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「夢実現!」だったらいいのですが、今日のタイトルは「ゆめ・うつつ」の方・・・。 このところ授業疲れと卒論指導疲れ、それから会議疲れも重なって、夕食を食べてからちょっと食休み、なんてベッドに横になったが最後、2時間ほど正体無く眠ってしまいます。 で、10時とか11時とか、そんな時間になってふと目が醒める。醒めた瞬間、2秒か3秒というものは「ここはどこ? 私は誰?」状態で、一体今は夜中なのか明け方なのか、自分は夕飯を食ったのか、これから食うところなのか、さもなければこれから朝食なのか、まるで分からない。 この夢と現実のあわいに迷い込んだような瞬間って、実にこの、気持ちのいいもんですなぁ・・・。 でも、それが続くのは数秒のこと。すぐに現実に呼び戻されてしまいます。そうそう、もう夕飯は食べたんだった。お前はまた仕事もせずに眠ってしまったんだ。 そういえば今日の教授会では、人事院勧告の結果、給料減らされる上に、毎年のベースアップも無くなるという話を聞かされたんだっけ・・・。 ガクガク。 景気のいい話、ないかなぁ。 いやいや、待てよ。今日、大学からの帰路、車を運転しながら新しい本の企画をちょっと思いついたのだった。これ、どうかな? ものになるかな・・・。 思いついた企画自体、「ゆめ・うつつ」みたいなもんだけど、その気にならないと「うつつ」にはならんからな。 ま、少し考えてみよう。 しかし、今日はもうダメ。疲れた。これから深夜のお茶を飲んで、風呂入って寝ることにします。 それじゃ、お休みなさい。ぐーぐー。
November 30, 2005
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今朝の新聞を見たら、大学設置審議会が文部科学相に対し、27の大学・短大・大学院・大学院大学の開設を許可するよう答申を出したという記事が載っていました。 しかしこのご時世、毎年毎年じゃんじゃん新しい大学の開設を認めちゃって、ほんとに大丈夫なんでしょうか? 私は大いに疑問だけどなー。 だって人口統計みりゃ分かりますが、今から10年ぐらいすると少子化の影響が出始めて、受験生がんがん減りますよ。それなのに大学の方はどんどん新設されるとなったら、先行きえらいことになるのは目に見えているじゃないですか。 今ですら受験生の数に比して大学の数が多過ぎる。ですから愛知県内でも大変なことになっていますよ。数少ない受験生をめぐって、大学間で争奪戦が繰り広げられますからね。国公立はまだいいとして、私立の名門大学ですら、正規の入試がA日程・B日程と2回ある。これに加えてやれ「推薦入試」だ「AO入試」だって、都合4回も5回も入試やっています。そうでもしないと、定員を確保することができないんです。しかも、結局どの大学も同じ事をするので、受験生はあっちの大学でもこっちの大学でも入試にパスしてしまう。となると合格通知を送った受験生が必ず入学してくれるとは限らないので、必然、どの大学も定員よりもはるかに多くの合格通知を乱発せざるを得ないわけ。 名門私立ですらこの有様ですから、もう新設の大学になんかなると、入学願書を申し込んだ時点でもれなく合格通知がついてくるところすらある・・・わけないですけど、そういう噂がまかり通るほどの状況であることは確かなんです。 こういう状況は、多分愛知県だけでなく、どこでもそうだろうと思いますよ。事実、経営が行き詰まった地方の大学のことが時々ニュースになったりするでしょう? そんな状態だというのに、「大学設置審議会」なる得体の知れない団体の答申を真に受けて、お気楽に新設大学を認可しちゃって、大丈夫なんでしょうか、文科省は・・・。 大体、今度の「姉歯事件」を見れば、外部の審議団体なるものがいかに当てにならないか、分かるじゃないですか。しかもマンションと違って、大学のあり方なんて「これがいい、あれが悪い」なんてはっきり決められるはずないですもん。適当に分厚い書類出せば通ってしまう。さすがに「理事長の自宅の2階を教室に」という大学は通らなかったけれども、その他だって怪しいもんです。そんなのを外部団体の答申をもとに通してしまって、後で受験生が集まらずに大学が経営破綻した場合、文科省は責任とらなくていいのでしょうか? それにまた今回認可された大学の多くが、看護系・クリエーター系の専門学校的なカリキュラムの大学じゃないですか。最近、この方面の人材のニーズが高いからという理由だけで、すぐにこの種の大学の新規設置を認めてしまう、この短絡的な発想・・・。ついこの間、「オウム事件」の直後には、「専門バカが事件を起こす」という短絡的な発想から、一度はないがしろにした「一般教養」を重視する方向を打ち出したばかりというのに、今度はまた逆に即戦力を求めて「専門教育」重視に変わるという、この風見鶏的な定見のなさ・・・。 このブログではもう何度も文科省批判をしてきましたが、本当にひどいんですよ、あのお役所。大学の新規設置のことだけではありません。既存の大学もあのアホなお役所のおかげで大変な目にあっているんですから。 全国99の国立大学を統合・合併して66に減らすという、例の「遠山プラン」ですか、あれだって思いつきで始めて、担当者が代わったらもうほったらかしですよ。うちの大学なんて、ぐずぐずしていたから良かったようなものの、あの時文科省のいいなりになって統合・合併したところなんて、今、苦労しているといいます。これなんて、ホントに茶番そのもの。 で、同じような思いつきの企画で、国立大学が軒並み独立法人化させられてしまった・・・。これもアホな話だと思いますが、今はこのおかげで旧国立大はどこも苦労させられています。 これに関連して特に下らないのは、法人化した旧国立大学は何年かに一度、民間の審査機構に審査してもらって、大学としてちゃんとやっているかどうか、審査してもらわなくてはならない、というシステム。大学の乏しい予算の中から何百万円も出して、得体の知れない外部団体に学内のことを審査してもらう義務を負わせられているんです。で、外部団体なんて、学問的なことは分かりませんから、審査基準として各種の数値を求めてくる。例えば学生の何パーセントが授業に満足しているかとか、何パーセントがストレートで就職しているかとか、そんなような数値です。 審査機構にいい報告をしてもらうには、いい数値を用意しなければならない。ですから、いかに自分たちが一生懸命やっているか、アピールできるような数値を出すため、日本中の旧国立大学が必死です。そのために、学問・教育・研究とはまったく関係のない、無駄な努力と金がどれほど浪費されていることか、日本中の国民に知ってもらいたいようなもんだ。 まったく無責任な立場の「認証機構」とやらにいい加減な審査をさせて、日本中の大学を疲弊させておきながら、それで文科省としては監督責任を果たしたと思っている・・・。それが「民間にできることは民間に」の文科省バージョンなんです。姉歯マンションとまったく同じ構造・・・。まったく日本の教育・研究界に益するどころか、存在すること自体が害を及ぼす、それが文科省というところですよ。 そんなに「審査機構」を信頼しているのなら、文科省は自分たち自身が審査してもらいなさいって! というわけで、文科省のやることなすこと、すべてとんちんかんですが、それはきっと私がこの方面の仕事をしているからそう実感するのであって、別な仕事をしている人にとっては、やはりその監督官庁のアホさ加減にうんざりしているんでしょうなぁ・・・。 とにかく、無責任に大学を増やし続ける文科省、定見のない文科省、とんちんかんな文科省に対して大鉈を振るわないと、この国の教育・研究は台無しにされてしまうことは確実。幾千万の日本の教職者と共に、このアホなお役所に猛省を促したいと思います。いい加減にせいよ、文科省!!
November 29, 2005
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クール・ビズの次はウォーム・ビズ、ということで、このところ新聞の折り込みチラシなんぞを見ていると、このフレーズが踊っておりますなあ。 ま、寒けりゃ誰でも厚着するわけで、何もお上が号令をかけるほどのことはないのではないかとも思いますが、私の勤めている大学なんぞは、それこそお上のお達しで12月にならない限りどんなに気温が低くったって暖房を入れてくれませんから、ウォーム・ビズは生命維持のために必須です。うー、さむさむ! しかし、いかに暖かい格好をするか、というのは、案外楽しいもんですな。例えばスーツにしても冬物ですと「コーデュロイ」とか、「ヘリンボーン」とか、見かけからして暖かそうな生地のものがある。一月ほど前に北海道に行った時、街で見かける女の子の5人のうち4人は黒いベルベットのジャケットを着ていて、その流行ぶりに驚きましたが、ベルベットなんていう生地も見た目からして暖かそうです。 ちなみに今日の私の出で立ちはと言いますと、フランネル系の明るいグレーのズボン(いまだに「パンツ」と言えない・・・)に黒いウールのジャケット。このウールのジャケットは昨シーズンから着始めたんですけど、これがまたヌクヌクのポカポカで、何だか着ているだけで幸せな気分・・・。結構気に入っています。 それから、最近は「汗で発熱する下着」っていうんですか? 何だかハイテクっぽいアンダーウェアがあるじゃないですか。私も何枚か持っていますので、今よりもさらに寒くなってきたら、これにも登場してもらわなければなりますまい。 ところで、今、私が悩んでいるのは「コート問題」です。何でも今年流行のコートは、丈がかなり短いんですって? でも私の愛用のコートは、昔ながらの膝の隠れる長さなんだよなー。ま、別に毎年流行を追うつもりはないですけど、ちょっと丈の短めのコートというのは、軽快な感じがして、ひょっとしてカッコいいかも・・・。でも、そのためにわざわざ新調するのは、お金の無駄かしらん・・・。 ま、いずれにせよ、いかに暖かく過ごすか、なんてことを考える季節なんですな。そりゃそうだ、もうすぐ師走ですもんね。
November 28, 2005
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昨夜、小学校以来の親友から電話があって、色々近況を報告し合っていたのですが、そのうち、今年はやけに喪中葉書が届くなぁという話になり、その時、彼が思い出したように言い出したんです。「そうそう、Hさんが死んだんだって。知ってた?」 「Hさん」というのは、彼も私もよく知る小学校以来のクラスメートの女の子です。まあ、今では「女の子」ではないわけですが。でも、彼女の死を知らされた時、私は「あー、やっぱりね」と思ったんですね。なんか、早死にしそうな予感がありましたから。 Hさんは、子供の頃は小柄で痩せっぽち、額の広い可愛らしい子でした。クラスメートを爆笑させることに生き甲斐を感じる剽軽者だった私とは異なり、無口な子でしたから、クラスでもさほど目立つ子ではなかった。お勉強も、あまり出来る方ではありませんでしたし・・・。しかし、では苛められっ子だったのかというとそれは逆で、むしろかなり陰湿な苛めっ子の側だったようです。「ようです」というのは、女の子の間の苛めというのはあからさまではないですから、誰が誰を苛めているのかなんてことは、我々男子には及び知れぬところがありますからね。でも、美人だけれどよく見れば意地の悪そうなHさんが、そのきらきら光る冷たい視線を下から浴びせながら誰かを苛めようと思えば、そりゃ相当おっかないだろうな、という感じはしました。今から思えば、「陰の女番長」の風格はありましたね。 もっとも、そんな彼女も我々男子に対しては別に害を及ぼすタイプではなかったですから、私は何度か彼女と隣り合わせで座ったことがありますが、不愉快なことなんかありませんでした。むしろ彼女がたまに漏らす一言に含まれる冷徹なユーモアは、私には面白かった。どちらかというと私は、苛められっ子よりも苛めっ子との方が付き合い易いところもありましたし。 ただ、授業中に小テストなんかやっていると、隣に座っている彼女が肘でちょいちょいと私のことをつつき、有無を言わせぬ冷たい視線でただ一言、「答え教えて」 と言うのには参りましたけどね。 ところで、身体も小さく、無口で、お勉強もさほど出来るわけでないHさんが学校行事の中で一際輝くのは運動会の時でした。彼女は足が抜群に早かったんです。短距離、長距離、なんでもござれのHさんは、徒競走、リレー、マラソンに活躍し、我がクラスに多くの得点をもたらしてくれた。そういう時の彼女は、まったく生き生きとしていましたね。それこそ体重がないかのように軽やかに走っていた。それは確かに見ものでした。 そんなHさんの思い出の中で、私が一番楽しく思い出すのは、小学校5年生の時だったか、掃除の時間に同じ班になったことです。外回りに回された我が班は、20分の掃除時間のうち最初の5分で掃除を適当に終わらせ、後の15分は「隠れ鬼」をやってたんです。何しろ、鬼に見つかることもさることながら、先生に遊んでいるところを見つかるかも知れないというスリルがあるので、これは面白かった。とりわけ鬼となったHさんが、その駿足を活かし、冷たい目を輝かせて猛然と追っかけてくる時の迫力たるや、今でもまざまざと思い出せますなぁ。 しかし、その後、附属の中学に進んだ頃から私とHさんの接点はほとんど絶え、また高校に進学する時、私は附属の高校ではなく、別な高校に進みましたので、それからというものはまったく縁が切れてしまった。 Hさんと久々に再会したのは、25歳の時、誕生後四半世紀を記念してのクラス会の場でした。このクラス会は私が企画・運営したのでよく覚えていますが、Hさんは出欠の確認の葉書を返送してくれず、当日になっても来るか来ないか、分からなかったんです。ま、そのこと自体、彼女らしいのですが。 しかし、彼女は会もたけなわの頃、やってきました。いやあ、あれはびっくりしましたね。 何にびっくりしたかって、そのあまりの変わりように、です。 もう完全に「夜の蝶」。一目見ただけで水商売の雰囲気紛々。頬の肉は削げ落ち、顔色は不健康そうに青白く、お日様など何年も見たことがない、といった感じ。ひょっとしてお薬、やってます? と聞きたくなるほど、どんよりとしたまなざしには、かつてクラスメートの女の子を陰で苛めていた時の冷たい輝きすらない。その場にいた二十数名の元クラスメートたちが、彼女の突然の登場に、一瞬凍りついたのを覚えています。 残念なことに、私はその時、幹事役に忙しく、ついに彼女と話す機会を持つことが出来ませんでした。ま、持ったとしても英文科博士課程の大学院生と夜の蝶ではあまりに世界が違い過ぎて、どこまで共通の話題が持てたか自信はありませんが。しかし、それでも、今から考えれば、あの時少しでも彼女と話せたら良かったのに、と思います。あれが最後のチャンスだったのですから。 冒頭でも言いましたように、昨夜、友人から彼女の死を知らされた時、私はさほど驚かなかったのですが、上に述べてきたようなことからすれば、その理由もお分かりでしょう。25歳の時にあんな様子では、長生きできるはずもない。どういう理由かは知りませんが、あの足の早かった彼女は、人生そのものも生き急いだんですな。きっと神様に対しても冷たい目を向けて、「答え教えて」 と迫ったのかも知れません。 しかし、そうは言っても、やはり同じ歳の人、しかもかつてのクラスメートが死んだということは、それなりに感慨があります。そういえば、あの「25歳記念クラス会」に出席したクラスメートの中に、もう一人死んだ奴が居ましたっけ。40代前半というのは、もうそういう年齢なのかも知れませんね。メメント・モリ(=死を思い出せ)か・・・。 ま、私としては、せめて夜の蝶としてではなく、額の広い、冷たい目をきらきらさせて疾走していた可愛らしい女の子の姿として、Hさんのご冥福をお祈りしたいと思います。合掌。
November 27, 2005
