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7月31日水曜日。毎日バタバタ過ごしているうちにもう7月も最後の日になった。今日はいつもほど強烈な日差しが降り注がなかったので娘と二人で藤崎のヒマワリ回廊に行ってヒマワリ摘みをしてきた。昨日夕方の激しい雨のせいか、ひまわりは全員下を向いてしまっていて残念だった。でもこのヒマワリ回廊は本日までと記載されていたので、最後の日に来れてよかった。5本100円で10本のヒマワリを摘んだ。かさばるし帰宅する間にしおれると思って今日は車で来ていたのですぐ帰宅して、ひまわりを生けた。室内がたちまち明るくなった。猫が花びらを食べたそうにしていた。
2024年07月31日
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一夜明けて7月26日土曜日。今日も晴天に恵まれた。今日は宝剣岳のすぐ近くにある天狗岩学芸大ルートを登攀した。天狗岩を正面にみてその裾にあたるガラガラの斜面を急下降し、途中から登り返した地点が取り付きだった。全4ピッチで第一ピッチから第3ピッチまではフェースで迫力ある岩を昇っていく。背中には中央アルプスから木曽御岳方面の景色が一望に俯瞰でき、最高のロケーションだった。 天狗岩正面壁 学芸大ルート取り付き 御岳山第一ピッチから第3ピッチまでは通常の岩壁を昇っていく。易しくはなかったが越えられない程の難しい所はなく、岩は乾いて固く安心して持つことができた。 問題は顕著なクラックが走る急斜面の第4ピッチだった。正面に2本のクラックが走っていて、少し蛇行して走る左が比較的手ごろ、直上する右は相当難しいと告げられた。どちらを昇るかという選択になり、愚かで身の程知らずの私は一直線に延びる右側のクラックが美しかったのでそちらを選択した。所がこれが予想以上に難しくて難渋した。ジャミングで昇らねばならないのにその体制がつくれず、レイバックで昇ったりして疲れた。最後はとても悪いラインで鳴海さんに引っ張ってもらったりもした。 第4ピッチのクラックとそれを昇る鳴海ガイド散々苦労してやっと終了点までトップアウトした。そこから一旦岩稜を下降して平地に降り、更に登り返して天狗岩頂上に出た。ものすごい眺めだった。私たちを見ているギャラリーも相当数いた。 天狗岩山頂にて 登攀終了後の寛ぎ
2024年07月30日
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宝剣岳中央稜は全4ピッチのアルパインルートである。第一ピッチはルートがわかりにくい上悪かった。鳴海ガイドが悪いよと言いながら昇っていったが、私が昇ってみるとホント、悪くててこずった。プロのガイドが悪いというラインを身長136㎝の老女が昇る訳だから難しかった。ホールドに手が届かないからあれこれ方法を模索しながらやっとずり上がって進んだ。 草付きと茂みが連続する中に壁が延びている。2ピッチ目も似たような感じでいかにも日本のアルパインルートそのもので泥臭かった。実際泥の上を歩いたりせざるを得なかった。しかし3ピッチ目になると草付きや茂みは少なくなり、岩が露出してくるようになった。最後にハイマツの茂みを乗り越えると美しいクラックが出現した。オケラクラックだ。 3ピッチ目 やっと岩らしくなった 天に延びるオケラクラックオケラクラックは快調に昇れ、無事終了点に到着。おおいに安堵した。岩場の高い所から緑豊かな千畳敷カールが扇状に広がる中を蟻の行列のように無数の登山者が行き来しているのが俯瞰でき、とても開放感に溢れていて最後は気持ちよかった。 終了点にて 宝剣岳山頂にて鳴海ガイドと 終了点から宝剣岳山頂に登り、慎重に下って一般道に合流し、今夜の宿・宝剣山荘に下山した。時刻は丁度4時頃でなかなか良い帰着時間だった。超久しぶりのアルパインクライミングが何とか無事終わって嬉しかった。
2024年07月29日
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7月26日金曜日。朝6時に諏訪のホテルに鳴海ガイドが迎えに来てくれ、車に同乗してまずは登山起点の菅の台バスセンターに向かう。バスセンターに到着したら既に長蛇の列でまあ、ここが激混みなのは承知の助ではあったがやはりと思うしかなかった。7時半始発のバスに揺られてロープウエイ駅まで山道を上がり、ロープウエイ駅からゴンドラに揺られて標高2600mの千畳敷まで標高800mを7分で上昇した。千畳敷の眺めは圧巻だった。カールには高山植物が咲き乱れ、稜線には宝剣岳がギザギザの岩峰を天に突き立てていた。日本のエギーユジュミディだ。沢山の登山者が溢れて歓声をあげている。初めてこれを見たらそりゃ、感激するだろう。ガイドと二人で千畳敷の中の小径を登った。標高は高いもののやはり炎天下を登るのでかなり暑かった。登山者が多くて道に数珠繋ぎになり、早く歩くこともできなかったが自分自身も速くは登れないので程よかった。途中から傾斜が急になり、よく整備された道を一登りすると稜線に到着。今夜の宿・宝剣山荘に不要な荷物を預け、登攀スタイルになっていざ、中央稜に出発。 駒ケ根神社にお参りして 宝剣岳 ブルーの屋根の宝剣山荘中央稜は宝剣岳の中央を走るルートで積雪期はカールから直接取り付きに登っていけるのだが、花の豊富な今の時期は植生保護のため、カールの中を通行できない。そのためいったん宝剣岳山頂まで登ってそこから懸垂下降して取り付きまで下るという二重の手間を要した。登山者で混みあう宝剣岳山頂から慎重に懸垂pointを探して懸垂下降した。草や木が茂っていてロープがからんだりしてなかなか骨折りの懸垂下降だった。3回の懸垂でやっととりつき地点に到着。ヤレヤレ、ここまでで何だか疲れてしまったわい。
