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新橋三丁目に「桜田公園」があります。当社の氏子地域の公園の1つです。会社員の方や、近くにお住まいの方々の憩の場であります。この公園の桜が満開で美しかったので、今日は写真で御紹介致します。 新橋の駅近くでも「桜」をご覧頂けるのです。少し歩けば、「浜離宮」や「日比谷公園」なども当社のお近くにございます。
2006年03月31日

本日、平成18年度烏森神社大祭実行委員を、参道にある掲示板の横の臨時掲示板(これから奉納板にもなります)に掲示致しました。各町会の総代、神輿渡御の中心となる方々、責任者・警備など、今年の大祭に関わる方々のお名前が書いてあります。大祭まであと1ヶ月少々となりました。これから境内にも各町会にもポスターや幟等で新橋の氏子地域がお祭り一色となってくることでしょう。ポスターに関しましては、現在作成中でございます。出来上がり次第UP致します。平成16年度の本祭のポスターは「紫」、今年は「黒」を基調にデザインされております。平成18年度烏森神社例大祭の詳細についてはこちらをご覧下さい。
2006年03月29日

今日は大変お天気が良く、まさにお散歩日和です。土曜日ですが、参拝の方も多くいらっしゃいます。春の日差しのあたった境内の木や花の芽吹き・様子を少しですがお伝えいたします。 新しい芽が出てきたり、花をつけている様子を観察していると、自然の力・元気を分けてもらえるような気がしてなりません。
2006年03月25日

春の暖かい日、冷たい雨の日が繰り返すお天気です。都内各所の桜も開花しているようですが、当社の境内の桜の木も僅かながら花が咲き始めております。 桜の木は、社殿向かって左にあります。つぼみも花も枝の先に少し付いているといった感じで、満開…と言うには寂しい感じですが…。花をみつけた時にはすでに、咲いていて驚きました。近年この桜の木は少し元気がなかったので、心配しておりましたが、今年も少しですが、花を咲かせてくれて嬉しい気持ちになります。
2006年03月24日

