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今日は所属する大学で、「卒論中間発表会」というのがありました。 これ、読んで字のごとく、卒論執筆中の4年生が、それぞれ現時点での卒論の進行具合を報告する会なんですけど、他のゼミと合同で行うので、必然的に「ゼミ対抗戦」みたいな様相を呈するわけ。で、学生たちの発表レベルの高低は、結局、各ゼミの指導教員の指導力の高低を反映するわけですから、私としても、他のゼミには負けたくない。「さすが釈迦楽ゼミの学生たちは違う」と、見せつけたいわけですよ。 というわけで、釈迦楽ゼミの学生たちには、この種の発表会でのプレゼンのやり方を前もってばっちり指導しておいたわけ。 とりわけ厳しく指導したのは「発表時間厳守」の原則。5分間の発表時間が与えられているのであれば、4分55秒から5分5秒の間、つまり誤差10秒以内で絶対に収めろと厳命しておいたんですな。そして、そのためには、きっちりした朗読用の原稿を用意し、事前に何度も時間を計りながら下読みしろよと。さらに、一方的にプレゼンするのではつまらないので、時にはオーディエンスに問いかけるような部分も作り、聴衆を飽きさせないようにしろ、というようなアドバイスもしておいたという。この辺は、学会発表百戦錬磨のワタクシが長年の経験で培った「プレゼン・ノウハウ」の秘技伝授というところ。 で、本番の発表会が始まりまして。 まあ、こう言うと身びいきになりますが、我が釈迦楽ゼミ生たちの完璧に統制のとれたパフォーマンスは、他のゼミの学生たちを圧倒的に凌駕していたのではないかと。この辺の、大事な場面での集中力に関して、私のゼミ生たちは他の連中とは段違いですからね。 ということで、今日は我がゼミ生たちの素晴らしいパフォーマンスのおかげで、私も鼻高々。今日ばかりは、ゼミ生たちを褒めちぎりたいワタクシなのであります。よくやった、でかした!
October 31, 2012
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10月の頭ごろ、「10月ってこんなに暑いんだっけ?」と思っていた記憶がありますが、10月末の今となっては「10月ってこんなに寒いんだっけ??」という感じ。ひと月のうちに夏から冬に変化した、という観がありますなあ。よく「日本には四季がある」なんて自慢げに言う人がいますが、そんなの大ウソで、正しくは「日本には基本的に二季(夏と冬)があり、その両者の合間に『0.1季』くらいのが挟まる。それらは便宜上、『春』とか『秋』と呼ばれる」ですな。 さて、そんなことはさておき、お笑い芸人の鉄拳のパラパラアニメが素晴らしい、というので、私も見てみたのですが、確かになかなかよろしい。シンプルな構成ですけど、「人生の振り子」という概念が、実際の「振り子」として表現されるアイディアもあって、つい熱心に見てしまい、その中で繰り広げられるドラマに見入ってしまうんですよね。音楽もいいですしね。 こういうものを見つけると、つい「おすすめ!」したくなってしまうワタクシ。まだ見たことがないという方、是非、3分少々のお時間を費やして、鉄拳の作品を鑑賞してみてください。教授のおすすめ!です。鉄拳作『振り子』動画
October 30, 2012
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ひゃー、名古屋に戻って参りました~。 と言っても、転んでもタダでは起きないワタクシ。ちゃんと楽しむことは楽しみましたよ。 そう、帰りがけに実家近くのコストコに寄って、しこたま買い物をしてきたのでございます。 会員制のこのお店、卸売り価格で大量のモノを売ってくれるのですが、今日もばっちり大量買いしてきました。例えば石鹸を買うにしても、ラックス30個セットとかですからね。電池とかも24個入り。その他、イタリアの生ハムにギリシャのチーズ、ハワイのライオンコーヒー、スパム缶詰6個セット、レイズ(ポテチ)の超ドデカパック、ハーシー「クッキー&クリーム」の特大パック等々、2万円近く買っちゃった。だけど、何しろ量が多いので、ものすごくお買い得。 もちろん、コストコのお楽しみ、180円のホットドッグも食べましたぞ。これ、めちゃくちゃ旨くて、しかもお代わり自由のソフトドリンク付よ。 で、物量から来る妙な幸福感と共に、名古屋まで4時間のドライブ! で、7時半頃名古屋の自宅に到着したものの、夕飯を作るのが面倒臭くなったので、結局、家の近くにある「CoCo壱番屋」にてカレーを食すことに。今、ちょうど牡蠣のシーズンということで、トッピングは牡蠣フライをチョイス。これまためちゃ旨でした。 ってなわけで、しばしの現実逃避を終え、名古屋に戻った私。明日からはまた辛い現実に再突入でございます。ま、嫌な仕事をするから、給料もらえるんですけどね~!
October 29, 2012
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今日は某所で学会があり、それに参加してきました。 っていうか、本来であれば私もこの学会を運営面で支える義務があるのですが、家が名古屋にあるのをいいことに、あれこれ不義理していたら、土壇場になって今日の学会の「閉会の辞」を述べる役を割り当てられてしまったという・・・。開会の辞であれば、「皆さん、今日も張り切って参りましょう!」と言えば済むわけですが、閉会の辞となると、一応、今日一日の成果を軽く総括しないとまずいので、ということは、研究発表からシンポジウムまで真面目に聞いていないといけないので、結構、気が重い役なんですよね・・・。 だけど、これまで不義理を重ねて来たのだから、今日位は、と思い、頑張ってメモを取りながら研究発表やシンポジウムを真面目に聞いておりましたよ。 で、そのシンポジウムなんですが、今回のテーマは「言葉の有効性(チカラ)」というもの。時に有力な武器にもなり、時にウソにもなり、時に不信を招くものともなる、いわば諸刃の刃という言うべき「言葉」を巡り、様々な事例をもとに考えて行こうというもの。 で、3人のパネリストの先生方が登壇して、それぞれのご研究の成果を発表されたのですが、私にとって一番興味深かったのは、元イギリス首相、トニー・ブレアの政治的言説を巡るご発表でしたかね。 で、その方のご発表によりますと、トニー・ブレアって、ものすごく言葉が上手い人だったんですってね。それまでの政治家、それまでの歴代首相とは違って、上から目線の発言ではなく、本当に親しい友人のような口調で国民に語りかけるようなところがあり、その点ではある意味、画期的な政治家だったらしいんですな。ご発表された方も、仕事で首相時代のブレアさんに直接インタビューしたことがあるそうですが、しっかりとこちらの目を見て、いかにも親しげに話しかけてくれるので、すごく印象が良かったと。 ところが、そのブレアさんが、イラク戦争の時に大失敗をする。 当時のイギリスは、アメリカと協調し、「イランが大量殺戮兵器を保持している」として、イラク戦争を始めたわけですが、そのことの是非を国民に問うた際、ブレアさんは熱のこもった名スピーチをしたというのですな。で、その「言葉のチカラ」で、イラク戦争へのゴーサインをイギリス国民から分捕った。 ところが、その後、どうやらイラクにはもともとそんな兵器はなかった、ということが明らかになってきたと。 つまり、結果から言えば、ブレア首相は、誤った情報を元にイギリスを戦争に駆り立てたことになるわけですな。となると、問題となるのは、「果してブレアは、この情報が誤りであることを知っていた上で、政治的判断から、あえてウソをついたのか、それとも本当にイラクに殺戮兵器があると信じていたのか」ということになるのは当然でしょう。 で、この件についての真実をさぐる委員会が作られ、ブレアさんも証言台に引き出されるのですが、彼は「当時はそれが真実だと思っており、最前の判断をしたまで」の一点張り。 で、結局、彼からはそれ以上のことは引き出せず、彼を罪に問うというようなことは出来なかったのですが、この件がきっかけとなって、イギリス国民の間に「政治家の言説への強い不信」が広まってしまったと。 つまり、言葉というのは、それが力強ければ戦争をも正当化できるし、またそれがウソと分かれば、底なしの不信感を生み、その結果、自らを無力なものにしてしまう、ということですな。 ところで、そのブレア元首相の巧みな弁舌の逆効果によって、イギリスに広まった政治不信ですが、今、また少しずつ、回復の兆しが見え始めていると、その講師の方は指摘されていました。というのは、今、イギリスでは、「政治の言葉を国民のもとに取り戻そう」という運動が起こり始めていて、政治家が弄するようなウソ八百の言葉ではなく、一般庶民と同じ感覚で、本当のことを語る政治家を、議会に送り込もうではないかという動きがあるというのです。失われた政治的言説への信頼性を、もう一度取り戻そうという動き。これは、言葉に、言葉本来のチカラを取り戻そうという動きに他ならない。 ま、そんなようなお話でございました。 日本に居て、日本の政治家の発言を聞いていると、もう、誰も彼もが嘘臭く、政治的言説の価値なんてものは地に堕ちっぱなし、もはや日本人の誰もが政治家なんて信用していなくて、それでも何となく日々が動いて行く、という感じですけれど、イギリスではそれでもまだ、言葉への信頼が、そこまで地に堕ちてはいないのかなと。 日本なんて、今や誰も「何が正しいか」なんてことを気にしないですからね・・・。例の森口某が長年に亘ってウソを言い続け、それが大新聞に報道されても、誰もそれがウソだということを検証しないわけですから。真実だろうがウソだろうが、おかまいなしに素通りさせてしまうんですから。 ま、そんな日英の比較も含め、色々考えさせられることがありました。 で、今回のシンポジウムで私が勉強させていただいたことなども適宜盛り込みながら、とりあえず閉会の辞を述べる大役も果たして来たと。ひゃー、ようやく気の重い役目から解放されて、心も晴々〜! かくして、短い東京滞在も今日で終わり。明日はまた名古屋に戻ります。明日からはまた名古屋発のお気楽日記、どうぞお楽しみに〜!
