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先日、自分の骨格の歪みを気にしている方に、「先生はいつも背骨を伸ばしているんですか?」と聞かれた。「そんなことないです。疲れた~ってへしゃげるときもあります」と答えた。特に、月末のお金が無い時は首も回らないし背骨もへしゃげてばかり・・?とは言わないが背骨の伸びは気分や体調と連動してますね~。歪みを気にしているなら、ある程度の期間はしっかりとまっすぐな背骨を意識し続けて治す必要がありますよね。そうしているうちに、曲がるものなのだから背骨は、心と一緒に曲がる時もある、その連動性を意識していけばいいと思います。聞かれて気付いたけど、背骨がぴんっと伸びているか曲がっているかは自分の健康のバロメーターにするといいかも?いつでも鉄の棒みたいに背骨が固まってぴんっとしているなら何も変わらないが私たちは常に変化できる柔軟性ある生物。同時に体調によって「ピン度」も変化。今朝、私は先週月曜と比べてイマイチのピン度。背骨が伸びきらない。先週はこれ以上ないくらいにピンピンだった。世界が素晴らしく感じられた。でも、今日は・・どうも体が不活動。重い・・週末にしっかり睡眠をとれず体が疲れを引きずっているせい。重いものを動かして筋肉疲労も重なっている。天候もイマイチだし~。確かに、背骨はピンッとしてたほうが美しい。でも、大事なのはしゅるしゅるとへしゃげてるときは、そんな自分を先ずはそのままに感じてみることだと思う。それをムシしてがむしゃらにピンとしても心は余計に疲れてしまうから。心のストレス、体のストレス(睡眠不足、筋肉疲労、食事の質と量)、気圧の高低・・お医者さんみたいに問診してみよう。その過程はすごく大事かも。自分の今の状態を受け入れてから、整えよう。骨盤起こして、下腹部に力入れて、気持ちよい呼吸を何度か繰り返して・・自然に背骨は伸びていく。訴えを聞かずに力ずくで背骨をストレートにしてもストレスは内側に塗りこめられ、プスプス・・完璧な形を求めることでなく、それを理想としつつ今の自分を受け止めて近づく。また理想からずれたら、また原因を探り、また軌道修正。それがいいんじゃないでしょうか。大事なものは器の形でなく、内側にある自分の心だから。
2006年07月31日
「ハウルの動く城」で「となりのトトロ」予告されていた。それを見たSARAが「あっ、あれ見た~~い」とすぐ反応。子どもだった私が見ていたものを自分の子どもが見始めている。「ジブリ不朽の名作」と冠がついていた。年月の流れを感じます。そして、トトロは数秒間の映像にもかかわらず、あっという間にSARAの心をガシッとわしづかみ。「トトロのお腹に乗りた~い。気持ち良さそう」まだ曜日をしっかり認識していないが、その日から1週間後を指折り数え始めた。「金曜日はまだ?」「今日は金曜日?」毎日トトロがやる日を心待ちにして、必ず確認してきた。当日の朝。「今日だね~」「ママ、録画して」「夜帰ってきてからでも大丈夫だよ」「今、して」「・・分かったよ、今しようか」朝の出かける準備を中断するのはめんどかったけど、後回しにするクセより、やりたいことはすぐやるクセをつけたほうがいいかな~と思ったので。自分はめんどいこと後回しにして、子どもが「ハミガキは後でやる」「やらなきゃいけないことは今しなさい」なんて口だけで言えないよな~と思ったから。大したことじゃないけど言われたことは「パッとすぐやる」親の姿勢を見せることは口で100回言うより効果あるかなーって思った。ハミガキもそう。お風呂もそう。めんどいときはSARAは「後で~」という。私の動きを見ていたのか?!そんなときは私がサッとハミガキしたり、ササッと風呂の準備を始める。そして、改めて軽く誘う。「おいで~」とか「SARAちゃんもする?」