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その内容は民主党の衆議院議員、川内博史氏がご自身のサイトとblogでお書きになっている。そちらを参照してほしいが、こちらが疑念を抱いていた部分について、少しばかり腑に落ちた感がある。簡単に言えば、”やっぱりね…”といった感じだ。氏の言葉が真実なら、電気用品安全法は規制緩和の流れの中で単純に旧法(電気用品取締法…電取法と略されることが多い)を(流れに合うよう)改訂したものであると思われる。とするならば、やはり当初は中古販売等の二次流通に関しては想定外であったと考えられるのではないかと思う。つまり、本来はそこ(中古)まで踏み込んで規制するものではなかったのである。ここから先は想像になるが、中古販売についてはどうすべきかという議論が省内で起こった時、深く考えることもなく、”第一条 この法律は、電気用品の製造、販売等を規制する…”という文言を思い、中古業者にその旨伝えたのではないだろうか。言ってしまえば、他への影響を考えない失言であろう。その時点では、経済産業省側も大きな問題になるとは思っていなかったに違いない。ところが、本来法律が想定していなかった対象物を規制対象に加えたが為に、他の法律との矛盾を抱え込むことになってしまった。工場生産~製品販売の流れの中で、つまり、新製品の部分にだけ適用される規制ならば、その電気用品について製造者の責任は明確であり、そこでは他法との矛盾は発生しない。そうした矛盾を解消する唯一の方法は、経済産業省が”中古品流通に関してこれまで通り”という見解を出すこと以外にない。本来中古品というものにはリスクがあって当たり前なのである。電気用品の中古品のリスクとは何かと言えば、部品の劣化による商品価値の下落と、もちろん同様の理由による安全性の低下である。つまり、中古品を扱う以上、販売する側も購入する側も双方共にそのリスクを背負わねばならないということだ。さて、中古品といっても様々なレベルがある。ジャンクマニアにとってはゴミでさえ宝であるが、その一方で一度梱包を解いただけの元新品という物もある。そこには保証の問題があり、前者(ゴミ)が無保証であるのは当たり前であり、後者は販売店が保証をつけることが少なくない。その保証とは動作保証のことである。前者は動作しないことが前提であり、後者は動作することが前提であるからだ。今、動作という点からリスクについて考えたが、事故時の保証については別の問題がある。製造段階で事故の危険性を極力排除する努力を行うのは、メーカーとして当たり前のことだ。何故当たり前かといえば、事故が多発するような物を売れば、間違いなくメーカーは潰れてしまう。売れないばかりか莫大な賠償費用を支払うはめになるからである。事故の起きない製品を作ることがメーカーにとってはリスク回避に繋がるのである。では、新製品がたどる本来の流れを終えた製品…判りにくい言い方で申し訳ないが要するに中古品の場合は、メーカーが動作保証をしなければならないのだろうか。或いは中古品使用によって起こった事故について、メーカーは賠償責任を負うのだろうか?これは非常に難しい。というのも事故原因によって様々なケースが発生するからだ。元々に構造的な欠陥があり、それをメーカーが隠して販売し後に密かに回収したというようなケースでは、危険性を周知しなかったということで賠償責任が発生する場合はありうる。しかし、今回の某社のボイラーのように多大な費用をかけて社会全体に危険性を周知したにもかかわらず、仮に中古販売業者から購入し設置した結果事故が起こった場合、被害者がメーカーの責任を問うことは難しいかもしれない。といってもメーカーとしては例え無責であってもそうした事故を顧みないということであれば、後々のメーカーイメージを悪くすることになるので、それを避ける為には賠償等に応じざるを得ないかもしれない。思うに、メーカーは中古品販売された自社製品の動作保証はしたくない筈であるし、それを購入者がメーカーに求めるということも筋違いである。消費者保護という言葉は美しいが、中古品については消費者の自己責任の割合は随分大きいと思う。
2006年02月28日
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ジャンク品売買のことを書いてて思いついたのだが…。規制対象電気用品に対して、販売業者が代金を受け取ることはできないが、無償譲渡は認められている。ならば、それを欲しがっている人に対して、無償譲渡する手はあると思う。無償譲渡であるから、そこに代金は発生しない。無償譲渡時に廃棄代行契約を取り結ぶようにし、廃棄手数料のやりとりをする。つまり、譲渡を受けた人間が将来電気用品を廃棄する場合に、廃棄代行手数料を前払いする方法である。そこから先は、廃棄代行契約の中身次第である。その契約効力期間は商品によって様々であろうし、期間を定めない物品もあろう。この方法って、ダメ??
2006年02月27日
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二層化と言われる社会の下側の層にいる人間としては、やはり中古販売にはこだわりたい。しかし、今回はタイトルの通りジャンク品についての疑問だ。新品であれ中古であれPSEマーク無しの対象電気用品は、業者が扱うことまかりならぬ、いうのが今回のお達しなわけだが、ゴミの販売もいかんのだろうか。もしダメというのなら、何故ダメなのだろう。ジャンクと言えば、最近はちょっとニュアンスが変わってきていて、何だかきちんと動作する物も多かったりして、その為に勘違いしている人もいたりして、動作保証無しだというのに販売店に文句を言う人もいたりするらしい。いや、販売店でもジャンクとして売っているのに、”動かなかったら交換しますよ”なんて言うところもある。これはジャンク品として、どこか間違っているような気がするのだ。”ジャンクは動かない・動く保証は一切無い”というのが王道である。実際に動かない物の方が多くて当たり前なのに、上記したような状況が現在のジャンク界(笑)である。で、世の中には真のジャンク品というのがある。以前、オフコン関連のパーツを探しにリース落ち製品を扱う廃品業者を訪ねたことがあり、野ざらしの廃品をかき分けつつ某パーツを探したことがある。結局、捜し物は見つからず購入もままならなかったのだが、そこのオヤジと話したところによると、物によってタダで持って行っていい物と金と取る物があるということは判った。そのような野ざらしの壊れた機械の山はゴミ…産業廃棄物である。しかしながら、修理マニアな人やディープなジャンクマニアにとっては宝の山である。もし規制対象品のゴミが欲しくなった場合、そうしたマニアな人達は何処に探しにいけばいいのだろう。実家には一昨年まで東芝製の古いTVがあった。オヤジが死んだ後、一人住まいのオフクロが使うことも無くなり、廃品回収に出してしまったらしいが、自分にとっては若干の思い出もあるTVだった。まだ回路図が添付されてきていた時代のTVである。TVの後ろにぶら下げられた、埃で薄汚くなった透明のビニール袋に入った一枚もののテレビ回路図を見ても良くは判らなかったが、パンクした電解コンデンサを自分の手で張り替えた時には、判らないなりにアレコレ考えたこともある。それが完全にこわれたら改造して熱帯魚の水槽にしようか、などとも考えていたこともある。オヤジと自分が電気屋で選んだテレビである。その外側だけでも残しておきたいと、その時は無意識のうちに考えたのかもしれない。ところでジャンクマニアの技にニコイチというのがある。2個の製品から使える部分を集めて1個の製品として復活させる方法である。場合によっては3個から1個を組み上げるサンコイチをやらねばならない場合もある。各々は完全に壊れている。電気用品として用をなさないものだ。ところで、今、自分には欲しいものがある。何かと言えば、NECの古~いモニターで、当時の9801や8801シリーズが接続できるTVチューナー内蔵ディスプレイである。つまり、PC-TV***シリーズだ。今となっては骨董品だし、運良く入手可能であったとしてもカミさんに何と言われるか分かり切っているので、見つかっても購入するには勇気がいるのだが、それでもハードオフ等を覗く時、それが無いかと視線がうろつくのである。もちろんTVチューナー内蔵であるから、今回の規制対象となる。今回の問題にPC関連は完全に無縁という訳でもないのである。もし技術力があって、複数台の壊れた同型番のPC-TVシリーズが手に入ったとしたら、たぶん修理して使うだろう。”無くてもいいものだがあったら嬉しい”物だ。間違いなく、やる。で、ここに問題が出てくる。動作する可能性が一切無い”元”電気用品は、電気用品安全法の規制対象となるのか?通常考えれば粗大ゴミである。しかし、マニアはゴミでも欲しい。ゴミを売り買いする場所があってもイイじゃないか、と考えてしまうが、いろいろ情報を集めていると、どうやら、こうしたゴミについても経済産業省は流通を規制するような感じがある。本当のところはどうだか判らない。というのは、PSEマーク無しのAC-DCコンバータの売買は違法となるが、それを必要とするゲーム機本体の売買は合法なようで、それは本体内にトランス等の電源制御部が無いからだそうだ。んじゃ、PSEマークは無いが、中が焼けて壊れてしまったAC-DCコンバータ(つまり完全なゴミ)の売買はどうなのだろう。考えれば考えるほど、判らなくなってくる。ゴミを買いたいと思っているマニアは、これから何処へ行けばいいのだろう。え?そんな趣味は止めろって?無理です…OTZ.
2006年02月27日
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どうも理屈が判らない。本来の電気用品安全法の目的から逸脱した運用がなされた(なされようとしている)のではないかという気がする。何度でも書くが、この法律の目的は電気用品による危険及び障害の発生を防止することである。その手段は、電気用品の製造、販売等を規制するとともに、電気用品の安全性の確保につき民間事業者の自主的な活動を促進することによりである。ところが無償譲渡は是とする。経済産業省が是とする以上は、そこに”電気用品による危険及び障害の発生”は無いと考えていいはずである。誰であろうとこれが屁理屈以外の何ものでもないということは判る。小学生だって判る矛盾だ。法律の条文というのは判りにくい。何故判りにくいかといえば、解釈に幅を持たせる為である。規制する側にとっては、解釈の幅は広ければ広いほど良い。例えば、”電気用品の製造、販売等を”という部分を”基準に達しない電気用品の製造、及びその販売等を”と書き換えれば、非常に判りやすくなる。”基準に達しない”という言葉と”及びその”という言葉をいれただけで、この法律の本来の趣旨がハッキリ限定され、わかりやすくなる。法律の名前と条文の中身を読めば、普通の人は脳内で上記のような言葉を補うことになるが、お役人は異なっている。ここには基準云々という言葉が無いので、基準や規格や規定とは無関係に”電気用品の製造、販売等を規制”できると考えることが出来るわけである。これを拡大解釈すれば、出来用品であれば製造・販売について経済産業省が好き勝手に牛耳ることができる、と読めなくもない。本当のところはそうしたいのではないかとさえ勘ぐりたくなってくる。ところで、中古品…旧法による規定をクリアしたが現在のPSEをクリアしていない製品…の販売等を禁じる省令は、いつ決定したのであろうか。もし、それが5年前に決まっていたのなら、全国質屋組合連合会のような業界団体には当時説明を行ったのだろうか。もし5年前に決まっていたのなら、どのような会議の中でそれが決定されたのだろうか。そして、その時の会議録のようなもの…つまり証拠…はきちんと残してあるのだろうか。まさか、文書も無いような状況では無かろうと思うが、中古品を対象とするという決定が何処でどのように成されたのか、経済産業省はきちんと公表すべきであると思う。まさか、某リサイクル企業から尋ねられた時に、省内で慌てて話し合って決めたということは無いだろうな。その結果、文書さえ残していない、というようなことも無いだろうな…。
2006年02月24日
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何とも言いようのない疑念がある。これは自分一人の疑念ではなく、多くの人が抱いている疑念なのではないかと思う。何かというと、天下りについての疑念である。省庁関連の外郭団体や民間企業となると、そこへの天下りは過去に幾例もあり、現在もその有様に大きな変化はない。実際の話、国家レベルでは無いにしろ、自分の勤め先でも天下りを抱えている。天下りも様々で、良い人もいれば良くない人もいる。友人達のところ(行政による許認可団体&民間警備会社)も自分のところ以上に天下りを抱えている。憂さ晴らしの飲み会ともなれば、天下りに関する愚痴の言い合いが必ず起こる。しかし、議員が天下りの問題を議会で指摘しても、行政は口を開かない。(県議会等の議事録を見れば、いかに担当者が言い抜けるか、そのテクニックを見ることができる)外郭団体ならともかく、特に天下りが民間企業に天下った場合には、その先の調べは困難として知らぬ存ぜぬを通してしまう。議員も民間企業の経営の自由を言われれば、それ以上の追求はできなくなる。郵政民営化の問題をblogに書いた時も、郵政公社が民営化することで、実質的な天下り問題への追及は難しくなるのではないかと思ったし、そのようにも書いたつもりだ。さて、先ほどの疑念とは、この電気用品安全法における検査期間が天下りの受け皿となっていないか、ということである。あるいは、そこへ何らかの名目で金銭補助がなされていないかということである。もちろん天下りの給与として補助金を出すことはできないので、名目は全く別のものであり、それは福岡県の発明協会の例を思い出してもらえばいい。現実的に可能であるかどうかは判らないが、国会議員にはその実態を確認する義務があると思う。そうした企業や団体にいかほどの助成金が支払われているのか、その助成金は名目こそ違えど天下りの懐にまるまる入る仕組みになっていないか。その仕組みがあれば、それは助成金という名目の闇給与である。また、電気用品安全法(通称 PSE法)が施行されて、電気用品の事故が減ったどころか増えたという記事がある。つまり電気用品安全法において改訂は改悪であったのではないかということだ。第一条に記された法の目的を、果たし得ていないとうことである。その検査を行った(これから行う)団体は国内では以下の通りである。(財) 電気安全環境研究所(JET)(財) 日本品質保証機構(JQA)(社) 電線総合技術センター(JECTEC) テュフ ラインランド ジャパン(株)(株) コスモス・コーポレイション(株) ユーエル エーペックスさえさて、これらの団体や企業には行政からの天下りが全くいないのだろうか。そこの理事さんやらお偉いさんの前職が経済産業省関連であったというようなことは無いのだろうか。そうではないと個人的には思いたいが…。先の日記で書いたように、この法律でいったい誰が得することになったのであろうか、よ~く考えてみたいものだ。
2006年02月23日
