2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
全31件 (31件中 1-31件目)
1

『今日のクラシック音楽』 リスト作曲 ピアノ・ソナタ ロ短調フランツ・リスト(1811-1886)は数多くピアノ曲を書き残していますが、ピアノ・ソナタはこの1曲だけのようです。 その理由は定かでないようです。リストを語る時には必ずといっていいほど名前が出てくる一人の女性、カロリーネ・フォン・ザイン・ヴィトゲンシュタイン侯爵夫人です。 リストはこの女性と音楽史に残る大恋愛を繰り広げています。 彼女と出会った当時のリストは、ヨーロッパ中を演奏旅行をして華麗な技巧をを披露するピアニストでした。 その頃は作曲家としてでなくピアニスト、フランツ・リストだったようです。侯爵夫人との恋愛が進むにつれて、ピアノを弾くことよりも作曲をしきりに勧めたのが、この侯爵夫人であったと言われており、二人の愛の城でリストはさかんにピアノ曲を書くようになっていったそうです。もう一つは、ヴァイオリニスト、ニコロ・パガニーニ(1782-1840)の超絶技巧演奏を聴いて、自分もピアノ曲で誰も書いていない超絶技巧を要するピアノ曲を書こうと思い立ったとも言われています。 今日リストが書き残している音楽の数々を聴くたびに、この二人に我々は大いに感謝しないといけないかも知れません。こうして生まれ出る作品は、リスト自身のピアノ演奏で初演されていき、その華やかで技巧的な音楽がいっそうリストのピアノ演奏を引き立てたと言われています。この「ロ短調」ソナタを、私が初めて聴いたのはもう40年前くらいの学生時代でした。 誰の演奏だったか覚えていないのですが、音楽が鳴り出すと私は「え、これがピアノ・ソナタ?」と首をかしげていました。 それまでのモーツアルト、ベートーベンのような古典派音楽、シューベルト、シューマン、ブラームス、ショパンなどのロマン派のピアノ音楽とは違うのです。それまで聴いていたピアノ作品は美しい旋律に彩られており、古典派なら造型のしっかりとした様式の上に、流れるような美しい旋律が散りばめられており、ロマン派のピアノ音楽は自由な発想と共にロマンティックな情緒の華麗・流麗・哀歓・哀愁といった趣きが、どれも美しい旋律と共に楽しんでいたのです。ところがこの「ロ短調」ソナタにはそうした過去のピアノ音楽の美しさを感じ取れなくて、大いに当惑して聴いていましたが、結局好きになれないピアノ・ソナタの最右翼となっていました。初演当時の「支離滅裂な断片的な要素がつなぎ合わされたピアノ・ソナタ」の批評がわかるような気がして、ワーグナーが「あらゆる概念を超越して美しく、崇高な音楽」であると評した言葉を理解できなかったのです。社会人になって確かアラウの演奏だったと思いますが(LP盤)、改めて聴いてみてやっとこの曲の素晴らしさを理解できるようになったのです。古典的なソナタの概念から相当かけ離れた曲であること。 この曲が「幻想風ソナタ」とか「幻想曲」とかのタイトルになっていれば、もっと聴き方も変わっていたかも知れません。 普通のソナタのように旋律的な主題があって、それが展開されていって再現部に入ってコーダで終わるという形式からすれば、随分と複雑な音楽であることが聴き手を混乱させるのかも知れません。断片的な主題の要素が多彩に変容していきます。 ゆっくりとした断片的な楽句、爆発するようなエネルギッシュな楽句、そして小刻みに刻まれる和音といった断片的な楽句によって、単一楽章という形式ながら、全編のなかで主題、展開部、再現部という様式によってこれらの楽句が統一されているのです。一度この曲の美しさに触れてしまうと、これらの複雑さを意に介せずに聴けるようになり、キラキラ輝くクリスタルのような肌触りのリスト独特の硬質なピアノの音色を、多彩に変化していく様とピアノの技巧的な魅力を発見します。 今ではリストのピアノ音楽の中で一番好きな曲となっています。フランツ・リストは1886年の今日(7月31日)、75歳の生涯を閉じています。愛聴盤 クリスティアン・ツィマーマン(ピアノ)(ドイツ・グラモフォン 431780 1990年2月ー3月録音 USA盤)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『今日の音楽カレンダー』1886年 逝去 フランツ・リスト(ピアニスト・作曲家)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ともの『今日の一花』 ニッコウキスゲ撮影地 神戸・六甲高山植物園 2006年7月27日百合科 ヘメロカリス属 ニッコウキスゲの名前は栃木・日光の戦場ケ原に自生・群生しているこことからつけられています。
2006年07月31日
コメント(6)

『今日の一花』 オカトラノオ撮影地 神戸・六甲高山植物園 2006年7月27日サクラソウ科 オカトラノオ属学名:枝分かれしない茎の先端に長さ10cm~20cmの花穂をつけ穂の上部は垂れ下がります。一つの花の大きさは8mm~12mmで花びらは5つに深裂しています。花名の由来は丘陵地に多く群生して、花穂を虎の尾に見立てて「丘虎の尾」となりました。よく似た花のヌマトラノオは湿地に生え花穂が垂れずにまっすぐ立ち上がるのが特徴ですが、このオカトラノオとヌマトラノオとの雑種がありイヌヌマトラノオと呼ばれています。 この植物園には名札を貼っていなかったのですが、ひょっとしてこれは「イヌヌマトラノオ」かも知れません。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『今日の音楽カレンダー』1899年 誕生 ジェラルド・ムーア(ピアニスト、 フィッシャー=ディースカウの伴奏で有名)1970年 逝去 ジョージ・セル(指揮者)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『今日のクラシック音楽』は休みます。
2006年07月30日
コメント(4)

『今日のクラシック音楽』 シューマン作曲 歌曲集「詩人の恋」日本では冬から春への季節の移り変わりは目で確かめられるような緩慢さで移って行きます。 ある日突然に春になったという移ろいの姿ではありません。しかし、ヨーロッパの春の訪れはある日いきなりと言った感じでやってきます。 ある朝目が覚めて窓を開けると目の前に春の花たちがいっせいに咲き乱れていた、そんな感じの春がやってきます。ヨーロッパでイースター(復活祭)が終わって5月の声を聞くと、木々の緑が芽を吹き始め、花たちがいっせいに咲き乱れます。 私はヨーロッパをこの時期に訪れてこうした春の訪れを目にしてきました。 まるで神さまが人間に与えてくれるご褒美のような、劇的な春の訪れには目を見張る美しさがあります。こうしたヨーロッパの春の到来を芸術家たちは作品として書き残しているのがたくさんあります。 そうした作品の中でもドイツの詩人ハイネが書いた詩集に「歌の本」があります。1840年の9月にロベルト・シューマン(1810-1856)は5年間の恋愛を成就させて、シューマンのピアノの師フリードリッヒ・ヴィークの娘クララ・ヴィークと結婚を果たします。 シューマン30歳の時です。シューマンはこの結婚までに作曲家として多くの音楽を書いていましたが、ほとんどがピアノ曲でした。 クララの父との結婚問題での多くの軋轢・苦悩を経た末の結婚でしたから、シューマンにはまるで春が来たような嬉しさであったろうと思われます。シューマン自身がこの1840年を「歌の年」と呼んでいるほどに、それまでピアノ曲ばかりを書いていたシューマンは、堰を切ったように実に100曲を超える歌曲を書いています。 彼はピアノの前で曲を作るのではなくて、歩きながら、または立ったままで曲を作っていたそうです。 ピアノを弾く音楽とは違う、まるで泉から湧き出るかのように旋律が浮かんできたかのように。そうした「歌の年」に書かれた歌曲の中でも、一際美しいのが歌曲集「詩人の恋」でしょう。 この歌曲集は一人の男性の恋・愛の喜びと失恋の悲しみを、青春の回想が叙情的な旋律で歌われています。 詩はハイネですから「一人の男性」はハイネ自身を指していることは容易に想像できます。 そしてフリードリッヒ・ヴィークの反対によって、クララとの恋愛に身を焦がしていたシューマンの不安定な心に創作意欲の火をつけたのでしょう。曲はハイネの詩集から16曲を選んでいます。 瑞々しい青春と恋の哀歓が美しい旋律に伴って描かれています。 旋律は実に細やかに変化を付けられており、ピアノ伴奏部分もピアノ音楽を得意としたシューマンらしい美しさにあふれています。第1曲の「美しい五月」はずば抜けた美しさです。 春の訪れと愛する女性への恋心という青年の心のときめを、叙情的な美しい旋律で彩られており、ピアノ伴奏も実に瑞々しい情感に溢れた旋律で聴く者を惹きつけます。 全曲中で最も有名な曲ですので演奏会でも単独で歌われることの多い曲です。全16曲「美しい五月に」 「ぼくの涙はあふれ出て」 「薔薇や、百合や、鳩」 「ぼくが君の瞳を見つけると」 「ぼくの心をひそめてみたい」 「ラインの聖なる流れの」 「ぼくは恨みはしない」 「花が、小さな花がわかってくれるなら」 「あれはフルートとヴァイオリンの響きだ」 「かつて愛する人の歌ってくれた」 「ある若者が恋をした」 「まばゆく明るい夏の朝に」 「ぼくは夢の中で泣き濡れた」 「夜ごとにぼくは君夢に見る」 「昔、昔の童話の中から」 「むかしの、よこしまな歌草を」1856年の今日(7月29日)、ロベルト・シューマンはライン河のほとりの精神病院で非業の死を迎えています。今年はシューマン没後150年にあたる年です。 しかし、モーツアルト生誕250年の年でもあり、ポピュラー性、商業性からみてもはるかにモーツアルト・イヤーに分があります。 かわいそうなのはシューマン。 今後モーツアルト・イヤーの陰に隠れてのシューマン・イヤーになるのでしょうか? そんな気がしてなりません。同じことが生誕100年になるショスタコービチにも言えますね。先月からここに紹介していますディスクでシューマンの歌曲を一つずつ聴いています。 シューマンの音楽としては、ピアノと歌曲が私には一番似合うようです(決して交響曲や室内楽曲、協奏曲がダメという意味ではありません)。やはりモーツアルトの方が演奏会もレコード会社も儲かるからなのでしょうか、今年のこの騒ぎは?愛聴盤 シューマン歌曲大全集(ドイツ・グラモフォン原盤 UCCG9660 ユニヴァーサル・ミュージック 1974-77年録音)旧POCG9001-9の再発売の廉価盤です。 9枚のCDにシューマンの歌曲全曲が収録されていて、クリストフ・エッシェンバッハが一人でピアノ伴奏を受け持ち、フィッシャー=ディースカウ、ペーター・シュライヤー、エディット・マティス(ソプラノ)、ユリア・ヴァラディ(ソプラノ)の4人の歌手たちによって歌われています。 16年前(1990年)に全集としてリリースされていますが、先月ユニヴァーサルからシューマン没後150年として再発売されています。「詩人の恋」はフィッシャ=ディースカウが歌っています。 尚、Philipsにもブレンデル(ピアノ)と組んで収録されたディジタル録音がありますが、それも聴いています。 しかし今は廃盤になっているようです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『今日の音楽カレンダー』1856年 逝去 ロベルト・シューマン(作曲家)1935年 誕生 ペーター・シュライヤー(テノール)1942年 誕生 ベルント・ヴァイクル(バリトン)1970年 逝去 サー・ジョン・バルビローリ(指揮者)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ともの『今日の一花』 名前不詳の花撮影以来名前を検索していますがわかりません。 ご存知の方がおられましたら教えて下さい、お願い致します。 この花は最初大地にひっつくように白い花びらが咲きます。 それから花を咲かせたまま、茎が伸びていく変わった小さな花です。撮影地 大阪市長居公園 2006年6月23日
2006年07月29日
コメント(10)

