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隅田川テラスを清洲橋方面に向かって歩くと次々に芭蕉の句碑が登場する。かってこの地には俳人芭蕉が住んでおり、近くには芭蕉記念館もある。芭蕉そばなる店もある。その地縁なのだろう大川端芭蕉句選というタイトルで彼の詠んだ俳句がオブジェ風の形の中に刻まれている。次々と出てくるので足を止めて句を読んで歩くのが楽しいし、ちょっと風流な気分が味わえた。その中にはとっても有名な句もありハイクに縁はあっても俳句には縁のない私にも親しめた。吟じられた年が元禄6年(1693年)とか貞享4年(1687年)で、数百年前の作品が今ここにあり生きていることにとても感慨を感じたのだった。
2013年05月31日
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いつもの習慣で朝早く目覚める。しかし自宅ではないので早朝からバタバタするのも良くない。散歩に出る。江島杉山神社の前の道を左接すると隅田川テラスの入り口にぶつかる。岸辺はコンクリートの道だがテラスそのものは広々として歩きやすく、隅田川の流れと対岸の高層ビル群や橋がよく見える。適度な川風が吹いてとても気持ち良い。解放された気分になる。ウォーキングやジョギングをする皆さんが行き交い、挨拶をしあう。どこの街にもある朝の風景が展開する。すぐにオレンジ色の新大橋が見え、更に歩くと清州橋が見えてくる。新大橋はそっけないデザインだが清州橋はヨーロッパの香りがするデザインである。今日も一日が始まる。 清州橋 隅田川テラス
2013年05月30日
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娘は両国に住んでいるので孫の世話の合間にちょこちょこっと街の中を散歩する。まず感じたことは「さすがはお江戸、どこもここも史跡だらけ」ということである。見て通り過ぎるだけではもったいないと思い、記録することにした。まずはご近所の江島杉山神社に立ち寄った。ここは近代鍼術中興の祖とされる杉山和一(杉山検校)の屋敷跡で、世界最初の視覚障害者教育施設とされる「杉山流鍼治導引稽古所」があった場所というので驚いた。要するに盲目で針灸の術に長けた杉山和一という検校をお祭りしてあるのだ。検校といえば箏曲の名人八橋検校しか知らなかったが、盲人で一芸に長けた人に検校という名前が与えられるのだから針灸師もいて当然だ。参道に並ぶ奉納石柱には・・・針灸治療院という名前が圧倒的に多かったのもうなずける。 こじんまりしているが、岩やの中には杉山和一像の他、とぐろを巻いた白蛇がたくさん奉納されていたりしてぎょっとした。
2013年05月29日
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向かって左側生後13日目の弟、右側1歳8ヶ月の姉、おっぱいをめぐる攻防。この授乳法はフットボール抱きというらしい。赤ちゃんのお手々が可愛い。
2013年05月28日
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高尾から陣馬の縦走をした時、こんなことがあった。私は陣馬からの下山はいつも日本の里山百選に選ばれている佐野川部落のある和田地区に下る。昨日も和田へ向かって半分以上下った所で若い女性が後から来た。彼女は和田峠から陣馬山に登り、和田という同じ名前だから和田峠にいく道だと思ってこの道を下ってきたという。和田峠から陣馬高原下バス停に行く道と和田地区は全く別の地域であり、彼女は陣馬高原下の駐車場に車を置いてきたとも言う。さあ、どうするか?ということになったが、結局一緒に和田地区まで下山した。悪いことに3分前にバスが出てしまっている。ほぼ1時間バスを待ってJRの藤野駅まで出、更に高尾まで電車に乗り、高尾から陣馬高原下行きのバスを捉えて駐車場まで行くことになった。陣馬高原下行きのバスも1時間に1本ということを考えると本人の不注意とはいえ何とも気の毒だった。陣馬山頂の指導標には和田峠と和田の二つがある。これは同方向と勘違いしやすい。和田という地名は神奈川県藤野町佐野川部落の一地区名、一方和田峠は東京都八王子市から神奈川県相模原市緑区の間にある峠である。この二つを対等に山頂で表示するのはいかがなものか?混乱を招かない適切な表示を考える必要があると思う。 和田峠 日本の里百選 佐野川和田地区
2013年05月27日
