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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091231-00000039-jij-pol外交文書は原則公開に=第三者審査を検討-岡田外相岡田克也外相は最長30年の保存期間が満了した外交文書の公開を進めるため、外務省事務当局に開示・非開示を判断する裁量が認められている現状を見直し、「原則公開」を厳守することで本格的な検討に入った。安全保障上の理由などで例外的に非開示とする範囲を最小限にするため、第三者機関による客観的な審査の導入など具体的な改善策を検討する。米国では25年が経過した文書は原則として公開されており、外相はこれに準じた厳格な運用を日本にも取り入れたい意向。外相の要請で日米密約問題を検証している有識者委員会(座長・北岡伸一東大教授)は1月中にまとめる報告書で、文書公開改革のたたき台となる提言を行う見通しだ。条約締結交渉などを記録した外交文書の保存期間は30年で、これを過ぎたものは、歴史的文書として外交史料館に移管されることになっている。しかし、現行の外務省規則では、事務当局の判断で文書の省内保存を延長することが可能。核兵器持ち込みをめぐる日米密約の関連文書の一部が、保存期間を大幅に超え、米側で密約を示す文書が開示された後も、省内で保存され続けていることが調査で確認された。(以下略)-----------------かつて、田中眞紀子が外務大臣在任当時、「外務省は伏魔殿」と発言したことがありました。田中眞紀子はいろいろと問題のある政治家ではあると思いますが、少なくともこの発言は正しい、核密約を巡る一連の報道を見て、私はそう思います。日米間で極秘裏に結ばれた密約は、全部で4つあったようです。1960年(岸内閣)、核搭載艦艇の寄港・通過を黙認する密約と、朝鮮有事の際に米軍が日本国内の基地から自由に出撃できるとする密約1972年(佐藤内閣)、沖縄返還の際、撤去された核兵器を有事の際は再持ち込みすることを認める密約と、米軍用地の原状回復費用を日本が肩代わりする密約が、その4つです。このほか、核搭載艦艇の寄港・通過黙認の密約に関しては、その後何度か密約の再確認が行われていると報じられています。(1963年大平外相とライシャワー駐日大使、1972年大平外相とジョンソン米国務次官など)国家間の外交交渉には、内容を秘密にせざるを得ない場合がある、ということは理解できます。しかし、30年も経ってなお公開できないというのは、単なる秘密主義に過ぎません。現に、一方の当事者である米国では、既にこの密約は公開されているのです。しかも、最初の密約に関して言えば、米海軍の艦艇は冷戦終結後核を搭載しなくなったので、実質的には意味を失っています。それでもなお、密約の存在を否定して見せた外務省の態度は、漫画的とすら言えます。問題はそれだけではありません。少し前の報道ですがhttp://www.47news.jp/CN/200905/CN2009053101000320.html1960年の日米安全保障条約改定に際し、核兵器を積んだ米軍の艦船や航空機の日本立ち寄りを黙認することで合意した「核持ち込み」に関する密約は、外務事務次官ら外務省の中枢官僚が引き継いで管理し、官僚側の判断で橋本龍太郎氏、小渕恵三氏ら一部の首相、外相だけに伝えていた(中略)池田勇人内閣は核搭載艦船の寄港も「持ち込み」に当たり、条約で定めた「事前協議」の対象になると国会で答弁した。密約がほごになると懸念した当時のライシャワー駐日大使は63年4月、大平正芳外相(後に首相)と会談し「核を積んだ艦船と飛行機の立ち寄りは『持ち込み』でない」との解釈の確認を要求。大平氏は初めて密約の存在を知り、了承した。-----------------密約の存在は、外務官僚が管理して、「一部の首相、外相だけに伝えていた」というのです。言うまでもなく、外務省のトップは外務大臣であり、政府のトップは内閣総理大臣であるはずです。それも関わらず、この重大な内容の密約は首相や外相にすら秘密にされていた、というわけです。記事によれば、大平外相も1963年当時、ライシャワー駐日大使との会談で初めて密約の存在を知ったとのことです。池田首相も、おそらく知らなかったでしょう。知っていたら、核搭載艦船の寄港も持ち込みに当たる、と国会で答弁しなかったでしょうから。社会党出身の村山富市首相にも、伝えられなかったようです。田中眞紀子外相にも、おそらく伝えられなかったのではないでしょうか。首相や外相が内容を判断した上で「これは公開できない」と決断するならまだしも、一部の外務官僚が首相や外相にすら隠してきたというのだから、恣意的な判断と言うしかないでしょう。外務官僚というのは外相や首相より偉いのか。もちろん、密約を結んだ当事者である岸信介と佐藤栄作の責任も重いものがあります。彼らは、表向きは「非核三原則」(岸の時代には「三原則」という名称はまだなかったけれど、核を「持ち込ませない」ことは国会の答弁で明言している)の旗を振りつつ、裏ではそれと正反対の密約を米国と結んでいたのですから。話を最初に戻すと、冒頭の記事にもあるように、外交交渉上、内容を秘密にせざるを得ない場合があるとしても、それは永遠無制限であってよいはずはありません。記事にあるように、米国は25年ですべての機密を公開しており、だから問題の密約も米国では既に公開されているわけです。日本でも、30年経てばすべての秘密は公開される、筈なのに、外務官僚の胸先三寸で、恣意的にいくらでも秘密にし続けることができる。国家の機密というオブラートに包まれている中身は、実は単に外務省の「省益」だったり、時の与党にとって有利不利という都合だったりするだけではないのか、という疑念を抱かざるを得ません。30年も経っても公開が憚られるような、歴史の審判に耐えられないような秘密交渉などするな、ということに尽きます。何はともあれ、あと30分で今年も終わります。このブログに1年間お付き合いいただいた方、ありがとうございました。来年が、みなさまにとって、そして日本にとっても世界にとっても、よい年でありますように、願っています。
2009.12.31
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http://mainichi.jp/select/today/news/20091230k0000m010096000c.html普天間移設:小沢幹事長「下地島」提起民主党の小沢一郎幹事長は29日夜、東京都内で開いた与党3党の幹事長・国対委員長の忘年会で、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題について「(同県宮古島市の)下地島に使っていない空港がある」と述べ、現行計画に基づく米軍キャンプ・シュワブ沿岸部(同県名護市辺野古)に代わる移設先として、下地島を検討すべきだとの認識を示した。小沢氏は会合で、社民党の重野安正幹事長に対し、普天間飛行場の移設先について「あなたのところ(社民党)は、沖縄県だったら全部駄目なのか」と質問。重野氏が米グアム移設案を重ねて主張したところ、小沢氏が下地島案に言及したという。小沢氏は「きれいな海を埋め立てるのは駄目だ」とも語り、現行案での決着に否定的な考えを示した。下地島は沖縄本島と台湾のほぼ中間にある。3000メートルの滑走路を持つ下地島空港(79年7月開港)があるが、現在定期便はなく、航空会社がパイロットの離着陸訓練などに利用してきた。普天間飛行場の移設先として浮上したこともあり、北沢俊美防衛相は10月、井上源三地方協力局長を派遣し、沖縄県の伊江島などとともに視察させていた。忘年会には、民主党から小沢氏のほか、山岡賢次国対委員長、社民党からは重野氏と辻元清美副国土交通相、国民新党から自見庄三郎幹事長と下地幹郎政調会長がそれぞれ出席した。小沢氏は席上、来夏の参院選後も3党連立体制を続ける意向を示したという。---------------------辺野古への移転も同じですが、沖縄における基地の加重負担が問題になっているのに、移転先が同じ沖縄の中(無人島でない限り)では、解決になりません。私は基本的には普天間基地他の移転先は、米国の領内に引き取ってもらうのが筋だと考えます。鳩山首相は、沖縄の米軍について抑止力云々という理屈でグアムへのこれ以上の移転に消極的な姿勢を見せているようです。しかし、米軍は米国の世界戦略の一環として日本(沖縄)を利用しているのであって、日本を守るために沖縄にいるわけではありません。特に海兵隊はそうです。米国の海兵隊は、侵攻を目的とする軍隊であって防御を目的とする軍隊ではありません。部隊名称が「海兵遠征軍」となっていること(沖縄に配備されているのは第3海兵遠征軍)からも、それは明らかです。そして、日本はその米国の世界戦略のお先棒を担いでいる(あるいは、担がされている)、その負担を当分に負担するのではなく、沖縄にほとんど押しつけて、です。そのことの是非が問われている問題です。少なくともトータルで見て沖縄の負担軽減になる解決策でなければ、解決策とは呼べないでしょう。ところで、海兵隊のグアム移転について、一般には司令部機能が中心で、実戦部隊の大半は沖縄に残留すると言われます。http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-09-28/2008092801_02_0.htmlによると、報告書が「移転」対象として示した兵力は、約1万8千人とされる沖縄の第三海兵遠征軍のうち、▽指揮部隊3051人▽地上戦闘部隊1100人▽航空戦闘部隊1850人▽兵たん戦闘部隊2550人▽その他70人―で合計8620人、具体的な移転部隊の名称は以下のとおりとなっています。(「赤旗」の記事より)-----------それに対して、「それは違う」という説があります。それによると、米軍は本当は沖縄の海兵隊をグアムに総引き上げしたいという本音を持っている。それを妨げているのは、むしろ、沖縄に基地を維持し続けて利権をむさぼりたい日本の利権政治屋である、というのです。果たしてどちらが本当でしょうか。私は、どちらも事実なのではないかという気がします。米国が長期的な方針としては前方展開を見直そうとしていることは事実です。つまり、さすがの米国も底なしに軍事費をつぎ込む余裕がないから、世界中に基地を維持できなくなりつつある、ということです。そして、その一環として海兵隊のグアム移転を決めたわけです。