『今日のクラシック音楽』 ヴィヴァルディ作曲 ヴァイオリン協奏曲「四季」今日はバロック音楽の2人の偉大な作曲家の命日です。 一人は大バッハと呼ばれるドイツのヨハン・セバスチャン・バッハ(1865-1750)、もう一人はイタリアのアントニーオ・ヴィヴァルディ(1867-1841)。 随分と迷いました。 今日はどちらの作曲家の話題にしようかと。 しかし、このブログを始めてから案外とヴィヴァルディの作品について書いていませんので、大バッハには来年のこの日(それまでこのブログを更新しているのかな?)に登場してもらうことに決めて、今日はヴィヴァルディの作品中で最も有名でポピュラーな曲「四季」を選びました。イタリアのヴェネツィアは陽光降り注ぐ「水の都」として観光の名所となっている街です。 ここは5世紀の半ばごろに蛮族の侵略から逃れた人々が、葦に覆われた海岸の干潟に作った海上都市と言われています。そして、人間の文化、芸術に大きな転換期を与えたイタリア・ルネッサンスの中心地でもあった街で、聳えるように建っているサンマルコ大寺院はヴェネツィアの象徴のような存在です。 私もイタリアを訪れる時はできるだけこのヴェネツィアへ立ち寄るようにしていました。そのサンマルコ大寺院前の広場で水上バスを降りて、運河に沿って右側へしばらく行きますと「ピエタ慈善音楽院」の建物跡があります。 ヴィヴァルディはここで生徒に音楽を教えていました。ヴィヴァルディは父からヴァイオリンの手ほどきを受けて音楽修行を積んだ人ですが、神父になる勉強もして司祭にもなっています。 彼の頭髪が赤毛だったので「赤毛の司祭」と呼ばれていたそうです。 しかし、彼は喘息を患って病弱でしたので司祭の義務を果たせなかったので、音楽学校の生徒たちへの教育を任されたのでした。 その学校が「ピエタ慈善音楽院」だったのです。この「ピエタ」は孤児の女の子ばかりが生徒だったそうです。 当時のヴェネツィアでは性道徳の乱れから私生児がたくさん生まれ、捨てられる子供たちが多かったために、こうした福祉のような音楽院を作り、女の子を職業的な音楽家に育てて、しっかりとした生活を出来るように教会が考えたようです。この「ピエタ」の女の子ばかりのオーケストラはかなり評判になり演奏技術も優れていたそうです。 ヴィアヴァルディは生涯に500を超える協奏曲、46のオペラ、73のソナタ、その他室内楽曲やシンフォニア、オラトリオなど多岐に渡る作品を書いているそうです。 それらの作品群の大部分は、この「ピエタ」のオーケストラのために書かれたと言われています。独奏ヴァイオリンとオーケストラのための協奏曲「四季」は1720年ごろの作曲と言われています。全12曲からなる「和声と創意への試み」というタイトルの協奏曲集で、「四季」はその協奏曲集の第1曲から第4曲までにあたる作品です。「四季」という副題が付けられているのは、4曲が春、夏、秋、冬で構成されていて、季節の情景が短い詩(ソネット)で作曲者が書いているからです。 第1番「春」では「春が来た、小鳥たちは幸福に胸をふくらませながら、喜びの歌を歌う・・・・」といったソネットが添えられており、こういうソネットがそれぞれの季節に書かれています。おそらく標題音楽の始まりがこの「四季」ではないでしょうか?独奏ヴァイオリンとオーケストラが醸し出す音楽は、聴く人の心を癒してくれるような、また勇気と希望を与えてくれる躍動感もあり、「冬」のように寒い時期には暖炉に薪をくべて家族が寄り添うように暖をとっている風景も描かれており、心に四季折々の旋律が何の違和感もなしに入り込んでくる稀有な作品です。高校1年生のときに25cmLP盤を買って初めて聴いたこの「四季」が、私をバロック音楽への道を開いてくれた記念碑的な曲です。ヴィヴァルディはこうして音楽教育に携わる一方、演奏も兼ねてほうぼうの都市、国を訪れたそうですが、その一つがオーストリア・ウイーンでした。 現在でも彼が何故ウイーンを訪れたのかは謎のままになっているそうですが、ヴィヴァルディはここで病に倒れて、1841年7月28日に74歳の生涯を閉じて、ウイーンの共同墓地に葬られたそうです。 天才的バロック音楽の大作曲家の死に際にしては、あまりにも寂しい最後だったのですね。愛聴盤 1. イ・ムジチ合奏団 フェリックス・アーヨ(ヴァイオリン独奏)(Philipsレーベル 464750 1959年録音 海外盤)初めてこの曲を聴いたのがこの演奏・録音盤で、ドイツのカール・ミュンヒンガーの来日公演で大ブレークして、レコードでバロック音楽ブームの火付け役となった記念碑的ディスクです。2. イタリア合奏団(DENON CREST1000 COCO70617 1986年録音)イタリアの陽光が降り注いでくるような、明るさとしなやかさに溢れた超優秀録音盤で、今でもモニター用として使っています。 現在はCREST1000シリーズとして1,000円で求められます。3. キョン・チョン・ファ(指揮・独奏) オーケストラ・オヴ・セント・ルークス(EMIレーベル 5570152 2000年録音 海外盤)彼女の流麗な音色を息の長いフレージング聴かせてくれています。また急速楽章での強力な推進力も見事な演奏となっています。 チョン・キョン・ファの弾き振りです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『今日の音楽カレンダー』1741年 逝去 アントニーオ・ヴィヴァルディ(作曲家)1750年 逝去 ヨハン・セバスチャン・バッハ(作曲家)1941年 誕生 リッカルド・ムーティ(指揮者)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ともの『今日の一花』 合歓の花昨日は神戸の六甲山にあります「六甲高山植物園」に花の撮影に出かけてきました。 追々花画像も掲載していきます。 今日は六甲ケーブル駅から見た合歓を掲載しておきます。六甲ケーブル駅からの神戸市内の眺望(ファインダーをゴミで汚してしまいました)駅出口の真下に咲いていました。撮影地 神戸市六甲山ケーブル山上駅 2006年7月27日
2006年07月28日
コメント(16)

『今日のクラシック音楽』 ドップラー作曲 「ハンガリー田園幻想曲」ヨーロッパ諸国の中でアジア系民族の国はハンガリーだけです。 ラテン系やスラブ系の国に囲まれていることから、「ヨーロッパに投げられたアジアの石」と呼ばれることがあるハンガリー。 9世紀頃ウラル山脈南部のアジア系遊牧民マジャール族が、建国の父と云われるアールバード候に率いられ、この地に定住するようになりました。これがハンガリーの起源だそうです。 マジャールは騎馬民族で、東方アジアの平原を徘徊しながらこのハンガリーの地にやってきたのでしょう。マジャール族の子孫はこの地を起点にスペイン、フランス、イタリアにまで遠征して略奪の限りを尽くしたため、ザクセンのドイツ王オットー1世によって壊滅的な敗北を負わされました。 それを機にマジャール人は半牧畜、半農耕の生活に入ります。 そして丁度1000年、アールバード候の子孫がカトリックの洗礼を受けてイシュトバーンと称し、エステルゴムの大聖堂で戴冠しました。以後、正式にハンガリー王国がスタートしています。ウラル山脈の東方からやって来たアジア系民族といっても、現在のハンガリー人の容貌からアジアを連想することは難しくなっているほどに、ヨーロッパとの血が混ざり合ってきたのでしょう。 それでも彼らが日本と同じ「ウラル・アルタイ語属」で、名字が名前の前にきたり(例えば日本ではベラ・バルトークとして有名ですが、ハンガリーではバルトーク・ベラと呼ばれています)、赤ちゃんのお尻には蒙古斑があったりと日本人との共通点も多いのです。 そのせいでしょうかハンガリーの人たちは概して日本人には好意的だと言われています。前置きが長くなりました。 ドイツ系ハンガリーのフルート奏者であった、アルベルト・フランツ・ドップラー(1821-1883)が書いたフルートの名曲「ハンガリー田園幻想曲」は、その冒頭の部分が哀愁を湛えた、いかにも東洋的・日本的旋律で有名ですが、理由は上述のように彼らの血には多分に東洋的な趣きを持っているからでしょう。この曲の冒頭のフルートの愁いを帯びた旋律を聴くと、映画「眠 狂四郎」の中で、狂四郎が枯れススキの野原を飄々と歩いているシーンを想い出してしまうほど、この旋律は日本的です。 高校時代に失恋して、この曲を聴いていて辛くて涙をこぼしたことも思い出されます。「チャルダッシュ」というハンガリー舞曲(緩やかなラッサンと呼ばれる前半とフリスカとという急速なテンポの後半からなる)形式で書かれており、冒頭の哀愁いっぱいの旋律が聴く者をひきつけて離しません。 それが終わると明るい曲想に変わって「ラッサン」部が終わります。後半は急速なテンポのフリスカとなって、フルートの技巧が鮮やかに吹かれていって、曲想も変化しながらクライマックスを迎えて終わります。世界中のフルート音楽でも指折りの名曲の一つです。この曲を書いたドップラーは、フルート奏者だけではなく、指揮者・作曲家として活躍していたそうです。 フルート協奏曲、バレエ音楽、オペラなども手がけていた、現代で言う「マルチ・タレント」であったようです。そのドップラーが1883年の今日(7月27日)、ウイーン郊外で61歳の生涯を閉じています。愛聴盤 「フルート名曲集」 ジェームズ・ゴールウエイ(フルート) チャールズ・ゲルハルト指揮ナショナル・フィルハーモニー管弦楽団 (RCA原盤 BMGファンハウス BVCC37284 )・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『今日の音楽カレンダー』1867年 誕生 エンリケ・グラナドス(作曲家)1883年 逝去 アルベルト・フランツ・ドップラー(フルート奏者・指揮者・作曲家) 1915年 誕生 マリオ・デル・モナコ(テノール)1971年 逝去 ベルンハルト・パウムガルトナー(指揮者)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ともの『今日の一花』 極楽浄土の花 「花蓮」これも蔵出し画像です。 昨年長居植物園で撮りました花蓮です。 まるで極楽浄土とはこのことかと思うような花です。撮影地 大阪市立長居植物園 2005年6月30日
2006年07月27日
コメント(12)

『今日のクラシック音楽』 ワーグナー作曲 舞台神聖祝典劇「パルジファル」ワーグナーのオペラは、「さまよえるオランダ人」「タンホイザー」「ローエングリン」など、比較的平明な「旋律美」と「歌」の情緒に溢れたオペラを書いた後に、楽劇と呼ばれる、台詞の如き歌と渦巻くような音楽が一体化したオペラへと変わって行きました。このワーグナーのオペラ・楽劇に「とてもじゃないが、付き合いきれません」と早々に退散するか、それでも我慢しながら聴き続けて、やがて音楽自体がまるで「麻薬」のような作用を聴く者に与えてくるか、どちらかだと思います。 私の知る限りでは、その真ん中という人はいないようです。後者が所謂「ワグネリアン」(ワーグナー大好き人間、もしくはワーグナー信奉者)となって、ワーグナー音楽の麻薬効果にますますはまり込んで行く人たちで、私もその「ワグネリアン」の一人かもしれません。ワーグナーのオペラ・楽劇が長過ぎることも、ワーグナーを好きになれないという理由でもあるかもしれません。 「指環」や「パルジファル」は全曲で4時間を超すオペラですから、やはり長いですね。 それが敬遠される理由でもあるでしょう。さて、今日の話題曲「パルジファル」に戻りましょう。この曲は、キリストが最後の晩餐に使った聖杯をめぐる伝説でもあり、十字架上のキリストをローマ兵士が突き刺した聖槍の伝説に基づいて台本が書かれているそうで、宗教的な祭儀の情緒・雰囲気のある3幕構成の物語です。「パルジファル」のあらすじ主な登場人物アンフォルタス王…グラール城主(バリトン)ティトゥレル…アンフォルタスの父(バス)グルネマンツ…騎士の長老(バス)パルジファル…若者(テノール)クリングゾール…魔法使い(バリトン)クンドリ…グラール城の使者、二重人格の時はクリングゾールの手先(メゾ・ソプラノ) 中世のスペイン・モンサルヴァートの森と城の周辺が舞台になっています。 第1幕 第1場 森モンサルヴァート城(聖杯城)。 聖杯を守る騎士の長老グルネマンツが森の中で目覚めるところから物語が始まります。 聖杯(グラール)城からラッパの音が聞こえてきて、城主のアンフォルタス王が、魔法使いの女に操られる配下の女性クンドリによって、彼女が奪った聖槍で傷つきます。 その傷を癒すための沐浴にやって来たのです。そこに女クンドリがアラビアからの薬をもって戻って来ます。 王は神のお告げにより「同情によって智を得る、無垢な愚か者」だけがこの苦痛から自分を救うのだとつぶやくのです。長老グルネマンツは、先代のティトゥレル王が天からの使者に聖杯と聖槍を与えられて聖杯城を建てた、と語り始めます。 しかし、異教徒の魔法使いクリングゾールがその側に魔の城を築いて立てこもったことによって、面倒なことが起こるようになった。 クリングゾールは魔性の女を使って騎士たちを誘惑しているのです。 そのクリンクゾールを退治しに来たアンフォルタス王をも誘惑し聖槍を奪って傷つけた。 以来、アンフォルタス王の傷はどんな治療も効果がなく、神のお告げにあった「愚か者」をただ無為に待ち続けているのだ、と。その時、湖で白鳥を殺した若者が捕まって引き出されます。 女クンドリは彼をパルジファルと呼び、彼の母親は戦争で死なないために、愚か者に育てたのだと説明します。 しかし、その母親は死んでいると語ると、パルジファルは怒ってクンドリに飛びかかります。この様子を見て、若者が善悪や自分の名すら知らないのを知った長老グルネマンツは、この「パルジファル」こそが、王が待ち望んでいるお告げの若者・愚者だと確信して城へと連れていきます。第2場 グラール城の大広間パルジファルも列席して聖餐の儀式が始まります。 王の苦痛を癒すための儀式が行われますが、傷口からは苦痛の血が流れ出て止まりません。 それでも、パルジファルは愚かなままただ立ち尽くすだけでした。 長老グルネマンツはその様子を見て、予言の若者ではなかったのかと嘆き、失望します。第2幕 クリングゾールの城(魔法使いの城)魔法にかけられたクンドリが絶世の美女と変貌しています。 そこへパルジファルが現れると城は消え、周囲は一面に花園に変わってしまいます。パルジファルが、娘たちから誘惑されて戯れているうちに、クンドリが現れてパルジファルの名を呼びます。 パルジファルは、その呼び声を聴いて母を思い出します。 しかし、母は旅に出たまま婦らないパルジファルを心配した末に死んだと聞かされて、苦しむ感情に目覚めます。 次にクンドリはパルジファルに接吻して愛の心を目覚めさせます。その時、 パルジファルはこれがアンフォルタス王を陥れた誘惑であることを知るのです。 自分の体にアンフォルタス王の苦痛を感じ取ったのです。 パルジファルはクンドリに、アンフォルタス王の居る道を示せば救済を与えようと申し出ますが、クンドリは、自分を抱けば道を教えてあげましょうとまた誘惑するのです。パルジファルは「消えよ汚れた女」と叫と、そこに魔法使いクリングゾールが現れて、パルジファルに向かって槍を放ちます。 だが、不思議なことにその槍はパルジファルの頭上で静止するだけです。 パルジファルが槍を掴んで十字を切ると花園は荒野に変わりクンドリは倒れてしまいます。第3幕 第1場 森女クンドリのうめき声を聞きつけた長老グルネマンツが彼女を助け起こすと、黒い甲冑の騎士が現れます。 聖金曜日に武器を携えるとは何事かと長老が非難しながら騎士の身分を質すと、騎士は甲冑を取り去ります。 現れた顔はパルジファルでした。 その手には聖槍が握られているのです。グルネマンツは奇蹟を喜ぴ、パルジファルに洗礼を施します。 クンドリが香油を取り出してパルジファルの足に塗りつけると、パルジファルは王として迎えられるように、頭にも香油を塗るようグルネマンツに頼みます。 パルジファルはクンドリに洗礼を施し、三人で先王ティトゥレルの葬儀へと向かうのでした。第2場 聖堂先王ティトゥレルの葬儀を執り行おうとするアンフォルタス王は、もし聖杯を拝んだならば苦痛を抱えたまま、さらに生き長らえねばならない運命となるのを恐れています。 そこへ、パルジファルが現れ、聖槍を王の傷口に当てると傷は瞬く間に癒えていきます。パルジファルは聖杯を取り出し、聖杯の輝きで聖堂中を充たしていきます。 そこへ、白鳩が舞い降りてパルジファルの頭上にとまります。 そしてクンドリは恍惚の中で静かに息絶え、神から救済をあたえられます。 アンフォルタス王・全ての騎士はパルジファルのもとに跪きます。ー幕ーこれだけの物語が4時間を超えて演奏されるのですから、聴く方もよほど腹を据えておかないと聴き通すことは容易でありません。 聴いている最中に宅急便が届いたり、電話が鳴ったり、家人に呼ばれたりしますと集中力と緊張感がなくなってしまい、再び同じモードに戻すことはとても難しくなるのが、今までの私の経験でした。音楽は重厚で、巨大です。 絶え間なく押し寄せる大きな波のうねりのように、これでもか、これでもかとやってくるワーグナー独特の音楽空間が部屋を満たしてくれます。 この記事を今日掲載するために、今月初めから持っている3種のCDを聴き比べをしてきました。 上述のように集中力を欠かされる、緊張の糸が切れてしまうことがありました。 それで真夜中の12時ごろからヘッドフォンを着けて聴くこともありました。それだけのことをした甲斐がありました。 また一歩「ワグネリアン」への道へと進んだようです。この舞台神聖祝典劇「パルジファル」は、1882年の今日(7月26日)、ドイツ・バイロイト祝祭劇場で初演されています。愛聴盤1. クナッパーツブッシュ指揮 バイロイト祝祭管弦楽団・合唱団 パルジファル: ジェス・トーマス(テノール) グルネマンツ: ハンス・ホッター(バス) アンフォルタス: ジョージ・ロンドン(バリトン) クンドリー : アイリーン・ダリス(メゾ・ソプラノ) クリングゾール:グスタフ・ナイトリンガー(バリトン) 他 (Philips原盤 ユニヴァーサル・ミュージック PHCP20371 1962年バイロイト・ライブ録音)実に重厚・荘厳な響きが全曲を支配しており、緊張が舞台に張り巡らされたかのような生々しさが伝わってきます。 62年録音というハンディがなく、クリアーな音質で鑑賞にも充分堪え得るライブ録音です。 やはり一番最初に手が出るディスクです。2. ラファエル・クーベリック指揮 バイエルン放送交響楽団・合唱団 パルシファル:ジェイムズ・キング(テノール) グルネマンツ:クルト・モル(バス) クンドリー:イヴォンヌ・ミントン(メゾ・ソプラノ) アンフォルタス:ベルント・ヴァイクル(バリトン) クリングゾール:フランツ・マツーラ(バリトン) 他(ARTレーベル 430272 1980年6月セッション録音 海外盤)クーベリック特有のしなやかな音楽の流れが、この長大な楽劇にも息づいており、ワーグナーの音楽世界を克明に描いています。 3. クリスティアン・ティーレマン指揮 ウイーンフィルハーモニー パルジファル:プラシド・ドミンゴ(テノール) グルネマンツ:フランツ=ヨーゼフ・ゼーリヒ(バス) クンドリー:ヴァルトラウト・マイヤー(ソプラノ) アンフォルタス:ファルク・シュトルックマン(バリトン) クリングゾール:ヴォルフガング・バンクル(バリトン) 他 (ドイツ・グラモフォン原盤 ユニヴァーサル・ミュージック UCCG1300 2005年6月ウイーン・ライブ録音)5月にリリースされたばかりの最新録音盤で、さすがに音質面では群を抜いています。ライブのハンディを感じさせない録音が素晴らしいディスクです。 ドミンゴのパルジファルはワーグナーの楽劇に「歌」を持ち込んだような新鮮さを感じます。 ティーレマンの指揮はクナッパーツブッシュに比べても遜色のない、荘厳で深々とした響きをウイーンフィルから引き出しており、ここにもライブ特有の緊張感が全曲を覆いつくしており、研磨仕上げのように磨き抜かれた音が実に美しい、ワーグナーの音楽空間に酔わせてくれる素晴らしいライブ録音でのディスクです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『今日の音楽カレンダー』1866年 誕生 フランチェスコ・チレア(作曲家)1882年 初演 ワーグナー 舞台神聖祝典劇「パルジファル」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ともの『今日の一花』 ランタナ 撮影地 大阪府和泉市 2006年7月23日
2006年07月26日
コメント(6)