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昨日、外出先から帰宅する途中、車の中で相撲放送を聞いていて、突如、我が耳を疑いました。ん? 琴ノ若引退? ウソだろ! 現役最年長の37歳、幕内通算90場所(まる15年!)とはいえ、その相撲は若々しく、まだあと1年くらいは余裕で幕内を維持できるだろうと思っていたのに! 恵まれた体格に甘いマスク。かつては大関候補とも言われ、名門・佐渡ヶ嶽部屋を背負って立つ力士になるだろうと期待された琴ノ若。しかし、膝に故障を抱えてからは成績が低迷、前頭上位と下位を行ったり来たりという状態となり、しかもその間、若・貴などの人気力士や、曙・武蔵丸のようなハワイ勢の登場もあって、いつの間にやら幕内でもさほど目立たない存在になってしまった感があります。正直言って私自身もつい2、3年前までは特に贔屓の力士というほどではありませんでした。 しかしこの2、3年というもの、朝青龍の可愛げのない強さと、ベテラン大関陣のふがいなさばかりが目立つ幕内上位陣の相撲に飽き飽きした私にとって、俄然面白くなってきたのは、琴ノ若をはじめとする幕内下位力士の取り組みだったんです。十両から上がってきたばかりの新鋭や、そろそろ全盛期を過ぎたかつての三役格、あるいは何年もこの辺りで頑張り続けている力士たちが、毎場所、辛うじて勝ち越すか負け越すかといった相撲を展開している幕内下位の相撲。この辺りで頑張っている力士たちの中から贔屓を選んで応援し始めると、これが案外楽しいということが分かってきたんですね。 もちろん、この辺りの力士たちというのは優勝争いに絡むといった力士たちではないので、「今日はいい相撲で勝ったなぁ」と思った翌日に、今度はやけに不甲斐ない負け方をしたりする。しかし、相撲というのは本来勝ったり負けたりするものであって、そういうのに一喜一憂することこそが相撲観戦の醍醐味なんだと分かれば、別に贔屓が負けたからといって必要以上に悔しむことはないんだということも分かってくる。ただ、その贔屓の力士がいい相撲をとった時だけ、今日はいい相撲だったなあ! と楽しめばいい。長年相撲ファンであり続けた私も、ようやくこの歳になって、その辺の呼吸が分かってきたんです。 でまたこの辺りでうろうろしている力士には、どういうわけか相撲に一癖のある、しかもいい男が多いんですな。かくして寺尾、海鵬、追手海、時津海、安美錦といった力士たちが私の贔屓となったわけですが、琴ノ若もまた、このような私自身の心境の変化の中で、私が気合を入れて応援する力士の一人となっていった。 琴ノ若の相撲は、一言で言って「優しい相撲」です。闘志剥き出しの相撲ではありません。立ち会いにしても激しく頭で当たっていくとか、喉輪で攻め立てるとか、横から張手をくらわすとか、そういう相撲ではない。時に突っ張ることもありますが、基本的には四つに組んで、じっくり攻めるタイプですね。ですから、どうしても勝負がつくまでに時間がかかる傾向がある。角界ではそういう長い相撲をとる力士のことを「相撲が好きな力士」と言いますが、琴ノ若はまさに「相撲が好き」なタイプの力士でした。そして実際、勝負が決まるまで1分も2分もかかる大熱戦になればなるほど、彼の勝率は良かったんです。琴ノ若につけられた「ミスター1分」の異名は、こうした彼の相撲ぶりから来ているんですね。 もっとも、そんな古風な熱戦型の相撲をとる一方、琴ノ若という力士は、あれだけ大きな体にも似合わず、案外「小技の切れる」力士でもあって、がっぷり四つの大相撲の末、隙をついて「内無双」を切り、一瞬できれいに勝負を決めてしまったりする。確か彼は何度か「技能賞」をとっているのではないかと思いますが、ただ単に突き出したり寄り切ったりする大味の相撲が増えてきた中、小技の切れる味な相撲を見せてくれた数少ない力士の一人でもありました。 が、そんな彼も、師匠である佐渡ヶ嶽親方の定年に伴い、昨日の相撲を最後に現役を引退、今日から佐渡ヶ嶽部屋を継ぐこととなった・・・。同じ部屋の後輩である琴欧州が、朝青龍に完勝して大関の座をほぼ確実にしたのと同じに日、かつて大関候補と目されたベテラン・琴ノ若が引退することになったので、そのことがまた「新旧交代」という残酷な言葉をより一層印象づける結果となったわけですが、私のような昔からの相撲ファンとしては、琴欧州の出世を喜ぶ気持ち以上に、「気は優しくて力持ち」を絵に描いたような懐かしい力士の幕引きを惜しむ気持ちが強いですなあ。 それにしても、どうなんでしょうかね・・・。確かに相撲協会の規則からすると、佐渡ヶ嶽親方の後を継ぐことが決まった段階で、琴ノ若は現役力士としての資格を失うのかも知れませんが、そうは言っても今場所は今日と明日の二日を残すばかりですよ。だったら、なぜあと二日、琴ノ若に相撲をとらせてやらないのか・・・。彼が今場所限りで引退すると分かれば、あと二日、彼の相撲をじっくり見たいと願う私のようなファンが日本中に沢山いたはずなのに・・・。 しかし、それはもう言っても仕方のないこと。琴ノ若、膝の故障をおして、よくここまで長く土俵をつとめてくれました。お疲れ様。これからは名門の部屋を継いで、立派な力士を育てて下さい。
November 26, 2005
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私は、年齢の割に考え方が古いのか、言葉遣いはきちんとしたい方なんです。いや、というよりもむしろ、変な言葉遣いをされると、その意味が分からなくて困る、という方が正確かな? というわけで、テレビコマーシャルなどを見ていると、時々、「これ、どういう意味なんだろう」と思うことが多いんですね。最近、特に多いかな? で、その都度、「これどういう意味?」と家内に聞くのですが、「そんな、コマーシャルの言葉遣いなんか、気にしないで放っておけばいいのよ」と言われてしまうわけ。ま、そりゃそうなんですが・・・。 で、最近、一番気になるのは、某ビールメーカーのコマーシャルで、柔道家の吉田秀彦さんやモデルのSHIHOさんが登場する奴です。 そのコマーシャル曰く、「この新スッキリ味は、うまいもんと実感できる」。 これ、どういう意味なんでしょうか? もし何の文脈も与えられなかったら、多分、「この新スッキリ味(をした発泡酒)は、うまいものであるなぁ、と実感できる」という意味なのかなぁ、と思うわけですよ。 しかし、コマーシャルの文脈からすると、どうもそうではないらしい。つまり、吉田さんとSHIHOさんが、おいしそうな料理を豪快に食べている風景と共にこのセリフが流れるので、そういうことを総合判断すると、「この発泡酒は、うまいもの(=料理)を食べながら飲むと、より一層、うまさが引き立つ」ということを言いたいのかなあ、と思わせるところがある。 でもその場合、「うまいもんと実感できる」という言葉遣いはおかしくないですか? だもので、このコマーシャルが流れる度に、私には「うまいもん」という言葉が発泡酒を指すのか、料理を指すのかが分からず、非常に嫌なんです。うーーー、じれったい!! ま、ひょっとすると、その両方をかけた言い方のつもりなのかも知れませんが、どっちにしても嫌な言葉遣いだなあ! でまた、一度このコマーシャルのことを考え始めてしまうと、一日中ずっと気になってしまうんですよね。「うまいもんと実感できる」「うまいもんと実感できる」・・・と頭の中でこの言葉遣いがぐるぐる回っている感じ。 「変な言葉遣いは、嫌なもんと実感できる」わけですよ。 皆さんはいかがですか? この宣伝について、どう思われます? 嫌だと思っているのは私だけなんでしょうか? どなたか、「私もこの宣伝は変だと思う」とおっしゃって下さい! 変でないならば、このセリフが何を意味するのか、教えて下さい! 悩める教授に救いの手を!
November 25, 2005
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このブログをお読みの方は、うすうす気づいておられると思いますが、私は働くことがあまり好きではありません。特に大勢の学生相手に授業をするのは大嫌い。毎日、大学から帰宅して家内の顔を見る度に、「僕、もう大学行かないから。明日は休む。明日の朝、事務に『釈迦楽は熱があるので休ませます』って電話かけて」って、泣いて頼みます。 ま、そんな私ですから、毎朝、「あー、今日も授業やるのかー・・・」と、テンション下がりっぱなし。 でも、そんな私の冷え切った心にも、時々ほのかな暖かみが射してくることがあります。私の授業を受けている学生たちの、ちょっとした一言によって、ね。 例えば今日もそんなことがありました。今日は1限に「英語コミュニケーション」の授業があったのですが、この授業は毎回小テストをやる都合上、学籍番号順に席次を決めているんです。だから、たまに近視の人が後ろの方の席になってしまうことがある。で、今日も、今日に限ってコンタクトレンズの具合が悪く、度の弱い眼鏡をかけてきた女子学生が後ろの方の座席になってしまったんです。だもので、彼女は困ってしまって、小声で「どうしよう、どうしよう」と回りの友達に言っている。 で、私はそれに気づいたので、「あ、見えない? じゃ、今日だけ前の方に座っていいよ」と、さくっと声をかけてあげたわけです。で、そう言ってから私は少し離れたところに行ってプリントを配ることに専念していたのですが、その時ちらっと、さっきの学生が「先生、優しいね」と小声で周りに言っているのが聞こえたんです。 おお! いいこと言うじゃないの! そうなの、僕はね、優しいの! で、その後、一通り授業が終わり、今週はここまで、となったところで、何人かの学生が質問に来たんですな。で、彼らの質問に答えてあげると、「なるほどー!」などと納得した様子。そこで、ああ良かったなと思いながら教室を後にしたんですが、まさに私が教室を出ようとしたその時、質問をしてきた学生たちが「英語の勉強って、案外面白いね」と言い合っているのが背中の方から聞こえてきたんです。 おお! いいこと言うじゃないの! そうなの、英語はね、面白いの! というわけで、今日は授業中に2度も「その一言を待っていた!」というような一言を聞かされたんですよ。こういう日は、さしも授業嫌いの私も、まんざら悪い気がしないですなー。 ま、要するに私が単純馬鹿だ、っちゅー話なんですが・・・。 でもね、そうは言っても、これは大切なことだと思うのです。ちょっとした一言、ちょっとした嬉しい一言で、つらい仕事がちょっと楽になる、なんてことは、日常生活の至るところにあると思うのです。 以前、高速道路の料金ブースで働いている人の話を聞いたことがあります。で、その人曰く、高速道路の料金を支払ったりする時、大抵のドライバーは無言だというのですね。でもごくごくたまに、「こんにちはー」とか「ありがとうー」とか一言声をかけていくドライバーがいる。で、そんなとき、ブースで働いている人は、嬉しくて、声をかけてくれたそのドライバーの顔を一日中忘れない、というのです。一日中ですよ。 私はその話を聞いてから、高速道路を利用する度に必ず、料金ブースの人に「こんにちはー」「こんばんはー」「ありがとうございまーす」と声をかけることにしています。そのたった一言が、人をそんなに幸せにするなら、こっちだって嬉しいですもん。 それだけでなく、お店で物を買った時やレストランで食事した時など、私は必ず、会計の時に「ありがとう」と声をかけます。またレストランで注文したものが特においしかった時は、ウェイターさん、ウェイトレスさん、あるいはレジの人に、必ずその旨伝えます。「すごくおいしかったです」とね。いい品を出してもらった以上、それを私が高く評価したことを伝えたいじゃないですか。言わなきゃ、伝わらんですよ。赤の他人なんだもの。 ということで、「その人が待っている一言」を言ってあげる習慣を、自分のダンディズムの一環として実践している私ですが、今日は逆に私自身が「その一言を待っていた!」という一言を学生さんたちに言ってもらって、甚だ気分のよろしいワタクシなのでした。今日も、いい日だ。
November 24, 2005
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後期の授業は火曜日がきついのです。1限、2限は「英語コミュニケーション」、3限は「アメリカ映画入門」、4限は「英語講読」という具合で、なんと一日4コマを担当! こんなこと、大学で教えるようになって初めてです。大学の授業は1コマ90分ですから、90×4コマで計360分、6時間しゃべったことになる。しかもその後「教務委員会」があり、激論2時間。 というわけで、昨日は疲労困憊です。今日が「勤労感謝の日」ってのも、個人的にうなづけるってもんですわ。 ま、愚痴はともかく、昨日の授業では3限と4限が「映画がらみ」の授業なんです。3限は「アメリカ映画入門」ですから当然なんですが、4限の「英語講読」の授業でも、今年はアメリカ映画『セヴン』の原作を読んでいて、授業の最後に映画版を10分くらいずつ見る、というやり方ですのでね。 ちなみに『セヴン』というのは、キリスト教が定義する「7つの大罪」を犯した者を一人ずつ殺していく、そんな一連の猟奇殺人事件の犯人を追う刑事ものですから、結構インパクトのある残虐映像の連続です。だもので、その日見せる分を見せ終わって教室の明かりをつけ、「じゃ、今日はここまで。また来週ね」といいながら学生たちの顔を見ると、今見たショッキングな映像の衝撃まだ醒めやらぬという感じで、お口あんぐり、座った目つきでこちらをトロ~ンと見返してくるもんだから、おかしくてしょうがない。あのね、これ「映画」ですから。ほんとの殺人事件じゃないんですから。 それはともかく、昨日は疲労困憊の状態で家に帰り着いたものですから、夕食後、何か仕事をしようなんて気が起こるはずもありません。ということで、昨夜は夕食の後、『ディナーラッシュ』という映画をビデオで見ることにしました。ちょっと前に評判になった映画で、前から見たかったものですのでね。以下、その話を書きますが、ネタバレですのでご注意下さい。 これ、ニューヨーク・マンハッタン南部の「トライベッカ」と呼ばれる地区にあるイタリアン・レストランをめぐる物語なんです。オーナーのジジは、かつては賭博の胴元なども務めていたこともある、暗黒街ともつながりのあるオヤジなんですけど、今はもうそういう方面とは縁を切って、レストラン経営一本でやっていきたいと思っている。しかも息子のウードがなかなか腕の立つシェフになっていて、店は今、ニューヨークでもっとも予約の難しい店の一つになっていますしね。もっとも、そろそろ息子に代を譲ってもいいかなと思いつつ、ジジとしては息子の作る「ヌーベル・キュイジーヌ」風の料理が気に入らないところもあって、その辺のことをめぐって父と子の対立があったりするのですが。 ところがそんなある夜、ジジの賭博の胴元としての地位とレストランの乗っ取りを目論む2人組のギャングが店に乗り込んできて、ジジを脅迫にかかります。ジジとは長年のビジネス・パートナーだった友人の男もこの二人に殺されてしまい、ジジとしてはちょっとやばい状況。暗黒街とはもう縁を切りたいと思っていたジジですが、暗黒街の方は「そうはさせじ」の構えなんですな。 ところがそんな折も折、この夜、店は未曽有の大賑わいとなります。評判を聞きつけた客が殺到しているばかりでなく、うるさ方の客の顔も散見される。先程のギャング二人組が居すわっている他、こちらでスノッブな美術評論家がお抱えの画家や取り巻きをつれて長居を決め込んでいるかと思えば、あちらではニューヨーク一の料理評論家がこの店の料理の品定めを口実に、男前のスターシェフ・ウードの品定めにやってきている。こういうやっかいな連中の扱いも含め、厨房と配膳係は殺人的な忙しさで、まさに上を下への大騒ぎ。しかもそんなてんてこ舞いの状態だというのに、ウードをサポートすべき副シェフのダンカンは、賭博にはまって心ここに有らずの有り様・・・。さらに、そろそろオヤジには引退してもらって、自分がこの店のオーナーになりたいウードとジジの間の親子喧嘩も進行中。そこへ持ってきて、なんと停電! 客席はもとより厨房も真っ暗。さあ、どうする!? とまあ、この映画は人気イタリア料理店の一夜の喧騒を舞台に、幾つものストーリーが進行していくという話なんです。彼らは停電の中、引きも切らぬ客たちを捌けるのか? ウード渾身の一皿は料理評論家の厳しい評価に耐えられるのか? ウードとジジの親子喧嘩の行方は? 新しいオーナーシェフ誕生となるのか? ダンカンは博打中毒から抜け出し、彼のことを思ってくれているウェイトレスとの恋を成就できるのか? いや、それよりも何よりも、ジジはギャングの脅迫をはね返して店を守りきれるのか? その辺について気になる方は、どうぞ実際に映画をご覧になって下さい。 さて、この映画に対する私のいつもの印象批評点はと言いますと・・・ 70点! 辛うじて合格! ま、そこそこ面白いのですけど、エピソードの一つ一つに、いま一つ深みが足りないところがありますのでね。 でも登場人物の中に、何人か印象的な人物がいたのも確か。映画『レオン』でもイタリアン・レストランのオーナーの役で出ていたジジ役の俳優さんも、いかにもそれらしい感じで良かったし、ちょっと柳生博似の厭味な美術評論家も嫌ったらしさがうまく出ていて良かった。また実は裏稼業を持っていたことが後で分かる人当たりのいいウォール街の投資家役の人も良かった。でも一番良かったのは、レストランのバー部門の雑学王バーテンダーだな。あんなバーテンが居る店だったら、僕も行って雑学をめぐって張り合いたいようなもんですわ。 逆にワースト俳優は、ダンカン役の俳優ですね。エキセントリックな賭博ジャンキーの役で、ある意味一番演じ易い役なのに、その演じ易さそのままに安易に演じているので、画面から浮いてしまっている。2流のティム・ロスになりたいなら、いっそあなたはタランティーノのB級映画にでも居場所を見つけなさいって。 というわけで、「アメリカ映画入門」の授業でちょい見した3本の映画(『シェーン』『ゴッドファーザー』『フルメタル・ジャケット』)と『セヴン』、それに『ディナーラッシュ』と、昨日は5本の映画を見て、忙しくも映画漬けの一日となったのでした。こっちが「映画ラッシュ」ですわ。ほんと、今日が勤労感謝の日で良かった・・って、これ、さっきも言ったか!?
