている。最高点は「港やど」を歌った男性の94点だ。そして、後半の8人が歌い終わっても、トップは、変わらなかった。私の「夢追い酒」は91点と、練習時よりも1点低いものの、全体で3位はまずまずだ。友人は「想い出探し」を歌い、連れ合いは「命くれない」を歌った。1曲目を終わっても、練習時との比較では、良い線であるが、まだまだ予断は許さない。夕食後の2曲目もまた順調に歌い継がれた。前半を終わり、パネルの最高点は、「三つで五百円」を歌った男性(結局この男性が優勝した)の92点で、テレビの最高点は「夕陽燦々」のやはり92点であった。パネルの得点は、全くの水ものである一方、テレビのそれは多少歌い方の巧拙を繁栄しているようだが、余り気持を入れ込んだ歌い方よりもさらりと歌い流す方が、概して得点が高く出るようだ。勝敗は、自己申告の点数にどれだけ近いかを競うもので、歌の巧拙には全く関係がない。如何に自分の力量を捉えているかに掛かっているわけだ。後半の8人に移り、私が「長良川艶歌」を歌うまでは、皆さんのパネルの得点は80点以上だったのが、私は78点と、低い点数だった。五木ひろしは得点が出ないと言うことだったが、正に典型だ。それでも練習時よりは4点も高い、一方のテレビの得点は、85点と、皆さんの平均値ぐらいで、練習時よりは4点も低い点数だ。2曲目だけなら予想点にピタリだった。連れ合いは、命シリーズで「命かれても」をパネル90点(全体でも2位の得点)で、テレビは89点(全体でも2位の得点)で歌い終わった。ここまでの経過で、隠しパネルが何点であれば上位か否かと想像が付く。私は、86点ならピタリ(練習時は85点だった)で、友人は88点(練習時は85点が出ていた)、連れ合いは、84点でピタリ(練習では90点)となるはずだ。さていよいよ入賞の発表があった。BB賞は女性となり、3位は自己申告のマイナス2点の女性同士のジャンケンだった。優勝と2位は、自己申告と結果の得点が一致した男性と女性だ。ジャンケンで男性が勝ち、女性は銀に甘んじた。期待していた私たちは皆選外だった。因みに、私の実際の点は、89点と3点のオーバーで、友人は82点と6点の不足、そして連れ合いはというと、79点と練習時の最低にも及ばぬ予想外の低い点数(マイナス5点)で敗退してしまった。
2015.11.22
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今日のウォーキングは山崎駅から西山天王山駅までで、折り返した。連れ合いは小学校の学年同窓会で高槻まで出かけていった。ほぼ60年ぶりとなる同窓会だ。***マリの首都バマゴでまたテロがあった。ラディソン・ブルーホテルが襲撃され27人が死亡し、一時170人が人質になったという。マリは旧フランス領で現在フランスはマリ北部で活動するイスラム武装勢力を掃討するため、2013年1月から軍事介入している。この事件では、「アラー・ハ・アクバル(神は偉大なり)」などと叫びながら発砲し、押し入ったとのことで、ここまでは、パリのテロ事件同じだが、人質になった宿泊客の中にはイスラム教の聖典コーランを暗唱できるか試されたものもいたという。何処まで朗誦できれば助かったのかは分からないが、今の世の中、アラビア語を少しは勉強しておく必要があるかも知れないと思った。マリは日本から遠い国で、テロと言っても余りぴんと来ないが、3年ほど前(2012年)に反乱軍部隊がクーデターで、トゥーレ体制を終結させたとのことだった。この時は日本人には被害はなかったようだが、当時でも54人ほどの日本人が在留していたのだという。その後も、イスラム過激派組織「アンサル・ディーン」(マリ人が主体)が、複数のイスラム教指導者の聖廟を破壊するなどのイスラム教徒の間でも確執もあった。これらを期に暫定政府が要請する形で、フランスが軍事介入したのだが、こういった伏線があることを注目しておかなければならない。政情が不安定なところはテロの格好の草刈り場になる典型だ。フランス政府はマリがイスラム過激派に掌握されることで、国際テロ組織の拠点になれば、ただでさえ不安定な北・西アフリカ諸国の政情が一段と悪化しかねないと判断したのだが、勿論フランスにとって、マリは原油や鉱物資源の支給国であることもまた、介入の真意である。一方のマリ政府は、天然資源に恵まれた西アフリカ地域に海外からの投資が増加するものの、人口増加で若者の失業率は高く、(約20%超)若者の間では、現状政府に不満を抱く者は多い。過激派はこうした若者をメンバーに勧誘し、組織を拡大。天然資源の違法採掘や外国人の誘拐などで得た資金で武器を購入し、テロに活用しているというのが現状だ。西アフリカには、テロの集団が多く存在する。イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ(AQIM)(アルジェリア)やボコ・ハラム(ナイジェリア)、アンサル・ディーン、AQIMの分派組織の西アフリカ統一聖戦運動(MUJAO)等が主な活動団体で、彼らの間にはおそらく国境は存在しないのだろう。互いに、アルカイダのブランドの名のもと、時に結束して、脆弱な政治機構の隙を突いて、西欧(この場合は、旧宗主国であったフランスを標的にテロに邁進している気配だ。このテロが、IS国のパリの同時多発テロ事件との関係を取り沙汰されているが、正確なところは分からないようだ。1つの見方としては、AQIMの下部組織の血盟団(モフタル・ベルモフタル司令官)による。独自のテロ事件で、IS国がテロ集団として名を馳せている事への焦燥感から起こしたテロ事件との見方も出ているようだ。何れにしても、パリ同時多発テロ事件ではシリアのIS国支配地域への空爆で対応しようとしているが、テロ撲滅のためには、国際的な対応に足並みを揃える必要がある。今回のパリのテロ事件以来、中国も、ロシアもIS国への空爆を認めているようだ。同床異夢なのかも知れないが、テロは相手にする国同士を互いを混乱におとしいれたり、足並みを乱れさせたりすることを目論んでいるわけだ。ポーランドやカナダのように、触らぬ神に祟り無しという腰の引けた対応からほころびを出すことの無いように、充分な対応策を練ることが必要だ。今回のマリのホテル襲撃事件とパリの同時多発テロは、フランスを相手にしたテロであることには変わりはないが、その対応を誤らないように留意する必要があると思われる。
2015.11.21
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今日のウォーキングは高浜堤から堤終点迄の折り返しだ。今日は我が71歳の誕生日だ。思えば今まで良く生きてきたものだとの感慨である。その昔、自分が、親爺の歳になること(単に歳を取るという意味)など考えたことはなかったが、最早、そんな歳が、近づいてきて、人生も終盤に入った感が強くなってきた。やり残したことがあるかと問われれば、無いと答えるかも知れないが、案外、あれもこれもやり残したことだらけのような気もする。このまま何をすることなく人生を終わるとすれば、何だか勿体ないような、物足りないような気もするが、かといって、何がやりたいというわけでもない。人は皆、特にサラリーマンなら定年を迎え、その人なりに何かをやり遂げてきた達成感があるのだろうが、ハッキリ言って、私にはそのような誇れるものはない。かといって、振り返って慚愧に堪えないのかと言えば、そうでもない。まあ、普通の人に比べると、少々物足りない人生だったのかと思うだけだ。しかし、今現在が充実して過ごせていることは、実に有難いことで、感謝、感謝の日々である。思い起こしても、これまで、現在のような充実感を以て日々を過ごしたことはあまりなかったのではないだろうか。現役の時は、日々の問題解決に明け暮れ、後になってみれば、それほど深刻でないことも、あたかも生死の境目に立たされているような気になったりもしていた。人生を80年と想定していたのだが、どうやら今日の状態なら、後プラス5年は大丈夫かなと思ったりもしている。しかし、之ばかりは、天寿(神が授けてくれる寿命)なのだから、人間の分際で軽々に決めるわけにはいかない。そんなことを考えながら、ひとり、自分の誕生日のことに想いを致していた。朝のウォーキングについても、今でこそストイックに散歩を動機付けているが、最初の頃は、続くものかどうか、疑問であった。しかし、現在では、歩行と同時に、考える時間が持てるという点でも、貴重な時間ではないかと思っている。時には、iPodで、意味が掴めないままに英語のヒアリングマラソンを流し聞いたり、カラオケの大会前には演歌を聴いたりしてはいるのだ。そんな時に、茫洋として、何かやり残したことをしなければいけないと言った強迫観念が湧くことがある。明確なものではないが、こうしては居られないと云った妙な気分なのだ。何も具体的な対象があるわけでもないのだが、これが歳を取ると言うことなのかも知れないと感じている。夕方、太郎君のお嫁さんが乳ガン検診を受けに行くのに同行した、連れ合いが観て貰った京都の先生だが、孫達2人を伴って、4人で出かけ、結果は、何事もなくほっとした。そんな道中、次代を担う、若い人や、孫達の屈託のない行動や言動に触れることで、僅かに、今の時の流れにコネクションを持っているという喜びを感じるのだ。歳を取ることで、世界を狭めたり、がんこになったりすることがないように、日々心がけていかなければならないと孫達を見てそう思った。長く途絶えていた菜根譚の続きを、書いてみる。37 質朴にして淡白な生き方寧ろ渾噩(こんがく)を守りて聡明を黜(しりぞ)け、些かの正気を留めて天地に還せ。寧ろ紛華(ふんか)を謝(さ)けて澹泊(たんぱく)に甘んじ、個の清名を遺して乾坤に在れ。〔訳文〕 人間の生き方としては、どちらかといえば素朴で率直な態度を守り、才智はしりぞけるようにして、そしてほんの少しぐらいの天地の元気を身に留めておいて、それを死ぬ時に天地に返すようにしなさい。 また、どちらかといえばむしろはなばなしく飾りたてた生活は避けて、淡白な生活に甘んじるようにし、そして一個の清い名前だけを後世に残して天地の間に置くようにしなさい。38 心中の魔こそ真の敵魔を降すには、先ず自らの心を降せ。心伏(しんぷく)さば、則ち群魔も退き聴(したが)う。横(ほしいまま)なるものを馭(ぎょ)するには、先ず此の気を馭せよ。気平(たいら)かならば、則ち外横(がいおう)も侵さず。〔訳文〕 魔性のものを降伏しようとするなら、何よりもまず自分の心にある魔性を降伏させることが大切てある。種々の煩悩や妄想という魔性が起こらないようになれば、さまざまな外的な魔性も引きさがりさからうことがなくなってしまう。また、横暴なものを制御しょうとするなら、何よりもまず自分自身にある横暴な気を制御することが大切である。自分にある勝心や客気の気質が平静になれば、さまぎまな外的な横暴も自分を犯すことはなくなってしまう。
2015.11.20