ところが、いざ具体的にどの部隊を移転という実務の話になると、「総論賛成各論反対」になってくる。軍事評論家の神浦元彰氏が面白い見方を提示しています。--------------今朝の新聞各紙を読むと、まさに今がその時のように感じた。普天間飛行場の移設問題で、鳩山首相の指導力不足が足りなくて混乱し、アメリカ側が怒っているいると論調ばかりである。私は日米同盟の重要性を理解(支持)している者だが、今回の混乱の原因は、第一に辺野古沿岸基地(案)を巨大公共工事にでっち上げた自民党・国防族と防衛・外務官僚にあると思う。彼らの欲で沖縄の基地負担の軽減とは無縁な新基地建設となったからだ。第2の原因は、在沖海兵隊の安易なグアム移転計画にある。04年8月にブッシュ大統領は在韓米軍(特に米陸軍・第2歩兵師団)の米本土撤退計画を発表した。これを受けて、在沖海兵隊はグアムへの移転を決めたのである。日本政府が沖縄の基地負担軽減を要請し、それを受けてグアム移転を決めたわけではない。あくまでアメリカ軍の都合(米軍再編)によるグアム移転である。そのため米軍の当初の計画では、普天間飛行場の海兵隊・航空部隊はグアムに移転することが決まっていた。辺野古沿岸案は自民党国防族による無駄な巨大公共工事にすぎなかったのである。米軍が06年に日米が辺野古沿岸で合意したのは、辺野古沿岸に新基地があっても邪魔にならない程度の認識である。だから今まで、アメリカ政府や米軍は移設計画の遅れに危機感を占示さなかったのだ。ところが今年になって米海兵隊の首脳は、移転先のグアム基地の使い勝手の悪さに気がついた。(中略)すなわち即応即戦の海兵隊にとって、グアムの狭さは致命的なことであることに気がついたのだ。だから急にアメリカは日本に圧力を加えだし、辺野古沿岸の合意を強く迫りだしたのである。在沖海兵隊はグアム移転計画の失敗を辺野古沿岸案で補おうとしている。辺野古沿岸には米軍の北部訓練場と連動している。すなわち辺野古沿岸の海兵隊基地は、隣接する米軍キャンプ・シュワブ、米軍キャンプ・ハンセン、米軍辺野古弾薬庫、米軍北部訓練場と連携し、それらの基地を固定化することになる。しかしそれでは、沖縄県民の基地負担軽減に逆行することになる。これは鳩山首相の混迷というより、アメリカの強硬な圧力が沖縄の反発を招いたのである。--------------おそらくこれが、真相に最も近いのではないか、と私は感じます。ひとことで言えば米国(海兵隊首脳部)の方針が変わって、グアムに総引き上げする気がなくなった、ということだろうと思います。米国の言いなりになって唯々諾々と沖縄の基地を固定化し、その世界戦略のお先棒を担ぎ続けるのか否か、日本の進路が問われる問題です。
2009.12.30
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以前にアップした動画と同じ7月の杉並公会堂での演奏なのですが、別のカメラの撮影で、画質音質とも向上しています。ただ、どうしてもタテヨコ比率がおかしくなってしまうのですが・・・・・・・・。ラミスhttp://www.youtube.com/watch?v=_G5yFDT_ovg遙かなる地http://www.youtube.com/watch?v=VNsaX13IFpEきみをもっと愛せたら・・・・・・・http://www.youtube.com/watch?v=m8Q4E8vEzQk「遙かなる地」で私とYさんがサンポーニャを取り違えたときの会場のどよめきが、はっきり録音されてしまっています^^;実は、今日は都内某所で練習です。ところが、その某所のホームページに、「フォルクローレのライブ(練習会)をします」と告知されてしまった。「いつもの様に、音楽好きのお客様が、勝手に楽器を持ち込んで、勝手に演奏していますので、聴くのが好きなお客様は、勝手に聞きに来て下さい。」だそうです。まあ確かにそれは間違いとは言えませんが「今回は混まないとは思いますが、前回の結果を見ると、予約をした方が良いかも・・・・・」とも。えーーーーーーー、そいつは大変だ。ちなみに、練習参加メンバーは3人だけなので、かなり縮小編成(ギター+チャランゴ+笛1人)です。その後は引き続き忘年会の予定。しかしまだ昨日の忘年会の二日酔いが残っているような気が。
2009.12.29
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http://www.asahi.com/travel/rail/news/NGY200912240006.htmlJR東海、リニア中央新幹線の調査報告書を提出JR東海は24日、リニア中央新幹線計画の建設費や需要予測の試算をまとめた調査報告書を、前原誠司国土交通相に提出した。国交省は来年、国交相の諮問機関である交通政策審議会にかけ、報告書をもとに、ルートや駅の位置、建設費負担などを検討する。リニア計画は2025年の東京(品川)―名古屋開業を目指し、国に議論の場を移す。報告書には、想定される三つのルート別に、路線の長さや建設費、需要予測などの試算が併記された。JR東海の希望は、南アルプスに約20キロのトンネルを通し、東京―名古屋間をほぼ直線で貫くルート。一方、長野県は、南アルプスの北側をまわって諏訪市付近を通る伊那谷ルート(迂回〈うかい〉ルート)での建設を主張している。木曽谷ルートもあるが、可能性は極めて低い。直線、迂回両ルートを比較すると、東京―大阪(新大阪)を直線ルートで結ぶ場合、建設費(中間駅を含む)は約9兆300億円で、迂回ルートより約6500億円安い。所要時間は最速67分で7分短い。報告書提出の際、松本正之社長は前原国交相に直線ルートが「優れている」と話したという。だが、報告書にはルートの優劣を明記せず、判断を交政審に委ねた。交政審は1~2年程度かけて議論。国交相は答申を受けて整備計画を決定する。リニア新幹線が、基本計画から整備計画に格上げされれば、1973年の北海道、東北、北陸、九州の各整備新幹線以来。着工は15年ごろの見通し。JR東海は25年に東京―名古屋で開業し、45年に大阪までの延伸を目指している。------------------JR東海は、南アルプスをトンネルでぶち抜く最短コースが希望のようです。しかし、自然保護の面からは、このルートは非常に問題が多いと思われます。何しろ、南アルプスは国立公園の特別保護区域です。世界最南端のハイマツ群落、世界最南端のライチョウ分布地、その真下をトンネルでぶち抜くのですから、かなりの自然破壊を伴います。もう一つ、建設費は約9兆円ということですが、これは現段階での試算ですから、過去様々な大規模工事の例に漏れず、実際の工事が進むにつれて、建設費が当初予定よりどんどん膨らむことになるのは確実です。JR東海は東京-名古屋間の建設費5兆円を自己負担すると表明しているようですが、結局は負担し切れなくなり国の財政援助・・・・・という未来図が容易に想像できます。更に言うと、そこまで早い列車が必要なのか、という疑問があります。今、最高速度300km/h(東海道に限っては270km/h)の新幹線が東京-新大阪間を約2時間半で結んでいます。今後、更なるスピードアップ(おそらく、最高速度320km/hまでは可能と思われます)によって、あと10分か20分は短縮可能でしょう。それに対してリニア新幹線は1時間。確かに早いけれど、投入される建設費から想像するに、運賃もものすごく高価なものになるでしょう。もちろん、今の新幹線より、飛行機よりも高く。そうなったら、いったい誰がリニア新幹線に乗るのか。リニア新幹線開業の暁には今の新幹線は廃止になるのかも知れませんが、そうなったら多くの客は、リニアよりは飛行機に流れるんじゃないかと思います。単純な時間だけなら、飛行機はリニアよりもっと速いですから。(もちろん、飛行機は空港までの移動、搭乗手続きの時間があるので、実際の都心から都心までの所要時間は飛行機は新幹線にも劣るくらいですが)もう一つ、新幹線が建設されたとき、時速200km/hというスピードはともかく、鉄の線路を電車が走るという技術そのものは、すでに数十年の歴史があって完成されていました。だから、新幹線は開業時からそれほどの問題もなく営業運転が可能でした。しかしリニアモーターカーは違います。まだ実験線しかなく、日本国内では営業運転がされていない。世界的に見ても、上海空港にしか実例がありません。ほとんど営業運転がないのに、ドイツですでに一度事故を起こしているので、事故発生率は新幹線やその他の海外の高速鉄道と比べて(多分、飛行機と比べても)、かなり高いはずです。いきなり9兆円(より膨らむ可能性大)もつぎ込んでしまって、東京-大阪間の営業運転が問題なくできるのかどうか、疑問は尽きません。
2009.12.27
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各種世論調査によると、鳩山内閣の支持率が急落しているようです。急落していると言っても、概ね5割は越えているので、そんなに悪い数字でもないと私は思うのですが。問題はこれからです。私などは、もともと民主党政権に過大な期待を抱いていたわけではなく、自民党より多少はマシという消極的理由で民主党に投票した(民主党に入れたのは小選挙区だけですが)人間なので、鳩山内閣はむしろ事前の予想よりはよくやっていると思っているのですが。ただ、そんな私の目から見ても、閣内不一致で政権運営が迷走しているように見えることは問題だなと思います。現実には、自公政権だって閣内不一致による迷走はいくらでもあったはずです。でも、そんな軋轢、閣内不一致を極力表に出さないという知恵は、自民党にあった。そこは民主党も学んで欲しいなと思います。ところで、その自民党ですが、鳩山内閣の支持率低下を追い風と勘違いしたのか、谷垣総裁が「衆議院解散要求」を掲げました。かなり痛々しい勘違いと思います。普通に考えて、8月に総選挙をやって3ヶ月しか経っていないのにまた総選挙なんてことはあり得ません。というか、もしも鳩山内閣が「分かりました、じゃあ解散しましょう」などと言ったら、民主党議員も狼狽するでしょうが、自民党の議員だって狼狽するでしょう。落選者だって、こんなに早く「また選挙」となったら、準備だって整わないだろうし。それでも、「もし」今解散総選挙をやったらどうなるでしょうか。300議席ということはないでしょうが、民主党の勝利は確実です。各世論調査では内閣支持率の他に政党支持率も調査しています。民主党の支持率は朝日新聞の調査で42%、産経とFNNの合同調査で37%、毎日新聞の調査では35%に対して、自民党の支持率は朝日18%、産経・FNN19%、毎日16%。ほぼダブルスコアの差が付いています。民主党の政党支持率がそんなに高いわけではありませんが、自民党の支持率はお話にならないくらい低い、ということは言えます。何しろ、小沢疑惑には二階堂、鳩山首相の献金疑惑には鳩山邦夫と、民主党に起こる不祥事はみんなブーメランのように自民党に返ってくるんですから、自民党の支持率が上がるわけがない。つまり、鳩山政権のピンチは自民党のチャンスではない、ということです。そこのところを肌で感じているからでしょうか、自民党から離党者が続出しています。http://www.asahi.com/politics/update/1225/TKY200912250472.html離党また離党…自民に危機感 参院選の勝算も立たず自民党の現職の参院議員3人が年末に相次いで離党の意向を表明し、1993年の野党転落時の再現を恐れる声が広がっている。党支持率が低迷し、来夏の参院選の勝算が立たず、党再建の道筋が見えないことが、議員の不安をかき立てている。 (以下略)--------------この状況で「解散要求」とは、自民党の幹部には現実が見えていないのか、それともそういう要求を掲げて攻勢をかけないと、党としての求心力が保てないのか。いずれにしても、現状のままでは、自民党は「終わった政党」です。
