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やまとは 国のまほろばたたなづく 青垣山ごもれる やまとしうるわし さて、いきなりこんな歌を書きつけてしまいましたが、皆さんはこの歌をご存じでしょうか。現代語に訳すと、「大和は、日本の中で一番素晴らしいところだ。うち重なって続く山の青、その中に囲まれているこの大和こそ素晴らしい」ということらしいですが、これ、ヤマトタケルノミコトの望郷の歌なんですね。 日本神話に登場するヤマトタケルノミコトは、その激しい性格ゆえに自らの父(景行天皇)に恐れられ、常に辺境の敵を征伐する役目を負わされることになります。最初は九州へ遠征してクマソタケルを討ち、次は出雲に行ってイズモタケルを討つ。そして疲れ果てて帰って来たヤマトタケルに景行天皇はすぐさま東国征伐の旅を命じる。その時は、さすがのヤマトタケルも「わが父は我に死ねと思ほすか」と涙を流して嘆いたのだそうです。 それでもヤマトタケルは意を決して東国征伐の旅に立ち、その帰国の途中、難を得て死んでしまいます。そして、故郷まであとわずかというところで無念の死を迎えたヤマトタケルの歌った歌が、先に挙げた「やまとしうるわし」の歌なのだとか。事実関係としては若干異論があるようですが、神話としてはそうなっているのだそうです。 実は私はこういう日本の神話についての基本的な知識に欠けるところがあり、しばしば恥ずかしい思いをするのですが、このヤマトタケルの神話も、このところ読んでいる岡野弘彦さんの『悲歌の時代』(講談社学術文庫)を読んで初めて知りました。私はただなんとなく、ヤマトタケルというのは強力無双の英雄なんだろうと思っていましたが、そうではなく、私のような平凡な人間と同様、時には絶望に打ちひしがれることもあったのだと知って驚かされると同時に、ある意味では自分を過酷な運命に突き落としたとすら言える祖国を、彼は死の間際にあって「やまとしうるわし」とほめたたえたのだと知って、そのあまりの切なさに心を動かされたのでした。 ところがこの岡野さんの本を読んでさらに驚いたのは、このヤマトタケルの神話が第2次世界大戦中、戦場に駆り出され、出征していった多くの日本の若者たちの心の拠り所であった、という指摘です。つまり、景行天皇の命で異国での過酷な戦いを強いられ、「わが父は我に死ねと思ほすか」と泣いた、そのヤマトタケルと自分たちの運命を重ね合わせていたというのですね。そして、おそらくは彼らもまた激しい戦いの中で致命傷を受け、「やまとしうるわし」と言って異国の地に死んでいったのではないかと・・・。このことは、自身招集されて戦地に赴いた経験のある岡野さんがその経験の中から語っていることであり、単なる当て推量で言っていることではありません。それだけに、折口信夫や宮柊二ら、日本の歌人たちが戦中・戦後の時代にヤマトタケルをテーマに連作を試みているのも決して偶然ではなく、ヤマトタケルこそがこの時代の象徴だったのだ、と論じる岡野さんの論考には非常に力がある。 岡野さんの思考は、しかしながら、ヤマトタケルにはそれでも「やまとは 国のまほろば」とたたえるだけのものがあったからよかった、果たして現代に生きる我々に「やまとしうるわし」と言えるだけのものがあるだろうか、というふうに続いていきます。なるほどそう問われれば、「ある」と断言できる人がどのくらい居るか、心もとないところがある。となれば、そのことは私たち日本人が共に考えていかなければならない問題でしょう。しかし、ここではそのことはひとまず置きます。 そのことは置いておいて、とにかく、ヤマトタケルや戦争中の日本人の心理をめぐるこれら一連のことが私の心に強く響くのは、先日も少し書きましたように、たまたま私が今、第2次世界大戦における日系アメリカ人の強制収容の問題について、あれこれ調べ物をしているからなのです。 この問題について調べているうちに私が知ったところによれば、当時アメリカへ行った日本人の多くは、「出稼ぎ」に行ったのであって、「移住」するつもりではなかった。つまり、あちらで働いてある程度お金を貯めたら、日本に戻ってくるつもりでいた。ところがその時、第2次世界大戦が始まってしまい、日米の関係が断絶してしまう。そしてその時日本は、アメリカに居住する同胞のことを完全に見捨ててしまった。その結果、彼らは「敵性外国人」としてアメリカ政府により強制収容されることとなる。 こうしたことを知った今、私がさらに知りたいと思うのは、故郷たる日本に見捨てられた彼らが、その時一体何を思ったか、ということです。「わが父(=日本)は我に死ねと思ほすか」と嘆き、憤ったのか。あるいは、それでもまだ「やまとしうるわし」と望郷の念を抱いたのか・・・。日系アメリカ人の中には、アメリカへの忠誠を身をもって示すために米軍に志願した人たちもいれば、逆に天皇への忠誠を捨てきれずに強制収容を受け続け、戦後に至ってまでひどい目にあった人たちもいます。もしここで岡野さんの説を敷衍するならば、その二つの別れ道のどちらにも、ひょっとしてヤマトタケルの幻影が寄り添っていたと、考えられないでしょうか・・・。 昨日の午後、岡野さんの本を読んだり、日系アメリカ人の強制収容の問題について調べ物をしたりしながら、私はただ漠然と、そんなことをぼんやり考えていたのでした。
July 31, 2005
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私の家から車で20分ほど走ったところに12スクリーン位の大型映画館があります。しかもこの映画館、夜9時以降の回は大人1名1000円となるので、夜行性の我ら夫婦はいつも夜遅くからロードショーを楽しんでいます。何しろこれだけ遅くから始まるので、映画を見終わるのは12時近くになるわけですが、帰り道、二人で映画の感想などを言い合いながら、車通りの少なくなった深夜の道をゆったりとドライブするのは楽しいものです。そして途中、コンビニの「ミニストップ」に立ち寄ってソフトクリームを食べる。これがまた格別なんですなー。 ところが、最近、この佳き習慣の存続に影が射しています。何しろ、最後にこの映画館で映画を見たのは今年の2月の『ボーン・スプレマシー』でしたから、もう半年近くここに足を運んでいないことになる。それは何故かと言いますと・・・。 見たい映画がぜーんぜんないからでーす! ガーン! たとえば今、どんな映画をやっているかを見てみたら・・・『スターウォーズ』『宇宙戦争』『バットマン』『アイランド』『恋する皇帝ペンギン』『電車男』『HINOKIO』『姑獲鳥の夏』『星になった少年』『フライ、ダディ、フライ』、それに・・・『ポケモン』かよ! 大学では一応「アメリカ映画入門」なる科目も講じている私は、一体全体、この中のどれを見りゃいいっていうんでしょうか。 ま、私はこれまでの人生でお金を払って映画館で邦画を見たことのない人間なので、とりあえず『電車男』以下は不問に付しますが、洋画、すなわちアメリカ映画の状況も相当ひどい。もちろん『スターウォーズ』は大作なのかも知れませんが、私にとって『スターウォーズ』とは、少年時代に見た第1作に尽きる。あれはもう四半世紀以上前の作品です。『バットマン』も過去3作、面白いと思ったことがないですし、これだって20年前からのシリーズ。『宇宙戦争』もやっぱり古い映画の焼き直し、しかも原作は H・G・ウェルズでしょ? ほぼ100年前の話じゃないですか! 一体、どうなっているんでしょうか、ハリウッドは? もうアイディアもネタも尽きたのでしょうか?? 「過去の作品のシリーズ化」「リメイク」「日本映画のリメイク」の3パターンしかもうやることはないのかしらん??? きっとあれだな、この調子じゃ、もう次は『ロッキー・6』しかないな。スタローンがテロリストに試合を申し込まれるって奴。 そういえば、ほんとに面白いアメリカ映画を見たのって、随分昔のことになってしまったような気がしますね。私がしみじみ「いい映画だなー」と思った最後の映画はイギリス映画の『リトル・ダンサー』だったし、その前にそう思ったのはイギリス映画の『ニル・バイ・マウス』だし、その前にそう思ったのはイギリス映画の『フル・モンティ』だし・・・って、イギリス映画ばっかじゃん! しかも「貧しいイギリス」を撮った映画ばかり。イギリスではまだ辛うじて「貧しい映画」が撮れるからいいですけど、今ハリウッドで「貧しい映画」撮ったら、コメディになっちゃうしなぁ。 ああ、『市民ケーン』を撮ったハリウッド、『ゴッド・ファーザー』を撮ったハリウッド、『アマデウス』を撮ったハリウッドはいずこへ? しかし、そうは言っても私は近々、この映画館に行って映画を見なくてはならないのです。というのも、6ヶ月以上間があくと、せっかくたまっていた映画館のカードのポイントが無効になってしまうから。先程挙げたリストの中から強いて選ぶとすれば・・・『アイランド』・・ですか? うーん、どうなんでしょう、この映画。なんか、今更「クローン」ネタかって感じがして、どうも期待が持てないんですけど。でも仕方がないからこれを見ますか、ね。トホホ。 ああ、早く見たい映画が出てこないかなー。えーっと、「近日上映予定」の映画にはどんなのがあるかしらん・・・って、『妖怪大戦争』かよ!! さて、週末アフィリエイト第1弾ですが、まずは「教授の椅子・パート3」をご紹介しましょう。パート3では書斎用の機能的なパソコン・チェアを扱っています。私自身も含め、日頃長時間にわたってパソコンに向かう人間にとって、パソコン・チェアの善し悪しは身体への負担の軽重となって直接跳ね返ってきます。パート3には機能性に優れ、しかも色・デザインともお洒落な椅子が揃っていますので、ぜひご覧下さいね。ここをクリック! ↓椅子・パート3
July 30, 2005
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理由あって、第2次世界大戦中のアメリカにおける日系アメリカ人の強制収容問題について、あれこれ調べものをしています。卒論でこのテーマを選んだ学生がいるものですから、指導する側としても若干の予備知識を持っておかなければなりませんのでね。 で、調べ始めて初めて知ったのは、当時のアメリカ政府が日系アメリカ人を強制収容に踏み切った理由というのが、かなり馬鹿馬鹿しいものだったらしい、ということです。アメリカ西海岸沿いに居住して農業を営んでいた日系アメリカ人が、その畑の刈り込み方によって日本軍の潜水艦に暗号を送り、アメリカの情報を漏らしているのではないか、とか、そんなような下らない嫌疑なんですよ。もちろん実際にはそんなことをやっていたはずもないので、実害は一つも報告されていません。しかし「実害がまだ出ていないということは、秘密裏に陰謀が行なわれている何よりの証拠である」というトンデモナイ理屈によって、結局日系アメリカ人は「敵性外国人」として強制収容の憂き目にあってしまった。要するに、そういう不当な行為を正当化するだけの人種差別的反日感情が、当時のアメリカにはあったということですね。 で、こういう不当なアメリカ政府の措置に対し、当時の日系アメリカ人たちは様々な反応を示した。たとえば先日亡くなったフレッド・コレマツ氏のように、裁判に訴えて政府の不当な行為を糾弾した人たちがいるかと思えば、強制収容による屈辱や財産の喪失によってアメリカ国家への不信を強め、国家への忠誠を拒んでさらにひどい扱いを受けることになってしまった人たちもいる。またその一方で、「敵性外国人」という汚名を雪ぐべく、自分たちのアメリカ国家への忠誠を身をもって示すためにアメリカ軍に志願し、勇猛果敢に戦った人たちもいる。陸軍442部隊なんていうのはそうした日系アメリカ人兵士からなる部隊ですが、ここは米軍史上もっとも多くの武勲章・名誉戦傷章を授与された部隊なのだそうです。それはまた、もっとも高い割合で戦死者を出した部隊であったことも意味するのですが。 しかし、こうした日系アメリカ人の苦労は、被害を被った一世・二世の人々の忍従と沈黙によってあまり表沙汰にはならなかったんですな。この問題が注目されるようになったのは、1960年代に入ってアメリカ黒人による公民権運動が活発になってきたことによるらしい。公民権運動に伴うマイノリティ・グループの意識の変革により、日系アメリカ人三世の世代が、自分たちの先祖たちが被ってきた屈辱の歴史をアメリカの社会問題として捉え直そうとし始めた。それによって、ようやくこの問題が表面化したわけです。 で、そうした過去の問題に決着をつけるべく、法廷闘争などで戦った日系アメリカ人たちの努力により、アメリカはようやく過去の過ちを認め始めたんです。たとえば1976年のアメリカ建国200年祭に際し、時の大統領ジェラルド・フォードは、ルーズベルト大統領が発令した日系アメリカ人強制収容を認める大統領命令9066号を破棄した上で、被害を受けた日系アメリカ人に対して謝罪をしていますし、1988年にはレーガン大統領が強制収容を「深刻な不法行為」と認め、数千人に上る元収容者に対して一人当たり2万ドルの補償金を払うことを決定しています。また1999年には、クリントン大統領が先に名前を挙げた日系アメリカ人強制収容訴訟の闘士フレッド・コレマツ氏に対し、民間人に与えられる最高の栄誉である「大統領自由勲章」を授与しています。 アメリカというのは面白い国で、確かに時折、とんでもなく馬鹿げた政治的・社会的過ちをしでかしますが、時を経てみると、ほとんど必ずと言ってよいほどその過ちを認め、反省し、何らかの謝罪と補償をしていますね。そこがアメリカのいいところであって、私の好きなところでもあります。 ま、日系アメリカ人強制収容問題について、ざっとですがその概要を把握してみて、色々面白いことも分かってきたし、この問題について関心を抱くことができました。今後も引き続き、ゼミ生とともにこの問題を考えていきたいと思います。 それにしても、この程度の知識を得るのに、インターネットというのはすこぶる便利ですなー。今回実際に自分でやってみて、テーマをうまく選びさえすれば、関連書籍を一冊も読むことなく、インターネット上の情報だけで、学部生の卒論レベルの論文なら書けてしまうな、という手応えを得ました。しかし、それは果たして良いことなのか、どうなのか・・・。どんな問題について考えるにせよ、もしこの程度の知識を土台にして何らかの結論を出そうとすると、やはり危険な感じがします。インターネット上の情報は、あくまでも下調べ程度のつもりで捉えておかないと、学問的な深まりがなされないまま、「分かったような気」になってしまうのではないでしょうか。便利過ぎるものというのは、一面、大きな危険性をはらんでいると思っておいた方が良さそうですね。もちろんこれは自戒のつもりですが。
July 29, 2005
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さて、このところ連日書いている両親の名古屋訪問の件ですが、いよいよ今日で最終日。で、毎年、最終日は名古屋駅まで見送りがてら「とみた」という鰻料理の専門店で鰻の「ひつまぶし」をご馳走することになっています。 名古屋には「とみた」の他にも、熱田にある「蓬莱軒」などという有名店がありますが、しかし私は断然石川橋の「とみた」派です。ここで「ひつまぶし」を食べてしまったら、もう他の鰻なんてとうてい食べられなくなること請け合い。商店街の一角にある、20席程度の小さな店ですが、その味が人を惹き付けるのか、いつ行ってもお客さんで満杯。時には、お店の看板娘(?)のおばちゃんに「もう入れないから、外で待ってて!」なんて追い出されて、炎天下に外で待たされることもありますが、そうして待ってでも食べる甲斐のある鰻なんです。 ところで名古屋以外の方には「ひつまぶし」といっても、それがどういう料理なのか見当もつかないでしょうが、とりあえず「鰻をざく切りにした鰻丼」だと思って下さい。ただ「丼」ではなく、「お櫃」に入っていて、それを各自茶碗によそいながら食べるわけ。それじゃ、普通の鰻丼と大して違わないじゃないか、と思うかも知れませんが、食べ方が大きく違うのです。お櫃から茶碗によそうのを三度に分け、それぞれ味を変えて食べるんですね。 まず一杯目は、普通の鰻丼として味わいます。当然、これだけでもうまい! しかし二杯目を食べる時には、今度はわさびと刻み海苔と分葱を入れ、ぐるぐる掻き回してから食べるんですね。するとあーら不思議、普通の鰻丼とはまた全然違う味になって、これまたうまいんですな。二杯目の食べ方の決め手は何と言っても「わさび」。私のような関東人にとって、鰻に添えるものと言えば「山椒」に決まってますが、鰻と「わさび」の組み合わせを考え出した名古屋人は偉い! しかし、実はひつまぶしの真のうまさは最後の食べ方、すなわち「鰻茶漬け」にあります。茶碗によそった三杯目の鰻に今度は出汁を注いで「茶漬け」として食べるわけ。私も実際に食べるまでは、「鰻を茶漬けとして食べる」なんてむしろ考えたくもない感じでしたが、これがもう、うまいのなんのって! どんなにお腹が一杯でも、これだけはサラサラ食べられてしまうんです。うーん、思い出してもうまい! もっとも、東京では鰻を焼く前に一度蒸しますから、それだと身が柔らかくなり過ぎてしまって鰻茶漬けにはできません。名古屋のように鰻を蒸さず、味醂にさっと通すだけでいきなり香ばしく焼き上げるやり方だからこそ、鰻茶漬けにすることができるんですな。 一杯の鰻丼を、味を変えて3度楽しむ。しかも意外なもの同士を組み合わせて。これはまさに名古屋人の発想ですよ。名古屋人の創意工夫とは、常にこの方向で動きます。ですから、「ひつまぶし」は名古屋を代表する味と言えるのではないでしょうか。 というわけで、「とみた」の鰻を両親に堪能してもらってから名古屋駅まで送り、それで我が家の夏の恒例行事が一つ終わりました。2泊3日の慌ただしいスケジュールでしたが、古本ツアーや馬籠・妻籠ドライブなど、楽しんでもらえたので良かった。これで少しは親孝行ができたかな? 父や母にはまた来年も元気で夏の名古屋に遊びに来てもらいたいと思っています。両親のもてなしに奔走してくれた家内にも、感謝、感謝ですね!