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今日は、友人と、そのまた友人夫妻等とのゴルフラウンドであった。場所はれいせん、ウォーキングはゴルフで代用する。前回のメンバーが1人入れ替わって、7人でのコンペスタイルと言うことになっている。友人夫人は、仏事で、連れ合いは、怪我後の回復未だしとのことで、4夫婦の会と言うことになっているようだ。以降は8人会と銘打って開催するのだという。前回は、好天気ながら成績は、未曾有(?)の悪成績であった。1983年に記録を取りだしてから1993年迄の時代に戻ったかのようなスコアだった。以来2008年に同様の成績で、今年は既に2回も不名誉な成績を残している。昨日までの雨で、コースは至る所、湿っていて、バンカーはウォーターハザードのような様相を呈していた。予報では午前中は曇りながら、午後は晴れるとのことだったが、結局終わるまで太陽を見ることはなかった。アウトからのスタートで、前に女性3人の組、後は男性4人の組は変わらない。いきなりNo.1で2打、3打をチョロする始末。下がぬかるんでいることを以てしても言い訳が利かない内容だ。5打(通常なら3打)でオンするところを、一寸届かず、6打でオンし、惜しい1パットを外して、トリプルからのスタートだった。また前回と同じ事になるのかと、一寸憂鬱な気分になった。しかし、友人も、3パットのダボだし、10を叩いた人もいて、低レベルの出発だ。No.2では、あろう事か、友人が目前の池に入れてしまった。(珍しいことだ)このホールは、3オンできず、ダボとなって、友人のみトリプルだった。No.3は右ラフから良い当たりだが、右バンカー(水の溜まった)に入れ、やはり4オンで、ダボだ。No.4打上は、2打が少々低かったものの、3打打上アプローチで、カラーに届いた。そこからパターで3つは、いただけない、3打目を活かせなかったわけだ。No.5は打ち降ろしの長目ショートで、良い当たりの感触だったが、乗らず手前に落ちた。ランニングアプローチは良かったが、1パットで沈めきれずボギーだ。友人は右にOBし、しかも8つ叩くという前代未聞のホールになった。もう1人のOBは左引っかけで6つ叩いていた。No.6は3打で軽く載せようと思ったが、シャンク、あわやOBかと思ったがセーフで、4オンして、2パットだった。No.7は鬼門の右ドッグレッグ。2打目が谷越え、しかも前方に高い木が2本ある。そんなティーショットを気負ってチョロだ。2打はまともだが、ドッグレッグをかわすまでにはならず、4つでやっと乗り、しかも3パットで、3人OBの内の友人と並ぶ始末。No.8の極々簡単なショートでは、ここでも巧く当たらず、カラーから3パットのボギーとなった。パーが1人もいなかったのは何故かと思うくらいだ。No.9では、FW中程のクロスの池が気になるホール。ティーショットは良く、まずまずで、さあ2打目だが、池をかわすように左に打ったところやっと池を越して安堵した。後は詰め。3打では載せきれなかったが、4つをピッチランで手堅くピンに寄せ、1パットのパーとした。前ホールで、2打の差を付け久しぶりに友人にアヘッドだったが、最終ホールは落とし穴があって、と思っていたのがパーで、友人のボギーに勝った。珍しいことだ。昼食後のインは、少しリラックスして臨めたが、No.10で、やはり右崖が怖くて左のラフに入れてしまった。もう少し真ん中(FW)でないと、右ドッグレッグでは100YDくらい損になる。4打で乗せられるはずの所を3mほど手前だ。ダボになった。友人はここで流石のパーで、早くも1打差になった。No.11は右ラフから、また2打と3打をチョロしてしまう。4つで乗せ、短い下りを損じて、ダボだ。一方友人は、ティーショットをチョロしたものの、最後1パットで同じだった。No.12は超打ち降ろしのショートで、またしてもカラーからの3パット、友人は、届かず、ラフからのボギーで同じ。他もボギー1人だ。No13.は右前の池は皆クリア、3打で乗らず、GR向こうへ行ったのがまずかった。ダボだった。1人1パットで決めて、パーを拾っていた。No.14は3打で、砲台GRの右下に出たのが良くなかった。4打で柔らかく振り抜けたが、すんでの所でまた落ちてきた。5打で良いところに乗ったが1パットで入れられず、結局トリプルだ。ここで、友人に並ばれた。No.15は2打まで良いものの3打でまたシャンク、ダボだ。ここでは友人は1パットのパーとして、以降は、通常の力量に戻りずんずん引き離された。No.16ロング、3打までは大きな失敗はなく来たが、4打を乗せきれず、左ラフだ。やはりダボとなった。No.17は広大池越えで、見栄もなくドライバーを握ったが、一寸左に逸れ、やはりボギーとしてしまった。最後、No.18は最高のティーショットながら、2打でダフリ、気落ちして、最後のGRはパターで3つも叩いたろうか、ダブルスコアで、友人とはNo15から4ホールで、7打も引き放されてしまった。実力不足は言うまでもないが、余りにも不甲斐ない結果となってしまった。最後のスコア合わせでは、前回のハンディーが大きく物をいって、私は3アンダーとのことで、優勝となってしまった。
2015.11.19
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今日は、昨晩寝るのが遅かったこともあり、休養のためウォーキングは中止した。小学校の学習会に参加した。4年生の通常の教室で行うことになったが、先生が居られたせいか、静かに粛々と学習会は行われた。4年生にもなると、個性が際だってくるような気がする。画一化する必要はないが、どの程度が許され、どの程度は矯正すべきか、など子供の個性を見極めながら教育していくのは難しいことだと思う。***造船を支える中国人材という記事が出ていた。川重やツネイシが中国に進出して10年が経つという。造船王国日本という名が消えて、久しくなった。造船業は、今に至っても尚、労働集約産業の体質は変わらないと見え、労働力が安く手にはいるところが有利に働く構図は変わらない。20世紀前半におけるイギリスの繁栄(世界シェの約半分)は、現在の造船界の業況とは違った性格のもので、技術的に優位であったことや、他に追従する国がなかったことにある。その後20世紀の後半は、日本がイギリスや欧州各国に取って代わって、世界造船シェアの過半を占めるに至ったことは、未だ記憶に新しい。イギリスの造船業の衰退は、大恐慌や2度に亘る世界大戦によって、経済の停滞と貿易量の減少に比して、船腹量の過剰による海運業界の衰退にあった。しかし、1950年ころからは、朝鮮戦争によるアメリカの軍需物資等の物流が増し、逆に船腹量の不足が顕著になった。日本への風が吹き始めたのだ。こんな風に、造船業界は、時の世界経済による物流量の多寡に左右され続けた。私が造船界と関わるようになった時期は、正に船舶の絶対数が世界的に不足していた時期であったわけだ。物流の中でも石油の運搬は必至で、船腹量の不足を補うために、アメリカは急遽戦時標準船(T2タンカー:リバティー船)を多数建造し、動員したが、之に使われていた、鋼材が劣悪で、係船中に船体が真2つになる事故を起こしたのである。所謂破壊力学に於ける低温脆性破壊である。私が学生時代専攻した、脆性破壊の研究も、こういった一環(T2タンカー事故)であり、それが後々、北海(ボーフォート海)に於ける低温に絶えうる、石油掘削リグ開発に活きることになったわけだ。私が就業した頃はまだまだ、世界的に船腹量は不足していて、日本では、政府が財政投融資によって海運会社に資金を与えて新造船を発注させる所謂計画造船とよばれる発注も含めて繁忙を極めていた。日本が世界一であるという時代だったわけで、私も、それなりに期待と大きな抱負を持ったものであった。やがてそれが昂じて、日本の造船各社はこぞって(見境無く)、VLCC (20~30万トン)やULCC(30万トン以上)とよばれる大型タンカー建造用の大型ドックを建設し始めたのである。ギリシャの海運王(オナシスなど)の発注を受けたのもこの頃だ。建造が繁華となり、この時期に安い労働力を求めて、アジアなど新興国へと技術移転、資本移転を開始したわけだ。しかし、またもや、バブル崩壊や、石油危機など造船界は荒波に曝された。私が一般商船から石油掘削リグに席を移したのはこの頃で、他社は、この時期に、韓国や中国に生産拠点を移したり、安価な労働力を得るために、技術移転を行ったりしてきた。それが、今日の日本の造船業界の低迷を迎える序章だったわけだ。20世紀後半の4半世紀 (私の入社後10年ほどの間) に、韓国や中国が、急激に設備投資して、2004年頃に竣工量で、韓国に首位の座を奪われ、2009年には中国にも抜かれるなど、日本は、最悪の状態になってしまった。しかし、一旦は安い労働力でトップの座を占めてきた韓国も、程なく中国にトップシェアの座を譲らざるを得なくなる。韓国の給与も上昇してきて、労働コストの差だけでは、勝負が出来なくなってきたわけだ。しかし、現在では、当時日本で起こっていたような設備過多の状態が、中国でも起こっていて、名だたる造船所も閉鎖に追い込まれているといった状態のようだ。長い目で見て、こういったサイクルは繰り返すというわけだ。この様に、波状的に襲ってくる、経済の変動と、貿易量の変化に翻弄される造船業界だが、今に来て、中国に技術投資した、花が咲こうかとの状態になってきたというのが今日の記事だ。川重やツネイシにとって、今がその収穫時期となっているかの内容なのだが、この先、中国全体が、新常態になることや、世界の海運状態が、どのように変化するかによって、過去に何度も経験した、造船への不況の跳ね返りが、懸念される。加えて、共産党の意向次第では、簡単に国際仁義を守らない過去の中国のやり方が、どのように降りかかってくるか、予断を許さないというのが、正しい見方であろう。
2015.11.18
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今日のウォーキングは山崎駅下から大山崎町役場を経て円明教寺口に上がって帰宅した。姫の連れ合いの祖母の葬儀に出席し、京都の将軍塚に隣接する斎場を初めて訪れた。「一度(ひとたび)生を受け、滅せぬもののあるべきか」とはいうものの、一瞬にして灰燼に帰するという、人の世のはかなさを思うが、人は皆、一度(二度はない)空しくなるわけで、何だか、順番が近づいてきているのを感じた次第。お昼の荘厳さとは裏腹に、夜は、カラオケの練習に出かけた。高齢になると、ゴルフとカラオケは日々の生活で、やや定番のようになっている。歌う(歌える)歌は随分昔流行ったものばかりで、誰もが唱歌の如く歌う演歌であるが、家でうずくまって声を発しないよりは少しはましかとマイクを握るのである。いつものように友人と連れ合いと3人である。生憎の雨なので、他に客は居ないだろうとの目論見は外れ、カラオケ仲間の男女が相次いで入ってきた。暫しの世間話の後、カラオケの練習に入った。5人が順に次回のカラオケ大会に歌う曲を練習するのはいつもの通りだ。友人は、「心凍らせて」や「幸せ探して」等を歌ったが、予て増位山の「あきこ慕情」を歌ってはと勧めていたところ、今回初めて挑戦していた。他にも「はぐれ草」(流恋と書いてはぐれと読むことを初めて知った)「思い出探し」や「ノラ」更には「夢酒場」などを歌っていた。2つの採点方法の下、各1曲を歌うのだが、どうやら「はぐれ草」だけは2曲目に歌うことを決めているようだ。1曲は何を選択するのだろうか。連れ合いは、命シリーズとかで、「命くれない」と「命かれても」を熱唱していた。共にテレビの評価点は、90点を超える高得点で、私など、何時も後塵を拝することになるが、それはそれ、何点出るかは自己申告制なので、得点が出なければそれなりに申告すれば大会では勝つことは出来るのだから気が楽だ。他にも「雲椿」や自身の定番曲と位置づけている、「波止場しぐれ」や「カスバの女」更には「伊豆雨情」を高得点で歌い上げていた。さて私だが、決めていた歌は「おまえと二人」と「長良川艶歌」で共に五木ひろしであるが、今では、五木ひろしの歌はある理由で、歌ったことが無く、初めての挑戦と言うことにしていた。更には評価得点によっては、「別れの一本杉」や「夢追い酒」など歌ってみたが、意外と「夢追い酒」が合いそうなので、「おまえと二人」に替えて歌うことにした。他にも、冷やかし程度に「寂しい時だけそばにいて」とか「恍惚のブルース」なども歌い、最後には、「襟裳岬」も歌ってみた。どれを採っても古い歌ばりだ。男性客は、「王将」や「みちづれ」の他、「三つで五百円」と言う、一寸悲しげで滑稽な、流しの歌を練習していた。歌えば歌うほど良い点数が出るかと言えばそうでもなく、ばらつきがあるのが面白い。他所でカラオケ教室を開いているという女性は、どうやら和田アキ子シリーズで「Mother」や「ROSE」さらには「今あなたに伝えたい」などと言った一寸演歌から離れた曲を練習していた。最後には、連れ合いが歌っていた「雪椿」や「天使になれない」などに挑戦していたが、連れ合いが歌った方が少しばかり得点は上で、聞いていても連れ合いの方も良かった気がした。歌は、聴いて良い歌(良く聞こえる)歌と、歌って、乗っていける歌とがあるようだ。歌の巧拙は別にして、日頃から歌い慣れている歌は、気持ちよく歌えるが、一寸新しい(と言っても自分にとってはだが)曲に挑戦する時は、何となくしっくり来ないものだ。世間で良く歌われる歌(俗にヒット曲)は、他の歌に対して何処がどう違うのだろうか、歌手は、自分の歌がヒットするかしないかで、自分の一生が決まるわけで、大変なことだろう。ヒット曲が多く出た歌手が有名になるのは勿論だが、そんな歌手でも曲によってはちっともヒットしない曲もあるようだ。世に何万曲もの歌があるようだが、ヒットする曲は限られている。そんな中でも歌える曲となると案外少ないものである。今回は思い切って歌い慣れない歌をと思っては見るものの、やはり最終的には、同じ様な曲を選んでいる自分に気付く。