2024年07月28日
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7月24日水曜日の朝は悲惨だった。昨日12時間登山の過労が顔に出て、顔全体がむくんでいる。小さい目が更に細くつぶれ、zシミがさらに増えている。体全体がはりはりしてはれぼったい。これはイカン、二日後の26日から中央アルプスに行くことになっているのだ。これはずっと前から決まっていた山行なのに妙高で頑張り過ぎて疲れた自分が愚かなのだ。最近の自分のお気に入り・アリナミンの疲労回復ゼリーをすすり、中央アルプスの地図を出し、登山用品を整理して衣類を洗濯し、登攀用の装備に切り替える。今度はアルパインクライミングで超ひさしぶりなので少し緊張感もある。 最近の必需品アリナミンゼリー翌7月25日は整形外科で脊椎菅狭窄症の薬をもらい、更にくらげ整形でリハビリを終えた後、自宅を後にして前泊地の諏訪に向かった。諏訪に下車するのは初めてだった。直前の予約だったので部屋が空いていた所に予約したのだがどうもラブホテルを改造したような宿だった。でも室内は綺麗だしアメニティ類もきちんとあったので不足はなかった。恋人二人用の大きなベッドに独りで眠って翌日に備えた。
2024年07月27日
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やっとのことで燕温泉バス停に到着したのが夕方6時10分。最終バスは6時01分でこの時間は把握していたのだが何せ強硬スケジュールの上、自分の脚も遅いのでほんの少しの差で間に合わなかった。残念だがそれよりも朝6時から歩き始めて夕方の6時まで休憩時間込みでも12時間も登山を続けて無事に下山できたことのほうが私にとっては価値があった。燕温泉はひなびた温泉で閑散としていた。バス停に座って頭を冷やし、タクシーを手配した。30分後にきてくれるとのことで有難い。残った行動食を食べていたら黄色のシャツに赤いパンツのおじさんが前を通っていく。その黄色と赤に見覚えがある。称名滝の下、登山道の対岸で赤いパンツと黄色の衣類が山の斜面に干してあり、裸になって野天風呂に入っていた男性がいた。その男性ではないか。声をかけると近づいてきて、色々話ができた。この男性は今朝、燕温泉から妙高山に登り、同ルートを下山中、温泉を見つけ、のんびりしてきたという。彼も一日中、人と会わなかったのだろう、やっと私にあって堰をきったようにいっぱい喋ってくれた。あっさりして面白いおじさんだった。そうこうしているうちにタクシーが来て、関川駅までお願いした。運転手さんがまた良い方でここでも楽しい話が聞けた。関川駅なんて全く未知の駅なので困惑している私に「直江津行に乗って上越妙高駅で降り、新幹線に乗れば東京方面に帰れる、直江津行きは2番線です」と懇切丁寧な対応をしてもらった。おかげで無事、帰宅できたのだった。最後の最後にちょっと心がぬくもる出会いがあった。新幹線の中で爆睡し、帰宅したのは7月23日夜の11時頃だった。体は疲労困憊だったが心は充実感に満たされていた。この山旅で出会った花の一部を紹介します。
2024年07月26日
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妙高山に登ってしまえば後は楽勝とのんきなことを考えていた私は大バカ者だった。あれだけの悪路の末にある妙高山頂からの下山が一筋縄でいくわけがない。妙高山北峰から最高峰の妙高大神まで登った。ガスって眺望は良くなかったし、完全な無人で日も既に傾き、荒涼とした雰囲気だった。さすがに多少心細くなってきた。一息ついてすぐ下山に取りかかった。山頂からとても分かりにくい岩の中の踏み跡を慎重に探しながら登山道らしきものをたどって何とか山頂付近の岩場を脱出した。本来ならロープウエイのある赤倉温泉に下山する予定が現在改修中で動かないため燕温泉ルートを取ったのだがすごく遠かった。途中、有名な長い長い鎖場を通過し天狗堂まで下る。天狗堂で一休みしてルートを確認した。 鎖場と天狗堂道は天狗堂で赤倉温泉側と燕温泉側に大きく分かれている。燕登山道方面に入って辛抱強く下り続けるがどこまで下っても通常の山道にはならずスイスイと下ることにはならなかった。北地獄谷辺りでは硫黄の匂いがプンプンしたし、沢の渡渉が何か所かあって迷いそうだった。これまでの経験でピンクリボンを探して慎重に行動した。下っていくうちに山腹に上部と下部2本の滝が見えた。称名の滝だ。豪快とは言えないものの水しぶきを上げて下る様は清涼感がある。 称名の滝滝を見ながら舗装状の小径をグングン下った。温泉組合が作った道だそうであちこちに温泉が噴き出る上にブルーシートが掛けてあり、更に温泉の匂いが強かった。その内、温泉宿のような建物が見えてやっと燕温泉に到着した。ヤレヤレ、生還した。参考タイム黒沢池分岐9:17 9:25⇒黒沢池ヒュッテ10:24 10:35⇒長介池分岐11:44 12:20⇒妙高山北峰14:00 14:10⇒天狗堂15:37 15:50⇒称名の滝付近17:10 17:19⇒燕温泉バス停18:10
2024年07月25日