とか。かる~く聞くのがポイント。その前に子どもが動くこともあるし、誘われたことで先ほど拒絶した言葉を撤回しやすかったりする。とにかく効果ある。そして、それでも本当に嫌な時は「NO」という言葉を受け入れてあげる。子どもが親に向かって「NO」と言える。それは尊重したい。風呂に入らなくってもすぐ病気になったりはしない。甘いもの食べた日でハミガキさせたかったら、今度はアプローチを変えるべくNOといわれたら「そう、そっか」とサッと受け入れて引く。忘れたかのようにして、しばらくしてまた軽く別のアプローチをかける。歯磨きって気持ちいいなぁと磨いてみたり、守さん(祖父)は小さい時ハミガキしなかったから虫歯がたくさんできたんだってねーとか、甘いもの食べるとムシバイキンが増えるんだってねぇ、とか軽く言葉を流したり。子どもの善性に訴えかける。何が何でもムリヤリ力ずくで子どもに一本筋を通そうと思わない。通したいなら親が自分のことに対して通している姿勢を見せればいいと思う。子どもは見ているから。「何でこの人はこうするんだろう」納得できたら子どもは従う。「あなたはそうしなくても、私はこうする」と自分の生き様を見せれば子どもが選ぶ時は選んでいく。子どもは子どもだけど子どもじゃない。自分の信じた道を歩けるよう自分で考えて選ばせたい。そのためにも、子どものYES/NOを先ずは受け入れる姿勢をもっていたい。
2006年07月28日
コブラのポーズがすごく気持ちよかった。そのポーズ1つだけ10分ほどキープ。それを一人でなくもう一人に引っ張ってもらうことでキープする。ぐんぐんっっっと背筋が伸びていく。ツクシが伸びていく感じがしたという人もいた。飛行機で飛んでるみたいという人もいた。私がすごく気持ちが良かったのはその後。長くキープしたポーズからゆっくり床に戻り、ゆっくりとチャイルドポーズ。そして、ゆっくりと肩や脇を伸ばして起き上がっていく20分位にわたる流れ。その最後、正座で胸の上に手を合わせた、その時のすーーーーーーーっと伸びた背筋の気持ちよさ。閉じていた目の中ではただ一点が感じられた後、何ともいえない心地よさ。平安さが広がっていった。私はこう感じたが、感じる内容は千差万別。大事なのは自分が感じることは自然に素直に感じること。これが、私には・・。胸から羽が生えて広がっていく感じがするとか、体が左右で別の感じ方、違う性質を持ってることに気付いたり、人によっては左右でなく上下で違う動きを求めていたり。それを聞いて感じたのは素直じゃない私なら体が左右で違う動きをしていたら「真っ直ぐあらねばならないから、真っ直ぐにしよう」と体の声を聞き流して強引に変えてしまっていそう。求めている理想・完璧さへ向けて本当に体が求めてる声を受け止めず、力ずくで。何が正しいか正しくないか。良いか悪いか。それを求めてその枠にはめ込もうとしがちだから。ちゃーんとそのままの状態を受け止められるってすごく自分への自信が必要。自分を受け入れる強さがないと、本当の自分は出せない。というか、下手に出すと制御がつかずぐちゃぐちゃに乱され傷ついてしまうこともある。「感情」目に見えないだけに手に負えないと結構被害は大きい。セラピー、特に心理的なもので「本当の自分を探そう」とか色々あるけど、自分に自信があってやりたいことやれてる、自分の弱さにも正直って言う人でないなら、最初にヨガやったほうがいいと思う。ヨガで自分の根っこをしっかりと固めて、自分の弱さもしっかり受け入れられるような体と心の強さを作ってみるといいと思う。そうすると、すごく安定感が生まれて、生活が気持ちよくなって、そして、本当の自分を見るとかいうハイヤーセルフも手に入りやすくなるでしょう。
2006年07月27日
