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先日、鎌倉を訪れ、鶴岡八幡宮を参拝しました。これまでに何度も来ていますが、昨年3月10日に境内の大銀杏が強風でぼっきり折れてからは初めてです。石段を覆うように生えていた銀杏がなくなり、神社全体が以前より大きく見えます。樹齢約1000年ということで、公暁が将軍実朝を暗殺した当時はまだ大きな木ではなかった銀杏。当時の風景は、今の状態に近かったかもしれません。折れた大銀杏の幹は、脇によけられていました。しかしながら、根が残った部分からは、約2年が経過し、新しい芽が出ているのが分かりました。 今年は想像もつかない大震災で、人々の心もぼっきり折れてしまった日本。しかし、鎌倉の大銀杏が新しい芽を出したように、少しずつ復活していかなければなりません。来年、2012年辰年こそはいい年でありますように。
2011年12月31日
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「フォーゼ&オーズ」製作委員会 (C)石森プロ・テレビ朝日・ADK・東映ビデオ・東映映画「仮面ライダー×仮面ライダー フォーゼ&オーズ MOVIE大戦 MEGA MAX」この作品情報を楽天エンタメナビで見る8月に続いて、すっかり恒例となった正月の仮面ライダー映画。いきなり1号からストロンガーまでの昭和の7人ライダーが出てきて、アクションシーン。1シーンだけじゃなくて結構見せてくれる。つかみはOK。子供も一瞬にしてスクリーンにくぎ付けに。最初のオーズパートもアクション、変身シーンの連続。テレビ本編ではほとんどなかった里中さんのアクションシーンあり、未来から来た仮面ライダーアクアによるジェットスキーの派手なアクションもあり。同じ石ノ森作品の「シージェッター海斗」を意識して作ったのは間違いないところだ。オーズ編はとにかくアクション、アクション。ストーリーも簡単でよかった。続くフォーゼ編。主人公の恋愛があるが、お約束通り失恋。何しろ相手は人間じゃないし。しかしながら、最後まで彼女を守るために戦ってかっこよかった。敵のボスはかつて、スカイライダーの映画に出てきた「銀河王」のリメーク。それなのに、スカイライダーが映画に出てこないのは、ちょっとな、と思った。それ以外は割とよくできた映画でした。今年の5月の映画よりずっと良かった。☆☆☆☆
2011年12月30日
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群馬県の八ツ場ダムの建設凍結が解除され、来年度予算に本体工事費が計上されることになった。民主党のマニフェスト、全部を実行しろとは言わないが、最低限守ってほしいものがある。それがほかならぬ八ツ場ダム中止だった。八ツ場ダムが全く価値のない無用なもの、まさに金食い虫であることは、2年前に書いたとおりだから、ここでは詳しくは書かない。自然を破壊して、土建屋や天下り官僚、一部の地元民だけがもうかるシステム。そういう利権構造を終わらせるための政権交代であったはずだ。だが、民主党には、残念ながら官僚を屈服させるだけの力はなかった。そもそも野田佳彦総理のやる気のなさはひどい。建設省OBの前田国交相を就けた時点で、官僚の言いなりになるのは目に見えていた。そんな金があるなら被災地に回せ、の一言がなぜ言えない。1丁目1番地がこれでは、他も期待できない。この党は長くない。
2011年12月24日
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今回の信州旅行で上田、松代と真田家ゆかりの地を旅したわけですが、感じたのは、戦国武将人気の高さ。うちの妻も歴女ですが、まだまだ戦国ブームは続いていると感じました。上田では、「真田幸村公をNHK大河ドラマの主人公に」という署名活動をやっていました。僕も署名はしましたが、幸村1人ではなく、幸隆→昌幸(&兄2人)→信之&幸村と続く「真田三代」でやるべきだと思っています。そもそも「真田幸村」という呼び方が気に入りません。本名は信繁(のぶしげ)。幸村と名乗ったという同時代の史料は皆無。書状にも信繁と署名してあります。幸村と言われだしたのは、死後100年前後たってからです。信繁の名は、武田信玄の弟、典厩信繁(第4回川中島で戦死)にあやかったと言われています。信繁は武田の副将軍格で、豊臣秀長もNo.2の在り方として信繁を参考にしたといわれています。そんな由緒ある名前を改名するとは思えず、仮に名乗ったとしても大坂入り以降の通称か、もしくは徳川幕府に遠慮して庶民が呼んだ名前かもしれません。いずれにしても、主役でドラマ化されるときは、幸村ではなく信繁と呼んでもらいたいものです。