『今日のクラシック音楽』 私の愛聴盤について先日私のこのページをいつも読んでいただいておられる方から一通のメールをいただきました。 内容は、私がほぼ毎日書いています音楽記事の最後に「お薦め盤」を掲載していることについてでした。 つまりその人が聴きたかったのは、その「愛聴盤」なるディスクに刻まれている演奏は、その曲のベスト盤という意味として受け取っていいのか、ということでした。ご本人のご了解を得てここにその答えを掲載致します(すでにその方にはメール返信しておりますが)。私はクラシック音楽を50年間聴き続けていますが、他人に演奏の好き嫌い、良し悪しを語るときにいまだかつて「ベスト」という言葉を使ったことはありません。 それは私自身が音楽についての基礎理論や演奏方法についての専門的な知識を持っていないので、「ベスト」を論じる立場にないからです。例えばピアノ演奏について「ベスト」を論じるにも、ディスクに刻まれた演奏の何をもって「ベスト」と断言できるのか、それすらもわからないのです。 自身がピアノ演奏ができないのと、ピアノ演奏の技術的な面について論陣を張る根拠となる知識を持っていないからです。また、演奏を論ずる場合にはディスクを聴きながらスコアを参照しているわけでもありません。楽譜には作曲家の細かい指示が書き込まれています。 その指示すら私にはわからないのです。ただ長年聴いてきました音楽、例えばベートーベンの第9交響曲なら、生演奏やディスクで数え切れないほどの指揮者の様々な演奏を聴いています。 それらの演奏の中で、最も印象深く、心の琴線に触れた演奏を「好き」という言葉で表現しているに過ぎません。曲によっては、同曲異演盤を10枚以上持っているのがあります。 それらの中でも感動を覚えない演奏もあります。 また逆に大いに感動した演奏もあります。 そして購入したあとにほとんど聴かないディスクもあれば、繰り返し何度も、何年も聴いているのもあります。そうした観点で毎日音楽と接している中で、話題曲について自分がその時に最も印象に残っているディスク、あるいは「好きな」盤として掲載しているのが「愛聴盤」で、決して「ベスト盤」ではありません。フルトヴェングラーにない美しさを表現する他の指揮者の良さについて、それ自体フルトヴェングラーと比較して甲乙をつけることが、私にはできないことなのです。 ベートーベンの交響曲演奏を聴いて、トスカニーニの良さを味わい、ワルターの良さを堪能し、フルトヴェングラーで更なる感動を味わう、それでいいと思っています。 この3者のベートーベン演奏のベストはどれかという論議は、私には出来ないことであり意味のないことだと思っています。この音楽日記について、私はよく「独断と偏見」という言葉をよく好んで使っています。 まさにその通りなのです。 音楽理論もろくに知らない、演奏技術論も専門的なことを知らない私が他人に薦められのは、その時に確かに心を揺さぶられた演奏盤で、長く聴き続けているデイスクであり、それが「独断と偏見」によって選ばれた「愛聴盤」としているだけなのです。決してその曲の演奏の「ベスト盤」ではありません。 私の「愛聴盤」について同じことを思っておられる方がいるのではないかと、思って今日はこういう記事にしました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『今日の音楽カレンダー』1739年 逝去 ベネデット・マルチェッロ(作曲家)1788年 完成 モーツアルト 交響曲第40番 ト短調・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ともの『今日の一花』 デュランタこれは叔父の家の玄関に大きな木として成長した「デュランタ」です。 造園業を営む叔父は花や植物には常に精魂こめて接して育てているのですが、この「デュランタ」はその最たる例になるでしょう。 10年ほど前に小さな鉢植えに過ぎなかった花が、こんなに立派に成長して玄関の門扉をくぐる人を迎えてくれています。撮影地 大阪府和泉市 2006年7月23日
2006年07月25日
コメント(6)

『今日のクラシック音楽』 ブロッホ作曲 叙事詩的狂詩曲 「アメリカ」エルネスト・ブロッホ(1880-1959)はスイスに生まれ、音楽活動は1916年にアメリカに渡って以来、そこで数多くの足跡を残しているユダヤ系の作曲家です。 5つの交響曲や、ヨゼフ・シゲティのために書いたヴァイオリン協奏曲、5つの弦楽四重奏曲、ピアノ五重奏曲、無伴奏チェロ組曲などを書き残しています。 最も有名な曲にチェロと管弦楽のための「シェロモ」があります。ユダヤの血が流れていることから、本人もそのことを強く意識していたのでしょうか、「シェロモ」「ヘブライ組曲」など濃厚なユダヤ民族の香りのする作品がある中で、異色の一曲があります。「エピック・ラプソディ」(叙事詩的狂詩曲)という作品で「アメリカ」という副題が付けられている40分ほどの壮大なラプソディが、その異色の作品です。 この曲は音楽で綴るアメリカ合衆国史とも言える作品で、1620年代のヨーロッパからアメリカ大陸への移住から、この曲が書かれた当時の1926年までとその未来を描いた作品です。全曲は3部から講成されています。1. 1620年 大陸~インディアン~メイフラワー号~巡礼たちの上陸2. 1861年~1865年 喜びの時ー悲しみの時3. 1926年 現在~未来(賛歌)移住民たちを待つ未開の大陸を思わせるよう導入部から、黎明期のアメリカを描く第1部第2部では南北戦争の史実を軸に描かれており、「ディキシー」や「スワニー」、フォスターの「故郷の人々」なども臆面もなく使われており、大砲の鳴り響く戦争の描写があります。終結部になると音楽は完全にポピュラー風となって軽やかに「現在」を描き、合唱も導入されて華麗に曲を閉じています。「シェロモ」やヴァイオリン協奏曲などに比べると、この曲はアメリカ通俗風の作品のようですが、旋律は平明でとても楽しめる曲となっています。 ブロッホの意外な面を知る曲と言えるでしょう。1880年の今日(7月24日)、エルネスト・ブロッホが生まれています。愛聴盤 ダリア・アトラス指揮 スロヴァキア交響楽団 ルチニツァ合唱団(Naxosレーベル 8.557151 2001年3月録音)ヘブライ組曲がカップリングされています。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『今日の音楽カレンダー』1803年 誕生 アドルフ・アダン(作曲家)1880年 誕生 エルネスト・ブロッホ(作曲家)1921年 誕生 ジュゼッペ・ディ・ステファーノ(テノール)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ともの『今日の一花』 ギボウシこれも初夏から夏にかけて彩りを添える定番の花の一つです。 一つの茎にたくさんの花びらをつけて涼しげに咲いていました。 撮影地 大阪府和泉市 2006年7月4日
2006年07月24日
コメント(2)

『今日のクラシック音楽』 ディーリアス 「夏の歌」今日の話題曲は夏にふさわしく、タイトルもずばり「夏の歌」。この曲はイギリスを代表するフレデリック・ディーリアス(1862-1934)が晩年になって書いた作品です。名前の通りディーリアスにはドイツの血が流れています。 いや、ドイツだけの血筋の人で、イギリス人の血は流れていないのです。 彼が1862年に生まれた所はイギリスのヨークシャー州・ブラッドフォードで、ここは羊毛産業の地として有名なところです。ディーリアスの父はこの羊毛業を営む為にドイツから移住しており、ドイツ人女性と結婚して生まれたのがディーリアスでした。 彼の父は羊毛業として一代で財をなした人で、父は音楽が好きでしたがディーリアスにも家業を継いでもらうことが夢であったそうです。その父はマンチェスターにあるハレ管弦楽団のスポンサーの一人で、オーケストラは定期的に来演していたこともあり、ディーリアスは音楽へ進む道を志しますが受け入れてくれず、ひたすらビジネスへの道を歩むように父から仕向けられたそうです。 そのビジネス修行のために彼はヨーロッパ諸国を歩き、あるいは仕事をないがしろにして旅を重ねることもあったそうです。そんな彼を父はアメリカ・フロリダの果樹園の管理に送りますが、そこで耳にする黒人の音楽を聴いてますます音楽へと傾倒していったそうです。呼び戻されたディーリアスはすぐにライプチッヒへ飛ばされたのですが、それが音楽院との出会いであったようです。 ディーリアスのまだ20代前半の頃です。 そこで生まれたのが「フロリダ組曲」で、この曲の演奏のためにオーケストラを雇い、会場を借り切って演奏をおこなったそうですが、その時の聴衆はわずか2名だったそうです。 裕福な企業家に育ったディーリアスらしい逸話です。その後パリで生活を送りますが、それがかなり奔放な日常生活であったようです。 ディーリアス、27歳の時だそうです。 そしてそこで夫人となるユーゴスラヴィアのイエルカ・ローゼンと知り合い、後に無宗教での結婚式を挙げています(1903年)。 ディーリアスは終生無神論者でした。そして晩年を迎えた彼を待っていたのはパリ時代の自由奔放な生活のツケでした。 65歳になったときには目が見えなくなり、体の麻痺が絶望の状態であったようです。 しかし、音楽の創作意欲は衰えていませんでした。 自分でスコアを書くことが出来ないので、ディーリアスを慕ってヴォランティアとして住み込んだ青年エリック・フェンビーが、ディーリアスの目と手足となって作品を書いていったのです。そのディーリアスの口述によってフェンビーが書き上げた最初の作品が、今日の話題曲「夏の歌」です。 瑞々しい弦の響きと旋律がイギリスの夏の風情を運んでくる、まさに「音楽の風景画家」のような曲です。 デイーリアス自身がフェンビーに語った言葉が、この曲の素晴らしさを如実に物語っています。「私たちはヒースの生い茂っている断崖の上に腰を下ろして、海を臨もうとしよう。 高弦の保持された和音は青く澄んだ空とその情景を暗示している・・・・曲が活気を帯びてくると、ヴァイオリンに現れる、あの音型を思い出すだろう。 波のおだやかな起伏を表すために、その音型を導入しておいたからね。 フルートが滑るように海の上を飛んでいくカモメを暗示しているんだよ。 この冒頭の素材は2つのクライマックスの間に再現されて最後にも現れ、静謐のうちに曲を終結へと導いてゆくのだ」失明して体を動かせることもままならぬ状態で、これだけの音楽を心眼だけで書いたディーリアスは、まさに「音楽の風景画家」だったのです。この記事はCDの解説を基に書いています。愛聴盤 サー・ジョン・バルビローリ指揮 ハレ管弦楽団・ロンドン交響楽団(EMI原盤 東芝EMI TOCE13575 1968-1970年録音)このディスクは2枚組みでディーリアスのオーケストラ曲を網羅しています。 私が聴いていますCDはこのディスクではありませんが、同じ音源です。↓ディーリアス・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『今日の音楽カレンダー』1757年 逝去 ドメニコ・スカルラッティ(作曲家)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ともの『今日の一花』 モントブレティア(姫檜扇水仙)自宅のすぐ近くにあります貸し農地の畑に咲いていました。 おそらく野生化した種類だと思います。 2枚目の写真は構図の失敗です。 カメラをもっと右に寄せれば良かったのですが、足場がなくてこんな構図になっています。まだ蕾です。咲いたところです。撮影地 大阪府和泉市 2006年7月6日 あやめ科 モントブレティア属 南アフリカ原産。 和名は「姫檜扇水仙」(ヒメオオギスイセン)
2006年07月23日
コメント(8)

