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子供の頃、我が家でも大晦日には大掃除をするものと決まっていました。本当に小さな頃ですら、子供なりにできる仕事が与えられ、私もそれを一生懸命にこなしたものです。いつのことだったか、家の外回りを掃除していて、道行く人に「感心な子だねえ」などと褒められたこともありましたっけ。 もう少し大きくなって、自分の部屋が与えられるようになると、これはもうとにかく自分の部屋の大掃除が大晦日の大仕事。いつのまにやら乱雑になってしまった本棚の本を並べ直し、机の引き出しを一度全部引き抜いて一段ずつ整理し、洋服ダンスを片づけ、部屋全体に掃除機をかけ、窓ガラスを拭き、そして古いカレンダーを新しいカレンダーに替える頃には、もう部屋中がピッカピカ。それは何とも言えずいい気分なもので、新年を迎える準備ができたなあという実感があったものでした。 ああいう本格的な大掃除というのをしなくなったのは、いつの頃からでしたか・・・。多分、名古屋の大学に赴任し、実家の自分の部屋が一年経ってもさほど乱雑にならなくなってからですかね。 また大学に勤め始めてから、年末・年始があまりのんびりした時間ではなくなってしまったこともあります。指導学生の卒論提出が1月10日なもので、実家に戻っても、私はまだメールを使って学生の卒論を読み、添削をしなくてはならない。締め切り真近で学生も必死ですから、当然私も必死です。 そうやって私も世間も、みんな忙しくなって、年の区切りというものが、段々曖昧になっていくんでしょうなぁ。 実際、今日も私は、午後、母を手伝ってちょっと買い出しに行っただけで、あとはろくに掃除もせず、ひたすら卒論指導に追われ、そして一息ついたところでちょっとK-1とプライドを見(実は私は子供の頃、角界に入るか、プロレスの世界に入るかで真剣に悩んだほど格闘技好きなもので・・・)、それで終わってしまいました。我ながら、情けない・・・。 一年の節目節目に、形を整えて、居住まいを正す。そういうことを続けていくのはなかなか難しいものですなあ。 ま、今日は終わってしまいましたけど、明日は元日。せめてこの日だけは、きちんとした祝い方で、新しい一年の幕開けを祝いたいものです。・・なんて、そんなことを口では言いつつ、そもそも明日の朝、早起きすること自体、超夜型の私には難しいのですが・・・。 それはともかく、一応、ここで古い年の区切りを付けましょう。皆様、この一年間、このブログを贔屓にして下さいまして、誠に有り難うございました! 来年もまたよろしくお願いします。それでは、どなた様も、よいお年をお迎え下さい。
December 31, 2005
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例年と比べると随分遅くなってしまいましたが、今日、ようやく東京の実家に里帰りしました。 名古屋の家から東名を矢のように走り、実家まで340キロの道のりを普段なら4時間以内に走りきるのですが、今日の東名は事故&故障車による渋滞が多く、6時間半もかかってしまいました。一番大きな渋滞は大和トンネル付近のもので、これは数台の乗用車が横転するほどの事故だったらしいですが、おかげで秦野付近から19キロの渋滞、2時間もロスしてしまったという・・・。お盆や年末に高速道路での事故が多いのは、きっと帰省や観光のために、普段高速道路を走りつけない人が運転するからでしょうね。 というわけで、想定外の渋滞にはまってちょっと疲れましたけど、まあ、自分が事故に巻き込まれなかっただけ、善しとしないといけませんね。 しかし、もうあと5分で大晦日なんですなぁ・・・。明日は母を手伝って年末の買い出しに行く予定ですが、そんなことをしていたら多分あっと言う間に年を越してしまいそうです。ゆっくり今年一年を振り返ってる暇、なさそうだなあ。 もっとも、よく考えてみると、毎年、そんな暇があったためしがないか・・・。 ま、とにかく今日はもうゆっくり休んで、明日に備えることにします。それでは、お休みなさい!
December 30, 2005
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冬至からまだ1週間しか経っていないわけですが、何となく陽射しに少しずつ力が戻っているような気がするのは、私だけでしょうか? 少なくとも私には、春が着実に近づいてきていることが感じられます。まだまだ寒いですけどね。 さて、年末も大分押し詰まってきたということで、今日は年末恒例(といっても実は今回が初めてですが・・・) 、その年に起こった様々なものごとをベスト&ワーストで振り返るという趣向をやってみましょう。まずは本部門から・・・。本部門 ベスト:『モンテ・クリスト伯』(岩波文庫・全7巻)ワースト:武士の情けで該当作を公表せず。映画・ビデオ部門 ベスト:『ビッグ・フィッシュ』(10月9日付の「お気楽日記)を参照のこと。)ワースト:『オーシャンズ12』(9月29日付の「お気楽日記」を参照のこと。) 特別賞:『24』(あまりハラハラするので見ているとやたらに疲れますが、面白いことは抜群に面白い!)CD部門 ベスト:プリンス『レインボウ・チルドレン』(今年買ったわけではありませんが、今年よく聴いたという意味で・・・。)ワースト:該当作はありますが、多分、私の理解が到らないのでしょう。 色物賞:シザーシスターズ『シザーシスターズ』(ま、あくまで色物ですから・・・)美術展部門 ベスト:『四竈公子展』小淵沢フィリア美術館ワースト:金沢21世紀美術館展(すごい人気の美術館ですが、内容は大したことないと思います。現代芸術の悪い面を陳列したという感じ。少なくとも私を刺激してくれるものはほとんどありませんでした。)出来事部門 ベスト:謎の出版計画(謎なので明らかに出来ません。)ワースト:姉が椅子から落ちて、肋骨4本折ったこと。 特別賞:ブログを始めたこと。買物部門 ベスト:ダイソン社の掃除機(宣伝に偽りなし。ええッ!というほどゴミが取れます。)ワースト:T芝製DVD・ビデオプレーヤー(この個体の問題だと思いますが、故障が多過ぎてどもならん!) ・・・とまあ、こんな感じかな? ちなみに、今年のベスト大賞は本部門からエントリーした『モンテ・クリスト伯』です! おめでとうございます! さて、今年も残すところあと2日。私は多分、明日、東京に戻ります。方向が逆なので、ラッシュにはかからないと思いますが、車ですから事故には注意しないとね。ということで、明日以降は東京からの「お気楽日記」です。お楽しみに!
December 29, 2005
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今日は東京の実家に帰る・・・予定でしたが、朝になって家内が風邪でダウン。可哀相に、熱を出してうなっています。仕方がない、今日の東京行きはキャンセル、キャンセル。 ところで、「風邪引いた」といったような、本質的には心配のない一時的な病人の看病となれば、私はものすごく気合が入ります。何だったら私が風邪の野郎と話つけてやろうじゃないか、表出ろ!! という感じになるわけですね、ニュアンスとしては。 で、どう気合が入るかと申しますと、まずは物量作戦です。買物に飛び出していって、「熱さまシート」(熱対策)、野菜ジュース(水分補給とビタミン補給)、食料(おかゆに合いそうな塩昆布とか、梅干しとか、焼き鮭のフレークなど)、アイスクリーム(熱があって食欲がない時でも、これなら食べられる)などなど、当面必要になりそうなものを皆買ってくる。で、おかゆを作って家内に食わせる。こういう時こそ、結婚前7年間の独り暮らしの経験が生きるわけですよ。台所仕事なんぞ任せておけってなもんですわ、がっはっは! そうしておいて、私はここぞとばかり、まだ書き終えていなかった年賀状を書いています。何しろ他にすることないですから、捗る、捗る。今日の夜までやれば、何とか予定枚数を書き終えそうです。 しかしそうは言っても、我が家は私と家内の二人暮らし。家内がひっそり寝ていて、家の中で動き回っているのは私だけ、という状況は、寂しいですなぁ・・・。「咳をしても ひとり」と詠んだのは、尾崎放哉でしたっけ? ま、そこまでの孤独感ではないですけど、とにかく家内には早く良くなって、元気になってもらいたいもんです。 それでは、これからおかゆを作ってきます。昼は炊いたごはんを煮ておかゆを作りましたけど、夜は本格的にお米から作る予定。おいしいぞー! それでは!
December 28, 2005
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今日の分で、「教授のお気楽日記」が300回となりました! 我ながら、よく続いたものだと思います。 そう、このことに関して思い出すのは、今からちょうど1年ほど前、昨年の12月31日のこと。大晦日で、本来なら実家の大掃除の手伝いでもしていなくてはならないわけですが、どういうわけか「忙中閑あり」の心境に陥ったものと見え、その日私は午後から新宿の京王デパートに向かったのでした。その日は東京でも雪が降るほどの寒さ、小田急線で多摩川を渡る時、黒々と横たわる多摩川の水の上に、ひと群れの鴨が寒そうに浮かんでいるのを、降りしきる雪越しに見たことをよく覚えています。 ちなみに、なぜ京王デパートへ向かったかと言いますと、その日、このデパートで年の終わりの古書市が開かれていたからです。20軒ほどの古書店が一同に会するこの種の古書市というのは、私のような古本好きにとってはたまらないイベントですし、あえて大晦日の忙しい時にこういうところをぶらつくのも、乙なものではないかと思ったんですね。で、会場に到着した私は、同好の士と思しき人たち(どういうわけか、古本好きの方というのは、どうも見た目のパッとしない方が多いのですが・・・) の間に立ち混じって、各店のブースをひとつずつ虱潰しに見ていったわけですが、確かこの日の一番の収穫は池田満寿夫の『日付のある自画像』だったと思います。私は池田満寿夫の本、とりわけ自伝やエッセイの類を以前から少しずつ集めているのですが、これもその一冊。満寿夫は文章もいいですからね。 で、池田満寿夫の他にも何冊か収穫を得た私は、それなりに満足して古書店会場を後にしたものの、それでもまだ何となく物足りない感じがして、どうせ新宿まで来たのだからと、大きな書店に寄って新刊本を見ていくことにしました。実は一つ、気になっていたことがあり、その方面の本を買ってみようという腹があったもので。 で、その気になっていたことというのが、「ブログ」だったんです。 我々大学の研究者、とりわけ文系の研究者というのは、ある意味、本を書いてナンボのものなんですが、しかしその本というのは、しばしばあまりにも専門的になり過ぎ、一般の読者を得られない傾向があります。また研究の途上でやたらに本を読むわけですから、そこで得た知識なり知恵なりを誰かにしゃべりたい気はあるのですが、通常、とりあえずの聞き手となるのは、勤務先の大学の学生たちに限定されてしまう。・・・とまあ、そんなことから、学問に縛られない話をもっと大勢の人に向かって話したいという潜在的な欲求が私にはあったんですね。といって、わざわざネット上にホームページを立ち上げるのも面倒臭い・・・。 で、そんなふうに悶々としている時に、「ブログ」という簡易ホームページがあるということを新聞か何かの記事で読み、それなら私にも出来るかも! と思ったわけ。 というわけで、その日、ブログ関連の実用書を買った私は、新宿から帰る道々その本に読みふけり、ますますやってみたいという思いに駆られたのでした。ただブログをやるからには、自宅のネット環境を光ファイバーにしておく必要があり、結局、ブログを実際に始めたのは今年3月のはじめ頃になってしまいましたが、それから約10ヶ月、今日まで日記を綴り続けて、300回目の節目を迎えたという次第なんです。 しかしこの間、色々なことがあり、ブログにおける私の文体も大分定まってきましたし、また何よりもブログを通じて様々な分野の方々の知遇を得ることが出来ました。それらの方々の中には、実際にお目にかかった方もいらっしゃいますし、まだお目にかかっていない方もいらっしゃいます。が、しかし、お互いに相手のブログにコメントを寄せ合うことで、それらの方々全員のことを、まるでもう長いこと存じあげているような気さえしています。これは、ブログを始める前には思いも寄らなかったラッキーな副産物でした。 ということで、300回の節目となるのを機に、これらいつも贔屓にして下さっている皆様に、あらためて御礼申し上げたいと思います。そして、これからもぜひ、私の駄文をお楽しみいただければと思います。 さて、次の目標は「第365回」です。それを目指して、明日からまた頑張るぞ!