2011年12月22日
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最後に、今回の信州旅行で食べた駅弁を紹介します。 「鮎めし弁当」(上田) 鮎の甘露煮を丸々1匹を真ん中にどん!と置き、ご飯には鮎の塩焼き丸々1匹をほぐして入れたものです。うまい!!特にご飯が絶品でした。かけ紙が2種類ありますが、写真下の馬に乗った絵のほうはゲーム「戦国BASARA」公認のものだそうです。戦国武将ブームに便乗して、鮎めしを上田の名物にできるでしょうか。 「信州寺町弁当」(長野、上田) 帰りに食べた駅弁。中身はおいなりさん2つ(栗と山菜)に、スモークサーモンの笹寿司、信州産豚のヒレカツ太巻き寿司2つ、信州産交雑牛としめじのデミソース煮、あんず射込み揚げ、信州産リンゴのコンポート。信州産のものをふんだんに使っている上に、お寿司やおいなりさんに分かれていて食べやすかったです。味も◎。 「鮭いくらおこわ弁当」(上野) 上野駅から旅行に出発した時に食べた駅弁です。イクラが上に乗っていて、下のおこわには鮭をまぶしています。サトイモ、竹の子、ニンジン、卵焼き、かまぼこ、シイタケ煮など。美味しかったけど、量はちょっと物足りなかったです。(子供が残したものを食べました)ちなみに、子供はチキンボックス(クリスマス仕様)、妻はアジ寿司を食べていました。
2011年12月20日
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午後4時前に湯田中に到着。目指す宿「星川館」は、高台にある駅から看板が見えました。以前、この先の渋温泉の共同浴場には漬かったことがありますが、湯田中温泉は初めてです。駅からの坂を下って徒歩3分ほどで宿に着きました。さて温泉は1階の大浴場と3階の露天風呂がありました。泉質は硫酸塩泉・ナトリウム塩化物泉・ナトリウム塩化物炭酸水素泉。お湯はかなり熱かったです。宿はこれまで泊まったことのない至れり尽くせりのサービス。夕飯は、信州牛のすき焼き、お刺し身、茶碗蒸し、焼き魚(サワラ)+サツマイモ+生姜、サザエのわさび和え+卵焼き+枝豆、ホタテのキッシュ、信州そば、オレンジ、酢の物、ずいき、おしんこ(野沢菜)、ご飯、吸い物で13皿でした。子供にはエビフライ、チキン、ハンバーグなど。でも親のオレンジやなぜか野沢菜を取って食べていました。翌日は、朝食の前と後の2回温泉に入り、10時10分の特急に乗車。湯田中駅は以前スイッチバックだったのに改良されて引き込み線はなくなっていました。スノーモンキーは、成田エクスプレスにあったトイレを撤去しスキーなどの荷物置き場にしていました。志賀高原へのスキー客はこれからが本番です。帰り、栗や葛飾北斎の町・小布施や、善光寺に立ち寄る計画でしたが、疲れたのでパス。上田駅近くの小布施の栗の店の支店で栗かのこと栗おこわを買いました。
2011年12月19日
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須坂からは、今夜の宿、湯田中温泉に向かいます。須坂駅は、古い電車の宝庫でした。長野電鉄のオリジナル車両である2000系を、阪急のように茶色く塗ったもの(マルーン色)は目を引きました。同じ2000系のオリジナル車両。信州のリンゴをイメージした赤とクリーム色の電車です。今ではステンレスカーばかりになった長野電鉄ですが、オリジナルカラーのほうがカッコいいと思います。(奥は電気機関車) 須坂から各駅停車に乗り、信州中野で特急に乗り換えます。信州北回廊パスを持っていても特急料金100円は必要です。小田急ロマンスカーを改造したものかと思いきや、なんとJR東日本の成田エクスプレスを改造したもの。名称は特急スノーモンキーです。特急の車内で、車内販売からお土産を買いました。信州4私鉄共同企画「マグネットセット」と「ながでん助役キューピー」のストラップを買いました。4私鉄とは長電のほか、上田電鉄(旧上田交通)、アルピコ交通(旧松本電鉄)、しなの鉄道の4社です。それぞれ代表的な車両がミニマグネットになっています。 終点の湯田中には最初の計画より1時間早く15時41分に到着しました。
