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まずは自公政権が退場することは、心からうれしいです。何度も書くように、私は民主党はあまり好きじゃない。でも、自公政権よりはマシです。おそらく、多くの有権者が私と似たようなことを考えたのではないでしょうか。(まあ、世間一般の標準よりは、私は考え方が若干左の方に傾いている傾向がありますので、私の場合は自民党に投票などあり得ないので、自民党にしようか民主党にしようかなどと悩むことは全くないのですが)そういう意味で、今回の選挙は民主党の勝利と言うより、自民党(と公明党)の敗北という側面の方が強いのかも知れません。では、自民党の敗因は何でしょう。もともと、自民党は2年前の参議院選で大惨敗を喫し、その後の2年間、多少の上下はありましたが、結局は参院選の結果から立ち直ることはなく、それどころかあのとき以上に支持を失って、今回の惨敗に至りました。だから、例えば麻生の首相としての資質にも大きな問題はありましたが、麻生1人だけの責任に帰するような一過性の原因が全てとは思えません。一つだけ言うとすれば、小泉時代の負の遺産ということではないでしょうか。小泉はかつて「痛みを伴う改革」などと言い、世間はそれをもてはやしましたが、結局はただ痛いだけだった。小泉流の新自由主義で、いくら待っても何も良いことなどなかったではないかという実感が、多くの国民にあるということでしょう。2年前の参議院選の時は、まだ景気が良かったのですが、その割には格差拡大などの問題点ばかりで、多くの国民に景気の良さの実感がなかった。そのうちに今回の世界同時不況が始まり、更に自民党は支持を失うことになりました。この世界同時不況にしても、直接的に自民党や小泉政権の責任ではないけれど、小泉流の新自由主義、競争原理史上主義がこのような事態を招いたことは歴然としています。加えて、自民党が郵政解散で大勝したときに生じた無理、矛盾、問題点が小泉の退任後に全部噴出しました。自民党内の郵政民営化反対派を追い出し、「刺客」を送り込むやり方は、結局自民党内の分裂と公認争いを招き、従来の支持母体の離反も招きました。小泉は「自民党をぶっ壊す」なんて言っていましたけれど、結果的にはそのとおりになったなと思います。どこかの新聞が「郵政解散の時の自民党は麻薬で勝ったようなもの」という主旨のコメントを掲載していました。そうかもしれないなと思います。本来、負けていたはずの選挙を、郵政解散という「麻薬」で勝ってしまった、でもその麻薬が切れてしまうと、なお一層悲惨な状況になってしまったのでしょう。選挙を経ずに3人首相が変わったことも、支持を失う原因になったと思います。より短期的には、民主党に対するネガティブキャンペーンが最後の致命傷になったのではないかと私は思います。多くの人が景気や雇用のことを不安に思っているときに、首相ともあろう人間が、国旗の切り裂きがどうとか、そんなネットウヨクレベルの話しかしなくなったら、ネットウヨク以外の大多数の穏健な支持者は引いてしまうのも当たり前です。そういう意味で、今回の選挙はネットウヨクの敗北でもあります。彼らはヤフーニュースを始めとするネット空間を占拠して気勢を上げているけれど、その実像は世間一般ではたいした勢力があるわけではない、そのことが今回の選挙で露呈した、ということでしょう。そんな連中に媚びを売ってみても、選挙には勝てるわけがないのです。いや、媚びを売ったわけではなく、彼らの本質がネットウヨク連中に相通じるということなのでしょうが。結局のところ、一言で言えば自民党には政権担当能力がもはやない、ということに尽きるのかも知れません。何はともあれ、民主党の新しい内閣はどういう組閣になるのか、少しは期待しつつ待ちたいと思います。
2009.08.31
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物事には必ず始めと終わりがあります。自民党政治の始まりは1955年、そして、終わりは2009年8月30日。いや、厳密にはこのあと麻生内閣が総辞職する日かも知れませんが。私は民主党は好きではないけれど、それでも自公政権よりは何割かマシと思っていますので、この結果は非常に喜ばしい。しかし、問題はこれからです。政権交代も大事ですが、そのあとどんな政策を実行していくのかは、もっと大事です。民主党政権になったからと言って日本が劇的に変わるとは思えませんが、多少は期待しています。多くの人々の期待に背く結果となれば、次回総選挙では民主党が今回の自民党のような結果になるかもしれません。ところで、各選挙区の当落を見たら、衝撃の事実。稲田朋美大先生が小選挙区で再選されている。これはショック。この人は落選して欲しかったのに。それに、森元首相も当選してしまったのか・・・・・・・・。
2009.08.30
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明日はいよいよ投票日ですが、わが家は一足先に期日前投票を済ませてしまいました。選挙について、いろいろ書いてきましたが、私はとにかく自公政権からの転換を願い、小選挙区は民主党に、小選挙区は共産党に入れました。どちらの党に対しても、いろいろと不満はありますが、少なくとも自公政権よりは何割かはマシ、ということで。このブログをご覧のみなさまに、何党に投票せよ、とは言いませんが、ただ一つだけ、必ず投票に行ってくださいということだけは声を大にして申し上げておこうと思います。棄権はやめましょう。と、いうわけで、選挙の話はまた書くことにして、今日は音楽の話を。いつも自分の演奏ばかりを紹介しているので、たまには私がお気に入りの曲(プロの演奏)もご紹介を。まずは、一応定番の「コンドルは飛んでいく」から無数の録音がありますが、一つだけ選ぶとしたら、やはりロス・インカスでしょうか。この音源の後半を切り落として、英語の歌詞を被せて歌ったのがサイモンとガーファンクルの「コンドルは飛んでいく」です。http://www.youtube.com/watch?v=GSwu8-ohoWsEl condor vuelve (コンドルは戻ってくる)http://www.youtube.com/watch?v=zH1Vzj7P3NE演奏は「ルミリャフタ」、ボリビアを代表するグループの一つですLejanias(遙かなる地)http://www.youtube.com/watch?v=XCyArjM8NZIこの曲は私も演奏しているので、あんまり紹介したくないんですけど(レベルの差が分かってしまうから^^)演奏は「ハチャ・マリュク」Memoria del tiempo(時の記憶)http://www.youtube.com/watch?v=Sb8qJIgUDeU菱本幸二さん率いる「アカパナ」の演奏です。最近は頻繁に来日公演をやっています。下で紹介する「ムシカ・デ・マエストロス」のピックアップメンバーで編成されたグループCancion de amor(愛の歌)http://www.youtube.com/watch?v=LubC6CacDLg上記の「アカパナ」の母胎となったムシカ・デ・マエストロスというグループの演奏で、バイオリンや金管楽器も交えた20人以上の大編成です。ボリビア音楽メドレーhttp://www.youtube.com/watch?v=XMtD0HB6UyYボリビアの国民的女性歌手スルマ・ユガールの歌。ボリビアの都はるみと言えば分かりやすいかも。1988年、アルゼンチンのコスキン歌謡祭での歌。Vuelvo para vivir (帰還)http://www.youtube.com/watch?v=SXyxpusEhT8チリで40週間以上ヒットチャート1位を占め続けたという伝説的な曲。演奏するイジャプは、1980年にピノチェト独裁政権によって国外追放されて9年間の亡命生活の後、1989年、民政復帰直前に帰国をゆるされたその「帰還」を歌った曲。Vuelvo(帰還)http://www.youtube.com/watch?v=5XSVHbQWb1c&こちらは1973年から国外亡命を余儀なくされ、やはり1989年に帰国したインティ・イジマニの歌。Perfume de carnaval(カーニバルの香り)http://www.youtube.com/watch?v=AH4g89uCFroアルゼンチンの舞曲サンバのリズムによる名曲。ロス・カラバハルの演奏。La tristecita(悲しみのサンバ)http://www.youtube.com/watch?v=44QoPv7BXPQアリエル・ラミレス作曲によるサンバです。ギター1本での演奏。バックに立っている踊り手がいつ踊り出すか踊り出すかと思うと、結局最後まで踊り出さないのが謎ですが。La peregrinacion(巡礼)http://www.youtube.com/watch?v=IW2PmkJ4Lcgソースは日本で出たビデオのようですね。歌っているのはホセ・カレーラス。アリエル・ラミレス作曲の「ウェジャ」というアルゼンチン南部の形式の舞曲です。まあ、他にもたくさんありますが、とりあえずはこんなところで。このくらいの演奏が出来たらいいのですが、なかなかねえ・・・・・・。
2009.08.29
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http://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin2009/news2/20090827-OYT1T00973.htm?from=main6民主なら「へぼでもオールスター」と自民・伊吹氏自民・伊吹文明元幹事長は27日、京都市内での街頭演説で「政権交代という言葉を掲げ、民主党のユニホームさえ着ていれば、どんなへぼなピッチャーでも、オールスターに選ばれる。その多くの原因を、自民党が作ったことは反省しないといけない」と述べた。------------------------たしかに、そういう傾向がないとは言えませんが、4年前には自民党がそうだったわけです。まさに「自民党」というユニフォームを着て「郵政民営化」と叫んでさえいればどんなヘボでもオールスターに選ばれたわけです。中でももっともヘボだったのが杉村太蔵議員でしょうが、小泉チルドレンの多くも似たようなものでしょう。まあしかし、民主党勝利はほとんど確定的と思われますが、政権を取った後が問題です。4年後に今の自民党と同じ状態になったりしないようにしてもらわないと。
2009.08.27