4月に保育園へ入所できてから1ヶ月間は殆ど短時間のみ。長い慣らし保育でした。私が子どもと離れたくなかったので私の慣らし保育だったかも5月くらいからいよいよ平日の朝から夕方まで保育園生活に。周りの動き回ってる子やおもちゃに刺激され、とても活動的になりました。赤ちゃんの時は愛想が良くて受けが良い可愛い子と思っていましたが、大きくなるにつれ(まだ10ヶ月だが)やんちゃな芽がちらちらしてきた。2年後には「カモメ組みの○○君みたいに手のつけられないワンパク坊主になるかも?」勝手な期待と不安を抱きつつ我が子の成長を楽しんでいる。しかし、ほんと、動きが激しい・・そんなこんな、5月過ぎてから少しずつ自分のためのヨガで落ち着きを取り戻せてきた。2人の子どもをもったことで1年前よりずっと成長できたと思う。たぶん。抱えるストレスが大きくなった今回、自分の振り回される肉体・心理面のストレスは予想以上に大きくどうしようもなかった。子どもが増えたというだけでなく、家庭の経済を支えていることへの重責感がのしかかり、妊娠中から度々心を塞いだ。産後うつな時もあった最近になって、うつのコラムで『何度ものべていますが、うつ病は決して「精神的にダメな弱い人」だからかかるという病気ではありません。むしろ「私がいなければ」と、無理してがんばりすぎてしまう責任感の強い人がかかりやすいといえましょう。性格や遺伝的要素などさまざまな原因があげられていますが、近年のうつにおいて、影響が大きいのは、社会的なプレッシャーによるストレスです。現代のようなストレス社会では、だれでもがうつ病にかかる可能性があります。特別な病気ではありません。』http://www.lcomi.ne.jp/kenko/archives/2006/07/post_9.htmlと書いてあり、「あぁ、妊娠しながら『私が頑張らねば』って思ってた、思ってた!なるほどね~!」と妙に納得してスッキリした。一人で背負うことは無いのだけど、でも、気負ってしまう時ってあると思う。そこに、睡眠不足!赤ちゃんがいるとどうしても寝てても意識がそこにあるから、熟睡してるようでしていない。そこから色々な障害が体にも心にも押し寄せる。寝るって本当に大事なことだなぁ~。親戚の義伯母も更年期障害の睡眠不足から本格的なうつ病へ。この年での障害は笑い事じゃなくなる。心の健康つくりは元気な時から行いたい。手放しで寝られることって、とても素敵なことです私は寝るのが苦手でした。特に昼寝とか。寝るより何かやらなきゃいけないと思ったりして、手放しでリラックスできない。いつも何かに追われてるような感じ。だから、手放しで自分の癒しのためだけにいられるヨガの時間は本当に私を変えた。そして、変化した体や呼吸から、すごい心の平安さを感じさせた力が抜けるためにも自分がどこに力を不必要に「グッ」と入れてるのか気付かないといけないし、自分の思っている以上に力を入れて伸ばさないとその気持ち良さを感じられない時もある。だから、インストラクトやアジャストは必要なのかな。ヨガは自分で自分を意識することが大事なんだけど、一人の世界に入りすぎると一人よがり。周りを意識しすぎるとそれもまた逆に周りとの比較ばかりして、自分を受け入れられなかったり。その程合いは自分で気付いていくしかないけど、そういった心や体の癖を気付かせるためにもDVDとかでない生のクラスに参加してやるヨガは大事なんだと思う。ヨガの先生に「先生、こんな私をどうにかしてー」と依存するのは違う話だけど、(依存してそうな整体やカイロ、病院やセラピーでも最終的には個人の自立が決め手かも)自分で自分をどうにかしたい人にヨガの先生はその自立を身体を通して促してあげられると思う。だから、自分でどうにか変わりたい人は自分の生活でどんどん教室での姿勢や呼吸、心の平安さを思い出してください。それで気付いたことや分からないことを質問してください。大事なのはポーズにしろ呼吸にしろやってみたけどうまくいかなかったとき。その時の自分の気持ちを見つめてください。そこに日常生活での自分の思考癖や行動癖とリンクするものがあったりします。キレイに、ウマクやろうと思わず、逆にウマクいかないときほど、自分の内側のざわざわを観察してみてください。どんな状態でも全部、自分だから今のままの状態を受け止めてあげたい。
