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レーはラダック地方の商業・文化・交通の中心地であり、ラダック地方を旅する時の拠点になる街である。街の中心はメインバザールと呼ばれるで銀行・郵便局・食堂・商店など街の主要な機能が揃っている。いろいろな店や施設が小さな区割りで建ち並び、インドというよりチベットだった。 早朝、メインバザールとは反対側に位置する小径を散策した。素朴な日干し煉瓦と日本の田舎の石積みを思わせる道が続いていた。近くには小さな清流が気持ちよく流れている。懐かしい気分に充たされた。 土産物売りで賑やかなメインバザールを少し離れると八百屋さんがあった。日本で見られる野菜がたくさん並んでいた。茄子の鮮やかな正になす紺の美しさに思わず店に入っていた。小さなリンゴや洋梨にルビー色のザクロもあった。リンゴとザクロを1個づつ買った。 街のどこからでも、レーのシンボル・圧倒的ボリュームのレー王宮とナムギャルゴンパを仰ぎ見ることができる。古色蒼然として天空に聳えるレー王宮と現実的な街の営みが対照的だった。 気持ちよく写真を撮らせてくれた子供たち ホテルの中庭で現地スタッフと
2013年08月31日
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レーに到着して、まだ元気だった頃、早朝、あちこちを散策しました。そのときの写真です。 珍しい楽器や仏像、帰りに買おうと思いつつ機会がなかった 色取り取りのスカーフ 古色蒼然たるマスクや仏像類、埃だらけだ。 街角にはロバや犬がたむろしている 衣類を売るお店
2013年08月30日
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8月27日は予備日に充てられていて確定した活動は無かった。皆さんはお寺巡りやラフティングなどのアクティビティにそれぞれ出かけて行った。私はもう立っているのもやっと、食事に行くのもやっとの状態だったし、相変わらず食べる物がなかったので、ホテルにステイして一日中ベッドの中で静養した。突き抜けるような水色の空にすっくりと天を突くように延びるポプラの木、日干し煉瓦の積まれた塀を見ながらベッドの中で音楽を聴いた。下の娘からのプレゼントされたアイポッドは心がめげそうな時、いつも傍らにあって心を癒してくれる。しかし、このまま何にも飲めないのでは帰り支度をするエネルギーもない。ここはホテルだ、何か飲めそうなものをオーダーしようと考え、スイカジュースを頼んでみたらできるという。15分後に運ばれてきた真っ赤なスイカジュースの甘くておいしかったこと!!蘇った。 どこかなつかしいホテルのふとん
2013年08月29日
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BCに帰還したものの、疲労は極限に達していて立っているのがやっとだった。トイレテントが50mほど先に設営してあるのだが、そこに行くのがおっくうだった。昼はさすがにはばかられたが、夜になるともうなりふりかまってられず夜陰に乗じて自分のテントの近くで用を足してしまった。疲れていても食欲はなく、すべて現地食なので食べる物も飲むものもなかった。インドの気候風土にマッチした食事は常に油で処理され、ニンニクや香草、スパイスたっぷりで到底私の病んだ消化器は受けつけなかった。おかゆさえ食べれないのが打撃だった。しかし特に空腹も飢えも感じず、淡々としていた。翌日8月26日、約5時間の下山開始。地獄の沙汰も金次第という訳でもないが、馬を手配して、馬に揺られてストック村まで帰った。馬に乗ってバランスを取りながら数時間移動するのも決して楽ではない。私の場合、足が短いので馬のあぶみにしっかりと足を入れて固定することができない。でも歩くよりは体力の消耗が少ないことは確かだ。この日もとても暑くて5時間のトレッキングは元気な皆さんでもしんどそうだった。ストック村でポーターや馬に積んだ荷物を整理し、車に乗り換えた。ポーター達とはここでお別れだ。私をおんぶしてくれた青年にボーナスを弾み、最後に記念撮影した。 おんぶしてくれた青年ポーター スタッフ全員でそこからはレーまで車で移動した。登山は終わった。
2013年08月28日
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8月25日いよいよ山頂にアタックする日になった。その日の夜中11時起床、身支度を調え食事を済ませて、12時出発。月明かりの中、ヘッドランプに照らされて夜道を歩き始めた。BCが4900mだから山頂6153mまで標高差1253mを登り、下ってこなくてはならない。以前は途中にABC(前進キャンプ)を設営できたが最近は氷河を保護するということでそれが許可されなくなり、12時間から14時間かけてダイレクトに山頂を目指す形になっている。朝食がほとんど食べられず、水もおかゆも喉を通らなかった。しかし特に渇きや空腹は感じない。一応CCD2袋を溶かした1500CCのプラティパスと栄養剤を溶かした500CCのお湯を背負った。