November 23, 2005
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最近、ネット上でしばしば目にしていた「スキウタ」という言葉・・・。 一体どういう意味なんだろうと思っていたら、今朝の新聞を読んでようやく意味が分かりました。年末の「NHK紅白歌合戦」で歌う曲を一般の方々にリクエストしてもらった、その「皆さんの好きな歌」、ということなんですって? 「好きな歌」を「スキウタ」と称するそのセンス、い・や・だ・ねーー! 一応、若者の言葉遣いのセンスをまねたつもりなんでしょうけど、何もNHKが若者に媚びることないじゃないの。受信料払っているのは誰か、って話ですわ。大半はその「若者」の親でしょうが。だったら、親に、大人に、媚びなさいって! ま、そのことはここでは置いておいて・・・。 どうなんでしょう、紅白歌合戦。昭和も遠くなった今、敢えて放送する価値はあるのでしょうか? 私は疑問ですねえ。 そりゃ四半世紀前、私がまだ少年だった頃までは、良かったですよ。だって紅白で歌われる歌謡曲は、ホントの意味で、その年を代表する国民的ヒットばかりでしたもん。歌合戦を聞いていると、その年、こんな歌もあったなあ、あんな歌も流行ったなあ、というのがよく分かった。まさに一年納めの歌会という雰囲気でした。 それに、同じ大晦日に民放では「レコード大賞」とか「新人賞」なんていう賞を発表するので、そちらで賞をとった歌手が大急ぎで紅白に駆けつける、なんてシーンもあったりしてね。彼らは果たして間に合うのか!? という緊迫感もあった。そんな盛り上がりですから、白組が勝つか、紅組が勝つかの攻防も、実際、見物でしたよ。 しかしそういう古き佳き時代は、山口百恵をはじめとする「花の中3トリオ」や西城秀樹・郷ひろみ・野口五郎の「新御三家」あたりが活躍していた頃、沢田研二が立て続けにヒットを飛ばしていた頃、阿久悠や筒美京平の全盛期、森進一や五木ひろし、細川たかしあたりが毎年ヒット曲を出していた頃・・・を最後に、終わったんじゃないですかねぇ。それ以後は、もうわけの分からぬジャリタレが踊り回るか、ヒット曲に恵まれなかったベテランが昔の曲で出ています状態になるかのどちらか。話題が二人の歌手の派手な衣装合戦に限定されるようになった頃から、もう紅白は死に体だったと言っていいのじゃないでしょうかね。 しかし、そんなふうにして紅白が死に体になった頃から、逆にNHKが頑張り始めちゃった。放送枠を拡大したり、会場外から中継をしたり、司会の上にさらに「総合司会」を置いたりと、まあ、あの手この手のカンフル剤投与ですわ。でも残念ながら、どれも成功しているとは思えない・・・。どんな伝統行事でもそうですが、「保存会」ができるようになっちゃおしまいなので、そうなったらその行事は、もはや社会的な役目を終えたということなんですよ。 ですからね、もうNHKは、頑張るのを止めたらどうですか。死にゆく紅白歌合戦の延命を図るのは止めて、静かに死なせてやりましょうよ。 募集した「スキウタ」とやらは、むしろ「みんなのうた」の放送枠で流しましょう。今年売り出された国民的ヒット曲だけでプログラムが組めないなら、それはもはや「合戦」の体をなしていないのだから、余計なことをしないで、放送を諦めましょう。 紅白歌合戦を静かに埋葬すること。これ、教授のおすすめ!です。
November 22, 2005
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このところ連日のように新聞を賑わせている「欠陥マンション事件」のキーマン・姉歯氏。しかし、この人も変わった人ですなぁ。 名前も変わっているけど、何よりマスコミへの応対が変わっている。 とにかく、謙虚。「私に責任があると思っています」「申し訳ないと思っています」「ほんと、済みませんでした」と、あっさりと自分の責任を認めてしまうばかりでなく、その言い方に実感がこもっているというのか、とても誠実な感じがするんですよね。「言わされている」のではなく、「本心から言っている」感じがヒシヒシ・・・。罪を糾弾しに行っているはずのマスコミも、姉歯氏の応対ぶりに拍子抜けして、糾弾ぶりがなよなよだったもんなー。 一方、いい加減な建築基準審査をして、欠陥マンションにゴーサインを出した某社トップの見苦しいこと。「手続き上は問題ない」などと太いことを言ってましたけど、そんな見苦しい言い抜けをしようとするもんだから、今やマスコミの矛先は、姉歯氏が下げた頭の上を通り越して、監督責任者の責任を問う、という方向に行っちゃってますもんね。 その辺のことを見ても、あの姉歯氏の「責任感ある究極の無責任男」ぶり、あれは近来でも稀な「新手の手法」ですな。 しかし、彼がやったこと自体は、確かに「どうやって償えばいいのか分からない」類のもんですよね。既に入居済みの欠陥新築マンション、それも1棟や2棟ではないものを、これからどうするんでしょうか? 全部壊して立て直すのでしょうか? その膨大な費用は誰が出すのでしょうか? ま、もちろんそういうこともそうなんですけど、私がここで問題にしたいのは、誰が考えたって「まずい」と分かりそうなことを、どうして姉歯氏はしたのか、ということです。だって、この設計でマンション建てたら、ちょっとの地震でも倒壊してしまって、すごい惨事になるだろう、ということくらい、別に頭のいい建築家でなくたって分かりそうなものでしょ? にもかかわらず、それをやってしまう精神状態って、一体何なのだろう、と思うのです。 今、自分がこうしたら、こういうふうになる。そしてそれがそうなったら、こういうことが起きる。で、もしそれが起こったら、大変なことになる。・・・こういう一連の「物語」が頭の中で作れない、ということなんでしょうか? いや、なぜ私がこんなことを持ち出しているかと言いますと、学生の卒論指導をしていると、これと同じことを痛感させられるからです。彼らの多くは、「物語」が作れない。 卒論にせよ、他の論文にせよ、およそ「論文」と名の付くものは、結局一つの「物語」なんです。物事には多様な側面があるので、それを説明しようとしたら、その説明の仕方は何通りでもあり得る。つまり、どの側面をとりあげるか、どの側面を無視するかによって、物事を「物語」る仕方はいくらでもある。で、その沢山ある物語の中で、自分はどの路線の物語に肩入れし、自分なりの仕方でそれを物語るか、というのが、「論文を書く」ということなんですね。 だから、論文を書くとなったら、自分なりに仮説(仮の物語)を考え、それを立証するような証拠を集めることで、「物語」を作らなければならないんですが、今の学生はそれが出来ない。何かを調べろ、と私が命じれば、それを調べることはできるのですが、そうやって集めた事実を繋げていって、自分の想像力で一つの物語にまとめ上げることができない。 そういう「物語」を作れない学生と日々接していると、姉歯氏の「究極の無責任ぶり」に一脈通じるところがあるんじゃないかなー、という気がしてくるんです。自分がやったことが結果としてまずかったことはよく分かる。つまり善悪の判断がつかないわけではない。しかし、それをやっている時には、「これをやったら、こういうことが起きるだろう」という物語が組み立てられないので、ついふらふらとやってしまう。・・・・こういう姉歯氏の不可解な行動の後追いをしそうな人たち、つまり「物語」を作れない人たちは、私が教えている若い連中の中にもいっぱいいるんです。 これは恐ろしいことだと思いますよ。でもこの調子では、今後、姉歯氏の犯したような罪を犯す人は、増える一方なのではないでしょうか。 いや、今、新聞を賑わせている事件の大半は、既に、「物語」の作れない人たちの犯罪なのかも知れません。話題の「タリウム少女」だって、「タリウムをこれくらい飲ませたら、お母さん、どうなるかなー」という物語は作れても、その悪行が発覚した場合、自分はどうなるのか、母親との関係はどうなるのか、周囲の人間との関係はどうなるのか、という物語については、まるで作れなかったのでしょうから・・・。 となれば、こういう無責任男(女)、罪の意識のない罪人の出現に、我々はもっと恐れおののくべきではないのか。そして一刻も早く、何らかの対応策を考えないとまずいのではないか。 さもないと、マンションだけでなく、既にいい加減ガタがきている日本の安全神話も、そのうちガラガラと音を立てて崩壊するんじゃないかと、私なんぞは思っているのですが、皆様のお考えや如何に?
November 21, 2005
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日付変更線の関係上、世界中で一番早く解禁になることなどから、ひと頃は日本でえらいブームだったワインの新酒ボジョレー・ヌーボー。ま、一時ほどのブームではなくなったようですが、さすがにこの時期、酒屋さんに行けば一番目立つところに様々な種類のボジョレー・ヌーボーが所狭しと飾られています。 なんでも今年は「奇跡の年」と呼ばれるほど、ボジョレー・ヌーボーにとっては豊作の年だったとのこと。そう言われるとつい試しに飲んでみたくなるのが人情というもので、普段は白ワイン専門、赤ワインにはさほど興味のない私も、一昨日、一本買ってしまいましたよ。 で、実際に飲んでみたのですが、ご存じのようにあれは赤ワインとしてはごく軽い、フルーティなものですから、白ワイン通の私にもさほど抵抗なくすんなり飲めます。といって、「今年の奴は飛び切りうまい!」などと言えるほど、違いは分からないんですけどね。でも、ま、こういうのは「初鰹」みたいなもんで、うまい、まずいの問題というより一種の縁起物ですから、今年も新酒を飲んで寿命が伸びたわい、と思っとけばいいんじゃないでしょうかね。皆さんの中にも、既に飲まれた方が沢山いらっしゃると思いますが、ご感想をお聞かせ下さい。 さて、今週末の私ですが、ちょいと風邪気味でして、結局どこへも行かずに大人しく、家で卒論チェックに勤しんでおりました。 しかし、あまりどこへも行かずに家に閉じこもっていると、夜、寝つきが悪くなるので、今日は午後のお茶を外に飲みに行くことに。 行ったのは以前このブログでもご紹介した「フレーバー」というお店。アーミッシュの思想に則り、添加物などを極力排したお菓子を作って売っている喫茶店で、シフォンケーキやフルーツパイが有名です。 で、今日私が注文したのは、紅茶のシフォンケーキに蓮の香りをつけた紅茶、一方、家内はアップルパイにシナモンティーです。どちらもお菓子にはアイスクリームが乗せられているので、シフォンケーキの方はパサパサ感が、またアップルパイの方は酸味が、それぞれ適度に中和され、とてもおいしかったですよー。それからどちらの紅茶もおいしかった。 しかも、今日はサンルームのようになった室内テラス席に座ったのですが、ここがなかなか気持ちのいいところだったんです。何しろ明るいし、半ば家の中、半ば家の外、という微妙なところがいい。私は常々日本の家屋に「ベランダ」なんかいらない、ガラスの屋根つきの「サンルーム」こそ欲しい、と思っているのですが、今日は実際にサンルームでゆったりと午後のお茶を楽しみながら、その思いを一層強くしましたね。 実際、いかに広くとも、マンションのベランダなんかにテーブルを出して、そこでお茶飲んでいる人なんか、いないでしょ? 私のマンションのベランダもそこそこの広さがありますが、夏は暑いし、冬は寒いし、あそこでお茶を飲む気にはならない。だったら、あのベランダのスペースがそっくりガラスルーフのサンルームになっていて、リビングルームから続いていたら、もっと有効に活用できるのに、と思います。まったく、日本の住宅設計士って、ピンぼけな連中ばっかりだなあ。 そういえば、昨日、「美の巨人」とかいうテレビ番組がチャールズ・ムーアという建築家を特集していて、ムーアがサンフランシスコ郊外に立てた集合住宅、「シーランチ」を紹介していたけど、あれはなかなかよかったなあ。特に美しい周囲の風景をそこなわない建物の外観もよかったし、個々の部屋に関しては、海を見下ろすリビングルームのあたりの設計がとてもよかった。日本の建築家ももっと勉強して、庶民が楽しく暮らせる家を作らなきゃ。 ・・・なーんて、うだうだとご託を並べている間に、我が家はそろそろ夕食です。なあ、今日はなーに? お、しゃぶしゃぶ? いいですねえ。肉と野菜をうんと食べ、ついでに先日飲みきれなかったボジョレー・ヌーボーの残りも飲んで身体を温め、風邪を吹き飛ばすことにしましょう。それでは、また明日!