2009.12.26
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いや、クリスマスとはあまり関係ないですが、雪山の写真など八ヶ岳・硫黄岳の樹氷。2006年12月八ヶ岳・硫黄岳への登りから赤岳方面を望む。2006年12月八ヶ岳・横岳。2006年12月八ヶ岳・夕焼けの赤岳。2008年12月八ヶ岳・夕焼けの横岳大同心・小同心。2008年12月八ヶ岳・赤岳(中山展望台より)。2006年12月八ヶ岳・天狗岳。2002年12月北アルプス、白馬三山。左手より、白馬鑓ヶ岳・杓子岳・白馬岳。2003年3月北アルプス・奥穂高岳。2008年4月北アルプス・夜明けの北穂高岳(涸沢より)。2003年5月ボリビア・アンデスのワイナ・ポトシ(6088m)。2001年12月ボリビア・アンデスのイリマニ(6439m)。2001年12月11年使った登山靴がボロボロになり、先日新しい冬用の登山靴とアイゼンを買いました。年末年始は事情により山に行けないのですが、そのあと、1月に入ったら、雪山に行きたいなあ。
2009.12.24
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期間限定で公開します。http://homepage3.nifty.com/ryo-folklore/Ra/Navidad.MP310年以上前の演奏ですが、クリスマスソング・メドレー(きよしこの夜~ジングルベル~サンタが街にやってくる)+花祭りです。こういう曲(花祭りを除いて)は、だいたい年に1回しか演奏しないので、常に練習不足だったりしますが・・・・・・。
2009.12.23
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http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20091222-OYT1T00026.htm日中歴史共同研究、「南京事件」は両論併記へ日中両国の有識者による「日中歴史共同研究委員会」(日本側座長=北岡伸一・東大教授)が24日にも最終報告をまとめ、このうち「総論」を発表することが明らかになった。時代ごとに担当委員が執筆した論文を盛り込んだ「各論」も近く公表される見通しだ。ただ、南京事件の犠牲者数など両国の争点となっている論点を巡っては溝が埋まらず、両論併記になる見通しだ。1945年以降の現代史については公表を見送る方向となった。中国側が現在の中国政府への批判につながることを懸念したためとみられる。日本軍が37年に中国・南京を占領した際に起きた南京事件に関しては、中国側は政府の公式見解「犠牲者30万人」を譲らず、日本側も「数万人から20万人まで」など様々な説があると主張したため、両論併記とすることとした。日中戦争についても、日本側は「軍部の一部勢力に引きずられて戦線が拡大した」との見解を示したが、中国側は「計画的な中国への侵略」と結論づけ、かみ合わなかった。現代史に関する公表が見送られるのは、米英など連合国がいわゆる「A級戦犯」を裁いた東京裁判(46~48年)や、天皇陛下の中国訪問(92年)などの評価で意見が対立したためだ。89年の天安門事件なども、「中国側には触れられたくないテーマ」(関係者)だという事情があった。----------------日本側座長が北岡伸一では、いったいどんなトンデモを持ち出すか、大いに不安なところですが、南京事件の犠牲者数が、記事にあるように「数万人から20万人まで」と主張したのが事実であるなら、概ね妥当な主張と思います。私のホームページにも書きましたが、南京市街地で不法殺害が30万というのはほぼあり得ない数字と思われますので。日中戦争については、「軍部の一部勢力に引きずられて戦線が拡大した」というのは間違いとまでは言えませんが、正確とも言い難い。その「一部勢力」(日中戦争の拡大派)というのは、結局のところ陸軍の大勢を占めていたわけですから。しかし、その一方で、あまり計画性がなく、高級軍人それぞれの野心から行き当たりばっさたりに好き勝手なことをやっていたことは確かなので、「計画的」とは言い難い。まあ、本当に記事どおりの記述なのかどうかという問題もありますけれど。
2009.12.22
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http://www.asahi.com/national/update/1221/SEB200912210037.html阿久根市長「腐った枝、刈らないと」 障害者の記述巡り自身のブログに「高度医療のおかげで機能障害を持ったのを生き残らせている」と記述し、障害者団体などから批判を浴びた鹿児島県阿久根市の竹原信一市長が21日、福岡市内での講演でこの話題に触れ、「木の枝の先が腐れば切り落とす。そうしないといけない」「表現として厳しいが刈り込む作業をしないと全体が死ぬ」などと発言した。講演後の記者会見で竹原市長は「『腐った木』とは障害者を指したのか」と聞かれ、「違う」と否定。「どういう意味だったのか」と繰り返し質問を受けたが、「答えない」「新聞は言葉狩り」などと言って回答を拒んだ。講演会は、福岡市内の民間信用調査会社が企画。集まった会社経営者ら約20人を前に、竹原市長は約40分間、マイクを握った。講演では障害者に関する記述について「差別と言われるが、ああいう視点は私にはわからない」と批判を無視。自らの死生観に触れ、「みなさんもいずれ死ぬ。植物を考えればわかる。葉っぱや花が散って土壌になる。私たちは葉っぱ、枝」などと表現。その上で「社会は木を育てるようにしないといけない。木の枝の先が腐れば切り落とす。全体として活力のある状態にする」などと語った。障害のある子どもの世話の大変さにも触れながら、「社会をつくることは命の部分に踏み込まないとダメ。表現として厳しいが、刈り込む作業をしないと全体が死ぬ。壊死(えし)した足は切り取らないと。情緒で社会をつくることはできない」とも語った。 ------------------1人の人間の命は、人間の体の一部である足とか、木の一部である枝だとは決定的に異なります。足は切断したら二度と再生しないけど、それでもその人間自身が死んでしまうわけではありません。義足なり松葉杖なり車椅子なりというものもある。木の枝など、いくらでもまた生えてきます。しかし1人の人間の命はそうではない。足が壊死したら切断するという苦渋の選択はあるけれど、頭が壊死したからと言って頭を切断するばか者はいない。従って、1人の人間の命を人間の体の一部である足や、ましては木の枝とごっちゃにして語るのは、まったく不適切です。社会というのは、決して常に効率的に出来ているわけではありません。「無駄な部分」というのが必ずあります。そして、そういうものがむしろ必要なのです。確かに無駄を省かなければならない部分もありますが、人間の命は1人の人間の独断で無駄とか無駄でないとかと区別してはならないのです。もちろん、人はいつか、必ず死ぬ。そのことに例外はありません。しかし同時に、誰もが生きたい。少なくとも天寿を全うしたい。もちろん、どんなに医療が進歩しても、天寿を全うできない人がいる、それは医学や科学が完全ではない以上やむを得ないことです。でも、それは結果です。最初から「生き残らせ」ないようにすべき人間など、この世にいません。
2009.12.21
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いや、正直言って紅白歌合戦なんて例年はあまり見ないんですけどねhttp://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20091220-OYT1T00568.htm?from=main7「紅白」曲目決まる、嵐はスペシャルメドレー(中略)水樹奈々(初)「深愛」ひょっとして、と思っていた曲がズバリきました。以前にも書きましたが、水樹奈々のファン、というわけではないのですが、この曲はアルパの上松美香が参加しています(そもそも、作曲者が上松美香の兄で、編曲者がご主人)。紅白歌合戦でも彼女のアルパが伴奏に入るとしたら、これは絶対見なくては。今のところ、上松美香のホームページには何も出ていませんけれど。http://www.youtube.com/watch?v=JOyqygmBSxs
2009.12.20