2015.11.17
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今日のウォーキングは檜尾川橋から愛仁会までで引き返した。今日の午前中は我々2人の私製誕生会との名目で、姉を誘い、京都で昼食を共にした。そのまま京都遊山と行きたいところだったが、夕方から、姫の連れ合いの祖母の通夜があるために出かけたので、祝と不祝の混交した1日になった。とは言え、聞けば祖母は、ついこの間100歳の誕生日を迎えたばかりだと言うから、「天寿」を全うしたおめでたいことなのかも知れない。更に姫は大学の講義との関係で、今日中に帰らなければならないとのこと、京都駅まで送り届けた。「天寿」とは、特に百歳のことを言うのではなさそうだ。三省堂の大辞林によると「天寿」とは天から授かった命のことであり、特に決まった歳ではないと言うことになる。従って、天寿を全うするという意味は「十分長生きして死ぬ」と言うことに繋がるとの解釈だ。年末が近づき、町内の方から、その母親が、102歳でなくなったとか、最近では、100歳を超えて生きる人が多くなってきていると感じる。人口統計でも、今年の9月に発表されたものに、「100歳以上が初の6万人超」とかで、45年連続増加、特に女性がその内の87%を占めるとのことだ。実際には今年9月に発表された時点で、100歳以上の高齢者が全国に6万1,568人いるのだそうだ。さらに、45年連続増加と言うことに関しては、1963年は153人だったのが、1998年に1万人になり、2009年に4万人、そして1912年に5万人をそれぞれ突破するとの状態なのだそうだ。そのペースを見ると、1998年までは緩やかであった増加率が、それ以降は、急速に長寿化に転じていると言うことになる。これを、厚労省は「医療の進歩や健康意識の高まりが背景にある」とみているというが、その通りだろう。さらに、調べてみると、65歳以上の高齢者は3,384万人で、その内80歳以上の人が1,002万人だとのことだ。65歳以上の人口割合は26.7%で、欧米主要諸国の中で最も高く、イタリアの22.4%、ドイツの21.2%を大きく上回るのだという。これ以上は、高齢者問題とかに突入するのだが、今はそのようなつもりはなく、年齢とその呼称について調べると、論語や、礼記等を引いて、主な年齢は次のような呼称となっている。15歳(志年)、20歳(弱冠)、30歳(立年)、40歳(不惑や強壮)、50歳(不惑や天命)、60歳(耳順)、61歳(還暦)、70歳(古希)、77歳(喜寿)、80歳(傘寿や下寿)、88歳(米寿)、90歳(卒寿)、99歳(白寿)そして100歳以上を上寿(紀寿)というのだそうだ。そして120歳の大還暦までの名称が作られているようだ。因みに人類最長寿は、122歳だとギネスブックにあるそうだ。従って、姫の連れ合いの祖母は天寿(祖母の場合は、上寿)を全うしたとのことになる。しかも、歳を取ってからも、外国人と普通に英語で会話していたと言うから、素晴らしいことだと思った。悪戯に歳を永らえるばかりでは、余り意味のないことだし、誰しも元気の侭でやっていたいと思うものだ。私の場合は、あと数日で、古希とよばれる時を越えて、今度は、喜寿へ向かって進むわけだが、昔は80歳が我が天寿かと想定していた。しかし、最近では、厚労省が言う「医療の進歩や健康意識の高まり」もあって、今では、我が天寿を85歳と想定し直している。勿論何とか元気の侭でやれると言うことが前提なのだが。意識の内では、それほど歳を取ったという感覚はないのだが、やはり、人の名前が出てこないとか、何をしようとしていたのだろうかとか、身体の節々の潤滑油が不足してきているなとか、最近は、頭や、身体の衰えを感じることが多くなってきた。何事も順番通りというわけではないが、私に与えられた、天寿を全うするために、之からも日々精進する気概を持つことを考えさせて貰えた、そんな通夜であった。
2015.11.16
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今日も雨で、ウォーキングは中止した。***携帯電話料金の引き下げ要請が安倍首相から出ていることを知った。日経新聞の「日曜に考える」のコラムで知ったのだが、コラムでは、鈴木幸一インターネットイニシャティブ(IIJ)会長と北俊一野村総研上席コンサルタントの両者へのインタビューと言う形で掲載されていた。調べてみると、首相の発言はどうやら、9月11日のことらしい。私もかねがね、携帯電話の料金については、一寸した不満を持っていただけに、やっぱりそうか、と言う気になったものの、この2人が手放しで、値下げ論に賛成している風ではないので、一寸がっかりであった。それもその筈、IIJと言えば、通信関係で生きている会社だから、鈴木は値下げに異を唱えるはずである。自らの地盤を低下させることに同意するはずもなく「首相が口にすることか」といった風情の話しぶりだ。一方の北は、どうやらニュートラルな発言のようだ。元々、日本の携帯料金は国際的に見て、高くも安くもないというのが根底にある意見のようだ。(私はそうでもなく、例えば、SIMフリーなどについても日本ではまだまだ遅れていると思う)一方では、首相の発言で、携帯電話各社の株価が大きく下げ携帯電話3社の時価総額の4兆円が吹き飛び、日経平均が160円も下がったとも言われている。ほんまかいな、と思うが、市場は、大きく反応したようだ。それは取りも直さず、政府主導の物価2%アップに逆行するのではないかとの懸念も出されたようで、日銀は、政府や日銀の方針に逆行しないと発言している。何とも経済というのは恐ろしい。鈴木の議論は、携帯電話の料金から離れ、政府はもっと他にやるべき事があるだろうという論点のすり替えのように聞こえる。携帯電話の料金を下がれば、IT産業の活性化に繋がらないかとの質問に、「そう単純ではない」と答えている。値段より確実性を求める場合があるからだと言っているが、その論旨が今ひとつ理解できない。一方の北は料金が高いと言われる根拠は、消費者に分かりにくい料金体系や、販売手法が通信会社への不信感を招いていているとの考えだ。また、私も同意見だが、通信業界の利益は巨額で、その利益分の消費者への還元が少ないという点だ。引き合いに出されるのが、自動車産業で、ここはトヨタを筆頭に、利益は極端に大きいものの、国内でも多くの会社がしのぎを削る態勢であることが、消費者にも何となく理解できる範囲にあるから、消費者にとっては、差ほど抵抗感がないと言うこと事かも知れない。勿論、金持ちは、高級車に乗ることが出来るし、そうでないものは、身の丈にあった車を選ぶことが出来るようになっている。消費者も納得で、車選びが出来るというものだ。一方の携帯会社は、端末機器(携帯電話そのもの)を実質ゼロ円とか言いながら、ちゃっかりその代金を月々のランニングコストに上乗せし、2年間の割賦払いをさせているわけで、こういった手法が、消費者には分かりづらい。こういったやり方を採るのではなく、ハードの代金を正直に払わせ、通話料や、インターネットの利用代金(ランニングコスト)での勝負にした方が、より分かりやすいのではないか。利用形態によっては、車で言えば、ガソリン消費の少ない車種を選ぶといった事にするわけだ。また、何処の業界も、利用の多い顧客に対して厚いサービスをするのが常識だが、携帯電話会社では、乗換(他社からの)顧客を妙に優遇しすぎて、その煽りを、利用の多い客にしわ寄せさせていると言った妙な慣習があり、消費者心理を逆なでしている。また複雑な料金体系で、差ほど得にも成らないようなことを誇大宣伝して、顧客を迷わすと言った、すっきりしない販売方法も駆使している。更に言えば、少なくとも通信3社は、カルテルを結んでいるのではないかと思われるくらい、料金値下げについても、如実に差がないように、また下げすぎないように調整している感じがある。車との比較ではまた、車に相当する端末価格(実はこれが、車選びでは最重要になるわけだが)に対して、携帯電話では、その差が、有耶無耶で、ガソリン消費や、メインテナンス代、道路通行費(一般道や高速道)などに相当する消費電力量や高速通信費の違いが一緒くたに処理されている点だ。前に記したように、端末代金と通信料金を分ける提案があるとのことだが、そうした方が、もっと納得のいく価格体系になり、消費者も納得するのではないだろうか。最後に、本体製造会社と、通信各社、更には、利用するアプリケーションの会社などが渾然一体となっていて、その全てを網羅して、分かりやすい説明を聞けるところが少ないし、また、面倒である。携帯会社の販売店員に聞いても説明能力の低い店員が多すぎて、十分に納得できないことが多いことも苛立ちの原因になるのかも知れない。
2015.11.15
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今日は雨のためウォーキングは中止した。今日も一日何やかやと忙しい日であった。姫の連れ合いの祖母が亡くなったとのことで、2人がそれぞれバタバタと帰阪するという話だ。100歳だと言うから、長命の部類に属する。大往生などと世の中の人は言うだろうが、身内にとっては、それぞれの感情があるだろう。そんな中、太郎君一家が、連れ合いと私の誕生会を持ってくれると言うことになっていた。誕生日を迎えられたことは祝儀と言うことになるだろうから、今日は、祝儀と不祝儀が混在した1日だったわけだ。誕生会は高槻の170号線沿いのイタリア料理のレストランで、聞けば、1年ほど前にオープンしたとかで、若いお母さん連中にも人気の店だそうだ。世相が何やらおぞましいことになってきている世の中で、健康で、すくすく育つ孫二人を伴った一家の招待で、至福の時を過ごせる事を大変有難く思った。美味しい料理とグラスワイン2杯で、完璧ないい気分に浸れたことはただただ感謝である。***スマートフォンのニュースを見ていると、パリで銃撃や爆発があり、少なくとも39人が死亡と出ていた。テロのニュースにはある程度慣れているが、之は一寸大きい感じがした。そんなことを話していて、帰って夕刊を見ると、パリで同時多発テロが起こって120人が死亡したと出ていた。テレビのニュースでは、日本と現地の特派員とのやり取りが映し出されるが、現地ではまだ何も詳細は分からないということだ。日本のアナウンサーは、色々手を変え、品を変えて様子を聞こうとするが、未だ起こったばかりの事件の詳細が分かろう筈もなく、ただただ救急性と、重大性が伝わっただけだ。夕刊には、少なくとも3カ所(実際は6カ所のようだ)でテロが起こり、テロの死者も最低でも120人という事のようだ。そして今日之を書いている現在、死者は129人、負傷者は352人にのぼり、このうち99人が重傷を負っているというから未だ犠牲者は増えるかもしれない。之を引き起こしたのは、やはりIS(イスラム国)で、その8人の実行犯は射殺されたようだ。フランスのオランド大統領は元より、世界の主だった首脳も、テロに対する非難をしているが、何だかよそよそしい(空々しい)という感じである。ここに登場する、首脳の中には、勿論中東諸国の首脳は含まれていない。こんな形でいくらテロに対して言葉を労しても何の解決にもならないだろう。オランド大統領は、之は戦争行為だと言うが、たった7人でここまでの犠牲者が出るわけで、その実行犯は、元より死を恐れていないというのだから始末に悪い。イスラム原理主義の教育では、現世は苦しいことが多くあっても、死が天上界での安寧をもたらし、しかも、そのためには、極端に言って、イスラム教に反する者達をジハード(聖戦)の名で多く殺した方が、安寧が近づくのだからという教えをまともに信じている点だろう。かの9・11テロの時でも、サウジに駐在してその反応を聞くと、テロリストでない一般市民でさえ、拍手をする仕草を見せたことである。これほどまでに違った考えを持った人達が、地球上に存在しているのだと言うことと、テロを引き起こす要因が、表面的なものでなく、歴史的に深いわけが潜んでいることを、よくよく知らなければ、とても理解できないだろう。それにしても、フランスは、1月にシャルリー・エブド銃撃事件を受けてテロに対する対策を取っていたはずなのにと言うことだ。大軍が向かってくる本来の戦争とは違って、予告も、法則もないゲリラ戦だけに根絶やしすることは不可能に近いだろう。全く別なことだが、アメリカがベトナム戦争で唯一黒星を付けたのも、ゲリラ戦だから、如何に根絶やしにすることが困難なことか想像できる。力には力で対抗するといった従来の手法では、こういったテロ事件は根絶することは出来ないのかも知れない。先頃無くなった、西ドイツのヘルムート・シュミット元首相が之からは、イスラム社会との会話が大切だと言ったとの紹介ししていたが、それも大切な事ではあるが、そう言った単純なものではないだろう。シャルリー・エブド銃撃事件の時の原因は、イスラム教を誹謗したという点でハッキリしているが、今回は、フランスがシリア空爆に参加したことが直接的な原因とされている。シリアを空爆したのは、アメリカは元よりイギリスや、カナダなども行っていて、ロシアも空爆に参加した。しかし、空爆の目的が、真にテロリズム撲滅とは言い切れないところが、この問題の難しいところかも知れない。世界が一致団結してテロと戦うとは言いながら、内実の温度差が、問題を複雑にしているように思える。
