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2012.12.12
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カテゴリ: 読書案内
【宮本輝/流転の海 第一部】
20121212

◆戦後の混乱期を生きる日本人の底力を見よ!

井上靖の『しろばんば』が、作者本人の幼年期~少年期までを描いた自叙伝だとすると、こちらの『流転の海』は、宮本輝の父親を主人公にした物語だ。だから、ご本人はやっとハイハイが出来るようになったぐらいの赤子としての登場だ。
肉親を描く時の作家の心情とはいかなるものなのか、ちょっと興味をそそられる。なにしろ一番身近な存在ほど主観的になりがちで、下手をしたら家族愛の小説(自慢話の寄せ集め)に成り下がってしまうからだ。
だがそんな心配は不要だ。さすがは芥川賞作家の宮本だけあって、息子の立場から描き出している箇所はどこにも見受けられない。驚くほど客観性に富んだ作品なのだ。
主人公の松坂熊吾という商人が、大阪を舞台に、敗戦の痛手からたくましく立ち直っていくプロセスを克明に描いているのだが、それがまた物凄い強烈な個性の持ち主であり、底知れぬパワーを感じさせるものだ。
この熊吾は好色で、ずいぶん遊んでいるようなのだが、どうにも子宝に恵まれない。ところが4人目の妻・房江との間にやっと念願の子に恵まれる。その子が何を隠そう、宮本輝というわけだ。(作中では伸仁という名前)
この時、熊吾は44歳、房江が30歳だった。

愛媛県出身の熊吾が大阪に出て、それこそ血眼になって働く姿に、日本人のルーツを感じる。我武者羅に働く男の勇姿は、それこそを日本男子の美徳とする大和魂を覚えるからだ。
戦前は自動車部品を中国に輸出する事業を手掛けていたこともあり、中国人とも格別の付き合いがあった。だが戦争によってその交際も絶たれ、会社のビルも空襲で焼け野原になってしまった。
そんな逆境の中で、熊吾は酷く日本人を嫌う。

これはおそらく、宮本輝自身の呟きでもあるはずだ。父・熊吾の声を借りて、平然と「わしは、日本人が嫌いじゃ」と言い放つセリフに嘘は感じられない。
だが作者が言いたいのは単なる自己否定などではなく、戦争体験者の生の声を正確に記録しておくべく、いかに戦争というものが残虐非道であるか、日本を占領したアメリカがどれほどの悪行をはたらいたかを、物語のあらゆる場面に散りばめているわけなのだ。
そんな仕事人間の熊吾が、後半に差し掛かってくると、にわかに、一人息子を溺愛する父親として描かれている。
病弱な息子がなんとか丈夫な体になって欲しいと、切に願い、思い切って会社のある大阪の一等地を売り払い、空気の良い愛媛の田舎に引き上げる決心をするくだりは、ホロリとする。
父とはおそらく、こういうものなのだ。

『流転の海』は、作家・宮本輝をこの世に生み出した両親について、しっかりとした輪郭と表情を持った人物像として鮮やかに浮かび上がらせている。
単なる自叙伝ではない壮大なドラマに、夜の更けるのも忘れてページをめくってしまう。これほど深みのあるストーリーテラーは、宮本輝以外に存在しない。万人におすすめだ。

『流転の海 第一部』宮本輝・著


☆次回(読書案内No.25)は岩井志麻子の『ぼっけぇ、きょうてい』を予定しています。

~読書案内~   その他

■No. 1 取り替え子/大江健三郎
■No. 2 複雑な彼/三島由紀夫 正統派、青春恋愛小説!
■No. 3 雁の寺/水上勉 犯人の出自が殺人の動機?!
■No. 4 完璧な病室/小川洋子
■No. 5 青春の蹉跌/石川達三 他人は皆敵だ、人生の勝利者になるのだ
■No. 6 しろばんば/井上靖 一途な愛情が文豪を育てる
■No. 7 白河夜船/吉本ばなな 孤独な闇が人々を癒す
■No. 8 ミステリーの系譜/松本清張 人は気付かぬうちに誰かを傷つけている
■No. 9 女生徒/太宰治 新感覚でヴィヴィッドな小説
■No.10 或る女/有島武郎 国木田独歩の最初の妻がモデル
■No.11 東京奇譚集/村上春樹 どんな形であれ、あなたにもきっと不思議な体験があるはず
■No.12 お目出たき人/武者小路実篤 片思いが片思いでない人
■No.13 レディ・ジョーカー/高村薫 この社会に、本当の平等は存在するのか?
■No.14 山の音/川端康成 戦後日本の中流家庭を描く
■No.15 佐藤春夫/この三つのもの 細君譲渡事件の真相が語られる
■No.16 角田光代/幸福な遊戯 男二人と女一人の奇妙な同居生活を描く
■No.17 室生犀星/杏っ子 愛娘に対する限りない情愛
■No.18 織田作之助/夫婦善哉 大阪を舞台にした男と女の人情話
■No.19 谷崎潤一郎/痴人の愛 この人物の右に出る者なし。日本の誇る最高の文士。
■No.20 車谷長吉/赤目四十八瀧心中未遂 生への執着は、性への執着でもあるのか
■No.21 松尾スズキ/クワイエットルームにようこそ 平成に新しい文学が登場
■No.22 川上弘美/神様 現代における女性版カフカ?!
■No.23 丸谷才一/鈍感な青年 男女の営みは滑稽なもの

◆番外篇.1 新潮日本文学アルバム/太宰 治 パンドラの匣を開け走れメロスを見る!
◆番外篇.2 菊池寛、選挙に出る! 読書階級の人は菊池寛氏を選べ





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最終更新日  2012.12.14 06:33:31
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