2011年12月18日
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松代から再び屋代線に乗って、終点の須坂に向かいます。 岩野駅付近で、線路に障害物があったとかで、13時47分の電車は5分以上遅れて松代に到着しました。松代から2つ目の大室駅です。日帰り温泉の「まきばの湯」が近くにあります。もっとも車窓からは坂の上にあるように見えました。歩いたら大変そうです。信濃川田駅。窓越しなのに加え、発車の時の衝撃でブレてしまいました。古い立派な木造駅舎が目を引きます。木造駅舎はその先、綿打駅もそうでした。いずれも無人駅なのがもったいない立派な駅舎でした。 沿線は収穫が終わったリンゴの木が多数見られます。井上駅。須坂の1つ手前。24.4kmの屋代線の旅ももうすぐ終わりです。ゴトゴト、乗り心地の悪さにもだいぶ慣れてきましたが、お別れです。須坂到着。大きな駅らしく、構内には珍しい車両がいっぱい見られました。先ほど乗ってきた電車が、屋代に折り返すのを見送って、屋代線の旅を終えます。1922年から、90年間、ありがとう!
2011年12月17日
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松代で途中下車して、町を散策します。まずは先ほど、電車から進行方向左手に見えた松代城(海津城)に行ってみました=写真右。21年前に訪れた際は、何もなく荒れ果てた石垣の残骸だけだったのに、2004年に門が復元されるなど見事に整備されていました。1622年に上田から松代に移された真田家。松代城はもともとは武田信玄が対上杉用に造らせた海津城で、第4回川中島の戦いのときは、高坂弾正昌信が城代でした。上田と比べて、やはり本丸がかなり狭い。左遷された大名の悲哀を感じさせます。もっとも現在は内堀だけですが、千曲川から水を引いて、外堀、三日月堀、三の堀と二重、三重に堀を巡らした巨大な水城でした。徳川方に対する真田家の気概を感じさせます。石垣の上に登ってみましたが、千曲川は見えませんでした。町に戻って、今度は、藩校の文武学校、真田邸、真田宝物館を見学します。3館共通入場券があります。信州北回廊パスについてきたパンフレットを見せると、さらに100円引きになりました。真田邸=写真は、もともと藩主の母の屋敷だったものが、その後藩主自身が住むようになったもの。お堀は真田邸の近くまで来ていたそうです。庭が広かったです。真田宝物館では、初代の信之から幕末に至るまでの真田家の所蔵品が見られます。刀、武具、甲冑、文書、書画、衣装、美術品など。松代には佐久間象山の記念館や大本営跡の地下壕などもあり、時間を取っていましたが、予定を切り上げて、宿に向かうことにしました。
2011年12月16日
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いよいよ今回の旅の1番の目的である、長野電鉄屋代線に乗車します。2度目の乗車ですが、来年3月で廃止されるということで乗り納めになります。実は1990年3月22日、僕はこの屋代駅でJR&私鉄完全乗車を果たしています。その時は松代側から乗って、長電屋代駅で完乗を達成したのでした。屋代での乗り換え時間は15分。それにしても、木の通路がかなり老朽化していてローカル私鉄の悲哀を感じました=写真上。もともとは長野電鉄はこちらが本線。屋代-須坂-信州中野-木島で河東線と呼ばれていました。それが、須坂-長野の長野線と信州中野-湯田中の山の内線が開通してそちらに特急が走り、河東線の末端部は木島線、屋代線というローカル線に格下げになったのです。元営団日比谷線3000系を改造した、ステンレスカーの長電3500系が屋代駅のホームに止まっています。車内に乗り込みます。発車は12時ちょうど。路線図に屋代線が載っているのも3月まででしょう。木島線は2002年3月限りですでに廃止されています。 しなの鉄道が左に別れ、こちらは右にカーブしていきます。路盤が悪いのかちょっと乗り心地は悪いです。残りわずかですが最後まで安全運転でいってほしいと思います。沿線には、川中島の戦いで上杉謙信の本陣だった妻女山があります。12時14分、沿線の中心駅、松代着。 ただ鉄道に乗るだけでは連れの妻子が退屈するので、ここで下車して上田に続き松代も見学します。期せずして真田氏つながりになりました。