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7月23日火曜日後半。火打山・妙高山縦走。火打山をルンルン気分で下山して分岐まで下り、黒沢池ヒュッテ方面にルートを取る。平な道かと思っていたが茶臼山を越えるのでまず登らねばならなかった。茶臼山辺りにくると妙高方面は一面真っ白なガスに覆われてしまった。黒沢池ヒュッテまでなんとかたどり着いて水分を買おうとしたら何と山小屋が締っていて無人ではないか。これは困った。昨日の帽子忘れに続き、今日も朝からトラブル。まだ朝10頃でこれからの長い行程を考えると水なしでは自殺行為で今度こそ遭難する。困り果てて無責任な山小屋管理人をののしったがどうしようもない。地図を開いて入念に見ると長助池分岐に水マークを発見。ここで沢の水を補給することに一縷の望みをかけて出発。所がこの長助池分岐までが遠く悪路だった。所要時間は60分だったがとてもそんな時間では着かず、暑い中難路に苦労してやっと分岐に着いた。あった、あった、沢の水がチョロチョロと湧き出していた。池の水ではないからそのまま飲める。思う存分清水を飲んで乾きを癒した。ここでランチもして一休みした。けっこう疲れていることを感じた。 青いドームが印象的な黒沢池ヒュッテ 長介池分岐の水場 聳える妙高の岩壁問題はこの先の妙高山だった。何とも例えようにない急坂・悪路だった。一直線の直登で岩だらけの道を辛抱強く登るほかなかった。ここまで手強い道とは想像外だった。北アルプス三大急登よりはるかに悪い道だった。悪銭苦闘し、忍耐に忍耐を重ねてやっと妙高山北峰に到着。おおいにほっとした。しかし最高峰は更に東側の妙高大神だった。
2024年07月24日
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7月23日火曜日。5時半に朝食を済ませ、6時出発。天気は快晴に近い。今日は火打山に登り、更に妙高山まで縦走して燕温泉に下山という強硬スケジュールである。昨日火打山に登れなかったツケが回っている。小屋前から高山植物が咲き乱れる小径を下ってまず天狗の庭へ。ワタスゲの白い花が池のあちこちに群れ咲いていて目を奪われる。水面に火打山がそのまま姿を投影してまさに逆さ火打だ。天気がよく風のない日だけに観られる絶景ときいた。池の周りをぐるりと回って一登りすると稜線にでる。ここも様々な花が咲いている。心潤う登山道だ。 天狗の庭から見る逆さ火打 ワタスゲの群生鳥平まで一登りすると一挙に展望が広がる。そこからは傾斜が増す道を登っていくと山頂直下の斜面にピンクの花が群生しているのが目立った。白山コザクラだ。この辺りは白山コザクラの群生で有名な地域だ。今年はもう終わったと聞いてがっかりしていたのですごく嬉しかった。 ハクサンコザクラ更に傾斜を詰めると火打山山頂だ。最高の展望に恵まれた。北アルプはじめ360度の山々がぐるりと広がっていた。反対側には頚城三山火打山・妙高山・焼山の焼山が荒々しい山容と噴煙がうっすらと見えた。山頂には誰もいなくてとても静か、火打山を独り占めした。日本海側には焼山がうっすらと噴煙をあげ、荒々しい山容を見せていた。いつか焼山にも登ろうと思った。 火打山山頂と焼山遠望参考タイム 高谷池ヒュッテ6:00⇒天狗の庭⇒雷鳥平⇒火打山山頂7:44
2024年07月23日
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7月22日月曜日。夏休みになり今週前半は暇なのでどこか山に行って気分転換してきたいと考えていたが、行き慣れた山域ばかりで新鮮味がない。せっかく夏休みになったのだからどこか新しい所がないかと考え、兼ねてより行ってみたいけど遠すぎて足が出なかった新潟県の火打山、妙高山に行ってみようと思いだった。新幹線で長野まで行き、しなの鉄道北しなの線に乗り換えると妙高高原駅まで着く。そこからはバスで50分で笹ヶ峰登山口に着く。急遽準備して朝3時半起床4時20分自宅出発でスタートした。東京駅まで着いてふと気づくと帽子がない!!。この炎天下に帽子無しで歩くのは自殺行為だ。どこに忘れてきたのかと考えると総武線の中しかない。ああ、もう失敗だ。がっくりし、自己嫌悪した。気を取り直してこの春、福井まで延伸したかがやき501敦賀行きに乗る。しばし快適なくつろぎでほっとした。 かがやき501敦賀行き 旅立つ元気をくれる颯爽とした色とフォルム長野でしなの鉄道に乗り換えて妙高高原駅まで。この時まで朝の8時35分。駅前の店はどこも開いてなくて身の置き所がない。9時なって観光案内所が開き、中に入ると何とモンベル妙高高原店があった。幸運の女神が微笑んでくれた。早速新しい帽子を購入。失敗の穴埋めができた。頚南バスに揺られて笹ヶ峰登山口に到着。乗客は3人だった。ほとんどの人は車で行くのだろう。この日は猛暑でとてもしんどい登山になった。足が重くて中々おもうように登れないが、ゆっくりゆっくり登っていった。 距離の目安を示す表示 12曲がり終点 三角形が際立つ高谷池ヒュッテ12曲がりをあえいで登り、富士見平までがしんどかったが、その先は順調に進めて14時40分無事、今夜の宿に到着した。予定では夕食が6時だとすると3時に出発して火打山に登って帰れるというつもりで宿のスタッフに告げると「夕食に間に合わないから登らないでください」と言われた。夕食は何と5時15分だという。それじゃ間に合わない。止む無く諦めて高谷池の周りを散策した。 高谷池と火打山高谷池は高層湿原で池塘が広がってのんびした雰囲気だ。車ユリが沢山咲いていた。テント泊の皆さんが思い思いに寛いでいた。夕食はカレーとハヤシライスだった。何でも小麦粉を使わないカレールーでコメはこしいぶきとか。美味しく頂いたが副食がないのがやや物足りなかった。でもそんな贅沢は言ってられない。ここは池の水はあるが飲料水がないので水分は全て購入する。水ペットボトル2本と麦茶1本で1500円を支払う。 夕食 真ん中にご飯を盛り、両側にカレーとハヤシを掛けるスタイル。部屋は二段式蚕だなだが、一間が広めなので快適に過ごせた。8時消灯。参考タイム 4:47最寄り駅⇒東京駅6:17新幹線⇒妙高高原8:35 9:40⇒笹ヶ峰登山口10:35 10:45 ⇒黒沢11:43 11:46⇒富士見平13:44 14:00⇒高谷池ヒュッテ14:40
