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秋(15) ゴルフ練習場へ朝一番(9時)に行くと既に10名程の老人がプレイを始めていた。近所の常連なのだろう。隣同士で歓談して居るので分かる。先日、一緒に廻った相手はこの練習場の近所に住んでいるとの事で時々この練習場を使って居ると言っていたが見当たらなかった。当然だろう。お互いに月に一度程度の利用だから逢う確率は30分の一なのだ。更には午前と午後の違いもあろうからその三倍以上だろうし、休日にはボクは余り行かないから彼が休日にしか行かないとすれば逢わない確立の方が高く成る。ロト6の確立と変わらなくなる訳だ。人間はそういう確立を無視して偶然性を喜ぶ生き物の様である。仮に休日にボクが気変わりして行ったとすれば逢う確率はグンと上がる。彼も平日に偶然行ったとすれば更に逢える確率は増す。そんな事を考えながらプレイを始めると、未だボールが落ちて居ずグリーンが綺麗で清々しい気分に成れた。たまたま午後にでも行くと一面がボールで白く観える事がある。だからそれが嫌で午後や休日には行かないようにしているのだ。小説「猫と女と」(17) 次の水曜日の早朝、大学の定例工程会議の為に静岡に向かった。週の中日に工程会議を開けば先週と今週の状況が手に取る様に分かるので最初に希望しておいたのだった。何時もなら新幹線に揺られ始めると眠気を催し居眠ってしまうのに「あの子、実は韓国人だそうだよ」と女に言ってしまった言葉を想い出し、今頃になって気に掛かり始め眠れないのだった。言った当時は即座に何とか上手く誤魔化しはしたものの、以来、女との間に僅かばかり心のわだかまりを感じ始め女との距離を意識する様になってしまった。ひょっとして私の考え過ぎだったとしても結果的には女との逢瀬が少なくなっている現実は否定できなかった。しかし、舞子には同様の事を言っても無反応に近く、多分、女から私の偏見に満ちた考え方を聞かされている筈なのに敢えて押黙っているのだ。 その理由が私には分からず、全くそういう素振りを見せない以上、話題にする事も出来なかった。もし、女ではなく元夫が韓国人だとすればどうだろう。それでも舞子には半分父親の血が流れているのだ。が、女は舞子を可愛がり、離婚して元夫から切り離している。その訳は父親との関係を断ち切って金銭的な繋がりだけの関係にしたいという事なのだろうか。その影響を受けたせいか舞子は父親には冷淡で、女も月にー度の事務所との関係を持ってはいるが経済的理由だけと割り切っている様だ。舞子が語学留学でニューヨークへ行き、その後、女もニューヨークへ行ったのも金銭的処理だけの為で、わざわざ自分が出向いた訳は所有権が共有だったからだろう。それなら頷ける。共有でありながら元夫が税金の追徴金の為に処分せざるを得ない関係で処分したとしても彼女には相当額の金が残った筈だ。 不況で不動産にかなりの目減りがあったとしても銀行にはマンションを処分した分の彼女名義の口座が在る事になる。尤も、それらは私には全く無関係な事柄ながら女が余裕をもって生活が出来、私との関係を切ろうとしない理由の背景としては充分納得出来る。まして舞子が私のような初老の男を恋人として関係を持ち続けるのは、母親と私との関係が無ければ起こり得なかった事だ。世の中には私よりも数段も上の良い男は腐るほど居る。とは言え、それは金目当ての男ばかりだろう。猫を被った相手ばかりの中に、たまたま彼女等の条件に当てはまる男が私だった訳だ。だとすれば何も心配する事も無いのだ。このまま成り行きに任せれば時間が解決してくれるだろう。それ以上は考えが整理出来なかった。名古屋を過ぎた辺りで携帯が鳴った。舞子からだった。 「何ヨ?随分喧しい騒音ネ」「新幹線で静岡に向かっている処だ。これから大学の工程会議なんだ」「あら、そうなの。・・・じゃ、夜には大阪に戻って来れるわネ?」「その積もりだけど、何か?」「夕食をー緒に取りたいの」「ほう、どういう風の吹きまわしだ?舞子から食事の誘いなんて」「母もー緒ヨ」「えッ、何か用件でも?まさか見合いの件?」「そうじゃないワ。あれは私キッパリ断った。母が折入って話したい事があるそうヨ」「そうか。じゃあ、八時に梅田のヒルトン・ホテルのロビーで」電話を切って、何の話かと考えた。成り行きに任せれば時間が解決してくれるだろうと考えた矢先の話だ。大した話では無さそうだが気にかかる。見合いの件で無いとすれば、まさか差別発言の事でもあるまい。そういった類の話なぞ話題にも成らない筈だ。 ひょっとして彼女等のー身上の事だろうか。そろそろ我々の関係をハッキリさせておきたいとするなら、舞子との関係がバレたか、それとも危惧していた女の計画の詰めの段階の話だろうか。大学に着いてもその事が頭から離れなかった。「先生、何かお疲れの様ですネ?」と現場事務所の所長が私の顔を見て言った。それほど表情に出ていたのだろう。何時もの様に午後からの会議は三時には終え、大学の理事や学長とも少しばかり話をしてから直ぐにタクシ―で浜松駅に向かった。新幹線に乗るとどうしても心に引っかかって女に電話を掛けた。「あら、わざわざ静岡から電話をくれなくても今夜会えるのに・・・」「折入った話と言うから気に成って・・・」「フフフ、案外神経質なのネ。嬉しい話なのヨ」「嬉しい話って?」「実はネ、舞子、お目出度なの」直ぐには理解出来なかった。舞子に何か慶事でもあった風に聴こえた。 「何か祝い事かい?」「そうヨ、私達にとって」「私達?」「舞子のお腹に貴方の子供が居るのヨ」ー瞬、言葉に詰った。「どう?嬉しいでしょう?」女は追い打ちを掛ける様に言った。「ま、舞ちゃんが、そう言ったのか?」喉がカラカラに乾いて声が引きつった。「そうヨ。舞子も嬉しい様子だけど、恥ずかしいから貴方に言いだせなかった様ネ」「き、君は、知って居たんだ!」「そうヨ、最初からネ」「君という人は・・・親子で何とも無いのか?」「あら、言ってくれるわネ。貴方はどうなの?私の娘と分かって手を出したくせに」「そ、それは・・・」「そんな事より、私は嬉しいのヨ。貴方なら安心して舞子の事を任せられると想ったの。舞子も貴方の事を真剣に愛しているから良いじゃない」「娘と共有なんて何とも思わないのか?」「嫌だワ、共有だなんて、貴方は私の神様なのヨ。そして舞子には大切な恋人なの」(10月上旬につづく)
2012/09/30
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秋(14) 最近、どんな建物を観ても感慨深く感じる事がない。唯、寺院や神社、城郭、そして数寄屋建築には感動を受ける。どうして近代建築や現代建築に何も感じなくなってしまったのか考えてみるに、それらが薄っぺらく単に奇をてらったものでしか無い点が気に喰わないのである。機能性だけを追求した工場や土木構造物の方が迫力がある。何故なら目的に向かって無駄な部分を排除した設計が為されているからだ。西欧建築においても同じ事が言え、寺院や城郭には今も惹かれる。世界中の人々を魅了するだけの迫力がある。その証拠に観光客が絶えない。では近代建築や現代建築が総て駄目なのかと言えば実はそうではなく、著名な建築家の設計した建物には敬意を払うだけの値打を感じる。それは寺院と同じく洗練された美というものを持っていて無駄が無いのだ。仮にあってもそれを感じさせない。このゴルフ場のクラブハウスは黒川紀章の設計であるが、ボクの評価では60点でギリギリ合格点を与えられるものの感銘までは行かない。小説「猫と女と」(17) 次の水曜日の早朝、大学の定例工程会議の為に静岡に向かった。週の中日に工程会議を開けば先週と今週の状況が手に取る様に分かるので最初に希望しておいたのだった。何時もなら新幹線に揺られ始めると眠気を催し居眠ってしまうのに「あの子、実は韓国人だそうだよ」と女に言ってしまった言葉を想い出し、今頃になって気に掛かり始め眠れないのだった。言った当時は即座に何とか上手く誤魔化しはしたものの、以来、女との間に僅かばかり心のわだかまりを感じ始め女との距離を意識する様になってしまった。ひょっとして私の考え過ぎだったとしても結果的には女との逢瀬が少なくなっている現実は否定できなかった。しかし、舞子には同様の事を言っても無反応に近く、多分、女から私の偏見に満ちた考え方を聞かされている筈なのに敢えて押黙っているのだ。 その理由が私には分からず、全くそういう素振りを見せない以上、話題にする事も出来なかった。もし、女ではなく元夫が韓国人だとすればどうだろう。それでも舞子には半分父親の血が流れているのだ。が、女は舞子を可愛がり、離婚して元夫から切り離している。その訳は父親との関係を断ち切って金銭的な繋がりだけの関係にしたいという事なのだろうか。その影響を受けたせいか舞子は父親には冷淡で、女も月にー度の事務所との関係を持ってはいるが経済的理由だけと割り切っている様だ。舞子が語学留学でニューヨークへ行き、その後、女もニューヨークへ行ったのも金銭的処理だけの為で、わざわざ自分が出向いた訳は所有権が共有だったからだろう。それなら頷ける。共有でありながら元夫が税金の追徴金の為に処分せざるを得ない関係で処分したとしても彼女には相当額の金が残った筈だ。 不況で不動産にかなりの目減りがあったとしても銀行にはマンションを処分した分の彼女名義の口座が在る事になる。尤も、それらは私には全く無関係な事柄ながら女が余裕をもって生活が出来、私との関係を切ろうとしない理由の背景としては充分納得出来る。まして舞子が私のような初老の男を恋人として関係を持ち続けるのは、母親と私との関係が無ければ起こり得なかった事だ。世の中には私よりも数段も上の良い男は腐るほど居る。とは言え、それは金目当ての男ばかりだろう。猫を被った相手ばかりの中に、たまたま彼女等の条件に当てはまる男が私だった訳だ。だとすれば何も心配する事も無いのだ。このまま成り行きに任せれば時間が解決してくれるだろう。それ以上は考えが整理出来なかった。名古屋を過ぎた辺りで携帯が鳴った。舞子からだった。 「何ヨ?随分喧しい騒音ネ」「新幹線で静岡に向かっている処だ。これから大学の工程会議なんだ」「あら、そうなの。・・・じゃ、夜には大阪に戻って来れるわネ?」「その積もりだけど、何か?」「夕食をー緒に取りたいの」「ほう、どういう風の吹きまわしだ?舞子から食事の誘いなんて」「母もー緒ヨ」「えッ、何か用件でも?まさか見合いの件?」「そうじゃないワ。あれは私キッパリ断った。母が折入って話したい事があるそうヨ」「そうか。じゃあ、八時に梅田のヒルトン・ホテルのロビーで」電話を切って、何の話かと考えた。成り行きに任せれば時間が解決してくれるだろうと考えた矢先の話だ。大した話では無さそうだが気にかかる。見合いの件で無いとすれば、まさか差別発言の事でもあるまい。そういった類の話なぞ話題にも成らない筈だ。 ひょっとして彼女等のー身上の事だろうか。そろそろ我々の関係をハッキリさせておきたいとするなら、舞子との関係がバレたか、それとも危惧していた女の計画の詰めの段階の話だろうか。大学に着いてもその事が頭から離れなかった。「先生、何かお疲れの様ですネ?」と現場事務所の所長が私の顔を見て言った。それほど表情に出ていたのだろう。何時もの様に午後からの会議は三時には終え、大学の理事や学長とも少しばかり話をしてから直ぐにタクシ―で浜松駅に向かった。新幹線に乗るとどうしても心に引っかかって女に電話を掛けた。「あら、わざわざ静岡から電話をくれなくても今夜会えるのに・・・」「折入った話と言うから気に成って・・・」「フフフ、案外神経質なのネ。嬉しい話なのヨ」「嬉しい話って?」「実はネ、舞子、お目出度なの」直ぐには理解出来なかった。舞子に何か慶事でもあった風に聴こえた。 「何か祝い事かい?」「そうヨ、私達にとって」「私達?」「舞子のお腹に貴方の子供が居るのヨ」ー瞬、言葉に詰った。「どう?嬉しいでしょう?」女は追い打ちを掛ける様に言った。「ま、舞ちゃんが、そう言ったのか?」喉がカラカラに乾いて声が引きつった。「そうヨ。舞子も嬉しい様子だけど、恥ずかしいから貴方に言いだせなかった様ネ」「き、君は、知って居たんだ!」「そうヨ、最初からネ」「君という人は・・・親子で何とも無いのか?」「あら、言ってくれるわネ。貴方はどうなの?私の娘と分かって手を出したくせに」「そ、それは・・・」「そんな事より、私は嬉しいのヨ。貴方なら安心して舞子の事を任せられると想ったの。舞子も貴方の事を真剣に愛しているから良いじゃない」「娘と共有なんて何とも思わないのか?」「嫌だワ、共有だなんて、貴方は私の神様なのヨ。そして舞子には大切な恋人なの」(10月上旬につづく)
2012/09/29
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秋(13) 今回一緒にプレイした仲間の一人は、前日も奈良のゴル場でプレイしたと言っていたが「台風の余波で降ったり止んだりの雨だったでしょう?」と言うと「いやいや、終日雨でビショビショでした」と苦笑いしていた。趣味なのに雨でもプレイするのは日本人ぐらいなものだろう。ボクも若い頃は雨が降ろうが槍が降ろうが廻ったものだったが、それだけ入れ込んでいた訳だ。尤も、雷だけは怖くて避難したものだが、それでも一回だけ仲間がせっつくので廻った事があった。雷が気が気ではなかったから無駄なプレイはしない心得で廻ったお蔭でスコアは驚くほど良かったものの、終えてホッとしたのだった。もう二度とあんな恐ろしいゴルフなぞお断りだ。最近では常識ある気のあった仲間と廻るから後で悔やむ様なゴルフはしないが、月例会コンペともなるとそうも言っていられず辛抱して廻る事もある。大人気ない話ではある。小説「猫と女と」(17) 次の水曜日の早朝、大学の定例工程会議の為に静岡に向かった。週の中日に工程会議を開けば先週と今週の状況が手に取る様に分かるので最初に希望しておいたのだった。何時もなら新幹線に揺られ始めると眠気を催し居眠ってしまうのに「あの子、実は韓国人だそうだよ」と女に言ってしまった言葉を想い出し、今頃になって気に掛かり始め眠れないのだった。言った当時は即座に何とか上手く誤魔化しはしたものの、以来、女との間に僅かばかり心のわだかまりを感じ始め女との距離を意識する様になってしまった。ひょっとして私の考え過ぎだったとしても結果的には女との逢瀬が少なくなっている現実は否定できなかった。しかし、舞子には同様の事を言っても無反応に近く、多分、女から私の偏見に満ちた考え方を聞かされている筈なのに敢えて押黙っているのだ。 その理由が私には分からず、全くそういう素振りを見せない以上、話題にする事も出来なかった。もし、女ではなく元夫が韓国人だとすればどうだろう。それでも舞子には半分父親の血が流れているのだ。が、女は舞子を可愛がり、離婚して元夫から切り離している。その訳は父親との関係を断ち切って金銭的な繋がりだけの関係にしたいという事なのだろうか。その影響を受けたせいか舞子は父親には冷淡で、女も月にー度の事務所との関係を持ってはいるが経済的理由だけと割り切っている様だ。舞子が語学留学でニューヨークへ行き、その後、女もニューヨークへ行ったのも金銭的処理だけの為で、わざわざ自分が出向いた訳は所有権が共有だったからだろう。それなら頷ける。共有でありながら元夫が税金の追徴金の為に処分せざるを得ない関係で処分したとしても彼女には相当額の金が残った筈だ。 不況で不動産にかなりの目減りがあったとしても銀行にはマンションを処分した分の彼女名義の口座が在る事になる。尤も、それらは私には全く無関係な事柄ながら女が余裕をもって生活が出来、私との関係を切ろうとしない理由の背景としては充分納得出来る。まして舞子が私のような初老の男を恋人として関係を持ち続けるのは、母親と私との関係が無ければ起こり得なかった事だ。世の中には私よりも数段も上の良い男は腐るほど居る。とは言え、それは金目当ての男ばかりだろう。猫を被った相手ばかりの中に、たまたま彼女等の条件に当てはまる男が私だった訳だ。だとすれば何も心配する事も無いのだ。このまま成り行きに任せれば時間が解決してくれるだろう。それ以上は考えが整理出来なかった。名古屋を過ぎた辺りで携帯が鳴った。舞子からだった。 「何ヨ?随分喧しい騒音ネ」「新幹線で静岡に向かっている処だ。これから大学の工程会議なんだ」「あら、そうなの。・・・じゃ、夜には大阪に戻って来れるわネ?」「その積もりだけど、何か?」「夕食をー緒に取りたいの」「ほう、どういう風の吹きまわしだ?舞子から食事の誘いなんて」「母もー緒ヨ」「えッ、何か用件でも?まさか見合いの件?」「そうじゃないワ。あれは私キッパリ断った。母が折入って話したい事があるそうヨ」「そうか。じゃあ、八時に梅田のヒルトン・ホテルのロビーで」電話を切って、何の話かと考えた。成り行きに任せれば時間が解決してくれるだろうと考えた矢先の話だ。大した話では無さそうだが気にかかる。見合いの件で無いとすれば、まさか差別発言の事でもあるまい。そういった類の話なぞ話題にも成らない筈だ。 ひょっとして彼女等のー身上の事だろうか。そろそろ我々の関係をハッキリさせておきたいとするなら、舞子との関係がバレたか、それとも危惧していた女の計画の詰めの段階の話だろうか。大学に着いてもその事が頭から離れなかった。「先生、何かお疲れの様ですネ?」と現場事務所の所長が私の顔を見て言った。それほど表情に出ていたのだろう。何時もの様に午後からの会議は三時には終え、大学の理事や学長とも少しばかり話をしてから直ぐにタクシ―で浜松駅に向かった。新幹線に乗るとどうしても心に引っかかって女に電話を掛けた。「あら、わざわざ静岡から電話をくれなくても今夜会えるのに・・・」「折入った話と言うから気に成って・・・」「フフフ、案外神経質なのネ。嬉しい話なのヨ」「嬉しい話って?」「実はネ、舞子、お目出度なの」直ぐには理解出来なかった。舞子に何か慶事でもあった風に聴こえた。 「何か祝い事かい?」「そうヨ、私達にとって」「私達?」「舞子のお腹に貴方の子供が居るのヨ」ー瞬、言葉に詰った。「どう?嬉しいでしょう?」女は追い打ちを掛ける様に言った。「ま、舞ちゃんが、そう言ったのか?」喉がカラカラに乾いて声が引きつった。「そうヨ。舞子も嬉しい様子だけど、恥ずかしいから貴方に言いだせなかった様ネ」「き、君は、知って居たんだ!」「そうヨ、最初からネ」「君という人は・・・親子で何とも無いのか?」「あら、言ってくれるわネ。貴方はどうなの?私の娘と分かって手を出したくせに」「そ、それは・・・」「そんな事より、私は嬉しいのヨ。貴方なら安心して舞子の事を任せられると想ったの。舞子も貴方の事を真剣に愛しているから良いじゃない」「娘と共有なんて何とも思わないのか?」「嫌だワ、共有だなんて、貴方は私の神様なのヨ。そして舞子には大切な恋人なの」(10月上旬につづく)
2012/09/28
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秋(12) 友人に誘われてゴルフに行って来た。丁度一年前に行った三重県のゴルフ場で、昨年とは別のコースだった。昨年は暑さでヘトヘトだったのに今年は疲れはしたものの昨年ほどでは無かった。腕も少しは上達していた。体力的には未だ以前ほど回復していないものの年寄りゴルフの醍醐味が少しづつ分かって来た気がする。前のチームは女子プロの研修生四人が廻っていて、それに付いて行くだけでしんどかった。ミドル・ホールやロング・ホールではサッサと先を行くので感心していたが、ショート・ホールでは追いつくから結果的には同じスピードで廻った事になるだろう。若い人々(20前後)はピチピチして軽快だ。スイングも綺麗で颯爽と歩く。が、パターには慎重に時間を掛け、ショート・ホールで追いつく度にプロを目指すだけあって一球一球慎重に成る気持ちが分かった。ドライバーで250ヤード飛ばそうともパターで2.5m転がそうとも同じ一打だから一打づつ真剣に打つ訳だ。気を抜くと負けてしまう。パーで当たり前の世界、バーディーを狙わないと勝てない。ボク等の様にパーを取って喜んでいる世界では無い。しかし、こちらは趣味なのだ。プロの厳しさは分かるが、それを観ながら楽しむ程度で刺激になるから面白い。見降ろせば建築家黒川紀章のクラブハウスが銀色に光っていた。小説「猫と女と」(17) 次の水曜日の早朝、大学の定例工程会議の為に静岡に向かった。週の中日に工程会議を開けば先週と今週の状況が手に取る様に分かるので最初に希望しておいたのだった。何時もなら新幹線に揺られ始めると眠気を催し居眠ってしまうのに「あの子、実は韓国人だそうだよ」と女に言ってしまった言葉を想い出し、今頃になって気に掛かり始め眠れないのだった。言った当時は即座に何とか上手く誤魔化しはしたものの、以来、女との間に僅かばかり心のわだかまりを感じ始め女との距離を意識する様になってしまった。ひょっとして私の考え過ぎだったとしても結果的には女との逢瀬が少なくなっている現実は否定できなかった。しかし、舞子には同様の事を言っても無反応に近く、多分、女から私の偏見に満ちた考え方を聞かされている筈なのに敢えて押黙っているのだ。 その理由が私には分からず、全くそういう素振りを見せない以上、話題にする事も出来なかった。もし、女ではなく元夫が韓国人だとすればどうだろう。それでも舞子には半分父親の血が流れているのだ。が、女は舞子を可愛がり、離婚して元夫から切り離している。その訳は父親との関係を断ち切って金銭的な繋がりだけの関係にしたいという事なのだろうか。その影響を受けたせいか舞子は父親には冷淡で、女も月にー度の事務所との関係を持ってはいるが経済的理由だけと割り切っている様だ。舞子が語学留学でニューヨークへ行き、その後、女もニューヨークへ行ったのも金銭的処理だけの為で、わざわざ自分が出向いた訳は所有権が共有だったからだろう。それなら頷ける。共有でありながら元夫が税金の追徴金の為に処分せざるを得ない関係で処分したとしても彼女には相当額の金が残った筈だ。 不況で不動産にかなりの目減りがあったとしても銀行にはマンションを処分した分の彼女名義の口座が在る事になる。尤も、それらは私には全く無関係な事柄ながら女が余裕をもって生活が出来、私との関係を切ろうとしない理由の背景としては充分納得出来る。まして舞子が私のような初老の男を恋人として関係を持ち続けるのは、母親と私との関係が無ければ起こり得なかった事だ。世の中には私よりも数段も上の良い男は腐るほど居る。とは言え、それは金目当ての男ばかりだろう。猫を被った相手ばかりの中に、たまたま彼女等の条件に当てはまる男が私だった訳だ。だとすれば何も心配する事も無いのだ。このまま成り行きに任せれば時間が解決してくれるだろう。それ以上は考えが整理出来なかった。名古屋を過ぎた辺りで携帯が鳴った。舞子からだった。 「何ヨ?随分喧しい騒音ネ」「新幹線で静岡に向かっている処だ。これから大学の工程会議なんだ」「あら、そうなの。・・・じゃ、夜には大阪に戻って来れるわネ?」「その積もりだけど、何か?」「夕食をー緒に取りたいの」「ほう、どういう風の吹きまわしだ?舞子から食事の誘いなんて」「母もー緒ヨ」「えッ、何か用件でも?まさか見合いの件?」「そうじゃないワ。あれは私キッパリ断った。母が折入って話したい事があるそうヨ」「そうか。じゃあ、八時に梅田のヒルトン・ホテルのロビーで」電話を切って、何の話かと考えた。成り行きに任せれば時間が解決してくれるだろうと考えた矢先の話だ。大した話では無さそうだが気にかかる。見合いの件で無いとすれば、まさか差別発言の事でもあるまい。そういった類の話なぞ話題にも成らない筈だ。 ひょっとして彼女等のー身上の事だろうか。そろそろ我々の関係をハッキリさせておきたいとするなら、舞子との関係がバレたか、それとも危惧していた女の計画の詰めの段階の話だろうか。大学に着いてもその事が頭から離れなかった。「先生、何かお疲れの様ですネ?」と現場事務所の所長が私の顔を見て言った。それほど表情に出ていたのだろう。何時もの様に午後からの会議は三時には終え、大学の理事や学長とも少しばかり話をしてから直ぐにタクシ―で浜松駅に向かった。新幹線に乗るとどうしても心に引っかかって女に電話を掛けた。「あら、わざわざ静岡から電話をくれなくても今夜会えるのに・・・」「折入った話と言うから気に成って・・・」「フフフ、案外神経質なのネ。嬉しい話なのヨ」「嬉しい話って?」「実はネ、舞子、お目出度なの」直ぐには理解出来なかった。舞子に何か慶事でもあった風に聴こえた。 「何か祝い事かい?」「そうヨ、私達にとって」「私達?」「舞子のお腹に貴方の子供が居るのヨ」ー瞬、言葉に詰った。「どう?嬉しいでしょう?」女は追い打ちを掛ける様に言った。「ま、舞ちゃんが、そう言ったのか?」喉がカラカラに乾いて声が引きつった。「そうヨ。舞子も嬉しい様子だけど、恥ずかしいから貴方に言いだせなかった様ネ」「き、君は、知って居たんだ!」「そうヨ、最初からネ」「君という人は・・・親子で何とも無いのか?」「あら、言ってくれるわネ。貴方はどうなの?私の娘と分かって手を出したくせに」「そ、それは・・・」「そんな事より、私は嬉しいのヨ。貴方なら安心して舞子の事を任せられると想ったの。舞子も貴方の事を真剣に愛しているから良いじゃない」「娘と共有なんて何とも思わないのか?」「嫌だワ、共有だなんて、貴方は私の神様なのヨ。そして舞子には大切な恋人なの」(10月上旬につづく)
