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「海岸にいってきた」・・という親しくなった同じ宿泊客の方。「海岸?」 ラプラタ川に面する川岸を皆、海岸として楽しんでいて、その方いわく「たしかに海ではないんだけど、海から離れていたり、海を知らなかったら・・全く同じものといっても過言でない」その海岸に繰り出してみました。目の前に広がる砂浜・・まるで沖縄の砂浜のように白く細かく手触りの優しい砂、、貝殻もおちていて、彼女のいうとおり砂浜そのもの。唯一の違いは塩気を感じないこと。だから余計スッキリします。べたつくこともなく、爽やかな風に吹かれ、砂浜で遊ぶ鳥は鳩・・その鳩を追いかける犬。人々はユッタリと散歩、、それぞれが誰と比べることもなく、大事にしたい時間と物を慈しむ豊かな暮らし。コロニアで感じた同じ想いを、この砂浜で再び確信。海岸線には平和を願う多くのモニュメントが設置されていて、イスラエルにあるものと同じホロコースト追悼記念碑もありました。大事にしたい時間と物・・をわかちあいたいという想いも伝わってくる街並み。ウルグアイの海岸より御挨拶http://youtu.be/rQKXkfWcotU佐野まりhttp://www.facebook.com/danzacharango
2014.08.29
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宿泊先のスタッフの一人が本当に料理が好きな人で、送別も兼ねてお手製のピザを作ってくれました。アシスタントとして手伝わせてもらったのですが(実はピザを自分で作るのは実は初めて・・)なんだか家庭科実習、というよりも美術作品を皆で創っているような感じです。トマトを丸ごと削ってピザの生地にのばし、アルバカをのせ、そこに若干チーズがのる。非常にジューシーなピザでした。そこに料理好きな彼女の真心がこもる・・それにしても、ウルグアイで終始感じる人となりの暖かさが心地よい。この日は走りすぎて疲れた自転車の前輪がうごかなくなって立ち往生、そこに「どうしたの?」と現れた方がリュックから工具を次々と取り出し直してくれました。まるでスーパーマンのように軽やかに現れ去っていった方。彼も同じく・・ウルグアイの国民性に心打たれています。佐野まりhttp://www.facebook.com/danzacharango
2014.08.28
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こんなに変わりやすい天候は初めて・・雨が降ったり、やんだり、日が差したり、、数分で天気がコロコロ変わる中、自転車で市内中心まで繰り出していました。まさに雨ニモマケズ、風ニモマケズ・・風にはアッサリ負けました、独立記念広場から旧市街に入る道に吹き込む風の強いことといったら・・耳ほっかで抑えていても帽子が飛ばされ、風に押し戻され前に進めないほど。そんななか突然、日差しが差し込んできて空に青空が広がったりもするのですが、それは10分以内に雲で覆われ、雨が降ってきます。本当に不思議な天気でした。それでも知らない街を見たい・・しかも実に面白いものが目の前に次々と現れます。モンテビデオはモニュメントが溢れる街で、そんな一度見たら忘れがたいモニュメントが目印となり、場所を把握できました。偶然、前を通りかかった文化施設スペイン文化センターの講演は特別でした。「総合アートとしての食事」映像、音楽、絵画が食事に見事とりこまれる形。添え物ではなく一体となること・・そんなムーブメントがカナダ、チリ等であって、ウルグアイで実施するためのオープン会合。最期はウルグアイ映画批評雑誌の発刊記念。Cine universitarioは名古屋シネマテイクのような佇まいの自主上映映画館で、会場にチャップリンの名前がついていたり・・古い映写機が飾ってあって、今年日本でみた感動のドキュメンタリー「旅する映画」を思い出しつつ・・ウルグアイならではの旧き良きものを保存し、育む流れに共感。佐野まりhttp://www.facebook.com/danzacharango
2014.08.26