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5月26日自分が使える1日だったので久し振りにハイキングに出かけた。鬱を改善するには歩くのが最良の自己治療だと思っている。歩いたコースは高尾から陣馬の縦走,考える必要のない私の定番である。夏が近づくので今日は沢沿いのルートを選んだ。谷一面を埋め尽くす新緑に鳥の声と静かなせせらぎの音、涼しげなしゃがの花の大群落が続き、琵琶滝も清涼感に満ちていた。暑過ぎもせず寒くもなくほどよい風があってコンディションは最高だった。曇り空で眺望はきかず富士山は見えなかったが、初夏らしい花が見られて季節を感じた。 珍しいセッコク 通常は樹木や渓谷の岩壁などに着生するが高尾山では主に杉の大木の上部の枝に着生している。 二人靜か この白い花がどこでも咲いていた 日当たりのよい場所にはアヤメ 1日歩いてただ1本だけあった金蘭陣馬山頂にはいつもの白馬もいなないていたが、鯉のぼりが泳いでいた。奥多摩の山をバックに伸びやかに泳ぐ鯉が開放感に溢れて気持ちよかった。 陣馬山頂
2013年05月26日
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娘宅で炊事・洗濯・孫の世話などばかりしている私はだんだん気が滅入ってきて前鬱状態になりかかっている。すっかり嫌気がさして一時帰宅、この鬱々した気分を転換するべく久し振りに船橋ロッキーにボルダリングに出かけた。結果的にこれは大成功だった。ロッキーで級友のKさんと再会したのだ。計算してみるとほぼ28年ぶりになる。彼女は前回、私を見てよく似ていると思ったがあまりに以前の姿と違うので声をかけられなかったとのこと。今日、声をかけられた私は一目で彼女とわかって旧姓で名前を呼んだのだった。なつかしさと嬉しさで近況報告の声がはずんだ。今は3児の母となっている彼女は堂々たる貫禄ぶりである。何という人生の妙味、天の配剤!!私はかなり元気を回復し、前向きな気分になることができて、若い皆さんとボルダリングを楽しんだのだった。 マンスリーウォール
2013年05月25日
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今まで両親の愛情を独り占めしてきた葵が、下に弟が産まれて以来、ものすごくデリケートにナーバスになっている。予測していたことではあるが、あまりに顕著なので驚く。まず、弟が産まれたので産院を訪れた夜に発熱して翌日保育園を休まねばならなかった。次いで私がサポートに行くようになり保育園にお迎えに行ったら真っ白い無表情な顔になっていて別人のように見えた。声を全く出さない。娘夫婦が赤ちゃんそっちのけで葵の相手ばかりしているうちに、9時過ぎにやっといつもの可愛い声を出してはしゃぐようになってきた。翌日からも何に遠慮しているのか本来の葵らしい表情が少なく、以前の無邪気な状態に戻るのに数日を要した。ある日は保育園から帰宅した後、近くの公園で滑り台やブランコ、砂場などで1時間ほど一緒に遊び帰宅後も一緒にお風呂に入った。上機嫌そうだったのもつかの間、その夜は1時間半ほど夜泣きする声が響いた。おばあちゃんと遊んで楽しくはあったが母親との接触が少なかったので欲求不満がつのり夜泣きして訴えたのだ。母親の愛情をめぐって何というナーバスな幼児感情だろう。幸いなことは弟の翔 くんは情緒も安定しおっとりしておっぱいをぐんぐん吸ったらよく眠ってくれる。当分は葵に手をかけることになるだろう。 砂遊びが大好き
2013年05月24日
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三浦雄一郎さんが80歳で三度目のエベレスト登頂に成功した。すばらしい快挙だ。今回の遠征では登攀・サポート・医療など各方面でこれ以上は望めないベストの布陣だったのでほとんど心配はしてなかったが、何しろ80歳で心臓病の持病持ちで術後ということもあり、多少の危惧はあった。でもこれまでにない快調さと本人がコメントされていた通り、予想以上にお元気そうだったので、驚異的に感じていた。でも下山で脱水症状などがあり苦労されたようだ。登攀隊長の倉岡裕之さんは丁度一年前、私をエベレストに案内してくれたガイドでエベレストに関してはこの人以上の人はない経験者だし高所登山の専門家である。今回の成否は実質倉岡隊長のサポートが大きかったと思うのでその点でも彼は責任を果たしてほっとしていることだろう。 雄一郎さんと豪太さん