2012/09/27
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秋(11) 数年前に大阪のデパート「そごう」が撤退して同ビルをデパート「大丸」が買収した。横浜には東洋一の売り場面積を持つ「そごう」だが、大阪では失敗した結果だった。折角、再建を狙って超高層の建物に建て替えたばかりだったが、当初から危うかった。一部では建て替えで持ち直すだろうと楽観視する声もあったが、ボクは横浜「そごう」を観て、大阪では首都圏ほどの集客が見込めず先ず再建は無理だろうと観ていた。「そごう」が撤退する直前に外商客を淡路島・四国(鳴門)バス旅行に招待した事があってボクも妻と一緒に出掛けたが「こんな事をしても再建は無理だろう」と想いながら料理を食べ温泉に浸かって居心地の悪い想いをしたものだった。この風景は「大丸」に買収される前の超高層の屋上から市内を眺望したものだ。スッキリして休憩するには良いが、商売人としては失格だと想った。会社が左前なのに根本的な対策も立たず綺麗な空間を造っただけでは駄目なのは分かり切った事だったからだ。懐かしい風景である。小説「猫と女と」(17) 次の水曜日の早朝、大学の定例工程会議の為に静岡に向かった。週の中日に工程会議を開けば先週と今週の状況が手に取る様に分かるので最初に希望しておいたのだった。何時もなら新幹線に揺られ始めると眠気を催し居眠ってしまうのに「あの子、実は韓国人だそうだよ」と女に言ってしまった言葉を想い出し、今頃になって気に掛かり始め眠れないのだった。言った当時は即座に何とか上手く誤魔化しはしたものの、以来、女との間に僅かばかり心のわだかまりを感じ始め女との距離を意識する様になってしまった。ひょっとして私の考え過ぎだったとしても結果的には女との逢瀬が少なくなっている現実は否定できなかった。しかし、舞子には同様の事を言っても無反応に近く、多分、女から私の偏見に満ちた考え方を聞かされている筈なのに敢えて押黙っているのだ。 その理由が私には分からず、全くそういう素振りを見せない以上、話題にする事も出来なかった。もし、女ではなく元夫が韓国人だとすればどうだろう。それでも舞子には半分父親の血が流れているのだ。が、女は舞子を可愛がり、離婚して元夫から切り離している。その訳は父親との関係を断ち切って金銭的な繋がりだけの関係にしたいという事なのだろうか。その影響を受けたせいか舞子は父親には冷淡で、女も月にー度の事務所との関係を持ってはいるが経済的理由だけと割り切っている様だ。舞子が語学留学でニューヨークへ行き、その後、女もニューヨークへ行ったのも金銭的処理だけの為で、わざわざ自分が出向いた訳は所有権が共有だったからだろう。それなら頷ける。共有でありながら元夫が税金の追徴金の為に処分せざるを得ない関係で処分したとしても彼女には相当額の金が残った筈だ。 不況で不動産にかなりの目減りがあったとしても銀行にはマンションを処分した分の彼女名義の口座が在る事になる。尤も、それらは私には全く無関係な事柄ながら女が余裕をもって生活が出来、私との関係を切ろうとしない理由の背景としては充分納得出来る。まして舞子が私のような初老の男を恋人として関係を持ち続けるのは、母親と私との関係が無ければ起こり得なかった事だ。世の中には私よりも数段も上の良い男は腐るほど居る。とは言え、それは金目当ての男ばかりだろう。猫を被った相手ばかりの中に、たまたま彼女等の条件に当てはまる男が私だった訳だ。だとすれば何も心配する事も無いのだ。このまま成り行きに任せれば時間が解決してくれるだろう。それ以上は考えが整理出来なかった。名古屋を過ぎた辺りで携帯が鳴った。舞子からだった。 「何ヨ?随分喧しい騒音ネ」「新幹線で静岡に向かっている処だ。これから大学の工程会議なんだ」「あら、そうなの。・・・じゃ、夜には大阪に戻って来れるわネ?」「その積もりだけど、何か?」「夕食をー緒に取りたいの」「ほう、どういう風の吹きまわしだ?舞子から食事の誘いなんて」「母もー緒ヨ」「えッ、何か用件でも?まさか見合いの件?」「そうじゃないワ。あれは私キッパリ断った。母が折入って話したい事があるそうヨ」「そうか。じゃあ、八時に梅田のヒルトン・ホテルのロビーで」電話を切って、何の話かと考えた。成り行きに任せれば時間が解決してくれるだろうと考えた矢先の話だ。大した話では無さそうだが気にかかる。見合いの件で無いとすれば、まさか差別発言の事でもあるまい。そういった類の話なぞ話題にも成らない筈だ。 ひょっとして彼女等のー身上の事だろうか。そろそろ我々の関係をハッキリさせておきたいとするなら、舞子との関係がバレたか、それとも危惧していた女の計画の詰めの段階の話だろうか。大学に着いてもその事が頭から離れなかった。「先生、何かお疲れの様ですネ?」と現場事務所の所長が私の顔を見て言った。それほど表情に出ていたのだろう。何時もの様に午後からの会議は三時には終え、大学の理事や学長とも少しばかり話をしてから直ぐにタクシ―で浜松駅に向かった。新幹線に乗るとどうしても心に引っかかって女に電話を掛けた。「あら、わざわざ静岡から電話をくれなくても今夜会えるのに・・・」「折入った話と言うから気に成って・・・」「フフフ、案外神経質なのネ。嬉しい話なのヨ」「嬉しい話って?」「実はネ、舞子、お目出度なの」直ぐには理解出来なかった。舞子に何か慶事でもあった風に聴こえた。 「何か祝い事かい?」「そうヨ、私達にとって」「私達?」「舞子のお腹に貴方の子供が居るのヨ」ー瞬、言葉に詰った。「どう?嬉しいでしょう?」女は追い打ちを掛ける様に言った。「ま、舞ちゃんが、そう言ったのか?」喉がカラカラに乾いて声が引きつった。「そうヨ。舞子も嬉しい様子だけど、恥ずかしいから貴方に言いだせなかった様ネ」「き、君は、知って居たんだ!」「そうヨ、最初からネ」「君という人は・・・親子で何とも無いのか?」「あら、言ってくれるわネ。貴方はどうなの?私の娘と分かって手を出したくせに」「そ、それは・・・」「そんな事より、私は嬉しいのヨ。貴方なら安心して舞子の事を任せられると想ったの。舞子も貴方の事を真剣に愛しているから良いじゃない」「娘と共有なんて何とも思わないのか?」「嫌だワ、共有だなんて、貴方は私の神様なのヨ。そして舞子には大切な恋人なの」(10月上旬につづく)
2012/09/26
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秋(10) 今日の風景は大阪南港の一部でる。大阪は東洋の東の玄関であり東南アジアの入り口でもある。東京は日本の玄関の位置を保っているが東南アジアの入り口には成って居ない。それは欧米に向かって居るからである。アジアへの目は欧米の次と言う位置にある。それでは九州福岡は東南アジアの入り口では無いのかという主張もあるだろう。しかし実質的に見れば福岡は韓国や中国に隣接していても政治的・経済的には大阪には劣る。それは都市のインフラや歴史が語っている。九州は確かに東南アジアの入り口の様に観えるが、玄関と言うよりも勝手口の様なものであろう。台所の入口は勝手口だから経済的には東南アジアに近い九州がその役割を担っていて今後は経済面で更に発達するだろうが、政治的には大阪の方に目が向く筈である。東京もそれに負けじと頑張るだろうが霞が関が欧米を向いている限りは大阪には叶わないだろう。そういう雰囲気を大阪南港は持っているという今日の風景である。小説「猫と女と」(17) 次の水曜日の早朝、大学の定例工程会議の為に静岡に向かった。週の中日に工程会議を開けば先週と今週の状況が手に取る様に分かるので最初に希望しておいたのだった。何時もなら新幹線に揺られ始めると眠気を催し居眠ってしまうのに「あの子、実は韓国人だそうだよ」と女に言ってしまった言葉を想い出し、今頃になって気に掛かり始め眠れないのだった。言った当時は即座に何とか上手く誤魔化しはしたものの、以来、女との間に僅かばかり心のわだかまりを感じ始め女との距離を意識する様になってしまった。ひょっとして私の考え過ぎだったとしても結果的には女との逢瀬が少なくなっている現実は否定できなかった。しかし、舞子には同様の事を言っても無反応に近く、多分、女から私の偏見に満ちた考え方を聞かされている筈なのに敢えて押黙っているのだ。 その理由が私には分からず、全くそういう素振りを見せない以上、話題にする事も出来なかった。もし、女ではなく元夫が韓国人だとすればどうだろう。それでも舞子には半分父親の血が流れているのだ。が、女は舞子を可愛がり、離婚して元夫から切り離している。その訳は父親との関係を断ち切って金銭的な繋がりだけの関係にしたいという事なのだろうか。その影響を受けたせいか舞子は父親には冷淡で、女も月にー度の事務所との関係を持ってはいるが経済的理由だけと割り切っている様だ。舞子が語学留学でニューヨークへ行き、その後、女もニューヨークへ行ったのも金銭的処理だけの為で、わざわざ自分が出向いた訳は所有権が共有だったからだろう。それなら頷ける。共有でありながら元夫が税金の追徴金の為に処分せざるを得ない関係で処分したとしても彼女には相当額の金が残った筈だ。 不況で不動産にかなりの目減りがあったとしても銀行にはマンションを処分した分の彼女名義の口座が在る事になる。尤も、それらは私には全く無関係な事柄ながら女が余裕をもって生活が出来、私との関係を切ろうとしない理由の背景としては充分納得出来る。まして舞子が私のような初老の男を恋人として関係を持ち続けるのは、母親と私との関係が無ければ起こり得なかった事だ。世の中には私よりも数段も上の良い男は腐るほど居る。とは言え、それは金目当ての男ばかりだろう。猫を被った相手ばかりの中に、たまたま彼女等の条件に当てはまる男が私だった訳だ。だとすれば何も心配する事も無いのだ。このまま成り行きに任せれば時間が解決してくれるだろう。それ以上は考えが整理出来なかった。名古屋を過ぎた辺りで携帯が鳴った。舞子からだった。 「何ヨ?随分喧しい騒音ネ」「新幹線で静岡に向かっている処だ。これから大学の工程会議なんだ」「あら、そうなの。・・・じゃ、夜には大阪に戻って来れるわネ?」「その積もりだけど、何か?」「夕食をー緒に取りたいの」「ほう、どういう風の吹きまわしだ?舞子から食事の誘いなんて」「母もー緒ヨ」「えッ、何か用件でも?まさか見合いの件?」「そうじゃないワ。あれは私キッパリ断った。母が折入って話したい事があるそうヨ」「そうか。じゃあ、八時に梅田のヒルトン・ホテルのロビーで」電話を切って、何の話かと考えた。成り行きに任せれば時間が解決してくれるだろうと考えた矢先の話だ。大した話では無さそうだが気にかかる。見合いの件で無いとすれば、まさか差別発言の事でもあるまい。そういった類の話なぞ話題にも成らない筈だ。 ひょっとして彼女等のー身上の事だろうか。そろそろ我々の関係をハッキリさせておきたいとするなら、舞子との関係がバレたか、それとも危惧していた女の計画の詰めの段階の話だろうか。大学に着いてもその事が頭から離れなかった。「先生、何かお疲れの様ですネ?」と現場事務所の所長が私の顔を見て言った。それほど表情に出ていたのだろう。何時もの様に午後からの会議は三時には終え、大学の理事や学長とも少しばかり話をしてから直ぐにタクシ―で浜松駅に向かった。新幹線に乗るとどうしても心に引っかかって女に電話を掛けた。「あら、わざわざ静岡から電話をくれなくても今夜会えるのに・・・」「折入った話と言うから気に成って・・・」「フフフ、案外神経質なのネ。嬉しい話なのヨ」「嬉しい話って?」「実はネ、舞子、お目出度なの」直ぐには理解出来なかった。舞子に何か慶事でもあった風に聴こえた。 「何か祝い事かい?」「そうヨ、私達にとって」「私達?」「舞子のお腹に貴方の子供が居るのヨ」ー瞬、言葉に詰った。「どう?嬉しいでしょう?」女は追い打ちを掛ける様に言った。「ま、舞ちゃんが、そう言ったのか?」喉がカラカラに乾いて声が引きつった。「そうヨ。舞子も嬉しい様子だけど、恥ずかしいから貴方に言いだせなかった様ネ」「き、君は、知って居たんだ!」「そうヨ、最初からネ」「君という人は・・・親子で何とも無いのか?」「あら、言ってくれるわネ。貴方はどうなの?私の娘と分かって手を出したくせに」「そ、それは・・・」「そんな事より、私は嬉しいのヨ。貴方なら安心して舞子の事を任せられると想ったの。舞子も貴方の事を真剣に愛しているから良いじゃない」「娘と共有なんて何とも思わないのか?」「嫌だワ、共有だなんて、貴方は私の神様なのヨ。そして舞子には大切な恋人なの」(10月上旬につづく)
2012/09/25
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秋(9) 写真整理をしていて、たまたま数年前の大型店でのスナップが面白いのでアップしてみた。単なる家族連れの人々が休憩している風景を見降ろしているだけの事だが、何となく和やかな雰囲気が感じられる。これから秋に入り直ぐにも冬とも成ればこういう風景が観られる事だろう。ボクは人混みの中へ行くのは最近は嫌いで、止むを得ず妻の買い出しにアッシー君として付き合う程度だから暇を持て余してついでに風景写真を撮る事がある。撮られている人々は気が付いていないから良いが、面と向かって撮れば文句の一つも言われるかも知れない。文句とまで行かなくともムッとした顔付をするだろう。プライバシーの事が問題にされるのだ。何処の誰とも分からない相手の事なぞ興味も無いのに自分は一端の有名人のような気でいるのだろうか。まあ、どう想おうとも構わないが、悪用なぞしないから問題は無い。それよりもアンリ・カルティエ・ブレッソンの様な写真家が最近では見当たらないのが寂しい。もっとユーモアのある人間味の感じられるスナップが世に出廻っても良いと想うのだが、どうだろう。小説「猫と女と」(17) 次の水曜日の早朝、大学の定例工程会議の為に静岡に向かった。週の中日に工程会議を開けば先週と今週の状況が手に取る様に分かるので最初に希望しておいたのだった。何時もなら新幹線に揺られ始めると眠気を催し居眠ってしまうのに「あの子、実は韓国人だそうだよ」と女に言ってしまった言葉を想い出し、今頃になって気に掛かり始め眠れないのだった。言った当時は即座に何とか上手く誤魔化しはしたものの、以来、女との間に僅かばかり心のわだかまりを感じ始め女との距離を意識する様になってしまった。ひょっとして私の考え過ぎだったとしても結果的には女との逢瀬が少なくなっている現実は否定できなかった。しかし、舞子には同様の事を言っても無反応に近く、多分、女から私の偏見に満ちた考え方を聞かされている筈なのに敢えて押黙っているのだ。 その理由が私には分からず、全くそういう素振りを見せない以上、話題にする事も出来なかった。もし、女ではなく元夫が韓国人だとすればどうだろう。それでも舞子には半分父親の血が流れているのだ。が、女は舞子を可愛がり、離婚して元夫から切り離している。その訳は父親との関係を断ち切って金銭的な繋がりだけの関係にしたいという事なのだろうか。その影響を受けたせいか舞子は父親には冷淡で、女も月にー度の事務所との関係を持ってはいるが経済的理由だけと割り切っている様だ。舞子が語学留学でニューヨークへ行き、その後、女もニューヨークへ行ったのも金銭的処理だけの為で、わざわざ自分が出向いた訳は所有権が共有だったからだろう。それなら頷ける。共有でありながら元夫が税金の追徴金の為に処分せざるを得ない関係で処分したとしても彼女には相当額の金が残った筈だ。 不況で不動産にかなりの目減りがあったとしても銀行にはマンションを処分した分の彼女名義の口座が在る事になる。尤も、それらは私には全く無関係な事柄ながら女が余裕をもって生活が出来、私との関係を切ろうとしない理由の背景としては充分納得出来る。まして舞子が私のような初老の男を恋人として関係を持ち続けるのは、母親と私との関係が無ければ起こり得なかった事だ。世の中には私よりも数段も上の良い男は腐るほど居る。とは言え、それは金目当ての男ばかりだろう。猫を被った相手ばかりの中に、たまたま彼女等の条件に当てはまる男が私だった訳だ。だとすれば何も心配する事も無いのだ。このまま成り行きに任せれば時間が解決してくれるだろう。それ以上は考えが整理出来なかった。名古屋を過ぎた辺りで携帯が鳴った。舞子からだった。 「何ヨ?随分喧しい騒音ネ」「新幹線で静岡に向かっている処だ。これから大学の工程会議なんだ」「あら、そうなの。・・・じゃ、夜には大阪に戻って来れるわネ?」「その積もりだけど、何か?」「夕食をー緒に取りたいの」「ほう、どういう風の吹きまわしだ?舞子から食事の誘いなんて」「母もー緒ヨ」「えッ、何か用件でも?まさか見合いの件?」「そうじゃないワ。あれは私キッパリ断った。母が折入って話したい事があるそうヨ」「そうか。じゃあ、八時に梅田のヒルトン・ホテルのロビーで」電話を切って、何の話かと考えた。成り行きに任せれば時間が解決してくれるだろうと考えた矢先の話だ。大した話では無さそうだが気にかかる。見合いの件で無いとすれば、まさか差別発言の事でもあるまい。そういった類の話なぞ話題にも成らない筈だ。 ひょっとして彼女等のー身上の事だろうか。そろそろ我々の関係をハッキリさせておきたいとするなら、舞子との関係がバレたか、それとも危惧していた女の計画の詰めの段階の話だろうか。大学に着いてもその事が頭から離れなかった。「先生、何かお疲れの様ですネ?」と現場事務所の所長が私の顔を見て言った。それほど表情に出ていたのだろう。何時もの様に午後からの会議は三時には終え、大学の理事や学長とも少しばかり話をしてから直ぐにタクシ―で浜松駅に向かった。新幹線に乗るとどうしても心に引っかかって女に電話を掛けた。「あら、わざわざ静岡から電話をくれなくても今夜会えるのに・・・」「折入った話と言うから気に成って・・・」「フフフ、案外神経質なのネ。嬉しい話なのヨ」「嬉しい話って?」「実はネ、舞子、お目出度なの」直ぐには理解出来なかった。舞子に何か慶事でもあった風に聴こえた。 「何か祝い事かい?」「そうヨ、私達にとって」「私達?」「舞子のお腹に貴方の子供が居るのヨ」ー瞬、言葉に詰った。「どう?嬉しいでしょう?」女は追い打ちを掛ける様に言った。「ま、舞ちゃんが、そう言ったのか?」喉がカラカラに乾いて声が引きつった。「そうヨ。舞子も嬉しい様子だけど、恥ずかしいから貴方に言いだせなかった様ネ」「き、君は、知って居たんだ!」「そうヨ、最初からネ」「君という人は・・・親子で何とも無いのか?」「あら、言ってくれるわネ。貴方はどうなの?私の娘と分かって手を出したくせに」「そ、それは・・・」「そんな事より、私は嬉しいのヨ。貴方なら安心して舞子の事を任せられると想ったの。舞子も貴方の事を真剣に愛しているから良いじゃない」「娘と共有なんて何とも思わないのか?」「嫌だワ、共有だなんて、貴方は私の神様なのヨ。そして舞子には大切な恋人なの」(10月上旬につづく)
2012/09/24
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秋(8) 結婚35周年記念という節目(3年前)の祝いを兼ねて、上海ガニの美味いのが入ったという情報を得て大阪のホテルへ食事に行った事があった。秋の渡り蟹は美味というから妻に食べさせようと考えたのだ。そう言えば如何にも愛妻家の様に聴こえるだろうが実はボク自身が食べたかったのかも知れない。昔、香港旅行(男友達三人で出掛けた)で食べた時の味を覚えていたのもあった。超高層のレストランの窓から下界の夜景を観ながらの食事は久しぶりにリッチな気分に浸れた。が、生憎車だったのでアルコールは抜きだった。料理を味わうのが目的だからアルコールは抜きでも良い訳だが、妻が飲めない以上、ボク一人が飲んでも詰らないのもあった。考えれば、新婚当時はよく一緒に食事に出掛けたものだったが、今では夫婦で食事に出掛けるのは年に一度程度になってしまった。それを想い出し、こんなに喜んでくれるのなら何度でも連れて出る様にしなければと反省をしたものだった。小説「猫と女と」(17) 次の水曜日の早朝、大学の定例工程会議の為に静岡に向かった。週の中日に工程会議を開けば先週と今週の状況が手に取る様に分かるので最初に希望しておいたのだった。何時もなら新幹線に揺られ始めると眠気を催し居眠ってしまうのに「あの子、実は韓国人だそうだよ」と女に言ってしまった言葉を想い出し、今頃になって気に掛かり始め眠れないのだった。言った当時は即座に何とか上手く誤魔化しはしたものの、以来、女との間に僅かばかり心のわだかまりを感じ始め女との距離を意識する様になってしまった。ひょっとして私の考え過ぎだったとしても結果的には女との逢瀬が少なくなっている現実は否定できなかった。しかし、舞子には同様の事を言っても無反応に近く、多分、女から私の偏見に満ちた考え方を聞かされている筈なのに敢えて押黙っているのだ。 その理由が私には分からず、全くそういう素振りを見せない以上、話題にする事も出来なかった。もし、女ではなく元夫が韓国人だとすればどうだろう。それでも舞子には半分父親の血が流れているのだ。が、女は舞子を可愛がり、離婚して元夫から切り離している。その訳は父親との関係を断ち切って金銭的な繋がりだけの関係にしたいという事なのだろうか。その影響を受けたせいか舞子は父親には冷淡で、女も月にー度の事務所との関係を持ってはいるが経済的理由だけと割り切っている様だ。舞子が語学留学でニューヨークへ行き、その後、女もニューヨークへ行ったのも金銭的処理だけの為で、わざわざ自分が出向いた訳は所有権が共有だったからだろう。それなら頷ける。共有でありながら元夫が税金の追徴金の為に処分せざるを得ない関係で処分したとしても彼女には相当額の金が残った筈だ。 不況で不動産にかなりの目減りがあったとしても銀行にはマンションを処分した分の彼女名義の口座が在る事になる。尤も、それらは私には全く無関係な事柄ながら女が余裕をもって生活が出来、私との関係を切ろうとしない理由の背景としては充分納得出来る。まして舞子が私のような初老の男を恋人として関係を持ち続けるのは、母親と私との関係が無ければ起こり得なかった事だ。世の中には私よりも数段も上の良い男は腐るほど居る。とは言え、それは金目当ての男ばかりだろう。猫を被った相手ばかりの中に、たまたま彼女等の条件に当てはまる男が私だった訳だ。だとすれば何も心配する事も無いのだ。このまま成り行きに任せれば時間が解決してくれるだろう。それ以上は考えが整理出来なかった。名古屋を過ぎた辺りで携帯が鳴った。舞子からだった。 「何ヨ?随分喧しい騒音ネ」「新幹線で静岡に向かっている処だ。これから大学の工程会議なんだ」「あら、そうなの。・・・じゃ、夜には大阪に戻って来れるわネ?」「その積もりだけど、何か?」「夕食をー緒に取りたいの」「ほう、どういう風の吹きまわしだ?舞子から食事の誘いなんて」「母もー緒ヨ」「えッ、何か用件でも?まさか見合いの件?」「そうじゃないワ。あれは私キッパリ断った。母が折入って話したい事があるそうヨ」「そうか。じゃあ、八時に梅田のヒルトン・ホテルのロビーで」電話を切って、何の話かと考えた。成り行きに任せれば時間が解決してくれるだろうと考えた矢先の話だ。大した話では無さそうだが気にかかる。見合いの件で無いとすれば、まさか差別発言の事でもあるまい。そういった類の話なぞ話題にも成らない筈だ。 ひょっとして彼女等のー身上の事だろうか。そろそろ我々の関係をハッキリさせておきたいとするなら、舞子との関係がバレたか、それとも危惧していた女の計画の詰めの段階の話だろうか。大学に着いてもその事が頭から離れなかった。「先生、何かお疲れの様ですネ?」と現場事務所の所長が私の顔を見て言った。それほど表情に出ていたのだろう。何時もの様に午後からの会議は三時には終え、大学の理事や学長とも少しばかり話をしてから直ぐにタクシ―で浜松駅に向かった。新幹線に乗るとどうしても心に引っかかって女に電話を掛けた。「あら、わざわざ静岡から電話をくれなくても今夜会えるのに・・・」「折入った話と言うから気に成って・・・」「フフフ、案外神経質なのネ。嬉しい話なのヨ」「嬉しい話って?」「実はネ、舞子、お目出度なの」直ぐには理解出来なかった。舞子に何か慶事でもあった風に聴こえた。 「何か祝い事かい?」「そうヨ、私達にとって」「私達?」「舞子のお腹に貴方の子供が居るのヨ」ー瞬、言葉に詰った。「どう?嬉しいでしょう?」女は追い打ちを掛ける様に言った。「ま、舞ちゃんが、そう言ったのか?」喉がカラカラに乾いて声が引きつった。「そうヨ。舞子も嬉しい様子だけど、恥ずかしいから貴方に言いだせなかった様ネ」「き、君は、知って居たんだ!」「そうヨ、最初からネ」「君という人は・・・親子で何とも無いのか?」「あら、言ってくれるわネ。貴方はどうなの?私の娘と分かって手を出したくせに」「そ、それは・・・」「そんな事より、私は嬉しいのヨ。貴方なら安心して舞子の事を任せられると想ったの。舞子も貴方の事を真剣に愛しているから良いじゃない」「娘と共有なんて何とも思わないのか?」「嫌だワ、共有だなんて、貴方は私の神様なのヨ。そして舞子には大切な恋人なの」(10月上旬につづく)