2015.11.14
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昨晩飲み過ぎたので、今日のウォーキングは中止した。と言うより、ウォーキングシューズを持参していなかったので、最初から腰が引けていたと言うことであろうか。朝風呂に入り、7:30からの朝食(久しぶりの和食)を頂いて、すぐにチェックアウトした。幹事の計画では、愛宕(おたぎと読むらしい)念仏寺までタクシーに乗って、そこから歩きながら戻ってくると言うことになっていた。別件ありとする1人と、朝、急に用が出来たという東京に帰る1人の2人が抜けて、合計10名が参加することになる。当初はタクシーに分乗し、との話もあったが、旅館にはタクシーがなかなか来ないと言うこともあって、往路は旅館前から出る路線バスで行くことになった。旅館では、京都バスに乗り、鳥居本で降りるように言われたようだ。バスの時間を調べがてら、スマートフォンを開いてバスの時間を調べると、8:48発となっていた。少し遅れたものの、当該バスがやってきたので、乗り込んだ。鳥居本に着いても地図上では、愛宕念仏寺はもう少し先のように見える。運転手に確認すると、「読み方が色々あるからね」と私が「あたご念仏寺」と言ったのを咎めるかのように、けんもほろろの答だ。確認して次まで乗って愛宕寺前で降りた。むかつく運転手だ。愛宕念仏寺では千二百羅漢が出迎えてくれた。様々な表情の羅漢像は、既に苔生していて、寺の復興のために、昭和54年から10年間に亘って、1200人の一般参拝者自身の手で彫られたものだと書かれていた。1つ1つ簡単に運べるような重さではないようだし、1つ1つがあまり個性的且つ芸術的な表情なので、本当に素人の手に依るのかと思ったが、裏には、名前が書いてあるので、紛れもないのだろう。そこから、旧街道を戻り、暫く歩くと、化野(あだしの)念仏寺に到着する。ここが鳥居本だ。この寺の中心にある石が積み重ねられたところを西院の河原と呼ぶ。嬰児が父母恋しさに1つ2つと石を積み上げた様が河原に見えることから来ている。本尊は、阿弥陀如来で、仏舎利塔はグレートジンバブウェを石を積み重ねて造った塔のようにも見えた。また水子地蔵や階段を上がると、六角体地蔵のある広い墓地となっていた。そこから下る愛宕街道は風致地区で、古い農家や町屋が並んで建っている。そんな旧農家を利用した店先に「むしやしない 大根炊き・炭火焼もち」と2行に書かれた看板があった。「むしやしない」って何だろうと侃々諤々。私が、それを見て「炊きも、焼きもするが蒸しはしない」という意味だろうと当てずっぽうで言うと、「成るほど」と妙に受けていたが、別な友人が正確な意味を聞いてきて「むし」は腹の虫の意味で、一寸小腹が空いたのを抑えるという意味だと分かり大笑いとなった。敢えて書けば「虫養い」というところか。祇王寺辺りまで来ると、観光客の数が少しずつ増えてきた。時間的にも良い頃合いになってきたと言うところだ。この辺り、檀林寺や滝口寺があるが、皆は祇王寺に入っていく。既に拝観料は愛宕寺で300円、化野念仏寺で500円を払っている。祇王寺と大覚寺2寺の入場料をセットで、800円を600円にすると書いてあるが、大覚寺は、往路通った時、バスの中から見たと言うことで、祇王寺だけの300円を支払った。私が、前に来た時(2006年)は、どの寺へも入らず、門前で帰ったので境内に入るのは初めてのことだった。平家物語の白拍子、祇王の話だ。平清盛が、祇王から仏御前に心移りして云々とあるが、男の移り気の話で、やがて自らもそんな扱いをされることを懸念した仏御前は17歳で剃髪して、祇王ら3人と共にこの寺で、往生本懐を遂げたということだ。今は木像と化した4人と省力化でスイッチを押すと流れる説明の半ばで辞去した。拝観はそこまでで、二尊院の前では中を覗いただけで通り過ぎ、一寸周り道をして、落柿舎の前に至った。ここも入りはしない。寺院毎に毎回、300円だ、500円だ、では堪らない。「年金生活者優遇はないのか」との声に、「寺周りするのは、高齢者ばかりだからな」と返していた。一頃に比べると、拝観料が高くなり、ゆっくり京都を回っていると、大散財になることは請け合いである。我々は、落柿舎横の茶店で、実質的なうどんに600円払う方を選んだ。湯飲み茶碗を借り受けて、残った酒を酌み交わし、帰りの荷物を少し軽くした。後は、トロッコ電車が通るJR線の前の整備された竹林を抜け、野々宮神社を抜けて、大雑踏の中を、JR嵯峨嵐山駅へ向かう組と、阪急嵐山に向かう組とに別れ、それぞれ帰途に就いた。歩いたようでも高々9000歩くらいであり、皆と談笑しながらの道は、存外近いものだった。また3年後何処で会えるのか、その時は元気でおられるかなどの思いでそれぞれに別れを告げあった。連れ合いのこの日は、昼と夜とを別々の友人と会食の日であった。
2015.11.13
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今日は大学の同期生の同窓会で、1泊の嵐山・嵯峨野の旅行だ。集合は午後なので、ゆっくりしている。朝の、ウォーキングは山崎駅から西山天王山駅までを連れ合いと一緒で、連れ合いはそこから阪急電車で帰り、私は1万歩を確保のために、長岡京駅まで歩いて、JRに乗って帰宅した。3年に1回の同窓会旅行を優先し、高校同期の九人会ゴルフは残念ながら不参加とした。1泊旅行への参加は、之で3度目だ。最初は下呂温泉で、2回目は雄琴温泉だった。私にとっては、年を追う毎に場所が近くなるので、楽なのだが、何だか1泊旅行と言った気分にはならない。さらに、今年は、幹事を仰せつかっていたが、殆どの労を正幹事の友人がやってくれたので、私は、当日(今日)のお手伝い程度と楽をさせて貰った。宿泊場所は公務員共済関係の「花のいえ」(角倉了以の居所だったようだ)と言うことで、全員でのチェックインは16:00だ。正幹事の友人と大阪で何時も世話をしてくれる友人2人との待ち合わせは、阪急嵐山駅で14:00集合になっている。水無瀬からは30分程度で着くので、ゆったりと出かけることが出来た。花のいえは阪急嵐山駅からは約15分と言った距離で桂川(大堰川)を挟んだ対岸だから渡月橋を渡って、回り込まなくてはならない。桂で嵐山線に移るとそこは最早外国かと思わせるように、中国語が飛び交っていた。3人が落ち合って、花のいえに辿り着くまでにも、自撮りカメラ(もう禁止になったと聞いていたが)を持った中国人がウンザリするほどいた。インバウンドも結構だが、何となく京都の風情をぶちこわす雰囲気である。花のいえに着いて、16:00のチェックインまでを、ロビーで談笑しながら待った。予約された部屋は3つで、6人、3人、3人の相部屋と言うことになっていた。部屋に入って、幹事としての仕事は、部屋割りを作ることで、参加予定の12人(1人は、都合でドタキャンになってしまった)のあみだクジを作った。6人部屋は、宴会の後の寝るまでの時間の談笑場所になる。無作為で私は2階の、3人部屋に決まった。差し入れの酒は、日本酒、ワイン×2、ウイスキー、ブランディーと途中で買い求めた焼酎という構成だ。どうやら持ち込みは許されているようだ。18:00の食事開始前に、先ず、風呂に入って、汗を流してから宴会が始まった。ビールでの乾杯と焼酎(之は宿に注文した分)で後はお定まりの自己紹介(その後の状況の報告)と言った形で、20:30の制限時間まで12人の話が続いた。椅子に座っての食事であったので、身体は楽であった。持ち時間の制限はないので、皆それぞれに現在の様子などを紹介し合ったが、何しろ年が年だけに、誰もが病気の話を挟む有様だ。もう病気の話は止めようという話も飛ぶが、どうしてもそこに落ち着いてしまうと言う形だ。白内障の話や、パーキンソン病の話、また前立腺ガンの話など、様々だが、高血圧症や糖尿病を紹介したのは、私だった。とは言え、少なからず、同病を患うか、または患った経験のある人もいる。ともあれ、同窓会に現れるのだから、今のところは元気でいると言うことで良いのかも知れない。未だ働いている(現役の)人も僅かだが居る。中小企業のコンサルタントや、ものづくり、英語の翻訳、航空機関連、放送大学、等々話の途中に皆から合いの手が入る、賑やかな紹介であった。学生当時中国(台湾)から留学していた人も来ていて、久しぶりに話を交わした。皆は、BV(フランス船級協会)だと言っていたが、実は、NV(ノルウェー船級協会)に勤めていたとのことで、学生時代から温和しいい人で、殆ど話をしたことがなかったと記憶するので、今回の会話が始めてのことかも知れない。オスロ本部のカール・カールセンを知っていたので、一寸昔のことが頭をよぎり、話が盛り上がった。放送大学の話も、副学長を勤める友人と、今正に生涯学習で、そこで今も学ぶ友人、また一時学んでいた私、他にも、教育に興味のある人らで、之も暫し盛り上がった。中に1人羊運搬船(こんな船があるとは知らなかった)の修繕に立ち会った友人が話していた内容(積み込みや、航海中に死亡した死体の投棄など)は、とても自分では出来ないなと感じた。子孫に美田を残すなと言う私の自説を契機に、現在の休耕田の税金が高くなると言ったの話など、実に多様な話が乱れ飛んだ。2階広間の1次会の食事タイムを終えて、1階の6人部屋で、その続きが延々、11時近くまで続いたとのことだが、私が何を喋り、何を聞いたのか、後になってすっかり記憶に残っていなかった。
2015.11.12