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http://www2.asahi.com/senkyo2009/news/TKY200908250302.html自民内で公然と「舛添総裁」待望論 反転のきっかけ狙う自民党内で早くも「舛添総裁」の声が出始めた。人気の舛添厚生労働相を前面に押し出し、自民劣勢が伝えられる総選挙で反転のきっかけをつかもうという思惑がにじむ。選挙期間中に、公然と「総裁交代論」が語られるのは異例の事態だ。麻生首相の地元でもある福岡県。25日夕に福岡市で開かれた山崎拓元幹事長の総決起集会で、山崎氏は「どういう選挙結果になっても、自民党を再建する必要がある。舛添氏は有力な総裁候補だ」と宣言。応援に駆けつけた舛添氏も、山崎氏のあいさつに先立って「山崎氏とスクラムを組んで立て直したい」と意欲を示した。「舛添待望論」は同日午後にも飛び出した。鳩山邦夫前総務相が同県久留米市の街頭演説で「日本一総理にしたい男。舛添総理になったら(私は)副総理でいいからよろしく」と訴えた。-----------------------いやはや、自民党の諸先生方は教訓に学ぶということができないのでしょうか。安倍晋三には国民的人気があるからと安倍を首相にし、麻生太郎に国民的人気があるからと麻生を首相にし、その結末は誰もが知るとおりです。それなのにまた、「舛添は人気があるから」と舛添総裁待望論だそうです。自民党には学習能力というものがないのでしょうか。ま、せいぜい野党の総裁として頑張ってください。
2009.08.26
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090824-00000049-mai-pol<麻生首相>学生集会で「金がねえなら結婚しない方がいい」「そりゃ金がねえなら結婚しない方がいい。うかつにそんなことはしない方がいい。金がおれはない方じゃなかったけど、結婚遅かったから」。麻生太郎首相は23日夜、東京都内で開かれた学生主催の集会で、少子化問題に関連してこう述べた。学生から、若者に結婚資金がなく、結婚の遅れが少子化につながっているのではないか、と質問されたのに答えたものだが、不況下で就職難の若者らの気持ちを逆なでする発言とも受け取れる。首相は「(金が)あるからする、ないからしない、というもんでもない。人それぞれだと思う」としながらも、「ある程度生活していけるものがないと、やっぱり自信がない。稼ぎが全然なくて尊敬の対象になるかというと、なかなか難しいんじゃないか」と語った。------------------また例によって政治家として知性のかけらもない発言です。これが一個人として子どもや親しい友人へのアドバイスというなら、まあ必ずしも間違いではないかも知れませんが、一国の首相として、「少子化問題に関連して」の発言としては最悪です。多くの若者に「金がない」という状況そのものが問われているという事実認識が欠落しています。それに、この発言は少子化大歓迎、子どもはどんどん減らしていくべきという結論にしかつながりません。麻生はそういう意図で「金がないなら~」と発言したのでしょうか?多分違うでしょう。自民党のマニフェストは「少子化の流れを食い止めるため」云々と書いてありますから。「少子化はくい止めるべき」だけど「金がないなら結婚するな」では矛盾もいいところで、まさしくアホの戯言です。まあどっちみち、どうやら選挙後に麻生がまだ首相をやっている、という悪夢のような事態はほぼなさそうなので、あと5日我慢すれば済みそうですけれど。
2009.08.25
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このブログで度々書いているように、私は徹頭徹尾反自民党であり、今回の選挙では、小選挙区は民主党に投票しようと思っています。ただし、必ずしも民主党を支持しているわけではありません。比例区では、だから民主党に入れるつもりはありません。というわけで、そんな民主党に対する不満も書いてみようかと思います。国会議員の定数削減衆議院の比例区定数を80人削減とマニフェストに唄っています。これは絶対反対。基本的に、小選挙区制というのは政治における「競争原理至上主義」に他なりません。今回の選挙でも、例えば毎日新聞の予測によると比例区の獲得議席予測は自民党は民主党の半分(つまり、得票率は半分と言うこと)ですが、小選挙区では5分の1か下手をすると10分の1とも予測されています。私は徹頭徹尾自民党は大嫌いですが、少なくともその得票率より議席獲得率が低くあるべきであるとは思いません。得票3割なら議席も3割というのが正しい議会のあり方と考えています。また、衆議院の定数は現在480ですが、これは世界的に見て、特に多い部類ではありません。イギリス(定数646)や、ドイツ(598)、イタリア(630)、フランス(577)、タイ(480)、ブラジル(513)、メキシコ(500)、インド(543)などは日本より定数が多い。予算の削減ということなら、定数を削るのではなく歳費を削るべきでしょう。子ども手当年額31万2000円の子ども手当を創設するそうです。しかし、私が思うに、年に31万円の手当は「あればうれしい」ものではあるでしょうが(定額給付金と同じ)、子育ての上で決定的なものではないと思います。年31万円で子どもは育てられませんから。私は、年30万のお金よりも、子どもを持つ母親が安心して働き続けられるための制度と環境の整備の方が遙かに重要だと思っています。だから、同じくマニフェストに載っている保育所の待機児童を解消する、こちらは是非実現してもらいたいですね。出産一時金増額これについては、反対ではないのですが非常に素朴な疑問。正常分娩は健康保険の対象外とされていますが、あれを健康保険でカバーするように出来ない理由って何でしょう(出産は病気ではない、というタテマエは分かりますけど)。誰でも考えつくことでしょうから、きっと何かあるのでしょう。現状では、正常分娩だと出産費が高いけど、帝切になれば健康保険対応だから安くつくという、不可解な状況です。もし全ての出産が健康保険対応となれば、出産一時金を増額するよりよほど大きいと思うのですが。高速道路無料化これは、非常に微妙な部分があって一概には言えないのですが、環境問題を考えると、高速道路をタダにして、どんどん車で走りましょうという政策が正しいとは、言えないでしょう。農家の所得補償これも微妙な部分があって一概には言えませんが、農業を巡る様々な問題の解決策として、所得補償というのはちょっと違うように思います。そして、逆にマニフェストに載っていないこと外国人地方参政権は是非実現すべきと思っていますので、これをマニフェストから外したことは大いに不満です。一部ネットウヨクは別にして、世間一般的に外国人地方参政権に反対という声はあまりないので、これを掲げると選挙で不利になる、とは考えにくい。にもかかわらずマニフェストから削ったのは、おそらく党内事情(外国人地方参政権の反対する党内右派との綱引きの結果)でしょう。だとすると、民主党政権が出来ても、党内右派が足を引っ張って、この種の政策は実行できない、という事態も考えられます。同様のことは、インド洋での給油作動廃止や、戦後補償問題(例えば慰安婦問題解決など)がいつの間にかマニフェストから姿を消していることについても言えます。そういうわけで、まあ、はっきり言って民主党の政策には不満もたくさんあります。ただ、それでも自民党政権よりはマシとは思っているので小選挙区だけは投票しようと思っているわけです。。
2009.08.24
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長野県鹿教湯温泉の「鹿教湯ストリートフェスティバル」で演奏してきました。今年の出演グループは12組、時間は大幅に押しましたが、それでも8時半過ぎには全部終了しました。(去年は終了が12時をかなり回っていました)出演グループは、フォルクローレが半分、その他が半分というところでしょうか。一番の見所は、地元の西内小学校(長野県上田市立)の金管バンドでしょう。全校生徒68人という学校で、5・6年生は金管バンドに全員参加なのだそうです。全員と言ってもこんな小規模校だから人数はたかが知れていますが、とても素晴らしい演奏をします。全日本小学校バンドフェスティバルで上位の常連だそうで(2006年と2007年、2年続けて最高賞にあたるグッドサウンド賞を取っている)、テレビ番組でも取り上げられたことがあるそうです。(TBS系の「情熱大陸」という番組では、昨年12月と今年5月の2回取り上げられているそうです、私は未見ですが)ところが・・・・・・・今年は西内小金管バンドが出演順トップバッターだったために、私が会場に到着したときは最後の曲を演奏中でした。残念。今年は、西内小金管バンド単独の演奏ではなく、OBの中学生、それにゲストのトランペット奏者(名前は聞き損ねました)も加わっての、合同演奏でした。うーーーん、あと30分早く着いていれば。というわけで、私が西内小金管バンドの演奏をちゃんと聴いたのは一昨年のことでしたが(去年も到着が遅れて聞き逃した)、その時は純然たる小学生だけの演奏でした。コンクールの受賞のことはその後知った情報で、当時はまったく予備知識なく何となく聞いたのですが、予想もしなかった素晴らしい演奏に度肝を抜かれました。とにかく上手い、その時はジャズの曲なども演奏していたのですが、リズム的にも、スイング感満点でした。そしてただ上手いだけではなく、子どもたちがとても楽しそうに演奏しているのです。演奏している人が「楽しそう」というのは、見る側にも伝染するものです。あれはきっと指導している学校の先生が素晴らしいに違いありません。さて、自分自身の演奏ですが・・・・・・・・動画を3つ公開しました。まずは、やまとむしさんと一緒に演奏した「スカポロ・フェア」http://www.youtube.com/watch?v=HsJ9s88WuHY2007年1月にバックイン・カフェで演奏して以来、2年半ぶりに吹きました。しかも、練習時間ゼロ(やまとむしさんが出演時間ぎりぎりの到着だったため、到着即ステージ即演奏開始でした)。冷や汗かきまくりました。だからサンポーニャはちょっと間違えた~~~~。そして、キラ・ウィルカの演奏から2つ「レハニアス(遙かなる地)」http://www.youtube.com/watch?v=IJLLg9YbePQ7月25日に杉並公会堂での演奏でミスしたところは、きっちり挽回しました!けど、その部分、マイクがちゃんと音を拾っていないんですけど・・・・・・・・(涙)「ワラ・ワリータ」http://www.youtube.com/watch?v=VA3SRHeeQ4cこれも杉並公会堂で演奏した曲ですが、そのときは途中で録画が止まってしまったために、動画がありませんでした。今回は最後までちゃんと録画できました。