道はすぐに砂礫帯のトラバースになり、稜線に出ると長い長い谷底の道になった。大小の石がうずたかく積もり、歩きにくいことこのうえなかった。少しづつ夜が明け、足元がしっかりしてきた。この数日エネルギーになる物をほとんど摂ってないので、歩けることは歩けるのだがスピードは出ずパワーもない。先頭と大きく離れながらマイペースで歩くしかなかった。モレーン帯が果てしなく続き、忍耐の末にやっと稜線に出た。周辺の山々が低くなって広がっていた。 無限に続く石屑の道 元気なガイドと息も絶え絶えの私稜線からは前穗北尾根のような岩稜だった。いつもなら身軽にひょいひょいと行く所なのに、何しろ6000mの高度である。あえぎあえぎゆっくりしか登れない。喉の奥がゼロゼロと呻いている。高度6050m地点まで到着したとき、「もうここでよい、充分頑張ってきたではないか」という天の声を聞いた。同時にガイドが「下山に時間がかかるのでここまでにしておきましょう」と言った。何の未練も無かった。 無名峰 下山は登りよりもある意味、手強かった。感動的な出来事があった。体調が悪かったので登頂日だけ個人ポーターを手配していたのだが、そのポーターの青年が途中のモレーンで私をおんぶして運んでくれたのだ。軽いといってもウエア類を入れると40キロはある。ロープを八の字型にしてその輪の中に足を入れ、彼の背中に負ぶさった。合計3回要所要所で彼は私をおんぶしてくれた。近年こんなに心打たれたことはない。 私をおんぶしてくれたポーターの青年 馬に揺られてやっとのことでABCまでたどり着いた。ここからは馬を手配して馬に揺られて下山した。BCに到着したのは午後5時頃だった。深夜12時に出発したから何と17時間も飲まず食わずで登山していたことになる。断食登山だ。新しい未知の経験をした。
2013年08月27日
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ストックカンリBCに到着して、目の前に迫るストックカンリを常時見ていると、いよいよアタックだなという実感が湧いてくる。8月24日最後の高度馴化でグレップカンリ方面へトレッキングした。BC左側の褐色の石屑の道を登って、5300m付近まで登る。万一のことを想定してショートロープでアンザイレンして歩く練習などもあった。この旅行会社は何につけても丁寧だ。初心者向きに何でもしてくれる。 アンザイレンして歩くトレーニング 上から見るストックカンリBC相変わらず食欲はなくて、食べられる物、飲める物が無かった。レーの街の八百屋で買ったザクロがザックの中にあるのを想い出して四つ切りにし、友人と食べた。パサパサしていてルビー色の美しい見た目のイメージを裏切った。 ザクロ
2013年08月26日
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1日静養した翌日はストックカンリベースキャンプにトレッキングした。行程は3時間余だったので気軽に歩けた。相変わらず食欲は無い。最初は喉が痛いので食べ物が口に入らない状態だったが、次第に胃腸が受けつけなくなった。咳がひどく、夜、テントの中で咳き込んで苦しく辛かった。咳止めも飲んではいたが、あまり効果を感じられなかった。 茶褐色の乾燥した道を行く 荷物を運ぶ馬 ストックカンリベースキャンプ かなり顔がむくんでいる私 一層間近に迫るストックカンリ(6153m)
2013年08月25日
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その夜から体調が本格的に悪化した。頭痛、めまい、ふらつきが顕著で地面をしっかり足で踏んでいるという実感が伴わない。空中浮遊しているようなふわふわした状態である。喉は切れるように痛く、咳もひどくなる。抗生剤に胃薬、パブロンゴールドを2袋一緒に飲んだ。声が出なくなってしまったので皆さんと会話することすらかなわない。更に食欲が全くなくなっている。水が飲めない、勿論固形物は喉を通らない、おかゆも食べれないという「いつでもどこでも何でも食べれる」はずだった私は完全に異常事態に陥っていた。どうしてここまでひどくなったのだろう?始めは呼吸器周りだけだったのに・・・・。自分の体がどうなっているのか理解不能になっていた。今日の予定は高度馴化でマトゥラ方面へ4700m辺りまで高度を上げてトレッキング予定だったが、私は辞退して、1日テントの中でおとなしくしていた。自分がこんな状態になっていることが信じられない気持だったが、これは現実だった。 スタッフと参加者が勢ぞろいして記念撮影 右奥がストックカンリ 出発前にストレッチをする皆さん 最初は川の渡渉から ブルーシープが遠慮なく近寄って群れている
2013年08月24日