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法律の目的を知るには、法律の条文そのものを読まねばならない。電気用品安全法の目的は、もちろんのこと、条文に明確に書かれてある。第一条 この法律は、電気用品の製造、販売等を規制するとともに、電気用品の安全性の確保につき民間事業者の自主的な活動を促進することにより、電気用品による危険及び障害の発生を防止することを目的とする。確かに新品とも中古とも書かれていない。”電気用品の製造~(中略)~促進することにより”までが手段であり、”電気用品による危険及び障害の発生を防止すること”を目的としているわけだ。さて、個人的に考えるに、問題は実はこの法律が元は(昭和三十六年十一月十六日法律第二百三十四号)のものであり、今回は改訂であって新たに作られたものではない、ということだ。旧法の下ではもちろん中古販売に関する規定は無かった。もちろん中古販売をしても良い、とは書いていない。しかしながら、明記しておらず、現実として旧法の時には中古品流通を禁止する旨を古物売買の業界もしくは国民に対して周知していなかった、同時にそれを法令違反として取り締まることものなかった、ということは、電気用品の古物流通は旧法の対象外であったと、法律を作成した省庁も成立させた議員も暗黙の認識をしていたのではないかと考えられる。それ故に、リサイクルショップであれ何であれ、旧法の下にあっては中古品の流通に妨げが無かったわけである。今回の問題というか不明な点は、旧法によって対象外であったと想定される電気用品の古物が、旧法と同様に改訂後も明記していないにかかわらず、その売買流通も違法であるとした経済産業省の法解釈の根拠にある。自分は法律問題や法文解釈に詳しいわけではないが、旧法と現在法で共に明文化されていない部分において何故に解釈が異なるのか、これは大いに疑問である。それ故、先だってこの日記で書いたように、>”中古は扱わないとは明文化されていない”>というような言い訳を通そうとすれば、>恣意的な法解釈というふうにとらえられても仕方ない。と書いたわけである。これは法律の専門家に尋ねてみたい疑問である。「今までは明文化しておらず罰則適用もありませんでしたが、今回改訂しましのたので、以前と同じく明文化してはおりませんが、罰則適用します」という文言が果たして論理的かどうか、あるいは法解釈として成り立つのかどうか、教えてもらいたいものだ。自分としては、どう考えても身勝手な言い分だと思うのだが。
2006年02月23日
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中古品を対象としたことで、いろいろな分野に影響しそうで、場合によっては日本の経済そのものに大きな影響を与えるかもしれんぞ。知らない人はとりあえずここをみておいた方がいい。今夜は無理だが、この週末にはゆっくりと、この問題を考えてみる予定だ。もちろん、経済産業省のサイトをじっくり眺めて、ね。
2006年02月23日
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電気用品安全法(PSE法)に対する署名に署名してきたぞ。PCのジャンクを探すのが好きな人間としては、今回は危機を免れているが、家電ジャンクが好きな人も少なくないだろうし、確かに過去の名品が中古市場で扱われなくなるというのもイヤなので、署名してきた。そもそも本来、電気用品安全法、というのはPL法と同じ流れの中にあるべき法律で、制定された時には中古品への適用は考えられていなかったはず。であるからこそ、中古市場に係わる企業他への周知を行っていないのではないか。それを後になって法制定前の製品にも適用し、その流通を妨げるというのはいかにも後付の感がぬぐえない。また、”中古は扱わないとは明文化されていない”というような言い訳を通そうとすれば、恣意的な法解釈というふうにとらえられても仕方ない。更に言えば、無償譲渡や個人間の売買のみ許すというのは、これもまた本来の法制定の建前からいえばおかしなことになる。流通すなわち民間の商行為に口出しをした時点で、経済産業省が過ちをおかしたと言わざるを得ない。PSE法は、むしろ商行為に至るより前の段階の製造責任について厳格化する為を目的とするのではないか。このままの運用では、国民の安全を守るという本来の目的を逸脱して、国民の財産権を奪った挙げ句に、安全を守る用をなさない利のない法律となってしまう。どのような法律であろうと施行後には、それを守らなければならない。但し、後付の拡大解釈は絶対に許してはいけない。それは法に対する不貞であるり、法治への裏切り行為である。
2006年02月23日
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ン万円ばかり自由になるお金が入ったので、やっとまともな画面が手に入りそうだが、なかなか決まらない。以前から書いているように、UXGA1本 VS. SXGA2本の争いが、我が脳味噌の中で延々と繰り返されている。UXGA1本の場合だと、予算の関係からDELLの2001FPになりそうだし、SXGA2本だと予算的には少しオーバーすることになる。昨日ヨドバシで見てきたが、ナナオの某機種を見てしまったおかげで、200FPへの興味が少し薄れてしまったというのもある。その某機種は価格で言えば倍以上するんだけどね。近いうちにDELLショップかビッグカメラで2001FPの現物を見てきたいと思っている。それで最終的な判断をする予定だ。今は三菱の古い液晶を繋いで、なんとかしのいでいる。輝度を落としてギラギラ感を減らしてはいるが、さすがに今の液晶と比べるのは可哀想な品物だ。それでもACERの安物CRTより無茶苦茶マシなんだが(笑)CRTが市場から消えようとしている現在、選択肢は液晶から選ぶしかなく、だからといって高額な物を買うのはためらわれる。液晶モニターはまだ若い製品であり、PCの性能と同様、より良い新製品が出てくるサイクルは早い。今回購入する予定の液晶モニターの価格帯二昔前の17インチCRTと同等に抑えることにした。3年間使用して買い換えるとすれば10万以上の製品を購入するのは、年辺り3万以上の出費となり、自分の経済観念に合わない。そこで脳内の悪魔が”デジタル接続の安物SXGA2本でいいじゃないか”と騒ぎ出す。”2本同時に壊れることは無いだろう”って(笑)なるほど確かに2本のうち1本が壊れても、17インチクラスのSXGAなら、この先も入手が困難とはなるまい。むしろ、この先、更に低価格で性能の良い物が出てくる可能性だって無いわけじゃない。そうするともう一匹の悪魔が”UXGAピボットは使いやすいぞ”と誘惑をしかけてくる。更にその上、もっと大物の悪魔が”いっそUXGA2本入れちゃえよ”と囁きかけるわけだ。流石に20インチ2本を机の上に並べるわけにもいかないから、ぐっと耐えているが…。(金銭的にもシビアだし…笑)こうやって迷っているところへ最初の悪魔が”とりあえずSXGA1本いれてピボットすれば無問題、金銭的にも楽だろ”と誘惑をしかけてくる。で、我が目はナナオのM170辺りを彷徨うが、2本いれたら10万越えるやないか、と冷や汗を出して叫ぶのである。まぁ、ソニーのブラック液晶のヤツも綺麗だったが、ピボットを考えると選択肢に入らない。UXGAであれSXGAであれ自分が欲しいものは、スピーカーもUSBもTVチュナーも全く付いていないフレームの細い製品だ。液晶モニター付属スピーカーなどというものは百害あって一利無しであると思っているし、USBの口はPC本体にあれば十分だ。昔ながらのテレビが机の側にあるから、チューナーなんぞも要らないし、第一アナログチューナーは今後必要とされなくなるモノである。PC点けっぱなしの自分が言うのもおかしいが、電気の無駄遣い・資源の無駄遣いである。言ってて自分の胸が痛いけれど(笑)というわけで、貧乏人としては安いSXGAを2本入れようか、などとも迷ってしまうのである。止めとけ、という声が合唱となって両耳に届くのは、気のせいということにする。愚痴の種を増やすだけかもしれんが。しかし、スピーカー無しよりスピーカー付の製品の方が多いのは何故?
2006年02月23日
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今日は少し曇り加減である。ストレス溜まりまくりなもんで、現実逃避の為にジャンク屋さん巡りを行いたい気分が我慢の限界ギリギリのところにきている。他人に言わせれば「それぐらいで解消するストレスならたいしたことはない」ということなのだが、当人にとっては結構大問題だったりする。まぁ、大抵の悩みというのは、解消してしまえば後で笑えるものであったりするが、そのさなかにある当人にとっては、生きるか死ぬか程の問題ではないにしろ、やはり小さな箱に押し込められたような息苦しさを感じ続けるものなのである。というわけで、ジャンク屋さん巡りがしたい(笑)。どっぷりとまではいかなくても、そこそこジャンク道にはまってしまっている人間としては、月に1度くらいは怪しいブツを物色しに出かけたいのだが、公私の事情がそれを許してくれない。そうした訳で、このblogであれこれ愚痴ることになるのだが、愚痴でもこぼさんと精神の均衡を保つのは難しい。…誰であれ他を気にすることなく己の心情を吐露する場所が必要なのだ。しかし、例の電気用品安全法が目の前に迫っている。当面PC関連については対象外のようだが、家電製品のジャンクマニアな人達にとっては死活問題だろうな。もちろん、我々プアな一般市民にとっても大きな打撃である。市場には”古くはあるが十分に使える物”というのが数多くある。それを締め出し、新品のみを買わせようとするのが、電気用品安全法の根幹であると思っていいのではないかと思う。エコロジーという言葉が叫ばれ始めて何年たったか覚えてはいないが、物を大切にするという思想をここで改めて”捨てなさい”と行政が迫ってきている。結果として大量の資源ゴミが発生することは十分に考えられる。ところで、一つ疑問があるのだが、この電気用品安全法、今いちハッキリしない部分がある。完全に動作不能なゴミの販売は規制対象になるのだろうか。例えば規制対象には電気楽器が含まれるのだが、もし通電しても音が鳴らないような、言ってしまえば本来の用をなさない品物であったとしたら、これは果たして電気楽器であると言えるのかどうか。電気楽器は規制対象だが、元電気楽器を規制対象として取り締まることができるのだろうか。確かに規制対象としてヒューズ等も含まれるから、”その基盤のヒューズは販売できません”と言い出す可能性もある。お役所というのは、そういうところだ。やっぱり、どこか変だぞ、この電気用品安全法というヤツは…。で、変な法律が施行される時は、それによって誰が一番儲かるのかを考えてみるといい。あれこれネットをさまよってみると、きな臭いモノが漂ってくる。この法律は、本当に国民の安全を守る為のものであろうか。かなり疑問であることは間違いない。
2006年02月22日
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雲一つない青空だ。微かに山裾を隠すのは春霞か。昼飯を食って外で一服すれば、さわやかな微風に心もなごむ。こんな日は早引けしてジャンク屋さん巡りでもしたいもんだが、そうもいかないのがサラリーマン。女子カーリングのスイス戦、残念ではあったが、仮に勝利していても、準決勝進出は結果として無理だった。しかし、次期には更に強くなっていることと思う。感謝と共に声援を送りたい。さて、トリノ冬季五輪も今日を含めて残すところ5日となった。開催前から話題になっている女子フィギュアが、いよいよ始まるわけだ。昨日書いたように、個人的にはもう”お腹一杯”な感じがあるので、夜更かししてまで見ようという気はないが、とりあえず応援はする。個人的には選考会の結果に不満があるので、積極的に見たいという気持ちが少しばかり薄い。多くの人が浅田真央選手の出場を夢見たと思うが、これはもちろん規定があって無理だった。他国でも似たようなケースがあるので、今回は仕方のないことだろう。逆に言えば4年後が楽しみではある。しかしながら、好成績を残している中野友加里選手が選ばれなかったのかなど、門外漢の自分にとってはいろいろと疑問が残る。もちろん、今回の選考についてはアレコレよろしくない噂があるのは知っている。そうした噂を吹き飛ばす為にも、今回の選出各選手は、能力の全てを出し切ってもらいたいものだと思う。
2006年02月21日
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先ほどaltavistaで遊んでみようと書き、猫について翻訳変換してみたのだが、昔感じた疑問を一つ思い出した。音韻変化について調べることは結構楽しい。それは比較言語学にとって武器の一つである。が、自分が知りたいのは、フランス語ではk,gの音がshの音に変化するというような事実ではなく、何故変化したのかという理由の方である。判りやすく(?)説明すれば、東北弁のあの音は”寒いから口を開けにくい”という理由で今の音になったのだと言われれば、それが学問的に正しいか正しくないかはともかく、何となく納得できるのである。ああ、それも一つの仮説だよなぁ、と。例えば帽子…英語でa capだが、ドイツ語ではeine Kappe、イタリア語ではuna protezione、スペイン語ではun casquillo、ポルトガル語ではum tamp?o、オランダ語ではeen GLB、そしてフランス語ではun chapeau。英語のcap という言葉はラテン語caputに起源を持つが、上記した7言語の内、ラテン語caput起源だと思われるのは、英独仏の3言語だ。無茶苦茶大雑把に言ってしまえば、語彙において英語はドイツ語とフランス語のハーフみたいな言語である。a cap と eine Kappe は同一言語内の近しい方言同士のようだが、フランス語のun chapeauについては、ひどく遠い方言のようだ。で、ここでもkの音はshの音になっている。元のcaputの最初がkの音であるから、フランス語ではkがshに変わったと考えた方が自然である。そういう音韻の変化法則があるのだろうが、その法則はどうして生まれたの?という疑問が自分の中にずっと残っていた。今も残ったままである。言語学関連の難しい本でも読んでみれば、少しは理由がわかるのだろうか。いや、この疑問が解決することは無いように思える。真面目な学者さんも、こんなことを考えるのだろうか?他にも疑問はある。何でフランス語とスペイン語ではHの音を発音しないのか?ハリーポッターを読んだ時、フランスの魔女の女の子の言葉が、H抜き風に書いてあったのは面白かった。(炎のゴブレットじゃなかったかと思う。記憶に自信は無いが、それが妙に愛らしく感じられたのは、自分の中では事実)基本的に発音しないという事実は知っている。何故そうなったのかが判らない。その理由が知りたいのだが、それに答えてくれる本があるのだろうか、それに答えてくれる人がいるのだろうか。どなたか心当たりのある方は、教えて頂きたい。長年の疑問なのである。
2006年02月20日
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インターネットと、そこに無償でサービスを提供する企業・個人・団体のおかげで、実に便利になった。自分のように語学に興味を持つ者なら、そのことに賛同しない人はいないだろう。”そうそう”と頷きつつエロサイトを覗く人もいるだろうが、たまには言葉を巡る旅に出てみるのも面白いのではないかと思う。例えば、AltaVistaのオンライン辞書でちょっと遊んでみる。我々の大半にとって親しい外国語と言えば英語である。これで英語の”猫”を調べてみよう。翻訳はJapanese to Englishを選びボタンをポチッ。きちんとcatという単語が出てくる。では、catと打ち込んで、他の言語で変換してみよう。まずはドイツ語…kat。当たり前だが逐語訳が表示される。但し、英語を覗いて印欧語圏の言語には性別がある。そこで、cat を a cat と打ち直して、再度翻訳。ドイツ語…eine Katzeいいぞ、次はフランス語…un chatじゃ、次はイタリア語…un gatto更にオランダ語…een katそしてスペイン語…un gatoギリシャ語ではμια γ?ταポルトガル語ではum gatoロシア語ではкотこうやって見ていくと、英語を含めて9つの言語が、やっぱり凄く近い関係として繋がっているのだなぁ、と実感する。もちろん言語学を勉強している人には自明のことではあるが。しかしながら、言語学など学生時代にちょこっとかじっただけという自分のような人間や、言語学なんて全く知りませんという人にとっては、これはこれで新鮮な発見であったりする。頭で判っていることと、実際に目にすることの間には、大きな溝があるのである。外国語、特に西欧語に興味がある人なら、たまにはこんな遊びも面白いのでは?