November 20, 2005
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今日のこと、というよりは昨日のことなんですが、うちの大学で学術講演会なるものが開かれました。講師は関西の方にある某有名大学大学院のアメリカ文学の先生、内容は1920年代の「アメリカ文学と自動車の関係について」、です。 ご存じの通り、自動車というのは19世紀末にフランスで誕生したわけですが、その普及に関してはアメリカが世界に一歩先んじたところがある。何しろ1920年代末にはアメリカ人の5人に1人は自動車を持っていた、つまりおよそ一家に一台は自動車があったというのですから、これはすごい保有率です。日本でこのくらいの保有率に到達するのは、それこそその4~50年後くらいではないでしょうか。 で、そのアメリカにおける自動車の普及に大きな役割を果たしたのが、フォード社の傑作「T型」であることはよく知られた事実でしょう。「ベルトコンベアーを使った流れ作業」という画期的な生産方式を用い、一台あたりにかかる生産コストを抑えて作られたこの自動車は、「大衆車」という概念を生み出すと同時に、世界中のあらゆるモノの生産方式に計り知れないほどの影響を与えてきた。 しかし、昨日の講師の先生によれば、実はこのフォード社の画期的な「流れ作業」による生産方式が誕生するまでには、2段階のプロセスがあったというのですね。 つまり1913年に最初のベルトコンベアーが稼働した時には、車ではなく、部品の方がベルトに載って運ばれてきたというのです。ですから工員は、たとえばまずベルトに載って運ばれてきた椅子を目の前の車に取り付ける。で、その作業が終わると、今度はヘッドライトがベルトに載って運ばれてくるので、ヘッドライトを取り付ける。すると今度はクラクションがベルトに載って運ばれてくるので、クラクションを取り付ける・・・、とまあ、そんな感じで作業していたんだそうです。これでも従来の方式から比べると格段の作業効率で、一台の車を作るのに13時間で済むようになった。 ところが、そんなことをしているうちに、工員の一人が「この方式ではどうも具合が悪い」ということを言い出した、というのですな。 彼曰く、どうもこれは逆ではないかと。つまり、部品をベルトコンベアーで運ぶのではなく、作りかけの車の方をベルトコンベアーに載せて動かした方がいいのではないかと。 そうだ! その通りだ! というわけで、翌1914年から、部品ではなく作りかけの車の方をベルトに載せて動かし、ある場所では椅子を取り付ける専門、ある場所ではライトを取り付ける専門、またある場所ではクラクションを取り付ける専門・・・、というふうに流れ作業の手順を変えてみた。すると、なんと、一台の車を作るのにわずか90分しかかからなくなったというのです。で、この2番目の方式こそが、現在も世界中で行なわれている大量生産方式のモデルとなったことは言うまでもありません。 なーるほどねー! ベルトコンベアー方式を思いついたこと自体も凄いですけど、それをもう一歩進めて、部品ではなく、生産品たる車の方をベルトに載せることを思いついたのはもっと凄い。しかも、その逆転の発想をしたのが現場の一工員だったというのも面白いですなー。どんな組織でも、上の連中は現場の人の声を聞かないといけない、ってことですね。 というわけで、昨日の講演会、この「流れ作業の誕生」という点については大いに勉強させていただいて面白かった。んですけど、しかし、全体としてみると、いま一つだったかなー・・・。 だって講演のスタイルそのものが古いんですもん。60歳くらいかなとお見受けした講師の方は、20年くらい前の一流大学の文学部・英文科の学生に向かって語るような調子で話をされるのですけど、今どきの学生には、もうそんな調子では通じないですって。今どきの学生には、そういう話が通じるような基礎的な知識はないんですもん。第一、今、「文学部」とか「英文科」というもの自体、ほとんど死語になっているんですから! 文部科学省のわけの分からん方針で、今、日本中の大学から「文学部」が消滅しています。その代わりに次々と生まれるのは「国際関係学部」であったり、「言語文化学部」であったり、また「人間環境学部」であったりするわけ。しかもそこで教育されるのは「文学」ではなく、「語学」なんです。文部科学省は「文学」なる学問を「役に立たない学問」として目の敵にしていますから、今、日本の大学には「文学」を教える場所がどんどん少なくなっている。しかも今どきの学生は卒業要件に必要な勉強以上のことをしようとしませんから、日本のものであろうと、外国のものであろうと、文学作品を読んだことのある学生なんていやしない。 だからこそ、私を含め、日本中で「文学」を研究している大学人達は日々、苦労しているわけです。自分たちの学問領域で得た知識や知恵を、いかに文学離れした学生たちに伝えるかということを、無い知恵絞って必死で考えなければならない。その結果、文学を映画のような映像芸術とからめて論じてみたり、もっと広く文化論の側面から文学を捉え直したり、色々なトライをしている。皆、苦労しています。 で、昨日の講師の先生も一応、「自動車」という文化的側面から文学にアプローチするようなスタイルをとっているわけですが、しかし、その実、文学史上有名な作品だから、講演で取り上げたようなアメリカ文学の名作を学生は一応読んでいるはずだし、興味もあるはずだ、という前提に立ったようなお話ぶりは、もう完全に20年前の英文科そのもの。さらに「自動車」という1920年代の流行品が、個々の文学作品の中で如何なる象徴性を帯びているかというような論は、これまた1980年代前半で片がついてしまった文学の論じ方です。 うーん、こういう文学の論じ方が、その講師の方の勤務先である有名大学の大学院では通用するんですかねぇ? だとしたら、楽なもんだなー! ま、文部科学省って、伝統ある有名国立大学に対しては卑屈なまでに及び腰だから、講師の方のお勤めの大学みたいなところでは、昔通り好き勝手に、大手を振って「文学」を教えられるのかも知れません。羨ましいようなもんだ。 ということで昨日の午後は、一流大学の偉ーい先生の学術講演会を拝聴しながら、色々と複雑な思いを噛みしめていたワタクシなのでした。
November 19, 2005
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前にも言いましたが、我が家では毎月、給料日を祝って外食する習慣があります。と言うことで、昨夜は家内を連れて、名古屋郊外の「塩釜口」というところにあるトルコ料理のお店に食べに行くことにしました。 行ったのは、以前に一度トライしたものの、満席で入れなかった「オリエンタルの青い月」というお店。20人くらい入ったらもう満杯になってしまうような小さなお店でしたけど、こじんまりとしていてなかなか居心地がよろしい。うん、店の雰囲気は、まず合格です。 で、我々が注文したものはと言いますと、「羊飼いのサラダ」に「ドネル・ケバブ(ピタパン、バターライス付き)」、それから「ラムジュン(トルコ風薄焼きピザ)」に「アダナ・ケバブ」、そして最後に「チキン・ケバブ」をとって、さらにバターライスを一皿追加しました。 「羊飼いのサラダ」というのは、レタスとトマトとピーマンとタマネギからなるごく普通のグリーンサラダにパセリが散らしてあるような感じですけど、野菜がどれも新鮮で、またドレッシングがちょっと変わった味でおいしかった。それから串に刺してぐるぐる回しながら焼いている羊の肉の固まりから、肉片をナイフでそぎ切りにする「ドネル・ケバブ」、これはもううまいに決まってますよね。 それから羊の肉の挽き肉が主な具材となるトルコ風薄焼きピザ、「ラムジュン」ですが、これは羊の肉特有の香りが結構強い料理でしたけど、我々夫婦はもともとラム肉ファンなので全然問題なし。香草の香りと一体となった羊の肉の香りは、食欲を増進させてくれます。 そして「アダナ・ケバブ」。これはラム肉の挽き肉(?)と各種香草を合わせたものを串に刺してソーセージ風に焼き上げたものですが、これは文句なしにうまい! 溢れる肉汁とシコシコとした適度な歯ごたえがたまりません。「アダナ」というのは地名で、この地方で有名な料理なのだそうです。 それからもう一品、「チキン・ケバブ」は、たれに漬け込んだと思しき鶏肉を串に刺して焼いたもので、いわばトルコ風の焼き鳥ですけど、スライスしたオニオン、それにパセリと一緒に食べると味のハーモニーが絶妙! 味がしっかりついているので、ついついバターライスがすすんでしまいます。 で、これらをペロリと平らげた後、かの有名なトルコアイス、ドンドルマをデザートとしてとり、さらにトルコ・チャイ(香りの強い紅茶・お代わり自由)を注文して、それで全部合わせて会計は二人分4600円ほど。これはディナーとしては相当安いではないですか。いやー、このお店、気に入ったなあ! お気に入りの店がまた一つ増えてしまった。 しかし、中近東の料理というのは、肉と野菜がうまくミックスされていて、ヘルシーな感じがしますね。私にはイラン人の友人が多いので、トルコとかペルシャあたりの料理には割と詳しいのですが、日本で人気のタイ料理なんかよりも、もっとずっと日本人には親しみ易いのではないかしらん。中近東料理のファストフード店なんかが出来たら、結構受けると思うのですけど、どうかなあ。 ん? 私自身が起業しちゃおうかな。「釈迦楽」という私の名前からして、「シャカラク」と書けばなんだかちょっと中近東っぽいし・・・。ピタパンにケバブと野菜を詰め込んだ「シャカラク・バーガー」とか、アダナ・ケバブをソーセージの代わりに使った「シャカラク・ドック」なんて、売れそうじゃないですか! どなたか、スポンサーになって下さい! お、そうだ、楽天の三木谷さーん。これからはTBSよりSB(シャカラク・バーガー)ですよ! 「マクドナルド」が「マック」なら、「シャカラク・バーガー」は「シャック」で決まり。ケバブ増量の「ダブル・シャック」とか、卵を入れた「月見シャック」とかも出したりして。名古屋風に「味噌・シャック」なんてのもいいかも。 ま、妄想はそのくらいにして、とにかく「オリエンタルの青い月」、そしてトルコ料理全般は、「教授のおすすめ!」です。
November 18, 2005
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私の研究室は南に面しているので、今日みたいな晩秋のうそ寒い日でも、昼間のうちは日が燦々と当たって割と暖かいんです。 で、昼休み、日の当たっている窓越しに紅葉したケヤキの木などを眺めながらのんびりしていたのですが、ふと見ると、アルミサッシの細いレールの上をなにやら動くものがある。何だこりゃ? おやおや、何かと思ったらカメムシ君ではないですか。最近、窓を開けたことはないけど、君は一体、どこからこの部屋に入ってきたんだい? で、さっきからじっと彼のことを見ているのですが、これがまた実に面白い。何しろ幅1ミリほどのレールの上を歩いているので、カメムシ君も慎重に、一歩一歩確かめるように、よちよち歩いているわけ。で、1メートルほど歩いて窓枠の端まで来ると、それ以上先には行けないものだから、「なんだ、行き止まりか」と落胆の色を見せつつ、でもすぐに気を取り直した様子で、苦労して身体を反転させると、逆方向へよちよち歩いていく。しかし、またじきに反対側の窓枠にぶち当たるもので、そこでまた「なんだ、行き止まりか」となって、再びこちらに向かって歩いてくる。5分ほど見ている間に、もう彼は2往復してしまいました。 このカメムシ君は、外へ出たいのかな? しかし、外へ出してやろうにも、私が手でつまみ上げた途端に臭い奴を一発やられたら困るなぁ。 それに君の「なんだ、行き止まりか」を、もうちょっと見ていたいんだよ。だって、何度同じ過ちを繰り返しても、飽きることなく一心不乱に出口を探して歩いている君の様子が、おかしいやら、頭が下がるやらで、つい見とれてしまうんだもの。 ・・・なんて、カメムシ君に対してひどいことを言いながら心が痛まないのは、人間の思い上がりかな? おっといけない、私ももうすぐ3限の授業だ。さてさて、こちらはこちらで、学生の役にたっているのか、いないのか、よく分からない授業を、一心不乱によちよちとやってきますか。 カメムシ君、この授業が終わって、まだ君に出口が見つからないようだったら、僕が代わりに見つけてあげるよ。ただ、恩をあだで返すようなことだけはしないでくれよ!