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8月21日、今日から登山開始になる。まずはインダス河対岸のストック村(3650m)まで車で移動。そこで荷物を馬に背負わせ、隊列を組んで谷間のキャンプ地モンカルモ(4480m)まで登っていく。 日に焼け、屈強そうな現地スタッフ 延々と褐色の大地が延びるストック村のはずれに立派なゴンパがあった。みんなポタラ宮様式だ。 谷間の道を暑い日差しに晒されながら黙々と歩いた。昨夜、喉が痛くなったのでパブロンを服用したが、全く効果はなく、喉が切れるように痛んでいた。咳も出始めていた。不愉快な気分を抱えつつもとにかくキャンプまで7時間歩かねばならなかった。 乾燥した道は果てしなく続き、私は言葉を発することができなくなっていた。声が出ないし、不愉快だし、一人耐えて登った。 私たちの荷物を運ぶ馬のキャラバン隊 ラダックの名峰 ストックカンリ(6153m) やっとモンカルモのキャンプ場に到着した。流れを従え、谷間に広がる安定したキャンプ場だった。既にいくつかのグループのテントが設営されて、賑わっていた。私はやれやれやっと着いたという状態だった。体調は予想以上に悪く、暗鬱たる気分だった。前方にストックカンリが姿を見せていた。山肌に筋状に雪が残っている程度で雪は少なかった。
2013年08月23日
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8月20日、高度馴化のため、カルドン・ラという標高5359mの峠に出向く。といってもドライブである。4台の自動車に分乗し、乾燥したオフロードを砂煙をあげて走っていく。 最初は順調に走っていたが、途中から大渋滞になった。こんな5000m近い高所の山岳道路でトラフィックジャムが起きるなんて信じられないことだったが、途中で道を補修する工事があり、そこでニッチサッチもいかない状態になっていた。ここでものすごい時間をくった。その間乾燥した寒い空気と埃が喉に当たりっぱなしだった。思えばこれが諸悪の根源、不幸の始まりだった。 トラフィックジャムやっと着いたカルドン・ラは喧噪に満ちていた。岩の急坂を登り詰め、山頂に立った。 おびただしいカタが掛けられている 山頂にて山頂から360度の展望を楽しみ、休憩所でしばし寛いだ。この日が元気な私の最後日になるとは夢にも思わなかった。
2013年08月22日
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さらにレー王宮の上に聳えるナムギャル・ツェモゴンパに登った。登ったというにふさわしい高所にそのゴンパは屹立していた。激しい日中の陽ざしを浴びながらみんな黙って急坂を黙々と登った。やっと到着したゴンパはおびただしいタルチョーが風にはためき、まさにインドというよりチベットだった。 ナムギャル・ツェモゴンパ 峰から峰をつないでタルチョーがはためく 山頂にてどうやってこの莫大数のタルチョーをこんな山頂に取り付けるのだろうか。信仰心のなせる技とは思うが、数十メートルの風の吹く空間に張り渡し、しっかり固定するとなるとそれなりの技術も必要だろう。誰がどうやって張っているのだろうか。
2013年08月21日
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次いでレー王宮を見にいった。ナムギャル・ツエモの山麓に聳える古色蒼然とした巨大な城郭である。17世紀に建築され、同時期に建築されたラサのポタラ宮の原型とも言われている。100ルピーを払って内部も見学した。 レー王宮 王宮の「入り口には不思議な動物がいる内部は暗かったが、目が慣れるとさまざまな資料が保存されており、ちょっとした博物館だった。迷路のように道が縦横無尽に走っているので、迷子になった人もいた。 すごい迫力!!の男女交合神 屋上からはレーの街が良く見えた。褐色で乾燥しきった山並みがぐるりと街を取り囲み、この一帯だけにポプラの緑が聳えて正にオアシスだった。
2013年08月20日
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8月18日成田をANAで出発し、深夜インドのデリーに到着。仮眠して翌朝再び国内線に乗りつぎラダック地方の中心地レーに到着しました。ほとんど寝てない状態でしたが、午後はレーのお寺巡りに出かけました。日本人の中村師が建設されたというシャンティ・スツーパを訪ね、中村さんの有り難いお話を伺うことができました。 白亜の美しいシャンティ・スツーパ 中村 師の有り難いお話を聞きました
2013年08月19日
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今日8月18日から月末29日まで12日間、インドのストックカンリ(6153m)登山に出かけます。ロシアで5642mのエルブルース山を登頂した成果を生かすべく、2週間あけて6153mの山に行くので、エルブルースはストックカンリの高度馴化トレーニングの役目をしたことになります。夕方18時50分発ANA便で成田を出発です。ストックカンリはインドでも北インドにあり、ラダック・ザンスカールという秘境の地になる。中国がチベット自治区でチベットを漢民族化していく中で、ここはチベットよりチベットらしいと言われる地域である。ラサのポタラ宮の原型になるゴンパがあるなどチベット仏教の宗教遺跡が大好きな私にとっては登山だけではない楽しみ満載で嬉しい。自然と人それぞれにまた新たな出会いと経験ができそうでワクワクしています。勿論主婦業は完璧ですよ。では皆さん、行ってきますね。いつも遊ぶばかりで申し訳ありません。でももう年が年なので行くなら「今でしょ!!」 ストックカンリ