2006年02月20日
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カーリングが熱い!小野寺歩林弓枝本橋麻里目黒萌絵寺田桜子この5人の選手が実にカッコイイのである。仕事他の理由でどうしても真夜中に見ることになるのだが、それでも注目せずにはいられない。現在三勝四敗で予選通過の望みをつないでいる。自分が見始めたのはノルウェー戦からだ。カーリング・ファンの人には悪いが、こちらは競技ルールさえマトモに知らずに、何となく見始めただけだった。が、ノルウェー戦の戦いを見て”こいつはスゲェ”ってなもんである。すっかり日本女子カーリングチームのファンになってしまった。完璧にハマったと言っていい。カーリングはもちろんスポーツだが、戦略性のある頭脳戦が展開される。一見地味に見えるが、ひどく熱い精神戦が繰り広げられる。ビリヤードのような数学性、囲碁のような戦略性をも合わせもっている(言い過ぎじゃないよね?)チーム青森の試合を続けて見てきたが、何というか(マンガみたいな言いぐさだとは思うが)日本女子チームが1戦毎に強くなっていくような、そんな印象を受けている。そして、精神を集中させ競技をする時の5人の乙女達の、きりっと引き締まった顔は実に美しい。ストーンを投じる際の神経の張りつめた指先が、見ているこちらに正座を要求するような美を現している。昨夜は強豪イギリスに対して動揺することなく、勝利をものにすることができた。積極的に攻めていく姿勢が功を奏したのだろうと思う。世界の強豪選手達に比べれば年齢的にも経験的にも若いチームである。このオリンピックで多くのものを吸収し、一層強くなるのではないかと予想している。ヘタに守りの試合などやらず、どしどし積極的に攻める試合をやってもらいたい。スケートでは岡崎朋美選手に”挑戦することへの勇気”をもらった。今、カーリングでは日本チームの5人に”未来への夢”をもらった気がする。今期オリンピック、自分としてはもうお腹一杯な感じだ(笑)国内選考の時点では女子フィギュアに注目していたが、正直、まぁ、どうでもいいや……って言ったら関係者とファンから怒られるか(笑)
2006年02月20日
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さぁ、愚痴をこぼすぞ(笑)寝違えたのか首の付け根がいたい。とりあえず月イチの作業を一つ片づけて、コーヒーなんぞをいれてたら、お呼びがかかった。まぁ、誰とはいわんが自分より上の人間だ。(中略)10時前に上の4行を書いた直後、用件が入り昼飯を終えた今、朝のイライラがどうでもよくなってしまった(笑)腹がくちくなって何となく落ち着いてしまった。自分の愚痴の程度なんて、そんなもんかもしれん。思い出すだけで腹立たしい事もあるにはあるが、ま、いいや。ところで、先日入手した英単語連想記憶術第1集~第3集のことだが、ざっと眺めている。我が子の目に入る前に内容をチェックしておかんと、万が一危ない内容があると困ったことになるからだ。この手のものには時折著者の政治・心情・宗教等が反映されるケースがある。安心できるレベルにまで子供に批判精神が育てば、それ以降は干渉するつもりなどないが、いい年こいたオトナでさえ論理性のない話にころりと騙されてしまう場合が多いのであるから、特に本やTVなど子供の目に入るものには気をつけておきたいのである。などと思いつつ、最初の方からめくってみると…。ヤバイ(汗)いや、内容がヤバイのではなく、自分自身がやばかったりする。知っているはずなのにすっかり忘れてしまっていた単語があった…。恥じ入りつつ自己弁護すれば、このン十年間、ほとんど目にとまらなかったに違いない単語である。ペーパーバックを購入する際にホラー・SF・ファンタシーの類を優先する自分であるからジャンルが偏っているのは確かだが、ちょこっとショックな面もある。少し違うジャンルの本を読んでみるかなぁとも思ったが、その理由が忘れていた単語を思い出す為というのも何だか本末転倒な気がする。話は変わるが、仕事の都合もあって自分のスペイン語学習は予定より大幅に遅れてしまっている。学習を始めた直後にいろいろあったもので、まぁ、その辺りの愚痴は昨年の同時期に書いたのだが、おかげで生活パターンも若干変わってしまい、当初の学習予定を変更せざるをえなかった。本来なら初級文法書の例文を覚えてしまっておかねばならないのだが、それもまだ志半ばの状態だ。昨年後半からは子供の受験勉強も手伝いもあり…まぁ、それも残すところ3週間程で解放されるが…思うように進めることができなかった。で、今、少しばかり無謀な計画が頭の中にある。何かといえば、基礎的な単語をネタに駄文を書いてみようか、ということだ。これを”駄文で覚えるスペイン語単語”(以下、駄ス単と略記)と、とりあえず名付ける。この「駄ス単」計画は自分自身の為でもあるが、スペイン語をゼロから覚える人の為にも何か役立ちそうな気がする…自信はないが。何でそんなことを考えたかというと、暇な時にはCollinsのEasy Learning Spanish dictionaryを読んでいるのだが、単語の字面やら意味やらを見ているとアレコレ考えることがある。そうしたものを記録しておくと何かに役に立つのではないか、と思ったのがそもそもの発端である。ついでに語呂合わせやらダジャレを付け加えておけば、記憶するのにも役立つかなと思う。例文も載せておきたいが、辞書や文法書からの引き写しは著作権上の問題もあるので、ちょっと工夫する必要はあろう。これを書いていくことで、自分自身の文法の復習にも役立つし、何より無駄な知識が増える可能性も無いとはいえない。必要とする労力は大変なものだが、やってみると意外に楽しいかもしれん。文章量の問題はあるが、まぁ無理のない程度に抑えるつもりだ…これも自信は無いけれど(笑)それのテンプレートを少しばかり考えてみることにする。
2006年02月16日
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霧で始まり、今や雨。それはともかく、岡崎朋美選手、カッコイイぞ。勝負は時の運だ。惜敗で悔しいとは思うが、観戦した多くの人に勇気を与えたことは確かだ。さわやかな笑顔に、オジサン、惚れ直しちゃったよ。今後も悔いのない道を進んでもらいたいと思う。個人的にはあれこれあって鬱な気分が続いているが、まぁ、頑張らねばとは思っている。気合いを入れ直して……グリーンジャンボ買わなくちゃ(笑)ああ、疲れてる。書きたいことはいろいろあるが、言葉がまとまらない。
2006年02月15日
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人の感情を言う時、普通は喜怒哀楽と言う。ふと思ったのだが、笑いも感情の一つではないだろうか。だが、ややこしいのは笑いが喜怒哀楽の全て付随しうるということだ。何というか、味で言えば旨みのような存在かもしれん。ここで言う旨みというのは、某調味料が出来た元のアレではなく、美味・不味で言うところの美味感のことだ。甘くて美味しいものもあれば、甘くて不味いものもある。味を数えれば五味があり、それは甘い辛い苦い酸っぱい塩辛いの五種である。それぞれに美味・不味があるように、笑いもまた喜怒哀楽と同居することができる。旨みという言葉は甘みという言葉から出たという説を読んだことがある。笑いは本来、喜楽と親和性が高いものであろう。しかし、悲しすぎて笑ってしまうということだってある。同様に、怒りのあまりに笑ってしまうこともある。…と思うが個人的経験はほとんど無い。この話にオチは無い。ダジャレを作るということを考えて、このように思いついただけだ。自分の思いつきを自分で忘れたりしないように、ここに書いておきたい、ただそれだけである。
2006年02月14日
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興味を持てば、その分野の事物に目がいくようになる。目がいくようになれば、気付く可能性も高まる。その結果、欲しい物が見つかったり、手に入れる算段を考えるようになる。気付いた時には、ソレが手元にあったりする(笑)語呂合わせやダジャレによる語彙習得について先日書いたが、昨夜久しぶりにブックオフによってみると、武藤?雄氏の”英単語連想記憶術”青春出版第1集~第3集があったので購入した。今更何の為に買ったかと言えば、自宅の居間(家族がいつもいる場所)にこっそり置いておけば、子供等が興味を持つ可能性があると、そう思ったからだ。(バカ親の証明…笑)子供は面白い言葉が好きだ。無意味な内容でも面白いと思えば直ぐに覚えてしまう。例のマイヤヒーの空耳歌詞もいつの間にか覚えていたくらいだ。他にも”なんでお前はそんなのを覚えとる”と親が呆れるようなフレーズを覚えていたりする。楽しい記憶は残りやすい。これはたぶん反芻するせいだ。ツライ記憶は薄れていく。思い出すまいとするからだろう。おかげでアレコレあっても生きていけるわけだ。全て記憶に残っていたら地獄か煉獄、いずれにせよ死にたくなるかもしれん。というわけで、語彙の記憶も楽しく、できれば”いつの間にか”覚えてしまっているのが一番いい。そう思えば、門前の小僧習わぬ経を読むというのがベストかもしれんが、我が家を含めてほとんどの家庭では、両親が豊富な外国語語彙を習得していて日常生活の中で使っている、なんてことあるはずもない。仮に両親が10カ国語をマスターしていたとしても、習得済みの全ての言語を使用して日常生活を送るなんてこともまた、あり得ない。そんなことをしたらポリグロットにはならず、全ての言語が中途半端な状態になってしまうおそれもある。この辺りは帰国子女の言語力に関する問題点と共通している。そういうわけで、オトウチャンとしては、こっそり、それとなく、目立たない形で”本人が興味を持つような”環境をわずかではあるが、用意しておいてやりたいと思っているのである。結果として全く興味を持たずとも、まぁ、それはそれとして仕方ない。外国語なんてのは、日本人が日本に暮らし続ける限り、必要不可欠なものではない。但し、情報操作に対する自己防衛の為に英語等の外国語を学んでおくのは、決してマイナスではない。ひそかに計画していることだが、家族みんなで語呂合わせを作る時間を設けるのもよいか、と考えている。中学英語の語彙から始めてもいい。1時間もあれば10個くらいは作れるはずだ。前にも書いたように、語呂合わせやダジャレで単語を覚えるには、自分自身で語呂合わせやダジャレを作ることが大事である。そして、その方法で覚えた単語は直ぐに文章の中で覚えるといい。…手順をフリーページに書いておくとするか…。
2006年02月14日
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昨日、仕事用マシンが壊れたことを書いた。気が収まらなかったので、あれこれいじくり回した。…メモリーもHDDもダメだった(号泣)以前に組み替えた時の旧HDDは使わずにとっておいたので、失われたデータはおよそ7ヶ月分のメールやらアレコレ。仕事上の重要なモノもあったが、片づいてしまったものばかりだから、まぁ、いいか。環境復旧はちょっと骨ではあるが、旧HDDにはlinuxの各種設定が残っているので、そこから使えるものを引っ張ってくればいい。メーラー等の個人設定も残っているはずだ。給料日までは、まだ間があるなぁ…。JRA貯金を軍資金だけ残しておろすしかないか…。できればギャンブル資金と小遣いは別の管理にしておきたいが。出費予定…HDD + メモリー(512Mx2)でおよそ2万か…。しばらく録画用XPマシンを(環境を整えて)仕事用と兼用するか、或いは旧録画用マシンにHDDを1本だけ足して仕事用の環境を整えるか、後者の方が現実的かなぁ。現在使用不可の旧マシン(pen3x2)の方はメモリーが生きてるしなぁ。今の自分は迷えるオジサンである。ショップの閉店前に帰宅できるようなら、ちょいと安いHDDを探してくるかなぁ。そうそう、机の脚を切る件については、カミさんにバレて中止になった。実行してしまえばコッチのモンと思っていたが、実行前にバレてあえなく頓挫である。何だか全てがトツボな週末だった。残ったのは疲労感だけだったよ…。
2006年02月13日
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いや、笑うしかないんだが。自宅で仕事に使っているFEDORAマシンが壊れた。どうも症状からみるに、メモリーがいかれたようだ。HDDもやばいかもしれん。仕方ないので録画用XPマシンを代替機として、今、使用している。予備のメモリーとHDDがないので、なるべく早く入手して動作チェックをしてみないことには、何が原因がはっきりしないのだが、初期起動(BIOS)画面さえ出ないので、第一はメモリーだろう。参ったなぁ…旧AVマシンに続いて、こいつもかよ…。またまた予定外の出費だよ…。ああ、UXAG液晶が遠のいていく…。頭にきたのでACERのCRTは部屋の片隅に放り出し、AVマシン用の三菱RDT175M-Sをそのまま使っているが、古い液晶だけあって少しばかりギラギラする。目にはあまり良くないが、ACERのCRTより文字がくっきり見えるので、しばらくこちらを使うことにした。枠の太いタイプだからいかにも野暮ったいが、画面が歪んでない分はマシだ。肝心のメインマシンが壊れた以上、それにつないでいたCRTはとっとと事務所に運び込もうと考えている。事務所に持ち込めば、サーバー用の半分いかれかけたCRTの代替品として使ってもらえる…というか、自分の権限で使うぞ…まぁ、誰も文句は言わんだろうし(笑)。しかし…会社からの持ち込み仕事(要するに家庭内残業)が全てパーになってしまった(泣)某ン千件のデータをrubyで処理しようとしていたのだが、HDDがやられていたら、それも全てダメになってしまったことになる。元データはUSBメモリーに残っているが、いずれによせそれにとられた時間は全て無駄だ。そういうわけで、今、開き直って日記なんぞに愚痴を書いているわけだが。愚痴書く暇があったら仕事せ~よ!>自分はい、すみません。やりますです…(涙)