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今日のウォーキングは高浜堤から淀川看板歩いて帰ったが、幸い脚の付け根の痛みはなかった。今日は、月はなく(新月)金星とその連れの星、北斗七星などが見えるだけだ。戻って上牧の堤辺りでやっと日の出となった。***新疆自治区が成立して60年になると言う。新疆ウイグル地区は中国が抱く火種だとの紹介である。この他にもチベット自治区も、モンゴル自治区も、およそ自治区とよばれる周辺地域は、中国にとっては、火種になっている。あくまで中国側から見た見方であって、各々の自治区は、何も中国の支配下に甘んじているわけではなく、常に根底には、独立の気概を持っているということだ。一頃は、チベット自治区が、矢面に立っていたが、現在は、ウイグル自治区に大きな動きが目立っている。中国には55の異民族が暮らしていると言うが、元々はもっと多様な民族の坩堝であった。そんな中、秦の始皇帝が、全土を統一してこの方、ごちゃ混ぜの民族は、やがて漢民族を中心に同化されて、漢民族化していったようだ。(中国の漢の時代に生活していた人達は全て漢民族と呼ばれるようになったものだ) それでも弱小民族が55も残っているという、異民族による国家であることに変わりはない。天下布武ではないが、世界を相手にする場合でも、武力が唯一の解決策とばかりに、弱小民族を力で押さえ込んできたが、その結果尚抵抗を続けているのが、チベット族(チベット系)と、ウイグル族(イスラム系)と言った勢力だ。他にも元寇の戦いで日本にお馴染みの蒙古系が有り、日本が、独自コントロールを目論んだ満州系が有ると言った具合だ。その他の民族も、香港から深センを通過して、中国内に入ったところに、これらの弱小民族が集められて(他の地域でも同様なのだろう)、まるで動物園のように、展示されている(実際に生活しているようだった)区域があったのを私は見たことがある。おそらくそこにいた弱小民族は、中央政府(共産党)に押さえ込まれた、また主流の漢民族に同化されて、残った残渣の民族であろう。当該ウイグル地区は、その昔、トルコ系の民族が住む東トルキスタン等と称されていて、中国からは西域と称されていた地域だ。ウイグル族がここを支配し、その後、満州族の清によって支配され、新疆地区と称せられた。ここまでは、漢民族は、関わっていない形だ。民族構成も当初は、ウイグル族が、70%近くを占める多民族地域であったが、どんどんと漢民族が移入定着し(共産党の方針として)、現在は、ウイグル族が45%、漢民族が41%とその他の弱小民族といった構成にまで成っている。中国が何故この地域に固執するのか、それは、資源(石油と天然ガス)の埋蔵量が豊富だということに尽きるだろう。ウィキペディアによると、これまでに38カ所の油田、天然ガス田が発見されているとのことで、ここでは原油精製も行っていて、超高層ビルの建設などもあって、大都会化しているとのことだ。まさに、水を「南水北調」で北に届けるように、ここの石油・ガスを中国東部沿岸地域に輸送する「西気東輸」、また東部の電力不足解消のための「西電東送」といった巨大プロジェクト上欠かせない地域だからである。そのため、中央政府(共産党)に楯突くものは、決して許さないと言った、断固たる態度で臨んでいるわけだ。もしこういった天然資源が無いのなら、ここまで強行に押さえつけて反感を買うこともしなかったのではないかと思う。共産党は、イスラム教徒に必須のお祈りはさせないし、民族服も限られた(許可される)ものしか着用させないと言った宗教上の重要な慣習をも縛り付ける強硬態度で臨んでいる。そのため、ウイグル地区での工場の爆発や、警官との衝突、大規模騒乱など日常茶飯事のように起こっている有様である。また、之を押さえ込むのに軍(警察)は容赦をしていない。そのため、危険を覚悟で、国外脱出を計る人が後を絶たないという。まるで、シリアの圧政に耐えかねて、ヨーロッパに向かい難民の如く、タイなどへの海外逃亡を図る難民が出てきているというわけだ。西洋諸国は、誠に身勝手なもので、イギリスを初め諸外国はなどは、高額の投資を受けるために、また、中国という市場の魅力(人数が多いという)に尾っぽを振って、こういった中国内政には全く目をつぶって、自国の利益にのみ走っているようだ。こういった理不尽さが、いつまで続くと言うのだろうか。中国は敢えて、各所に火種を作り続けている。
2015.11.11
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今日も旅行中なので、ウォーキングは中止した。朝は5時から入浴可能なのは、何処の温泉でもほぼ同じだ。起きて早速温泉へと向かう。今日は先ず屋内の大浴場を体験したが、やはり、露天風呂の方が開放的になり、気分が良いので、室内大浴場では、ミストのサウナに入っただけで、そそくさと出て、屋上の露天風呂に向かった。雨は何となく上がった風だが、兎に角風がきつかった。湯船に浸っていると、露出した頭部だけに風が吹くので、返って気持ちが良いくらいだった。今日の浴場は、昨日と男女で交代したので少々広くなり、オーソドックスな湯船、坪湯と、ぽこぽこ泡の出ている共通の湯船の他に、ジャグジーの湯船も付いていた。最初は、独占していたそれらの湯船にも、三々五々客が入ってきた。折角温泉に来たのだから、朝からゆっくりと浸かりたいと思うのは誰でも同じようだ。そう言えば、昨日湯船であった男性は、昼間からこんなにゆっくりして良いんでしょうかねと控えめに言っていた。もう80歳になると言うその方は、自家用車で、奈良から来ているとのことだった。奥さんと2人の旅で、今日は舞鶴に行く予定だと言っていた。「良いんじゃないですか、もう(仕事は)済まれたのでしょ」というと、納得したようだが、日本の男は、定年後のゆったりした状態を何故か何処かで後ろめたいと思っているのだろうか。中には、若いお父さんが、子供を連れて入ってくるが、平日なのに何をしている人なのだろうかなどと考えた。朝食もバイキングで、昨日の夕食ほどの品数はなかったが、それでもゆったりと食べることが出来た。これが、通常の個人客相手の和食などなら、小皿に盛って、個々に配膳するわけだから、人件費が幾ら掛かるか分からないところだろう。バイキングだと、大いにコスト削減になるだろうから、大勢の集客が出来るわけだ。低価格で商品設計が出来るのは、もとよりそんなことが大きいし、昨日到着したときは、布団など既に敷いていたのもコスト削減の一環だろう。風呂に入って、また一風呂、チェックアウト前にもう一度と今回は都合6回に分けて、温泉を楽しんだ。もとより、回数ではないのだが、温泉に浸かるだけの目的で来た者にとっては、充分に味わうべしと言う気分がそうさせる。チェックアウト後、迎えのバスが来るまでの2時間余、地図を頼りに、近所の九谷焼展と書かれた工芸所を訪れたが、生憎本日は休館日となっていた。端から端まで歩いても、小さな町で、特に朝の温泉街というのはもの悲しい。帰りのバスで気がついたのだが、今朝歩いた反対側に、魯山人の寓居跡と言うのがあり、そこを訪れれば良かったと、帰宅のバスに乗って初めて知り、後の祭りだった。連れ合いは、焼きもの(特に磁器)に興味を持っていて、その延長で、魯山人のことも良く知っている。山下家旅館の温泉の待合い空間に魯山人の手による、看板の彫刻があったがそれは「大中あん」(あんはとても難しい字で、今の下に酉その下に皿を重ねた漢字であった)という彫り込んだ板があった。勿論常用漢字や当用漢字と言ったものではなく意味は、蓋と言う意味で、部首は皿で引くようだ。難しい漢字を使っていたものだと感心した。魯山人は陶芸や書、果ては料理までも幅広いジャンルで名を成した人のようで、結構至る所に出没しているようだ。私も名前だけは知っている。一旦旅館に帰り、バスがくるのを待つ間、カラオケボックスを借り、今度のカラオケ大会の歌の練習をした。3番のブースでは、機会が古く、音も割れていたが、昨日使った8番のブースでは、最新の機械が入れてあるようだったので、部屋を換えて貰い、出発間際までマイクを手にした。13:30ピッタリにバスは難波に向け帰途に就いた。その頃には、名古屋方面行きとか、大津方面行きとかのバスが、集まってきていた。こんな風にバス会社とタイアップして、客を集めているのかと感心しながら、最近のホテル(温泉地)の経営も大変なのだなぁ、等と思った。帰りのバスの中は、往路のオバチャン連中がまた一緒で、今度はすぐ後ろの席でぺちゃくちゃと結局18:30ほぼきっかりに難波に着くまでの5時間程をしゃべり続けているのを煩わしいと思いながら聞き続けなければならなかった。話は傍若無人な大声で、聞きたくもないその内容は、何処かのスポーツジムのお仲間さん達らしく、今回来ていない人の悪口を言いまくっていた。多分今回来ていない人と次回同行した場合には、ここに来ている人でその時来なかったら、何を言われるのか知れたものではないと思える感じだ。そうか、あんな風に喋りまくることで、ストレスを発散しているのか(本人がそう言っていた)と妙に感心をした次第だ。居眠りもせず、しゃべり続けたオバチャンは、日本中あちこち旅しているらしく、見るからにお元気そうであった。難波に着く頃は、日も落ち、昨日来たルートの逆で、帰宅の途に就いた。
2015.11.10
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今日は1泊で山代温泉にバス旅行のためウォーキングは中止した。楽しみにしていたバス旅行だが、夕べ来の雨が朝方は未だ残っており、一寸残念な天候になった。通常なら、福井くらいなら車で行くところだが、今回のバス旅行は、格安運賃だとのことで、バスを利用することにした。勿論こういった手配は連れ合いが全て段取りしてくれる。私は只、時間通りに行動するだけである。9:45難波のOCATに集合する予定になっている。連れ合いが太郎君にその旨を伝えると、水無瀬発で最も早く行けるルートを時刻表とその電車の乗り位置まで指定してきてくれる手際の良さだ。その知らせによると、水無瀬発8:28の天下茶屋行きに乗り、日本橋で千日前線に乗り替えれば、難波はすぐだとのことだ。果たして、ガイド通りにOCATに着くことが出来た。OCATとはもともと関空の玄関口として出来た施設で、大阪シティエアターミナルを略してOCATと読んでいるとのことだ。成るほど、2階に上がると各種のバスが発着している基地であることが分かる。待ち合わせのバス発着番号の近くには、おそらく同じバスに乗るのであろう人達が、来ていた。添乗員は勿論いない。バスの運転手が申込の乗客の名前をチェックするだけの簡素なものだ。名乗ると座席は指定してあって、そこに座る。建物内をぐるっと回って、外に出るとすぐに阪神高速道路に入る。さらに、近畿道に入り門真から第二京阪道路を通り、何時も通る道路辺りを、京滋バイパス方向に入る。暫しまどろんだら、既にバスは名神高速道路に入っていた。第1回目の休憩を多賀SAで採る。1時間半でここまで来た。車窓は何時も通る道で、特別の感慨はなく、持ってきた本を読んだり、窓外を見たりの単調な行程だ。ところが、丁度乗り合わせた、(大阪の)オバチャン連中が、出発と同時に喋り始めたので、賑やかな旅となった。グループの中でも特にお喋りのオバチャンは、これから先、着くまでずっと喋り続けていた。敦賀湾に最も接近する杉津PA辺りで、トンネルを抜けると濃霧が掛かっていた。そんなことにも大きな声で反応するオバチャン達だ。南条SAで2回目の休憩を取って、恐竜博で降りた福井北ICを過ぎて、次の丸岡ICで高速を出た。運転手によると、芦原温泉には乗降客がないものの路線バスとのことで、訳もなく芦原温泉街と芦原温泉駅を経由して走らなければならないとのことだ。全くの無駄走りだが、仕方がない。従って、その後は一般道路を通り、北潟湖を見ながらやがて、山代温泉に到着するといった具合だ。15時前には山下家に到着した。何やかやと5時間近く掛かっている。旅館は想像していたよりは随分立派な構えである。吐き出された乗客の他、フロントは今し方着いたばかりの他の客への応対で大童だった。連れ合いに聞くと、何やら外資系が経営権を握っているらしく、そんなことからか、旅館と言った感じはしない、テキパキとした応対だった。前田(利家)家のプライベートな湯場があったという玄関前の池には、鯉が泳いでいた。到着してすぐに、屋上の露天風呂に直行した。山代の町が見渡せる見晴らしの良い、露天風呂には、団体で来たのだろう、私と同年配くらいの同窓会のような連中が、何人か浸かっていた。ほかにも殆どが老人と言われるカテゴリーの人達ばかりであった。バスには若い(後で聞くと大学生だとのことだ)5人組も乗っていて、そんな方が、むしろ奇異に感じられる旅の組の構成である。さっと汗を流し、夕食のバイキングに降りたが、ここも予想外に料理の種類も多く、比較的ゆったりとした配置になっていた。お酒(白山)を注文すると、皿の上に急須のようなお酒入れと、その先がこぼれ落ちるのを受ける猪口の3つのセットになっている上から、酒を注ぎ、急須から溢れ、猪口を溢れ、下の受け皿が満たされるまで注ぐといったサービスの仕方だった。常温のサービスだったので、連れ合いは、冷えた瓶入りの酒(加賀の月)を新たに追加注文していた。殆ど自分は飲まないので、それがそっくり私の飲み代になると言うわけだ。そんなことで、一寸飲み過ぎ(瓶入りは、その後飲むために持ち帰った)、食べ過ぎ位頂いて、周りを見回すと、年寄りの夫婦や、団体の中にも、子供連れの客も何人か居たようだ。食後再び、サウナや露天風呂を楽しんだ。そして、カラオケもほんの少し楽しむことになったが、空調の調整が巧く行かず、熱気で汗をかく始末。寝る前に再度温泉に浸かったのは言うまでもない。