2012/09/23
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秋(7) 8年前、大手術をした妻の術後の回復と気分転換を願って他県の郊外にある能舞台があるステーキハウスへ行った時の写真である。季節は9月だったから丁度今頃の季節である。生憎、能はやっていなかったが時々イベントで行われる薪能は評判らしい。ステーキを食べながら能を観るというのも変わって居るが意外性があって面白そうである。京都で能舞台は幾らでも観たが、時として退屈な事がある。出し物が興味の無い物であったり、シテやワキの動きに少しでも不満を感じたりするとたちまち興味を失ってしまう。途中で出る訳にも行かず辛抱して観ているが拷問のようなものである。しかし、気に入った演技ではその逆だから勝手なものである。唯有難がって何でも感心する様では本当の観賞では無いから何も我を押し殺す事も無いのだが、傍迷惑に成らない様にしなければならず、良いのに当たるのは運の様なものがある。ボクは建築家だけに、そういう時は建物ばかり観る事にしている。小説「猫と女と」(17) 次の水曜日の早朝、大学の定例工程会議の為に静岡に向かった。週の中日に工程会議を開けば先週と今週の状況が手に取る様に分かるので最初に希望しておいたのだった。何時もなら新幹線に揺られ始めると眠気を催し居眠ってしまうのに「あの子、実は韓国人だそうだよ」と女に言ってしまった言葉を想い出し、今頃になって気に掛かり始め眠れないのだった。言った当時は即座に何とか上手く誤魔化しはしたものの、以来、女との間に僅かばかり心のわだかまりを感じ始め女との距離を意識する様になってしまった。ひょっとして私の考え過ぎだったとしても結果的には女との逢瀬が少なくなっている現実は否定できなかった。しかし、舞子には同様の事を言っても無反応に近く、多分、女から私の偏見に満ちた考え方を聞かされている筈なのに敢えて押黙っているのだ。 その理由が私には分からず、全くそういう素振りを見せない以上、話題にする事も出来なかった。もし、女ではなく元夫が韓国人だとすればどうだろう。それでも舞子には半分父親の血が流れているのだ。が、女は舞子を可愛がり、離婚して元夫から切り離している。その訳は父親との関係を断ち切って金銭的な繋がりだけの関係にしたいという事なのだろうか。その影響を受けたせいか舞子は父親には冷淡で、女も月にー度の事務所との関係を持ってはいるが経済的理由だけと割り切っている様だ。舞子が語学留学でニューヨークへ行き、その後、女もニューヨークへ行ったのも金銭的処理だけの為で、わざわざ自分が出向いた訳は所有権が共有だったからだろう。それなら頷ける。共有でありながら元夫が税金の追徴金の為に処分せざるを得ない関係で処分したとしても彼女には相当額の金が残った筈だ。 不況で不動産にかなりの目減りがあったとしても銀行にはマンションを処分した分の彼女名義の口座が在る事になる。尤も、それらは私には全く無関係な事柄ながら女が余裕をもって生活が出来、私との関係を切ろうとしない理由の背景としては充分納得出来る。まして舞子が私のような初老の男を恋人として関係を持ち続けるのは、母親と私との関係が無ければ起こり得なかった事だ。世の中には私よりも数段も上の良い男は腐るほど居る。とは言え、それは金目当ての男ばかりだろう。猫を被った相手ばかりの中に、たまたま彼女等の条件に当てはまる男が私だった訳だ。だとすれば何も心配する事も無いのだ。このまま成り行きに任せれば時間が解決してくれるだろう。それ以上は考えが整理出来なかった。名古屋を過ぎた辺りで携帯が鳴った。舞子からだった。 「何ヨ?随分喧しい騒音ネ」「新幹線で静岡に向かっている処だ。これから大学の工程会議なんだ」「あら、そうなの。・・・じゃ、夜には大阪に戻って来れるわネ?」「その積もりだけど、何か?」「夕食をー緒に取りたいの」「ほう、どういう風の吹きまわしだ?舞子から食事の誘いなんて」「母もー緒ヨ」「えッ、何か用件でも?まさか見合いの件?」「そうじゃないワ。あれは私キッパリ断った。母が折入って話したい事があるそうヨ」「そうか。じゃあ、八時に梅田のヒルトン・ホテルのロビーで」電話を切って、何の話かと考えた。成り行きに任せれば時間が解決してくれるだろうと考えた矢先の話だ。大した話では無さそうだが気にかかる。見合いの件で無いとすれば、まさか差別発言の事でもあるまい。そういった類の話なぞ話題にも成らない筈だ。 ひょっとして彼女等のー身上の事だろうか。そろそろ我々の関係をハッキリさせておきたいとするなら、舞子との関係がバレたか、それとも危惧していた女の計画の詰めの段階の話だろうか。大学に着いてもその事が頭から離れなかった。「先生、何かお疲れの様ですネ?」と現場事務所の所長が私の顔を見て言った。それほど表情に出ていたのだろう。何時もの様に午後からの会議は三時には終え、大学の理事や学長とも少しばかり話をしてから直ぐにタクシ―で浜松駅に向かった。新幹線に乗るとどうしても心に引っかかって女に電話を掛けた。「あら、わざわざ静岡から電話をくれなくても今夜会えるのに・・・」「折入った話と言うから気に成って・・・」「フフフ、案外神経質なのネ。嬉しい話なのヨ」「嬉しい話って?」「実はネ、舞子、お目出度なの」直ぐには理解出来なかった。舞子に何か慶事でもあった風に聴こえた。 「何か祝い事かい?」「そうヨ、私達にとって」「私達?」「舞子のお腹に貴方の子供が居るのヨ」ー瞬、言葉に詰った。「どう?嬉しいでしょう?」女は追い打ちを掛ける様に言った。「ま、舞ちゃんが、そう言ったのか?」喉がカラカラに乾いて声が引きつった。「そうヨ。舞子も嬉しい様子だけど、恥ずかしいから貴方に言いだせなかった様ネ」「き、君は、知って居たんだ!」「そうヨ、最初からネ」「君という人は・・・親子で何とも無いのか?」「あら、言ってくれるわネ。貴方はどうなの?私の娘と分かって手を出したくせに」「そ、それは・・・」「そんな事より、私は嬉しいのヨ。貴方なら安心して舞子の事を任せられると想ったの。舞子も貴方の事を真剣に愛しているから良いじゃない」「娘と共有なんて何とも思わないのか?」「嫌だワ、共有だなんて、貴方は私の神様なのヨ。そして舞子には大切な恋人なの」(10月上旬につづく)
2012/09/22
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秋(6) ゴルフ練習場の外の風景を撮ってみた。宅地開発された丘陵地の周りに未だ畑が残って居て住宅団地が横に広がっている。ゴルフ練習所はその間にある。近所に住む人は練習に来る客の車がよく通るので五月蝿い事だろう。しかし何時行っても閑散とした住宅街だ。単なるベッドタウンとして昼間の都会で仕事をする為の保給地の役割だけに成っているのだろうか。ボクの棲む住宅団地も閑散としていて、このゴルフ練習所横の山の向こう側にあって車で15分ぐらいの処である。同じ市内ながらこの辺りは未だ田畑が多く残って居て田舎びた処である。のどかな中に秋の風情が感じられる。小説「猫と女と」(17) 次の水曜日の早朝、大学の定例工程会議の為に静岡に向かった。週の中日に工程会議を開けば先週と今週の状況が手に取る様に分かるので最初に希望しておいたのだった。何時もなら新幹線に揺られ始めると眠気を催し居眠ってしまうのに「あの子、実は韓国人だそうだよ」と女に言ってしまった言葉を想い出し、今頃になって気に掛かり始め眠れないのだった。言った当時は即座に何とか上手く誤魔化しはしたものの、以来、女との間に僅かばかり心のわだかまりを感じ始め女との距離を意識する様になってしまった。ひょっとして私の考え過ぎだったとしても結果的には女との逢瀬が少なくなっている現実は否定できなかった。しかし、舞子には同様の事を言っても無反応に近く、多分、女から私の偏見に満ちた考え方を聞かされている筈なのに敢えて押黙っているのだ。 その理由が私には分からず、全くそういう素振りを見せない以上、話題にする事も出来なかった。もし、女ではなく元夫が韓国人だとすればどうだろう。それでも舞子には半分父親の血が流れているのだ。が、女は舞子を可愛がり、離婚して元夫から切り離している。その訳は父親との関係を断ち切って金銭的な繋がりだけの関係にしたいという事なのだろうか。その影響を受けたせいか舞子は父親には冷淡で、女も月にー度の事務所との関係を持ってはいるが経済的理由だけと割り切っている様だ。舞子が語学留学でニューヨークへ行き、その後、女もニューヨークへ行ったのも金銭的処理だけの為で、わざわざ自分が出向いた訳は所有権が共有だったからだろう。それなら頷ける。共有でありながら元夫が税金の追徴金の為に処分せざるを得ない関係で処分したとしても彼女には相当額の金が残った筈だ。 不況で不動産にかなりの目減りがあったとしても銀行にはマンションを処分した分の彼女名義の口座が在る事になる。尤も、それらは私には全く無関係な事柄ながら女が余裕をもって生活が出来、私との関係を切ろうとしない理由の背景としては充分納得出来る。まして舞子が私のような初老の男を恋人として関係を持ち続けるのは、母親と私との関係が無ければ起こり得なかった事だ。世の中には私よりも数段も上の良い男は腐るほど居る。とは言え、それは金目当ての男ばかりだろう。猫を被った相手ばかりの中に、たまたま彼女等の条件に当てはまる男が私だった訳だ。だとすれば何も心配する事も無いのだ。このまま成り行きに任せれば時間が解決してくれるだろう。それ以上は考えが整理出来なかった。名古屋を過ぎた辺りで携帯が鳴った。舞子からだった。 「何ヨ?随分喧しい騒音ネ」「新幹線で静岡に向かっている処だ。これから大学の工程会議なんだ」「あら、そうなの。・・・じゃ、夜には大阪に戻って来れるわネ?」「その積もりだけど、何か?」「夕食をー緒に取りたいの」「ほう、どういう風の吹きまわしだ?舞子から食事の誘いなんて」「母もー緒ヨ」「えッ、何か用件でも?まさか見合いの件?」「そうじゃないワ。あれは私キッパリ断った。母が折入って話したい事があるそうヨ」「そうか。じゃあ、八時に梅田のヒルトン・ホテルのロビーで」電話を切って、何の話かと考えた。成り行きに任せれば時間が解決してくれるだろうと考えた矢先の話だ。大した話では無さそうだが気にかかる。見合いの件で無いとすれば、まさか差別発言の事でもあるまい。そういった類の話なぞ話題にも成らない筈だ。 ひょっとして彼女等のー身上の事だろうか。そろそろ我々の関係をハッキリさせておきたいとするなら、舞子との関係がバレたか、それとも危惧していた女の計画の詰めの段階の話だろうか。大学に着いてもその事が頭から離れなかった。「先生、何かお疲れの様ですネ?」と現場事務所の所長が私の顔を見て言った。それほど表情に出ていたのだろう。何時もの様に午後からの会議は三時には終え、大学の理事や学長とも少しばかり話をしてから直ぐにタクシ―で浜松駅に向かった。新幹線に乗るとどうしても心に引っかかって女に電話を掛けた。「あら、わざわざ静岡から電話をくれなくても今夜会えるのに・・・」「折入った話と言うから気に成って・・・」「フフフ、案外神経質なのネ。嬉しい話なのヨ」「嬉しい話って?」「実はネ、舞子、お目出度なの」直ぐには理解出来なかった。舞子に何か慶事でもあった風に聴こえた。 「何か祝い事かい?」「そうヨ、私達にとって」「私達?」「舞子のお腹に貴方の子供が居るのヨ」ー瞬、言葉に詰った。「どう?嬉しいでしょう?」女は追い打ちを掛ける様に言った。「ま、舞ちゃんが、そう言ったのか?」喉がカラカラに乾いて声が引きつった。「そうヨ。舞子も嬉しい様子だけど、恥ずかしいから貴方に言いだせなかった様ネ」「き、君は、知って居たんだ!」「そうヨ、最初からネ」「君という人は・・・親子で何とも無いのか?」「あら、言ってくれるわネ。貴方はどうなの?私の娘と分かって手を出したくせに」「そ、それは・・・」「そんな事より、私は嬉しいのヨ。貴方なら安心して舞子の事を任せられると想ったの。舞子も貴方の事を真剣に愛しているから良いじゃない」「娘と共有なんて何とも思わないのか?」「嫌だワ、共有だなんて、貴方は私の神様なのヨ。そして舞子には大切な恋人なの」(10月上旬につづく)
2012/09/21
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秋(5) 最近は街に出掛けるのが面倒になっている。出掛けても詰らないという気が先に立つのだ。欲しい物も無く、店頭のロクでもない品揃えを眺めて呆れるだけだ。最近の店屋は大きく分けると三種類に分類される。先日、日本橋電気屋街に行って驚いた結果だ。先ず携帯電話屋が目立ち、次いでゲーム屋、そしてフィギュア屋という具合だった。在来の店はシャッターが下りたり閑古鳥が鳴いていた。観堂筋の贔屓にしていたバーや飲み屋に友人を誘って行くには気が重い。遠くに住んでいるからわざわざ電話で呼び出すにしても相手の都合に合わさなければならず、若い頃の様には行かない。本屋も詰らなくなった。面白い本が無いのだ。軽い本ばかりが並んでいて、丸善も様変わりしてしまった。洋書がプーンと香る凛とした雰囲気なぞとうに無くなってしまった。コーヒーも自分で立てた方が喫茶店のよりも美味い。止むを得ずゴルフ練習所へでも行って汗を流すというのでは寂しい。かといって山林を歩くには未だ暑い。そんなこんなで出不精になる。精々、仕事で出掛ける方が気が紛れて良い。詰らない世の中に成ったものだ。小説「猫と女と」(17) 次の水曜日の早朝、大学の定例工程会議の為に静岡に向かった。週の中日に工程会議を開けば先週と今週の状況が手に取る様に分かるので最初に希望しておいたのだった。何時もなら新幹線に揺られ始めると眠気を催し居眠ってしまうのに「あの子、実は韓国人だそうだよ」と女に言ってしまった言葉を想い出し、今頃になって気に掛かり始め眠れないのだった。言った当時は即座に何とか上手く誤魔化しはしたものの、以来、女との間に僅かばかり心のわだかまりを感じ始め女との距離を意識する様になってしまった。ひょっとして私の考え過ぎだったとしても結果的には女との逢瀬が少なくなっている現実は否定できなかった。しかし、舞子には同様の事を言っても無反応に近く、多分、女から私の偏見に満ちた考え方を聞かされている筈なのに敢えて押黙っているのだ。 その理由が私には分からず、全くそういう素振りを見せない以上、話題にする事も出来なかった。もし、女ではなく元夫が韓国人だとすればどうだろう。それでも舞子には半分父親の血が流れているのだ。が、女は舞子を可愛がり、離婚して元夫から切り離している。その訳は父親との関係を断ち切って金銭的な繋がりだけの関係にしたいという事なのだろうか。その影響を受けたせいか舞子は父親には冷淡で、女も月にー度の事務所との関係を持ってはいるが経済的理由だけと割り切っている様だ。舞子が語学留学でニューヨークへ行き、その後、女もニューヨークへ行ったのも金銭的処理だけの為で、わざわざ自分が出向いた訳は所有権が共有だったからだろう。それなら頷ける。共有でありながら元夫が税金の追徴金の為に処分せざるを得ない関係で処分したとしても彼女には相当額の金が残った筈だ。 不況で不動産にかなりの目減りがあったとしても銀行にはマンションを処分した分の彼女名義の口座が在る事になる。尤も、それらは私には全く無関係な事柄ながら女が余裕をもって生活が出来、私との関係を切ろうとしない理由の背景としては充分納得出来る。まして舞子が私のような初老の男を恋人として関係を持ち続けるのは、母親と私との関係が無ければ起こり得なかった事だ。世の中には私よりも数段も上の良い男は腐るほど居る。とは言え、それは金目当ての男ばかりだろう。猫を被った相手ばかりの中に、たまたま彼女等の条件に当てはまる男が私だった訳だ。だとすれば何も心配する事も無いのだ。このまま成り行きに任せれば時間が解決してくれるだろう。それ以上は考えが整理出来なかった。名古屋を過ぎた辺りで携帯が鳴った。舞子からだった。 「何ヨ?随分喧しい騒音ネ」「新幹線で静岡に向かっている処だ。これから大学の工程会議なんだ」「あら、そうなの。・・・じゃ、夜には大阪に戻って来れるわネ?」「その積もりだけど、何か?」「夕食をー緒に取りたいの」「ほう、どういう風の吹きまわしだ?舞子から食事の誘いなんて」「母もー緒ヨ」「えッ、何か用件でも?まさか見合いの件?」「そうじゃないワ。あれは私キッパリ断った。母が折入って話したい事があるそうヨ」「そうか。じゃあ、八時に梅田のヒルトン・ホテルのロビーで」電話を切って、何の話かと考えた。成り行きに任せれば時間が解決してくれるだろうと考えた矢先の話だ。大した話では無さそうだが気にかかる。見合いの件で無いとすれば、まさか差別発言の事でもあるまい。そういった類の話なぞ話題にも成らない筈だ。 ひょっとして彼女等のー身上の事だろうか。そろそろ我々の関係をハッキリさせておきたいとするなら、舞子との関係がバレたか、それとも危惧していた女の計画の詰めの段階の話だろうか。大学に着いてもその事が頭から離れなかった。「先生、何かお疲れの様ですネ?」と現場事務所の所長が私の顔を見て言った。それほど表情に出ていたのだろう。何時もの様に午後からの会議は三時には終え、大学の理事や学長とも少しばかり話をしてから直ぐにタクシ―で浜松駅に向かった。新幹線に乗るとどうしても心に引っかかって女に電話を掛けた。「あら、わざわざ静岡から電話をくれなくても今夜会えるのに・・・」「折入った話と言うから気に成って・・・」「フフフ、案外神経質なのネ。嬉しい話なのヨ」「嬉しい話って?」「実はネ、舞子、お目出度なの」直ぐには理解出来なかった。舞子に何か慶事でもあった風に聴こえた。 「何か祝い事かい?」「そうヨ、私達にとって」「私達?」「舞子のお腹に貴方の子供が居るのヨ」ー瞬、言葉に詰った。「どう?嬉しいでしょう?」女は追い打ちを掛ける様に言った。「ま、舞ちゃんが、そう言ったのか?」喉がカラカラに乾いて声が引きつった。「そうヨ。舞子も嬉しい様子だけど、恥ずかしいから貴方に言いだせなかった様ネ」「き、君は、知って居たんだ!」「そうヨ、最初からネ」「君という人は・・・親子で何とも無いのか?」「あら、言ってくれるわネ。貴方はどうなの?私の娘と分かって手を出したくせに」「そ、それは・・・」「そんな事より、私は嬉しいのヨ。貴方なら安心して舞子の事を任せられると想ったの。舞子も貴方の事を真剣に愛しているから良いじゃない」「娘と共有なんて何とも思わないのか?」「嫌だワ、共有だなんて、貴方は私の神様なのヨ。そして舞子には大切な恋人なの」(10月上旬につづく)
2012/09/20