2006年07月26日
楽健法の一つ、足のリンパを流れよくするべく夫の脚をふみふみ。インド由来らしく二人ヨーガとも言われている。マッサージのようで、手でなく足で行うから施術者の体にも優しく気持ちいい。しっかりした力も入るから、力のない人がやっても気持ちいいと思う。(指圧は指や腰にきたりするから~)マルマというつぼ(中国式のピンポイントでなくも少し広範囲なもの)を足で刺激していたのが日本で楽健法として成立したのか。ヨガが広まって、アーユルヴェーダも知られてきて、次はこの足ふみふみかな。交代してやってもらった。こういうのは夫の方が得意。丁寧で力強くて、気持ちいい。やってもらうのって、いいよね~。一般的なヨガって、自分で自分を癒すセルフサービス方式。たまにはこうして、人の温かさを感じて触れ合いながら自分をゆるませる。いいですね~自分の思ってることを「そこもう少し、弱く、じんわり」と注文つけながら意思伝達しあったりね。でも、深まると言葉が無くても、施術者と一体化したり。やってる自分が気持ちよいとやられてる人も気持ちよかったりする。なかなか、身体を緩ませきれない自分を意識化することだって大事。ヨガでそれがとても感じられるようになってきた。力の抜けきらない自分と抜けた自分。マッサージするとくすぐったがったり、妙に嫌がったりする人もいる。人にもよるだろうが、接触時に体が痛みや不快感を生じるときって心が閉じてたりする。夫に触れられただけで「ゾワッ」とする妻もいる。もちろん、目の前の人にでなく、過去の成長過程に原因があったりもする。単純に言えば、身近な人から愛撫されることが少なかったとか。家族など身近な人に対して否定的な感情をもっていたとか。心にしこりがあると自分の身体を委ねるって、できなかったりする。エステに行っても、金額や勧誘におびえて、お姫様になりきれず気持ちよい時間を過ごせなかったとか(笑)だから、家庭でこそ体を使って心のしこりをお手入れ。夜寝るとき位、緊張が抜けるように・・娘にもマッサージ。気持ちよいから、自分から「ママ、マッサージして」といいます。もちろん、赤ちゃんにもマッサージ。ベビーヨガっぽく動かしたり。やっぱり、喜びますよねスキンシップは。時折、マッサージしながら眠りかけてしまい、娘に「ママ、両手でちゃんとやって」と叱られる?!施術する側もゆるむのよね~なかなか普段まともに話し合う機会の少ないすれ違い夫婦もマッサージの習慣さえあれば、言葉が無くても体でつながりあえるかも?人肌の温かさって、ものすごい癒しの力を持ってるんじゃないかな。
2006年07月23日
息子は10ヶ月になる。小さなお口に「あーん」「もぐもぐ」「オイチー?」(*^ー^*)なんて、絵に描いたような赤ちゃんの食事風景とは程遠い「自分で食べたい!!」「つかみたい!!」そんな男児SATOちゃん。ベルトで縛り付けられたラックの上で「うぎ~!」もぞもぞっ、ばたばたっ。暴れるので放すと、机へ突進。ガッとおかゆの皿をつかむ。ゆでたオクラを握りつぶす。大根の煮物をつかんで はむはむ。握ったお粥は顔にベターッ。(食べようとしてるつもりが顔に塗られてる?)ひっちゃかめっちゃか。「もう、好きにして」言わなくても好きにしてる。良識ある大人ならば、こんな食事はありえない。机の上に乗ってるし・・。当たり前だけど、赤ちゃんや子どもの非常識なやり方は「何が本当に大切なのか」枠にはめられた大人に問いかけてくれる。