2009.08.23
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http://mainichi.jp/select/seiji/eravote/09votematch/etc/毎日新聞の開設している「えらぼーど」という選挙サイトがなかなか面白いです。自分の考えに近い政党を選ぶことが出来ます。私との政策の一致度は共産党91%社民党88%民主党78%新党大地73%新党日本72%国民新党63%みんなの党58%公明党56%自民党30%改革クラブ25%幸福実現党18%だそうです。まあ、事前に想像したとおりの結果ではあります。新党大地という鈴木宗男の政党がこんなに一致度が高くなるとは思いませんでしたけど、以前参議院選の時は、新党日本が一番になったり社民党が1番になったりしましたが(考えが揺れ動く部分が皆無ではないので、入力するたびに少し結果は変わる)、今回は何度か試しても共産党が1番になるようです。公明党も、案外政策一致度が高いのですが、ただ、私はこの党は嫌いです。自民党、そして幸福実現党はまさに予想どおり。みなさんもお試しあれ。今日は、これから1泊2日で、長野の鹿教湯温泉に行ってきます。「鹿教湯ストリートフェスティバル」で演奏のためです。帰宅したら、また動画をアップするかも。
2009.08.22
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http://www.asahi.com/politics/update/0820/TKY200908190451.html朝日新聞が昨日、選挙情勢調査で民主党300議席と報じたときは、さすがに驚きました。民主党優勢とは思うけど、まさかそこまでの圧勝とは・・・・・・と思ったら、今日になると読売新聞http://www.nikkei.co.jp/senkyo/2009shuin/elecnews/20090820AS3S2001C20082009.html日経http://www.nikkei.co.jp/senkyo/2009shuin/elecnews/20090820AS3S2001C20082009.htmlも、ほぼ同様の結果となっています。いよいよ自民党の大敗北が目前となってきた感じです。麻生は、民主党の党旗問題で一生懸命民主党を攻撃しているようですが、そんなことをしたってネットウヨクが喜ぶだけで、世間一般的に支持が拡大するはずがない。案の定、上記朝日と読売の調査は「日の丸切り裂き」騒動の後で行われていますが、それで民主党の支持が減ったわけではなさそうです。300議席説は週刊現代がよく書いていましたが、まさかそれがこんなに実現性の高い話になるとは・・・・・。それにしても、4年前、郵政解散で自民党が大勝したときは、いったい誰が4年後のこの状況を予想したでしょう。ということは、逆に言うと4年後には民主党が大敗北を喫することだってあり得るということもまた、忘れてはならないでしょう。
2009.08.21
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私の周囲(職場関係)で新型インフルエンザの罹患者が出ています。ふと気が付くと、いまとてつもない勢いで新型インフルエンザ大流行中です。こんなに暑くて湿気のある時期、しかも学校が夏休み中にインフルエンザなんて、常識では考えられないのですが、それが新型の新型たる所以でしょう。新学期が始まったら、そして冬場になったらいったいどういうことになるのだろうか、ちょっと怖いものがあります。それに、今は死亡率などはそれほど深刻ではないけれど、もしウィルスが変異して強毒化したらどうなるのか、これも怖いです。強毒化の可能性がどの程度あるのかは分かりませんが、そういう事態を想定した場合は、むしろ今のうちにどんどんインフルエンザが大流行して、多くの人が抗体を獲得している方が良いのかも知れません。わが家は一応マスクをある程度ストックしているのですが、50枚のマスクがあっても、家族3人なら17日分にしかなりません。インフルエンザの流行がそんな短期間で終息するとは思えませんが、かといってマスクを500枚も600枚もため込むのも難しいし、だいたい、今マスクはどこの薬屋でも品薄です。なかなか個人では対策を見いだしにくいです。家に立て籠もって外出しなければいいのかも知れませんが、仕事があるからそういうわけにもいきません。ワクチンは増産しているのでしょうが、どうなっているんでしょうね。とりあえず、この秋冬は、きっと玉子が品薄になるんじゃないかという気がします。(ワクチンの培養地として、玉子が大量に必要になるので)
2009.08.20
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いよいよ総選挙が公示されました。投票日は8月30日。私としては、民主党がよいとは必ずしも思いませんが、自民党(と公明党)は良くないとは声を大にして言えます。小選挙区は民主党に、比例区は別の党(もちろん自民公明ではない)に投票しようかなと思案中。ところで、なにやら鹿児島で民主党の候補者が日の丸を「切り刻んで」作った民主党旗を掲げたと話題になっているようです。麻生が党首討論でやり玉に挙げて、ネットウヨク連中や産経新聞も付和雷同中。実際には、2枚の日の丸を縫い合わせたものであって、切ったわけではない(まして切り刻んだわけではない)そうですが。ま、立てる必要のない波風をこの時期に立ててしまった、という意味では、民主党のエラーではあるかもしれません。日の丸君が代問題についてあえて一石を投じようという意志と覚悟があるなら話は別ですが、早々に謝罪してしまったところを見ると、民主党にはもともとそんな意志はないようです。でも、私は思うのです。日の丸をどう使ったっていいじゃん、って。他人の家から日の丸を奪い取ってきて切り刻んだというなら話は別ですが(それは窃盗、あるいは器物損壊)、自分で用意した日の丸を自分でどのように使おうが、それは所有者の自由と思います。何でそんなことを非難されなければならないのか、私には理解不能。日の丸と言えども、所詮ものに過ぎません。かつて、戦前の日本軍は、軍旗(連隊旗)を異常に神聖視していました。何しろ、軍旗護衛中隊なんてものがあるのです。1個連隊は9個中隊ですが、その9個の中隊のうちの1個が、戦闘に参加するのではなく、ただ軍旗を守るだけの任務に就くのです。軍旗を奪われたからと自殺を強要される連隊長が現れたり、軍旗奪還のため成算のない無謀な作戦を強行して、無意味に犠牲者を出すなど、本末転倒な出来事がたくさんあったのです。旗というモノに、個人として神聖な意味づけをするのは本人の自由です。しかし、それを他人に、社会全体に強要すると、そういう馬鹿げた出来事が起こる。しかも、そんなに「神聖な」軍旗は、実はその多くが「切り刻まれ」ていたのです。旧軍の軍旗は、何故か旗の周囲の房だけがあって、肝心要の旗そのものはないのです。もちろん、作られた時点では旗はあります。ところが、それが連隊に授与されると、いつのまにか房だけになっちゃうのです。何故かというと、実戦で旗に銃弾を浴びたりして、次第に旗の部分が破られて房だけが残る、だから、房しか残っていない連隊旗は実戦経験豊富な精鋭部隊の印だ、という固定観念が当時あったわけです。実際には、軍旗に銃弾なんか浴びたら旗手が責任問われて大変なことになりそうですし、銃弾を浴びたら房だってボロボロになるはずですが。それなのに何故房だけになってしまうかというと、「歴戦の旗」にするために、こっそりと切り刻んじゃうわけです。実に馬鹿馬鹿しい話ですけれど。日の丸というモノを神聖視したいなら、したい奴だけが勝手にやってくれと私は言いたい。私は、君が代とは違って日の丸は割合に好きですけれど、しかしこういう神聖視は大嫌い。産経新聞によると、海外では国旗を冒涜すると刑事罰の国もあるそうですが、ここは日本です。日本にはそんな法の規定はありません。日本では無罪外国では有罪などという出来事はいくらでもあるし、逆に日本では有罪外国では無罪という出来事もたくさんある。当の産経新聞やネットウヨクの言動は、ヨーロッパ諸国の多くでは刑事罰に問われます。追記日の丸に反対する意思表示として日の丸の旗を焼き捨てるとか、本当に切り刻むなら、日の丸に対する「冒涜だ」というのは理解できるのですが、それを利用して別のものを作ることが「冒涜」と言えるのかどうか、私には疑問です。そんなことを言い出したら、上記に上げた軍旗を切り刻んで房だけ残す行為はまさに軍旗に対する冒涜以外のなにものでもないでしょう。しかし実際には、それが冒涜として行われたわけではないことは明らかです。まったくの想像ですが、今回の民主党旗を作った支持者というのは、案外日の丸大好きな保守的な人かも知れないという気がします。もともと民主党は左右の寄り合い所帯ですが、場所柄的に鹿児島は保守色の強い土地ですし、日の丸に縁のない人は日の丸の旗を作り直して民主党旗に、なんてあまり思いつかないのではないかと思えます。だいたい、たいていの人は、あんなに大きなサイズの日の丸を2枚も持っていませんから。
2009.08.18