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秋(4) ゴルフ練習所に行く度に想うのは、これから一時間汗を流すのは果たして健康の為なのか、それともゴルフの技を向上させる為なのかという事である。今更腕は上がらないと想える事もあるし週に一度程度の練習所通い程度では健康に左程影響はしないのではないかという気もする。しかしやらないよりはマシだろうという気もあって通っている訳である。レッスンプロについて練習もやったが基本は自分でも分かっている積りである。ところが基本練習は小マメにやればやる程効果はある。音楽でもそうだ。ボクは青年時代にクラシックギターをやっていて毎日練習をしていた。少しでも手を抜いて数日間でもやらないと指の動きが鈍く成るからだ。それと同じでスポーツも毎日練習をしなければ勘が鈍り身体も筋肉が退化する。ところが、プロでも無いのにそこまでやる必要性があるのかという気も起き、つい間を空けてしまう。変な悩みである。小説「猫と女と」(16) 飲み屋で、テレビに写っている大物政治家の息子を観ながら女に「彼は、実は韓国人だそうだヨ」と差別的に言ってしまったのを迂闊な発言だったと思い知らされながらも舞子にまで同じ様な話をしてしまった。それで女にも舞子にも心の傷を負わせてしまったのでは無いだろうか。尤も彼女らが韓国人だと推測しての話だが、仮に日本人だったとしても差別的発言は人間性を疑わせる行為でしか無い。何という軽率な言葉を発してしまったのだろう。日頃から心に在る事だからこそ何気なく使ってしまったのだ。しかし、何故こうまで差別意識を抱く様になってしまったのだろう。考えられるとすれば長年の社会通念で自然に身に付いたのだろうが、卑しくも人道主義者と自認して来た割には自分の信念は何と薄っぺらいものであった事か。これは多分に欧米人におけるユダヤ人問題に似ている。何故なら見掛けでは判別し難い問題だからだ。 日頃から分かって居て彼等と親しく付き合っていれば起こり得ない問題だ。が、つらつら考えてみるに敢えてそういう相手を避けて来たと言えなくも無い。つまりは韓国人と付き合う機会が無かったと言うよりも風評から勝手な思い込みをし彼等を避けて来たのだろう。第ー、学生時代の韓国人の同級生とも卒業後はー度も会っていない。機会が無かったのも事実だが、ひょっとして仕事上でこれまで知らないまま韓国人と付き合って来たかもしれないのだ。見掛けで相手を日本人と思い込んで来ただけの事で、要するにその程度の意識なのだ。勝手な思い込みで相手を区別したり差別してしまっているナンセンスに気がついていなかったのだ。いい加減なものである。当然ながら悪い連中は日本人にも居る。いや、それ以上に悪い連中さえ居る。国籍が違うだけで偏見を持つ危うさに気がついていれば問題にする事では無かった。そう考える事すらナンセンスだったのだ。 要は人間を見て付き合うのが本来の人間関係であればこそ彼女等と関係を持ったのでは無かったのか。心から気に入ったから付き合ったのだ。それなのにー寸した心の緩みで何とも軽率な発言をしたものだ。彼女等では無く別人への偏見とは言え何気なく言ってしまった自分が恐ろしい。実に悔やまれる。想い返せば、女が私をキッと見返して「あら、私あの子のファンよ」と私の差別的言葉をやんわりと否定したのに、舞子は一言も反論せず怒りもしなかった。忍耐力や包容力があると言うか舞子が立派なのだ。それに引き換え日本の社会に潜む偏見のせいだとして自然に差別意識が植え付けられたと他人事の様に言ってしまった。が、実際は接したことも無い相手の事を噂や風評だけで判断した自分が浅はかだった。敢えて差別しなければならない程、彼らから被害を蒙った訳でも無く彼等を見下すべき理由も無かったのだ。そういえば昔、父が話してくれた朝鮮人の話を想い出す。 それは戦時中、軍のトンネル工事を請け負っていた父が軍の幹部連中を料亭で接待していた時に、急報でトンネルの落盤事故を知らされ慌てて現場へ向かったのだった。到着すると既に犠牲になったー人の朝鮮人人夫の遺体が裸のまま横たえてあったそうだ。それを観て不憫に想った父が自分のコートを脱いで掛けてやったという。其処へ軍の係官がやってきて「遺体を処分せよ」と命令し何処かへ片付けられてしまった。「今の時代やったら、あんな簡単な調査だけで済まされなんだやろな。あの時代は、そういう時代やった」と感慨深そうに話していた。それを聞かされた私は子供心ながらトンネル工事の人夫は可哀想なものだと想っただけだった。まるで消耗品のように使い捨てらる人夫に憐れみを感じた父が裸の遺体にコートを掛けてやったという人情話が充分に理解出来なかった。逆に、心優しい人情家のように振舞った父が偽善者の様に想えたのだった。 その話は、かつて朝鮮人が奴隷のようにこき使われていた時代があったという記憶として、その後の私の彼等を考える気持ちの原点になっただけだった。何故わざわざ遠い国の日本で働かされねば成らなかったのかという事に考えが及ばず、わざわざ昔話を何故子供の私に話したのかさえも理解出来なかった。ひょっとして戦後、中国やソ連に抑留されていた人々が舞鶴港に帰国して来た光景写真とか、北朝鮮へ帰国する人々を乗せた船の写真が新聞に出ていたのかもしれない。戦後のどさくさの時代、様々な事があって、そのひとつのエピソードとして話して聞かせてくれただけであったのか、若しくは自分は戦地から無事、無傷のまま戻って来れて、帰国後は建設業で成功した自慢話や自分の強運をひけらかす想い出話だったのかも知れない。だからなのか、そういう父は傲慢で人を人とも思わない言動を平気で使っていたのだった。母や私はそういう父を恐れていた。 そのくせ、トンネルの事故で死んだ朝鮮人人夫に自分が着ていたコートを脱いで掛けてやったと懐かしそうに語る矛盾した性格の持ち主でもあった。自分で語った話の辻褄や整合性なぞ気にもかけず矛盾を何とも感じない人だった。そういう父の姿を観て育った私にも多少はその影響があるやも知れず、それとも反面教師として批判的に見る冷めた目も持っているのでは無いかと思ったりもする。そのせいか女や舞子に情愛を感じつつも、ひょっとして彼女等が日本人では無いのではないかと疑ってみたりするのも其処から来るのでは無いだろうか。しかし、仮に日本人で無かったとして、それがどうだと言うのだ。それで何かが変わるとでも言うのだろうか。全く意味の無い愚問に神経を尖らせる原因は何なのだろう。もし自分が逆の立場であったとするなら果たして同じ事を考えたろうか。ナンセンスも此処まで来れば自分でも答が出せず成る様にしか成らないと想ってしまう。(9月下旬につづく)
2012/09/19
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秋(3) 建築の設計と監理を長年やって来ているせいか建物や工作物を観ると直ぐにその安全性を考えてしまう。意匠(デザイン)も大事だが安全性を証明する構造が先ず優先されるべきだからだ。それは言わば人間の骨格と筋肉に該当するからで、健康とか美容と言う前に基本となるべきものである。ファンデーション(基礎)がロクでもないと幾ら化粧しても見映えしないという事だ。最近はオリンピックでも観た様にアスリート達は美人が多い。それは健康体がもたらす美の基本を持っているからだろう。基本の構造体がしっかりしていれば自信も付き身体のバランスも良く成る。観る方も安心して観て居られる。素人でもそう想うのだからプロにすれば先ずそれが優先されるだろう。ちなみに、このネットフェンスは風圧(速度圧)に耐える設計がなされている筈なのだが、過去の台風に耐えて今も持っているからそう想うだけで、今後更なる激しい台風が来ればどうだか気には掛かる。何故なら最近の自然現象は想定外の力(応力)が掛かるからだ。小説「猫と女と」(16) 飲み屋で、テレビに写っている大物政治家の息子を観ながら女に「彼は、実は韓国人だそうだヨ」と差別的に言ってしまったのを迂闊な発言だったと思い知らされながらも舞子にまで同じ様な話をしてしまった。それで女にも舞子にも心の傷を負わせてしまったのでは無いだろうか。尤も彼女らが韓国人だと推測しての話だが、仮に日本人だったとしても差別的発言は人間性を疑わせる行為でしか無い。何という軽率な言葉を発してしまったのだろう。日頃から心に在る事だからこそ何気なく使ってしまったのだ。しかし、何故こうまで差別意識を抱く様になってしまったのだろう。考えられるとすれば長年の社会通念で自然に身に付いたのだろうが、卑しくも人道主義者と自認して来た割には自分の信念は何と薄っぺらいものであった事か。これは多分に欧米人におけるユダヤ人問題に似ている。何故なら見掛けでは判別し難い問題だからだ。 日頃から分かって居て彼等と親しく付き合っていれば起こり得ない問題だ。が、つらつら考えてみるに敢えてそういう相手を避けて来たと言えなくも無い。つまりは韓国人と付き合う機会が無かったと言うよりも風評から勝手な思い込みをし彼等を避けて来たのだろう。第ー、学生時代の韓国人の同級生とも卒業後はー度も会っていない。機会が無かったのも事実だが、ひょっとして仕事上でこれまで知らないまま韓国人と付き合って来たかもしれないのだ。見掛けで相手を日本人と思い込んで来ただけの事で、要するにその程度の意識なのだ。勝手な思い込みで相手を区別したり差別してしまっているナンセンスに気がついていなかったのだ。いい加減なものである。当然ながら悪い連中は日本人にも居る。いや、それ以上に悪い連中さえ居る。国籍が違うだけで偏見を持つ危うさに気がついていれば問題にする事では無かった。そう考える事すらナンセンスだったのだ。 要は人間を見て付き合うのが本来の人間関係であればこそ彼女等と関係を持ったのでは無かったのか。心から気に入ったから付き合ったのだ。それなのにー寸した心の緩みで何とも軽率な発言をしたものだ。彼女等では無く別人への偏見とは言え何気なく言ってしまった自分が恐ろしい。実に悔やまれる。想い返せば、女が私をキッと見返して「あら、私あの子のファンよ」と私の差別的言葉をやんわりと否定したのに、舞子は一言も反論せず怒りもしなかった。忍耐力や包容力があると言うか舞子が立派なのだ。それに引き換え日本の社会に潜む偏見のせいだとして自然に差別意識が植え付けられたと他人事の様に言ってしまった。が、実際は接したことも無い相手の事を噂や風評だけで判断した自分が浅はかだった。敢えて差別しなければならない程、彼らから被害を蒙った訳でも無く彼等を見下すべき理由も無かったのだ。そういえば昔、父が話してくれた朝鮮人の話を想い出す。 それは戦時中、軍のトンネル工事を請け負っていた父が軍の幹部連中を料亭で接待していた時に、急報でトンネルの落盤事故を知らされ慌てて現場へ向かったのだった。到着すると既に犠牲になったー人の朝鮮人人夫の遺体が裸のまま横たえてあったそうだ。それを観て不憫に想った父が自分のコートを脱いで掛けてやったという。其処へ軍の係官がやってきて「遺体を処分せよ」と命令し何処かへ片付けられてしまった。「今の時代やったら、あんな簡単な調査だけで済まされなんだやろな。あの時代は、そういう時代やった」と感慨深そうに話していた。それを聞かされた私は子供心ながらトンネル工事の人夫は可哀想なものだと想っただけだった。まるで消耗品のように使い捨てらる人夫に憐れみを感じた父が裸の遺体にコートを掛けてやったという人情話が充分に理解出来なかった。逆に、心優しい人情家のように振舞った父が偽善者の様に想えたのだった。 その話は、かつて朝鮮人が奴隷のようにこき使われていた時代があったという記憶として、その後の私の彼等を考える気持ちの原点になっただけだった。何故わざわざ遠い国の日本で働かされねば成らなかったのかという事に考えが及ばず、わざわざ昔話を何故子供の私に話したのかさえも理解出来なかった。ひょっとして戦後、中国やソ連に抑留されていた人々が舞鶴港に帰国して来た光景写真とか、北朝鮮へ帰国する人々を乗せた船の写真が新聞に出ていたのかもしれない。戦後のどさくさの時代、様々な事があって、そのひとつのエピソードとして話して聞かせてくれただけであったのか、若しくは自分は戦地から無事、無傷のまま戻って来れて、帰国後は建設業で成功した自慢話や自分の強運をひけらかす想い出話だったのかも知れない。だからなのか、そういう父は傲慢で人を人とも思わない言動を平気で使っていたのだった。母や私はそういう父を恐れていた。 そのくせ、トンネルの事故で死んだ朝鮮人人夫に自分が着ていたコートを脱いで掛けてやったと懐かしそうに語る矛盾した性格の持ち主でもあった。自分で語った話の辻褄や整合性なぞ気にもかけず矛盾を何とも感じない人だった。そういう父の姿を観て育った私にも多少はその影響があるやも知れず、それとも反面教師として批判的に見る冷めた目も持っているのでは無いかと思ったりもする。そのせいか女や舞子に情愛を感じつつも、ひょっとして彼女等が日本人では無いのではないかと疑ってみたりするのも其処から来るのでは無いだろうか。しかし、仮に日本人で無かったとして、それがどうだと言うのだ。それで何かが変わるとでも言うのだろうか。全く意味の無い愚問に神経を尖らせる原因は何なのだろう。もし自分が逆の立場であったとするなら果たして同じ事を考えたろうか。ナンセンスも此処まで来れば自分でも答が出せず成る様にしか成らないと想ってしまう。(9月下旬につづく)
2012/09/18
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秋(2) 台風が近づいているせいで日本列島にまで熱帯低気圧が押し上げられ、このところ蒸し暑い日が続いている。週明けには台風も去って涼しくなるだろうと待ち遠しい。こうも何時までも蒸し暑い日が続くと身体がだるく成って来る。クーラーを入れても身体が痛くなって来る。摂氏27度から28度の間で調整しているが、部屋にばかり居ても身体に悪いからとゴルフ練習所へ汗を流しに行った。すると、入道雲が目に入った。カメラを取り出し後面のモニターを観たが、グリーンばかり撮っても詰らないので上の方のネットフェンスを入れた。すると商売柄処、少々気に掛かるのは台風の強風にも耐える様に設計してあるのだろうかという基本的な事だった。小説「猫と女と」(16) 飲み屋で、テレビに写っている大物政治家の息子を観ながら女に「彼は、実は韓国人だそうだヨ」と差別的に言ってしまったのを迂闊な発言だったと思い知らされながらも舞子にまで同じ様な話をしてしまった。それで女にも舞子にも心の傷を負わせてしまったのでは無いだろうか。尤も彼女らが韓国人だと推測しての話だが、仮に日本人だったとしても差別的発言は人間性を疑わせる行為でしか無い。何という軽率な言葉を発してしまったのだろう。日頃から心に在る事だからこそ何気なく使ってしまったのだ。しかし、何故こうまで差別意識を抱く様になってしまったのだろう。考えられるとすれば長年の社会通念で自然に身に付いたのだろうが、卑しくも人道主義者と自認して来た割には自分の信念は何と薄っぺらいものであった事か。これは多分に欧米人におけるユダヤ人問題に似ている。何故なら見掛けでは判別し難い問題だからだ。 日頃から分かって居て彼等と親しく付き合っていれば起こり得ない問題だ。が、つらつら考えてみるに敢えてそういう相手を避けて来たと言えなくも無い。つまりは韓国人と付き合う機会が無かったと言うよりも風評から勝手な思い込みをし彼等を避けて来たのだろう。第ー、学生時代の韓国人の同級生とも卒業後はー度も会っていない。機会が無かったのも事実だが、ひょっとして仕事上でこれまで知らないまま韓国人と付き合って来たかもしれないのだ。見掛けで相手を日本人と思い込んで来ただけの事で、要するにその程度の意識なのだ。勝手な思い込みで相手を区別したり差別してしまっているナンセンスに気がついていなかったのだ。いい加減なものである。当然ながら悪い連中は日本人にも居る。いや、それ以上に悪い連中さえ居る。国籍が違うだけで偏見を持つ危うさに気がついていれば問題にする事では無かった。そう考える事すらナンセンスだったのだ。 要は人間を見て付き合うのが本来の人間関係であればこそ彼女等と関係を持ったのでは無かったのか。心から気に入ったから付き合ったのだ。それなのにー寸した心の緩みで何とも軽率な発言をしたものだ。彼女等では無く別人への偏見とは言え何気なく言ってしまった自分が恐ろしい。実に悔やまれる。想い返せば、女が私をキッと見返して「あら、私あの子のファンよ」と私の差別的言葉をやんわりと否定したのに、舞子は一言も反論せず怒りもしなかった。忍耐力や包容力があると言うか舞子が立派なのだ。それに引き換え日本の社会に潜む偏見のせいだとして自然に差別意識が植え付けられたと他人事の様に言ってしまった。が、実際は接したことも無い相手の事を噂や風評だけで判断した自分が浅はかだった。敢えて差別しなければならない程、彼らから被害を蒙った訳でも無く彼等を見下すべき理由も無かったのだ。そういえば昔、父が話してくれた朝鮮人の話を想い出す。 それは戦時中、軍のトンネル工事を請け負っていた父が軍の幹部連中を料亭で接待していた時に、急報でトンネルの落盤事故を知らされ慌てて現場へ向かったのだった。到着すると既に犠牲になったー人の朝鮮人人夫の遺体が裸のまま横たえてあったそうだ。それを観て不憫に想った父が自分のコートを脱いで掛けてやったという。其処へ軍の係官がやってきて「遺体を処分せよ」と命令し何処かへ片付けられてしまった。「今の時代やったら、あんな簡単な調査だけで済まされなんだやろな。あの時代は、そういう時代やった」と感慨深そうに話していた。それを聞かされた私は子供心ながらトンネル工事の人夫は可哀想なものだと想っただけだった。まるで消耗品のように使い捨てらる人夫に憐れみを感じた父が裸の遺体にコートを掛けてやったという人情話が充分に理解出来なかった。逆に、心優しい人情家のように振舞った父が偽善者の様に想えたのだった。 その話は、かつて朝鮮人が奴隷のようにこき使われていた時代があったという記憶として、その後の私の彼等を考える気持ちの原点になっただけだった。何故わざわざ遠い国の日本で働かされねば成らなかったのかという事に考えが及ばず、わざわざ昔話を何故子供の私に話したのかさえも理解出来なかった。ひょっとして戦後、中国やソ連に抑留されていた人々が舞鶴港に帰国して来た光景写真とか、北朝鮮へ帰国する人々を乗せた船の写真が新聞に出ていたのかもしれない。戦後のどさくさの時代、様々な事があって、そのひとつのエピソードとして話して聞かせてくれただけであったのか、若しくは自分は戦地から無事、無傷のまま戻って来れて、帰国後は建設業で成功した自慢話や自分の強運をひけらかす想い出話だったのかも知れない。だからなのか、そういう父は傲慢で人を人とも思わない言動を平気で使っていたのだった。母や私はそういう父を恐れていた。 そのくせ、トンネルの事故で死んだ朝鮮人人夫に自分が着ていたコートを脱いで掛けてやったと懐かしそうに語る矛盾した性格の持ち主でもあった。自分で語った話の辻褄や整合性なぞ気にもかけず矛盾を何とも感じない人だった。そういう父の姿を観て育った私にも多少はその影響があるやも知れず、それとも反面教師として批判的に見る冷めた目も持っているのでは無いかと思ったりもする。そのせいか女や舞子に情愛を感じつつも、ひょっとして彼女等が日本人では無いのではないかと疑ってみたりするのも其処から来るのでは無いだろうか。しかし、仮に日本人で無かったとして、それがどうだと言うのだ。それで何かが変わるとでも言うのだろうか。全く意味の無い愚問に神経を尖らせる原因は何なのだろう。もし自分が逆の立場であったとするなら果たして同じ事を考えたろうか。ナンセンスも此処まで来れば自分でも答が出せず成る様にしか成らないと想ってしまう。(9月下旬につづく)
2012/09/17
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秋(1) 何時までも暑さが続き一向に夏が去らないと想っている内に朝晩になれば秋の気配を感じる様になっていた。暦では既に秋は来ていたのだが、最近の気象情報では異変が当たり前の様に大雨注意報や竜巻注意報が散見され、夏の異常暑さもその一つに成っている。だから秋の雰囲気をやっと朝晩に味わう事が出来、ホッと一息つくと共に、収穫の秋を素直に喜びたくなる気持ちになる。しかし、これから台風シーズンに入ると想うと、その程度が気になって憂鬱になってしまう。尤も、人間の寿命でしか人は季節を判断しないから天変地異が当たり前であった頃の時代を経験していない現代人には異常気象と呼ぶ気候が受け入れ難いのだ。地球も生き物である。よって宇宙時間で観るなら多少の気象変動も当たり前だから素直に受け入れなければならない。これまで現代人が味わって来た気性は一過性のものに過ぎなかったと考えるべきなのだ。これからの時代は人間にとって決して楽なものでは無いと覚悟して置いた方が良いだろう。「備えあれば憂えなし」という古人の言葉がある。小説「猫と女と」(16) 飲み屋で、テレビに写っている大物政治家の息子を観ながら女に「彼は、実は韓国人だそうだヨ」と差別的に言ってしまったのを迂闊な発言だったと思い知らされながらも舞子にまで同じ様な話をしてしまった。それで女にも舞子にも心の傷を負わせてしまったのでは無いだろうか。尤も彼女らが韓国人だと推測しての話だが、仮に日本人だったとしても差別的発言は人間性を疑わせる行為でしか無い。何という軽率な言葉を発してしまったのだろう。日頃から心に在る事だからこそ何気なく使ってしまったのだ。しかし、何故こうまで差別意識を抱く様になってしまったのだろう。考えられるとすれば長年の社会通念で自然に身に付いたのだろうが、卑しくも人道主義者と自認して来た割には自分の信念は何と薄っぺらいものであった事か。これは多分に欧米人におけるユダヤ人問題に似ている。何故なら見掛けでは判別し難い問題だからだ。 日頃から分かって居て彼等と親しく付き合っていれば起こり得ない問題だ。が、つらつら考えてみるに敢えてそういう相手を避けて来たと言えなくも無い。つまりは韓国人と付き合う機会が無かったと言うよりも風評から勝手な思い込みをし彼等を避けて来たのだろう。第ー、学生時代の韓国人の同級生とも卒業後はー度も会っていない。機会が無かったのも事実だが、ひょっとして仕事上でこれまで知らないまま韓国人と付き合って来たかもしれないのだ。見掛けで相手を日本人と思い込んで来ただけの事で、要するにその程度の意識なのだ。勝手な思い込みで相手を区別したり差別してしまっているナンセンスに気がついていなかったのだ。いい加減なものである。当然ながら悪い連中は日本人にも居る。いや、それ以上に悪い連中さえ居る。国籍が違うだけで偏見を持つ危うさに気がついていれば問題にする事では無かった。そう考える事すらナンセンスだったのだ。 要は人間を見て付き合うのが本来の人間関係であればこそ彼女等と関係を持ったのでは無かったのか。心から気に入ったから付き合ったのだ。それなのにー寸した心の緩みで何とも軽率な発言をしたものだ。彼女等では無く別人への偏見とは言え何気なく言ってしまった自分が恐ろしい。実に悔やまれる。想い返せば、女が私をキッと見返して「あら、私あの子のファンよ」と私の差別的言葉をやんわりと否定したのに、舞子は一言も反論せず怒りもしなかった。忍耐力や包容力があると言うか舞子が立派なのだ。それに引き換え日本の社会に潜む偏見のせいだとして自然に差別意識が植え付けられたと他人事の様に言ってしまった。が、実際は接したことも無い相手の事を噂や風評だけで判断した自分が浅はかだった。敢えて差別しなければならない程、彼らから被害を蒙った訳でも無く彼等を見下すべき理由も無かったのだ。そういえば昔、父が話してくれた朝鮮人の話を想い出す。 それは戦時中、軍のトンネル工事を請け負っていた父が軍の幹部連中を料亭で接待していた時に、急報でトンネルの落盤事故を知らされ慌てて現場へ向かったのだった。到着すると既に犠牲になったー人の朝鮮人人夫の遺体が裸のまま横たえてあったそうだ。それを観て不憫に想った父が自分のコートを脱いで掛けてやったという。其処へ軍の係官がやってきて「遺体を処分せよ」と命令し何処かへ片付けられてしまった。「今の時代やったら、あんな簡単な調査だけで済まされなんだやろな。あの時代は、そういう時代やった」と感慨深そうに話していた。それを聞かされた私は子供心ながらトンネル工事の人夫は可哀想なものだと想っただけだった。まるで消耗品のように使い捨てらる人夫に憐れみを感じた父が裸の遺体にコートを掛けてやったという人情話が充分に理解出来なかった。逆に、心優しい人情家のように振舞った父が偽善者の様に想えたのだった。 その話は、かつて朝鮮人が奴隷のようにこき使われていた時代があったという記憶として、その後の私の彼等を考える気持ちの原点になっただけだった。何故わざわざ遠い国の日本で働かされねば成らなかったのかという事に考えが及ばず、わざわざ昔話を何故子供の私に話したのかさえも理解出来なかった。ひょっとして戦後、中国やソ連に抑留されていた人々が舞鶴港に帰国して来た光景写真とか、北朝鮮へ帰国する人々を乗せた船の写真が新聞に出ていたのかもしれない。戦後のどさくさの時代、様々な事があって、そのひとつのエピソードとして話して聞かせてくれただけであったのか、若しくは自分は戦地から無事、無傷のまま戻って来れて、帰国後は建設業で成功した自慢話や自分の強運をひけらかす想い出話だったのかも知れない。だからなのか、そういう父は傲慢で人を人とも思わない言動を平気で使っていたのだった。母や私はそういう父を恐れていた。 そのくせ、トンネルの事故で死んだ朝鮮人人夫に自分が着ていたコートを脱いで掛けてやったと懐かしそうに語る矛盾した性格の持ち主でもあった。自分で語った話の辻褄や整合性なぞ気にもかけず矛盾を何とも感じない人だった。そういう父の姿を観て育った私にも多少はその影響があるやも知れず、それとも反面教師として批判的に見る冷めた目も持っているのでは無いかと思ったりもする。そのせいか女や舞子に情愛を感じつつも、ひょっとして彼女等が日本人では無いのではないかと疑ってみたりするのも其処から来るのでは無いだろうか。しかし、仮に日本人で無かったとして、それがどうだと言うのだ。それで何かが変わるとでも言うのだろうか。全く意味の無い愚問に神経を尖らせる原因は何なのだろう。もし自分が逆の立場であったとするなら果たして同じ事を考えたろうか。ナンセンスも此処まで来れば自分でも答が出せず成る様にしか成らないと想ってしまう。(9月下旬につづく)
2012/09/16