October 28, 2012
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ひと月ほど前、実家のファックス兼電話機が壊れたようで、どうすればいいか、両親から電話で相談がありまして。どうすればいいも何も、壊れたなら新しく買うしかないわけですけど、そういう場合でも、年寄り二人では、どういうのを買ったらいいか分からないらしいんですな。 とはいえ、ファックス選びのためだけに帰省するわけにもいかないし、適当にやって下さいと言っておいたら、どうやら適当にやったらしい。近所の小さな電気屋さんに頼んで、見繕ってもらったんですな。 ところが、その後、電話で様子を聞くと、何だか変なことを言うわけ。誰かからいきなりファックスが入って来ても、そのファックスを受け取れない、とか言うんですわ。「だって、紙をセットすると蓋が閉まらないんだけど、説明書には『埃が入るから普段は蓋を閉めておけ』と書いてある。だから普段は紙をセットしないでおくので、ファックスが受け取れないのよ」と。 は? 何の話? で、色々尋ねても、両親の説明ではよく分からない。そこで、今回、学会がらみで帰省した折に、ワタクシがちゃんとセッティングをしてあげようと思ったわけ。 ところが。 帰省して新しいファックスの実物を見て驚いたのですが、両親の言う通りだったんです。 つまりね、以前使っていたファックス機と違って、ロール紙じゃないんですな。電気屋が持って来たその機種は、普通紙をセットするようになっているんです。これなら確かに、紙を差している状態だと蓋が閉まらず、埃がたまって故障の原因になる。かといって、蓋をすると、紙がセットされていない状態なので、急なファックスには対応できないわけですな。あらかじめ「ファックスしますから」という電話をもらってから、それってんで、どこかから紙を持って来てセットする。そういう手続きを踏まないと、ファックスが受け取れないわけ。だけど、ファックスを送る前に、「送りますよ」と連絡を入れて来る人ばかりじゃないですからねえ。その場合は、ファックスを受け取れないと。 何だこれ? 全然ファックスの機能を果してないじゃん? ひゃー、電気屋に騙されて、使えない機種を買わされたんじゃないの? くそう! 年寄りだと思って馬鹿にしやがって。ようし、わしがこんなもん突っ返してやる! と、思ったのですが。 色々調べたら、今、ロール紙のファックスって、あまり売ってないんですってね。ロール紙タイプのファックスだと、受け取ったファックスの紙が丸まったり、時間が経つにつれて文字が読みにくくなったりするので、普通紙にインクで印字するタイプのファックスにとって代わられたのだそうで。 ふうむ。そうなのか。知らなかった。 しかし・・・。しかし、普通紙タイプのファックスって・・・むしろこっちの方が使いにくくないか?! ロール紙タイプのファックスの方がいい、という人だっているんじゃないの? 名古屋の自宅で使っているファックスは、ロール紙タイプのもので、私としてはまったく問題なく使っているのですが、もしこれが壊れたら、私も普通紙ファックスを買わなくちゃならないのか・・・。嫌だねえ! ロール紙のがいい! 新しい機種が出れば、その分便利になるというのが、消費者の当然の期待であるわけですが、そういうふうにならないこともある訳だねえ・・・。なんか、納得できないなあ。我が家はともかく、他のご家庭では、ロール紙ファックスから普通紙ファックスへの切り替えについて、どう思っているんだろう? よその家では、普通紙ファックスを大歓迎しているのかしら? その辺、読者諸賢のご意見やいかに。--------------------------- 後記: その後、この手のファックスは、受信した内容をメモリーに残し、後で紙に印刷する仕組みになっていることに気付きました。 しかし、それにしても、そういう仕組みは、高齢者にとって、理解するのが難しいものであるのも確か。やはり、黙っていても紙が出てくるロール紙のシステムの方が、使い易いという人は居るのではないでしょうかね。
October 27, 2012
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日曜日に東京で学会があるため、今日は実家に戻りました。 で、途中、新東名のサービスエリア「ネオパーサ清水」に初めて立ち寄ったのですが、ここ、ユナイテッド・アロウズのお店が入っていたりして、割と面白いですな。 しかし、ワタクシ的に一番心引かれたのは、ユナイテッド・アロウズのお隣にあった「クシタニ・パフォーマンス・ストア」というお店。 ここ、バイク乗りのためのグッズなんかを売っているお店で、例えばバイク用のズボンとか皮ジャケなんかを案外豊富に取り揃えている。 で、これがまたなかなかカッコいいのよ。で、バイク用と銘打つだけに、機能性も高いわけ。ズボンにしても、ジャケットにしても、万が一バイクが転倒した場合でも怪我が軽く済むように、膝とか肘に防御用のカバーが仕込んであったりする。 なんか、そういう機能性の高い服を見ていると、いいなあと思うんだよね、男は。馬鹿だから。 で、そんなのを見ながら、またまた「バイクの免許、取ろうかな・・・」なんて思いがムクムクと。ま、これは定期的にやって来るものなんですが。 とにかく、そんなものを憧れのまなざしで見ながらのドライブ。無事、実家に到着しました。 ということで、明日からは東京からのお気楽日記、お楽しみに!
October 26, 2012
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詩人の荒川洋治氏の、これはエッセイ集というのか、文芸時評というのか、『本を読む前に』(新書館・1,800円)という本を読了しましたので、軽く覚え書きをつけておきましょう。 荒川さんの本を読んだのは、これが初めてだったのですが、何か不思議な感じの本でしたなあ。 ここに集められている本や読書にまつわるエッセイを読んでいくと、最初の印象としては、まあ「まろやかな」感じがするわけ。文章の当たりが穏やかというか。エッジが立っていないというか。やんわり、じんわり書いてあるような感じがする。決して、シャープなものを読んでいる感じはしない。 ところが、そんなまろやかなものを口に入れて、なんとなくしゃぶっていると、あれれ、妙な噛みごたえがあるぞ、よくよく味わってみると、あんまり「まろやか」でもないなあ、という気がしてくる。意外に厳しいこと言っているぞ、と。 例えば「『壇』なき時代」というエッセイ。 このエッセイ、木山捷平という文士の奥さんだった木山みさをさんと川村湊さんの対談を読んで面白かった、という話から語り出されるのですが、いわゆる「文壇」で浮き沈みを繰り返し、その狭い人間関係の中で喜怒哀楽のどたばたを演じてきた夫・木山捷平に長年寄り添ってきた奥さん曰く、「(文壇の皆さんは、夫も含め)楽しそうでしたよ」と。 文壇というと、文学賞の審査委員となった大御所が、自分の子分にばかり文学賞を分け与えたとか、そんな感じのことが取沙汰され、色々批判されることも多いわけですが、当事者の奥さんの目から見ると、「みんな楽しそうだった」ということになる。弊害も多かったかもしれないけれど、作家たちが寄って集まって、みんなでわいわい騒いだり、時には大ゲンカをしたりしながらも、確かに切磋琢磨していた。そういう意味で、楽しそうだったと。 しかし、現代ではそういう「文壇」は消滅し、マスコミが書き立てるベストセラー・リストがそれに代わった。売れる本を書く奴がエライということになった。そうなると個々の作家は、売れる本を書くことに汲々とし、作家同士の人間関係なんかどうでも良くなってしまうのも必然でしょう。 で、このような文壇が存在しない時代になると、何がどうなるか、というと、個々の作家が唯我独尊になると。そして、それゆえにモノが見えなくなってくると。 例えば、と言って荒川さんが例に出すのが、目取真俊のケース。芥川賞を獲った彼の、次のような発言に、荒川さんは注目する: <本来、僕は、作品をテキストとして単独に読んでほしいと考えています。ですから芥川賞受賞決定後の、自分自身に関する取材にも違和感がありますし、沖縄文学として見られるのではなく、目取真俊という個人名だけで作品を評価してほしいという気持ちもあります>(103頁) で、この発言を取り上げた荒川さんは、これに対し、次のように論評する: 作者の気持ちは十分に理解できるが、、「目取真俊という個人名だけで」と、自分のフルネームを出す感覚はどうか。こういうことは控える、という基本的なマナーのようなものは、かつての文壇や周囲の仲間が無言のうちに教えたのだろうが、「作者」の回りに、人がいなくなっているのかもしれない。(103頁) ううむ、目取真氏の不用意な言葉遣い一つで、彼の人間性や未熟さまで見通しているではありませぬか。さすが、詩人の感覚は鋭い・・・。 そして、この後さらに目取真俊氏が自作について「この小説は決して共同体の物語じゃなくて、ある共同体の中で生きてきた徳正という個人の物語なんですね。だから亡霊が消えたあとも、結局はだれも気づいていない」と解説したのを受け、荒川さんは次のように述べております: どう読まれてもいいとしながら、自作の読み方について読者に、ここまで注文をつけるとはどういうことなのか。「壇」の解消はこういう作者本位の感覚と思考を作者のなかに育てあげ、世間にさらすことになる。<ボーダーレス>の気運は表現形態と作家の意識を解放したが、「粋」が見えなくなった。そのため文章も思考も、とろけてしまったようだ。(103頁) ひゃー! これ、よく読むと目取真俊のことをガキ扱いにした挙句、フルボッコにしているようなもんじゃん? 怖えっ! ま、荒川さんのエッセイって、こんな感じ。何となく、「これ、別に、誰かを攻撃しているわけじゃない・・・よなぁ・・・」と思わせておいて、よく読むと、当の相手をメッタ切りしていたりする。これじゃ、切られた相手も、しばらくは自分が切られたことに気付かないんじゃないの?! 重量級の大鉈で相手を粉砕するのでもなく、鋭利な刃物で血飛沫をあげながら切るわけでもなく、いわば刃のついてない芝居用の竹光をさらっと払ったような感じで、相手にさしたる痛みも感じさせぬまま、案外、深手を負わせているという。 これが荒川洋治の殺法か?! 恐るべし・・・。 ってなわけで、穏やかな筆致のエッセイに隠された、荒川氏の「無痛殺法」に、しばし戦慄したワタクシだったのでありました、とさ。とはいえ、面白いよ! ↓【送料無料】本を読む前に [ 荒川洋治 ]価格:1,890円(税込、送料別)
October 25, 2012
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今日も今日とて会議、会議。バカバカしい会議が続きます。 今日の議題は、学科の改変に伴う名称変更について。 うちの科名は「国際文化」というのですけど、今、組織改変を計画中なので、どうせならこの名前も変えてはどうか、ということを、執行部サイドから提案されまして。 で、なんで変えないといけないかといいますとね、変えた方が文科省のウケがいいからであります。 要するに文科省に改変案を持っていった時に、「なーんだ、改変改変と言ったって、名前が変わってないじゃん。新しい酒は新しい革袋に入れろよ」と言われて、改変案自体を否定されてしまうというのですな。だから、「新しくしましたぁ!」ということがはっきり分かるように、名前も変えてくれと。 でも、急にそんなこと言われても、長年「国際文化」でやってきたんだし、学生だってこの名前に親しんでいるのだから、他の名前なんて思いつきませんよ。だから、そのまんま、「別に変える必要性を感じませんが」と言ってやったわけ。 すると、執行部の方から「例えば、こんなのどうです?」と、逆提案してきた。 どんな名前を提案してきたと思います? 「グローバル共生社会」。 はぁ?! 何ですって? もう一回言ってみて? 「グローバル共生社会」。 おーまーえーらー、あーほーかー! 執行部のお偉いさんたちに言わせますと、今、文科省ウケのいいキータームは「グローバル」「ボーダーレス」「共生」あたりなんですと。だから、この辺を組み合わせて・・・ということらしい。 ああ! 愚かしい! 文科省も愚かしいが、それを真に受ける執行部も愚かしい! このブログでも何度も言ってますが、「グローバル化」という空虚な言葉が、実質、一体何を表しているというのか。若い世代は、どんどん海外のことに興味を失っているというのに。 その一方、私利私欲のためのグローバル化だけは進んでいるので、その結果、日本の農産物も、繊維も、エネルギーも、全部、よその国任せになっちゃった。あまりにも産業界が某国に依存しすぎて、かの国とまともな喧嘩もできやしないじゃないの。 でまた「共生」って。何、コレ? 日本語かい? なんか、偕老同穴みたいなものを想像させる、嫌な言葉じゃないの。字面も、気味が悪い。 で、「グローバル共生科」って名前を聞いて、一体何を勉強するところか、想像できます? 私にはできないな。 慣れ親しんだ、そして名は体を表す「国際文化」という名称を捨て、「グローバル共生」にする意味が分からない。 で、こんなことを討論するのに何時間も掛かるってんですから、もう、大学の会議なるものが、いかにばかばかしいか、分かるでしょ? かつて私の恩師が、教授会から戻ってくるなり、「会議中、何度も『馬鹿野郎!』と叫んで、部屋を飛び出そうかと思った」と吐き捨てるように言ったのを覚えていますが、その意味がよーく分かるようになりましたわ・・・。