2006年02月12日
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部屋の整理を考えている。いつもなら”横の物を縦に置く”くらいのことだが、今回は少しばかりレイアウトに手を入れようかと思っているのだ。前から書いてるように、今月末には新しい液晶モニターを入れるつもりになっている。購入するブツに関してはまだ迷っているところだが、20インチ以上のUXGAか17インチSXGA2枚かのどちらかになる予定。用途はテキスト中心なので、それなりに調整できれば、発色や動画再生時の反応などの性能にこだわる必要はない。正直な話、動画はテレビで見られれば十分だ。で、あれこれ考えているのだが、20インチ以上のモニターを置いて気持ちよく仕事(笑)ができる環境を作るには、部屋の机の配置やら何やらを変えた方が良いと思えてきた。CRTでは21インチを置いたこともある(相当に古い話だ)が、液晶だと一回り大きくなる。机の上に置く予定ではあるものの、それだけでかいと目の高さを合わせるのがツライ。今のままではデカイ液晶は置けんなぁ、と考えたわけである。ついでに、いっそのこと机の使用を止めてしまおうかとも考えた。事務所ではもちろん事務用の机と椅子で、これは割と快適な環境だ。だが、自宅でまで同じスタイルをとることは無い。疲れたらゴロリと横になれるよう座卓に変えるのもいいかと思い始めたが、そうすると今の机が邪魔になる。良し、脚を切ろう(笑)思いついたのは昨夜である。眠かったので実行に移しはしなかったが、机の脚を切って別の脚で補強し、座卓に改造してしまおうと決心した。自作であるから、自分の座高に合わせて高さはどうにでも変えられる。というわけで今週末は肉体労働である…疲れた時にごろりとなれる環境を求めて(笑)…いや、違う、新しい液晶モニターを快適に使う為にだ。とりあえず、夜中に床に座り込んで、どの辺りの高さが丁度良いか考えてみたのだが、うむぅ、でかい液晶パネルだと首が疲れそうだ。自分が慣れている作業環境は”60センチ程離れた17インチCRTを少々見下ろす”形である。これだと大きく視線を動かす必要が無く全体を一望しやすい。20インチを買うとすれば、駅用パネルを机の表面ギリギリに降ろさなくてはならない。同時に距離も少し離さなければならないだろう。ナナオの19インチを使っていた時には、そうしていた。困ったな……。メーカーがCRT17インチサイズでUXGA以上可能な液晶モニターを出してくれれば、迷わずにすむのだが…。やはり需要が少ないのかなぁ。ここにもマルチメディアの弊害が現れてるような気がするのは、自分だけか…?W-ZERO3に搭載済3.7インチのVGA液晶が製品としてあるのだから、10インチくらいのQXGAがあっても不思議はないのに…生産が難しいのか、よほど歩留まりが悪いのか…。以前にはIO-DATAの15インチUXGAも考えてはみたものの、自分の行ける範囲では何処にも現物が置いてない。売れ筋商品じゃないのは確かだが…。今、気になって中古でも出てないかとググッてみたが、中古がほとんど出回ってないのは何故だろう。使っている人が売らないか、元々新品が売れなかったかのどちらかだと思うが。PCのモニターは、少し見下ろすスタイルで、ずっと使ってきた。これがもっとも目に優しく感じられたからである。であるから、これからもそうしたい。でないと一日10数時間モニターと付き合うことは無理だ。う~む、1メーター離れて20インチか、60センチで17インチ2枚か…。部屋のスペースと机の広さを考えれば後者だが…ああ、悩む~~!!
2006年02月10日
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文脈から切り離された単語というのは、実を言えば、その命の半分以上を失っているようなものだ。英和辞典を牽いてみれば一目瞭然だが、一つの単語に幾つもの訳が書いてある。何故そのようにたくさんの訳があるかといえば、これは多くの人がいろいろなところで書いているので、改めて言うまでもないことだ。ある文脈があり、その中で、一つの単語は特定の表情を見せる。文脈が変わる毎に様々な表情を見せるものもあれば、頑なに一つの表情しか見せないものもある。では、語彙増強の為に英単語と日本語をどのように対応させて覚えればいいのか。それは、やはり文脈の中で覚えるしかない。こう言うと、語呂合わせであれ何であれ”1英単語=1日本語”という1対1の関連づけで覚えるのは良くない方法ではないか、という議論が出てくる。しかし、その結論を出すのは尚早である。一つの意味を確実に覚えることで、その英単語は一つの日本語と確実に結びつく。その結びつきが出来上がれば、その英単語にあてられた別の日本語を覚えることは、最初の苦労に比べるとひどく楽なのである。多くの英単語集が出版されている。中には例文が無いものもあるが、たいていの単語集には例文が付随している。そうした単語集の効率的な使い方は、まず覚えようとする単語に付随する例文をざっと眺める。仮に次のような文章があったとしよう。Times online の記事の見出しである。(もちろん自分の発音に自信があって、かつ付属CDなんぞいらん、という人は単語集など使わず、辞書を読むべきである。)"Girl is given radiation overdose 17 times after hospital blunder"単語集の例文がこれで、覚える為の見出し単語がblunderだとしよう。注意)新聞記事の見出しなので、文頭にAが省略されている。単語集の例文であれば、そのような省略(一見文法違反に見える)がなされることはない。まず、例文を眺めて、知らない単語がないか、調べる。知らない単語が幾つかあれば、それを取り出す。読者が中学生くらいの語彙力だとしたら、おそらく radiation, overdose, blunder の3つの単語の意味が解らないのではないかと思う。3つの単語の意味を調べる…ここではgoo辞書を利用した。もちろん発音もしっかり調べることにする。オンライン辞書は実際の発音まで聞くことができるので、ほんとに便利だ(笑)radiation 発光, 放熱, 放射, 輻射; 放射能; 放射線.(れぃでぃえいしゃん)overdose 薬の適量超過 (おぅう゛ぁーどぅs)blunder へま(をやる), 大間違い(をする); やりそこなう; まごまごする; つまずく.(ぶらんだr)例文は医療ミスの話なので、次のように1英単語=1日本語としておく。radiation 放射線(れぃでぃえいしゃん)overdose 薬の適量超過 (おぅう゛ぁーどぅs)blunder へま(ぶらんだr)単語集の見出し語がblunderだけであっても、きちんと調べることが大切だ。そして、語呂合わせで手っ取り早く3つの単語の意味を頭にたたき込む。通常なら例文には訳文が併記してあるから、それをしっかり読み、その文章の中では3つの単語にどのような訳語が用いられているかを確認する。そして、例文の音読である。上記程度の長さの文章ならば、ゆっくり読んでも5秒程度のものだろう。100回読んでも500秒だ。読み込めばスピードも上がるから、実際には300秒程度で片づく。つまり5分である。仮に一つの語呂合わせを作るのに5分掛かったとして、この例文の場合なら3つの語呂合わせを作るのに15分だ。合計すれば20分。例文を10回程度読めば、文章は一時記憶として脳内に留められる。そこで暗唱に切り替えたくなるだろうが、少なくとも50回程度は(人によって差有り)文章を見ながら音読した方がいい。そうすることで綴りも頭に入ることになる。語呂合わせを作ってみよう。語呂合わせがまだ苦手だという人は、カタカナ発音をパソコンで漢字変換してみればいい。思わぬヒントが与えられることが多い。radiation 放射線(れぃでぃえいしゃん)=>れいでいえいしゃん。日本語変換結果は”霊で遺影しゃん”…なんちゅう変換結果だ(笑)これと放射線を結びつけるのは難しくないと思う。overdose 薬の適量超過 (おぅう゛ぁーどぅs)王う゛ぁー銅巣…王監督の話か?その辺りからイメージを膨らませる?blunder へま(ぶらんだr)ブランだぁ…ブラ(ブラしとる)んだぁ誤変換って楽しいね(笑)日本語IMEはどんどん賢くなっている。これに用いるのは少しバカな変換エンジンの方がいいのだが…。蛇足ながら、自分のはAtok for Linuxである。むしろMS-Windows95当時くらいまでのMS-IMEの方が楽しかったりする。自分で作った語呂合わせで、1英単語=1日本語を結びつけたら、残すところは先ほど言ったように例文をひたすら音読だ。このblog、どちらかといえば学生諸君よりも社会人の方が多く覗いていると思うので、特にオジサン方(ご同輩)には頑張ってもらいたい。
2006年02月09日
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ダジャレの作り方をしらない人はいないだろうと思う。先ほどの三題噺は物語を作る能力が必要だ。それは、ある程度の慣れを必要とする。慣れる速度は人それぞれだ。だが、ダジャレは、作成慣れするのに多くの時間を要さない。ダジャレの基礎は文字の微妙な入れ替えである。元の文字をそのまま使うこともある。英単語で考えてみよう。先ほどのThe New York Timesの記事の、もう少し先にブッシュ大統領が言ったとされる言葉が載っている。"With freedom comes the responsibility to be thoughtful about others," 倒置構造になっているので中学生には難しいかもしれないが、高校生なら(辞書の助けを借りるか借りないかはともかく)意味がつかめて当然の文章である。ブッシュ大統領が本当にこう言ったのか、自分はNYTimesの記者ではないから断言はできないが、なかなか素晴らしい言葉だ。仮にresponsibilityという言葉が初見で、これから意味を覚えるとする。当たり前のことだが、まずは辞書を牽いて意味を確認しなければならない。再度goo辞書を利用させてもらうことにしよう。responsibility "責任; 責務; 責任対象 ((家族・負債など)); 信頼性; 義務履行能力"「責任」という言葉をresponsibilityという言葉と結びつけるには、まずresponsibilityをダジャレで崩さなければならい。ダジャレにするにはカタカナ表記に変換する…”りスポンシビリティ”。カタカナ音を最初から見ていけば”リス”がある。次の文字に注目すれば”スッポン”がいる。残りはシビリティだが、シビリを日本語とみて適当に変化させてみよう。しびり。しびる。しびらない。しびります。しびる時。しびれば。しびろ。しびれて。しびれてしまった(笑)シビリティを痺れるという”言葉+イメージ”と結びつければresponsibilityという言葉は、りす・すっぽん・しびりてぃりす・すっぽん・しびりて~リス(と)スッポン(が)シビリティるのは、あんたの責任(笑)さて、アナタには身近に怖い人がいないだろうか。こう問われた時、世間の一般的なオジサンなら、こう答える。”カミさんが一番怖い”では、”あんたの責任”と怖い顔をして叱るのは”カミさん”に頼もう。リスとスッポンと自分が手を繋いでいて、自分が水に濡れた指をコンセントに突っ込んだところを想像してみる。当然ビリビリとくるわけだ。リスとスッポンがどのようにして手を繋いでいるかは、あれこれ想像してみもらいたい。ビリビリ状態のリスとスッポンと自分を見た呆れ顔の奥さんが、”あんたの責任”と怖い顔で冷たく言うのである。responsibility - 「リス・スッポン・痺れて、あんたの責任」
2006年02月09日