December 27, 2005
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近視の度が進んだのか、あるいは老眼が始まったのか、はたまた早くも惚けてきたのか(!?)、このところ漢字の読み間違いを含む、妙な誤読・誤解をすることが多くなりました。 今日もそんなことがあったんです。昼御飯を某洋食店でとっていた時のこと、メニューに「無農薬ジャガイモ使用の○○」みたいなことが書いてあったんですね。で、どういうわけか私はそれを「無農・薬ジャガイモ」と読んでしまったんです。それで「ほほう。薬ジャガイモとは珍しい。薬効があるのか知らん」などと家内に言ったら、家内に呆れられてしまいました。 そして食後、店を出て地下鉄の駅まで少々歩いていると、駅の近くに「地下荘入り口」という掲示がある。え? 地下荘? いくら地下鉄の駅のそばにあるマンションとは言え、地下に住むのはなあ・・・と一瞬思って、それを口に出す寸前、それが「地下荘」ではなく、「池下荘」であることに気づいたという・・・。そりゃ、地下鉄「池下駅」に隣接しているのだから「池下荘」でしょうよ。危ない、危ない。もう少しでまた呆れられるところだった! それから、これもつい最近のことですが、テレビでニュースを見ていた時、テロップに「○○を危ぐ」みたいな文字が映し出されたのですが、これを見た時も私は「○○をあやぐ」とはこれ如何に? と思い、家内に「これ変じゃないか? あやぶむ、だろ?」と尋ねたところ、「何言ってるの、きぐ、でしょ!」と笑われてしまいました。ああ、「危惧」ね! 何だよ、「惧」の字くらい漢字で出してくれよ! と、その場は笑って終わりましたが、内心、我ながら勘が悪くなったなあ・・、と少し気落ちしてしまいましたよ。 ほんと、何だか最近、そういうところで妙な誤解・勘違いをすることが多くなりました。かつて「1を聞いて10を知る」と言われたワタクシも、このところ「10を聞いたら、3つくらい誤解している」感じです。これって、やっぱり歳をとったってことですかねえ・・・。ちょっと前に流行った惚け防止のテストシートですか、あれ、まじでやってみようか知らん。 というわけで、年末のうすら寒い時期、自分のおつむのスペックまで何となくうすら寒くなってきたワタクシなのでした。このブログをお読みの中高年の皆さんはいかがでしょうか。「私もよくそういうことがある!」とおっしゃる方、ぜひコメント下さい。同病、相哀れみたく存じますです、はい。
December 26, 2005
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今日はクリスマスらしからぬ野暮用から始まりました。年末ですから、色々と野暮用があるんですよ。 たとえばゴミ捨て。と言っても普通のゴミではなく、段ボールとか瓶・缶の類、それから新聞といった資源ゴミですね。幸い、うちの近くに市が運営しているリサイクルセンターがあるので、しばらく溜め込んでいたこの種の資源ゴミを車で捨てに行ったんです。どうせなら、要らないものを処分して、すっきり年明けを迎えたいじゃないですか。 で、そのリサイクルセンターに到着すると、まぁすごい人出です。やはり年末に家の中をある程度片づけてしまおうと思うのは、どこのご家庭も同じなんでしょうな。ですから新聞紙なんて、大きな専用の袋がどんどん一杯になっていきます。面白いくらい。でもこういうところにゴミを出して、資源を再利用しようという意識を、市民の多くの皆さんが持っているというのは、何だか心強いですね。 で、我々も家の中に溜まっていた資源ゴミを大方リサイクルに回してしまい、いい気分で車を止めたところに戻ると、うちのお隣のスペースに「ネイキッド」という車が止まっているじゃ、あーりませんか。ダイハツという会社が作った軽自動車で、今ではもう絶版になっているのですが、これがなかなかスタイルの面白い車で、私も家内も前々からちょっと興味があったんです。 我が家では現在2台の車を保有しているのですが、そのうちの1台が来年、何度目かの車検を迎えるんです。で、それを機に税金の安い軽自動車に替えようか、なんていうことを考えていなくもないんですね。でもどうせ買うなら面白いデザインの車がいいなと思い、色々検討し始めているのですが、ダイハツのネイキッドはまさにその候補の一台なんです。ですから、その候補の車が隣のスペースに止まっているとなれば、ちょっと偵察を入れくなるというものじゃないですか。 というわけで、人さまの車とは知りながら、家内と二人でその車の周りをウロウロしつつ、ジロジロ見ることしばし。ふーん、後部座席も結構広そうだぞ・・・、なーんて、ね。もしこの車の持ち主が近くにいて、警察に通報されても文句は言えまへん。でも、ま、ネイキッドがなかなか使えそうな車だということが分かったので、満足、満足。今度暇な時に、中古車屋でも回ってみますか。 ところで今日の野暮用は、ゴミ捨てだけではありません。しばらく前から止まっていた私の腕時計の電池を入れ替えようと思っていたんです。で、近所の時計屋さんに立ち寄って尋ねてみると、1000円で替えられるとのこと。3000円くらいかかるだろうと覚悟していたので、ちょっとラッキー。ちなみにこのお店、電池入れ替えのついでにサービスでこの時計の誤差まで調べてくれたのですが、私の腕時計の誤差は一日に0.19秒なんだそうです。結構優秀ですな。さすがセイコーのクオーツ。 そういや、このセイコーの腕時計には思い出がありまして。もう随分前のことになりますが、結婚の記念にペアの腕時計を買おうということになり、家内とニューヨークの5番街にあるブルガリのお店に入って時計の品定めをしたことがあるのです。で、気に入ったものがあったので買うことにすると、正装した店の方が「一応、この製品の使い方を説明します」と言ってひとくさり説明してくれたんです。で、その時、その店員さんが大まじめな顔をして「お客様が今なさっているロレックスの時計とおおよそ同じ仕組みでございます」と言ったんですね。もちろん、私がその時にしていたのは、ロレックスではなく、まさにこのセイコーのクオーツだったのですが、確かにパッと見はロレックスにちょっと似ているところがある。おやおや? この店員さん、冗談のつもりなのか、それとも我々をからかっているのか、はたまた本気でロレックスと見間違えたのか・・・。その辺がよく分からないまま、私も神妙な顔をしながら「あ、なるほど。つまり、こいつと同じわけね」ってな感じの応答をしたわけですけど、あれはやっぱりからかわれたのか知らん? ま、ジーンズにダウンジャケットという、まるで5番街のブルガリに似合わぬ格好で店に入ったのですから、からかわれても仕方がないのですが。いずれにせよ、懐かしい思い出です。 でも、いずれ本物のロレックス買おうかな、なんて、ちょっと思ってはいるんです。いや、私も家内も別にブランド亡者ではないのですが、我ら夫婦は再来年に結婚10周年を迎えるもので、それを記念して「スイート10ロレックス」なんてのもいいかな、なんて話合っていまして。ロレックスは、やはり時計の基本、みたいなところがありますから。ま、先程のネイキッドといい、ロレックスといい、この年末、妙に物欲が旺盛になってしまって困ったものですが。 さて、時計の電池交換を済ませた後、文房具を買うついでもあって書店に立ち寄り、愛読している雑誌を購入。そして帰宅。家内も愛読している雑誌を買ったので、帰宅後はしばしそれぞれ好きな雑誌を抱えて、リラックス。 ま、そんな感じであっけなく一日が過ぎてしまいました。 今日はこれから家内が骨つきチキンローストを作ってくれるそうで、昨日に引き続いて今日もまたご馳走です。クリスマスですからね。 さて、食事の後は少し馬力を入れて卒論指導の仕事をこなしましょう。それでは、また!
December 25, 2005
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今日は・・・言わずと知れたクリスマス・イヴ、ですね。皆さんはいかがお過ごしですか? 「クリスマスの思い出」というと、アメリカの作家、トルーマン・カポーティに同名の短篇小説があります。カポーティは子供の頃、家の事情で親戚中をたらい回しにされたりして、あまり幸福ではなかったのですが、一人だけ、年齢がおばあさんと孫ほども離れた、しかし気の合う従姉がいたんですね。この従姉もまた親戚中のやっかい者だったのですが。で、このやっかい者同士のカポーティと従姉のおばあさんが一緒に過ごした最後のクリスマスのことを綴ったのが、「クリスマスの思い出」という作品なんです。私はこの作品を読むといつも泣いてしまう。とにかくとても可愛く、切ない話ですので、興味のある方は読んでみて下さい。文庫本の翻訳(確か新潮文庫)があるはずですよ。 それはさておき、カポーティならずとも、誰にだって「クリスマス」の思い出というのはあると思いますが、私の子供の頃の思い出を一席。 私が子供の頃、我が家では、クリスマス・イヴか、あるいはその直前の日曜日に、家族揃ってプレゼントを買いに街に出るのがならわしとなっていました。普段の買物ですと、小田急線の町田(私が子供の頃は「町田」ではなく、「新原町田」という名前でしたね。植草甚一のエッセイなどを読んでいると、この「新原町田」という名称が時々登場するので懐かしい・・・)に出るのですが、クリスマス・プレゼントのようなちょっと特別な買物となると、ちょっと遠出して新宿のデパートまで出るわけ。ま、そのことだけでも何か特別だなという感じがして、わくわくしてくるんですが。 で、肝心のプレゼントの買物ですが、我が家には特別の買い方があったんです。たとえば父へのプレゼントを買う時は、父にどこかで待っていてもらい、その間、母と姉と私で相談して買うわけ。で、次に母へのプレゼントを買う時は、今度は母にどこかで一人で待っていてもらい、父と姉と私で相談して買う。ま、そうやって順繰りに買っていくのです。で、家族4人、それぞれのプレゼントが買い終わると帰路につくわけですが、何しろ家族全員が互いに秘密を持っているのですから、これが楽しいわけですよ。父に新しい革の財布を買ったことは母と姉と私だけが知っているので、父には内緒。母に暖かそうな手袋を買ったことは、父と姉と私だけが知っていて、母には内緒・・・というわけでね。子供としては「秘密を持っている」というのがそもそも可笑しくて仕方がないわけ。もちろん、自分がどんなプレゼントを買ってもらったのかも、知りたくて仕方がないのですが。だから自然、デパートからの帰り道は家族全員がニコニコです。早くこの秘密を教えたくて、クリスマス・イヴの夕べが待ち遠しかったこと。 その後、姉や私が長じるに従って、さすがにこういうクリスマスの過ごし方はできなくなりましたが、それでも釈迦楽家というのは家族の結束がものすごく強いので、今でも12月25日のクリスマス当日には仙台に嫁いだ姉も名古屋に住む私も東京の実家に集まり、パーティーをします。プレゼント交換もいまだにやります。残念ながら、今年は私の勤務先の大学が27日に会議を開くという常識はずれの愚行をするものですから、私は生まれて初めてクリスマスを東京の実家で過ごせないということになりそうなのですが、ほんとに情けないことでございます。 一方、今日、クリスマス・イヴはと言いますと、これは毎年名古屋で、私と家内だけでゆったりと過ごすことにしています。で、スペシャル・ディナーのメニューは毎年パエリアと決まっており、これは私が作って家内にご馳走します。このパエリアのレシピは私が独自に編み出したのですが、これについてはいずれまた別な折にご紹介することにしましょう。またこのパエリア・ディナーの時に二人でプレゼント交換するのですが、これについては、もう既に買って用意してあるので、これを渡すのも楽しみです。 さて、ディナーの仕込みに入るまで、まだ少し時間がありますね。この間、少し仕事でもしておきましょうか。 それでは、皆様もよいクリスマス・イブをお過ごし下さいね。では、また!