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早朝6時にコロニアを出発して約3時間後、モンテビデオに到着。車内が暖かく心地よくて熟睡。到着に気がつかず眠り続け、運転手さんに起こされたときには「ウルグアイ赤毛のアン」はバスから降りていなくなっていました。強烈な登場のあと風のように消え去った・・まるで夢をみていたかのような余韻。またどこかで会えるだろうか・・ きちんと挨拶できなかった寂しさの余韻を感じつつ気をとりなおして、コロニアで教えてもらった宿泊先への道程を模索。ターミナルの方の話では20丁ほど先とのこと・・ コロニアの方は3丁先といっていたので疲労と空腹にはショック・・しかも寒い。自転車をこぎはじめ街の景色を見て途端に元気がでてきました。とても可愛らしい建築物の数々。街はトテモ綺麗で休日ということもあって人も車もなし・・道を途中、尋ねることができず少々不安でしたが街の様子を楽しみつつ方角へ。何とか辿りつき、幸い空きがあって無事滞在の運びとなりました。「テレビを消して・・自分の人生を楽しみましょう」到着直後、テレビに書かれたこのメッセージを見て即、ここにきた流れは間違いではなかったと確信。宿泊客の多くは皆さんも同じように普段もテレビを見ない創造的な方達で、皆さんと意気投合、最後は一緒にプロジェクトを煮詰めるまで至りました。そこで彼此8年前、ベネズエラで出会ったウルグアイ出身の図書専門家アルベルトさんのことを思い出しました。確か引退してウルグアイに戻ってきていることをメールで連絡頂いていたはず・・パソコンを開いてメールにあった電話番号に連絡。正直だいぶ高齢な方だったのでドキドキしました。もし亡くなっていたら・・ 電話に何事もなかったように懐かしい声が「誰?」「はちどりです」「はちどり?」「ベネズエラで会った日本人・・」「あーーー」と喜んだお声にホッとしたのも束の間、雨の中すぐに駆けつけてくれました。自身のアルバムを持ってきてくれて、そこにベネズエラでお会いした時の写真が貼られていました。歴史の一部にして頂いた感激・・元気に変わりないエネルギッシュな78歳アルベルトさんと、出会ったばかりの皆さんとの合流。 Magic to be continued.. !!!佐野まりhttp://www.facebook.com/danzacharango
2014.08.25
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再び自転車と共に船に乗ってウルグアイへ・・2度目で段取りがわかっているので前回ほどの緊張感はありませんが、やはり船が港を出発して街明かりを見ると感極まります。特に今日は白い雲が街の灯りで光っていて素敵な景色の広がりを見ることができました。幸い予定の大雨は免れ穏やかな波。甲板で過ごしていてもサホド寒さを感じないので、、街灯りを見ながらフト座っている椅子を見ると「はちどり」が・・。甲板で素敵なハチドリチェアーとの出会い、今回の旅路「何かがある」そんな予感。(正直、持って帰りたかった・・きっと母の庭によく似合うと思うので)深夜3時に最初の目的地コロニアに到着、前回1日宿泊した場所へ。ところがあいにくこの日は満室とのこと。丁度ウルグアイは建国記念日の前夜祭で1番盛り上がる夜Dia de Nostalgiaでツーリストも集中していたようです。そこでフイに思いつき、そのままモンテビデオ行きのバスに乗ることにしました。深夜5時の始発にのるために即、自転車で駆けつけるとターミナルは閉まっていました。冷え込むコロニアの夜、もう一人待っている人がいて立ち話をしつつ・・ 「人生いろいろ」と言いますが、その方はバイクが壊れてしまって、やむなくバスに乗ることになったそうで、離婚したばかりで、子育てのためにコロニアの実家に残した息子さんに頻繁に会いにきているとのこと。 お子さんはイロイロ両親の変化を感じているのでしょう。言葉を話してくれない・・とのこと。折り鶴とアルゼンチンの英雄ガウチートヒルのカードを渡して励ましていると、そこに物凄い勢いで大きな荷物を引きずった若い女性が登場。なんだかトテモ憤っていて普通でない様子・・荷物を手伝いながら事情を聞くと彼女は行商のウルグアイで仕事をしているそうで、ブエノスアイレスから持ってきた商品を税関で全て取られてしまったそうです。その手続きのために船会社サービスの続きのバスに乗ることができず、ほぼ空の大きなカバンを引きずって船着場からターミナルまで・・。「寒い、寒い」と凍えつつ3人で引き続き先に待っていた男性の息子さんの問題解決の道程を模索しながらターミナルが開くのを待ちました。