2013年05月23日
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生後1週間が過ぎた孫の翔 くんは脱皮中である。手も足も唇も薄い皮がめくれて脱皮中。人の脱皮!!蛇じゃあるまいし不思議だ。でも人の誕生は不思議で神秘に満ちている。母体で40週も羊水の中で泳いでいて栄養も自動的に供給されていたのが、誕生とともに空気の中に放り出されて肺呼吸し自分でおっぱいを飲んで栄養を摂るのだから凄い大転換だ。当たり前のことで何も思わないがこれってものすごいことのような気がしてきた。
2013年05月22日
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一時帰宅した隙間を活用して八千代市の京成バラ園芸を訪ねた。やはり年に2度、春と秋にはこのバラ園のバラを愛でたい。丁度見ごろを迎えたバラ園は壮観の一言だった。あらゆる種類のあらゆる形のあらゆる色のバラが咲き誇っている。もう写真も撮らないで観て周った。 至福のひと時になった。
2013年05月21日
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新しい週が始り、また娘宅で孫の世話。退院してきた娘は2度目とあってけっこう余裕がある。親の余裕が新生児の情緒安定に作用するのだろう、第二子の翔(しょう)くんはあまりむずからずおっぱいをぐんぐん飲んでウンチをしてよく眠る。午後3時過ぎ、沐浴をさせた。1年7カ月前の葵も同じように沐浴させたが早いものでもう次の子だ。今度は男の子だからおちんちんがあって面白い。ここでも翔くんは泣かずお利口だった。
2013年05月20日
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娘宅から一時帰宅し、今朝もボディメンテナンスしながらぼんやりテレビを眺めていた。するとブラッドオレンジなる果物が登場し、それが我が故郷愛媛県は宇和島で生産されているというではないか。驚いた!!。宇和島は温暖で昔からミカンとアコヤガイから取れる真珠の産地で有名だ。子ども時代にはミカン御殿やパール御殿などの言葉を聞いたことがある。しかし最近はそのミカンも真珠も苦境に陥っていると聞いていた。そこに起死回生のブラッドオレンジなるものを作って全国一の生産量だという。その果実を見たら正にブラッドそのもの、真っ赤で美味しそう!!。ビタミンCとアントシアニンというポリフェノールがいっぱいで美容と健康にぴったりの果物。このイタリア生まれの果物を導入し農家に植えつけてもらい、現在の隆盛に導いたみかん博士も登場。感動した。東が無農薬リンゴの木村さんなら西はブラッドオレンジのミカン博士だ。 まるで宝石のよう HPにはこの懐かしい写真が載っていた。法華津(ほけづ)峠だ。かつては宇和島街道最大の難所といわれ、峠越えの旧道が残っている。晴れると九州まで見渡せる標高369mの峠は、眼下にリアス式海岸と紺碧の宇和海が織りなす南伊予屈指の大展望が開ける。小学校時代、急な坂道をあえぎながらこの峠まで遠足に行ったことを思いだした。それにしてもこのブラッドオレンジを是非とも食べてみたいと思い、販売欄を調べたら全てSOLD OUT だった。
2013年05月19日
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我が家のメインの庭はツゲや楓や南天などが繁っているため、その下は日陰である。そこに雪の下が生えている。とってもとっても生き残って数年。どういう生育条件で花が咲くか咲かないかは知らないのだが、葉っぱや根はしつこいほどずっと繁殖しているのに、花が咲いたのを見たことはなかった。所が娘の家から帰宅してみたら初めて花が一枝咲いていたのだった。めでたいので1枚撮った。名前のイメージ通りの可憐ではかなげな花だ。鎌倉に雪の下という地名があるが、雪の下がたくさん生えているのだろうか。 雪の下
2013年05月18日