December 24, 2005
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今日から大学は一応冬季休暇に入りました。まだ会議があるので、教員にとっては完全な休暇のスタートというわけではありませんが、やはり授業がなくなるとホッとします。何十人もの元気な若者を前に授業をするのは、案外気力・体力を使うものですのでね。 というわけで、このところずっと疲れ気味だった私も、休みに入った途端、気力・体力とも充実してきて、何だかやる気満々です。で、その勢い余って、今日の午後、NHKの衛星放送でやっていた古い日本映画、『無法松の一生』を久しぶりで見てしまいました。現代ものの日本映画にほとんど興味がない私も、この時代の邦画は決して嫌いではないんです。 この映画、もちろん年配の方ならご存じの方も多いと思いますが、九州は小倉で明治・大正の時代を生きた一人の人力車夫、無法松こと松五郎の一生を描いたもの。無法松を演じるのは若き日の三船敏郎です。 気はいいけれど乱暴者で、地元では「無法松」の呼び名で知られた松五郎が、ある時、線の細い、気の弱そうな男の子を見かけるところから話は始まります。どうやらいいとこのぼんぼんらしく、近所の男の子らのように木に登ったりできないので、皆に苛められているらしい。そこで松五郎は、彼に木登りの一つもできないでどうする、勇気を出して登ってみろ、などとけしかけるわけ。ところが、しばらくして松五郎が同じ場所を通りかかると、先程の坊やが木から落ちたらしく、怪我をして泣いている。半ば責任を感じた松五郎は、この坊やを家に送り届けるのですが、これがまた立派なお屋敷なんですな。その後彼は坊やを病院に連れて行ったり、あれこれ世話を見てやることになるのですが、無法松は男一匹ですから、なんとしても御礼がしたいという坊やの母親の言葉を抑え、「あっしだって、たまには損得勘定なしに人助けをすることもあるんです」と言って名乗りもしなければ礼を受け取りもせず、その場を立ち去ります。 ところで、この坊やの父親というのは軍人で、妻から子供が人力車夫に助けられたという話を聞き、それが噂の暴れ者、無法松であることを知るんですね。で、この軍人かねてから豪放な無法松に一度会ってみたいと思っていたこともあって、彼を呼んで一夜、共に酒を飲むわけ。もちろん軍人と人力車夫では身分が違うわけですが、互いに気心の通じるところがあり、二人はすっかり仲良くなってしまう。 しかし、この時からさほど時を経ずしてこの軍人は病気で亡くなってしまいます。一粒種の男の子を抱えて未亡人となってしまった奥さんは、途方に暮れてしまうのですが、縁あってこの一家に関わりのできた無法松は、気も弱く、体力もないこの男の子を、父親のように強い男に育てるために力を貸して欲しいと未亡人から頼まれ、事あるごとに坊やの面倒を見るようになるんです。凧の上げ方を教えてやったり、泳ぎを教えてやったり。一緒に見に行った町の運動会では、飛び入り参加の500メートル走で、車夫の実力を遺憾なく発揮し、1等をとってみたり。男の子はそんな無法松を、まるで父親のように慕いながら、次第に強い少年へと育っていきます。 しかし、そんな幸せな時間も、そうそう長くは続きません。少年はやがて年頃となり、次第に年老い始めた車夫から「ぼんぼん」などと呼びかけられるのを恥ずかしく思うようになる。また無法松が年甲斐もなく、軍人の後家さんに懸想しているのではないか、などという町の噂も出始める。かくして無法松は、この未亡人や少年と距離を置かざるを得なくなっていくんです。 ところが、そうなった頃から松五郎は、自分が確かに未亡人に対して恋心を抱いていることを自覚するわけ。無論、生前、一度だけとはいえ、自分を家に招いて一夜の宴を催してくれた軍人への義理もありますし、いかに零落しつつあったとはいえ、自分と未亡人ではやはり身の程が違うということも重々分かっている松五郎は、その思いを決して表には出しません。しかし、そのことで彼は悶々とした日々を過ごすことになる。 そして、そんな失意の日々の中で、無法松は長いこと止めていた酒を飲み始め、生活も荒み、ついにある冬の日、親譲りの心臓病からか、それこそ道端に行き倒れて死んでしまいます。若き日、暴れ放題で小倉の町にその名を知られた無法松の最期としては、あまりにも寂しい死に方でした。 で、身寄りのない無法松の死にざまを哀れに思った地元のやくざの親分が、彼の死に水をとってやることになるのですが、彼が無法松が残した、わずか行李一つに納まる持ち物を調べると、そこには未亡人から色々な折にもらった御祝儀が一つ残らず封も切らずに大切にとってあるんです。また未亡人と「ぼんぼん」のために、松五郎がそのつましい暮らしの中から少しずつ貯めた500円の預金通帳も出てくる。それを見た未亡人がわっと泣き伏せるところで、この映画は幕を閉じます。 ま、お涙頂戴といえば、そうでしょう。しかし、演じている役者がいいのか、監督がいいのか、見せるんですなあ、この映画。まず三船敏郎がいい。若い時のエネルギーの固まりのような無法松もいいし、恋心を抱きながら、未亡人とぼんぼんのために尽くす健気な男としての松五郎もいい。そして哀しい最期を遂げる松五郎の哀れさ。そういう無法松の一瞬一瞬の表情が、見ているものの心に残るんです。もう青年になってしまった「ぼんぼん」に頼まれて、小倉の祭りを彩る「祇園太鼓」を叩く無法松の、いわば人生最後の華となる場面など、思い返すだけでほんとに涙が出ます。 そして周りを固める役者もいいんですよ。未亡人役の高峰秀子は言う迄もなく、映画の始めの方で暴れる無法松を諫めるやくざの親分を演じた笠智衆もすごい存在感です。また最初の方にしか出て来ない軍人役の芥川比呂志のかっこいいこと。 それから映画に写し出される明治・大正時代の日本の風景・風俗の懐かしさ。もちろん、私にとってもそれは実際には見たことのない、参加したことのないものではありますけど、それでも何故だか懐かしいと思えるんですよね。 そういうこともすべて含め、今日の午後は、無法松と呼ばれた男を描いた映画を見て、昔の日本、そしてそこに生きたやくざな男の純情にガツンと打たれたワタクシなのでした。
December 23, 2005
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今朝の新聞に少子化問題のことが大きく取り上げられていました。政府が予想していたよりも自然減の度合いが大きかったのだとか。で、この問題に関し、様々な論者が、この傾向を懸念するコメントを出しています。このままでは様々な社会問題が起こるであろう、とのこと。少子化を歓迎するコメントを出した人は、一人もいませんでした。 しかし、私にはなんで少子化が問題なのか、全然分かりません。少子化、上等じゃないですか。 少子化で大変だぁ! と言っている人のほとんどは東京にお住まいなんでしょうけど、こういう人たちって、朝のラッシュアワーに東京方面へ向かう通勤電車に乗ったことあるのでしょうか? 土日祝日に渋谷駅前のスクランブル交差点を歩いたことがあるのでしょうか? ゴールデンウィークに観光地に行ったことがあるのでしょうか? 東京から郊外行きの電車に乗って、どこまで行っても延々と人家の屋根が連なる景色を見たことがあるのでしょうか? あるいは先般の愛知万博に行って企業パビリオンを見ようと列に並んだことがあるのでしょうか? で、それらを全部経験した上で、それでもなお「日本は人口が少なくなって大変だぁ!」と言うのでしょうか? だったら、その人は頭がおかしい。どう考えたって、今の日本は人口が多過ぎますよ。 だってフランスとかドイツとか、日本よりよっぽど大きな国土を持った国ですら、その人口は日本の約半分ですよ。イギリスは日本と同様の小国ですけど、やはり人口は日本の半分。日本よりも25倍大きな国土を持つアメリカですら、人口はわずかに日本の倍。そういうことを考えたら、日本の人口が国土に比して多過ぎることは一目瞭然じゃないですか。 もちろん、少子化問題を憂えている人たちというのは、このままだとこの先、多くの老人を少ない人口で支えなければならないから大変だ、とおっしゃるわけですが、でもそんなことしょうがないじゃないですか。どこかの時点でやらなきゃならないことですもん。逆に人口が急増したと思ってご覧なさい。老人を支えるのは楽になりますが、その他日々の暮らしの様々な面で、一体どのくらいの不都合が生じることか。 実際、中国なんかでは人口が増えすぎたので、現在「少子化政策」をとっているわけでしょう? 一組の夫婦に子供は一人まで、ということを無理やり実行している。私は中国人の知人から少子化政策の実態について聞いたことがありますけど、厳しいもんですよ。間違って二人目の子供を産んでしまったりすると、勤めは首になる、種々社会保障は打ち切られる、村八分になるで、もう人間としてまともに生きていけないようにされるんだそうですから・・・。 そういうことを考えたら、日本なんて無能な政府が口を出す前に勝手に「自然減」なんですから、こんな素晴らしいことないじゃないですか。 「このままでは国民総生産が少なくなってしまう!」などとコメントしていた人もいますが、それが少なくなって、一体、どんな不都合があるのか。人口が少なくなって、そのために国民が全般に貧しくなるのなら、それはそれでいいじゃないですか。それが実際の日本の経済力なんですもん。かつかつ暮らせればいいんですよ。やれブランド品だ、大型プラズマテレビだ、高級車だ、なんて買わなければいい。企業も毎年「売り上げ増」なんて目指さないで、「今年と同じくらい儲ければいい」と思えばいいんです。 マスコミの報道だけを見ていると、この国に少子化を歓迎する声がまるで存在しないかのようですが、少なくとも私は歓迎します。そういう声だってあるんだということを、私は声を大にして言いたいですね。
December 23, 2005
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名古屋地方、22日の冬至の日も大雪となりました。 午前中から断続的に雪が降っていましたが、本格的に降り出したのは4時半頃。ちょうど年内最後の講義を終え、さて、コーヒーでも飲みながらリラックスしようか、などと思いながら自分の研究室に戻る途中、私が「兄貴」と慕う先輩のK教授が既にコートを着込み、完璧に帰り支度をした状態でそそくさと研究室を出てくるところに出会いました。 「あれ? 兄貴、もうお帰りですか?」と尋ねると、「やばいよ、早く帰らないと足がなくなるよ」とのこと。え? 雪、そんな降ってます? たまたま最後の講義のあった教室から私の研究室まで、外を通らずに歩いて来れるので気が付きませんでしたが、そう言われて外を見ると、先刻とは異なる本格的な降りになっているじゃあーりませんか。確かにやばいわ、これ! 何しろ私、愛車にチェーン積んでないんです。もちろん、スタッドレスなんか履いてないし。実は昨日、大学からの帰り道、自動車用品店に何軒か寄ってチェーンを買おうとしたのですが、このところの大雪で多くの人が駆け込みで買って行ったらしく、どのサイズも在庫が払底状態で、結局買えなかったんですわ。こりゃ、さっさと帰るしかないな。 というわけで、K教授の後を追うように車に飛び乗り、大学を後にしたわけですが、すごい雪です。見る間に車が雪で覆われていく。信号で止まっている間にもフロントガラスの上にどんどん雪が積もって、ワイパーが動いている範囲しか前が見えないくらい。ひゃー! こんなんで家まで帰り着けるのかいな?! 普段ですと帰り道はのんびりと田舎道を通るのですが、さすがに今日は車通りの多い大通りを選んで走り、何とか無事帰宅! やれやれ。でもその後もどんどん降り積もり、先日の大雪以上の積雪になってますよ。 で、家に帰った私が何をしたかと言いますと・・・ 止せばいいのに、面白いから雪の中、近所のスーパーまで家内とお買物。我ながら、好きですなぁ・・・。さすがにこの雪でスーパーはガラガラでしたよ。まさにスーパー独り占め状態。でも、こんな風に普通の人が行かない時に敢えて行くのが釈迦楽流なんですよね~。 さてその後夕食をとり、食休みにちょっと雑誌でも読もうと思って、ベッドに横になったのが運の尽き。自分でもいつ眠ったのか気づかないほど爆睡してしまい、家内に起こされたのが夜中の12時半。あーあ。今日で年内の講義が一応すべて終了したもので、気が抜けたのかも知れません。疲れがたまってるなー。 ま、今日はもう仕方がない。明日からの週末、少し気合を入れて卒論指導と年賀状書きをやらなければなりますまい。頑張って、この数日でメドをつけてしまわなければ。おーし、頑張るぞ! それでは、今日はお休みなさい。ぐーぐー。追伸: 一昨日の日記に登場した「ピー助」ですが、これも今までずっと種類が分からずにいたところ、ひょんなことから判明しました。どうも「カシラダカ」という鳥だったようです。ひょっとすると一昨日欅の木の上で遊んでいた小鳥たちもこれかも知れません。こんな名前の鳥、知りませんでしたねぇ。インターネットで「カシラダカ」を検索すると、すぐに写真が出てきますので、興味のある方はどうぞ!
December 22, 2005
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私の勤務先の大学では、今、カリキュラムの改変(改善ではない)におおわらわ。毎日、まあ飽きもせず、会議ばかりやることで・・・。 ちなみに、今日の会議では、大学における「外国語」の授業の必要性ということが種々論議されていました。ま、要するに理科系の教授連は、一般教養の「外国語」の授業を必修にする必要はあるのか? ということを頻りにおっしゃるわけ。現行の「必修8単位」は多過ぎる、というのですね。もちろんその裏には、「ろくに効果も挙がらない語学の授業より、専門の授業を沢山受けさせたい」ということがあるのでしょう。 で、これに対し我々語学の授業を担当している側は、冗談じゃない、国際化が進む中、外国語(特に英語)以上に必要な教養なんか無いじゃないか! と、とりあえず反論しています。また外国語の必修単位が8、というのは近隣の諸大学と比べて決して多くない、いやむしろ少ないくらいだ、とも主張している。ま、こういう理科系対文科系の勢力争いというのは、多かれ少なかれ、どこの大学でも見られるものなんですけどね。 しかしまあ、こういう議論というのは、無益ですなあ・・・。 私だって、本音を言えば、大学の語学の授業なんて必修をはずして、ぜーんぶ選択にしちまえばいい、と思っているんです。やりたい奴だけ、やる。これが勉強の本筋じゃないですか。それに、私の関わりの深い英語に関して言えば、そもそも週に1回授業を受けたくらいで上達するはずがない。英語の授業を担当している我々からして、自分たちが大学生だった時に受けた授業のおかげで今日の語学力がついた、なんて思っていないんですから。 第一、明治以来百数十年もの間、日本人は英語と格闘してきたわけですが、結局、未だ英語教授法の決定版を確立できていないわけでしょ? この順序で、こうやって努力すれば、誰でも一応は英語が話せるようになる、という方法論一つ作れないんですもん。傍から「無駄だ」と言われたら、反論できないですよ。 それに、国際化、国際化って言いますけど、この国のどこが国際化しているんですか。たとえば普通の日本人で現在のドイツ首相の名前が言える人が一体どのくらい居るというのか。それどころか、これだけ話題になっているイランとかイラクを地図上で正確に指させる日本人が一体どのくらい居るのか、私は大いに疑問です。この国の国民くらい世界情勢に疎い国民はないし、また疎くても何とかやっていける希有な国なのに、なぜ誰もが「国際化こそ重要」などと白々しいことを言うのか・・・。 しかしそう思ってはいても、「大学のカリキュラムにおける『外国語』なんて大して効果ありませんし、この国の国際化なんてナンセンスです」なんてあからさまに認めてしまうと、「じゃあ、すぐに外国語関係の人員を減らしましょう」ということになってしまう。つまり自分で自分の首を絞めるようなことになりますから、そういうことは口にできないんです。何せ、文部科学省が「文学なんて必要ないが、語学は必要だ」と思っているからこそ私のような英米文学畑の人間が大学に雇われているので、そうじゃなければ私なんてとっくにリストラされてますからね。 ですから、大学のカリキュラムに「英語・外国語」は必要か、なんていう表向きの議論は、最初から無益なんですわ。賛成する側、反対する側、双方とも裏の理由があって、それで喧々諤々やっているんだもの。 それに「必要か、必要でないか」ということは、何も語学に限ったことではなくて、どんな学問分野でも同じことが問えます。大学の授業を受けたことで、学生の能力が飛躍的に上がるなんてこと、ないですよ。そもそも学問なるものが直接何かの役に立つことなんて、そうそうないです。大学なんて来なくったって、人は立派に生きて行けるんですから。大学ってところは、そもそもそういう役に立たない学問を、黙々とやるところなんですよ。その過程で、時々すごく役に立つ発見や発明があったりするわけですが、そんなの偶然、偶然。「必要か、必要でないか」という観点からいったら、ほとんどの学問は必要ないです。 ですから、大学のカリキュラムに何が必要か、なんてことを論じること自体、ほんとは意味ないんです。リア王じゃないですけど、「必要を言うな!」と私も言いたい。我々研究者は、必要だろうが必要じゃなかろうが、面白いと思うから研究しているのであって、その結論や過程を同じく面白いと思う学生だけが集まってくればいいんです。それが本来の大学の姿だと思います。 でも、そんなことを言ったって現実が動くわけではないので、私もまた「国際化のために、語学の授業は必修8単位のままにせよ!」という方に与するわけですよ。そしてそのために、やる気もセンスもない多数の学生相手に、苦労して英語を教えるはめになる、と・・・。進むも地獄、退くも地獄、なんですな。 あーあ、またまた否定的なことを言ってしまった!! 物言えば、唇寒し・・・。もうなんでもいいから、早く冬休みになってくれい!!