結局出発は休日のため6時。約1時間後の5時にターミナルはようやく開けられ、切符を手に入れ、引き続きバス出発を待つ間の楽しかったこと・・この女性まるで赤毛のアンのよう。奔放で自由で気前がよくて面白い・・彼女の行動と言動に釘付け。待合室には不思議な駄菓子トーテムがあって、息子さんに玩具をゲットしようと3人で奮闘。古い機械のようで時折お金が詰まってしまったりするのですが、この機械から手に入れたゼリービーンズの味、3人とも寒さでおなかがすいていたので大喜び。出会いの瞬間からマルデ映画のワンシーンのよう・・バスの中でも「ウルグアイ赤毛のアン」は驚きの発言の連続、、多くの困難と間違いを乗り越え行商で一人娘を育てる逞しさ。正直で真っ直ぐ、面倒見がよくて女寅さんそのもの。本当に愉快で不思議なウルグアイの始まりでした。駄目元でしたが高速バスに無事、自転車と共に乗せてもらうことができました。この古自転車が海を渡り、国境を超え、高速バスにのり、ウルグアイの首都に向かっている・・長いこと夢みていたモンテビデオへ。佐野まりhttp://www.facebook.com/danzacharango
2014.08.24
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エクアドルから訪れていた友人はチリへ、時を同じくして再び出発直前。マリオと暫しの別れの一時・・大家さん一家は心待ちにしていて、きっとマリオも楽しみにしている。本当に皆に愛されるマリオ。メキシコから帰国して何時になくマリオとユックリ過ごしていてシミジミ思う。本当に特別なエネルギーを持った幸運招き鳥、健在。昨年の終わりからスパートをかけ、スペイン劇場フェスティバル、コスタリカ文化推進コンベンション、メキシコ大学での新作発表を経て、15年に渡って煮詰め完成した新作の公演を御無沙汰していたアルゼンチンでの発表へ・・地方中心に数多くの交渉を行なってきました。 結果、全て却下・・ そんな落選とは裏腹に、なぜか通訳中心に依頼集中・・他、日本に関する問い合わせ、これは何というのか、良い辞書は、良い本は、観光名所 etc それだけでなくコロンビア、エクアドル、コスタリカ等、活動してきた「場所」に関する同じような問い合わせまで・・ 仕事に追われ、対応に追われ「なにをやっているのだろう・・」とフト思う。 本業の創造、芸術そのものへの依頼や問い合わせでなく、必要とされてしまう別の関心、問い合わせを受ける度に悲しくなる・・今日この頃。数年前、一緒に音楽作品を作った仲間から新しいアルバム制作における依頼があり、張り切って喜んで彼の音色に合う楽器をイメージして準備していたら、「スタジオで写真を撮影してほしい」・・とのこと。かなり一緒に深く煮詰めた人だったので・・非常にショックで関係修復は不可能。同じく親しい音楽仲間と談笑していて、そこに彼等の知り合いが現れ「日本人? じゃあ彼女をマネージャーにして日本にいかなきゃ」その発言を音楽仲間は怒らなかった..まるで同意しているかのよう・・その場を即、後にして泣きながら帰りました。すごく信じている人・・彼女ならキットその人を叱りつけると思った。(自分ならそうする)あまりに残念な出来事。ただ、そういう機会に接する度、余計がんばれました。傷つく機会と、時間を失う機会を削るため、電話もメールも遮断。ボクシングジムに通い、体力と気力を煮詰め一人モクモクと準備に徹する間、マリオがシッカリ感性を支えてくれました。「とにかくやるべきことのみをする、徹底的にやる」そんな旅に出発します。きっと再会も含めて特別な機会になる予感。尊敬する友人のアルバムにチャランゴで参加した曲。(2007)Dont give up 忘れないでいたい。http://www.youtube.com/watch?v=LSp7y7MAy9U佐野まりhttp://www.facebook.com/danzacharango
2014.08.23