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知人と電話で話していて、”世の中はお前みたいに変人ばかりじゃない”と言われてしまった…OTZ.語呂合わせの話なのだが、要するに、”本に書いてあるように突飛な発想ができる人はそれほど多くない””仮にできたとしても、すぐにネタがつきる””突飛な発想ばかりしてると、なんだか自分がバカになるような気がする”等々、いろいろ思うらしい。3つめの”自分がバカになるような気がする”ってのは、解消しようがないので、”俺みたいに最初からバカを自覚してたら怖くない”と言うことにしている。”これ以上下がりようがないところまでいけば後は上がるだけだ”と強気に言ってみてもいい。落語の世界に三題噺というのがある。テレビ等で見たことのある人もいようが、簡単にいえば3つのキーワードでお話を作るということだ。落語家の場合は、できたお話で、いや、お噺で客をしっかり笑わせるオチを付けなくてはならないから、単純な話作りより難しい。語呂合わせは三題噺と似ている。ほとんど同じと言ってもいい。但し、このblogで話題にしている語彙習得の場合なら、オチを無理に付ける必要もないし、客を笑わせる必要もない。ただ、自分一人を笑わせることができれば成功だ。The New York Times に気になる記事があった。"Bush Urges World Leaders to Halt Violence Over Cartoons"このタイトルを見てロクでもない話じゃなかろうかと思う自分は漫画に毒されてるのかもしれんけれど(笑)、例のイスラム教徒の騒ぎに関連してのものだった。記事の中に"there was little sign that the furor would abate anytime soon."という部分がある。恥ずかしながら自分はfurorという言葉を知らなかった。goo辞書で調べると”ふゅrろーr”と発音し、その意味は「あらしのような感激[興奮]; 熱狂」とある。今回の大騒ぎのことを指しているようだ。文の大意は、大騒ぎが直ぐにはおさまりそうにない(その兆候は見えない)ということだ。ここでfurorという単語を覚えてみることにしよう。発音ふゅrろーrから、最初に”ふゅ”という言葉に注目する。”ふゅ”を”ふゆ”と読めば”冬”である。まさに今の季節。激しい興奮・熱狂・感激ということであれば、人がどんな状況で、そのようになるか、自分の経験(見聞きしなもの全て)を総動員して想像する。自分が思いついたのは酔っぱらいのオジサン達である。酒をしこたまくらってロレツが怪しくなったオジサン達が、熱い議論を交わしている姿だ。ロレツが回らなくなったのなら”たちつてと”が”らりるれろ”になって当然だ。そうしたことをふまえて、では、”ふゅrろーr”という言葉を何かダジャレめいた他の言葉に変換できないか。思いついたのは”冬(だ)ぞー”という言葉だ。それならロレツの回らなくなったオジサンが”冬ぁろー”と言っても不思議無い…というか、無理矢理言わせる(笑)ついでにオジサン達が何に感激しているか興奮しているか、想像してみるといい。ついでにオジサン一人じゃ寂しいので、100人のオジサンにしよう。野放しだと危ないので、檻の中にでも入れておくか。”あらしのような興奮”だから100人くらいいた方がいい。いっそ1000人でもいい。これで三題噺のネタができた。”冬””酔っぱらいのオジサン100人””「冬ぁろー(冬だろう)」という言葉”物語を作ってみよう。氷点下40度くらいの寒い冬のさなか、百人のオジサンが檻に閉じこめられて大騒ぎしている。それこそ”あらしのような興奮”状態だ。そこにミニスカートのお姉ちゃんが現れる。ぴたりと鳴りやむ声。お姉ちゃんがにっこり微笑んで手を振る。毛皮のコートを脱ぐとビキニ姿。思わず一人のオジサンが”冬らろー?”と漏らす。わき起こる歓声、感激に涙するオジサン百人。歩き去るお姉ちゃん。”戻ってこーい”と怒号するオジサン達。furor … 「あらしのような感激[興奮]; 熱狂」there was little sign that the furor would abate anytime soon.この文章を今の光景にあてはめて想像してもらいたい。ついでに100回ほども声に出して読めば完璧だ。死人まで出た状況を茶化すつもりはないが、同じ文章が、全く異なるシチュエーションを説明する文章にもなる。この拙文を読んで下さった方は、たぶん明日の朝くらいまではfurorという言葉の意味を忘れることはないと思う。100回も文章を読めば、その文章もたぶん明日の朝まで忘れることはないと思う。
2006年02月09日
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朝からプリンターのメンテを行うはめになった。それを使っている事務員から紙詰まりが解消できないという話が入ったので現物を見てみると、ローラーの間に入り込んだ小さな紙片がどうやっても取り出せそうにない。7年前に購入した富士通のA3対応レーザープリンターである。dos上で動かしているソフトがあって、その為だけに残っているような物だ。ソフトについてはMS-Windows上で動く新しい物を導入する計画があるようだが、来年度の予算の話で、それを入れてネットワーク上のプリンターを使えるようになるまでには、まだ最短2ヶ月はある。バラすしかない、と腹をくくって必要箇所をばらし、ラバー製上部ローラーと金属製下部ローラーの間に挟まってくしゃくしゃになった紙片を取り出したが、ラバー製ローラーの端にトナーがこびりついている。たぶん何かの誤動作の際にこびりついたものが、そのままになっており、そこで紙が引っかかるようになってしまったのだろう。ラバー製ローラーを取り出し、固く絞った濡れ雑巾でこびりついたトナーを拭き落とした。拭き落とす前に指で触ってみて気付いたのだが、ラバーにざらつきがある。さすがに劣化しているようで、寿命が近いと感じた。とりあえずローラーを清掃し再び組み上げてスムーズに紙送りが出来るようになったものの、買い換えを検討せねばならんだろうなぁと思う。こっそり見積もりをとって、購入申請をしてあげようかと思っているが…。ただ、そうした部品が富士通に発注できれば…つまり保守用パーツの単体販売をしてもらえるのなら…もう少し寿命を延ばすことはできそうだ。ただ、代理店を通すと作業員が交換を行うことになり、部品代以上に現調費用が高くつくことになる。現調費用と中古レーザープリンターの購入を比べれば、どちらが安いかは明らかだ。古くて遅いレーザープリンターを使い続けるよりも、新しくて早いレーザープリンターを購入した方が、間違いなく安い。悩むところである。自分で出来ることを他人にやってもらってお金を払うというのは貧乏人のプライドが許さない(笑)って、前にも言ったな。そのように常々思っている人間としては、簡単に”新しい物を買おう”と言うのは、何だかイヤなのである。たとえ自分の懐から代金を出すのでは無いにしろ…。まぁ、どうしても必要になれば、その部署が購入申請を出すだろうと考えて、余計なまねはしないことにした。いよいよ壊れたら、その時にはまた、自分のところに話があるだろうから、それから先はその時に考えることにしよう。う~む、自分が専用で使っているレーザープリンターも最近調子が良くないので、時間を作ってバラしてみるかなぁ…。ああ、しかし、新しいオフコンの導入用のスペースも作っておかんといかんし、悩むよなぁ。旧機種も残す予定(リース終了後の購入契約についてもリース会社と取り交わすことになっている)だから、よその部署のレーザープリンターの新調よりも、自分のところの部屋の拡張を申請したいくらいだ。こればかりは事務所の改造になってしまうので、さすがに無理と判ってはいるが、もう少し部屋(いわゆる電算室)を広くしてもらいたいよなぁ…。
2006年02月09日
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日記を書く暇が無かったが、少しだけ休憩がとれた。いや、もちろん昼休みに昼飯は食ったけど(笑)ルーチンワークに取り組んでいると思考がソレ用にパターン化するようで、どうも発想が固くなってしまう。歳のせいで固くなってしまった頭が、仕事のせいで更に固くなっていくのである。そうした脳の働きは時に便利ではあるが、自分の感性が鈍るようで恐ろしい。人並み外れた感性があるならともかく、芥子粒ほどの感性しかない身としては、日々衣食住の為に働くなかで磨り減らしていこうとも、決してそれをゼロにはしたくない。生きている以上、感性がゼロになることはあり得ないが、ゼロに近づけば想像力は枯渇する。想像することは全ての人に平等に与えられた権利である。生も死も決して平等とは言えない実社会にあって、自らの頭を使って想像することは自由であり、その行為は望みさえすれば全ての人が誰に制限されることもなく行うことができる…それこそアプリオリな権利であり能力である。しかしながら、貧すれば鈍するとも言う。この”貧”は決して経済的な面だけを言うのではない。心の”貧”こそが鈍する原因である。(何だか宗教がかってきたぞ、と言わんでね)心の”貧”は想像することを諦めた時に始まる。心が貧すれば感性は縮み、本来なら平等であるはずの”想像する自由”を自らうち捨ててしまうことになる。そうはなりたくない。だから、自分はこの日記を書いていたりする。
2006年02月08日
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脳科学の専門家でもないし、それを研究する学生でもないので、あくまで自分の想像に過ぎない、と最初に断りを入れておく。言葉が脳内でどのように処理されているか、は自分は知らない。しかし、言葉の三大要素は以下のとおりである。1)音声2)意味3)文字人間はその歴史の中で言葉を1,2,3の順番で獲得してきた。当初は単純で意味の無い音声があり、音声そのものが複雑化し、次に音声に具体的な意味が伴うようになり、具体的な意味が抽象化されて用いられるようになる。その途中で絵文字が使われるようになり、絵文字が抽象化されて現行の文字へと発展した。このように考えるのは(自分にとってだけかもしれんが)自然なことだ。そこでよくよく考えてみると、脳内には言葉の処理の仕組みとして、3つのネットワークがあるのではないかと考えられる。音声のネットワーク意味のネットワーク文字のネットワークネットワークという言葉を使うのは、自分の定義として、ネットワークをフレームの上位と位置づけているからだ。ネットワークは複数のフレームによって構成されていると、そのように定義している。音声ネットワーク(以下NTと省略する)と意味NTは人類史の比較的早い段階で結びついたろうと思われる。文字NTは、それよりもずっと後だ。ならば、脳内での処理についても、おのおのの緊密さには程度の差があるのではないかと考えられる。こう言いながら漢字のような表意文字とアルファベットのような表音文字の違いから、その文化圏によって緊密度の差は異なるのではないかとも考えているが、それはまた別の話になるので、今は触れない。これまで何度も書いてきているが、外国語習得の要は語彙である。語彙習得の苦労が無くなれば、たいていの人は必要十分な語学力を手に入れることができる。言葉を文法と語彙におおまかに分けるとすれば、覚えなくてはならない文法つまりルールは、覚えなくてはならない語彙つまり単語数と比べれば、極めて少ないと言わざるを得ない。単純な話、文法の項目が多いように見えるのは、単語の用法が多くを占めている為であり、実際は文法項目が多いのではなく、単語の多さが反映されているに過ぎない。少なくとも文法=ルールは有限である。一方、語彙は無限と言ってもいい。とはいえ、語彙はあるレベルに限っては有限である。たとえば日常的なやりとりの中で使われる語彙について言えば、様々な研究にあるように、およそ3000語程度が80%以上を占める。日本における文盲率が極めて低いことはよく知られている。ところが英会話の本場(笑)アメリカでは、意外に文盲率が低くない。話せるけれど書けない・読めないという人が一定の割合以上存在しているということだ。文盲であるということは、文字NTが形成されていないということである。それ故、彼らは文字の学習…アルファベットの書き方・読み方…を学ばねばならない。その後に、自分が発する音声と文字の並びを結びつける訓練を行わねばならないのである。文盲ということを考えた時、音声NTと意味NTとの結びつきは強いが、その一方で文字NTと他者との結びつきはあまり強くないことが判る。例えば英語圏の文盲の人にCARという文字を見せても、そもそも読めないのであるから、それが何を意味するのか判らない。しかし、それはカーrと発音するのだと教えれば、直ぐに車のことであると判る。英語では音声NTと意味NTが密接である。ここで面白い事実に気付く。我々日本人の場合だ。日本人の文盲率が極めて低いことは良くしられている。義務教育のなせる技であるのは間違いないが、ひょっとしたらそれだけではないのではないか、と感じるところもある。それはともかく、面白い事実というのは、文盲ではない一般の日本人の場合のことだ。熟語という言葉を日本語において使う場合、2つ以上の漢字について言っている。その熟語の例として”送迎”という言葉をとりあげてみよう。この熟語を読めない人はいないと思うが、何故それを読めるかといえば学習したからである。一般的に送迎は”そうげい”と発音する。しかし、これを”おくりむかえ”と読むことは間違いだが、読ませることは間違いではない。ある文章の中で送迎という言葉と出くわした時、我々は間違いなく”そうげい”と読む。しかし、その熟語にルビで”おくりむかえ”と書いてあれば、我々は”そうげい”ではなく”おくりむかえ”と読む。著者が送迎という熟語を読者に”おくりむかえ”と読ませるわけである。これは実は非常に奇妙なことであり、日本語に特有の現象なのである。送迎の送は”おくる”という意味を表す漢字であり、迎は”むかえる”という意味を表す漢字である。そして”送る”と”迎える”という「漢字かな混じり語」の意味と読み方を知っていたとしても、送迎を”そうげい”とすんなり読めるわけではない。そうする為には送迎という漢字2文字を”そうげい”という音と結びつける為の学習が必要になる。ここでは文字NTは音声NTよりも意味NTと緊密性を増している。簡単に言えば、読み方は判らなくても意味は解る、ということである。英語圏で同様のことが起こりうるだろうか。僅かな例外を除いて、ほとんど起こりえないと思う。しかし、日本語では、それは頻繁に起こりうる。日本語は音声NTよりも意味NTと文字NTの結びつきが強い言語なのである。その言語特性が、外国語習得の障壁となっている。その障壁をなくすのは無理としても、”変形カタカナ表記+語呂合わせ”によって低くすることは可能ではないか、と少しだけ思っている。語呂合わせはなんと言っても”音の遊び”であるからだ。少し整理する。意味NTを中心に考えた場合、英語は音声NTと結びつきが強く、日本語では文字NTと結びつきが強い。この差異を考えていくことで、効果的な学習法が生まれないか、と自分は漠然と考えている。そして、ひょっとしたら語呂合わせのような音声の遊びが、それに何らかのヒントを与えてくれるのではないかと考えているのである。