December 21, 2005
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今日は1限、2限、そして4限と授業があるのですが、3限だけぽっかり時間が空いているので、今、自分の研究室で紅茶を飲みながらのんびりしています。 で、さっきから窓の外でガサガサ、ゴソゴソと音がするので何かと思って見たら、スズメより一回り小柄な、ウグイスくらいの大きさの薄茶色の小鳥が数羽、欅の枝に止まってなにやらやっています。何をやっているのかと見ていると、どうも欅の枯れた葉っぱをついばんだり、しごいたりして、一枚、また一枚と葉を下に落としているんですね。 欅に実はつきませんから、木の実を食べているわけでもなし、ひょっとすると葉についた虫の卵か何かを食べているのかも知れませんが、どうもそうでもないらしい。葉っぱがハラハラと落ちるのが面白いので、いたずらしているのではないかしらん? いずれにしても、なんだか楽しそうに一心不乱にやっていますよ。あんまり楽しそうなので、端で見ていても面白い。 やっぱり動物でも鳥類あたりになると、「遊ぶ」という感覚があるんじゃないでしょうかね。 でもそんな楽しげな小鳥たちを見ていたら、1年前の冬、偶然道ばたで小鳥を拾ったことを思い出しました。大学までの通勤路の途中、道に小鳥が落ちていたのです。このままでは他の車に轢かれてしまうと思い、拾って車に乗せ、大学まで連れていったのですが、よほど疲れ切っていたのか、助手席に乗せても暴れもせず、ちょこんと大人しく立っていましたね。で、車がカーブを切って横にGがかかると、「おっとっと」ってな感じで、小さな身体に力を入れて踏ん張るわけ。それがまた可愛いんだ。 大学についてから同僚の生物学の先生を訪ね、お話を伺ったのですが、寒さや飢えのため、冬場に小鳥が落ちて死ぬことはよくあるのだそうですね。私は野生生物たるもの、冬の寒さを賢く乗り切る術を皆が皆心得ているのかと思っていたのですが、どうも必ずしもそうではないらしい。やはり何らかの理由で弱った鳥は、寒さに耐えきれないのですな。私の小鳥を見て、「これも、長く持ちそうもないなあ」とおっしゃっていましたっけ。 で、結局ピー助(そういう名前にしたのですが)も二晩、私の家で過ごした後、あっけなく死んでしまいました。いよいよ様子がおかしくなったので、箱から出して私の手の中で暖めたのですが、駄目でした。ほんとにロウソクの炎がすーっと消えるみたいに、私の手の中で死んでいったんです。目の前で生き物の命が失われるのを見たのは久しぶりだったので、ちょっと感動させられましたよ。私の家はマンションで、亡骸を庭に埋めてやることができませんので、夜中に家内と二人で近くの公園まで死んだピー助を運び、大きな木の根本に埋めてやりました。 鳥の世界も厳しいもんですな。 今、私の目の前で遊んでいる小鳥たちは、まだまだ元気満々という感じですけど、このまま上手いこと冬を越してくれればいいなと思います。 それにしてもこの小鳥たち、何という種類の鳥なんだろう? 先ほども言いましたように、大きさはウグイスか目白くらい、全体に薄い茶色で、両脇と言いますか、羽の付け根のあたりに白い筋が一本ずつある。ま、そんな感じの小鳥です。ご存じの方、いらっしゃいましたらご教示下さい。「雑草という名の植物はない」と言ったのは確か植物学者の牧野富太郎博士だったと思いますが、「小鳥」という鳥だっていないわけで、私も出来れば名前を知りたいと思いますので。
December 20, 2005
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昨日、雪の日曜日を楽しみましたが、一日明ければ大雪の月曜日。通勤が大変だっつーの。でも、そういうワラワラしたところが、実はちょっと好きなんですけど。 とはいえ我が家の車は2台ともノーマルタイヤ&チェーン不携帯。ということで、とりあえず2限の大学院の授業は院生にメール打ってキャンセル。ま、この授業は実は正規の授業ではなく、ボランティアの読書会なのでね。 しかし午後からの卒論ゼミと、夕方の会議には出ないとまずいので、スリップ覚悟で昼から出陣。でも、さすがにこの時間だと大きな通りの雪は大方除雪されてましたね。何事もなく、無事大学に到着ー。 ただあちらこちらでひん曲がった鉄柱、ひん曲がったガードレール、崩れた中央分離帯を見かけたという・・・。きっと朝方はパニックだったのでしょうなぁ。くわばら、くわばら。 で、年内最後のゼミの後、会議に出席したのですが、これがまたエンドレスな会議で・・・。2時間半ほど話し合った挙げ句、夜7時を回っても一向に終わりそうもなかったので、途中で抜けて来てしまいました。だって、夜8時過ぎあたりから道路の凍結が始まるから気をつけるようにと、ニュースで言ってたんですもーん。 で、我が家に戻ったのがまさに夜8時。で、驚いたことに、まるで時間を計っていたかのように、ほんとに8時頃から道路がバリバリと凍り始め、大通りから駐車場の敷地に入ったところで車が思うように前に進まなくなり始めたんです。ハンドルも全然効かないし。ま、どうにかこうにか駐車スペースに止めはしましたが、ちょっと怖かった。こういう時、4輪駆動の車が羨ましくなりますね。次の愛車は、4駆にしようかな・・・。 しかし、寒い! 実は明日に備えて、今日動かさなかった方の車に積もった雪を落とすために15分ほど奮闘していたのですが、もう凍えてしまって。そんなこんなで、家にたどり着いた時は、家というのは有り難いなとしみじみ思いましたよ。 しかも、今日の晩御飯は鍋、しかもキムチ鍋じゃないですか! 実は2週間ほど前にもキムチ鍋をやったのですが、この時使ったミツカンの「キムチ鍋の素」(ストレートタイプのスープ状の奴)がすごくおいしかったので、今日はその再現というわけ。なにせキムチ鍋の素を鍋に入れ、そこに豚肉、豆腐、大根、ニンジン、キャベツ、エノキタケ、モヤシなどを投入するだけでおいしい鍋が完成するのですから、作るのも楽。今日もおいしかったし、あったまりましたよー。やっぱり、冬は鍋に限ります。 さて、明日は1限から授業の日。今日の感じでは、明日の朝も道路が凍ってそうです。うーん、大丈夫かなあ。ま、今日は早目に寝て、明日は余裕をもって家を出ることにしましょう。それでは、みなさん、お休みなさーい!
December 19, 2005
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昨夜のニュースで日本各地に大雪の恐れ、ということを再三流していたので、明日の朝起きたら一面の銀世界かな、なんて期待しながら寝たのですが、今朝起きてみると地面にうっすら雪の痕跡が残る程度で、名古屋地方はお日様キラキラのいい天気。なーんだ、大雪なんて大嘘じゃん、と少しガッカリ。 ところが午後2時頃でしょうか、リビングに居た家内が私を呼ぶので、仕事の手を休めてそちらに行ってみると、南向きの大きな窓から見えるのは降りしきる雪景色。おお、いよいよ降ってきましたな! 急いで9階にある我が家のベランダに出て見下ろしてみると、あたりはもう白一色の世界。小学校低学年くらいの坊やが数人、早くも雪合戦のようなことをして遊んでいます。うっほっほ、これはかなり積もりそうですよ・・・。 もちろん、豪雪地帯にお住まいの方にとっては、大雪は決して歓迎できないものであることは分かっていますが、私のような都会っ子にとって雪というのは、たとえ風花が舞う程度でも心楽しいもの。ましてや積もる雪ともなると、これはもう子供っぽい心踊りを抑えられないようなものであります。 雪の日といって今でも思い出すのは、小学校低学年の頃の冬の日のこと。その日私はまたま風邪で高熱を出して学校を休んでいたのですが、その日に限って東京では何年かに一度というような大雪となり、見る間に10センチほど積もったんです。で、今頃友達は学校で雪合戦をしているだろうと思うともう情けなくて情けなくて、譫言のように「少しの間でもいいから外に出してくれ、雪に触らせてくれ」と母に泣いて頼んだのでした。もちろん、嘆願は却下されましたが。あの時の無念の気持ち、あれは忘れられないですなあ。 それからあれは中学1年の時の冬、やはり大雪が降ったことがあって、その時は授業中に突然校内アナウンスが入り、授業はただちに中止、これから全学年で雪合戦をやる、ということが告げられたんです。あの時は、学校の粋な計らいに狂喜しましたね。しかし、何しろ上級生・下級生・男子・女子入り乱れて数百人で行なう雪合戦ですからね、ほんと、壮絶でしたよー。あんな面白い雪合戦は、あれ以来やったことがありません。 雪というと、まだまだ思い出すことはありますけど、こういう子供の時の気持ち、たまにしか降らない雪を何としてでも楽しみたいという気持ちは、不惑を越えた今なお私の胸を去りませんなあ。 さてさて、今日は本当は外へ出る予定はなかったのですが、こうなってくると話は変わってきます。仕事が一段落したら、家内をつれて買物がてら、ちょっとこの辺りを一回り、雪の中の散歩と洒落ましょうかね。
December 18, 2005
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今日のこと、というより昨日のことなんですけど、昨日は給料日で、しかも研究日で家にいたものですから、お昼、家内を連れ出して近くのフランス料理店にランチをしに行きました。行ったお店は「ビストロ IGUCHI」というお店。時々そのお店の前を通ることがあるものですから、前々から一度行ってみたかったんです。 お店に入ると、外見よりも案外小さなお店で、15人ほど入ったらもう満席という感じ。でも、えてしてこういう小さなお店が名店だったりしますからね。ワクワク! で、注文した品はと言いますと、お昼はコースしかないので、コースを頼むことにし、肉料理と魚料理の中から魚料理の方をセレクト。そして待つことしばし。まず最初に出てきたのは前菜。蛸のマリネ、キノコのキッシュ、林檎の生ハム巻き、そしてサラダです。この中では特にキッシュがおいしかったですねー。蛸もよかったけれど、生ハムと林檎は、うーん、それほど相性がいいとは思わなかったなあ。二つあったので、二つ目は別々に食べましたけど。 そしてスープ。あさりの入っていないクラムチャウダーみたいな感じでしたが、これが絶品。玄米なんかも入っているようで、オーガニックな感じがします。これはうまかった。 そして次はいよいよメイン。一度ソテーした鯛とホタテをさらにスープ仕立てにしたような感じの料理でしたけど、これもなかなかおいしかったです。でも、もう一振り、塩味が効いていたらさらに良かったかな。こういう場合の塩味の足りなさというのは、まさに隔靴掻痒の感があって、なんとももどかしい・・・。テーブルに塩が置いてあれば、シェフの見ていない時にささっと一振りしたのですけどね。 ただこのお店で少しびっくりしたのは、パンの他に炊き込みご飯が料理についてきたこと。うーん、「ビストロ」を名乗るお店にしてこれはどうなんだろうか・・・。もちろん、すっごくおいしい炊き込みご飯ならともかく、ごく普通のものをつけるくらいなら、パンのレベルをもう一段上げた方がいいのではないかと思うのですが。 そして最後はコーヒーとデザート。デザートは木の実やレーズンの入ったパイみたいなものに、蜂蜜のアイスクリーム、これに果物が少々散らしてある感じ。これは、まあ合格です。 とまあ、こんな感じの内容のランチで、お代は一人1600円。ま、妥当、と言えば妥当ですかね。キッシュとスープは非常においしかったし、料理の方向性も悪くなかったので、もう一度くらいトライしてから、行きつけにするかどうかの判断を下すことといたしましょう。 さて、かくお昼を楽しんだあと、我々は家に帰ったのですが、途中、もう一軒、電気屋さんに寄り道をしました。実は私の愛用する電気シェーバーのバッテリーが寿命を迎えたらしく、いくら充電しても動かないようになってしまったんです。で、その充電池を交換してもらおうと思ったわけ。 ところが電気屋さんに附属する「修理部」にシェーバーを持ち込んで相談してみると、電池交換に5250円要するとのこと。うひゃー! このシェーバー、もう7年使っているので愛着はありますし、古いものを修理して長く使うことを私は日頃から心がけているわけですけど、しかし5250円は少し高いですね。もし、ここで電池を入れ換えたとして、もう7年も使っているものですから、ひょっとするとすぐにまた別なところが壊れるかも知れない。内刃・外刃とも相当すり減っているはずですし・・・。 で、「ちょっと考えさせて下さい」といって、電気屋さんの売り場の方に行ってみると、新品のシェーバーが各種ずらりと並んでいる。高いものは3万円ほどしますが、それこそ先程の充電池代と同じほどの値段でも結構色々あります。うーん、悩むなあ。私の耳元では、白い天使のような釈迦楽妖精が「エコ、エコ。古いものを長く愛用してこそのエコロジーでしょう。お前がよく口にする『もったいない』の精神はどこへ行ったの?」なんて囁きます。しかし反対側の耳元では尖った尻尾を持った黒い釈迦楽妖精が「買っちまえよ、新品。今日は給料日なんだろ。シェーバーと何とかは新しいのがいい、って言うぞ」と唆します。オー、マイガッ! 結局新しいの買ってしまった・・・。 前の奴はナショナル製品でしたけど、今度のは日立製。形も何だかうねうねとしていてカッコいいぞ。で、家に帰ってから実際に使ってみると・・・ おお! 抜群の剃り味! 結果的には新しいシェーバーを買って大満足なんですけど、それにしても、人間の欲望を前にして、「エコロジー」の精神を貫くのって難しいですね。「もったいない」からと言って古いものを長く使おうとすると、返ってお金がかかってしまう。それが今のデフレ経済ですから・・・。 ということで、新品のシェーバーでお肌つるつる、だけど、誘惑に負けてポリシーを貫けなかったことへの忸怩たる思いがほんの少し残る、そんな週末のワタクシなのでした。