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夏(86) フェアウェイで第二打なり第三打を打つ時、たまたまドッグレッグに成って居たりブラインドがあったりしてグリーンを直接狙えないか若しくはその方向へ打てない場合がある。的が見えないで打つというのは不安なものである。ショートカットして成功すれば良いが、O・B(アウト・オブ・バーンズ=エリア外へ打って失格ボールになる事)なんかの様に失敗すれば大きな失点に成る。其処は果敢に攻める人と慎重に行く人とに分かれる。どちらも楽しんでいる訳である。だから自分は自分として自信を持って他人の真似はしない事である。真似をして失敗すれば悔やまれる。人生と同じで攻め方にも個性が出て面白い。小説「猫と女と」(16) 飲み屋で、テレビに写っている大物政治家の息子を観ながら女に「彼は、実は韓国人だそうだヨ」と差別的に言ってしまったのを迂闊な発言だったと思い知らされながらも舞子にまで同じ様な話をしてしまった。それで女にも舞子にも心の傷を負わせてしまったのでは無いだろうか。尤も彼女らが韓国人だと推測しての話だが、仮に日本人だったとしても差別的発言は人間性を疑わせる行為でしか無い。何という軽率な言葉を発してしまったのだろう。日頃から心に在る事だからこそ何気なく使ってしまったのだ。しかし、何故こうまで差別意識を抱く様になってしまったのだろう。考えられるとすれば長年の社会通念で自然に身に付いたのだろうが、卑しくも人道主義者と自認して来た割には自分の信念は何と薄っぺらいものであった事か。これは多分に欧米人におけるユダヤ人問題に似ている。何故なら見掛けでは判別し難い問題だからだ。 日頃から分かって居て彼等と親しく付き合っていれば起こり得ない問題だ。が、つらつら考えてみるに敢えてそういう相手を避けて来たと言えなくも無い。つまりは韓国人と付き合う機会が無かったと言うよりも風評から勝手な思い込みをし彼等を避けて来たのだろう。第ー、学生時代の韓国人の同級生とも卒業後はー度も会っていない。機会が無かったのも事実だが、ひょっとして仕事上でこれまで知らないまま韓国人と付き合って来たかもしれないのだ。見掛けで相手を日本人と思い込んで来ただけの事で、要するにその程度の意識なのだ。勝手な思い込みで相手を区別したり差別してしまっているナンセンスに気がついていなかったのだ。いい加減なものである。当然ながら悪い連中は日本人にも居る。いや、それ以上に悪い連中さえ居る。国籍が違うだけで偏見を持つ危うさに気がついていれば問題にする事では無かった。そう考える事すらナンセンスだったのだ。 要は人間を見て付き合うのが本来の人間関係であればこそ彼女等と関係を持ったのでは無かったのか。心から気に入ったから付き合ったのだ。それなのにー寸した心の緩みで何とも軽率な発言をしたものだ。彼女等では無く別人への偏見とは言え何気なく言ってしまった自分が恐ろしい。実に悔やまれる。想い返せば、女が私をキッと見返して「あら、私あの子のファンよ」と私の差別的言葉をやんわりと否定したのに、舞子は一言も反論せず怒りもしなかった。忍耐力や包容力があると言うか舞子が立派なのだ。それに引き換え日本の社会に潜む偏見のせいだとして自然に差別意識が植え付けられたと他人事の様に言ってしまった。が、実際は接したことも無い相手の事を噂や風評だけで判断した自分が浅はかだった。敢えて差別しなければならない程、彼らから被害を蒙った訳でも無く彼等を見下すべき理由も無かったのだ。そういえば昔、父が話してくれた朝鮮人の話を想い出す。 それは戦時中、軍のトンネル工事を請け負っていた父が軍の幹部連中を料亭で接待していた時に、急報でトンネルの落盤事故を知らされ慌てて現場へ向かったのだった。到着すると既に犠牲になったー人の朝鮮人人夫の遺体が裸のまま横たえてあったそうだ。それを観て不憫に想った父が自分のコートを脱いで掛けてやったという。其処へ軍の係官がやってきて「遺体を処分せよ」と命令し何処かへ片付けられてしまった。「今の時代やったら、あんな簡単な調査だけで済まされなんだやろな。あの時代は、そういう時代やった」と感慨深そうに話していた。それを聞かされた私は子供心ながらトンネル工事の人夫は可哀想なものだと想っただけだった。まるで消耗品のように使い捨てらる人夫に憐れみを感じた父が裸の遺体にコートを掛けてやったという人情話が充分に理解出来なかった。逆に、心優しい人情家のように振舞った父が偽善者の様に想えたのだった。 その話は、かつて朝鮮人が奴隷のようにこき使われていた時代があったという記憶として、その後の私の彼等を考える気持ちの原点になっただけだった。何故わざわざ遠い国の日本で働かされねば成らなかったのかという事に考えが及ばず、わざわざ昔話を何故子供の私に話したのかさえも理解出来なかった。ひょっとして戦後、中国やソ連に抑留されていた人々が舞鶴港に帰国して来た光景写真とか、北朝鮮へ帰国する人々を乗せた船の写真が新聞に出ていたのかもしれない。戦後のどさくさの時代、様々な事があって、そのひとつのエピソードとして話して聞かせてくれただけであったのか、若しくは自分は戦地から無事、無傷のまま戻って来れて、帰国後は建設業で成功した自慢話や自分の強運をひけらかす想い出話だったのかも知れない。だからなのか、そういう父は傲慢で人を人とも思わない言動を平気で使っていたのだった。母や私はそういう父を恐れていた。 そのくせ、トンネルの事故で死んだ朝鮮人人夫に自分が着ていたコートを脱いで掛けてやったと懐かしそうに語る矛盾した性格の持ち主でもあった。自分で語った話の辻褄や整合性なぞ気にもかけず矛盾を何とも感じない人だった。そういう父の姿を観て育った私にも多少はその影響があるやも知れず、それとも反面教師として批判的に見る冷めた目も持っているのでは無いかと思ったりもする。そのせいか女や舞子に情愛を感じつつも、ひょっとして彼女等が日本人では無いのではないかと疑ってみたりするのも其処から来るのでは無いだろうか。しかし、仮に日本人で無かったとして、それがどうだと言うのだ。それで何かが変わるとでも言うのだろうか。全く意味の無い愚問に神経を尖らせる原因は何なのだろう。もし自分が逆の立場であったとするなら果たして同じ事を考えたろうか。ナンセンスも此処まで来れば自分でも答が出せず成る様にしか成らないと想ってしまう。(9月下旬につづく)
2012/09/15
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夏(85) 前の組がホールアウトする迄フェアウェイで待たされる事がある。待たされるのは時としてリズムが狂い勝ちである。しかし、それは殆どがメンタルなものでしかない。余裕を持って仲間と冗談でも言い合って小休止すれば調子が変わる事もないのだ。つまり焦るとロクな事が無いと言う事である。ホールアウトして誰も居なくなったグリーン目掛けてピン(フラッグ)を狙って打つ時の気持ちは初心にかえって打つべきである。余計な事を考えるとピンどころかグリーンまで外してしまう。ゴルフはイメージのスポーツたる由縁である。良いイメージを頭に描いて打ち、その通り行った時の喜びは自分への自信となり相手へのプレッシャーにもなる。そういう面白さが分かって来るとイギリス紳士の様にポーカー・フェイスで相手と接しられる。それこそがゴルフの真髄なのである。小説「猫と女と」(16) 飲み屋で、テレビに写っている大物政治家の息子を観ながら女に「彼は、実は韓国人だそうだヨ」と差別的に言ってしまったのを迂闊な発言だったと思い知らされながらも舞子にまで同じ様な話をしてしまった。それで女にも舞子にも心の傷を負わせてしまったのでは無いだろうか。尤も彼女らが韓国人だと推測しての話だが、仮に日本人だったとしても差別的発言は人間性を疑わせる行為でしか無い。何という軽率な言葉を発してしまったのだろう。日頃から心に在る事だからこそ何気なく使ってしまったのだ。しかし、何故こうまで差別意識を抱く様になってしまったのだろう。考えられるとすれば長年の社会通念で自然に身に付いたのだろうが、卑しくも人道主義者と自認して来た割には自分の信念は何と薄っぺらいものであった事か。これは多分に欧米人におけるユダヤ人問題に似ている。何故なら見掛けでは判別し難い問題だからだ。 日頃から分かって居て彼等と親しく付き合っていれば起こり得ない問題だ。が、つらつら考えてみるに敢えてそういう相手を避けて来たと言えなくも無い。つまりは韓国人と付き合う機会が無かったと言うよりも風評から勝手な思い込みをし彼等を避けて来たのだろう。第ー、学生時代の韓国人の同級生とも卒業後はー度も会っていない。機会が無かったのも事実だが、ひょっとして仕事上でこれまで知らないまま韓国人と付き合って来たかもしれないのだ。見掛けで相手を日本人と思い込んで来ただけの事で、要するにその程度の意識なのだ。勝手な思い込みで相手を区別したり差別してしまっているナンセンスに気がついていなかったのだ。いい加減なものである。当然ながら悪い連中は日本人にも居る。いや、それ以上に悪い連中さえ居る。国籍が違うだけで偏見を持つ危うさに気がついていれば問題にする事では無かった。そう考える事すらナンセンスだったのだ。 要は人間を見て付き合うのが本来の人間関係であればこそ彼女等と関係を持ったのでは無かったのか。心から気に入ったから付き合ったのだ。それなのにー寸した心の緩みで何とも軽率な発言をしたものだ。彼女等では無く別人への偏見とは言え何気なく言ってしまった自分が恐ろしい。実に悔やまれる。想い返せば、女が私をキッと見返して「あら、私あの子のファンよ」と私の差別的言葉をやんわりと否定したのに、舞子は一言も反論せず怒りもしなかった。忍耐力や包容力があると言うか舞子が立派なのだ。それに引き換え日本の社会に潜む偏見のせいだとして自然に差別意識が植え付けられたと他人事の様に言ってしまった。が、実際は接したことも無い相手の事を噂や風評だけで判断した自分が浅はかだった。敢えて差別しなければならない程、彼らから被害を蒙った訳でも無く彼等を見下すべき理由も無かったのだ。そういえば昔、父が話してくれた朝鮮人の話を想い出す。 それは戦時中、軍のトンネル工事を請け負っていた父が軍の幹部連中を料亭で接待していた時に、急報でトンネルの落盤事故を知らされ慌てて現場へ向かったのだった。到着すると既に犠牲になったー人の朝鮮人人夫の遺体が裸のまま横たえてあったそうだ。それを観て不憫に想った父が自分のコートを脱いで掛けてやったという。其処へ軍の係官がやってきて「遺体を処分せよ」と命令し何処かへ片付けられてしまった。「今の時代やったら、あんな簡単な調査だけで済まされなんだやろな。あの時代は、そういう時代やった」と感慨深そうに話していた。それを聞かされた私は子供心ながらトンネル工事の人夫は可哀想なものだと想っただけだった。まるで消耗品のように使い捨てらる人夫に憐れみを感じた父が裸の遺体にコートを掛けてやったという人情話が充分に理解出来なかった。逆に、心優しい人情家のように振舞った父が偽善者の様に想えたのだった。 その話は、かつて朝鮮人が奴隷のようにこき使われていた時代があったという記憶として、その後の私の彼等を考える気持ちの原点になっただけだった。何故わざわざ遠い国の日本で働かされねば成らなかったのかという事に考えが及ばず、わざわざ昔話を何故子供の私に話したのかさえも理解出来なかった。ひょっとして戦後、中国やソ連に抑留されていた人々が舞鶴港に帰国して来た光景写真とか、北朝鮮へ帰国する人々を乗せた船の写真が新聞に出ていたのかもしれない。戦後のどさくさの時代、様々な事があって、そのひとつのエピソードとして話して聞かせてくれただけであったのか、若しくは自分は戦地から無事、無傷のまま戻って来れて、帰国後は建設業で成功した自慢話や自分の強運をひけらかす想い出話だったのかも知れない。だからなのか、そういう父は傲慢で人を人とも思わない言動を平気で使っていたのだった。母や私はそういう父を恐れていた。 そのくせ、トンネルの事故で死んだ朝鮮人人夫に自分が着ていたコートを脱いで掛けてやったと懐かしそうに語る矛盾した性格の持ち主でもあった。自分で語った話の辻褄や整合性なぞ気にもかけず矛盾を何とも感じない人だった。そういう父の姿を観て育った私にも多少はその影響があるやも知れず、それとも反面教師として批判的に見る冷めた目も持っているのでは無いかと思ったりもする。そのせいか女や舞子に情愛を感じつつも、ひょっとして彼女等が日本人では無いのではないかと疑ってみたりするのも其処から来るのでは無いだろうか。しかし、仮に日本人で無かったとして、それがどうだと言うのだ。それで何かが変わるとでも言うのだろうか。全く意味の無い愚問に神経を尖らせる原因は何なのだろう。もし自分が逆の立場であったとするなら果たして同じ事を考えたろうか。ナンセンスも此処まで来れば自分でも答が出せず成る様にしか成らないと想ってしまう。(9月下旬につづく)
2012/09/14
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夏(84) ゴルフは毎回条件が異なる。それは天候であったり、ゴルフ場の芝生の生え方やホールの位置違いであったり体調の違いである。つまり毎回同じ条件でのプレイが無いといと言う事である。自然との闘いとメンタリティーとの戦いがゴルフの真髄であると分かり始めたのが面白いと想い出したきっかけだった。前回は上手く行ったのに今回は何故か駄目だったというのは最初の内は理解できなかった。が、段々慣れて来ると原因が分かり出し、改良する内に腕が上がって行った。そうなると自分の進歩が楽しくなる。そして相手よりも強くなって行くと亦頑張ろうと言う気に成るのだ。小説「猫と女と」(16) 飲み屋で、テレビに写っている大物政治家の息子を観ながら女に「彼は、実は韓国人だそうだヨ」と差別的に言ってしまったのを迂闊な発言だったと思い知らされながらも舞子にまで同じ様な話をしてしまった。それで女にも舞子にも心の傷を負わせてしまったのでは無いだろうか。尤も彼女らが韓国人だと推測しての話だが、仮に日本人だったとしても差別的発言は人間性を疑わせる行為でしか無い。何という軽率な言葉を発してしまったのだろう。日頃から心に在る事だからこそ何気なく使ってしまったのだ。しかし、何故こうまで差別意識を抱く様になってしまったのだろう。考えられるとすれば長年の社会通念で自然に身に付いたのだろうが、卑しくも人道主義者と自認して来た割には自分の信念は何と薄っぺらいものであった事か。これは多分に欧米人におけるユダヤ人問題に似ている。何故なら見掛けでは判別し難い問題だからだ。 日頃から分かって居て彼等と親しく付き合っていれば起こり得ない問題だ。が、つらつら考えてみるに敢えてそういう相手を避けて来たと言えなくも無い。つまりは韓国人と付き合う機会が無かったと言うよりも風評から勝手な思い込みをし彼等を避けて来たのだろう。第ー、学生時代の韓国人の同級生とも卒業後はー度も会っていない。機会が無かったのも事実だが、ひょっとして仕事上でこれまで知らないまま韓国人と付き合って来たかもしれないのだ。見掛けで相手を日本人と思い込んで来ただけの事で、要するにその程度の意識なのだ。勝手な思い込みで相手を区別したり差別してしまっているナンセンスに気がついていなかったのだ。いい加減なものである。当然ながら悪い連中は日本人にも居る。いや、それ以上に悪い連中さえ居る。国籍が違うだけで偏見を持つ危うさに気がついていれば問題にする事では無かった。そう考える事すらナンセンスだったのだ。 要は人間を見て付き合うのが本来の人間関係であればこそ彼女等と関係を持ったのでは無かったのか。心から気に入ったから付き合ったのだ。それなのにー寸した心の緩みで何とも軽率な発言をしたものだ。彼女等では無く別人への偏見とは言え何気なく言ってしまった自分が恐ろしい。実に悔やまれる。想い返せば、女が私をキッと見返して「あら、私あの子のファンよ」と私の差別的言葉をやんわりと否定したのに、舞子は一言も反論せず怒りもしなかった。忍耐力や包容力があると言うか舞子が立派なのだ。それに引き換え日本の社会に潜む偏見のせいだとして自然に差別意識が植え付けられたと他人事の様に言ってしまった。が、実際は接したことも無い相手の事を噂や風評だけで判断した自分が浅はかだった。敢えて差別しなければならない程、彼らから被害を蒙った訳でも無く彼等を見下すべき理由も無かったのだ。そういえば昔、父が話してくれた朝鮮人の話を想い出す。 それは戦時中、軍のトンネル工事を請け負っていた父が軍の幹部連中を料亭で接待していた時に、急報でトンネルの落盤事故を知らされ慌てて現場へ向かったのだった。到着すると既に犠牲になったー人の朝鮮人人夫の遺体が裸のまま横たえてあったそうだ。それを観て不憫に想った父が自分のコートを脱いで掛けてやったという。其処へ軍の係官がやってきて「遺体を処分せよ」と命令し何処かへ片付けられてしまった。「今の時代やったら、あんな簡単な調査だけで済まされなんだやろな。あの時代は、そういう時代やった」と感慨深そうに話していた。それを聞かされた私は子供心ながらトンネル工事の人夫は可哀想なものだと想っただけだった。まるで消耗品のように使い捨てらる人夫に憐れみを感じた父が裸の遺体にコートを掛けてやったという人情話が充分に理解出来なかった。逆に、心優しい人情家のように振舞った父が偽善者の様に想えたのだった。 その話は、かつて朝鮮人が奴隷のようにこき使われていた時代があったという記憶として、その後の私の彼等を考える気持ちの原点になっただけだった。何故わざわざ遠い国の日本で働かされねば成らなかったのかという事に考えが及ばず、わざわざ昔話を何故子供の私に話したのかさえも理解出来なかった。ひょっとして戦後、中国やソ連に抑留されていた人々が舞鶴港に帰国して来た光景写真とか、北朝鮮へ帰国する人々を乗せた船の写真が新聞に出ていたのかもしれない。戦後のどさくさの時代、様々な事があって、そのひとつのエピソードとして話して聞かせてくれただけであったのか、若しくは自分は戦地から無事、無傷のまま戻って来れて、帰国後は建設業で成功した自慢話や自分の強運をひけらかす想い出話だったのかも知れない。だからなのか、そういう父は傲慢で人を人とも思わない言動を平気で使っていたのだった。母や私はそういう父を恐れていた。 そのくせ、トンネルの事故で死んだ朝鮮人人夫に自分が着ていたコートを脱いで掛けてやったと懐かしそうに語る矛盾した性格の持ち主でもあった。自分で語った話の辻褄や整合性なぞ気にもかけず矛盾を何とも感じない人だった。そういう父の姿を観て育った私にも多少はその影響があるやも知れず、それとも反面教師として批判的に見る冷めた目も持っているのでは無いかと思ったりもする。そのせいか女や舞子に情愛を感じつつも、ひょっとして彼女等が日本人では無いのではないかと疑ってみたりするのも其処から来るのでは無いだろうか。しかし、仮に日本人で無かったとして、それがどうだと言うのだ。それで何かが変わるとでも言うのだろうか。全く意味の無い愚問に神経を尖らせる原因は何なのだろう。もし自分が逆の立場であったとするなら果たして同じ事を考えたろうか。ナンセンスも此処まで来れば自分でも答が出せず成る様にしか成らないと想ってしまう。(9月下旬につづく)
2012/09/13
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夏(83) 何故歳をとってもゴルフが楽しいのか考えてみると多分それは元々老人向けのスポーズだからだろう。体力をそれ程消耗せずに遠くまでボールを飛ばす事が出来、ホール・グリーンではパターというボール転がしの杖で穴まで入れるだけの簡単なスポーツだからだ。若い人には頼り無いスポーツに観える筈である。確かにボクも若い頃はゴルフを馬鹿にしていた。あんな耳かきの親分のようなクラブで御大層に打つだけのスポーツの何処が面白いのか理解に苦しんだものだった。ところが誘われてやって行く内に、毎回条件が異なり、簡単には前回と同じ様に行かない点が難しく想え始めたのだった。が、逆にそれが面白くハマって行ったのだった。小説「猫と女と」(16) 飲み屋で、テレビに写っている大物政治家の息子を観ながら女に「彼は、実は韓国人だそうだヨ」と差別的に言ってしまったのを迂闊な発言だったと思い知らされながらも舞子にまで同じ様な話をしてしまった。それで女にも舞子にも心の傷を負わせてしまったのでは無いだろうか。尤も彼女らが韓国人だと推測しての話だが、仮に日本人だったとしても差別的発言は人間性を疑わせる行為でしか無い。何という軽率な言葉を発してしまったのだろう。日頃から心に在る事だからこそ何気なく使ってしまったのだ。しかし、何故こうまで差別意識を抱く様になってしまったのだろう。考えられるとすれば長年の社会通念で自然に身に付いたのだろうが、卑しくも人道主義者と自認して来た割には自分の信念は何と薄っぺらいものであった事か。これは多分に欧米人におけるユダヤ人問題に似ている。何故なら見掛けでは判別し難い問題だからだ。 日頃から分かって居て彼等と親しく付き合っていれば起こり得ない問題だ。が、つらつら考えてみるに敢えてそういう相手を避けて来たと言えなくも無い。つまりは韓国人と付き合う機会が無かったと言うよりも風評から勝手な思い込みをし彼等を避けて来たのだろう。第ー、学生時代の韓国人の同級生とも卒業後はー度も会っていない。機会が無かったのも事実だが、ひょっとして仕事上でこれまで知らないまま韓国人と付き合って来たかもしれないのだ。見掛けで相手を日本人と思い込んで来ただけの事で、要するにその程度の意識なのだ。勝手な思い込みで相手を区別したり差別してしまっているナンセンスに気がついていなかったのだ。いい加減なものである。当然ながら悪い連中は日本人にも居る。いや、それ以上に悪い連中さえ居る。国籍が違うだけで偏見を持つ危うさに気がついていれば問題にする事では無かった。そう考える事すらナンセンスだったのだ。 要は人間を見て付き合うのが本来の人間関係であればこそ彼女等と関係を持ったのでは無かったのか。心から気に入ったから付き合ったのだ。それなのにー寸した心の緩みで何とも軽率な発言をしたものだ。彼女等では無く別人への偏見とは言え何気なく言ってしまった自分が恐ろしい。実に悔やまれる。想い返せば、女が私をキッと見返して「あら、私あの子のファンよ」と私の差別的言葉をやんわりと否定したのに、舞子は一言も反論せず怒りもしなかった。忍耐力や包容力があると言うか舞子が立派なのだ。それに引き換え日本の社会に潜む偏見のせいだとして自然に差別意識が植え付けられたと他人事の様に言ってしまった。が、実際は接したことも無い相手の事を噂や風評だけで判断した自分が浅はかだった。敢えて差別しなければならない程、彼らから被害を蒙った訳でも無く彼等を見下すべき理由も無かったのだ。そういえば昔、父が話してくれた朝鮮人の話を想い出す。 それは戦時中、軍のトンネル工事を請け負っていた父が軍の幹部連中を料亭で接待していた時に、急報でトンネルの落盤事故を知らされ慌てて現場へ向かったのだった。到着すると既に犠牲になったー人の朝鮮人人夫の遺体が裸のまま横たえてあったそうだ。それを観て不憫に想った父が自分のコートを脱いで掛けてやったという。其処へ軍の係官がやってきて「遺体を処分せよ」と命令し何処かへ片付けられてしまった。「今の時代やったら、あんな簡単な調査だけで済まされなんだやろな。あの時代は、そういう時代やった」と感慨深そうに話していた。それを聞かされた私は子供心ながらトンネル工事の人夫は可哀想なものだと想っただけだった。まるで消耗品のように使い捨てらる人夫に憐れみを感じた父が裸の遺体にコートを掛けてやったという人情話が充分に理解出来なかった。逆に、心優しい人情家のように振舞った父が偽善者の様に想えたのだった。 その話は、かつて朝鮮人が奴隷のようにこき使われていた時代があったという記憶として、その後の私の彼等を考える気持ちの原点になっただけだった。何故わざわざ遠い国の日本で働かされねば成らなかったのかという事に考えが及ばず、わざわざ昔話を何故子供の私に話したのかさえも理解出来なかった。ひょっとして戦後、中国やソ連に抑留されていた人々が舞鶴港に帰国して来た光景写真とか、北朝鮮へ帰国する人々を乗せた船の写真が新聞に出ていたのかもしれない。戦後のどさくさの時代、様々な事があって、そのひとつのエピソードとして話して聞かせてくれただけであったのか、若しくは自分は戦地から無事、無傷のまま戻って来れて、帰国後は建設業で成功した自慢話や自分の強運をひけらかす想い出話だったのかも知れない。だからなのか、そういう父は傲慢で人を人とも思わない言動を平気で使っていたのだった。母や私はそういう父を恐れていた。 そのくせ、トンネルの事故で死んだ朝鮮人人夫に自分が着ていたコートを脱いで掛けてやったと懐かしそうに語る矛盾した性格の持ち主でもあった。自分で語った話の辻褄や整合性なぞ気にもかけず矛盾を何とも感じない人だった。そういう父の姿を観て育った私にも多少はその影響があるやも知れず、それとも反面教師として批判的に見る冷めた目も持っているのでは無いかと思ったりもする。そのせいか女や舞子に情愛を感じつつも、ひょっとして彼女等が日本人では無いのではないかと疑ってみたりするのも其処から来るのでは無いだろうか。しかし、仮に日本人で無かったとして、それがどうだと言うのだ。それで何かが変わるとでも言うのだろうか。全く意味の無い愚問に神経を尖らせる原因は何なのだろう。もし自分が逆の立場であったとするなら果たして同じ事を考えたろうか。ナンセンスも此処まで来れば自分でも答が出せず成る様にしか成らないと想ってしまう。(9月下旬につづく)