July 28, 2005
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昨日の火曜日は、思い切って馬籠まで両親を連れてドライブすることにしました。台風の影響が若干心配されましたが、少なくともこのあたりでは、さほどのことはありませんでしたのでね。 ちなみに馬籠には、随分前に一度来たことがあります。その時はもちろん東京からドライブしていったので、結構遠いなぁという印象がありました。しかし、今回は名古屋から行くわけですから、都合1時間半くらいで着いてしまいます。ごく手軽なドライブという感じ。 ところで、なぜ一度来たことのある馬籠を再訪することになったかと言いますと、このところ父がすっかりデジカメに凝ってしまって、フォトジェニックなところに行きたくて仕方がないからなんです。以前はカメラなんてまったく興味がなかったので、撮られる専門だったのですが、今では構図から何から色々と凝ってはパチパチ撮りまくっています。しかも「景色だけではつまらない。景色の中に人が映り込んでこそ写真だ」というのが持論ですから、父が撮る写真にはたいてい母か私か家内が何気なく写り込むことになる。ギャラを要求しない専属モデルというわけ。しかし、「はい、そこで自然な感じでおしゃべりしてて」などと注文が出たりしますから、これで結構モデル業も大変です。 それから馬籠が島崎藤村ゆかりの地だということも、今日のドライブの目的地としてここがリクエストされた理由の一つです。父によれば、実際にゆかりの地を訪れてからその作家の作品を読むと一層面白いのだそうですが、それは多分その通りであって、私も以前、同じく島崎藤村ゆかりの地である木曽福島を訪れてから、そこが舞台となった彼の『家』という小説を読んで、一層面白いような気がしたことがある。というわけで、馬籠にある藤村記念館をもう一度訪ねてみようというのが、今回のドライブのもう一つの目的なんですね。 で、実際に記念館を再訪してみて改めて思ったのですが、島崎藤村というのは、あれは一種の文学的天才ですな。彼の文学は「叙情詩」から始まったわけですけど、「まだ上げそめし前髪の・・・」でお馴染みの、7・5・7・5・・・と続く藤村お得意の詩型に関して言えば、多分彼は別段苦労しなくても面白いように言葉が沸き出してきたんじゃないでしょうか。まさに天才的。ところが彼は詩人として成功したことに満足せず、『千曲川のスケッチ』あたりを境に散文・小説にチャレンジするようになり、この分野でも『破戒』を始めとして次々と成功を収めてしまう。しかもその成功の勢い余って日本を飛び出し、フランスに3年くらい滞在したんじゃなかったかな? で、帰国後はさらに思索を深め、最終的に『夜明け前』の境地に達する。何しろ「木曽路はすべて山の中である」という書き出しからして、すごい名文ですもんね。しかもこの畢生の大作を仕上げた後ですら創作力が衰えることもなく、次の大作『東方の門』に取り組み始めたところで、脳溢血で急逝というのですから、まあ、ある意味、理想的な作家の一生と言ってよいのではないでしょうか? もちろんその陰で家庭的なトラブルは色々あったとしても、ね。 とまあそんな調子で、今日は藤村記念館を見学しながら、「藤村って、文学に関して向かうところ敵なしって感じだなぁ」という感慨をやけに強く受けたのでした。で、せっかくそういう感慨を受けたわけですから、これをはずみとして、まだ読んだことのない藤村の『嵐』という小説を読んでみることにしました。この小説の舞台ともなった「清水屋」とやらを、今日は実際に見たわけですから。 さて、話が少しずれましたが、我々一行は馬籠をひと通り見てしまったので、どうせここまで来たなら、ついでに隣の宿場町たる「妻籠」にも行っておこうということになり、車で20分ほど離れた妻籠宿まで足を伸ばすことにしました。ここも前に一度来ていますが、あの町並みは何度見てもなかなか風情のあるものです。馬籠にしてもそうですが、ここは現在でも歴とした宿場町であって、町並みに点在する鄙びた宿に泊まれます。本当は一度こういうところに泊まってみたらいいんでしょうね。きっとタイムスリップしたような感じを受けるのでしょうな。もちろん私の好きな「朝食バイキング」とかはないわけですが・・・。 というわけで、今日は馬籠・妻籠をめぐるドライブを堪能し、しかも帰りには栗菓子の名店「川上屋」で銘菓「ささ栗」(これ、栗100%の餡を蒸し羊羹のようなもので巻いたお菓子で、一本1300円ちょっとなんですけど、ホントうまいですよ)もちゃんと買って帰宅しました。母が少し草臥れたようでしたけど、それでも喜んでもらえたようです。良かった、良かった。さて、明日は両親の名古屋滞在の最終日。毎年、最終日にすることも決まっているのですが、そのお話しはまた明日することにいたしましょう。それでは、皆様、ご機嫌よろしゅう!
July 27, 2005
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月曜日、私の両親が東京から遊びに来ました。 大相撲の名古屋場所が行なわれている前後に両親が遊びに来るというのは、私が名古屋にある大学に赴任して以来ずっと続いている習慣です。今や生粋の名古屋人以上に名古屋に惚れ込んでいる私としては、これが両親に名古屋やその周辺のいいところを見せる絶好の機会なんですね。私の両親も毎年、楽しみにしてくれています。 ところで、このところ両親の名古屋訪問はいつも「鈴波」から始まります。お昼頃新幹線で名古屋に来てもらい、そこから駅のすぐ傍の地下街にある「鈴波」というお店に連れて行って、そこで昼食をとることにしているのです。ここは魚の味醂粕漬け専門店で、中で食事もできるようになっているのですが、おすすめは何と言っても「鈴波定食」。魚の味醂粕漬け(日によって魚の種類は変わる)をほっこりと焼いたものに、日替わりで小鉢が付き、これに味噌汁と漬け物とご飯、それに黒豆の甘煮と梅酒がついて、たったの1000円ちょっと。魚がうまいことは言うまでもありませんが、味噌汁や漬け物もやたらにうまくてこの値段なんだから、東京から来た両親はいつも驚いています。ですから、ここはとりあえず、はずせないんですね。 さて、ここでお腹を満たした後、例年ですとどこか美術館に連れて行くのが決まりになっています。名古屋には愛知県立美術館や名古屋市立美術館は言うまでもなく、徳川美術館、名古屋ボストン美術館、豊田市美術館、岡崎市美術博物館、古川美術館、荻須高徳美術館、三岸節子美術館、杉本健吉美術館など、見どころの多い美術館が色々ありますので、こういうところに連れて行くわけ。ところが昨日は月曜日で、美術館はどこもお休み。ということで、今回は特別企画として、私の行きつけの古本屋2軒に連れて行くことにしました。実は私同様、父も古本が好きなんです。母も古本に限らず本は好きなので、いきなり両親を連れて古本屋まわりというのも、我が家では決して妙なことではないんですね。 で、まず一軒目は名古屋の東の玄関口、藤が丘の「千代の介書房」。ここは入り口の間口は狭いのですが、中は鰻の寝床のように長く、品揃えも相当なもの。しかも下らない本は一冊もなく、9割以上が文学作品という高尚な古本屋さんです。私は既に2、3度来ていて、品揃えに感心していたので、父にもぜひ見せてやろうと思い、連れてきたわけ。案の定、店の中に入った途端、父も歓呼の声を挙げて喜んでいました。結局、ここに1時間ほどいたかな? で、父も数冊買っていたようですが、私も収穫あり。買ったのは串田孫一の『風の中の詩』(集英社文庫)、伊馬春部の『櫻桃の記』(中公文庫)、そして岡野弘彦の『悲歌の時代』(講談社学術文庫)の3冊です。 上の3冊のうち、串田孫一については以前この日記の中で追悼記を書いたので、なぜ私がこの本を選んだかはお分かりいただけると思うのですが、あとの2冊の関連性が分かる方はいらっしゃいますかね? 分かった方は相当な読書家でしょう。答えは伊馬さんも岡野さんも、歌人で国文学者の折口信夫(おりくち・しのぶ)の弟子だということです。実は私は折口という人にものすごく興味があるのですね。ちなみに伊馬さんというのは、大昔のラジオドラマ「向こう三軒両隣」の作者ですが、太宰治の親友でもあって、太宰が入水自殺した時、マスコミに荒らされないように太宰の原稿を守った人としても有名です。本のタイトルの「櫻桃」というのは、もちろん太宰の櫻桃忌に由来します。ま、この本もすべてが太宰に捧げられたような本ですね。それから岡野弘彦さんは既に歌人として一家を成し、現在では歌会始の選者としても有名ですので、ご存じの方も多いでしょう。岡野さんについて、そしてそのお師匠さんの折口信夫については、またいつか詳しくお話ししたいこともありますので、今日は止めておきますが、とにかくこの本は前から読みたかった本なんです。 ということで、すっかり満足した我ら親子は、千代の介書房の斜向かいにあった「亀屋芳広」という和菓子屋さんで一服し、それから古本屋第2ラウンドとして今度は「本郷」という駅近く(近くでもないですが・・・)の「まゆ」という古本屋さんへ。ここもいい古本屋さんで、特に昔の推理小説やSFといったジャンル小説に強く、また中公文庫の古本が揃っているところも見どころの一つ。ご主人がとても穏やかな、感じの良い方であるところも好きなんですが、このご主人、大人しそうな顔をなさっている割に、私と同様自動車マニアで、古いチョコレート色のいすゞ・ベレッタGTに乗っていらっしゃるんです。いわゆる「ベレG」ですな。この車、当時としては珍しいDOHC車で、しかも今日日の生っちょろい電子制御燃料噴射なんかではなくキャブレター仕様ですから、アクセル一発踏んだらエンジンがバヒュンと応えてくれる、そういう車ですわ。思えば、昔のいすゞはいい車を作っていましたなぁ・・・。かくいう私も「街の遊撃手」時代のいすゞジェミニに乗っていましたけどね。というわけで、私がこの店に通いつめるのもむべなるかな、でしょ? もっとも今日は私はここでは収穫なしでしたが、父と母はなんか買っていましたね。 というわけで、私の両親の本年度の名古屋探訪は、古本屋めぐりで始まったのでした。明日は島崎藤村ゆかりの馬籠宿にドライブに連れて行こうと思っているのですが、はたして台風7号の進路や如何に! 次回の報告を乞ご期待!と言っておきましょう。それでは、皆様、ご機嫌よろしゅう。
July 26, 2005
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昨日の日曜日、私は半日がかりで自分の書斎を大掃除していました。 どうやら私は傍目には「明窓浄机」派に見えるらしく、どこからどこまできちんと片づいた書斎に鎮座し、しばし遠い目をして窓から外の景色を眺め、それからコホンと咳払いの一つもしてパソコンに向かい、おもむろにカタカタと言葉を打ち出していく、みたいなイメージがあるらしいのですが、実像はそんなものではありません。実際には机の周りは本と辞書と文房具とCDその他でゴチャゴチャ、部屋のあちこちに本やら資料やらが山積みされ、足の踏み場もないというところです。私としては、そのような状態でも結構どこに何が置いてあるか把握しているつもりなのですが、やはりいざある資料が必要になると、その資料を探すのに30分くらいかかってしまったりする。家内もこの部屋だけはお手上げの様子で、私の自主的かつ突発的な「片づけ衝動」が起こるのを気長に待つ、というスタンスなんですね。 で、今日はついにその「片づけ衝動」が沸き起こったというわけ。 とはいえ、もとがあまりにひどい状態だったので、一体どこから手をつけて良いやら、しばしボーゼン。それでも、とりあえずは悪の元凶たる書棚からじゃ、と思い切り、一度すべての本を出してから、もう一度きれいに並べ替える作業に取りかかりました。 しかし、一旦やり始めれば、片づけというのはなかなか面白い作業ではあります。とりわけ、気付かない間にたまっていた不要な資料をがんがん捨てていくのは結構快感があるもの。それに、どこへやったか思い出せずにいた資料とか、買ったまま読むのを忘れていた本などがひょいと出てきたりして、ちょっとした考古学的発掘の喜びがあったりもする。 とまあ、そんな感じであっちのものをこっちへ移し、横になっていたものを縦に並べ、隙間があったところにはギュウギュウ押し込み・・・とやっている内に、だんだん部屋全体が片づいてきたではないですか! 作業スペースがわずかに20センチ四方となっていたわが愛用の机も、大分広々としてきた。そして仕上げに掃除機を丁寧にかけたら、おお、これぞ明窓浄机! 美しいわが書斎が戻ってきた! というわけで、今日は午後一杯掃除ばかりしていましたが、やはり仕事部屋がきれいになるといい気分です。その後、夜は少しここで仕事をしましたが、やっぱり、部屋が片づいていると、何だか能率が上がるような気がしますね! 今後はこの状態を保って常に能率よく仕事をしよう! ・・・とはいえ、まあ一週間もすると、もとに戻るんだろうなぁ・・・。 さて、週末最後のアフィリエイトは「教授の青のコレクション」と行きましょう。フリーページで販売している様々な商品の中から青い色のものをピックアップしてみました。夏に似合う、そして私の一番好きな色である「青」の世界をお楽しみ下さい。 これらをクリック! ↓
July 25, 2005
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先日も少し話題に挙げたことがありますが、私にはオーストラリア人のロブという友人がいます。顔立ちはテニス・プレーヤーのアンドレ・アガシをもう少し痩せさせて、穏やかにしたような感じ。もの静かな男で、華やかで都会的なものよりも、静寂と自然を愛するタイプであるところは私に似ていますが、それだけでなく年齢の点でも私とまったく同い年。彼も私もどちらかと言えば人見知りをする方であるにも係わらず、2年ほど前に初めてあった時にすぐに仲良くなれたのは、お互いに似た者同士であることに気付いたからなのでした。ちなみに、私と彼が知り合うことになったのは、私の家内と彼の奥さんのアミリアがそもそも友人だったことによるので、今では夫婦同士で付き合っています。 そんなわけで、このところ私は耳学問だけで相当なオーストラリア通になりつつあるのですが、ロブやアミリアの話を聞いていると、私もオーストラリアに生まれたかった! と思うことがしばしばあります。 まず住環境が日本とは大違い。ロブ・アミリア夫妻は、別に富豪の生まれというわけではなく、ごく普通の家庭に育ったごく普通のカップルなのですが、彼らが故郷オーストラリアに持っている家というのがすごい。立地も美しい海岸(ほとんどプライベート・ビーチみたい)のすぐそばで、しかもプール付き。そのプールの周りには15メートルくらいの高さの巨大な椰子の木が列柱のように取り巻いていますが、これはロブ自身がクレーンを使って植えたのだとか。オーストラリアにおける「ガーデニング」とは、かくのごときものなのですな。また彼らの庭にはたまに蛇が出るそうですが、その蛇というのが青大将どころの騒ぎではなく、体長5~6メートルのニシキヘビなのだとか。要するに、万事において日本とはスケールが違うわけ。 そんな感じで優雅な生活を送っていた彼らが、敢えて一旦職を辞して日本に来ることにしたのは、ただ単に「一度海外で生活してみたかった」という理由からだそうで、かくして来日した彼らは幸運にも夫婦して同じ英会話学校に職を得た。それが3年くらい前のことだったかな。生活習慣がまるで違う、しかも英語の通じない国に来るのは不安じゃなかったの? と聞いても、別にそんなことも考えなかったそうで、その辺の楽観主義がオーストラリア人のいいところなのかも知れません。 そんなわけで、彼らは海外で生活することを楽しむために日本に来たわけですが、実際、ホントに日本を楽しんでいますね。先週末も三重県かどこかの海岸でキャンプをしてきたと言ってましたし、その前は富士山に登ってきたと言ってました。富士山なんて私だって登ったことないのに・・・。ま、そんな感じで、むしろ私の方が彼らから日本の優れた景観のことを教わっている始末なんです。 とはいえ、ロブもアミリアも日本に長く定住することは考えていないみたいで、数年後にはまたオーストラリアに帰るつもりらしく、帰国したら二人で教職の資格をとり、夫婦して学校の先生になるつもりなのだとか。その理由は、夫婦揃って長い夏休みがとれるからで、その夏休みを思い切り楽しみたいのだそうです。 とまあ、そんな話を彼らから聞いていると、とりわけ「就職」という点において、日本人とオーストラリア人では、感覚が全然違うなと思わざるを得なくなってきます。私など日本の大学生を教えている関係上、彼らが大学3年の頃から必死になって就職活動をしているのを日々見守っているわけですし、また就職したら就職したで今度は過酷なまでに働かされ、過労死寸前の状態にあることなどもよく知っています。しかし日本ではそれが普通であって、そうでもしなければ車も買えなければ、結婚資金も貯まらなければ、家も買えなければ、子供の教育費も出ないということになる。精根尽き果てるまで働き続けなくては、とても「まっとう」な生活はできないわけ。日本人で、とりわけ既に結婚しているカップルが、2、3年の間、海外で働いてみよう、とか、一旦職を辞して資格を取り、別な職業に就いてみよう、とか、夏休みを楽しむために職を選ぼうとか、そんなことを考える余裕なんて、なかなかないんじゃないでしょうか。 とまあ、そんなふうに日豪比較しながら、また己自身の生活ぶりについても顧みつつ、つらつら考えていると、結局、日本というのは、とんでもなく貧しい国なんじゃないかな、という気がしてきます。だって、泳ぐのを止めたら呼吸困難になって死んでしまうサメみたいに、寸暇を惜しんで働き続けなければ、日本では生活が成り立っていかないんですから。まさに「一億総自転車操業」ですよ。しかもこの種の貧しさは、現代に近づくほど顕著になってきているような気がする。少なくとも古い小説や映画などを読んだり見たりする限り、昔の日本の方がよっぽどのんびりしています。 一体、どうして日本はこんなに貧しい国になってしまったのでしょうか。そして、どうしたらこの貧しさから脱出できるのでしょうか。 オーストラリア人の友人を持つことになり、彼らの暮らしぶりを知る機会を得た私は、この頃、しばしばそんなことを考えてしまうのでした。
July 24, 2005