『今日のクラシック音楽』 ファリャ作曲 バレエ音楽「三角帽子」このページでも機会あるごとに書いてきましたが、クラシック音楽で最も好んで聴くのが民族音楽ーイタリア、ハンガリー、ロシア、チェコ、そしてスペインなどーと「歌」です。 理由は簡単です。 音楽旋律がとても親しみやすく、ドイツ・オーストリア系の絶対音楽とは比較にならないほどに理解しやすい作品が多いのです。 喜び、哀感、悲しみ、寂しさなど人の持っている感情をもろにぶつけてくるのが各国の民族音楽です。そうした音楽の中でも、とりわけわかり易く平明で情熱的なのがスペイン音楽です。 そのスペイン音楽の中でも、最も親しまれている作曲家の一人がマニュエル・デ・ファリャ(1876-1946)ではないでしょうか。そのファリャは多くの曲を書き残していますが、バレエ音楽「恋は魔術師」と共に彼の名詞代わりとでも言えるのが、同じくバレエ音楽「三角帽子」ではないでしょうか。この音楽はアラルコンというスペインの作家が書いた同名小説を基に書かれているそうで、舞台はスペイン・アンダルシア地方で、ある村に働き者の粉屋がいました。 醜男ですが彼には自慢の美貌の妻がいました。 夫婦仲も良くて円満に暮らしていました。ところが好色な代官が粉屋の美人女房に横恋慕をします。 しかし、この夫婦と村人が協力して代官をやっつけてしまう、というのがこのバレエの物語です。タイトルの「三角帽子」は代官が被っている帽子のことで、権力の象徴となっている帽子のことです。ファリャは最初、この音楽をオペラにしようと思っていたそうですが、「ロシアバレエ団」の主宰者であるディアギレフから、とびきりスペイン風の音楽を書いて欲しいと委嘱されて、この音楽が生まれたそうです。曲は、ティンパニーの力強い響きで始まり、カスタネットがいかにも野性的に鳴らされ、続いて「オーレ! オーレ!」という声が入ります。 この冒頭のこれだけの音楽だけで聴く者はアンダルシアへと運ばれて行きます。 全編がスペイン色濃厚で濃密な旋律・音楽で彩られており、「ファンタンゴ」(粉屋の女房の踊り)や、「セギディーリャ」、「ファルーカ」(粉屋の踊り)や終幕の「ホタ」など、これぞスペインという情緒いっぱいの音楽が繰り広げられる、親しみやすい曲です。このバレエ音楽「三角帽子」は1919年の今日(7月22日)、ロンドンで若きエルネスト・アンセルメの指揮によって初演されて大成功を収めたと記録されています。愛聴盤 マキミアーノ・バルデス指揮 アストゥリアス交響楽団 マリア・ホセ・マルトス(Ms)(Naxosレーベル 8.557800 2005年7月録音)ファリャ不朽の名作「恋は魔術師」とのカップリングです。↓ファリャシャルル・デュトワ指揮 モントリオール交響楽団(DECCA原盤 ユニヴァーサル・クラシック UCCD5045 1981年録音)このディスクも「恋は魔術師」とのカップリングです。↓デュトワ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『今日の音楽カレンダー』1919年 初演 ファリャ バレエ音楽「三角帽子」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ともの『今日の一花』 唐綿昨日の午後からやっと雨が上がり、薄日も射してきました。 以前から撮りたいと思っていました花が、近所の美容院に前で鉢植えで咲いていました。 「唐綿」です。 撮影地 大阪府和泉市 2006年7月21日ががいも科 トウワタ属 熱帯アメリカ原産。江戸末期に渡来したそうです。 種に白い綿のような毛がつくことから「外来の綿」が「唐綿」と命名されたそうです。
2006年07月22日
コメント(8)

『今日のクラシック音楽』 プッチーニ作曲 オペラ「蝶々夫人」HMVで先月21日に新譜としてリリースされたジャコモ・プッチーニ(1858-1924)が書いた有名なオペラ「蝶々夫人」のDVDを購入しました。 この映像は2004年7月10日にイタリアのヴェローナ野外音楽堂での公演の模様を収録しており、フランコ・ゼッフィレッリが演出ということ、日本のワダ・ミエ担当の衣装が購買意欲をかき立たせてくれました。野外劇場でのオペラは歌手に相当の負担をかける公演で(風などにより喉に負担がかかります)、収録音にもあまり期待ができないのですが、このDVDでは杞憂に終わりました。ゼッフィレッリの演出は、この広いステージをいっぱいに使い、第1幕から最後まで同じセッティングのままでドラマを進行させています。蝶々夫人 : フィオレンツァ・チェドリンスピンカートン マルチェッロ・ジョルダーニスズキ : フランチェスカ・フランチ総領事 : ファン・ポンス 他ダニエル・オーレン指揮 アレーナ・ディ・ヴェローナ管弦楽団&合唱団衣装 : ワダ・エミ振り付け : 田口道子というキャスト・スタッフによる公演。蝶々さん役のチェドリンスは数回日本でも歌っている今が旬のソプラノ。 どこか80年代の世界のオペラハウスを席捲したエヴァ・マルトンに顔も体つきも似た美貌の歌手。 声量は豊かで蝶々さんの心情を情感豊かに歌い上げています。 飛び切り素晴らしい声、表現力ということではないのですが、最後まで聴かせてくれる現代屈指のソプラノと言えるでしょう。結婚式当日での初々しい、可憐な「蝶々さん」をうまく表現しています。 第2幕での、ピンカートンを待ち焦がれながら、揺れ動く女の心情を細やかに、そして劇的に歌い上げています。 期待したゼッフィレッリの演出は、行き交う人々の処理なども彼特有のやり方で、非常にうまく当時の市井の状況を描いています。 野外の限られた空間での動きなども見事なほどに演出面で工夫を凝らしています。ワダ・エミを起用しての衣装と関係するのですが、ゼッフィッレリの欠点がモロに出ているところもあります。 よく言われる日中の混合がこの舞台でも観られます。 衣装がとても中国的な場面があります。 ピンカートンとの再会を喜ぶ蝶々さんが衣装を替える場面。 白無垢はいいのですが、まるで「トゥーランドット姫」が現れたのかのような中国的になっているのにはがっかりとしました。結婚式当夜の衣装も白無垢ではなくて多彩な色の着物を羽織っており、どこか違和感のある感じでした。 こういう夜には赤い衣装をまとわないのですが、真っ赤な打ち掛けのようなものを羽織っています。 すごく違和感を感じていたのですが、ハッと気がつきました。 これは終幕の自害を暗示する「血」の色だと。 その通りに、自害の場では真っ赤な打ち掛けを着ています。こういうところはゼッフィレッリの巧さかなと思います。メトロポリタンでの「トゥーランドット」、ミラノ・スカラ座の「ラ・ボエーム」などの名演出を観ているだけに、手放しで感動とはいきませんが野外オペラとしての蝶々夫人を鑑賞するには充分な出来栄えの映像記録だと思います。この映像を観て感じましたのは、日本的な演出をするならやはり日本人の手でやらなければということでした。 20年くらい前になりますかミラノ・スカラ座で林 康子がタイトルロールを歌い、ローリン・マゼールが指揮、浅利慶太が演出した舞台の凄さを思い出さずにはおれません。 歌舞伎の黒子を配し、舞台を墨絵のような色彩に抑えて蝶々さんの心情をほのかに表現していた演出はさすが浅利慶太、と感心した舞台でした。 自害の場面で蝶々さんの周りは真っ白な正方形の大きな白い布が敷かれており、自害と同時に4人の黒子がその白い布を引っ張っていくと下は真っ赤な布でまるで血が滲み出て行くような感じで、最後は血の海に横たわる蝶々さん。 強い情念を貫いた蝶々さんの想いが「血」となって訴えてくるような見事な演出でした。やはりオペラ「蝶々夫人」の演出は外国人にとって難しいのかなと思いました。このDVDです。 (TDKコア TBDA0105 2004年7月10日 ヴェローナ野外劇場 ライブ)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『今日の音楽カレンダー』1776年 初演 モーツアルト セレナード第7番「ハフナー」1870年 逝去 ヨゼフ・シュトラウウス(作曲家)1920年 誕生 アイザック・スターン(ヴァイオリニスト)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ともの『今日の一花』 ハイビスカス今日も蔵出し画像です。 この1週間はカメラを手にしていませんので掲載する写真も底をついた感じです。 連日の雨降りが上がれば撮りに行こうと思っています。 撮影地 大阪市立長居植物園 2005年7月
2006年07月21日
コメント(10)

『今日のクラシック音楽』 クロード・ドビッシー作曲 交響詩「海」音楽家にはいつまでも語り継がれる夫婦愛を貫き通した人がいます。 一番いい例がロベルト・シューマンとクララ・シューマン。 一方、道ならぬ恋に生きた人もいます。 ワーグナーがその例ですが、今日の話題の作曲家クロード・ドビッシー(1862-1918)もその一人です。 妻を捨てて富裕な未亡人エンマと駆け落ちをして同棲生活を送り、一大スキャンダルを提供しています。そのドビッシーが、駆け落ちした1940年(43歳)に作曲された曲に交響詩「海」があります。 初演時の音楽の評価は、スキャンダルによって随分と歪曲されてしまったために不評だったそうですが、今ではドビッシーの代表作となっています。今日は「海の記念日」です。 それでこの曲を選びました。 最近は国民の祝日法によって祭日となる記念日が毎年替わっているのがありますが、この「海の記念日」もその一つで今年は3連休にする為に7月17日となっていました。 しかし、私にはやはり「海の記念日」はあくまでも7月20日であり、17日にはどうしても違和感を感じています。 記念日制定の意味がなくなってしまうような気がしてなりません。 同じことが「成人の日」にも言えます。話が横道に逸れましたが、ドビッシーと言えば「フランス印象派音楽」で、対象物を音の印象ととらえる、という印象主義音楽手法を創った人で、和声が重要視されており、つかみどころのないような情緒的な音の響きがする音楽を生み出した人です。 すでに「牧神の午後への前奏曲」や「夜想曲」などを発表しており、この曲で印象主義を更に明確に進めています。副題として「交響的素描」と付けられているように、「より構成的、交響的な形の中に、流動的な海の姿をとらえようとした」(ドビッシーの言葉)音楽で、彼自身が葛飾北斎の浮世絵「富岳三十六景」を観て霊感を得て書いたと言われています。 彼が誕生してから5年後の1867年のパリ万国博覧会にはこの浮世絵が出展されていますから、実際に絵を観る機会があったのでしょう。曲は3つに分かれており、「海の夜明けから真昼まで」、「波の戯れ」、「風と海の対話」というサブ・タイトルが付けられており、刻々と変化する海の表情と動きを、彼独特の色彩感で見事に描ききった名品です。 演奏時間は約30分。愛聴盤 カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団 (SONY レーベル SRCR9882 1989/1994年録音)カップリングはドビュッシー:牧神の午後への前奏曲、ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ、ラヴェル:組曲「マ・メール・ロワ」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『今日の音楽カレンダー』1968年 逝去 ヨゼフ・カイルベルト(指揮者)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ともの『今日の一花』 ゆり 撮影地 大阪府和泉市 2006年6月16日
2006年07月20日
コメント(6)

ともの『今日の一花』 西洋風蝶草(クレオメ)昨年の今頃に大阪府堺市大仙公園にあります「都市緑化センター」では西洋風蝶草がたくさん咲いていましたので、今年も咲いているだろうと思って出かけたのですが、期待は見事に外れていました。まったく別の花が咲いていました。 センターのどこを探してもまだクレオメは残念ながら咲いていません。昨年撮りましたクレオメを掲載しておきます。 撮影地 大阪府堺市大仙公園 都市緑化センター 2005年6月・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『今日の音楽カレンダー』1920年 誕生 アルド・プロッティ(バリトン)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『今日のクラシック音楽』は休みます。
2006年07月19日
コメント(8)