だから私は時に子どもの好き放題にさせる。あえて自分の「常識」を放棄。その分、片付けはタイヘン。でも、お行儀よく食べることより自らの意思で動こうとしている子どもの意欲を押しつぶさず自分でやりたいようにやらせてみる。めちゃくちゃだけどやらせて見守る。子どものイキイキとした表情が面白い。(それだけが救いだし?)食事だけでなく、その他の生活風景でもそういった姿勢を忘れないようにしている。娘のSARAはそんな弟をお姉さんぽく「あ~らら」と見つめながら静かに食事。きっと、お母さんである私の動きを意識している。私の赤ちゃんへの育児をしっかりと見ている。そういえば、私の食べ方も見られている。「ママ、なんでそんなに早く食べるの?」「え・・。ほんとだね」ついつい、気付かぬところで早ぐい。箸でパッととってパク。パッ、パク。パッ、パク。余裕がないと食べ方もせかせかしてる!!いや~、父の食べ方そっくりぃ~なので、時々、目をつむって二人でフムフムと味わって食べたりしています子どもは、ホント何でも真似します。そして、こうした元気な赤ちゃん相手の騒然とした生活の中でそこにハマって降り回されてしまうことなく、ゆっくり味わって食べるだけの心のゆとりをいかに取り戻すか。生きたサーダナ(修行、練習)だね~豆腐入り蒸しパン某裏ワザ番組のドーナツから・・絹豆腐120g全粒粉・小麦粉 200g塩少々てんさい糖(好みで)10gベーキング・パウダー小さじ1水は必要なく、練って15分ほど蒸すとふっくら、もちもち。ほんわり甘い優しいパンです。小さく作ってつまんだり、子どもに握らせて口封じ?
2006年07月20日
暗いこと、マイナスなことを考えていると、あごがノドにくっついて「ぐっ」となってることが多い。そのときは、考えてることに集中してというか心を奪われていて体のことなど振り返れないが、ヨガで体と心のつながりを意識する習慣がつくと「あっ、呼吸がつまってる!」と分かる時がある。息を吸うと吸いきれず苦しい時もある。でも、ヨガで体の仕組みが分かってくると体の動きで呼吸をしやすく変えていけるし、産後のトラブル、手の痺れなどもヨガで解消していった。それまでは、自分の体で起きてることを医者や治療家など周りの人に見てもらってから気付いていた自分。リフレや整体、何らかのセラピストに「自分は今どうなってるの?」と「私ってどうなの?」と答えを求めてた。自分の人生について、占い師にすがってしまう人と同じかも。自分の人生なのに他人にどうなるか教えてもらおうとして・・自分の身体なのに他人にどうなってるのか教えてもらおうとして・・占い師もセラピストもみんな「今の私」を見て言葉にしてるのに、肝心の自分は今の自分がどんなか見えていない。おかしなことかも?自分のことは自分が一番良く分かるようになりたい・・時には、独りよがりな視点になってないかと、他人の意見を求めることはあるかもしれません。でも、いっつも、いつまでも、「私ってどんななんだろう?」ぐるぐる追い求めてばかり、他人のコトバにふらふら振り回されてばかりでは、常に不安でしょうがない。ヨガはそんな自分の根底に語りかけてくれる。あなたは「今ココにいる」それをつかんで!!と。
2006年07月18日
週末、突如として山中湖へ行った。突然、暑い。暑すぎるよ。子ども二人の体温も高まって寝苦しそう。たまらない、ということで山中湖へ避暑。快適な温度。雨に降られたけど、はしゃげる空間があったし、木々の深いかほりが・・あぁ~癒されますぅ。ここでヨガしたり、半断食したり、マッサージしたり。そんな企画ができたらイイナ。週末デトックスしたい人、いらっしゃいませ♪そういえば、ロシアには「ダーシャ」という、週末に都会から郊外へ移動して生活する別荘が多く、しかもそこにはコミュニティがあるそうです。