「春分の日」とは「自然を称え、生物をいつくしむ日」とされる国民の祝日です。「春分の日」は祝日法で「春分日」とし、前年の2月に国立天文台が作成する「暦象年表」という小冊子に基づいて閣議で決定されます。「春分日」また「秋分日」自体は天文学的な言葉ですが、この日付を元にして「春分の日・秋分の日」が決定されるのです。「春分」とは二十四節気の1つとされております。~二十四節気 とは~太陽年を日数や太陽の黄道上の視位置により24等分し、その分点を含む日に季節を表す名称をつけたものです。ですので、今日は「春分点」を太陽が通過する日とされます。丁度、太陽が真東から上に昇って真西に沈みます。赤道上の観測者からは正午に天頂を通過します。北極点・南極点の観測者は地平線と重なるようにして太陽が動き、昇ることも沈むこともないのです。昼と夜の長さが同じとされています。この「春分」の日を昔の人は「春を祝福する日」と考えていました。木々は芽吹き、花をつけ始め、長い間冬眠していた動物や虫などが動き始め、人々もやる気に満ちて、生物が活気にあるれる季節なのです。また、春分前後に先祖に感謝の気持ちを伝える習慣があります。この「春分の日」が祭日になったのは戦前(明治時代)「春季皇霊祭」として宮中で祖先を祭る日となったのがきっかけとして、民間でも祭日とされました。戦後「春分の日」として国民の祝日と制定されました。現在でも宮中では「春季皇霊祭」(皇霊殿で行われるご先祖祭)・「春季神殿祭」(神殿で行われる神恩感謝の祭典)が執り行われております。今日は「春分の日」に相応しい清々しい春のお天気ですね。春を喜び、活き活きとした生命力に溢れた自然にふれ、自らにその生命力を取り入れられる喜び・自然・祖先に感謝しましょう。
2006年03月21日
先日「彼岸」の中で「社日」について少し触れましたが、今日は「社日」についてお話致します。社日とは雑節の一つです。春と秋にあり、春のものを春社、秋のものを秋社ともいいます。春社は種もみの浸しの目安(稲作の始まり)とされ、五穀の種を供えて豊作の祈願をします。春の社日に酒を呑むと耳が良くなるという風習があり、これを治聾酒といいます。秋社は収穫の時期であるので、収穫の感謝と来年の農作物の占いなども行われていたそうです。「社日」は春分または秋分に最も近い戊の日(前後同日数の場合は前の方の戊の日)が社日となります。ですので、今日はその「社日」にあたります。社日は古代中国に由来し、「戊」という漢字には「土」という意味があり、「社」とは土地の守護神、土の神を意味します。「社日」は産土神に参拝して感謝と祈願をする日なのです。土地神としての地神を祀る習俗、農神の去来伝承、社日参り(七鳥居参り)など地域によって様々な伝承があります。 各地農村ではこれに合わせて餅をついたり神社を回ったりといったことが行われていました。 例えば、徳島県では御地神様といって、頭屋で餅をついて祭る習慣があります。長野県では御社日様が「田の神」であるとの信仰があり、この神が春社の時分に山から降りていて、稲の生育を見守り、秋社の時分に山に戻っていくと考えられていて、春・秋共に餅をついて祭る習慣があります。福岡県嘉穂郡の一部では「おしおい」といって、海砂をとってきて、家の内外を清める習慣があります。家毎のささやかな社日や祭であっても、村を挙げての賑やかな鎮守の杜の氏神の祭礼でも、自然の恵みに感謝をする素朴な感情から生まれたことは変わりないのです。余り聞きなれない「社日」かも知れませんが、今日は「産土神(生まれた土地の守護神)」を祀る日ですので、どうか産土神である神社に感謝し、ご参拝いただけたら良いかと思います。
2006年03月20日
元々「彼岸」と言う言葉は、仏教用語から出来たもので、梵語の訳だといわれています。しかし、この「彼岸」は他の仏教国にはない日本固有の信仰です。彼岸とは極楽浄土のことで、私たちが生きているこの世界のことを此岸と言います。お彼岸の初日3月18日頃を「彼岸の入り」真ん中にあたる春分の日3月21日頃を「彼岸の中日」終日を「彼岸の明け」といいます。今日は「彼岸の入り」の日なのです。3月18日から24日までの1週間を「春彼岸」と昔から言われてきました。丁度、彼岸の中日(3月21日)は昼と夜の長さが同じになる日です。彼岸は、一年のうち春と秋の2回ありますが、俳句の季語では、春の彼岸のことを「彼岸」と言い、秋の彼岸のことを「秋の彼岸」とか「のちの彼岸」と言い伝えられてきました。ここで、「神社に彼岸はあるのか?」と疑問に思われます。お寺(仏教)では「彼岸」といいますが、神社(神道)では「社日」というものがあるのです。日本の民俗行事というのは、平安時代末期頃からお寺系と神社系とが分離される傾向が出てきたようです。結果例えば、お盆はお寺、お正月は神社、子供が産まれた時(初宮・宮参り)は神社、死んだ時(葬儀)はお寺、といった共存分離の原則が長い間の歴史の中で日本人の精神(信仰)に確立されてきたようです。お彼岸という行事も本来は仏教も神道もあまり関係なかったのではないかと思われますが、お彼岸の中日にはお寺での供養という流れが出来てしまった為、神社では『社日』というのを設けて、事実上お彼岸の行事をするようになりました。「社日」は現在春分・秋分に最も近い戊の日、と定められています。今年は20日がその日(春社)にあたります。農業の予定でいくと、だいたい春社が種まきの時期、秋社は収穫の時期で、各地農村ではこれに合わせて餅をついたり神社を回ったりといったことが行われていました。「社日」については当日の20日にご説明致したいと思っております。神道(神社)の「社日」は仏教(寺)の「彼岸」とは少し違った意味合いがあるようです。
2006年03月18日
今日は御祭神の一柱「瓊々杵尊」についてのお話を致します。「瓊々杵尊」は、稲穂の神(穀霊)であり、主に農業の神、五穀豊穣の守護神として御祀りされています。瓊々杵尊は「天孫降臨」神話の主役です。「古事記」には本名「天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸尊」
2006年03月17日

春になり、過ごし易くなると写真のような方々の参拝が見受けられます。色々な名所や社寺仏閣を歩いて散歩されているのです。この集団の方々のことはあまり存じ上げませんが、ツアーのような光景で、引率の方がいて、縁起などを参加者の方に説明しています。縁起が書かれている手水舎のところや、神輿蔵などご覧になる方が多いです。これから、散歩に良い季節になるとこのようなご参拝の方が多くいらっしゃることでしょう。
2006年03月15日

現在、社殿上、右の掲示板と参道の掲示板にはH16年度のものとH14年の大祭のポスターの掲示をしております。本年度のポスターについては現在、作成中でございます。出来次第、御案内致します。参道掲示板の横には奉納板を設置。~神輿渡御に関して5月5日~「本社大神輿」「氏子神輿」「女神輿」の三基にて宮出、新橋駅(ニュー新橋ビルの周りを一周。宮入に関しては「本社大神輿」の宮入の前に「氏子神輿」が先導神輿として宮入予定。本年度より「氏子神輿」の蕨手に「烏」が付きます。
2006年03月14日