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病院にいる娘の留守宅に泊りこんで産後サポートしている。ほんのちょっと弟と対面しただけなのに第二子の誕生による親の愛情の危機を敏感に悟ったのかどうか、葵は熱を出してしまい、保育所はお休み。一日一緒に過ごした。熱があるけど外に出たがるので公園に行って、砂場、滑り台、ブランコと一通り遊ぶ。でもさすがにいつもほどのエネルギーがなく、どれもちょっとやったら終わり。熱ぼったいせいで冷たい水がお気に入り、水道の水を出して長い間手を濡らして遊んだ。食事もいつもほどすすまず、体調不良は明白。でも日光にあたったせいで昼寝をしっかりした。パパが帰宅したとたん、明るい顔になったのがあまりにも露骨で自分の立場が虚しい。すっかり元気になり、ヘルメットを被ってサイクリングに出かけたのだった。ヤレヤレ。 歯磨きをする パパとサイクリングに出発
2013年05月17日
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5月15日午前3時25分、上の娘の第二子元気な男の子が生まれました。2830グラムでした。朗報を聞いて早速病院へ行って、大役を果たした娘をねぎらい、赤ちゃんと対面してきました。話によると夜中の2時頃破水したような感じで次第にお腹が痛くなってきたので、産院へ入院。病院へ到着した時が3時少し前、着替えをする時間もないほどあれよあれよという間にお産がすすんで25分間で産まれてきたとのこと。長い陣痛がなく体力消耗もなくてよかったかも。切迫早産で2000グラム未満で産まれる可能性大でとても心配してたのに、その後39週まで持ちこたえて更に短時間で産まれて来るなんて、最初から親孝行な赤ちゃんだこと!!まだ頭部がとんがっていて顔も赤いけど、一生懸命おっぱいに吸い付いていた。さあ、新しい楽しみができた。おばあちゃんも頑張らなくちゃ!!。 生まれたてのほやほやの赤ちゃん
2013年05月16日
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谷津バラ園に出かけた。七分咲きだったがたくさんの人たちで賑わっていた。天気もよくて何万本ものバラが妍を競って咲き誇り、春の陽光に輝いていた。そのバラ園を一人でゆったりと見て歩く。何て幸せなことだろう。おまけに高齢者割引きで入園料が180円だった。!!こんな見事なバラ園を180円で見せてもらうなんて維持管理費用の多額なことを思うと申し訳ないような気すらした。今回は印象に残った幾つかをアップしました。 谷津バラ園 青空 剣弁高芯咲きHT こんなに完璧な花形と優雅な色を見ることができて感激しました。 チャールストン 一株に多色の花が咲いて華やか、気分が明るくなりました。 青龍 バラの名前に龍がついています。白でも青でも灰色でもなくそのどれもでもあるようなデリケートな色、フリルのようなやさしい花びら、不思議な魅力にじっと見つめてしまいました。 エンジェル フェイス お馴染みバラのエンジェルフェイス です。今年は見事に咲いていたので一安心。
2013年05月15日
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5月13日申し分ないさわやかな五月の一日だった。銀行や市役所や郵便局などに事務処理に出かけた。銀行に8時55分頃に着いてオープンを待った。入ると銀行員全員が起立して「いらっしゃいませ!!」これには驚いた。銀行に一番に入ったのは初めてでこんな場面に遭遇したことがなかったのだ。外は日の光に溢れ、街路樹の紅花栃の木がとっても優しいピンクの花をつけて微笑んでいた。いい1日だった。赤ちゃんはまだ産まれない。
2013年05月14日
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5月も半ばになり、バラの季節である。黄色のモッコウバラは終わったが、大輪2種、中輪房咲き1種類が現在咲いている。道行く人に「綺麗ですね」と言われ、自分が美しい訳でもないのに舞い上がっている私である。昨秋、バラのツルがはびこってそれを手入れするのが老体にとってものすごく苦痛だったので、蛮勇をふるって思いっきり切ってしまった。切りすぎたと後悔したが、かえって枝の再生に奏功したのかどうか、立派に咲いたので安堵している。特にオレンジ色のバラは例年より花数が多いのに驚いた。 フロリバンダ系のカクテル
2013年05月13日