2012/09/12
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夏(82) 先日の月例会ゴルフで同じチームだった老人から電話があって「来週、三重県のゴルフ場へ行きませんか」と誘われて直ぐに快諾して行く事にした。彼はボクよりも四つほど年上ながらボクよりも腕は上である。老人と言っても七十代前半なのに元気そのものである。そのゴルフ場は昨年の6月に一緒に行った処で広大なヘアウェイで綺麗な風景だった。黒川紀章の設計したクラブハウスが洒落ていた記憶がある。その時はコンペだった。ボクは暑さでダウンしてスコアが悪くブービーだったが、商品は一等と同じ牛タン詰め合わせセットを貰って仲間から羨ましがられた。今回はコンペでは無いが、プライベートで楽しんで来ようと想っている。たまたま今日は、小説「猫と女と」が完成した日だった。32編目の投了だった。未だ半分ぐらいしか発表していないが、乞御期待である。小説「猫と女と」(16) 飲み屋で、テレビに写っている大物政治家の息子を観ながら女に「彼は、実は韓国人だそうだヨ」と差別的に言ってしまったのを迂闊な発言だったと思い知らされながらも舞子にまで同じ様な話をしてしまった。それで女にも舞子にも心の傷を負わせてしまったのでは無いだろうか。尤も彼女らが韓国人だと推測しての話だが、仮に日本人だったとしても差別的発言は人間性を疑わせる行為でしか無い。何という軽率な言葉を発してしまったのだろう。日頃から心に在る事だからこそ何気なく使ってしまったのだ。しかし、何故こうまで差別意識を抱く様になってしまったのだろう。考えられるとすれば長年の社会通念で自然に身に付いたのだろうが、卑しくも人道主義者と自認して来た割には自分の信念は何と薄っぺらいものであった事か。これは多分に欧米人におけるユダヤ人問題に似ている。何故なら見掛けでは判別し難い問題だからだ。 日頃から分かって居て彼等と親しく付き合っていれば起こり得ない問題だ。が、つらつら考えてみるに敢えてそういう相手を避けて来たと言えなくも無い。つまりは韓国人と付き合う機会が無かったと言うよりも風評から勝手な思い込みをし彼等を避けて来たのだろう。第ー、学生時代の韓国人の同級生とも卒業後はー度も会っていない。機会が無かったのも事実だが、ひょっとして仕事上でこれまで知らないまま韓国人と付き合って来たかもしれないのだ。見掛けで相手を日本人と思い込んで来ただけの事で、要するにその程度の意識なのだ。勝手な思い込みで相手を区別したり差別してしまっているナンセンスに気がついていなかったのだ。いい加減なものである。当然ながら悪い連中は日本人にも居る。いや、それ以上に悪い連中さえ居る。国籍が違うだけで偏見を持つ危うさに気がついていれば問題にする事では無かった。そう考える事すらナンセンスだったのだ。 要は人間を見て付き合うのが本来の人間関係であればこそ彼女等と関係を持ったのでは無かったのか。心から気に入ったから付き合ったのだ。それなのにー寸した心の緩みで何とも軽率な発言をしたものだ。彼女等では無く別人への偏見とは言え何気なく言ってしまった自分が恐ろしい。実に悔やまれる。想い返せば、女が私をキッと見返して「あら、私あの子のファンよ」と私の差別的言葉をやんわりと否定したのに、舞子は一言も反論せず怒りもしなかった。忍耐力や包容力があると言うか舞子が立派なのだ。それに引き換え日本の社会に潜む偏見のせいだとして自然に差別意識が植え付けられたと他人事の様に言ってしまった。が、実際は接したことも無い相手の事を噂や風評だけで判断した自分が浅はかだった。敢えて差別しなければならない程、彼らから被害を蒙った訳でも無く彼等を見下すべき理由も無かったのだ。そういえば昔、父が話してくれた朝鮮人の話を想い出す。 それは戦時中、軍のトンネル工事を請け負っていた父が軍の幹部連中を料亭で接待していた時に、急報でトンネルの落盤事故を知らされ慌てて現場へ向かったのだった。到着すると既に犠牲になったー人の朝鮮人人夫の遺体が裸のまま横たえてあったそうだ。それを観て不憫に想った父が自分のコートを脱いで掛けてやったという。其処へ軍の係官がやってきて「遺体を処分せよ」と命令し何処かへ片付けられてしまった。「今の時代やったら、あんな簡単な調査だけで済まされなんだやろな。あの時代は、そういう時代やった」と感慨深そうに話していた。それを聞かされた私は子供心ながらトンネル工事の人夫は可哀想なものだと想っただけだった。まるで消耗品のように使い捨てらる人夫に憐れみを感じた父が裸の遺体にコートを掛けてやったという人情話が充分に理解出来なかった。逆に、心優しい人情家のように振舞った父が偽善者の様に想えたのだった。 その話は、かつて朝鮮人が奴隷のようにこき使われていた時代があったという記憶として、その後の私の彼等を考える気持ちの原点になっただけだった。何故わざわざ遠い国の日本で働かされねば成らなかったのかという事に考えが及ばず、わざわざ昔話を何故子供の私に話したのかさえも理解出来なかった。ひょっとして戦後、中国やソ連に抑留されていた人々が舞鶴港に帰国して来た光景写真とか、北朝鮮へ帰国する人々を乗せた船の写真が新聞に出ていたのかもしれない。戦後のどさくさの時代、様々な事があって、そのひとつのエピソードとして話して聞かせてくれただけであったのか、若しくは自分は戦地から無事、無傷のまま戻って来れて、帰国後は建設業で成功した自慢話や自分の強運をひけらかす想い出話だったのかも知れない。だからなのか、そういう父は傲慢で人を人とも思わない言動を平気で使っていたのだった。母や私はそういう父を恐れていた。 そのくせ、トンネルの事故で死んだ朝鮮人人夫に自分が着ていたコートを脱いで掛けてやったと懐かしそうに語る矛盾した性格の持ち主でもあった。自分で語った話の辻褄や整合性なぞ気にもかけず矛盾を何とも感じない人だった。そういう父の姿を観て育った私にも多少はその影響があるやも知れず、それとも反面教師として批判的に見る冷めた目も持っているのでは無いかと思ったりもする。そのせいか女や舞子に情愛を感じつつも、ひょっとして彼女等が日本人では無いのではないかと疑ってみたりするのも其処から来るのでは無いだろうか。しかし、仮に日本人で無かったとして、それがどうだと言うのだ。それで何かが変わるとでも言うのだろうか。全く意味の無い愚問に神経を尖らせる原因は何なのだろう。もし自分が逆の立場であったとするなら果たして同じ事を考えたろうか。ナンセンスも此処まで来れば自分でも答が出せず成る様にしか成らないと想ってしまう。(9月下旬につづく)
2012/09/11
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夏(81) カートに乗ってフェアウェイを撮った。昔はカートなぞに乗らずにドンドン歩いて進んだものだったのに加齢と共に疲れが出、カート無しではプレイできなくなったのでは無いかと想ってしまう。尤も、夏場以外の春とか秋なら歩くだけでも気持ちが良いものである。山岳地帯のゴルフ場はアップダウンが多いのでカートに頼ってしまうが、一般にカートは平坦なゴルフ場に多い。つまり、だだっ広くて単調な風景の処だと歩くのが面白くないからだろうか。景色が綺麗で緑もよく手入れが為されて居れば景色を観ながら歩くだけでも楽しいものである。風景よりもスコアばかり気にしていると何の為の楽しみなのかと想ってしまう。しかし、結果はスコアを気にしてしまうから未だまだ修業が足りない様である。小説「猫と女と」(16) 飲み屋で、テレビに写っている大物政治家の息子を観ながら女に「彼は、実は韓国人だそうだヨ」と差別的に言ってしまったのを迂闊な発言だったと思い知らされながらも舞子にまで同じ様な話をしてしまった。それで女にも舞子にも心の傷を負わせてしまったのでは無いだろうか。尤も彼女らが韓国人だと推測しての話だが、仮に日本人だったとしても差別的発言は人間性を疑わせる行為でしか無い。何という軽率な言葉を発してしまったのだろう。日頃から心に在る事だからこそ何気なく使ってしまったのだ。しかし、何故こうまで差別意識を抱く様になってしまったのだろう。考えられるとすれば長年の社会通念で自然に身に付いたのだろうが、卑しくも人道主義者と自認して来た割には自分の信念は何と薄っぺらいものであった事か。これは多分に欧米人におけるユダヤ人問題に似ている。何故なら見掛けでは判別し難い問題だからだ。 日頃から分かって居て彼等と親しく付き合っていれば起こり得ない問題だ。が、つらつら考えてみるに敢えてそういう相手を避けて来たと言えなくも無い。つまりは韓国人と付き合う機会が無かったと言うよりも風評から勝手な思い込みをし彼等を避けて来たのだろう。第ー、学生時代の韓国人の同級生とも卒業後はー度も会っていない。機会が無かったのも事実だが、ひょっとして仕事上でこれまで知らないまま韓国人と付き合って来たかもしれないのだ。見掛けで相手を日本人と思い込んで来ただけの事で、要するにその程度の意識なのだ。勝手な思い込みで相手を区別したり差別してしまっているナンセンスに気がついていなかったのだ。いい加減なものである。当然ながら悪い連中は日本人にも居る。いや、それ以上に悪い連中さえ居る。国籍が違うだけで偏見を持つ危うさに気がついていれば問題にする事では無かった。そう考える事すらナンセンスだったのだ。 要は人間を見て付き合うのが本来の人間関係であればこそ彼女等と関係を持ったのでは無かったのか。心から気に入ったから付き合ったのだ。それなのにー寸した心の緩みで何とも軽率な発言をしたものだ。彼女等では無く別人への偏見とは言え何気なく言ってしまった自分が恐ろしい。実に悔やまれる。想い返せば、女が私をキッと見返して「あら、私あの子のファンよ」と私の差別的言葉をやんわりと否定したのに、舞子は一言も反論せず怒りもしなかった。忍耐力や包容力があると言うか舞子が立派なのだ。それに引き換え日本の社会に潜む偏見のせいだとして自然に差別意識が植え付けられたと他人事の様に言ってしまった。が、実際は接したことも無い相手の事を噂や風評だけで判断した自分が浅はかだった。敢えて差別しなければならない程、彼らから被害を蒙った訳でも無く彼等を見下すべき理由も無かったのだ。そういえば昔、父が話してくれた朝鮮人の話を想い出す。 それは戦時中、軍のトンネル工事を請け負っていた父が軍の幹部連中を料亭で接待していた時に、急報でトンネルの落盤事故を知らされ慌てて現場へ向かったのだった。到着すると既に犠牲になったー人の朝鮮人人夫の遺体が裸のまま横たえてあったそうだ。それを観て不憫に想った父が自分のコートを脱いで掛けてやったという。其処へ軍の係官がやってきて「遺体を処分せよ」と命令し何処かへ片付けられてしまった。「今の時代やったら、あんな簡単な調査だけで済まされなんだやろな。あの時代は、そういう時代やった」と感慨深そうに話していた。それを聞かされた私は子供心ながらトンネル工事の人夫は可哀想なものだと想っただけだった。まるで消耗品のように使い捨てらる人夫に憐れみを感じた父が裸の遺体にコートを掛けてやったという人情話が充分に理解出来なかった。逆に、心優しい人情家のように振舞った父が偽善者の様に想えたのだった。 その話は、かつて朝鮮人が奴隷のようにこき使われていた時代があったという記憶として、その後の私の彼等を考える気持ちの原点になっただけだった。何故わざわざ遠い国の日本で働かされねば成らなかったのかという事に考えが及ばず、わざわざ昔話を何故子供の私に話したのかさえも理解出来なかった。ひょっとして戦後、中国やソ連に抑留されていた人々が舞鶴港に帰国して来た光景写真とか、北朝鮮へ帰国する人々を乗せた船の写真が新聞に出ていたのかもしれない。戦後のどさくさの時代、様々な事があって、そのひとつのエピソードとして話して聞かせてくれただけであったのか、若しくは自分は戦地から無事、無傷のまま戻って来れて、帰国後は建設業で成功した自慢話や自分の強運をひけらかす想い出話だったのかも知れない。だからなのか、そういう父は傲慢で人を人とも思わない言動を平気で使っていたのだった。母や私はそういう父を恐れていた。 そのくせ、トンネルの事故で死んだ朝鮮人人夫に自分が着ていたコートを脱いで掛けてやったと懐かしそうに語る矛盾した性格の持ち主でもあった。自分で語った話の辻褄や整合性なぞ気にもかけず矛盾を何とも感じない人だった。そういう父の姿を観て育った私にも多少はその影響があるやも知れず、それとも反面教師として批判的に見る冷めた目も持っているのでは無いかと思ったりもする。そのせいか女や舞子に情愛を感じつつも、ひょっとして彼女等が日本人では無いのではないかと疑ってみたりするのも其処から来るのでは無いだろうか。しかし、仮に日本人で無かったとして、それがどうだと言うのだ。それで何かが変わるとでも言うのだろうか。全く意味の無い愚問に神経を尖らせる原因は何なのだろう。もし自分が逆の立場であったとするなら果たして同じ事を考えたろうか。ナンセンスも此処まで来れば自分でも答が出せず成る様にしか成らないと想ってしまう。(9月下旬につづく)
2012/09/10
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夏(80) 途中、フェアウエイでカートに乗ったメンバーを撮った。良いボールを打てば誰よりも前に行くのでカートに乗って後続組に付いて行く事に成るから疲れも出難い。疲れが少なければ良いプレイも出来る。ゴルフとは上手な者には更に余裕を与えるスポーツである。プロはそういう事は当たり前なのでメンタルな面でのプレッシャーが掛かるだけである。この日、ボクはこの先輩と結果的に同じスコアになったが、彼の方がハンディキャップが上なのでボクの勝ちとなった。小説「猫と女と」(15) 舞子と別れて十二時頃に帰宅すると部屋の灯りが未だ明々と灯っていた。カーポートに車を入れるとココがカーポートの塀の上で私を出迎える様に待っていた。車から出て歩き始めると足元にまとわりついてー緒に玄関までついて来る。最近、私と接する時間が少ないので寂しかったのだろう。夜は、私の寝室で椅子に寝そべってベッドの私を観ているのが常で、早朝の餌を貰う時だけが触れ合いの時間になっている。五時になればベッドの周りを走り回って私を起こしに掛かる。そのせいでどうしても睡眠時間が短く成ってしまう。年齢的なものもあるのだろうが、ココを飼い始めてからは平均睡眠が五時間になってしまった。それを知って妻は睡眠を妨害されまいとココが入れない様に自分の寝室のドアは閉めっ切っている。尤も、私の寝室のドアには小さなココ専用のくぐり戸を設けてココが自由に出入りできる様にしてある。 飼い始めの頃は私の寝室の隣の部屋をココの部屋としてあてがって夜は閉じ込めていた。が、それを嫌がって夜中じゅう部屋の中で暴れ回ったり五月蝿く啼くので仕方無くドアに小さなくぐり戸を設けたのだ。今では其処よりも私の部屋に居る方が長い。「お帰り。遅かったわネ」玄関まで出迎えた妻がー緒に入って来たココを抱き上げ頭を撫でながら言った。ココは妻にも馴染む様になった。妻からも餌を貰わねばならないから猫なりに媚を売る知恵を出している訳だ。「大学の工事がそろそろ始まるから、やたらと忙しい。工事監理は地元の設計事務所に任せてあるから行く事も無いが、毎週の定例工程会議には出席しなくてはならない。今では静岡が近場の様な気がするヨ」「もう、お土産のウナギも飽きてしまったワ。何か他に美味しいものでも無いの?でも、最近はウナギも高く成ったそうネ」「シラスが採れないからな」シラスと言われて妻はキョトンとした顔をしている。 平和なものだ。ウナギの子のシラスも知らず、それでもウナギの値上がりだけは知っている。値上がりの原因なぞどうでも良いのだ。それに引き換え、わざわざ他所の女との事で悩む私なぞもっと平和惚けしている訳だ。ココを観る度にそれをくれた女の事を考えてしまい、女好きの自分の性格が招いた結果だけに蒔いた種は自分で狩り獲るしかないと自分に言い聞かせている。それにしても舞子が語学留学でアメリカに行ったのは七年も前の事だ。帰国して六年も経つのに今頃になって何故私に娘を紹介したのだろう。見合いをさせたいというのは単なる口実だったのだろうか。二人して私に近付いて三角関係を持つ様に仕向けたとしたら私は彼女等の良い鴨と言う訳だ。今の処はパトロンでも無いが将来的に私に頼って生きて行くのでは無いだろうか。元夫を見限って新しい男を探し、並行して娘に誰か良い婿でも居ればと娘の帰国を待ったものの想い通りに行かなかっただけかも知れない。 なまじ生活に困らないだけの貯えがある母子にとっては精神的にも肉体的にも頼りになる男が必要に成ったのだろう。其処へたまたま上手く私と言う好色漢が居て、八年間つきあってみて、これなら娘にも大丈夫な男と算段したとすれば恐るべき女だ。母と娘の関係と言うよりも姉妹のような親子だけに考えられない事でも無い。ふとそんな考えが浮かんだが即座に打ち消した。だが、ベッドに入ってからもそれが何度も浮かんで来るのだった。其処へココがドア下のくぐり戸を通って「ニャオ」と言って入って来た。妻に餌を貰って食べ終えたのだろう。暗闇の中でもココの動きは手に取る様に分かる。カーペットに居る時と椅子に飛び乗って寛いで毛づくろいをしている時の仕草の違いも物音で分かる。ココが仔猫だった頃、女はココを抱いて寝ていたと言う。舞子も同じ事をしていたのだろう。つまりココを通して我々は結ばれるべくして結ばれた関係だったのかも知れない。 これは偶然ではなく運命と呼ぶべきものに想える。女が仕組んだ必然的な運命だ。アメリカへ行く事になったのは元夫のデザイン事務所の経営状態が悪くなった為にマンションを手放さざるを得なくなり突発的な事ではあったが、それだけに先の事を考えて私の事を頭に浮かべたのだろう。ー年を限って娘がマンションに住み、直後にマンションを処分しに女がアメリカへ行ったのも計画の内だったのだ。実に行動的な女だ。日本人にしてはダイナミックな発想であり積極的過ぎる様に想える。いや、彼女の事を日本人だと信じているからからこそそう想うだけで彼女が日本人だという確証は持っていないのだった。となれば元夫も分からない。そう言えばその大柄でヌーボーとした風貌は大陸の人間の様にも見えなくも無い。人道主義者と自認している私は女が何人であろうとも構わない。仕事関係者が外国人でも一向に構わないと日頃から想って仕事をしている。 それなのに舞子と交わした会話で韓国人を毛嫌いしていると言ってしまった。日本の社会通念に自分が毒されているからだと言ったが、ヤクザが嫌いで彼等に不信感を抱いていると言いたかったのだ。ヤクザでない韓国人ならどうだろう。学生時代に同級生で韓国人が居て何の偏見も持だず友人として付き合っていた。それなのに今では何故か使い分ける様に成ってしまった。良い韓国人と悪い韓国人とが居るとでも言うのだろうか。仮に女が韓国人だったとすればどうだろう。そう言えば五年ほど前に居酒屋で女と一緒に飲んで居る時、テレビに大物政治家の息子が芸能人として出ているのを観て「あの子、実は韓国人だそうだよ」と言った事があった。「あら、私、あの子のファンよ」と女はキッとした目で私を見返しのだった。慌てて私も「ボクも好きだけどさ」と言った。以後そんな話題はー切しなくなった。あの時にもっと早く気付くべきだったのだ。(9月中旬につづく)
2012/09/09