2013年08月18日
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海外に出かける時、ほとんどの場合、学習が足りない。先日もロシア語がどうにも難しくて「有難う」もろくに口から出なかったし、生活習慣や食べ物などもリサーチしてなかった。よし、今度こそはとインド関係の本を図書館から借りてきた。言語は第1公用語はヒンディー語だが補助公用語が英語ということなので用件は大丈夫。現地スタッフと仲良くなるためにあとは「ナマステ」と「ダンネバード」でいくことにした。地球の歩き方 インド島田 卓 2時間でわかる図解インドのしくみアダニエル・らく インド特急便~変貌する大国の夢と現実NHKスペシャル取材班 インドの衝撃阿部慈園・石川 響 インド四季暦人間の知恵双書 インドの神々蔵前仁一 インドは今日も雨だった山本高樹 ラダック算酢カールトラベルガイド~インドの中の小さなチベット 実際に読んでみるとカースト制やインダス河の沐浴、ヨガなどのイメージとは異なるインドの姿が如実に説明されていて、現代のインドに対して意識を新たにした。MITならぬIITの卓越したインド頭脳には驚いたし、日本は負けそうという気がした。
2013年08月17日
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8月16日都内に住む娘夫婦が子ども連れでわが家を訪れた。ほぼ1年半ぶりだ。夫がデイケアに行かない金曜日に来て翔 くんを見せたいという配慮だ。下の娘も帰宅し、家族全員が揃った。いわゆるお盆の里帰りになった。まず子供たちが幼少の頃から写真をお願いしているO写真館で記念写真を撮った。ご多分にもれず葵ちゃんは大はしゃぎ、翔 くんはお利口というパターンだった。帰宅してからは昼食を食べながら寛いだ。子供たち三人はみんな30歳を超える年齢になっているが、久しぶりに会って小学生時代のようにいろいろなことを話していた。とても和やかでいい1日になった。夫も葵ちゃんと翔 くんを抱っこして嬉しそうだった。帰りの挨拶をする娘たちに泊まっていけ」と言っていたのがおかしかった。 姉と弟 どうして同じ姿で眠るのだろう? 食卓私はこの日の為にまず家中の掃除をし、古い物、汚いものをすべて処分し、2回もワックスがけをして床をピカピカに磨いた。この猛暑の中、乳飲み子を二人も連れて帰宅する娘たちに気持ちよく過ごしてほしいからだ。更に昼食メニューを考え、買い物に行って食材を調達し、昨日は準備、今朝は早くから料理をした。子供たちにご馳走するという目標があれば私だって料理も頑張れる。今回のヒットは ブロッコリー・エビとアボガドのサラダだ。みんな喜んで食べてくれ、すべて大皿が完食。残滓なしで超嬉しい。
2013年08月16日
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ロシアから帰国してまず有り難かったのは家があったこと、家族が特段の変わりなく生きていたこと、それに花が生きていたこと、家庭菜園が存続していたことだ。ロシアでは寒かったが日本は連日の猛暑、息子に水遣りを依頼してきたものの、さてどうなっているだろうと多少気にしながらも、あまり期待をするわけにもいかなかった。しかし帰宅してみると花は全て生きて咲いていたし、家庭菜園は益々成長してジャングル状態が増していた。ゴーヤーとヘチマの生長が著しく、他の野菜を圧倒している。なす、ミニトマト、ゴーヤー、パセリ、ルッコラ、シソを摂った。1回分の夕食になった。ゴーヤーの苦みが市販のものより各段にすごかった。
2013年08月15日
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8月4日ミンボディ空港は夏休みのせいだろうか、来たときより賑わっていた。時間があったので2階のロビーでのんびりフライトを待った。白い壁面に抽象画がディスプレイされていて少し楽しめた。 モスクワまで乗り継ぎ、ここでも時間がたっぷりあったのでお土産を買おうとした。民族楽器のバラライカや鶏の打楽器、オルゴールを選んだ。ユーロ立てでかなり高額になってしまいカードで支払おうとしたら、何度入力してもカードナンバーが違っていて買えず!!がっくりきた。仕方なく残っていた10ユーロでチョコを買い、これも残っていた200ルーブルでカフェに入ってコカコーラとドーナツを食べた。日本円は全く使えず、ユーロ、ルーブル、ドルの世界だ。 モスクワ空港内のカフェ モスクワ空港夜8時00丁度の成田行きアエロフロートに搭乗して遂に帰国の途についた。機内食を食べたり、映画をみたり、音楽を聴いたり、眠ったりして時間を費やし10時間弱、なつかしの我が日本に無事到着した。日本は超暑くて熱風の中にいるようだった。
2013年08月14日