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昨日1978-1982 約5年間通ったブエノスアイレス日本人学校に久しぶりに伺いました。2009年12月の恩師退任式以来・・美術の先生だった恩師がいない学校を訪ねる理由がないし、以前は演奏や特別講義、社会科見学などでコラボレートさせて頂く機会も数多くありましたが、海外渡航が続いてアルゼンチンに滞在する期間が短く、我が事に追われていてスッカリ忘れていたというのが正直なところ(ごめんなさい)。 今回は先輩のオフィシャル訪問に再会も兼ねて便乗させて頂きました。多分40年ぶりではないか・・という先輩の感激を目の当たりにして、あらためて当時の大事な想い出が蘇ってきました。サッカー、音楽を中心として全て体当たり。本当に特別な日々だった・・。軍事政権だった当時のアルゼンチンの「実情」を知らずに過ごしていたけれど、それなりにテレビを見たり、街の子供と接していて気がつくこと感じることは多々あるわけで、創作の土台は全てココにあるといっても過言はありません。この学校あっての活動だったり、切磋琢磨だったり、、転校、移動が多かったので「故郷」のようにも思えます。 憧れの先輩に同行させて頂いて、あらためて原点を肝に銘じる機会となりました。(先輩はサッカー男子チームに初めて女子の参加を許可してくれた革命キャプテンでした)文化溢れる伝統の街「岡崎市」からお越しの校長先生の情熱にも感動。「引き続きブエノスアイレスで、がんばりまーす!」運動場のゴールポストに宣誓。ここは ブエノス 我等が母校ーー
2014.08.17
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エクアドルから訪れている友人一家とコロン劇場、事前にチケットを頼まれ準備して楽しみに待っていました。昨年も一緒にバレエを見にきたのですが(確かコロン劇場専属ダンサーによる「不思議の国のアリス」)、今回は娘を連れてきて御一家で・・と思いきや次女は体調を崩しキャンセル。昨日も来なかったので「もしや」とは思っていたのですが、せっかくハルバル海外まできて家にこもってしまったようです。年頃って難しいのですね・・実に濃厚なバレエ・ガラ公演でした。ロイヤルカンパニー、アメリカンシアター、ハンブルグ、、ブラジルに至る見たことのないバレエ団を代表するダンサーが次々と登場。ガラ公演は審査会のような緊張感があって、満席の会場は固唾をのんで見守る熱気溢れる一時。コロン劇場は40ペソから1000ペソまで幅広い値段の席がありますが、友人と同じく節約を必要とするため最上階の格安な場所より鑑賞。ここは見晴らしもよく、音響効果も抜群で個人的にはトテモ好きな場所ですが、今日は特に下から上がってくる観衆の熱気でヒートアップ。息苦しさを感じ始めた頃、後ろでパタリと人が倒れてしまい皆で介抱・・(数分見損なってしまった)今回、特にハンブルグのダンサーによる演目に心打たれました。物凄く繊細で、しなやかで、音楽も素晴らしかった。1番歓声も大きかったのではないかと思います。終わってから友人一家とも合意。ダントツの魅力をはなっていたハンブルグバレエ団。早速インターネットで調べてみると、世界的な振付家ジョン・ノイマイヤー率いるドイツのカンパニーとのこと・・なるほどの貫禄。踊っていたダンサーは10年間バレエ団のトップダンサーを務めるCarsten Jungさんでした。今年の終わりに引退予定のこと・・貴重な瞬間でした。LINK Ballet Hanburgo Carsten Jung2日間の同行でスッカリ気持ちはエクアドル。政情不安と治安最悪で皆さんのハラハラとイライラの波動を受け、ついつい気持ちダウン。しかも期待していたアルゼンチン地方での活動の予定が全て却下、やや家にこもっていたのですが、友人の観光目線で新鮮なブエノスアイレスにあらためて触れ、一気に元気復活。エクアドルから飛んできてくれたハチドリに感謝。佐野まりhttp://www.facebook.com/danzacharango
2014.08.16