野菜の自給率が俄然高いのもダーシャで作っているからとか。夏の間、ダーシャで畑仕事をしたり、魚釣りをしたり、子どもも自然と触れあって遊び、色んな人々でワイワイ食事・・コミュニティがあるのはいいなー。やっぱり、ココにもお客さんが訪れてくれると楽しいです。何せ、静かな湖畔の森の陰・・きつつきがコンコンコン、あっ、お宅の壁に穴空けてますよ~ホントに。今回は家族4人で2日間だけの避暑。車があると山中湖はスッと来易い場所です。ただ、別荘地なので湖畔からは分かりにくい・・けど、人によっては地図もなしに(住所もあってないようなもの)一発でこの家までたどり着いたりします。動物的勘!お客様、今夏もいらしてください。やんちゃな子ども二人がお出迎えします。お茶と自家製天然酵母のデカいパンでも召し上がれ
2006年07月16日
テレビを見ていたら、フェラーリ所有者を追っかけインタビュー。超金持ちもいれば一般的な収入の方もいる。購入者の平均年収を見ると3000万円。ふーん。3000万でフェラーリっていうことは、年収と車の価格がほぼ同じ?ていうことは、年収300万でちょっとした国産車買うような感覚?現金でポンと買ったか、ローンにしたか、どちらにしろ3000万フェラーリって、平均的年収の方がハイグレードな車やBMWとかのノーマルクラスを手にした時と同じようなサイフ感覚でしょう。すると、やっぱり、生活が車買った分だけ、逼迫するはず?!収入が大きくなるとその分だけ生活も大きくなるからなぁ。専業主婦がパートに出て家計が10万増えても結局、その分買うものの質が上がったり、気持ちが緩んで買い物が増えたりで月末の苦しさは変わらないのと同じ、みたいな?お金がもっと欲しい~って思うけど、ケタが変わっても自分の金銭感覚や価値観が成長しないと心の余裕は生まれないのかな。そう感じてしまうときってある。車好きならフェラーリに乗ってれば、他が苦しくても気持ちイ~イ生活を送れるんだろうなぁ。自分にとって何が大事か必要か。それを見極めないとお金はいくらあっても足りない。そして、お金が無くても、心の平安があれば本人は幸せ。心の平安さって、お金で買えない、簡単には手に入らなそうなんだけど、意外と自分の中にあったりするんですよね。見えなくなると苦しくなるんです。だから、ヨガがあるんです。それにしても、夫によるとフェラーリってカタログも簡単にはくれないらしい。少なくとも、短パンにサンダルひっかけた若造(数年前の夫)が行ったって、お近くのディーラーのようにすぐには出てこない。じゃぁ、試乗も簡単にはいかないでしょうね。一度くらいどんなマシーンなのか流してみたいですね。なーんて。助手席で充分です。誰か乗せてください。
2006年07月15日
何年か前にインナーチャイルドを癒そうと瞑想したら、抱きしめてみた小さな自分は娘のSARAそのものでした。娘の上にかぶせてたんだなー、自分の満たされなかった思いを・・と、その時気付きました。『メトロミニッツ』6月20日号で藤原新也さんの興味深い記事がありました。子どもの人格を見ないで、自分の思いだけを子どもにかぶせて育ててしまうケースも多い。母親の子どもに対する過干渉。そして、「自分」をなくして自立できない子ども。そんな母がでてくるのもパートナーである「父」という存在の希薄化。母(彼女自身もその母の愛情に満たされていない)への育児に対する社会からの大きなプレッシャー。確かに、子どものアレルギー、病気、全部、母のせい。頑張っても頑張っても、欠点をつつかれたり、勝手に評価されて・・やってらんない。ヨガクラスにはそんな疲れた母もやってきます。母は評価や物の分かったような助言を求めてるわけではない、ただ、自分の心の拠り所を見失いかけ、何かすがりつけるものを探しているだけ。周囲のプレッシャーに母は押しつぶされそうなのだ。