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夏(79) ようやく午前のプレイが9ホール目に差し掛かって腹も減って来た。早朝に何時もと同じコーヒーとトーストサンドだけだったので空腹感が強調されたのだ。激しい運動をしたせいもある。久しぶりのゴルフだったので足も釣って来て如何に運動不足かという事が分かった。これから秋に掛けて運動量を増やして行き、体力をつける積りである。ホールグリーンの向こうにクラブハウスの展望レストランが観え、早く食事にありつけたいという気が強く成って来るのだった。小説「猫と女と」(15) 舞子と別れて十二時頃に帰宅すると部屋の灯りが未だ明々と灯っていた。カーポートに車を入れるとココがカーポートの塀の上で私を出迎える様に待っていた。車から出て歩き始めると足元にまとわりついてー緒に玄関までついて来る。最近、私と接する時間が少ないので寂しかったのだろう。夜は、私の寝室で椅子に寝そべってベッドの私を観ているのが常で、早朝の餌を貰う時だけが触れ合いの時間になっている。五時になればベッドの周りを走り回って私を起こしに掛かる。そのせいでどうしても睡眠時間が短く成ってしまう。年齢的なものもあるのだろうが、ココを飼い始めてからは平均睡眠が五時間になってしまった。それを知って妻は睡眠を妨害されまいとココが入れない様に自分の寝室のドアは閉めっ切っている。尤も、私の寝室のドアには小さなココ専用のくぐり戸を設けてココが自由に出入りできる様にしてある。 飼い始めの頃は私の寝室の隣の部屋をココの部屋としてあてがって夜は閉じ込めていた。が、それを嫌がって夜中じゅう部屋の中で暴れ回ったり五月蝿く啼くので仕方無くドアに小さなくぐり戸を設けたのだ。今では其処よりも私の部屋に居る方が長い。「お帰り。遅かったわネ」玄関まで出迎えた妻がー緒に入って来たココを抱き上げ頭を撫でながら言った。ココは妻にも馴染む様になった。妻からも餌を貰わねばならないから猫なりに媚を売る知恵を出している訳だ。「大学の工事がそろそろ始まるから、やたらと忙しい。工事監理は地元の設計事務所に任せてあるから行く事も無いが、毎週の定例工程会議には出席しなくてはならない。今では静岡が近場の様な気がするヨ」「もう、お土産のウナギも飽きてしまったワ。何か他に美味しいものでも無いの?でも、最近はウナギも高く成ったそうネ」「シラスが採れないからな」シラスと言われて妻はキョトンとした顔をしている。 平和なものだ。ウナギの子のシラスも知らず、それでもウナギの値上がりだけは知っている。値上がりの原因なぞどうでも良いのだ。それに引き換え、わざわざ他所の女との事で悩む私なぞもっと平和惚けしている訳だ。ココを観る度にそれをくれた女の事を考えてしまい、女好きの自分の性格が招いた結果だけに蒔いた種は自分で狩り獲るしかないと自分に言い聞かせている。それにしても舞子が語学留学でアメリカに行ったのは七年も前の事だ。帰国して六年も経つのに今頃になって何故私に娘を紹介したのだろう。見合いをさせたいというのは単なる口実だったのだろうか。二人して私に近付いて三角関係を持つ様に仕向けたとしたら私は彼女等の良い鴨と言う訳だ。今の処はパトロンでも無いが将来的に私に頼って生きて行くのでは無いだろうか。元夫を見限って新しい男を探し、並行して娘に誰か良い婿でも居ればと娘の帰国を待ったものの想い通りに行かなかっただけかも知れない。 なまじ生活に困らないだけの貯えがある母子にとっては精神的にも肉体的にも頼りになる男が必要に成ったのだろう。其処へたまたま上手く私と言う好色漢が居て、八年間つきあってみて、これなら娘にも大丈夫な男と算段したとすれば恐るべき女だ。母と娘の関係と言うよりも姉妹のような親子だけに考えられない事でも無い。ふとそんな考えが浮かんだが即座に打ち消した。だが、ベッドに入ってからもそれが何度も浮かんで来るのだった。其処へココがドア下のくぐり戸を通って「ニャオ」と言って入って来た。妻に餌を貰って食べ終えたのだろう。暗闇の中でもココの動きは手に取る様に分かる。カーペットに居る時と椅子に飛び乗って寛いで毛づくろいをしている時の仕草の違いも物音で分かる。ココが仔猫だった頃、女はココを抱いて寝ていたと言う。舞子も同じ事をしていたのだろう。つまりココを通して我々は結ばれるべくして結ばれた関係だったのかも知れない。 これは偶然ではなく運命と呼ぶべきものに想える。女が仕組んだ必然的な運命だ。アメリカへ行く事になったのは元夫のデザイン事務所の経営状態が悪くなった為にマンションを手放さざるを得なくなり突発的な事ではあったが、それだけに先の事を考えて私の事を頭に浮かべたのだろう。ー年を限って娘がマンションに住み、直後にマンションを処分しに女がアメリカへ行ったのも計画の内だったのだ。実に行動的な女だ。日本人にしてはダイナミックな発想であり積極的過ぎる様に想える。いや、彼女の事を日本人だと信じているからからこそそう想うだけで彼女が日本人だという確証は持っていないのだった。となれば元夫も分からない。そう言えばその大柄でヌーボーとした風貌は大陸の人間の様にも見えなくも無い。人道主義者と自認している私は女が何人であろうとも構わない。仕事関係者が外国人でも一向に構わないと日頃から想って仕事をしている。 それなのに舞子と交わした会話で韓国人を毛嫌いしていると言ってしまった。日本の社会通念に自分が毒されているからだと言ったが、ヤクザが嫌いで彼等に不信感を抱いていると言いたかったのだ。ヤクザでない韓国人ならどうだろう。学生時代に同級生で韓国人が居て何の偏見も持だず友人として付き合っていた。それなのに今では何故か使い分ける様に成ってしまった。良い韓国人と悪い韓国人とが居るとでも言うのだろうか。仮に女が韓国人だったとすればどうだろう。そう言えば五年ほど前に居酒屋で女と一緒に飲んで居る時、テレビに大物政治家の息子が芸能人として出ているのを観て「あの子、実は韓国人だそうだよ」と言った事があった。「あら、私、あの子のファンよ」と女はキッとした目で私を見返しのだった。慌てて私も「ボクも好きだけどさ」と言った。以後そんな話題はー切しなくなった。あの時にもっと早く気付くべきだったのだ。(9月中旬につづく)
2012/09/08
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夏(78) スタートホールでは白い百日紅(さるすべり)が綺麗だった。一般には紅色が多く、我が家でも白が無いので殊更白い花が綺麗に観えたのかも知れない。その向こうの空にはジェット機が飛行機雲を直線に引いていた。最近、領海侵犯や不法領土上陸(尖閣列島・竹島・北方四島など)があったりと国境トラブルが起きているので航空自衛隊の演習が活発なのかと想ったりするが、常時の訓練なのだろう。小説「猫と女と」(15) 舞子と別れて十二時頃に帰宅すると部屋の灯りが未だ明々と灯っていた。カーポートに車を入れるとココがカーポートの塀の上で私を出迎える様に待っていた。車から出て歩き始めると足元にまとわりついてー緒に玄関までついて来る。最近、私と接する時間が少ないので寂しかったのだろう。夜は、私の寝室で椅子に寝そべってベッドの私を観ているのが常で、早朝の餌を貰う時だけが触れ合いの時間になっている。五時になればベッドの周りを走り回って私を起こしに掛かる。そのせいでどうしても睡眠時間が短く成ってしまう。年齢的なものもあるのだろうが、ココを飼い始めてからは平均睡眠が五時間になってしまった。それを知って妻は睡眠を妨害されまいとココが入れない様に自分の寝室のドアは閉めっ切っている。尤も、私の寝室のドアには小さなココ専用のくぐり戸を設けてココが自由に出入りできる様にしてある。 飼い始めの頃は私の寝室の隣の部屋をココの部屋としてあてがって夜は閉じ込めていた。が、それを嫌がって夜中じゅう部屋の中で暴れ回ったり五月蝿く啼くので仕方無くドアに小さなくぐり戸を設けたのだ。今では其処よりも私の部屋に居る方が長い。「お帰り。遅かったわネ」玄関まで出迎えた妻がー緒に入って来たココを抱き上げ頭を撫でながら言った。ココは妻にも馴染む様になった。妻からも餌を貰わねばならないから猫なりに媚を売る知恵を出している訳だ。「大学の工事がそろそろ始まるから、やたらと忙しい。工事監理は地元の設計事務所に任せてあるから行く事も無いが、毎週の定例工程会議には出席しなくてはならない。今では静岡が近場の様な気がするヨ」「もう、お土産のウナギも飽きてしまったワ。何か他に美味しいものでも無いの?でも、最近はウナギも高く成ったそうネ」「シラスが採れないからな」シラスと言われて妻はキョトンとした顔をしている。 平和なものだ。ウナギの子のシラスも知らず、それでもウナギの値上がりだけは知っている。値上がりの原因なぞどうでも良いのだ。それに引き換え、わざわざ他所の女との事で悩む私なぞもっと平和惚けしている訳だ。ココを観る度にそれをくれた女の事を考えてしまい、女好きの自分の性格が招いた結果だけに蒔いた種は自分で狩り獲るしかないと自分に言い聞かせている。それにしても舞子が語学留学でアメリカに行ったのは七年も前の事だ。帰国して六年も経つのに今頃になって何故私に娘を紹介したのだろう。見合いをさせたいというのは単なる口実だったのだろうか。二人して私に近付いて三角関係を持つ様に仕向けたとしたら私は彼女等の良い鴨と言う訳だ。今の処はパトロンでも無いが将来的に私に頼って生きて行くのでは無いだろうか。元夫を見限って新しい男を探し、並行して娘に誰か良い婿でも居ればと娘の帰国を待ったものの想い通りに行かなかっただけかも知れない。 なまじ生活に困らないだけの貯えがある母子にとっては精神的にも肉体的にも頼りになる男が必要に成ったのだろう。其処へたまたま上手く私と言う好色漢が居て、八年間つきあってみて、これなら娘にも大丈夫な男と算段したとすれば恐るべき女だ。母と娘の関係と言うよりも姉妹のような親子だけに考えられない事でも無い。ふとそんな考えが浮かんだが即座に打ち消した。だが、ベッドに入ってからもそれが何度も浮かんで来るのだった。其処へココがドア下のくぐり戸を通って「ニャオ」と言って入って来た。妻に餌を貰って食べ終えたのだろう。暗闇の中でもココの動きは手に取る様に分かる。カーペットに居る時と椅子に飛び乗って寛いで毛づくろいをしている時の仕草の違いも物音で分かる。ココが仔猫だった頃、女はココを抱いて寝ていたと言う。舞子も同じ事をしていたのだろう。つまりココを通して我々は結ばれるべくして結ばれた関係だったのかも知れない。 これは偶然ではなく運命と呼ぶべきものに想える。女が仕組んだ必然的な運命だ。アメリカへ行く事になったのは元夫のデザイン事務所の経営状態が悪くなった為にマンションを手放さざるを得なくなり突発的な事ではあったが、それだけに先の事を考えて私の事を頭に浮かべたのだろう。ー年を限って娘がマンションに住み、直後にマンションを処分しに女がアメリカへ行ったのも計画の内だったのだ。実に行動的な女だ。日本人にしてはダイナミックな発想であり積極的過ぎる様に想える。いや、彼女の事を日本人だと信じているからからこそそう想うだけで彼女が日本人だという確証は持っていないのだった。となれば元夫も分からない。そう言えばその大柄でヌーボーとした風貌は大陸の人間の様にも見えなくも無い。人道主義者と自認している私は女が何人であろうとも構わない。仕事関係者が外国人でも一向に構わないと日頃から想って仕事をしている。 それなのに舞子と交わした会話で韓国人を毛嫌いしていると言ってしまった。日本の社会通念に自分が毒されているからだと言ったが、ヤクザが嫌いで彼等に不信感を抱いていると言いたかったのだ。ヤクザでない韓国人ならどうだろう。学生時代に同級生で韓国人が居て何の偏見も持だず友人として付き合っていた。それなのに今では何故か使い分ける様に成ってしまった。良い韓国人と悪い韓国人とが居るとでも言うのだろうか。仮に女が韓国人だったとすればどうだろう。そう言えば五年ほど前に居酒屋で女と一緒に飲んで居る時、テレビに大物政治家の息子が芸能人として出ているのを観て「あの子、実は韓国人だそうだよ」と言った事があった。「あら、私、あの子のファンよ」と女はキッとした目で私を見返しのだった。慌てて私も「ボクも好きだけどさ」と言った。以後そんな話題はー切しなくなった。あの時にもっと早く気付くべきだったのだ。(9月中旬につづく)
2012/09/07
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夏(77) 月例会ゴルフに行ってきた。今日はゆっくりのスタートで8時15分だった。それでも6時には自宅を出て、高速道路が空いていたお蔭で1時間5分で着き、7時半の集合に余裕をもって行けた。未だ空いているコーヒー・ラウンジで独りコーヒーを飲んでいる内に次々とメンバーが集まって来た。外の風景を見降ろすと夏の風物詩の夾竹桃が綺麗だった。久々の出席なので体力的に炎天下の暑さにバテないかと心配だが午前中はそう暑く無く順調にスタートができ、最初のパー5のホールで先ずパーを取れ、二番目のホールのオナー(先打者)を取った。小説「猫と女と」(15) 舞子と別れて十二時頃に帰宅すると部屋の灯りが未だ明々と灯っていた。カーポートに車を入れるとココがカーポートの塀の上で私を出迎える様に待っていた。車から出て歩き始めると足元にまとわりついてー緒に玄関までついて来る。最近、私と接する時間が少ないので寂しかったのだろう。夜は、私の寝室で椅子に寝そべってベッドの私を観ているのが常で、早朝の餌を貰う時だけが触れ合いの時間になっている。五時になればベッドの周りを走り回って私を起こしに掛かる。そのせいでどうしても睡眠時間が短く成ってしまう。年齢的なものもあるのだろうが、ココを飼い始めてからは平均睡眠が五時間になってしまった。それを知って妻は睡眠を妨害されまいとココが入れない様に自分の寝室のドアは閉めっ切っている。尤も、私の寝室のドアには小さなココ専用のくぐり戸を設けてココが自由に出入りできる様にしてある。 飼い始めの頃は私の寝室の隣の部屋をココの部屋としてあてがって夜は閉じ込めていた。が、それを嫌がって夜中じゅう部屋の中で暴れ回ったり五月蝿く啼くので仕方無くドアに小さなくぐり戸を設けたのだ。今では其処よりも私の部屋に居る方が長い。「お帰り。遅かったわネ」玄関まで出迎えた妻がー緒に入って来たココを抱き上げ頭を撫でながら言った。ココは妻にも馴染む様になった。妻からも餌を貰わねばならないから猫なりに媚を売る知恵を出している訳だ。「大学の工事がそろそろ始まるから、やたらと忙しい。工事監理は地元の設計事務所に任せてあるから行く事も無いが、毎週の定例工程会議には出席しなくてはならない。今では静岡が近場の様な気がするヨ」「もう、お土産のウナギも飽きてしまったワ。何か他に美味しいものでも無いの?でも、最近はウナギも高く成ったそうネ」「シラスが採れないからな」シラスと言われて妻はキョトンとした顔をしている。 平和なものだ。ウナギの子のシラスも知らず、それでもウナギの値上がりだけは知っている。値上がりの原因なぞどうでも良いのだ。それに引き換え、わざわざ他所の女との事で悩む私なぞもっと平和惚けしている訳だ。ココを観る度にそれをくれた女の事を考えてしまい、女好きの自分の性格が招いた結果だけに蒔いた種は自分で狩り獲るしかないと自分に言い聞かせている。それにしても舞子が語学留学でアメリカに行ったのは七年も前の事だ。帰国して六年も経つのに今頃になって何故私に娘を紹介したのだろう。見合いをさせたいというのは単なる口実だったのだろうか。二人して私に近付いて三角関係を持つ様に仕向けたとしたら私は彼女等の良い鴨と言う訳だ。今の処はパトロンでも無いが将来的に私に頼って生きて行くのでは無いだろうか。元夫を見限って新しい男を探し、並行して娘に誰か良い婿でも居ればと娘の帰国を待ったものの想い通りに行かなかっただけかも知れない。 なまじ生活に困らないだけの貯えがある母子にとっては精神的にも肉体的にも頼りになる男が必要に成ったのだろう。其処へたまたま上手く私と言う好色漢が居て、八年間つきあってみて、これなら娘にも大丈夫な男と算段したとすれば恐るべき女だ。母と娘の関係と言うよりも姉妹のような親子だけに考えられない事でも無い。ふとそんな考えが浮かんだが即座に打ち消した。だが、ベッドに入ってからもそれが何度も浮かんで来るのだった。其処へココがドア下のくぐり戸を通って「ニャオ」と言って入って来た。妻に餌を貰って食べ終えたのだろう。暗闇の中でもココの動きは手に取る様に分かる。カーペットに居る時と椅子に飛び乗って寛いで毛づくろいをしている時の仕草の違いも物音で分かる。ココが仔猫だった頃、女はココを抱いて寝ていたと言う。舞子も同じ事をしていたのだろう。つまりココを通して我々は結ばれるべくして結ばれた関係だったのかも知れない。 これは偶然ではなく運命と呼ぶべきものに想える。女が仕組んだ必然的な運命だ。アメリカへ行く事になったのは元夫のデザイン事務所の経営状態が悪くなった為にマンションを手放さざるを得なくなり突発的な事ではあったが、それだけに先の事を考えて私の事を頭に浮かべたのだろう。ー年を限って娘がマンションに住み、直後にマンションを処分しに女がアメリカへ行ったのも計画の内だったのだ。実に行動的な女だ。日本人にしてはダイナミックな発想であり積極的過ぎる様に想える。いや、彼女の事を日本人だと信じているからからこそそう想うだけで彼女が日本人だという確証は持っていないのだった。となれば元夫も分からない。そう言えばその大柄でヌーボーとした風貌は大陸の人間の様にも見えなくも無い。人道主義者と自認している私は女が何人であろうとも構わない。仕事関係者が外国人でも一向に構わないと日頃から想って仕事をしている。 それなのに舞子と交わした会話で韓国人を毛嫌いしていると言ってしまった。日本の社会通念に自分が毒されているからだと言ったが、ヤクザが嫌いで彼等に不信感を抱いていると言いたかったのだ。ヤクザでない韓国人ならどうだろう。学生時代に同級生で韓国人が居て何の偏見も持だず友人として付き合っていた。それなのに今では何故か使い分ける様に成ってしまった。良い韓国人と悪い韓国人とが居るとでも言うのだろうか。仮に女が韓国人だったとすればどうだろう。そう言えば五年ほど前に居酒屋で女と一緒に飲んで居る時、テレビに大物政治家の息子が芸能人として出ているのを観て「あの子、実は韓国人だそうだよ」と言った事があった。「あら、私、あの子のファンよ」と女はキッとした目で私を見返しのだった。慌てて私も「ボクも好きだけどさ」と言った。以後そんな話題はー切しなくなった。あの時にもっと早く気付くべきだったのだ。(9月中旬につづく)
2012/09/06
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夏(76) 玄関前栽の砥草(とくさ)である。数年前は、なかなか育たなかったのだったが、ようやく土に馴染んだのか最近では繁茂するようになった。お蔭で両サイドの狛犬が上手く釣り合うようになった。以前はまる観えだった紅と青の石も砥草に隠れて程良く観える。時間が経てば風景はお互いに溶け合って一つの落ち着いた風景になるものである。砥草は字の通り砥石の代わりをする草で、是で昔は金物を磨いたのだそうである。手にすると確かにザラザラしていてサンドペーパーの様な感じである。和風の建物には添え物的に適して居て目立ち過ぎず邪魔にもならぬ植物である。特に数寄屋建築には合い、茶室なぞには風流で良い。小説「猫と女と」(15) 舞子と別れて十二時頃に帰宅すると部屋の灯りが未だ明々と灯っていた。カーポートに車を入れるとココがカーポートの塀の上で私を出迎える様に待っていた。車から出て歩き始めると足元にまとわりついてー緒に玄関までついて来る。最近、私と接する時間が少ないので寂しかったのだろう。夜は、私の寝室で椅子に寝そべってベッドの私を観ているのが常で、早朝の餌を貰う時だけが触れ合いの時間になっている。五時になればベッドの周りを走り回って私を起こしに掛かる。そのせいでどうしても睡眠時間が短く成ってしまう。年齢的なものもあるのだろうが、ココを飼い始めてからは平均睡眠が五時間になってしまった。それを知って妻は睡眠を妨害されまいとココが入れない様に自分の寝室のドアは閉めっ切っている。尤も、私の寝室のドアには小さなココ専用のくぐり戸を設けてココが自由に出入りできる様にしてある。 飼い始めの頃は私の寝室の隣の部屋をココの部屋としてあてがって夜は閉じ込めていた。が、それを嫌がって夜中じゅう部屋の中で暴れ回ったり五月蝿く啼くので仕方無くドアに小さなくぐり戸を設けたのだ。今では其処よりも私の部屋に居る方が長い。「お帰り。遅かったわネ」玄関まで出迎えた妻がー緒に入って来たココを抱き上げ頭を撫でながら言った。ココは妻にも馴染む様になった。妻からも餌を貰わねばならないから猫なりに媚を売る知恵を出している訳だ。「大学の工事がそろそろ始まるから、やたらと忙しい。工事監理は地元の設計事務所に任せてあるから行く事も無いが、毎週の定例工程会議には出席しなくてはならない。今では静岡が近場の様な気がするヨ」「もう、お土産のウナギも飽きてしまったワ。何か他に美味しいものでも無いの?でも、最近はウナギも高く成ったそうネ」「シラスが採れないからな」シラスと言われて妻はキョトンとした顔をしている。 平和なものだ。ウナギの子のシラスも知らず、それでもウナギの値上がりだけは知っている。値上がりの原因なぞどうでも良いのだ。それに引き換え、わざわざ他所の女との事で悩む私なぞもっと平和惚けしている訳だ。ココを観る度にそれをくれた女の事を考えてしまい、女好きの自分の性格が招いた結果だけに蒔いた種は自分で狩り獲るしかないと自分に言い聞かせている。それにしても舞子が語学留学でアメリカに行ったのは七年も前の事だ。帰国して六年も経つのに今頃になって何故私に娘を紹介したのだろう。見合いをさせたいというのは単なる口実だったのだろうか。二人して私に近付いて三角関係を持つ様に仕向けたとしたら私は彼女等の良い鴨と言う訳だ。今の処はパトロンでも無いが将来的に私に頼って生きて行くのでは無いだろうか。元夫を見限って新しい男を探し、並行して娘に誰か良い婿でも居ればと娘の帰国を待ったものの想い通りに行かなかっただけかも知れない。 なまじ生活に困らないだけの貯えがある母子にとっては精神的にも肉体的にも頼りになる男が必要に成ったのだろう。其処へたまたま上手く私と言う好色漢が居て、八年間つきあってみて、これなら娘にも大丈夫な男と算段したとすれば恐るべき女だ。母と娘の関係と言うよりも姉妹のような親子だけに考えられない事でも無い。ふとそんな考えが浮かんだが即座に打ち消した。だが、ベッドに入ってからもそれが何度も浮かんで来るのだった。其処へココがドア下のくぐり戸を通って「ニャオ」と言って入って来た。妻に餌を貰って食べ終えたのだろう。暗闇の中でもココの動きは手に取る様に分かる。カーペットに居る時と椅子に飛び乗って寛いで毛づくろいをしている時の仕草の違いも物音で分かる。ココが仔猫だった頃、女はココを抱いて寝ていたと言う。舞子も同じ事をしていたのだろう。つまりココを通して我々は結ばれるべくして結ばれた関係だったのかも知れない。 これは偶然ではなく運命と呼ぶべきものに想える。女が仕組んだ必然的な運命だ。アメリカへ行く事になったのは元夫のデザイン事務所の経営状態が悪くなった為にマンションを手放さざるを得なくなり突発的な事ではあったが、それだけに先の事を考えて私の事を頭に浮かべたのだろう。ー年を限って娘がマンションに住み、直後にマンションを処分しに女がアメリカへ行ったのも計画の内だったのだ。実に行動的な女だ。日本人にしてはダイナミックな発想であり積極的過ぎる様に想える。いや、彼女の事を日本人だと信じているからからこそそう想うだけで彼女が日本人だという確証は持っていないのだった。となれば元夫も分からない。そう言えばその大柄でヌーボーとした風貌は大陸の人間の様にも見えなくも無い。人道主義者と自認している私は女が何人であろうとも構わない。仕事関係者が外国人でも一向に構わないと日頃から想って仕事をしている。 それなのに舞子と交わした会話で韓国人を毛嫌いしていると言ってしまった。日本の社会通念に自分が毒されているからだと言ったが、ヤクザが嫌いで彼等に不信感を抱いていると言いたかったのだ。ヤクザでない韓国人ならどうだろう。学生時代に同級生で韓国人が居て何の偏見も持だず友人として付き合っていた。それなのに今では何故か使い分ける様に成ってしまった。良い韓国人と悪い韓国人とが居るとでも言うのだろうか。仮に女が韓国人だったとすればどうだろう。そう言えば五年ほど前に居酒屋で女と一緒に飲んで居る時、テレビに大物政治家の息子が芸能人として出ているのを観て「あの子、実は韓国人だそうだよ」と言った事があった。「あら、私、あの子のファンよ」と女はキッとした目で私を見返しのだった。慌てて私も「ボクも好きだけどさ」と言った。以後そんな話題はー切しなくなった。あの時にもっと早く気付くべきだったのだ。(9月中旬につづく)
2012/09/05