2011年12月15日
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お城の後は、「池波正太郎真田太平記館」を訪れます。10時開館でまだ時間があるので城の周りを1周してから向かいました。池波正太郎氏の「真田太平記」は読んだことはないけれど、武田家滅亡の1582年から、信之が松代に転封になる1622年までの40年間の物語だそうです。確かに真田家の戦国大名としてのスタートは武田の支配から外れてからだけれど、武田びいきの僕からすると、信玄・勝頼の家臣としての真田幸隆・昌幸父子の活躍も見てみたい気がします。太平記館では、原稿だけでなく池波氏の描いた絵の展示(かなり堪能)や、忍忍洞というからくり絵のシアターが面白かったです。駅に向かう途中で、真田幸村のマスコットに遭遇しました=写真右。いよいよ鉄道の旅。使うのは「信州北回廊切符」(2500円)。上田から先のしなの鉄道に、長野電鉄全線、JRは南は篠ノ井線・姨捨から北は飯山線・森宮野原、信越線・妙高高原、バス(長野-松代、長野-善光寺)まで乗れる優れものです。(写真上に写っているのは、屋代線松代駅の硬券入場券です)11時22分のしなの鉄道に乗車します。鮎めし弁当を車内で食べました。(後日詳細)
2011年12月14日
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上田城は、駅から西北に10分ほど、ちょっと急な上り坂を登った先にあります。以前にも来たことはありますが、94年に東虎口櫓門が復元されたりして、だいぶ観光地化されました。早朝の空気は冷たい。お堀にはカモなどがいました。石垣には「真田石」と呼ばれる巨石があります。真田家が1622年に松代に転封された際、この石だけは持っていけなかったとか。うちの小僧は石垣に登りたがっていました。あいにく櫓の一般公開は11月で終了。来春まで閉まっています。本丸にあるのが真田神社。境内には「真田井戸」。抜け穴が城の外につながっており、徳川軍に囲まれた時も、食料をここから運び入れてしのいだそうです。真田神社には、幸村の巨大兜もあります。 その後、上田市立博物館に立ち寄ります。真田昌幸や幸村の絵、昌幸の甲冑・具足、武田二十四将の絵、武田信豊の手紙、石田三成からの手紙などが展示されていました。もっとも幸村の兄・信之が早々と松代に移ってしまい、仙石氏、松平氏と城主が代わりました。真田氏のものはあまり多くないかもしれません。隣接の山本鼎記念館も見学。博物館のチケットで無料で見られます。山本鼎は島崎藤村らとも交流のあった当時の有名画家だそうです。
2011年12月13日
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上田には、鉄道マニアにとっても見逃せないポイントがあります。1972年(昭47)2月20日に廃止された上田交通真田傍陽線。その廃線跡が今でも残っています。真田傍陽線は上田と真田、傍陽(そえひ)の2つの町を結ぶY字形の15.8kmの路線。上田駅を出た電車は、お城の東脇、二の丸堀を埋め立てた路盤を通って北へ、菅平のほうに伸びていました。現在、城跡公園の「ケヤキ並木遊歩道」になっているところが廃線跡です。お城に渡る二の丸橋の脇から階段を下ると、橋の下はトンネルになっています。そして架線の跡もはっきり残っています。トンネルの手前、今まさに下りてきたところが、プラットフォームの跡だとはっきり分かります。ここは「公園前」駅。上田を出た電車の最初の停車駅でした。上田城観光に行かれる際は、興味のある方はぜひ訪れてみてください。
2011年12月12日