2015.11.09
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今日も雨でウォーキングは中止だ。***中国(中華人民共和国)と台湾(中華民国)の両首脳がシンガポールで初会談した。中国の内戦終結の1949年に、台湾が中国から分離したとき以来のことだ。ラストエンペラーとして知られる中国の清王朝が倒れ、孫文により中華民国が成立したが、日本が絡んだ過渡状態の後、中国はイデオロギーの違いの下、蒋介石が率いる国民党と毛沢東が率いる共産党との確執が、如実になってきた。元々本土に於ける中華民国成立時からこの両者は対立していたわけだが、対日戦争のために一旦休戦を2回に亘って行っていた。やがて、日本の敗戦で、共通の敵がいなくなったわけで、この両者の確執が再燃したわけだ。蒋介石の天下だった中華民国もその後の腐敗と、経済の悪化で、民心が離反したその隙を共産党が巧く突いたと言うことになる。この抗争、議会の場での論争などと言った生やさしいものではなく、内戦という形で、進んでいく。共産党軍も、国民党軍(国民政府軍)の傘下で日本と戦っていたわけだが、日本との戦争の矢面に立っていた国民党が疲弊に任せる中、地方で、共産党は力を蓄えていた形だ。更に共産党軍は、旧ソ連の支援をバックに、段々と南下して、国民党軍に迫っていった。一般大衆は、往々にして、時の権力者に不満を抱くもので、そんな隙につけ込んだのが共産党軍だったと言うことだ。内戦による国民の不安と不満をおもんばかって蒋介石は毛沢東へアプローチして和平への道を探り、一旦は停戦したかに見えたが、やはり相容れず、再度衝突することになる。アメリカは一度国民党に肩入れするも中途半端に軍隊を引いたため、結局のところ、共産党軍側に決定的な勝利がもたらされた。その結果、蒋介石率いる国民党は南京を払って(追われて)、台湾へと落ち延びたという形だ。毛沢東の後、中国本土が共産党一色で統一され、現在の習近平に至る。蒋介石の後、台湾に逃れた、国民党の場合は、やがて議会制民主主義を採り、現在の馬英九に至っている。元はと言えば、中国漢民族の同族同士だが、主義主張が異なるために、あたかも別れたかの如くなっているが、実は1つの国であるというのが、了解事項なのだ。従って、台湾は、あたかも1国の如く振る舞っているが、国際的には、国として認めている国は少数で、日本やアメリカなどは、国ではないが、国みたいなもの的に扱っている。中国は、当然台湾を帰属部分と考えているし、台湾側も、中国本土を自分の領土の一部として考えていて、実効支配部分が台湾だという見解だ。現実から考えると、荒唐無稽的ではあるが、筋論的には、そう言った考えも当たっていなくはない。中国4000年の歴史などと言うのは、漢民族の流れで、時に蒙古系や、満州系の民族が支配した時期があっても、中華思想の流れは漢民族にあるとの考えで、現在の中国も台湾も民族的には漢民族の末裔なのだ。台湾は民主主義制度を採っていて、現在は馬英九が総統となっているのだが、来年1月に予定されている選挙で野党である民進党が躍進する気配が見えていると言うから、この会談の成果がどうなるのかは未知数かも知れない。というのは、民進党は1つの中国という考えではなく、台湾も1つの国家で、独立することを目指しているからだ。民進党は、中台関係を1国内の、政党同士の争いであるという考えではないというわけだ。従って、この先どうなるかはまだまだ予断を許さないが、取り敢えず、中台間の緊張はほぐれる方向に転がったと言うことだろう。中国の歴史を見れば、合従連衡、離反分断は世の常であり、権謀術数渦巻く中、この先、どう言ったことになるかは未知数と言うことだ。中国は世の中を共産主義で塗り上げたいという野望(少なくとも地球の半分は俺のものだ)と言う中華思想で貫かれている。海洋進出を決め、第一列島線はおろか、第二列島線まで視野に入れた中国は、台湾との会談も深慮遠謀の端緒に過ぎないと考えているだろう。当面の目標は、第一列島線であり、ソ連崩壊の現在は、唯一、互する仮想敵国はアメリカであり、台湾問題も、尖閣、南沙・西沙諸島などと同じ位置づけなのであろう。こういったトウ小平辺りから構想されている、中国「再建期」は達成し、現在遅れ気味とはいえ、「躍進前期」として、第一列島線内部(近海)の制海確保を達成しようと目論んでいる。この勢いで、後5年後(実際はもう少しずれ込むようだが)には第二列島線内部の制海権を確保し、やがて2040年ころには、太平洋やインド洋に於いてアメリカと対等な国家になることを目論む構想を捨ててはいない。
2015.11.08
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今日は歩こうと玄関を開けたら雨だったので、ウォーキングを中止した。その後、雨は上がったが、あまり歩きすぎるなとのご託宣と言うことだったのかも知れない。***連れ合いが、ふるさと納税の品物を指定し、郵便局で振込用紙を使って送金をするのに付き合った。之は、電話での申込(?)から、当該町からのファックスでの申込用紙送付受けとるのと、ファックスでの申込の後、郵送で振替用紙などを送って来るといった手続きを経たものだ。(何だか得をすると言うことで、最近は流行らしい)これら一連のやり取りは、全て旧来からの通信手段であるから、我々のような高齢者には、理解しやすい。私の先輩や、友人などでは、パソコンを持たないとか、携帯電話は持たないとか言ったポリシー(必ずしもポリシーではないかも知れないが)で生活している人が居るが、ふるさと納税などは、そんな人達にも対応出来る仕掛けになっている。未だ受け取ってはいないが、マイナンバーなども、こういった旧態の通信手段の人には、身分証明書の番号のようなものだろうが、パソコンやスマートフォンなどで打ち込んで何かをしようとすると、予期せぬトラブルが起きるような気がする。今日は半日を使い、通信に関する面倒な話に入り込んでしまった。昔からパソコンを使い続けているが、全く使わない人は別として、時々使う人には、パソコンは便利だが、また、これほど厄介なものは無いかも知れない。インターネットを利用するときは、通信会社とプロバイダーとよばれる会社と2つに登録しなければならない。それに携帯電話が加わると、更にややこしくなる。パソコンを買って設定するときには、自分自身で(電話などのサポートを受けながら)行ったり、何某かの助けを借りてやる(そんな手順だったと記憶する)のだが、時が経てば、どんな手順で設定したのかなど忘れてしまうことが多い。まして高齢になると、忘れる速度は倍増するので、パソコンなどの進歩の急速さとはますます乖離してしまう。最近では特に、高齢者を狙った詐欺などが多発しているが、こういった諸手続が、複雑になればなるほど、詐欺被害は多くなるだろう。そんなわけで、個人情報の名の下に、パスワードを入力する機会が多い。パスワードは他人に知られてはならないもので、特に誕生日などを使わない方が良いとか、同じパスワードを他の対象(銀行毎に変えるとか)と供用して使わない方が良いとか、時々は変えた方が良い等と注意があると、色々なパスワードが自分の中で溢れかえることに成りかねない。個人のIDなども然りで、自分に覚えやすいようにすることと、何処でどんなIDを使っているかなど、何処かにメモを残しておかないと混乱の極みになる。そして、そのメモを何処にしまったのかを忘れてしまえば、復活に、もう膨大な手続きが居ることになるだろう。パソコンやインターネットは便利だが、そう言った煩わしさを内蔵していることになる。テレビなどは電源に差し込めば、買ってすぐ使える(プラグ・アンド・プレイ)ので苦労はないが、パソコンやスマートフォンになると色々面倒なことがある。その度に販促ショップなどを訪れて聞かなければ解決できないので面倒で、時間が掛かる。パソコンなどは一旦設定が終わり、そのままの状態で使っているうちは良いのだが、スマートフォンなどでは、なかなかそうはいかないという事もある。また、通信業界の価格設定は実に複雑で、じっくり聞いてもなかなか理解が及ばない。まして、キャンペーンで、この1週間に限り、契約変更すると、向こう11ヶ月は、月々1111円安くなりますよと唐突に受信するといったことが起こる。何だか、契約を変更しなければ損をするように思い、話を聞く内に、結構複雑な作業(勿論サポートはあるというのだが)に巻き込まれるというものだ。そんなことに時間を費やしていると、ふと、便利だと思って使っているが、精神性の面で、之で良いのだろうかと思ってしまい、今まで、何故使わないのだと訝っていた先輩や、友人達を羨ましく感じることがある。しかし、そうは云っても、之からの世の中、電子機器を使いこなせなければ生きていけなくなるのだろうなと、つくずく感じた1日であった。
2015.11.07
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今日はゴミ当番に当たっていて、第1金曜日は不燃物の「カン」の日だ。ゴミ箱を設置してウォーキングを始めた。ウォーキングは河川敷をNH看板から更に歩いて大山崎IC橋を折り返した。雲が多く、三川合流地点で、太めの三日月と明けの明星とその間にやや小さな星の3つが見え、北斗七星は何とか見えるものの北極星は雲に隠れていた。大山崎IC橋迄到達すると、東の空が白み(実際は赤く染まっている)、月と金星と間の星の3つ以外は殆ど確認できないくらいになっていた。帰りは脚の付け根が痛くなり、何度か休み休み帰り着いた感じだ。***2日前に郵政3社の株が上場された。株や、金儲けには疎い身としては一々分からないことばかりだ。売り出したその表現を「買い注文が優勢で」と書いてあった。初めて売り出したのに「優勢」とはどういう事なのだろうか。売りがあるわけではないので「旺盛」なら分かるのだが、と一寸訝しんだ。まあそれはそれとして、かつてのNTT程ではないにしてもご祝儀と言う事も手伝ってか、初値は共に売り出し価格を上回ったとのことだ。ここで、また疑問だが、売り出し価格というのはどう言った根拠で決められるのだろうか。市場が評価する想定価格なのか、会社自身の実力を見越した価格なのか、ということだ。それも置いといて、3つ目は、「日本郵政」と「ゆうちょ銀行」、「かんぽ生命」の3社が上場されたというのだが、「日本郵便」は何故上場されなかったのかという点と、「日本郵政」は「ゆうちょ銀行」、「かんぽ生命」及び、「日本郵便」3社の上に立つ親会社(ホールディング会社と言うことなのか?)なのにこのへんてこりんな上場形態が分からない言う点だ。「日本郵政」自身が株式を上場し、その傘下の「日本郵便」が上場されず、その株式の100%を親会社の「日本郵政」が持っているという形が私には理解できないわけだ。(親子同時上場は世界的にも異例だと書かれていた)株を買ったわけでもなく、経済を知る訳でもないから、友人が言ったようにどうでも良いことなのだが。自民党をぶっ潰すと言って始まった「郵政民営化」の動きから10年経っての、小泉元首相には言わば感動の瞬間だろう。上場されたとは言え「ゆうちょ銀行」と「かんぽ生命」とも日本郵政が89%の株を有しているわけで、市場には共に11%が放出されただけのようだ。上場が大きな節目であり、今後の成長が鍵だと言われている。私などに言わせれば、郵便局と言えば、手紙や葉書を希望の相手に届ける仕事などと、「ポストマン」のイメージだったが、今回その役目を果たしている、「日本郵便」だけは上場されていないので、何だか拍子抜けする気分である。これから先、本格的な民営化には紆余曲折が見込まれるようだ。「ゆうちょ銀行」と現在ある都市銀行との関係はどうなるのだろうか、ワン・オブ・ゼムと言うことになるのだろうか、庶民の財布的なイメージの郵便局の貯金扱い業務は、行く先、効率化(民営化の本質そのもの)故に淘汰を余儀なくされていくのかとか、「かんぽ生命」も同業の現行生命・損保会社と同列に並ぶのか、といったことだ。「日本郵便」が上場しなかったのは、何故かだが、ここが完全民営化されると、全国2万4000カ所有るという郵便局の淘汰が起こり、地方の切り捨てに繋がるのではないかとの懸念だ。故に、未だ上場していないのだろうか。ご祝儀相場で張り込んだが、その後じり貧にならないように、各社とも頑張らねばならないだろう。現11%の上場率が攻めて50%にならなければと書いてある。本当に民営化(100%市場に委ねる)事が出来て、初めて民営化と言えるのだろうが、それまでにはまだまだ様々なことが起こるだろう。この「日本郵政」の社長を務めているのが、東芝出身の西室泰三だ。後輩3人の社長が揃って不祥事を起こし、出身母体が、6年ぶりの営業赤字(粉飾し、損失の先送りをしていただけだから、本当のところは6年ぶりではないと思うが)を出したとの記事が併掲されていた。半導体の営業総括まで歴任したその半導体自体を身売りするなど、出身企業は今やボロボロだ。之を時の運というか、ともかく雲泥の差というのはこのことだろう。