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夏(75) 前栽に在る地蔵横の百日紅が書斎前の庭園の百日紅よりも鮮やかなのは土壌のph(ペ―ハ―)の違いのせいなのだが、どちらも以前の家にあった頃は同じ土壌だったから紅色も同じ薄い色だった。以前は薄い色の方が奥床しくて風流だと想ったものだったが今では逆に鮮やかな紅の方が美しく感じる。その時々で感じ方も見方も変わるものである。紫陽花と同じく土壌のphで同じ種類の花の色が変わるのは面白い現象だが、植物も風土によって変化するという事である。所変われば品変わるという通りである。小説「猫と女と」(15) 舞子と別れて十二時頃に帰宅すると部屋の灯りが未だ明々と灯っていた。カーポートに車を入れるとココがカーポートの塀の上で私を出迎える様に待っていた。車から出て歩き始めると足元にまとわりついてー緒に玄関までついて来る。最近、私と接する時間が少ないので寂しかったのだろう。夜は、私の寝室で椅子に寝そべってベッドの私を観ているのが常で、早朝の餌を貰う時だけが触れ合いの時間になっている。五時になればベッドの周りを走り回って私を起こしに掛かる。そのせいでどうしても睡眠時間が短く成ってしまう。年齢的なものもあるのだろうが、ココを飼い始めてからは平均睡眠が五時間になってしまった。それを知って妻は睡眠を妨害されまいとココが入れない様に自分の寝室のドアは閉めっ切っている。尤も、私の寝室のドアには小さなココ専用のくぐり戸を設けてココが自由に出入りできる様にしてある。 飼い始めの頃は私の寝室の隣の部屋をココの部屋としてあてがって夜は閉じ込めていた。が、それを嫌がって夜中じゅう部屋の中で暴れ回ったり五月蝿く啼くので仕方無くドアに小さなくぐり戸を設けたのだ。今では其処よりも私の部屋に居る方が長い。「お帰り。遅かったわネ」玄関まで出迎えた妻がー緒に入って来たココを抱き上げ頭を撫でながら言った。ココは妻にも馴染む様になった。妻からも餌を貰わねばならないから猫なりに媚を売る知恵を出している訳だ。「大学の工事がそろそろ始まるから、やたらと忙しい。工事監理は地元の設計事務所に任せてあるから行く事も無いが、毎週の定例工程会議には出席しなくてはならない。今では静岡が近場の様な気がするヨ」「もう、お土産のウナギも飽きてしまったワ。何か他に美味しいものでも無いの?でも、最近はウナギも高く成ったそうネ」「シラスが採れないからな」シラスと言われて妻はキョトンとした顔をしている。 平和なものだ。ウナギの子のシラスも知らず、それでもウナギの値上がりだけは知っている。値上がりの原因なぞどうでも良いのだ。それに引き換え、わざわざ他所の女との事で悩む私なぞもっと平和惚けしている訳だ。ココを観る度にそれをくれた女の事を考えてしまい、女好きの自分の性格が招いた結果だけに蒔いた種は自分で狩り獲るしかないと自分に言い聞かせている。それにしても舞子が語学留学でアメリカに行ったのは七年も前の事だ。帰国して六年も経つのに今頃になって何故私に娘を紹介したのだろう。見合いをさせたいというのは単なる口実だったのだろうか。二人して私に近付いて三角関係を持つ様に仕向けたとしたら私は彼女等の良い鴨と言う訳だ。今の処はパトロンでも無いが将来的に私に頼って生きて行くのでは無いだろうか。元夫を見限って新しい男を探し、並行して娘に誰か良い婿でも居ればと娘の帰国を待ったものの想い通りに行かなかっただけかも知れない。 なまじ生活に困らないだけの貯えがある母子にとっては精神的にも肉体的にも頼りになる男が必要に成ったのだろう。其処へたまたま上手く私と言う好色漢が居て、八年間つきあってみて、これなら娘にも大丈夫な男と算段したとすれば恐るべき女だ。母と娘の関係と言うよりも姉妹のような親子だけに考えられない事でも無い。ふとそんな考えが浮かんだが即座に打ち消した。だが、ベッドに入ってからもそれが何度も浮かんで来るのだった。其処へココがドア下のくぐり戸を通って「ニャオ」と言って入って来た。妻に餌を貰って食べ終えたのだろう。暗闇の中でもココの動きは手に取る様に分かる。カーペットに居る時と椅子に飛び乗って寛いで毛づくろいをしている時の仕草の違いも物音で分かる。ココが仔猫だった頃、女はココを抱いて寝ていたと言う。舞子も同じ事をしていたのだろう。つまりココを通して我々は結ばれるべくして結ばれた関係だったのかも知れない。 これは偶然ではなく運命と呼ぶべきものに想える。女が仕組んだ必然的な運命だ。アメリカへ行く事になったのは元夫のデザイン事務所の経営状態が悪くなった為にマンションを手放さざるを得なくなり突発的な事ではあったが、それだけに先の事を考えて私の事を頭に浮かべたのだろう。ー年を限って娘がマンションに住み、直後にマンションを処分しに女がアメリカへ行ったのも計画の内だったのだ。実に行動的な女だ。日本人にしてはダイナミックな発想であり積極的過ぎる様に想える。いや、彼女の事を日本人だと信じているからからこそそう想うだけで彼女が日本人だという確証は持っていないのだった。となれば元夫も分からない。そう言えばその大柄でヌーボーとした風貌は大陸の人間の様にも見えなくも無い。人道主義者と自認している私は女が何人であろうとも構わない。仕事関係者が外国人でも一向に構わないと日頃から想って仕事をしている。 それなのに舞子と交わした会話で韓国人を毛嫌いしていると言ってしまった。日本の社会通念に自分が毒されているからだと言ったが、ヤクザが嫌いで彼等に不信感を抱いていると言いたかったのだ。ヤクザでない韓国人ならどうだろう。学生時代に同級生で韓国人が居て何の偏見も持だず友人として付き合っていた。それなのに今では何故か使い分ける様に成ってしまった。良い韓国人と悪い韓国人とが居るとでも言うのだろうか。仮に女が韓国人だったとすればどうだろう。そう言えば五年ほど前に居酒屋で女と一緒に飲んで居る時、テレビに大物政治家の息子が芸能人として出ているのを観て「あの子、実は韓国人だそうだよ」と言った事があった。「あら、私、あの子のファンよ」と女はキッとした目で私を見返しのだった。慌てて私も「ボクも好きだけどさ」と言った。以後そんな話題はー切しなくなった。あの時にもっと早く気付くべきだったのだ。(つづく)
2012/09/04
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夏(74) 30年以上も放置してあった裏の空き家が売りに出されたという事は、持ち主に何か異変が起きたらしい。持ち主は大阪に住んでいて、妻の大学時代の後輩になるそうで、親から生前贈与で貰った家だった。が、大阪の方が生活するのに便利だとか何か理由をつけて出て行ったままだった。久々に動きがあったのでひょっとして亡くなったのかなと想ったりもするが、早く誰かの手に渡って新しく建て直してくれた方が用心が良く成ると少しは期待している。しかし、そうなれば多分二階建が建つだろうから平屋のままの方が目障りでも無く、用心と景観のどちらを取るかと勝手に思案している。小説「猫と女と」(15) 舞子と別れて十二時頃に帰宅すると部屋の灯りが未だ明々と灯っていた。カーポートに車を入れるとココがカーポートの塀の上で私を出迎える様に待っていた。車から出て歩き始めると足元にまとわりついてー緒に玄関までついて来る。最近、私と接する時間が少ないので寂しかったのだろう。夜は、私の寝室で椅子に寝そべってベッドの私を観ているのが常で、早朝の餌を貰う時だけが触れ合いの時間になっている。五時になればベッドの周りを走り回って私を起こしに掛かる。そのせいでどうしても睡眠時間が短く成ってしまう。年齢的なものもあるのだろうが、ココを飼い始めてからは平均睡眠が五時間になってしまった。それを知って妻は睡眠を妨害されまいとココが入れない様に自分の寝室のドアは閉めっ切っている。尤も、私の寝室のドアには小さなココ専用のくぐり戸を設けてココが自由に出入りできる様にしてある。 飼い始めの頃は私の寝室の隣の部屋をココの部屋としてあてがって夜は閉じ込めていた。が、それを嫌がって夜中じゅう部屋の中で暴れ回ったり五月蝿く啼くので仕方無くドアに小さなくぐり戸を設けたのだ。今では其処よりも私の部屋に居る方が長い。「お帰り。遅かったわネ」玄関まで出迎えた妻がー緒に入って来たココを抱き上げ頭を撫でながら言った。ココは妻にも馴染む様になった。妻からも餌を貰わねばならないから猫なりに媚を売る知恵を出している訳だ。「大学の工事がそろそろ始まるから、やたらと忙しい。工事監理は地元の設計事務所に任せてあるから行く事も無いが、毎週の定例工程会議には出席しなくてはならない。今では静岡が近場の様な気がするヨ」「もう、お土産のウナギも飽きてしまったワ。何か他に美味しいものでも無いの?でも、最近はウナギも高く成ったそうネ」「シラスが採れないからな」シラスと言われて妻はキョトンとした顔をしている。 平和なものだ。ウナギの子のシラスも知らず、それでもウナギの値上がりだけは知っている。値上がりの原因なぞどうでも良いのだ。それに引き換え、わざわざ他所の女との事で悩む私なぞもっと平和惚けしている訳だ。ココを観る度にそれをくれた女の事を考えてしまい、女好きの自分の性格が招いた結果だけに蒔いた種は自分で狩り獲るしかないと自分に言い聞かせている。それにしても舞子が語学留学でアメリカに行ったのは七年も前の事だ。帰国して六年も経つのに今頃になって何故私に娘を紹介したのだろう。見合いをさせたいというのは単なる口実だったのだろうか。二人して私に近付いて三角関係を持つ様に仕向けたとしたら私は彼女等の良い鴨と言う訳だ。今の処はパトロンでも無いが将来的に私に頼って生きて行くのでは無いだろうか。元夫を見限って新しい男を探し、並行して娘に誰か良い婿でも居ればと娘の帰国を待ったものの想い通りに行かなかっただけかも知れない。 なまじ生活に困らないだけの貯えがある母子にとっては精神的にも肉体的にも頼りになる男が必要に成ったのだろう。其処へたまたま上手く私と言う好色漢が居て、八年間つきあってみて、これなら娘にも大丈夫な男と算段したとすれば恐るべき女だ。母と娘の関係と言うよりも姉妹のような親子だけに考えられない事でも無い。ふとそんな考えが浮かんだが即座に打ち消した。だが、ベッドに入ってからもそれが何度も浮かんで来るのだった。其処へココがドア下のくぐり戸を通って「ニャオ」と言って入って来た。妻に餌を貰って食べ終えたのだろう。暗闇の中でもココの動きは手に取る様に分かる。カーペットに居る時と椅子に飛び乗って寛いで毛づくろいをしている時の仕草の違いも物音で分かる。ココが仔猫だった頃、女はココを抱いて寝ていたと言う。舞子も同じ事をしていたのだろう。つまりココを通して我々は結ばれるべくして結ばれた関係だったのかも知れない。 これは偶然ではなく運命と呼ぶべきものに想える。女が仕組んだ必然的な運命だ。アメリカへ行く事になったのは元夫のデザイン事務所の経営状態が悪くなった為にマンションを手放さざるを得なくなり突発的な事ではあったが、それだけに先の事を考えて私の事を頭に浮かべたのだろう。ー年を限って娘がマンションに住み、直後にマンションを処分しに女がアメリカへ行ったのも計画の内だったのだ。実に行動的な女だ。日本人にしてはダイナミックな発想であり積極的過ぎる様に想える。いや、彼女の事を日本人だと信じているからからこそそう想うだけで彼女が日本人だという確証は持っていないのだった。となれば元夫も分からない。そう言えばその大柄でヌーボーとした風貌は大陸の人間の様にも見えなくも無い。人道主義者と自認している私は女が何人であろうとも構わない。仕事関係者が外国人でも一向に構わないと日頃から想って仕事をしている。 それなのに舞子と交わした会話で韓国人を毛嫌いしていると言ってしまった。日本の社会通念に自分が毒されているからだと言ったが、ヤクザが嫌いで彼等に不信感を抱いていると言いたかったのだ。ヤクザでない韓国人ならどうだろう。学生時代に同級生で韓国人が居て何の偏見も持だず友人として付き合っていた。それなのに今では何故か使い分ける様に成ってしまった。良い韓国人と悪い韓国人とが居るとでも言うのだろうか。仮に女が韓国人だったとすればどうだろう。そう言えば五年ほど前に居酒屋で女と一緒に飲んで居る時、テレビに大物政治家の息子が芸能人として出ているのを観て「あの子、実は韓国人だそうだよ」と言った事があった。「あら、私、あの子のファンよ」と女はキッとした目で私を見返しのだった。慌てて私も「ボクも好きだけどさ」と言った。以後そんな話題はー切しなくなった。あの時にもっと早く気付くべきだったのだ。(9月中旬につづく)
2012/09/03
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夏(73) 我が家の百日紅(さるすべり)は二本在って、この百日紅とは別の前栽にある小さなのは色が鮮やかな濃い紅である。地蔵の横にあってこの百日紅よりも半月ほど早く咲く。二本とも以前の家から移植したものだが、前栽のは指し木でついたものである。ところが小さいながら花は庭のものよりも綺麗なのだ。毎朝出掛ける前に前栽の百日紅ばかり見ていたが、仕事も一段落したので自宅に居る事が多く成って書斎から見える百日紅を毎日眺める仕儀となった。しかし、昨年の風景と少し違和感があって全体に寂しい気がする。その原因は裏の空き家の総ての庭木が撤去されたからだ。ちなみに裏の家の前まで観に行くと「売り家」の看板が出ているのだった。成る程、先月から伐採する為のチェーンソウの音が五月蝿く聴こえて居たのはこの為だったのだ。時代の移り変わりを観る想いがしたのだった。小説「猫と女と」(15) 舞子と別れて十二時頃に帰宅すると部屋の灯りが未だ明々と灯っていた。カーポートに車を入れるとココがカーポートの塀の上で私を出迎える様に待っていた。車から出て歩き始めると足元にまとわりついてー緒に玄関までついて来る。最近、私と接する時間が少ないので寂しかったのだろう。夜は、私の寝室で椅子に寝そべってベッドの私を観ているのが常で、早朝の餌を貰う時だけが触れ合いの時間になっている。五時になればベッドの周りを走り回って私を起こしに掛かる。そのせいでどうしても睡眠時間が短く成ってしまう。年齢的なものもあるのだろうが、ココを飼い始めてからは平均睡眠が五時間になってしまった。それを知って妻は睡眠を妨害されまいとココが入れない様に自分の寝室のドアは閉めっ切っている。尤も、私の寝室のドアには小さなココ専用のくぐり戸を設けてココが自由に出入りできる様にしてある。 飼い始めの頃は私の寝室の隣の部屋をココの部屋としてあてがって夜は閉じ込めていた。が、それを嫌がって夜中じゅう部屋の中で暴れ回ったり五月蝿く啼くので仕方無くドアに小さなくぐり戸を設けたのだ。今では其処よりも私の部屋に居る方が長い。「お帰り。遅かったわネ」玄関まで出迎えた妻がー緒に入って来たココを抱き上げ頭を撫でながら言った。ココは妻にも馴染む様になった。妻からも餌を貰わねばならないから猫なりに媚を売る知恵を出している訳だ。「大学の工事がそろそろ始まるから、やたらと忙しい。工事監理は地元の設計事務所に任せてあるから行く事も無いが、毎週の定例工程会議には出席しなくてはならない。今では静岡が近場の様な気がするヨ」「もう、お土産のウナギも飽きてしまったワ。何か他に美味しいものでも無いの?でも、最近はウナギも高く成ったそうネ」「シラスが採れないからな」シラスと言われて妻はキョトンとした顔をしている。 平和なものだ。ウナギの子のシラスも知らず、それでもウナギの値上がりだけは知っている。値上がりの原因なぞどうでも良いのだ。それに引き換え、わざわざ他所の女との事で悩む私なぞもっと平和惚けしている訳だ。ココを観る度にそれをくれた女の事を考えてしまい、女好きの自分の性格が招いた結果だけに蒔いた種は自分で狩り獲るしかないと自分に言い聞かせている。それにしても舞子が語学留学でアメリカに行ったのは七年も前の事だ。帰国して六年も経つのに今頃になって何故私に娘を紹介したのだろう。見合いをさせたいというのは単なる口実だったのだろうか。二人して私に近付いて三角関係を持つ様に仕向けたとしたら私は彼女等の良い鴨と言う訳だ。今の処はパトロンでも無いが将来的に私に頼って生きて行くのでは無いだろうか。元夫を見限って新しい男を探し、並行して娘に誰か良い婿でも居ればと娘の帰国を待ったものの想い通りに行かなかっただけかも知れない。 なまじ生活に困らないだけの貯えがある母子にとっては精神的にも肉体的にも頼りになる男が必要に成ったのだろう。其処へたまたま上手く私と言う好色漢が居て、八年間つきあってみて、これなら娘にも大丈夫な男と算段したとすれば恐るべき女だ。母と娘の関係と言うよりも姉妹のような親子だけに考えられない事でも無い。ふとそんな考えが浮かんだが即座に打ち消した。だが、ベッドに入ってからもそれが何度も浮かんで来るのだった。其処へココがドア下のくぐり戸を通って「ニャオ」と言って入って来た。妻に餌を貰って食べ終えたのだろう。暗闇の中でもココの動きは手に取る様に分かる。カーペットに居る時と椅子に飛び乗って寛いで毛づくろいをしている時の仕草の違いも物音で分かる。ココが仔猫だった頃、女はココを抱いて寝ていたと言う。舞子も同じ事をしていたのだろう。つまりココを通して我々は結ばれるべくして結ばれた関係だったのかも知れない。 これは偶然ではなく運命と呼ぶべきものに想える。女が仕組んだ必然的な運命だ。アメリカへ行く事になったのは元夫のデザイン事務所の経営状態が悪くなった為にマンションを手放さざるを得なくなり突発的な事ではあったが、それだけに先の事を考えて私の事を頭に浮かべたのだろう。ー年を限って娘がマンションに住み、直後にマンションを処分しに女がアメリカへ行ったのも計画の内だったのだ。実に行動的な女だ。日本人にしてはダイナミックな発想であり積極的過ぎる様に想える。いや、彼女の事を日本人だと信じているからからこそそう想うだけで彼女が日本人だという確証は持っていないのだった。となれば元夫も分からない。そう言えばその大柄でヌーボーとした風貌は大陸の人間の様にも見えなくも無い。人道主義者と自認している私は女が何人であろうとも構わない。仕事関係者が外国人でも一向に構わないと日頃から想って仕事をしている。 それなのに舞子と交わした会話で韓国人を毛嫌いしていると言ってしまった。日本の社会通念に自分が毒されているからだと言ったが、ヤクザが嫌いで彼等に不信感を抱いていると言いたかったのだ。ヤクザでない韓国人ならどうだろう。学生時代に同級生で韓国人が居て何の偏見も持だず友人として付き合っていた。それなのに今では何故か使い分ける様に成ってしまった。良い韓国人と悪い韓国人とが居るとでも言うのだろうか。仮に女が韓国人だったとすればどうだろう。そう言えば五年ほど前に居酒屋で女と一緒に飲んで居る時、テレビに大物政治家の息子が芸能人として出ているのを観て「あの子、実は韓国人だそうだよ」と言った事があった。「あら、私、あの子のファンよ」と女はキッとした目で私を見返しのだった。慌てて私も「ボクも好きだけどさ」と言った。以後そんな話題はー切しなくなった。あの時にもっと早く気付くべきだったのだ。(9月中旬につづく)
2012/09/02
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夏(72) 朝5時にココに餌をやってからブログを書き、一息ついて庭をみると6時の明るさに遅咲きの百日紅の紅が目に付いた。しかし昨年とは違って百日紅の向こうの風景が変わっている。そう言えば先月初めに裏の空き家の庭木撤去が始まり、庭木が総て無くなったのだ。だから書斎から観える風景が少しばかり変化したのだった。伸び放題だったあの大きなヒマラヤ杉が姿を消し、赤い屋根瓦だけが観える。そのせいで空が広く成った。其処に我が家の百日紅が凛と咲いている。是から暫く咲き続け、晩夏の毎日を楽しませてくれる事になる。小説「猫と女と」(15) 舞子と別れて十二時頃に帰宅すると部屋の灯りが未だ明々と灯っていた。カーポートに車を入れるとココがカーポートの塀の上で私を出迎える様に待っていた。車から出て歩き始めると足元にまとわりついてー緒に玄関までついて来る。最近、私と接する時間が少ないので寂しかったのだろう。夜は、私の寝室で椅子に寝そべってベッドの私を観ているのが常で、早朝の餌を貰う時だけが触れ合いの時間になっている。五時になればベッドの周りを走り回って私を起こしに掛かる。そのせいでどうしても睡眠時間が短く成ってしまう。年齢的なものもあるのだろうが、ココを飼い始めてからは平均睡眠が五時間になってしまった。それを知って妻は睡眠を妨害されまいとココが入れない様に自分の寝室のドアは閉めっ切っている。尤も、私の寝室のドアには小さなココ専用のくぐり戸を設けてココが自由に出入りできる様にしてある。 飼い始めの頃は私の寝室の隣の部屋をココの部屋としてあてがって夜は閉じ込めていた。が、それを嫌がって夜中じゅう部屋の中で暴れ回ったり五月蝿く啼くので仕方無くドアに小さなくぐり戸を設けたのだ。今では其処よりも私の部屋に居る方が長い。「お帰り。遅かったわネ」玄関まで出迎えた妻がー緒に入って来たココを抱き上げ頭を撫でながら言った。ココは妻にも馴染む様になった。妻からも餌を貰わねばならないから猫なりに媚を売る知恵を出している訳だ。「大学の工事がそろそろ始まるから、やたらと忙しい。工事監理は地元の設計事務所に任せてあるから行く事も無いが、毎週の定例工程会議には出席しなくてはならない。今では静岡が近場の様な気がするヨ」「もう、お土産のウナギも飽きてしまったワ。何か他に美味しいものでも無いの?でも、最近はウナギも高く成ったそうネ」「シラスが採れないからな」シラスと言われて妻はキョトンとした顔をしている。 平和なものだ。ウナギの子のシラスも知らず、それでもウナギの値上がりだけは知っている。値上がりの原因なぞどうでも良いのだ。それに引き換え、わざわざ他所の女との事で悩む私なぞもっと平和惚けしている訳だ。ココを観る度にそれをくれた女の事を考えてしまい、女好きの自分の性格が招いた結果だけに蒔いた種は自分で狩り獲るしかないと自分に言い聞かせている。それにしても舞子が語学留学でアメリカに行ったのは七年も前の事だ。帰国して六年も経つのに今頃になって何故私に娘を紹介したのだろう。見合いをさせたいというのは単なる口実だったのだろうか。二人して私に近付いて三角関係を持つ様に仕向けたとしたら私は彼女等の良い鴨と言う訳だ。今の処はパトロンでも無いが将来的に私に頼って生きて行くのでは無いだろうか。元夫を見限って新しい男を探し、並行して娘に誰か良い婿でも居ればと娘の帰国を待ったものの想い通りに行かなかっただけかも知れない。 なまじ生活に困らないだけの貯えがある母子にとっては精神的にも肉体的にも頼りになる男が必要に成ったのだろう。其処へたまたま上手く私と言う好色漢が居て、八年間つきあってみて、これなら娘にも大丈夫な男と算段したとすれば恐るべき女だ。母と娘の関係と言うよりも姉妹のような親子だけに考えられない事でも無い。ふとそんな考えが浮かんだが即座に打ち消した。だが、ベッドに入ってからもそれが何度も浮かんで来るのだった。其処へココがドア下のくぐり戸を通って「ニャオ」と言って入って来た。妻に餌を貰って食べ終えたのだろう。暗闇の中でもココの動きは手に取る様に分かる。カーペットに居る時と椅子に飛び乗って寛いで毛づくろいをしている時の仕草の違いも物音で分かる。ココが仔猫だった頃、女はココを抱いて寝ていたと言う。舞子も同じ事をしていたのだろう。つまりココを通して我々は結ばれるべくして結ばれた関係だったのかも知れない。 これは偶然ではなく運命と呼ぶべきものに想える。女が仕組んだ必然的な運命だ。アメリカへ行く事になったのは元夫のデザイン事務所の経営状態が悪くなった為にマンションを手放さざるを得なくなり突発的な事ではあったが、それだけに先の事を考えて私の事を頭に浮かべたのだろう。ー年を限って娘がマンションに住み、直後にマンションを処分しに女がアメリカへ行ったのも計画の内だったのだ。実に行動的な女だ。日本人にしてはダイナミックな発想であり積極的過ぎる様に想える。いや、彼女の事を日本人だと信じているからからこそそう想うだけで彼女が日本人だという確証は持っていないのだった。となれば元夫も分からない。そう言えばその大柄でヌーボーとした風貌は大陸の人間の様にも見えなくも無い。人道主義者と自認している私は女が何人であろうとも構わない。仕事関係者が外国人でも一向に構わないと日頃から想って仕事をしている。 それなのに舞子と交わした会話で韓国人を毛嫌いしていると言ってしまった。日本の社会通念に自分が毒されているからだと言ったが、ヤクザが嫌いで彼等に不信感を抱いていると言いたかったのだ。ヤクザでない韓国人ならどうだろう。学生時代に同級生で韓国人が居て何の偏見も持だず友人として付き合っていた。それなのに今では何故か使い分ける様に成ってしまった。良い韓国人と悪い韓国人とが居るとでも言うのだろうか。仮に女が韓国人だったとすればどうだろう。そう言えば五年ほど前に居酒屋で女と一緒に飲んで居る時、テレビに大物政治家の息子が芸能人として出ているのを観て「あの子、実は韓国人だそうだよ」と言った事があった。「あら、私、あの子のファンよ」と女はキッとした目で私を見返しのだった。慌てて私も「ボクも好きだけどさ」と言った。以後そんな話題はー切しなくなった。あの時にもっと早く気付くべきだったのだ。(9月中旬につづく)
2012/09/01
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