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大雪山のトムラウシでツアー登山の8人がなくなった遭難事故については、このブログで何回か取り上げましたが、今日の各紙報道によると、あのとき山頂付近でのビバークに使われたテントは、ガイドが持参したものではなかったのだそうです。http://www.asahi.com/national/update/0814/TKY200908140145.html偶然見つけたテント、命つないだ トムラウシ山遭難北海道大雪山系トムラウシ山(2141メートル)で登山ツアーの8人が凍死した遭難事故で、山頂付近で発見されたガイド1人を含む5人(うち2人が死亡)が野営に使ったテントは、登山道整備業者が従業員の宿泊に備えて山中に保管していたものだったことが、道警などへの取材でわかった。ガイドが救助要請などのために山頂付近を歩き回った際、偶然見つけたテントを運んだという。道警は、このテントがなければ死者はさらに増えていた可能性があるとみている。遭難した日は、下山してトムラウシ温泉に泊まる日程だったことから、ガイドは客を十分に収容できるテントを持っていなかったとみて、装備が十分だったかどうか調べている。16日で事故から1カ月。ツアーは、大雪山系の尾根づたいの四十数キロを2泊3日で縦走するコース。事故があった7月16日は、ヒサゴ沼の避難小屋から約15キロ歩いて下山する予定だったが、客15人(55~69歳)と男性ガイド3人(32~61歳)のうち客7人とガイド1人が凍死した。道警によると、遭難翌日の捜索の際、5人が野営に使ったテントを回収した。ガイドの携行品とみられていたが、ガイドは道警に「南沼付近でテントを見つけ、北沼に持ち帰った」と説明。携帯コンロで暖をとったという。その後の調べで、北沼から下山方向に約30分歩いた南沼キャンプ指定地に業者が保管していたものと判明した。業者によると、テントはブルーシートに包まれ、毛布、携帯ガスコンロなどと一緒にあった。全部で3張りあったという。テントの保管場所の前後では、男性客1人と女性客3人が死亡した。業者は「偶然にもテントが人の命を救うことに役立って良かった。全部使って、全員助かってほしかった」と話している。 --------------------と、いうことは、あのツアーのガイドは、テントはもっていなかった、ということです。同じツアーの別の何人かがツェルト(携帯簡易テント)にくるまって生還しているのですが、そのツェルトも客が持っていたものでガイドが持っていたものではなかったらしい。あの行程を歩くのに、いくら避難小屋利用が前提だったとしてもテントをもたないというのは理解しがたいです。避難小屋満員とか、遅れた避難小屋までたどり着けないという事態を想定しなかったのだろうか。客からお金を取って行うツアーとして、あまりにお粗末過ぎたということに尽きるのではないかという気がします。よく今まで同じような事故を起こさなかったものです。それはともかくとして、あんな場面で山のど真ん中に、テントが転がっていた、というのは逆に言えば奇跡にも近いものがあります。それでも5人のうち2人は亡くなったのですが、生き残った3人だって、もしテントがなかったら・・・・・・・・・。エゾツツジ、富良野岳で撮影。エゾハクサンイチゲ、これも富良野岳で撮影。おそらくヨツバシオガマ、富良野岳で撮影チングルマの群落、これは知床・羅臼岳で撮影キバナシャクナゲ、羅臼岳で撮影
2009.08.17
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8月2日の日記で自宅で録音したサイモンとガーファンクルの「明日に架ける橋」をご紹介しましたが、演奏の出来があまり良くなかったので、再録音しました。前回よりはマシな演奏ですが、やっぱり不満は残ります。でも、この間3オクターブのスケール練習をやったので(私は普段スケール練習なんてやることはほとんどないのですが)、3オクターブの指も何とか回るようになりました。ただ、最高音ラ♭の音がかすれています。今のところはこのあたりが限界です。http://homepage3.nifty.com/ryo-folklore/Ra/Bridge1.MP3
2009.08.16
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今日は終戦(敗戦)の日です。去年の8月15日には、学童疎開世代の父は健在でしたが、この2月に亡くなってしまいました。母はまだ健在ですけれど。敗戦の時、父は10歳、母は7歳。その母が今71歳です。私が子どもの頃、両親からはよく空襲や疎開の聞かされましたし、もっと上の年代の戦争経験者も周囲にはいくらでもいました。しかし、私の子どもが小学校高学年になる頃(あと5年後くらい)、果たしてどれだけ戦争体験者が残っているでしょうか。祖母(私の母)から話を聞くことは、多分まだできるでしょうが。社会全体に、戦争体験者の数が急速に減ってきていることと、右翼的な風潮が拡大したことは、無関係ではないように私は思います。戦争の悲惨さが遠い過去となり、現実感を伴わなくなってきたのではないか、と。けれども、日本だけで310万人、アジア太平洋戦争全体では2000万人と言われる多くの犠牲者を出した、その事実自体は決して消えるわけではありませんし、戦争が起こった場合の悲惨さもまた、変わるものではありません。否、現在の戦争は、太平洋戦争よりもっと悲惨なものになるでしょう。残念ながら、1945年以降も、世界に戦争の絶えることはありませんでした。けれども、日本は、ともかくこの64年間戦争を経験せずに来ました。素晴らしいことです。日本人の1人として、私も戦争などというものを体験することなくここまで生きてこられたことに、感謝しています。しかし、矛盾したことですが、平和が続くと平和のありがたさが分からなくなってくる、そういう傾向もあるのかも知れません。いつも飽食していれば、食べ物のありがたさが分からなくなるように。人間は誰でも幸せでありたい。けれども、幸せは、現状にただ安住しているだけで自然と得られるものでもないのでしょう。戦争とはいかに悲惨なものかを知る努力は、そのための第一歩であると、私は思います。戦争を知らずして平和を語ることはできません。これからも、日本が戦争と無縁であるように、武力を威嚇の手段に使うようなこととも無縁であるように、今5歳の私の子どもの将来に、戦争は無縁なものであるように、そして日本ばかりではなく、全世界から戦争というものがなくしていく、少なくとも減らしていくことができるように、願って止みません。そして、そのためにも戦争と平和のことについて、このブログで細々と発信を続けようと思います。去年の8月15日は、アルゼンチンのSobreviviendoという曲を紹介しましたが、今年はSolo ble pido a dios(ただ、神に祈ること)をご紹介します。(ホームページでは以前から紹介していますけれど)http://www.youtube.com/watch?v=04XLZAKqxJQ&fmt=18作者Leon Gieco自身の歌です。そして、私自身の参加している演奏も・・・・・・・http://www.youtube.com/watch?v=9OqfObjLARM&fmt=18(歌詞の日本語訳を載せています)
2009.08.15
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幸福実現党が衆議院選から撤退方針という報道がありましたが、その後どうも方針を変えたようで、撤退ではなく規模縮小だそうです。http://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin2009/news1/20090813-OYT1T00842.htmによると、規模縮小の理由は「保守票が割れて民主党政権が誕生するのを阻止するため、政策が近い候補がいる場合は選挙協力に回りたい」のだそうです。・・・・・・・・別に、幸福実現党が出馬したって、保守票は割れないと思うのですが。なぜなら、先の都議会議員選挙で幸福実現党は全員が法定得票以下、かつ供託金没収点以下だからです。幸福実現党の得票は、東京都全体で約1万3000票、得票率0.2%です。最大得票を得た足立選挙区でも2100票ほど、得票率0.7%です。その足立選挙区で、自民党と民主党の得票率は24%対40%です。当然、自民党に0.7%の幸福実現党票が加わったところで、逆転などしません。(もっとも、自民+公明なら得票率48%で民主党を逆転するのですが、その場合も幸福実現党票はやっぱり関係ありません)東京都全体で見ても、民主党の得票は僅差で自民+公明の総得票を上回っていますが、その得票差より幸福実現党の得票の方が遙かに少ないのです。それに、いくら自民党だって、あんなカルト宗教が「共闘」だなんて、ごめんこうむりたいのでは。たかが0.7%の票を持ってくる代わりに、その何倍もの票が逃げていきそうです。それにしても、幸福の科学がどうしようもない極右宗教であることは分かっていたけれど、この泡沫政党っぷりから見て、信者の数はそうとう少ないと思われます。現在、幸福の科学は信者数を公表していないようですが、以前は信者数1000万と公称していたことがあるようです。1000万・・・・・・・笑っちゃうような数字ですが、実は日本中の全宗教団体の公称信者数を合計すると、2億人に達するという話もあるくらいですから、信徒数の水増しは幸福の科学だけの専売特許ではないのでしょう。それはともかく、近年、電車の車内吊り広告や新聞広告でやたらと幸福の科学の出版物が目に付きましたし、劇場用の映画まで作ったり(それも何本も)しているようですが、あの派手な活動の宣伝費用はどこから湧いてきて、誰があの本や雑誌を買ったり映画を見たりしているのでしょう。謎だ。選挙の得票なら、信者ではない人もある程度投票する可能性があると思いますが、幸福の科学出版の本など、信者以外に買う人なんているのでしょうか?今回の総選挙だってそうです。全国300選挙区のうち、多少候補を削っても、200選挙区以上に候補を出すとすると、その供託金(小選挙区1人300万、比例区1人600万)だけでも莫大な金額になります。小選挙区だけ200選挙区立候補でも、総額6億円です。しかも、その全員が供託金没収となることはほぼ確実なのに。どう考えても、信者から身ぐるみ剥ぐくらいの上納を強要しているとしか思えません。しかし、それだけで足りるのだろうか。何か他にも資金源を持っているのかも知れません。(ひょっとして、供託金調達の目処が立たなくなったから規模縮小?)追記それはともかくとして、日本の選挙の供託金はあまりに異常な高額です。Wikipediaの記事によれば、大半の国では、選挙に供託金などという制度はそもそもない。あるのは日本・韓国と旧英連邦諸国だけのようです。それも、韓国150万、マレーシア90万、シンガポール79万、あとはいずれも数万円。日本のように300万だの600万だのというとてつもない額の供託金は世界に例がありません。自民党は、供託金引き下げ法案を提案したものの、衆議院の解散によって廃案になりました。党利党略が目的の供託金引き下げ法案とは言え、引き下げ自体は正しいと思います。もっとも2/3に引き下げるだけの法案だったようですが。私は、供託金は10分の1に引き下げるべきだと思います。
2009.08.14