December 17, 2005
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「もし何か人間以外のものに生まれ変わるなら、何になりたくないか?」というのは、私が子供の頃、よく考えた命題でした。 で、私の答えは、と言いますと、ズバリ「蛍光灯」です。ま、たとえばデパートみたいな賑やかなところに点いている奴なら我慢どころですけど、私が絶対に生まれ変わりたくないと思うのは、うら寂しーいところで点灯している蛍光灯。たとえば場末のスナックか何かで、店の看板を照らし出しているのとか、そんな感じの奴です。あれは、侘しい。冬場とかだと、なおさら寒そうだし。 しかも蛍光灯というのは寿命がくるとジーー、パッチン、ジーー、パッチンと断末魔的な点滅をするじゃないですか。あれがまた妙に貧乏臭いんですよね。どうせなら白熱電球のように威勢よく、ビシッという閃光と共に寿命を終えればいいのに。 ところで、なんでまた急にそんなことを言い出すかといいますと、実は我が家の台所の蛍光灯がどうやら寿命らしく、夕べからそのジーー、パッチンをやり出したからなんです。で、それを見ているうちに、子供の頃の「命題」を思い出してしまったというわけ。今日は、こいつをどうにか取り替えなければなりますまい。私は機械類が苦手なもんで、蛍光灯取り替えるのもひと苦労なんですよね。やれやれ、家に買い置き、あったかしゃん? (あったかなぁ?という意味の名古屋弁)。 ちなみに、(ま、どーでもいいことですが・・・)、私が人間以外のもので、生まれ変わってもいいかな、と思っているものは何かと言いますと、高圧送電線です。あれはいい! なんだか巨人神たちが山や谷の上に足を踏ん張り、互いに手をつないで、人間の暮らしを見守っているような感じがするじゃないですか。おおらかで勇壮な感じがとてもステキ・・・。 もっとも、私が「蛍光灯にはなりたくないな」とか、「高圧送電線にならなってもいい」なんて言うと、大抵人からは「この人、大丈夫?」という顔をされるので、どうやらノーマルな人は「人間以外のものに生まれ変わるなら・・・」という問いは発しないらしいですね。ま、「生まれ変わるなら男がいいか、女がいいか」くらいなことは考えるのでしょうけど。 そうだ! あとで家内に聞いてみよう。人間以外のもので、何になりたくないか。あるいは、なりたいか。 その前に、さっさと蛍光灯取り替えろって話ですよね。はい、はい、替えます、替えます。そういや、そろそろ年末の大掃除の準備も始めなくては。はぁーー、あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ、だらけだなあ・・・。これだから師走って奴は・・・。
December 16, 2005
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なんか最近、仕事で疲れているせいか、妙に酸っぱいモノが食べたいんですよね。 夕食の時など、副食品が十分に揃っているにも係わらず、敢えて「梅干し食べよっかな」とか、「もずく、ある?」なんて家内に注文を出してしまったり。もちろん、蜜柑はあればあるだけ食べてしまいます。 まさか・・・妊娠? アホなことはさておき、そんな酸っぱいモノブームの只中にある私が、最近気に入っているものは何かと申しますと、実は、私自ら考案したカクテルなんです。で、そのカクテルとは・・・ ズバリ、「黒酢&ウイスキー」でーす! ちょっと沈静化した感のある「黒酢ブーム」ですが、我が家も御多分にもれず、DHCに注文して一瓶買ってあったんです。しかし、あれも実際飲もうとすると結構強烈に酸っぱいわけで、一時の興味が引いてしまった後、なかなか減らないまま冷蔵庫の中に鎮座ましましていたわけ。 で、最近の酸っぱいモノブームで、「よし、あの黒酢を一つ飲んでやろう」と思いついたわけですが、やはり直接飲むとなると少し勇気が要る。そこで何かで割ったらいいのではないかと思いつつ、辺りを見渡した時にふと目に入ってきたのがウイスキーの瓶。実はこれもまた少し前に「シングルモルト・ウイスキー」なるものに憧れた時期があって、試しに一瓶買ってみたはいいけれど、結局蒸留酒は私向きではないということが判明して、なかなか減らないまま置いてあったんですね。 つまり、黒酢もウイスキーも、一時の興味で買ったまま、放っておかれたもの同士だったわけ。そしてその「除け者」二つが、まさに私の視線の中で幸福な出会いをしてしまったわけですよ。 で、インスピレーションに導かれるまま、何となく黒酢とウイスキーを3対1くらいの割合でブレンドしたものをショットグラスに注ぎ、ぐっと一息に飲んでみたと思ってみなせえ。すると・・・ う、まーーい!! 何とこれが旨かったんです。黒酢のつんとくる部分はウイスキーの甘みで中和され、一方、ウイスキーのむっとくるアルコール感は黒酢のシャープな酸味で中和され、両者がうまいこと互いの短所を消し合ってしまったとでも言いましょうか。いやー、偶然とは言え、釈迦楽教授特製カクテルの完成です。これ、名前を決めなきゃいかんなぁ。 というわけで、今日も朝から3コマ講義して疲労困憊ですから、家に帰ったら特製カクテルで景気をつけようと思っているんです。 黒酢&ウイスキー、おいしいですよ。皆さんも是非一度、お試しあれ!
December 15, 2005
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京都で起こった学習塾講師による女児殺害事件。先日、容疑者の在籍する同志社大学の学長が謝罪していましたね。何しろ以前、窃盗・傷害事件を起こした学生を、停学処分にしたとはいえ、大学に在籍はさせていたのですから、学長としてもこの不祥事に際して頭を下げる必要があったのでしょう。 しかし、この件に関して多くの方は「天下の同志社大学たるもの、何で窃盗・傷害事件を起こして警察のご厄介になった学生を、停学処分くらいで済ませてしまったんだろう?」と思ったのではないでしょうか。 でも、私、その辺の事情がよーく分かります。大学における処罰制度の実態がどういうものか、知ってますからね。 と言いますのは、以前うちの大学でも同じようなことがありまして・・・。あ! 今のは嘘です。もとい。 ・・・と言いますのは、以前、私の「友人」の勤務先の大学でも同じようなことがありまして、詐欺事件をやらかして逮捕された学生が出たことがあるのですよ。で、たまたま私の友人は、不祥事を起こした学生の処分を決める委員会に所属していたもので、その逮捕にも立ち会ったんですね。皆さんはご存じかどうか、大学のキャンパス内というのはいわば治外法権みたいなところがありまして、通常、警察といえども大学構内には許可なく立ち入れないことになっています。ですから、大学の寮生だったその学生を逮捕するのにも、大学教員の立ち会いが必要だったんです。 で、私の友人もその逮捕劇に立ち会ったわけですよ。数名の刑事さんと一緒にね。そんなこと、めったにない経験でしょ? ちなみに、お縄を頂戴した学生は女子学生でしたから、こういう場面になったら泣き出すだろうと思いきや、結局最後までふてぶてしい態度をとっていたのだとか。それを見ながら、「馬鹿な奴。これでこいつの人生も終わりだな」と思ったものです。いや、「そう思った」と友人が言っていました。 ところがですね、ぜんぜん終わりじゃなかったんです。それどころか、そこから彼女にとっての薔薇色の人生が始まったようなもんですわ。 もちろん友人の大学では、この逮捕劇を受けて、当該学生に対する処罰を決める必要に迫られたのであって、私の友人としては「刑事なんぞに神聖なキャンパスに踏み込まれ、大学の名誉を著しく傷つけたのだから、即退学で決まりだな」と思いながらその委員会に出席したわけ。ところが、あにはからんや、弟はかるや、その委員会で優勢を占めた意見というのが驚くようなものだったんです。 つまり、「有為な学生の将来をこんなことで傷つけてはいけない」「なるべく軽い処罰に止めて、一刻も早い社会復帰をさせなければいけない」・・・とまあ、そんな感じの意見が圧倒的多数だった、というのです。 ひゃー。実に巧妙、かつ計画的に詐欺をやってのけた学生の、一体どこが「有為」なんだよ! もちろん私の友人は「計画的な詐欺というのは、出来心からしでかす万引きなどとは性質が違う。もし大学が軽微な処罰で済ませたら、それは大学がこの種の罪を軽く見ているというメッセージになってしまう。従って退学こそが唯一妥当な処分である」と獅子吼したのですが、そんな主張が聞き入れられるものかわ・・・。しまいには、「あなたの言っていることは、その学生を『見せしめ』にしようとすることだ!」などと逆襲される始末。私の友人はすかさず「どんな刑罰だって、本質的に『見せしめ』です!」と再逆襲をかけたのですが、結局、圧倒的多数の支持により、当該学生は停学処分で済まされることになってしまった。それもたった半年の。いや、それでも半年になったのは私の友人が頑張ったからで、もう少しで3ヶ月の停学処分で済むところでした。 しかも、それだけじゃないんだなー。犯した罪には見合わないような軽い処罰で済ませたばかりではなく、その停学処分が終わった後、その学生がスムーズに学業復帰できるよう、月に一度面会して、「心のケア」をしよう、というところまで話は進んだそうですよ。私の友人が呆れ果てて、「大学としての処分の期間を過ぎれば、それは他の学生と同じ立場に復帰することを意味するのだから、当該学生を特別扱いにして『心のケア』なんてするのはおかしい」と強硬に主張したことによって、その件は取りやめになったのだそうですけど・・・。 ま、上に述べてきた例からもお分かりのように、日本の大学というのは、不祥事を起こした学生に対して、もんのすごくチヤホヤするところなんですよ。ほとんど「下にも置かないおもてなし」で「おつとめ」を終えた学生さんをお迎えするわけ。何だか、まるで「や」のつく方たちの世界みたいでしょ? でも、正真正銘、それが今の日本の大学なんです。 で、そんな(友人の)経験から推測するに、多分、同志社大学でも同じようなことが起こって、当然退学に処すべき学生を停学処分くらいで済ませたのではないでしょうかね。でも、そんなことするから、結局こういうことが起こって、学長自ら下げたくもない頭を下げるはめになるんですわ。ま、そういう意味では自業自得なんですけど。 このブログでも再三主張していますが、今の日本は犯罪者に対して甘過ぎます。で、そういうふうに犯罪者に対して甘い処分しかしない「つけ」がどこに回ってくるかと言えば、それは私たち自身の身に回ってくるんですよ。今回の同志社の学生の件だって、現在の日本の刑罰に関するあり方を反映したものに過ぎないのであって、ほんとに氷山の一角なのだろうと思います。 犯罪者にはふさわしき厳罰を! これ、教授(とその友人)のおすすめです。
December 14, 2005
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どういう数え方をしているのか、多分、ビル・ヘイリーの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」の登場(1955年)を起点にしているのだろうと思いますが、今年はロックという音楽ジャンルが誕生してから50年目の節目にあたる年なのだそうで、それを記念して、今、NHKの衛星放送で連日特集番組が組まれています。 昨日は第1回目で、私は途中から見たのですが、創成期のロックからビートルズ、ローリング・ストーンズ、ボブ・ディランといったところ、さらにジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリンといったウッドストック世代あたりまでが取り上げられていました。 で、今日はそれに続いて1970年代あたりが取り上げられていて、レッド・ツェッペリンだのディープ・パープルだのといったあたりから始まり、キング・クリムゾン、イエスといったプログレッシヴ・ロックの連中、さらにデビッド・ボウイーやT・レックスなどのグラム・ロック系、さらにキャロル・キングだ、ボストンだ、スティーリー・ダンだ、シカゴだといった70年代の懐かしいところ、あるいはクイーンだ、キッスだ、ドゥービーだ、イーグルスだといったところまでが登場していました。うーん、懐かしい! この辺は私にとっての懐メロですからね。今どきのヒップホップ系にまったく興味がない私にとしては、こういう昔ながらの、ちゃんとメロディーのあった頃のロックが聴けるチャンスは逃せません。 でもそうは言ってもやっぱり好みはあって、昔のロックのすべてが好みというわけではない。じゃ、どれが好みかと言われれば、もちろんまずはビートルズ。これは別格。 で、この奇跡的なグループ以外で言いますと、たとえばジミ・ヘンなんていうのは、あの印象的な顔も含め、その存在感はやっぱり凄いと思いますね。たとえば現代の天才ミュージシャン・プリンスにしても、明らかにジミ・ヘンの動きをなぞっていた時代がある。あとクイーンも、今聞いても相変わらずいいなあ。あと、スティーリー・ダンなんていうのは、昔は特に好きというほどではなかったですけど、今聴くと、なるほどと思うところがある。 一方、ハードロック系・プログレ系は、昔も今も理解できず、ってところかな。 というわけで、ロック50年の歴史を振り返りつつ、子供の頃に親しんだ音楽を懐かしみながら、連日この番組を楽しんでいるところなんです。 しかし・・・。それにしてもこの「ロック誕生50年」という番組、何ともいえず絶妙にセンスが悪いんですよ! ただ淡々と昔のビデオを流せばいいものを、妙な演出をするんです。変な外国人の女の子がゆるいタイミングで登場してきて、司会者に絡んでみたり、そうかと思うとサングラスかけて髭を生やした変なヒッピー・オヤジみたいなのが時々イメージ映像みたいな感じで登場して英語で何やら一言呟いてみたり・・・。この独特のセンスの悪さは、一体何なのだろう? なーんかロック・ファン特有のおたく的なセンスが微妙に漂うんですよね。これは何とかならんものかなー。 ま、難しいところですけど、こういう趣味性の強い番組をやる時は、その道一筋って感じのマニアックな人たちに仕切らせるより、ある程度詳しいけれど、それでいて適当に距離を置いて対象を眺められる人に仕切らせた方がセンスよくまとまるのではないですかね。私はそんな気がします。その意味で、この番組の司会も、荻原健太氏にやらせるより、小林克也氏にやらせた方が良かったんじゃないのかな、なんて思うんですけど。あるいは私にやらせるとか。私だったらくだくだしい解説は極力少なくして、懐かしいビデオをじゃんじゃん流しますよ。 もっとも、二日間見続けて慣れてくると、逆にこのセンスの悪さが笑えてきて、むしろ楽しみになって来るところもあるんですけどね。 明日は3日目。いよいよ70年代末から80年代にかけてのロックが取り上げられることになりそうです。ということで、独特のセンスの悪さも含め、明日もまたこの「ロック誕生50年」という番組を、楽しんで見てしまいそうなワタクシなのでした。