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ロシア料理で最も気にいったのはポリッジだ。簡単に言うとオーツ麦のおかゆである。オーツ麦はビタミンB類(特にB1)・ミネラル・食物繊維・パントテン酸・カリウム・マグネシウム・鉄分・亜鉛・銅や、ファイトケミカルのサポニン・アルカロイド・ステロール・フラボノイドなどの栄養が豊富にバランスよく含まれていて万能食と言われている。それにGI値も低いからダイエットにも適している。しかしおいしく料理するのは一手間かかる。私はオーツ麦をグラノーラやミューズリーで食べることはあっても料理したことがなかった。そのオーツ麦が温かいおかゆになってほぼ毎食登場した。とても柔らかく美味しくていつも完食していた。このポリッジのせいか、通常旅先では便秘がちになるのに今回は全くそんなことがなかった。あまつさえ、ポリッジを食べて出発したアタックの日には途中で催して来て隠れようのない雪の大平原で大をしなければならないほどだった。 朝食に出されたポリッジロシア料理の代表であるボルシチも美味しかった。ボルシチは、テーブルビートとタマネギ、ニンジン、キャベツ、牛肉などの材料を炒めてから、スープでじっくり煮込んで作るスープ料理で赤い色が特徴である。サワークリームを混ぜて食べることが多い。ボルシチを特徴づける鮮やかな深紅色は、テーブルビートの色素によるものである。 真っ赤なスープに白いサワークリームが美味しそうあのポリッジの味を憶えたからにはこれからは自分で作って食べよう。
2013年08月13日
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今回ロシアを訪ねて感じたことがいくつかある。全てを見たわけではないから、勿論偏見だが正直な感想である。まず、酒飲みである。モスクワ行きの機内で私の前が大きなロシア人だった。そこに四方八方から友人らしき人が集まって宴会のように酒を飲み、大声でしゃべり合うのである。乗務員に紙幣を渡して酒を買って飲んでいる。今まで飛行機の中で仲間が集まって酒を飲んで盛りあがるというのは見たことがなかったので驚いた。何しろウオッカの国である。風邪ひいて体調が悪いという人に早く帰ってウオッカ飲んで寝なさいという小話もあるそうだから、機内の宴会など特段珍しいものでもないのかもしれない。モスクワ空港に到着し、乗りつぎを待つ間、ロシアの皆さんの顔がみんな同じに見えた。目立つのはまずプーチン大統領型の顔がものすごく多い。次はゴードルバチョフ型だ。 プーチン型の親子そしてものすごい巨体の人が男にも女にもめだった。身長が高い上に体重がハンパじゃないから超メタボでお腹がせり出している。まるで力士である。どうしてここまで肥るまでほったらかしにしておいたの?と思う。この国は日本の厚生労働省のように保健指導をしっかりとしていないのだろう。寒い国なので脂肪をため込むことに抵抗がないのかもしれない。ロシア人のメタボに比べれば日本人のメタボなんて可愛いものだと思えた。次に子供がものすごく可愛かった。もうお人形のようだった。若い女性も目を惹いた。肌が白磁のように真っ白で鼻が高く目が大きくまさに彫刻のようだった。ヨーロッパ・アメリカ型の美人とは少し容貌が違う。あまりの美しさに見とれた。しかしこれも束の間の美形でそのうち、ほとんどが中高年のメタボ体型になるんだろうな。ああ、無情!。 可愛い赤ちゃん
2013年08月12日
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エルブルース登山のBCになるガラパシ小屋は標高3750m、到着した7月29日は小屋の周辺は積雪がかなりあった。当然寒い。そこに小さい猫が住んでいたのである。登山者が歩く近くに来て雪道を登ったり下ったりしている。私のカメラの紐がおもしろかったらしく、紐に前足をかけてじゃれついてきた。猫といえば暖かいのが好きで「♪~猫はこたつでまるくなる~♪」の歌のイメージなのだが、こんな寒い上、酸素の薄い所に健気に生きる猫がいじらしく写真を撮った。日本で見る猫とあまり変わらなかった。ちょっと心が癒された。 雪の上にお座りして
2013年08月11日
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8月4日遂に帰国の日になった。早朝テレスコルのロッジから車でミンボディまで3時間ほどかけて移動する。初めは山岳地方で沿道にはスイカ売りやほうき売りの露天が立ち並ぶ。ここでも牛が道路で遊んでいて、車は巧みに牛をよけて進行する。次第に街に近づき、太陽が照りつけてロシアも夏なんだと感る。途中にとうもろこし畑と向日葵畑が延々と続く地域があった。 果てしなく広がるとうもろこし畑 何十万本の黄色いひまわりがすべて太陽の方向を向いてすっくりと立っていた。黄色の絨毯が果てしなく続き圧巻だった。感動した。これを刈り取り、種を搾取してサンフラワーオイルにするのだろうな。この天文学的量のひまわりをどうやって刈り取るのだろう。日本でも小川山の手前に広がる明野のひまわり畑をいつも見るが、規模と花の大きさ、花の色が違う。改めてロシアの広大な大地に思い知らされた。そうこうしている内にミンボディ空港に到着したのだった。