『今日のクラシック音楽』 中嶋彰子のCD「女の肖像」 名前と評判は機会あるごとに耳にしていたソプラノ歌手中嶋彰子の歌声をようやく聴いてみました。 Preiserレーベルから先月リリースされた新録音の「女の肖像」と題されたオペラ・アリア集。北海道出身で15才でオーストリアに渡り、全豪オペラコンクールで優勝してからは、ヨーロッパに拠点を移し、今や押しも押されぬウイーン国立歌劇場のトップ・スター歌手として人気を博しているそうです。 ウイーンで日本人として最初にタイトル・ロールを歌った歌手だそうです。非常に珍しいオットー・ニコライのオペラ「流刑者の帰国」からのアリア「聖なる炎」が第1曲ですが、弱音の美しさ、伸びのある高音域と安定した音程、それに強靭な張りのある美声と、およそオペラを歌う要素を全て兼ね備えている、素晴らしいソプラノ。どうして今までこの人の歌を聴いてなかったのかと悔やまれるほどの、ヨーロッパのスター歌手と何ら遜色のない歌にまづ驚きました。収録曲は、ニコライ:「流刑者の帰国」-聖なる炎ベッリーニ:「海賊」-その汚れない微笑とベッリーニ:「夢遊病の女」-取っておくれ、君に贈るこの指環ベッリーニ:「夢遊病の女」-おお花よ、お前がこんなに早くしおれてヴェルディ:「椿姫」-さようなら過ぎ去った日よカタラーニ:「鎌」-愛…愛マスカーニ:「友人フリッツ」-スゼル、おはよう…すべてが沈黙しているけれどプッチーニ:「ジャンニ・スキッキ」-わたしのお父さんこれらのアリアでも圧巻はベッリーニの「海賊」からのアリア「その汚れない微笑と」でした。 上述のように澄んだ高音と弱音の美しさ、安定した音域に感情表現が抜群にうまい! それに声には艶がある。 同じことがベッリーニの「夢遊病の女」のアリアにも言えます。 これほどに感情表現の巧い日本人歌手は、おそらく中丸三千絵以来でしょう。この人には「華」があるように思います。 聴衆を惹きつける「華」は、オペラ歌手には必須の条件と思いますが、ディスクだけを聴いていても「華」のある歌手だと感じました。今月初めに購入してこのディスクを聴かない日はないほど、毎日どれか1曲を聴いています。今度帰国公演があれば(ウイーン・フォルクスオパーがないかな?)是非生の舞台を聴いてみたい筆頭の歌手です。このCDです。 ダリオ・シュムンク(T)、ニルス・ムース指揮 スロヴァキア放送交響楽団↓ (Preiserレーベル KDC5009 2005年8月録音)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ともの『今日の一花』 ダリア・ミッドナイトムーンこの花の名前がわからなかったのですが、紅そうびさんに教えていただき、検索しますと「ダリア・ミッドナイトムーン」という花でした。黒っぽい姿に鮮やかな黄色の花を咲かせ、まさに「真夜中の月」って感じです。 横から見たところです。 撮影地 大阪府和泉市 2006年7月4日
2006年07月18日
コメント(7)

『今日のクラシック音楽』 ヘンデル作曲 「水上の音楽」ゲオルグ・フルードリッヒ・ヘンデル(1865-1759)には色々なおもしろいエピソードが残っています。 彼はドイツで25歳の時にハーノファー選帝候ゲオルグ・フリードリッヒの宮廷楽長として雇われました。 このハノファー候はとても音楽が好きで、とりわけヘンデルの音楽才能を高く評価していたそうです。 ところがヘンデルときたら、生来の旅行好きで暇が出来るとヨーロッパを旅する人だったそうです。 そんな折に、彼にイギリスへ渡ろうという気が起こりました。 当時のイギリスにはイタリア・オペラが大流行していたそうです。 それは自国の作曲家ヘンリー・パーセルが逝去した後、イギリスにはパーセルと同等の、あるいはそれ以上の作曲家が輩出しなかったことが理由に挙げられています。そこに目をつけたヘンデルは宮廷楽長のポストを手に入れたその年にハノーファー候に特別休暇を願い出て、ちゃっかりと許可を得てしまいます。 候もそんなことぐらいでヘンデルにへそを曲げられると困ると思ったのでしょうか、あっさりと許可を出したようです。喜び勇んで渡英したヘンデルはロンドンで人気を博し、大成功を収めます。 しかし、候との約束もあり一度はハノーファーに戻りますが、1年もしないうちにまたロンドンへ出かけてしまいます。 そして今度はがっちりとイギリス・アン王女のハートを捉えてしまい、快適な年金生活を送ることになりました。 ヘンデルの人気はロンドンでは絶大なところへ、アン王女のお墨付きをもらったのですから、ハノーファーへ戻る気もありません。 選帝候はおもしろくありませんから帰国命令を出すのですが、ヘンデルはそれを無視してロンドンに定住を決め込んでいます。ところがヘンデル29歳の時に思わぬ出来事が起こります。 アン王女の急死でした。 それだけでなく、王女亡き後に迎えられたのが何とハノーファー候でした。 ヘンデルは慌てます。 再三の帰国命令を無視したその相手が国王として赴任してくることになったのですから。しかし、ヘンデルへの高い評価をなしていたハノーファー候も正面切って処罰をできなかったという、音楽好きの弱みがあったようで、厳罰に処することはなかったようです。それでもヘンデルは、ぎくしゃくした選帝候との仲を良くしようと一計を案じます。 国王がロンドンの「父なるテムズ」で舟遊びをすることを知って、そのための音楽を書きます。 この新曲が国王にいたく気に入られて、ヘンデルの罪を許してもらえたのです。 それどころかアン王女にもまさる厚遇を受けたと言われています。その時の新曲が「水上の音楽」です。 このエピソードは勿論フィクションで、ヘンデルへの厚遇だけは本当のようで、以後ヘンデルはイギリスに帰化しています。音楽はいかにもヘンデルらしい明るさと愉悦に満ちた美しい旋律で、彼の名曲「合奏協奏曲」と並び賞される音楽で3つの組曲から構成されており、後世にハーティが組曲を編集したハーティ版が有名です。愛聴盤 コレギウム・アウレム合奏団(ハルモニア・ムンディ原盤 DHMレーベル 05472.77414 1971年録音 海外盤)古楽器演奏のはしりのようなディスクで、LPで発売された当時から愛聴してきました盤で、今も変わらず古楽器の響きを楽しんでいます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『今日の音楽カレンダー』 1717年 初演 ヘンデル 組曲「水上の音楽」1937年 逝去 ガブリエル・ピエルネ(作曲家)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ともの『今日の一花』 鬼ゆり撮影地 大阪府和泉市 2006年7月6日
2006年07月17日
コメント(6)

『今日のクラシック音楽』 モーツアルト作曲 オペラ「後宮からの逃走」W.A.モーツアルト(1756-1791)はその生涯に約20曲のオペラを書いていますが、今日の話題曲「後宮からの逃走」はドイツのジングシュピーゲル(ドイツ語で書かれて、ドイツのローカル語も入っている歌芝居)形式の彼の最初の充実したオペラと位置づけされています。台詞は勿論ドイツ語で、高音域の華麗なアリア、オペラブッファ的なコミカルな味わいなど、イタリア古典オペラの伝統的な書法で書かれていて、ザルツブルグを離れてウイーンに定住を始めた頃の、モーツアルトの瑞々しい青春の思い出のような作品です。 このオペラについては映画「アマデウス」にも描かれていました。物語は18世紀、モーツアルトの時代のリアルタイムとしての時代設定でしょうか。 トルコの太守セリムの後宮(ハーレム)の囚われたコンスタンツェを助ける為に、恋人ベルモンテが、自分の従僕(これも後宮に囚われて庭番をしている)の手招きで後宮に忍び込みます。囚われたコンスタンツェの侍女に番人は想いを抱きます。 また太守はコンスタンツェに愛を求めています。コンスタンツェと侍女にそれぞれの従者が逃走を図りますが、番人に見つかってしまいます。しかし、太守の慈悲によって寛大に計られて、最後はめでたし、めでたしの大円団となります。音楽は愉悦に富んで楽しく、コンスタンツェの高音域のアリアなど聴きどころはたくさんある愉快で、楽しいオペラです。オペラ「後宮からの逃走」は1782年の今日(7月16日)、ウイーンで初演されています。モーツアルトはこの初演後まもなくオペラのヒロインと同名のコンスタンツェと結婚しています。愛聴盤 カール・ベーム指揮 バイエルン国立歌劇場管弦楽団・合唱団エディタ・グルベローヴァ(S)、フランシスコ・アライサ(T)他演出 アウグスト・エファーディング(ドイツグラモフォン原盤 ユニヴァーサル・ミュージック UCGB1140 1980年4月収録)ベーム最晩年の舞台映像記録で、グロベローヴァの超人的な声、若きアライサの美声が楽しめるDVDです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『今日の音楽カレンダー』 1782年 初演 モーツアルト オペラ「後宮からの逃走」1948年 誕生 ピンカス・ズッカーマン(ヴァイオリン奏者)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ともの『今日の一花』 西洋ノコギリソウ撮影地 大阪府和泉市 2006年7月3日
2006年07月16日
コメント(6)

『今日のクラシック音楽』 関西フィルハーモニー管弦楽団 第186回定期演奏会を聴く 昨夜は私のページをリンクしていただいていますすららさんが所属する、関西フィルハーモニー管弦楽団の第186回定期演奏会を聴きに行ってきました。プログラムドヴォルザーク ヴァイオリン協奏曲 イ短調 作品53 ヴァイオリン 大谷玲子 ー休憩ーバルトーク オペラ「青ひげ公の城」(演奏会形式) ソプラノ 雑賀美可 バリトン 藤村匡人 指揮 飯森泰次郎午後7時開演の前にこの楽団の常任指揮者でこの演奏会のタクトを振る飯森泰次郎がマイク片手にステージに現れて、今夜のメインプログラムのオペラ「青ひげ公の城」についてプレトークが20分ほどありました。 これは非常にいい企画でした。 オペラと言えばイタリア・オペラ、モーツアルトのオペラなど人気オペラの数々が浮かび、聴衆もそこそこに作品には馴染みがあると思うのですが、ことバルトークの唯一のオペラ「青ひげ公の城」 となるとそれほどポピュラリテイーがなく、しかも歌らしい歌がなくて ほとんど「青ひげ公」と新妻との対話に近い形式でドラマが進むだけに、飯森のガイドは初めて聴く人にはとても参考になったと思います。さて昨夜の演奏会ですが、オペラの前に演奏されたドヴォルザークのヴァイオリン協奏曲。 「メロディー・メーカー」と呼ばれたドヴォルザークのスラブ的な美しくもノスタルジアいっぱいの旋律に、熱っぽい激しいリズムを駆使したこの曲を独奏者大谷玲子は見事に弾きこなして第1楽章から終楽章までたっぷりとヴァイオリン音楽の魅力を聴かせてくれました。 とても澄んだ美しい音色が残響2秒のホールを包む込むかのように響き渡るさまは圧巻でした。 じつに美しい音色を奏でる奏者でした。 休憩を挟んでベラ・バルトークのオペラ「青ひげ公の城」。 現代音楽最初の心理的オペラと言われるこの作品は、モーツアルトやイタリア・オペラのような「歌」を楽しめることを期待すると、まったくあてが外れてしまいます。 「青ひげ」伝説としてヨーロッパでは知られているこの物語は、ペローの童話「マ・メール・ロワ」の中に含まれているのを、台本化されており男と女の互いに違う、それぞれの異性への思いや欲望などの、心の奥深い宿命的とも言えるな男女の出会いから別れにいたる心の深層を扱っていて、相手を傷つけたり、自身を傷つけたり、或いは二人して深い罪を背負ったりという構造的心理を鋭くえぐったドラマです。心楽しく歌の世界を楽しめるオペラではないのです。城にやってきた新妻ユディットが、大広間にある7つの扉を開けて暗い古城を明るくしたい公に言います。第1の扉 「拷問部屋」第2の扉 「武器の部屋」第3の扉 「財宝の部屋」第4の扉 「花園の部屋」第5の扉 「公の領地の部屋」第6の扉 「湖の部屋」第7の扉 「3人の先妻の部屋」これらの扉を次々と開けさせていくユディット。 それぞれの部屋には血が塗り込められています。 最後の第7の扉をユディットが開けてしまうと3人の先妻がいます。 公はユディットに王冠・宝石、豪華な衣装をまとわせて、「お前こそが一番美しい、最高の女性だ」と言って、扉の向こうに押しやってしまいます。 大広間はもとの暗闇になって幕となります。こうした男女の心の深層をえぐった対話のようなユディットと青ひげ公の歌と、バルトークが多彩な管弦楽法を駆使して、光と影の心理ドラマが展開しますが、音楽は力強く、詩的にも響きますが、どこまでも青白い響きのままで私には突き刺さってくるような、そんなオペラ音楽です。このオペラを聴いて、バルトークは男と女の何を語ろうとするのか? 各部屋の「血」は何を意味するのか? 問題は聴く人に投げかけられたままです。この演奏会で素晴らしかったのは雑賀美可のユディットでした。 リリコ・ドラマティック・ソプラノとしての声量と澄んだ美しい声、それに難しい感情表現をスケール豊かに見事に歌いきっていました。 メゾソプラノとしても歌えるのではないかと思わせるほどの安定した音程の広さがあり、大柄な体は舞台映えのする魅力的なソプラノでした。 この演奏会の成功は雑賀美可の歌唱によるところが大であったように思います。青白さのあるバルトークの音楽を時には詩的に、時には力いっぱい、しかもバルトークの代名詞のような「精緻な」響きでオーケストラを鳴らした飯森泰次郎は、やはりオペラでは非凡な力を発揮する指揮者だと感じました。昨日の大阪は猛暑でした。 仕事のために着たくもない背広と長袖のワイシャツ、ネクタイという姿で会場に行き汗びっしょりでしたが、帰りの相変らず生暖かく蒸し暑い夜気も気にならないほど、2つのプログラムで心は満たされて家路に着きました。このオペラの愛聴盤 ピエール・ブーレーズ指揮 シカゴ交響楽団 ラースロー・ボルガール(Br)、 ジェシー・ノーマン(S)(ドイツグラモフォン原盤 ユニヴァーサル・ミュージック UCCG3449 1993年12月録音)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『今日の音楽カレンダー』1857年 没 カール・ツェルニー(作曲家・ピアノ教師)1933年 誕生 ジュリアン・ブリーム(ギター奏者)1942年 初演 ヴィラ=ロボス 「ブラジル風のバッハ第4番」1959年 没 エルネスト・ブロッホ(作曲家)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ともの『今日の一花』 ノカンゾウ撮影地 大阪府和泉市
2006年07月15日
コメント(6)

『今日のクラシック音楽』 パロモ作曲 「アンダルシアの夜想曲」またいいディスクが届きました。 ロレンツォ・パロモ(1938~)という私には未知のスペインの現代作曲家が書いた、40分強の大作「アンダルシアの夜想曲」がそれです。パロモなる作曲家のことを調べてみると、この人はスペイン中央部シウダー・レアルで生まれ、アンダルシアで育ったそうです。 当然この曲はアンダルシア地方の民族音楽や民謡などの土俗の旋律に彩られています。 1938年生まれですから現在68歳の作曲家。音楽は管弦楽とギターとの協奏曲風に書かれており、有名なロドリーゴの「アランフェス協奏曲」を連想させるような曲想ですが、より現代的に書かれています。 しかし、旋律はあくまでもスペイン風で平明で、スペインの土の香りがぷんぷんと匂ってくる音楽です。このディスクでギター演奏を受け持つ現代屈指の名ギタリスト、ぺぺ・ロメロのために書かれた音楽だそうです。 それを名匠ラファエル・ブリューベック・デ・ブルゴスの指揮棒のもとに、スペイン王立ゼビーリア交響楽団が、スペインの大地の香りを風に乗せて運んでくるような、そんな爽やかなスペイン音楽です。曲は、「夜に乾杯」「星の輝き」「マルアリーナの踊り」「突風」「コルドバの夜想曲」「フラメンコの舞台」の、6つの情景を描写しています。 演奏時間が約40分余りの大作です。 この2~3日の蒸し暑い夜に窓を開け放って聴きほれています。 ギター好き、スペイン音楽好きには是非にとお薦めの1枚です。このCDです。 ぺぺ・ロメロ(ギター) ラファエル・フリューベック・デ・ブルゴス指揮 王立セビーリア交響楽団 (Naxosレーベル 8.557135 2000年8月録音)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ともの『今日の一花』 カスミソウ右の枯れた花を摘んでおけば良かったと思ってもあとの祭でした。いずれも撮影地 大阪府和泉市 2006年7月3日
2006年07月14日
コメント(2)