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5月12日朝の習慣になっているボディメンテナンスとトレーニングをしながら、見るともなくテレビを観ていた。画面に映っている景色が何となくいつも見ている風景のような気がして、そのまま見続けていると本当に私の街だった。日曜日朝8時からの「小さな旅」で谷津干潟が取り上げられていたのだった。嬉しくてずっと観てしまった。タイトルは「ぽっかりと私の海~谷津干潟~」、谷津干潟の野鳥の生態や干潟と関わって生活する人々のそれぞれの生き様が丁寧に描かれていた。在職中、親交のあったFさんが登場され、これまで知らなかった彼の人生をかいま見ることもできた。印象に残っている言葉があった。「干潟は世界に繋がっている」。自分が住んでいる街で当たり前と特に意識しなかったことが決して当たり前ではないことを思った。休日の朝イチで心豊かになる番組を観た。大野さんの音楽も郷愁を誘い心に沁みて素直になれる。 谷津干潟と野鳥 旅人の山田敦子さんの言葉です。 不思議な光景でした。四方をマンションと1戸建てに囲まれ、上を高速道路と鉄道が通り、それなのにその四角い水面は1日に2回、きちんと潮の満ち干を繰り返しています。埋め立てから守られた、わずかな「海」を目指して、鳥たちは南半球からも渡ってきます。さまざまな顔、姿の鳥たち。いつまでも見飽きません。人間と、この干潟と鳥。長く長く調和して共存できますように。
2013年05月12日
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娘の産後サポートのため数週間両国に滞在するようになる。この間、育児に明け暮れていると閉鎖的になるので、たまにはジムに行って気分転換したいと思っている。両国周辺に点在するジムの中で、お茶の水のBーPUMP、錦糸町のT-ウォール、品川の品川ロッキーを候補に絞り込んでいる。そこで今日は品川ロッキーを下見に行った。ジムは本家船橋ロッキーのコンセプトを引き継いでいて何の違和感もなかった。1フロアでかなり広い、壁は船橋より高くルートも多い。高さがある分、ルートは船橋よりは易しかった。サービスも同じでコーヒー、紅茶、それに佐久間ドロップもあった。要するに素朴で親しみやすい。が問題がある。ジムの料金そのものは高齢者割引きもあるので安いが、両国からだと往復の旅費と時間がかかる。両国→秋葉原→品川→バスに乗って入国管理事務所前下車なのだが乗り換えに時間がかかるため小一時間以上を要した。Tーウォールは錦糸町から徒歩、安・近・短でいいがジム使用料が高い、BーPAMPは秋葉原又はお茶の水からで距離、使用料ともにその中間どころ。折衷案でここが適切かも。しかし最大手の有名ジムで混雑するのではないか?この日の品川ロッキーは平日とあって若い人たち5人くらいが穏やかに昇っていた。さあ、どこに行こうかな。 品川ロッキー
2013年05月11日
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切迫早産だった娘がよく粘ってついに正規分娩周期の予定日2週間前を切った。そろそろ夜が心配なので来てほしいと依頼されて二晩泊まって入院に備えた。娘は一頃より顔色もよく腰や足の付け根が痛いとかの訴えもなく元気そう、葵ちゃんは語彙が爆発的に増えて可愛い声でいろいろ話して、コミュニケーションが取れるようになっている。そうなると人間らしい感情も豊かになってきてとても可愛かった。ふっくらして軟らかいお手々を繋いで一緒に保育園に登園した。夕方迎えに行くと小走りに駆け寄って私に抱きついてくれた。ぴちぴちに弾む手触りのよい体を抱く度にうれしくて幸せに酔った。結果的に出産はまだで一応今日は帰宅した。さあ、いつ誕生するか秒読みの段階だ。赤ちゃんを見たときの葵の反応も興味深い。 携帯をチェックするこの真剣な表情!! 次は保育園のノートをチェック さあ、おばあちゃんと保育所にいこうね。
2013年05月10日
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暇だったのでちょっと気になっていた映画「舟を編む」を観にいった。折からレディースデーとかで平日にしては女性がけっこう席をうずめていた。映画はとても淡々とした展開で起伏が少なかった。辞典の制作という地道で根気強さや知的持久力が必要な仕事に携わる人たちの姿がよく描かれていた。主人公の度外れたまじめさがかえってコミカルでおかしくて笑ってしまった。松田龍平がハンサムで切れのよい素質を隠してやや暗め、まじめ一方のキャラクターに徹していたのも人格が変わったみたいで興味深かった。オダギリジョーが太目の体と通常のシャープさのない顔ですごくいい味出していた。原作者三浦しをんの小説はこれまで何冊か読んだが、期待を裏切られたことはなかったから、原作がすばらしいのだろう。 ことばの海に漕ぎだして舟を編む人たちの実際の編集の方法や手順、出版社との軋轢、所要年数、苦労する姿などが具体的にわかってとても参考になった。辞書ってああして作られていたんだと腑におちたのだった。