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本日、「12・19緊急報告会 民族差別を許すな! 京都朝鮮学校襲撃事件を問う」という集会に参加してきました。いや、正確に言うと、集会の1時間ほど前に現地に駆けつけて、集会の開始と同時に帰ってきました。本当は最後まで参加したかったのですが、残念ながら所用がありましたので。何故集会に参加できないのに現場まで行ったかというと、この集会に対して妨害予告を行っている連中がいたからです。西村修平の「主権回復を目指す会」と、桜井誠の「在日特権を許さない市民の会(在特会)」という、狂信的右翼団体がそれです。私が会場に着いた時は、ちょうど西村が警官隊に取り囲まれて施設から外に追い出されるところでした。すごい大声で何か叫んでいました。言葉までは聞き取れませんでしたが、なかなかドスの利いた声で、以前より一段と街宣右翼っぽさが増した気がします。その後、抗議文を手渡すとかで、一度だけ施設内に(警官隊に囲まれながら)入ってきましたが、もちろん、集会の会場(5階)までは来ませんでした。在特会で結集していたのは約30人くらいだったようです。一方、集会参加者は、正確な人数は知りませんが、ものすごく多かった。警備のために結集した人数だけでも、在特会より多かったと思いますが、一般参加者も続々と。あまり広い会場じゃなかったので、部屋に入りきらないくらい。もちろん立ち見でぎゅうぎゅう詰め。100人は確実に越えていたと思います。200人近かったかもしれません。もちろん、中には多少在特会側の人物が紛れ込んでいたかも知れませんが、先ほど仲間にメールで確認したところ、開始後特にトラブルはなかったようです。1人、開始前の会場内で写真を撮っていた参加者が、その後会場から姿を消して、在特会の中でマイクを持って叫んでいた、と聞いています。私自身が自分の目で確認したわけではなく、「あの人さっき中で写真を撮っていたみたい・・・・・」と聞いただけですが。西村のグループとは、夏淑琴さんの裁判を巡って、東京地裁前で過去に何度もやり合っているのですが、在特会は初めて本物を見ました。「ゴミはゴミ箱へ、朝鮮人は朝鮮半島へ」とか、ほんとに耳を疑うような下劣な言葉をはき続けていました。ああいう台詞を公衆の面前でスピーカーでがなり立てる、よく恥ずかしくないなあと思います。追記YouTubeに彼らの「抗議活動」の模様がアップされています。はっきり言って見るに耐えない、聞くに耐えない内容です。しかも、彼ら自身がこの動画を公開しているんだから、開いた口が塞がりません。自分たちがどれほどみっともない、下劣なことを叫んでいるかという自覚がない、立派なことを主張しているという意識しかないんでしょうね。ほとんど反吐が出そうな内容で、最後まで見る気にはとてもなりませんが・・・・・・http://www.youtube.com/watch?v=wERIMUY-oL0http://www.youtube.com/watch?v=iTqpQhJ5MtYhttp://www.youtube.com/watch?v=js4KkZky9ZEhttp://www.youtube.com/watch?v=lwSaeHLALFg人間、ここまで墜ちたらお終いだという見本のような連中です。最初の動画の真ん中あたりで、西村が罵声を吐きながら施設からつまみ出される、ちょうどその時に私は会場に着いたのでした。ちなみに、最後の動画の後半で、施設側に抗議文を突きつけている場面が出てきますが、このやりとりを巡って面白い話を聞きました。もともと抗議文を主催者に渡す、と西村は騒いでいたらしいのですが、施設側からその打診を受けて主催者が「受け取りましょう」と回答すると「じゃあ渡さない」と言ったとか。まあ、何と言いますか・・・・・・・・。
2009.12.19
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http://www.asahi.com/business/update/1218/TKY200912180392.htmlヤマハの管楽器生産、豊岡工場に統合 埼玉工場は閉鎖へヤマハは18日、管楽器を手がける埼玉工場(埼玉県ふじみ野市)での生産を2013年春までにやめ、順次、豊岡工場(静岡県磐田市)に生産を移すと発表した。昨秋以降の金融危機で、楽器需要も低迷しており、今後も大幅な回復は見込めないとみて拠点見直しを決めた。拠点統合に伴う費用は約20億円を見込む。埼玉工場の従業員約170人は、原則、全員豊岡工場へ配置転換する。非正規社員約90人は、契約満了をもって再雇用しない方針だ。集約で生産効率を高める狙いがある。両工場はヤマハの国内管楽器生産の2大拠点。フレンチホルンやテューバなどを埼玉、フルートやトランペットなどを主力の豊岡が担っていた。ヤマハによると世界の管楽器需要は、金融危機を受けて今年に入り前年比2割ほど落ち込んでいる。ヤマハも09年度上半期は、鍵盤楽器を含めた主力の楽器事業の売上高が、前年比16%減。本業のもうけを示す営業利益は、円高の影響もあり同64%減った。「特に国内では、楽器を始めようという学生が、高い商品を買い控える傾向が強い」(広報担当者)という。 -------------------------うーーーん、不況の影響は楽器の世界にも及んできました。それでもヤマハは巨大企業ですが、フルート専業メーカーであるムラマツやサンキョウ、アルタス、ミヤザワなんかは、ブランドとしての知名度は高いけれど、企業の規模はごく小さい(確か、ムラマツフルートの年間製作台数が3000本とか4000本くらいだったと記憶しています)ので、経営体力も乏しそうです。大丈夫だろうか。確かに、フルートは高価ですから、不況の影響はもろに受けそうです。私は最初ヤマハYFL211の定価8万円を高いなあと思ったものですが(だって、ケーナは1本1万円もしませんから)、結局は21万円もするムラマツフルートを買ってしまいました。ところが、これがムラマツ・フルートの中では一番安い製品(頭部管銀製)。総銀製だと50~60万以上、金のフルート百数十万から上はキリなし。24金のフルートを試奏したことがありますが、お値段は700万。試奏する手が震えそうになりましたよ。700万は論外として、50万だって、いや21万円だって、おいそれと買えるものではないです。
2009.12.18
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091217-00000067-mai-soci<阿久根市長>市民の課税資料提出させる 「拒否は処分」鹿児島県阿久根市の竹原信一市長(50)が、市内の民間所得状況を把握するためとして、市民の課税情報資料を税務課長に提出させていたことが分かった。市関係者によると、課長は当初「個人情報保護の観点から、目的外の利用は認められない」と拒んだが、市長が懲戒処分の意向を示し、その後に提出した。個人情報の目的外利用や、強引な指示のあり方をめぐって批判を招きそうだ。課税資料は市が収集し、市民の個人収入などが記載されている。税務課は個人情報を保護するため、データのうち氏名や住所など個人が特定される項目を伏せて、市長に提出したという。鹿児島県税務課は「課税額の確定のために収集、作成した税務資料を第三者に示せば、秘密の漏えいを禁じた地方税法に違反するおそれがある」としている。この資料をめぐっては、市長派の市議が15日、一般質問で「市民所得に比べ市職員給与が高額だ」と主張し、比較のためとして提示を要求。課長は「個人情報保護条例で、収集目的外の利用は原則認められていない」と、応じない意向を示した。だが、続いて答弁した市長は「以前から提出するよう言っているが、市長命令に従わないので処分します」と、公の場で懲戒の意向を示していた。---------------------この市長については、以前の記事でも取り上げたことがありますが、ますます滅茶苦茶なことを続けているようです。地方税法に、以下の条文があります。(秘密漏えいに関する罪)第二十二条 地方税に関する調査に関する事務に従事している者又は従事していた者は、その事務に関して知り得た秘密を漏らし、又は窃用した場合においては、二年以下の懲役又は三十万円以下の罰金に処する。 明らかにこの条文に抵触します。トップが、部下に対して、懲戒処分をちらつかせて違法行為を命じるとは、いったいどこのゴロツキ企業かと思いきや、それが市役所だというのだから呆れてものも言えません。自分の政治的主張のために課税情報を利用することが許されるのかどうか、その程度のことも理解できずに市長をやっているとは・・・・・・・・。アドルフ竹原、と呼んでやりたいところです。
2009.12.17
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12月7日、太平洋戦争開戦の前日に、NHKで「日米開戦を語る 海軍はなぜ過ったのか~400時間の証言より~」という番組が放映されています。これは、以前にも紹介した海軍反省会の番組に反響が大きかったため、それを受けて製作されたようです。実は録画したまま時間がなくて全然見られなかったのですが、今日、やっと見ました。半藤一利が、実に痛烈な発言をしていました。海軍は結局金で身を売った、つまり、対米戦をやるなら建艦予算を寄越せと、それを陸軍から保障されて、その金の力で対米戦に賛成したと、そういうわけです。多分そうなんだろうなと思います。たまたま今、「機長の真実 墜落の責任はどこにあるのか」(デヴィト・ビーティ・小西進訳 講談社)という本を読んでいます。まだ読了していないのですが。それで思ったのは、戦争に突き進んでしまった日本、ヒューマンエラーから事故に至ってしまった操縦士、いずれも根は同じだなということです。飛行機事故なら、きちんと原因調査が行われ、何が悪かったのか、きちんと究明されます。そうすることが、再発防止のために必要だからです。ところが、戦争となると、正義の戦争だ、自虐だ、反日だ・・・・・・なんのかんのと理由を付けて、究明を拒もうとする人たちがいる。そんなことをしていれば、何度でも同じミスを繰り返してしまうことになるのは必定なのに。番組の中で、澤地久枝が、ミッドウェー海戦で沈没する空母の艦上で、マストにしがみついて「かーちゃん」と叫ぶ若い水兵のエピソードを語っていました。番組のエンドロールで、零戦に搭乗して特攻に出撃していく、若い、ほとんどあどけないくらいの搭乗員たちの映像が流れているちょうどその時、子どもが「パパ、ご飯だよ~~~」と言って私の手を引っ張りに来た。そうしたら、何だか泣けてしまいましたよ。彼らは何のために戦い、何のために命を落としたのか。ある意味で、軍中枢部のエゴと見栄とミスによって殺されたようなものです。犬死にとしか言いようがない。
2009.12.16