October 24, 2012
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最近、町でよく見かける「保険コンサルタント窓口」。自分の入っている各種保険が果たして適正なものかどうか自信がなかったので、相談に乗ってもらってきました。 すると・・・ もうね、自分がこれまで入っていた保険が、いかにダメダメだったかがよーーーーっく分かりました。 私の場合、就職した時に職場に現れた保険のおばちゃんの勧めるままに保険に入り、その後もおばちゃんの言うなりに色々な付け足しの保険に加入してきたわけですが、そんなこんなで入っていた保険の中身を、今日、コンサルタントの方に見てもらったところ、色々な点で時代遅れなところがあることが判明。 例えば、この頃の保険では、入院したその日から保険金が下りるところが多いのに、私が入っていた保険は、入院5日目からようやく保険金が下りるヤツだったのよ。 それに、ガンに対する備えも、全然無かったという・・・。 その他、コンサルタントの目から見ると、まあ、不都合だらけだったんですな。 で、私の生活状況から、本当に保険で保障してもらうべきことは何か、ということを一から考えていき、そのニーズに当てはまるような保険を探してもらったところ、今、加入している保険と比べ、保障内容はぐっと厚く、掛け金はぐっと少なくなるようなプランが見つかったという・・・。その差はすごいですよ。 で、私は今回の見直しで、とある保険会社の保険に加入することにしたのですが、普通に考えれば、どう考えたって日本人の全員がその保険会社に入るべきなんですよね。だって条件がすごくいいんですもん。 ところが大抵の人が無知ゆえに、その保険会社には加入せず、他の保険会社に加入しているわけ。どうしてそうなるかというと、結局、私と同じように、他の保険会社と比較せずに、何となく縁のあった保険会社に加入しちゃうからでしょう。 だからね、職場なんかにずいずいとやってくる保険のおばちゃんの言うなりになっていたらいかんということですよね。保険ってのは、色々な保険会社を比較してみて、初めてどこに入るべきかが分かるのでありまして。 ということで、今はこの種の無料コンサルタントがあちこちにあるのですから、皆さんも、今自分が加入している保険が正しい選択だったのかどうか、確認に行った方がいいと思いますよ~。ちなみに、今日色々検討した結果から言いますと、昔からある日本の保険会社の数々、大手だから良いだろうなんて思っていると、随分、損をすることになりますぞ・・・。 ま、人のことはさておき、今回の見直しで、ようやく私も理性的な保険選びが出来ました。まさしく、今日もいい日だ! って感じでございます。
October 23, 2012
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プロ野球にまったくと言っていいほど興味のないワタクシですから、まあ、今年どこがペナントレースで優勝したのか、なんてことはどーでもいい方なのでありますが、そんなワタクシですら、「クライマックス・シリーズ」の勝敗の行方は、若干、気にならないでもない。 というのは、どちらかのチームを応援しているとかいうのではなく、ペナントレースで優勝したチームが負けて、日本シリーズに進出できなくなる、などということが行われることが嫌で嫌で仕方がないからであります。 これは日本のプロ野球ファンに尋ねたいのでありますが、あなた方はいつの頃からか始まったこの「クライマックス・シリーズ」とやらを支持しているの? この妙ちきりんな制度によって、仮に、ペナントレースで2位だったチーム、それも僅差ではなく、ぶっちぎりで2位だったチームが、日本シリーズに進出することを是とされるのでありますか? 片やそういう制度があるのに、リーグ優勝を賭けてシーズン通して戦うペナントレースを、楽しめるのでありますか? もし「楽しめる」というのであれば、ワタクシにはその感性が分からないんだなあ・・・。じゃあ、苦労に苦労を重ねてペナントレースを争う意味がないじゃん? ワタクシとしては、両リーグのペナントレースを勝ち抜いたチーム同士が覇を競ってこそ日本シリーズだと思っているので、2位のチームが日本シリーズに出るなどということは、何だか、道義的におかしいのではないかと思うわけ。だから、今回に関して言えば、ジャイアンツが勝たないと、ワタクシの倫理観が狂うわけなのよね~。 だから、ジャイアンツに勝って欲しかったわけ。 そしたら、勝った。ワタクシの倫理観は、チャレンジされずに済みました。良かった。 もちろん、これは倫理観の問題であって、何度も言いますが、ワタクシはプロ野球に興味はないのよ。ジャイアンツの隠れファンだとか、そういうことはありません。 子どもの頃にジャイアンツのV9を目撃したことなど、何の関係もありません。長嶋や王に憧れたとか、そういうのは遠い過去のことです。 柴田の存在によって「スイッチヒッター」という言葉を覚えたとか、そういうことはこの際、どうでもいい。 土井や末次は渋いなと思っていたことも関係ないです。 高田はいかにも紳士的だなと思っていたことも関係ないです。 淡口が打席に構えるときのお尻の振り方はカッコいいなとか、思ったこともありません。 そういうことは、「ドラファン以外、人にあらず」の名古屋で、決して口にしてはいけないのです。 とにかく、ジャイアンツは勝った。正義が全うされた。今日は枕を高くして休むことといたしましょう。
October 22, 2012
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今日の名古屋は秋晴れの良い日。暑くもなく、寒くもなく、行楽には持って来い! な・の・に。 ワタクシは公務で大学へ。 でまた、その公務というのが何かと言えば、「父母会」だよ! 大学で父母会って、一体、どういうことなのか。 ま、結局、うちの大学の執行部というのが考えることってのは、この程度のことなんですな、残念ながら。父母会とかやれば、大学の「社会的責任」を果たすことになるだろう、的な発想なんでしょう。 貧困だよね・・・。父母会をやるということは、すなわち大学生を完全に小学生扱いすることになる、ということが分からないのかね・・・? だけど、こういうことを企画すると、真に受けた父母の皆さんが来ちゃうわけよ。 で、そういう親御さんたちと面談してきたわけですけれども、まあ、何と言いましょうか、親御さんが心配して尋ねて来られることというのは、我々に相談されても仕方のないことばかりでありまして。 例えば、「うちの娘はちゃんと勉強していますでしょうか?」とかね。 そんなの、むしろ我々が親御さんたちに尋ねたいことですよ。「おうちで、ちゃんと勉強してますか?」って。 あるいは、「今度の春休みに短期留学したいと言っているんですけど、外国は危なくないですか?」とか。 いやあ、そんなこと尋ねられても、どう答えればいいのか。「危なくないです」なんて断言もできないし。かといって、「そりゃ危ないですから、お止しあそばせ」とも言えないでしょ。 あとよくあるのが、「将来、どうするつもりなのか、よく分からない」という問い。そんなの、直接ご子息・ご息女に聞いてくれって! 結局、今日、何人もの親御さんたちと面談して痛感するのは、どのご家庭でも、総じて親と子のコミュニケーションがうまく行ってないらしい、っつーことですな。子どもが何も話してくれないものだから、親は不安になって、大学の先生に尋ねようとする。「うちの娘・息子はどうなんでしょうか?」って。 だけど、大学は小学校じゃないからね。個々の学生と朝に夕に顔を合わせているわけではないので、学生が今何を考えているか、将来のことをどう考えているのか、なんてわからないですよ。っていうか、学生本人だって分かってないんじゃないの? 特に1年生とか2年生なんか、将来のことなんか、まだ白紙もいいところでしょう。 それに、そもそも子供が大学生にもなったらさ、年齢的にはもう成人しようってところなんだから、放置すればいいんじゃないの? できれば家からも追い出して、「これ以上、世話焼かすな」の一言を背中に浴びせてやりゃーいいと思うのですが。 というわけで、絶好の行楽日和を恨めしく横目で見つつ、大学生の子を持つ親御さんたちのしょーもない悩みを聞きながら、この国では「子離れ」ってのが、なかなかに難しいんだなと、痛感していたワタクシなのでした。 とはいえ、こんな大きな子供のことですら心配で心配でたまらないというのですから、親というのは、つくづく、有難いものなのかもね。
October 21, 2012
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なんか今、「グリーン・スムージー」ってのが流行っているんですって? 女性誌とかで特集されていたりするらしく、最近、家内が凝り出しまして。毎朝、コップ一杯のグリーン・スムージーを作っては、美容と健康のためにグッと飲み干しております。 で、最初はあまり気が進まなかったワタクシも、このところホンの一口だけお相伴するようになったのですが、慣れてみるとこれが結構イケる。 作り方ですが、とりあえずミキサーを用意しまして、そこに緑色の葉野菜(小松菜とかチンゲンサイなど)をたっぷり、それに何種類かのフルーツ(リンゴ、バナナ、キウイなど)を加え、さらに水少々とレモン汁少々を加えてガーッとミキサーにかけてしまえばそれで出来上がり。 で、家内によれば、フルーツの中でも「バナナ」は必須だそうです。これを加えることによって甘味ととろみがつくわけですな。で、そのバナナも事前に凍らせておくと、完成したスムージーも冷たくなるので、一層、おいしくなります。またキウイを加えると、種のツブツブ感がよろしいとのこと。逆に温州ミカンなどは味が薄すぎてパンチがないのだそうで。 市販の野菜ジュースに比べ、家で作るグリーン・スムージーは、フレッシュであることに加え、野菜や果物の繊維まで全部いただくわけですから、その点でも健康に良さそう。というわけで、最近の我が家のヒット商品グリーン・スムージー、興味のある方はお試しあれ。教授のおすすめ!です。
October 20, 2012