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今日は珍しく朝からお勉強をしていました。しかし、午後からは大学でちょっとした仕事をしなくてはならず、その仕事は一人ではとうてい時間内にこなせない量なので、今日は家内に応援を頼むことに。そこで12時少し前に家内を車に乗せて大学へ向かい、お昼は途中にあるサンドイッチの店「サブウェイ」に立ち寄って済ませることにしました。 ところで、皆さんは「サブウェイ」ってご存じでしょうか? ファーストフード・チェーンですから日本中のあちこちにあると思いますが、マックのような店舗数ではないので、案外知られていないのではないかという気がします。しかし、これがうまいんですよ。それに野菜がたっぷり入ったサンドイッチなので、すごくヘルシーだし。私はファーストフード店の中では、ダントツでこの「サブウェイ」を推します。 サブウェイは、細長いパンにハムなどの具と野菜をぎっしり詰めたサンドイッチなんですけど、パンの種類が4種類くらいあるかな? ですから客は店に入るとまず好みによってパンの種類を選ぶわけ。一番プレーンなのが「ホワイト」、麦の胚芽入りパンが「ウィート」、あと「セサミ」と「ハニーなんとか」というのがあったように思います。私は「ホワイト」か「ウィート」を選ぶことが多いですね。 そして次に具を選ぶわけですが、スタンダードとしては「BLT」とか「ローストビーフ」、あと「サブウェイクラブ」とか「ターキーブレスト」などがあります。その他、「ケイジャン・チキン」など、季節限定メニューなども含めて10種類くらいあるかな? ですからパンの種類に続いて、客はこれらの中から好みの具を選ぶわけ。 で、サブウェイのいいところは、どの具を選ぶにしても野菜類(レタス・オニオン・ピーマン・オリーブ・トマトなど)がどっさり入ること。そしてまたこの野菜類がホントに新鮮でシャキシャキなんですよ。それが何ともヘルシーでいいんですね。もちろん、好き嫌いによって野菜の量や種類を限定することもできます。ですけど、やはりここは「野菜類は全部大盛りで!」と注文するのが正しい。 そして次はかけるソースを選ぶのですが、私はたいてい「ビネガー&オイル」を選びます。基本がこれですので、はじめてサブウェイを食べる方には、これをお薦めします。この他に「バジル」をはじめ、数種のソースがあります。で、あとはこの具と野菜がぎっしり詰まったサンドイッチを大口あけてかぶりつく、という寸法。これがうまいんだ! あとサブウェイはフライドポテトもうまいので、これも当然注文すべきところですね。で、ポテトにもフレーバーがあって、「チーズ」がお薦めかな。「バーベキュー」も相当うまいですけどね。 ちなみに今日、我々が食べたのは、私が「サブウェイクラブ」、家内が「ターキーブレスト」です。共にポテトとドリンクのセットをつけて、二人で1400円ほどでした。マックより若干高いかも知れませんが、食べ終わったあとの満足感と、野菜たっぷりの食事をとった時ならではのすがすがしさはたまりません。もしまだ「サブウェイ」のサンドイッチを食べたことがないという方がいらっしゃいましたら、これ、「教授のおすすめ!」ですよー。 さて、そんなわけですっかり満足した我々は一路大学を目指し、20分後に到着。さあここから仕事、仕事。 ちなみに、今日家内に手伝ってもらった仕事というのは、私の所属する学科が卒業生向けに発行している「ニューズレター(同窓会会報)」の封筒詰め作業と発送作業なんです。このニューズレター、毎年途切れることなく続いて、今年で第13号になります。 先日もお話ししたように、うちの学科は新課程に属するので、歴史はそんなに長くない。でもその分、教員と学生が一体となって新学科を盛り上げようという気風があります。そういうこともあって、第一回の卒業生が卒業したのを機に、これも先日お話ししたH先生の肝煎りで「ニューズレター」を発行することになり、卒業生に大学の様子や後輩の進路を伝えたり、逆に在校生に卒業生の動向を伝えることを行なってきたわけ。で、その発行作業は伝統的に私の役割なんです。なぜ私がその任に当たっているかというと、もちろん私がうちの学科のスタッフの中で最年少(パシリ)ということもありますが、もともと「印刷」とか「出版」ということに興味がある私としては、こういうニューズレターの編集・印刷・発行という一連の作業が決して嫌いではないからなんですね。ま、おそらくその辺のことを見抜いた上で、H先生は私にこの仕事を託されたのでしょう。 実際、卒業して今は立派な社会人となっている教え子たちから原稿を送ってもらって、それを編集するのはなかなか楽しいものです。卒業したての教え子たちは、いかにも社会人一年生らしく、覚え始めたばかりの仕事の内容などを詳しく書いてきたりしますし、少し前の卒業生たちは「大学にいた頃が懐かしい」というようなことを盛んに言いますし、そうかと思うと結婚してすでに何人かの子供の母親になったような卒業生からは、「子育てで大童です」などと言いながらも、それなりに落ち着いた便りが届く。そういうのを編集していると、それぞれの卒業生の顔が思い浮かんできて、なんだか頬がゆるんでしまって、笑いたいような気がしてきます。 で、そのニューズレターの最新号が完成したので、家内に手伝ってもらいつつ、それを250名以上の卒業生に宛てて発送する作業を行なったわけ。今年は例年に比べて発送時期が遅くなってしまいましたが、とにかく今日で今年度分のすべての作業が終わりました。多分数日中には卒業生たちのもとにこのニューズレターが届くでしょう。そしてしばらくすると、今度は卒業生からの反響が私の元に届くことになる。今はそれが楽しみです。 とまあそんな具合で、すべての作業を終えた家内と私は家路についたわけですが、あまりの暑さにたまらなくなり、モスバーガーの店に立ち寄って夏の定番モスシェイク(抹茶あずき)を食べてちょっと休憩。季節限定のモスシェイクは、やはり一夏に何度か食べないと気が済まないですな。そして、6時頃帰宅。 お昼、そしておやつをファーストフードの店で済ましたこともあり、今日の夕食は家内が腕によりをかけて作りました。メニューは「骨つきラムの香草焼き」、そして「カボチャのポタージュ」に「キノコとベビーリーフのサラダ」、これをフランスパンとチーズ、そしてフルーツワインでいただくというもの。どれもうまかった! そして夜は読書などをして過ごしました。 そんなわけで今日は、勉強と仕事、そしてグルメに読書と、盛り沢山な一日となったのでした。今日も、いい日だ。 さて、恒例の週末アフィリエイトですが、テーマは「夏休み」。夏休み中の、のーんびりした朝食風景をイメージして、「教授のキッチンウェア・パート3」で特集した「カフェオレボウル」をご紹介しましょう。フランスではこの種の把手のないコップでカフェオレを楽しむわけですが、このかわいらしいボウル、日本人的な発想からすれば「ご飯茶碗」にも使えそうですし、その他色々使い道がありそうですよね。別にカフェオレを飲むためのコップとしてだけではなく、自由な発想で使えばいいんじゃないかなと思います。興味のある方は、ぜひ下の文字列をクリックして、フリーページを訪問してみて下さい。ここをクリック! ↓キッチンウェア・パート3
July 23, 2005
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さて、昨日の日記で「実は私にはもう一つ楽しみがあったのです」と書きましたが、その楽しみとは何だったかと言いますと・・・ じゃーん! 「古書店に立ち寄ること」だったんですー! なーんだ、そんなこと、と思われたかしらん。でも何を隠そう、私は古本が大、大、大スキなのでありまして、古書店さえあれば、猫にマタタビ状態なのです。 もちろん新刊本を扱う書店も大好きなんですけど、やはり古書店というのは、新刊本の書店とはまったくカテゴリーが異なります。新刊本の書店というのは、要するに売っているはずの新刊本を売っているだけですから、別に驚きも何もないですが、一方古書店となると、「え、こんな本があったの?」とか、「長年探していた本があった!」といった具合で、とにかく驚きと感動のテーマパークなんですから。好きな人間にはたまらんです。 で、また古本には古本の神様というのがいて、私のように日頃から信心していると、時々耳打ちしてくれるんです。「今日はいいぞ・・・」とか「この店はいいぞ・・・」という感じでね。で、一昨日はまさにその耳打ちがあったんですわ。こりゃ、いかなかんて! (名古屋弁で「行かなきゃなるまい!」の意。) で、訪れた古書店は、昼食会が開かれた「覚王山」のお隣の「本山」というところにある「大観堂」というお店。地下鉄の駅で一つ離れていますが、実際には歩いて10分程度なので、腹ごなしに歩いてしまいました。ちなみに大観堂には、過去、何度か足を運び、その都度発見があった良い古書店です。ブックオフで扱うような「白本」はあまりなく、かといってあまり専門的すぎる本を扱うわけでもない。ま、昭和30~50年代あたりの匂いのする雑本が商いの中心で、私などには一番面白い系統の店です。で、昨日お話しした昼食会が覚王山で開かれると決まった時から、帰りにこの店に立ち寄ろう!と決めていたんです。何しろ、神様からの耳打ちがあったもんでね。 それで、店に入るとまずは文庫コーナーを見て回ることに。いわば小手調べというか、前哨戦ですな。しかし、古本好きの方なら誰でも経験で分かると思いますが、古本探索においてはこの「前哨戦」というのがすごく重要なんです。つまり店に入って最初の5分以内に買いたい本を見つけられれば、その日は収穫ありと見ていい。逆に、もし5分以内に最初の獲物を捕まえられなかったら、その日は大した収穫なしに終わる場合がほとんどです。植草甚一氏のような斯道の大家となると、その日最初に入った古書店では興味があろうがなかろうがとりあえず5、6冊を買うと決めている人もいますね。そうやって買った5、6冊は、いわば古本の神様への貢ぎ物であって、それをすることでその日の「ツキ」をもらおうというわけ。 ところが一昨日はあったんです、最初の収穫が。中島河太郎著『推理小説ノート』(現代教養文庫・昭和35年)の美本。これは推理小説研究の大家である中島氏が推理小説の定義からはじめて、推理小説の歴史、古今東西の名探偵の分類、内外傑作小説の紹介などをコンパクトにまとめているものなんですが、中には写真も多く、また近藤正史氏による挿絵もいい。それにシュールレアリスティックな多色刷りの表紙絵(これも近藤氏によるものか?)もかなりいい。しかも出版当時の新刊案内まではさまっています。先日、ブラウン神父と決別はしましたが、それでもまだ推理小説に未練のある私としては、この本を手がかりにまた新たな傑作を探し出すことができるかも知れません。これは一つ、いただき、と参りましょう。 ということで、最初の獲物に勢いづいて店内を見て回ると、あちこちで「おっ!」という本に出会います。やはり、今日は古本の神様が私のそばにいらっしゃるらしい。もっとも、それらの多くはすでに私が持っているものではありましたが、それでもそういう「おっ!」は楽しいものです。 そしてこの日、究極の「おっ!!」だったのは、堀川寛一著『小山内薫』を見つけた時でした。これは日本の演劇の草分けたる小山内氏の評伝なんですけど、めったに見つからない名著です。これを見つけた時は、久しぶりに心臓が高鳴りましたね。やっぱり、今日はついている! ちなみに、この本の著者である堀川寛一というのは、私の母方の祖父です。先日の日記の中で、もう少し長生きしてくれていたら、色々教えてもらえただろうに、と書いたその祖父ですね。ま、日本の演劇界・文学界の影の番長みたいな人なんですが、同時に近代日本を代表するキリスト者たちとの交流もあり、柏木義円氏の評伝たる『顕信録』などという著書は、この方面の必読書と言われています。私はこれまでの古本人生の中で、3度、祖父の本を掘り出したことがありますが、これで4度目となりました。 ところが「さ、お祖父ちゃん、私と一緒にお家に帰りましょう」などと言いながらこの本をレジに持っていくと、店主から「これ、実はまだ売り主の方から預かっている段階で、値付けをしていないんです」と言われ、がっかり。しかし、それはもう仕方がないことなので、値段が決まったら電話してくれるように頼んで店を出ました。お祖父ちゃんを連れて帰れなかったのは残念でしたが、それでもまあ、今日はしばしの間楽しく古本と遊ばせてもらいましたし、ここで文句を言ったら古本の神様に申し訳ないですから、ぐっと我慢しましょう。 というわけで、昼食会の後、さらに古本と遊んで楽しんだ私は、お留守番の家内へのお土産の意味も込めて、大観堂書店の向かい側にある「ララ・ハウス」という店でチーズケーキを買って帰宅することに。ここのチーズケーキは一種独特の食感で、とてもうまいんです。そして、帰宅後は今日の収穫の古本を家内に自慢しつつ、おいしい紅茶とおいしいチーズケーキをいただいたのでした。今日も・・いや、一昨日もいい日だ(った)。
July 22, 2005
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昨日は、2年ほど前に停年退官で大学を去られた元同僚の名誉教授ご夫妻を囲んでの昼食会があり、現職の同僚の先生方と総勢7人でレストランへ食事に行きました。休みの日まで仕事関係の人と食事? と思う方もおられるかも知れませんが、うちの科の教授陣は大学内でも羨ましがられるほど皆、仲が良いので、ホントに気楽で楽しい集まりです。 ちなみに、うちの科のチームワークの良さは、今回の「ゲスト・オブ・オナー」である名誉教授のH先生のお人柄によるところが大きいですね。我々が所属している学科は、歴史ある大学の新課程の一つなんですが、今から15年ほど前にその新課程が創設される際、H先生が今日集まった我々5人の教授陣を他大学から引き抜き、そのメンバーで新学科の運営をスタートさせた。で、もちろん新しい学科が成功するかどうかはすべて創設メンバーの頑張りに掛かってきますから、H先生に引っ張られて集まってきた我々5人のサムライたちは、「新しいことに挑戦しているんだ」という新鮮な気持ちと、「我々を選んでくれたH先生を盛り立てなければ」という気概をもって、カリキュラムの充実から卒業生の就職の世話まで、試行錯誤を繰り返しつつ頑張って取り組んできたんです。そういう経緯があるもので、うちの科は教授同士の人間関係がすごくいいんですね。それでH先生が定年退官された後も、しばしばこうした会合を開いてきたわけ。 ところが今回の会合は、少しだけ特別なところがありました。実は、我々の結束の要たるそのH先生の幼いお孫さんがご病気で、現在入院を余儀なくされているのです。それは我々にとっても無論、心配の種であり、今日の昼食会は、奥様と共にお孫さんの看病に尽くされているH先生を激励しようという意味も込められていたんですな。 昼食会の会場となったのは、名古屋郊外の「覚王山」というところにある「ウィスリー(We Three)」というフレンチ・レストラン。こじんまりとしていますが、奥の方にちょっとした会合にはぴったりの席があり、なかなか居心地のいいお店です。ちなみに今日の昼食のコースは、前菜(スモークサーモンの野菜巻)、カボチャの冷製スープ、白身魚のフリット、牛フィレ肉のステーキ温野菜添え、それにパン、デザート、コーヒーがつくという陣容。このコースに季節限定の「桃のスパークリングワイン(Café de Paris)」のボトルを1本と、車を運転する人のためのソフトドリンクとして「オレンジーナ」というイギリスの炭酸飲料も2本を追加しました。これはブラッドオレンジの果汁に炭酸を加えたものですね。とまあ、これだけ飲み食いして一人頭3,000円ですから文句はありません。料理では、特にカボチャの冷製スープと牛フィレ肉のステーキがおいしかったかな。桃のスパークリングワインは、甘口ワインの好きな私にはおいしかった。「オレンジーナ」とやらも、なかなか爽やかな味でしたね。 で、先程もいいましたように、会合の趣旨はそういうことなんですが、せっかく皆で集まったのに、いきなりお孫さんの病気のことを取り上げるというのもあまりに無粋かな、ということで、その話題には直接触れることなく、いつも通りの楽しい食事会となりました。アメリカ専門の私を除いて、他の方々はイギリスに滞在された経験のある方ばかりでしたので、先日のロンドンのテロの話題がまずひとしきり取り上げられ、それから先はつい先日の京都の祇園祭りの話から現在大学で行なわれている種々の改革の話に至るまで次々と話題は移り変わっていきます。そのうち私のブログの話題も出て、「毎日、よく書くよね!?」などと感心されるやら、呆れられるやら。 そういえばブログについて、ある先生から面白い話が出ました。彼によると、ポルトガルにフェルナンド・ペソアという詩人がいるらしいのですが、ペソア氏は自覚的な多重人格者であり、ベルナルド・ソアレスという名前でも作品を書いている。つまり一人の人間が様々な人格を装い、別人格として著作に携わっているわけですが、それは言わば、ある人が複数のブログをそれぞれ異なったハンドルネームの下で運営しているようなものではないか。いや、複数のブログを運営するのでなくとも、そもそも「ブログ」というもの自体、ある意味別人格を育てる場にもなっているわけで、そう考えると、ブログというシステムはペソアがやっているのと同じような意味で、人格的・文学的な実験の場になり得るのではないか、というのですね。 なるほどねー。そんなこと考えたこともなかったですけど、確かに私自身、このブログを通じて「釈迦楽教授」なる別人格を育てているのかも知れない。またそういう意識を持てば、そのことによってブログへの取り組みも変わってくるかも知れません。うーん、なんだか一つ、「考えるヒント」をもらったような感じです。それにしてもこういう刺激を受けられることこそ、それぞれ専門の異なる大学の先生方と付き合っていることのメリットであって、同僚との交流は欠かせません。ちなみに、このペソア=ソアレス氏は故郷であるリスボンの街の案内書みたいなものを書いていて、これには邦訳もあり、これを読むとリスボンに行きたくなること請け合いなんだそうです。『ペソアと歩くリスボン』という本ですので、興味のある方はこの日記の一番おしまいのところをご覧下さい。 さて、和やかな会も2時間ほどでそろそろお開きということになったのですが、まだ何となく話し足りないような気がして、店の前で少し立ち話をすることに。で、その時になってようやく、誰ともなく病気のお孫さんのことを先生にお尋ねしたところ、今のところまだ退院のメドがつかない状況とのこと。それを聞いて、今まで談笑していた我々の間に一瞬、シリアスな空気が流れたことは言うまでもありません。しかしそうは言っても、今我々にできることは何とか一日も早くお孫さんが良くなられることを祈ることしかないわけで、その気持ちを皆で口々に伝えつつ、H先生ご夫妻をお見送りし、我々現職組も解散となったのでした。 先生のお孫さんのことは依然として心配ですけれど、そのことを除けば、いい先輩、いい同僚に囲まれて、私は恵まれているなぁとつくづく思った一日でした。最近、ちょっと悲観主義的なことを言っている私ですが、今日は、掛け値なしに「今日も、いい日だ」と言える一日でした。 ところで、実は私はまだこの後、もう一つお楽しみがあったんですねー。その話題にも触れたいところなのですが、もう大分長くなってしまいましたので、この話題についてはまた明日にでもお話しすることにいたしましょう。ただ、上で述べた「桃のスパークリングワイン」や、謎のソフトドリンク「オレンジーナ」は楽天で扱っているようですので、先程の「ペソア本」と合わせて、以下に簡単にご紹介しておきますね。これらをクリック! ↓