2024年07月22日
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7月21日日曜日。夏休み二日目。今日も結構予定通りのスケジュールで頑張れた。いろいろ発見があった一日だった。朝七時からウォーキング開始。団地の中でセミの抜け殻を発見し、藤崎古道を通って正福寺と子安神社にお参りした。 セミの抜け殻 正福寺の七福神と六地蔵そのまま子安神社の前の道を歩いていたら一面のヒマワリが咲いている畑を発見した。近くまで歩いていってみると何と「藤崎ヒマワリ回廊」でこの地域の織戸さんが栽培されている畑だった。あまりの見事さに驚嘆した。全てのヒマワリが同じ方向を、つまり太陽の輝いているほうを向いている。真っ黄色の澄んだ美しさで見渡すかぎり、ひまわりで埋め尽くされている。壮観だった。これで見物料なし、無料なのだ。100円で5本摘み取りができる。欲しかったがこれから自宅まで歩いて帰ることを考えると無理なので、別の機会にしようと諦めた。 朝から目が覚めるような素敵なひまわり畑を見て生き返った気分になった。
2024年07月21日
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7月20日土曜日。夏休み第一日目。夏休みを有効に過ごせるよう、一日のタイムスケジュールを立てた。要点は暑くなる前に体を動かしてしまうことだ。それには少なくとも朝は5時に起きる必要だある。5:00 起床 朝食・家事 メールチェック6:00~筋トレ、ヨガ7:00~9:00 ウォーキング 休憩時間も含めて無理せず10000歩9:00 シャワーを浴びて一休み その日の予定をこなす ↓18:00 入浴 ヨガ19:00 夕食造り 夕食 ブログアップ20:45 テレビニュース22:30 就寝という予定で本日早速実施してみた。初日でやらねばと思っているので何とかこなせた。9時からのウォーキングも太陽が昇ってきてるので決して楽ではないが、まだましな方だ。毎日続けられるよう生活の中に時間を意識していこう。頑張れ!!エンジェルフェイス。 百日紅があちこちに
2024年07月20日
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7月19日金曜日。今日、遂に一学期の仕事が終わった。梅雨明けはしたが今日は不安定な天気で曇ったり晴れたりした。朝から大掃除をして教室を綺麗にし、終業式はteamsによるオンライン。全校生徒が一同に会することもなく、手軽に終わった。コロナも流行ってきてるからこれもよいかもしれない。 生徒が帰ってから教室で一人昼食をとった。この仕事を始めた60歳頃は元気が有り余っていた。70歳になってもまだ元気で午後2時に仕事が終わったらすぐボルダリングジムでトレーニングしていた。しかし最近はとてもそんな元気はない。終業後、ボルダリングジムに行くなってとんでもない。すぐ帰宅してしまう。仕事にも以前ほど前向きになれないし、意欲も湧いてこない。こんなことでいいのか?いや、いいはずはないと思いながら日々が過ぎてゆく。せめて明日からの夏休みはダラダラしすぎないで有効に暮らしていこう。
2024年07月19日
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7月18日木曜日。田中星司さんがオーストラリア・インスブルッグで行われたワールドカップに帯同していた関係でずっとレッスンがなく、およそ1か月ぶり位でロックランズの講習会が再開した。私は毎日疲れて体が重かったので、さて、こんな力仕事できるかしらと不安だったが、いざ昇ってみると何とか昇れてほっとした。アップに垂壁を2本昇り、その後は5.10a黄色、5.10b青、5.10b白、ピンクのlongルート、5.10d緑、5.10a黄色を昇った。ボードの張り替えがあるのでこれらのルートはピンク以外7月21日までしか昇れないというので頑張って昇った。初めてトライした5.10dも予想以上に昇れ、最後の詰めで力尽きたものの自分としては感触がよかった。本日の参加者はユウコさん、ビーチくん、小海ちゃん、アラタくんと私の5人だった。終わりころにソラト君も来て昇っていた。とにかくこのジムは上手な人ばかりで見ているだけでもとても勉強になる。充実した半日だった。 そうそうたるクライマー達
2024年07月18日
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7月17日水曜日。散歩で近くの公団の中を歩いていたらセミを見つけた。今年初めてみるセミだ。うつ伏せになっているのでそっと起こすと上向きになった。死んでいる訳でもなさそうだがすぐパッと飛び立っても行かなかった。たった今殻から抜け出てきたのかもと思ってその付近にセミの抜け殻が残ってないか見たが、抜け殻は見当たらなかった。 とにかく今年初めてのセミでいよいよこれからセミの賑やかな音が響くと思うと嬉しい気分になってしまった。その後は暑い中、藤崎農園方面をヨロヨロ散歩してリアトリスと千日紅の花を見つけた。花も盛夏の花になってきた。梅雨明けが近い。 リアトリスと千日紅
2024年07月17日