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前回の日記に続き、特攻隊についての話です。神風特攻隊は、1944年10月のレイテ沖海戦の時登場しました。特攻第1号は海軍の関行男大尉、ということになっていますが、実際にはそれ以前に出撃した久納中尉が第1号だったようです。それはともかく、このレイテ沖海戦の段階では、特攻はかなりの戦果を上げます。菊水隊と朝日隊(特攻4機・直掩4機)護衛空母2隻に損傷敷島隊(特攻5機・直掩4機)護衛空母1隻撃沈たった10機の戦果としては破格のものといえます。がしかし、特攻という戦法が威力を発揮したのは、実はこのときだけだったとも言えるのです。レイテでたった10機で護衛空母を1隻撃沈した後、敗戦までに総計2000機以上の特攻機が出撃し、3000人以上の搭乗員が戦死しましたが、護衛空母はあと2隻撃沈しただけに留まりました。ちなみに、護衛空母というのは商船を改造したり、その設計図を流用して大量に建造された小型・低速・低防御の空母です。米軍は、これを第二次大戦に100隻以上も投入しました。そのうちのたった3隻を撃沈しただけなのです。そして、巡洋艦・戦艦・正規空母などの大型艦は1隻も撃沈できませんでした。結局、2000機以上も特攻作戦に投入して、撃沈した艦船は、全部で40隻ほどに過ぎませんでした。では、何故レイテ沖海戦の時だけは特攻が成功したのか。実に簡単な理由です。第1に、米軍にとって想定外の戦法で、対処方法が分からなかったこと、そして第2に特攻隊の搭乗員は優れた技量のベテランが多かったことです。米軍が対処方法を確立し、パイロットの技量が低下した沖縄戦の段階では、特攻の成功率は惨憺たるものだったようです。パイロットの技量が低下してきたから特攻という「統率の外道」の作戦を採ったのだけど、特攻でもやっぱりパイロットの技量が高くないと成功しないのです。矛盾です。しかも、通常の戦法なら、撃墜されなければ何度でも出撃できますが、特攻は一度の攻撃で飛行機も搭乗員も確実に失われます。(もっとも、戦争末期には通常の攻撃法でも撃墜される確率は非常に高くなっていましたが)そして他にも特攻には欠点がありました。それは爆弾の威力を殺ぐ攻撃法だということです。飛行機に爆弾を抱えて体当たりというと、何となく爆弾単独より威力がありそうな気がします。しかし実際には違うのです。(条件にもよりますが)まず、爆弾の落下速度が低いという問題がありました。当時のプロペラ機は、どんなに猛然と急降下しても、爆弾の落下する速度に追いつくことはできませんでした。だから、爆弾を投下する高度が高い方が、爆弾の落下速度が速く、威力があったのです。当然、爆弾を抱えたままの体当たりは、もっとも落下速度の遅い攻撃法でした。更に、飛行機の柔らかい機体そのものも、爆弾の威力を殺ぎました。爆弾は野球のボールみたいなもの、飛行機はグローブのようなものと考えると分かりやすいでしょう。時速150kmの剛速球を人に向かって投げつけたら、大けがをする可能性があります。しかし、ボールを縛り付けたグローブを時速150kmで投げつけても、それほど危険ではないでしょう。同じことが爆弾を抱えたままの体当たり攻撃にも言えるのです。それに何より、レイテ沖海戦の敗北以降、日本の敗北はもはや動かしようのない状況となっていました。もはや覆しようもない敗戦を、ただ先延ばしするために多くの搭乗員が命を落としていったのです。人の命を無駄に奪ったと言われても仕方がないでしょう。前回の日記で、特攻を巡る源田実の言動を紹介しましたが、これを上回る素晴らしい行動を起こした者が、陸軍にいます。富永恭次中将です。彼はフィリピン戦で、「最後の出撃で本官も特攻する」と訓示しては特攻隊を出撃させていきました。(もっとも、その訓示は、時には酒を飲みながらだったようですが)そして、いよいよフィリピンの失陥が確定的になったとき、彼は日頃の訓辞のように特攻出撃するのではなく、輸送機を仕立てて台湾に逃げてしまった。しかも、そのときの積み荷は芸者と酒類だったというのです。まさしく敵前逃亡ですが、彼は軍法会議にすらかけられていません。中将という立場の人間は、敵前逃亡すら不問に付されるのが旧日本軍だったわけです。
2009.08.12
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昨日から3夜連続でNHKスペシャル「日本海軍 400時間の証言」を放送しています。昨日の第1回「開戦、海軍あって国家なし」は、大筋の話としては知っていた、あるいは想像が付く内容が多かったですが、ただ1980年から約10年以上の期間、旧海軍の佐官・将官クラスの元軍人が集まって、全部で百何十回も「海軍反省会」をやっていた、というのは知りませんでした。番組を見るまでは、敗戦の直後に海軍の後身「第二復員省」が太平洋戦争突入への経緯を検証する座談会を開いたことがあるので、そのことかと思いました。(知らないのも当たり前で、反省会の存在自体を非公開にしていたようですから)今日の第2回は「特攻やましき沈黙」でした。たまたま以前の日記に書いた内容と相通じる結論でしたけれど、それはともかく、うすうす想像は付いていましたが、特攻はやっぱり第1航空艦隊司令大西滝次郎中将の発案ではなく、海軍軍令部の発案だったんですね。時系列的に見て、大西が「発案」するより前に人間魚雷「回天」とか特攻ロケット機「桜花」の開発は始まっているんだから、確かに一目瞭然です。それを、特攻教(?)の「教祖」大西が敗戦時に自決してしまい、否定する者がいなくなったのをいいことに、「大西の発案」という神話を作り上げて、戦後固定化させたということなのでしょう。敗戦時、特攻作戦の責任をとって自殺した将官が2人います。1人は、今述べたように、公式には「特攻作戦の発案者」ということになっている大西滝次郎中将。そしてもう1人は(必ずしも特攻だけの責任をとったわけではないのかも知れませんが)敗戦時第五航空艦隊司令だった宇垣纏中将です。ただし、この2人の自殺の仕方はまったく対照的。大西は1人日本刀で自殺したけれど、宇垣は、何と彗星艦上爆撃機11機を連ねて、特攻に出撃してしまった。戦争が終わった後で、です。出撃した他の搭乗員は敗戦をまだ知らされていなかったようですが。自分一人で特攻の責任をとって命を絶つことは、それなりに意味があるかも知れませんが、戦争が終わっているのに、11機22人の搭乗員を道連れに自殺というのは正気の沙汰ではない。その一方で、特攻作戦を発案する立場にいて、戦後はそのことについて何も語らず、航空幕僚長まで上り詰めた人物もおります。源田実です。源田と特攻について、Wikipediaに面白いエピソードがあったので紹介しておきます。源田は戦争末期、343空(第343海軍航空隊)の司令でしたが、この343空は最後まで特攻を行わなかった。しかし実は司令の源田は特攻をやらせようとして、飛行長の志賀淑雄少佐に断固拒否されたようです。特攻実施を迫る源田に対して、志賀が「わかりました。それでは特攻編成の最初の一番機には、私がお供をしますから、あなた自身が出撃してください」と言うと源田は顔面蒼白になり以後、二度と特攻攻撃の話を持ち出すことはなかったのだそうです。
2009.08.10
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今日8月9日は長崎原爆投下の日です。1945年8月9日午前11時2分、B-29爆撃機「ボックス・カー」から投下された原爆「ファットマン」によって、推定7万数千人が亡くなっています。(被爆数カ月以内の死者のみで)広島に投下された「リトル・ボーイ」はウラニウム爆弾でしたが、長崎の「ファットマン」はそれとは方式の異なるプルトニウム爆弾で、威力は広島原爆より5割増の22キロトンと推定されています。ただ、長崎の地形が起伏が激しく、放射線や爆風が届かない場所もあったため、広島に比べれば犠牲者が少なくなったようです。米軍は何故広島だけではなく長崎にも2発目の原爆を落としたのか、それはウラニウム爆弾とプルトニウム爆弾という、方式の異なる2つの原爆の両方ともを実戦で使ってみたかったから、としか考えられません。それにしても、と思います。太平洋戦争の日本の死者は約300万人と言われています。そして、その大半は戦争の最後の1年で亡くなっています。敗戦の前月、7月26日に連合軍からはポツダム宣言が発せられていますが、もしも、日本がポツダム宣言を直ちに受け入れて降伏していれば、広島も長崎もなく、旧ソ連の参戦による旧「満洲」の悲劇も、完全にとは言いませんがある程度回避可能だったはずです。敗戦がたった3週間早いだけでも、犠牲者の数は実際より50万人以上も少なくて済んだと思われます。(広島14万、長崎7万、旧満州と戦後のソ連抑留死者合わせて30万以上として)ところが、日本はこのポツダム宣言を「黙殺」した。黙殺して逆転勝利でもできる可能性があったのかと言えば、1945年7月26日の時点で逆転勝利など、天地がひっくり返ったってあり得ないことは誰の目にも明らかだったでしょう。その明白な事実に目を背け、戦争をずるずると続けていったために、広島に原爆が落ち長崎に原爆が落ち、ソ連が参戦して、やっと戦争が終わったのです。日本がポツダム宣言を黙殺したのは、そこに「国体護持」が保証されていなかったからです。そして、おどろくべきことに、8月6日、1発目の原爆が広島に投下されてもなお、日本は戦争終結に踏み出そうとはしなかったのです。最高戦争指導会議が戦争終結問題を討議したのは、やっと8月9日になってからです。時間的に言うと、ソ連の対日参戦が分かった時点で、さすがに戦争終結に向けて動き始めた、その会議の途中で長崎への2発目の原爆投下の報が飛び込んできた、ということです。つまり、この経過から分かることは、最高戦争指導会議の面々(首相・外相・陸軍大臣・海軍大臣・陸軍参謀総長・海軍軍令部総長)にとって、原爆よりソ連の対日参戦の方が遙かに戦争終結への強い動機になった、ということです。理由はおそらく二つあります。一つは、日ソ中立条約の存在によってソ連が攻めてくるとは思っていなかった、それどころかソ連に対して和平仲介を依頼するような「空気読めない」行動を、その直前まで日本側は行っていたのです。冷静に経過を見れば、ソ連の対日参戦は絶対確実と言っていい情勢だったのに、そのことに気が付かなかった。いや、気が付かないフリをしていたという方がおそらく正確でしょうが。その「思わぬ相手」から攻められて動揺したということ。そしてもう一つは、ソ連が天皇制とは相容れない共産主義の国であったということです。その国に攻め込まれて、そのまま戦い続ければ「国体護持」の危機を迎える、そのことへの危機感です。だいたい、「国体」が相容れないからと徹頭徹尾敵視してきた国に対して和平仲介をすがろうという時点で、すでに支離滅裂、まともな論理などありはしません。すがれるものなら何でもすがろうと、浮き石にしがみついたようなものです。いずれにしても、明らかなのは、敗戦の時点でさえ、最高戦争指導会議は「国体」(天皇制)を守ることばかりを優先し、国民の命を守ることは二の次だった、ということです。8月10日、日本はついにポツダム宣言受諾を決めますが、その時点でもなお、「国体護持を条件にポツダム宣言を受諾」などと連合国側に打電しているのです。もしも「国体護持まかりならぬ」という返電だったら、日本軍はそれでもまだ戦うつもりだったのでしょうか。ことは必ずしも天皇制に限らないかも知れません。ある思想を人の命よりも重視しようという考え方の行き着く果てには、このような悲惨な結末が待っている、ということなのだと思います。思想に自分の命を賭けることは立派です、しかし他人の命を賭ける(賭けさせる)ことは最低最悪の行為と言わざるを得ないでしょう。