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今日は教育実習生の研究授業参観のため、県内某所の小学校に出張に行き、4年生の社会科の授業を参観してきました。 参観した授業は「交通事故を防ぐ」というような内容。遠い昔のことで、自分が小学校4年生の社会科の授業でどんなことを習ったのかあまりよく覚えていませんが、交通事故がどうのこうのなんて話題が取り上げられたという記憶は100%ないので、最近はこんなことまで学校で習うのか・・・というのがまず最初の印象ですなあ。 ま、それは措くとして。 最近の学校教育は、とにもかくにも「まず生徒に考えさせ、意見を言わせる」ことが是とされておりまして、今回の授業も基本、その路線。 だけど、このブログでも前々から指摘しておりますが、「生徒の考え・意見を聞く」というのは、本当に馬鹿馬鹿しいことだと思うんですよね。十分な経験も知識も判断力もない子供の意見とか考えとか聞いて、どうするんだよ! という感じ。それは、今回の研究授業でも強く感じました。 例えば、今回の研究授業で、実習生は平成23年度と24年度の、当該市内の交通事故件数の表を子どもたちに提示し、交通事故の多さを理解させようとしたわけ。 で、その表を見ますとね、死亡事故、重傷事故、軽傷事故ともに、大体、同じくらいの数字が並んでいる。ただ、まったく同じ数字であるわけがないので、それら全部合わせた事故件数から言うと、平成23年度の239件に対し、平成24年度は229件だったんですな。 で、こうした表を見せながら、例によって「この表から分かったこと、気付いたことを発表してください」というようなことを言い、小学校4年生たちの意見・考えを尋ねたと。 すると、どういう答えが返って来ると思います? 小学校4年生の判断力ですと、純粋に、というか、単純に、数字の比較しかできないわけよ。だから、「平成23年度と比べると、平成24年度は、事故が10件も減っています」とか、「死亡事故が2件から1件に減りました」とか、そのレベルのことしか出てこないんですな。 しかし、この表から見て取れること、見て取るべきことって、そうじゃないでしょ。平成23年度にも239件の事故があった、平成24年度にも229件の事故があったということは、要するに「交通事故というのは、注意していてもなかなか減らないものだ」ということなんじゃないの? つまり、大人の目から見れば、「事故は減らない」ということがこの表から引き出せる結論なのよ。 ところが、小学校4年生の判断力では、逆にこの表から「事故は減っている」という結論を引き出しちゃうわけ。 で、子どもたちにさんざん「事故が減っている」という意見を言わせた後で、その子供たちに「ね、だから事故って減らないでしょ」ということを教えるのは、すごく難しいんですよね。 だから、判断力のない子供に、考えとか意見とか言わせたって、意味ないのよ。判断力のない子どもに、大人の判断力を見せつけてこそ、「教育」が成り立つのであって。 現在の日本の初等・中等教育の大方針である「児童・生徒にまず考えさせ、意見を言わせる」ということが、如何に時間の無駄であり、かつ真の教育を阻害しているか、っつーことですよね。少なくとも私は、その実害はものすごく大きいものがあると思うのですが、実際の教育現場では、この大方針から外れた教育など「論外」の扱いですから。事態はますます深刻であります。 羽の生えそろってないヒナに、「さあ、まず自分で飛んでみろ」と言ったって仕方がないのと同様、十分な経験も知識も判断力もない子どもに、「さあ、自分で考えてみろ」と言ったって、仕方がないのは自明の理。今回のように、教育現場を参観させていただく度に思うことですが、日本の現在の教育の大方針は、即刻、変更すべきであると、私はここに声を大にして言いたいと思うのであります。
October 19, 2012
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今日は柔術の稽古の日。肌寒いほどの一日でしたが、稽古をするにはちょうどいいくらいの気温でしたかね。 で、今日は一通り基本的な技の練習をした後、師範の発案で、誰かから襲われた場合を想定しての実戦的な稽古をしました。 八光流というのは、もともと実践的な護身術ですから、普段の稽古でも「腕を引っ張られたら」とか、「胸ぐらをつかまれたら」といったような想定の上に稽古をしているんですが、やはり、その想定もあまり繰り返していると「型」のようになってしまって、想定外の襲われ方をした時の対処が遅れてしまうことにもなる。そこで、たまにこういう実戦的な稽古をして、普段想定していないような襲われ方をした時の対処法を練る必要があるわけ。 ですから、いわば、今日の稽古は「応用問題」ですな。 例えば、師範のA先生が普段の稽古にはない形で私の背後から近づいてきて、腕をグイと引っ張ってきたりする。で、その時、普段稽古している中からどの技を応用して最も効果的に抑え込むか、その判断が試されるわけ。 ですから、一瞬の頭の体操みたいなもの。もちろん、とっさの判断が出来ずに相手に攻め込まれてしまうこともありますが、上手く技を応用して相手を抑え込めば、その分達成感もある。なかなか面白い稽古でした。 で、その過程で、門人が稽古する各段の技としては明記されていないものの、護身術としては効果的ないくつかの技も伝授していただきました。 例えば敵が右手で私の右手を掴んできた場合の対処法として、掴まれた腕は掴まれた場所で動かさず、身体だけ捌いて敵の背中に回り、襟首を掴んで引き倒す、というのがある。これ、掴まれた腕を動かさないというところがコツなんですが、瞬時に行うとものすごくカッコいい。 とまあ、そんな具合で、他の稽古仲間たちと引き倒したり、引き倒されたりを繰り返しているうちに、昼間の疲れもふっ飛んで、心地よい汗が流れて参ります。 ほんと、八光流を始めて良かった~と実感する瞬間ですな。
October 18, 2012
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今日、大学に出勤すると、メールボックスに大学から私宛ての封筒が届いておりまして。 こういうのが届くと、ドキっとするのよ。また私、何かやらかしたのか? 提出書類に何か不備でもあったか? なんてね。 で、震える手で中身を確認したところ・・・ え、え、永年勤続表彰?! ワ・タ・ク・シが? ウソだろと思って目を凝らして書類を読み返してみても、やっぱりそうらしい。「あなたは、本学に永年勤務し、職務に精励されました。よって国立大学法人役職員表彰規定に基づき表彰いたします」ですと。 はあ~。マジかよ。 大学に勤務したての頃、学生たちと数歳しか年齢が違わないことをいいことに、遊びまくりまして。ほとんど毎日のように学生連れて夕飯を食べに行き、夜中まで騒いだものでございます。夜の10時過ぎに「これから花火やるから先生も来ない?」などと学生たちから電話がかかってきて、「おーし、待ってろ。俺が行くまで花火に火を点けるなよ!」などと応じ、大学から大分離れた公園までドライブして行って花火大会。それも連発打ち上げ花火を武器に、互いに水平に打ち合うというサバイバルゲーム状態、なんてこともありましたっけ。 大学近くにアパートを借りているK君の部屋に他の学生たちと詰めかけて夜中まで語り合った挙句、夜中の2時に「これから海を見に行くぜ!」などと盛り上がって、2時間かけて静岡の砂浜までドライブしたこともありましたっけ。大学に戻ったのが朝の6時、それで9時からの授業をこなしたというのですから、若かった。 そんな時代から幾星霜。遊び仲間の教え子たちも今や四十代。そして私は永年勤続表彰。 それにしてもねぇ・・・。なんか「永年勤続表彰」とかされると、どんだけ年寄りなんだ、自分? って気分になりますなあ。自分じゃバリバリ若いつもりでも、客観的には「長い間、御苦労さま」的なことをされちゃう年齢なわけね・・・。 ってなわけで、大学からこういう種類の表彰をされて、喜んでいいんだか、嘆いていいんだか、よく分からないワタクシなのでありました、とさ。
October 17, 2012
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明日はペイデイ! とはいえ、給与明細見ても楽しくないんだよね、最近。 国立大の教員から金を搾り取ろうというので、昨年比で年間100万円、給与減額だよ~。いくら災害復興のためとはいえ、一人頭100万円減って、額が大きすぎないかい? しかもこれが2年間続くんだぜぇ~。 ワイルドだろう~? 士気が下がるよね・・・。 さてさて、それはさておきまして、最近、iPod touch を入手いたしました。それも、もうすぐ新型が発売されるのに、敢えて旧型をゲットしたんだぜぇ~。 ワイルドだろう~? (わかった、わかった・・・) なんで旧型かと言いますと、持っている iPod 用スピーカーの接続部分が旧型に対応しているから。もううちの生協にも旧型が残っていなくて、わざわざ他大学の生協から取り寄せてもらったというね。 とにかく、そんなわけで初めて iPod touch なるものの現物を手にしたわけですけれども、すごいね、これ。 私はまた、単に音楽とか映像を蓄えておくだけのものかと思ったら、メールもできるし、インターネットにもつながるし、カメラにもなるし、ビデオにもなるし、要するに iPhone から電話機能をはずしただけじゃん? で、すごいわ~と感心しきりなんですけど、実はまだ全然使えてないという。 もともと、大学のジャズ史の授業で学生にジャズを聴かせるために買ったので、自宅にあるジャズのCDの中から、その日の授業に使う曲を選び、それを iPod に入れて、それを教室に持ち込んだ専用のスピーカーで流そうと思っているのですが、じゃあ、CDの曲をどうやって iPod に入れるかということになるわけで。 その辺の仕組みがイマイチ分かっていないという。 なんか、CDの内容をパソコンに取り込み、そこからどうにかするらしいのですけど、その方法がまだよく分かってないのよ。 って、ひょっとして、すごく原始的なことを言っているのかもしれませんが、機械類めちゃ弱い人間にとって、これは一仕事。 それにつけても思うのは、「昔は簡単だったよな」ということ。例えばCDの曲をカセットテープに吹き込むとか、MDに入れるとか。 そういう作業って、物理的に「こっちからこっちに移す」という感じがしたじゃない? ボトルに入っているワインをデキャンタに移す、くらいのリアルさで、「今ここにあるものを、こちらに移している」という実感があった。なーんも難しいことなく。 CDをiPod に移す、というのは、そういうリアルな感じではなく、なんかこう、「テレポテーション」によって何かをどこかに移動させるような、非現実感があるじゃん? そういうの、苦手・・・。 というわけで、最新の・・・じゃなくて、準最新の文明の利器を手に入れつつ、それを使いこなすまでに至っていないワタクシなのでありましたとさ。誰か、私の代わりにやってくれないかなあ・・・。
October 16, 2012
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iPS絡みで話題のM氏ですけど、面白いね、あの人! 勿論、どう見てもあの人が「やった」と主張していることは虚偽だらけなんでしょうが、この件で大嘘ついたこともさることながら、よくまあ、今の今まで、あんな調子で世過ぎが出来たなと。 身分詐称甚だしいとはいえ、短期間とはいえ、事実、それなりの機関に一時的に在籍した事実はあるようですし、一体、どういう資格でそういう機関に潜り込めたのか。 一流医学雑誌の、誰でも投稿できる欄に投稿し、それでその雑誌に論文が載ったと履歴書に書けば、何となく通っちゃうのかしら。そういう作戦で、妄想的なキャリアを積み上げ、それでどうにか世過ぎをしてきたのだとしたら、それはそれで天晴れというか、その方面の才能があるのかとも思いますけど、今回のように、世間の注目を集めるようなところで大嘘ついたら、当然、それまでの妄想キャリアが暴かれるわけで、それにもかかわらずそういう行動をとったとなると、やっぱりア○なのかとも思うしねえ・・・。 しかし、とにかくここまであの調子で何とかなっていたのだとすると、大学の世界も甘いもんだと言わざるを得ませんな。 昔、まだ私が大学院生だった頃、ある教授が「釈迦楽君、大学の先生なんて、甘い職業だよ~。甘い、甘い。お砂糖みたいに甘い」とおっしゃっていて、そうなんだ~、って思ったことがありましたが、実際、そうなのかもね。 だけど、ことがここに至ったとなると、M氏はこれからどうするつもりなんだろう? 「研究者は辞める」と言っているようですが、このお砂糖みたいに甘い世界を出たら、もう使ってくれるところなんて無いんじゃないの? 別にM氏がこの先どうなろうと知ったことじゃありませんが、ミーハー的興味として、どうするつもりなんだろう、この人、っていう感じはあります。 ほんと、どうするつもりなんだろうね?