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7月16日火曜日。4日ぶりに出勤して通常通りの仕事をして帰宅。歯医者の予約だったので雨の中、出かけた。前回一度キャンセルしたのでおよそ8か月ぶりくらいだったせいか、まずレントゲンで12か所を撮影、続いて口腔の中を写真撮影された。口腔撮影は歯科衛生士の女性がNikonの立派なカメラで撮影していた。片手でカメラを持ち、片手で歯科の器具を持って口を開けている。「カメラが重くないの?」と尋ねると重くてたまらず最初のころは筋肉痛になっていたとのこと。やっとレントゲンとカメラが終わり、次は歯の点検で歯茎をチクチクとやられた。最後に歯周病診断書なるもので説明された。それによるとおおむね許容範囲だが、何本か歯周病が進んでいる歯があると言われた。 歯周病診断書その対策として歯磨きのブラシを1か月に1回交換すること、当院おすすめの歯ブラシを使うことを提案された。そんなことで歯周病が改善するならお安いことだ。すぐに同意し、お薦めの歯ブラシを2本購入したのだった。
2024年07月16日
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コンサートが終わったのは午後4時ごろだった。Hさんと二人でどこかで遅めのランチしようと店を探したのだが、こんな大都会なのに付近には全く店がない。田舎者でこんな大都会の真ん中には土地勘もない。二人で思案して築地場外市場に行けば美味しいものがあるかもと探したが、この時間には全て閉店しているではないか!!。花のお江戸に来ているのにカフェがないという信じがたい現実に老女二人は困って途方にくれた。止む無く門前仲町まで電車移動してその駅前で探したがゆっくり座って話せるような店がない。やっと見つけたのがモスバーガーだ。普段入ったことのない店だが座れるのは間違いないのでモスに入った。バーガーとちょっとした飲み物しかないので適当にオーダーして2階席に陣取った。 それからHさんと2年間の積もる話を話し続けた。何と彼女も脊椎菅狭窄症で苦しんでいることが判明した。私は膝から下と足裏がビリビリジンジンするが、彼女は腰やお尻が痛いという。第5腰椎と第4腰椎が狭窄しているという同じ症状なのに痛い箇所が異なる。手術するかしないか主治医と相談しているが、主治医は勧めないと言う。これまた私と同じだ。一昨年、彼女は104才のお父様を看取った。その介護の間はあまり外出もできず介護に専念していた。亡くなられた後は遺産すべてを相続して大きな家に独りで住んでいる。裕福な境遇のように思えるが彼女はとても堅実な生活ぶりでいつも同じ服装で現れる。それも私と同じ。ただ私は貧乏で同じ服を着てるだけでそこが違う。登山、音楽などの話を存分にした。食べるものがないのでお腹が空き、喋り続けるので喉も乾いたが構わずしゃべり続けた。結論は体の不調に付き合いながらできるだけ元気に過ごしていこう、機会があればまた会おうということだ。閉店の9時まで話しまくった。彼女ほど気心が知れた人はほかにいないのでお互い思う存分喋って清々した。また会いたい。
2024年07月15日
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7月14日日曜日。親友のHさんから突然コンサートのお誘いがあって、お江戸は浜離宮朝日ホールまで出かけて「タカヒロ・ホシノ ピアノリサイタル」を聴いてきた。このコンサートの特筆すべきは使用されるピアノが1912年に製造されたビンテージピアノであることだ。100歳を過ぎたピアノなのである。この日使われた1912年製のスタインウエイCD75はスタインウエイ本社コンサート&アーティスト部所属のホロビッツ専用楽器であらゆる様子を持ち合わせた類まれな名器であり、ホロビッツが最も愛したピアノとして有名である。二台ピアノの共演には1912年製CD368が登場した。半世紀以上に渡って音楽を聴き続けているがこんなピアノの音色を生で聴いたのは初めてである。当たり前ではあるがホロビッツのCDで聴くのと同じ音色が出ている。かくも繊細でニュアンスに富み、力強く豊かな響きがする演奏は演奏家の力量と表現力によるものと思っていたが実はそのピアノの力による所が大だったと感じた。 ビンテージピアノ スタインウエイCD75とCD368曲目はショパンとリスト、ラフマニノフだった。とにかくその音色に魅了された。言葉では表現できない音色で心の奥深くに染み入った。中でも最後にアンコールで演奏されたショパンの「ノクターン」遺作は音がシンプルな分、音色の美しさが際立った名演だった。 演奏会終了後、サイン会でもホシノさんと共演の東さん心満たされたコンサートだった。
2024年07月14日
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7月13日土曜日。今日は午前中、娘とのんびり散歩を2時間ほどして太陽を浴びた。一休みしてまた図書館に出かけた。「山と渓谷」8月号とランドネを見たら、友人たちが大活躍していた。まず柏澄子さんの連載「凪の人」、今回も圧倒された。山野井妙子さんがグランドジョラスウォーカー稜などヨーロッパの並みいる困難な山稜を次々を走破していく。全く疲れをしることなく色々な人とザイルを結んで登攀し登り込んでいく様子には本当に驚いた。こんなに昇っていたんだ!!更に当時のヨーロッパのクライマーたちの自由な雰囲気にも共感を覚えた。妙子さんの青春真っ盛りという感じだった。 柏澄子さん 凪の人次に谷山宏典さんのインタビュー、杉村航さん撮影の降旗義道さんの「来しかた行く末」だ。この3人ともFBで友達になっている方たちだが、降旗さんのことはあまり知らなかった。日本登山界に大きな力を発揮して牽引してこられた方だと知った。私と同い年なのもちょっと衝撃だった。杉村さんの写真がお人柄を映し出すようでとても好感がもてた。最後は安藤真由子さんの書評「登山と身体の科学」である。真由子さん初めての書評でしかもその本が恩師の山本正嘉先生である。以前、山本先生の登山理論と方法のお話を聞く機会があり、その登山のついての方法は今でも私の中に根付いて実践の中核となっている。真由子さんの先生に対する尊敬と師弟愛を感じさせられた。 「山と渓谷」8月号は読み物もとても充実していて読み応えがあった。長い時間、図書館で過ごしたのだった。