December 13, 2005
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私の大学の研究室は建物の3階にあるのですが、そこの窓辺に大きな欅の木が立っていて、これが精一杯、好き勝手に枝を張っているんです。ですから夏場はもう窓一面が風にそよぐ緑に埋まり、木の向こう側なんか見えなくなってしまう。もちろん、それはそれでなかなか良い感じです。 しかしこれが今時分になりますと、あれよ、あれよという間に葉が散っていって、日一日と見通しがよくなってくるんです。もう半分くらい落葉したかな? 多分来週あたりには、この木も完全な裸木となって、ビュッフェの絵に出てくるような輪郭鋭い放射状の枝を、冬の寒空に向かって突き出すようになるでしょう。そうするとまたしばらくぶりで、木の枝越しに遠くの景色がこの部屋からもはっきりと見えてくることになる。それもまた善きかな、なんですけどね。 ところで、そうやって窓から見える冬の景色がどんどん広がって来る頃になると、私はジャニス・イアンというアメリカの女性歌手の歌が妙に聴きたくなってくるんです。ま、彼女の場合、季節としての冬、あるいは心の中の冬を歌った名曲が多いせいでしょう。ということで、ここ数日、家でも彼女のCDをよくかけています。 ところでジャニス・イアンって、ご存じでしょうか。かつて多摩川の氾濫で家を失う家族を描いた山田太一のテレビ・ドラマ、『岸辺のアルバム』をご覧になっていた方なら、テーマソングとして使われていた「ウィル・ユー・ダンス?」という歌を覚えておられると思いますが、あれを歌っていたのがジャニス・イアンです。1970年代に活躍したシンガー&ソングライターで、私もちょうど洋楽を聴き始めた頃ですし、こう言っては何ですが、どちらかというと「素人受け」する曲調の曲を作る人ですから、子供の頃の私にとっては好きな歌手の一人でしたね。もちろん、その頃は歌詞の意味なんて分かりませんから、曲調で好き嫌いを決めるしかないんですけど、しかし、当時も「何となく寂しい曲だなぁ」という感じはしたので、夏に聴きたいとは思わなかった。私の中で「ジャニス・イアン=冬」というイメージは昔からあったんです。 で、歌詞の意味が分かるようになってから改めて聴いてみると、これがやっぱり寂しく哀しい歌なんですわ。例えば、男の子たちから見向きもされないような、パッとしない17歳の女の子の歌、とかね。ボーイフレンドが一人もいないことを知られないように、わざと人前で、切れている電話に向かって架空のボーイフレンドとおしゃべりを続ける17歳の女の子の思いを歌った歌なんて、もう最高に哀しいじゃないですか。ま、そんな感じの歌ばっかですわ。しかも、それが本人の体験に基づく実話だっていう噂ですから、ますます哀しい。 でも、世の名曲っていうのは、大抵、寂しい歌・哀しい歌ですからね。特に女性が歌う歌の場合、惨めったらしい歌の方が名曲である場合が多いような気がする。「着てはもらえぬセーターを、涙こらえて編んでます」とかね。また私は荒井由美時代のユーミンを高く評価するものですが、当時の彼女の歌の歌詞なんて、哀しいのばっかですよ。「輝きは戻らない、私が今死んでも」とか、「悲しいことがあると、開く革の表紙。卒業写真のあの人は優しい目をしてる」とか、そんな過去を引きずったネガティヴな歌ばっかりでしょう? だから良かったんですよねー。逆に松任谷由美になってからはポジティヴな歌が増えてしまって、その結果、今日の人気の凋落ですからね(ボカッ! 痛! あ、ファンの方でしたか・・・)。 ま、都はるみやユーミンはともかくとして、ジャニス・イアンの歌というのは、冬の寒空を背景に聴くとぴったり来るんですなあ。実は私のゼミ生で、アメリカン・ポップスの歴史を卒論のテーマに選んでいる優秀な奴がいるもので、1970年代のことを述べる時に、ほんの一言でもジャニス・イアンに言及させようかなと思い、今日、これから紹介しようと思っているのです。 ということで、彼に紹介するついでに、ブログをお読みの皆さんにも紹介してしまいましょう。 冬の寒空にジャニス・イアン。これ、教授のおすすめ! です。これこれ! ↓
December 12, 2005
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今日のこと、というより、昨日のことなんですが、昨日は所属する学会の読書会と忘年会が行なわれました。 まず読書会ですが、今年、読書会の対象となったのは、アメリカの女性批評家・作家で、昨年のちょうど今頃物故されたスーザン・ソンタグという人の書いた『反解釈』という本。ま、基本的には文学・演劇・映画などについての評論集で、1966年に出版された彼女の出世作です。 ところで、一般に著述家の出世作には、その人のモノの見方とか、スタイルの基本的な部分が一番よく反映されるものですが、この本の場合も、まさにその一般論がよく当てはまるところがあります。 特に顕著なのは、「芸術作品に向き合う時に人がとるべき態度」に関する彼女の基本的な考え方。ソンタグの(当時の)考えによれば、芸術作品というのは本来、その有り様(スタイル)を全的に体験すべきものである、というのですね。つまり「この作品は、結局、こういうことが言いたいのだ」というふうに、その「内容」を言語化しようとしてはいけない、と彼女は主張するんです。そうやって作品の「内容」を言語的に「解釈」しようとすることは、芸術作品への冒涜だ、というわけ。だからこそこの評論集のタイトルは『反解釈』なんですな。 というわけで、芸術作品を「あるがまま」に体験すること、これこそが芸術に対する正しい向き合い方である、というのが、まあ、ソンタグの主張であるわけですが、こういう考え方、日本人には割と受け容れ易いのではないでしょうか。実際読書会の中でも、その昔、わが国でも世阿弥が同じようなことを主張している、という指摘がありました。でも西欧思想の歴史の中で見ると、こういう考え方は比較的新しいものでもあるのです。 何しろ西欧思想の根本たるプラトンなんかのギリシャ思想からして、芸術は「何かの模倣」に過ぎない、というのですからね。ま、プラトンの場合、芸術作品どころか、この世のありとあらゆるものは「本質」の影絵に過ぎないというわけですが。つまり重要なのは、個々のモノ(例えば芸術作品)ではなく、それらの背後にある「本質的な何か」であるというのが、西欧思想の基本なんですね。ここには、西欧社会が伝統的に持つ「模倣芸術」への根源的な不信がある。 さらにもう少し近いところで言っても、19世紀末から20世紀初頭にかけて西欧では「精神分析」というものが流行したでしょう? あれは、「真実」は表には表れない、表面に見えているものの下、つまり「意識下」にこそあるのだ、という考え方です。つまり、目に見えているもの(形式) の裏側に隠されている真実(内容)を、言語化することこそが「解釈」だ、と考えられてきた歴史がある。これはマルクス主義なんかも同じですね。歴史の背後には必然がある、というのですから。 ですから芸術作品には「隠れた背後」なんかないという主張、すなわち芸術作品を味わうのに、それが「何についての作品であるか」を問うべきではない、というソンタグの主張は、伝統的な西欧の思想の流れからするとかなり反逆的な側面があるわけです。 もっとも、その反逆性は必ずしも突発的に新しいものではないんです。というのは、1910年代あたりから絵画・文学・音楽など様々な芸術分野で一斉に始まった「モダニズム」の運動というのは、そもそも「内容」よりも「形式」を重視する芸術運動ですから。すなわち近代という時代には、既に「何が表現されているか」ではなく、「いかに表現されているか」が芸術を見る上で重要なファクターになっていたんですね。 さらに第2次大戦後、フランスでサルトルなんか出て、「実存主義」なんてものを唱導し始めます。存在するモノにはそれを裏付ける理由なんて必要ない、という実存主義の考え方は、いわば上で述べたモダニズムの極地でもあるわけですが、こういう考え方はソンタグ以前に既に存在していた。 つまり、ソンタグの「反解釈」の主張というのは、伝統的な西欧思想の基本的な考え方へのアンチテーゼではあるものの、その一方でモダニズムの伝統や、それに根ざす1960年代のフランス哲学の伝統といった、西欧思想のもう一つの伝統に棹さすものではあったんですな。要するにソンタグの「反解釈」の主張も、結局こういう時代の流れの中で培われてきたものであるわけですよ。特にフランス実存主義思想から受けた影響は大きかったことは、『反解釈』の中でフランスの思想家・作家の作品が数多く扱われていることからも伺えます。そういえば昨日の読書会の中でも、アメリカの批評家なのにフランスの作品ばかり論じているのは如何なものか、という批判的な指摘もありました。 ちなみにフランスの実存主義哲学というのは、1960年代あたりの日本ではやたらに持て囃されましたよね。いや、1970年代あたりでもまだ、サルトルは偉い人、というイメージがかなり強く残っていたんじゃないでしょうか。子供時代の私ですら、その名前を知っていたわけですから。子供でも知っている偉い人だったからこそ、野坂昭如大先生も某洋酒メーカーのCMの中で、「ソ、ソ、ソクラテスかプラトンか。ニ、ニ、ニーチェかサルトルか。みーんな悩んで大きくなった! (大きいわ、大物よ・・・) 俺もお前も大物だぁ!!」と歌っていたわけですが。 でも今、日本でサルトルだ、実存主義だ、なんて話題になることないじゃないですか。今、モダンを越えたポスト・モダンの時代を生きる我々現代人からすると、実存主義なんてもう古い、という見方がある。それだけに、そうしたモダンな思想の上に乗っかったソンタグの「反解釈」の主張も、もはや古いかな、という感じは否めない・・・。古い、というより、懐かしい、という感じですかね。 その辺の古さ・時代性ゆえに、昨日の読書会の中でも、特に若い参加者の間からは、意外なほど辛辣なソンタグ批判の言葉が飛び交っていました。いや、ソンタグ批判というのは正確ではないか。ソンタグの初期著作に対する批判、というべきですね。ソンタグだってその後、時代の流れの中で随時思想的修正を図ってきたわけですから。 しかし、私の世代、あるいはそれより上の世代の先生方の間からは、そういう時代的な限界はともかくも、ソンタグが実際に文学作品や演劇・映画作品を評論する、その鮮やかな手腕、そして洞察力はやはり凄いではないか、という意見が数多く出されていました。それにまた彼女の文章というのが、これまた実にスマートですからね。大人組はソンタグのそういうところにまずやられてしまうわけですよ。 それに、ソンタグという人がまたいかにも知的で意志の強そうな颯爽とした美人でね。以前彼女が日本に来た時は、当時の日本の知識人は皆、そんな彼女の虜になってしまったところがある。となれば、昔惚れた女の悪口は言えないわけですわ。 とまあそんな感じで、短い時間でしたけれど、昨年亡くなったソンタグの初期評論集を読み直しつつ、彼女の業績と限界をあらためて認識できたという点で、また若い世代と年上の世代の、ソンタグに対する思いの違いが明らかになったという点で、それなりに意味のある読書会になったのではないかと思います。 ちなみに、数日前のブログに書いたように、今回の読書会では、新機軸として休憩時間の間にワインパーティーを催すという企画を立てたのですが、こちらの方もそれなりに喜んでいただけたのではないかな。つまみとして持ち込んだサブウェイ・サンドのパーティーセットも好評でしたし、何と言っても肝心のワインは、楽天ブログ仲間でもあるワイン通の Rokku 教授直々に教えていただいた銘柄を用意しましたから、もちろん好評でしたしね。 そして読書会が終わった後は、名古屋の繁華街の一つである伏見の「みその亭」というところに繰り出して、恒例の忘年会を行いました。ここは、元々老舗旅館だったというだけになかなか趣ある古風なお店で、「御園座」という名古屋の有名な演芸場に出演される芸能人の多くも利用するところらしいですけど、料理もなかなかおいしく、参加者の皆さんには割と好評だったようです。 で、ここでの忘年会がはねた後、さらに飲みに行くというアルコール組と、後はコーヒーでいいやというコーヒー組に分かれましたが、私はもちろんコーヒー組に参加。同じくコーヒー組に参加された学会仲間で才媛のTさんが一年ほど前にご結婚されたということで、その辺りの事情から始まって、かなりディープな恋愛話も含め、盛り上がりました。忘年会というのは、それそのものも面白いですが、その後、小さな集団に分散された後がさらに面白いというところがありますからね。 とまぁそんな感じで、昨日は色々と有意義な一日となりました。でも、何だかんだと気を回して疲れましたわ・・・。今日、日曜日は、骨休めの日ということにしましょう。それでは、また!