2013年08月10日
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レストランの帰りに近くのスーパーマーケットに立ち寄った。小さな村のミニスーパーである。日本のコンビニより狭い店内は主に食品が並んでいた。ジュースなどの飲み物、ビール、ワインなどのアルコール、菓子類が目立つ。ビンビール2本と缶ビール1個で150ルーブル、コーヒーのビーンズ1袋、パウダー2袋で150ルーブル、棒付きあめ玉1個10ルーブルを5個買った。ルーブルは日本円にすると約3倍だからほどよい値段だろうか。 店内のようす 手前に大量のアルコール類またミンボディに帰るとき、ガソリンスタンドに2回寄った。特に珍しいものはなかったが全般に規模が小さく感じた。 自動車は全く知らないメーカーがほとんどだった。南米やアフリカで中古の日本車をたくさん見かけたのとは大違いで希にスバルを見た程度だった。
2013年08月09日
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8月3日ロッジ最後の日になったので早朝から日の出を見に出かけた。天気は今日から大きく崩れるということで不安定な様相を呈していたが、まだ大丈夫だった。 朝日が当たるエルブルース コーカサス山脈の東から日が昇る朝食後、全ての荷物をまとめてリフトに乗った。先日の混雑が嘘のように閑散としていた。順調にロープウエイを乗り継ぎ、更に自動車に乗ってテレスコールのホテルに到着。宿の女将さんが私だけを抱いて登頂を喜んでくれた。きっとこんなに小さい老人なので登頂は無理だと思われていたんだろうな。自分の部屋に入るとすぐにシャワーを浴びた。温かい!!気持がいい!!。5日分の垢を流し髪を洗った。清々しい気分になった。その後すぐ、美味しい肉を食べたいという男性陣の要望と祝杯を挙げるため、森の中をウォーキングしてレストランに行った。 林の中にこじんまりしたレストランがあり、後方は花が咲き乱れる丘、手前には釣り堀があって竿をたれている現地人が何人もいた。皆さんは白ビールで、私はトマトジュースで乾杯した。運ばれてきた肉料理は香辛料がほどよく効いておいしかった。スタッフの民族衣装が素敵だったので、写真を撮らせてもらった。 男性は短刀を身につけている。この二人は一刻も休まずくるくるとよく働いていた。ほっとするひとときが流れていった。
2013年08月08日
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エルブルース山頂で30分位感激に満ちた時間を過ごした後、下山開始。コルでザックを回収し、急斜面の下りトラバースにかかった。斜面を滑落すると何十メートルも転げ落ちるのでここでピッケルを使用する。今回の山行でピッケルを使ったのはここだけだ。ピッケルとストックを1本づつ使って斜面を下る。登ってくる登山者もかなりいてすれ違う時は距離を測って待ち合わせた。慎重に下ってサドルに到着。ここからが長かった。延々とトラバースが続き、朝は暗闇であまり見えなかったから気付かなかったがこんなに長かったのかと思った。トラバースの後は一直線に下降した。コーカサス山脈の広大な峰峰が単調な下りを慰めてくれた。 コーカサス山脈と下る雪原 遥か下にパスツーコフ岩下山時もスノーキャットを使う予定だったが、何時にどこに来てくれるのかずっと説明されないまま下り続け、かなりうんざりした。一体どこまで下るんだ!!登頂の感激がどんどん薄められた。相当下った所でパスツーコフ岩の下まで来てくれるという連絡があり、やっと雪上車に乗った。私たちだけのチャーターで屋根付きで助かった。 雪上車に乗って遂にかまぼこロッジに到着した。まだ12時半頃だった。想定外の順調さだった。ダイニングに座って飲み物を飲み、寛いだ。ランチはハンバーグと鶏肉の入ったスープだった。消耗した筋肉には蛋白質の補給が大切だ。キュウリとトマトのサラダも出た。有り難たく盛大に食べた。 白飯の上にハンバーグ
2013年08月07日
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8月2日いよいよアタックの日が来た。午前2時起床、3時朝食、完全武装して4時雪上車(スノーキャット)で5000m付近まで上昇。雪上車は急勾配を登っていくので体がずれてしまって苦しい。一生懸命てすりにつかまって姿勢を維持した。まだ暗くて周辺の様子がよくわからない。風が少しある。でも思ったほど寒くなく気象状況はよいほうだろう。 雪上車4時45分頃、スノーキャットから降り、ヘッドランプを頼りにほぼ直線の雪道を登る。馴化してきたとはいえ、3700m台から5000mの高度に1時間足らずで上昇していることと、今回の登山で始めて5000mなのでゆっくり慎重に登る。1時間ほど登ると辺りが明るくなり視界がきき始める。途中からトラバースになったが、この辺りはとても寒かった。手も足もかじかんだ。ミトンの中で手を動かしながら登った。長いトラバースのあと、西峰と東峰の間にあるサドル(5416m)に到着。