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天皇が中国の副主席と会見した際、12月14日の会見について、要請を受けたのが1ヶ月前を切っていた、というのが騒ぎになっているようです。正直言って、私はあまり興味がなかったので、このブログでもその問題を取り上げたことはなかったのですが、ネットウヨクばかりでなく一般紙までこの問題を盛んに取り上げているようなので、今更ですが事情を調べてみました。なんというか、くだらないというのが私の印象です。小沢が言うように、「30日ルール」なるものは法律でも何でもない。天皇が2004年に手術を受けて以降、宮内庁が定めたルールに過ぎません。そりゃ、前日決まった、というならさすがにどうかと思いますが、中国側から会見の要望が伝えられたのは11月26日のことだと報じられています。とすると、会見の18日前のことです。それから日程調整を行うことが天皇の健康管理上重大な問題である、という理由を想像することが出来ません。それがそんなに重大問題だというなら、11月12日、即位20周年記念式典で午後2時半から7時までという超長丁場、屋外でずっと天皇と皇后を立たせっ放しにしていたことは、健康管理上どうなんでしょう。1ヶ月前以前に日程を決めておけば、4時間半屋外で天皇を立たせっ放しにしておいても健康管理上問題がなく、1ヶ月前以降に日程を決めると、屋内で25分間、着席しての会談でも健康管理上問題である、と、そういうことなのでしょうか。だとすると、「杓子定規」「硬直的対応」という以外の言葉が、私には見つかりません。ついでに、今回の件について、天皇の政治利用だという批判があるようです。そりゃもちろん、政治利用ですよ。それは間違いないと私も思います。ただし、天皇と外国首脳との会見は、全て同様です。先日はオバマと会見しました。ボリビア大統領エボ・モラレスも2年前の公式訪問時に天皇と会見しました。ベネズエラのウーゴ・チャベス大統領も1999年に非公式に来日した際天皇と会見しているようです。他にも多くの外国首脳と会見しているはずですが、そのすべてが天皇の政治利用です。中国の副首相との会見だけを切り離して政治利用だ何だというのは、馬鹿馬鹿しいとしか言いようがありません。
2009.12.15
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昨日12月13日開催しました「南京・史実を守る映画祭」は、大成功のうちに終了しました。右翼による妨害もほとんどありませんでした(※)。実行委員会の中で約1名、右翼の来襲を心待ちにして「来ない来ない」と嘆息する困った人物もおりました(ある右翼活動家の自宅に映画祭チラシを投函しに行くほどの熱の入れよう)が、彼には申し訳ないけれど、私はホッとしております。入場者は、映画4本とシンポジウムを併せて、延べ900人ほどでした。前売り券の売上はそれほどでもなかったのですが、前売券より当日券の方が遙かに売れました。前売券と当日券の比率って、分からないものですねえ。フォルクローレのコンサートでは、だいたい前売りの方が当日券より圧倒的に多いのが通例なので、肝心の中身ですが、実は、ずっと受付に貼り付いていたので、最後の「チルドレン・オブ・ホァンシー」しか見ていません。なかなか迫力のある映画でした。ただし、この作品は(大筋は史実に基づいているとは言え)娯楽作品であり、南京大虐殺は初めの方に出てくるだけです。そういう意味では、「南京大虐殺」を取り上げた映画としては物足りないかも知れません。そういう意見もありました。しかし、そんな程度の内容の娯楽作品でさえ、日本国内で公開する配給会社がなかった、というのが現実です。個人的に見逃して惜しいと思っているのは、シンポジウムです。見たかったのですが、他の受付担当者が見に行ってしまったので、受付を空けてしまうわけにも行かず・・・・・・。鈴木邦男さんの話がとてもよかった、らしいです。さっそく、今回の映画祭紹介記事がありましたのでリンクを貼っておきます。http://www.cinematoday.jp/page/N0021292※妨害は皆無に近かったのですが、2回ほど右翼の街宣車が来ました。二度とも一瞬近寄っただけで、すぐに去っていったので、実害ゼロ。あと、ロビーでちょっと騒いだ人がおりましたが、その後、おとなしく次の映画も見ていたようですから、妨害しようという意図があったわけではなさそうです。
2009.12.14
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南京・史実を守る映画祭 いよいよ明日開催ですさて、先日の記事でチリについて取り上げましたが、明日13日(日本時間では14日)は、チリの大統領選が行われます。http://www.asahi.com/international/update/1212/TKY200912120254.html南米チリで13日、中道左派のバチェレ大統領の任期満了に伴う大統領選が実施される。世論調査では中道右派の候補が優勢で、ピノチェト軍事独裁政権から民政移管した1990年以来、継続してきた中道左派の連合政権に終止符が打たれるのかどうかが注目されている。最新の各世論調査では、4人の候補のうち中道右派のピニェラ元上院議員(60)の支持率が38.2~44.1%でトップ。投資家で富豪のピニェラ氏は、現政権の非効率性を批判。「変化」を訴え、雇用創出を公約に掲げて支持を伸ばしている。中道左派の与党候補であるフレイ元大統領(67)はバチェレ政権の継承を訴えているが、支持率は22.6~31%にとどまっている。長年続く中道左派政権の硬直化への批判が市民の間で高まっているようだ。バチェレ大統領の個人的な人気は高いが、連続再選が禁じられているため立候補できない。終盤戦では、与党連合を離れて無所属で出馬したエンリケスオミナミ下院議員(36)が急速に追い上げ、支持率は17.7~19.5%に。元テレビディレクターで、若さとコミュニケーション能力の高さが支持されている。ただ、1位になった候補が当選に必要な過半数を得票できるかは不透明で、上位2人による決選投票にもつれ込む可能性もある。------------------------うーーーん、コンセルタシオン・デモクラシア危うし。チリの政党は大まかに言って右派・保守系の政党連合「アリアンサ・ホル・チレ(チリのための同盟、通称アリアンサ)」と中道・中道左派系の政党連合「コンセルタシオン・デモクラシア(民主主義のための盟約、通称コンセルタシオン)」という2大政治グループの綱引きです。他に左翼の小グループ「フント・ポデーモス・マス」がありますが、現在は国会に議席がありません。フレイ元大統領というのは、先日の記事で紹介した、ピノチェトに暗殺されたことが最近になって判明したフレイ元大統領の息子です。親子ともども「エドゥアルド・フレイ」だから、ややこしい。(フルネームでは、息子はエドゥアルド・フレイ・ルイス・タグレ、父親はエドゥアルド・フレイ・モンタルバですが、通常母方の姓は省略されることが多いので)記事にあるエンリケスオミナミ下院議員は、社会党に所属していたのですが、離党して立候補したようです。彼の父親(義父)は、カルロス・オミナミ上院議員。やはり社会党に所属していましたが、義理の息子と前後して離党してしまったようです。カルロス・オミナミは日系人なのですが、エンリケスオミナミはその息子とは言っても義理の息子なので、多分日系人ではないのでしょう。記事には出てきていませんが、この他にもう1人、左翼「フント・ポデーモス・マス」からも、ホルヘ・アラテという候補者が出馬します。彼も、実は元社会党員で、労働大臣だった経歴の持ち主ですが、共産党系の「フント・ポデーモス・マス」に移って立候補したようです。更にもう1人、一度立候補の届け出をして、後に辞退したアレハンドロ・ナバロ上院議員も元社会党。つまり社会党から3人の政治家が飛び出して、それぞれに立候補をしてしまった(うち1人は立候補取り下げ)わけです。本家の社会党自身は、エドゥアルド・フレイを支持していますが。こんなわけで、保守は統一、中道~左翼は分裂のため、苦境に立っているようです。ただし、記事にあるように、過半数の得票がなければ、上位2人による決選投票になります。分裂した左派の票は決選投票では1人に集中する可能性が高いので、そうすると決選投票では逆転できる、かもしれない。でも逆転できないかも知れない。かなりきわどい争いになりそうです。ピノチェトの独裁政権が倒れて20年にして、ピノチェト派の政権が復活してしまうのかどうか、注目です。
2009.12.12
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10月に関門海峡で護衛艦「くらま」と、韓国船籍のコンテナ船「カリナスター」が衝突した事故について、以前のブログに一方、護衛艦くらまは、回避操作が妥当だったかどうかまでは分かりませんけれど、いわば反対車線から対向車が飛び込んできたようなものですから、現段階では過失がありそうな感じではありません。と書きましたが、どうやら撤回の必要がありそうです。http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20091210-OYT1T00777.htm?from=nwlb海自「くらま」乗員立件へ、韓国コンテナ船員も関門海峡で今年10月、海上自衛隊の護衛艦「くらま」と韓国のコンテナ船が衝突した事故で、第7管区海上保安本部(北九州)は、操船に携わった護衛艦とコンテナ船の船員ら数人を業務上過失往来危険容疑で立件する方針を固めた。コンテナ船が急旋回したことが事故の主な要因とみられるが、事故直前に回避行動をとった護衛艦についても、7管は「回避措置を講じるのが遅かった」として、一部過失があると判断した。捜査関係者によると、コンテナ船の船員らは対向する護衛艦をレーダーなどで認識していたにもかかわらず、前方の貨物船に急接近し、追突を避けようと左側に急旋回するなどした結果、護衛艦との衝突事故を招いた疑いが持たれている。護衛艦側は、航行の際、総員配置で見張りをしており、衝突の直前には、停止のために逆進をかけていた。しかし、衝突の約1分半~2分前に、かじを切り始めたコンテナ船の姿が見え始めていた可能性があり、7管は、回避措置がやや遅れたとみている。この事故では、直前に「関門海峡海上交通センター」の男性管制官が、コンテナ船に「(前を行く貨物船の)左側から追い抜いて下さい。前方に護衛艦が接近。注意して下さい」と無線で誘導していた。関係者の間には、これが事故につながったとの指摘もあり、管制官に過失があったかどうかも焦点となっている。法的には、管制官に「命令」や「指示」をする権限はなく、あくまで「情報提供」しか出来ない。海上交通センターは7管の一部門で、身内に対する捜査が行われている。7管幹部は「管制官の行為が情報提供に過ぎないとしても、安易に過失がないとは言えないだろう。身内だからこそ時間をかけて調べたい」としており、捜査が越年する可能性を示している。-----------------というわけで、海上保安庁は、この事故について、「くらま」側にも過失があると判断したようです。事故の主因は「カリナスター」にあるとは言え、「くらま」の回避行動も妥当ではなかったようです。更に、「左から追い越してください」という海上交通センターの「情報提供」の妥当性についても、今後捜査が行われるようです。