無防備になれる場所、自分と言う人間をすっぽりと受け入れてもらえる場所を求めてる。そんな感じがする。ともかく、可愛がりすぎが虐待と同じく、自己の満たされない思いの現れと気付いて3年余り、娘も成長し、一個の人格がはっきりしてきました。自己主張の時期。赤ちゃんの時って、割とこちらの一方的な思いを裏切らない。だから、一方的に愛を押し付けても割りとすんなり受け入れてくれる。ベビーカーに乗せれば、どこへでも母の行きたいところにガーッ。気分のいいときに「好きよ♪チュ」とすれば、嬉しそうに「エヘ」授乳やオムツ替え。といった「世話」がやけるだけ。それが、成長してくると、個と個のぶつかりあいになってくる。その辺りで、母親も飼い犬に手を咬まれたかのように、我が子に対してでも感情的になってきてしまう。それまで「自分の分身」と思っていた「我が子」の分裂、独立に対して母親が受け入れ態勢を取れなかったりするから。自己主張は、子どもの自立に向けた大事な成長過程。それを押しつぶさず育てたい・・と思いつつ、現実は、ひぃひぃ・・タイヘンよ~(笑)でも、なるべく妥協点を探していくようにしている。最近、保育園の帰り5時や6時に公園で遊びたがる娘。「公園行くのぉ?早く帰ろうよ~」「何で早く帰らなきゃいけないの?」「う~、夕飯の準備があるし・・夕方は蚊が出てくるし・・」自分で答えながら娘の強い思いに比べたら、大した理由でないな~と「じゃぁ、10分だけ遊んで帰ろうか」「うん」なるたけ、お互いの妥協点で落ち着けるようにしています。パパからすると、「キミが折れるからそれを見込んでダダをこねるんでしょ」そうかもしれないけど、大した事柄でもないのに大人が高圧的に子どもの主張をねじふせることはしたくないな・・と思います。子どもも自分の気持ちや思いをちゃんと親に主張できて、お互いの考えてることを言い合って、お互いが歩み寄れるよう考える、そんな姿勢で行きたいです。
2006年07月14日
朝は私が起きると子ども達も起き出す。早起きしてみれば、子どもも段々と早起きになってくるしゆっくり眠りたい日も子どものオムツからプ~ンと香りがすれば、嫌でも起きてお尻洗いに行かなくてはならない!そんなこんなで、我が家は朝からにぎやか。おもちゃを取られそうになって騒ぐお姉ちゃん。お腹が減った、抱っこしてと騒ぐ赤ちゃん。洗濯、オニギリ作り、身支度。8時ころ、ようやく出かける間際に一息つけたりします。熱い紅茶など入れて、ホッ。家でゆっくりお茶する時はお気に入りのカップを。最近のお気に入りは、GWに義母から買ってもらったカップ。器や小物を扱う行きつけの素敵なギャラリーで「何か記念にどうぞ」といわれた。連休中に義父母の来客を及ばずながらもてなしたり食事つくりに奮闘したことの心尽くしかも。グルッと見てまわった中で「これが、いい」と決めたマグカップ。すると何と義母が、「ひろたか(夫)と同じでなくてもいいのよ」と。え?!夫婦二人で同じカップを選んでたらしい!!「あら、二人で同じのを選んだの。夫婦みたいなことしちゃって(笑)」似てきたのかなー、趣味が。一緒に生活していると染まるんだねー。どっちがどっちに?でも私は彼のお陰できっと幸せなんだろーな。いろいろ不満はあっても、よく考えると他の人と結婚してたら今みたいに中味が成長してなかったかも。女性一人でも生きていけるようになった現代の社会。にもかかわらず、籍入れて共同生活すると、やっぱり一人気ままに生きていた時は分からなかった人と人との磨き合いがある。一人で生きるのがいいか、パートナーと生きるのがいいか、それは成り行き次第だけど、いずれにしても、自分の置かれた状況で得られる宝ものを掘り出してみよう。
2006年07月12日
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