ここでしばし休憩。皆さんは水分と食べ物を補給。私は情けないことに催してしまい、大平原の隠れようのない場所でトイレ!! サドルで一休み、右は東峰右手に東峰(5621m)がどっしりと聳え、頂上付近に人の姿が見えた。サドルからは道幅が30センチ位になり急斜面の斜めトラバースになった。フィックスロープが張られている。でも雪の状態が良いのでフィックスは使わずストックだけで注意深く登る。登り詰めた所が頂上手前のコルだった。少し先に西峰のピークが見える。あそこだ!!ここでザックをデポし、20分ほど登り詰めるとエルブルース西峰(5642m)の頂上に出た。やったあ!!、ついに頂上だ。私たち先行3人がまず喜びを分かち合った。今、一体何時だろうと時計を見ると8時45分を示している。えっ、この時計おかしくない?と思い、Yさんに確認するとやはり8時45分。間違いない。すごい、通常5時間かかるという所を4時間で登頂している。「私たちってけっこう立派だよね」と自画自賛した。 西峰山頂のモニュメント 山頂にて後続の皆さんも到着し、全員が頂上に立つことができた。こんなに嬉しいことはない。みんなでおめでとうと言い合い、喜びを分かち合った。写真も撮った。山頂からは毎日仰ぎ見ていたコーカサス山脈の峰峰が見下ろせた。さすが、ヨーロッパダ大陸の最高峰エルブルースだ、全ての山が下に見える。天気がよくて360度の展望が開け、至福のひとときを味わった。 グルジアの名峰ウシュバ山 トトロの耳のように見える
2013年08月06日
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エルブルースは天候が大変不安定なことで知られている。朝晴天でも午後になると必ずガスったり風が出てきてエルブルースは姿を隠してしまう。7月31日ガイドが新しい気象情報を持ってきた。それによると明日は強風30m、雪崩のリスクもあり、雪も降るという。明後日は雪が落ち着き、風は弱いということで明日のアタックを明後日に延期することになった。さあ、明日も休めると思う私は浅はかだった。8月1日アタック前に最期の調整と確認をすることになった。朝10時頃、本番と同じ装備で11番小屋に向かって出発した。この地域は標高の割にはとても寒い。特に体の末端部の手が冷える。アタックは早朝から歩き始めるため、ダウンのミトンを着けることになる。ダウンミトンは温かいが手や指のサイズに合わず、ストックやピッケルが持ちにくい。革手袋にダウンミトンを着けてストックを握って登る練習をした。 エルブルースが青空にくっきり見える。さあ、登るわよ 日本から同行のSガイドと現地ガイドオクサーナこれまで何日もこの高度に宿泊して馴化してきたので、みんな余裕だった。それぞれのペースで11番小屋の少し上まで登って、呼吸法とミトンの工合を確認し調整した。これですることは全てしてきた。みんな満足してカマボコ小屋に帰った。反対側にはコーカサス山脈が見事なパノラマを見せて広がっていた。
2013年08月05日
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7月31日は休息日になった。予定通り2回の高度馴化をこなしてきたので、本日充分休んで明日アタックという段取りだった。朝食は8時でみんなのんびりして寛いだ。ここの小屋はすべてかまぼこ型をしていて2種類ある。一つは内部が一人一人区切られたベッドルームだけで、食事は別棟に行ってするタイプ、もう一つは小屋の中央がキッチンダイニングで両サイドが寝室になっているもの。この場合は雑魚寝スタイルになる。私たちは二番目のタイプの小屋に入った。寝室と言っても狭く、装備などを置くスペースはほとんど無いので最初はがっかりした。(何しろ女は私一人だったので)でも室内をじっくり観察して工夫し、ザックはフックに掛け、ウエア類は空中の紐に広げ、靴は床下にしまい、残った生活用品はバッグに入れて足下に置いた。各自が工夫してテリトリーを造り、どうにか落ち着いた。 かまぼこ型のロッジ シュラフ1枚分の巾の寝室ロッジでの食事は料理専門の賄い婦(?)の女性がいて3食作ってくれた。彼女もロシア語しか話さないのでほとんどコミュニケーションがとれず、一体どれくらいの年齢なのか見当もつかなかった。とても狭いキッチンでてきぱきと調理していた。 調理専門の女性 定番の朝食内側は断熱材が張られているので酷く寒いということはなかった。慣れてくるとこのパブリックスペースに集まってお茶を飲みながらいろいろな話をして親睦を深めた。飲み物類はグリーンティ、ブラックティ、インスタントコーヒー、ミロがあり、チョコとゼリーとビスケットはいつもあったので私はカーボローディングを意識して毎日食べていた。もう体重のことなど忘れていた。朝食はヨーグルト、オムレツ、チーズ、ハムに新鮮な野菜(キュウリにトマト)がいつも提供された。ここで食べるキュウリもトマトもとても美味しかったので、私はバリバリ食べた。ロシアの伝統的なオートミールのおかゆも時々登場した。日本にいてもオーツ麦が好物の私はこれも美味しくてあまり食べない男性陣を尻目にいつも完食した。 フルーツ入りで甘いオートミール 鶏肉の解凍今日1日はまったりして何もしなくてもよいと思っていたら、午後になってちょっと上まで登ると言われて気怠かった。