October 15, 2012
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今日は学会の最終日。恒例の特別講演があり、今回はロシア文学、とりわけドストエフスキー研究の第一人者K先生を東京からお呼びして、ご講演をしていただくことに。 で、私もその先生のお話を伺って来たわけですが、ロシア文学の特質というのか、あるいはドストエフスキーの特質というべきか、お話の図柄が大きいんですな。その大きさに、ワタクシなんぞは当てられっぱなしでありまして。 大体、お話のテーマが、「世界の不幸をどう引き受けるか」みたいな話になってくるわけですよ。その時点でもう、すごい話でしょ? 例えば東北の大震災。例えば「9・11」のテロ事件。こういう未曾有の大災害のようなものが起こった時に、それを離れたところで見ている我々は、こうした大不幸に対してどういう態度を取るのかと。 悲しいかな、人はこうした想像を超える大災害を前にして、あまりの衝撃に無感動になってしまうというか、感覚が麻痺するようなところがある。それではいかん、ということで、K先生にしても、上記二つの災害に接し、わざわざ東北まで出かけて惨状を目の当たりにし、またNYのグラウンド・ゼロで、自らの内側から自然と湧きあがってくる言葉を待った、というのですな。そういうアクションを起こされた。 しかし、結局、そういうアクションを起こしてもなお、「傍観者」たることを免れないご自身を発見されたりもする。 問題は、この「傍観者」という態度でございます。 こうした大災害を、神が黙って看過し、傍観したのであれば、それはすなわち「神は死んだ」ということであるし、その上でその災害の惨状を我々人間もまた傍観しているのであれば、それは我々自身も死んでしまったようなものだし、つまりは我々人間が死んだ神に成り代わって「死した傍観者」になった、ということでもある。 で、K先生曰く、ドストエフスキーという作家は、こうした「世界の不幸」を前に傍観者になってしまうというような状況を打破するにはどうすればいいかということを、生涯をかけて追及した作家であると。 ではどうすれば、ということになるわけですが、その辺り、K先生は時間の都合で話を端折られたため、若干、説明不足になった観がありました。そうした不幸によって死した人間の「再生」を信じる、それも観念的な形ではなく、より具体的な感覚として・・・、というようなお話だったのですけどね。 とまあ、そんなようなお話だったと理解するのですが、さてさて、ここまで読まれた読者諸氏はどのような感慨を持たれるでしょうか・・・。 私の頭の悪いせいで、ひょっとしてお話の趣旨を取り違えているかとも思うのですが、仮に、K先生のご趣旨が上のようなものであったとしますと、まあ、ワタクシなんかからするとビックリするわけですよ。 まず、「世界の不幸を見つめる」という発想が私にはない。別に自慢するわけではないですが、事実としてない。 どのような大災害であれ、そういう報に接して私が思うのは、「ああ、自分がその場に居なくて良かった!」であり、「家族・友人・知人が巻き込まれなくて良かった!」ということじゃないかしら。人の「死」に関し、私にとってのプライオリティはまず自分、次に家内と親・兄弟、そして次に非常に親しい人々、次に友人、それから大分離れて知人、そしてさらに遠く離れて他人だと思う。 例えばの話、医者に「あなたは末期がんで、余命3ヶ月です」と宣告された日、どこかで大災害が起こったとしても、自分は、果たしてその災害のことに気が向くかどうか。あるいは、「あなたの奥さんは、不治の病です」と言われたとしたら、災害報道の内容が耳に入って来るかどうか。自分のこと、奥さんのことを考えるだけで精いっぱいになるんじゃないかしら。 私は多分そうなるだろうし、それが普通じゃないかと想像するわけ。で、私が思うに、「普通の人間にとって普通なこと」こそ、文学が扱うことじゃないのかと。 でまた、かといって、じゃあ私には大災害に直接あった被害者たちに共感できないかというと、そんなこともないし、また「でも、結局、傍観者でしょ」と決めつけられても、なんか心外な気がする。「傍観者」かそれ以外か、という分類自体、観念的過ぎて私にはさっぱり。 それに、そもそも、そういう大災害が起こったからと言って、「神は死んだ」とか、思わないよなあ・・・。神様ってのは、別に人間が如何なる危害も加えられないよう、いつも目を光らせてくれているガードマンみたいな人じゃないでしょ。それとも、ガードマンなの? 大災害が起こる度に、神は死んだ!と嘆いて、もうこうなったら人間の俺たちで頑張るしかない! 傍観なんかしてちゃダメだ! 世界の不幸を見つめるんだ! とかって、張り切るのがロシア文学であり、ドストエフスキーなのかなあ。じゃあ、少なくとも私にとって、ロシア文学やらドストエフスキーの小説やらは無縁のものだな。普通の人間が感じたりやったりすることじゃないような気がして、図柄が大きすぎて、私には合わない服のようです。 K先生のご講演が終わった後、アメリカ文学者の友人と話をしたのですが、私がK先生の話の図柄が大きかったので驚いたという感想を言うと、その友人曰く、「アメリカ文学で匹敵するとしたら、メルヴィルくらいですかね」と。 しかしね、私はそうも思わないんだなあ。メルヴィルは、確かに偉大な作家ですが、普通の人間の感覚を超越するということはないような気がする。個人の感覚をベースにして、それを敷衍していって世界を描くということはあるけれども、人間を超えたものをベースにして、その世界観を縮めていって人間の形にする、というようなことはしないと思う。 だから、私には今日のK先生のお話は、一言で言えば、「理解できなかった」ということに尽きます。いえ、別にK先生を批判しているということではなく。 批判しているのかな? 少なくとも、私とは違うタイプの考え方を持った人だな、とは思いましたね。 しかし、それはそれで、K先生のお話を伺ったことで、色々考え事をしたということですから、勉強にはなったということでございましょう。 そんな一日でございました。
October 14, 2012
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スウェーデンの作家、スティーグ・ラーソンの『ドラゴン・タトゥーの女』を読了しましたので覚書を。 実はこれ、映画版の方を先に見てしましまいまして。だから、主人公の一人であるマイケルが、どうしてもダニエル・クレイグの顔で思い浮かんじゃうのですが、でもまあ、確かにマイケルはダニエル・クレイグっぽい感じで、キャスティング的には正解だったのかなと。 で、ストーリーの方はどうかと言いますと、これに関しても映画版はかなり原作に忠実でございまして。 とある巨大産業の悪をあばこうとしたジャーナリストのマイケル・ブロムクヴィストは、逆に彼らの術中にはまり、名誉棄損で訴えられてしまうんですな。で、そのマイケルの窮地に半ば付け込むような形で、ヴァンガー産業元会長ヘンリク・ヴァンガーが、マイケルにある申し出をする。 実はヘンリク・ヴァンガーの姪っ子で、彼のお気に入りだったハリエットが三十数年前に失踪してしまったのですが、ヘンリクとしては、おそらくヴァンガー一族の誰かが、何等かの理由でハリエットを亡き者にしたのに違いないと思っているんですな。そこで彼はマイケルにハリエット殺しの犯人を捜してもらう代わりに、マイケルを陥れた巨大産業の悪事の証拠を提供しようと申し出るわけ。もちろん、マイケルはこの申し出を受け入れ、ハリエットの失踪の謎を追い始めます。 で、その過程で、マイケルは身元調査のプロ中のプロ、リスベス・サランダーという若い女性に出会うわけ。 ところが、このリスベスちゃんがまたすごいキャラクターでありまして、彼女が経てきた悲惨な過去のゆえか、一種の人間不信に陥っており、完璧な一匹狼を貫いて生きてきたんですな。それゆえ、彼女と辛うじて人間的な関係を保っているのは、一応は彼女の上司たるドラガン・アラマンスキのみ。そんな極端に扱い難いリスベスをうまく宥めつつ、彼女の助力を得て、マイケルは一歩ずつハリエット失踪の謎に近づいていく。 で、やがてマイケルは、ハリエット失踪事件に先立つ幾つかの女性惨殺事件のことを知るようになるんですな。しかも、どうやらハリエットは、失踪前に、これらの女性惨殺事件のことをよく知っていたらしいことも分かってくる。 一体、これらの惨殺事件とハリエット失踪事件は関連があるのか? ヴァンガー一族の中に、ハリエット殺害の下手人は居るのか? マイケルとリスベスは、三十数年前に犯された犯罪を、暴くことが出来るのか?! というような話でございます。 で、先にも言いましたように、映画版は原作を忠実になぞってはいるのですが、やっぱりね、ペーパーバック版で五百数十ページになんなんとする原作に盛り込まれている事柄を忠実に映像化しようとするあまり、ちょっと詰め込み過ぎになっちゃってるんですな。だもので、若干、説明不足になってしまっているところがあるのですが、その点原作は、ゆっくりと時間をかけて描写してあるので、こちらの方が話としてはよく分かる。 だから、順番を逆にして、原作を読んでから映画版を見れば、より映画を楽しめたかな、と思います。っていうか、原作を読み終えた今、もう一度映画版をDVDで見たい。 とにかく、マイケルの造形、リスベスの造形ともにかなり面白いので、サスペンス小説としてはかなり楽しめるものになっていると思います。スウェーデン語からの翻訳ということもあるのか、英語もそんなに難しくないので、ある程度英語が読める人なら英語版で読まれるといいのではないでしょうか。教授のおすすめ!と言っておきましょう。これこれ! ↓★洋書アウトレットセール★The Girl with the Dragon Tattoo*価格:357円(税込、送料別)
October 13, 2012
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なんか変なものでも食べてしまったのか、3年に1度あるかないかの、すごいお腹の壊し方をしてしまいました(涙)。 で、昨日は朝から何も食べる気がせず、一日絶食。しかし、根性で授業を3コマこなし、しかもその後、柔術の稽古にも行ってしまったという(涙)。 そしたら、一日で1キロ痩せちゃった。お腹壊しダイエットだよ~(涙)。 で、今日は今日で、学会の代議員会がありまして。で、それにも頑張って出席したのですが、久しぶりに会う方々に「釈迦楽さん、痩せたんじゃない? なんか痩せてスッキリしたね」と言われ、ちょっと嬉しかったという・・・。そうなってくると、お腹壊しダイエットも悪くないねえ、なんて(嬉)。 ま、それは冗談で、健康が一番でございます。 さて、学会の代議員会ですが、これはもう日本全国のアメリカ文学関係の偉い先生方が集まる会なので、ワタクシはとりあえず片隅で小さくなっているわけ。 が! その後の懇親会となると話は別で、毎回、とっておきの持ちネタを披露する場所として、テンション高く参加しております。 で、今回の私の持ちネタは・・・ 何と! 近々刊行する予定の、ワタクシの新刊本の宣伝でございまーす。ガーン! そうなのよ、今度、本を出すんです、ワタクシ。今度こそベストセラー、狙うよ! ま、それも冗談なのですが、しかし、今回の本は、今まで書いてきたような本とはちょっと違う種類の本でありまして、その意味で密かに期するところはあるんですけどね。 といういわけで、まだ若干、お腹が痛いものの、意気軒昂たる私なのでありました、とさ!