2009.08.09
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家族旅行で、2泊3日で野辺山へ。東京と比べると、やっぱり涼しかったです。天気はずっと良くなくて、眼前に見えるはずの八ヶ岳は遂に一度もガスの中から姿を現さず。初日、野辺山駅のすぐ近くにある南牧村美術民族資料館というところへ。実は明確な目的があったわけではなく、近くを歩いていたら雨が降り始めたのでとりあえず逃げ込んだというのが実状でした。たまたま、「田中瑞木美術館展」という特別展(個展)をやっていて、これは素晴らしかったです。http://www.ytg.janis.or.jp/~bijyutsu/http://www.shinmai.co.jp/news/20090808/k-6.htmただ、常設展の内容はというと、自然科学分野で、ちょっと見ただけで私でも気が付く間違いが3ヶ所ほど。うち2ヶ所は、単純なケアレスミスですが、「資料館」と名乗るところで、そのミスはどうなのかな、と。2日目は相棒と私で別行動。私は野辺山駅近くの宿から飯盛山(1643m)へ。宿を出たのが9時半、山頂着は11時丁度。残念ながらガスの中で、視界は100mあるかないか。もちろん、眼前にあるはずの八ヶ岳連峰の姿もまったく見えず。でも、視界はないけど、色鮮やかな花が咲き乱れていたので、それなりに満足できました。実は小学生の時、林間学校で飯盛山に登ったことがあるのですが、その時以来30年ぶり?!あのときは、もの凄くきつかった覚えがあるのですが、今は、「これじゃ登り足りない」状態。計算すると、野辺山駅からの標高差がたった300mしかない。そこで、引き続き清里方面に下山して、そのまま清里駅を越えて美の森山へ。実は、これもの時の林間学校で行ったところですが・・・・・・。清里駅より少し手前で標高丁度1200mくらい、美の森山は約1540mなので、標高差は340mほど。ただし、こちらはひたすら舗装道路を歩くばかり。斜度も緩いので、平地と同じ感覚で歩けます。最後のほんの数十メートルが木道の遊歩道になっています。で、美の森山もやっぱりガスの中。飯盛山と違って花がほとんどない(ツツジが有名らしいのですが、もうツツジは終わっている)ので、全然面白くなかった。それで、そのまま野辺山に帰ろうと思って歩き出したら、とうとう雨が降り出しました。とりあえずゴアテックの雨具のズボンだけ履いて、上は傘(変な格好ですが、だって上半身のTシャツはすでに汗でずぶ濡れでしたから)で歩いていたのですが、靴は登山靴ではなくジョッギングシューズなので、靴がずぶ濡れに。(それ以前に飯盛山でだいぶ泥で汚れましたが)そのうちに土砂降りになってきて、野辺山まで歩いて帰る気力がなくなって、清里駅に引き返しました。そうしたら、野辺山までの切符を買った後で、雨が上がってしまいました。ちょっと惜しかったけど、いったん列車で帰ると決めてしまうと、なかなかまた歩き始める気力にならないもので、そのまま列車で宿に戻りました。で、最終日は、家族3人でSLランドへ。徒歩20分ということでしたが、登り斜面だったこともあり、子どもの足には結構きつかったかも。その代わり、帰りはあっという間でしたけど。で、初日2日目はずっと曇りでしたが、最終日だけは雲が多いながらもずっと日がさしていました。それまでは日焼けゼロだったのに、ほんの2時間ほど日差しの下を歩いただけで顔と両手が真っ赤に。日焼け止めを持っていったのに、不覚にも、どうせ今日歩くのは2~3時間だからと、日焼け止め使わなかったのです。高原の夏の日差しを甘く見てました。ところで、飯盛山から清里に下山する途中、というか清里駅の直前にある川があります。ちょうど橋を渡ったところに民宿があって、その先に滝があるらしいのです。どうも、NHKの大河ドラマの撮影に使われたことのある滝らしいのです。ふーん、じゃあ見てみようかなと、歩いていくと、民宿の駐車場脇から遊歩道が出ているのですが、「見学の前に駐車料金500円をお支払いください」とかって立て看板があるのです。「なんだよ、それ」と思って、周囲を見渡すと、民宿の従業員と思われる人物がせっせと作業しているんですよ。何やっているのかと思ったら駐車場脇に深さ1m以上の穴を掘っていて、そこに焼き肉のタレかドレッシングと思われる液体をドボドボと流し込んでいる。2リットルくらいのボトル6本入りのケースで何ケースかあったようです。いくら穴を掘ったって、あんなに(全部で何十リットル?)捨てたら、しみ出すよなあ・・・・・・。場所は、本当に川べりです。その下流には、入場料に500円を取ろうという滝があるのに。その場所自体は、きっと私有地なのでしょうから不法投棄ではないんでしょうし、国定公園内の特別保全地域でもないはずなので、そういう意味での違法性は多分ないのでしょうが、滝を見に行こうという気を瞬時に喪失させるに充分な光景ではありました。もちろん、山小屋でも、ちょっと前まではトイレ垂れ流しとか普通にありましたから、それよりは程度としてはマシかもしれないですけどね。ただ、道路の目の前だし、その先にも人家のある場所なんです。山小屋と違って、ゴミ収集車が来ないわけでもあるまいに。
2009.08.08
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今日8月6日は広島原爆の日です。1945年8月6日午前8時15分、B-29重爆撃機「エノラ・ゲイ」号から投下された原爆(ウラニウム爆弾)「リトルボーイ」によって、14万人と言われる犠牲者が出ました。ちなみに、この「リトルボーイ」の威力は、TNT火薬換算で約15キロトン程度と推定されています。現在の戦略核兵器と比べれば、はるかに小さいのですが、当時人口30万人以上あった広島市を壊滅させる威力がありました。原爆は、一般市民を巻き込んだ無差別爆撃の最たるものであり、重大な戦争犯罪です。ところが、原爆投下を含む対日無差別爆撃を指揮したカーチス・ルメイは、何と戦後日本政府から「航空自衛隊の創設に協力した」ということで叙勲を受けているのです。もちろん、占領下の話ではありません。東京オリンピックの開かれた1964年の話です。いわば、中国政府が松井石根(南京大虐殺の最高責任者)を叙勲してしまったようなものです。まったく信じ難い出来事です。Wikipediaの記事によれば、この叙勲は航空幕僚長源田実(真珠湾攻撃の立案者)と防衛庁長官小泉純也(小泉純一郎の父)の推薦によるのだそうです。その、カーチス・ルメイが「創設に協力した」航空自衛隊のもと幕僚長田母神俊雄が、よりによって今日8月6日に広島で「ヒロシマの平和を疑う」という講演を行い、核武装論を展開するそうです。ま、どこで何を話すのも言論の自由ではあるけれど、それにしても、この人には、原爆の犠牲になった人たちへの思いのかけらもないのかなと思ってしまいます。
2009.08.06
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麻生内閣の政策、主張のブレが追及されていますが、最近は何とか逆襲しようと、麻生とその応援団が「民主党もブレている」と声高に主張し始めました。例えば、自民党に第二機関紙こと産経新聞のサイトよりhttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090802-00000539-san-pol首相の比じゃない…呆れた鳩山氏のブレブレ発言 【政治部デスクの斜め書き】前々から「舌先三寸の男」だとは思っていたが、さすがにあきれた。いよいよ首相の座が見えてきた民主党の鳩山由紀夫代表のことである。その発言のブレ方は、発言の「ブレ」を批判され続けてきた麻生太郎首相の比ではないではないか。(以下略)--------------こういう記事なんかが典型例です。私も、個別に見れば、民主党が、政権が近づくとともに、譲るべきではない政策(外国人の地方参政権やインド洋の給油問題など)について、従来の主張を引っ込めていることは、非常に不満です。ただし、一般論として、野党が時に応じてその主張を変化させることは、なんの問題もないと私は思います。なぜなら、民主党はどんなに勢いがあっても、現段階ではまだ野党だからです。現に政権を握っている与党自民党(公明党)の政策がブレるのとは、意味が違います。政権与党の示す政策がブレるということは、行政が、そして国民生活が直接それに振り回されるということです。しかし、野党の示す政策がブレても、政権を握っていないのですから、国民生活が直接振り回されることはありません。以前から何度か日記に書いていますが、与党と野党では求められる役割が違います。与党は政権を運営し、自らの掲げる政策を遂行することに存在意義があるし、野党はその与党を批判することに存在意義がある。他者を非難攻撃することしかできない政権与党では、与党失格だし、与党に対してイエスマンの野党では、これも野党失格です。昔、社会党が「何でも反対」と批判されたけれど、野党が「何でも賛成」するよりは「何でも反対」する方が遙かに健全な政治というものです。与党がAと言えば野党はBを主張する、与党がBと言ったら野党はAと主張するというと、「反対のための反対だ」という声が聞こえてきそうですが、野党という立場にそういう精神は必要です。そして、与党になれば、野党の時代とは当然目的が変わってくるのだから、野党の時代とは言っていることが変わってくる、これもまた当然のことです。骨子の部分でまったく違うことを言い出したら問題ですが。従って、野党という立場では、主張がブレるのは当然のことであって、そのこと自体は何ら非難に値しないと私は思うのです。もちろん、これはあくまでも一般論であって、個別具体的に言えば、民主党が外国人の地方参政権やインド洋の給油問題などの政策を引っ込めようとしていることについては不満であることは先に述べたとおりです。