今日は大変お天気が良く、春の陽気が感じられる一日でした。新橋周辺の街路樹で、梅などの季節の花が咲いているのを見かけました。 実際に新橋周辺で撮った写真です。新橋周辺でも意外と季節の「花」が咲いており、普段何気なく歩く路でも新鮮に思えます。そして、特に「春」は色々な種類の花が咲いていて、どこからともなく「花」の香りが漂い、お日様の光と穏やかなそよ風で「春」を感じることが出来ます。ここ新橋でも特に休日はこの時期、天気が良いと、今日のような「春」の空気になります。社務所前の椿の花も一斉に咲き、大きな花を沢山咲かせています。まだ、先の話ですが、5月4.5.6日の例大祭でも、お天気が今日のように晴れ渡って欲しいと思います。
2006年03月11日

このところ、お電話で神輿渡御についての問合せがありますので、フリーページの方に時間と場所等を以下の内容でUPしております。平成18年度は2年に一度の本社大神輿の渡御(5月5日)を予定しております。~本社神輿渡御の予定~ 5月5日(金)こどもの日新橋駅前(機関車広場の辺り)より宮出し・午前10時30分 発輿祭 ・午前11時 白梅太鼓奉奏・午前11時30分 発輿(出発) ・午後 5時30分 帰輿予定 宮入り上記の時間は、予定でございます。進行等の条件によって時間の変動が多少ある場合がございます。神輿の進行図は神輿蔵のところにご用意する予定でございます。当日は新橋駅前は勿論のこと・氏子地域の道路一部(渡御する道路)は駐車禁止・通行止となります。また、新橋駅周辺は前日夕方より駐車禁止となります。当日の車でのお越しはご遠慮願います。また、5月5日社殿では「重要民俗無形文化財 若山胤雄社中」神楽奉奏(10時~20時)がございます。
2006年03月09日

昨日、「春一番」が関東地方に吹きました。気象庁では立春以降(冬から春へ移り変わる時季)、初めて吹く南寄りの強風のことを「春一番」として発表しているそうです。 ただ、以下の条件を満たしていた場合を「春一番」とするそうです。1、立春から春分の日の間 2、日本海で低気圧があること 3、南寄りの風速8m/s以上の強風が吹き4、気温が上昇することこの条件が揃わなければ、「春一番」とは呼ばないそうです。今年は昨日、以上の条件が満たされた風が吹いたので「春一番」となったのです。境内では、字のとおり春の訪れを告げる「椿の花」が満開です。(「椿」=木へんに春)社務所前の椿も花が満開…つぼみも沢山付いていて、今後もそのつぼみが競うように咲くのでは?!と思われます。今日は「春一番」が吹いた次の日とは思えないほど、曇った肌寒い日でした。『あなたはどのような時に「春の訪れ」を感じますか?』というアンケートで「暖かな春の日差し」という答えが一位。今日はその「春の日差し」が感じられず残念でした。「春の花・植物」が2位でした。こんな日は境内の花(少しですが)で少しでも「春」を感じて頂ければ…と思います。
2006年03月07日
本日より3週間ほど掛けまして、社殿内などの老朽化に伴い、改修工事を行うこととなりました。今回の改修工事は主に社殿、参集殿、授与所などの部屋の中の壁を綺麗にする作業となります。特に社殿内の作業を行っておりますことで、ご参拝の皆様にはご迷惑をお掛けいたしますが、何卒ご理解頂きたいと存じます。
2006年03月06日

3月4日 平成18年度『初午祭』を執り行いました。昨日の夜から皐月会の方がもち米の仕込みをし、今日の午前中から餅つきの奉納が行われました。 お昼頃にはお餅がつき上がり、境内では威勢の良い掛け声と共に、多くの方が参拝され、大変賑っておりました。 また、神輿庫の扉も開いておりました。5月5日大祭の本社大神輿渡御を楽しみにされている方も非常に多く、普段はご覧いただけない神輿をカメラで撮影をされている方もいらしゃいました。午後2時からは『初午祭』が執り行われました。多くの氏子崇敬者の方のご参列を頂き、祭事滞りなく斎行申し上げました。『初午祭』ご神前の様子心配しておりました、お天気にも恵まれ、暖かい春光の中「初午祭」は賑々しく執り行われました。
2006年03月04日