July 21, 2005
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今日は昼から大学に行ってきました。出席しなければならない会議が幾つかあったもんでね。学生時代には夏休みというのは文字通り夏休みでしたが、黒板を背にする側に回ると、こんな感じで休み中でもちょこちょこ呼び出しをくらいます。ま、もちろんそれも給料のうちですから、そのこと自体には別に不満はありません。 しかしその会議の内容となりますと、なかなか納得できないことが多いですなぁ。 たとえば、今日の会議でも「『授業アンケート』を今後さらに頻繁にやっていこう」なんていうことが提案されたりするわけです。私なんかは、「まじ?」と思ってしまいますし、また私と同様に感じている方も多いと思うのですが、こういう提案には基本的に反対はできないんですね。大学として、こういうことをやらなければならないということは、すでに確認されているからです。 しかし、なんで自分の授業を学生に評価されにゃいかんのか、私にはさっぱり分かりません。 確かにこの種のアンケートというのは、アメリカの大学でも盛んにやっています。しかし、それはいいのですよ。前にも言いましたが、アメリカの大学生というのはホントに死にもの狂いで勉強しますからね。大学で学んだことを自分のこれからのキャリアに少しでも活かそうと思って必死です。ですから、彼らには、ためにならない授業を批判する権利はあると思う。 けれど、悲しいかな日本の大学で、死にもの狂いで勉強している学生にお目に掛かることなんて、そうはないですよ。それどころか、もうホントに悲しくなるくらい勉強してくれない。自分で言うのもなんですが、私がめちゃくちゃ面白い授業をしているにも係わらず、それを完璧に無視しておしゃべりに夢中になっている学生だって沢山いるんですから。また期末試験をやっても、これはよく勉強しているなと思わせる答案なんて、そうそうあるわけではない。 そんな怠惰な学生たちに、なんで私の授業をあれこれ「評価」されなきゃならんのですか! 「授業の内容がよくわからない」・・○、「授業後、さらに勉強する気になった」・・×、みたいな感じで、「よくもまあ言ってくれるよ」というアンケート結果を受け、教員たる我々が「反省」し、授業を「改善」しなきゃいけないなんて、世も末としか言い様がない。授業アンケートするなら、教員側にさせなさいって。 しかし、こういう馬鹿馬鹿しい授業アンケートって、是が非でもやらなきゃならないんです。なぜなら、こうことをして、「我が大学では、授業改善に日々取り組んでおりますです、はい!」と言える準備をしておかないと、文科省(およびその手先の外部評価団体)が「この大学、ダメ」の烙印を押し、その結果ガンガン補助金が減らされるからです。 日本の教育行政って、ホント、こういうレベルなんですよ。大学生の学力低下が深刻だとなると、途端に大学の責任を問い始め、その対策を各大学に取らせようとする。しかも大学の改善努力を「実質」で見るのではなく、「数値」で判断しようとするので、結局「授業アンケート」みたいな形で対応せざるを得ない。その結果、日本中の大学が苦労して「外部評価対策」に追われているわけです。そのための会議やら、組織作りにどのくらいの労力とお金が使われているか、関係者以外には想像もつかないと思いますよ。つまり、本来研究や教育に捧げるべき時間とエネルギーとお金を使って、外部評価団体にいかにアピールできるデータを出すか、その対策ばっかりやらされているわけ。 でまたトホホなことに、こういう馬鹿馬鹿しい提案に嬉々として乗ってしまう教員が結構沢山いるって・・・言うじゃな~い。でも、アンタ、「授業アンケート、いいですね、やりましょ、やりましょ」って言ってる教員ほど、実際にはろくな研究・授業をしていないんですから! 残念! (古いか・・・) あー、まったく腹が立つ! 私がまだ大学院の院生だった頃、今は亡き私の師匠が教授会から帰って来るたびに、「馬鹿馬鹿しい! 俺は教授会の最中に何度『馬鹿野郎!』と叫んで飛び出してこようと思ったことか・・・」と嘆いておられましたが、ついに私も、師匠のお気持ちがつくづく分かる立場になった、っちゅーことですな。・・・嬉しいやら、悲しいやら。
July 20, 2005
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このところ私は、割と勤勉に英語の勉強をしています。 確かに私は英語で書かれた本について云々することで生計を立ててはいますが、別に語学のプロではないので、英語の勉強が楽しくて仕方がない、という方ではありません。どちらかというと必要に迫られて、という感じですね。もちろん、やり始めればそれなりに楽しいと思う時もありますが。 ところで、英語の勉強をしていて、時々私が「うーむ」と唸ってしまうのは、ものすごく簡単な言い回しを知った時ですね。たとえば今日も “There’s someone in my life.” という言い回しを知った時、思わず「うーむ!」と唸ってしまいました。これ、要するに「私、今、好きな人がいるの・・」という意味なんですけどね。「誰かのことが好き」と言うのに、“like” も“love” も使わずに、こんなにシンプルな英語で表現できるとは・・・。こんな英文、あんまり簡単すぎて、逆に思いつきもしませんって。こういう「思いつきもしない英語」が自然に口をついて出るようになるには、一体、あとどのくらい勉強しなくてはならないのかと思うと、気が遠くなるなぁ・・・。 あ、すみません、今、気が遠くなってました。 ところで、このくそ暑い中、どうしてまた私がそれほど好きでもない英語の勉強をしているかといいますと・・・実はもっと嫌いなことをやらなければならないので、それをやるのを先延ばしにするためだったんです。そうです。先週、期末試験を実施した当然の報いとして、私は試験の「採点」をしなければならないのでありました。 それにしても、中学・高校はいざ知らず、大学教育において「試験」というのはそもそも必要なんでしょうかね。私が思うに、大学における授業というのは、本来、「きっかけ」に過ぎないと思うのですよ。授業の中で聞かされる色々な話の中で、一つでも興味の持てるトピックに出会ったら、それは素晴らしいことであって、所詮、大学の授業なんてそれ以上のものではない。実際、「最良の授業とは、過去に書かれた名著を紹介することに尽きる」なんていうことを言う人もいますが、私もホントにそう思います。少なくとも、私が授業で言ったことを記憶しているかどうかが重要なのではない。そこから先、個々の学生がどういう興味を持ち、どういう思考を発展させるかということこそが重要なんです。しかも、その思考の発展だって、それが重要な意味を持つのは当該の学生にとってであって、私にとってではない。ですから、赤の他人である私が採点したって、意味がないんです。 とはいえ、すさまじきものは何とやらで、とにかく期日までに私は成績を出して大学に提出しなければなりません。これは義務。だから私は、自分では意味がないと思っていることを、義務として実行せねばならない。つらいところです。 ・・・とまあ、そんなことをぶつぶつ言いつつ、今まで後回しにしてきた採点作業に、今日、ようやく取りかかったというわけ。英語の学習と違って、この場合は「やり始めたら、面白くなってきた」ということはないですね。 しかし、そんな生意気なことを言っている私も、まだまだ考えが甘いのかなと思わされることが、つい最近ありました。昨日も少し話題に乗せた若島正さんの『乱視読者の新冒険』(研究社)という本を読んでいたら、そんな試験の採点にまつわる面白い、というか、空恐ろしいエピソードが紹介されていたのです。 それによると、かつて若島さんの授業に出ていた学生で、一人、ものすごく出来る奴がいた。ところが、この学生、単位を落としてばかりで、ろくな成績をとっていないんですね。そこで、こんな頭のいい学生がなぜ単位を落とすのか、不思議に思った若島さんがその学生に理由を尋ねてみた。そうしたら、とんでもない答えが返ってきたというんです。 その学生、何と答えたと思います? 「試験を受けて単位を認定してもらうということは、その先生にぼくを評価できるだけの能力があると認めたことになります。そんな先生はほとんどいないので、今まで全部で十数単位しか取っていません」 ・・・ですと。 世の中にはすごい学生がいるんですなぁ。私のところに来る学生は、「先生、私、4年なんです。就職かかってるんです。何とか単位もらえませんか?」というようなのばっかりで、今まで悲憤慷慨のあまり泣かされてきたんですけど、もし若島さんが書いているような学生が私のところに来て、「先生にはぼくを評価できる能力があるとは思えませんので、単位はいらないです」なんて言いに来たら、私は別な意味で泣かされることになったでしょう・・・。 はーい! もう大人しく、殊勝に、採点させていただきまーーーす!
July 19, 2005
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夏休みに入って気が緩んだせいか、このところ普段の仕事とは無関係な本ばかり読んで暮らしています。そんな中で今日読んでいたのは、G・K・チェスタトンの『ブラウン神父の童心』(創元推理文庫)という作品。探偵小説ですね。 「ブラウン神父」と言えば、シャーロック・ホームズやエルキュール・ポワロなどと並び称される架空の探偵の一人だと思いますが、実は私はブラウン神父の何たるかについてまったく知識がありません。もともと私は「探偵小説」を愛読する方ではないんですね。しかし、先日、たまたま読んでいた若島正氏の『乱視読者の新冒険』(研究社)の中に、ブラウン神父のことに言及されている箇所があって、それがなかなか面白かった。それでいつか暇になったらブラウン神父の登場する小説を読んでみようかな、とつい思ってしまったんですね。そして実際に暇になったので、読んでみたというわけなんです。 で、一読してみた感想ですけど、一言で言えば「ビミョ~!」ですな。 面白くないわけではないんです。決してつまらなくはない。しかし、じゃ面白いかと言われると、それほど面白くもないんですなぁ。少なくとも私には「シャーロック・ホームズもの」の方がよっぽど面白いですね。 私は、幸か不幸か、子供の頃からかなり熱狂的な「シャーロック・ホームズもの」の愛読者で、そのため、常に「シャーロック・ホームズ」が探偵小説を読む時のものさしになってしまうんです。で、探偵小説を読んでいて「あ、これはシャーロック・ホームズと同じくらい面白くはないな」と思ってしまうと、もうその段階で興味半減してしまうんですね。ですから、アガサ・クリスティーのポワロものにも、どうも興味が持てない。もっともNHKテレビで放映するTVドラマ版の「名探偵ポワロ」は、ポワロを演じる俳優デビッド・スーシェの魅力と、吹き替えを担当している熊倉一雄氏の声の魅力で、時々見てしまいますけど。 で、「ブラウン神父もの」なんですけど、確かに「話の意外性」という点では、なかなか面白い。たとえば、一つ前の短篇で探偵として登場した人物が、次の短篇では犯罪者になっていたりして、なかなか目が離せない。もちろんそういう展開を、すこし「えぐい」と思う人もいるだろうし、私も少しそう思いますが、そこはまあ許しましょう。 私がブラウン神父探偵譚で一番不満なのは、置かれた状況の中からどうやってブラウン神父が手がかりをつかみ、推論し、結論に達したかがまるで分からない点です。犯罪解明のプロセスがまるで分からないまま、読者はいきなり結論だけを告げられるわけ。一休さんじゃあるまいし、ちょっと考えたらブラウン神父には謎が解けてしまった、では、ねぇ・・・。もちろんその点から言えばシャーロック・ホームズだって同じようなもんですが、ホームズの場合は相棒のワトソン博士がいて、ホームズの行動は博士の目を通して読者に逐一報告されますから、ホームズがいかなる手法で結論に至ったかは読者にも想像がつく。これは大きな違いです。 それにホームズは、探偵としてのプロ意識がありますから、過去の犯罪の詳細なファイルを作っていて、日々その研究に余念がありません。そういう日頃の鍛練を通じて、事件の解明に努めているわけです。しかし、一方のブラウン神父はと言いますと、神父という立場上、犯罪者の告解を聞くことが多く、それで犯罪者の心理に通じているのだ、ということになっていますが、そんなこと言われたって、「ほんまかいな」という感じがしますよね。 また人物造形という点でも、ホームズの性格は複雑ですし、また彼の生活ぶりもとても興味深い。何しろ彼は19世紀末の時代にすでにSOHOをやっていたわけですから、公の機関の一歯車として働いている私なんかから見れば羨ましい限り、憧れの人です。しかし、私に関する限り、「ブラウン神父のような生活がしたいなぁ」とは思いませんね。大体、彼が普段どんな生活をしているかなんて、小説を読んでいてもあまりよく分かりませんから。 実際ブラウン神父の造形というのは、「背が低く、小太りで丸顔、風采の上がらぬこと甚だしく、傍目にも哀れを催させるほどドタバタしていて、ぶくぶくのコウモリ傘がトレードマーク」というもの、これだけです。つまり作者としては、「こんな風采の上がらぬ、しがない神父が華麗な謎解きをやってのけるのだから、面白いでしょ? ね? ね?」と言いたいのかも知れませんが、そんなふうに面白さを強要されたって、「いや、別に面白くないです」としか答えようがありません。 ま、そんなわけで、残念ながらブラウン神父とのお付き合いも、この一冊で終わりかな。 ちなみに私の祖父は、まあ言わば植草甚一の先駆みたいなところがあって、探偵小説なんていうものも好きで相当読んでいたようですし、しかも座談の名手でしたから、祖父に探偵小説の読み方を習えば、現在の私のように「シャーロック・ホームズ一本槍」にはならなかったのかも知れません。しかし、祖父から色々なことを教わるには、当時の私は小さすぎました。もしもっと長生きしてくれていたら、シャーロック・ホームズのことだけでなく、ウィルキー・コリンズの『月長石』や『白衣の女』のことなんかを一緒に語り合うことが出来たのですが。 もし、これをお読みの方で、「この探偵小説は面白いよ、ブラウン神父なんて目じゃないよ」などという情報がありましたら、ぜひご一報下さい。またいつかトライしてみますので。 さて、週末最後のアフィリエイトは「教授の時計ショップ・パート8」です。時計のご紹介をすると、毎回反響が大きいのですが、今回も気合が入ったセレクトです。日本ではまだ「知る人ぞ知る」の隠れた名品を数々ご紹介していますので、ぜひ下の文字列をクリックしてみて下さい。ここをクリック! ↓時計ショップ・パート8
July 18, 2005
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以前、この「お気楽日記」の中で、林望さんのエッセイについて触れたことがありましたが、ここ数日、私は暇にまかせて林さんの書いた『思い通りの家を造る』(光文社新書)という本を読み返していました。この本は林さんがご自身の家の建て替えをなさった時の経験などを踏まえ、日本の風土、あるいは日本の現代生活に合ったこれからの家作りはどうあるべきか、というようなことを縷々綴っておられるものです。 例によって林さんは、家造りのノウハウからご自身にとっての理想の家のことまで、上手な筆回しで色々なことをお書きになっているのですが、その中で私にとって特に興味深かったのは、昔の日本の家がいかに合理的に造られていたか、ということを力説されている箇所、特に「茅葺き屋根」の効用を指摘されている箇所でした。林さんによると、昔の日本の民家などでよく使われていた「茅葺き屋根」というのは、梅雨時の雨を屋根そのものに染み込ませ、その水分を夏場の暑い盛りに徐々に蒸発させることで気化熱を奪い、室内の涼しさを実現していた、というのです。しかもこの時代の屋根は軒が大きく張り出しているので、夏の日差しも効果的に遮断していたし、外壁が少ない構造の日本家屋では、四方の障子を開け放つとどこからでも風が入ってくるので、縁側で涼しく昼寝をむさぼる、などという至福も味わえたというのですね。そんな話を読んでいると、何だか私までどこぞの山里の古い民家の縁側で、大の字になって昼寝をしているような気になってきます。 ・・・しかし、それはもちろん真昼の幻想でありまして、この本を読んでいる私は、他の多くの方々と同様、気密性の高いマンションをエアコンでガンガンに冷すという、いかにも身体に悪そうな暮らしをしているのでありました。ベランダではエアコンの室外機から熱風が吹き出していますから、「縁側で昼寝」どころの騒ぎではありません。地球の気温上昇には確実に貢献しちゃってますな。 と、そんなことをつらつら考えたせいなのかどうか、今日、私は一大決意をし、エアコンの使用を極力少なくすべく、扇風機を買うという挙に出ることと致しました。ま、エアコン嫌いの家内が前々から扇風機が欲しい欲しいと言っていたこともあり、丁度良いチャンスだったものでね。 さて、そんなわけで家の近くにある家電製品の量販店に行ってみると、案外扇風機売り場はお客さんで一杯。エアコン売り場が閑散としているのとは好対照です。やっぱ、今時代は扇風機なのかしらん。 それにしても、最近の扇風機は色々な種類がありますなぁ。昔からある首振り扇風機はもちろんのこと、小型のクリップタイプあり、床置き式あり。それから羽根の回転が見えないスマートな「タワー型」タイプがあるかと思うと、「冷風扇」っちゅーんですか、気化熱を利用して気温よりも若干温度の低い風を吹き出すようにしたタイプもあったりして、なかなか多彩です。値段も安いのは2000円以下のものから、3万円くらいのものまであります。 で、これらの中から家内と私が選びに選んだのは・・・3000円程度のごく普通の首振り扇風機でした。ま、環境にも財布にも思いやり、っていうことで・・・。でもですね、何かよく分かりませんけど「イオン」っていうボタンがあって、これを押すとマイナスイオンが発生するんですと。これだ、これこれ。これにしよう。 かくして家に帰って早速組み立て、スイッチオン! むむむ、これはいい感じのイオンだ! って、そんなの分かるわけありませんが、南北の窓を開け放った我が家に、マイナスイオンが含まれているとおぼしき爽やかな風が吹き渡ったのでした。ふーむ、結構涼しいぞ。ま、エアコンに慣れた身体には少し物足りないですけど、身体にはこの方がいいに決まっていますし、電気代も少なくて済むでしょうし、自然環境にもいいはず。よし、この夏はできるだけこの扇風機で過ごすぞ! ということで、わずか3000円ほどのお金ですっかり幸せな気分になってしまったワタクシなのでした。うん、今日もいい日だ。 さて、週末アフィリエイトの第二弾ですが、今日は特定のフリーページをご紹介するのではなく、テーマを決めて、そのテーマに沿った様々なジャンルの商品をご紹介することにします。で、今日は環境に良いことをした印に、「グリーン」をテーマにし、当セレクトショップのフリーページで扱っている様々な商品の中から、緑色のものをリストアップしてみました。私が自信を持っておすすめするこれらの「緑色グッズ」に興味のある方は、ぜひクリックしてみて下さい。 これらをクリック! ↓