『今日のクラシック音楽』 指揮者カルロス・クライバー存命中からすでに伝説の指揮者と言われた謎の多いカルロス・クライバー(1930-2004)については、多くの人たちがそれぞれのブログなどに、彼への様々な想いを込めて書いておられます。 何も私がここにあらためて書き記すことはないのですが、私なりに彼の演奏などについての思い出を書いてみようと思います。 クライバーは1930年に20世紀の偉大な指揮者エーリッヒ・クライバーとアメリカ女性ルース・グッドリッチとの間に生れています。 父エーリッヒはナチスの政策の反対してアルゼンチンに移住しています。父が著名な世界的名指揮者であったのに、カルロス・クライバーは音楽を勉強することを許されなかったそうです。 それでチューリッチの工科大学で化学を専攻する学生でしたが、音楽への道を進むことを諦めきれずに結局指揮者生活の道へと入っていき、いわば叩き上げの職人のように音楽を勉強したようです。 幼い時から両親の期待を一心に受けて音楽の英才教育によって、薔薇のごとく華やかな音楽生活をおくる演奏家とはまったく違う境遇での勉強だったのかもしれません。 まあ、その時には父エーリッヒ・クライバーからの指導もあったのかも知れません(これは憶測ですが)。カルロス・クライバーは演奏するレパートリーが非常に少なく、そこへ録音嫌いもあってスタジオでのセッション録音はほとんどなくて、演奏会のライブ録音がほとんどです。彼のレパートリーは、交響曲ならベートーベン 第4・第5・第6・第7モーツアルト 第33・36番ハイドン 「驚愕」シューベルト 第3・「未完成」ブラームス 第2・第4ボロディン 第2番くらいでしょう。オペラなら、ヴェルディ 「椿姫」・「オテロ」、 プッチーニ 「ラ・ボエーム」、ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」、R.シュトラウス「ばらの騎士」、ウエーバー 「魔弾の射手」、ビゼー 「カルメン」J.シュトラウス「こうもり」くらいでしょうか。 これらは残されているディスクからですが実際の舞台での他の曲の演奏はわかりませんが。故朝比奈 隆先生もレパートリーが極端に少ない指揮者で、繰り返しベートーベン・ブラームス・ブルックナーを基軸にシューベルト、シューマン、チャイコフスキー、マーラーを振るのみでしたが(晩年は3Bに限られていたようですが)、それでもクライバーに比べると多いですね。カルロス・クライバーの演奏の特徴は、非常に豊かな音楽的生命力に富んでいることだと思います。 それに驚異的とも言えるクライバー特有の弾力性のあるリズムと、テンポが迅速とも言えるほどの速いテンポ。 テンポは速くてもとてもしなやかさのある旋律の描き方。 強い意志を感じさせながらも強靭さだけで終わらないダイナミックな軽やかさ。私は一度だけカルロス・クライバーの演奏会を客席で聴いたことがあります。 オーケストラはアムステルダム・コンセルトへボー管弦楽団。 プログラムはベートーベンの交響曲第4番と第7番。 場所はオランダ・アムステルダム・コンセルトへボーで1983年10月20日でした。ベートーベンの音楽を全身で表現するクライバーは、まさに踊る指揮者でした。 どの音にも生命力が漲っており、速いテンポがいっそうその生命力を際立たせており、旋律は実にしなやかさに富んでいて、リズムは力強く響き、ダイナミックな表現と相まって音がまるで迸るかのような印象と、心をえぐられるような感動を覚えたものでした。 しなやかな棒さばきに酔い、彼自身が音楽であるかのような身の動きに楽章が終わるごとにため息をついていました。 そう、カルロス・クライバーの指揮姿そのものが芸術を感じさせる稀有な指揮者と言えるでしょう。これは現在DVDとしても記録されてリリースされています。おそらくこれほどまでに音楽の持つ魅力を外に向かって爆発させるような表現をする指揮者は、過去でも現在でもいないのではないでしょうか? わずかに似た演奏をする人にバーンスタインがいますが、彼のテンポは逆に非常に遅いので、比較にはなりません。クライバーの演奏を聴いていますと、音楽に感じた本能をそのままに、純粋無垢に表現しているのかも知れません。 感情などは皆無と言えるほどに高い音楽性が生命力を持って迫ってくるような表現なのです。 他の伝説的指揮者(フルトヴェングラー、ワルター、カラヤン、トスカニーニ、バーンスタインなど)が音そのものに血と感情を通わせて表現しているのとは対極にあるクライバーの表現と言えるでしょう。音楽をこのように表現できるのは、もう天才としか言いようのない指揮者ではないでしょうか。 こういう指揮者はもう二度と現れないかもしれません。しかし、「しかし」なんです。 確かに彼の演奏を客席で聴いて上述のように感じ、まるで非の打ち所のない出来栄えに感動を味わいましたが、それは多分に外面的なものとして心に残ってしまい、いい例ではありませんが最高のスポーツカーで快適そのものの感触を味わっているのですが、下りてみればそれまでといった感じが私には残ります。 これはいつディスクを聴いても同じなんです。上に書きましたように他の名指揮者のように血と感情を音として表現することが絶対である人たちとの温度差かもしれません。 誤解のないように言いますが、決してクライバーの演奏は感情がないと言っているのではありません。 速いテンポで見事に旋律の美しさ、リズムの素晴らしさを表現しているのですが、ホームを駆け抜けていく「のぞみ号」のような快適さだけが残ってしまいます。そこが私をクライバーファンにしない理由かもしれません。それに比べるとオペラは違います。 歌手の歌によって楽しめるオペラは絶対音楽とは違う感動をもたらしてくれます。 劇としての表現を楽しめて、音楽が湧き起こってくるかのようで、リズムは沸立って生命力に燃えており、緊張感とニュアンスが素晴らしく、聴いたあとでもいつまでも心に残ります。 私が最も好きなクライバーの振ったオペラでは「椿姫」で、ここに書きました全てを味わえる素晴らしい演奏・録音です。 2004年の今日(7月13日)、カルロス・クライバーは伝説のまま74歳の生涯を閉じています。愛聴盤 ベートーベン交響曲第4番・第7番 コンセルトヘボー管弦楽団(Philips Classic 0701009 1983年10月19日ー20日 海外盤DVD)ヴェルディ オペラ「椿姫」(ドイツグラモフォン原盤 ユニヴァーサル・ミュージック POCG30149 1976-77年録音)バイエルン国立歌劇場管弦楽団・合唱団 イレアナ・コトルバス、プラシド・ドミンゴ、シェリル・ミルンズ他・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『今日の音楽カレンダー』1915年 没 アルノルト・シェーンベルグ(作曲家)1924年 誕生 カルロ・ベルゴンツィ(テノール)2004年 没 カルロス・クライバー(指揮者)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ともの『今日の一花』 ネコジャラシ撮影地 大阪府和泉市 2006年7月06日
2006年07月13日
コメント(14)

『今日のクラシック音楽』 ハチャトリアン作曲 ピアノ協奏曲 変ニ長調ソ連時代にとても個性的な音楽作品を書いたアラム・ハチャトリアン(1903-1978)という作曲家がいました。 クラシック音楽が好きな方なら誰も知っているバレエ音楽「ガイーヌ」「スパルタカス」などを書いた人です。 「ガイーヌ」の中の「剣の舞」「レスギンカ舞曲」などは演奏会のアンコールピースなどでしばしば演奏されている超有名曲です。ハチャトリアンの作品はどれも超個性的で、同じソ連の作曲家と比べてもユニークな作風の多い音楽を書いています。 一種独特の味わいのある音楽で、原始的、野性的な魅力の音楽が多い人でした。上述の2曲のバレエ音楽の他に、3曲の交響曲、ヴァイオリン協奏曲やピアノ協奏曲が書き残されており、またソ連時代の作曲家の常で映画音楽なども数多く書いている人です。 これらの曲はハチャトリアンの故郷グルジアの味わいのある民族舞曲や民謡などが使われていて、リズミックで野性的で爆発するような生命力を持った音楽が特徴です。1936年に書かれた唯一のピアノ協奏曲は、3楽章の伝統的構成に基づいて書かれており、全曲に溢れる東洋的な美しい旋律は、非常に魅力的な響きを醸し出しています。 比較的平明な旋律で彩られており、郷愁を誘うような彼の東洋的な資質を余すところなく表現したピアノ協奏曲の佳品です。この曲はハチャトリアンを国際的に有名な作曲家として認められるようになった作品と言われています。1937年の今日(7月12日)、このピアノ協奏曲がモスクワで初演されています。愛聴盤 オクサナ・ヤブロンスカヤ(p)/ドミトリ・ヤブロンスキー指揮/モスクワ交響楽団(Naxosレーベル 8.550779 1996年録音)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1773年 没 ヨハン・ヨアヒム・クヴァンツ(作曲家)1895年 誕生 キルステン・フラグスタート(ソプラノ)1934年 誕生 ヴァン・クライバーン(ピアニスト)1937年 初演 ハチャトリアン ピアノ協奏曲 変ニ長調・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ともの『今日の一花』 合歓の花毎年このおうちの庭で咲く「合歓」の花です。 今年は気がついたときはちょっと遅かったのでしょう、針のように伸びている繊毛のような花びらに勢いがなくなっていました。 撮影地 大阪府和泉市 2006年7月6日
2006年07月12日
コメント(8)

今朝胃カメラ検査を受けてきました。検査結果は胃潰瘍でした。 十二指腸の入り口、胃壁に三箇所の計四箇所に小さな潰瘍が出来ていました。 でもまだ潰瘍としては黎明期で薬服用で一週間で治るそうです。 念のために2ヶ月通院すれば快癒間違いなしとの医師の所見でした。 ホッとしました。多くの方々にご心配していただき、また励ましのお言葉をいただきましてありがとうございます。皆様のご親切、温かいお言葉をこれからも忘れずに健康に留意していくつもりです。そして一日も長く日記の更新を続けていきたいと思っています。 これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ともの『今日の一花』 風船唐綿撮影地 大阪府和泉市 2006年7月6日ががいも科 フウセントウワタ属南アフリカ原産 とげをもつ丸い実の形ができて秋になると、実が割れて綿毛とタネが出てきます。これは「唐綿」と呼ばれる花で、色も違いますし花は「風船唐綿」に比べて上向きに咲きます。秋に丸い実ができてそえが割れて綿毛と種が飛ぶのは同じです。撮影地 大阪府立花の文化園 2005年10月21日・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『今日の音楽カレンダー』1929年 誕生 ニコライ・ゲッダ(テノール)1929年 誕生 ヘルマン・プライ(バリトン)1937年 没 ジョージ・ガーシュウイン(作曲家)2005年 没 ピエロ・カップチッリ(バリトン)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『今日のクラシック音楽』は休みます。
2006年07月11日
コメント(12)

『今日のクラシック音楽』 横山幸雄&矢部達哉 デュオ・リサイタル昨日の大阪は蒸し暑い一日でした。 そんな暑い昼下がりにザ・シンフォニーホールで行われた横山幸雄(ピアノ)と矢部達哉(ヴァイオリン)のデュオ・リサイタルを聴きに行ってきました。 プログラムベートーベン ヴァイオリン・ソナタ 第5番 へ長調「春」ベートーベン ピアノ・ソナタ 第23番 へ短調「熱情」 休憩ショパン バラード第1番 ト短調マスネ タイスの瞑想曲フォーレ 夢のあとにベートーベン ヴァイオリン・ソナタ 第9番「クロイツェル」久しぶりの生演奏を聴いてみようと思ったのはプログラムの良さでした。 これだけの名曲をメニューとして出されると、まるでイタリア料理とフランス料理を味わうかのような贅沢さを感じて出かけました。梅雨空の鬱陶しさを忘れるほどの名曲の美しい旋律に酔いしれてきました。 特に感銘の深かったのは「熱情」ソナタでした。 横山幸雄の造型のしっかりとした構成で、「運命」の動機を際立たせた第1楽章、主題から8分音符、16分音符、32分音符と変奏されていく第2楽章の夢見るような気分、荒れ狂う終楽章を粒立ちのきれいな音色で、琢磨された造型美を見事に表現していくさまは圧巻でした。 久しぶりにベートーベンの厳しいピアノ音楽の真髄に触れた喜びを感じました。2曲のヴァイオリン・ソナタ(ベートーベン)も曲が素晴らしいので、これも久しぶりに生演奏で聴いてすっかり音楽に酔ってしまいました。 ただ矢部達哉の紡ぎ出すヴァイオリンに少し安定さを欠くところがあったのが惜しいと感じました。 「春」「クロイツェル」やショーピースにもあてはまるのですが、ところどころに音程の不安定さがあり、音楽に綻びが生じてヒヤッとする場面があったのが惜しいと思いました。いい日曜日の午後を過ごすことのできた昨日のデュオ・リサイタルでした。ところで、私の日記をリンクしていただいていますにゃお10さんから開演前に声をかけていただきました。 二人ともこのリサイタルを聴きに行くことはお互いに知っていましたが、実際に声をかけていただいてとても嬉しく思いました。休憩時間にもお会いしてひと時、音楽談義を楽しむことができました。 「にゃおさん」、とても楽しく時間を過ごすことができました。 この場をお借りして改めてお礼を申し上げます。 ありがとうございました。11月4日にはフレディ・ケンプ(著名なピアニスト、ヴィルヘルム・ケンプの息子さん)が、私の日記をリンクしていただいていますすららさんのオーケストラ/藤岡幸夫指揮と共演のコンサートがありますが、「にゃおさん」が聴きに行かれるとお聞きしましたので、プログラムの良さ(ショパンとチャイコフスキーのピアノ協奏曲)もあって、私も聴きたくなって切符を買いました。 「にゃおさん」、当日にまた会場でお会いできるのが楽しみです。 どうぞよろしくお願い致します。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『今日の音楽カレンダー』1835年 誕生 ヘンリク・ヴィェニャフスキー(ヴァイオリン奏者・作曲家)1839年 没 フェルナンド・ソル(ギター奏者・作曲家)1895年 誕生 カール・オルフ(作曲家)1979年 没 アーサー・フィードラー(指揮者)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ともの『今日の一花』 ギボウシ撮影地 自宅庭 2006年7月6日
2006年07月10日
コメント(10)