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マリオの甘えぶりが日に日に高まってきていて、、ごはんを手からではないと食べなかったり、とにかくピッタリ寄り添っていたいらしく、しがみついていることが多い・・なにか心配げな様子。と思いきや急に乱暴になって、久しぶりに指を噛まれ出血。日々の波動と調和できていないようで心配。そんなとき数日前にエクアドルで大きな地震があったことを知りました。災害前のマリオはいつも様子がおかしい・・あらためて彼の第六感の鋭さに敬服。その地震の当日12日にエクアドルから友人がブエノスアイレスに向かっていました。地震の影響で飛行機が出発できず大幅遅れの御到着。早速、今日から再会と観光の日々が始まりました。まずはお馴染みオベリスクへ。今回は彼女の娘が新しいカメラに夢中。小さい頃から知っている彼女が一眼レフを手にしている姿に感動。日々更新、成長を続ける一家の物語、間近に接していて面白い。特に彼女のような気の合う友人と分かち合う日々で、人生が2倍に膨れるような気がします。国立映画館に勤める彼女と「マリオの映画」を非常に深く煮詰めることができました。今日は彼女のお嬢様も揃ってマリオと合流、映画登場のHugoさんとも合流・・記念すべき嬉しい再会の1日。久しぶりにブエノスアイレスで心が羽ばたいています。佐野まりhttp://www.facebook.com/danzacharango
2014.08.15
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メキシコの偉大な画家フリーダをテーマにしたメキシコ料理レストランが22年の歴史を最後に移転することが決定、閉店ではなく移転ということで一区切りのフィエスタに参加してきました。本当に内装がフリーダ一色、オアハカモードで素敵な色合い。お料理も本当に美味しいです。メキシコに比べ薄味なのですが、ブエノスアイレス風そして健康食としての味付けで身体に優しいお食事。ぃー店長クリスティーナさん今日のフィエスタには22年の歴史を刻んだ近親者が集い、歌あり、語りあり・・個性的で素敵な方々の発表を楽しませてもらいつつ・・この店のオーナーでもあるアナウンサーのリリアーナさんのゲストで楽器を持ってくるように言われたものの・・この充実したラインアップのあと・・この店にも未だ2回の新米で周囲の雰囲気に圧倒され、様子を伺うばかり。一部のメイン演奏のあと飛び入りタイムが始まり、皆さんが帰り始めた頃・・リリアーナさんに促され、久しぶりの「踊るチャランゴ」、衣装なしでの即興的なものでしたが、皆さん喜んで下さったみたいでホッ。それにしても・・こういう機会に遭遇するたび知る人ぞ知るスゴい人の存在に驚かされます。今日の女性デュオは演奏も豊かでオリジナル。飛び入りの女性ロッカーは物凄くギターもうまくて貫禄!帰宅してからインターネットで検索して尚楽しい。ZULMA & LAURAValeria Cini !!いつも思うのですが、超有名人でない多くの本当に多くのアーティストがブエノスアイレスでは五万と溢れていて、その完成度と個性は紙一重・・表現の道に生きる強く逞しい雑草達。そんな方々が集う場所だったのですね・・きっと。 そして類は友をよぶ・・リリアーナさんと愉快な仲間達。きっと新しい場所でも素敵な日々が続いていくのでしょう。次はグルメの聖地パレルモにて新装開店とのことです。
2014.08.14
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毎年おとずれる平和記念式典の日々。全世界が日本に注目する広島、長崎の式典はインターネットを通じて同時中継されているので、地球の真裏で日本の朝の時刻の反対、前日の夜にジックリ、親しい方々と一緒に時折、チャットで説明などをしながら毎年見ています。イスラエルとパレスチナで起こっている件で様々な集会やデモ行進も行われている最中、フェイスブック等を通じて毎日のように多くの子供たちの亡骸の写真が共有されていて、今年は特に注目度が大きく、数日前からラジオ番組で広島の特別番組が数多く放送されていました。69年・・未だに原爆は世界からなくなることはなく、形を変えて放射能の怖さを想う日々。長崎の式典は被爆者のコーラスで開会、立派な高校生の司会進行、高校生の合唱曲で閉会、、今年は何時になく被爆者の方のメッセージの力強さに心打たれました。70年を迎える来年こそ式典で「原子爆弾を世界で禁止、なくすことができました」という報告に至りますように・・長崎平和祈念式典オフィシャルビデオhttp://www.youtube.com/watch?v=3KS4XP3rhnINHK英語編http://www.youtube.com/watch?v=U5XwI6mEj3E
2014.08.09