2013年05月09日
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夫の部屋の前の小さな庭は冬は日当たりが悪いが、春から夏はけっこう日もあたる。これまで植えるのは花だけだったが、野菜を植えてみたい気がして、ここを家庭菜園にしようと決心した。シラーカンパニュラーターや花ニラ、ヒヤシンスなど球根類が雑多に繁茂しているため、これら球根類をすべて移植する作業から始めた。花ニラが滅茶苦茶増え、カンパニュラータの球根は深くもぐり大きくて取り出すのに手間がかかった。花の根や石や球根などさまざまなものが土の中に混じり、取り除くのにも時間がかかった。でも土の中からミミズが何匹も出てきて安心した。一応ここの土はミミズが住める環境だ。何とか全部抜いて土だけになったところで日光消毒。翌日堆肥を大量にいれた。苗はゴーヤー2本、ミニトマトあいこ2本、ピーマン、なす、青シソ、おくら、パセリ(これは鉢植えにして室内に置いた)を選んだ。 春の花の残りが繁茂する 更地にして日光消毒 植えつけて完了本当に野菜ができるかどうか初めての経験でワクワク、とっても楽しみだ。
2013年05月08日
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連休の後半は花壇の模様替えと家庭菜園造りをした。まず大分疲れてきた春の花を手入れし、白く病気になっているスミレを除去した。次に咲き終わったモッコウバラを鉢植えから出し、フェンス沿いに地植えした。更に東側の花壇のスミレをプランターに移動、シラーカンパニュラータも路地に移植。その後の土を天地変えして丸1日お日様にあてて日光消毒し、堆肥を加え、元肥を施して、新しい花を受けつけた。今回はピンクと白のジキタリス、ペチュニアで一列を作った。背の高いジキタリスは昨年12月ニュージーランドでたくさん自生していてそのときの華やかな印象が強く、自宅でも植えてみたいと思っていた花だ。プランターに3色のバーベナ、鉢には日々草、デルフィニュームを植えつけた。本格的夏の花にはまだ遠いが、晩秋から夏に向かう感じで花壇も一部気分転換した。
2013年05月07日
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5月6日連休最後の日、久し振りにLUMIXさんとランチした。彼女はとてもセンスのよい服装で現れ、見るだけで好印象、こちらまで優雅な気分になった。服装が人の気分を大きく左右してしまう。全く服装や外見に注意を払わなくなっている山姥の私は反省した。お互いの近況報告、孫の成長、職場の状況、健康法、野菜の作り方などさまざまな話題で楽しく話した。彼女は何の気兼ねも隠し事もなくありのままに自分をさらけ出せる数少ない友人である。その彼女も今年度末で定年退職だという。まだまだ若いと思っていたが、年月の過ぎるのは早い。私より確か6歳若かったからそうなるのだろう。私の食べたものはオニオンスープ、サーモンサラダ、マンゴーとバニラそれに今日は暑かったのでドリンクバーでコーヒー、カフェオレ、野菜ジュース、ローズヒップティ、カロリーゼロコーク、アイスティなど水分をたくさん摂った。合計1000円未満で3時間も喋り尽くした。何時間いても何にも言われないし ファミレスって本当にコスト安で使える。 オニオンスープ サーモンサラダ ドリンクバー マンゴーとバニラ
2013年05月06日
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午後2時前、穂高岳山荘を出発し、白出沢を下り始めた。一面真っ白で何も見えない。足下の雪すらろくに見えないホワイトアウトの中を下る。けっこうな急斜面でアンザイレンしてはいるものの、慎重に下る。予想以上に雪が深く、またしても難渋した。 雪を踏むとズボッと深く落ち込み、そこから足を抜くのに一苦労。ここでも短い足が諸悪の根源になっているのを感じた。しかし身長や足を長くすることは不可能で自分に与えられている体で解決するしかない。「もう何なの、この雪は!!」と悪態をつきながらひたすら下った。途中転倒したりすべったりして散々だった。沢筋に雪崩れた跡のデブリを何本も見た。今日だって雪崩がない訳ではないから時間との勝負だ。とは思うが気持ちが焦るだけで足は進まない。