2009.12.11
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実は、昨日のアクセス数が480アクセスに達しました。このブログでは、おそらく過去最高の数字です。何故かというと、理由がありまして、「南京・史実を守る映画祭」のことが、朝日新聞に取り上げられたのです。と言っても、私は朝日新聞を購読していないので、その記事は読んでいないのですが。(ネット上のアサヒ・コムには記事がないようです)別に、ピノチェト将軍の悪行が注目されたのでアクセスが伸びたというわけではなさそうです。そして、意外にも右翼の反応はあまりありません。愚にも付かない非難メールが全部で5通ほど来ました(朝日の報道のあとは2通、それ以前が3通)が、事前の予想からみればまったく平穏なものです。映画祭の開催まで、あと3日。公式サイトでの前売り券販売は終了しましたが、ご連絡いただければ前売り料金でチケットの取り置きは可能です。みなさまのお越しをお待ちしています。南京・史実を守る映画祭12月13日(日)開催、於 世田谷区民会館・大ホール
2009.12.10
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例年、チリ・クーデターについての話は9月11日前後(米国の同時多発テロも9月11日だったけど、チリのクーデターも9月11日なのです)に書くのですが、たまたま昨日の日記でピノチェトの悪行について書いたので、続きを。http://www.youtube.com/watch?v=SG3f08LVwhE大統領官邸を反乱軍の包囲されたアジェンデが、電話をラジオ局につないで行った最後の演説。(何度か紹介していますが)そして、ビクトル・ハラと言えば代表曲はLa plegaria a un labrador(耕す者への祈り)http://www.youtube.com/watch?v=U5PFx6DgwWsCuando voy a trabajo(仕事に向かうとき)http://www.youtube.com/watch?v=R81UksWfCDYそして、クーデターの危機迫る時に発表された、まるで遺言のような曲Manifiesto(宣言)http://www.youtube.com/watch?v=en8yqVxuT-Uビクトル・ハラは国内にあって殺されましたが、当時海外公演中で、そのまま亡命に追い込まれた二つのグループ、インティ・イリマニとキラパジュン、それに、後に国外追放されたイジャブーの曲からビクトル・ハラ作曲の器楽曲La partida(出発) 演奏はインティ・イジマニhttp://www.youtube.com/watch?v=6TvCfFvPdWs(個人的に、このコード進行、琴線に触れてしまうのですよ・・・・・・)同じくビクトル・ハラの曲Con el alma llena de bandera(魂は旗に満ちて) 演奏はキラパジュンhttp://www.youtube.com/watch?v=eRSUzTQZ1v8そして、チリの革命歌と言えばこれ。Venceremos(我らは勝利する) 演奏はキラパジュンhttp://www.youtube.com/watch?v=mMj7MxqUd_Aこれは、アジェンデが当選する前後に作られた曲で、曲調も力強く前向きな感じEl pueblo unido jamas sera vencido(不屈の民) 演奏はインティ・イジマニhttp://www.youtube.com/watch?v=NwiML8pCB7Eこちらはクーデター直前に作られた曲。かなり悲壮感が入ってます。イジャプのVuelvo para vivir(生きるために帰ってくる)http://www.youtube.com/watch?v=u8y_0y-cT5g彼らが国外追放を解除され帰国したときに作った曲です。当時、チリで1年近くヒットチャートの1位を占め続けた曲。ちなみに、一番最初に紹介したアジェンデ大統領最後の演説の冒頭に挿入した曲も、ビクトル・ハラの曲「チャラグア」です。演奏しているのは私。(ケーナの副旋律)曲全体はhttp://www.youtube.com/watch?v=6HpanPiRrdoこれは自己宣伝でした^^
2009.12.09
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http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20091208-OYT1T01148.htm?from=y10チリ元大統領「病死」、軍政の暗殺だった南米チリの司法当局は7日、1982年にエドゥアルド・フレイ・モンタルバ元大統領が71歳で死亡したのは、当時のピノチェト軍事政権関係者による暗殺によるものだったと断定し、元運転手ら3人に対して殺人容疑で逮捕状を取った。AP通信などが伝えた。フレイ氏は、ヘルニア手術後の感染症が原因で死亡したとされてきた。だが、チリ大学が今年行った病理解剖で、マスタードガスに含まれるものなど2種類の化学物質を検出された。司法当局は「毒物を注入されたことが死因」と認定し、同氏の元運転手と手術を担当した医師、元秘密警察メンバーの3人が関与した疑いがあると判断した。当時検視を行った別の医師ら3人も共犯容疑で訴追するという。チリでは、ピノチェト元大統領(2006年死去)が73年のクーデターでアジェンデ社会主義政権を打倒し、90年まで軍事独裁政権を敷いた。この間、チリ経済を安定成長軌道に乗せる一方、左翼勢力を徹底して弾圧。誘拐や拷問などによる死者・行方不明者は約3200人に上った。ジャーナリスト出身で、64~70年に大統領を務めたフレイ氏は軍政に抵抗、82年当時は軍部による人権侵害事件を調査していたという。同氏が暗殺されたとの疑惑はかねてくすぶっていた。(2009年12月8日20時23分 読売新聞)-----------うーーん、そうだったのか。エドゥアルド・フレイ・モンタルバとはどのような人物だったかというと、サルバドル・アジェンデの前の大統領で、中道のキリスト教民主党出身。当時、チリには保守政党の国民党、中道のキリスト教民主党、左翼の人民連合(社会党・共産党・急進党その他)という3つのグループがあったのですが、フレイはキリスト教民主党ばかりでなく、保守の国民党の支援も受けて当選しています。また、アジェンデ政権末期には、軍部に接近し、クーデターに加担していました。ところが、いざクーデターが成功すると、フレイ(とキリスト教民主党)もまた弾圧の対象になってしまったのです。ピノチェトにとっては、もう用済みの存在だったからでしょう。ちなみに、ピノチェト政権に暗殺されたのは、フレイ元大統領だけではありません。有名どころでは、アジェンデ政権下の外務大臣だったオルランド・レテリエルは、1976年、滞在先の米国ワシントンDCで、チリの秘密警察によって爆殺されています。キリスト教民主党の有力政治家で、イタリアに亡命していたベルナルド・レイトンも襲撃され、本人は命を取り留めたものの、確か奥さんが亡くなっています。ピノチェトの前任の陸軍総司令官カルロス・プラッツ大将(軍は政治に干渉してはならない、という信念を持ち、アジェンデ政権を擁護し続けた)も、1974年、亡命先のアルゼンチンで、妻ともどもチリの秘密警察に暗殺されました。しかし、それから30年あまりのち、ピノチェトは人生の最後に、思わぬ形で暗殺の復讐を受けることになります。2006年にピノチェトが死んだとき、その葬儀で彼の遺体に唾を吐きかけた人物がいたのです。プラッツ将軍の孫が、その人物でした。
2009.12.08
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今日は、テーマが二つ。まずパラグアイ・アルパによる音楽の傑作牛乳列車http://www.youtube.com/watch?v=aaRuWqpW_soカスカーダ(滝)http://www.youtube.com/watch?v=M7Yqf1E-sqc何故このタイトルが付いているか、多分聞けば誰にも分かるでしょう。------------もう一つは、ボリビア大統領選http://mainichi.jp/select/world/news/20091208k0000m030015000c.html南米ボリビアで6日、憲法改正に伴う出直し大統領選が実施された。AP通信によると、現職の左派、エボ・モラレス大統領(50)が60%を超える得票率で圧勝した。今回の当選が2期目と規定され、任期は来年1月22日から5年間となる。モラレス大統領は「この勝利はボリビア国民だけのものではない。(中南米全体の)反帝国主義の政府と人民が支持されたものだ」と勝利演説した。次点の中道右派候補は敗北を認めた。06年に就任したモラレス大統領は、ボリビア史上初の先住民出身の指導者。貧困層である先住民の権利拡大や社会主義的な政策を進めた。富裕層を中心とする一部右派勢力の反発で内政がたびたび混乱したが、大統領は高い支持率を保ってきた。前回05年選挙でのモラレス大統領の得票率は54%だったが、今回は62~63%に達する見込み。改正された憲法では、連続2期までの再選が可能になった。--------------初当選時より得票が伸びているということは、それだけ政策が評価されているということでしょう。今後も政策に大いに期待しています。
2009.12.07