3月3日の『雛祭り』は「桃の節句」「上巳の節句」「弥生の節句」などという呼び名があります。かつては「節句」を「節供」と書きました。「上巳の節句」とは、旧暦3月3日が十二支の上の巳の日であるところから始まりました。「雛祭り」は雛人形やその調度品を飾り、白酒、桃の花、菱餅などを供えて、女児の健やかな成長を祈る行事です。 この3月3日の節句の風習は古くからある雛遊びと、中国から伝来した厄祓が一つになったものです。日本には昔から季節の変わり目に体を清め、厄を祓う習慣がありました。現在も残る端午(五月五日)や七夕(七月七日)をはじめとする五節句はもとは中国から渡ってきた習慣です。古代中国では3月の最初の「巳」の日に水で体を清め、宴会を催し厄を祓うという祭りがありました。その「上巳の節句」が日本に伝わり、宮中や上流社会で行われる行事として日本古来からあった人形に厄を移す風習などと混ざり合い、平安時代になると、祈祷師を呼んで祈りをささげ、人形をなでで厄を移し、供物を備えて、無病息災を念じつつ3日の夕方に火を灯して川に水に流すといった祭りが毎年行われるようになってゆきました。菰に包んだ供物を添えて流すこの紙人形は、厄祓を意味するものでした。またそのころ、上流階級の女の子の間で「ひいな遊び」といって、紙で作った人形と身の回りの品に似せてつくったおもちゃの家財道具を使った、ままごと遊びが盛んに行われていたようです。室町時代には上巳の節句の厄祓い行事は3月3日にほぼ定まってきましたがこの頃はまだ禊ぎの行事として人形を流していたようです。その後戦乱の世が落ち着いた江戸時代になって、宮中行事としてひな祭りが取り入れられ、その後幕府の大奥でも取り入れられました。そのうち上流階級のものであったひいな遊びなどが庶民に親しまれ、女の子の初節句を人形を奉ってお祝いするという形が定着しました。江戸初期以降、女児の成長と幸福を願って民間にも広まりました。初期は内裏びな1対にお供え物をして祝うという形だったのが、江戸中期には段飾りが登場し、三人官女をはじめとする付属の雛人形や雛道具の数が増えました。将軍家へのお嫁入りの際に嫁入り調度とまったく同じミニチュアを雛人形とともに持っていった例もあります。庶民の間でも3月3日が近くなるとあちこちにひな市が並び、流行を競い大変なにぎわいを見せていたということです。その後明治以降になるとひな祭りは農村にまで普及し、現在に至る形になっています。雛人形はいつしか王朝風の美しい雛人形へと変化し、人々に愛玩され鑑賞されるようになりましたが、それと共に祓いの習俗は後退していきました。 しかし、この飾り雛の変遷とは別に、災いを川や海へ流す禊ぎの意味を持つ流しびなも各地方で根強く残っています。例えば、鳥取県地方にはそのような雛祭りの原型が「流し雛」という形で残っています。ささ船に千代紙で作ったおひなさまを神社に奉納、ご祈祷後、着飾った幼児の手で川へ流す様子は本当に風流なものです。他にも桟俵という稲穂で編んだ船に乗せて流すなど全国各地でその風習が残っています。当社では「桃の節句」ということで、神前でお清めいたしました「白酒」を女性の方に限り、境内にて振舞っておりました。又、神前には節句にちなんだ菱餅やお菓子をお供えしておりました。 本日の白酒の振舞は告知等を一切しておりませんでしたが、多くの女性の方がご参拝下さいました。また、境内に「おひなさま」の音楽も流しておりましたので、今日が「桃の節句」とお気付きになる方も多くいらっしゃったようです。
2006年03月03日

弥生<やよい>日本では、旧暦3月を弥生と呼び、現在は新暦3月の別名としても用います。弥は「いよいよ」とか「ますます」という意味で、植物がますます生い茂る月という「木草弥や生ひ月」(風も雨も日増しにあたたかく、草木は弥さらに生えるの意)が詰まって「やよい」になったといわれております。~弥生の異称~桃や桜が咲くので花月、だんだん暖かくなって眠気を誘うので夢見月という異称もあります。他では、嘉月、花見月 、桜月(さくらづき)、桃月、春惜月、末春、暮春、浙々成長、柳糸引、等のいずれも植物の成長や季節感の豊かな言葉で表現された異称を持ちます。うららかな春の光に誘われ、野山では木々が一斉に花開きます。俗に「春は黄色から」と言われ、早春に咲く花はマンサク、サンシュユなどの黄花が多いです。そして日本の春といえば桜。現代では桜といえばソメイヨシノですが、万葉集などに詠まれた桜は自生の山桜でした。種類は違えど、開花を待ちわび、散る花を惜しむ気持ちは時代を超えても変わらず日本の心として持ち続けられています。今日は一日中雨の「春」に相応しくない寒い一日でした。穏やかな春の陽が待ち遠しいです。
2006年03月01日
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