2024年07月13日
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7月12日金曜日。仕事が終わってすぐ自宅に帰ると暇があり過ぎてよい結果にならない。今日は図書館に寄って沢山本を読んだ。と言っても頭が弱ってるので主に見る本ではある。その中で「ヨーロッパの大聖堂」という分厚い本がとても印象に残った。そこにはヨーロッパの主な大聖堂が美しい写真で収められていた。思いもよらずこれまでに見た大聖堂がいくつかあって、懐かしさで感激し、改めて眺めた。その時は音楽のコンサートで訪ねているので建築物という認識はなかったが、音楽を離れてみてみると建築物としてものすごく価値があるということがわかった。そんな価値もあまり考えず観ていたとはもったいなさ過ぎたなあ。 ライプツィヒ バッハが長く楽長を務めたケーテンの教会 ウイーンの大聖堂 モーツアルトのお葬式が行われた 荘厳で美の極致 バラ窓 スペイン サグラダファミリア協会 大胆なデザインこんなにすごい大聖堂を観てこれた私は幸せ者だ。
2024年07月12日
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7月11日木曜日。先日の奥多摩シダクラ沢の沢登りの写真をガイドの橋尾歌子さんから頂いたので、記録も兼ねてアップしました。 沢装備に身を固め、シダクラ橋を渡ってすぐ入渓。笑ってられたのはここまで。 しばらくして現れた見事な滝を昇るガイドの歌子さん すぐずぶ濡れに 続いて私も 途中泳ぎもあり寒くてたまらなくなり、雨具を着ました。私は低身長なので他の二人が腰の位置でも胸まで水が入り、寒かった!! シャワークライミング 楽しいっちゃ楽しい。 滝昇りを数限りなく繰り返してスタミナ切れしてヘロヘロ。それでもまだまだ滝が出現する。 歌子さんにコーヒーをご馳走になりファイト!! 源頭部めざして少し細くなってきた滝滝昇りはまだ良かったけど、下りはなかなかしんどく長くて、私は無言になっていました。
2024年07月11日
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7月10日水曜日。今日は仕事が休みで一日自由時間がある。昨日まで無気力で何もできなかった。その原因を自分なりに考えてみたら、暑いというのを理由にエアコンの下で何もせずテレビばかり見てたという生活態度が悪いと反省した。これまで毎日ウォーキングしていたのに暑いというので歩かずアイスばかり食べていた。運動不足と不規則な食生活で代謝も低下してしまったと思う。歩くことがセロトニンを分泌し、やる気を出させていたのにそれも無しになって体も心も一気にエネルギーが低下してしまったのだろう。反省に基づいて今日は頑張った。この無気力から脱出しなければ夏の登山は完全に無理だろう。相変わらずの暑さの中、午前中はウォーキングを10500歩。暑くて汗だくだったけどこの汗をかくと言うことが重要なのだ。エアコンの下では汗をかけない。藤崎の正福寺の観音様を拝み、子安神社にも祈った。神頼みが必要になっている。 百日紅の花 西洋朝顔 藤崎古道 正福寺観音 午後は久しぶりに船橋ロッキーでボルダリンをしてみた。本来なら葛西のロックランズなのだがあいにくそちらはボードの張り替えで全面休館なのである。超久しぶりのボルダリングは予想通りあまり昇れなかったけど、まあ、そこに行ってできない自分を確認しただけで一歩前進と考えよう。 久しぶりのロッキー船橋
2024年07月10日
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7月9日火曜日。今日も暑かったが陽射しは昨日ほどではない代わりに強風が吹きつけた。暑い空気の強風なので不愉快この上なかった。まだ梅雨も明けないうちからこの天気だ。こんな暑さが少なくともあと三か月は続くだろう。うんざりだ。このところ、無気力感に襲われて何もする気になれないでいる。朝が一番気力があり、家事や弁当作り、筋トレやヨガなどをして出勤できる。しかし退勤して帰宅すると何をする気にもなれず、アイスを食べ、エアコンの下でぼんやりダラダラテレビを見る生活になってしまう。これではいけないと思いつつも改善できないで何日も何日もが過ぎていく。今日は思い直して中央図書館に出かけた。早く帰宅しても無意味にダラダラ過ごすだけだから涼しい場所で少し本でも読もうと考えたのだ。私と同じ考えの人が沢山いるのだろう、平日なのに図書館の椅子はけっこう埋まっていた。「山と渓谷」や「ランドネ」など山岳関係の雑誌を読み、のんびりしたが心は空虚だった。図書館前の市民花壇に夏の花が植えられていていつも歩くウォーキングで見る花とはまたちょっと違った花が咲いていた。中央公園は一面の緑で柳が風になびいていた。明日はもう少しましな生活をしたいができるだろうか。
2024年07月09日