July 17, 2005
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まず、昨日の『ジョー・ブラックをよろしく』の採点について一言しておきましょう。やはりなかなか良い映画でした。それで、私の「直感採点」で89点、と言いたいところですが、最後の最後でちょっとだけ甘ーいお話しになってしまったので、心持ち割り引いて87点としておきましょう。でも、今年に入ってから見た映画で80点を越したのはこれが初めて。この映画、教授のおすすめ! です。 さて今日の私ですが、今日は主に英語の勉強をしていました。夏休み初日にしてはなかなか偉いでしょ? しかし、それも少し飽きてきたので、夕方頃、家の近くのケーキ屋さんでお茶をすることに。「アプリコ」という名のそのお店は、何しろ昨日オープンしたての新しい店なので、噂を聞きつけたお客さんで一杯。駐車場も満杯でしたが、たまたま我々が入った時にはラッキーなことに一台分空いていたので、そこに車を停めていざ中へ。 中に入ると、まずケーキのショーケースがあり、その奥にはお茶が飲めるスペースがあります。ただ、チラッと見たところ、2人掛のテーブル席では隣とのスペースが少なすぎて、あまりリラックスできない感じ。そこで家内と私は「どうしよう、また今度来ようか・・」というような相談を始めたのですが、そうしたらウェイトレスさんが、「ちょっと窓際で暑いのですが、奥に4人掛もあります」と言ってくれたので、やはり今日はここでお茶とケーキをいただくことに。そしてしばし熟考した挙げ句、私も家内も「無花果のタルト」、それにクリーム入りの紅茶を注文しました。 もっとも「しばし熟考」というのは正確ではなくて、実は「速攻で無花果のタルトを注文」したのでした。なんとなれば、私は「タルト」というものに目がないので、ケーキ屋さんでお茶を飲む時は、何とかの一つ覚えみたいにたいていこれを注文してしまうのです。しかも数あるタルトの中でも、無花果のタルトが一番好きなものですから、もうこれを注文するのは、事前に決まっていたようなもんなんですな。さて、果たして私をうならせる無花果のタルトが出てくるかどうか、興味津々。 で、結論から言いますと、このお店のタルトはなかなかいい線いってましたね。無花果の身が大きく、味もよかった。まず合格です。ただ、これに合わせるには、クリーム入り紅茶ではなく、カプチーノを注文した方が良かったかな。クリームがたっぷり入っているので、せっかくの紅茶が少しくどくなり、またぬるくなってしまうんです。でも、肝心のタルトがおいしかったので、とりあえずはよしとしておきましょう。 ただ、店に入っているお客さんたちが、いわゆる「おばさん連」、あるいは「小さな子連れの主婦連」が主だったので、まあうるさいこと、うるさいこと・・・。これには少し閉口です。私の理想では、喫茶店はまず何よりも「寛げること」が一番重要ですから、その点から言うとこのお店、「ぜひまたお茶を飲みに来たい」というほどではなかったかな。もっとも、今日はたまたまそうだったということかも知れないので、「今後の展開を見守りたい」と言い直しておきましょう。ただ、ケーキ自体はおいしかったので、ケーキを買いにまたこの店に来ることはあり得るな。また、このお店はケーキだけでなくパフェも自慢のようだったので、それを試してみるという手もありますね。 その後、我々はそのケーキ屋さんの近くにあった大型書店に立ち寄って、あれこれ立ち読みして楽しみ、お気に入りの雑誌『Pen』を買って帰りました。そして夕食後はこの雑誌をぱらぱらめくったりして、のんびり過ごしたというわけ。ま、適当に勉強もし、リラックスもした一日でしたね。今日も、いい日だ。 さて、恒例の週末アフィリエイトですが、今週は最近新設した「教授のこだわり家電」のページをご紹介しましょう。家電製品というのは、もちろんどの家庭でも必需品であることは間違いないわけですが、その割にデザインに魅力のないものばかり。そこで楽天市場の中から私が厳選した、機能とデザインの両立が図られている家電製品をどしどしご紹介してこうと、ページを立ち上げました。ぜひ一度ご覧になって、買い換えの際のご参考になさって下さい。あ、あと、トップページに並べている商品も入れ換えましたので、こちらも良かったらご覧下さいね。ここをクリック! ↓教授のこだわり家電こんな感じのものが揃っています! ↓
July 16, 2005
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昨日は何と、帰宅してから映画を2本見てしまいました。一つは『ターミナル』、もう一つは『ジョー・ブラックをよろしく』です。以下その感想などを書きますが、ネタバレなので、まだご覧になっていない方はご注意下さい。 さてまずはじめに『ターミナル』の方ですが、こちらは一人の男(ビクター)が、ある約束を果たすために「クラコウジア」なる東欧(?)の国からニューヨークにやってくる、という話。ところが彼が機上の人となっていた間に彼の地で革命が起こり、新政府の樹立までの間、事実上国が消滅してしまうという事態になる。当然パスポートは無効となるので、ビクターはJFK空港の国際線ロビーに足止めを食ったまま、アメリカの土を踏むことも故郷に帰ることもできなくなってしまう。しかもビクターは英語も話せないし、ろくにお金も持っていないという状況。さあ、どうするか、というところから物語は始まります。 もちろん、一番切実なのは食事の問題です。始めのうちはコーヒーショップなどでただでもらえるスナックなどで食いつなぐのですが、そのうち荷物用のカートを返却場所に返せばデポジットの25セント玉がもらえることに気付き、その小銭を集めて食事にありつくようになる。しかも空港内の修理中のゲートに寝場所も確保し、また英語の勉強も始めて、片言ながら人々と意思疎通ができるようになっていく。ちょうどロビンソン・クルーソーが無人島の中に生活の場を作り上げていったように、国籍を失ったビクターはJFK空港の真ん中に確固とした生活の場を作り上げていくわけです。このあたりのシークエンスはなかなか面白い。 ところが空港の管理責任者の某は、無国籍者のビクターが空港を住まいにしていることを近々やってくる空港の視察団に知られたくない。何とかビクターを空港の外に出し、「不法滞在者」として逮捕させ、彼を管轄外に移してしまいたいわけ。そこで彼は様々な策を弄してビクターの追い出しにかかるのですが、ビクターもさるもの、合法的にニューヨークの街に出られるようになるまで、あくまで空港に留まる決意を固めていきます。 とまあ、そんな駆け引きが展開する一方、ビクターと空港で働いている様々な人々との間に交流が生まれ、高圧的な空港管理者という「強者」との対立という図式の中で、ビクターは「弱者」の立場にある空港労働者たちの代表者みたいな存在になっていくのですね。また、空港でのサバイバルに必死になっていたビクターは、あるきっかけから不倫の苦しい恋をしているスチュワーデス(アミリア)と出会い、互いにほのかな恋心を抱くということも起こってくる。果たしてビクターは無事サバイバルを果たし、ニューヨークの土を踏むことができるのか、そしてビクターとアミリアの関係はこの先どうなっていくのか。ドラマは俄然面白くなってきます。しかも、こうしたストーリー展開に加えて、そもそもビクターはなぜニューヨークにやってきたのかという謎も明らかにされていく・・・。 ま、こんな感じの映画ですね。筋書きだけ見ると面白そうでしょ? それに主演が『フォレスト・ガンプ』以来、「愚かなる賢者」を演じさせたらピカ一のトム・ハンクスとくれば、これは面白くならないはずがない・・・・。 しかし、結論から先に言うと、私はこの作品に80点の合格点をあげることができませんでした。まあ、73点というところかな。私の個人的な意見ではありますが、この作品、随所で脚本の詰めが甘いんですよ。 まず、ビクターがニューヨークを訪れなければならない理由というのがそれほど切実でない。これがストーリー展開上、一番深刻な問題ですね。ビクターがはるばるニューヨークまでやってきてやろうとしていることは、やりようによっては郵便で済ませられるし、どうしても今やらなくてはならない、というほどのものではない。だから、映画の最後でビクターが目的を達成した時も、100%までは感動を共有できない。 それにこの話は「東欧の片田舎から来たビクターのイノセントな人柄に触れることによって、ニューヨーカーたちが忘れかけていた人間性を回復していく」という話にすべきものであって、シチュエーションのお膳立てはその方向で全て整っているのに、実際には必ずしもそうなってない。スチュワーデスのアミリアは結局不倫を続けることを選ぶし、またビクターと対立する空港管理の責任者も、最終的にビクターがニューヨークの土を踏むことを黙認するのですが、その決定的なハイライト・シーンも案外さらっと流されてしまって、盛り上がりに欠ける気味がある。ついでに言えば、空港の掃除係を長年勤めてきたインド人のおっちゃんなど、ビクターと係わったことがきっかけでインドに強制送還され、刑務所に7年もぶち込まれることになるのですが、それもなんだか少し後味が悪い・・・。てなわけで、せっかく「良い話」になりそうな素材がこれ見よがしに揃っているのに、それを活かしきれてないなぁ、という感じがしてしまうんですね。今、ロードショーにかかっている『宇宙戦争』の出来も含め、どうなんでしょう、スピルバーグって、ひょっとして完全に焼きが回っちゃったんじゃないですかね・・・。(あ! 言ってしまった!) ところで『ターミナル』が少し期待外れだったのに対し、もう一つの『ジョー・ブラックをよろしく』ですが、これは期待していた以上の出来でした。 私はジョー・ブラックを演じるブラッド・ピットという俳優がさほど好きではないので、この映画がロードショーにかかっていた時も無関心で、昨日の深夜、NHKの衛星放送で放映されることも知ってはいましたが、別に見る気はなかったんです。ところがたまたまチラッと見始めたらとても面白かったので、ついついそのまま見てしまったというわけ。 この映画、アンソニー・ホプキンス演じる大会社の社長(パリッシュ)のところに「死に神」のジョー・ブラックが現れ、死期が迫っていることを告げる、という話です。ただ、ジョーは現在「休暇中」で、パリッシュをあの世に連れて行く前に、この人間世界を少し見て回りたいという思いがある。そこでパリッシュの死期に少しだけ猶予を与える代わりに、彼にこの世を案内してくれ、と頼むわけ。 パリッシュは既に功成り名遂げた人ではあるし、また最愛の奥さんに先立たれたこともあって、少し厭世的になっていた。ですから、もうすぐ死ななくてはならないことに対しては、彼はそれほど恐れはしない。しかし、そうは言ってもやはり死期が近いことを悟ってしまった以上、自分がこの世で成し遂げたことを形にして残したいという気にもなるし、また二人の娘、特にまだ独り者の末娘のことも気がかりになってくる。それまで社長として辣腕を振るってきたパリッシュも、そんな人間臭い悩みに直面せざるを得なくなってくるわけです。一方、初めて人間の世界に降りてきたジョー・ブラックも、この目新しい世界の中で色々なことを経験し、その過程でパリッシュの末娘と恋に落ちるということも起こってくる。何しろ「死に神」が愛を学ぶ、というのですから、確かにこれは一つの見物です。 というわけでこの映画、死に直面し、自分の人生の最期をどう締めくくるかに悩み苦しむパリッシュの姿と、人間界に降りてきてあらゆるものを珍しがる死に神・ジョーのコミカルさが交じり合い、しかもそこにパリッシュの末娘との出会いを通じてジョーが愛というものを学んでいく、その人間的(死に神的?)成長の要素も加わって、なかなか興味深いストーリーとなっています。死に神を演じるブラッド・ピットも「はまり役」で、なかなか上手に演じていますし、それよりも何よりもパリッシュを演じる名優アンソニー・ホプキンスがこの映画に重みを与えていて、この二人のペアがこの奇妙な筋書きに不思議なリアリティを与えている。いや、これはなかなかの佳作です。 では私の採点で何点か、と言いますと、残念ながら今のところ結論が出ていません。実はこの映画、明け方の3時半くらいまで続くものだったので、最後の一時間分はビデオに録画したまま、まだ見ていない。最終的にどう話が展開するのか、現時点では私も知らないんです。これを書き終わったら、残りを見ようと思っているところ。よって採点は後日に回しますが、80点の合格ラインは余裕でクリアしそうな感じであることは、あらかじめ言っておきましょう。 それにしても、よく考えると昨夜見た二つの映画は、どちらにしても「異国から来た異様な男が、既成の秩序を崩しつつ、新たな秩序の地平を見せて去る」という内容ですね。これは洋の東西を問わず「昔話」や「伝説」によくあるパターンですが、結局人間はこういう話が好きなんでしょうな。とげとげした自分の現在の姿を脱ぎ捨て、本当の自分になるためのきっかけを、誰もが皆求めているのかも知れません。たとえその「本当の自分」とやらが、幻想に過ぎなかったとしても、ね。 さて、それでは私の長話はこのくらいにして、ビデオの残りを見に行きますか。
July 15, 2005
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最近、私のホームページ上に「占い」の表示が出るようにしたのですけど、他の方のホームページを見ても表示している人が沢山いますね。やはり皆さん、お好きなんですな、占いが。 でも、この占い、時々面白いことがあって、たとえば昨日の私の運勢は「恋愛運よし、仕事運よし、金運よし、全体運最悪」でしたけど、これって一体どういうことなんざんしょうか? 恋愛も仕事も順調、金運もいいぞ、ということであれば全体運だって相当良いような気がしますが・・・。 ま、前にも書いた通り、もともと私は占いなんて信じていませんので、どうでもいいんですけどね。 ・・・ところがですね、私は占いそのものは信じていないんですが、ではそれを軽んずるのかというと、そうでもないんです。むしろ占いの効用には、常日頃感服している方だと思います。つい先日も、「占いってすごいなー!」とつくづく感心させられることがありました。 実は私の大親友がこの間大失恋をやらかしまして、相当落ち込んでいたんですね。で、もちろん私も随分相談に乗ったりしたのですが、本人の思いが強かっただけに、なかなか慰め切れないところがあった。ところが、その彼が知り合いのつてで易者(女性)に占ってもらったところ、ぐっと楽になったというのです。 その易者さん曰く、「あなたと相手の女性とは異なった星の下に生まれていて、一緒に居ればあなたは常に相手の女性に振り回されてしまうから、別れた方が良かった」。そして「あなたの運気は来年の節分あたりから9年に一度の大上昇期に入るので、その前に落ち込んでおいて非常にラッキーであった。今は何をやってもダメな時期なので、じたばたしないで来年の節分まで待て。そして、そこから出直せ」と、そう言われたというのです。で、その易者さんの言葉に、私の親友は本当に救われた気がしたと言うのですね。 さて、この易者さんのアドバイスを見ると、そこに3つのポイントがあることが分かります。まず一つ目は、破局の原因を「星」のせいにしてしまったこと。二人が別れたのは、誰のせいでもない、宇宙の法則だ、というわけです。で、二つ目は、「今落ち込んでおいて運が良かった。あなたはホントにラッキーだ」という形で、マイナス思考をプラス思考に転化したこと。そして三つ目は「来年の節分まで待て」という形で、明確に日時を示して悩みの期限を切りつつ、将来に希望を持たせたことです。ま、このうち、二番目のものについては易者でなくても言えるかも知れませんが、一番目と三番目については、これは易者でなくては言えないでしょう。仮に私が「来年の節分には、彼女のことも忘れているよ」なんて言ったところで、どうなるもんでもありませんが、易者が占いでそう結論づけたとなると、これは効果抜群です。 ちなみに彼から相談を受けた時、私が言ったのは、まず「相手の女性はお前にふさわしくない」ということ、そして「苦しみは長く続くだろうが、雄々しく耐えろ」ということ、この2点でした。 易者と私のアドバイスを比べると、多分、私の方が正しく、また気品溢れる(?)ことを言っていると思います。しかし、正しいことが常に救いになるとは限らない。たとえば子供が怪我をした時、父親が「薬を塗っておけ。痛いのなんか我慢しろ」というより、母親が頭を撫でながら「ちちんぷいぷい、痛いの痛いの飛んで行けー」と言ってやる方が、子供にとってはよほど慰めになるのと同じように、真実に直面させるよりも、気の持ちようを変えてやることの方が、痛みの渦中にある人の助けになることもある。で、易者は、「占い」というシチュエーションの中で、それが自由にできるんですね。そこが「占い」のすごいところで、最初に述べたように、私は「占い」を決して軽く見てはいないんです。 結局、占いというのは、非常にうまくできた人間心理学なんでしょうな。使い方によっては、とても有用なものになり得る。 そう思ってふと見ると、おやおや、今日の私の運勢は、かなり良いじゃないですか! 今日は運がいいぞ・・・そう思って頑張ることにしましょうかね。