2006年02月07日
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メリット・デメリットは様々にある。原音至上主義者からは邪道だと言われることまである。発音を表すのに国際表音記号を日本では用いることが多いのだが、英米の英語辞書ではそれを用いることは少ないようである。彼らの頭の中では特定の文字列が特定の音と結びついているので、その特定の文字列を用いた方が有利であるからだ。冷静に考えれば”国際表音記号は正確な音を表している”というのはウソである。音は紙に書き留められた瞬間に、元来の音とは隔絶してしまう。そもそも同一の言葉を多数の話者が発音する時、その全てが一致するのは珍しいことだ。全ての話者が発する音を文字や記号で表すことは不可能であるから、とりあえず標準ということでまとめているし、それを前提条件として発音記号は決められている。スタート地点が妥協の結果であるから、発音記号で正確に発音を表記することは不可能なのである。結論を言ってしまえば、発音記号というのは便宜上のものであり、メリット・デメリットの差し引き計算の結果として利用されている、ということだ。単純な事実として言えるのは、音は音として学ばねばならないということだ。逆に言えば、音は文字では学べないということである。その厳然たる事実を前提とした上で、ならばカタカナ表記だっていいんじゃないか、と思うのである。例えば自らの英語本の中で、基本はカタカナで発音を書きRの音はひらがなで書くというやり方を選んだ著者もいる。悪くない方法だ。その表記を「口で発する音」を思い出す”よすが”とするのは有りである。自分はこれにアルファベットも付け加えたい。これの前の書き込みでexorbitantを”イグゾーrビタンt”と書いた。rとtは文字化けではなく、意図して自分が書いたものである。英語は日本語と違って子音だけ発する音がある。それを表記するにはカタカナは不向きだ。カタカナは必ず母音を伴う。よって母音を伴わない音は普通にアルファベットを使えばいいと思う。ただ、語呂合わせを使う時はRの音やVの音をどう処理するかが問題になる。例えばexつながりで思い出した言葉excavate(発掘する)を語呂合わせで覚える時には、やはりVの音を意識させる語呂合わせであった方がいいと思う。具体的には”発掘にえ(行)くすか?ヴェテランが言った”といった具合にヴの字が使える日本語を利用した方が良いのではなかろうかと思う。工夫することで、語呂合わせは更に精度の高いものになっていく…大風呂敷が過ぎるか(笑)とってもイクサイティンgな遊びである語呂合わせ、暇を見つけてやってみることをお勧めする。実は覚えることよりも、語呂合わせを考えることの方が面白かったりする。オジサンとしては久しぶりにお金のかからない遊びを見つけて、ちょっとホクホク気分なのである。
2006年02月07日
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特別なカタカナを開発せよというわけではない。母音を伴わない子音をそのまま残す、という表記方法があってもいいんじゃないかと個人的に思うが、それは別の時に書くとしよう。いろいろ見ていくと、既存の語呂合わせでは英語の発音ではなくローマ字発音を元に考えているものが少なくない。しかし、どうせ語呂合わせを作るなら本来の音に近い語呂合わせを作った方が良いと思ったのである。たぶんローマ字発音に近い語呂合わせを考えた人達は、元の単語の綴りも一緒に覚えられるようにと考えたのかもしれないが、綴りに関しては音読の繰り返しによって定着させられるのではないかと思う。例えば、exorbitant という言葉がある。ローマ字読みすれば、エクスオルビタントとなる。実際の発音はイグゾーrビタンtと書く方が近い。語呂合わせは後者を元に作り出すことが肝要だ。ついでながらexorbitantの意味を。オービター(orbiter)という言葉をTV等で耳にすることがあるかと思うが、人工衛星のことである。要するに軌道上を動く物だ。つまりorbitは軌道のこと。その軌道をexしたant状態がexorbitant途方もない・突飛な状態であるということ。本来の軌道を大きく外れてしまったことを言う。最後にorbitの語呂合わせ…おービックリ綺麗な軌道いや、語呂合わせって本当にハマるんです(笑)
2006年02月07日
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行き先が決まって、SXGA液晶モニターの衝動買いが出来なくなったので、一安心というか悲しいというか(笑)当初の予定通り、今月末までにはメインマシン用の液晶モニターを購入する予定だ。以前から書いているように、値段との兼ね合いでDELLの2001FPになるのではないかと思うが、他のメーカー製品も安くなってきているので、気が変わるかもしれん。とはいえ、実際に欲しいのは17インチUXGAなのだが、メーカーが売り出さない以上は買いようが無い。コスト高になるので製造を見合わせているのかそれとも他に理由があるのか判らないのだが、高精細度の液晶モニターを欲しがっている人は多いのではないかと思う。…ということで、今月末に発生する問題は既存のCRTの処分についてだ。事務所のNTサーバー用15インチモニターが死にかけているので、それ用に自分のACER17インチを持ってこようかと思っている。もちろん無償提供だが、ちょっと関係部署と話してみることにしよう。厳密に言えば資産管理の面でややこしいところもあるが、そこはそれ”現場での柔軟な運用”ということも可能なわけで、仮に関係役所からの指摘があったとしても、堂々と”私物である”と答えてはばからないぞ、自分は(笑)。まぁ、”上”は渋い顔をするかもしれんが…。ところで、冬季オリンピックが目の前だ。仲間内でも時折話題に上る。男同士の会話となれば当然”こっちが可愛い”とか”あっちの方が好み”などという話が出る。特に女子フィギュアが話題になっている。自分は細面(ほそおもて)な女性が好みなもんで、その話の輪の中に積極的に加わることなく聞いているが、人それぞれに好みも様々である。思えばモニターも人それぞれの好みがある。同僚の一人は"XGAが最適だ”と言うし、SXGAが最適と言う人間もいる。個人の好みを口にするに過ぎないから、そこで解像度論争が起こることもないが、自分としては早く活字をモニター上で見たいものだと思う。現在のモニターの解像度は活字が必要とする解像度を全く満たしていない。夢と欲望は果てしなく…である。
2006年02月07日
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仮面ライダーじゃないぞ…ネタが古すぎか(笑)そういう歳なんだから、勘弁してもらう。帰宅してメールチェックしたら、amazonから入荷不可のメールが入ってたよ…。まぁ、確かに手に入るかどうか判らん古い本を頼んだのが悪かったけどさ、そんな本を新刊で注文できるようにしておいてはならんと思うのだ。ま、仕方ないけど。ああ、今夜はちょっと落ち込んだので、焼酎でもやるか…。とりあえず、薩摩の黒霧島ね(笑)
2006年02月06日
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ボキャビルであれ受験勉強であれ、楽して記憶したいのは当然だ。そういうわけで、語呂合わせを使いたくなる人がいる。既存の”意味のフレームワーク”に組み込むことで、より一層に記憶に定着しやすくするという点においては、「語呂合わせで暗記」というの理に叶った方法である。問題は、それが最初の一歩に過ぎず、その語に記憶した内容を上塗り(反復して記憶しなおすこと)し続けることがなければ、長期記憶として残りにくい(呼び出しにくい)ということだ。例えば語学学習の中で”単語を語呂で覚えることは邪道である”という人は少なくないが、最初のとっかかりとしては、自分は語呂合わせも有りだと思っている。正確な発音を覚えることと意味を覚えることは別に訓練できるし、本来の発音と”語呂による音”の違いを明確に意識することは、マイナスではなくむしろプラスだと思える。但し、その言葉が完全に記憶として定着するかどうかは、その後にその単語と何度触れあうかという体験の回数が大きく影響する。逆に言えば、何度も触れあう体験を人為的に作り出してやるか、その後二度と出会わないようであれば縁がなかったと思って”忘れて良し”の姿勢をとるかである。さて、語呂合わせを利用したボキャビル本が世間には何種類が出版されている。書店で英語本コーナーを覗いてみれば、間違いなく目につくはずだ。で、手に取ってみるとする。実に多彩な語呂合わせやダジャレが並んでいる。”これなら覚えられそうだ”と、その本を手に取りレジに並び、購入後、実際に勉強を始めてみると、最初は頑張ってみたけれど、最後にはどうにも違和感を感じて止めてしまう…。そんな経験は無いだろうか?やっぱり語呂合わせはダメで、コツコツ暗記を繰り返さねばならないか、と別の単語本を手に取る人のいるのではないかと思う。実は語呂合わせ本には問題点がある。おおやけに指摘されたことはない(と思うのだ)が、本に載った語呂合わせは作者にとって覚えやすい語呂合わせであって、読者にとって覚えやすい語呂合わせではない。それは発想法やイメージの差異ではなく、日本語の問題だ。語呂合わせが上手くいくかどうかは、それを用いる当人の母語のボキャブラリーが大きく影響する。語呂合わせ本の作者のボキャブラリーの嗜好と読者のボキャブラリーの嗜好がぴったり合えば、その時、読者は幸せである。しかし、生まれも育ちも異なる人間のボキャブラリーがぴったり重なることはありえないし、ましてどのような語彙を使う傾向にあるかという語彙の嗜好性が一致することもマレであろう。更に付け加えれば、語呂合わせ本には決定的な弱点がある。弱点とは、日本津々浦々で販売される為にその本が標準語で書かれていなければならない、ということだ。標準語は書き言葉としては確立しているが、実をいえば地方在住者にとっては”第二言語”のようなものである。日頃の生活の中でマスメディアを通じて標準語には慣れ親しんではいるものの、生活に密着した場(地元の友達や家族と話したりする環境の中)では、程度の差はあれど方言こそが母語(第一言語)なのである。自分が言わんとするところは、語呂合わせは”自分の言葉で作った方が良い”ということだ。既存の語呂合わせ本は、語呂合わせの為の発想を学ぶ為なら悪くはないが、語呂合わせによって何事かを覚えようとするならば、自分自身の脳味噌に刻み込まれた”言葉”を用いた方がはるかに効率が良いのである。例えば、conclave(カンクレイヴ)という単語を覚えたいとする。もし自分が語呂合わせを作るとするならば、博多弁で、”秘密会議ばもつなら、こんくらい弁当ば用意せないかんて坊さんが言うとったばい”という風に語呂合わせを作る。そして暗い中で仲間同士顔をつきあわせて次期教皇を選んでいる自分の姿を思い浮かべる。タイトルの”ちょっとしたヒント”というのは、このことだ。語呂合わせで覚えようとするのなら、既存の語呂合わせ本を参考にしつつ、自分の慣れ親しんだ言葉で語呂合わせを作り直した方がいい。その方が間違いなく記憶に残りやすい。というわけで(笑)”語呂合わせ、どうせするなら、方言で”
2006年02月06日