ともの『今日の一花』 花蓮・睡蓮と水のある風景昨日(8日)は早朝7時半から大阪市立長居植物園での花蓮を撮りに出かけました。 毎年蓮の開花に合わせて6月末から7月中旬まで、土・日・祝日は早朝開園(7時半)されていますので、花蓮の撮影には便宜を図ってくれています。前夜の天気予報では午前中はかなりの確率で雨だったのですが、陽射しのきつい天気となり、カジュアルシャツを絞れるくらいに汗をかきながら撮影をおこなってきました。ここの蓮池は観る人からは一段低くなっていますし、種類は一種類だけなので毎年同じような構図ばかりの写真が出来上がっています。 もっと構図を考えねばと反省していますが、FA28-300mmのレンズでは限度があります。 来週は奈良・西ノ京の喜光寺の花蓮を撮りに行って、今年の蓮撮影を終わろうかなと思っています。蓮池の隣にも大きな池があり、そこは睡蓮の見頃を迎えていましたが、やはり300mmレンズでは限界を感じるほど睡蓮は遊歩道から遠いところに咲いています。紫陽花園で小川が流れており汗だくになった後では飛び込みたい心境でした。撮影地 いずれも大阪市立長居植物園 2006年7月8日・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『今日の音楽カレンダー』1879年 誕生 オットリーノ・レスピーギ(作曲家)1949年 初演 ブリテン 「春の交響曲」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今日は午後2時からのザ・シンフォニーホールで横山幸雄(ピアノ)と矢部達哉(バイオリン)のデュオ・リサイタルを聴きに行く予定です。 リサイタルの感想は後ほど掲載致します。
2006年07月09日
コメント(10)

『今日のクラシック音楽』 プロコフィエフ作曲 組曲「キージェ中尉」ロシアの作曲家セルゲイ・プロコフィエフ(1891-1953)は1917年にロシア革命が起こってから、祖国を離れて亡命生活を15年間続けていました。 その間には日本にも訪れています。彼のピアノ協奏曲にはその日本滞在時の影響なのか五音階の旋律が現われる部分があります。そして15年間の亡命生活を終えてロシアに戻り、最初に作曲された音楽が「キージェ中尉」です。この音楽はロシアで1934年に製作された映画「キージェ中尉」の付帯音楽だそうで、のちにプロコフィエフ自身がその音楽から5曲を選んで、演奏会用として組み直したのがこの組曲「キージェ中尉」です。学生の頃にロシア映画祭のような催しがあってこの映画を観ましたが、人をくったような物語で、帝政ロシア時代を背景としており、皇帝の思い違いから架空の人物キージェが誕生して、皇帝がキージェ中尉に次から次へと命令を出すのですが、架空の人物なので、家来たちは困り果てた挙句に中尉が死んだことにして葬式を出すという、貴族社会を皮肉った喜劇であったように覚えています。音楽はロシア民謡の調べのような親しみやすい音楽で、コルネットを軍隊、鈴がトナカイ、サキソフォンがパロディを表現して、特定の楽器をうまく使って、平明な楽しい音楽に仕上げています。この5曲でもとりわけ「ロマンス」とコミカルな「トロイカ」が演奏会などのアンコールピースとして演奏されています。1934年の今日(7月8日)、この組曲が初演されています。愛聴盤 ジャン=クロード・カサドジュ指揮 リール国立管弦楽団(仏ハルモニア・ムンディ原盤 Naxosレーベル 8.557725 1994年フランス・リール ライブ録音)先月Naxosからリリースされたハムモニア・ムンディ原盤の再発売盤で、カップリングはプロコフィエフの書いたカンタータ「アレクサンドル・ネフスキー」です。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『今日の音楽カレンダー』1934年 初演 プロコフィエフ 組曲「キージェ中尉」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ともの『今日の一花』 ハイビスカス夏を彩る「一日花」の代表ーハイビスカス。 南国、熱帯が良く似合う花かなと思っていましたが、最近は小ぶりのハイビスカスが花屋の店頭にも並ぶようになって、随分と身近な花の一つになりました。 撮影地 大阪府和泉市 2006年7月2日撮影地 大阪市立長居植物園 2006年7月8日葵科 フヨウ(ハイビスカス)属インド洋・太平洋などが原産地の花で、真っ赤な花はいかにも熱帯の花という強烈な印象の花。
2006年07月08日
コメント(8)

『今日のクラシック音楽』 ジュリアーニ作曲 「ロッシニアーナ」 (コロンビア・ミュージック COGQ5 2005年月録音) ギター奏者福田進一が素敵でお洒落なディスクを先月リリースしてくれました。 ジョアッキーノ・ロッシーニ(1792-1869)が書き残した数々のオペラの名旋律を、同じくイタリアのマウロ・ジュリアーニ(1781-1829)がギター演奏用に編曲しました、3つのギター音楽作品「ロッシニアーナ」を、スタジオ録音したディスクがそれです。美しい旋律で彩られたロッシーニのオペラから、華麗でもあり愛らしくもあるアリアなどを厳選して1本のギターで爪弾くように書かれたこれら3つの作品は、時代を超えて現代にも充分息づいている、まさに古典音楽の美しさによって19世紀初めの時代にタイムスリップするような錯覚を覚える、実に素晴らしい音楽が眼前に展開します。ロッシーニ特有の愉悦に富んだ旋律がオペラハウスから飛び出してきて、家庭に運ばれてきたような1本のギターによる音楽は、通常オーケストラで聴く音楽世界から、全く違う音楽空間を生み出していて、それが1本のギターによる演奏であることも忘れてしまうほどの、素敵な世界が創り出されています。音楽はアリアなどを基に編曲されていますから、実に旋律的で平明で、明るく、愛らしい音楽ばかりで、福田進一の素晴らしいギター演奏の技巧ぶりをも味わえます。 録音はハイブリッド方式で録られているために、素晴らしい音質の超優秀録音盤です。ロッシーニはわずか37歳で作曲生活から身を引いて74歳で生涯を閉じるまで、イタリア料理を楽しんで暮らしたと言われており、事実イタリア料理にはロッシーニの名前のついているメニューがあるほどに、彼は現代で言う「グルメ人間」であったようです。 「ロッシーニ風マカロニ」とか「トゥルド・ロッシーニ」などは特に有名なメニューです。このCD解説にもこれらの料理の写真が掲載されており、ワインを飲み、このCDを聴いていると素敵なイタリア料理がいっそう美味になるような気がする、そんなディスクです。 収録曲1. ロッシニアーナ 第1集 作品119 序奏~「オテロ」からのアリア~「アルジェのイタリア女」から2. ロッシニアーナ 第2集 作品120 序奏~「オテロ」から~「アルミーダ」から~「シンデレラ」から~「泥棒かささぎ」から3. ロッシニアーナ第3集 作品121 序奏~「湖上の美人から」~「イタリアのトルコ人」から~「ゼルミーラ」から~「リッチアルドとゾライデ」から4. カヴァティーナ「麗しき光が」(「セミラーミデ」からのアリア)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『今日の音楽カレンダー』1860年 誕生 グスタフ・マーラー(作曲家)1911年 誕生 ジャン・カルロ・メノッティ(作曲家)1937年 誕生 エレナ・オブラスツォワ(ソプラノ)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ともの『今日の一花』 常盤露草この花は初夏6月ごろから道端や野原、公園、畑の畦道などに見かける小さな三角形の白い花です。 露草科ムラサキツユクサ属、南アメリカ原産の花です。 撮影地 大阪府和泉市 2006年6月30日
2006年07月07日
コメント(10)

追記今日胃腸科専門医院で診察を受けました。 胃カメラは来週初めに受けることになりますが、今日のレントゲン検査などで医師は「胃に潰瘍が出来ている可能性が大」との診察所見でした。 今日もチクチクした痛みは治まりません。 全ては来週の胃カメラによる検査でわかるでしょう。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『今日のクラシック音楽』 不死身の指揮者 オットー・クレンペラー イギリスを本拠地として1950-1960年代に活躍した指揮者にオットー・クレンぺラーがいます。 私が中学生の頃にはトスカニーニ、フルトヴェングラー、ブルーノ・ワルターなどと共にレコード界ではドル箱スター的存在の指揮者でした。 たしかベートーベンの第9交響曲を30cmLP番1枚に録音して「1枚の第9」として売り出した、最初の指揮者ではなかったでしょうか(間違っていましたならばごめんなさい)。このクレンペラーには色々とエピソードが残されています。 有名な出来事はほとんど彼の生死に関わることばかりです。1937年、彼が64歳で悪性の脳腫瘍にを患い、指揮者生活もこれで終わりかと誰もが思ったそうですが、驚異的な精神力でこれを克服して見事に指揮台に戻ってきたり、指揮台から転げ落ちて頭を強打して指揮不能が8年間もあったり、乗っていた飛行機が離陸直後に墜落しても大腿部の複雑骨折だけで奇跡的に命拾いをしたりで、彼には「再起不能」という烙印を何度も押されたそうですが、この飛行機事故から3年後にバイロイト音楽祭のオーケストラピットに立っていました。その直後に好きなパイプタバコをベッドで燻らしている間に寝てしまい、パイプタバコの火がベッドの布団を燃やしてしまいって、全身大火傷を負うという事故もありました。 この時ばかりはさすがに「クレンペラー、再起不能!」というニュースが全世界を駆け巡ったそうです。それでも彼は不屈の精神力で9ヶ月後の闘病生活のあと「不死鳥」のように指揮台に戻ってきました。 まさに「不死身の指揮者 オットー・クレンペラー」です。そしてバイロイト音楽祭でワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」を振って、大ワーグナーの孫でこの舞台の演出家でもあった、ヴィンラント・ワーグナーが「大ワーグナーの本当の音を聴かせる指揮者」と感激したという有名なエピソード付きで、クレンペラーは戻ってきたのでした。クレンペラーのステレオ録音で残されている、ワーグナー管弦楽曲集、ベートーベンの交響曲全集、ピアノ協奏曲全集(ピアノは若き日のダニエル・バレンボイム)、ブルックナーの第9交響曲、マーラーの交響曲「大地の歌」、ブラームスの交響曲全集、メンデルスゾーンの「スコットランド」「イタリア」交響曲、「真夏の夜の音楽」、ベートーベンのオペラ「フィデリオ」などを買って聴いています。彼のテンポは他の指揮者のそれと比べると遅く、響きは非常に重厚なのが特徴です。 それがために音楽のスケールはとてつもなく雄大で、テンポが遅いので音楽の細部が見えてくるような演奏です。 どの曲も重厚で雄大・壮大な響きで私の心の琴線を揺るがせる指揮者の一人です。最晩年にはまた脳疾患で半身不随となり指揮棒を振れない状態だったそうですが、その頃に録音された演奏は、遅いテンポに拍車がかかったような神がかり的な名演奏となって残っているのもあるそうです。「不死身の指揮者」オットー・クレンペラーは1973年の今日(7月6日)、88歳の生涯を閉じています。愛聴盤 ベートーベン 交響曲第4番 ウイーンフィル(オルフェオ原盤 ユニヴァーサル・クラシック UCCN1057 1968年5月26日ウイーンライブ録音)遅いテンポで実に重厚な響きが全曲を覆っていて、弦の各セクションの動きが手にように見える、第4番の稀有の演奏で、このディスクによってこの曲の素晴らしさを知った、まさに目から鱗が落ちたとも言える最晩年の演奏記録です。 収録曲はベートーベン「コリオラン」序曲とシューベルトの「未完成」交響曲です。ワーグナー管弦楽曲集 フィルハーモニア管弦楽団(EMIレーベル 5678962 1960-61年録音 海外盤)ブラームス 交響曲全集 フィルハーモニア管弦楽団(EMIレーベル 5627602 1955年録音 海外盤)メンデルスゾーン 「スコットランド」 「イタリア」 フィルハーモニア管弦楽団(EMI原盤 東芝EMI TOCE59009 1960年録音)ベートーベン オペラ「フィデリオ」全曲(BBC音源 TESTAMENT原盤 ユニヴァーサル・ミュージック SBT2 1328 1961年録音)イギリス・コヴェントガーデン王立歌劇場ステージでのライブ録音で、ジョン・ヴィッカーズ(テノール)、セナ・ユリナッチ(ソプラノ)、ハンス・ホッター(バリトン)との共演です。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『今日の音楽カレンダー』1937年 誕生 ウラディミール・アシュケナージ(ピアニスト・指揮者)1973年 没 オットー・クレンペラー(指揮者)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ともの『今日の一花』 水カンナ水中に植わっている花でなかなかお目にかかれない花の一つです。 先日黒鳥山公園の灌漑用池に自生する花蓮を撮りに行って、咲いているのを見つけました。 この花は昨年も撮ったのですが時期が遅かったのでいい被写体にはならなかったのですが、今年は群生で蓮と一緒にたくさん咲いていました。 紫の花が鮮やかな花です。 真っ直ぐに天に向かって咲いているのもあれば、横に曲がって水面に落ちていくように咲いているのもあります。 この画像は蓮の大きな葉に花びらを落としながら散っていこうとする花です。 撮影地 大阪府和泉市 黒鳥山公園 2006年6月30日くずうこん科 タリア属 水中に生えており、夏になると紫色の花が咲きます。 ほとんど見かけることのない花です。 葉がカンナに似ているところから命名されているようです。
2006年07月06日
コメント(12)