2009.08.04
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http://www2.asahi.com/senkyo2009/news/TKY200908020096.html首相「伝統、国旗…守るべきもの守る」演説で保守色拍車麻生首相は2日、総選挙に向けた地方遊説で愛知県を訪れた。民主党に追い風が吹いているなか、ただでさえ同党が強い地域とあって、首相は17選を目指す海部俊樹元首相の事務所開きにも激励に駆けつけた。演説では失言を避けようと慎重な言い回しだが、「保守」強調には拍車がかかる。この日は「我々は守るべきものは守る。伝統であり、歴史であり、皇室であり、日本語であり、国旗を大事にする。日教組の先生をされた民主党が国旗を振りますか。日本にとって最も大事にすべきだ」と訴えた。演説冒頭では「一連の私の発言や力不足から党の結束の乱れが出て、自由民主党に対する信頼感の欠如につながった」と謝罪し、「競争が行き過ぎて弱者がしわ寄せを食らう。弊害を率直に認めて訂正しなければならない」。そのうえで経済対策の実績や民主党批判を続けるスタイルを定着させつつある。--------------------どうやら、麻生は「保守色を全面に出せば支持を集められる」と思っているらしいです。確かに、確信的保守層、狂信的ネットウヨクといった人々の支持は固められるかも知れません。しかし、それだけでは、過半数の支持など集まるわけがない。要するに、内向き国粋主義に浸っているだけのことです。だいたい、祝日に日の丸を掲げている家が世間一般にどの程度ありますか?地域によっても差はあるでしょうが、東京近辺では、きわめて稀にしか見かけません。そのことから考えて、国旗を振るか降らないかを政治家としての適性の条件と思う国民など、そう多くはないでしょう。というか、「日本にとってもっとも大事にすべき」ものは第一に国民の生活だと私は思うんですがね。それを後回しにして「伝統であり、歴史であり、皇室であり、日本語であり、国旗」をもっとも大事にすべきとは、何とも・・・・・・・・。それにしても、「日本語」をもっとも大事にすべきと、本当にそう思っているなら、まずは自分自身の漢字の読み方を何とかしないと。ま、でも麻生には是非このまま勘違い選挙運動を続けたままで8月30日を迎えてほしいと、そう私は思っていますけどね。
2009.08.03
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私がフォルクローレという音楽で最初に知った曲は、ご多分に漏れず「コンドルは飛んでいく」でした。中学生くらいの頃から知っていて、「良い曲だな」と思っていたのです。(「フォルクローレ」というジャンルの名前はその頃知りませんでしたが)で、この曲が世界的にヒットしたのは、サイモンとガーファンクル(S&G)が取り上げたからです。(アルゼンチン出身の「ロス・インカス」の器楽演奏の上に英語の歌を被せて、しかも曲の後半部分をばっさり切り落とすという、すさまじいアレンジですが)私の個人的な好みとしては、英語の歌詞の載っていない「コンドル」の方が好きですが、S&Gが取り上げなければ、この曲が世界的にヒットすることもなく、私もこの曲を知ることがなかったかも(ひょっとしたらフォルクローレというジャンルそのものとも出会わなかったかも)と考えると、S&Gは我が恩人とも言えるかも知れません。その、「コンドルが飛んでいく」の入っているアルバムの代表曲は、「明日に架ける橋」(原題はbridge over troubled water、この日本語タイトルはものすごい意訳というか全然違うタイトルですが)これは名曲です。で、フルートで録音してみました。http://homepage3.nifty.com/ryo-folklore/Ra/Bridge1.MP3時間が限られていた上に、最初練習したキーでいざ録音しようとしたら、ギターのコードが分からない、YouTubeでギター弾き語りの動画を見ながらコードを取ったため、急遽キーを変更しました。(S&Gのオリジナルと同じキーです)そのため、練習なしでいきなり録音する羽目に。そのうちに、フルートの部分だけ録音し直します。以前、、演奏仲間の「やまとむし」さん(筋金入りのS&Gのファン)とともに、S&Gのコピーバンドのライブに出たことがあります。その時の演奏から「スカボロ・フェア」http://www.youtube.com/watch?v=TyTdZqvgCTk&fmt=18こちらはケナーチョとサンポーニャを使っています。
2009.08.02
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もともとこのブログは政治的な話題や、平和問題、時事問題などを中心に取り上げるために設置したのですが、最近は音楽の話題と山登りの話題を取り上げる機会が増えていますので、この機会に私の音楽遍歴についての話でも書いてみようかと思います。以前の日記に、小学校の音楽の授業についての思い出を書いたことがあるのですが、子どもの頃、私は音楽がもの凄く苦手でした。小学校1年生のハーモニカが、私はどうしても吹けなかったのです。それで、他の児童がみんなリコーダーに移ってからも、「取り残され組」でハーモニカを練習させられていました。ハーモニカは、音階順に「吹く吸う吹く吸う吹く・・・・・・」と音を出しますが、その順番が、とにかく、どうやっても全然覚えられなかったのです。まさに「箸にも棒にもかからない」状態で、全然吹けなかった。結局、箸にも棒にもかからない状態のままハーモニカは卒業して、他の児童より半年遅れ(か1年遅れか、正確には覚えていませんが、相当に遅れたスタートだったことははっきりしています)でやっとリコーダーをやらせてもらったのですが、リコーダーもやっばり全然駄目でした。リコーダーを始めた時点で、他の児童より大幅に遅いスタートというハンデはありましたが、それだけではなく、私は指が細くて(今も、男としてはかなり指が細いです。女性の指と間違われそうなくらいです)ソプラノリコーダーのあんな小さな指穴も、うまく塞ぎきれなかったのです。低音のドレあたりの音は、どこかで塞ぎ漏れがあって、ちゃんと音が出なかったのです。リコーダーは上手く吹けない→上手く吹けないから吹かない→尚更吹けない・・・・・・負の連鎖というやつです。結局、中学卒業まで、リコーダーは満足に吹けなかったし、音楽に対する苦手意識も消えませんでした。高校では芸術系科目は音楽・美術・書道から1科目選択だったのですが、そういうわけで、私は高校では音楽を選択せず、美術を選択しました。美術が得意だったわけではありません、何しろ中学では美術で1をとったこともあるくらいです。苦手だった音楽も、筆記試験を適度にくぐり抜けていたので、通信簿は3でした。ただ、客観的な得手不得手はともかく「苦手意識」は美術より音楽の方が圧倒的に高かったのです。そんな私が、もしケーナと出会っていなかったら、多分一生音楽に縁のないままで終わっていたでしょう。ケーナというのは、南米の民族音楽(を基盤に発展したポピュラー音楽という方が正確ですが)「フォルクローレ」で使われる縦笛です。ケーナの写真大学1年の入学直後、助教授の1人がケーナを吹いているところを目撃して、「きれいな音色だな」と思ったのが最初のきっかけでした。それで、その場でケーナを借りて吹いてみたのですが、まったく音が出ません。私以外にも何人かの学生が試しに吹いてみたのですが、みんな割合すんなりと音が出るのです。だけど私は音が出ない。「チキショー」って思いました。(小学校の音楽の授業だったら、そこで凹んで投げ出していたかも知れませんが)後になって考えると、もしそのとき最初からすんなりと音が出ていたら、「こんな音色なんだ、ふーん」というだけで終わってしまったかも知れません。結局、2時間くらい頑張ってああでもないこうでもないと試したら、やっと音が出たのです。その時は本当にうれしかったです。そのあと、すぐにケーナを買いに走って、以来現在まで23年間、ケーナを吹き続けています。もっとも、学生時代には周囲に同じ音楽をやっている人はいなくて(大学の先生も、現役で演奏している人ではなかった)、1人で練習していただけです。ただ、その間にケーナだけではなくサンポーニャとギターも手にするようになっていました。(チャランゴも手にしたのですが、最初のチャランゴは、あまり練習しないうちにすぐに壊れてしまいました)サンポーニャの写真(上下逆に写っています)グループを組んで演奏するようになったのは、大学を出た後、23か24の時です。その時点では、まだまだ全然下手くそです。その当時の音源は、探せば家のどこかにテープが残っていると思いますが、恥ずかしくてとても公開は出来ません。ただ、最初に作ったグループ(グルーポ・インカコーラ)には、当時高校1年生、後にプロのミュージシャン(フォルクローレ以外の畑ですが)となったメンバーがいたことが大きかったです。別に「教えてもらった」ということはないのです。ただ彼といつもケーナ二重奏を組んでいただけですが、そのおかげで、私のケーナもかなり上達した、と思います。自分より上手い人と一緒に練習するのは、上達の近道です。彼の存在なくして、今の自分のケーナ・サンポーニャはないです。1994年頃から、当時新宿にあった、あるライブハウスで、月に1回演奏させていただくようになりました。結局、2000年にグループが解散するまで6年半、毎月ずーっと出演させていただいていました。特に、1998~9年頃が、もっとも演奏技量が充実していたかなと思います。その当時の演奏です。↓http://homepage3.nifty.com/ryo-folklore/Ra/Amerindia.MP3丁度このグループと同時進行で、アルゼンチンの民族舞踊の伴奏(やはりフォルクローレと呼ばれますが、アンデスのフォルクローレとはちょっと趣が違います)にも参加するようになりました。「プロジェクシオン・エレンシア」というグループで、ここでは主にギターを弾き、一部の曲でケーナを吹いていました。しかし、現在に至るまで、私のギターはあまり上手くないですが。(ストロークとアルペジオ、簡単なベースラインしか弾けないし、未知の曲のコードがパッと出てきません)その後、2000年から2001年にかけて、相次いで2つのグループが解散したり私が脱退したりして、その後はキラ・ウィルカ(主にアンデスの音楽)、エパ(主にアルゼンチンの民族舞踊の伴奏)、ティエラ・クリオージャ(アンデス中心で、アルゼンチンの踊りも多少含む)などのグループに参加して、現在に至っています。