2013年08月04日
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7月30日昨日に続いて高度馴化の2回目、高度を上げてパスツーコフ岩(4700m)まで登って行く。昨日のリフト待ちに懲りて今日は朝10時にロッジを出発した。時間差なのか単に登山者が少なかっただけなのか、ロープウエイもリフトも閑散としていてスムーズにガラパシ小屋に到着した。今日からこのカマボコ型のロッジで宿泊する。とりあえず運んできた各自の荷物をロッジの中に置いて、ハーネス、クランポン、ピッケル手袋と本番と同じ装備に身を固める。「今日は何時になってもパスツーコフ岩まで往復して馴化する」とガイドのオクサーナが私たちに覚悟を迫る。それから登り始めた。Sガイドが先頭に登ってペースを作ってくれる。彼とはチョー・オユー登頂の時も一緒だったので気心がしれているし、何より歩かせ方がとても上手なので有り難い。彼の安定した足下をたどりながら一歩一歩上を目指す。ガスっていて周辺はあまり見えなかったが、昨日来た11番小屋を越えて更に高度を上げていった。右手に岩が次々と出てくるようになったが、パスツーコフ岩はまだまだ先だった。 右手に岩が出てくる はるか遠くに立ちはだかる岩だらけの峰がそれだった。あんな所まで登ってやっと4700mなんだと見るだけの高度と実際に歩いて稼ぐ高度の差を感じた。ただ息苦しさやだるさ、頭痛は全くなく、快調と言わないまでも順調に登れた。岩の直下で右トラバースしてみんなと合流した。 パスツーコフ岩付近時間的に相当遅く既に夕方の5時半を過ぎていたが、空は明るく日は暮れない。ロッジまで雪道を下山して、本日の馴化は終了した。みんな疲れていたが、あとは食べて寝るだけなので気楽だった。
2013年08月03日
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11番小屋への高度馴化を済ませてテレスコルのロッジまで下山して束の間の休養。この街は登山基地としてホテルが何軒かあり、カフェもある。小さく雑然としていてこれという見所もなく、休日にバザールが開かれる時だけが賑わっているようだ。しかし周辺の景色はとてもいい。近くのチェゲット山に行くロープウエイが見える。馴化にチェゲット山に行くグループもあるようだ。 陽光に輝く峰 チェゲット山に行くロープウエイ ふわふわの毛の帽子をかぶってみた テレスコルの広場 明るい雰囲気のホテルバザールを回るととても気になる物がある。食べ物でスィーツのように見えるのだが、得体が知れない。何を原料にしているのよくわからない。ナッツ類を混ぜて何かで錬り固めて筒状にしている。訪ねてもロシア語の返事で全く理解できない。ビンの中にいろいろな物を入れて蜂蜜漬けにしているようなものもある。チャイだというハーブティもあるが、お腹の薬だというものもある。どれがどれだがイマイチはっきりしない。 ずらりと蜂蜜漬けのような物が並んでいるがためらってしまう。手前にあるのはハーブティらしい。特に気がかりだったのがこの画面上部の円筒形の菓子(?)。蜂蜜で固めてあるのだろうか、買って食べてみたかったが万一のことがあるとまだ本来の目的を果たしてないのでこれもためらわれた。結局あちこちの店をウインドウショッピングならぬ見るだけショッピングしてこの日は終わりになった。
2013年08月02日
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割り込まれながらもやっとの思いでバレル小屋に到着。前方に純白の双耳峰が見えた。ヨーロッパ大陸の最高峰エルブルース(5642m)の勇姿だ。初めて肉眼で間近に見るエルブルースは小さく思いの外低く見えた。 かまぼこ型のロッジの向こうに純白のエルブルースリフトで相当手間取って遅くなったものの、予定通り11番小屋(4200m)まで高度馴化に出かけた。緩やかな登りが続き、11番小屋の手前が少し傾斜が強い坂道だった。雪が積もっていたが凍っては無かったのでクランポンは着けずに歩いた。 雪の大平原を11番小屋めざして 11番小屋2時間ほど登って11番小屋に到着。予想より遠かった。富士山に登り、ミウラでもトレーニングしてきたので今日のところは全く楽だった。反対側に広がるコーカサス山脈がものすごく雄大で魅力的だった。ヨーロッパアルプスに比べても遜色ない景観だった。どの峰も氷河を従えていた。 コーカサス山脈の一部11番小屋からバレル小屋まで戻り、再度リフト、ロープウエイを乗りついてアザウ谷に下山。ロープウエイから俯瞰するアザウの村がおだやかでとても美しかった。 3時半頃になっていたが、ここでランチ。民族食が珍しく美味しかった。 緑色の鮮やかなロッジ 壺に入った珍しい食べ物 送迎車に乗ってテレスコルのホテルに戻り、第1回目の高度馴化が終了した。
2013年08月01日
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