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12月の9日から、時期外れの夏休みを取って2泊3日で信州を旅行してきました。子供が幼稚園から帰宅するのを待ってすぐ出発。上野駅から16時30分発の長野新幹線「あさま533号」に乗りました。上野で買った駅弁を食べ(後日詳細)、17時47分に上田駅着。今回の旅の目的の1つは、来年3月限りで廃止される長野電鉄屋代線に乗ること。そこで、起点の屋代になるべく近いところを探したところ、上田の駅前温泉に泊まることになったのです。この辺りの温泉だと、上田から上田電鉄別所線で行く別所温泉がありますが、到着が遅くなりそうなので上田駅周辺で探しました。また、屋代により近い戸倉上山田温泉もありますが、費用の問題でこちらは断念しました。折しも戦国武将ブームが続いています。町は真田幸村を前面に出しているようで、甲冑などが駅に展示してありました。また、真田十勇士ののぼりも至る所に立っていました。目指す「上田温泉ホテル祥園」は上田駅から徒歩3分の至近にあります。しかし、かなりの急坂でした。さすがはお城のある町です。チェックイン後、早速大浴場・福徳の湯へ。ただし、風呂は1つしかなく、午後6~8時が男、8~10時が女湯の入れ替え制になっています。子供と2人で妻より先に入ります。結構広々としていていい湯加減。泉質は単純温泉・ナトリウムイオン泉・鉄泉。老舗の旅館らしく廊下には宿泊した有名人の写真がずらり。寅さん一家や若い頃の緒形拳、最近の人だと真田幸村に扮した城田優や神木隆之介くんや桜庭ななみさんの写真もありました。
2011年12月11日
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脚本家の市川森一さんが10日に亡くなった。旅行中だったので書きそびれたが、やはり印象に残るドラマを書いた人だったと思う。特撮ファンとしては「ウルトラセブン」から「ウルトラマンA」の脚本を書いたことや「仮面ライダー」のオープニングのナレーション(仮面ライダー本郷猛は改造人間である。彼を改造したショッカーは世界制服を企む悪の秘密結社である。仮面ライダーは人間の自由のためにショッカーと戦うのだ。)を考えたことも触れておきたい。それにも増してNHK大河ドラマ「黄金の日日」(78年)は印象に残る。僕が見た中では歴代大河の中でも一、二の出来だったと思う。市井の商人を主人公にしたことが真新しい。主人公の助左(松本幸四郎=当時は市川染五郎)の人間的魅力に加え、最初は理解者ながら回を追うごとに悪役になっていく関白秀吉(緒形拳)の好演。脇を固める石川五右衛門(根津甚八)と杉谷善住坊(川谷拓三)のフレッシュな2人に、栗原小巻、夏目雅子、竹下景子ら女優陣も魅力的だ。千利休(鶴田浩二)、石田三成(近藤正臣)、高山右近(鹿賀丈史)らもこれまでにない人物像を描き出した。歴史的な事件に次々巻き込まれる助左。大抵はバックにいる秀吉のためにひどい目に遭わされるのだが、何度も立ち直り、フィリピン・ルソンとの交易を経て大商人になる。堺炎上のクライマックスに至るまで1話たりとも目を離せない展開だ。市川さんは「山河燃ゆ」(84年)の脚本も手がけている。昭和を取り上げた初の大河。評判は芳しくなかったが、東京裁判の場面は印象に残っている。市川さんのご冥福をお祈りします。
2011年12月10日
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プロ野球・横浜ベイスターズの親会社が1日、TBSからDeNA(ディー・エヌ・エー)に交代し、横浜DeNAベイスターズとなった。楽天が頑強に反対したのも分かる。モバゲーでのトラブルから殺人事件まで起きている。ただTBSがどうしようもない状態だし、チーム削減を避けるためにやむを得ない選択だったのではないか。新オーナーとなったDeNAの春田真会長(42)は関西出身で、小学生のころは熱心な近鉄ファンだったと報道されている。僕より1学年下なので、春田氏は79、80年の西本監督のV2のころ小学5、6年生だったことになる。あの頃の関西の小学生なら、近鉄に興味を持っても当然だと思う。(ただ、横浜を買うのに阪神ファンと言えないためにそう言った可能性もある)その後、近鉄の低迷とともに野球に興味を失ったらしいが、わざわざ球界に参入するということは、必ずしも情熱を失ってはいないようだ。横浜をかつての近鉄のようなミラクルな野球をするチームにしたいのなら、陰ながら応援したい。さて、DeNAという会社、不勉強で、今回の身売り騒動が起きるまで知らなかった。僕は携帯ゲームはやらないが、モバゲーの売上額を見ると、若い人たちには相当普及しているのだろう。長い年月球団を保持して、球界に新風を入れてほしい。
2011年12月02日
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