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金曜日の夜も土曜日の夜も良く寝た。合計すれば二日間で24時間くらいは寝たかな。土曜日には昼間もうとうとしてたから、ひょっとすると48時間中30時間くらいは寝ていたかもしれん。そして、昨夜は、もとい、今朝は6時59分に寝て、7時20分に起きた(笑)眠れなかったのではなく、考え事をしていて眠る暇が無かった…というところだ。おかげで目が水分不足のような状態なもので、後で目薬を買ってこようかと思っている。もちろん疲れ目用だ。このところ、自宅でPCに向かうのが億劫になってきている。原因はハッキリしている。まだ懐具合がヨロシクないので、例の間に合わせのACERのCRTを使っているからだ。このモニターにはちょっとお手上げな状態なわけで、いっそ捨てて”無かったこと”にしてしまいたいのだが、捨てるにもお金がかかる時代だから、そのうち事務所に持って来ようかと思っている。UXGAの液晶を買うつもりで、その予算繰りをしているが、忍耐も限界に近づきつつあるので、今はなるべくPCショップに近寄らないようにしている。どうしても立ち寄らなければならない買い物がある時は、それを購入するや急いで店を離れるよう心がけている。でないと、SXGAの液晶モニターを衝動買いしてしまいそうだからだ。「SXGAを2本入れて両方ともピボットで使えば便利だぞ~」という誘惑の声が脳ミソの中を飛び回っている状態で、これには抗いがたい魅力があったりするのである。縦1280ドットというのは、自分にとって本当に魅力なのだ。つーわけで、UXGAを買う前にSXGAを買ってしまいそうな自分が、ここにいる。何せ17インチSXGAの液晶モニターが3万円台である時代だ。個人的には微妙に衝動買いの境目にある価格なのである。yodobashi.comを見れば物によっては21%ポイント還元だ。6千円以上の値引きと同様じゃないか……。……危ない、危ない。危うく電話に手が伸びるところだった。
2006年02月06日
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やっと目が覚めた午前9時半、今。8時に起こされて、朝風呂に入り、朝食をとって、今、自分の部屋へ。窓を全て開け放ち、冷たい空気を取り入れる。しばし冷気を楽しむと、背筋が伸びる。いや、寒いけど(笑)…昨夜会社を出たのは10時前。書類を郵送する為に郵便局へ立ち寄り、自宅へ帰り着いたのが11時半。遅い夕飯を腹に収め、子供と約束していたので、午前0時半に書店へ。自宅に戻ったのは午前1時。風呂に入るのも面倒で、そのまま布団に潜り込む。そして、今朝だ。(BGM: It's A Beautiful Day by Queen)今週は実に忙しかった。何せ、競馬のことを考える時間がほとんど無かったくらいだ。やっとやってきた週末。少し骨休めさせてもらおう。
2006年02月04日
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もう若くはないんだから睡眠時間を削るようなマネは止めておいた方がいい。そういうふうに自分に言い聞かせてはいるが、そうした理性的な”内なる声”に、”耳を貸せるくらいならもっとマシな生活を送ってるよ”と独り言で応じる。頭は許しても心が許さん、ということは幾らでもある。個人的な憤り、ということにとどまらず、自分自身の行為・行動についても、理性だけで割り切れるのなら、世の中、平和だ(笑)さて、今日は我が子の高校受験の日。”大丈夫、大丈夫”と言いながら出ていったようだが、その”大丈夫”がアテにならんので、親としてはドキドキものだ。私立の受験が終われば公立の受験まで一ヶ月。なるべく協力はするつもりだが、新しい知識を脳に入れると古い知識が脳からこぼれ落ちるような我が子だけに、よほどの戦略が必要になろうなぁ、と考えている。幸いなことに(自分の経験から言っても)10代の子供達の脳味噌は実に柔軟だ。この歳になると、本当に羨ましく思う。自分が高校受験をした日は30年以上も前のことになってしまった。あの頃はまさしく”スポンジに水が染みこむように”様々な知識が脳味噌に染みこんだ。今はサッパリだ。今朝方5時まであれこれ考えていたのは、ニューマニクス、つまり記憶術のことだ。高校時代に渡辺剛彰氏の記憶術の本を読んだがきっかけで、フランセス・イエイツの「世界劇場」を囓ったり、その他怪しいノウハウ本を読んだりもした。これもまた30年昔のことだ。記憶術は自分の若い頭には、あまり役に立ってはくれなかった。しかし、単純に暗記することが難しくなった現在の自分には役立つのではなかろうかと、このところ脳科学関係の本を含めて”記憶”について読んでいる。歳をとった脳味噌は、若い脳味噌と違って、ゼロからの記憶には疎い。既に出来上がった”意味のフレームワーク”があるので、それと絡ませなければ、新しい事はなかなか覚えられるものではない。どのような分野でも、それに習熟しようとするならば、最低限暗記せねばならない事柄がある。それは必要な時に記憶として取り出すというよりも、むしろ反射として出てくるいったレベルにまで達していた方がいい。つまり無意識のうちに活用できる基礎知識が必要である、ということだ。我々がひらがなを書く時、或いは慣れ親しんだ漢字を書く時、記憶は反射のレベルに達している。ひらがなの”ひ”はあんな形だったよなぁ、と思い出しつつ字を書くということはない。自然数を書いてと言われれば、1からためらうことなく書き始めることができる。数字もまた記憶が反射のレベルに達しているのである。基礎知識・基礎技術を反射のレベルにするには、反復学習しかない。同じことを繰り返し行い、”頭ではなく身体に覚え込ませる”ことが大事になる。今、自分は(我が子の受験のこともあるが)自分を含めた高齢者の学習ということを念頭に置いているが、膨大な知識を楽に覚え込む方法として、記憶術はそのような年代の人間にこそ役立つのではないかと思っている。いや、どこぞの記憶術の教室に通ったり通信教育を始めたりすることを勧めているわけではない。記憶術の基本テクニックについて書かれた本は市販されている。その気になれば、2時間も掛からずに読んでしまえる内容だ。高齢者…いつものようにオジサンと呼ばせてもらおう…オジサン達が有利なのは、その重ねてきた年齢に比例して、様々な分野の”意味のフレームワーク”が強固に出来上がっていることだ。それが新しい知識や情報を記憶することを拒む障壁となる場合もあるが、逆に強固な脳内ネットワークを活用すれば、むしろ新たな知識や情報を蓄積する為の強力な武器になるのではないかと思う。オヤジギャクという言葉が使われる。下手くそなダジャレだ。場合によっては、その場の雰囲気を確実に凍り付かせる強烈な武器にもなる。しかし、ダジャレというのは高度な言葉の遊びでもある。その遊びが行われる時、似た音ではあるが本来は無関係な言葉が強引に結びつけられる。そして、そのダジャレが秀逸であろうと、聞いて青ざめるようなものであろうと、たいていの場合は苦労なく記憶に定着してしまう。そう、覚えたくもないのに覚えてしまうのだ。覚えたくなくても覚えてしまう、という部分に注目してみると、ダジャレが如何に記憶の原則に則しているかが解る…ような気がする。ということは、ダジャレを研究してみることが、”楽して覚える記憶術”の有用な一手段を開発することにつながるのではないかと思う。語呂合わせを勉強に使うケースは多い。ならばダジャレも勉強に使ってみてもいいのではないかと思う。
2006年02月03日
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いつも一言のつもりで書いているのだが、長くなってしまうのは、やはり文章がヘタクソなせいだな…気分はいつもイライザのオヤジ(笑)なもんで、結局ダラダラ書きたいことを書くことにする。調子こいてamazonに注文していたS.D.PERRYの"RESIDENT EVIL"シリーズが届いた。残念ながらVOL.3だけ在庫切れだったので、VOL.0からVOL.6までの6巻だ。既に7巻目も出ているようだが、今回は見送った。主に支払い金額が理由だ。自分なりに上限を決めているもので。早速通勤時に読み始めたが、それなりに面白い。というか、肩のこらないフィクションなので、気軽に楽しめる。しかし、積ん読本がちょっと増えてしまったな(笑)amazon覗く前に本棚覗けよって自分にいいたいが、その昔欲しかった本を買い逃がして二度と手に入れることができなかった苦い経験があるので、本に関しては”欲しい時が買う時”と決めている。RESIDENT EVIL と言えばオリジナルは例の日本産ゲームで、映画も3本目が作成に入っているとかいないとか。映画は前2作とも見たが、個人的には1の方が面白かった。2も楽しめたけどね。映画の場合は”お涙頂戴もの”を覗いて、たいていのものは抵抗無く見る。よほどの駄作でも見る。見ると損すると言われるものまで、見てしまう。今、”あの”デビルマンを見ようか見まいかと迷っている。史上最低の遺作と呼ばれるアレだ。その前に見ておきたい映画があるので、直ぐにというわけではないが。最近は映画館に足を運ぶ暇が無いので、もっぱらレンタルビデオ・DVDを利用している。見る暇がありそうな時にまとめて5本くらい借りてきて根性で見ることもあるし、PCに取り込んでおいて後から見ることもある。CATVと契約しているので、そちらで放映されている映画を見ることも多いが。記憶に関してはあまり自信がある方ではないので、印象的なシーンを除いて忘れてしまっているものも少なくはない。でもまぁ、あまり気にしない。覚えてなけりゃ、二度目を見ても同じところで笑えるかもしれないから。ただもっぱら洋画ばかりなので日本物は滅多に見ない。見るとしたらSFかホラーかバカ映画だ。最近は韓国映画も見かけるが、ネタ的に日本映画でよくあるパターンのようで、日本映画をあまり見ない自分としては、そちらには経費が回らない。見りゃ面白いのかもしれんが、洋画でもっと面白いのがあるんだもの(笑)今夜は無理だが、明日の夜は何か見ようかと思っている。録画しっぱなしで見てないのもあるので、それから選ぶつもりだが、カミさんと一緒にウーピー・ゴールドバーグの出演作品で泣いたり笑ったりもいいかなと思っている。カミさんが先に寝てしまったら……いや、エロ映画は見ませんとも(笑)そういえば学生時代に”ハウス”と”家”と二本立て続けにみたことがあった。両方とも”う~ん”な感じだったことだけ覚えている。楽しめた部分もあったし、”おい、ちょっと待て”とつっこみを入れたい部分もあった。その突っ込みたい部分も含めて、楽しめたのは間違いない。で、明日の晩、何を見ようかとムービー・プラスの番組表を見ていたら、ロボコップ3作一挙放送ではないの…。SFアクション映画ということになっているが、自分の中では”バカ映画”に分類されている。金掛けたはずなのに何というか絵が安っぽいから。それも楽しいんだけどね。ああ、何か見たくなってきた。でも、今から見ると間違いなく3時は過ぎるな…そうだ、一仕事片づけてから…だと3時過ぎから見ることになるな…。……今夜は徹夜か?(笑)
2006年02月02日
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というか、片づきそう。新年度の新システム導入の話だ。新システムといっても、基本的にはハードウェアの入れ替えであり、当社の基幹システムについては、結局のところ内部で話し合いをしつつ改善を試みるわけで、個人的には仕事が増えるだけなわけだが(笑)リース会社との話し合いもとりあえず済み、納入業者との打ち合わせもそこそこうまくいき、第一段階は終了というところ。第二段階も、このままうまく進んで欲しい。旧機種との(一時期だが)併用についても上の了承を得た。ただ、最終的には旧機種の廃棄問題は出てくるが、廃棄は直ぐに行うものでもないし、不必要になれば、それはその時に考えればいい。予算的には厳しかったが、後は段取りについて慎重に話し合い、過不足のない形で移行終了となるだろう…と希望する。少しだけ肩の荷が下りて、今週は全て仕事が終わった気持ちだが、ルーチンワークは消えてはくれぬ。さて、いそいそと事務仕事に戻るか。ともかく、ホッと一安心だ。まぁ、その間に愚痴りたい事もあったが、思い出すと鬱になるだけなので、忘れてしまうことにしよう(笑)
2006年02月02日