November 17, 2005
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前にも書きましたが、私は煙草は吸いません。しかし、ガムを噛むのは好きなんです。周囲の同僚、友人たちと比べても、私ほど好んでガムを噛む奴はあまりいないような気がする。放っておくと、一本の粒ガムを2日くらいで消費してしまいますからね。こういうのは「ニコチン中毒」ならぬ「ガム中毒」とでもいうのかな? 実際、ガムを噛むのはガムが噛みたくて仕方がないから噛む、というよりは、むしろ何となく口寂しいから噛むのですから、その点でも煙草とちょっと似ています。それに考えてみると、ポケットからガムを取り出し、一粒選んで口に入れ、包み紙を机の上にポンと放り投げつつ、残りのガムをポケットに仕舞う一連の動作は、それ自体、煙草を吸う一連の動作にそっくりですからね。ちょっとカッコいいじゃないですか。 ちなみに、私のお気に入りのガムの銘柄は「クロレッツXP」です。味が長持ちするのが好きな理由かな。さすがにガム好きの私といえども、味のしなくなったガムをいつまでも噛んでいると、そのうちに「おえーーーっ」っとなってしまうのでね。 さらにちなみに、クロレッツXPの食べ方にも私にはある種の流儀があって、ガムを口に入れたらすぐには噛まずに、しばらくはアメのように嘗めるんです。こうやってガムの表面を覆っている糖衣をとってしまうわけ。で、糖衣がなくなって嘗めていても甘くなくなったら、やおら噛み始める。すると・・・ ひゃー! 剥き出しのメントール・パワー! どうでもいいですけど、興味のある方はこの噛み方をお試し下さい。強い刺激のお好きな方には、特におすすめです。 ところで、私のガム好きは、ちょっとカッコつけて言いますと「アメリカ仕込み」なんです。以前、アメリカでホームステイのようなことをしていた時に、ホストマザーの老夫人(当時その方は80歳を越えていらしたのですけど・・)がよくガムを噛んでいらして、よく「あなたも食べる?」とすすめられたのがきっかけで、その方の癖が移ってしまったようなところがありますのでね。そう、それで何かの拍子にその夫人に「ガム、お好きなんですね」と私が尋ねたら、「歳をとってから、こうしてしょっちゅうガムを噛んでいないと、口の中が乾いてしまってね」とおっしゃっていたのを印象深く覚えています。 でまた、その老婦人のガムの噛み方がまた上品、かつクールなんですよ。ほとんど口を動かさないんですな。1分間に1回、かすかに「モグッ」とやるくらいの感じ。なるほど、こうやって噛むとガムっていうのはカッコよく噛めるのか、と、私はその老婦人からガムを噛む習慣だけでなく、その上手な噛み方まで教わったのでした。ね、だから、先ほども言いましたように、私のガム好きはアメリカ仕込みなんですよ。 それに、実際、アメリカのガムは旨いですからねー。というか、アメリカのお菓子でおいしいのはガムだけ、という方が当たっているかな? とにかく全般的に甘過ぎますからね、アメリカの菓子類。とても食べられたものではない。だけど、ガムだけは例外的に旨いんだなー。 で、アメリカのガムの中で私が好きな銘柄はと言えば、これはもう何と言っても「デンティーン」、しかもその中の「シナモン」です。これは旨い! しかも味がすごく長持ちする。なんで日本にはシナモン味のガムがないんだろう。あれが一番旨いのに。昔は日本でもデンティーンやリグレイといったアメリカのガムを輸入していて、私も子供の頃、近所のお菓子屋さんや駅の売店で買って食べた記憶がありますが、最近は見かけませんね。どうして輸入しなくなっちゃったのかしらん。売れないのかな? さてさて、この文章を書き始めた時にも、ガムを一粒、ポンと口に放り込んでおいたのですが、そろそろ味がなくなってきました。このあたりで新しいガムにスイッチしつつ、本業の仕事に取りかかることといたしますか。それでは、また! 皆さんの「ガム体験」なども、コメントとしてお寄せ下さい。
November 16, 2005
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ようやく勤務先大学の校舎の建て替え工事が終了し、今週から後期の授業が再開されました。以前の校舎は「暗い・汚い・設備が悪い」と見事に三拍子揃っていたんですけれど、それがリフォームされてみると、入り口は自動ドア、床にはカーペットが敷きつめられ、当然エアコン完備。黒板は姿を消してホワイトボードが導入され、照明は人体感知式。廊下にまで手すりがわたされて、もはや校舎というよりは、新築の病院のようです。 で、その病院みたいな校舎で今日、私も久々に授業をやっているわけですけれど、設備は良くなっても学生の方は相変わらずですなあ・・・。一発目の授業くらい、静かに聞いてろって。 は~。ここは本当に大学なんだろうか。これが日本の教育システムにおける「最高学府」なんだろうか。 顔つきも、服装も、態度も幼稚な若い連中がずらり揃っているのを見ると、こういうのはむしろ「幼稚園」と言うべきなんじゃないかという気がしてきます。言葉の本当の意味で。 で、つくづく思うのですけど、日本の大学入試のシステムって根本的に変えた方がいいですわ。 まず原則として高校からストレートでは大学には入れない、というシステムにした方がいい。高校卒業した連中は、少なくとも2、3年は社会に出て働かせましょう。で、そのくらい働いて、少しは苦労させてから、やっぱり勉強したいという奴だけ大学に入れるようにする。これだけでもキャンパスは随分変わると思いますよ。少なくとも今よりは「落ち着く」のではないでしょうか。 実際、社会人を経てから大学や大学院に戻ってきた人の話を聞くと、「大学の授業ってこんなに面白かったの!?」と実感するそうですからね。そう思えるくらいのレベルになった人にだけ、大学は門戸を開いた方がいい。とにかくそうでもして、まず学生を「大人」にしてからでないと、そもそも大学教育なんて成り立たんですよ。 それでまた現在の日本の大学制度では、キャンパス内のほとんどの学生は18歳から22歳くらいの年齢層に固まってしまうわけですが、それも良くない。そんなんだから、キャンパス全体がサークルみたいになってしまうんですわ。もっと年齢層に幅を持たせなくては。 その意味で、私が思うに、日本の大学は定年後の老年層に着目し、彼らをキャンパスに誘致するような方向のことを考えたらどうなんでしょうかね。いっそ大学のキャンパス内に老人ホームを作って、そこに入所している老人たちに大学の授業を受講させたらどうかしらん。 いや、実際に、アメリカではそういうところがあるそうですよ。先日、NHKのドキュメンタリーでやっていましたけど、イサカ大学かどこかが、キャンパス内に老人ホームを作り、そこに入所した老人たちは、イサカ大学の授業がとれるようになっているんだそうです。これ、すごく良いアイディアじゃありませんか! さすがアメリカ、発想が柔軟だ。 このドキュメンタリーを見ていて、特に私の印象に残ったのは、哲学のコースを受講しているある老人の方がおっしゃった一言でした。彼は次のように言ったんです。「老い先の短い自分のようなものが、新しく何かを学ぼうなんて、論理的に言えば無駄なことかも知れない。しかし人間というものは面白いもので、この歳になってもまだ、人生の意味を知りたいという欲望がある。それで、ひょっとしたら哲学がその答を教えてくれるかもしれないと思い、このコースをとってみたんだ。まだ答は見つからないけどね」と・・・。 おお! 素晴らしいではないですか! これぞ尊厳を持った人間、人間の形をした人間って感じがします。こういう老人と一緒に勉強ができるということ自体、若い学生たちにとってはいい経験になるはず。日本の大学も、こうしたアメリカの大学の斬新な試みを取り入れて、キャンパス内に年齢層の高い人たちをどんどん招き入れたらいいのに。 大学に老人を! キャンパスに大人の落ち着きを! 久々の授業の後、キャンパスの中心で私は叫んだのでした。もちろん心の中で、ですけどね・・・。
November 15, 2005
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昨夜の我が家の食卓に、ついに「おでん」が登場しました。今シーズン初です。おいしかったですよー。 ところで、皆さんはご存じかどうか、名古屋のおでんはちょっと変わっています。私自身もそのことに気づいたのは、今から14年ほど前、初めて名古屋の大学に赴任した時のことなんですが。 その年の冬、勤めを終え帰宅する段になって、家に帰ってから夕食を作るのが面倒くさくなってしまい、コンビニに立ち寄っておでんでも買っていこうと思いついたんですね。で、最寄りのコンビニに入って適当におでんの具を見繕い、会計を済まそうとすると、レジの兄ちゃんが「味噌か芥子、つけますか?」と尋ねてくるわけ。即答で「あ、じゃ、芥子つけて」と言ってはみたものの、何か腑に落ちない感じが・・・。 味噌? 今、「味噌」って言いました? おでんに「芥子をつける」というのは分かりますが、「味噌をつける」って一体何のこっちゃ? もっとずっと後になってこの謎は解けました。何と名古屋人は、おでんに練り味噌をつけて食べるんです。ひゃー! この無粋者ども! 関東風のおでんに名古屋の赤味噌(豆味噌)なんかつけたら、その繊細な味わいがぜーんぶ吹っ飛んで、味噌の味しかしなくなるじゃないか! 名古屋人、味噌味が好きですからねー。味噌汁として飲むのでは飽き足らないのか、味噌を「醤油」や「ソース」と同等の食卓調味料と見なし、それこそ何にでも味噌だれをかける。一番有名なのは「味噌カツ」ですな。本来、ソースがかかっているべきトンカツに、味噌だれをかけるという暴挙に出るわけですから・・・。ま、私も味噌はもともと好きですけど、名古屋人の味噌好きには負けるなあ。 で、名古屋ネイティヴの家内と結婚してから、食卓におでんが上ると、やはりそこには当然のこととして練り味噌が添えてある。しかし、おでんには「関東炊き」という別名があるように、これはそもそも我々関東人のもんじゃいという自負があるもので、最初のうちは私も抵抗して練り味噌には見向きもしなかったんです。しかし、家内が味噌をつけながらおでんをおいしそうに食べるのを見ているうちに、私もちょっとつけてみようかな、と・・・。いや、試しにですよ、試しに。 う・まーい! というわけで、情けないことに、今では私の方が家内以上にべったりと練り味噌をつけておでんを食べている有様。敵の軍門に下った私が言うのもなんですが、おでんには味噌、これがうまいんだ。 はーい、関東地方の皆さん、今度おでんを食べる時、赤味噌(これはもう大豆100%の豆味噌じゃないとダメですぞ。なければ赤だしを使って下さい)に味醂と砂糖を加えて火にかけ、艶が出るまで練ったものを、薬味代わりにつけながら食べてみて下さい。絶対いけます。名古屋風おでん、これ、「教授のおすすめ!」です。お試しあれ!
November 14, 2005
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今日は大相撲一年納めの九州場所初日。その割に、テレビで見ると観客席の上の方がガラガラだったなぁ。そしてまた相撲の方も淡白なものが多く、盛り上がりに欠けましたね。頑張ったのは、粘って粘って黒海を押し出した安馬くらいなもの。今場所期待の琴欧州は、土俵下に控えていた時から視線が定まらず、がちがちに緊張しているのが見え見えでしたけど、案の定、上体だけで相撲をとって自滅。蚤の心臓は相変わらずです。 そして結びは、7連覇と年間6場所全制覇をもくろむ朝青龍対モンゴルの新鋭・白鵬の一番。でも、これもあまり見られた相撲ではなかったなぁ。立ち会い、注文をつけて左上手を狙った白鵬の作戦はまあまあですが、結局、惜しいところで逆転負け。うまく上手がとれず、土俵際残して反転した横綱にあっけなく押し出されてしまいました。こういう注文相撲は勝たなければ意味がないので、それで負けるとなると、それはもうただ単に「恥ずかしい相撲」です。せっかくの好取組も台無しというところ。 しかし、その白けた相撲をさらに白けさせたのは朝青龍閣下。逆転で押し出した白鵬に向かって、彼は日本語でかモンゴル語でか、一言罵声を浴びせたんですな。この横綱らしからぬ土俵態度に、もう見ている方の気分は最悪。 若手の白鵬が立ち会いに注文をつけたことに対する罵声か、それとも取り組み中に白鵬の指が横綱の髷に入ったことへの罵声か、それはよく分かりません。しかし、ただでさえ面白みの少なかった初日の相撲の最後にこんな見苦しいざまを見せられたのでは、たまったもんじゃないなあ。力士が本場所の土俵の上で口を開くなよ。稽古場じゃないんだ。 最近、あちこちのテレビコマーシャルに登場して笑顔の安売りをしている感のある朝青龍。でも、そんなことして人気とりをするよりも、本来の職場でしかるべききれいな立居振舞を見せなさいって。
November 13, 2005
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書類が書けない・・・。ほんと、苦手です。どんな書類書いても、一発で事務の方に受け取ってもらったことがない・・・。 今さっきまで「給与所得者の扶養控除等申告書」というのと、「給与所得者の保険料控除申告書 兼 給与所得者の配偶者特別控除申告書」という二つの書類を作っていたんですけど、何が何やらさっぱり分からない・・・。どの金額をどこに書けばいいのか、まったく分からない・・・。 大体、自分が今どんな種類の保険に入っていて、毎月どのくらい支払っているのかもよく知らないし、いざ病気になったりしてそれが必要となったときに、自分がいくらもらえるのかも知らない。それが必要十分なものなのか、不十分なものかも知らない。 そんな状態ですから、「保険料控除申告書」なんて大層な書類を書くのは、毎年地獄の苦しみです。 それでもどうにかこうにか怪しげな金額をあちこちに書き込み、指示のままそれらを足したり割ったりして、おお! ようやく答えが出たゾ! さあ、この金額をこの欄に書けばいいのか、なんて思っていると・・・すぐ上に「最高50,000円」なんて書いてある。要するに私が苦労して計算した金額が50,000円を越えているんだったら、それ以上はどんな金額だって一律「50,000円」と書くしかないらしい・・・。 じゃ、今までの私の苦労は何だったの・・・。 「配偶者特別控除」というのもよく分からないなあ。なになに・・、配偶者の所得金額から65万円を引け? 何だ、この65万というのは? で、引いた金額が38万円より大きいか、小さいかだと? 何だ、この38万円というのは? あー、分からん!! は~・・・。ま、一事が万事、いつでもこんな感じですわ。毎年この時期、この書類を書く時期になる度にストレスがたまる、たまる。多分、私は「書類が書けない」という病気なんだ。書類が不自由な人なんだ。 こういうの、すらすらと鼻唄交じりで書ける人って、どういう人なんだろう。そういう人が公認会計士とか、そういうのになるのだろうか・・・。 皆さんは、この手の書類って、簡単に書いちゃうんですか? 普通、どうなんだろうか。 あー、もうダメ。頭がパンク。 よし、現実逃避だ。大相撲、大相撲。これからお茶の時間にして、大相撲見ながら、おやつ食べよう! それでは!
November 13, 2005
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今日、私の家内は友人の誕生日を祝うためのランチ・パーティーがあるということで、お昼前にお出かけ。ということで、今日は久しぶりに家内のいない土曜日のお昼となりました。何だか、家の中がやけに静かです。うちは大人二人だけの家なので、普段だって静かには違いないんですが、今日みたいにたまに一人きりになると、ほんとに家の中が無音状態。独り暮らしってこんなに静かだったっけ、と思ってしまいます。独身時代を思い出しましたよ。 さて、家内が留守のこんなとき、いつもでしたら昼御飯くらい自分でちょちょっと作ってしまうのですが、どういうわけか今日は面倒臭くなってしまって、近くのマックまでハンバーガーを買いに行くことにしました。歩いて3分のところにお店があるのでね。ベーコンレタス・バーガーとフライドポテトを単品で頼み、しめて370円だったかな? しっかしマックのフライドポテトって、案外匂いが強いんですよね。自分の住む階まで上がる間に、マンションのエレベーターの中がすっかりマックになってしまった。次に乗る人の食欲を増進しちゃいそうです。 で、家に帰ってコーヒーを淹れて、さあハンバーガーにかぶりつこうというときになって、ふと、冷蔵庫の中に昨夜の残りのミートソースが少し残っていることを思い出しました。ん? ハンバーガーにミートソースをちょっとかけて食べたらおいしいのではないの? と思ったら、即実行。おお! 出来合いのハンバーガーが、何だかホームメイドのハンバーガーみたいな味になったでないの! う・まーい! というわけで、ちょっとし・あ・わ・せ。ウフ。 さて、実は今日はこれから学会があるんです。私はある研究発表の司会をしなければいけないし、そもそも総合司会も担当するので、もうそろそろ会場となる大学へ向かわなくてはなりません。 ということで、幸せな気分のまま、行って参りマース!