October 12, 2012
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ちょっとここに英文を掲載してみましょう。 Christianity will never be accepted in Japan, except by vulgar or weakminded people, --I trust. If the Buddhist achools would teach modern science, no Christian missionaries could proselytize the people. Out of 43,000,000 Japanese, the Christians themselves only claim to have about 60,000; and the probable truth is there are not more than 1 in 10 of these Christians in real belief.(中略) In Europe, a wife does not wish to live with her husband's parents. Once married, the son abandons his parents, and helps them only in extreme cases. There is not in Europe, any of what is called filial piety in Japan, -- except what the hearts of naturally good men make them do. この英文、日本人が書いたものなんですけどね。結構、様になっているでしょう? ちなみに、これ、1890年頃に、島根県の尋常中学校において、ラフカディオ・ハーンの教え子の中学4年生が書いた英文でございます。『ラフカディオ・ハーンの英作文教育』(弦書房)という本からランダムに書き写した文なのですが、とにかく、明治時代、日本の田舎の中学生(と言っても今の高校生くらいか?)ですら、この程度の英文を書いていたんですな。 しかもただ英文らしきものを書いたのではなく、これ、自分の考えを述べているんですよね。それも欧米の文化に対してかなり痛烈に批判的に。キリスト教みたいなダメな宗教は、日本ではお呼びでない、ただキリスト教は「科学」を武器にしているから、若干攻め込んでこれただけだ、としていて、キリスト教と科学の結びつきまではっきり認識している。 でまた、筆跡がまたすごくて、そのまんまペンマンシップの教科書になりそうなほど、見事な筆記体で書いてある。まったく、脱帽であります。 これが、明治時代の中学生の英語力だよ~! さて、何でこんなものを引き合いに出したかと申しますと、最近、大学で英語の授業をやっていて、ショッキングな出来事があったから。 最近の国立4大生は、英単語の所有格の作り方も分からないんだよね・・・。 読んでたテキストの中に「Most of their heads are turned to camera's left.」という英文が出てきたので、まあ、「彼らの大半は、カメラから見て(=向かって)左側の方を向いていた」というような意味になるのでしょうが、一応、それを大学2年生に訳させてみたわけ。すると「彼らの頭の大部分は、曲がってやってきて、カメラたちの左側に来た。」と訳すんだよね・・・。 まず「頭が曲がってやってくる」というのからして、ろくろっ首のようで怖いですけど、「カメラたち」というのは何? で、当該の学生に「カメラたち、ってのは、どういうこと?」と聞いてみた。すると、その学生、「だって先生、camera に s が付いているから・・・」ですと。 はっはあ! こいつら、「アポストロフィー」が所有格を表す、ということも知らないんだ!! 平成の大学生は、「cameras」と「camera's」の違いも分からないというのに、明治時代の中学生は、堂々、英語で自分の見解を見事な英文、見事な書体で主張していたと。 このレベルの差は、一体何? こういうのを日々、間近で見ているワタクシには、日本が近年ますます「国際化」しているだとか、英語の需要が日々高まっているなんてこと、にわかに信じられないの、分かるでしょ? 国際化しているというなら、明治時代の方がよほど国際化していたし、それに応じて、子どもたちの英語力もありましたよ。 もちろん、明治時代に中学校に進学するのが、その時点で相当なエリートであることは分かります。しかし、それにしてもですね、英語の教材だってそんなに巷に出回っていないだろうし、その辺に外国人が居るわけでもないだろうし、CDのような学習機器だってあるわけないのに、明治時代の英語教育がここまで成功していたということは、驚くべきでございます。 一体、どうやったら、中学4年生にここまで英語力を付けられるのか。英語教育学を専門にする人たちは、その辺、過去から学んだ方がいいんじゃないの? とにかく、「camera's」を「カメラたち」と訳す大学生の出現に、ワタクシはほとんど失禁しそうなほど、脱力しているのでございます。
October 11, 2012
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今、うちの大学では、文系学生の理系離れを何とかしようというプロジェクトをやっているんですが・・・。 大学には「自由科目」というのがありまして、その大学で実施している授業であれば、専門を問わず誰でも受講していい、というのがあるんですな。ところが、理系の先生方に言わせると、最近の文系の学生は、理系の授業科目を全然受講しないんですって。そこで、文系の学生にもっと理系の学問の面白さを知ってもらおうということになり、先に挙げたプロジェクトが登場したと。 が! ビックリするのは、その実際の内容でございます。 このプロジェクトを立ち上げている理系の先生方がその叡智を結集して出した答えが、「SF映画を見せたら、文系の学生もきっと理系のことに興味を持ってくれるに違いない」というものだったんですな。 で、その企画第一弾が、『ミクロの決死圏』(1966)の上映会だったと。 ひゃー! マジですか。およそ50年前のSF映画・・・。人間を潜水艦もろとも超微小に縮小し、それを脳内出血を起こした人間の体内に入れて治療させるというストーリーの奴。縮小された医療スタッフが、当該の人体の中で白血球とかに襲われたりする奴。その白血球が、どう見ても脱脂綿とかビニールにしか見えないという、すごい特殊撮影の奴。 うーん・・・。この映画を見せたら、きっと文系学生の奴ら、めちゃくちゃビビって、理系のことに興味持つようになるぞっ! と空想した理系の先生方。彼らの頭の構造が、ワタクシにはよく分からないんだなあ。底抜けに無邪気、なのかな? で、この第1回目の映画上映会も相当噴飯ものだったのですが、今度、第2回が行われるって言うんですよね。で、今度は何をやるのかと思ったら・・・ 『日本沈没』でした~! これで分かった。理系の発想って、ひと言で言えば「短絡」なんだ。超お気楽に「Aという働きかけをすれば、その結果、Bという現象が生じる」って、思っているんだ。『ミクロの決死圏』を見せれば、人体の神秘に目覚めるに違いない、『日本沈没』を見せれば、地殻変動に興味を持つに違いないと、まあ、そんな風に思っているんだ。間違いない。 ア・ホ・か! いやあ、そりゃね、『ミクロの決死圏』を見せるのが悪いとは言いませんよ。だけど、見せるのだったら、アメリカのみならず、世界的に見て、1960年代に科学技術の進歩への過度な期待があった、というような背景を説明しないといかんのじゃないの? 科学が進歩すれば、人間はハッピーになるに違いないという楽観。だからこそ「EXPO'70」のテーマが「人類の進歩と調和」だったのであってさあ。 でまた、科学技術の進歩の途中の段階の方が、科学技術への希望が膨らむ、という逆転現象にも注目したいところ。例えば21世紀を生きている我々は「自分が生きているうちに、気軽に月旅行に行けるようになるだろうな」なんて思わないでしょ? だけど、ロケット技術が今よりも遥かに幼稚だった1960年代後半には、「いずれ近いうちにそうなる」と思っていた人が沢山いたはず。『ミクロの決死圏』にしたって、こういう治療法がいずれ実現する、という思いであの映画を観た人が沢山いたと思うんですよね。 それから『日本沈没』にしたって、原作者の小松左京があの小説で意図したのは、「戦争で日本が滅び、国が消滅していたとしたら、国を失った日本人はどうやって生きて行くか」という主題でしょう? だから、ある意味、あの映画は「科学的」と言うよりも、むしろ「政治的」なわけよ。だからこそ、田中角栄とか、当時の首相レベルの政治家があの映画をこぞって見ていたのであって。 だから、『ミクロの決死圏』にしても、『日本沈没』にしても、学生に見せるならば、そういう情報を、すなわち「文系の学問が提示する情報」を、示さないと意味がないと思うわけ。SF映画だから、理系のものだろう、という発想自体、間違っているよね! そのせいか、少なくとも第1回目の『ミクロの決死圏』の上映会の時は、肝心の文系学生がほとんど見に来なくて、理系の先生方が怒っていたんですって。 でも、そりゃそうだっての。こういうのを見せれば、文系の学生が理系の学問に興味を持つだろうという発想自体、文系の学生を馬鹿にするものですからね。彼らが理系の先生方の企画に見向きもしなかったのもよく分かるというものですわ。 ま、今度の『日本沈没』にしたって、きっと文系学生は見向きもしないでしょうが、そのことに頭をひねる前に、理系の先生方は、まず自分たちのあまりにも単純な発想法を見直しなさい。
October 10, 2012
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山中教授のノーベル医学・生理学賞受賞で活気づく日本。本命ではあろうけれども、さすがにまだ早いかという見方もあったようですが、案外、すんなりと決まってしまって、以前のように待たされて、待たされて・・・という感じではなくなってきたんですかね。 で、私の専門で気になるのは、ノーベル文学賞の行方。 「村上春樹氏有力」という下馬評は、どうなんでしょうか。まさか、こちらの方も案外すんなりと予想通り・・・に、なんてことにならないでしょうね? どうなんだろう、村上春樹。読んだことないけど。フォークナーやユージン・オニールやヘミングウェイやT・S・エリオットやサミュエル・ベケットやトーマス・マンやマルケスなんかと肩を並べるほどのものなの? とはいえ、アメリカ文学で言えば、トニ・モリスンだって受賞しているしなあ。それよりは村上春樹の方が上かもね。とにかく、現代日本文学で英訳されているのは村上春樹だけ、みたいな状況ですから、それだけで圧倒的優位に立つんだよな、日本人作家の中では。 一方、ボブ・ディランが取るのではないかという説もありまして、私のよく知るN大のN学兄が猛烈に推しておられるようですが、果たしてどうなのか。答えは風の中ですな。 アメリカ作家で取るとすれば、トマス・ピンチョン、あるいはドン・デリーロあたりが最右翼でしょうけれども、ノーベル文学賞って、案外、庶民的な作家が取ることも多く、その意味ではフィリップ・ロスとかE・L・ドクトロウ、あるいはコーマック・マッカーシーあたりが取る可能性も大。この三人はやたらに賞を取る人たちなんですよね。しかし、如何になんでもJ・C・オーツまでは降りてこないだろうとは思います。 ということで、私としてはやっぱり今年もフィリップ・ロスに一票、ということで。 でも、本当は、構造主義を文学的に語った故レヴィ・ストロースが取ればよかったと思うんですけどね。あるいは、今ならば、変形生成文法を提唱したノーム・チョムスキーとかね。この二人は、思想とか、言葉とか、そういうものに対する考え方を大きく変えたわけですから。少なくとも、サルトルよりは、レヴィ・ストロースの方が、今日的な意味での影響力は遥かに強いわけで、サルトルにあげるより、レヴィ・ストロースにあげるべきだったんじゃないかと。もっとも、サルトルはあげても受け取らなかったですが。 ま、誰が取るにせよ、一応は話題になる文学賞。発表が楽しみでございます。