December 11, 2005
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前にも言いましたが、今日は所属している学会の読書会兼忘年会の日。先程帰って来ましたが、ちょいと草臥れてしまったので、今日のことはまた明日書きますね。 しかし、「草臥れた」という漢字、いいですね。草がなよっと横になっている図が想像できて、いかにも「ほよよ、疲れた・・・」って感じがします。 ということで、今日はもうお休みなさい。ぐーぐー。
December 10, 2005
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今朝、ちょいと野暮用があり、少し遠くまで車に乗って一人で買物に出かけたんです。で、お昼ちょっと前に帰宅し、車を駐車場に止め、後部座席に置いてあった荷物を取ろうとしたところ・・・ ギクリ・・・。 思わず、ギクリ、としましたね。後部座席のほとんどドアに近いところに、黒い手袋が落ちている・・・。しかも片方だけ・・・。 ギョエーーーー! 何だよ、これは! びっくりしましたよ。だって、ここ最近、後部座席に人を乗せたことないんですもの。これは一体誰の手袋なんだ! しかも黒い手袋・・・。ひゃー、まさか死神の御告げか?! 恐る恐るつまんで家に持ち帰り、家内に見せたところ、もちろん見覚えがないとのこと。私にしても、数日前に同僚を車に乗せたことは乗せましたが、それは助手席であって、後部座席ではないし・・・。 いや待てよ、そういえばやはり一週間ほど前に義兄が家に遊びに来た際、彼を後部座席に乗せたことがあったぞ。と思って、家内に実家に電話をかけてもらったところ、手袋を無くしたことなぞないとのこと。それどころか電話に出られた義母上様が家内に「釈迦楽さん、ひょっとしてあんたの知らんところで、誰か女の人でも車に乗せとるのではないの?」などとお戯れを・・・。 ん? そういえばこの手袋、女物・・・。 知らん! わしゃ、知らんですぞ! 私は潔白です! 信じて! というわけで、私は何だかいやーな汗をかきながら(?)、あーでもない、こーでもないと首をひねっていたのですが、そのうちに家内が、「これ、ひょっとしてお義母様のではないの?」と言い出したのです。 いや、しかし母が家に遊びに来たのは夏休み前だぞ、まさかそんな時期に手袋なぞ・・・と言い返しましたが、よく考えたらその後私は何度か東京の実家に帰ったことがあり、その時、母を後部座席に乗せることもあったような・・・。 あ! そうだ! この手袋、母がしているのを見たことがあるかも! で、早速家に電話して母に問い合わせると、そういえば最近手袋の片方が見当たらず、別な手袋ばかりしていたとのこと。なーんだ、そうか! いやー、良かった。一件落着。ふー、危うく妙な誤解を招くところだった。 しかしそれにしても最後に私が実家に帰ってからもう1ヶ月近くは経ちますよ。その間、何度となく後部座席のドアを開けたはずなのに、今日までずっとその手袋に気づかなかったんですかねぇ・・・。確かに、座席とドアの隙間に挟まるように丸まっていたのではありますが・・・。 いやはや、それにしても片方だけの黒い手袋、(色々な意味で)怖かった。皆様も、後部座席の忘れ物にはご用心、ご用心。
December 9, 2005
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12月8日はジョン・レノン没後25年だったそうですな。もうそんなになりますか・・・。 彼が殺された時、私は横浜市にある男子校に通う高校生でしたが、たまたまこの時期、この高校で「体験入寮」という行事があり、私はクラスメートとともに1週間、高校附属の寮に泊り込んでいたんです。 で、ジョン・レノンが殺されたというニュースが入ってきたその夜は、その話題で持ちきりでしたね。コアな洋楽ファン、とりわけビートルズ・ファンが何人かいて、彼らがしきりにレノンがいかに偉大なアーティストであったかを熱っぽく語っていましたっけ。 私はといえば、「ビートルズは偉大だったが、解散後の各メンバーの活動は期待外れだ。レノンにしても、解散後、ろくな歌を作っていない。殺されたのは気の毒だが、既に彼の役目は終わっている」というようなことを言って、レノン・ファンの連中から嫌な顔をされたものでした。 でも、ま、今でもそう思っているかな。人はよく「イマジン」や「ウーマン」といったビートルズ解散後のレノンの曲を名曲と言いますが、私にはそんな風には思えません。 しかし、ビートルズ時代のこととなれば、話はまったく別。この時のレノンは、ポールやその他のメンバーとのコラボレーションの中で、奇跡的な曲を量産してましたからね。好きな曲は数えきれませんが、中でも1曲選べと言われたら、んー、そうですね、アルバム『マジカル・ミステリー・ツアー』に入っている『アイ・アム・ザ・ウォルラス』(I Am the Walrus)かな。この曲はいわばサイケデリック世代のマザー・グース。こんな曲、レノンにしか書けません。 ま、ビートルズの話になると私もうるさい方ですから、これ以上話し出すと止まらなくなるので、これについてはまた別の機会に譲ります。 それにしても、もうあれから25年が経ったのかと思うと、エー!って感じですね。あの頃の私には、25年後の自分がどこで何をしているかなんて、想像もつかなかったなぁ。実際今、こうしているわけですが、それは望み多き高校時代の私の目から見た場合、果たして満足の行くものと言えるのだろうか・・・。ま、それについても言わないでおきますか。 ジョン・レノン没後25年。今思えば、彼の衝撃的な死は、私にとっても自分の生きてきた時間の里程標にはなっていますね。今宵は彼のためにあらためて合掌しておきましょう。合掌。
December 8, 2005
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私の所属するアメリカ文学関係の学会では、今週末、年末恒例の「読書会」が開かれます。 ま、学会ですから、普段の例会では会員による真面目な研究発表が行なわれるのですが、年末の読書会は例会とはまたちょっと趣向が変わりまして、アメリカ文学関係の本を1冊、参加者全員が読んでくることにし、その上で、この本をめぐって喧々諤々の討論をする、ということをやります。「討論」と言っても、この会の趣旨はそもそも専門家であろうと素人であろうと、とにかくその本を読んで感じたこと、考えたことを自由に披露しあうというものですから、会の雰囲気は決して堅苦しいものではありません。ベテランの教授も大学院生も、同じ土俵で楽しく議論を戦わせています。 で、その楽しい会合をより楽しくしてやろうというのが、今回、この会を仕切る私の狙いなんです。 どうやって「より楽しくする」かと言いますと、・・・飛び道具を使うんです。お酒ですよ、お酒! 実は今回、会の途中の休憩時間の間に、ワインを出そうと思っているんです。今まで読書会の途中にお酒を飲むなんてことをやったことはないのですが、今回はほとんど私の独断でこの企画にトライすることにしちゃったわけ。・・・だって、ワイン片手の読書会なんて、ちょっと洒落ているじゃないですか。 それに少量のお酒は人の気を大きくしますからね。気楽な討論とはいえ、それでもやはり少し気後れして積極的に討論に参加できない人も、少しお酒が入ればその勢いで発言してくれるかも知れませんし。いや、もともと積極的に発言される方が、お酒が入ることでより一層調子づいちゃうかな? でもそれはそれでいいですよ、楽しくて。こういう会は盛り上がってなんぼのもんですから。 もちろんワインだけではないですよ。つまみも用意しないとね。やっぱりワインときたらチーズかな? できたらチーズも各種用意しちゃいましょう。それからコーヒーも、いつものインスタント・コーヒーではなく、本物のコーヒーを淹れようと思っているんです。日頃、勤務先の大学で鍛えた私の「コーヒー職人」としての腕前を見せてあげようじゃないですか。 ということで、現在、他の運営委員の先生方とも連絡をとりあって、色々と企画を画策しているところなんですけど、いい会になればいいなと思っています。また、後日談をこのブログでも報告しますね。それでは!
December 7, 2005
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今朝、朝刊をパッと開いて目に飛び込んできたものといえば・・・ 栃木幼女殺人事件の続報 大阪姉妹殺人事件の続報 母親、18歳の娘を12年間監禁 41歳男、女子高生を監禁・暴行 ・・・。 何だこりゃ? 破廉恥な事件ばかりで新聞が埋め尽くされた感がありますけど、どうなってんですか、我が国は・・・。 で、呆れながらも読み進めると、これがまた「何だこりゃ」のオンパレードです。 例えば18歳監禁事件に関して言うと、関係者若干名は監禁の事実を知っていながら放置していたとのこと。しかし、いじめとか虐待の問題で、そういう事実を知りながら放っておいたために、学校や児童相談所などが責任を問われるケースがこれまでも数え切れないほどありましたよね。そういうケースを見ていながら、今回の監禁のことを知っていた人たちは、なぜ放っておいたのか? わけが分からん・・・。 それから大阪姉妹殺人事件の容疑者、これがまた何と過去に自分の母親を殺した男だそうですが、そんな奴をあっさり娑婆に送り出した上、さらなる悪の道に入るままにさせておいた司法当局に問題はないのか? それから、幼女誘拐殺人が続いて世間がぴりぴりしているところへ持ってきて女子高生監禁・暴行する中年男。もう、何をか況わんやですなぁ・・・。 で、これらのこともトホホなことばかりですが、今、世間を騒がせている「栃木幼女殺人事件」の報道、これもどうかと思います。 前にも一度書きましたけれど、この種の事件が起こった時、最近のマスコミはやけに事細かに報道しますよね。新聞読んでいると、日々の捜査の進展が手に取るように分かる。もうほとんど「国民総湾岸署化」ですわ。 しかし、被害者でない我々はいいですけど、被害にあったお子さんの親御さんの気持ちを思ったら、どうなんですかね、こういう報道。だって、被害者の小さな女の子の頬に「殴られた痕があった」なんてこと、親御さんとしては読みたくないでしょう。自分が読みたくないばかりでなく、人に読まれたくもないんじゃないでしょうか。「幼女の身体から犯人の体液(汗)を採取」なんて、想像もしたくないんじゃないかなぁ。実際、そんなこと一々報道する必要がどこにあるのか。我々が捜査しているんじゃないんですから。 それに、警察も警察だ。マスコミの要求に合わせてペラペラしゃべるなよ。 それとも、あれですかね、捜査の手が少しずつ自分に伸びていることを感じさせて、犯人を精神的に追いつめようというのかな。うーん、ま、それなら、ちょっとは意味があるかも知れないけど・・・。 でもやっぱり、一々報道すべきこととは思えないな。 ま、とにかく、朝からこういう破廉恥な事件とその報道ばかり読まされるなんて、この国は完全に「たが」がはずれちゃってますな。世も末だ。 小泉さんでも誰でもいいですけど、郵政改革の次は刑法改革してもらいたいもんです。それで、こういう破廉恥な犯罪者を厳罰に処せるようにしてもらいたい。それからついでに、マスコミも少しは考えた報道をしなさいって!
December 6, 2005
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先日、大学にある自分のメールボックスを開けたら、どさどさっと本の山が崩れ落ちてきて、危うく下敷きになるところに・・・。うわっ、何だこりゃ! なーんだ、研究費で買った本じゃん。わーい。 というわけで、今、我が家の書斎は大学から持ち帰った本が山積み状態。で、興味の向くままあれこれひっぱり出しては読んでいるのですが・・・。 うーん、ダメだ。いま一つ身が入らない。やっぱ研究費で買った本って、ダメだなーー。 実は、研究費で買う本には、色々悪条件があるのです。 まず、「あ、この本面白そう!」と思って、購入のための書類を作って事務に提出してから、実際に本が手元に届くまでに大体6週間から8週間くらいかかるというのが一つ目の問題点。その本を買おうと思った時には存在した「暇な時間」が、本が届いた時にあるとは限らないんです。実際、今は師走でてんてこ舞いの忙しさ。とりあえず用のない本を読んでいる暇がない・・・。 それから、本が届く時には一度にどさっと届く、というのも問題ありなんですよね。お腹が死ぬほど空いている人の前に、膨大な種類のご馳走を並べてしまったら、どれから食べていいのか目移りしてしまって、とりあえず口に入れたご馳走の味もろくに分からないということになるのでしょうが、本もこれと同じで、一度にどさっと届いた本の山に幻惑され、この本をちょこっと、あの本をちょこっと、なんて読み方をついついしてしまい、結局気もそぞろで何を読んでいるのか分からなくなってしまうんです。いや、実際、今の私がこれです。 また、研究費で買うということは、つまり自腹を切ってないということですから、これも良くないんですな。自腹を切るとなれば、本の価値と値段を勘案しつつ、本当にこの本が自分に必要かどうか、よほど吟味してから買いますが、研究費で買うとなると、専用の書類にちょちょっと書き込むだけで買えてしまうので、「本当に必要か」なんていうギリギリのところまで考えず、「ちょっと興味がある」くらいのところで買ってしまう。その程度の興味で買っていることが多いので、それが数週間後に届く頃には、「あれ、こんな本買ったっけ?」なんてことにもなる・・・。 あー、ダメだ、ダメだ! 昔はこんなではなかった。家庭教師で稼いだお金をほぼ全額本の購入に充てていた大学院生の頃。苦労して買った本だけに、そこからできるだけ多くのものを吸収しようと、難解な本にも必死に食らい付いていったっけなあ・・・。あの頃のことを考えると、今の私は恵まれた境遇に甘え過ぎです、明らかに。 反省! これからは、よーく考えよう。ご本は大事だよ。 おーし、今日から心を入れ替えて、一書入魂。気合を入れて本を選び、必要とあらばじゃんじゃん身銭を切ろう! そして買った本はとことん読もう! と思う、今日この頃なのでありました。 でもとりあえず今日のところは、あっちの本からちょこっと、こっちの本からちょこっと、拾い読みしようっと。 結局、今日も反省の色なしじゃん!!