November 12, 2005
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日本人ってのは気が早いのか、もうあちこちで「クリスマス・イルミネーション」の話題が出始めているようです。本番までまだ1ヶ月以上あるのに・・・。 で、そろそろかな、と思っていたら、先日、ついに始まりました。わが街のクリスマス・イルミネーション競演会が! この季節になるとニュースなどで取り上げられる、住宅街のクリスマス・イルミネーション。実は私が今住んでいる街も、数年前からすごいことになっているんです。お好きな方が結構沢山いるらしく、この時期、夕方になると近隣のあちこちで庭一杯のイルミネーションが点灯し始めるわけ。で、一軒のお宅がやり出すと、「うちもやろう」という気になるのか、そのうちにその辺の一画が全部やり出すんですな。しかもそれが毎年エスカレートするのですから、そのきらびやかさといったらない。もうイルミネーションの数で言って1万球、2万球クラスは当たり前という感じです。 なかでもすごいのは、メインストリート沿いにある某理容店のイルミネーションで、これはまさに超弩級の絢爛さ。何しろ店の若い連中が1ヶ月半くらいかけて準備するのですから、最終完成バージョンともなると、その周辺は夜でも昼のような明るさになります。このド派手なイルミネーションと比べたら、ディズニーランドの「エレクトリカル・パレード」なんて子供だましもいいところ。誇張して言っているんではないですよ、事実としてそうなんですから。最近では毎年TVや雑誌が取材に来ているみたいですし、これを見物しに来る一般の人も多い。ま、確かにちょっとした見ものではあって、私も大学からの帰り道、暗闇を明るく照らし出すイルミネーションの洪水に、思わず目を奪われることがあります。ちょっと子供の頃のクリスマスを思い出したりしてね。 私が子供の頃、つまり昭和40年代頃のクリスマスの喧騒というのは、ものすごかった。新宿あたりの繁華街では、どこもかしこもクリスマスセールで大賑わい。街中にクリスマスソングが鳴り渡り、プレゼントを買う家族連れでごったがえしていました。今振り返ってみれば、当時の日本の高度経済成長がなせる業だったんでしょうけど、子供心にはそんなこと分かりませんから、とにかく何だか夢のように華やかできらびやかな街の様子だけが心に刻み込まれたというところがある。 その頃に比べれば、今どきのクリスマスなんて白けたもんですわ。クリスマスというだけでその雰囲気に酔い、顔を輝かせている仲の良さそうな家族連れ、なんてのはもうあまり見られないですもん。今どきの子供は、クリスマスだろうといつも通り塾に通い、もう少し大きくなった子供は勝手に友達同士でほっつき歩いているんでしょう。ボーナスをまるまる家のローンにもってかれたお父さん・お母さんも、クリスマスだからと言って財布の紐が大いにゆるむというほどではないのでしょう。別に日本はキリスト教国でもなんでもないんですから、それはそれでいいのかも知れません。しかし、昭和40年代に子供時代を過ごした私のような世代にとっては、こういう白けたクリスマスというのは、少し淋しかったりもするんですなー。 ひょっとして、わが街で家の庭先をイルミネーションで飾りたてている方たちというのも、私と同じように、昭和40年代のクリスマスの喧騒を忘れられないでいる世代の方たちだったりするんじゃないでしょうかね。 ま、私自身はと言いますと、さすがに自分の家でこういうド派手なイルミネーションを飾ろうとは思いません。我が家には我が家のクリスマスの過ごし方というのがありますのでね。これはまたこれで、ある意味、すごいのですが。しかし、先ほども言いましたように、昭和40年代を知っている者として、私もこういうイルミネーションが実は嫌いではないんです。 というわけで、週末あたり、ちょいと夜の散歩にでも出て、よそ様が丹精込めた(ややフライング気味の)光のページェントでも堪能しつつ、往時を忍びますか。嗚呼、昭和は遠くになりにけり・・・。
November 11, 2005
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自分が一体英単語をどのくらいの数知っているのか、よく分かりませんが、仕事が仕事だけに、それなりに相当な数に上るのではないかと思います。しかし、そうは言ってもその数が常に変動していることも確か。つまり、新たに覚える単語があれば、忘れていく単語もあるということですね。 それに、知っている単語のすべてが「アクティヴ」な状態にあるとは限らない。つまり、私が知っている英単語の中には、「読めば意味は分かるけど、とっさに口に出て来ない単語」、なんてのもかなり含まれています。いわば「読めるけど、書けない漢字」みたいなもんですな。 ま、そんなこともあって、勉強嫌いの私も、時々自分の英語のボキャブラリーの確認と増強とを目指し、市販の英単語集みたいなものを繙くことがあります。で、このところ寝る前などのちょっとした時間にパラパラめくっているのは、講談社が出している『Wordster advanced 1300』という奴。割と評判がいいと聞いて、私も買ってみたんですが。 で、このボキャビル本、人にお薦めするかと言うと・・・うーん、ちょっと微妙ですね。ま、短文の例文を使って英単語を覚えていく仕組みなんですけど、その例文がちょっと難し過ぎるというのか、書き言葉なんですよ。日常会話ではこんな構文使わないよな、と思うようなものばっかり。英語のライティングを勉強している人にはいいのかも知れませんが、それにしてもそんなにいい例文とは思えないなー。 ま、それはそうなんですが、それとは別に、この単語集にはところどころに「豆知識」的なコラムがあって、それが案外面白かったりするんです。たとえば「marshall」(保安官)という語には、「U.S.marshal(連邦保安官)は令状の執行、裁判所の警護・管理を任務とする。全国94の管轄地域に1名ずつ任命される。特別に指定された市にはmarshall が任命される。地方の郡では同様の性格のsheriff が公選によって選ばれる」なんて書いてある。保安官の任務に裁判所の警護・管理などが含まれるなんてこと、私はこれを読んで初めて知りましたし、同じ保安官でもmarshall とsheriff の違いがどこにあるかなんてことも、初めて知りました。こういうちょっとした知識が、なかなか面白いわけ。 で、実は昨晩も、思わず「ほ、ほう!」と思った豆知識があったんですね。それは「verdict」(評決)という単語に付帯していた解説だったのですが、そこにはこう書いてあったんです。 「米英では通例、jury(陪審)のverdict(評決)に基づいてjudge(裁判官)がjudgment(判決)を下し、sentence(宣告・判決)を言い渡す」。 ふむふむ、そうそう。そうだったよな。と、そこまでは私も知っていました。しかし、私が驚いたのは次の一文です。 「・・・verdict を覆すjudgmentもありうる」。 えーーっ! そうだったの!? ガーン! じゃ、何ですかい、12人の陪審員たちが全員一致で出した「第一級殺人罪で被告人は有罪!」というverdict を受けて、裁判長が「承りました。では判決を申し渡します。被告人は無罪!」なんていうjudgmentを出すことも、可能性としてはありうるっていうんですかい? ひゃー、知らなかった。なるほどねえ。そういうことですか。いや、私は前から「陪審員制度における裁判長の役目って何だろう。単なる議事進行係?」と疑問に思ってたんですわ。そうじゃなくて、彼は陪審員の出したverdict とは異なるjudgmentを出す権限があったわけね。 いやー、英語を読んだり教えたりすることを仕事にしていても、知らないことって多いですなあ。ま、もちろん日本語だって、分野によれば知らない言葉なんていくらもあるんでしょうが・・・。 とまあ、柄にもなく英単語の勉強なんてやり出したおかげで、時々こういう拾い物があります。やっぱり勉強、特に語学ってのは、少しずつでも継続してやっていかないといかんですね。これからもできるだけ継続的にボキャビル、頑張ってみようかな。それで、またこんな「ひゃー!」っというような豆知識があったら、お伝えしますね。それでは、また!
November 10, 2005
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はぁ~。このところなかなか自分の仕事ができない・・・。 今、大学では来年の授業スケジュールを決める時期なんですけど、私、「教務委員」なんてものを担当しているので、この時期、忙しいんですよ。うちの科の授業を受け持つ何十人もの先生方のご都合を聞いて色々調整しなければならない。まずこれがひと仕事。 おまけに所属する学会関連の仕事も色々ありまして。今週末に開催される月例会の調整、12月に開かれる読書会と忘年会の調整、来年4月の支部大会におけるシンポジウムの計画立案、来年10月の全国大会におけるシンポジウムの計画立案・・・と、こちらも大忙し。 で、もう一つおまけに卒論指導が忙しくなってきているし。こういう状態になると、結局自分の仕事を一番後回しにしなきゃいけなくなるわけで、そこがつらいところ。今日も、会議、会議ですわ。 しかし今日、ある会議に出席していて一つ嬉しいことがありました。会議中、私の隣に座っていたオーストラリア人の先生が、私の着ていたスーツを見ながら小声で、「釈迦楽先生、そのスーツ、いいですね!」と言ってくれたんです。 おお! お目が高い! 実は今日着ていたスーツは今年の年明けに衝動買いした J.CREW のスーツで、自分でも気に入っていたものなんです。色はカーキというのか、穏やかな黄土色で、生地は細い畝の入ったやや厚手のもの。全体的なシルエット、特にパンツが細身で、今風です。このかっちょいいスーツを、うちの大学のベストドレッサーを自認する(?)ワタクシが着ているのですから、鬼に金棒。外国人の目に留まったのも無理はない!? ここ数年、「どうせチョークまみれになるんだし、大学に着ていくものなんて、どーでもいいや」的な心のゆるみから、仕事に着ていくスーツの単価がどんどん下がりはじめ、ふと気がつけば、普段着も仕事着もみーんなユニクロ仕様、みたいになっちゃっていた私。ま、どんなスーツを着ても中途半端に似合ってしまうスタイルの良さが災いして(?)、そういうことになっていったわけですが、やっぱり、たまにはちょいとお洒落な格好をするというのもいいもんですな。もちろん J.CREW だって別に高級なブランドではないですけれど、やはりユニクロとはちょっと違いますからね。 ちなみに私の友人には、ものすごくお洒落な奴が多いんです。そのシーズン毎に最先端のモードに身を包み、「スタイルが崩れる」という理由から服のポケットには何も入れない、なんてのも多い。それでまた実際、そういう連中はセンスも良くて、それぞれその人の個性の表れた、かっこいい服を選んで着ているんだなー、これが。 で、こういう連中と学会で顔を合わせる度に、私は右から左から集中砲火を浴びるわけ。何年同じ服着てるんだ、もう少し時代に合わせてお洒落しろ、というわけ。こういう連中の前に出ると、我が大学のベストドレッサーも形無しです。 でも確かに、彼らの言う通り、いい服を着ていると、それだけで態度まで颯爽としてくるってことはありますよね。私も、この秋はもう少し気張って服にお金をかけようかな・・・。 さて、とりあえず今日はスーツを誉められてちょっと元気が出ましたので、これからまた颯爽とひと仕事してきますか。それでは、また!
November 9, 2005
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昨日、夕食の後に2時間ほどがっつり寝てしまったこともあり、その後、本格的に寝るのがいつも以上に遅くなってしまって、今朝はすっごい寝坊をしてしまいました。とても人には言えないほどの寝坊です。今日は午後から会議があったのですけど、午後からの会議に寝坊で危うく遅刻しそうになるなんて、一体どういうこっちゃ!? とりあえず、社会人失格! 私はいつも思うのですけれど、これほど夜型人間の私でも、もっと歳をとったら、毎日朝4時に目が覚めてしまうというような朝型人間に変わるのでしょうか? 私としては、「そんな自分が見てみたい」と思っているのですが。 ま、それはともかく、あまりの寝坊ぶりに軽い自己嫌悪を抱きつつ会議に臨み、1時間後にトホホな気分でそれを終えたわけですけど、会議室から外へ出てみてびっくり。明るい午後の陽射しが照りつける中、ふわーっと雨が降ってきたんです。「やあ、お天気雨だ」「珍しいなあ!」「狐の嫁入りですね」などと口々に囃しつつ、同僚の教授たちと時ならぬ雨をしばし眺めていたのですが、そのうちに誰かが「秋雨じゃ、濡れていこう」なんてお決まりの親父ギャグを飛ばしたのを汐に、雨の中、三々五々連れだって、歩いて研究室に戻ってきました。 しかし、「雨が降っているのに、お日様は照っている」というのは、何だか楽しいもんですね! 濡れた道路に陽射しが反射して、どこもかしこもキラキラだ。それに誰かが口にした「狐の嫁入り」っていう言葉自体、何だか知らないけど素敵な言葉じゃないですか。 ということで、寝坊し過ぎて何となくモヤモヤしていた心が、お天気雨一発で晴れました。おーし、これから頑張って仕事して、午前中の分を取り戻すぞ! それでは!