昨日から断続的に胃にチクチクする痛みを感じています。 集中して文章を書ける状態ではありませんので、今日は昨年の同日の記事をそのまま転載します。 花の画像も昨年と同じです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『今日のクラシック音楽』 ヴィルヘルム・バックハウス(ピアニスト)私がクラシック音楽に親しんだ48年前から指揮者のトスカニーニやフルトヴェングラーと同じように名前だけ聞いていた演奏家にピアニストのヴィルヘルム・バックハウスがいました。 とにかく凄いピアニストということだけを知っていた頃です。そのバックハウスの録音したLP盤を買って、初めて彼の演奏を聴いたのが1962年で高校2年生でした。 DECCAへの録音でLONDONレーベルとしてリリースされていて、それが再発売のモノラル25cmLP盤でした。 曲はベートーベンの「熱情ソナタ」と「月光ソナタ」でした。当時の印象はピアノという楽器はこんなにも多彩な音色を奏でるものなのか、ベートーベンのピアノソナタってこんなに激しい音楽なんだ(熱情)というくらいでした。当時は管弦楽で演奏する交響曲やオーケストラ音楽、それにイタリア歌劇団の公演による刺激(モナコ、テバルディ)によるオペラなどを聴きまくっていた頃で、ヴァイオリンやピアノ曲、室内楽などは数えるほどしか聴いていなかったように思います。そのうちに色々な音楽を積極的に聴くようになり、ピアノ音楽にも交響曲やオペラと同じように興味と共感を抱くようになってきました。それが1967-68年という頃で、一番真摯に音楽を聴いていた時代かなと思います。そしてバックハウスとの再会がありました。 ベートーベン、ブラームスの協奏曲やソナタを聴きながら、何となく他のピアニスト(例えばルービンシュタインやホロビッツ)と違う人だと感じるようになり、しっかりと聴き込み始めました。バックハウスが録音で採り上げた曲は、ベートーベンやブラームス、シューマンやシューベルト、それに古典派のモーツアルトが多く、謂わばドイツ音楽の主流のような作曲家、曲を演奏していました。一言でバックハウスを形容するならば「武骨」という言葉を連想します。 おそらく完璧な技巧に裏打ちされた素朴な感じで、曲にストレートに迫るタイプの演奏家であったように思います。 曲の精神性を厳しいという表現がぴったりの男性的な音楽を創るピアニストだと思います。しかし、こういうことはずーとあとになって、やっと理解できるようになりました。 しかし、そのときはバックハウスはもう天に召されたあとでした。 幸いにも彼は数多くの録音をDECCAに残してくれています。 今はベームやイッセルシュテット、シューリヒトなどの指揮者との共演も残されており、ベートーベンのソナタ全集や大バッハの曲も録音されています。 それらを聴くたびに、彼は基本をしっかりと身につけた、大きなピアノ音楽を演奏するピアニストであったのかと、今更ながらに感動させられています。バックハウスは1969年の今日(7月5日)、85歳の生涯を閉じています。愛聴盤 「バックハウス 最後の演奏会」 (DECCA原盤 ユニヴァーサル・クラシック UCCD9185 1969年6月26日、28日録音)「最後の演奏会」全記録CD1(1969年6月26日の演奏会)ベートーヴェン1.ピアノ・ソナタ第21番ハ長調作品53《ワルトシュタイン》シューベルト2.楽興の時D.780(作品94)モーツァルト3.ピアノ・ソナタ第11番イ長調K.331《トルコ行進曲付き》シューベルト4.即興曲変イ長調D.935の2(作品142の2)CD2(1969年6月28日の演奏会)ベートーヴェン5.ピアノ・ソナタ第18番変ホ長調作品31の3から(第4楽章を除く)シューマン6.幻想小曲集作品12から 第1曲《夕べに》/第3曲《なぜに?》シューベルト7.即興曲変イ長調D.935の2(作品142の2)この録音はオーストリア高地のオシアッハ湖畔の教会で行われた1969年6月26日と28日の2日間の演奏会の全記録です。 85歳の高齢となったバックハウスのこのときの演奏にはミス・タッチがみられるところもあり、またDECCAにしては貧弱な録音ですが、温かさと音楽の豊かさが伝わってくる演奏です。 若い頃のもっと素晴らしい演奏・録音盤がありますが、バックハウスはこの2日間のコンサートを終えてわずか1週間後にこの世を去っています。まさにバックハウスの「白鳥の歌」となったこの盤を敢えて掲載致します。 2枚組で2,000円です。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『今日の音楽カレンダー』1969年 没 ヴィルヘルム・バックハウス(ピアニスト)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ともの『今日の一花』 雨と朝顔撮影地 大阪府和泉 2005年7月4日 昼顔科 サツマイモ属 開花時期 7月初め~10月初め頃 中国原産で平安時代に日本に渡来したそうです。 朝開花して午前中はきれいに咲いています。 夏から秋まで長い間咲き続けています。 最近店などで売られている鉢植えは、「行灯づくり」(竹やプラスチック製の輪がついた支柱につるをからませて花を咲かせる方法)が多いようです。 「朝顔」とは 「朝の美女」の意味だそうです。 8月4日の誕生花 花言葉は「愛情・平静」
2006年07月05日
コメント(12)

ともの『今日の一花』 花蓮(その2)昨日の朝7時半頃に自宅から徒歩15分くらいのところにある公園の池に咲く自生の花蓮を撮ってきました。 この池は農業灌漑用として作られた池で、現在は市に移管されて保護されていますが、数年前に自生の蓮が増え続けるので全て刈り取られたのですが、わずかに残っていた蓮が増殖を続けて、池の中央付近から花が咲き始めて今では後で作られた遊歩道に近いところまで葉が伸びてきています。 しかし葉が大きく、背も高くて花蓮が葉の間で咲いている感じです。 写真撮影にはどうしても300mmくらいのズームレンズが必要なくらいに遊歩道から遠いところで咲いています。昨日も朝の散歩をする人たち楽しませていました。 3枚アップします。撮影地 大阪府和泉市 黒鳥山公園 2006年7月3日
2006年07月04日
コメント(8)

ともの『今日の一花』 花蓮自宅から徒歩15分くらいのところに大きな公園があり、そのすぐ横に池があります。 そこに自生の花蓮が咲いていると友人から教えてもらって、すぐにカメラを持って撮影に出かけました。 ところがその日2枚撮ったところであいにくの土砂降りの雨となってしまい、撮影は中途半端で断念しました。 今日は朝早くから撮りに行こうと張り切っています。 2枚撮ったうちの1枚です。マクロレンズで撮っていますから、花までの距離が遠いのですが、今日は28-300mmのFAズームを使って撮るつもりです。撮影地 大阪府和泉市 黒鳥山公園 2006年6月30日・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『今日の音楽カレンダー』1854年 誕生 レオシュ・ヤナーチェック(作曲家)1879年 誕生 フィリップ・ゴベール(フルート奏者・指揮者・作曲家)1930年 誕生 カルロス・クライバー(指揮者)1977年 没 カレル・アンチェル(指揮者)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『今日のクラシック音楽』は休みます。
2006年07月03日
コメント(6)

『今日のクラシック音楽』 シベリウス作曲 交響詩「フィンランディア」この曲の作曲当時(1890年代)のフィンランドは帝政ロシアから属国化された圧制の下にあり、それに抵抗する反発運動が活発な時代でした。 そんな折に国の歴史劇「いにしえからの情景」が上演され、その付帯音楽を彼が書いたのですが、その時にこの交響詩の構想があったそうですが、後に独立した組曲として発表されました「歴史的情景」の中に含めずに単独で発表されました。曲は圧政下に苦しむフィンランドを表すかのような荘重な序奏から始まります。 そして急速な主題へ進み情熱のこもった旋律へと導かれて、やがてこの国の民謡風旋律が現れて、高らかに祖国賛歌を歌い上げていきます。この曲が当時のフィンランド国民のロシア国への拳を上げる勇気を誘ったようで、後にこの中間部の旋律は「フィンランド賛歌」として詩がつけられ「第二の国歌」と呼ばれるようになった曲です。 演奏時間は約9分くらいの短い交響詩です。この交響詩が初演されるちょうど6年前の1893年10月28日には、ロシア国内でもチャイコフスキー自身で初演された自国をを憂うかのような「悲愴」交響曲の内容と較べると、当時の帝政ロシアの末期的状況が音楽でも表されているように思います。 そしてこの曲が初演された6年後の1905年(明治38年)に日露戦争でロシアが降伏して、1912年の「ロシア革命」へと雪崩を打つように帝政ロシアが崩壊していきました。交響詩「フィンランディア」は1900年の今日(7月2日)、フランス・パリで初演されています。愛聴盤 サー・ジョン・バルビローリ指揮 ハレ管弦楽団極上のワインを味わうかのような、ヒューマンな温かさに溢れた音楽を作るサー・ジョン・バルビローリ(1899-1970)は、彼の生涯を通じて愛し続けたシベリウスへの共感でしょうか、この曲でも各フレーズに彼の温かさがこめられており、この短い曲においても感動的な盛り上がりと熱い共感を感じさせる演奏です。 この盤にはシベリスの残した交響詩で有名な曲(タピオラなど)をカップリングされており、シベリウスの音楽を聴く上にも便利な盤となっています。 1966年のロンドン録音ですが、EMIの技術で最新録音と遜色ない音質として蘇っています。 1970年にイギリスのフィルハーモニア管弦楽団と大阪万博記念コンサートの来日直前になって急死したことは、初めて彼のステージに接する最後の機会だっただけに残念でした。 (東芝EMI TOCE59034 1966年 ロンドン録音)収録曲交響詩フィンランディアカレリア組曲 交響詩ポヒヨラの娘悲しいワルツ トゥオネラの白鳥レンミンカイネンの帰郷 このCDはシベリウスの交響詩・管弦楽曲のみを収録しています。 私の持っています盤はこのCDではなくて交響曲全集で、それらに上記の曲を全て収録されている盤ですが(TOCE11479-83)、廃盤となっており現在では分売されて再発売されているようです。 音源は同じです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『今日の音楽カレンダー』1900年 初演 シベリウス 交響詩「フィンランディア」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ともの『今日の一花』 小紫初夏になると小さな可愛い花をつけています。 一般には「紫式部」と呼ばれていますが、それは山野などに自生している木で、家の庭などに植えられている園芸種は「小紫」と呼ばれるものです。 秋になると紫の小さな魅力的な実をつけて楽しませてくれます。撮影地 大阪府和泉市 2006年6月30日秋になるとこんな実をつけます。撮影地 大阪府和泉市 2005年11月
2006年07月02日
コメント(10)

『今日のクラシック音楽』 光輝く指揮者ピエール・モントー ピエール・モントー(1875-1964)という指揮者を知っている音楽ファンはおそらく50歳以上の方ではないでしょうか? フランス生れの人で当然パリ音楽院で学んでおり、その在学中から指揮棒を振っていたと言われています。 ドビッシーのオペラ「ペレアスとメリザンド」初演にはオーケストラピットでヴィオリンを弾いていたとか、ディアギレフのロシア・バレエ団の指揮者としても活躍しており、ストラビンスキーの「ペトルーシュカ」「春の祭典」、ラヴェルの「ダフニスとクロエ」、ドビッシーの「遊戯」、後年にプロコフィエフの第3交響曲などの初演の指揮棒を振っているなど初演指揮者としても有名です。後にアメリカに渡りボストン交響楽団やサンフランシスコ交響楽団などの常任を務めており最後にはアメリカの市民権を得た人でした。 晩年の86歳には高齢にもかかわらずロンドン交響楽団の常任指揮者に請われてその地位に就き、1963年に大阪国際フェスティバルに招かれて3回だけの公演を日本でおこなっています。 その時には私も客席で聴きましたが残念ながら彼の真価を理解するほどの耳を持っていませんでした。 曲はブラームスの交響曲第2番でした。モントーが最も敬愛する作曲家が、彼自身がフランス人であっても、ヨハネス・ブラームスであったとは意外です。 それもそのはず、モントー自身がブラームスの前で演奏したことが、彼の経歴の中でも誇りにしていることでした。 LP時代にロンドン交響楽団と遺したブラームスの第2番を後年に聴いて、いかに来日公演での演奏が凄かったということがわかり、生演奏で感動できなかったことが悔やまれます。モントーは古典から現代音楽まで幅広いレパートリーを演奏会や録音に足跡を遺していますが、彼の演奏の魅力は一番は、何と言っても豊かな色彩で力強さであると思います。 ベートーベンにおいても、ブラームスでもそれは変わりません。しかも表現される音楽は実に明快で、率直、直截的でどこか同じフランス人指揮者シャルル・ミュンスと似たスタイルとも言えるでしょう。 それにフランス人独特のラテンの色彩豊かな香りにも溢れている表現のできる指揮者でした。とにかく音楽のスケールはとてつもなく大きく、その響きも分厚く、そこに漂う雰囲気は「風格」としか言いようのない見事な音楽を作る人でした。 ワーグナーの管弦楽作品などにその例を聴くことができます。モントーは数多くの録音を遺していますが、全てを聴いたわけではありませんが、10数枚あるなかで、モントーの代表盤として訊かれると躊躇なく挙げるのがチャイコフスキーの第4交響曲です。 表現されている音楽は明快で、曖昧さは微塵もなく確信に満ちた、荒れ狂うような迫力でチャイコフスキー節が全編に咆哮している力強い音楽に溢れた素晴らしい音楽が展開しています。 チャイコフスキーの音楽が好きで、まだこの演奏をお聴きでない方にはお薦めの名盤です。ピエール・モントーは1964年の今日(7月1日)、89歳の生涯を閉じています。愛聴盤 チャイコフスキー 交響曲第4番(RCA原盤 BMGジャパン BVCC37166 1959年1月28日録音)ボストン交響楽団を振ったモントーの畢生の名演奏です。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『今日の音楽カレンダー』1925年 没 エリック・サティ(作曲家)1927年 初演 バルトーク ピアノ協奏曲第1番1932年 初演 R.シュトラウス オペラ「アラベラ」1964年 没 ピエール・モントー(指揮者)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ともの『今日の一花』 からす麦これは花ではありませんが、道端、野原、空き地などのあちこちに見られる「からす麦」です。 こうして撮ってみるとなかなか風情のあるものですね。撮影地 大阪府和泉市 2006年6月30日
2006年07月01日
コメント(0)
全31件 (31件中 1-31件目)
1