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7月8日月曜日。今日も朝から猛暑日だった。勤務中はエアコンがガンガン効くので上着を着ているが、一歩建物の外にでるとアスファルトの地熱がムアーと体を下から襲い、上からは灼熱の太陽に襲われる。サングラスに帽子をかぶり、日傘をさして歩いた。帰宅してエアコンを25度にして室内を冷やしたが、何もする気になれずソファでぼんやりしていた。最近全く何もする気になれない。無気力だ。これは暑さだけのせいだろうか?著しく老化が進んだような気がしている。気分転換にかき氷を食べにファミレスに出かけた。昼食時間帯は終わり、夕食には早い中途半端な時間だったのですごく空いていた。この店の氷の人気メニュー純氷ふわふわかき氷シロクマをオーダー。その大きさに驚くが氷がさらっとしているので思いのほか食べられた。 最近のかき氷はクリームやフルーツやチョコなどトッピングが多くて味がこってりしている。そうでなく昔ながらのさっぱりしたシンプルなかき氷が食べたいのだが少なくなってしまった。
2024年07月08日
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7月7日日曜日。あまりの暑さに何とか散歩する程度は努力するがそれ以外のことは全くやる気が起きない。家の中でダラダラ過ごしてしまうのがあまりにも情けない。せっかくの休日を有効に活かせないかと考えた末、映画「90歳何がめでたい」を観に幕張新都心まで出かけた。予想通りのおもしろさと歯切れの良さを感じた映画だった。数々の作品を世に出し、直木賞はじめ受賞歴も華やかな作家佐藤愛子さんの90歳時代のエッセーが原作の映画である。エッセーをどうやって映画にしたのだろうと思っていたら、愛子さんにエッセーを書くようにしむける中年の編集者が登場してきてすごくいい味を出している。唐沢寿明演じるその家庭を顧みないで仕事ばかりして妻から離婚請求された昭和な編集者と更に年上の愛子さんのからみが何と言っても面白い。歯に衣着せぬ愛子さんの物言いが痛快だった。その反面でつばつけて新聞をめくるなど年相応の姿も映し出している。私は愛子さんの「戦いすんで日が暮れて」を大学生時代に読んだのだが、それから50年後の今もこんなにかくしゃくとして執筆活躍されているのが驚異的だ。このエッセーは90歳台頃だが、その後更に年を重ねて現在は100歳を迎えているとのこと。素晴らしいとしか言いようがない。 次々と美味しいお菓子の手土産を持参して愛子の機嫌をとる編集者佐藤愛子さんを演じるのは90歳の草笛光子さんでこの人自身も美しく明るく活動的に生きている代表的な女性である。偉大な大先輩お二人の生き方を見て多いに自分を反省した。77歳でめげている私は何なんだ!!。負けるな、前向きに生きていけ。という気持ちが湧いた。その一方でこの方たちと私は違う。比較するのではなく自分なりに生きていけばそれで良いのではないかとも思ったのだった。
2024年07月07日
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7月6日土曜日。梅雨明け前だというのに盛夏の暑さに襲われている。私のような高齢者で血管系の持病があるものは一日中エアコンの下で寝そべっている生活は良くない。血圧、血糖値などを標準値に維持するためには毎日必ず歩くことが必須なのだ。でも不要不急の外出を控えるようにとアナウンスされているこの暑さの中で歩くとなると気温の上がる前しかない。ということで決断して朝8時半から帽子、サングラス、手袋、日傘に身を固めて家を出た。いつもの藤崎方面の道を日陰を探しながらゆるゆる歩く。これまで見なかった新しい花の姿を見つけて写真を撮る。しばらくすると汗がにじみ始めるが何とか気を紛らわせながらやっとコンビニまで。ここでアイスコーヒーを呑んで一休み。現代のオアシスだ。 鹿子ユリ ヤナギラン ムクゲ再び歩いて森林公園へ回る。さすがに通る人はほとんどなく閑散として夏の陽射しだけが照り付けている。緑一色の森林公園は池に泳ぐ鳥の姿もなく、ひっそりしていた。 人気なく静かな森林公園汗だくになって帰宅し、エアコンの下で休んだ。
2024年07月06日
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7月5日金曜日。シダクラ沢で沢登りした時、携帯の防水対策を怠った。というより意識がなかった。沢に入ってすぐに大きな滝が登場してきたのでそれを昇るため、滝のしぶきを存分に浴びながら足場やホールドを探して昇ったのだがその時、携帯は私の胸の中にあった。滝を脱して6m滝辺りで写真を撮ろうとして携帯を出した所、全く反応がない!!。思わず焦った。何度やっても反応がない。つまり壊れてしまったのだ。ものすごく悲しかったがどうしようもない。その後は携帯無しで行動せねばならなかった。写真も取れない、家族に下山通知もできない、電車の時間も調べられないし家族に帰宅時間も連絡できななどなど携帯がないことで様々な機能がマヒしてしまった。今日、落ち着いた所で携帯を日に干して乾燥させてあらためて電源を入れたみたが結果は変わらず。ああ、なんてことだ。沢登りそのもので散々苦労した挙句、携帯まで壊すとは何てバカな私。さらに追い打ちがあった。沢登り中、樹林帯の中を登り下りしたのだがその時、ブヨが顔の周りをうるさく飛び回っていた。手で追い払いながら行動したのだが、今日になって顔とくにあごのフェイスラインに沿って次々とブヨに刺された跡が突出してきてぶにゅぶにゅの汁状の出来物ができてるではないか。その数20個ほど。薬を塗ってはみたものの、顔が熱をもってきて腫れてぶよぶよになり、鬱陶しくて不愉快でいてもたってもいられない。そうでなくても今日は耐え難い蒸し暑さの日の上にこの顔のブヨ被害で一日苦しんだ。
2024年07月05日