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背景写真を替えました。昨年12月に八ヶ岳に行った際、中山展望台から撮影した赤岳の写真です。間違えて、オリジナルをweb上にアップしていない写真を使ってしまったのですが、同じ場所で同時に撮ったほぼ同じ写真が↓です。ところで、今年はまたとてつもない暖冬で、まだスキー場には全然雪がないようですね。http://www.asahi.com/national/update/1205/TKY200912050329.htmlゲレンデ真っ青 雪ない山形・蔵王でスキー場開き山形市の蔵王温泉スキー場で5日午前、スキー場開きがあったが、ゲレンデは雪がなく芝がむき出しで一面緑。スキーヤーの滑走はなく、安全祈願祭のみの寂しい幕開けになった。蔵王温泉観光協会によると、祈願祭に雪がないのは2003年以来6年ぶり。プレオープンした先月22~23日は滑れたが、その後は気温が上昇して雪が解け、人工降雪機も使えない状態だ。山形地方気象台は「6日夜に山間部で積雪もありそうだが、来週は再び気温が上がる見込み」。雪ごいの日々がもう少し続きそうだ。------------------温暖化は着々と進行しているように思えます。ところが、その一方でこんな騒ぎも起こっています。http://www.asahi.com/national/update/1205/TKY200912050306.html盗み出された「温暖化」メール 論争に火 陰謀説も気象研究で有名な英イーストアングリア大のコンピューターにハッカーが侵入し、研究者が地球温暖化を誇張したとも解釈できる電子メールなどが盗み出された。12月の国連気候変動枠組み条約第15回締約国会議(COP15)を控えた陰謀との見方もあり、英米メディアはウォーターゲート事件をまねて「クライメート(気候)ゲート事件」と呼んで報じている。メールには、国際的に著名な気象研究者同士のやりとりが含まれ、イーストアングリア大のフィル・ジョーンズ教授が米国の古気候学者らに出した「気温の低下を隠す策略(trick)を終えたところだ」などと書かれたものもあった。この記述に対し、地球温暖化やその人為影響に懐疑的な人たちが飛びつき、ネットなどで批判が相次いだ。ジョーンズ教授は声明で自分が書いたことを認める一方、「誤った文脈で引用されている」などと反論。木の年輪のデータから推定されるが信頼できない気温のデータを使わなかっただけで、科学的に間違ったことはしていないと主張している。公開を前提にしない私信とはいえ、ほかのメールで懐疑派を「間抜けども」などと呼ぶなど研究者の態度にも関心が集まっている。 (以下略)------------------不正な手段で盗み出したメールを証拠に疑惑を騒ぎ立てるのはどうかと思いますよ。そのことは別にして、このメールの内容は、別に温暖化を「誇張」する内容だったわけではありません。記事には具体的なことは書いてありませんが、「誇張」の内容とは以下のとおりです。世界の平均気温の変動は、温度計による統計が始まって以降は、これを集計して計算していますが、温度計による気温の記録は、せいぜい過去100年か200年くらいまでしかありません。それ以前の気温はどうやって計算するかというと、木の年輪や氷床コアの分析、あるいは古文書の分析(いついつに氷河がどのあたりまで広がっていた、とか何年には初雪がいつ頃だった、とか)などから間接的に推計しているわけです。当然のことながら、用いるデータ次第で誤差はかなりあります。↑の統計を見ると、いろいろな線がごちゃごちゃと入り交じっているのが分かります。これだけ推計値に幅があるわけです。ただし、推計値の上限の線でも、現在(2004年)の気温よりは低い、ということも分かると思います。ところで、年輪や氷床コアその他から取った推計値というのは、当然、温度計による観測が始まって以降の時代についても存在するわけです。上記の表の右端の方の黒い線が、温度計による統計データです。当然のことながら、この二つのデータには、食い違いが生じます。ところが、この二つのデータをつなぐ際、具体的には1960年代から80年代にかけての年代のデータ(表の中では、右端でカラフルな多くの線が消えて、黒い線だけになるあたり)ですが、つなぎ目の部分でうまく曲線がつながって見えるように処理していたのではないか、というのです。その「謀議」を行っていた形跡が、盗み出されたメールかに見られた、それが「誇張」なるものの正体です。過去千数百年分の推計データのうちの、1960年代から80年代までの20年分について、正しくない部分があるのではないか、というそれだけのことであり、それ以上の話ではありません。もちろん、地球温暖化が全体として否定されるような話でもありません。
2009.12.06
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宜野湾市のど真ん中に位置する、米海兵隊普天間基地の移転を巡る問題が揺れています。このブログをお読みのみなさんは、一連の経緯についてよくご存じとは思いますが、一応改めて普天間基地問題のごく簡単におさらいを。普天間基地は沖縄戦の最中に米陸軍によって建設され、その後海兵隊に移管されて現在に至っています。全長2700mの滑走路をもち、面積は4.8平方キロ。この基地は、宜野湾市の中心部にあり街を完全に分断しています。また基地のすぐ近くまで住宅密集地が迫っているため、事故の危険と隣り合わせです。実際、2004年に沖縄国際大に普天間基地所属のヘリコプターが墜落する事故が起こっています。それに、土地の大半が民有地という特徴もあります。これらのことに加えて、1995年の米兵による少女暴行事件によって、一挙に返還要求が高まり、抗議集会に85000人もの参加者が集まる事態となったことから、普天間基地の返還が決まったのでした。が、返還の交換条件として、政府(自民党政府)は、名護市辺古野に基地を移転することに決めてしまいました。これでは結局、同じ沖縄県内での基地たらい回しに過ぎません。と、言うのが、民主党政権成立までの普天間基地移転問題のごく単純な経緯です。民主党は総選挙で辺古野への基地移転について「見直し」をマニフェストに掲げていました。もともとは「県外・海外への移転」を主張していたのですが、総選挙前に妥協的になってしまったわけです。とは言え、合意の見直しを行うという公約を掲げたことは事実であり、その公約に従って動いているわけですが、見直しとは具体的にどうすることかというのは、民主党内でも鳩山首相、岡田外相、北沢防衛相の三者で考えが違い、また連立相手の社民党も考えが違い、かつ米国は見直しを拒否しているというのが現状です。見直しの選択肢は3つあります。1やっぱり以前の予定どおり辺古野に移転2沖縄県外(日本国内の)に移転3国外に移転4その他(嘉手納基地に統合など)ごく大雑把に分けると、社民党は3、北沢防衛相は1、岡田外相は4(嘉手納基地に統合)、鳩山首相は2か3を主張しているわけです。私自身は、3国外に移転以外の選択肢はないと思っています。それ以外は、結局のところ基地機能のたらい回しに過ぎないからです。ただし、閣内で関係閣僚がそれぞれにバラバラなことを言い、右往左往しているのは問題です。まずは閣内の統一が第一でしょう。そうでないと米国にも足元を見透かされる。ところで、この問題を巡って米国との関係悪化を懸念する見方があるようです。案外、中国や韓国、北朝鮮に対して声高に「屈服するな」なんて叫んでいる連中に限って米国の意向には積極的に屈服しようとしているように見えます。国際関係というのは、国民の利益のために保つべきものであると私は思います。国際関係のために国民の利益を犠牲にするというのは、本末転倒です。もちろん、外国に屈服することが国民の利益につながるというなら、そうすることもやむを得ないと私は思いますが、少なくとも普天間基地移転問題に関して、米国の言いなりになることが国民(この場合は沖縄住民)の利益につながるとは、私には思えないのです。そもそも、普天間基地問題でどんなに米国と対立したところで、日米関係が一時的に冷却することはあっても、決定的に対立的になることはないと私は思います。なぜなら、普天間基地がなくなっても、嘉手納基地もあるし、沖縄ではありませんが三沢基地、横田基地、厚木基地もある。第七艦隊の母港は横須賀です。米軍にとって、これらの基地は不要な存在なのでしょうか。明らかに違います。逆で米軍にとって日本、特に沖縄の基地が重要だからこそ、拘っているわけです。対立の挙げ句に「では嘉手納からもお引き取りください」なんてことになるのを、米軍が望むはずがありません。誰に対してもいい顔を見せながら、こういう問題を解決することなんてできません。日本国民か、米国の意向か、どちらの方を向いて政治を行うのか、そこのところが民主党政権に問われています。
2009.12.05
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前々から物議を醸す行動で知られていましたが、http://www.asahi.com/national/update/1203/SEB200912030025.html「高度医療が障害者生き残らす」阿久根市長がブログに鹿児島県阿久根市の竹原信一市長が、自身のブログに「高度医療のおかげで機能障害を持ったのを生き残らせている」などと記載し、障害者や家族の団体などが反発している。市議会でも市長に説明と謝罪を求める動きが出ている。ブログの記述は11月8日付。医師不足の問題で医師会を批判する内容に続き「高度医療のおかげで、以前は自然に淘汰(とうた)された機能障害を持ったのを生き残らせている。結果、擁護施設に行く子供が増えてしまった」「『生まれる事は喜びで、死は忌むべき事』というのは間違いだ」(原文ママ)と記載した。さらに同9日付のブログには、読者の「高度医療のために機能障害を持った子を授かり、その子の成長に関わり、高い精神性を求められている方々にこの言葉はあんまりです」とするメールに答える形で、「慎重さを欠く見解に見えたかもしれない」としつつ、「(技術を)乱用すれば多くの人々に高い精神性が必要な厳しい生活を強いる。これでは残酷な社会を作る事になる」と持論を展開した。----------------人間として、この発言はいったい・・・・・・、と思います。あまりに酷すぎる発言でしょう。そもそも、高度医療によって「生かされている」のは障害者だけではありません。老人も病人も多かれ少なかれそうです。ごく初歩的な例で言えば、帝王切開で生まれた人(産んだ母親)、盲腸になったことのある人。その全員とは言いませんが、かなりの割合が、100年前の医療水準なら死んでいます。盲腸の経験のある人が人口の何割いるか知りませんが、帝王切開が全出生に占める割合は1割以上だったと記憶しています。しかし、この「機能障害を持ったのを生き残らせている」という極めつけの表現、本当にこの文面とおりなのか、思わず確認してしまいました。