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1970年代、アルゼンチンに滞在している間に起こっていた数多くの「知らなかったこと」。現地でも多くの方々が知らずに過ごしていたので尚更ではあるのですが、新たに生活の場をアルゼンチンに移してから、多くの事実を知るたび言葉を失うばかりです、、。軍事政権による30000人の蒸発者の多くは大学生を中心とする20代の若者。日本も学生運動がありましたが、血気盛んな若者がより良い社会を模索して集会をおこなったり、発信したりするのは何処の国でも同じ。そんな若者が片っ端から軍に誘拐され殺されてしまっていた・・。そんな若者の子供が監禁されている場所で産まれ、産まれた子供は生後、子供のできない親の元へ・・届けられていました。そんな孫の存在する可能性のある蒸発者の母が集い、「蒸発者の祖母 Abuelas de plaza de Mayo」という組織を結成、孫をさがしつづけています。DNA鑑定などで奇跡的に見つかった孫の数は既に113人に達しています。その組織を率いる中心人物Estela de Carnotto さんのお孫さんGuidoくんが見つかりました。彼女の今日までの日々は映画化されていて、毎年おこなわれている人権映画フェスティバルで見ることができました。我が子が消える恐れがある・・そんな状況から実際に消えてしまい、捜索に至る日々の詳細がフィクションで制作され、似ている女優さんが演じていましたが、最後は本人自身が孫に出会える日を夢みながら、捜索組織の本部で過ごしている様子が紹介されています。政治的にも大きな発言力を持つ立派な方でメディアに登場する機会も多く、国民的な存在感の彼女の孫が見つかった情報は多分、アルゼンチン人のローマ法王誕生の際と同じくらい、歓喜溢れる朗報でした。映画の続きのようにドラマチックで、お孫さんのGuidoくんは非常に優れたアーティスト。ピアニストとして地元Olavarriaで活躍していて、実の母の好きだったブルースのバンド活動等も行っているそうです。非常に大事に暖かい家庭で育てられていて、実際の家族の元に突然家族が倍増すること・・全ての経過は一筋縄ではいかないことでしょう。とはいえ、この朗報は皆に勇気、元気を与えてくれました。いつか必ず・・「よりよい社会」Un Mundo Mejor posible は日々の努力で可能。丁度8月6日に事実が確定したことから、広島のことも触れられていました。世界から核が消え平和への道へ進むことが、きっと可能であることを願って・・この国でアラタメテ暮らして本当にいつも思うのですが、希望は待っているのではなく「行動」あってこその希望。
2014.08.06
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ウルグアイから帰国して我が自転車はスーツケース同様、行き先のステッカーが装着され国際的な出で立ちに・・せっかくなので取らずにつけたままにしています。実はこの自転車カレコレ5年ほど健在なのですが、この自転車に至るまで4台程盗まれてしまいました。1台目は何と自宅で・・誰かが担いで持って行ってしまった。犯人は近所の住人というのが非常に不愉快、、2台目はサンマルティン劇場前でタイヤを残して全て解体して持ってかれてしまい、、最後は鍵を切断して持ってかれてしまいました。2週間しか持たず、、4台目は自転車屋さんに頂きました。この自転車なら大丈夫と、、(大家さんいわく支払わなきゃ持っていかない・・と) 個人的には気に入っているのですが、日本に帰国して実家においてある自転車にのると、その軽快な走りに感動・・非常に重くて体力を要する自転車。つい最近、本当に酷い事件がありました。自転車を盗むため4発も撃って殺害、被害者は28歳の結婚したばかりのデザイナー、近所でも「よい人」と評判の好青年。テレビで連日この事件のことが放送されています。本当に悪質な盗難、誘拐が多い今日この頃・・ フェイスブックでも友人がパソコンを盗まれた、、他携帯、楽器など・・日々そんな報告を見るに付け人権を保証された「犯罪者に優しい社会」に憤りを感じます。ただ実は自転車の値段が4000ドル前後と聞いて、この国でソンナ自転車を見せびらかして走るのはヤハリ危険すぎるかも・・。佐野まりhttp://www.facebook.com/danzacharango
2014.08.02
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