November 8, 2005
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昨晩遅く、テレビのスポーツ番組を見ていたら、サッカーの三浦知良選手が出演していました。今度オーストラリアのサッカーチームから招聘され、向こうでプレーすることが決まったのだとか。30代末という限界ギリギリの年齢ながら、あくまで現役を続ける彼のプロ意識は、大したものですなー。 ま、私はサッカーのことなどほとんど何も知らないのですが、そんな私ですら「カズ」の名前はよく知っています。何せ私は彼とはほぼ同世代ですし、90年代前半あたりの彼の活躍は凄かったですからね。Jリーグ人気=カズ人気というところがあった。それにスポーツ選手でファッションにこだわり、ブランドものの服を着るようになったのは、彼が最初じゃなかったでしょうか。そういう点でも、彼は光っていた。 しかし、私はそんな人気絶頂の頃のカズを横目で見ながら、何だかちゃらちゃらした、得意気な奴だなあという程度にしか思っていなかったんですね。そもそも興味がなかったせいもありますが。 ところがそれから随分と月日が過ぎてから、あるテレビ番組で彼の特集をやったのをたまたま見たんです。それは彼がクロアチアのサッカーチーム・ザグレブに移籍した頃のことで、彼の地における彼の生活ぶりにスポットライトを当てた番組でした。 で、私はその番組を見て、初めて「カズは凄いな」と思ったんです。 何しろ当時のカズはサッカー選手としての全盛期を過ぎた頃でしたし、ザグレブというのは資金に余裕のある有力チームではないですから、もちろんカズに専属のマネージャーが付くわけでもなく、向こうでの生活はすべて自力でやっていかなければならないわけ。しかも全てのゲームに登用されるわけではなく、試合中ずっとベンチを温めていなければならない、なんてこともしばしばある。当然、日本からの取材もほとんどなし。日本人で初めてセリエAの選手になった頃の持て囃されぶりとは、全然違う扱いなんです。 けれどそんな中、カズはまったく腐ることなく、黙々とトレーニングを続け、アップを続け、いつでもゲームに飛び込んでいけるだけの準備に怠りがないんです。注目を浴びていようがいまいが、サッカーのプロ選手としてやるだけのことはやる。私はまずその彼の徹底したプロ意識に、強い印象を受けました。 しかし、私がさらにいいなと思ったのは、クロアチア時代の彼の服装(普段着)です。彼はクロアチアの弱小チームに在籍し、しかもさほどの活躍が出来なかった時ですら、バリバリのブランド服を身に付けて街を闊歩していたんですな。そのテレビの取材の中でも「このブランドの服を俺以上に着こなせる奴はいない、と思って着るんですよ」と、彼は語っていました。淡々と、というよりは、むしろ不敵な笑いを浮かべながらそう語るカズの鋭い眼差しに、「キング・カズ」と呼ばれた男がキングとしてのプライドを懸命に支えようとしている、その壮絶な美学が一瞬ギラリと見えたような気がしました。そこには「ちゃらちゃらした、得意気な」奴とは無縁の、男一匹がいたんです。 考えてみればカズのサッカー選手としての経歴は、一見華々しいようで、実は敗北に満ちたものでもあったのではないでしょうか。「ドーハの悲劇」でワールドカップ出場を逃したこと。さらに次のチャンスでようやくワールドカップに出場できることになった時、無惨にも日本代表の座から外され、屈辱の帰国をしなければならなかったこと。自ら黄金時代を築き上げたベルディから放出され、京都パープルサンガ、さらにはJ2の横浜FCへと移籍せざるを得なかったこと。プライドの高い選手ですから、こういう人生の節目節目に、彼は口では言えないような辛い、悔しい思いをしてきたのではないかと、私は推察します。 しかし、こういう敗北の連続を真正面から受け止め、一度もうつむくこと無く、プロとしての矜持を見せ続けているカズは、ほんとにカッコいい男だなーと思います。今の彼の顔は、風格のある、ガッツのある、いい面構えですよ。やはり人間たるもの、敗北と屈辱の中でなお誇り高く、傲然と顔を上げることで、磨かれるもんですなぁ。 はじめに述べたように、今後、彼はオーストラリアのリーグでプレーをするのだそうですけど、ぜひ活躍をして、一度でも多くの「カズ・ダンス」を見せてもらいたいものだと思います。頑張ってよ! 応援してるよ!追伸: カズの話を書いていたら、ふと別なことを思い出しました。あれは、もう15、6年前のこと。当時東京で大学院生だった私は、小田急線で新宿に向かっていたんです。お昼頃のことでした。私の乗った各駅停車の電車は、急行に追い抜かれるため、向ヶ丘遊園駅で5分ほど停車しており、その間、私は閉まっている側のドアにもたれかかって、外を眺めながらぼんやりしていた・・・。 ところがそのうち、周囲に漂う異様な空気を感じた私は、ふと周りを見回したんです。すると驚いたことに私は、爛々と目を輝かせた女子高生の群にぐるりととり囲まれていたのでした。100人ぐらい居たでしょうか、とにかく半端な数ではなかった。 な、何だよ? どうしたんだよ!? (まさか、これみんな僕のファン!?) 一瞬そう思いましたけど、次の瞬間、真相が分かりました。私の反対側でドアにもたれかかっていたのが、カズと同じく当時ベルディの花形だった武田修宏選手だったんです。いやー、あれは居たたまれなかったですなー。早く発車してくれ! 次の駅で降ろしてくれ! という感じでした。 Jリーグ人気が今以上に凄かった時代の、忘れられないエピソードです。
November 7, 2005
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昨日の夜、突然、昔の卒業生から遊びに来たいとの連絡があり、今日は夕方からそいつらと会うこととなりました。 遊びに来たのは、私の勤務先の大学での最初の教え子であるOB2名。以前にもこの「お気楽日記」で紹介したことのある、私の大事な遊び仲間です。そのうちの一人、K君は、大学を卒業してから1年ほどカナダでワーキングホリデーの経験を積み、その後郷里・福井に戻ってそちらの会社に就職したんですが、その彼がたまたま会社の用事で名古屋に来るというので、昨日は学生時代の友人O君の家に泊まらせてもらうことにし、その流れで今日は二人で私のところに遊びに来た、という次第。 それでせっかく久しぶりに遊びに来るのですから、一つ面白いものを食わせてやろうと思い、今日は家から車で20分ばかりのところにあるトルコ料理の店に二人を連れて行く事にしました。「オリエンタルの青い月」というお店なんですけどね。トルコ料理って、シシケバブとか、ドンドルマなんかを除くとまだまだ日本ではメジャーではありませんが、日本人の舌には案外合う料理ですから。 ところがこのお店に行ってみると、日曜の夜であったせいか、もうお客さんで満杯。かなり待たないと座れないと言われてしまい、仕方なく今日のところは断念することに。お店の外までおいしそうな料理の匂いが漂っていたので、とても残念だったのですが・・・。で、結局プランBとして、同じエスニック料理であるインド料理の店に行くことにし、「ガンガー」というお店のある梅森というところに向かいました。ここは何度も行ったことがあるのですが、本格的なインドカレーが楽しめる穴場です。 ところが店に入ってみると、ここも日曜の夜ということで既に多くのメニューが品薄に・・・。店のご主人に「あれもない、これもない」と言われてしまいましたが、それでも何とか私と家内とゲスト2人分の料理は残っているとのことでしたので、今日はここで食事をすることにしました。残り物に福、ではないですけど、カレーもナンもうまかった。それに何と言っても、今日はタンドリーチキンがうまかったなあ! しかし食事のおいしさをさらに盛り上げてくれたのは、もちろん教え子の二人です。もう30代半ばになった二人は、社会人としても中堅どころの働き盛り。大学卒業後もそのまま大学の世界に留まっている私なんぞに比べたら、よほど立派な社会人です。そんな彼らの話を聞いていると、勤め人の世界は大変だなーと思いますが、そういう世界を生き抜いている彼らには、やはり学生時代とは違う逞しさが感じられ、かつて彼らを教えた者として、誇らしい気持ちがします。 ま、それはそうなんですけど、やはり昔の遊び仲間というのはいいもので、一緒に遊んでいた時代の話になると、これが盛り上がるんですわ。あんなこともあった、こんなこともあった、というわけでね。そういえば7、8年くらい前のことだったか、連中が大挙して私の家に遊びに来た時のこと。そんなに飲んでいたわけではないのに、K君が珍しく悪酔いし、急に具合が悪くなってしまったことがあったんです。大丈夫、大丈夫というK君の顔色があまりにも土気色だったので、これではとても帰せないということになり、私は彼を家に泊まらせたんですな。で、少し休ませて、大分症状が落ち着いた頃、彼がポツリポツリと話し出したところによると、当時彼が付き合っていた彼女とのことが色々あって、心身ともに疲れ切っていた時期だったことが判明。夜中まで付き合って、色々話を聞いてやった、なんてこともありました。いわゆる「腹を割った男同士の話」って奴ですわ。いやー、私も彼も若かったですからねー。ま、その後、彼はその彼女と無事結婚し、今では二人の子供に恵まれ、現在マイホームを新築中というのだから、人に歴史ありって感じです。 一方、O君の方はいまだに独身生活を堪能中。どうなの、その辺? と尋ねると、今はまだ全然結婚する気はないとのこと。とは言え、男30代半ばといえば結婚するにはいい齢ですから、周囲からは色々言われるのだそうです。しかしその言われ方には2種類あって、「なんで結婚しないの。結婚した方がいいよー」と盛んに勧める人と、「独身か、羨ましい!」と言ってくれる人の2種類に分かれるのだとか。で面白いことに、家庭生活に問題を抱えている人ほどやたらに結婚を勧め、円満な家庭を築いている人ほど「独身のままでいいんじゃない?」というのだそうです。おお、なるほど! そういうものかも知れませんな。O君は学生の時から人間観察の鋭い奴でしたけど、これなんかもいかにも彼らしい観察です。 ちなみにK君も私も「独身のままでいいんじゃない? 結婚したらしたで大変よ」と口を揃えて言いましたので、どちらの家庭も円満ということになりますなぁ、あっはっは。しかし、ふと気が付くと家内が私を睨んでおりました。「何が大変なのよ!」ということでしょうか。やばい! うっかり口を滑らしたことで私の家庭に不和が生じたら、O君、恨むよ~。 さてさて、そんな感じで短くも楽しいひと時を過ごさせてもらった後、二人は帰って行きました。それぞれ仕事も忙しいし、この次、いつ会えるか分かりませんが、ま、それが男の友達の別れ方ってもんでしょう。それぞれの場所で、元気にやっていてくれればいい。それで時々私のブログを覗きに来て、釈迦楽先生が相変わらず妙なこと言っているよ、とでも思ってくれればいいですわ。 ということで、今日は懐かしい友人たちの顔を見、互いに心置きなく話をすることが出来て、なんとも幸せなワタクシなのでした。今日も、いい日だ。
November 6, 2005
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今日もまたずっと卒論の添削ばっかり。 ま、それなりに熱中してやったのですが、夕方になってさすがに退屈してきたので、今日の夕食は私が中心となって作ることにしました。たまーに料理をするっていうのは、いい気分転換になりますからね。 で、今日のメニューはと言いますと・・・ 鴨キノコ鍋です! ま、別にそういう名前の鍋のレシピがあるわけではなく、インスピレーションで作っているだけですが。 要するに今日は鴨肉の鍋ということにし、後はとにかく沢山のキノコを入れる、というのをコンセプトにしたんですね。鴨肉が近所のスーパーにあるかどうか不安でしたが、行ってみると運良く鍋用の鴨のモモ肉がありましたし。よしよし、これでコンセプト通りの鍋が出来るぞ! ということで大根・ニンジン・牛蒡・白菜・油揚げ・シラタキ・鴨肉、それにエノキタケ・マイタケ・シメジ・アワビタケ(初めて食べました)を具材に、味噌仕立ての鍋にしたわけですけど・・・ うまーい! 鶏肉よりも歯ごたえのある鴨肉もうまかったですけど、むしろ今日の鍋の主役はキノコ。味と香りの異なる4種類のキノコが、それぞれ個性を発揮しつつ味噌味のスープにコクを与えてくれて、いやーなかなかうまかったですよ。味噌味の鍋には欠かせない牛蒡もいい風味を出してくれましたしね。それにお腹いっぱいになってしまって、シメに用意していたうどんも結局食べられなかったので、カロリー的にはものすごく低い夕食となったはず。ダイエットにもなったんじゃないでしょうか。それに、狙い通り、いい気分転換になりましたし。 さて、それではこれから少し食休みをした後、もう少し卒論の添削の続きをするとしますか。ゼミ生たちも首を長くして待っているでしょうから。 それでは、また明日!
November 5, 2005
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毎年そうなんですけど、11月の声を聞くと忙しくなってくるのが、卒論指導という重責です。 卒論の作成というのは、4年間の大学生活の総仕上げみたいなものですから、自分のゼミの学生たちにはなるべくいい論文を書いてもらいたいと思う。で、そのためにはなるべく早く書き出してもらうことが一番なんですけど、これがなかなか難しくて、いくらこちらがお尻を叩いても、学生はなかなか最初の一歩を踏み出そうとしないんです。多分、「いい論文を書かなくてはならない」というプレッシャーが、学生を怖じ気づかせるんでしょうな。 でも、どうあがいても年明けには提出期限が来るわけですから、どの道、そろそろ書き出さなくてはならないわけで、私のゼミ生たちもこのところようやく重い腰を上げ、私に書きかけの論文をメールで送ってきては、添削を頼んでくるわけ。というわけで、今日もゼミ生から頻々と送られてくる書きかけ論文を読んでは、添削し、送り返す、読んでは、添削し、送り返す・・・と、そんなことをずっと繰り返していました。やれやれ、もっと早い時期に少しずつ送ってくれよ! 何で皆、一斉に送って来るんだよ! ま、そんなこんなで人の書いた文章を直すので忙しくしていたもので、夕食後は何だかもう仕事をする気が失せ、ついついNHKの衛星放送でやっていた『ガントレット』(1977)という映画を見てしまいました。クリント・イーストウッド監督・主演の作品です。 実はこれには裏があって、昨夜遅く、同じくNHKの衛星放送で「クリント・イーストウッド自らを語る」という番組を見てしまったんですね。今や老俳優となったイーストウッドですが、この番組の中で彼がインタビューに受け答えをしているのを見ると、やはりカッコいいんですな、これが。ま、その好印象があったもので、今日、『ガントレット』を放映しているのに気づき、ついつい最後まで見てしまったというわけ。 これ、どういう映画かと言いますと(ネタバレ注意!)、アリゾナ州のしがない刑事のイーストウッドが、ある時、一人の女囚を護送する役目を言い渡されるんです。で、何の迷いもなく、彼はこの職務を遂行しようとするのですが、その途中、何度もその女囚と共に殺されそうになってしまう。実はアリゾナ州の警察庁長官がマフィアとつるんでいて、そのマフィアから娼婦を供されていたんですが、その娼婦というのが、今イーストウッドが護送しようとしている女囚なんですね。で、彼女が裁判で証言をすると、警察庁長官がマフィアと結託していることがバレてしまう。そこで長官自ら州警察に命じ、警官殺しの汚名を着せたイーストウッドもろとも、この女囚を殺してしまおうとしていたんです。 ま、女囚護送の職務を口実に、イーストウッドはいわば捨て玉にされてしまうのですが、このことに気付き、憤った彼は、何が何でもこの女囚を裁判所まで連れて行くことを決意するんですね。かくして、アリゾナ州警察が手ぐすねひいて阻止しようとしている中、果たして彼は彼女を裁判所まで連れて行けるのか? というのが、この映画の見どころとなるわけ。 面白そうな話でしょ? でも結論から言って、この映画に対する私の点数はと言いますと・・・ 61点です! 残念でした!! だって、リアリティないんですもん、すべてにおいて。大体、マフィアの親分にあてがわれた娼婦と一晩過ごしたくらいのことで、身内の警察を総動員し、何人もの人を殺すようなことをしてまで彼女の口封じをするでしょうかね? そもそもその娼婦は、直接長官の顔すら見ていないのですよ。それに、州警察を総動員して派手な銃撃なんかさせたら、あとの責任を問われるだろうし、その方がよっぽどもみ消しが大変だ。 それから同僚の州警察と対決するイーストウッドも、もう少しましな対決の仕方がありそうなもんですわ。たとえば、最終的に彼はバスを乗っ取り、それで市庁舎に突入を計って、警察から一斉射撃をくらうのですけど、もし私がイーストウッドだったら、バスを乗っ取った段階で、一般市民をバスに乗せたまま市庁舎に突っ込みます。もちろん事前にテレビ局に連絡してね。そうすれば、警察からの一斉射撃なんか受けるはずないのに。 その他、彼がこの映画の中で取るどの行動も、「私ならそうはしない」というものばかり。また逆に長官や州警察の側の行動も不可解至極。だもので、どうも映画を見ていても乗り切れないんですよねー。 結局、イーストウッドは、大型バスが道の両側に並んだ何十人もの警察官から蜂の巣にされる壮絶なシーンが撮りたかったんだろうな、とは思いますし、だからこそこの映画のタイトルが『ガントレット』(罪人を両側から鞭打ちにする刑罰のこと)なんだろうとは思いますが、そのシーンに至るまでのリアリティがなさすぎて、どうにも入り込めない・・・。聞くところによると、イーストウッドはサム・ペキンパー監督を崇拝していて、ペキンパーばりの銃撃シーンをこの作品で実現したんだそうですけど、そんなこと言ったって、ねぇ・・・。 この映画見てて、私が唯一感心したのは、一番最初にイーストウッドがループタイをして画面に登場してくるシーンです。ループタイ・・・。日本だと定年を迎えたお父さんが、ネクタイ代わりに身につけるもの、というイメージがありますが、イーストウッドのループタイ姿、めちゃくちゃカッコいいですよ。そこで映画を見ながら私もつい「僕もループタイ買おうかな」と言ったら、「カッコいい人が身につければ、どんなものでもカッコいいのよ」と家内に言われました。だから? だから何? ということは、私が身につけたらどうなのよ? カッコいいってことでしょ? ・・・・エヘン。ま、それはともかく、こう言うと、多分身も蓋もないことになっちゃうんですけど、クリント・イーストウッドの監督作品って、結局ロクなのないんじゃないかな。少なくとも私が見た彼の監督作品で、良かったと思うものは一つもないです。その割に彼の監督作品に対する世間の評価は高いですよね。私にはそれが不思議で仕方ないんですけど。 というわけで、やっぱりイーストウッドは、マカロニウェスタンと『ダーティーハリー』に尽きるなぁと、あらためて確信してしまったのでした。 ところで、最初に言いました通り、今週末、私は右からも左からも押し寄せるゼミ生の論文の添削攻めに苦しめられることになっています。つまり・・・ ワタクシの方がイーストウッドより、よほど「ガントレット」状態ですからーー! 残念!! (いまだにこのギャグ使ってるのって、多分、日本で私だけだろうな・・・)