December 5, 2005
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今日の名古屋地方は朝から冷たい雨。気温も上がらず、昨日から寒い日が続いています。 ところで、昼頃東京の実家に電話してみると、東京の方は名古屋ほど天気が崩れていないようでしたね。昨日などは、結構いい天気だったのだとか。 で、話によると父と母は昨日、神宮外苑に行って銀杏並木の紅葉を見に行ったとのこと。今年はひと際、見事な紅葉ぶりで、人出もものすごかったそうです。そういえば、我が家の近くにも銀杏並木がありますが、言われてみれば今年は例年以上にきれいな紅葉を見せてくれていたような気がしますね。当たり年だったのかな? ところが先日、車でその道を通ったら、そのきれいな紅葉をしている銀杏を作業員の方たちがギコギコ枝打ちしているんです。街路樹ですから、伸びすぎた枝が電線に干渉してしまうのでしょう。それにしても、せっかくきれいに紅葉しているものを、今が今、枝打ちするなんて無粋ですなぁ。もう少し待てば落葉して裸木になるのだから、そうなった段階で切ればいいのに・・・。紅葉した銀杏の葉を題材に「金色の小さき鳥のかたちして 銀杏散るなり 夕日の丘に」と詠んだのは与謝野晶子ですが、確かに銀杏の葉って「金色の小鳥」のような感じがする。その無数の金色の小鳥たちが、無惨、トラックの荷台に山積みされている様は、何だか妙に可哀相な感じがしましたよ。 ま、それはさておき、この与謝野晶子の歌、久々に思い出しましたけど、前半部分はいいとして、後半はやや陳腐ですなあ。私はいつも思うのですけど、人口に膾炙する歌というのは、必ずしも名歌ではないような気がする。俳句も同じで、子規の「柿食えば・・・」にしても、私は別に天下の名句とは思いませんが、たいていの人は「鐘が鳴るなり法隆寺」と続けますからね。 ちなみに、冬を詠んだ歌で私の好きなのは、「けふひと日 庭にひびきし斧の音--。しずかになりて 夕いたれり」という奴。あはは、誰の歌か知らないでしょう。「--。」の部分が、実は大ヒントなんですけど。あと俳句ですと「冬菊や まとうはおのが光のみ」かな。これも一般には有名じゃないだろうな。 ま、それはともかく、銀杏の紅葉が終わると、もう本格的な冬ですなあ・・・。明日あたりも、かなり寒くなるようですが、今日はあったかくして寝よう。それでは、皆様も風邪など召しませぬようにお気をつけ下さいマセマセ。
December 4, 2005
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昨日は研究日で自宅に居たのですが、仕事の方はさほど捗らず・・・。教務関係の事務仕事もこなさなければならないので、どうも集中力が削がれるんだよなー。 で、夕方になってから、少し気晴らしにと、自宅近くのカフェにコーヒーを飲みに行くことに。 行った先は「q.e.d.」という、数学で言う「証明終わり」みたいな名前のカフェなんですけど、ここは私の一番のお気に入り。雑貨店と一緒の小さなお店なんですが、隠れ家的な居心地の良さがあり、しかも大きめにカットしてくれる手作りケーキが実にうまい! またふわふわに攪拌したミルクの乗ったカフェオレもまた、ズバリ私の好みの味。 またこのカフェに関してもう一つ気に入っているところは、置いてある雑誌が私の好みなんだなー。『エル・デコ』や『フィガロ』、あるいは『LIVING ETC』など国内外の洒落たインテリア・ライフスタイル誌が色々置いてある。これらの雑誌から色々な情報を得ながら、おいしいケーキとカフェオレをいただく。これが最高なんです。 さて、昨日、ファッション誌をパラパラ楽しんでいた家内の隣で私が熟読していたのは、『自給自足』というライフスタイル誌。その号では栃木県の那須に1000坪ほどの土地を買い、あとは半ば手作りで家を建てつつ、そこで家具や草木染めを制作して生計を立てていらっしゃるご夫妻のことが紹介されていました。このブログをずっとお読みの方は「ははーん」とお思いでしょうが、このテの話題、私のツボにドンピシャなんです。いや実際、なかなか素敵でしたよ、その那須のお宅。通りから少し奥に入った林の真っ只中にあるので、周りは自然が一杯。はー、こういうところで暮らしてみたいなー。薪ストーブの薪にする朽木も沢山ありそうですしね。 で、夕方のひとときをのんびり過ごしたあと、カフェの続きになっている雑貨店を一通り覗き、洒落たフランス製の便箋と封筒を買って店を後にしました。その後、近くの古書店で少し古本を見ましたが、今日は特に収穫なし。 帰宅後はしばらく仕事をして夕食、その後は事務仕事。かくして他愛なく一日が終わりました。 でも、夜、テレビのニュースを見ていたら、広島の女子児童誘拐・殺人事件に引き続いて、栃木の方でも同じような事件があったことを報道していましたね。嫌ですなぁ、こういう事件が続くのは。しかもその女の子が誘拐されたと思しき(あるいは遺体が発見された?)山道というのが、先刻、私が憧れのまなざしでうっとり見入っていた那須の風景とそっくりだったという・・・。のんびりした田舎に暮らそうったって、この頃では田舎も危なくてのんびりできないなぁ。 早く犯人が捕まって、しかるべく処罰されることを望みます。とはいえ、たとえ犯人が捕まったとしても、これがまた処罰が決まるまでやたらに時間が掛かる上、犯した罪に見合わないような罰しか下されないんだよな・・・。親友が法律関係の勉強をしているので私はよく知っているのですが、この国の刑法ってホントに犯罪者に優しく、被害者に厳しいんですよ。その昔、拷問したり自白を強要したりして無実の人(政治犯とか)を罰してしまった過去の反省に立ち、現在の日本の刑法では容疑者にされた人を簡単には有罪に出来ないよう、何重ものガード・システムが確立されているんですが、それが今では裏目に出て、明らかに極悪な犯人ですら、容易には厳罰に処せないようになっているんです。この辺、時代に即して大幅な法改正をすべきだと私は思いますけど、普通の日本人は刑法なんかとは縁のない生活をしているので、国民を挙げての法改正要求にはならないんですよね。そこが難しいところで・・・。 ま、それはともかく、昨日はのんびりし過ぎた感があるので、今日はしっかり仕事を捗らせよう。それじゃ、また明日!
December 3, 2005
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いつの間にか年末の行事となった感のある流行語大賞。今年は「小泉劇場」と「想定内(外)」だそうで・・・。 んー。しかし「小泉劇場」というのは流行語かなあ? 候補に上がっていた「愛・地球博」「ブログ」などもそうですが、こういうのは単に話題の現象や出来事を指しているのであって、一般の人が日常会話の中で応用して使うようなものではないと思うのですが・・・。その点で、「想定内」「想定外」の方は流行語の資格はある。応用が効きますからね。もっとも、私はあまり使いませんが。 でも応用が効くという点なら、レイザーラモンHGの「フォーー!」の方が上じゃないですかね。先日も家の近くでドッジボールをしていた小学生たちが盛んに、「こっちだ、フォーー!」「頑張れ、フォーー!」などとやってましたから。小学生だけでなく、私もたまに使ってたりして。「疲れた、フォーー!」「お腹空いた、フォーー!」なんてね。 それはともかく、これを機に我が家独自の流行語って何だろうと考えたのですが、やっぱり「ガク、ガク」かなぁ・・・? このブログでもしばしば登場しますが。前にも説明しましたように、使い方としては肩から前につんのめるようにして「ガク、ガク」と言ってみて下さい。 あと、もう一つ候補としては、「もう、わしゃ帰る!」というのもあります。なんか腹の立つことや、悔しいことがあった時など、怒った振りをしながら憤然と、しかしちょっと可愛く「もう、わしゃ帰る!」と言ってみて下さい。あるいは、逆に打ちひしがれた感じで「もう帰る、わし・・」と言ってもいいです。 ま、我が家だけで受ける流行語ですから・・・。 ところで、今回の「流行語大賞」もさることながら、毎年年末に「今年を象徴する漢字」一字を決める、というのもありますよね。私、あれ、毎年うまいこと決めるもんだなぁと感心しているのですけど、今年は何になるでしょうか。「愛・地球博」がらみ? 「自民党大勝」がらみ? 「放送局買収」がらみ? 私個人としては、ブログで日記を書きまくったから「記」かな・・・。 ま、そんなことをあれこれ考えるのも、年末の一興です。今日も、いい日だ。
December 2, 2005
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昨日、ついに年賀状を購入しました! って、遅いですか? 大抵の方はもうとっくに買ってあるのかな? しかし、この前お正月だと思ってたら、もう来年用の年賀状を書くシーズンになったんですなー。いやはや、早いもんだ。 ところで、ま、これは一つの自慢というか、自負なんですけど、私はいまだにすべての年賀状を手書きで書きます。宛名から何からぜーんぶ。さすがに自宅の住所はハンコをペッタンペッタン押しますが、本文は基本的に全部万年筆による手書き。 しかも、「旧年中はお世話になりました。今年もよろしくお願いします」なんていい加減なもんじゃないですよ。相手に合わせて全部話題を変えますから。 しかも、小学校1年生の時の担任から始めて、2年生の時の担任、3年生の時の担任・・・という感じで、お世話になった担任の先生方にはいまだに出し続けているという気合いの入り方。どうです、すごいでしょ? 自分でも「すごいな」と思います。 ま、実際には、10年ぐらい前から年賀状を差し上げなくなった担任の先生も何人かいますが、これはその先生方が私が差し上げた年賀状への返事として、ずっと印刷した年賀状ばかりを下さったからです。卒業後、20年経ってもまだ細々と近況を報告してくる教え子の年賀状に対し、毎回形式的な印刷物で対応する、その心根に共感が持てなくなったためなんです。 私は私自身が教職に就いていますから、卒業後までも手紙をくれる教え子がいかに少ないか、よく分かっています。逆に、卒業後もずっと年賀状をくれる教え子は、私と共に過ごした学生時代のことを楽しかったと思っていてくれているはずですから、そういう卒業生を私は何より大切にします。それが人情というものでしょう。ですから、私が年賀状を差し上げるのを止めたかつての担任の先生たちというのは、その辺の人情が通じない方なんだ、と私なりに判断させていただいた方々なんです。ま、人のことをとやかく言うつもりはありませんが、あえて言わせていただくならば、こんな簡単で素朴な人情も分からない人に、教師の資格なんかありません。 ま、それはともかく、そんな調子ですから、たかだか百数十枚の年賀状を書くにしても、1日数枚ずつ書いてまるまる1ヶ月掛かります。しかも年末の忙しい時にやるものですから、なかなか大変です。 でも、それはまた楽しい作業でもあります。何しろ私は、時代錯誤的に筆まめな人間なので。それに、親しい人の顔を思い浮かべながら、自分とその人との間で通じる話題について書くのは、本来的に楽しいもんですよ。 ちなみに、小学校時代の担任の先生方に書く場合は「自慢」をすることが多いかな。「昨年はこんな本を出版しました」とか、「今度○○社から出版される辞書には、私も執筆しています」とか、そんな感じですね。これは、私の成長ぶりを見ていただきたいためでもありますが、子供の頃にお世話になった先生方というのは、いわば自分の親みたいなところがありますから、要するに甘えているんですね。 また大学時代・大学院時代の先輩や友人に対しては、「昨年読んだ本・ベスト10」みたいな感じの年賀状を出すことが多いですね。もちろん映画好きの先輩や友人に対しては「昨年見た映画・ベスト10」に変えたりもします。 一方、仕事上の同僚や、日頃お世話になっている方々に対しては、これはもういつも身近に接している方々ばかりですから、ケース・バイ・ケースで話題を変えます。 そして教え子からの年賀状については、逆に彼らの「甘え」を楽しく聞いてあげるようにしています。それが「順番」だと思っていますから。 ま、そんなこんなで、今年もこれから毎日、年賀状を書き続ける日々となるわけですわ。愛用のウォーターマンの万年筆に新たにインクを注入して、さあ、今日から取りかかりますか。 今日から「師走」、ですね。
December 1, 2005
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