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新製品が次々と発売される。2月にはThinkPadにX60/X60sが販売される。レノボの新しいノートPCだ。ThinkPadに限らず面白そうなノートPCが発表されれば、その仕様をメーカーサイトに見に行くが、そのたびに困惑する。どれもこれも機能が盛りだくさんだ。その機種を買う人々は皆、その機能を全てを欲しているかに見える。たとえばほとんどのノートPCにモデムが搭載されている。ソフトモデムだから、それが関わるハードウェアについては、基盤上のわずかな部分に過ぎないだろう。しかし、それを使わない人間にとっては余計な物だ。最近は無線LANも内蔵している。それも、使わない人間にとっては余計な物だ。同時に有線のLANの口も持っている。それも、以下同文。あれば便利だ……で、いろいろくっついてくる。無い物は後から付けられるようにしておけばいい、というふうにはならない。これは親切の押し売りである。親切の押し売りパソコンが、今、いかに多いことか。そう言うと、”何もついてないと初心者には判らない”という言葉が返ってくる。ソリューションビジネスという言葉が呪文のごとく唱えられたのは、全体いつの話であったのか。BTOが販売店で出来ない理由は何なのか。ベースマシンには最低限の機能があれば良い。MS-Windowsも外せとは今更言わないが、MS-Windowsが標準で備えている機能を全て使わねばならない義理は無い。たとえば、オフィス製品の仕様が主な目的となるビジネス用PCには音源など要らない。事務所の中で自分の好きな音楽を聴きながら仕事が出来る、なんてのは一般的とは言えない。すぐ側で他の人間が仕事をしているのに、その邪魔となる音楽を鳴らすような傍若無人な振る舞いができようか。考えていけば、実にばかばかしい。パソコン以外の商品を考えてみれば、すぐに判るはずだ。1パック500円の刺身を買うとしよう。それにワサビがついてくるのは良いが、ソースと酢とカラシと七味と柚胡椒が一緒についてきたら、どう思うか。”ああ、便利だな”と考える人は何人いるだろう。他で使えるからいいや、と考える人はいるかもしれない。そうした直ぐには使わない物にもコストはかかっている。そして、PCについてくる機能は他では使えない。DVDが搭載されたノートPCも増えてきた。だが、本当に内臓する必要があるのだろうか?USBであれ他のインターフェイスであれ、必要な時にインターフェイス経由で使えるようになっていれば十分なのではないか?もちろんノートPCでDVDビデオを見たいという人もいるだろう。ならば着脱式にして、ユーザーが機能を選択できるようにしておくのがメーカーの努めではないのか。自分はOSやアプリインストールの時以外には必要無い。”貧乏くさいことを言うな”と口を尖らせる人がいるかもしれない。それには、”必要の無い物を省くことがエコロジーの根幹である”と応えたい。本当の省エネ、省コストというのは、使う必要のない部分を商品から削っていくことにあると思う。それは資源の節約の一助となりうるはずだ。元来、PCというものは”それさえあれば何でもできる機械”では無かったはずだ。”継ぎ足していきさえすれば、やりたい事ができるる機械”であったはずなのだ。逆に言えば”必要のない物まで買う必要はない機械”でもある。「All in One は要らない」というタイトルで、いろいろ愚痴ってきたが、それが必要な人にとっては無くてはならない物だろう。だが、その一方でオーバースペックなPCにうんざりしている人間もいる、ということをメーカーには知ってもらいたい。そして、そのような”貧乏くさい”ユーザー向けスペックのノートPCの製造を考えてみてもらいたい。まぁ、現実的な解としては、たとえばThinkPadに用意されたドッキングステーションのような物がベターなのではないかと思う。或いは一昔前のLet's Noteのように、光学ドライブは外づけで必要な時にUSB接続というのも良しだ。後は本体から”必要の無い部分”を根こそぎ外し、軽量化と省エネをはかってもらえればいい。エプソンのPC-286NOTE executiveの事を、このところ思い出す。発売当時、既に98LTを購入していた自分は、金銭的な理由で購入することが叶わなかった。それを現在の技術で再現してくれないかと思う。反射型のモノクロ液晶で、OSはROMに内蔵。仕様は98互換であってもAT互換であっても、どちらでもいい。今なら更に薄型にすることは可能であるし、バッテリーも高機能化している。モテム用のシリアルポートも要らないし、プリンター用のパラレルインターフェイスもいらない。ただ、拡張用にPCMCIAのカードスロットが複数ついていてくれればいい。(チャンドラ2か…笑)そんなマシンを、どこか出してくれないかなぁ…。
2006年02月01日
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時折、日立のPERSONA(HPW-600JC)を引っ張り出して触っている。まだバッテリは生きているようで、未だに8時間くらいは使うことができる。出張がある時には必ず持って行った。最近は出張そのものに出ることが無いので、お蔵入り状態になっているが、とても便利だ。家族で遠方に出かける時にこいつを子供に渡しておけば、勝手にお絵かきなんぞをやってくれる。おかげで車内で退屈になって文句を垂れることもない(笑)不満は、"All in One は要らない"というタイトルで書いてきたことが全てだ。WindowsCEマシンであるから電源のオン・オフをあまり意識する必要がない。蓋を開ければ直ぐに使える。しかし、やはり遅い。きびきびと動く感じは無い。そもそもWindowsCEであるから、複数のアプリを立ち上げて使える仕組みを有してはいるが、結局はメモリの少なさからアプリを複数立ち上げて使うことは現実的ではない。自分のはJCMではないので本体メモリは16Mだ。もっと軽いOSであれば、もっとキビキビと動くはずなのにと思う。技術力と環境があれば、システムROMを焼き直してDOSを移植したいくらいだ。以前に書いたPC-98HAは本体メモリが2Mだった。しかし文章の下書きには(キーボードの劣悪さを除いて)十分に役に立った。仕様上のスピードは格段の開きがある(98HAの方が断然遅い)が、体感速度は600JCの方が圧倒的に遅い。ハードウェアの問題ではなく、オペレーティングシステムの問題だ。teliosはもっとキビキビ動いたらしいが、残念ながら所有していない。これまでの、そして今の現状は、重いOSをハードウェアの力でぶん回している状況だ。この状況は今後も続くだろう。ハードウェアの進化で、省電力も進むだろう。でも、どこかいびつな進化のような気がしている。一家に1台の時代は目の前だ。我が家のように既に1人1台の環境となっている家庭も多くなるだろう。だが、皆が皆DVDを必要とするわけでもないし、テレビ録画をPCでする必要があるわけでもない。ちょっとPC上で電子書籍を読む、という行為の為に電源を入れて起動を待ち、マウスを動かして読みかけの電子書籍を読み…というような動作をするのは間違っている。文書を読むのなら文庫本を開く程度の時間、文書を書くのなら鉛筆を保つ程度の時間で、それを始められるのがベストだ。WindowsCEで使用されているハードウェア性能ならば、それが出来たはずだ。だが、WindowsCEもまたマルチメディアの奔流に飲み込まれてしまった。何度でも言おう。mp3プレイヤーは専用機がある。DVDを見るのならDVDプレイヤーがある。そんな機能のないハンドヘルドが欲しい。どこかのメーカーさん、作ってくれ~。
2006年02月01日
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実際、自分でもしつこいと思う(笑)今日も書くぞ、大半は愚痴だが。8ビットパソコンがホビー市場で受け入れられ、16ビットバソコンが仕事の現場で受け入れられるようになった時代、更なる収益を求めてMicrosoftはWindowsを売り出した。MS-Windowsがマニアの手から一般消費者の手に渡ったのが、バージョン3からである。そこからパソコンの新たな進化の道が始まったといって良い。日本で爆発的に広まったのは3.1からだ。V3.1を経てV4.0即ちMS-Windows95へと進化し、その後V4.1つまりWindows98が出てくることによって、パソコンは更にユーザー数を増やすことになる。新たなユーザーと言えば聞こえはいい。だが、そこで増えたユーザーの大半はDOSの時代を知らない人達であり、パソコンの基礎知識…どのような仕組みで動いているか、或いはファイルとは何か、ディレクトリーの階層構造はどうなっているのか等々、DOSの時代にパソコンの洗礼を受けた人達ならば概念として備わっているはずの知識を持ち合わせてはいなかった。ビットとドットの違いが解らない人間などゴロゴロいた時代なのだ。あんたのパソコンは16ビットだが、俺のワープロは48ビットだ、と偉そうに自慢する人が本当にいた時代だ。こちらとしては”そりゃドットだろう”と思いつつも”へぇ、スゴイですねぇ”と反応するしかなかったが(笑)95、98から現在に至る流れは、マルチメディアへの傾倒である。それは”わかりやすさ”へ注力した結果であったかもしれない。言葉(コマンド)からアイコン(絵)へ時代は移り、パソコン人口を更に増やすことになった。当然のことながら、絵の処理は文字の処理よりもパワーが必要になる。それはメーカーにとっても都合の良い流れだった。よりパワフルな処理能力が必要になれば、それを満たすパソコンを製造し、市場に流す。Windows3.1は動きますけど、95を動かすにはパワー不足です。Windows98は動きますけど、MEを動かすにはパワー不足です。MEは動きますけど、XPを動かすにはパワー不足です。次は、XPは動きますけど、Vistaを動かすにはパワー不足です、だろう。このようにして、パソコンは更に更にパワフルになっていく。さて、今、パソコンの上でMS-Wordを使っているとしよう。では、20年前にDOS版の一太郎を使って書いた文書と、今XP上のMS-Wordで書いた文書と、どこがどれだけ違うというのだろう。確かに美麗な文書が作れるようになった。多くの人の様々な要求に応えられるようになった。しかし、ある人々は一部の機能、他の人々は他の一部の機能を使うに過ぎず、基本機能だけで十分という人も多いのではないかと思う。例えば、会社内で作成する(プレゼン用ではない)文書の大半は、Wordpadのような簡易ワープロソフトで十分に作成できるものだ。内容に関してはどうかと考えれば、文章そのものの内容がパソコンの進化に合わせて進化するわけもない。文章を考え出す当人の頭が進歩しない限り、そこから紡ぎ出される内容に変化は無いのである。ソフト・ハード各々のメーカーの思惑は、当然ながら”収益の向上”である。これまでは、よりパワフルな方向に進むことだけが、パソコンにとっての至上命令であり、同時にメーカーが収益を向上させる為の手段であった。しかし、多様化の時代を迎えて、今、改めてメーカーは考えてみるべきではないのか。”PCは儲からない”と某メーカー系代理店の営業がこぼしたことがある。上を目指すことにばかり目をとらわれて、どこのメーカーの出すパソコンもデザインが異なるだけの金太郎飴状態だ。旧機種はすぐに陳腐化してしまう。去年の最高機種は今年の中堅機となり、来年の入門機だ。5年もたてば最新のOSを走らせるには苦しいレトロマシンとなってしまう。しかし、やってることは20年前と変わらない…。これは、どこか変じゃないか?パソコンの隆盛によってワープロ専用機は姿を消した。当然である。しかし、実はユーザーにとっての当然ではなく、メーカーにとっての当然である。ワープロは各メーカー独自のものであった。それ専用の生産ラインを必要とするものだ。簡単に言えば製造コストが高くつく。コストを下げて収益を上げることは企業にとっての原則である。さて、ここに、どんな調理にも使える万能の包丁があるとする。値段は10万円だ。素人でも簡単かつ正確に微塵切りができ、かつら剥きもお手の物。リンゴの皮をむくのにも役立つし、肉切り包丁にもなる。便利で簡単に使えそうだが、重すぎて大きすぎるという問題点がある。自分はリンゴは大好きだ。洗って丸かじりでもかまわないが、ここはせめて4つ割りくらいにはしておきたい。となると果物ナイフが一本あれば良い。しかし、気付いた時には例の万能包丁しか売っていない。仕方がないので例の万能包丁を買い、昔の果物ナイフは軽くて手軽に使えたものだよなぁ、と嘆息しつつ使うのである。いや、例の万能包丁には、ハート型に切ったり、芯だけ抜いてくれるなどの便利な機能もあるので、面白いのだけど、そうしたことはリンゴの味には無関係だ。道具というのは必要に応じて進化してきた。パソコンは本当に必要に応じて進化してきたのだろうか。ニーヅはそこにあるのではなく作り出すものだという。これまでは、それが可能だったかもしれない。しかし、これからはどうだろう。パソコンメーカーも考えなくてはならない時代がやってきている。多機能万能マシンは便利だ。車で例えれば、現状は全てのメーカーがリムジンを製造しているように見える。それが最善のやり方だと無理矢理に信じ込んでいるようにさえ見える。価格競争の為に排気量1000CCのリムジンと排気量5000CCのリムジンを造り、それぞれの懐具合に合わせて選んでもらうようにしている。買い物くらいなら1000CCでいいでしょうと言わんばかりだ。そこには軽自動車を作る発想はない。原付バイクを作る発想もない。自分は家族で出かける時に役立つ普通車も欲しいし、自分一人で本屋に出向く時の原付バイクも欲しい。しかし、パソコンの世界では、原付バイクに相当するものが無い。テキストエントリーマシンを欲しがっている人間は、実は相当に多いのではないかと思う。インターネット上をさまよえば、そのような意見や要望は多く見られる。パソコンが本当に”道具”となる為には、多機能化の一方で単機能化も必要だ。単機能マシンが出されることで多機能マシンが忌避されるということは起こりえない。そもそも市場が異なっている。遊び心を刺激する単機能携帯マシンが出てくることを、切に願っている。
2006年02月01日
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