November 4, 2005
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今日は一日かけて、共著として出版する本の校正の仕事をやっていました。 前にも書きましたが、私は自分の書いた原稿を時間をおいて読み直すのがあまり好きではありません。しかし「校正」という仕事自体は、さほど嫌いではないんです。というか、むしろ好きな方と言ってもいいかな。事実、誤字・脱字などを見つけるのは割と得意です。 私にとって「校正」の仕事のどこが好きかと言いますと、この仕事が持つ本質的なポジティヴさです。何しろ原稿の中に潜んでいる誤字ひとつ、脱字ひとつ見つけて訂正すれば、それはたとえ小なりといえども、確実に「完璧」に向かって一歩前進したことになりますからね。良い方向に確実に前進したと体感できる経験って、実人生の中でそう沢山はないもんですよ。 ま、そうは言っても「校正、恐るべし」という言葉があるように、校正というのはなかなか気の抜けない作業ではあります。初校で見逃し、再校でも見逃し、3校になってようやく文中の誤りに気づくなんてことはいくらでもありますから。今回私がやっていたのは再校の作業だったのですが、初校の時に見逃していた誤りを3ヶ所ほど見つけました。ふーっ、危ない、危ない。 で、今回の作業はこんなものだろうという見切りをつけ、出版社への返送用封筒に入れて封をしてしまえば、これで仕事は一段落。今回は3校までとるらしいですが、それが済めばいよいよ出版ということになります。待ち遠しいな! さて、そんな感じで今日一日の仕事を終えた後、私と家内は名古屋市の郊外、「覚王山」というところにあるフランス料理のお店、「ラ・メゾン・ブランシュ」に向かいました。今日はここでちょっと豪勢にディナーをいただく予定だったのです。 と言いますのも・・・実は今日は我ら夫婦にとって「結婚記念日」だったのです。ひゅー、ひゅー!! もう6年前のことになりますが、私たちはこの「ラ・メゾン・ブランシュ」を借り切って、レストラン・ウェディングをしたんです。親がかりではなく、自分達に出来る範囲で披露宴をやりたかった私たちにとって、高級ホテルを使った披露宴なんて端から考慮の外でしたし、かといって「いかにも」な結婚式場を使うのも嫌だった。で、郊外にあるちょっと洒落たレストランを借り切り、そこでゲストの皆さんをもてなすというのは、私たちとしてはリーズナブルな選択と思えたんですね。実際、お料理にしてもそこら辺の高級ホテルよりよほどおいしいものを出してくれましたし、結果としてなかなかアットホームな感じのいい披露宴になったと思います。 それ以来、何かお祝い事にあったりする度に・・・と言ってもごくごくたまにですが・・・このお店に食べに行くのですが、店長さんが私達のことを覚えていて下さって、通常のサービスの他に、何かプラスアルファのサービスをして下さるんです。 で、今日は結婚記念日と言うこともあり、ちょっと奮発してお値段高めのコースをいただいたのですが、「鹿肉と洋梨と根セロリのタルタル仕立て」「帆立貝と茸のグラタン」「南欧風オニオンスープ」「牡蠣とアンコウのムニエル」「ジャスミンティーのグラニテ」「牛ホホ肉のシチュー(家内はステーキ)」と続くお料理のどれもこれもが最高においしかった! ところが、料理がすべて出揃って、後はコーヒーとデザートの盛り合わせを待つばかりという状態になった時のこと。何だかすーっと店の照明が暗くなり、何やら華やかなBGMが鳴り出したんですね。おや、どうしたのかな? と思っていると、店の奥の方からローソクを立てたケーキを恭しく捧げ持ったウェイターさんが私達の方に向かって静々とやってくるではありませんか! 店長さんがまたいつものように気を利かせて、結婚記念日を祝う我々夫婦にちょっとした演出のプレゼントをして下さったんですね。おかげで他のテーブルのお客さん達も私たちのためにお祝いの拍手をしてくれて、嬉しいやら照れるやら・・・。 しかし一番嬉しかったのは、お隣のテーブルに座っていた賢そうな顔をした可愛い坊やがちょこちょこっとやってきて、「おめでとうございます!」と言ってくれたこと。この坊や、どうやら4歳の誕生日を祝うため、ご両親やお祖父様、お祖母様と一緒にこのお店に来ていたらしく、ちょっと前にやはり同じようにお店の方の粋な演出でケーキを運んでもらって、私たちを含め、周りのお客さんたちから祝福の拍手をもらっていたんです。で、その時も後で私たちのテーブルまでちょこちょこやってきて、可愛らしくペコリとお辞儀をしながら「有り難うございました」なんて言いに来てくれたんですけど、今度は我々が祝われる番になったものだから、もう一度「おめでとう」と祝福を言いに来てくれたわけ。でまた可愛いことに、この坊や、我々に「有り難う」を言ったり「おめでとう」を言ったりする度に、すっかり照れてしまって、自分のテーブルのところに駆け戻るや、お母さんの胸に顔を埋めてしまうんです。その仕種がまた、ほんと可愛い! で、この坊やのご家族がまた皆、上品ないい方たちで、我々より一足先にお帰りになったのですが、帰る時に私たちのテーブルにちょっと寄って行って下さり、あらためて私達の結婚記念日を祝福していって下さったんですね。いやー、袖触れ合うも他生の縁と言いますが、見ず知らずの方から心温まる言葉をいただいて、何だかとても嬉しかった。今日はお料理も、お店のサービスも最高でしたけど、可愛い坊やとそのご家族の方とのほんの一瞬の出会いが、何とも言えず、いい思い出になりました。 ということで、今日は仕事の面でも一区切りがつき、また「ラ・メゾン・ブランシュ」でとても気分よく結婚記念日を祝うことが出来た一日となったのでした。今日も、いい日だ!
November 3, 2005
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いやー、恐ろしいですなー、母親毒殺未遂事件。昨日見た映画『シンシティ』に出てきたサイコキラー、ケビン君も不気味でしたけど、自分の母親に毒を盛り、中毒していく様子をじっくり観察してブログに書き込んでいた女子高生となると、ケビン君顔負けじゃないですか・・・。もちろん、もしこの容疑が真実だったとしたら、の話ですけど。 第一、ブログをそんなことに使わないで欲しいですなー。ブログに対する世間のイメージがどんどん悪くなるばっかりだ。ちゃんと使えば、可能性の多いメディアであるはずなのに。 ま、そのことはひとまず措くとして・・・。 自分でもこのニュースを見、それについて書いておきながらこう言うのも何ですが、この種のニュースって、そんな細かいところまで報道しなくちゃいけないんでしょうかね? 私だってそんなに興味をもってこのニュースを見守っているわけではないですけど、それでも「タリウム1グラムで人が殺せるんだ」とか、「この毒物、案外簡単に手に入るんだ」とか、「この毒で中毒すると、髪の毛が抜けるらしい」とか、そういう、いらんことまでつい耳に入ってきてしまう。 結局、メディアがそういう余計なことまで報道するから、「自分もやってみよう」などと考えるような馬鹿な奴が、いずれまた出てきたりするんじゃないですか? 嫌だねー。 でも、それも無理ないですよ。この種の報道って、いわば犯罪の手口を手取り足取り指南しているようなもんですもん。このブログでも前に一度触れましたが、この種の犯罪の報道は、何らかの規制をした方がいいんじゃないのかなぁ・・・。無論、「報道の自由」との兼ね合いがあって難しいのかも知れませんが、その辺、「社会を良くする」という大義を優先して、うまくやれないですかね。 あるいは、すっごく善良な子供のニュースなんかをがんがん流して、犯罪関係のネガティヴなニュースを「中和」するのはどうか知らん。「今日夕方、渋谷のスクランブル交差点で、どこどこ中学の誰それさんが、つまずいて倒れていたお婆さんを助け起こし、何と向こう側まで背負っていってあげたそうです!」とか、そういうポジティヴなニュースを嫌と云うほど流すわけ。「どういう人間がいい人間なのか」というモデルのないことが、今、日本で無軌道な少年犯罪が頻発している、その下地になっているのだとすれば、こういう報道も少しは役に立つかもしれませんよ。 ・・・なんて、そのうちほんとに「善良な子供」の存在がニュースのネタになるような時代がやってきたりして・・・。 一方、逆に規制緩和してもらいたいのが「個人情報保護法」です。こいつのおかげで苦労させられている人、多いんじゃないでしょうか。 私個人のレベルで言うと、まず困るのは各種「名簿」が手に入らなくなったこと。今まで当然のように存在していた「職員名簿」とか「学会名簿」などが、この法律のおかげでどんどんなくなっているのですが、こういう名簿って、無くなってみるとすっごく不便なんですよね。私も仕方なく2年くらい前の名簿を今だに使っていますけど、職場の配置が変わったり、所属や連絡先が変わったり、というのが結構あって、2年前の名簿じゃ役に立たないことが多い。 またチャリティの仕事をしている人の話なんかを聞いても、地域に住むお年寄りのデータがなかなか手に入らないので、せっかくその方たちの役に立とうという企画もなかなか実行できず、あちこちで頓挫しているとか・・・。そういうのって、本末転倒ですよね。 報道しなくてもいいようなことがやたらに報道されているかと思えば、必要な情報には規制がかかって思うようにことが進まなくなっている現在の日本の情報管理のあり方には、矛盾がある! ・・と私は思います。ほんと、何とかして!
November 2, 2005
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今日は1日、映画の日。すなわち1000円で映画が見られる日です。 だから、というわけでもないんですが、今日は仕事の合間を縫って映画館に駆け込み、『シンシティ』を見てきました。この映画、案外評判が悪いのか、明日で上映が終わってしまうんです。ですから私としてはもう今日くらいしか映画館で見るチャンスがなかったんですね。以下、その感想を書きますが、ネタバレですので、ご注意下さい。 この映画、全編白黒、部分的にカラーといういかにも「アメコミ」っぽいというか、「ノワール」っぽい特殊な映像で綴られた3つのエピソードから成りたっています。で、最初のエピソードは、あの伝説の「猫パンチ」事件以来、日本の映画ファンの前から姿を消した感のあるミッキー・ローク演じるマーヴという男の物語。荒んだ生活ゆえに商売女さえ寄りつかないほどの醜悪な顔になってしまったマーヴは、ある時、高級娼婦のゴールディと出会い、初めて女の優しさに触れるんですね。ところが、一夜限りの出会いの末、ゴールディは何者かに殺され、マーヴはその罪を着せられてしまう。危うく警察の追跡を逃れたマーヴは、ゴールディの復讐を誓い、ついに彼女を殺したサイコキラーのケビン、そして彼の後ろ楯となっていた悪の街「シンシティ」の黒幕たるロアーク枢機卿にたどり着く。自らの身を賭して彼らに壮絶な復讐を果たそうとする彼の運命や如何に? 2番目のエピソードは、シンシティの一画にある「オールド・タウン」を舞台に繰り広げられます。ここは女性達が自衛する歓楽街。警察との間に暗黙の契約があって、警官とトラブルさえ起こさなければ自治が許されていた。ところが、ここの娼婦にからんできた警察官、ジャッキー・ボーイ(ベニチオ・デル・トロ)を、同地区の用心棒ミホが殺してしまったため、警察(あるいはその背後にあるギャング)との戦争状態になってしまうんですな。主人公ドワイト(クライブ・オーウェン)は、昔の恋人で、今はオールド・タウンを取り仕切るゲイルを守るべく、オールド・タウン側に加担し、警察(ギャング)との対決に臨むことに。さて、ドワイトとゲイルはこの戦争を生き残れるのか? 3番目のエピソードはブルース・ウィリス演じる警察官、ハーティガンの物語。定年を翌日に控えていたある日、シンシティを牛耳るロアーク上院議員の息子ジュニアの餌食になりかけていた11歳の少女ナンシーを救い、ジュニアに深手を負わせた彼は、自らも瀕死の重症を負うことに。しかし、命は取り留めたものの、息子を化け物のような存在にされてしまったロアーク上院議員の怒りはすさまじく、ハーティガンは8年間もの間、独房で痛めつけられることになってしまいます。しかし毎週のように彼の独房に偽名で手紙を送ってくるナンシーの存在が、ハーティガンに自殺を留まらせるんですね。ところがそんなナンシーの手紙が急に途絶えたことからハーティガンの心は千々に乱れるんです。で、彼女の無事を確かめたい一心で、彼は犯してもいない罪を自白し、前科者として独房から釈放されることを選ぶわけ。ところがこれがジュニアの罠だったんですな。ナンシーの居場所を訪ねたハーティガンの跡をつけたジュニアは、シンシティーのストリップ・バーの踊り子となっていたナンシーをついに見つけ出し、8年前に果たせなかった汚れた欲望を果たすべく彼女を誘拐するわけ。さて、この危機的状況の中、ハーティガンはナンシーをジュニアの魔の手から救い出すことが出来るのか? とまあ、悪のはびこる街・シンシティを舞台に3つのエピソードが展開されるわけですけど、結局これら3つの物語は、どれをとっても「男が自分の惚れた女のために、悪の組織と対決し、その復讐を果たす、もしくは彼女を守りきる」という話になっているわけ。そのために自らの命は顧みないというのですから、現代版の騎士伝説と言っていい。あるいは、究極のロマンスというべきか・・・。 いずれにせよ、図式としては悪玉対善玉(というほど善玉でもないですが)の勧善懲悪ですから、確かにところどころ(いや、頻繁に)刺激の強い映像が出てきますけど、全体として見ると案外爽快感のある映画ですよ。それに映像自体が基本的にブラック&ホワイトですから、バイオレンス・シーンもある程度残虐感が割り引きされますし、タランティーノ的演出によって、残虐シーンにもギャグっぽいニュアンスが加わっていますからね。特に第1のエピソードのマーヴ(ミッキー・ローク)は良かった。猫パンチの汚名をこれで少しは雪いだのではないでしょうか。 で、少なくとも日本ではあまり芳しい評判を聞かないこの映画に対する私の印象評価はと言いますと・・・・ 73点です! ま、こんなもんでしょう。70点越えていれば、鑑賞に耐えるということですから、私としては結構高い点をあげたつもりなんですが。万人におすすめ、というわけではないですけど、悪の街、女を守る男、騎士道精神、・・・というようなアメコミ・ノワールの雰囲気に乗れる人であれば、決してつまらない映画ではないんじゃないの? と言っておきましょう。 さて、今日はつい仕事の途中で映画を見に行ってしまいましたが、そのおかげで今日明日中に仕上げなければならない校正の仕事がかなり厳しい状況になってしまいました。さ、これからは私が私の家内を路頭に迷わせないために、命懸けの仕事をする番です。おーし、クールに決めるぜ。ほいじゃ、読者の皆さん、あばよ!
November 1, 2005
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