October 9, 2012
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この季節、各地のデパートなどで、「北海道フェア」的な催し物がやたらに開催されております。もう、どんだけ北海道に頼るんじゃい、と思いますけど、確かに「どこどこで北海道フェアやってる! おいしそうなものが並んでる!」となると、消費者としてテンション上がるのも事実。 かく言う私も、行ってしまったんですよ、北海道フェア。星ヶ丘三越でやってたもんでね~、ウフ! まずはデザート系で、ルタオの「ドゥーブル・フロマージュ」はマスト・バイだと思うのですが、今シーズンはこいつの特別バージョンで、サツマイモの風味をプラスしたの(パタートゥ・ドウーブル)が売っていたので、試しにこいつをゲット! このケーキは、冷凍庫で保存できるのでね。 それから「スナッフルズ」のチーズケーキ、これもとりあえず買っておかないといかんでしょう。 お、こっちには「花畑牧場」の生キャラメルかりんとうがあるじゃないの。これ、旨いんだよね。買っちゃおうっと。 そして最後、「おとうふ工房めめ」で売っていた「栗おやき」、これも何だかおいしそうだったのでゲット。これは今日中に食べた方が良さそうかな~。 とまあ、しこたまデザート系をゲットした後、今度は海鮮系を買おうじゃないのということになり、「雑魚亭」の海鮮弁当、「潮騒の宴」をゲット! で、ざっとこれらを買いまくった後、速攻で帰宅し、買ったばかりの「潮騒の宴」で昼を済ますことに。 で、食べてみたのですが、旨いわ、やっぱり。たっぷりの蟹の身にウニ、イクラ、ホタテの貝柱の刺身、表面だけ軽くあぶった鮭、烏賊の刺身、烏賊の姿甘露煮、それに卵焼きと、豪華食材がふんだんに乗っていて、食べごたえたっぷり。これでお値段1,480円はなかなかのもの。いやあ、北海道バンザイって感じ。 な~んて、完全に北海道フェアに籠絡されているじゃん、自分。だけど、こう見てくると、こと食べ物に関して、北海道には勝てんわ。おいしいものが多すぎる。 ということで、北海道に頼りすぎるデパート業界のあり方に、疑問は差し挟めないということが判明したのでありました、とさ。
October 8, 2012
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以前から「AccuJazz」というインターネット・サイトを登録していて、パソコンで原稿を書きながらジャズを聴いたりするのですが(逆か! ジャズを聴きながら原稿を書く、か!)、どういうわけか、iPad でこのサイトを開いても、音が鳴らないわけ。 で、何でかな~と思って、色々調べているうちに、もっといいアプリを見つけちゃった。「AccuRadio」というのですが。 早速、iTunes からこの無料のアプリをダウンロードしてみると、ジャズだけじゃなく、ありとあらゆるジャンルの音楽を iPad で再生できることが判明。BGMには事欠かないことが分かりました。 昔は部屋にBGMを流すとなると、専門の会社と契約して、月額いくら、という感じだったわけですが、今やもう、無料アプリ一発でどうとでもなるわけね。いい時代になったものでございます。 で、今日は AccuRadio でジャズやその他の音楽を聴きながら、原稿書きにいそしんでいるワタクシ。そのせいか、なかなか調子が良くて、一気に一仕事片付いちゃった。 というわけで、無料アプリ「AccuRadio」、教授のおすすめ! でございます。
October 7, 2012
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今日は3年前のゼミ生たちとの会合がありました。場所は名古屋駅近くのハワイアン料理の店。ちなみに7人中5人集合という高出席率でしたが、さすが近年の釈迦楽ゼミの中でも特に団結の強かった連中でございます。 で、早速、彼女らの近況などを聞いていったのですけど、社会人3年目、仕事には慣れる一方、プライベートの方では色々展開があったようで・・・。 まず、この世代のリーダー的存在であるSさんは、割と長く付き合っていたダメ男君と別れたものの、むしろそれを機に生活が充実してきて、仕事もバリバリこなす一方、ヨガ・インストラクターの資格も取り、和服の着付けまで習い始めるなど、毎日が楽しくて仕方ない様子。また彼女はこの頃、自己啓発セミナー的なものの講師も頼まれるようになったらしく、そちら方面の仕事の発展性も含め、様々な可能性を見出している模様。さすがSさん、相変わらずの行動力でございます。 ヨガといえば、Wさんもヨガをやっているようで、また食事にも気を付けるようになった結果、1年で11キロも減量に成功! スリムな体型を獲得したついでに、ギャンブル好きのダメ男君ともそろそろ別れて、こちらの方もスリム化を予定しているとか。 別れると言えば、学生時代からお付き合いのあった彼氏さんと別れたCさん。最近ではどうも一緒に居ても楽しくないという認識はあったようですが、ついに5年間のお付き合いに終止符を打ったとのこと。となると相当落ち込んでいるのかな、と思いきや、最近、初めて合コンなるものに参加し、そこで気になる男性を見つけたようで、今は、この新たなる王子様とこの先どうなるか、興味深く様子を伺っているところらしい。むしろ今はハッピーなようで、めでたしめでたし。 めでたしといえば、Tさんは2年前からお付き合いのある男性と、順調に愛を育んでいる様子。他のメンバーが恋愛におけるすったもんだを経験している中、唯一、順調な彼女ですが、では、その彼氏さんとこのまますんなり結ばれる予定かというと、そうでもないようで、彼女曰く「波乱が無さ過ぎて・・・(ちょっと物足らない)」とのこと。例えば、彼氏さんの他にもう一人くらい、彼女に言い寄る男性が現れて、さて、どちらを選ぶべきか、なんてことを悩んでみたいのだとか。まったく贅沢なお嬢さんでございます。 贅沢と言えば、つい最近、ハワイで遊んできたというAさん。彼女もまた1年ほど前からお付き合いのある男性が居るらしいのですが、どうもこの人が唯我独尊的な人のようで、二人で遊びに行くにしても、その行先はAさんの行きたいところではなく、その人自身の行きたいところばかり。どうも、この人は自分にふさわしくないのではないかと思い始めたAさんのようですが、色々尋ねてみると、どうやらこの男性、相当なイケメンらしい・・・。さてはAさん、面食いか! というわけで、5人の妙齢のお嬢さんたち、それぞれ日々の生活の中で、辛いことであれ、悩ましいことであれ、楽しいことであれ、とにかく色々なことを体験しつつ、二十代半ばという人生の中でも特にダイナミックな時期を通過している様子が伺え、楽しい会合となりました。ゼミの先生というのは面白いもので、年齢的にはむしろ彼女たちの親御さんの方に近いわけですが、しかし心情的には彼女たちのメンタリティーに近い、というところがあって、彼女たちの行動に対し、親が娘のことを思うように心配するところもある反面、親が心配するようなことこそ、若いうちにやっちまえとけしかけたくなるようなところもある。 そういう微妙な立場から、私は彼女たち一人ひとりの葛藤と行動を応援しているのでございます。
October 6, 2012
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西部劇で『拳銃王』というのを観ました。例の映画チャンネルでやっていたのを途中から観たのですが、これがまた、実に良かったのよ。 西部劇ってのは・・・まあ、アメリカならではの映画ジャンルなので、私としては仕事上、沢山見ておかなくてはならないのですが、どうもその、私としては食指が動かないジャンルでもあって、『シェーン』とか『駅馬車』とか『真昼の決闘』とか、よほどのものでないと観たことがない。で、今日の『拳銃王』にしても、そのタイトルからしてどうかと思ったのですが、主演がグレゴリー・ペックだったもので、ペック・ファンのワタクシとしてはつい観ちゃったわけ。 途中から観たので、事情が分からないところもありますが、とにかくペック演じる「ジミー・リンゴ」というのは、元は列車強盗なんかをやるギャングの一味だったらしいのですが、西部一の早撃ちの評判を持ち、官憲はもちろんのこと、その評判を聞いてチャレンジしてくる腕自慢のガンマンたちを退けてきた伝説の人物なんですな。で、そのジミー、今もまた彼が倒した男の兄弟たちに命を狙われている。 そんな、色々な意味でお尋ね者のジミーが、カイエンヌという田舎町にやってきて、その酒場に姿を現す。有名なガンマンの突然の登場に、小さな町は騒然とし始めます。 なぜジミーがこの町にやってきたかというと、実はかつての恋人・ペギーがこの町で小学校の先生をしながら細々と暮していたからなんですな。ジミーとの間にできた8歳の少年と共に。ジミーは、そんなペギーと息子に会いに来たわけ。出来るものならば、彼女と息子と、三人で暮らしたいと思いつつ。 さて、ジミーの登場で色めき立つ町の騒ぎを納めようと、酒場にこの町の保安官で、「腰抜け」と評判のマークがやって来るのですが、実はこのマーク、かつてはジミーと共に西部を荒らしまわったギャングの一味であり、ジミーとは親友の間柄。ですから、昔は彼もワルだったのですが、彼も関わったある銃撃戦で、まったく無関係な少女が流れ弾に当たって死んでしまったのを目撃して以来、強盗稼業からすっかり足を洗い、彼のことを知らないこの町に来て、丸腰の保安官として勤めていたんですな。 で、騒ぎが大きくなる前にジミーを安全にこの町から出したいとマークは思うのですが、ペギーと息子に一目会いたいというジミーの強い願いを聞き、一応、ペギーのところへ行き、ジミーからの言伝を伝えます。しかし、今でもジミーを愛しているとはいえ、西部中のお尋ね者となってしまったジミーと共に息子を育てることはできないと判断した彼女は、ジミーとは会えないという伝言をマークに託すと。 