http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=521727&start=11&log=200911&maxcount=27----------------医者を大量生産してしまえば問題は解決する。全ての医者に最高度の技術を求める必要はない。できてもいない。例えば昔、出産は産婆の仕事。高度医療のおかげで以前は自然に淘汰された機能障害を持ったのを生き残らせている。結果 擁護施設に行く子供が増えてしまった。「生まれる事は喜びで、死は忌むべき事」というのは間違いだ。個人的な欲でデタラメをするのはもっての外だが、センチメンタリズムで社会を作る責任を果たすことはできない。----------------これが原文の関係部分全体。もう無茶苦茶。人間の生と死に、センチメンタリズムがあるのは当たり前で、それがあって何が悪いのかと思います。追記上記の文章を読むと、昔は障害をもった人は少なかったのに、高度医療のせいで障害者が増えた、かのように読みとれてしまいますが、そんなことはありません。確かに、医療の発展によって、以前なら生き残らなかった子どもが生き残るようになったという側面もあります。しかし、医療水準が上がったおかげで出産時の事故が減り、障害を持って生まれる子どもが減った、という側面もあります。また、出生前検査によって、先天性障害の有無が判定できてしまう(このことには、批判も大いにあります。私の相棒は病院で出生前検査をやるかどうか聞かれたときに、断ってしまいました)のも、医療の発達ゆえです。私は福祉畑の仕事をしているので思うのですが、重度の障害者には、出生時の事故によるものがかなり多い。上記に、帝王切開で生まれた子ども、産んだ母親のかなりの割合が、百年前の医療水準なら死んでいただろうと書きましたが、生き残った場合でも、相当高率で重い障害を負うことになったでしょう。私は南米に何度か旅行に行っていますが、ボリビアあたりでは、実に頻繁に手のない人足のない人と出会います。かつてボリビアの最大産業は鉱業で、鉱山での事故により手足を失う人が多かったという事情はあるのですが、現地の知人に言わせると、「医療レベルが低いから、ちょっとやっかいな複雑骨折だと、医者がすぐ切断しちゃうんだよ」とのことでした。もう一つ、養護施設に行く子どもが増えたのは、障害者が増えたからではありません。社会が変わったからです。障害者は、昔から大勢いました。ただ、軽度の知的障害は、昔は「ちょっと知恵の回らない子」くらいの扱いで済まされてしまっていたのです。そんな昔の話ではなくとも、例えば私と同年代(現在40歳前後)くらいの年代でも、軽度の知的障害者はほとんど養護学校に入っていません。当時は、養護学校というのは重度の障害者だけが行く学校だったのです。軽度の知的障害者は、多くの場合中学で特殊学級を出て、そのまま就労していました。もちろん、就労と言っても肉体労働とか、不安定雇用ばかりですが。しかし、現在はどんな軽度の知的障害でも、中卒で就労する人はまずいません。みんな養護学校の高等部に通うようになりました。これは、社会の変化であって、障害者の絶対数が増えたという話ではないのです。
2009.12.03
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新婚旅行を最後に、それ以降全然海外旅行に行っていませんが、それ以前は、南米とメキシコに何度か行ったことがあります。何しろ日本から遠い国々なので、旅行の回数の割には、飛行距離はかなり長いです。しかも、直行便なんてありませんから、立ち寄った空港、使った航空会社の数もかなり多いです。そんな中で、日本ではあまりお目にかからないようなトラブルにも、何度か遭遇しました。搭乗券はあるが座席がない1989年、初めての南米、ペルーの首都リマから古都クスコに向かう便でのことです。フォーセット航空のDC8型機。チェックインカウンターで「30A」という搭乗券をもらって、機内に入ったら、席は29番までしかありませんでした。幸いなことに、最後の29番台の席は予備座席にしてあったらしく、そこに座らせてもらうことができましたが。南米の国内線では、機内は自由席ということが多いみたいです。それでも、かつて旧ソ連のアエロフロートには「立席搭乗券」があったらしいので、それよりはマシでしょうが。搭乗券の取り違えやはり初めて南米に行ったとき、ロサンゼルスまでは大韓航空、そこから先はアルゼンチン航空に乗り継いだのですが、そのアルゼンチン航空のチェックイン時に、私と同じ名字の別人の搭乗券を渡されてしまったのです。米国からアルゼンチンの便で日本人は比較的珍しいでしょうから、同じ名字の日本人が2人乗ってくるとは思わなかったのでしょう。その便は、ロサンゼルス-メキシコ-リマ-ブエノスアイレスという経由便で、私はリマまで、同じ名字の別人はブエノスアイレスまで行く予定でした。つまり私はリマで降りるつもりなのにブエノスアイレス行きの搭乗券を持ち、預けた荷物もブエノスアイレス行きのタグが付けられてしまったわけです。後から考えると危機一髪の出来事ですが、偶然、私の次に並んでいたのが、取り違いの相手である同じ名字の日本人だったのです。それで、係員が取り違いに気が付いて、事なきを得ました。リコンファームを巡る出来事今はどうなっているのか分かりませんが、かつてラテンアメリカで飛行機に乗る際は、リコンファームは「必須」でした。2001年に南米に行ったときも、アメリカン航空は「リコンファームは不要ですが、ラテンアメリカ行きの便はリコンファームが必要です」と書いていました。個人旅行ではリコンファームも自分でしなければなりません。これが結構やっかいでして。だって、前述の初めての南米旅行は、大韓航空とアルゼンチン航空を乗り継ぎでしたから、二つのリコンファームをやらなければならない。それで、いろいろ考えて、行きの乗り継ぎ時にロサンゼルス空港でリコンファームをすることにしました。ところが、大韓航空のカウンターに行ってみたら「予約が入っていません」というのです。自分の持っている航空券には確かに予約が入っているのに、おかしいなと思いましたが、とにかく予約を入れてもらいました。でも、今ここで予約を入れたということは、予約の再確認はもう一度にやらなければならないってことだよなあ・・・・・・。というわけで、南米で大韓航空のオフィスを探す羽目に。リマには、大韓航空の営業所はありませんでした。「地球の歩き方」には、ボリビアのラパスに大韓航空の営業所があることになっていたのですが、これは旅行会社に大韓航空の資料が少し置いてあるだけで、支店の実態なし。チリのサンティアゴで、やっと大韓航空の営業所が見つかりました。おそらく旅行代理店に業務を委託しているだけでしょうが、オンラインの予約システムがあったので、ここで予約の再確認は出来ました。ところが、リコンファームをしてもらったところ、予約が二つあったのです。フルネームの予約と、名前がイニシャルになっている予約と。実際に私と似た名前の別人が予約していたのかも知れないけれど、ロサンゼルス空港で「予約がない」と言われたとき、本当は予約があって、二重予約になってしまった可能性もあるなと思いました。こういうことがあるから、リコンファームが必要なんですね。それ以降、南米にもメキシコにも何回か行きましたが、いずれも同じ航空会社で乗り継いだので、リコンファームもまとめて1回で済むし、アメリカン航空やユナイテッド航空は南米主要都市に営業所があるので、リコンファームで苦労することはもはやありませんでした。そして、新婚旅行(目下最後の海外旅行)は、個人旅行じゃないので自分でリコンファームをする必要がありませんでした。これはラクチン。乗り遅れ寸前2001年、911の直後にボリビアに行ったとき、帰りはマイアミで乗り継ぎで1泊しました。空港で夜明かししてもいいかと思ったのですが、それだと疲れそうなので、ホテルを取ったのです。で、翌朝送迎バスに乗ろうとしら、これが出た直後、次の送迎バスは1時間後と言うのです。でもまだ時間に余裕があるからいいやと思っていました。結局、空港に着いたのは出発の1時間40分くらい前で、普通なら全然問題ないところですが、着いてびっくり、朝の五時過ぎというのに長蛇の列。多分、何千人というお客さんが並んでいました。911後のセキュリティー厳格化の影響もあったのでしょう。これでは1時間半かそこらで私の順番になるはずがない。とてもチェックインが間に合わないと覚悟を決めました。幸い、仕事は帰国翌日も休みにしてあったので大丈夫。問題は、帰国したその足で、八王子方面のとある市民団体の飲み会に参加する予定になっていた(何という滅茶苦茶な計画^^)のが、行けなくなってしまうことくらい。ところが、次の瞬間、遙か彼方のアメリカン航空のチェックインカウンターで、係員が叫んでいるのです。「シアトル行きの乗客の方!!」私は思わず手を挙げて「はいはいはい!!」いや、Yes!Yes!と叫んでしまいました。(成田行きの便はシアトル経由でした)で、一気に3000人抜きでチェックインにこぎ着け、乗り遅れずに済んだわけです。荷物の積み込みも間に合いました。
2009.12.02
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ヤマハが運営している「MySound」という音楽SNSがあります。私は昨年12月に参加していたのですが、このサイトが今月22日で閉鎖になります。そして、それを前に昨日11月30日をもって、曲の新規公開が終了しました。で、最後に2曲ほど公開してみました。実は、諸般の事情により、自分のホームページ以外では公開しないことにしていた音源なのですが、3週間あまりで消えてしまうサイトだから、まあいいかな、と。America novia mia 我が恋人アメリカ大陸Carnaval grande カルナバル・グランデいずれも、私が始めて参加したフォルクローレのグループ、「グルーポ・インカコーラ」の曲です。1991年頃結成して、2000年に事実上解散したのですが、その直前頃、1998年か99年の録音です。もう10年以上も前になります。当時は、普段あまり練習しなくても自在に演奏できたんですが、今は日常練習をちょっと怠ると、途端にいい音が出なくなります。年齢のせいでしょうねえ。ただ、練習量が増加したおかげで、部分的にはこの当時より今の方が技量が上がったところも、なくはないのですが。
2009.12.01
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