今現在続いているグループは、キラ・ウィルカだけになってしまいましたが。(ティエラ・クリオージャは、中心メンバーが海外赴任から戻れば、復活予定ですが、それは多分4~5年後のことでしょう)ティエラ・クリオージャの「コンドルは飛んでいく」http://www.youtube.com/watch?v=KXbIYUmPhFw&fmt=18同じく「モト・メンデス」http://www.youtube.com/watch?v=zI0f389KEC0&fmt=18同じく「ポジェリータ」http://jp.youtube.com/watch?v=HRZiqZf-U50&fmt=18エパの「ワイノT」http://homepage3.nifty.com/ryo-folklore/Ra/Huayno-T.MP3キラ・ウィルカについては先日公開したばかりなので、7月26日と7月28日の日記を参照で、大学1年の時から23年間、ずーっとフォルクローレをやってきましたが、実は私はクラシックも大好きです。そんなに詳しくはないし、音源も少ししかもっていませんけれど。で、クラシックについては聞く専門だったのですが、あるとき、「ケーナが吹ければフルートも吹けるだろう」と思ったわけです。それで、某楽器店にフルートを買いに走りました。買ってきたのは、ヤマハのYFL-31という古いフルートの中古です。5万数千円でした。現行機種はYFL311という機種で、それが1978年に発売されているので、YFL31は、それ以前、少なくとも30年は経っていて、しかもちゃんとオーバーホールされたとは思えない代物ですが、音は問題なく出ました。(ただ、後で考えると最低音のドはちょっと出しにくかったです)改めて、ケーナとフルートは非常に吹き方の近い楽器だと痛感しました。だって、フルートを買ってきて、その日のうちに2時間くらい練習したら、3オクターブの一番上のドまで音が出てしまったんです。ケーナの経験がなかったら、いきなり3オクターブなんて出るはずがないです。(ケーナの3オクターブは、出せるようになるまで5年かかった)それが2年前、2006年のことです。翌2007年には、もっと良いフルートが欲しくなり、一念発起、何と20万円以上もするムラマツフルートのEX(オフセットリングキー)を買ってしまいました。今まで購入した楽器の中で、もっとも高価なものですが、それでもムラマツのラインナップの中ではもっとも安いフルートなのです。ただ、フルートを練習するようになって、フォルクローレとクラシックの体質の違いというものも痛感しています。フォルクローレには楽譜がありません。だから、楽譜がほとんど読めない私も、何不自由なくフォルクローレが演奏できる。吹き方も、それぞれに自己流です。ケーナの3オクターブなんて、笛によって音程にばらつきがあるので、運指も笛ごとに違ったりします。だから「正規の指使い」なんてものはありません。で、その感覚のまま、私はフルートもほとんど楽譜なしで耳レコを頼りに、運指は運指表を頼りに、複数の指使いのある音は、自分が「吹きやすい」と思う運指を使って、言い換えれば、ほぼ好きなように吹いている状態です。ケーナの代わりにフルートを持っただけ、みたいな。フォルクローレ的感覚では、それが当たり前です。でも、クラシック的には、それではダメなのでしょう。最近になって、自分が覚えていた運指が実は正規の運指ではなかったことに気が付いてしまいました。自己流の弱点が露呈した感じででもす。うーーーーん・・・・・・・・・・。本当は、フルート教室に行った方が良いのでしょうが、多分こんな私が教室に行ったら、欠点指摘されまくって、身動きできなくなってしまうのではないか、という気がします。楽譜も読めないし、譜面のとおりに吹こうという意識自体がありませんから。クラシックが好きと言っても、自分の演奏に関する限り、基点はあくまでもフォルクローレですからね。その感覚を殺してしまうことは、出来ない相談でして。結局何だかんだと言って、フルート教室には目下のところ足を運んでいません。で、私はそれでも懲りずに、バイオリンまでやってみたくなってしまったのです。相棒も「バイオリンをやりたい」というので、その声にも押されて、弓付で5万8000円のセットを買ってきたのですが、こればかりはフルートのようにはいかなかった。一応音階と簡単な童謡くらいは(音程はずれ気味に)何とか弾けるようになりましたが、そこまでで挫折しています。現在着々と「押入の肥やし」化が進行中。ケーナ、サンポーニャ、フルート、ギターと練習して、バイオリンまでは練習時間がとれない、というのが最大の原因です。結局、今まで私が手を出した楽器を得意な順番に書いていくとケーナサンポーニャフルートギターチャランゴリコーダーマンドリンバイオリンということになるでしょう。チャランゴより上は、一応人前での演奏で使ったことがあります。(私のチャランゴは、かなり下手ですが)それ以下は、まあ「やったことがある」というだけですね。一番得意な楽器はケーナかサンポーニャか、どっちだろうか。自分の中では甲乙付けがたいのですが、どちらかと言えばケーナかな・・・・・・・・。
2009.08.02
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ふと気が付いたら、このブログを設置したのは去年の8月2日、そして今日は8月2日。丁度1年経ちました。アクセス数は1日平均70アクセスと、ごくわずかしかありませんが、それでもここ何ヶ月かでアクセス数は急増しており、今現在は、だいたい週7のうち6日以上は、1日100アクセス以上をいただいているようです。今後も、細々と続けていきますので、ご愛顧いただいているみなさま、よろしくお願いします。
2009.08.02
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先日、8名の死者を出したトムラウシ山での遭難事故の根本原因を考えてみると、大雪山の一番奥にあるこの山に登るには体力と装備の不十分な団体登山客をツアーで連れていったことに問題の一つがあったと思われます。何故トムラウシなどという秘境中の秘境への登山ツアーが行われたかと言えば、この山が日本百名山の一つに数え上げられていていて、中高年登山者の人気を集めているから、ということに尽きます。私が山歩きを始めたのは、かれこれ18~9年前、前の会社に勤めていた頃のことでした。初めて本格的に日本アルプスの山並みに接したのは、上高地から登った西穂高独標でした。実際には山頂にたどり着く前に天気が悪くなったため、途中で引き返したのですが、稜線上から見下ろした上高地の景色が鮮烈な印象となり、それ以来山登りが好きになりました。2度目は尾瀬の燧岳、3度目が北アルプスの蝶ヶ岳でした。9月に入っていたので、花はありませんでしたが、眼前に広がる槍穂高の絶景に、またまた山が好きになってしまいました。その蝶ヶ岳に登ったあとのことです。同じ社内に山登りをされている方がいらっしゃって、たまたまその方に「蝶ヶ岳に登ってきたんですよ!」と言ったのです。そうしたら、帰ってきた返事が「でも、蝶ヶ岳って百名山じゃないわよね」それが、私と「百名山」なるものの、初めての出会いでした。だから、そもそも私と「百名山」は相性が非常に良くない。(ただし、その同僚は人柄とか仕事上は何の問題もない方でした。一緒に山に行くことは一度もありませんでしたが)その後、何かの機会に、書店か図書館か忘れましたが、深田久弥の「日本百名山」をパラパラとめくったことはありますが、内容はよく覚えていません。そんなに悪印象を抱いた記憶はないですが、かといって買ってあるいは借りて帰ろうとも思わなかったことも事実です。少なくとも、そこに名が上がっている100の山に登りたいという願望は、まったく抱きませんでした。でも、私の場合は、最初の出会いはちょっとよろしくなかったけれど、それ以降は「百名山」への悪印象を更に増すようなきっかけもなく、単純に「百名山は興味の外」でここまで来ました。改めてウィキペディアで百名山の項目を見てみると、まあ大半の山は過不足なく人気のありそうな山を選んでいるなという印象はあります。一部に、何故選ばれたのか意図がよく分からない山もありますが。私は、どちらかというとゴツゴツした岩綾より植物の多いなだらかな山の方が好きなので、「百名山」より「花の百名山」の方が、好きな山が多いかも知れません。(と言っても、花の百名山を全山踏破しようというつもりもありませんけれど)ところが、インターネット上には、百名山や百名山登山者に対してやたらと敵意をむき出しにする人も少なくない。なんとかちゃんねるの登山板なんかによく見られますけれど。私は、自分自身は百名山に全然興味はないけれど、「百名山に登りたくて登山をしています」という人がいるのは、それはそれで否定しようとは思いません。何に惹きつけられて登山を始めるかは人それぞれだし、人はそれぞれに自分が登りたい山に登ればいいのであって、他人の趣味を否定できるほど自分はエライ人間でもありません。そういう意味では、「反百名山」の人たちも、何だかな~~、と思ってしまうのです。ただし、百名山のリストを見てみると、無雪期に限定すればそれほどの難易度ではない山が大半を占めます。ある程度技術を要するのは、北アルプス劔岳(剣岳)と日高山脈の幌尻岳でしょうか。どちらも登ったことはありませんが、劔岳は一般登山道としては日本有数の難易度と言われますし(あくまでも「一般登山道」としてはですが)、幌尻岳は渡渉が必要になるようです。あとは、今回の遭難の舞台となったトムラウシは、岩登り的な技術は不要ですが、コースが長大で、営業山小屋がなくテント泊の装備一式を担いで歩かなければならない、かなりの体力を要します。同じように山小屋のない山が、ほかにいくつかあるようです。でも、100のうち90くらいは、そこそこの体力と時間とお金があれば、多分誰でも登れる。無雪期なら、ですが。だから百名山を制覇したと言っても、それが無雪期のことで、劔岳や幌尻岳はガイドに連れていってもらいました、ということなら、全然山のベテランとは言えません。その点は肝に銘じておくべきでしょう。ちなみに、そう書いている私自身も、山のベテランではまったくありませんので念のため。(初心者に毛の生えた程度です)
2009.08.01
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