July 14, 2005
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大学の教員になって楽しいことの一つは、卒業論文の指導ができることです。何しろ4年間の学生生活の総まとめですから、学生の側も気合が入りますし、指導するこちらとしても、何とか良い論文を作り上げる手伝いをしてやりたい気持ちにもなる。 ところが最近の学生は、自分の卒論のテーマを決めることさえままならないのが多いんですよ・・・。今年度のゼミ生の中にもまだ卒業論文のテーマがはっきり定まらない学生がいて、ホントに困ってしまいます。いや、本人としてはある程度自分のやりたいことは決まっているのですが、私の目から見ると「それは、論文のタネにはならないよ」というものばかり。 たとえば、「アメリカにおける理想の女性像の変遷」というテーマで卒論を書きたい、などと言ってくる学生がいる。こういうのが一番困ります。だって、どの時代を取ったって、一つの国家における理想の女性像だなんて、そんなに明確に決まらないですよ。ま、昔は「家庭の天使」的な女性、現代は「キャリア・ウーマン」、くらいの傾向は出るかも知れませんけど、こういうのはアメリカだけのことではないですからね。この程度のことをまとめるだけなら、すごく大雑把な論になってしまう。もともと卒論レベルで取り扱えるテーマではないんです。 でも「理想の女性像」と言われて少し興味が出てきたので、その場にいた数名のゼミ生(ほぼ全員女子学生)に、「じゃ、みんなにとって理想の女性って誰?」と聞いてみたんです。みんな即答できずに呻吟しているので、「ほーれ、ご覧。自分にとっての理想の女性像だって、そう簡単には決まらないだろう?」と言うと、ようやく一人の学生が「緒方貞子さん」と具体的な名前を出してきました。緒方さんって、国連難民高等弁務官を務めていた人ですね。ほう、なるほど・・・。教授:「ほう、なるほど・・・。でもさ、国連の高等弁務官として緒方さんがどんな業績を挙げたか、知ってるの?」学生A:「知りませーん!」教授: 「じゃ、緒方さんが偉いかどうかなんて、分からないじゃん」学生A:「でも、国連で英語使って仕事してたんですよね。すっごーい!」教授: 「・・・あ、そう・・・。ポイントは英語なわけね・・・」学生A:「あ、それからライス国務長官!」学生B:「そうそう! カッコいい!」学生C:「あの人、すっごく頭いいんでしょ?」学生B:「そりゃ、そうじゃない? どっかの大学の先生だったんでしょ?」教授: 「・・・。頭はいい人みたいだね。ところで、国務長官って、日本でいうと何大臣になるか、知ってる?」学生A:「国務大臣、かな」教授: 「日本に国務大臣って、ないと思うけど・・・」学生B:「でも、女性なのにアメリカを代表して日本に来ちゃうなんて、すごーい」教授: 「でもさ、あの人、ブッシュ政権の長官でしょ。みんな、この前までブッシュ大統領には批判的だったじゃない? そのブッシュさんの右腕のライスさんは、お咎めなしなの?」学生ABC:「政治のことは分かりませーん!」 ・・・。こいつらひょっとして、全員アホの子かしら。 今どきの女子学生にとって、「理想の女性像」っていうのは結局、社会的に見て高い地位に就いている女性のことなんですな。 でもそれじゃ、「ものの見方」が「近所のおばちゃん」レベルですから! 大学生なんだから、少しは斜に構えてくれよ・・・。社会的に高い地位に就いている人が本当にエライ人かどうか、その人の業績を見るなり何なりして、自分の頭で判断してくれって。 とまあ、最近の学生さんの能天気ぶりに、いささか当てられっぱなしのワタクシなのでした。今日も、わけ分からん! ・・・え? 何ですって? 私にとっての「理想の女性」は誰か、ですと? そんなの、「家内」に決まってるじゃないですか!!
July 13, 2005
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私は運動神経抜群というわけではありませんが、昔から新しい情報をキャッチするのは早かったので、何か新しいスポーツが流行する兆しがあると、とりあえずちょこっとだけ齧ってみたりする、ということがよくありました。たとえば、今からちょうど30年ほど前でしたか、「スケートボード」なるものが日本でもぼちぼち流行し出した頃、私はいち早くボードを購入し、人に先駆けて練習して、坂道をすいすいと下ったりして楽しんだものです。実際、あれはなかなか面白いもんですよ。 しかし、スケートボードの流行が後に「スノーボード」の流行につながるとは、その時は気付きませんでしたね。スケートボードからスノーボードなんて、ほんのちょっとアイディアを飛躍させるだけでよかったのに。もしあの頃、「坂道をボードで下るのが楽しいなら、雪山をボードで下ったらもっと楽しいだろうなぁ」なんてことを思いついていたら、今頃私は「スノボ御殿」に住んでいたかも・・・。 ま、そんな生臭い話はよしにして、情報通の私の耳に入っているスポーツの話題を一つ。 今、アメリカで流行しているスポーツに、「スティック・ボール(stick ball)」というのがあります。これ、箒の柄のような細いバットで野球のボールよりも一回り小さいボールを打つゲームなんですが、まあ子供の頃にやった「三角ベース」みたいな簡易野球ですね。実はこのゲーム、アメリカでは19世紀から大都会の路地などで行なわれていた由緒正しきスポーツであって、決して新しいゲームではないのですが、最近になって復活したらしい。ちなみにこのゲームは1チーム3人からプレイが出来、しかもグローブが必要ないのでお金もほとんどかからない(3ドルあればバットとボールが買える)というのがミソ。ちょうどバスケット・ボールの「3 on 3」みたいに、少人数で手軽に遊べるというところがいいのでしょう。 ところで、このスティック・ボールをもう一ひねりしたものに「ウィッフル・ボール(wiffle ball)」というのがあります。こちらは最新のスポーツと言っていいかな? 少人数で行なう簡易野球という点ではスティック・ボールと同じですが、ウィッフル・ボールの場合は、使用するボールが曲者。ボールの片側にディンプル(ゴルフボールのような窪み)があるので、素人が投げてもとんでもない変化球になるんです。実際、普通に投げても面白いように魔球になってしまうので、これを打つのはなかなか大変。しかしその難しさがまたゲームに面白みを加えるというわけなんですな。 インターネットで調べてもまだウィッフル・ボールを扱っている業者は日本にはないようなので、アメリカからウィッフル・ボール用のボールをごっそり仕入れて一儲けなんてことも可能かも。私にはその気はありませんが、スポーツ用品の量販店の方なんか、どうです? それにしてもアメリカ人というのは、「遊び」を考えさせたら世界一ですね。それだけは、いつもつくづく感心しちゃいます。あの「遊び」の感覚は、しかし、いいもんですよ。休日にくわえ煙草でパチスロなんてのより、よっぽど人生をエンジョイしているって感じがしますもんね。
July 12, 2005
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大相撲名古屋場所が始まりました。このところの相撲人気の低迷で、人の入りはどうかと思ったのですが、テレビで見る限り結構入っていましたね。もっとも昨日は初日で、好取り組みが組まれていたということもありますが。 とはいえ、その割に内容的にはあまり見るべきものはなかったなぁ。相変わらず朝青龍が圧倒的な強さを見せたものの、ライバルとなるべき栃東・魁皇は相手に押し込まれて危ない相撲だったし、千代大海も勝つには勝ちましたが「へなちょこ突っ張り」で全然足が出ていないし、大関陣は皆ぱっとしなかった。おまけに今場所期待の琴光喜と白鳳は揃って黒星スタート。なーにやってんだか、って感じですね。 特に琴光喜は、いつも期待しているだけにがっかりです。それにしても彼は何故立ち会いでいつも突っ込んで行くんだろう? 琴光喜は攻め急ぐと身体が伸びきってしまう悪い癖があり、土俵際ではたかれて長々と土俵を這うんですよ。いつもそう。なのに何故同じ過ちを繰り返すんですかねー? 琴光喜くらいの身体があれば、あそこまで突っ込まなくても立ち会いで押し負かされることはないんだから、一歩踏み込むだけは踏み込んでおいて、後は相手の突っ込みを受けるくらいの立ち会いをすればいいのに。彼はもともと相撲が好き(「相撲が好き」というのは、時間をかけて相撲をとる、という意味です)なタイプだし、4年前に幕内優勝した時まではそういう相撲だったんです。ところが誰に言われたのか、その後、今のような速攻の相撲に変えてしまって、それでずっと低迷を続けている。 また、どういうわけか琴光喜の親方である佐渡ヶ嶽親方は琴三喜に対しては妙に厳しく、「あいつはもうダメだ」とか「おまえなんかやめちまえ」などと言っているようですが、そんなひどいこという前に、琴光喜本来の相撲がとれるよう指導しなきゃダメじゃないですか! ここは一相撲ファンとして、佐渡ヶ嶽さんには猛省を促しておきましょう。 閑話休題。 ここで話はまったく変わりますが、昨日の夕食は久しぶりに私が作りました。メニューは豚肉と鶏肉と卵の中華風煮物です。これ、簡単でおいしいので、世の奥様方のために作り方を伝授しちゃいましょう。 まず醤油をおたま2杯半、酒とみりんをおたま半杯ずつ、塩小さじ半杯、砂糖小さじ1杯半、胡椒少々、皮つき生姜1かけ、ニンニク1かけ、八角1個、長ネギ1本分(5センチ程の長さに切る)、それに水おたま10杯分を鍋に入れ、一度煮切ります。そしてここに豚肉の大きな固まり(多少油身のある部位)をボコンと入れ、30分ほど中火で煮ます。そして次に骨つきの鶏肉(手羽中)を14~5本、それにゆで卵5~6個を入れ、さらに1時間ほど弱火で煮ます。タレが少なくなったら水を足すなどしながら、合計で1時間半から2時間ほどコトコト煮れば出来上がり。八角の風味が効いて、めちゃくちゃおいしい煮物となります。ま、これだけだと野菜が足りないので、チンゲン菜を茹でたものを添えたりすればもう完璧。私はさらに完璧を期して、具沢山のお味噌汁を添えました。おいしかったですよー! さて、今週はテスト週間ということで、学生さんも大変ですが、採点する私も大変。昨夜はおいしいものも食べたし、一週間頑張って行きましょう!
July 11, 2005
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昨日の土曜日の新聞に、哲学者の串田孫一さんが亡くなったことが報道されていましたね。享年89歳。もちろん赤の他人である私には無責任な想像をする以外ありませんが、串田さんの一生は、その大半をご自分の好きなことに費やしたという意味で、まず幸福な一生だったと言えるのではないかと思います。 私が串田さんのことを詳しく知ったのは、実はほんの数年前のことです。もちろん、串田さんのお名前は随分前から知っていたのですが、ただ何となく敬遠していたんですね、特に理由もなく。しかし数年前、何のきっかけだったか彼の本を買って読むことがあり、それ以来、すっかりファンになってしまった。 ちなみに、私が最初に買って読んだ串田さんの本は、岩波文庫にある『新編 山のパンセ』です。「パンセ(=随想)」というタイトルにふさわしく、数十篇の短い文章を集めたエッセイ集で、おそらく串田さんの数多いご著書の中でも特に有名なものの一つでしょう。で、本書の冒頭には「意地の悪い山案内」というエッセイが置かれていて、この本を手に取った私は、まずこの冒頭の一篇に魅せられてしまった。 このエッセイ、内容としてはそれほど大層なことが書いてあるわけではありません。40代も後半に差し掛かった串田さんが、ある時友人に頼まれて、16歳になる娘さんを山歩きにつれていくという話です。ただそれだけ。しかし読むとこれが実に深い。 そもそも、初心者の娘さんを山につれて行くというのであれば、普通の人ならば楽に登れる山を選び、まずは山登りの楽しさを教えようとするでしょう。しかし串田さんはそういうことはせず、いきなり本格的な登山に彼女をつれ出すんです。しかも自分が先頭に立って彼女の面倒を見ながら進むのではなく、娘さんに前を歩かせ、自分はその後ろから無言でついていくという方法をとる。その方針は徹底したもので、たとえば道が分岐する場所でも、どちらに進むべきかを彼女の判断に任せるんですね。登山初心者の娘さんには少し酷いような感じですが、串田さんは敢えてそうする。そして、そうしているうちに、最初のうちこそ戸惑っていた彼女も、やがてこの串田流の教育方針を素直に受け入れ、自から進んで山道をずんずん歩くようになっていく。 おそらく串田さんは、友人から娘さんを預けられた時、この登山が彼女にとって一つの通過儀礼になるようにしてくれという暗黙の依頼を受けたのでしょう。そして実際、その依頼を串田さんは見事にやり遂げた。それは山を登り始めてからのわずかな時間のうちに、彼女の中に確かな自立心が生まれたことでも分かります。この登山を通じて、その娘さんは子供から大人へと変化していった。そして、そのことを串田さんの鋭い目は、すぐ前を歩いていく彼女の後ろ姿に見て取っている。 しかしこのエッセイは、単に「少女のイニシエーション」を描いたものではありません。このエッセイの面白さは、実は若い娘さんと一緒に登山をしている間に串田さんの心中に去来する様々な思いにこそある。つまり、自分の前を歩いていくあやふやな年頃の少女の姿を見ているうちに、それが串田さんにとって、若き日の自分の姿に重なってしまうんですね。となれば当然、串田さんとしては、彼女が自分と同じ過ちを犯さぬよう、自分が経験から学んだ様々な知恵を彼女に与え、転ばぬ先の杖になってあげたくなる。しかし、串田さんはじっと我慢して、敢えてそれをしない。過ちを犯させないより、むしろ犯させた方がいい、犯したら犯した時に、何らかのアドバイスを与えればいいと、そう考えるわけです。ですからアドバイスをしたい自分と、それをしてはいけないと引き止める自分の間にあって、相当な葛藤を経験することになる。若い女の子の後ろから登山をするのは、前に立って登山をする以上に、串田さんにとってはきついんです。そしてそういう串田さんのじれったい思いが、読んでいる我々にも伝わってくる。そこが何とも微笑ましい。 しかし、この無邪気な微笑ましさと同時にこのエッセイの中に漂うのは、密やかな、それでいて濃密なエロティシズムです。何しろこれは壮年の男性が、16歳の少女に大人としての通過儀礼を与えようというのですから、その時点でエロティシズムの要素がそこはかとなく立ち昇るのは当然でしょう。しかも、ちょうど猫がネズミを目の前において弄ぶように、串田さんも目の前に無力な少女を歩かせているのですから、そのシチュエーション自体がまたエロティックでもある。けれどもその一方で、この少女は古い友人から預かったものであるわけですから、そこに犯し難い禁忌の要素もあり、また登山という行為自体が元来禁欲的なものであるという側面もある。従って少女との登山という異様な経験の中で串田さんが感じている葛藤というのは、実は「エロティシズム」と「禁欲」の間の葛藤でもあるんですね。ですからこの短いエッセイの中には、実は様々なレベルでの葛藤が描かれていて、そうした葛藤の複雑な絡み合いが、この文章を非常に豊かで意味深いものにしているわけです。 もちろん『山のパンセ』に集められているエッセイの中には、純粋に登山そのものの苦労や喜びを語ったものも数多くあります。たとえばあるエッセイの中では、雨にたたられてようやく無人の山小屋にたどり着き、誰かが残していった一本のマッチで薪に火をつけ、暖をとる、などという出来事が淡々と綴られていたりする。しかし、登山家なら誰でも一度や二度は経験するであろうような、そんな何気ない経験ですら、串田さんの筆になるとたちまち一篇のエッセイになってしまうんですね。そして読者である我々も串田さんと一緒になって雨の山道の心細さに身も細るような思いをしたり、たった一本のマッチの有り難みを切実に感じたりするようになってしまうわけ。いや、そればかりでなく、この本を読んだ後では、現在の自分の暮らしが如何に不必要なモノに溢れているか、またそういう過剰な豊かさに対して如何に自分が無感覚になっているかが見えてくる。つまり山に登る人間としての串田さんの「目」が読者にも乗り移ってきて、自分の生活からあらゆる無駄なものをばっさり切り捨てたくなってくる。その身を削ぐような感覚が、実に爽快なんです。 ま、こんなふうにして私は『山のパンセ』を通じて串田さんのエッセイの魅力に取りつかれ、その後、折に触れて彼の作品を読んできました。それで自然、串田さんの経歴についても少しずつ知識が増えていったのですが、そもそも串田さんというのはご尊父様が三菱系企業のお偉いさんという「いいとこ」の家庭に育った「お坊ちゃん」なんですな。で、彼自身、東大の哲学科を出て助手となり、その後は確か東京外語大の教授か何かになっているはずです。けれど、おそらくそんな「お坊ちゃん」育ちの過去をそれこそばっさり切り捨てたかったのでしょう、串田さんは少年時代から山登りに打ち込み、山の厳しさを愛するようになっていった。つまり串田さんの中には、一方で消そうとしても消しきれない「育ちの良さ」があり、その一方でそういうインテリ的な価値観に対する潔癖なまでの反発心があって、それが彼を山に向かわせたんですね。串田さんが定年前に大学の教授職をあっさりと辞し、そそくさと野に下って、以後は詩人として、山のエッセイストとして、あるいは翻訳家として、文筆活動に打ち込まれたことも、そういう串田さんの気質を見れば理解できるような気がします。実際、串田さんにとってはアカデミックな本の世界ではなく、現実の峻厳な山の空気こそが自らの思考を研ぎ澄ませるのに必要だったのでしょう。それは多分、哲学を生きるということであって、大学の教授職よりも串田さんにははるかにふさわしい経歴となったのだろうと思います。とにかく串田さんはそうやって自由に、自分の生きたいように生きられた。冒頭で、私が「串田さんは幸福な生涯を送られたのではないか」と言ったのは、つまりはそういうことです。 300冊を越えるといわれるご著書の総体から言えば、私がこれまでに読んだ串田さんの本など、そのほんの一部に過ぎません。またそのすべての著作について、よき読者であったかどうか、いささか心もとないところはある。しかし、少なくとも『山のパンセ』に関して言えば、私は串田さんのいい読者と言えるのではないかと自負しています。実際、この本から受けたインパクトがとても大きかったことは確かで、このところ私が夏になると必ず一冊、山についてのエッセイを読むことにしているのも、『山のパンセ』の影響以外の何ものでもない。私が尾崎喜八の『山の絵本』という名著に出会ったのもそのおかげなのですから、私はその点でも串田さんに感謝しなければならないんですね。 そんなふうに、いわば私の生活の中に新鮮な山の風を吹き込んでくれた串田さんが、89歳の長寿を全うされ、静かに息を引き取られた。土曜日の朝、その報に接した私は、「悲しい」とか「寂しい」とかいうのではないけれど、そういう生々しい感情を抜きにした「透明な感慨」みたいなものを、今にも降りだしそうな梅雨空を眺めながら、感じていたのでした。 そんな感慨と共に、ここに串田さんのご冥福をお祈りしたいと思います。合掌。串田孫一の本 ↓