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7月4日木曜日。イラストレーターで登山ガイドの歌子さんと奥多摩のシダクラ沢に沢登りに行った。結果からいうと散々だった。沢登りは多分7年ぶりくらいで感覚をすっかり忘れてしまっている上、連日の神経痛で士気があがらないまま、更に前夜ろくに眠れなかったという状況で参加した。同行はHさん、64歳女性でいろいろサポートしてもらって有難かった。青梅駅から奥多摩昔道を走行して登山口へ。沢支度を整え、一度に二人までというシダクラ橋を渡ってすぐ入渓した。 シダクラ橋すぐキレイな沢になりじゃぶじゃぶ水の中を歩くが川底が平ではなく石が出ていたり不安定なのでとても歩きにくい。すぐに見事な滝が登場。これを歌子さんがまず直登し、続いて私も滝の中に取り付く。水しぶきの中で足場や手がかりを探すのでたちまちずぶ濡れで顔にも水しぶきがかかるがそんなことにかまう余裕もなく頑張って昇る。最初から奮闘せなばならなかった。その後しばらく登ると取水口が現れた。トポではこの上から入渓となってたから私たちはその前から入渓していたのだった。 取水口それから実に何十という大滝・小滝を昇って昇って昇り続けなけらばならなかった。何でもここは全ての滝が昇れるのが特色らしい。昇っても昇っても出てくる滝には溜息が出た。滝の水量は多くてとても気持ちよかった。ときたま出てくる小さな滝つぼは清く澄んでとても美しかった。 6m滝、大岩、桂の巨木などを目印として昇っていったが、滝が二つに分かれる二股、更に源頭までとても遠かった。私はどんどん消耗してスタミナ切れしそうだった。ここの沢は段差の大きい岩が連続し、それを次々と登っていくので疲労してしまったのだ。水を浴び続けるのも体力を奪われたかもしれない。源頭近くまで登って一休み。歌子さんが美味しいコーヒーをご馳走してくれた。それから下山にかかったのだが、通常なら尾根に出て下るところを昇ってきた沢をそのまま下ると歌子さんが言う。私はとても恐れた。下りと言っても沢は沢、滝もあるし川底の不安定な所を歩くのだ。恐れは現実化した。小さな滝は滝の脇を下れたが大きな滝は巻くことになり。山の道なき斜面を下らねばならずとても労力と時間を要した。私はもうイヤになってたし疲れていたのであまり話もできず、モクモクと下った。シダクラ橋を渡って登山口に着いたのは夕方6時半になっていた。でもヘッドランプを出す前に下山できてよかった。予想以上に長時間を要し、かなりしんどかった。もうこんなことは後期高齢者がすることではないなと反省した。
2024年07月04日
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6月3日水曜日。梅雨が明けたかと思うような猛暑日になった。出勤中はどこもエアコンが効くので涼しいいや涼し過ぎるくらいなのだが、一歩外にでると酷い暑さでいてもたってもいられない感じの午後になった。夕暮れ時になってやっと外に出てみた。花好きのお宅にユリの花が盛大に豪華に咲いている。 八重咲きのユリ よく似ているけどこちらはハマユウ こちらも似ているけど素朴で力強いカンゾウあちこちに丹精こめて咲かせた園芸種のユリや似たようでも種類の異なる花も咲いていてとても興味深い。
2024年07月03日
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7月2日火曜日。薄日が差して雨が降らない梅雨の中休みの日だった。久しぶりに洗濯物を外に出せて気持ち良かった。今日は年に一度の白アリ点検の日だった。午後3時から業者が来宅して床下に潜り込んで点検してくれた。見ればまだまだ若い青年なのにこんなもぐらのような仕事に熱心に取り組んでくれた。 防護服に身を固めて 床下に潜る小一時間、床下に潜って点検したあと、内部をスマホの画像で説明してくれた。それによると白アリの被害は今の所出ていないが、建物の基部のコンクリートにmm単位の細い亀裂ができているという。これは困った。このまま放置していると多分大きな地震に襲われた時、被害が大きいだろう。修理せざるを得ないが高額の費用もかかる。一体どうしたものか。 点検報告書
2024年07月02日
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伊能忠敬旧邸を見学した後は少し歩いて山車会館を見学した。予想以上のすごさだった。実物大の山車が室内に展示されていてその巨大さに圧倒された。こんなすごい祭を長く継続してきているこの佐原という街の底力を感じずにはいられなかった。こんな巨大な山車を作る経済力も人を結集させる力も備えていたということだ。何てすごい。千葉県の中心からはるか離れた田舎の街がこんなことをしてきたんだと驚嘆した。確かにこれはユネスコ無形文化遺産に指定される価値がある。 山車会館の展示「是非一度は観に来たいね」と娘と話しながら山車会館を出て通りを歩いていたら、向こうから山車のようなものが来るではないか?思わず「まさか」と思ったが佐原の大祭は7月12日~14日までと書かれていたしなあと不思議に思ってしまった。ふと電柱を観たら試し引きという字が目に入った。そうか、本番前の試し引きなのだと納得し、この稀にみるラッキーな出会いに興奮した。住宅の2階以上の高さの巨大な神武天皇がそろそろと練り歩いてくる。佐原囃子も聞こえる。何より山車を担ぐ若衆たちの活気に満ちた声が聞こえる。 近づいてくる山車 巨大な神武天皇の人形 熱狂と白熱通りの真ん中まで練り歩いてきて、のの字回しみたいな回る動きをしていた。大迫力と熱狂に観ているだけで興奮して目が離せなかった。 ずっと吹き続けているお囃子の皆さん お揃いの法被をきた応援の皆さんいやあ、素晴らしいものを見せて頂いた。これがユネスコ無形文化遺産の佐原の大祭なのだ。試し引きとは言え、生の山車のお練りを目の当たりにして感激したのだった。
2024年07月01日
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