ええい、こうなったら焦るのは止めよう。自分のベストを尽くして歩けばそれでよい。それで雪崩が来たら運が悪かったと諦めるしかないと覚悟を決める。 ずぶずぶと沈む深い雪に難渋30分ほど下降すると視界がきくようになり、雪渓の両側が見えて地形が掴めてきた。やっと沢の末端部に近づき、白出大滝を巻くために樹林帯に入る。ここの雪がまた腐っているというか軟らかく不安定で危ういトラバースが続く。2度ほど転倒してガイドをあきれさせた。懲りて後ろ向きのダガーポジションで斜面を下った。これが一番安全で私の得意技だ。雪渓をがんがん下って遂に天狗沢出合いに残置していた緑色のテントを見たときは生還できたという気持ちで心から安堵した。テントを撤収し、ザックをまとめ、スノーシューを履いてただちに下山。すでに午後4時を回っていた。新宿行き最終のあずさ号は午後8時松本発なのでそれに間に合うにはタイムリミットぎりぎりだった。 スノーシューにも大分慣れてきた 2,3日の間に雪が融けて様変わりした穗高平山荘もう話をしたり行動食を食べたり飲んだりしている場合ではなく、ひたすら歩き、下った。穗高平小屋まではスノーシューだったので早く歩けなかったが、そこから新穗高までは小走りに走った。今思えばテント泊用のザックを背負い、冬靴を履いてよく走れたと思う。そして幸運なことに道路が混み合ってなかったので車は順調に走行し、発車7分前7時53分松本駅に到着、無事最終のあずさ号に乗車でき、11時58分かろうじてその日の内に帰宅できたのだった。まずはめでたし。
2013年05月05日
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夜が明けたが風は収まる気配がない。強風が吹き付けとても外に出る状況ではない。6時に朝食。ほおば味噌が美味しかった。完全武装して外の様子を見に行ったガイドが30秒で撤退、戻ってきた。外は吹雪き模様で目も開けられないほどの強風とのこと。しばらく様子を見ようということで宿泊者全員が待機。思い思いに読書したり話をしたりして過ごした。私は練馬区から来た若い青年と親しく話をした。最近は山に若い人が増えていてとても嬉しいし、彼らはビールを飲んだくれてグループの勢いで騒ぐ熟年(の一部)と違ってマナーがいいのも好印象である。 ストーブのある談話室 山岳関係の本が豊富な図書室11時過ぎても天候の改善は見られない。連泊を覚悟した。判断のリミットを午後2時として、昼食に味噌煮込みラーメンを食べ尚も状況待ち。12時頃青年達4人が涸沢めざして下山開始した。昼過ぎるとすこし風が穏やかになり雨模様になった。1時半過ぎにガイドが外を偵察に行った。戻ってきた彼は「降りるにはラストチャンス、今なら下山できる」という。風が小止みになってきたのと、雨が降ったので雪が固まり私たちの下山ルート白出沢は雪崩のリスクが少ないとの判断だった。最初の30分は地獄だが、頑張れば帰れるということで急遽準備して下山態勢を整えた。
2013年05月04日
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穂高岳山荘の入り口は吹きだまった雪で埋もれていた。スタッフの男性がスコップを使って階段を作っている。窓の位置まで雪が積もっている。山荘の皆さんに温かく迎えて頂いた。 早速お汁粉とお茶をご馳走になった。お餅が3個も入っていてとっても美味しかった。2階の笠ヶ岳という部屋に入ると、まだ日が高く窓の外遠くに笠ヶ岳が全貌を見せていた。白出沢でも飛騨尾根でも笠ヶ岳が見えたがここでも見える。今日の宿泊者8名で仲良く夕食を食べた。3000mの山小屋で頂いた夕食は豪華だった。感謝して完食。 お汁粉と夕食 鯖の塩焼き カツ サラダ そぼろ大根 味噌汁 漬け物 フルーツ ごはん その他ゆったりした時間を過ごし、夜7時に就寝。しかし天気予報が変わり、低気圧の通過でその夜は一晩中強風が吹き荒れた。風の音がゴーゴーヒューンとうなりをあげ、雪も降っている様子、明日はどうなっているだろうと心配になったが、取り越し苦労で悩んでも仕方がないので深く考えず、よく眠った。
2013年05月03日