2015.11.06
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今日は姉と、連れ合いの3人で、久しぶりのゴルフとなった。ウォーキングはゴルフに替えることとした。 姉は81歳、我々ももうすぐ71歳という老人パーティーである。特に連れ合いは、71歳になるまでにもう一度ラウンドしておきたいと希望を持っていた。そのために2日に練習に出かけたが、1時間だけクラブを振っただけで、それ以上は疲れるのでやらないと言ったあっさりしたものだった。姉の方は、時々、別の老人パーティーでゴルフをしているとのことだったが、このところ転居などで、間遠になっている。連れ合いはと言うと、事故の1ヶ月ほど前の2014年5月13日に枚方国際GCに友人夫妻と行ったのを最後に途絶えている。1年半ぶりにクラブを振ることになったわけだ。そして、未だ少し痛みが残る脚なので、カートの乗り入れが出来る、瀬田西コースを選択したのである。心配だった天候はすこぶる良好で、カートの乗り入れも、ゴルフ場のコンディションも申し分ない状態で迎えることが出来た。私はと言うと、このところ余り良い成績を残せないので、3人の珍道中にならないかと危惧していて、正直悪い夢を見る日もあった。申込は、安い日と言うこともあったが、皆さんがあまり来ないであろう(と勝手に思った)早朝のスタートを選んだ。5時起きの6時に家を出て、と言うスケジュールだったが、高速道路は空いていたので、スタートの1時間前には悠々と到着することが出来た。さてスタートしたが、前の組は、男ばかりの4人組で、みるみる置いて行かれた。それは覚悟していたが、後続の男4人組に迷惑を掛けないようにと気にしながらのプレーだった。私の1番のティーショットはまずまずだったが、姉も、連れ合いもチョロと天ぷらから始まったので、正直どうなるのかと先が思いやられた。自分自身が、良いプレーをすることで、余裕を持たなければと、自身を落ち着かせることが先決と出来るだけゆったりと構えることに気を使った。しかし、やはり、心はそぞろ、1H(L)はアプローチでシャンクする等ちぐはぐだがGR上では比較的長い距離が1パットで決まり少々落ち着いた。2番では、バンカーで2つ叩いて、と之はしくじった。連れ合いのティーショットはこのホールは良く、練習時の良いところが出た。之なら行けそうだ、そう希望が持てたホールだ。ところが、姉はというと、どうも目が極端に見づらいらしく、ラフはおろか、FWにあるボールも1人では探しきれないと言う状態だった。カートコースにが乗り入れ出来なかったら、正直回れるかどうか怪しいところだった。逐一書けないが、ショートのダブルスコアや、3パットなど、前半は苦労の連続だ。自分自身のことだけでは済まないので、気持の多くを姉と連れ合いの2人のショットとその行方に注目していた。とは言え、姉の場合は、差ほど飛ばないから、ボールの行方を見逃すことはない。概して、連れ合いのショットは良い形で展開したので助かった。2人とも、急がせ、急がせしたので、あまり楽しく回れなかったかも知れないが、3ホール目当たりから後ろも迫ってこないのが分かり(中に1人初心者が居たようだ)やや余裕が持てた。従って3ホール目までは無我夢中という感じだったのだ。少し落ち着いてからの後は、4番のロングでダボを叩いた他は、その後、9H(M)で6つ叩いた(ダボ)の他は全部のホールを5で上がった。右中央付近に池があるNo5ホールでは、連れ合いのショットが良すぎて(方向は良くなかったわけだが)池まで届き入ってしまうと言うケースもあった。その後の連れ合いは、ショットはまずまずの当たりだったものの、最後の詰めであるアプローチと特にパターで、ノーコンをさらけ出し、下り勾配も上りも訳が分からず、また力加減もでたらめになり、パットで6つも叩くケースが出てくる始末だった。前半を後続から何とか追いかけられずに済んだので、少しゴルフを楽しめる気分になっていたが、食事の後、前の組が早めに出るのを追いかけて出たが、後続もまた早めに来たので、結局間合いは一緒で、また急がねばならなかった。しかし、後半は姉のティーショットも飛ばない乍ら、前に進み出し、No12のショートホールでは、前の組がGR上で終わるのを待つまでになった。そして、ここは私がパーで、姉と連れ合いは、ボギーで上がっていたので、なおのこと前との差は縮まり、初めて、追いついて待つことになった。No.14のロングホールでは後続のカートが駆け寄って来た。何事かと思っていると、連れ合いが置き忘れたクラブを届けてくれたのだ。カートが自由に操れる利点だ。クラブを渡してくれて「ゆっくり楽しんで下さい」と言い残して戻っていったので、やや気分は楽になった。しかし、このホール、実際は、乱れて、誤球するなど散々であった。しかし、その後、何とかスムーズに展開しながら、18ホールを終えることが出来た時、どっと疲れが出て来た。私の場合は100を切れないのは仕方ないとして、連れ合いは、最小限の脚の痛みで済んだのは良かった。姉のスコアまで気が回らなかったが、自分で全くボールを見つけられないまでに衰えた目なので、ゴルフを楽しむ余裕はなかったと述懐していた。一寸可愛そうな気がしたが、紛いなりにも楽しかったと言ってくれたので、大いに安堵した。
2015.11.05
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今日のウォーキングは檜尾川橋から高槻の愛仁会迄出て引き返した。愛仁会辺りでやっと白み初め帰りに檜尾川橋に掛かった頃に日の出となった。今日は小学校の放課後学習会だ。先週喧しかったが、今日は比較的温和しい前半だった。先生に何か云われていたのかも知れない。帰る頃にはまた少し4年生らしく、ざわざわしていた。繰り返しの九九練習(と言っても割り算ベースの余りを出す形式)は、少しは効果を示しているのだろうか、案外スムーズにプリントを仕上げていた。***南シナ海の航行自由について、アメリカが実際の行動に出てきた。イージス駆逐艦「ラッセン」の投入だ。中国が勝手に主張する自国の領海は、国際法上は何の根拠もないわけで、そこに中国は勝手に人工島を作り、それを起点に太平洋に覇を唱える橋頭堡にしようとしているわけだ。しかし、ずっと以前からこの事実は明らかなのに、アメリカは何故手を拱いていたのだろうか。日本にとって中東からの原油やガスを輸入するための重要なシーレーンであり、フィリピンや、マレーシアと言った国からは喉元に突きつけられた合い口のような物である。アメリカが同盟国を重要視するならば、もっと、ずっと以前から、人工島を作りかけた当初から之を阻止するべきであったのにと言う気がする。どう言った駆け引きが行われたかは知らないが、アメリカが世界の警察の看板を下ろしてこの方、こういった弱腰が見られるようになってきている。今回のアメリカは四半期に2度かそれ以上建設中の人工島12カイリ(約22km)内に艦船を派遣するというものだ。之は取りも直さず人工島は中国の領土ではない(自由航行区域だ)と言うことの痛烈な回答である。「中国に国際法上の航行権を認識させる」との重大宣告だ。中国に国際法廷に出て判断を仰ごうなどと言うことは所詮無理だと云うことは分かっている。土台国際法廷は、西欧主導のものであり、共産党が絶対(中国が法律)という中華思想に何ら相容れないものだからだ。互いの言い分は、アメリカは先に述べた航行権の確保なのに対し、中国は、既に、人工島は自国領土との出発点から「中国の領土主権と安全への脅威」だとして、守るのだとの意気込みだ。アメリカや周辺国、また日本などの常識が通じないのが中国で、この状態は互いの話し合いでけりが付く状況ではない。後は一触即発の事態を避けるように行動するだけだ。互いに話し合いの国防相レベルの会談姿勢は残しているようだ。周辺諸国もフィリピン以外は、積極的な人工島反対の意思表示が、なまぬるい。詳細に見てみると、人工島は1つではなさそうだ。7つほどの岩礁に軍事基地を営々と築いているのだ。今の世の中、どんな所でどんな事が行われているくらい軍事の専門家ならずとも分かっているはずなのに、一寸ばかし歯がゆい思いだ。しかし中国もまた強かである。一度既成事実を認めさせる(と言うか、他国が見過ごしてしまう)なら後は、簡単だと思っている節があり、今でも自国と言っているくらいだから、人工島完成の暁には、之に文句を付けると今度は内政干渉と言い出すに決まっている。その良い例が、東シナ海のガス田の勝手な開発(しかも日本の領海内での)や尖閣列島問題だ。少しずつ、既成事実を積み重ね、少しずつ浸食していく。これが従来から中国が採ってきた手ではないか。アメリカが出れば間合い伺い引き、アメリカが去ればその間に事を為す。おそらく大衝突にはなるまいが、性根を据えていかないと、いつの間にか抜き差しならぬ状態に引き込まれかねない。アメリカの息が何処まで続くか、オバマが去っても大丈夫か、などなど之からも波乱含みが続きそうで、心配である。
2015.11.04
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今日のウォーキングは西国街道を山崎駅下から西山天王山迄脚を延ばし、引き返して、円明教寺口から帰宅した。毎年恒例の、文化の日の行事となった友人の謡と仕舞の日だ。共通の友人を誘い合わせて、能楽会館に足を運んだ。友人の出番は、11時過ぎとのことで、早めに梅田に出て、楽屋見舞いにと、いつもより高めのお酒を届けた。大阪能楽会館は、随分と古く、1959年3月に定礎したようだ。既に半世紀を経た、古色蒼然たる建物で、小さく、陰気くさい感じだ。古典文化は良いが、建物まで倒壊寸前(?)の古典的なままにしておくこともあるまいと思うのだが、建て替えなどの話はあるようでない。友人が何故この様な地味な趣味を持とうとしたのか、未だ詳しくは聞いていないが、兎に角、内容に派手さはない。番組表は能楽会館に着いたときに貰うのだが、友人の出番と題目は、舞囃子の「桜川」と素謡の「藤戸」である。能楽の集いは沢山あるようで、友人の出演は1つの集まりの発表会という質素なもののようだ。能楽の正式な鑑賞の仕方を知らないのだが、演し物は、9時半からぶっ続けで行われておいて、舞台に立つ人が交代するチャンスにだけ隣の友人と一寸話が出来るといった具合で、兎に角切れ目無く予定では18時半頃まで行われるようだ。途中で場内に入ることも気が引けるが、一端入ると席を正面に移そうと思っても、なかなか移動できる雰囲気ではない。観賞者の中には高校卒業以来1度も会ったことのない共通の友人も来ていた。未だ現役で、名刺を呉れたら、京大名誉教授と書いてあった。友人は他にも、何人かいたようで、その1人と一寸簡単な挨拶を交わし、舞台に専念したが、気付いたら、連れ合いの姿は消えていた。後で聞くと中に入って席に付いた時に何やらダニの攻撃を受けたとか、ダニに過敏な反応する身としては耐えられず退散したとのことだった。それほど古い建物だと言うことだ。私が、席に付くと、丁度素謡「弱法師」が掛かっていた。