July 10, 2005
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昨晩遅く、NHKの衛星放送で「証言ドキュメント 教育者齋藤秀雄の真実」という番組をやっていたのを見ました。多分、以前放送したものの再放送だったのではないかと思います。 ご存じの方も多いと思いますが、齋藤秀雄という人はクラシック音楽の指揮の世界では日本における草分け的な存在で、その門下から山本直純や小沢征爾らが出たことで知られています。というか、今ではむしろ小沢征爾の方が有名で、彼らのかつての師匠として知られていると言った方がいいかな? その小沢征爾の肝煎りで「サイトウ・キネン・フェスティヴァル」が松本で定期的に開催されているのも有名です。 私はクラシック音楽のことにそれほど詳しいわけではないので、齋藤秀雄氏のことについて知っていることと言えば、上に述べたことに尽きます。ですから昨夜、NHKの番組で齋藤秀雄氏の人柄がどういうものだったのかが分かって、とても面白かった。 そもそも齋藤さんという人はチェロ奏者としてキャリアをスタートしたのですね。チェロ奏者としては日本で初めてドイツ留学を果たしたりもしていますから、当時として日本のチェリストの第一人者であったことは間違いない。ところがドイツに行ってみると、やはり上には上がいるもので、齋藤さんはほとんど初心者コースみたいなところから授業を受け直すはめになる。もちろん留学生活は彼にとって大いに勉強になったようですが、同時に世界のレベルでは一流のチェリストにはなれないだろうということを、思い知らされることにもなった。 で、帰国した齋藤さんは指揮者に転向することになります。しかし生来の「あがり性」ゆえに、プロの指揮者としてもなかなか実力が発揮できず、そこで彼は演奏者としての道を断念して、「教育」の道に進むことを決意するんですね。そしてまだまだ戦後の爪痕の残る東京で、齋藤さんは音楽を学ぼうという子供を集め、バイオリンやチェロの指導を始めるのですが、これが教育者としての齋藤秀雄の原点となった。 しかし、結局これが彼にとっては最善の道だったんですな。そのことは、彼の門下から数えきれないほどの教え子が、プロの演奏家として育って行ったことからもうかがえます。 齋藤さんご自身は、教育というのは植物を育てるようなものだ、と考えていたようです。植物を育てる時、人は水をやり、日光を浴びせ、肥料をやり、そうやって面倒を見る。それと同じように、齋藤さんは教え子たちに機会を与え、方法論を教え、努力を促した。しかし、それでも一番大事なのは「種」、すなわち個々の教え子たちの「才能」だと齋藤さんは言います。どんな教育者でも、それには手を着けられない。ただ、一生懸命世話をして、「種」が発芽し、成長するのを見守るだけだと。 また同じ植物との比喩で、齋藤さんは、「種によっていつ肥料をやり、いつ水をやればいいかが異なるように、教育の方法も個人に即していかないとダメ」ともおっしゃっていましたね。番組では小沢征爾氏をはじめ多くの門下生たちが齋藤先生の思い出を語っていましたが、ある人は先生の教え方のうまさを語り、ある人は厳しさを、ある人は辛抱強さを具体的なエピソードと共に語っていました。それは要するに、やはり齋藤さんが人を見て、教育方法を変えていたことの現れではないでしょうか。 また個々の教え子の才能の在り処を探り当てるのもお上手だったようで、ピアノの演奏者を目指していた学生に向かって指揮者になるよう促したり、バイオリン奏者をビオラに転向させるというようなことも随分なさっている。当の学生も、最初のうちこそ反発を感じたようですが、長い目で見て自分にはその方が合っていたと分かり、今では先生に感謝している、というようなことを口を揃えて言っていました。人の人生を変えるようなことをするわけですから、齋藤さんも随分大胆なことをなさったわけですが、それだけ教え子のことをよく見ていて、自信もあったのでしょう。 番組の中では、生前の齋藤さんが映っている映像や肉声のテープが随分使われていましたが、それを見る限り、細い身体に上品なお顔立ち、そして穏やかな口調の老紳士という感じでしたね。しかし、その穏やかな口調の中にどこか毅然としたところがあって、きっとお若い時は自分にも人にも厳しい方だったのだろうなと思わせる雰囲気をたたえていらっしゃった。齋藤さんというのはこういう人だったのかということがよく分かる、いい番組でした。 あ、そうそう、もう一つ、齋藤秀雄という人が齋藤秀三郎氏のご子息だというのも、今度初めて聞いてびっくりしました。齋藤秀三郎というのは、英語学の方面の著名な研究者で、ほとんど独力で英語辞典を作ってしまうような斯学の泰斗です。その辞書は「齋藤英和」と呼ばれていていますが、私の父がそれを持っていて、私も何度か使ったことがあります。齋藤秀雄さんも日本で初めて指揮指導の教則本を作ってしまったそうですけれど、そういう知識の体系化や教育面での配慮というのは、ご尊父である齋藤秀三郎さんからの血筋なんでしょうね。 それにしても、一人の人間の教育への情熱、ただそれだけが発端となって、数多くの弟子が生まれ、孫弟子が生まれ、自らの名を冠するオーケストラも生まれ、またコンサートホールも作られ、毎年、盛り沢山のプログラムが組まれて運営されているということは、素晴らしくもあり、またすごいことですよね。強い意志さえあれば何事も為せば成るというようなことが言われ、一方で、そんなこと言ったって人間なんて無力なもんだという実感もあるわけですが、齋藤さんの生涯を振り返って見ると、やっぱり一人の人間の情熱というのは、やがて堂々たる形を成すもんなのかなと思わざるを得ません。果たして私には、そんな情熱があるでしょうか。いや、あるかないかではなく、自分で作らなくてはいけないですよね。よし、頑張ろう! さて、週末アフィリエイトですが、「教授のワードローブ」として、カフスや財布、名刺入れや傘など男性用の小物をいくつか取り揃えてみました。ぜひ下の文字列をクリックして見て下さいね!ここをクリック! ↓教授のワードローブ こんなのがありますよ! ↓
July 9, 2005
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昨日の授業で私は前期の授業をすべて終え、後は来週のテスト期間を残すだけとなりました。まずは一仕事終わったという感じです。ということで、昨夜は家内を連れて近所の焼鳥屋さんに行き、二人でささやかに打ち上げをしました。 そのお店は美濃地鶏を食べさせてくれるごく庶民的なお店で、我々のお気に入り。家から歩いて行ける距離にあるというのも気楽です。せっかくこういうところに行くなら、少しはお酒も飲みたいですしね。 お酒といえば、私はお酒とはほぼ無縁の家庭に育ちましたので、こういう居酒屋風の焼鳥屋さんなどまるで縁がなかった。それまで「焼き鳥」と言えば、デパートの地下の食品街などでたまに買ってくるものであって、まあまずくはないが、取り立てておいしいというほどでもない、というようなものでした。 ですから、よほど大人になってから初めて専門の焼き鳥屋さんに入って、焼きたての焼き鳥を食べた時は、そのおいしさにびっくりしましたね。今まで食べていたのはなんだったの? というぐらい。また子供の頃から、焼き鳥というのはタレをつけて食べるものだと思い込んでいたので、初めて「塩」で焼き鳥を食べた時、そのおいしさには目を見張りました。それ以来、私は断然「塩派」ですね。 で、昨日我々が食したのは、焼き鳥、ハツ、レバー、鶉卵、ささ身のチーズ巻き、大根サラダ、そして名古屋らしく「豆腐のどてかつ」に手羽先、そして締めに「海老釜飯」をいただきました。どれも皆おいしかったですけど、特にハツがおいしかったなー。ハツというのは、あの独特の歯ごたえがたまりませんね。そしてお酒は「グレープフルーツ生絞り酎」を1杯ずつ。私も家内もあまりお酒を飲む方ではないので、お酒はこれ一杯でもうほろ酔い気分を通り越して千鳥足です。で、これだけ食べて飲んで、酔い醒ましに烏龍茶も頼んで、それで御会計は全部で3,700円だったかな? 我ながら安上がりな打ち上げだなー。 でも、授業が終わった解放感もあるし、焼き鳥はおいしかったし、心楽しい夏の夜となりました。七夕の天の川は残念ながら見られなかったですけど。 ところが、ご機嫌で家に帰ってきてテレビをつけると、ガーン、ロンドンでテロじゃないですか・・・。せっかくのいい気分が台無しです。たとえ百歩譲ってテロの首謀者の主張に何程か聞くべきところがあったとしても、その主張を通す手段として無差別殺戮を選んでしまったら、もうその時点で人間失格じゃないですかねぇ。しかし、そう思うのはこちらの考えで、テロリストはテロリストで「正義のためにやっている」と思っているのでしょうから、始末に終えないですな。 大分以前の歌ですけれども、スティングが米ソ冷戦のことを歌った歌のセリフに「彼ら(=敵)にも自分の子供を愛する気持ちがあればいいのだが・・」という一節がありました。「誰だって敵は憎いかも知れないけれど、自分の子供は可愛いだろう。で、もし敵・味方の双方が自分たちの可愛い子供の将来のことを考えるならば、お互いに戦いを止めるという選択肢を思いつくだろうに・・・」 というニュアンスだったと思います。私も本当にそう思いますね。
July 8, 2005
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このところの「クールビズ」流行り、世の男性陣はどのように対処しておられるのでしょうか? 最近では、学生たちからも「先生はクールビズじゃないんですね」などと言われる始末。大分前、羽田さんが首相をしていた頃に、半袖のサファリシャツみたいなものを「省エネルック」と称して宣伝にこれ努めていた時期がありましたが、あれが世間から完全に無視されたのと比べると、今回のクールビズはまんまと思惑通りに行っていると言うべきでしょうな。「クールビズ」という名称が良かったのでしょうか? 「省エネルック」じゃ貧乏臭いですもんね。 しかし小泉内閣の閣僚も無理やりクールビズさせられ、しかも色々なメディアから「センスが悪い」だの何だの言われて気の毒ですな。第一、大臣にはノーネクタイじゃまずい場面だってあるでしょうに。先日、どこかの企業が不祥事を起こし、その企業の責任者を経産相たる中川昭一氏が譴責・指導するという場面がテレビに映っていましたが、スーツ姿でかしこまっている企業トップに対面している中川さんが派手な開襟シャツでは、ねぇ・・・。何だか不良高校生が校長先生を叱っているみたいだったなぁ。 ま、それはともかく、私はとりあずえ今回も無視。私は基本的に「スーツにネクタイ」というのが好きなんですから。夏だろうと何だろうと、仕事に行く時は涼しい顔してスーツにネクタイ、これが今のところ私のスタイルなんです。ま、先々のことはわかりませんけどね。 でもそんなクールビズ流行りの情勢について考えていて、ふと思い出したのは、私の小・中学校時代のことです。 私は東京で玉川学園という一貫校の小・中学部に通っていたのですが、そこでは夏になると先生も生徒も共にこざっぱりとした独特の開襟シャツを着たんですね。それはこの学校の創立者である小原国芳先生の考案になるもので、「玉川シャツ」、略して「玉シャツ」と呼ばれていた。ツユクサの繁る衣替えの季節になると、皆が一斉にまっさらな玉シャツ姿になって、いかにも学園の丘に夏が来た、という感じがしたものです。 ちなみに玉シャツは単に開襟であるばかりでなく、裾をズボンの外に出して着ることになっていました。これはその方が涼しいからそうしていたのではなく、「ベルトは下着の一部であって、人に見せるものではない」という小原先生の衣裳哲学に拠るものなんです。ですから玉シャツというのは、ジェントルマンとしての礼儀に叶い、かつ涼しい究極のクールビズだったんですね。それを小原先生は今から数十年も前に考案し、先生や生徒たちに着せて、日本の暑い夏をしのがせていた。やっぱり高い理想をもって自ら学校を創立しようなんていう教育者は、偉いもんですなぁ。 そんなことを考えていたら、何だか急に懐かしくなってきました。玉シャツ、か・・・。今でも私の後輩たちは、玉シャツを着て、元気一杯、学園の丘を闊歩しているのかな。
July 7, 2005
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本日も梅雨らしい、綺麗に曇り渡った(?)曇天です。 ところで、曇り空とか雨空とかが嫌いで、朝起きたときに空がどんより曇っていたりするとそれだけでユーウツになる、なんて人がよくいます。特に女性に多いかな。 男は天候によってそれほど気分を左右されないものですけど、私の場合は曇天が青空と同じくらい好きなので、今日みたいな綺麗な曇天だと、もう気分はウキウキです。曇天はものを言わないので私が代弁しちゃいますが、一体全体、曇天のどこが悪いんじゃ! 曇天に映える木々の緑なんて、最高じゃ! ・・・おっと、つい興奮してしまいましたが、ホントに曇り空ってしっとりしていて良いじゃないですか。気持ちが外に抜けない分、内省的になるし。それに一口に曇天と言っても、曇り空の表情って色々ありますよ。重く垂れ込めて今にも崩れそうな曇天があるかと思えば、今日の名古屋地方のように雲が高く、やや明るめの曇天もある。むらのある曇天も、それはそれで趣があります。しかも、これらの曇天の表情が、一瞬一瞬で変わったりもする。 桜とか菖蒲・かきつばたの類、それに紫陽花など、曇天でこそ映える花というのがあります。それに先にも言ったように、曇天で鬱蒼とした今時分の木々の緑も、陰影があっていい・・・、あれれ、なんだか言うことが谷崎潤一郎っぽくなってきたぞ。 ちなみに、英語で空のことを「スカイ(sky)」と言いますよね。これの語源、ご存じですか? 意外なことに「オブスキュア(obscure)」なんですよ。発音してみると、どちらにも「スク」という音が含まれているでしょう? で、「オブスキュア」というのは、「どんより曇った」「薄暗い」「朦朧とした」という意味です。英語でいう「空」というのは、青空ではなく曇り空のことなんですな。 つまり、スカッと抜けた爽快な青空のことを(本当の)空だと思っていない国があるっちゅーことですね。 ま、そういうことも含めて、たまに価値観を意図的に逆転させ、爽快な青空ではなく、曇天こそ真の空なんだ、と思ってみる。そうすると、見えてくるものもありますよ。ま、私の場合はもともと好きなんだから、いいんですけど。 というわけで、今日の曇天、「教授のおすすめ!」です・・って、アレ? ま、今日もいい日だ、ってことです。
July 6, 2005
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ここ数年のことでしょうか、大学内の研究室棟に入る時に、私はしばしば不愉快な思いをさせられるようになりました。この建物には教員だけでなく、学生も頻繁に出入りをするので、例えば学生が私より数歩先にその建物に入ろうとする、なんてことがよくある。そんなとき、最近の学生は、自分が建物に入りきった時点でドアを閉めてしまうんですよ。自分のすぐ後ろに私がいることに気づいていないのか、それとも気づいていてもお構いなしなのか、とにかく私の鼻先でドアを閉めてしまう。その度に私はちょっぴりいや~な気分になるわけです。 だって、自分のすぐ後ろから人が建物に入ろうとしている場合、その人のために少しの間ドアを押さえていてあげるべきもんなんじゃないでしょうか? そういう最低限のエチケット、どこかで習ってこなかったのかな? いや、こんなこと習うとか習わないというレベルのことではなく、目上の人、しかもこれから自分が学問を習おうという人に対する敬意の念が少しでもあれば、自然と出る行為なんじゃないの? もう、プンプンです! プン、プン!! こういう時に外国の例を挙げるのは嫌味なもんですが、それを承知で言わせていただくと、アメリカの大学でそんな経験をしたことは一度もないですよ。アメリカの大学生は、ちゃんとした大人ですからね。 それに引き換え日本の場合、低下しているのは学力だけじゃないんです。人間としての根本的なセンスが極端に低下している。今、日本の大学って、幼稚園レベルなんですよ、実際。まずお行儀からしつけなくてはならない。「ちゃんとお座りして、おしゃべりしないの」っていうところから全てを始めなくてはならないんです。しかも私の勤めている大学は、世間的に言えばかなりレベルの高い大学と思われているんですよ。そういう大学でもそうなんですから、もう情けないったらありゃしない。 お茶の水女子大の先生で数学者の藤原正彦さんが、「小学校教育なんて読み・書き・そろばん(計算)だけ教えりゃいいんだ」というような教育論をあちこちのメディアで展開されていて、私もまったくその通りだと思いますが、この「読み・書き・そろばん」に加えてもう一つ、「エチケット」とか「マナー」も教えたらいいんじゃないかと私は声を大にして提案したい。最近いわゆる「総合学習」の時間をどうするか、というような議論が巷にありますが、もう「総合学習」なんて中途半端なものはなくして、はっきり「エチケット・マナー学習」と称し、人間の生活に最低限必要なエチケットとマナーを小学生・中学生に叩き込む。どうでしょう、このアイディア? ま、そんなことやったとしても効果が出始めるのはいつのことやら、という感じですなぁ。とほほ・・・。 まあとにかく学生諸君! 少なくとも、人の鼻先でドアを閉めるのだけはやめてくれ! 狭いキャンパスなんだから、お互い、気分良くやってこうぜ!