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ジャンダルム(3163m)からロバの耳、馬の瀬などのナイフリッジを懸垂下降を繰り返して最低鞍部のコルまで下降する。これははなかなか楽しかった。私はこのような痩せ尾根の通過や懸垂下降で空中を降りるようなアクロバティックな動きは好きだし、体は柔軟で軽い(盲目的自己評価です)のであまり負担を感じない。コルに着くと眼前にこれまた堂々と奥穂高が立ちふさがっている。天気が良かったので山頂の祠まではっきり見えた。目標が視覚に入っているので気持ちよく昇り、岩の急な斜面もフィニッシュが近いので身も心も楽々だった。 奥穂高岳(3190m)奥穂高山頂からはこれ以上望めないほどの絶景で北アルプスの名だたる名峰がそろい踏み、至福のひとときだった。でも風が強くて寒かったのでしばらく景色を楽しんで下山にかかった。途中で血痕を発見!!白い雪の上に点々と赤い血痕が鮮明に続き、事故があったことを確信した。一度懸垂下降をする場所があるはずだったが状態が良かったので歩きだけで奥穂山荘まで下れた。山荘は雪の中に埋まり、赤い屋根だけが四角い形で見えていた。 雪に埋もれた穂高山荘山荘前で写真をたくさん撮った。涸沢が直下に見えたが、テントはかなり少ない気がした。雪崩で入山規制もあったからその影響なのだろう。 涸沢のテント村 整った山容をすっくりと見せる常念岳(2857m) 前穂北尾根末端部と屏風岩 その奥に蝶ヶ岳の稜線 前穗高岳(3090m)と北尾根上部遂に本日の終点穂高岳山荘に到着。午後2時半だった。早朝4時前にスタートして10時間余、ハードなルートだったけどとてもやり甲斐があり面白かった。アイゼンをはずしハーネス・ヘルメットを取った。体が自由に解放されるとともに心は達成感に満たされた。
2013年05月02日
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4月29日いよいよ本番だ。夜中2時過ぎ起床、キムチ雑炊を食べて体を温め、ハーネス、ヘルメット、ピッケル、アイゼン、アタックザックのフル装備でヘッドランプの光を頼りに3時40分頃天狗沢出合いのテントを出発した。新穂高から歩いて1時間,の所にある穂高牧場から天空に突き刺さるかのような鋭い岩稜が見えてくるがそれがジャンダルム飛騨尾根である。今回は残雪を利用して末端からの真っ向勝負である。最初から急坂だが暗闇で傾斜が見えない。飛騨尾根の末端部分を巻くようにして登る。雪は固く締まっていてアイゼンもピッケルもよく効く。稜線までは樹林帯の中を登り、稜線に出た頃には夜が明け始めていた。稜線は風が吹き寒かったが、許容できる範囲だった。そこから延々と雪の急坂の登りが続いた。前日雪が降っているため、積雪量が多く膝上まで潜る所があり、短小の私は踏んでも踏んでも雪の底まで沈むこの雪に難渋した。樹林帯を抜け出してからはまるで本場ヨーロッパアルプスかのような光景が広がり、その素晴らしいロケーションの中次々と現れる尖塔を天空に聳えるジャンめがけて登っていく。雪の稜線をぐんぐん高度を稼ぎ、遂にジャンダルムへの取り付きまで来た。そこから約8ピッチの岩と雪、そのミックス地帯の登攀である。岩は固くホールドは豊富で楽しく昇れた。最初のうちは岩と雪が交互に現れたので岩だけの部分はピッケルを佐々木小次郎のように背中に刺して昇り、雪が出てくるとピッケルを使うという具合でけっこう煩雑だった。3ピッチあたりまで登攀すると突如、巨大な岩の塊が出てきた。それがジャンダルムだった。奥穂側から見るのと飛騨尾根側から見るのとでは全く形が違う。がすごい迫力である。 飛騨尾根からのジャンダルム次々と岩と雪をクリアして登り詰めて行った。1カ所だけロープが完全に宙に浮いていて、ここで落ちたらどうなる?と考えると恐いピッチがあったが、上部は快適な岩昇りが楽しめた。そして遂にジャンの頂上に立ったのだった。 間近に迫るジャンジャンダルム頂上からの眺めは圧巻だった。この時間になると天気が回復し、青空が出て視界も広がり、北アルプスの全ての山々が白銀に輝いていた。遠くに加賀の白山まで見えた。感激した。ガイドと握手して喜びを分け合った。 大キレットの先に槍ヶ岳の尖塔が見えるしかしここで終わりではない。ジャンの頭から懸垂下降を繰り返して狭い稜線を越えて奥穂高岳さらに奥穂山荘までが本日の行程でどちらかというとこちらの方が核心である。ロバの耳へむかう「豚の背」?からロバの耳を通過。懸垂下降を3回繰り返してコルに降り立つ。反対側から見るジャンが見慣れた形であるが、岩は黒くその上に白い雪が乗って超かっこよく見飽きなかった。 見慣れた形のジャンダルム しかしこんな所をよく登ってきたなあ!!
2013年05月01日
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