マークがペギーのもとを訪れている間にも、町では騒ぎが大きくなっていて、ハンクという若造のチンピラが、チャンスがあればジミーを撃ち殺そうと酒場に乗り込んできて挑発してきたり、あるいは息子をジミーに殺されたと誤解している爺さんが、ジミーを狙撃しようと自宅の窓から狙っていたりする。で、町の男の子たちは、有名なジミー・リンゴと誰かの撃ち合いがあるのではないかと、学校をさぼって酒場の窓から中を覗き出す。そして、そんな騒ぎを快しとしない町の婦人会の長老が、さっさとジミーを逮捕するなりしろと保安官に文句を言って来たりする。さらに、彼の命を狙う例の三人組も、町に近づきつつある。 さて、マークからペギーの返事を聞いたジミーは、思いを絶って町を出ようとするのですが、その刹那、昔なじみのモリーという酒場付の歌手に出会い、彼女からペギーに会わせてやると言われ、もう少しだけこの町に留まることにし、モリーにペギーを呼んできてもらうわけ。で、マークに言われた時には気丈に面会を断ったペギーも、女同士のモリーに説かれて、ジミーに会うために酒場にやってくる。そしてジミーとペギーは再会を果たすことになる。 で、一緒に暮らそうというジミーに対し、ペギーはやはり断るのですが、どこか彼の名前が知られていないところに行って牧場を経営しようと熱を込めて語るジミーにほだされ、とりあえずジミーが先に遠くの町で牧場を経営し、もしそれがうまく行けば1年後に迎えに来るので、その時は二人の息子とも一緒に、その町に引っ越そうということで話がまとまるんですな。 で、ジミーは町を出ることにするのですが、この時までに町に到着していた三人の敵が、彼が酒場から出てくるのを待ち伏せしているわけ。ジミー、危機一髪! ところが、マークの部下が、この待ち伏せをしていた三人組を、すんでのところで捕まえるんです。いやいや、良かった! そしてジミーが馬に乗って走り出したその瞬間、背後から銃声が! 先に酒場でジミーにチャレンジし、子供扱いされた町のごろつき、ハンクが、卑怯にも背後からジミーを銃撃したんです。そして、この凶弾によって、ジミーは命を落とすことになる。 親友、マークに抱かれたジミーは、しかし「銃を抜いたのは自分が先だった」とウソを言い、ハンクをかばうんですな。おお、自分をこんな目に遭わせた若造の命を、ジミーは救おうとするのか! と誰もが思う。 ところがそうではなかったんですな。これはジミーの復讐だった。つまり、西部一のガンマンとして命を狙われ続けたジミーを、正々堂々、撃ち殺したとなれば、今度はハンクが、西部中の腕自慢から命を狙われることになる。自分が経てきたガンマンとしての辛い生き様、というか、生き地獄を、今度はハンクに背負わせようとしたわけ。 かくして、ジミーはこの町で弔われることになります。その葬儀で、ペギーは、長年隠していた事実、すなわち、自分がジミーの妻であり、息子はジミーの息子であることをカミングアウトする。西部一のならず者、西部一のガンマンにして、愛すべきジミーの妻と名乗り出たペギーに、町中の人が敬意を払う。そんな場面でこの西部劇は幕を閉じる。 ま、そんな話です。 この映画、私の点数は「92点」。 観終わってからも、映画の一場面、一場面が思い浮かぶんですよね。ジミーがチンピラ・ハンクを軽くあしらうシーン。婦人会の長老が、ジミーを町から追い出す算段を、当のジミーに相談するユーモラスなシーン。町の好青年との短い対話によって、ジミーが堅気の暮らしに憧れるシーン、ジミーが8歳になった息子に初めて出会うシーン。どれもねえ、いいわけよ。 それから、ジミーとマークの、親友同士が話し合うシーンもいいんだなあ。そして、隠してはいるが、どうやらマークもまたペギーのことが好きらしい、ということがそれとなく分かるようにしてあるのも、実に奥ゆかしい。 そして、主演のグレゴリー・ペック。彼の事を、大根役者と言う人も多いですし、実際そうだと思いますが、大根役者ならではの巧まざる演技というのがあって、私はそれが好きなんですわ。この映画におけるペックは、『ローマの休日』や『アラバマ物語』におけるのと同様、彼にしかできない役柄を演じていると思います。 ということで、映画『拳銃王』、教授の熱烈おすすめ!です。観たことが無い方は是非!これこれ! ↓【送料無料】拳銃王 [ グレゴリー・ペック ]価格:1,701円(税込、送料別)
October 5, 2012
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はあ・・・。後期最初の一週間の授業が終わった・・・。疲れた・・・。もう帰宅したら、なんもする気が起こらん・・・。 でまた、こういう時に限って、同業の友人知人が「今度、本出しました」とか言ってくるんだよなあ。そういう人達って、一体いつ勉強してるのかな。わしなんて、疲れちゃって、大学から帰ってきたら、もう後はテレビ観てネット観て寝るだけじゃ。 さて、今日、ネットを見ていて驚いたのは、F1ドライバー、ミハエル・シューマッハの引退宣言。90回の優勝、7度のワールド・チャンピオンに輝き、前人未踏の偉業を達成して一度引退した後、まさかの電撃復帰。しかし、期待された成績を残すことなく、今シーズンをもって再度引退を発表したとのこと。 F1ファンとしては、せめてあと1回、シューマッハの優勝が見たかったな・・・。いやいや、今週末の鈴鹿を含め、あと6回チャンスがありますから、それに期待しましょう。 しかし、疲れて元気が出ない時、自分の業績が上がらない時、人は自分の好きなスポーツ選手の活躍に、自分を投影するんですよね。私が「シューマッハの優勝が見たい」と思っているのも、要するに、自分にとってなかなか物事がうまく進まないことの代わりに、シューマッハの活躍で気を晴らしたいと思っているんじゃないかな。 ま、シューマッハにはもちろん、あと6回のレースに全力を尽くしてもらいたいですが、私も自分で頑張らないといかんですな。
October 4, 2012
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このところ、「ああ・・・」と思う訃報が相次いでおります。 まず、これはちょっと前の話になりますが、アメリカの歌手、アンディ・ウィリアムズさん。私の母が好きだったこともあり、子供の頃、よくテレビで『アンディ・ウィリアムズ・ショー』を見たものでございまして、子供心に「なんと滑らかないい声なんだろう」と感心した記憶があります。私より前の世代ですと、ビング・クロスビーの方がファンが多いだろうと思いますが、私としてはリアル・タイムで見ていたアンディ・ウィリアムズの方に何となく親しみがあります。『ゴッド・ファーザー 愛のテーマ』とか、レコードもよく聴いたものでございますよ。 そして、昨日は流通評論家の金子哲雄氏の訃報にびっくり。『ホンマでっかTV』での、番組の趣旨をよく理解した上での楽しいコメントぶりに好感を抱いていたのですが、まさかそんな重病を患っていらしたとは思わず、急逝のニュースには本当に驚きました。弱音を吐くこともなく、周囲の人にも重病であることを最期まで隠していたとのことですが、なかなか出来ることではありますまい。41歳という若さで、これからという時にこのようなことになってしまって、ご本人もさぞ無念だったことでございましょう。ご冥福をお祈りしたいと思います。 そして今日は今日で、馬渕晴子さんの訃報がありました。日本を代表する名女優だと思いますが、実は私の小学校・中学校時代の友人のお母様でいらっしゃいまして。今頃、その友人が悲しい思いをしているだろうなと思うと、こちらも重い気持ちになって参ります。母親を失うというのは、辛いでしょうなあ。 とまあ、自分とは直接関係ないながら、インパクトのある訃報に立て続けに接し、思うところの多い私なのであります。合掌。
October 3, 2012
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映画『ボーン・レガシー』をレイトショーで観てきたのですが・・・ 面白くなーい! まさかまさかの期待ハズレ。点数から先に発表しちゃいますけど、「43点」かな。到底、合格ラインには達しておりませぬ。観る価値なし。 大体、シチュエーションにまるでリアリティーがない。CIA工作員に変な薬物を与え、能力を高める一方、薬漬けにしてコントロールしやすくするとか。さらには、ある特殊なウイルスを投与すると、そうした薬なしでも、恒久的に能力アップするとか。そんなこと、あるわけないない。それに、薬物依存のエージェントなんて、余計使いにくいわ。 でまた、ある計画を取りやめにするとなると、その計画に携わっていた工作員を皆殺しにする、というのですけど、莫大なお金をかけて訓練した工作員を、そんな簡単に殺してたら、効率悪いって。そんなことあるわけないない。 とまあ、「あるわけない」シチュエーションの上に話が成り立っているので、もう最初から興醒めの極み。 話の筋にも工夫がないし、派手なアクションこそあれ、主人公アーロンを殺しに来る「人間の感情すらも持たぬ最強の殺し屋」とやらが、実際には弱っちいったらありゃしない。まさにお笑いよ。おまけに、今回悪役を務めるエドワード・ノートンがまた全然迫力がなくて、ただの神経質で打たれ弱い中間管理職の上司みたい。 だから、観るべきところがほとんどないんだよね。 実際、レイトショーとはいえ、映画館はがら空き、しかも数少ない観客の中に、大きないびきをかいて寝ている奴がいて、これまた興醒めでしたなあ。もっとも、この映画観てたら、寝ちゃうのも仕方ないけどね。 というわけで、『ボーン・レガシー』、しょうもない映画でごわした。『ボーン・・・』を名乗るなんて、前の「ボーン3部作」に対して失礼ですよ。続編が作れるように作ってあったけれども、作らないでいいです。教授のおすすめ、は、なーしーよ!
October 2, 2012
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この間、常滑にある「古窯庵」というお蕎麦屋さんで食べた時、お冷の代わりに冷たい蕎麦茶が出たんですな。 で、それが結構おいしくて、こりゃ、麦茶よりいいかも、と思い、古窯庵で売っていた蕎麦茶を買ってきたわけ。 で、このところ、そいつを煮出したものを麦茶のように冷やして飲んでいるのですが、やっぱりこれが旨いのよ。香ばしく、ほんのりと甘味があって、爽やか。 でまた、蕎麦茶というのは、高血圧を予防するとか、その他色々薬効があるようで、まあ、気の問題かも知れませんけど、身体にいいものを飲んでいるんだ、という風に思いながら飲めば、悪い気はしません。 ってなわけで、気分的に今は蕎麦茶の気分なワタクシなのであります。朝晩は涼しくなってきたとはいえ、昼間はまだまだ汗ばむほど。麦茶もいいけど、蕎麦茶もまたオツなものでございますよ。教授のおすすめ! です。ルチン(ポリフェノール)たっぷり!動脈硬化予防に効果的です!同梱一番人気!【送料込み】国...価格:800円(税込、送料込)
October 1, 2012
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