July 5, 2005
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昨日の日曜日は、楽天広場仲間のオフ会がありました。 ホストは「Professor Rokku のワインの日々」のロック教授ご夫妻、ゲストは「青藍な日々」のドクター・マイクご夫妻、それに私ども夫婦です。何しろホストがインターネット上で上記のワインショップを開いているロックさんですから、オフ会は当然ワイン・パーティーとなるわけで、どんなワインが登場するか興味津々。 そのロックさん、名古屋のベッドタウン可児市にお住まいとのことで、私も初めてこの地を訪れましたが、ここがまた何だかとっても良いところなんですね。まるで信州あたりの別荘地のような雰囲気。私もごみごみした都会には住めない質なので、まずこのロケーションに感動です。こういう空気のおいしいところで、ロックさんは日々、うまいワインを飲んでいらっしゃるわけですな。 さて我々が到着してみると、もう一組のゲストであるマイクさんご夫妻は既にいらしていて、早くもすっかりご自宅のようにくつろいでいらっしゃるご様子。我々はそのマイクさんから、「はい、じゃ、お二人はここに座って」などと席に案内されてしまいました。これでは誰がホストで誰がゲストか分かりゃしないわけですが、こういうところがマイクさんなんですね。ちなみに私はロックさんにもマイクさんにもお会いしたことがありますが、お二人の奥様にお目にかかるのは初めて。お二人とも、お綺麗な方でした。 そうこうしている間に、ロックさんご自慢のワインセラーから取り出されたシャンパンが登場。このシャンパンがまた香り高く、すごくおいしかった! 奥様のケイトさんお手製の2種のカナッペ(タコとトマトとタマネギのカナッペと粒マスタードとオリーブとチーズのカナッペ)ともよく合って、とても華やかな会の幕開けです。 そしてこの後はもうご馳走の嵐。ロックさんが厳選された白ワイン2種・赤ワイン2種が、「カマンベールとトマトの春巻き包み」「ポテトとアンチョビのグラタン」「トマトのスープ」「ラザニア」「イカのバジルソテー」「キノコペースト・トリュフ風味」「生ハムとロースハム盛り合わせ」「焼きピーマンのオイル漬け」といったお料理と共に供されるわけですから、もう大変。私ども夫婦はそれほど沢山のお酒は飲めない方なので、お料理の方を主に堪能しましたけれど、どれも皆おいしかった! 中でもポテトとアンチョビのグラタンは絶品でしたね。家内はラザニアが特においしかったと言っていました。 またロックさんご推奨のワインの中では、先程のシャンパンも良かったのですが、一番最後に出していただいたデザート用の貴腐ワインとブルーチーズの組み合わせ、これが下戸の私にも本当においしかった!! 私はチーズというのは辛口のワインと合わせるものだと漠然と思っていましたが、極甘口の貴腐ワインとブルーチーズがこれほど相性がいいとは、初めて知りました。こういうのは、ワインのことを良く知っている人に教わらないと、分からないですよね。今度自宅でもやってみよう。 さて、これらのワインやご馳走もさることながら、パーティーのもう一つのご馳走は「トーク」。で、こちらの方のご馳走も絶品だったのは言うまでもありません。そしてこちらのご馳走に関して言えば、主役はもちろんマイクさんの奥様のジェーンさんと、ロックさんの奥様のケイトさんです。お二人は共にテニスにどっぷりはまっていらっしゃる元気溌剌の方たちですが、テニスウェアの蘊蓄からコーチの品定めに至るまで、奥様テニス界の裏事情を堪能させていただきました。 またジェーンさんから聞かされたマイクさんご夫妻の新婚旅行の珍道中の話(これはご本人たちの承諾がないのでここではつまびらかにしませんが・・・)とか、あるいはあつあつの新婚カップル時代、ジェーンさんが「蟹クリームコロッケ」を作ろうとしてベシャメルソースを作ったまでは良かったけれど、「冷やして固めてから衣をつけて揚げる」という手順を飛ばしてしまい、どろどろのベシャメルソースに衣をつけようと、お舅さんまで巻き込んで奮闘したという話も爆笑につぐ爆笑。 またマイクさんがヨットでセーリング中、真冬の海に投げ出され、救急隊に救助されて新聞沙汰になった時、その顛末を奥様にひた隠しにしようとした話とか、マイクさんが危険な登山を試みそうなときには、出発直前に奥様のジェーンさんがマイクさんの登山靴を隠してしまうという話もおかしかった。マイクさんもドクターにしておくにはもったいないキャラクターですが、そのマイクさんに十分対抗しているジェーンさんもすごい。ちなみに話の途中でマイクさんがご自分に掛けていた生命保険をこっそり解約し、そのお金でヨットのセールを買ってしまった話などが明らかになってしまったので、ご自宅に帰られてからマイクさんはジェーンさんに絞られたのかもしれません。 パーティー終盤は、途中酔っぱらってひと寝入りしてこられたロックさんが戦場復帰し、さらに塾に行っていたロックさんご夫妻の一人息子、15歳のダン君が帰宅してからは、血液型の話題でまたひとしきり盛り上がりました。そしてさんざん血液型の蘊蓄をたれていたロックさんが、最終的な結論として「血液型なんてあんまり意味ないよねー」などとのたもうたので、みんなガクガクとずっこけたりもしたのでした。 というわけで、結局11時頃でしたか、パーティーの始めに点灯した長いロウソクが大分短くなったのを汐に、パーティーはお開きとなりました。おいしいワインとおいしいご馳走を提供して下さったロックさん、ケイトさん、そしてダン君、どうもありがとうございました。それから楽しいお話しをお聞かせいただいたマイクさん、ジェーンさん、いつかまた、オフ会やりましょうね。今度は拙宅へぜひ。 楽天広場が縁で、楽しい人間関係が築かれていったことに感謝しつつ、今日はこの辺で。
July 4, 2005
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「建もの探訪」という番組をご存じでしょうか。俳優の渡辺篤志さんが新築の家を訪問して、その間取りを紹介したり、建主に話を伺ったりする番組で、地味ではありますが、なかなかの長寿番組でもあります。で、この番組、実は私にとって週末の楽しみの一つなんです。 私は子供の頃から家の間取りというのに興味があって、小さい頃、よくノートに将来自分が建てる家の間取りなんかを書いたりしていました。他の子が怪獣とか描いている間に、こちらは家の間取りですから、確かに変な子ですよね。 で、この傾向は長じてからも続いていて、今でも建築関係の本はよく読みます。好きな建築家は沢山いますが、フランク・ロイド・ライトなんて特に好きですね。ライトって旧帝国ホテルを設計した人ですが、どういうわけか私はライトに縁があって、彼が若い時に設計事務所を置いていたシカゴのオークパークにも何度も足を運びましたし、アリゾナにある彼の晩年のスタジオ(タリアセン・ウェスト)にも行ったことがあります。ついでに言うと、彼が亡くなった日は私の誕生日でもあるんです。ま、それはともかく、そんな建築好きにしてみると渡辺篤志さんの「建もの探訪」という番組は面白くて仕方がない。 とにかく、この番組には変わった間取りの家が沢山登場します。さすがに自分の家の間取りを人目に晒そうというぐらいですから、建主さんはそれぞれ皆、家作りに一家言のある人ばかりで、そういう人たちが建築家の人と相談しながら工夫を凝らした家ですから、出来合いの建て売り住宅の間取りとは随分異なる家になっている。もちろん、時には私とはまったく異なる趣味の家も登場しますが、これはいいなと感心させられる家も多い。 今週の番組では、旗竿型の変形地に建てた家が登場しましたが、旗竿の柄にあたる細長い部分にキッチンや風呂などの水回りをうまく配置して、なかなか快適そうな間取りになっていました。特にキッチンは、リビングから少し切り離されていて、なかなかいい感じでした。ちなみに私は、日本の建て売り住宅やマンションではお決まりの「対面式のキッチン」という奴が大嫌いなんです。ごちゃごちゃしがちで、しかも食べ物の匂いの出るキッチンは、リビングから少し離し、直接見えない位置に配置した方がよっぽどいい。ですからその点、今日見た家はまず合格です。と、まあそんな感じで、毎週末、この番組を見ては「合格」とか「不合格」などと勝手に採点して楽しんでいるわけなんです。 またこの番組のもう一つの楽しみは、進行役の渡辺篤志さんのお人柄です。長年この番組を続けて、半ばライフワークのようになってしまっているだけに、渡辺さん自身、家の作りや素材、家具(特に椅子)などに相当お詳しい。その渡辺さんがそれぞれの家の見どころを的確に見抜きつつ、建主さんと一緒になっていい家ができたことを喜こんでいらっしゃるのが、なんとも愉快なんですね。また時々建主さんがオーディオ・マニアで、ジャズのアルバムなどを沢山持っていたりすると、同好の士を得たとばかりに渡辺さんが相好を崩されるのも見ていて楽しい。それからオーディオ以上に渡辺さんを夢中にさせるのは動物で、訪問した先の家に犬とか猫がいると、もうデレデレですね。 それからもう一つ面白いのは、建主さんの奥さんがきれいな人だったりすると、渡辺さんが必ず「奥さん、きれいな方ですね!」と褒めること。それがお世辞でないことは、十人並みの奥さんの時は決してこのセリフを言わないことでも分かります。正直な人なんですな。 というわけで、週末の朝は、渡辺篤志さんと共に色々な家を眺めつつ、もし自分が家を建てるとしたらどんな家にしようかな? などと想像を膨らませては楽しんでいる私なのでした。この番組、「教授のおすすめ!」です。 さて、週末アフィリエイト第2弾は、「教授の時計ショップ・パート7」です。今回は名門時計メーカーの男性用腕時計を集めてみました。しかし中には1万円台のものもあります。ロシアのメーカーのものなんかもあったりして、通をうならせるセレクトになっているはず、と自負していますので、是非クリックして、覗いてみて下さい。ここをクリック! ↓時計ショップ・パート7こんなのが揃っています! ↓
July 3, 2005
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昨夜、またまた総天然色の妙な夢を見ました。 夢の中で私と家内は何故か社交ダンスの日本代表ということになっていて、世界選手権に出場するんですね(もちろん、私も家内も社交ダンスなんてやったことありませんよ!)。それで夢は会場に向かう電車の中から始まります。電車に揺られて会場に向かうっていうところが、妙に庶民的なんですが・・・。 で、会場について大会用の服に着替えるわけですが、私のボストンバッグから出てきたものは普段、大学に通勤する時に着るような服ばかり。結局私が身に着けたのは縦のストライプの入ったボタンダウンのシャツに生成りの夏っぽい麻混のジャケット、それにチノパンです。まあ、言ってみれば「ユニクロ風」ですな。そしてネクタイは紺色の細身のもの。家内の方は、これまた涼しげな薄青の夏のワンピース。 で、これらを身に着けてから選手たちの揃う控室に入ってびっくり。というのも他の選手たちが皆、黒のタキシードを着ていたからです。しかも皆外国人で、背丈も皆、私より30センチは高く、逆三角形の体型に細身のタキシードがぴったり合っていて、やたらにカッコいい! しかも髪の毛もそれぞれ今風に整えられ、頬髭を形よく蓄えている人も居る。そこに、童顔・ユニクロ風の私ですから、まあ場違いもいいところ。 しかも決定的だったのはネクタイです。他の選手たちはタキシードですから、当然タイは蝶ネクタイということになる。一方私は、ごく普通のネクタイですから目立つ、目立つ。もう穴があったら入りたい! これら他の堂々たる選手たちと共に、いざ選手権会場に入っていった時の、会場のどよめきは、ご想像下さい。 結果から言うと、私たちカップルは10位でした。(状況を考えれば、大健闘ですよね) 夢の最後は、家内と二人でしょぼしょぼ帰りの電車に乗っているところです。去年の日本代表はメダルをとったのに、我々は10位。新聞で叩かれるだろうなぁ。トホホ。せめて蝶ネクタイをしていれば・・・。そこで目が覚めました。 ま、この夢に関してはノーコメント、ということで・・・。 さて、週末アフィリエイトの第一弾ですが、昨日、男性用鞄を集めた「教授の鞄」と女性用鞄を集めた「鞄・パート3」の商品を大幅に入れ換えをしましたので、これらをご紹介しましょう。 男性用鞄で特におすすめなのはヴァレクストラ社の鞄です。私がもっとも好きな鞄メーカーで、そのすっきりしたシルエットの上品さは他のメーカーの追随を許しません。しかも鍵にも特色があって、カッコいい!! 一方女性用鞄ではアンテプリマが売れ筋No.1。特にワイヤーバッグはすぐに売り切れてしまいますので、早いもの勝ちです。というわけで、下の文字列をクリックして、是非一度お店を覗いて見て下さい。ここをクリック! ↓男性用鞄 教授の鞄女性用鞄 鞄・パート3 あ、そう言えば、トップページに並べている商品もすべて入れ替えましたので、そちらの方も見て下さいね~!
July 2, 2005
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今朝の名古屋地方は猛烈な雨。ようやく梅雨らしくなってきました。これで少しは水不足も解消するでしょうか。今朝も顔を洗っている時、水を使い過ぎないよう小まめに水道の栓を絞っていたのですが、あれ? これだけ雨が降っているのだから、少しぐらい水を景気よく使ってもいいのかな? などと思ったりして。 そういえばいつも思うのですが、気象庁とか地方自治体って、節水を市民に呼びかける時だけはやたらに声高なくせに、その後、水不足が解消した時にお礼を言いませんね。水不足が解消しつつあるという報告すらない。人にものを頼む時の礼儀ってのは、個人でも組織でも変わらないはず。「ありがとう」の一言くらいあってもいいのになぁ。ここは一つ、担当機関に猛省を促しておきましょう。 ところで、話はまったく変わりますが、先程オーストラリア人の友人のロブ君と話をしていて、その際、「靖国問題」の話題が出ました。で、彼が小泉さんは靖国に参拝して何やってるの? と聞くので、「さあ、戦没者の鎮魂じゃない?」と答えたところ、「鎮魂」とは何ぞや? と切り返された。そこで、まあ、戦争で苦しんだ人たちに「お気の毒でしたなぁ」という気持ちを伝え、彼らの魂があの世で平和を得られんことを祈るってなもんじゃないの? と私が答えると、彼はびっくり仰天。彼は「参拝」というのは、戦争に参加した兵士たちの行為を讃えることだろうと思っていたと言うのです。 確かに英字新聞などでは「靖国参拝」のことを「pay homage to the war dead at Yasukuni」などと表現しているようですが、これでは「戦没兵士たちを称讃する」「戦没兵士たちに(後に続きます、と)忠誠を誓う」などという意味になってしまいますよね。 ここで私は靖国参拝の是非について論じるつもりはありませんが、少なくとも大方の日本人は、たとえそれに賛成するにせよ、反対するにせよ、「靖国参拝とは、過去の日本の行いを称讃し、後に続こうと決意するためのものである」というふうには受け取っていないのではないかと思います。だとすれば、この問題が外国で報道される際の不適切な言葉遣いによって、日本は相当な誤解を受けてしまっているのかも知れません。 先程「ありがとう」の一言が重要、ということを言いましたが、言葉というのは、使わなければ使わないで問題を生じさせるし、使ったら使ったで問題を生じさせるもんだなぁ、とまあ、そんなことを思った金曜日の昼下がりなのでした。今日も・・・わけ分からん!
July 1, 2005
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