共通の友人達が、その時入ってきた。「弱法師」が終わり、今度は仕舞になったのだが、「老松」と「玄象」を小学校に上がる前だろう、可愛い女の子と男の子が続いて演じていた。何とも微笑ましいことだが、こんな小さな時から、稽古に引き込まれてと、行く末はどうするのだろうかと、思ってしまった。歌舞伎の初舞台ではないから、将来を保証されているわけではなく、大変だろうなどと知らない世界のことも思いやった。友人の演じる題目について調べておいた。あらましをネットから借用すると、「桜川」というのは日向の国(宮崎県)の桜の馬場に暮らす母子がいて、その家は貧しく、ある日、子どもの桜子は母の労苦に心を痛め、自ら人買い商人に身を売ってしまうというものだ。その人買い商人から届けられた手紙から事実を知った母は、悲しみに心を乱し、泣きながら家を飛び出し、わが子を求めて旅に出る。 それから3年、桜子は常陸の国、磯部寺の稚児となり、住職とともに桜川に花見に出かけると、そこに桜子の母が物狂いとなって現われる。母は綱を手に懸命に水面に散る桜の花びらをすくっているのだ。気になった磯部寺の住職がワケを訪ねると母は、別れた子、桜子と縁のある花を粗末にできないと語り、わが子への思いを募らせていたと言うわけだ。 やがて、母は住職が連れてきた子どもと対面し、その子が桜子であるとわかり、母は正気を取り戻し、嬉し涙を流し、親子は連れ立って帰るというストーリーだ。まぁ、この梗概を調べておいて舞台を見ても、どうなっているのかよく分からないというのが正直なところだ。2つ目の友人の演し物は「藤戸」で、そのあらすじは、源平合戦での藤戸の浦の平家との戦いで軍功のあった 佐々木盛綱が褒賞として備前の国・児島を与えられ、新領地に初めて乗り込む日のことだ。盛綱は「訴訟のある者は何なりと申し出よ」と触れさせる。そこに一人の女が現れ、わが子が海に沈められた恨みを述べようとする。我が子というのが、盛綱が藤戸の海を馬で渡れる浅瀬を聞き出した男で、男の口からこの秘密が他人に知れることを恐れて、男を刺し殺し、海に沈めてしまったというわけだ。盛綱に詰め寄る女に、前非を悔いた盛綱は遺族の保護を誓い、女を帰し、故人のために管絃講の法要を執り行うというストーリーで、海に沈められた男が恨みから、怨霊は水神となって盛綱に襲いかかろうとするが、追善供養の功徳によって怒りも解け漁師の霊は成仏するという内容だ。友人の声は張りがある声調で、滑舌も良く明瞭だったが、相手の母親役の男性の声はか細く、何を言っているのかよく分からなかった。之では素人受けしないなと感じた。友人の出番が済んで、集まった4人の友人達と、2階に上がり暫く世間話をした。話の内容は、今では、それぞれが経験した病気や手術のことばかりだ。互いに歳を取ったものだ。そんな暫しの歓談をし、能楽会館を後にした。ヨドバシカメラで、ウィンドウズ10のパソコンの購入した見に出かけたが、何かとめんどくさそうなので、保留とし、変わりに、ソフトバンクの勧誘で、光電話とインターネットのコラボによる通信費の低減の話を聞き、仮契約をして帰った。
2015.11.03
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今日は歩こうとドアを開けたら雨だった。連れ合いもその気になっていたので、傘をさしてふれセン周りのミニウォーキングとした。近くの医者に通常診察を受けに行った。診察室では何時も血圧が高くなる。家では低いのにと言うと、血圧を低くしなければ等と考えることで血圧が上がるのだそうだ。酷いケースでは、100くらいは変わるのだとも云う。一体何なんだ。明後日のゴルフに備えて、姉と連れ合いとを伴って八幡にゴルフの打ち放し練習に出かけた。出来る限り打つ感覚を持って貰うためだ。しかし、1時間足らずのクラブ振りで、良くなるような甘いものではないのだが・・・。また、学会の残務で、頼まれた賞状を受賞者に送るなどした。***アメリカのブルッキングス研究所所長ストローブ・タルボット氏のプーチン大統領評が新聞に載っていた。私も様々な記事を読んだり、事実を報道から知らされて、ある程度知っている気になっているが、勿論それは事実の1つであるかも知れないものの、単純に鵜呑みにすることは出来ない。彼は今63歳だ。私よりは8歳ほど若い。そして、見据える野望は、2024年の先ではないだろうか。今から9年後彼は、丁度今の私の歳程になる。日本では、我が同輩で、現役で仕事をしている人も何人か居るが、殆どが、リタイヤし、それぞれの趣味に生きている。それが一般的だろう。しかし彼の場合は違うだろう。プーチンの場合は、エリツィンの後を継いで、1年の暫定期間の後、2000年、第2代のロシア大統領に正式就任し、2期(1期は4年で3選は禁止)8年を終え、憲法の定めに従って、一旦は首相に引き下がった。しかし、メドベージェフにショートリリーフ(と言っても4年)看板上の大統領を任せ、裏で糸を引くという形を採って、その間に憲法を改正せしめ、2012年から第4代大統領として再登板、おそらくここでも、2期(今度は1期6年で都合12年)勤める予定で、2024年まで在任するつもりだろう。さてその先は・・・だ。彼がKGBの職員だったことはつとに有名だが、簡単に、スパイに憧れてと処理されているものの、中学3年の時から、ある程度将来を見据えていたと思えなくもなく、この点で、一般の人とは比較にならない何かを持つ男だと感じる。やがてKGBの後身のロシア連邦保安庁(FSB)の長官に就任し、時の大統領ボリス・エリツィンのマネーロンダリング疑惑を、権謀術数を使って(捜査する検事総長を女性スキャンダルで失脚させる)もみ消し、当時の首相のエリツィン追い落としクーデターを未然に防ぐなどして、エリツィンの信頼を得、大統領に就いている。正に周到な計画である。勿論KGBに入るときも周到な計画性で対処していることも書かれている。兎に角将来を見据える点で、凄いものを持っているのだ。さて72歳になったとき、どうしようと考えているのだろうか、もし聞けるものなら、本人に聞いてみたいと思う。私が、身の回りの人の経歴や、日経新聞の私の履歴書などを読んで知る範囲では、殆どの人が、幼い頃の成り行きに任せて、現在の地位(起点的に)に至ったように書かれていることが多い。何時の日にかは、自分の進む道を自分で決めるのだが、知らず知らずのうちに導かれた方向に進んでいるというケースが殆どではないだろうか。中学2年生で将来を見据えていた(と想像するだけだが)プーチンは、少年時代の家庭環境はあまり裕福では無かったと言うから、強い意志で、之を打破しようとしていたのではないかという複線を感じる。勿論そのための才能を兼ね備えていたと言うことだろう。記憶力は抜群で頭の回転も速く、性格的には父親から頑固、かつ勤勉と言うDNAを受け継いでいたようだ。そんなプーチンを、タルボット氏は、「高度な戦術の使い手」と評している。ロシアがシリア介入を決めたのは、ウクライナやクリミアから目をそらすための目眩ましだったというのだ。奇術師が使うトリックだとも表現する。換言すれば、欧州の問題から目をそらすために、中東に目を向かせたというわけだ。一寸当たらないかも知れないが、中国兵法36計の遠交近攻と言うことに当たるかも知れない。勿論、シリアはアサド(現大統領)の父の時代からの同盟国であると言うのが根底にはあるが、シリアを西側陣営が追い落とそうとすることに反発しての行動だというのだ。プーチンにとって、シリアの国民がどれだけ圧政に苦しんでいるかなどどうでも良いことのようだ。彼は、イスラム教徒の中でも、少数派であるシーア派(イランやイラクの一部)やヒズボラ(レバノン)そしてシリアのアラウィー派をロシアの中に取りこもうとしているのだというわけだ。背景には、西側勢力のスンニ派への接近があるのだと思う。日本にとっては北方領土だが、プーチンにとっては些末なことなのだ。日本もただただ北方領土を返せ、のシュプレヒコールだけでは何の意味もないと言うことだ。稀代の策士、プーチンを相手にするには、10歳も若いアメリカのオバマ大統領では役不足だし、日本の弾はあまりに小さいとしか言いようがない。タルボット氏は、プーチンの来日に対し、反対はしないものの、世界を相手に次々と「奇術」を披露する策士を招き入れるには、余程の覚悟と知恵、胆力が必要だと述べている。
2015.11.02
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今日は何日かぶりにウォーキングした。高浜堤から堤の終点迄のいつもの少な目のコースだ。***唾液や尿でがんが発見出来るのだと、東京医科大学や国立がん研究センターなどで新技術の開発が進んでいるという。東京医科大学は唾液を使う膵臓がんの検査法を臨床試験中で、国立がん研究センターや塩野義製薬は尿からぼうこうがんを見つける技術を開発したようだ。エックス線検査などよりも患者の負担が軽く、費用も数千円に抑えられる見通しとのことで朗報だ。しかし、全てのがんに万能ではないようだ。説明では、がん細胞では増殖や転移などに関係する物質を多く出し、それらが血液に混ざる。唾液は血液がもとになっており、尿には血液中の物質が排出されるので、尿や唾液の中のがん特有の物質を手がかりにして、がんの有無を調べる事が出来るのだという。膵臓がんは自覚症状がないとのことで、複雑な手法を用いなければ分からないのであれば、受診率は上がらないし、従って、見つかったときには手遅れと言った状況になる。これまでの研究では発見は、9割の精度で出来、早期の膵臓がんでも効果を期待できるのだという。厚生労働省によると、年間3万人を超す人が膵臓がんで亡くなっており、この割合は、肺がん、大腸がん、胃がんに次いで多いのだという。私が参加しているゴルフコンペでも膵臓ガンを患い、一旦復帰した後悪化して亡くなった人が居た。もう少し早ければ、早期の発見に繋がったのかも知れないが、何とも言えない。之から臨床試験の段階に入るようで、東京医科歯科大学等の合同チームが之に当たり、向こう3年間に1000人の患者と5000人の健康な人で効果を確かめる段階だ。未だ3年は掛かると言うことだ。一方、がん研究センターと塩野義は、がん細胞が出す袋状の微粒子を目印にぼうこうがんを見つける技術を開発したという。約50人を検査した結果、がんの患者には特有の微粒子が2倍ほど発見されたという。ぼうこうがんも自覚症状が表れにくいらしく、年間8000人近くが亡くなっているという。現在は精密検査でぼうこうに内視鏡を入れて調べる必要があり、大変な苦痛である。これが尿検査で済むとなれば患者にとっては有難いことだ。これも3年後の実用化を目指すのだという。嗅覚研究所代表の外崎肇一さんによると、病気にはそれぞれ特有の臭いがあるのだそうだ。その体臭で病気の種類まで分かるなんてこともあるようで、江戸時代の昔から体臭で病気の診察をするのが当たり前のように行われていたのだという。その例は、糖尿病なら甘い臭いや甘酸っぱい臭いで、胃の障害では酸っぱい臭いや卵の腐った臭い、腎機能の障害ならアンモニアの臭いで肝機能の障害だとネズミ臭やドブのような臭いと言った具合だ。糖尿病の人が入ったトイレでは、甘いにおい(ケトン臭)が残るといったことを聞いたことがある。糖尿病と言われた私は、神経を尖らせているが、未だそんな臭いが出てきていないようで、一寸安心している。このケトン臭は糖質を制限するダイエットでも起こりうるのだそうで、「ダイエット臭」などと呼ばれることもあるようだ。糖尿病のせいでケトン臭があるのか、ダイエットの効果なのか背反的で、一寸素人には判別が付かないのではないだろうか。 以前に報道されたが、がんにもこういった臭いがあるそうで、この性質を利用したのが最近話題の体長1ミリほどの「線虫」だ。この線虫もがんのにおいを嗅ぎ分けられることが、九州大学の研究で分かってきた(9割の精度で胃がんなどを見分けられる)と言うわけだ。早く線虫が実用に供せられないかなどと願っているが、実際の臨床や検査で使用されているのだろうか。もしそうなら、一度線虫に検査を御願いしたいところだ。
2015.11.01
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